2000/04/05
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表紙

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カメラ雑文

[336] 2002年02月24日(日)
「手段と目的」

宇宙の全てを吸い込むブラックホール。
ブラックホールの周囲にはシュバルツシルトの重力方程式に基づいた「シュバルツシルト半径」と呼ばれる面がある。それは強力な重力によって光をも外側に出さぬ限界、「事象の地平線」であり、その面よりも内側のことは、外側からは伺い知ることは出来ない・・・。


さて、我々が「手段」としての行動を起こす時、そこには何らかの「目的」がある。手段は、目的に到達するための経路に過ぎぬ。
突き詰めて考えると、我々が目的と考えていることの多くが、途中経路としての手段であることに気付く。
以下にその一例を挙げた。

  • 「労働」という手段は、「金」という目的のため。
  • 「金」という手段は、「カメラの購入」という目的のため。
  • 「カメラの購入」という手段は、「写真を撮る」という目的のため。
  • 「写真を撮る」という手段は、「芸術」という目的のため。
  • 「芸術」という手段は、「自己表現」という目的のため。
  • 「自己表現」という手段は、「己が存在する目的を捜す」という目的のため。
  • 「己が存在する目的を捜す」という手段は、「己が存在する目的を捜す」という目的のため・・・(以下無限ループ)。

もちろん、ひとつの手段は複数の目的を持つことも多い。例えば、金は色々な使い道(目的)がある。だがどんな例を挙げようとも、目的を突き詰めて行けば、結局は「己が存在する目的を捜す」という目的を考えざるを得なくなる。なぜならば、「我思う、故に我在り」という言葉どおり、世の中で唯一確かなことは「己の存在」のみである。その唯一確かな存在に目的を求めるのは当然と言えよう。
では、「己が存在する目的」とは? 何のために己はこの世に存在する?

惜しいことに、究極なる目的に辿り着く一歩手前には、ブラックホールの「事象の地平線」の如き境界面があり、そのままでは「己が存在する目的を捜す」という無限ループに陥ることになる。
永遠に、手段は究極目的には到達しない。

もし仮に、究極の目的を開くことが出来たとするなら、それに連なる全ての手段が意味付されることになる。その瞬間、究極の目的を開いた者の目の前から無意味な事象は一つ残らず消え失せよう。それは「事象の地平線」を越えたということであり、悟りを開いたことになる。


世の中には、カメラを購入することに力を注ぐ者がいる。我輩もその傾向があるかと思う。
通常ならば、写真を撮るための道具としてカメラを買う。そして中には、全くカメラに執着せぬ者もいよう。彼らは我輩のような人間を見て「カメラなど道具に過ぎぬものに執着するとは笑止。」と、高みから見下すかも知れぬ。
だがそれを言い訳するならば、結局は悟りを開いた者から見ればどちらも似たり寄ったりで、それこそ笑止千万。「ならば写真は何のために撮るのか」と問われれば何と答える? 写真を撮る者ならばその目的は考えて然るべき。たとえ、究極の目的が開かぬとしても。

ある段階に於いて、次の目的を常に見つめているかどうか、それが問題である。一生をかけて究極の目的が開かぬとしても、手段は目的になり得る。無限ループであろうとも、常に次の目的を求むる心こそ、手段を目的に変える唯一の方法だと我輩は信ずる。
まあ要するに、「高みから見下している者も人のことは言えぬぞ」と言いたいわけだ。その前に考えねばならぬことはある。

−己は何のために存在するか−
存在そのものが目的となるために、常に大きな目的を意識し明日を生きるべし。