2000/04/05
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表紙

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カメラ雑文

[311] 2001年10月20日(土)
「数字盲信」

人を説得するには、数字を出すのが一番効果的だと言われる。

日米開戦直前、海軍軍務局から艦政本部へ全国の造船所の商船建造能力がどれくらいかという見積りが出された時、その見積りの数字に基づき「商船による物資輸送に何ら問題無く、戦争の遂行は十分可能である」と判断された。
だが実際には、それは一夜漬けの見積りであり、しかも見積り自体が機密事項で一部の関係者の意見しか盛り込めなかったこと、そして戦時中の軍船最優先体勢、資材確保問題、規格部品取り決めの遅れ、工数管理体制の不徹底により、開戦後早くも計算違いに苦しむことになる。

見積り時点では多くの仮定要素があり、その仮定の下で初めて意味を持つ数字であった。だが、軍部のイケイケムードの中では、その見積りの数字は一人歩きしてしまい、開戦の根拠に利用されてしまった。
いったん具体的な数字が出てしまうと、見積り条件などはもはや目に映らなくなるのが常である。数字盲信の怖さはそこにある。

ビジネスの世界に於いても、やはり数字が一人歩きする危険は多い。
見積り金額を客先に提示した時、見積り条件をハッキリと記載せねばならないのはもちろんのこと、担当者と顔を突き合わせて直接理解を求めることを怠ってはならぬ。

また、会社経営者などは数字で判断するという仕事が多く、その分、数字に惑わされて悪意のある第三者にコロリと騙されることがある。少なくとも我輩の耳に届く範囲で起こっているのであるから、特殊な事例というわけでもあるまい。

商品先物取引詐欺もまた然り。
取引業者はまず相手に経済新聞に掲載された先物取引の市場価格を確認させる。その新聞を見た者は、新聞に載っている数字に気を取られ、国内市場価格と海外市場価格の格差によって儲けが生まれるかのような強引な論理を受け入れてしまうのだ。数字にウソが無いだけに騙されやすい。

理数系の人間には痛いほど分かっていることであるが、数字というのはかなりのクセ者である。
ある数字を手にした時、それがどのようにして得られ、何を意味しているかということを常に意識することは重要なポイントとなる。あまりに熱心に計測したがために、汗に含まれるナトリウムが反応して正確な値が得られなかったという笑えぬ話さえある・・・。


前回の雑文では、カメラ雑誌に掲載されていたシャッタースピードの実測値を元にして、カメラごとのシャッター誤差を計算してみた。だが、それらのカメラについて、具体的な製品名を明記しなかった。
その理由は、元となるデータからでは、シャッタースピードについての一般的な傾向しか見ることが出来ないと判断したからだ。

もしも機種名を明らかにし、それぞれの優劣や順位を決めてしまうならば、元になったデータの質が問題となる。如何にしてそのデータが得られたのか。それは、数字だけを見ても分からない。
もちろん、明らかに変な数字だと思われるもの、・・・例えば有効数字が揃っていないものなどは眉に唾を付けたりもしようが、表面上は形が整っている数字についてはそれを信じる以外に無い。しかしそれが製品の優劣を決めるような使い方をする場合は慎重にならざるを得ない。なぜなら、我輩が勝手気ままにカメラを批評するならば、それに対して「あんなカメラのどこがいいんだ」などと我輩の言葉を否定することも出来よう。しかし数字を使った分析となると、それを否定するためには、数字の解釈あるいは数字そのものが誤っていることを示さねばならぬ。
いったん数字によってランクされた順位は、さらに信頼出来る数字が出るまでは、もはや誰にもそのランクを入れ替えることは出来ない。

数字とは、それを得た経緯が最も重要視されるべきものである。果たしてその数字は正しいのか?何を以て正しいとするのか?
それは単純に、計測に用いた測定機の精度だけの問題ではない。

シャッタースピードの一般的傾向を見るならば、計測回数を増やすことによってバラツキを平均化し、その背後にある規則性を読み取ることが大切である。だが、ある特定の機種についての傾向を見るには、そのサンプルとなるカメラは複数台必要となる。たった1台の性能が全てを代表している訳ではないからだ。
それはあたかも、たった1人の日本人を研究し、「日本人とはこういう人種だ」と結論付けることに似る。1つのサンプルだけでは、その数値が全体に共通する特徴なのか、あるいはその個体の個性(バラツキ)なのかは区別不可能と言える。

そもそも、テストの対象となるカメラは、量産前ものか、あるいはあらかじめ厳選されたメーカー支給のものか、無作為に店頭で買い求めたものか、それによってもかなり違ってくると予想できる。当然と言えば当然だが、実際に流通しているカメラをテストしたほうが現実に則した結果が期待出来よう。

また、それぞれのカットが一発勝負となる「写真撮影」という世界では、個体間のバラツキを平均化することに果たして意味があるのかという議論もあろう。
「それはたまたま出た異常値であり、本来の性能とは関係無い。無視してくれ。」と言われたとしても、実際にその異常値で失敗写真となるならば、無視して良いなどとは言えぬ。


要するに数字というのは、測定の段階でどのような目的や思惑を持っているのかということで意味がガラリと変わる。そしてその数字に意味付けする段階で測定時の思惑とズレがあれば、そこで得られる結論に真理は無い。

もし数字を根拠にするならば、その出所を常に意識しなければならぬ。出所が不明であれば、それを受け取る側は数字を盲信せず、参考として自分の脳細胞に留めておくだけにする。そしてそれがいつか非線形の予測や考察を行う時に役立つ。
その時、その数字は「根拠」として使われるのではなく、何かの「示唆」を与えることとなろう。