2000/04/05
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カメラ雑文

[315] 2001年11月03日(土)
「デジタルカメラの買換え」

前回の雑文で書いた問題は、「維持」についての問題であったが、今回は「性能」の問題について悩んでみる。ここで言う「性能」とは、使い勝手なども含めたトータルなものを指す。


今まで我輩は、デジタルカメラをコキ下ろしたり、ホメ殺ししたりと、ネチネチとイジめてきた。それは、それなりの恨みがあるからに他ならぬ。
最初から「デジタルカメラなぞ使えるか」と食わず嫌いであれば、その存在を黙殺することも出来たはず。しかし我輩は今までいくつものデジタルカメラを使ってきたのであるから、少なからず関わりがある。

我輩が最初に使ったデジタルカメラは、141万画素の「OLYMPUS C-1400L」だった。その頃はまだ35万画素が主流で、141万画素という途方もないデジタルカメラは圧倒的、かつ魅力的だった。
「その頃は」などと書くと、かなり昔のことのように思ってしまうが、よくよく考えるとほんの数年前の話だと気付く。だが、もはや141万画素のカメラなど、探すのが難しいくらいに低性能になってしまった。

もちろん、用途によっては141万画素でも十分に実用価値はある。「ホームページの素材に使うだけだから、これで十分だ」と考える者もいよう。ところが余程の信念を持っていないと、それを使い続けることは難しい。
数年後、世間では600万画素で低消費電力でコンパクトで起動時間の早いデジタルカメラを、ごく当たり前のように使われていたらどう思う?
そんな時代に、わざわざデカくて重いカメラを持ち歩き、バッテリーを何度も入れ替えて撮影することなど、強い信念無くして出来ようか。普通の人間なら、つい、新しいカメラを買ってしまう。

今まで「デジタルカメラは未だ発展途上である」と何度も書いてきた。それはつまり、たとえ最新ハイエンドデジタルカメラを購入出来たとしても、「現時点での最高性能」というだけのことであり、必ずしも「必要とされる十分な性能」ということではない。だがそれを見極めることは難しい。なぜなら、人は比較でモノを見る。「今までよりも良い」ということで考えると、確かに最新型は素晴らしい性能を持つ。だが、絶対的なる性能を考えると、本当に素晴らしいと言い切れるのか。

銀塩カメラならば、その機構と画質は一定レベルに完成されている。誰も、画質向上を狙った買い換えなどしない。AF黎明期にフォーカス速度を競っていた時代も通り過ぎ、操作形態も「ダブル電子ダイヤル」と「モードダイヤル」という組合せという形で、以前に比べて共通化されてきた。

デジタルカメラは、いったんそれに手を出すと一定期間ごとの買い換えを余儀なくされる。好む好まざるを問わず、そういう状況に追い込まれる。デジタルカメラの出荷台数が銀塩カメラの出荷数を越えたという本当の理由はそこにある。
数字だけを見ると、「デジタルカメラは好評だ」などと言ってしまいそうだが、実は皆、手持ちのデジタルカメラに不満を多く持つ。そのうちの1つの不満を解消出来るものが現れると、それを買ってしまう。だが、デジタルカメラの進歩は小出しで極めて牛歩。平たく言えば「もったいぶっている」。いつまで経っても完成された決定版は出ない。

我輩に言わせれば、現時点のデジタルカメラは試作品に過ぎぬ。消費者はその開発費を出し、そして製品のモニターをやっているのだ。
結局、全ての不満点が解消されるには、不満の数だけカメラを買い換える覚悟が必要だな。