[227] 2001年02月13日(火)
「年間天気予報」
子供の頃、天気の良い日に母親と行橋(隣町)の商店街へ買い物に行った。
買い物の前に金を引き出そうとしたのか、母親は銀行に寄り、手続きをしていた(当時は現金自動引出機などは無い)。
子供は銀行では用事が無いので、ただひたすら待つしか無い。待合所には灰皿とマッチ箱が置いてあり、我輩はそのマッチ箱で遊んでいた。
そのマッチ箱は屋根の形をした三角形で、下の引き出し部分にマッチが詰まっている。そして、屋根の側面には年間天気予報表が印刷されていた。
我輩は、「1年も先の天気があらかじめ決められているのか」と不思議に思ったが、そのカレンダーに書かれた天気のマークを今日の日付まで追ってみると、「お陽さまのマーク」が付いていた。
「へぇ〜、スゴイな。」
我輩は子供心に感心した。
それが、過去の天気データから統計上作成された天気予報だと知ったのは、それから10年以上も後のことだった・・・。
現代の最新カメラは、分割測光(多分割測光)を行っている。
これは、画面内を一様に測光するのではなく、画面をいくつかのエリアに分けて測光する方法である。
ここで重要なのは、分割測光は従来の測光方式(中央部重点測光や部分測光など)とは決定的に異なり、測光エリアごとのデータを比較・演算し、過去のデータを基にした統計上の正解値を出すことである。
実際にその作業を行うのは「マイクロプロセッサ」。つまり、カメラの中には「マイクロプロセッサ」という予想屋がいるということになる。
その本質は、どれだけ細かく分割されているかということではなく、どういう過去のデータを用い、どういうアルゴリズム(規則)で予想を行うかということである。
現代の科学力では人工知能の開発は未だ成功していない。それ故、ファインダーに映っているものが何であるかということをカメラが認識することは不可能だ。
しかし、エリアの明暗の組み合わせを統計的に見ることによって、ある程度の傾向が見えてくる。
そうなれば、ファインダーに映っているものが何であるかということをいちいち判断する必要が無い。シーンはそれぞれ単純化され、明暗の組み合わせを材料として過去の統計から、例えば「暗部が中央にある時は暗部に露出を合わせよう」という切り替えが行われる。
それは、「日付け」という単純な情報を得て天気を統計的に予測することと似ている。手間は掛かるが、高度な判断をしているわけではない。規則に従ってマジメに計算して行けば出る答なのだ。
しかし、予想が外れることももちろんある。想定されたシーンと違ったり、撮影者のイメージが違うところにあったりすると、過去の事例は全く役に立たない。
元はと言えば、「逆光条件において明暗差のある主要被写体と背景の補正をする」という思想の基に開発された分割測光であるから、そもそも画面のほとんどが主要被写体の場合、明暗差がそれほど極端ではない。このような微妙な光の表現をどのようにコントロールするのか。分割測光にこだわるならば、事前にテスト撮影して傾向を知るほか無い。
そのアルゴリズムはメーカーによって違ってくるだろうが、我輩の予想では、結局それは各エリアの平均値を取るだろうと思っている。
もし、測光に行き詰まりを感じたならば、単体露出計(主に入射光式露出計)を使ってみるといい。ピンポン玉のようなものがついた、アレ。
これは、使い方によってはかなり悲惨な失敗をすることがある。単純に「こう使えばいい」と一言では言えないのだ。
もちろん、基本的には被写体の位置でピンポン玉をカメラの方向に向けて測光することになっている。しかし、トップライトが強かったり、透過光が組み合わされたり、定常光とストロボ光がミックスされていたり、微妙な光量比の多灯ライティングだったりすると、いろいろと工夫が必要になる。場合によっては光源を一つ一つ測光して参考にすることもある。そして総合的な見地から、最終判断を人間が行うことになる。
ハッキリ言ってこの単体露出計は、イメージと意志を何も持たずに使っても良い結果は出ない。これは、単に光を測る道具であって、演算する頭脳ではない。表示される値をそのままカメラに移すようなことをやっても意味が無い。その値は単なる情報の一つであって、最終的な答ではないのだ。
しかし、光の状態を把握し、どの部分をどれくらいの明るさに表現しようかというイメージと意志を持てば、これほど強力なる情報も無い。ヘタな意見が加味されず、生の情報がダイレクトに撮影者まで届くのだ。
それは、光をどう表現するかというイメージと意志が必要とする情報。
単体露出計を使うことにより、光を意識するようになる。いや、意識せざるを得ない。
単体露出計は、いくつもの失敗を与えるだろう。しかし、失敗は成功よりも自分に与えるものが大きい。失敗に正面から立ち向かい、勉強し研究し、見事に乗り越えるべし。失敗は、全ての始まりと思え。
そうすれば、更に強く具体的なイメージと意志を自分の中に見つけることとなろう。
機械の出す答と自分の出す答は、仮に最終的に同じであったとしても、その理論は異なる。同じ写真を得られても、自分がどこに表現を置いたかということを思い出しながら写真を見れば、写真の見方も当然変わってくる。そしてそれが次の目標や課題を作り、自らに力を与えるに違いない。
年間天気予報の分割測光、安易に予報結果だけを求めるならば、天気図の微妙なニュアンスを取りこぼすことになろう。
どれだけ的中率が高くとも、それがメーカーのアルゴリズムというブラックボックスに浸っている限り、その限界から抜け出すことは出来ない。
志(こころざし)ある者、天気図という生の情報から天気を予想するかの如く、己を高め、鍛えよ。
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