2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[240] 2001年03月07日(水)
「光の点」

光の点というのは美しい。
クリスマスシーズンになると、原宿通りの街路樹がイルミネーションに彩られたりする。
昼間見ると、それは単なる枝にしか過ぎないのだが、夜の闇に浮かび上がる光の点は別の世界を見せてくれる。
しかし、その光は写真に写すことは比較的容易だ。三脚にカメラを固定して写せば何とか写る。それほどにイルミネーションの光は強い。 しかし、本当に心から感動するような光景は、我輩に限って言えば、田舎でしか体験したことが無い。そして、そのような美しい世界は、写真に残すにはあまりに光が淡く、それ故、頭の中の記憶にしか残っていない。それがかえって、我輩の心に深く刻みつけるのだ。

我輩が光の点に感動したというのは、3回ある。

1回目は、初めて本格的に天体観測をした時。
肉眼では見慣れていた夜空が、友人の双眼鏡を借りて見た時に別の世界が広がった。
当時は別居している父親から天体望遠鏡をプレゼントされていたのだが、宝の持ち腐れ状態。望遠鏡で星を見たことは無かった。しかし、双眼鏡に広がる世界は、単に「光る点」としか感じなかった我輩に「宇宙」を意識させることとなった。
「宇宙と我輩との間には、何も障害物は無い。ただ、遠い距離が広がるのみ。」そのことを実感した夜だった。

2回目は、ホタルだった。
島根県にいた大学時代、友人ら数人に誘われて夜道を自転車で走った。
ホタルが見られるというので付いていったのだが、我輩は内心「大したモンじゃなかろうから、面倒だな」と思った。
道はだんだん寂しい所に入って行き、街灯すら無くなった。そこは斜面を拓(ひら)いたような水田で、近くを川か用水路が流れているような音がしていた。確かにホタルがポツリポツリと見えた。
「大したこと無いな」と思っていると、自転車では入れない所に皆が進んでいく。
「おいおい、この場所で充分だろ」と思ったが、仕方なく自転車を降りて歩いた。すると、とんでもないところに出てしまった。
そこは、視界一面にホタルが舞っていた。
あれは信じられなかった。光る点が飛んでいたり明滅していたり、気が付くと我輩の服にとまっていたりする。その光景は、もはやホタルに見えなかった。
帰り道、我輩は後ろを振り向き振り向き家路についた・・・。

3回目は日本海の海だった。
これも大学時代に友人に誘われて行ったのだが、日本海というのは意外に小さな湾が多い。そのため、その場所はほとんど波が無く穏やかだった。
そこは昼間に何度か来たことのある海岸だった。近くに漁港があり、散歩がてら友人と車でやってきたものだった。
しかし、その日は夜に出掛けた。漁港の光以外に何も照らすものは無い。しかし友人は「コッチやで」と言いながら、どんどん暗いほうへ歩いて行く。
我輩が足下に注意しながら歩いていくと、開けた場所に着いた。そこも小さな湾になっており、波はほとんど無かった。
友人は石を拾い上げ、おもむろに海に投げ込んだ。すると、ドボンという音とともに波紋が広がった。
いや、ほとんど何も見えないくらい真っ暗なのに、波紋が見えるのはおかしい。見ると、海が青く光っている。これは夜光虫の光だという。
夜光虫はプランクトンの一種で、体内に光る仕組みを備えている。石を投げ込んだ刺激を受けて発光したのだ。
光る点々は、たくさん集まって波紋の形を作っていた。それはまるで、数千億の星が集まって天の川となるように、調和した1つの画(え)を作っていた。


我輩が感動したものは、今は脳裏にしか無い。その脳裏の映像が蒸発せず残っている限り、我輩の写真は、求める地点に到達出来ないかも知れない。
だが、それでいい。
我輩の感動は、そんなに簡単に写真で表現出来るものではないんだ。それが我輩の中に残っているだけでも、写真の修行を続ける価値があるというものだ。