2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
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カメラ雑文

[154] 2000年10月05日(木)
「女は好きか?」

「女は好きか?」
こう聞かれて人それぞれの答が返ってくるだろうと思う。

「もちろん」
と即答する者もいれば、

「女と言っても、いろいろいるじゃないか」
と言う者もいるだろう。

「妻のことならば、もちろん愛している」
と言う愛妻家もいたりする。

「私は女だからそういう質問は・・・」
という者もいるかも知れない。

それはそうだ。一言に「女」とは言っても、それに対する色々な見方や立場がある。当然な反応であろう。
しかし写真の話となると、女を写した写真は「ポートレート」という中の一括りとして捉えてしまうことがある。そうなると、自分の表現したいことがボヤけてしまい、「ただ写っただけの写真」になりやすい。そういう写真は、我輩の手元に多くある。

なぜ、女を写すのか。その女を前にし、何が我輩にシャッターを押させるのか。
その「動機」が、表現しようとすることへのヒントになりそうな気がした。
ここでは我輩なりに勝手なカテゴリを作ってみた。


<カテゴリ1>
まず、男の視線としては「モデルが自分好みかどうか」ということが関心事の1つだろうと思う。それは撮影テクニック以前の話として、モデルそのものへの関心のことだ。
例えばアイドル写真集などはその典型のように思える。宮沢りえがヌードになっただけで話題になった写真集があるのだから、もはや写真的な見方はしない方がいいし、撮る方もそのつもりでなくてはならないだろう。ヘタにテクニックに凝って、見たい部分が写っていなければ、観るほうはイライラする。美しい「写真」が見たいのではなく、美しい「女」が見たいからだ。逆に、いくら撮影テクニックが絶妙でも、好きでもないアイドルの写真集へはなかなか手が伸びない。
この手の写真は、好みの問題以前に、観る側が男か女かによっても写真に対する評価がかなり変わる。少なくとも観る側が女なら、興味の対象、あるいは性欲の対象としては見ず、憧れの対象などとして見る場合が多いように思う。
このような写真を撮ろうとするならば、あくまでモデル主体の写真として撮らねばならない。目立つようなテクニックを使い、観る者にそれが写真であることを意識させるようなことはしないほうがいい。主役の料理をさしおいて調味料が出しゃばるようになってはマズイ。写真テクニックは、あくまでも主役である女性の魅力を引き立たせるために使うのだ。
「汝、女を愛せよ。」

<カテゴリ2>
次に、写真的な美しさを求める場合を考えると、基本的にモデルは誰でもいいことになる。ただし女を撮る以上、平均的に美しい女のほうが画(え)になりやすい。誰もが認めるような、クセのない無色無臭のモデルのほうが、写真的な意図を伝えるのが容易になる。
ファッション雑誌の写真がその典型と言える。主役は衣服であってモデルではない。モデルの役割は着こなすことにあり、その写真を観る者に自分の姿とのイメージを重ね合わせる対象となる。「このように着こなすこともできますよ」という、文字通りモデルケースとしての役割である。
モデル撮影会では、撮影テクニックを主体とするほうがやりやすい。モデルは自分の頭に描くイメージに近ければ誰でも良い。
逆に言うと、よほど特定のモデルに入れ込んでいる「追っかけ」でない限り、他に撮りようが無い。お気に入りのモデルがキャンセルになっても他のモデルにレンズを向けられるのが、撮影会的な撮りかたである。
「汝、写真を愛せよ。」

<カテゴリ3>
最後に、モデルとの関係を写そうとするもの。
これは、笑顔や仕草、そして撮影者の存在が感じられるような写真が効果的となる。
例えばカメラ目線であったり、画面に撮影者の影が入り込んだり、あるいは広角レンズで肉迫して臨場感を出したりする。それによって2人の距離(物理的な距離という意味ではない)が掴みやすくなる。
どんな関係を表現したいかによってその方法は異なるだろうが、基本的にはモデルのルックスは関係ない。夫婦や恋人という関係が一目で判るような写真が大事だ。その関係が良かろうが悪かろうが、2人の関係を感じる写真が、観る者の関心を引くのである。シチュエーションが何より重要というわけだ。
よく写真のアドバイスで、「雇われモデルよりも身近な妻(恋人)を撮りなさい」と言われるのも、このような「関係」を写しなさいということだと思われる。
しかし、妻(恋人)であっても、その女性的魅力を重点に置きたいのならば、その場合は(カテゴリ1)の写真になろうか。
「汝、妻を愛せよ。」


以上、我輩の勝手な判断により、3つのカテゴリに分類してみた(他にあるかも知れぬ)。
恐らくは、このような区分けを意識しないで撮ると、写真を観る立場としては価値のよりどころが分からず混乱してしまう。
「いい女」と見るのか、「いい写真」と見るのか、あるいは「いい関係」と見るのか。撮るほうが分からなくては、観るほうも分からない。

意図しない目で観られるのを嫌うならば、撮影の時点でハッキリさせたい。
例えばヌードを撮る際、照れ隠しに撮影テクニックのほうへ視線を逸らそうとするならば、ヌードはやめておいたほうがいい。裸体を物体としてクールに見ることができるか、またはその反対に人間の探求という立場で、裸体への視線を通してそれをストレートに表現するのか、それを事前に整理しておかねば、後々迷いとなって自分を翻弄することになろう。
もし興味本位で女を撮るならば、徹底的にその興味というものを写真活動によって探求すべきだと考える。カッコつけて自分を誤魔化しても意味は無かろう。


「汝、女を愛せよ」

ZENZA BRONICA SQ-Ai/PS65mm/Ektachrome100
顔が写っていなくても、ポーズや脚などの一部分にも「女」を見る。その「女」を表現することがこの写真の撮影意図。ハッキリ言ってこの脚を写すためのセッティングであり、この脚を写すためのライティングである。それ以上の意図は無いのであるから、それ以上の評価も意味無し。