2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
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8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
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カメラ雑文

[304] 2001年09月22日(土)
「つられてはならぬ」

田町駅前の交差点は、十字路がズレているために横断歩道の幅は意外に広い。ここは我輩が毎朝通る通勤路なのだが、横断歩道の幅が広いということは、論理的に考えれば、車道側の信号が赤になってもまだ交差点を渡りきれていない車があるということでもある。これらの車に注意しながら横断歩道を渡るというのは、都会人としての常識であり、それが出来ない者は自然淘汰されることになる(平たく言えば、車に轢かれる)。


田町駅前

さて、昨日の朝、いつものようにこの横断歩道で信号待ちをしていた。
駅前の幅の広い横断歩道であるため、我輩の周りには数十人の人間が同じように信号待ちをしている。
しばらくすると車道側の信号が黄色に変わった。すると信号待ちの前列にいた気の早いオヤジが歩き出した。そしてそれにつられるかのように周囲の20人ほどが横断を始めた。車道側の信号はまだ黄色であり、当然ながら歩道側の信号は赤のまま。皆、前方をかすめる車に慌てていた。

いつもならば、いくら急いでいるような人間でも、車が通り過ぎるまでは歩行者側の信号が青であろうと横断せず待っていたものだ。しかし、この日は一人のオヤジが見切り発進したがために周囲の者まで調子を狂わせてしまった。我輩でさえ周りの空気の圧迫によって一歩動いたくらいである。気を抜いていると、人間の行動というのは無意識のうちに他者の動きに影響される。


我輩はこれまでいろいろな雑文を書いてきた。サイト開設当初は、撮影日記や雑念などをツラツラと書き流す程度に考えていたが、いつの間にか自分の勝手な思想をブチ撒くハケぐちになっている部分もある。

我輩は以前、思想の違いについて触れた
自ら思考すること無く他人の思想に触れることは、それはまさに、横断歩道をつられて渡ることに似る。つまり、危うい行為である。

新興宗教のように、頭から信ずる事を強要し思考を奪うことになれば、その瞬間に「個」は失われ、信者は集団意識の中に自らを埋めてしまうだろう。そのような世界に於いては、個と個それぞれに働く相互作用は無く、そこから新しいものが生まれ出ることは無い。

まあ、新興宗教のように意図して個々の思想を奪うのは論外だが、冒頭の横断歩道の例のように無意識の領域で他人の影響を受けることは日常ではよくある。単に本人が気付かないというだけの話。

我輩の運営している某アーチスト系のサイトでは、アーチストのスキャン画像を何枚か載せて人気投票を行っている。その画像の中でいくつか0票のもの(つまり低人気のもの)があったのだが、途中から我輩の一口コメントをそれぞれの画像に書き添えてみた。特に0票の画像には贔屓(ヒイキ)目なコメントを書いた。すると興味深いことに、直後から0票の画像の人気が上昇しはじめた。
我輩のコメントが、投票する者の無意識の心に影響を与えたことは明白。


当サイト「カメラ雑文」には様々な屁理屈が込めてあるが、思想無く読むことによって人を傾かせはしないか心配に思う。杞憂であればよいが。

思想とは、相手との違いを認識することから始まる。それは、自身の思想を再確認することとなり、それを土台としてより自分らしい確たる思想を生み出すことを促す。
だが、自身の思想無く他の思想に触れるならば、それは読み手の無意識の領域を染まらせることにもなろう。
そうならぬためにも、もし我輩の雑文を読み続けていくならば、我輩の主張と自身との考えの違いを常に意識せねばならない。

人につられて赤信号を渡るならば、いずれ車に轢かれる。
自分の目で信号を見、自分の意志で道路を渡るべし。