2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[005] 2000年 4月14日(金)
「部外者デザイナー」

最近はかなり反省されているようだが、AFカメラのデザインというものが何か変だと感じるのは我輩だけではない。それは身近な声にもあり、雑誌のカメラ評価でも見られる。 特に、昔の雑誌を紐解いてみると、かなり初期の頃から言われ続けているのが判る。

チョコレートを融かしたようなデザイン(エルゴノミックデザイン)をカメラに採用したのは、確かキヤノンが最初ではなかったろうか。ルイジ・コラーニというデザイナーを起用し、T90が作られた。
ルイジ・コラーニは、「自然界に直線は無い」というコンセプトの基にデザインを行う。T90も、ルイジ・コラーニの原案では直線は全く無い。しかし、カメラがオブジェならそれでもいいが、カメラとは道具であるべきだ。自然界に直線が有ろうが無かろうが、人工物であるカメラには関係無い。使いやすいこと、普遍的であることが大事。このようなデザイナーは全くいい加減で底が浅い。

しかし悪いことに、このような「奇をてらった」デザインが流行になると、どこもかしこもそのデザインが使われるようになってしまった。
車や航空機なら、風洞実験などの結果が形を決めていく。自然法則が形を決めるという意味では、それこそ自然景観とも言えるだろう。ルイジ・コラーニは、表面上でしか自然を学ばなかった。本当の自然には、絶対的な説得力と、普遍性が存在する。デザイナーはその範囲内で処理し、決して出しゃばってはならない。デザイナーとは、味付けをするだけが役目だ。作る料理そのものを変更させるようになったら、もう終わりだ。

ところがAFカメラの場合はデザイナーが出しゃばっている。「デザイン優先AE」とでも言いたくなるほど。しかもメーカーはデザイナーに任せっきりのようで、そこにはポリシーというものは無い。
結局メーカーは、カメラを使ったこともないデザイナーのペテンにかけられ、正気を失ったのである。「エルゴノミックデザイン」や「人間工学」などと、もっともらしいことを言って信用させたのであろう。「人間工学」を実際に学べば、それが逆に人間工学に反していることに気付くはずなのだが、メーカーの責任者は「デザイナー」という肩書きしか見なかった。その結果、AF戦線からの離脱を余儀なくされたメーカーもいた。我輩の考えでは、もしメーカーの独自色を出していれば、それなりのニッチを獲得していたろうに。

能なし勘違い野郎でも、デザイナーは名乗れる。見た目がいかにもデザイナーしているヤツには気を付けろ。会社を潰されるゾ。

カメラを設計する人間でさえ、カメラを使ったことのない人間ばかりである。さらにデザインさえユーザーを無視するようになったら、カメラがカメラである意味が無くなる。
カメラをデザインするためには、カメラの性格を理解しなければならない。カメラのメカニズムを理解しなければならない。カメラが好きでなくてはならない。

ルイジ・コラーニよ、おまえのせいだぞ。どう責任とる?