2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
 F3 (F3H)
 FM3A
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カメラ雑文

[069] 2000年 6月28日(水)
「温度差恐怖症」

カメラ業界の過去を振り返ってみると、いろいろな歴史があった。
以下に述べることは、我輩の個人的感想であり、例によって勝手な推測も多分に含まれている。ご注意頂きたい。


ご存知のように、ミノルタは「α−xi」シリーズで完璧にハズした経験を持つ。この時、「α−7700i」や「α−8700i」からの買い換えには、次の「α−xiシリーズ」ではなく、他メーカーへの乗り換えが多かったという。
結果的に、中古市場でも「α−xiシリーズ」は動きが悪い。

ミノルタはそれまでAFカメラをリードしており、これから更に他社(特にキヤノン)の追い上げを「α−xi」の先進性によって一気に引き離そうと計画したに違いない。しかし、ミノルタの間抜けな所は「極めてマジメ」であるという一点に尽きる。
技術者が夢に描いた近未来の「自律制御カメラ」を造り、SFの世界を実現すべく、目標に向けてひた走った。
残業に次ぐ残業。家庭をも顧(かえり)みず、心血を注いで「α−xiシリーズ」を完成させた。ヨーロピアン・カメラ・オブ・ザ・イヤーも取った。ミノルタ社内では、誰もがAF新時代の幕開けと、業界トップ独走を信じて疑わなかった。
しかし、結果は散々なものだった。ユーザーはミノルタを離れ(我輩もその1人)、二度と戻っては来なかった。

メーカーの目指すものと、ユーザーの求めるものとが、これほどまで違っていたケースも珍しい。ミノルタの販売目標と、実績についての具体的数値は知らないが、どの雑誌も、このスレ違いについて言及しているということと、ミノルタがその後「α−siシリーズ」で180度の方向転換したという事実が、「α−xiシリーズ」の失敗を如実に示している。

どうしてこのような事態を招いたのか。それは、過去の「α−7000」の成功(αショック)が原因かも知れない。これにより、ミノルタは「技術こそ全て」という確信を持つに至ったのだ。
それはあたかも、日本が日露戦争で、無敵のバルチック艦隊を砲戦で破った時とオーバーラップするかのようだ。その後の太平洋戦争で、戦闘の主力が航空機へと移ろうとする時でも、あくまで砲戦が勝負を決すると信じ、巨大戦艦大和と46センチ三連主砲を生み出した。結局、たった1隻の艦船も沈めることなく、海の藻屑と散る結果となった(記録では3隻撃沈したことになっているが、それでもたった3隻だぞ)。過去の奇跡的勝利が、その後の判断を狂わしたのだ。
α−7000の成功は、まさしくミノルタにとっての日露戦争と言えよう。

このことを考えた時、メーカーは極度の恐怖症に陥ったものと思われる。ミノルタはもちろん、ミノルタの敗戦を目の当たりにした他メーカーも、このことを重大な教訓としたに違いない。
「もし失敗すれば、ユーザーは他メーカーへ流れる」と。

他メーカーへユーザーを逃すのは、メーカー間で温度差がある時だ。もし、どのメーカーも変わりばえしなければ、ユーザーがどれほど現状に不満を持っていたとしても、他メーカーへは流れない。移るメリットは無いからだ。

性能的(数値的)に他社と競争することがあったとしても、機能や操作性の面では他社と足並みを揃え、温度差が生じないようにする。新しいことをやって、もし失敗すれば、それこそ取り返しがつかない。「とにかく無難に、無難に・・・」とカメラが作られていった。

しかし、それも今ではかなり緩和されつつある。その中でもペンタックスは過去の失敗を見事にハネのけ、健闘している。従来型ダイヤルを採用し好評を得ているのはご存知の通り。さらに進めて、プロ用にも電子ダイヤルと従来ダイヤルの両パターンが欲しい。そうなれば、儲からないLXを作り続ける必要もないはずだ。