2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
 F3 (F3H)
 FM3A
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カメラ雑文

[189] 2000年12月11日(月)
「写真を観る時には」

写真というのは、必ずしも真実を表していない。
それは今までもよく言われてきたことだが、例えば、広島と長崎で炸裂した原子爆弾の「きのこ雲」の映像が、実はそれぞれ取り違えていたことが最近分かったということを聞かされると、あらためてその思いを強くする。

しかし、写真が伝えることは象徴的であり、そこに写っているものを細かく詮索しても意味は無いのかも知れない。

写真に写っているものは、撮影者やその写真を選ぶ編集者によって「メッセージ」を込められることになる。何かを強調したり、省いたりして、直感的に伝えられるような写真を作る。それはすなわち、「象徴化」に他ならない。

伝えたい事実やテーマは理解可能だ。しかし、その写真に写り込んでいる事物は、どういう場面のものなのかは、説明無しに読みとることはかなり難しい。気を抜いて観ていると、その写真の絵が真実であると刷り込まれることにもなる。

よく引き合いに出されるのが、湾岸戦争の時に原油流出を象徴したウミドリの映像だ。全身をタールにまみれたウミドリの映像を見て、原油を流出させたフセイン大統領に怒りを燃やした米国民も多い。しかしその映像は、湾岸戦争とは全く関係の無い、別の原油流出事故の1シーンだった。

よく雑誌の記事やテレビの特集番組では、「掲載写真はイメージで、記事とは直接関係ありません」と注釈が入っていることがある。しかし、それに限らず写真というのは、どれもイメージに過ぎないという見方も出来る。

奇抜なファッションをした若者を写真に撮った時、撮影日が2001年をちょっと越えてしまったとしても、「世紀末のファッション」というタイトルを付けてしまうこともあるかも知れない。しかし、伝えたいメッセージに合う絵ならば、あえてその写真を使うこともあり得る。

我輩は、写真の象徴性については否定も肯定もしない。それは元々写真が持っている宿命のようなものだとも思える。
ただ、こういうことがあるという認識は頭の片隅にはあるのだ。多少は写真への感動を薄らげることになるのかも知れないがな・・・。