2000/04/05
OPEN

表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
 F3 (F3H)
 FM3A
 FM2
 FM
 FE2
 FE
 FA
 FG
 FM10
 FE10
 F4
 F-401X

Canon
 AE-1P
 AE-1
 newF-1

PENTAX
 K1000
 KX
 KM
 LX
 MX
 MZ-5
 MZ-3
 MZ-M

OLYMPUS
 OM-3Ti
 OM-4Ti
 OM-2000

CONTAX
 ST
 RTS III
 Aria
 RX
 S2

MINOLTA
 X-700
 XD

RICOH
 XR-7M II
 XR-8SUPER

カメラ雑文

[136] 2000年 9月11日(月)
「男のプライド」

我輩は自動車を所有してはいないが、もし持っていたとしたら、決してそれはオートマチックではないだろう。「マニュアル車を運転しなサイ!」などというサイトを立ち上げ、「男ならば自分の意志で変速すべきだ」と、いきまいていたに違いない。

やはり、何にしても機械を自分の意志で操るというのは壮快だ。操作に対する反応が真っ直ぐに返ってくるのがいい。自動車が自分の支配下に置かれていることを実感する瞬間でもあろう。単純な操作ながらも、その操作如何によって、乗り心地や加速性能が左右される。「腕の見せ所」という部分なのだ。

現在はオートマチックのほうが効率が良いことになっている。わざわざマニュアル車に乗ることは意味の無いことだとされている。それだけ、自分の責任において自動車を操作することが求められることになる。自動車のせいにすることは出来ない。しかし、これがかえって刺激的に感じるだろうとも思う。

ただし自動車は、自分の責任範囲を越える問題が多い。我輩のもう1つのテーマである「自然環境の問題」をクリアできないことにより、排気ガスを排出する自動車(もちろんハイブリッド車も含む)は所有しない。


さて、カメラの場合にも、自分で操作するという喜びは我輩にとって重要となる。

現在、カメラの機能の複雑化と共に人間の機能の単純化が進み、人間はあと10年も経てばサルへと退化して四足歩行へと戻る。しかし我輩は、サルになることを拒む。人間もサルも同じく不完全なものだが、人間がサルと違う点は、人間は自らの理想と目標を掲げ、それに近づけるべく努力することができるということだ。

自動車ならば「目的地に着けばよい」ということが1つの目的として無視出来ぬが、カメラの場合になると「ただ写ればよい」というものでもない。そんな要求ならば一眼レフカメラは不的確である。自分のイメージに近付けるという意図が無い限り、一眼レフを使う意味は全く無い。

キレイに写したいから一眼レフを選択したんだろう? 「キレイに」という自分のイメージがあるなら、その意志を写真に反映させねばならない。それはつまり、カメラに自分の意志を入力することである。 「キレイに」という漠然とした要求だけでは、カメラに自分のイメージを伝えることは出来ない。
入力作業を簡単に、かつ、キレイに写真を撮りたいというのは、全く矛盾したことである。

それはあたかも、レストランで漠然と「うまい料理を出せ」と言っているようなものだ。客の好みも分からずにうまい料理は出せない。魚が好きか、肉が好きか、そういうようなことを伝える必要がある。そうすることによって初めて、「自動的に」お勧め料理を選んでくれるようになる。

我輩は、いちいち好みを言うくらいならば、料理名を直接指定する。「いいから***を作れ」と。
つまり、入力作業をダイヤルを通してダイレクトに行いたい。カメラは我輩の言うとおりに動けばそれでいい。どうせ入力作業が必要ならば、自動化など意味が無い。自動的にやってもらって、気に入らない料理が出てきたら、結局またやり直しだからな。
男ならばビシッと料理名を指定すべきだ。

しかし、料理を指定するには、どんな料理があるのか勉強する必要がある。初心者はそこが難しいと言う。
バカもの、そんな手間を惜しんでどうする。
最初は確かに難しいことだろう。しかし努力をするのが人間じゃないのか? これはそんなに難しいことなのか?

今現在の自分に満足することなく、そしてまた、今現在の自分に落胆することなく、常に目標に向かって努力することこそが人間たる所以(ゆえん)である。
我輩の考えでは、人間とは自分を高めるためにこの世で時間を与えられた存在である。
量子力学では、現状の観測によって未来は確定できないとされている。だからこそ、人間は自らの意志によって、白紙の未来における自分の姿を作ることが出来る。全てに重要なのは、自らの意志である。プライドである。

人間の能力は、1つのことを極めて行けば行くほど大きく広がる。ダイヤル式カメラが使いにくいという人間がいるならば、こう言ってやろう。
「それは、自己を鍛錬しないキサマが悪い。」

鍛錬し、自らを向上させるからこそ、趣味が面白くなるのだ。失敗を自分の能力で乗り越えるからこそ、プライドが持てるのだ。課程を省き、結果だけを追い求めるような者は、いずれ人生においても、ふと、空しさを感じる時が来るだろう。

プロカメラマンのように、純粋に「効率」を追い求めて自動化に頼るならまだしも、単に「簡単」ばかりを追い求めている者には、趣味の本当の面白さや感動というものは、一生涯理解できぬ。自分のやろうとしていることの目的を、最後の最後で失うこととなろう。

そんなフヌケたやつらは、せいぜいお稽古ごとの写真に甘んじるがよい。

プライドこそが、自分を磨く研磨剤足り得る。
男ならば、プライドを持て。自分でやれることを少しずつ増やして行き、いつか、自動カメラを見下してやれ。