2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[387] 2002年12月20日(金)
「情緒あるAF一眼レフ」

中学時代、我輩が最初に手にした一眼レフカメラは「Canon AE-1」であった。
このカメラはマニュアル露出の他にシャッタースピード優先AEでの撮影が可能である。レンズ側の絞りをAマークに合わせておけば、セットしたシャッタースピードに対応する絞り値が自動的にあてがわれる。

当時、主な被写体の一つが野鳥であったが、野鳥仲間に「クラッシャー・ジョウ」という者がいた。
ヤツはペンタックス派で(恐らくは親父さんの影響であろう)、ペンタックス以外のメーカーを見下していた。
我輩が1万5千円でやっと手に入れた中古のAE-1で撮影していると、ジョウは自慢の「PENTAX K2-DMD」を見せながら、AE撮影の手軽さを講釈する。

「こんカメラ、絞り優先オートやけぇ、露出に気ィ使わんでもカワセミの速え動きに集中出来るっちゃ(このカメラは絞り優先オートだから、露出に気を使わないでもカワセミの速い動きに集中出来るんだ)。」

ジョウは普段はいいヤツなのだが、自慢モードに入っている時はとことんムカつく。
この野郎、AE-1がAE撮影出来ることを知らんのか? AE-1というネーミングの"AE"の意味をよーく考えろ!
我輩がAE-1はシャッタースピード優先AE搭載であることを言うと、ジョウはかなり残念そうであった。

「なん、AE-1っちマニュアルだけやないんか(なんだ、AE-1というのはマニュアルだけじゃないのか)。」

当時のAEカメラは、シャッターダイヤルや絞り環の数字の端にオートマークがあり、マニュアル露出(ME)からシームレスにオート撮影に移行出来た。それ故、ちょっと見た限りでは、マニュアル機かAE機かの区別は難しい。ジョウが思い込みを以てAE-1を眺めれば、マニュアル機に見えたとしても不思議ではなかろう。
それほどに、AEとMEには大きな隔たりは無い・・・。



さて、昔から言われていることであるが、AF一眼レフカメラには情緒が無い。
従来のカメラのような質感や高級感が無く、安っぽい家電製品のように思える。だがそれは、「AFだから」という必然性は無い。たまたま、AFカメラが出現した時代が悪かった。

最初の実用AF一眼レフ「MINOLTA α-7000」が発売されたのは1985年であった。
当時、時代はハイテクを追い求めており、カメラも液晶表示やワインダー内蔵などを進めていた。ただそれまでは、普及機などに部分的に採り入れられるだけであった。

ところがα-7000が出てみると、それは全てのハイテクを身にまとった、ある意味「完全体」であり、その未来的な姿に皆驚愕した。
軽量プラスチックボディー、AEフルモード搭載、液晶表示、ワインダー内蔵、レバー操作からボタン操作への移行、幅広のストラップ金具、シボ皮廃止・・・。
それ以前の非実用AF時代(PENTAX ME-FやNikon F3AF)ならば、MFカメラにAFをそのまま外付けしたようなスタイルであったのだが、このα-7000は頭のてっぺんから足の先まで、丸ごとAF仕様であった。
当時、α-7000はあまりの人気に品薄で、なかなか手に入らないという話をよく耳にした。高校時代の修学旅行、担任教師が誇らしげにそのカメラで撮影していたのを想い出す・・・。

このカメラの成功は、その後のAFカメラの方向性を決定付け、各社から後追い発売されたAFカメラもことごとくα-7000路線を踏襲していた。一人勝ちのα-7000を追い抜くためには、他メーカーも同じ方向に走り出すしか無い。
各社それぞれに初めて行うAFシステム構築である。ここで躓(つまづ)けば後は無い。事実、オリンパスと京セラ(KYOCERAブランド)は大失敗をしてAF市場からの撤退を余儀なくされた。それほど微妙な問題であるから、各社それぞれに作りたいカメラ像があったとしても、α-7000という成功事例を無視し、敢えて危険を冒すことも出来なかった。
もしかしたら、開発途中でα-7000の衝撃を受け、お蔵入りとなった幻のカメラもあるかも知れぬ(キヤノンの場合、発売直前であったT-80はそのまま発売せざるを得なかったようだ)。

我輩の勝手な分析によると、当時のα-7000の成功の大きな理由は、「一眼レフを身近なものにした」ということに尽きる。
それまでは、一眼レフと言えばそれなりに知識と経験を求められる敷居の高い存在であった。実際、ヘナチョコ妻にMFカメラを持たせると、ピント合わせに5分は掛かり、時には「合ったかどうか分からない」などと言い出すこともある。
それ故、AF登場による撮影者の負担軽減は大きい。
しかもα-7000は、ピントの自動化のみならず、巻き上げや巻き戻しなど全ての動作を自動化させてユーザーの裾野を広げた。
α-7000のヒットは、ユーザー層を広げたことが最大の勝因であったと言える。

ただし、ユーザー層を広げるということはつまり、ユーザーの全体的なレベル低下を招く。
従来のカメラを知らぬユーザーが流れ込み、カメラに対する要求も変わってしまった。オーソドックスなカメラの形態を継承する必然も失われ、カメラを知らぬデザイナーがカメラづくりに参画している。
過去のしがらみに囚われないカメラづくりが出来る一方、今まで培(つちか)ってきた良いものまでも削ぎ落としてしまった。

AFは、登場時のショック故に、単なる一つの機能としては認識されない。カメラ全体のフルオート化を最後でまとめる役割がAFである。単独で搭載されることなど無い。
「AFカメラ」、それはすなわち「フルオートカメラ」。
もし、AFが単なる一つの機能であれば、「手巻き式AFカメラ」や「ダイヤル式AFカメラ」などはもっと多く存在しても良かった。
必然性は無かろうが「マニュアル露出オンリーのAFカメラ」や「真鍮カバーのクラシカルAFカメラ」などという存在も許されたかも知れない。少なくとも情緒があり心温まろう。


中学時代、クラッシャー・ジョウがAE-1をマニュアル露出専用カメラだと間違えたように、AFも自然な形で従来カメラに取り入れられれば良かった。
もしそんなカメラがあるならば、ジョウに馬鹿にされようが構わぬ。何も言わず、MFの顔をしてAF撮影するだけ。

ピント合わせは、露出と違って回答は一つ。だから、精度さえ出ていればピント合わせはカメラ任せにしたい。特に我輩は、視力の問題からAFが魅力的に感ずる。
だが、魅力に感じているのはあくまで「AF機能」であり、決して「AFカメラ」ではない。

情緒あるAFカメラ、いつか会えるのだろうか・・・。