2000/04/05
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カメラ雑文

[357] 2002年05月31日(金)
「輪郭」

拳銃での射撃について、大きく分けて「ターゲット・シューティング」と「コンバット・シューティング」の2つの形態がある。
米国ではスポーツでの射撃も広く行われるが、多発する凶悪事件に対処出来るよう護身術としてのコンバット・シューティングが重要視されている。

「ターゲット・シューティング」の場合、主に競技としての性格が強く、「ブルズ・アイ(雄牛の目)」と呼ばれる的紙の中心を射抜く精密射撃である。着弾が的の中心に近ければ近いほど良いということになる。
また、相手からの攻撃など考慮せぬため、棒立ちで照準を目線に重ねて引き金を引く撃ち方が一般的。

それに対し「コンバット・シューティング」では、実戦を想定した射撃を訓練することにより、最終的には自分が生き残ることを目的としている。出来るだけ早く敵の存在を察知し、低く構えながら素早く弾を撃ち込む。着弾点は相手のどこであろうと構わない。敵を無力化出来ればそれで良い。とにかくスピード勝負である。
早く撃つためには、早く相手を認識せねばならない。そのためには相手を輪郭で捉えるようにする。輪郭は人間にとって最も基本的なる認識法であり、直感に訴える。そのため、輪郭を捉えるだけならば素早い判断を可能とし、生き残る確率を上げることが出来る。コンマ数秒の違いが生死を分ける犯罪シーン、わずかな躊躇(ちゅうちょ)が文字通り命取りとなる。

コンバット・シューティングでは、「とにかく輪郭の内側に素早く2発ずつ撃ち込め」と教えられる。輪郭を認識したと同時に銃を構え、構えたと同時に引き金を2度引く。ブルズ・アイの中心の高得点部分を悠長に狙うのではない。
<ブルズ・アイ> <マン・ターゲット>

雑文292でも書いたが、人間の目というのは、対象物の輪郭を線で認識するようになっている。
これは生物の根元的な認識であり、人間の場合は色の違いや濃度の違いで背景との差分を取り、そこから輪郭線を抽出する。輪郭線は単純な情報であり、高速な応答を可能とする。
(映画「プレデター」にはカメレオンのように背景に溶け込む異星人が登場するが、輪郭が抽出出来る視聴者には異星人がどこにいるかが判ったはず)

下の絵はいわゆるトリック絵で、何気なく見ると、人間のシルエットが浮かび上がって見える。しかし、映像としては「折れ曲がった19本の横線が並んでいる」だけである。


もしこのような輪郭の認識がすぐに出来なければ、それぞれの線の折れ曲がった部分を一つずつ目で追いながら全体の輪郭線を頭の中で想像しなければならぬ。そしてやっと、「これはもしかして、人間のシルエットではないか?」と思い浮かぶのだ。
それが本当に人間の姿であったならば、いろいろと考えているうちに相手の銃口は火を噴くことになろう。

我々は物を見た時、常に「それが何であるか」ということを理解しようと努める。なぜならば、人間の視覚というのは、「見る」というよりも「認識する」という用途に使われており、目に見える世界を頭の中で再構築することによって物体の認識やその位置関係を把握するのである。
頭の中に作られた仮想現実を使うと、「もう少し歩くと物にぶつかるな」などということが事前にシミュレートすることが可能である。
これは、「周囲の状況を常に伺いながら活動する」という動物の根元的機能である。そのために絶対不可欠な概念こそが輪郭線の認識に他ならない。

ところで、人間は色の違いや濃度の違いによって線を認識するとは言うものの、それはある程度の差がある場合である。もし許容量以下の色の違い、あるいは濃度の違いがあったとしても、その境界線は人間の目には線として認識されず、連続したグラデーションとして見える。
パソコンの世界では、6万色(ハイカラー)以下の色数で画像を塗り分けると、境界線が目立ちグラデーションがキレイには見えない。人間の輪郭線認識能力が働いてしまうためである。そこには在るはずもない無数の線が見えることだろう。
一般に、滑らかなグラデーションを表現するには最低1600万色(フルカラー)の色数が必要だとされている。それは、人間の目の優秀さを現す数でもある。
線とグラデーションとの区分けは微妙ではあるが、それは大きな違いとなって表面に現る。


以上、人間の認識する輪郭線について色々と書き連ねた。
ちょっとした表現の違いでそこに見えるものが変わってくるのは、その表現(芸術?)が人間に見せるためのものであるからだ。表現者は、さらに人間を深く知ることで新たな表現を見付けることであろう。

人間についての探求は、写真の世界でも絵画の世界でも、表現を要する分野には必ず役に立つはず。
少なくとも我輩はそう考える。


(結局、我輩がこの文章で何を言いたいか。それは、一言で言うには難しい。願わくば、文章全体を眺めて見えてくる輪郭線があればいいのだが。単なる文章の縞模様が、何かの輪郭に見えてくるだろうか・・・?)