[049] 2000年 6月 8日(木)
「写真の価値が無くなる日」
フォトレタッチソフトの代表は、「アドビ・フォトショップ」だ。
(※Photo-retouch=写真修正)
画面上のゴミの除去や、露出の微調整、ガンマ値の調整がパソコン上で可能となる。面倒な暗室テクニックも必要無い。
最近では、「ソラリゼーション」や「ガンマ値」、「アンシャープマスク」という用語も、もはやパソコン用語として使われている。
そこで終われば良いのだが、勢い余って合成写真なども簡単にできる。
極端に露出がハズレた写真は階調がツブれる原因になるので救済は難しいが、フレーミングの調整はパソコンの得意分野である。画面の端に邪魔なものが写っていたり、画面が傾いていたりしても、すぐに修正ができる。
これは、やむを得ない場合の救済としては大いに役立つはずであったが・・・。
最近どうも、写真というものの信頼性が薄れてきているような気がする。
昔なら浮気の現場を写真で押さえられたら言い逃れはできなかったが、今なら「それは合成写真だ」と言い張ることもできる。逆に、身に覚えのないことで名誉を傷つけられることもあり得る。CMの映像の中では、ゴルバチョフ元大統領と一芸能人が共にカップラーメンを食べる時代なのだ。
将来的には、合成画像を簡単に写真フィルムに書き出すこともできるようになるに違いない(業務用の装置は存在する)。そうなれば、何が本物の映像なのか分からなくなってしまう。
見栄えの悪いものは隠され、理想と現実の乖離(かいり)が進む。ありのままの写真が肩身の狭い思いをする日も近いかも知れない。そうなれば、未修整の写真は、単なる「素材」として扱われることになるだろう。
ありのまま写った写真に価値が無くなる日が、いつか来るのだろうか。避けられないことなのかも知れぬが、写真を撮る者として、ふと空しさを感じる。
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