[316] 2001年11月06日(火)
「どうにも解せぬ」
世の中には、どうにも自分の感覚では理解不能なことが多くある。
例えば、「どうしてあのタレントが好感度が高いんだ?」とか、「どうしてあんなものが流行るんだ?」といった疑問は多い。その原因は自分の感覚が世間とはズレているからだと自分を納得させるのだが、やはり心底では理解に苦しんでいる。
最近、デジタルカメラの画質は必要十分なものになったと言われている。
よく雑誌には、「印刷にも耐える高画質」と評されていたりする。まあ、確かにDTP化された印刷工程では、デジタルのほうが相性が良いというのは想像出来る。だが、それでもデジタルカメラで撮影された素材を使った印刷物を見ると、思わず「うーむ」と腕組みをしてしまう。この程度の画質で本当に良いのか・・・?
エッジや細かいパターンの描写が非常に甘く、全体的にも眠たい調子で気が萎える。それはCCD特有のクセなのかは分からない。だが原因が何にせよ、我輩の正直な気持ちとして、とても印刷に耐えるとは思えない。
我輩には、印刷屋の気持ちがどうにも理解出来ないのだ。
確かに印刷は反射媒体であるから元データのクオリティよりも劣るというのは解る。デジタルカメラのデータは印刷物の要求クオリティを上回るだろう。ましてやCCDの画素密度は、もはや網点よりも小さくなった(網のほうを大きくしてツブしている気もするが)。
しかし、印刷物としてのクオリティを上回るとは言っても、その中でバランスを崩してしまうならば、当然ながら印刷物となっても目に判ろうというもの。
微妙な描写を重視する印刷の場合、フィルムサイズの大きなカメラで撮影したほうが細かい描写が可能とされる。そしてその分、撮影にはフィルムサイズに応じて苦労が増えていく。そんな努力も、良い印刷物を作ろうとする目的があってのこと。
だがもし、印刷屋が「デジタルカメラの画質で良い」とするなら、今までの苦労は意味の無いものとなる。まさか、35mmカメラで十分だったということなのか。
また印刷業界に限らず、皆が皆、声を揃えて最近の高解像度のデジタルカメラ画像を褒め称えている。それが我輩には信じられない。
レンズごとの微妙な発色の違いを細かく述べる者がいる写真界に於いて、デジタルカメラの画質が問題にならないというのはどういうことなのか。まるでキツネにつままれたかのような不可解さに気持ち悪くなる。一体、なぜなんだ?
レンズの微妙な違いが判らぬ我輩であっても、デジタルカメラのクセは嫌でも目についてしまう。いくら画素が多くとも、画面の雰囲気が違う。だから、どうも世間の全ての人間が我輩を騙そうとしているように思えてならない。
一体、今までレンズやリバーサルフィルムの微妙な違いにこだわっていた奴らはどこに行ってしまったんだ・・・?
どうにも解せぬ。
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