昔は「8ミリ」と言えば、フィルムを使ったものを指していた。現在ならば「8ミリビデオ」ということになる。同じ名称でありながら違うものを指し示すようになったわけだが、どちらも動画を記録するムービーに変わりは無い。
8ミリフィルムでは、フィルムを直接見てみると、小さな画像がズラリと連続して並んでいるのが分かる。その小さな画像を一定のスピードで次々に映し出していくと、その画像が動いているように見えることになる。
8ミリビデオの場合も、ビデオテープに記録された信号を直接見ることが出来ないというだけで、動画の基本原理は8ミリフィルムと変わらない。
動画は基本的に1秒間に30コマ必要とするから、コマの数がすなわち時間の長さでもある。動いていようが止まっていようが、1秒間に30コマ撮っている。
再生時、観る者が寝ていようが起きていようが、画面内の時間は実時間で流れていくだけだ。
聞いた話では、最近の運動会では、カメラよりもビデオで撮る父母がかなり増えたという。まあ、「運動会」であるから、動きが一番大事であることは理解できる。しかし、ムービーというのは、撮った分だけ鑑賞もそれだけの時間が掛かる。
極端な話、人生の50年をムービーで記録したとしたら、あと50年は鑑賞の時間に費やさねばならないのだ。編集すれば短くすることが出来るかも知れないが、編集作業の時間が同じくらい掛かっては意味が無い。
我輩は、基本的にムービーというものはテレビ録画くらいしか使えないと考えている。
ムービーとは言っても、いつも絶えず動き続けている対象などあまり無い。
テレビアニメを見ても、登場人物はあまり動かず、しゃべる時は口元しか動かない。実際、アニメ原画は口元しか描かない。それだけ原画を描く手間が省けるということになる。視聴者がそれを見てもあまり違和感を感じないのは、実生活でも動きのあるものはあまり無いということでもある。
マンガ本を見ても分かるとおり、1シーンごとに1コマだけであっても、動きそのものはそれを見る人間の頭の中で再現される。もちろんセリフの無い部分であっても、動きを感じることができる。いや、逆にセリフの無いシーンのほうが、時間の経過を意識する場合もある。
観る者がよそ見をしようが構わず時間を流すムービーとは違い、マンガは観る者の中で時間を再生させる。そこはスチール写真と似ている。
我輩は今回、お遊びで
マンガを描いてみた。現時点ではまだ下描きの段階であるが、コマ割りとして、シーンを区切っていくのはかなりセンスが必要だと感じた。これは慣れないと難しい。
もし、本職のマンガ家に写真を撮らせたとしたら、どんな作品が出来上がるだろう? マンガ家のセンスで切り取った1シーン、ぜひ見てみたい気がする。