2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
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5.カメラ雑文
6.写真置き場
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カメラ雑文

[186] 2000年12月04日(月)
「マシン隼」

昔、「マシン隼」というアニメ漫画があった。「マッハGo!Go!Go!」と似たようなもので、特別仕立てのレーシングカーを使ってレースするアニメだった。
あまり詳しくは覚えてはいないのだが、たった1つだけ鮮明に覚えているシーンがある。

「マシン隼」の主人公(「隼」だったか?)は、お約束通り、仲間の中では一番カッコイイ車を運転する。そしてその車は、まるで飛行機のジェットエンジンのようなものを後部に付けているのだ。そしてそのエンジンは交換式となっており、エンジン・ナセルの数に応じて「V1エンジン」、「V2エンジン」、「V3エンジン」、「V4エンジン」、・・・という。

さて、これらエンジンの中で「V3エンジン」だけはクセがあった。隼の父親もレーサーだったのだが、このV3エンジンの爆発事故で亡くなっていた。走行途中で異常な振動が発生し、止める間もなく爆発したのだ。
しかしこのエンジンは、うまく使いこなせればどのマシンにも負けない素晴らしい性能を発揮すると言われていた。父親は、それに賭けて命を落としたのだ。

ある時、隼はどうしても相手に勝たねばならなかった。詳しくは覚えていないが、もしかしたら、敵がレースに勝ったら世界を征服すると言ったのかも知れない。強引な展開が当たり前だった頃のアニメだから、予想を越えた事情があったのかも知れないが、とにかく隼は絶対に負けられなかった。

そこで隼は、あの「いわく付き」のエンジンを使うことを決心した。周囲は止めたが、かといって他に勝てる手段も無い。
「俺もオヤジの子だ。オヤジと同じようにV3に賭けてやる!」
隼は、レースの途中でV3エンジンに換装した。

案の定、V3エンジンを積んだ車は異常振動を起こした。
「まずい、これが異常振動か。やはりレース続行は無理だ、ピットインしよう。」
仲間もしきりにピットインの指示を出す。
「隼、あきらめろ、爆発しちまうぞ!」

しかし、隼の頭の中に父親が現れた。
「隼、恐れるな。V3エンジンを信じるんだ。車を止めてはならぬ。」
「けど、このままいくと、俺もオヤジと同じ運命を辿ることになる。」
隼はもうレースを捨てていた。
「隼、V3は素晴らしいエンジンなんだ。V3を信じてアクセルを踏め。」

隼は葛藤した。死を覚悟でそのままアクセルを踏み込むのか、それとも仲間の指示に従ってピットインするのか・・・。
隼は、アクセルを踏み込んだ。

マシンの振動は、より激しくなり、隼は覚悟を決めた。
すると次の瞬間、V3エンジンからエメラルド色の光が放たれ(漫画版では「七色の光」)、ぐんぐん出力が上昇したではないか。
隼はレースに勝利した。

隼は、再び父親の姿を見た。
「隼、V3エンジンの振動に怖じ気づいて途中で出力を弱めたらダメなのだ。V3を信じて最後まで出力を出さねばならぬ。」
父親が命を賭けて息子に教えたかったことは、「いったん踏み出したら迷うことなく走れ」ということだったのかも知れない。
隼は、勝利の喜びを胸に、遠い空を見上げるのだった・・・。



とまあ、カメラとは全然関係ない内容だったが、あらすじは分かって頂けたろうと思う。
何事も、素晴らしい性能を持ったものは、クセというものがあり、そこが盛り上がるシーンでもある。

カメラにも、いろいろな名機が存在するが、それらはトータルな性能としては決して素晴らしいと言えるものでもない。人によってはかなり使いにくいものもあるかも知れない。まさか爆発などしないだろうが、使い方を誤ると期待した性能を全く発揮しないというのはよく聞く話である。そしてそれが「クセ」と呼ばれ、使い手を選ぶことになるのだ。
(もちろん、カメラの使い方にとどまらず、撮影テクニックにも通じる話だ。)

そういうクセを克服して使いこなすということ自体に「やりがい」や「喜び」を感じることもあろうかと思う。それが如何に使いにくくとも、他では得られない性能や効果を手にすることができるならば、苦労が苦労ではなくなるのだ。
ある意味、趣味とはそういった困難を克服し、達成感を得ることではないかと思う。それが動機の全てではないにせよ、重要な動機には違いないと我輩は思う。

だからこそ、今どきの「フィルムを入れてシャッターボタンを押すだけ」というカメラは、趣味の道具として抵抗を感ずる者も出てくることになる。
「誰もが楽しめるように」という流れは止めようがなかろうが、それによって「楽しみのレベル」が低くなるのは避けられない。 しかし、こだわりを持ち、各自それぞれが別の頂点を目指せるような、そんなレベルの高い楽しみが得られるというのは、写真という趣味の素晴らしいところだと思う。少なくとも我々は、そんな魅力を見失わぬよう、常に目線を上に向けるべきだろう。

自分の要求するものを満たすために、ただひたすら努力と時間を注ぐ。妥協する部分もあるだろうが、ここだけは譲れないという部分は、1つでも自分にあったほうがいい。そしてそこを克服すれば、「ここだけは人には負けない」という自信にもつながり、それは自分の人生を豊かにするに違いない。

カメラ界・写真界のV3エンジンは少なくなったが、要求を厳しくすれば、まだまだ奥は深い。それぞれに高い目標を持ち、ひたすら精進し、他のヤツらの味わえないような達成感を味わおうではないか。
我輩も、皆に負けぬよう、努力を続けるつもりだ。