2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
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カメラ雑文

[193] 2000年12月20日(水)
「カメラの基本原理」

生物の進化は段階的であるとする説がある。
今までの生物学の定説では、生物というのは連続的にゆっくりと進化を続けているとされている。しかし、段階的に進化するという説では、ある時期に突然進化するまで、生物の形態というのは安定して存在し続けるという。
このことは大変興味深い。なぜなら、我々の文化の1つである「科学技術」の進歩も段階的であるからだ。

我々人間の社会では、数十年もの間、全く変わらない技術は意外に多い。ハイテクとされる技術でも、冷静に考えると原理そのものはいつまでも変わっていないことに気付く。
「飛行機」、「自動車」、「ロケット」、「コンピュータ」、・・・。

「飛行機」については、翼によって空気に乗るという原理は100年以上前のリリエンタールの頃から全く変わらない。大きな進歩として動力が付いたくらいであり、以後ほとんど進歩は無い。そのため、リリエンタールのグライダーも、コンピュータ制御のハイテク航空機も、同じように滑走して飛び、同じように失速して墜落した。

「自動車」については、車輪を回して移動するという原理は全く変わっていない。車輪そのものの原理を発明したのは誰なのか分からない。それほど古い時代に発明された原理である。 あと数日で2001年になるが、昔よく見たような「21世紀の未来世界」の絵に登場するエアカーなどは全く現れる気配は無い。

「ロケット」については、フォン・ブラウンやロバート・ゴダードが趣味でロケットを作っていた頃と原理は全く変わっていない。燃焼ガスの噴射による反作用を利用する原理は、イオンロケットを使おうが、原子力ロケットを使おうが、あるいは光子ロケットを使おうが、反作用により推進するという原理は同じことである。
例えば電磁気的に重力の影響を逃れるような方法が発明されれば、それこそ改良の域を越えた「進歩」となろう。

「コンピュータ」については、固定された規則(プログラム)にデータを流し込むことによって処理結果を得るという原理は、フォン・ノイマンの頃から全く変わっていない。
(オシロスコープで計算結果を波形として読み取るアナログ計算機もあったが、計算というのは手動であってもデジタル的であり、これは完全なる亜流と言うべきか)


このようにして考えると、科学技術というのは改良の時代が極めて長く、進歩というのはなかなかやって来ない。それはカメラの世界でも同じことだ。
現代のカメラは、エレクトロニクスに包まれたハイテク機器である。しかし、その原理は暗箱そのものである。それは150年前と全く変わらない。少なくとも、35mmフィルムのパトローネが装填できるカメラならば、おジイちゃんの古いライカであろうと、最新視線入力EOSであろうと、同じ現像機で処理出来る。

原理が同じであるということは、それを利用するには同じ効果しか得られないことを意味する。
確かに改良された技術を使うことによって効率が全く変わってくる。しかし、逆立ちしても出来なかったことが出来るようになる訳ではない。そのことを錯覚してはならぬ。

昔、公衆電話が置かれるようになった頃、電話線に荷物をくくりつけて送ろうとした者がいたという。しかし、電話の技術が進歩した現代に至っても、電話で荷物を送ることは不可能だ。電話の原理が同じならば、当然と言えよう。改良して実現するレベルではない。

この先、カメラがどんなに改良されようが、それは改良以上のものではない。
カメラはいつまで経っても「カメラ」であり、使う人間はそのことを忘れてはならない。見掛けの多機能や新機能に踊らされても、例えば「その場に行かなければ写真が撮れない」ということは変わらない。いくら高倍率ズームレンズで被写体を引き寄せたとしても、結局は広角レンズで被写体に近付いたほうが良かったということもあろう。
カメラを使う以上、人間が撮るという原理は変わらない。


「恐竜は絶滅したのではない、鳥類に進化したのだ」という説がある。恐竜が姿を変え、翼を持つ・・・。それはもはや恐竜ではないのだ。
同じように、カメラがカメラの原理を越える時、それはもはや「カメラ」と呼ぶべきものではないかも知れない。

だが少なくとも、カメラがカメラであり続ける限り、主役は人間。
これは、カメラの基本原理の1つである。