[006] 2000年 4月15日(土)
「スペック偏重の時代」
今、300万画素のデジカメが話題になっている。
画素がそんなにあっても意味無いというのに。分かってない奴らが騒ぐ、騒ぐ。
確かに、画素が増えれば情報量も増える。しかし、ディスプレイが表示できるドット数は決まっているのだから、これ以上画素が増えても、結局は画面外にハミ出るだけで意味がない。どうせ、パソコンでしか使わない連中の要求だろう?
カメラとしての性能は、何といっても「自由度」があるかどうかだ。一眼レフカメラが発展してきたのは、システムを自由に組めるからだ。画素を要求するのはその後。そんなこと、健全に写真を趣味としている人間には当然分かっている。
「ライティングができない」、「マニュアル露出ができない」、「オートフォーカスしかできない」、「レンズ交換できない」、「ファインダーがあてにならない」。
こんなモノ、「写ルンです」よりもちょっとだけ性能が良いという程度でしかない。これで300万画素積んだと言われたって、一体何に使う?
例えるなら、軽自動車に大型バスのディーゼル積むようなものではないか?いや、それよりもっとヒドイ。
まあ、デジカメを評価するのは写真関係の人間ではなく、パソコン関係の人間が多いわけで、写真のこと、何も分かってない部外者ばかりなのだ。
そういう連中は、数字でしか評価できないものだから、当然、画素数へ評価が集中することになる。これでは、偏差値を尊重する受験戦争のようなものだ。確かに成績は良いかも知れぬが、人間性は全く評価されない。
デジカメも、そろそろ人間性を問われても良い時期が来ていると思うのだが・・・。
なんだか、無駄な性能ばかり追求して、消費者は無駄な金を注ぎ込んでいるようにしか見えん。
・・・しかし、メーカーはそんなこと分かっててやってるからなぁ。パソコン編集者のような無知なる部外者どもの評価を利用し煽り立て、売れるうちに売っておこうという魂胆が見え見え。気持ちは分かるが、いい加減にしておかんと、デジカメもそのうち飽きられるぞ。今のうちに奥の深い製品を用意しとけよ。
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