「カメラ雑文」一気読みテキストファイル[651]〜[700] テキスト形式のファイルのため、ブラウザで表示させると 改行されず、画像も表示されない。いったん自分のローカ ルディスクに保存(対象をファイルに保存)した後、あら ためて使い慣れているテキストエディタで開くとよい。 ちなみに、ウィンドウズ添付のメモ帳ごときでは、ファイ ルが大きすぎて開けないだろう。 ---------------------------------------------------- [651] 「未来の医学に託して」 [652] 「今どき縦位置レリーズボタンとは」 [653] 「壁紙決定権を取れ」 [654] 「目的を失う妥協ほど無意味なものはない」 [655] 「サイト運営のすすめ」 [656] 「我慢くらべ 我輩VSニコン」 [657] 「今年の集合写真」 [658] 「次期デジタル一眼レフカメラ購入の件」 [659] 「Canon EOS 5D Mark2を使い始める」 [660] 「ゴールデンウィークの計画」 [661] 「北海道ドライブ(1日目)」 [662] 「北海道ドライブ(2日目)」 [663] 「北海道ドライブ(3日目)」 [664] 「北海道ドライブ(4日目)」 [665] 「北海道ドライブ(5日目)」 [666] 「北海道ドライブ(6日目)」 [667] 「北海道ドライブ(7日目)」 [668] 「カメラ無くとも写真は撮れる」 [669] 「間もなく閉館と知り」 [670] 「2009年夏 九州帰省日記(事前計画)」 [671] 「2009年夏 九州帰省日記(1日目)」 [672] 「2009年夏 九州帰省日記(2日目)」 [673] 「2009年夏 九州帰省日記(3日目)」 [674] 「2009年夏 九州帰省日記(4日目)」 [675] 「2009年夏 九州帰省日記(5日目)」 [676] 「2009年夏 九州帰省日記(6日目)」 [677] 「2009年夏 九州帰省日記(7日目)」 [678] 「クルマ撮影プロジェクト」 [679] 「蔵王のお釜(8)-1日目」 [680] 「蔵王のお釜(8)-2日目」 [681] 「自分のやり方を貫いた、一つの到達点」 [682] 「SIGMA DP2の画質を見極めたい」 [683] 「出張でSIGMA DP2を使ってみる」 [684] 「こうも感覚が違うのか」 [685] 「昔はそれが当たり前だった」 [686] 「手ブレの原因と対策についてのヒント」 [687] 「忌引帰省」 [688] 「フルオート中判一眼レフカメラ」 [689] 「Canon EOS 5D Mark2 オークション出品騒動」 [690] 「2010年ゴールデンウィーク一人旅(事前計画)」 [691] 「北陸ドライブ(4月29日−1日目)」 [692] 「北陸ドライブ(4月30日−2日目)」 [693] 「北陸ドライブ(5月1日−3日目)」 [694] 「北陸ドライブ(5月2日−4日目)」 [695] 「北陸ドライブ(5月3日−5日目)/(5月4日−6日目)」 [696] 「画像盗用する者は、覚悟して欲しい」 [697] 「公約を実行出来ない民主党」 [698] 「EOS 5D Mk2の売却金が何に化けたか」 [699] 「D700を機軸としたデジタルカメラの再編(前編)」 [700] 「D700を機軸としたデジタルカメラの再編(後編)」 ---------------------------------------------------- [651] 2009年02月12日(木)「未来の医学に託して」 子供の頃に読んだ本で、「不治の病に冒された人間を冷凍保存し、未来の進んだ医学で蘇らせる」という話を知った。 費用によって身体全体を保存するか頭部だけを保存するかが選択出来るという。 医学が進んだ今日でも、頭部だけの人間を蘇らせることは不可能であるから、当時冷凍された人々は、今でも深い眠りについているのであろうと思う。少なくとも、頭部以外の様々な組織や器官を体細胞から造り出せる技術が確立するまでは待たねばなるまい。 それがいつのことになるかは分からないが、その時まで頭部を保存する団体が変わらず存在し続けるのかが心配になる。 ************** さて、我輩は20年前からポジフィルムの電子化について努力を重ねてきた(参考:雑文473「現実を見ろ」)。 最初のうちはフォトビクスという装置を用いてポジやネガをNTSCビデオ画像にしてHI-FIビデオに録画し、パソコン時代に入るとフラットベットスキャナに透過原稿ユニットを装着して取り込んだりした。やがてフィルム専用のスキャナを購入、それも何世代もの製品を購入し使ってきた。 しかしどうにもならない問題があった。 それは、濃度の濃いポジでは取り込み出来ないという問題である。 濃度が濃いというのは、ひとことで言えば露出アンダーということになるが、写真的に失敗というものもあるし、Low-Key(ローキー)と言うべきものもある。 こういったポジをスキャナで取り込むと、絶対的な明るさが不足してしまい、それをパソコン上で強引に補正してもコントラストが高くくすんだ色になってしまう。 赤矢印が完全にスキャンで再現不能、黄矢印が部分的に再現不能 <<画像ファイルあり>> ポジ現物については、明るいバックライトで見るとキレイに見えることから、ポジ現物には情報がそれなりに乗っていると言える。濃度が濃いために階調が埋もれてしまってスキャナでは拾えないのだろう。 もちろん、スキャナの取り込みウィンドウのパラメータには明るさ調整が出来るようになっているのだが、これはスキャナ装置側の照明光の強弱を調節しているのではなく、あくまでもスキャンしてCCDが読み取った信号を電子的に増幅しているに過ぎない。だから、そこで明るく調整したとしてもノイズと一緒に増幅するだけであるから意味が無い。 色についてもソフトウェアで強引に持ち上げることも出来なくはないが、かなり不自然になるのは避けられない。 フィルムスキャナで取り込んだ濃度の濃いポジを無理矢理ソフトウェアで調整 <Nikon SUPER COOLSCAN 4000> <<画像ファイルあり>><<画像ファイルあり>> Low-Key写真の場合はコッテリとした色が魅力な場合も多く、スキャナで取れなくとも原版の美しさを見れば慰められたものである。 一方、露出アンダーなポジは自己責任の範疇として諦めねばならない面もあるが、それでも出来れば救済したい写真も多い。二度と撮れない想い出の写真もある。「失敗写真だ」とあっさり捨てることも出来ず、何となく未来の技術で救済出来るような気がして現在まで持ち続けていたりする。 フィルムスキャナのバックライトを明るくするのが不可能ならば、高画素化の進んだ現代のデジタルカメラでポジのデュープしてはどうだろう。バックライトにストロボを使えば、どんなに濃度の濃いポジであろうとも問題無かろう。露出の微調整も、カメラ側で絞りを変えれば良い。 そこで得られたのが以下の画像である。マクロレンズを用い、絞りもF11まで絞った。 本来ならば専用品のスライドコピーアダプタを使えれば良いのだが、手元に無いためポジ原稿と平行になるよう手動で調整して複写した。 それでもそこそこ階調豊かに写っているのが素晴らしい。ソフトウェアで無理矢理持ち上げずとも色が十分出ている。 デジタルカメラ <Nikon D200/Micro-NIKKOR 55mm F2.8> <<画像ファイルあり>><<画像ファイルあり>> 1,000万画素のデジタルカメラのためフィルムスキャナよりは得られる画像サイズが小さいが、それでも35mmサイズのポジには十分だと感じた(ただ、中判のポジも撮影してみたが、こちらはさすがに細部が描写しきれていない。この場合は2,000万画素以上のカメラが必須となる。)。 これまで20年間、強い光源にかざして見るしか他に方法が無かった写真を、ようやくパソコン画面に取り込むことに成功した。「失敗写真だ」と諦めて捨ててしまわず今日まで持ち続けていたことが間違いではなかったのだ。 恐らく2,000万画素のデジタルカメラを得るにもそう時間はかからないであろう。 医学が発達した世界を待ち望む冷凍患者のように、我輩は捨てられぬ失敗写真を未来に託したい。 ---------------------------------------------------- 「今どき縦位置レリーズボタンとは」 我輩は大学時代、カメラを縦位置にホールドする時の無理な体勢を改善するため、「Canon EOS630」のグリップを改造して縦位置レリーズボタンを増設したこともある。何しろ、当時は縦位置撮影が大半を占めていたので、縦位置レリーズボタンの有り無しの違いは大きかった。 縦位置レリーズボタンを増設したEOS630用グリップ <<画像ファイルあり>> しかしそれは、たまたまEOS630がリモート端子付きグリップが脱着出来る構造だったために可能な改造であり(改造失敗時の損失がグリップ部品のみにとどまることも好都合であった)、それ以降のグリップ固定構造となったAFカメラでは改造も考えられなくなってしまった。 それでもしばらくすると、縦位置グリップや増設ブースーターなどというアクセサリが使えるカメラが登場してきた。 しかしこれらはカメラ下部に大きなグリップを装着することになり、カメラのサイズが著しく大きくなる。まさに、一昔前のモータードライブのような状態。たった1つのレリーズボタンを加えるだけのためにこのような大きなサイズになるというのも不条理を感ずるが、グリップが無ければ撮れない初心者に対する配慮であろう(昔のカメラにはグリップなど無く、初心者であろうとそういうカメラを使ったものだが・・・)。 このようなアクセサリは、横位置で撮る際には何も役に立たぬいわゆる"死加重"である。力業で解決するものでありスマートとはとても言い難い。 デジタル一眼レフカメラが主流になった今でも、この縦位置レリーズボタン付きの別売りグリップが存在する。 しかしデジタルカメラは画像を電子的に取り扱うのであるから、縦位置横位置の切り替えをスイッチ一つで出来ないかと思う。 レンズを通る光は、円形のイメージサークルを投影する。そこに長方形のCMOSなどの撮像素子を置いているわけだが、その撮像素子を90度回転させることが出来れば、縦位置撮影が姿勢を変えずに行える。「MAMIYA RB67」や「MAMIYA RZ67」のレボルビングのようなものと理解すればいい。 いやレボルビングでは可動部が増えて故障や切替えタイムラグの原因となるため、むしろ正方形の撮像素子を使って電子的に縦横の切替が出来ると効率が良かろう。 こういった方式はマウントの開口部も正方形になるため、ミラーも大型にする必要があり、ある程度のサイズアップは不可避となる。中判一眼レフカメラに当てはめて例えると、645判と66判のカメラサイズの差が参考になるかも知れない。 しかし、同じ姿勢で構えたままスイッチ一つで縦横が切り替わるのは非常に便利かと思う。三脚に固定した状態や、クリップオンストロボをペンタシューに装着している場合などは重宝するだろう。 また、利用価値があるかどうかは分からないが、やろうと思えば同一カットで縦横同時記録も可能となる。 たださすがに正方形フレームでの撮影は、レンズによってはイメージサークルがギリギリのため四つ角がケラれて実用外となる。それでも、イメージサークルに余裕のあるレンズであれば自己責任で正方形フレームを使わせるという方法でも良いかも知れない。 青い円がイメージサークルとすると正方形フレームだと四つ角がケラれる <<画像ファイルあり>> どうせ縦位置グリップで図体が大きくなるのならば、このような機能を盛り込んで大きくしたほうが良いのではないかと思うし、それこそデジタル的であろうかと思う。特に、取り外しの利かぬ「Canon EOS-1」系や「Nikon D一桁」などの無駄なデカさを容認するくらいならば、このような意味のあるサイズアップのほうがデジタルカメラの特性を活かすことに繋がろう。 デジタルの時代ならば、カメラを物理的に横に倒す使い方を過去のものにしてくれ。 ---------------------------------------------------- [653] 2009年02月14日(土)「壁紙決定権を取れ」 我輩が家を建てたのは、3年半ほど前。 賃貸アパート時代に、階下の中国人らとのトラブルが絶えず、その勢いで家を建てることになった。正直言うと、そういう経緯が無ければ今でも賃貸アパートで暮らしていたかも知れぬ。 それにしても、自分自身が家を建てることになるなど、今考えても信じられないことである。それまでは、住宅ローンを抱えることについて漠然とした拒絶感があったのだが、その気持ちが一気に消え去ったのだ。あらためて、「勢い」というものの原動力には驚かされる。 ただし「勢い」とは言っても、家が建つまでには結果的に1年間かかった。 土地を探し、家の設計を建築会社と毎週のように打ち合わせたのち、ようやく建築が開始される。 問題は、設計の段階だった。 設計の打ち合わせには、約半年かかった。 こだわるところはこだわり、こだわらないところはこだわらない。このようなメリハリを付けたわけであるが、我輩一人で決める問題ではないため、どこかでヘナチョコ妻とのこだわりがぶつかることになる。 実は、夫婦の名義割合としては、ヘナチョコのほうが若干多い。つまり、ヘナチョコのほうが金銭的には強いということになる。だから、決定権もその割合分だけ強いのだ。 その象徴とも言えるのが、床板(フローリング)の色である。 床板には幾つかの色味があり、この決定についてはかなり揉めた。 我輩としては赤味のある色が好きなのだが(参考:雑文639「QP CARD」)、ヘナチョコは地味な色を好む。 最初は、我輩の意見で押し通せるかと楽観していたのだが、意外にもこの点についてヘナチョコもこだわりを持っていたようで、結果的には辛うじて我輩の書斎のみを赤味の床板とすることで落ち着いた。色的には、我輩の書斎は四面楚歌というところか。 我輩の部屋だけは赤味の床板を死守した <<画像ファイルあり>> けれども我輩には、絶対に譲れないものがあった。 それは、壁紙である。 「家を建てるなら、壁紙の色は白とする。」 我輩は、家を建てる必要も感じない独身の頃から、壁紙についてだけはこのように考えていた。 なぜならば、白い壁紙は室内撮影時に良いレフとなるのだ。 我輩は、室内では必ずストロボを使う。しかし、ストロボ光をそのまま直当てすると影が強く出てしまうため、バウンス撮影を行う。 もちろん、明るいレンズや高感度フィルム、そしてデジタルカメラを使えばストロボ無しでも撮れて、室内灯独特の雰囲気が出せるところが良いかも知れない。 しかしそれでは被写界深度が浅くなるし、色調整(フィルター補正やホワイトバランス調整)をしっかりやらなければ後で泣きを見る。また室内灯では意外に陰(影ではない)が強く出るし、ブレ発生率も高くなる。 浅い被写界深度や電球色の暖かみは否定するわけではないが、いつもいつもそのような写真で良いと思えるほどのシロウトでも無い。やはり写真は、キッチリと正確な色で写すのが基本である。それが出来たうえで、写真技法を加えれば良い話。 さて話を壁紙へ戻すが、白い壁紙はわりと一般的と言える。だから、我輩が何も主張せずとも自動的に白色に決まる可能性は高い。 しかし我輩としては、数多くある壁紙のサンプルから、演色性が良くクセの無いものを選定した。そして、リビングからトイレに至るまで全室共通の仕様として我輩の意見を押し通した(特に反対意見が無かったのは拍子抜けだったが)。 あれから3年半。 今思えば、あの決断は正しかった。手元にあるポジやデジタル画像を見ながらそれを実感している。 どの部屋で撮影するにも、クリップオンストロボ1つでキレイに光の回ったバウンス撮影が出来る。 例えば下の写真では、ストロボのストップモーション効果により、落ちる水滴がピタリと止まって写っている。左手による不安定な撮影のため、室内灯撮影だとブレは必至だが、ストロボ撮影ではブレの生じる余地が全く無いのが良い。 <クリップオンストロボでの撮影 (左手による不安定な撮影)> <<画像ファイルあり>> また、さらに強力な光源であるモノブロックストロボを用いれば、被写界深度もかなり深くすることが出来、下に掲載した写真のような、接写に近い撮影でも簡単なセッティングで撮影可能となる。 <モノブロックストロボでの撮影> <<画像ファイルあり>> さらに下の写真は、「昭和テレビジョン」という出来合いのジオラマであるが、ただ単にモノブロックストロボを天井に当てて撮っただけのものである。あまりに単純過ぎて"ライティング"などと言えるものではないが、それでもそこそこキレイに見えるのが白壁紙の威力と言える。 <モノブロックストロボでの撮影> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> かなりの接写ながらも被写界深度が深いのは、やはりモノブロックストロボの大光量の成せる技。ミニチュア撮影で被写界深度が浅くなってしまうと、いかにもミニチュアっぽく写ることになる。だから、室内灯でこれを撮るのはかなり難しい。 やはり、写真を撮る者の家は、壁紙を白とするしかない。そのためにも、壁紙の決定権は絶対に奪われてはならないのだ。 壁紙は家のインテリアではない。撮影機材の一つである。 我輩は、この点を強調しておきたい。 ---------------------------------------------------- [654] 2009年03月07日(土)「目的を失う妥協ほど無意味なものはない」 幹線道路沿いによく見掛ける激安中古車の展示。見ると、10〜20万円程度の値段が付いていたりする。 クルマというのは、新車でも価格帯は様々だが、中古車も含めるとなれば価格の幅はかなりのものとなる。限られた家計の中からクルマの費用を工面するには、価格帯を絞り、そこから候補を決めるのが普通であろう。 <安い中古車が並ぶ> <<画像ファイルあり>> また価格の次に、使い勝手も大きな選択項目となる。 最近では、大人数が乗れて天井も高いミニバンが大人気。子供を持つ家族にとって、もはやミニバンは生活必需品とまで言われるほど。スライドドアのピラーを廃して開口部を広くしたものもあり、子供を抱えて乗り降りもし易いと宣伝されている。 <子供を持つ家族には生活必需品のミニバン> <<画像ファイルあり>> 我輩は以前、島根県での田舎暮らしや子供の乳児期など、クルマが最も必要とされる時期でも徒歩と自転車だけで過ごしてきた。 そういう妙な自信だけはあったので、これから先もずっとクルマ無しで生きていけると思った。 ところがそんな我輩が4年ほど前に、こともあろうに本物のクルマを買ってしまった。 購入動機としては登山撮影のためであるが、中古車と言えども車体価格が88万円。もしそれだけの金をカメラ関係に注ぎ込んだならば、かなり裕福な写真ライフを送ることが出来たろうに。 そもそも、探せばもっと安いクルマもあったはず。 しかし我輩は、モノを買う際には値段よりもまず目的を考える。 今まではクルマを必要とする目的が無かったからこそクルマを買わなかったのであり、目的が出来てしまえば買うことになる。そしてその目的を満たすクルマとして、高速道路での長距離ドライブに適した高速安定性と、ペーパードライバーだった我輩にも運転し易い特性が必要だった。 そこで選んだのが「メルセデスベンツW202/C200」。 高速での安定性は言うに及ばず、ペダルやステアリングなど各操作部はかなり重いものの初心者にとってこれほど挙動が素直で分かり易いクルマも無い。 維持費の問題もあったが、維持出来なくなればその時点で手放せば済む話。何も問題は無い。 <88万円のメルセデスベンツW202/C200> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/01/20 その後、このクルマは特に事故も無く活躍してくれた。 排気量2,000ccであるから自動車税も並、故障の少ないモデルを選んだだけあって車検も11万円で済み、維持費は予想をはるかに下回った。 またこのクルマのおかげで運転技量向上にも役立ち、職場では営業業務で社用車を運転し納品作業が出来るまでになったわけで、金では買えぬものまで手に入ったことになる。もし同じ金額をカメラのほうに費やしたとしたら、果たしてここまで得るものがあっただろうか(いや無い=反語)。 <我輩の運転する営業車たち> <<画像ファイルあり>> また、言うまでも無く撮影に関してもクルマの存在は非常に大きく、「移動手段」としてだけでなく、「物資補給基地」や「仮眠室」としての役割を果たした。これは、新幹線+バスの利用ではまかなえぬ役割であるため、単純にそれらのコストとの比較は意味が無い。 さて、最初のクルマを買って3年後(今から1年前)、我輩はクルマを買い換えることを決意した。 直接の動機としては、雑文581「夏の帰省2006(その2)」の<7日目>で書いたように、高速道路登り坂での失速が問題だったからだ。やはり20世紀の旧い2,000cc級のクルマでは、3名乗車プラス目一杯の荷物は文字通り"荷が重い"。 そこで思い切って、21世紀の車に買い替えようかと考えた。 狙うは新車であるが、メルセデスベンツの新車などとても手が届かない。 そうなると国産車かと思ったりもするが、しかし家族を乗せることも考えると、安全性の面でなかなか国産車を選ぶ気になれぬ。特に、軽自動車や重心が高く横転し易いミニバンなどもってのほか。ドア開口部も広ければ、側面衝突で致命傷を負うのが目に見えている。 <側面衝突を受けたクルマ> <<画像ファイルあり>> [Nikon COOLPIX P5100] 2008/10/22 <<画像ファイルあり>> [RICOH GR-D] 2006/11/02 我輩にとってのクルマとは、「人を安全に運ぶ」ということが第一目的。その目的を妨(さまた)げるのであれば、どんな豪華な装備や便利な機能、そしてコストパフォーマンスなども必要無い。 目的を追い求めた結果として手の届く範囲に条件に合うものが無ければ、単純に買わないだけである。クルマが我輩にとって生活必需品ではないのだから、妥協して無理に買う必要など全く無い。 やはり安全性を求めると、どうしてもメルセデスベンツのセダンに行き着く。 国産車を貶(けな)すつもりは無いが、国産車には国産車の事情というものがある。 いくら国産車メーカーが安全性を高めたクルマを作ろうと思ったとしても、消費者がそれを求めていない。日本では制限速度が低いためか、安全性よりも消費者に訴求し易い「値段に比例した豪華さ」や「使い勝手・便利さ」が要求される。 目に見えない安全性に金をかけようとも、そのコストを吸収できるほどのブランド力は国産車メーカーには無い。いくら「安全性に全力を尽くした」と言われようとも、カローラが450万円もしたら誰も買わないだろう。 メルセデスベンツの場合、同クラス(同タイプ同排気量)の国産車と比べるとかなり割高でありながらも商品として成立している。内装や装備などが同クラスの日本車に劣り、しかも高価であるにも関わらず。 それは、見えない安全性に対するコストが含まれていても売れるくらいの大きなブランド力があるからだ。 そもそもメルセデスベンツでは企業の取り組みとして、ドイツのシュトゥットガルドから100km圏内で起こったベンツ車が関わる交通事故について、現地に調査チームを派遣して事故を分析し製品の安全向上に役立てている。またそれを支援するための法律も整備されている。 限定された条件で行うクラッシュテストをクリアするのが精一杯の国産メーカーとは考え方そのものが異なる。 その中でも、開発までに100台もの車体でクラッシュテストを実施し、メルセデス独自の安全基準を満たしたのが新型Cクラスの「W204」だった。 <メルセデスベンツW204/C200> <<画像ファイルあり>> [RICOH GR-D] 2007/08/28 当初、「W204」には冷やかしで試乗してみたのだが、「走る」・「曲がる」・「止まる」という基本動作が素晴らしく、これで1,800ccだというのだから驚く。 それに比べると社用車で乗っている日本車の動作がいかに頼りないかを改めて思い知らされた。 <W204試乗中> <<画像ファイルあり>> ただ、「W204」のデザインは国産車的で、従来のような貫禄が無いのが唯一の不満。とは言うものの、乗り換えを検討するならばこれしか思い付かない。 しかし、車体価格450万円。 前のクルマの5台分にも相当し、我輩の年収と同額というのが恐ろしい。無謀にも程があろう。 それでも安全性には代えられぬ。失った後でいくら悔やみ大金を積もうとも、失われた命は元には戻らない。 むろん、メルセデスベンツであればどんな事故であろうとも命が助かるというわけではないが(ダイアナ妃が事故死したクルマはメルセデスベンツだった)、だからと言って安全要求を下げて良い理由とはならない。 「結果的に対策が無駄となる可能性があるとしても最善は尽くすべき」というのが我輩の方針である。それが出来なければ、クルマを買うのは間違っている。だからこそ我輩は、最初のクルマに乗るまでは15年もの間ペーパードライバーだったのだ。 「W204」が買えるか買えぬか、問題はその1点に尽きる。他車種を考慮する余地は無い。 そういうわけで、450万円の「メルセデスベンツW204/C200」買う方向で努力することにした。となれば、行うは金策である。 「W204」は新型車のため、当時はまだ中古車もほとんど出ておらず、あったとしても新車との価格差はあまり無い。もし450万円の金策が出来なければ、他に買うクルマも無く、乗り換えそのものを諦めねばならない。 我輩の勤務先がダイムラー社といくらかの関係があり、過去にメルセデスベンツの社員価格での販売実績もあるとのことで大きな期待を持ったが、現在は適用されないことが判明し、「やはり無理か」と一度は諦めた。 「全ては安全性確保のため。」 そういった我輩の信念による金策努力が実り、実家からの援助やその他により何とか現金で買えることになった。まさに奇跡としか言いようが無い。カメラ機材名目であったならば、たとえ20万円ですら援助や借金は無理だったろう。そういう意味で、強い目的は自分だけでなく他の人間をも動かすと実感した。 ただ、それでも貯金を大きく切り崩すことは避けられず、住宅ローンを抱えながらクルマを維持していくことについては不安はある。 しかしとりあえず3年間は故障についての無料保証があるため、少なくともそこまでは維持出来るだろう。排気量1,800ccであるから、税金についてはこれまでと変わりない。 保証の切れる3年以降の維持についてはどうなるかは分からないが、以前と同じように、維持出来るところまで維持し、ダメならその時点でペーパードライバーに戻れば良い。 ちなみに、パッとしないデザインについては、せめてボディ色と内装色を我輩の好きな赤茶系(参考:雑文639「QP CARD」)としようと思う。同じ価格帯の国産車と比べてチープな内装も、ベージュ色にすれば少しは上品に見えるかも知れぬ。 自分好みの仕様に出来るのが新車を選ぶメリットの1つ。 他のオプションとしては、運転を支援するための前後バンパーに付ける接近警戒センサー(パークトロニック)、登山で車内泊を可能にするトランクスルー仕様とした。そのために納期が3ヶ月後となったのは仕方無い。 乗り始めて約8ヶ月。九州帰省、赤城山登山、吾妻山登山などに使ったが、高速道路での加速も申し分無く、山での九十九折り(つづらおり)の連続ヘアピンカーブでも安定した走りはさすがに21世紀のセダンと感じさせる。 <納車されたW204> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/07/13 <<画像ファイルあり>> ※窓は画像加工による切り抜き [Nikon D200/18-70mm] 2008/11/08 以前レンタカーで乗った「ワゴンR」では、もっと緩いカーブを曲がった時でさえ大きくロールし車載カメラも吹っ飛んだ。それと比べるとまさに雲泥の差。前の車「W202」と比べても明らかにカーブに強く、山行きではかなり重宝する。 安全性については、事故を起こさぬ限り実感は出来ないが、これは「メルセデスベンツ」のブランドを信ずるしか無い。 ただ、事故を防ぐための性能として、フルブレーキ動作をJAFの講習会で試してみたが、その結果、このクルマには命を預けられると確信した。 <JAFでの片輪低μ路フルブレーキテスト> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/09/14 高価な450万円ではあったが、クルマを買うなら必要な450万円だった。 買うことだけが目的化してしまうと、金が足りない場合は妥協したものを買わざるを得なくなってしまう。 しかし本来求めるべき目的を考えるならば、妥協せずに金策努力し、もし金策に失敗したならば無理に買うべきではない。 生活必需品ではないのだから。 ちなみに、同じことはカメラでも言えるはず。 カメラもまた、我輩にとって生活必需品ではない。それで生計を立てているわけでもない。 だからカメラなど買わずとも、生きるためには何の不自由も無い。経済的に買えないのであれば買わなければ良いだけの話。 だがもし買うのであれば、その時は自分の要求スペックを完全に満たす最高のカメラを買うべきであろう。 我輩の場合、フルサイズデジタル一眼レフカメラが死ぬほど欲しいのだが、Nikonには要求スペックを満たす製品は現状存在しない。妥協して「Nikon D700」に手が出そうになるが、目的を果たせぬ意味の無い買い物となるのが分かっているため必死に我慢しているところ。 目的を失う妥協ほど無意味なものはない。 ---------------------------------------------------- [655] 2009年03月12日(木)「サイト運営のすすめ」 前回の雑文ではクルマの話題だったため、ついでに今回もクルマの話題で続けてみたい。 我輩は、クルマの運転を始めるまではペーパードライバー歴15年であったため、クルマの挙動と車輌感覚を掴むまではバンパー辺りを壁に擦ることが幾度もあった。 もちろんそれは想定内であり、最初のクルマを中古車とした理由の1つでもある。 最近のクルマはバンパーが樹脂製のため、擦って塗料が剥がれると白い地肌が見えてしまう。そうなると黒ボディ色のクルマでは目立って仕方ない。 <バンパー擦れ> <<画像ファイルあり>> しかし黒ボディというのは、とりあえず黒い色で塗っておけば、極端に言えば油性黒マジックでも目立たなくなるのが助かる。もちろんそこまで貧乏臭い補修は抵抗があるので、小さな傷であればタッチペンでチョンチョンと色を乗せ、大きな面積の擦り傷であればスプレー塗料で簡単に塗って誤魔化した。 当時からクルマ関係のウェブサイトを開設していたが、バンパーを擦ったことは恥だと思って公にせず(現在は公開している)、補修も手短に1日で終わらせた。 いくらスプレーで塗ったとは言っても、さすがにシロウト施工であるから、補修箇所をジックリ見ればパテ埋めや研磨が甘く、補修したということがすぐに判ってしまうような仕上りだった。DIY(自家作業)ではこれが限界か。 さて、その後しばらくすると運転もある程度慣れたのか、バンパーを擦るようなことは少なくなった。 そして最初のクルマを買ってから3年後、前回の雑文でも書いた、新車への乗り換え案が持ち上がった。 新車乗り換えについての直接の動機は、何度も書いたとおり「安全性」の一点なのだが、バンパーを擦る恐れが少なくなったという気持ちも、新車購入への後押しとなった。 さて、新車が来てから半年くらいすると少し余裕が出てきた。「自宅駐車スペースにスマートに停めたい」などと余計なことを思うようになった。 新しいクルマは旧車よりもホイールベースが長く、そのせいか最小回転半径が4.9mから5.1mへ若干大きくなっている。そういうわけで、旧車であれば切り替えしせずに入った自宅駐車スペースに、今度のクルマは必ず切り返しをせねば入らなくなっていた。 出発する時は1回で出られるわけだから、バックする時も同じラインを踏めば1回で入るはず。恐らく、接近警報の「ピピピピ・・・」というアラームがいつも鳴ってることに惑わされているのだと思う。狭い駐車スペースのため、どうやっても必ず鳴るのだ。 ならば、接近警報の音は気にせず、思い切って一発勝負の車庫入れに挑戦してみよう。2008年11月14日の夜のことである。 しかし今思えば、夜の暗い中でやるべきではなかった。 家の前の道からバックしながら進入。そして、そこから左後方90度の角度の駐車スペースにバックでクルマを入れてゆく。いつものように接近警報が「ピーーーー」と鳴るが気にしない。 「ガキューッ!」 イヤな音がしたのでとっさにブレーキを踏んだ。ま、まさか、ついにやってしまったか・・・。 前に出して切り返し、とりあえず駐車スペースに納めた。そして、すぐにクルマを降りて後ろに回ってみる。 懐中電灯片手に後部を見てみたのだが、なぜかぶつかったような痕跡は見付からない。 「気のせいか? いや、あんな音がして気のせいなどとはありえぬ。」 釈然としないまま回り込んでみたところ、左後部の側面を大きく擦ってるのを見付けた。場所は樹脂バンパーのところで、ささくれて地肌の白い素材が見えているではないか。 「や、やっぱり無事で済むわけがなかった・・・。」 <バンパー左後部側面の損傷部分> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> そういえば、接近警報のアラーム音は、いつもは「ピピピピ」だったのだが、今回はさらに接近しすぎた「ピーーーー」という音だった。そこに注意すべきであった・・・。後悔先に立たず。 まあ、見たところヘコミや割れが無いのが不幸中の幸いか。 走行に支障があるわけではないので補修の緊急性は低いが、それでも濃色系の新車ボディに白い傷というのは目立ってしょうがない。いつものようにタッチペンか何かで誤魔化したいところだが、ボディ色が黒ならばともかく赤茶系であるから、ちょっとでも色合いが違うとすぐに判ってしまう。 カー用品メーカー「Holts」や「Soft99」では、クルマの色番号を基にして調色しスプレー缶に詰めてくれるシステムがあるのだが、なんと我輩のクルマの色は対応外の原色が使われており、調色は不可能とのことだった。 なんということだ・・・。 それでも諦めきれずにインターネット上で色番号を検索してまわったところ、スプレーではないが丸缶詰め塗料で手に入るところをようやく見付けた。イサム塗料の「アクロベース」というウレタン系の塗料である。 この塗料はラッカー系のプラサフ(下地塗装)の上には塗れないため、2液式のウレタン系プラサフが必要とのこと。それ以外にも、部分的に色を塗る時に境界をボカすために使う「ボカシ液」も専用のものが必要らしい。 「うーむ、スプレーガンとコンプレッサー(圧縮空気を送り出す装置)も必要か。作業もかなり気合を入れねば失敗するだろう・・・。どうするか?」 我輩はしばらく考え、一つの方策を立てた。 「よし、補修の様子をクルマのサイトで随時公開していこう。」 恥を忍んで公開することの意味は、見られるというプレッシャーを自分自身に与えることにより、妥協の無い作業を完遂させることを期待したのである。 まずは、傷の入った写真を掲載し、これから補修作業を行う旨を予告した。 これで、自分の中での決意が固まった。手は抜けない。 スプレーガンとコンプレッサーはさすがに費用がかさむため、模型用のエアブラシ「ピースコン(オリンポス社)」を流用することにした。これはコンプレッサーではなくエア缶を使うため、安価に吹き付け塗装が出来る。塗料と合わせて2万円弱の出費で収まった。 <オリンポス社の「ピースコン」> <<画像ファイルあり>> 作業開始は2008年11月22日(土)の午前中から。 天気予報によると、少なくともこの土日は快晴らしい。ウレタン系塗料は温度が低いと硬化しないため、少しでも気温が高いほうがいい。 <工程1>地肌出し まず、400番のサンドペーパーを使い、傷の周辺を削って樹脂の地肌を出していく。 できればそのまま傷ごと削り取りたいところだが、傷がかなり深いところもあるため削りきれない。しかしパンパー樹脂は接着性が悪いため、パテはなるべく使いたくない。バンパー用パテも売ってはいるが、なるべく余計なものを付けたくない。まあ、次の工程のプラサフで埋まるはずだと思うのでそのままとした。 それにしても、この樹脂は妙に粘りがある。塗装面は普通に削れるのだが、樹脂の白い部分を削ると消しゴムのカスみたいなものが出て、しかもサンドペーパーがすぐに目詰まりする。 それでも苦労しながら何とか削った。ムリな姿勢で力を入れるため腰が痛くなってしまった。 <サンドペーパーで樹脂の地肌を出したところ> <<画像ファイルあり>> あらためて見ると、「こんな状態になって元通りになるんだろうか」と不安が過ぎる。これが新車だと思うと泣けてくる。ここまでやらずとも、傷のところだけに塗料を筆塗りすれば目立たなかったかも知れぬ。 だが今さらそんなことを考えても遅い。サイト上で傷写真を公開していることを考えると、進むしか無い。 <工程2>プラサフ塗布 プラサフとは、プライマーとサーフェイサーの両方の役目をする下地処理塗装剤で、ボディと塗料との間で結合する役目を持っている。 ラッカー系の1液式のプラサフスプレー缶は持っているのだが、今回は2液式の丸缶ということで事前に硬化剤を混ぜておき、それをピースコンでスプレーすることになる。 まずはマスキングをして他の部分にスプレーがかからないようにする。プラサフした後で研磨するため、このマスキングは色塗装の時よりも狭い範囲で適当なラインにしておけば充分。 <プラサフ塗布前のマスキング> <<画像ファイルあり>> ピースコンについては、エア缶は温度が低いとパワーが出ない。この時期の寒さだけでなく、連続スプレーによってガスの気化熱がどんどん奪われてしまうのだ。それを補うために、時々湯せんをして暖めねばならない。 <湯せんしているエア缶ボンベ> <<画像ファイルあり>> プラサフ原液と硬化剤、そして薄め液を混ぜてピースコンにセット。シリコンオフを使ってボディを拭き油分を取り除いた後、スプレー開始。キズの部分は特に厚く塗って埋めるようにした。 <プラサフ塗布> <<画像ファイルあり>> 昼も過ぎて気温も上がってきたようだが、それでもやはり寒いため、プラサフの硬化に影響があるかが心配。 放っておけないため白熱灯で暖めることにした。60ワット程度の写真用レフ電球でほんのり暖まる程度だが、無いよりはマシ。 <白熱灯で暖める> <<画像ファイルあり>> さて、1時間ほどしてプラサフが固まった頃だと思い、マスキングを外してみた。 ここでまたしても、「傷を広げてるんじゃないだろうか」という不安がもたげてくるが、先に進むしかない。 <固まったプラサフ> <<画像ファイルあり>> <工程3>プラサフ研磨 これから、プラサフとボディの境目が指で触っても分からないくらい一体になるまで、サンドペーパーで研磨していく。 これがまた重労働で、狭い場所での作業はなかなかツライ。適当なところで切り上げたいが、塗装した上からでも境目が見えてしまうことを考えると手を抜けない。堂々とウェブで報告出来るようにするには、ここは踏ん張りどころ。 <プラサフ研磨> <<画像ファイルあり>> 結局、この作業が終わるともう16時過ぎ。11月のためもう暗くなってきた。早く色塗装して結果を見たいのだが、仕上りを考えると焦りは禁物。 ということで、この日の作業は終了。続きは明日とする。 <工程4>色塗装 翌11月23日(日)も快晴。さっそく、色の塗装に入りたい。なにはともあれ、まずはシリコンオフで油分を除去し、塗料がはじかないようにする。 バンパー全面ではなく部分的に塗装するため、境目をボカすためのボカシ液をスプレーする。これを塗ってると、境目の塗料の粉を溶かしてなじませるという工程である。 加減が分からないため、適当にスプレーしてみた。 次はアクロベース塗料と薄め液を混ぜ合わてスプレーの準備。メタリック色の塗料のため、缶の底のほうに金属粉が沈んでおり、よくかきまぜないと色合いが変わってしまう恐れがある。 <アクロベース塗料> <<画像ファイルあり>> さて、いよいよ色塗りだが、プラサフ塗布の時よりも広範囲にスプレーしていくことになる。それにメタリック塗料は塗布後に研磨出来ないため(研磨すると塗料に含まれている金属粉を潰してしまう)、少しでも塗装で失敗すると修正が出来ない。その場合はまた塗り直しである。 マスキングは、微妙な色の違いがあっても分かりづらいよう、パーツ接合面とかプレスラインのところで区切っておく。今回は横方向にボカすので、横にはマスキングはしていない。 <色塗装> <<画像ファイルあり>> 塗装面積が大きく、ピースコンでは少々ツライ。連続噴射するとエア缶のボンベもかなり冷たくなり霜が着いてきた。そしてそのうちガス切れ。2本目に替えた。 ところが2本目はガス満タンだったために、ボンベ一体のピースコンを左右に振ると、生ガスが時々噴出して塗料の大きな飛沫(しぶき)がいくつも飛んでしまった。何度か重ね塗りはしたのだが、飛沫跡は消せなかった・・・。 それに加えて、境界のボカシ部分はザラザラしている。ボカシ液の塗布が足らなかったか。 根本的な解決のためにはサンドペーパーで表面を均してから再び塗り直しとなるわけだが、そこまでする必要があるか・・・?しかし完璧を期すならば、それ以外に方法は無い。妥協をすれば、すなわちウェブ上での笑いものである。 <色塗装2回目> <<画像ファイルあり>> 色塗装2回目は、白熱灯の光を下から当て、塗装の濡れ具合が判りやすくなるようにした。 そして、ボカシ液をもう少し濡らし気味に塗布して、そして色の飛沫に注意しながら塗り込んだ。そしてようやく成功した。 <工程5>クリア塗装 さてその後、あまり時間を置かずにクリア塗装しないといけない。色塗装が完全に硬化してからだとクリアの乗りが悪くなり、時間が経ってから剥離してしまう場合もあるらしい。メタリック塗装でなければ塗装面をサンドペーパーで足付けしてクリア塗装もできるそうだが、この塗装はメタリックのためその手は使えない。 今回使うクリア塗料は、イサム塗料の2液式ウレタンクリア「エアーウレタン」。 缶の中に別の缶が入っており、ボタンを押し込むと内部の缶に穴が開いて2液が混ざり合うという仕組みになっている。ただし、2液が混ざり合うと硬化が始まるので、一度使い始めると24時間以内に使い切らなければ残りの塗料が缶の中で固まってしまうとのこと。 <イサム塗料の2液式ウレタンクリア「エアーウレタン」> <<画像ファイルあり>> さすがにピースコンに比べるとスプレーは強力で、一気に全体が濡れ状態となった。ツヤツヤのピカピカ状態。この状態のまま固まってくれると嬉しい。 ただ、境界部分はどうしてもざらつきがあるため、それはコンパウンド研磨の時に磨くことにする。 <ウレタンクリア塗布> <<画像ファイルあり>> しばらくしてクリア塗装も固まったようだったので、マスキングを慎重に外してみた。 一番気になる、元の色との差についてはどうか。 下の写真で、元の色はラインの上のほうだが、ツヤの違いはあるものの、色に関して言えば上下は全く同じ色になっている。 <ウレタンクリア硬化後マスキングを外したところ> <<画像ファイルあり>> さて、クリアが硬化したと言っても、完全硬化には1週間ほど必要とのことで、それまではコンパウンドによる鏡面磨きの工程には進めない。 そういうわけで、鏡面研磨用のリキッドコンパウンドを使って磨くのは1週間後の11月29日(土)となる。早く磨きたくてしょうがないのだが、ここで焦るとそれまでの苦労が水の泡。 <工程6>クリア研磨 1週間後、待ちに待った磨きの工程の日。 塗装周囲はボカシが効いてないのため、まず細目コンパウンドで荒削りをし、その後に鏡面磨きをした。 <鏡面研磨用リキッドコンパウンド> <<画像ファイルあり>> 何度か水拭きして下からライトを当て、表面の磨き具合を確かめつつ完成を目指す。 そして最後の水拭きの後に乾拭きしてみたところ、驚くほど艶のあるボディが現れた。 <鏡面研磨用リキッドコンパウンドで磨いたところ> <<画像ファイルあり>> す、素晴らしい・・・。 ここまでキレイに仕上がれば、堂々と「補修前写真」と「補修後写真」を並べて掲載出来る。 見れば見るほど、どこを補修したのかすら判らない。 我輩自身、自分でここまで補修出来るとは思わなかった。微妙な色合いが違っても違和感が出そうなボディ色であったが、新車ということで色褪せも最小限だったことが幸いだったかも知れぬ。 <傷補修前 (2008年11月14日)> <傷補修後 (2008年11月29日)> <<画像ファイルあり>><<画像ファイルあり>> それにしても、ウェブ上で公開しながらの補修でなければここまで気合が入ったとは思えない。早く傷を隠そうと旧車の時のように1日で終わらせるやっつけ仕事で済ませていただろう。 我輩は、誰が見ているか分からないウェブ上にクルマの傷の状況を晒すことで、補修が失敗し収拾がつかなくなることを期待している閲覧者もいるだろうと想像し、「何があろうとも結果を出してやろう」と発奮した。 そのため、思わず省きたくなるような面倒な工程や妥協したい事態が発生しても、ウェブにて良好な結果を報告出来ることを第一に考えながら、自分でも驚くほど根気強く作業を遂行したのである。 この時、ウェブサイトは単なる「結果報告」だけではなく、「動機付け」ともなった。 同じことは写真関係にも見事に当てはまる。 それが、当サイト「ダイヤル式カメラを使いなサイ!」である。 我輩は写真活動の一端を当サイトにて公開しているが、このことは我輩自身に対しても強い覚悟を要求することにも繋がり、しかもそれを文章化することで思考の整理もつく。その結果としてより目的が明確となり、行動力も増すことになった。 やはり「見られている」という意識があればこそ、中途半端は出来ないという意識に繋がるのだ。 このサイトは、我輩の写真活動の「結果報告」だけではない。 写真活動の「手段」でもあるし、「動機付け」でもある。 もし、自分が飽きっぽい、あるいは妥協しやすい、または行き詰っていると感じている者がいるならば、何か一つウェブサイトを作ることを奨めたい。 もちろん、ブログのほうがHTMLの知識を必要とせず気軽に作れるということもあるが、ブログというのは主題から外れた"よろづ日記"になり易いという欠点があるのであまり好ましくない。 何事も、ジャンル1本で通したウェブサイトを立ち上げ、その中で貫く自分の姿を宣言するべきである。そうでなければ、何のために自分が情報発信しているのかが見付からぬまま自然消滅するのがオチ。 ウェブサイトというのは、表面上は「情報発信」として閲覧者に恩恵を与える形式となっているが、実は、自分が常に見られているという緊張感を維持し続けるためのツールとして運営者(ウェブマスター)の側に恩恵が与えられているのである。 我輩は現在、多ジャンルに渡って幾つかのサイトを持っているが、最初の立ち上げ時には来訪者カウントがたった1つ上がるだけで興奮したものである。最初の1人のカウントアップは、1000人のカウントアップにも相当する。それは、「見られる」ということの緊張感が始まる瞬間だからだ。 人気サイトを作ろうなどとは考えるな。サイトを運営することで、目指すべき自分自身を作るのだ。 ---------------------------------------------------- [656] 2009年03月16日(月)「我慢くらべ、我輩VSニコン」 前の2つの雑文、「目的を失う妥協ほど無意味なものはない」及び「サイト運営のすすめ」では、それぞれ「買い物に妥協するな」ということと、「宣言して自分を追い込め」ということを書いた。 この2つの雑文を書いた背景は、何を隠そう、我輩が悩み苦しんでいるからに他ならない。 これまでに幾度も書いているが、我輩は現在、Nikonからハイビジョン撮影機能付きの2,000万画素以上のフルサイズデジタル一眼レフカメラの発売を待っているところである。 しかし現在のところそんなカメラがNikonから出る気配は全く無く、我輩は待ちきれずに妥協し、1,000万画素クラスのフルサイズカメラ「D700」を手に入れるかを迷ったりしている。 ここで言う「妥協」とは、下記3点についてである。 ●最低感度がISO200と高すぎる ●ハイビジョン撮影未対応 ●1210万画素しかない しかし「D700」には次下記2点のメリットがある。 ●フルサイズ ●高感度でも低ノイズ この2点のメリットは我輩にとっては非常に大きなものである。従って、この2点だけでも買い替えに値するとも言えなくは無い。 しかしながら、Canonでは我輩の要求仕様に完全合致している「EOS0-5D Mark2」が存在するため、その仕様に劣るカメラを買うのは抵抗がある。ライバルであるNikonからはいずれ「EOS0-5D Mark2」に対抗する機種が出てくるに違いない。 だからこそ、「D700」が3万円キャッシュバックキャンペーンの時にも敢えて手を出さなかった。今さら「D700」を買うなど、わざわざ値段が高くなるのを待って買うようなもの。実にバカらしい。 しかし最近、中古の「D700」が18万円で出てきており、非常に目の毒。これがちょうど新品の最安値から3万円安いのだから微妙な値段である。まさにキャッシュバックの再来。 もしかしたら、次の雑文では「D700」の入手報告をしているかも知れない。 そうなれば、Nikonの勝ち。 逆に、Nikonのほうが辛抱出来ずに新機種を出してしまうかも知れない。 そうなれば、我輩の勝ち。 ここまで来たら、もう我輩とNikonの我慢くらべ。 それにしても我輩をここまで追い詰めるとは、Nikonもあっぱれである。恐らく「打倒我輩!」などというスローガンを掲げ、我輩を苦悩させる戦略を効果的に打ち出しているのであろう。 だが今のところ、金策が出来ないという点で我輩側が圧倒的に有利と言える。 Nikonよ、相手が悪かったな・・・。 ---------------------------------------------------- [657] 2009年03月24日(火)「今年の集合写真」 <事の始まり> 職場で、人事異動に伴う歓送迎会が3月19日に行われることになった。 そして直前の17日に、幹事長から全職員に対して進行スケジュールのメールが届いた。 「進行スケジュールまで作成するとは本格的だな。」 ところがよく見ると、タイトルが「歓送迎会&職員総会」となっていることに気付いた。確かに最初に来た案内を見てみると、そちらにもそう書いてある。どうやら我輩が「職員総会」の部分を見落としていたらしい。 「職員総会はいつもならば4月にやるはずだが、今回は歓送迎会とまとめてやるのか・・・。待てよ、職員総会の撮影はどうするんだ?」 進行スケジュールをよく見ると、集合写真は会が始まる直前とのこと。そして撮影担当は「我輩社員」となっていた。 「撮影担当は自ずと我輩になるのは理解出来なくもないが、何の相談も無しとはどういうつもりなんだ・・・。」 メールをよく読むと、幹事たちの打ち合わせでは、当日になってからその場の雰囲気で集合撮影をやるかどうか決めることになったらしい。大人数のため、撮影場所が確保出来ない場合は会場の外にある中庭で撮影しようかということも書いてある。 「撮影する我輩の意見を聞きもしないでよくここまで一方的に・・・。」 集合写真を撮るにはそれなりの準備や機材搬入などの作業が発生する。その場の雰囲気で「やっぱりやめよう」などと言われたらたまったもんではない。また、撮影場所を直前まで確定しないなど、ましてや薄暮の屋外でやるなどとは、撮影者泣かせもいいところ。 とにもかくにも、我輩の与(あずか)り知らぬ幹事だけの打ち合わせで撮影のことを決められてしまっていることに驚き、そして憤りを感じた。 今回は新しい会場で行われることになっている。だから、撮影計画を立てるには会場の下見は欠かせない。 また、上から見下ろすように撮るために使う脚立を会場に持ち込んでも良いのか、当日のテーブルの位置はどうなるのか、どこまで融通が利くのか、そういうことを会場担当者と打合わせが必要。 しかもその会場は歩いて30分はかかる。駅を挟んで対称の位置にあるため、電車で行けるルートでもない。機材搬入・搬出をどうするかということも考えねばならぬ。 総会が始まる直前に集合写真を撮るということも、例年に無いこと。幹事は総会準備という名目で早めに現場に行けるのだが、我輩は幹事ではないため勤務時間が終わるまで行動出来ない。歩きで行くとなれば、撮影までの猶予はほぼ0分。到着した瞬間に撮影可能となっていなければならぬ。有り得ない話だ。 もちろん、我輩が上司に事情を説明すれば早めに出ることを理解してもらえるだろうが、そういう問題ではなく、幹事だけで一方的に決めたことに対して我輩が必死に合わせなければならないことにバカらしさを感ずるのだ。 恐らく、幹事たちはそんなに本格的な撮影を望んでいるのではないのだろう。シロウトが撮るように簡単に撮れる写真を想像しているに違いない。そうでなければ、「その場の雰囲気で撮るか撮らないかを決める」などというバカなことは言うはずが無い。 しかし我輩は、「自分に撮影を頼むということは、本格的な撮影が望まれているのだ」と解釈する。もしそこまで望んでいないとするならば「テメエで勝手に撮れよ」と言いたい。 前に書いた雑文598「双方のメンツ」では、2007年の職員総会の集合写真撮影について、幹事のメンツと我輩のメンツとのせめぎ合いがあった。 今回もまた、同じようなことが人を替えて行われることになるのか・・・? <2008年4月の職員総会集合写真(約60名)> <<画像ファイルあり>> 我輩は急いで幹事長とその他幹事たちにメールを送った。 「与えられた条件で集合写真の撮影をするには、あまりにも準備期間が短かすぎるため、我輩が直接会場担当者と打合わせをしたい。担当者の連絡先を教えて欲しい。」 我輩が幹事をすっとばして直接、会場側と折衝することを臭わせれば、幹事長としても「ちょっと待て、そういう折衝は幹事を通してくれ」ということになるはず。そうなれば、幹事は我輩を蚊帳の外に置いたことに対して問題があったことを認識するだろう。そこで改めて、幹事側に我輩の意向を伝え、幹事たちの計画に無理があることを悟らせたい。 メールは受信確認付きで送ったのだが、夕方ということもあって、受信した者は1人もいなかった。 まあ、明日まで待つか。 <撮影前日> 翌朝、出社してメールソフトを立ち上げると、ほぼ全員の受信確認が取れていた。 ところが、昼近くになっても幹事長からの返答が無い。もう明日には撮影であるから、さすがに我輩も焦ってきた。 「くそ、これは相手の戦略か。なかなか強敵かも知れん。」 ちなみに言っておくと、幹事長は我輩とは少し離れた建物で勤務しており、我輩と直接関係がある人間ではないため、どんな戦略を得意としているのかは未知である。用心せねば。 結局、我輩のほうがしびれを切らして幹事長に電話した。すると幹事長は、今さらながらに「あ、撮影の係り、お願いしますね。」と言う。その言葉に我輩の目は点になったが、気を取り直して「会場担当者との打合せをしたいので連絡先を教えて下さい。」と訊いた。 すると、幹事長は間の抜けた声で「あ、そうですか、じゃあ言いますよ、メモいいですか、電話番号はXXX-XXX-XXXXです。」と教えてくれた。ちなみに幹事長は、昨日会場の下見に行ったという。 我輩は電話を切り、しばらく考えた。 「うーん、相手は無策だな・・・。今回は双方のメンツがぶつかるということは無さそうだが、このままだと振り回されることは必至。ならば、撮影に関しては我輩が主導権をもって取り仕切ろう。」 もちろん、幹事は幹事長だけでなく他の幹事もいることから、これによって何らかの衝突は避けられまい。しかし、我輩は幹事のいいように利用されるだけでは終わらぬ。徹底的にこだわった撮影結果を通して、なぜ我輩がここまで独断を貫くのかという理由を最後に突き付けたい。 我輩の腹は決まった。 早速、会場担当者に連絡を入れ、夕方に会場下見をさせてもらうよう都合をつけてもらった。 歩いて行くと往復1時間かかるため、営業車で行くことにする。せっかくだからと、幹事の中で近くにいる2人にクルマに同乗するか訊いてみた。今後対立することになるかも知れない相手に、我輩の努力を事前に見せておこうという魂胆である。 結果的に、時間の都合が付いた1人が同乗することになった。 現地に行く途中、車内で今回の撮影について少し話をしたのだが、どうやら彼も幹事長のやりかたに疑問を持っているようだった。ならば、幹事たちとの対立を避け、幹事長だけを敵とすれば良い。 もちろん、無策の幹事長は、敵とみなされていることには最後まで気付くまいが。 さて、現場は予想外に天井が高かった。目測で6メートルはある。しかも色がベージュであるから、小出力のストロボではバウンス撮影に無理がある。 色に関してはデジタルカメラのホワイトバランスを補正しておけば何とかなるが、天井高さと色はバウンス光量を大幅に低下させる要因となろう。 <会場> <<画像ファイルあり>> 一方、撮影距離については、会場担当者との折衝の結果、会場前方に6〜7メートルくらいの撮影スペースを確保することで折り合いがついた。 脚立の持ち込み・使用もOK。コンセントの位置も確認を行った。 今回の会場下見により、我輩は下図のような撮影計画のメモを作成した。 <撮影計画のメモ> <<画像ファイルあり>> バウンス用に使うストロボ光源は、職場にある出力400W/Sモノブロックストロボ(参考:雑文606「部下が配置された」)1本だけでは足りないと判断し、我輩の個人所有のストロボを加えて2灯とすることにした。 レンズは、引き(ワーキングディスタンス)と画角の条件、そして画面周辺部の描写性能を考えると、先日購入した資料収集用途の超高性能レンズ「AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED」(参考:雑文648「資料収集用途のレンズ」)を投入するしかあるまい。人数から計算すると、1人の幅が200ピクセルしかないため、レンズの性能で画質を稼ぎたい。 いずれにせよ脚立も運ばねばならぬため、やはりクルマに機材を乗せて搬入するしか方法が無い。そうなると、我輩はアルコールを飲めないことになるか。 まあいい、そもそもクルマでなければ時間に間に合わないのだ。それに、元々我輩は酒を飲むほうではないから、"食い"に専念しようと思う。 我輩は幹事たちにこのイラストをメールで送付し、メール本文には、「イラストの通りに1列目をしゃがませ、2〜3列目を中腰、4列目は直立となるよう職員たちの整列を行って欲しい」と書き添えた。 すると、しばらくすると幹事長から「分かりました」というメールが届いたが、内容を本当に理解してもらえたのかは不明。 <撮影当日> 職員総会当日、我輩は通勤カバンに「Nikon D200」、「AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED」、「モノブロックストロボ」、「予備バッテリー」を詰め込んで出社した。結構な重量ではあったが、我輩にとっては片手で持てない重さではない。 職場では、持参機材に加えて「脚立」、「ライトスタンド」、「モノブロックストロボ」、「延長電源コード」、「ガムテープ」を用意する。 それにしても、やはりこの日は落ち着かなかった。 会場の下見をしたとはいえ、実際にバウンス撮影を試したわけではない。光量が足りるか、ホワイトバランスはうまく補正出来るか不安である。 自分の思い通りを貫いて、そして結果が悪ければ最悪である。 夕方になって、常務と前社長がやってきた。どうやら総会に出席するらしい。失敗したら我輩のメンツどころの話じゃないな。 それにしても、これまで総会ではいつもカメラマンをしており、自分が写真に写ったことなど1度も無い。しかも幹事でもないのにクルマを運転して1人で機材を搬入・搬出し、アルコールも飲まないのに金だけは他の者と同様に払っている。 そう考えると次第にハラが立ってきて、撮影結果の心配事などが吹き飛んでしまい、「今日の撮影は徹底的に自分の思い通りにしてやるわ」と意気込んだ。適当に撮ればいいなどと言われたとしても、我輩は自分のこだわりを貫く。それが我輩の美学である。それがイヤならば、そもそも我輩に撮影を頼んだりするな。 定時後、営業車に機材を積み込み、ついでに営業の同僚3人乗せて現場に向かった。 途中、駅前通りで帰宅渋滞にハマってしまい余計な時間を浪費し、到着したのは撮影10分前だった。会場には既に多くの職員が入っており、我輩は皆の見守る中、脚立やライトスタンドのセッティングを始めた。撮影計画は事前に決めているため、試行錯誤も無くテキパキと準備は進んだ。 今回は1本のスタンドに2台のモノブロックストロボを乗せていることから、スタンドを目一杯に伸ばすと不安定になったため少し下げねばならなかった。あまりストロボの高さを下げると、被写体側にダイレクト光が漏れ当たる恐れがある。試写したところ、やはり微妙にダイレクト光が当たるようなので、若干後ろにストロボの角度を変えて対処した。 天井はベージュ色のため、ホワイトバランスをマニュアル補正した。これを忘れると悲惨な結果となる。 もっとも我輩は、同じくベージュ色の天井を持つ自家用車の内装写真をバウンスでよく撮っているため、そういう作業は慣れてはいる。 セッティングを1人で黙々とやっていたせいで汗が出てきた。上着を脱いで脚立の上に放り投げ汗を拭く。どうせ自分は写らないから格好はどうでも良い。 ふと職員たちを見た。 「・・・ん?」 皆ではないが、オシャレ着姿の職員が多くいる。普段は作業着姿の女性も、今日は見違えるようだ。 「んー、もしかしたら、集合写真に気合いを入れる意味も少しはあるのかも分からんなぁ・・・。」 まあ、とにかくセッティングを完了し、幹事に職員の整列を"命じた"。 事前に撮影計画のメモを見せているのだからと安心していたのだが、なぜか幹事を含めた職員たちが前列にイスを並べ始めたではないか。予定外のことだったため不覚にもたじろいだが、幹事のうちの1人の女性が「イスを並べる範囲を決めるので、どこまで画面に入るか教えて下さい。」と言った。言葉は丁寧だったが、口調がさも「早く教えてくれないとイスが並べられない」と責めるようだった。 我輩はその言葉に一瞬で我に返った。 「なに勝手なことをしよるんじゃ、撮影の主導権はこっちにあるんやぞ!肝心なところで手伝わんくせにヘンなところで口出しせんと我輩の指示どおりにしろや!(心の中の声)」 イスは場所を確定してしまうため微調整が利かないことを恐れたという理由もあるが、それよりも、またしても我輩の意向を無視して勝手に進めることに対して憤慨したのである。 「イス撤収〜。」 有無を言わさずイスを下げさせた。 「え〜せっかく並べたのにぃ。」という声があがったので、「誰がイスを使えと言い出したんだ?」と先ほどの女性幹事に問うたところ、Wさんだと答えた。 Wさんとは、雑文598「双方のメンツ」で登場した職人のオヤジさんである。 Wさんのほうを見ると、「なんだよ、最前列にイスを使えばいいじゃねーか。」とブツブツ言ってる。うーむ、Wさんの意見だったか・・・。 Wさん、すまん。しかしここは我輩が仕切っとるんだから我輩の許可の無いことを許すわけにはいかんのだ。 しかし今回は歓送迎会を兼ねているため、主役4人分のイスを使うことを幹事から提案された。 「4脚だけならば、まあ許すか・・・。」 我輩はその提案を"許可"した。 我輩は脚立の上に登り、フレームに全員が入るよう声を上げて指示した。 群衆に呼びかけても反応が鈍いため、具体的に名前を呼んだほうが早い。 そして試し撮りを1枚。 「Nikon D200」の液晶画面に撮影画像が映る。 「これはなかなかいい・・・。」 今回は天井が高いせいで、光が十分に回って非常に自然な具合に照明されている。 本番では、「JPEG+RAW」にて撮影した。 <今年の職員総会集合写真(64名)> <<画像ファイルあり>> 集合写真の撮影が終了し、すぐに機材の撤収を始めた。しかし総会が始まってしまい、我輩は会場の真ん中で機材を片付けるハメになってしまった。 しかし所長や副所長のお話などがあると、片付けの手を休めて撮影をしなければならない。スナップ写真も我輩の仕事となっている。集合写真が終わっても、撮影はまだまだ続くのだ。 <副所長の背後に回り込んで撮影> <<画像ファイルあり>> 総会が終わって乾杯となり、歓談が始まる。 我輩は立食形式の各テーブルを回り、スナップを撮っていく。 スナップは近付いて撮れるため解像度的に余裕がある。多少のノイズが出るが感度を800まで上げ、絞りを開け、ガイドナンバー32のクリップオンストロボでバウンス撮影をした。 <各テーブルでの撮影> <<画像ファイルあり>> また、自然な表情を撮影するため、話に加わりながらノーファインダーでシャッターを切ることも多い。これは、撮影結果を見ながらアングルを修正出来るデジタルカメラの得意分野であろう。 <ノーファインダー撮影> <<画像ファイルあり>> 同じくノーファインダー撮影として、全体の雰囲気が分かるように撮るには、カメラを腕いっぱいに上げて撮影することも有効である。見晴らしの良い映像がなかなか新鮮。 <腕いっぱいに上げてノーファインダー撮影> <<画像ファイルあり>> 結局、総撮影枚数は150枚にも上った。 ここまで撮るとストロボのチャージが長くなり、しかもメモリ容量も足らなくなる。 「ん? それにしても150枚でメモリが足らないというのもヘンだな・・・。」 よく見ると、カメラの設定が「JPEG+RAW」のままだったことに気付いた。ちょっとした失敗だが、今回はちょうど良い容量だったのでまあ良かろう。 会が終わり、機材を撤収してクルマに積み込んだところ、なぜか副所長一行が勝手に乗り込み、「駅まで行け」との指示。「はぁ?」と思ったが泥酔上司に何を言ってもムダかと思いクルマを出したが、途中、歩いて帰る所長に出くわし、副所長が「まずい、クルマで帰るところを所長に見付かっちまう!気付かれる前に逃げろ!」と騒ぎ出した。我輩は「ライト点灯してるクルマの車内が見えるわけねえだろうが、アホか」と聞こえないようにつぶやき、車内の騒ぎに惑わされず予定通りのコースを安全運転で走行した。 酔っ払いを降ろした後に社に戻り、その日の走行距離を記録簿に記入した後、駅まで歩いて帰った。 電車に乗って、ようやくホッとした。明日から3連休か・・・。 <連休明け> 連休明けの月曜日、通常通りに出社した。 早速、HTMLでサムネイル表示から写真が拡大するようにしたデータをサーバにアップロードし、全職員宛に案内メールを出した。 すると、2人ほど「撮影ご苦労様でした」という内容のメールが来たものの、それ以外は特に反応は無し。 幹事長からは少し遅れてメールが届いた。 「我輩さん 木曜日は有難うございました。 今後ともよろしくお願いします。」 たった3行だが、簡潔な文章に込められた想い。きっと行間の空き具合がそれを表わしているに違いない。 そうでも考えねば、苦労が報われない。 まあ、次は我輩自身が幹事となり、撮影からは解放されようかとも考えているが。 ところで、クルマに積んだ撮影機材がそのままだった。 降ろそうと思い、クルマのドアを開けようとしたがなぜか開かない。リモコンロックが反応しないのだ。 恐らくリモコンの電池でも切れたか。 仕方無いので鍵穴からロックを外して乗り込み、エンジンをかけてみたのだが、全く反応が無くクルマが完全に沈黙している。 「もしや・・・バッテリーか・・・?」 考えてみると、撮影後にクルマで帰ってきて走行距離を書くためにルームランプを点灯させたのだが、消灯した記憶が無い。 「3連休ずっと点きっぱなしなら、さすがにどんなバッテリーでも保たんわなぁ・・・。」 あいにくジャンパーケーブルが我輩の職場には無く、少し離れた事務所にあるそうなので人づてに借りてもらい、何とかエンジン始動に成功した。 最後にこんな仕事が残っていたとは思わなかったが、これでようやく我輩の撮影が終わったことになる。 <最後の仕事> <<画像ファイルあり>> ジャンパーケーブルを返してもらう時、誰に借りたか聞いてみたところ、どういう因縁か、あの幹事長だというではないか。 最後の最後に助けてもらうことになるとはな・・・。 ---------------------------------------------------- [658] 2009年04月01日(水)「次期デジタル一眼レフカメラ購入の件」 結論から先に言うと、このたび「Canon EOS-5D Mark2」のレンズキットを購入した。 予備バッテリーと送料を合わせると、価格は約32万円。 ここで2つの疑問が上がるだろう。 「金はどうした?」 「Nikonと決めたはずなのに、なぜにCanonなのか?」 金策については、やはり「Nikon F3H」の売却しか方法が無かった。 半年前にカメラ店「チャンプ」でメール査定してもらったところ40万円の提示が出たが、その後しばらくして電話で買取り価格を再度聞いたところ「F3H」の買取りはやっておらず、それからしばらく経ってから念のために先日もう一度メール査定してもらうと、なんと26万円と大幅に下がっていた。 ここまで下がってしまうと、もう売ろうにも売れない。仮にこの値段で売ったとしても、我輩自身が買い戻してしまうほどの安値であるからだ。 ダメ元で40万円にてネットオークションに出してみたが、やはりこの値段では落札されず、35万円に下げたところで売れた。落札手数料が2万円弱請求されるため、実質的には33万円ということになる。 ようやく手にした33万円であるが、その時点でもまだ、「Nikon D700」にすべきか「Canon EOS-5D Mark2(レンズキット)」にすべきかを悩んでいた。実はオークションの値付けは、どちらを選んでも買える最低限の値段としたのである。 メーカーとしてNikonを選ぶメリットは、現在使用中の「D200」とバッテリーを共通に使えるということと、先日購入した高性能レンズ「AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED」が使えるということである。 長年フルサイズを切望していた我輩にとって、「D700」は非常に悩ましい存在。現金を手にしている今、買おうと思えばすぐに買える。 しかし、「Canon EOS-5D Mark2」のハイビジョン撮影機能の価値は非常に大きい。我輩のNikon機購入を足止めする力を持つほど。 それに、博物館撮影と集合写真撮影で感じた1,000万画素の限界。この機会に2,000万画素へアップ出来るならば利用用途が確実に広がる。 我輩としては、高性能レンズ「AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED」をフルサイズで活用するには「D700」しか選べないわけだが、とりあえずそれは諦めて「D200」で使い続けることとし、「5D Mark2」はレンズキットで購入しようかと思う。 もし「AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED」をフルサイズで使いたいのであれば、マウントアダプターを介すことにより、MF限定と絞り開放あるいは最小絞りのみという条件付きで「5D Mark2」に使えないこともない。 どうせNikonの新製品を待つにせよ、発表から発売、そして値が安定して中古も出てくるようになるには、最低でも1年待たねばならぬことは明らか。しかもそれが我輩の要求仕様を満たすとは限らぬ。 ならばここで「5D Mark2」を買い、今すぐにでも「フルサイズ」・「ハイビジョン」・「2,000万画素」という3つの力を得て、Nikonとの我慢くらべに勝利したいと思う。Nikonをまた選ぶとしても、2〜3年後に「5D Mark2」を現金化してNikonの中古を手に入れるくらいで十分だろう。 ただそれにしても、「5D Mark2レンズキット」は「価格ドットコム」に登録された中の最安値でも32万円近くはする。 安いレンズと組み合わせればと考えたりもするが、せっかくの2,000万画素を活かせなくては本末転倒。 結局、現金を手にしてから丸一日悩んだ挙句、「5D Mark2レンズキット」の注文ボタンを押した。 2日後、注文した「5D Mark2レンズキット」が届いた。 レンズキットのため、24-105mmレンズが付属している。さすがにフルサイズだけあってカメラの図体がデカイ。もちろん、フルサイズでも35mmフィルムカメラではそれほど大きくないことから、図体のデカさはデジタルカメラ固有の性質であろうと思われる。恐らく、大人の事情で小型化は不可能なのだろう。 <EOS 5D Mark2レンズキット> <<画像ファイルあり>> それにしてもこれだけデカイと中判カメラとの併用は難しく、小型軽量の「Nikon D200」は手放すことは出来まい。もっとも、今さら「D200」を売ろうにも2〜3万円程度の価値しか無いのだ。 早速、ハイビジョン撮影を試みた。 カメラ背面の液晶画面が緻密で、カメラ上で再生してもそのクオリティが伝わってくる。これはまさに映画のよう。 これまで雑文480「ビデオカメラ」でも書いたように、我輩はビデオ撮影に関して幾つかのカメラを使ってきているが、いくらカメラの性能が向上したとしても、撮像素子の大きさが変わらなければ画は変わらぬ。常にパンフォーカスで撮るビデオは、シーンによっては主体が特定出来ず、観る者の視線を迷わせる。それをフォーカスによって主体だけを浮かび上がらせるという手法が使えるならば、可能性は飛躍的に高まる。 そもそもこのカメラが吐き出す画はノイズが少なく、カメラを固定して撮ると静止画のようなクオリティの動画が撮れるのが素晴らしい。静止画なのか、動画なのか、パッと見ただけで区別出来ないのである。 そんな動画の中で、ふいに動きがあると、その時のショックはかなりのものがある。 まさに「パラダイムシフト」と言っても良い。 このカメラがもっと早く手に入っておれば、豚児のお遊戯会で使いたかったが・・・。 さて、このカメラのオマケ機能である静止画像の撮影も試してみた。 最近のビデオカメラは静止画も撮れるものが多いが、このカメラでは2,000万画素の静止画が得られる。 レンズキットの24-105mmで撮影してみたが、手ブレ補正機能が有効に働いたおかげで、ストロボが無くともそこそこ鮮明に室内が撮れた。しかし内蔵ストロボが無いため、メモ用途としては真正面から強制的にライトを当てて情報をもぎ取るという使い方は出来ないのが残念。外付けストロボはメモ用途には相応しくない。 2,000万画素の情報量としては、期待したほどでも無かったというのが正直なところ。メモ用途ならば、4,000万画素は必要だったかも知れない。 しかしまあ、現状ではこれが最適解であることは間違いない。 早速、近いうちに博物館で試してみようと思う。 また、気になるNikon製ナノクリスタルレンズ「AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED」の利用だが、マウントアダプタにより、MFながらも使用出来た。 さすがにフルサイズで14mmの画角となるとその迫力も違う。 <AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G EDでの撮影(14mm側)> <<画像ファイルあり>> 現時点では、このカメラを使い始めてまだ数時間しか使っておらず、試し撮りも夜間の室内に限定されたものだが、明日はクルマ関係のミニオフ会のために休暇を取っており、早速屋外にて動画と静止画の撮影を試してみたいと思う。 ---------------------------------------------------- [659] 2009年04月16日(木)「Canon EOS 5D Mark2を使い始める」 先日購入した「Canon EOS 5D Mark2」のレンズキットについて、「クルマ関係のミニオフ会」、「博物館見学」、「豚児入学式」というイベントで使ってみた。 このカメラの位置付けとしては、「ミニオフ会」と「博物館見学」では単独メイン機材、「豚児入学式」では中判カメラの補間撮影用とした。 特に入学式では、ハイビジョンビデオ撮影機材としてこのカメラを使った。 -------------------- <ミニオフ会> ●撮影条件 去年のJAF運転講習会で知り合ったM氏と、箱根のTOYOターンパイクにて撮影ドライブを行った。お互いに濃色ボディ車のため逆光はタブー。特に我輩のクルマは順光でないと色がほとんど出ない。富士山をバックに撮影することを考えると、順光となる時間帯として午前中で設定した。 撮影は8時スタートし、10時までは曇り、その後は快晴。12時前に終了した。 撮影に使用したレンズは、レンズキット付属の「EF24-105mm F4L IS USM」と、古い「EF100-300mm F4.5-5.6 USM」。 濃色ボディのクルマは撮影条件によってコントラストがかなり変化するため、後処理の可能性を考えてデータ記録はJPEG形式+RAW形式とした。 撮影感度は、これまでの慣習からISO400とした。 気になる動画撮影に関しては、ここでは試す機会が無かった。 ●撮影結果 カメラの背面液晶画面で見ると、撮影1枚目から露出オーバー気味に見える。一応、白飛び警告は無かったのだが、画としては明るく濃度が薄い。液晶表示だけの問題かどうかという判断に迷ったが、念のためにマイナス補正で撮影した。結果的にその判断は正しかったと思う。コントラストが高いせいで、シャドーは暗く潰れそうになっているが、ハイライトも白飛びギリギリであった。 「EF24-105mm F4L IS USM」では、画面中心部の解像感は素晴らしい。これは光学的な解像力もあろうが、手ブレ防止機能の恩恵もあることは明らか。「EF100-300mm F4.5-5.6 USM」のほうでは、手ブレ防止機能が無いために微少なブレが認められた。 ただし「EF24-105mm F4L IS USM」の周辺部のハイライトのエッジには色ズレ(色収差)がかなり目に付く。画素数が多いため目立つのだろうか。一応、RAWデータならば色ズレの補正機能があるが、1枚1枚をちまちまとRAWデータを加工するのは膨大な時間がかかる。もちろん、色ズレだけに限定して一括処理すれば良い話なのだが、逆に言うと、それだけのために容量の大きいRAWデータで撮るメリットが感じられない。 <周辺部ハイライトの色ズレ> <<画像ファイルあり>> 一方、JPEG画像のほうは、コントラストの高さを和らげようとトーンカーブを調整してみたが、諧調も滑らかで特に破綻無く自然な仕上りとなった。これまで「Nikon D200」ではクルマの撮影はRAWデータからDライティング処理をかけていたのだが、今回の結果を見るとJPEG記録だけでも良さそうに思う。 しかも、RAWデータから色々と調整して吐き出した画像は、後で見ると色がおかしい。時間をかけて色の調整をしていると目が慣れて気付かないせいだろう。それならば撮影時にホワイトバランスに気をつけてJPEG画像を得たほうが良いと判断した。 ちなみに、オートホワイトバランスでも良好な結果となったため、物撮り以外ではオートホワイトバランスを利用することとしたい。 いつもであれば、大量の撮影をしようとも、使いたい画像だけをレタッチしており、無制限に時間を浪費することを防ぐようにしていた。 しかし今回の撮影では、我輩だけでなくドライブに同行したM氏のクルマを撮影しており(M氏はカメラを持っていない)、少なくともM氏のクルマの写真については早急に全カットレタッチし画像データを渡す必要があった。 もし全カットRAWデータを処理していればとんでもないレタッチ時間が必要であったろう。それはもはや、貴重な人生のうちの無駄な時間浪費でしかない。 -------------------- <博物館見学> ●撮影条件 神奈川県の「生命の星地球博物館」及び千葉県の「歴史民族博物館(れきはく)」で撮影してみた。 ちなみに、後者は以前「Nikon D200」でも撮影しているため、同じ被写体をカメラを替えて撮り比べることが出来ると考えた。 また、ストロボが使えない室内撮影のため、手ブレ補正を期待して「EF24-105mm F4L IS USM」のみを用いた。 感度はオート、絞りはF5.6での絞り優先モードにて撮影した。 ●撮影結果 これまでの1,000万画素クラスのカメラでは、展示物全体の撮影の他、細かい字で記述された説明文などは別撮りしていた。 ところが今回の2,000万画素では、展示物全体を1枚撮れば、その写真から細かい説明文も読み取れることが出来た。 下記写真は、同じ展示物を「Nikon D200」と「Canon EOS 5D Mark2」で撮り比べたものだが、どちらが有用であるかということは言わずとも明らかである。 <Canon EOS 5D Mark2> <<画像ファイルあり>> <Nikon D200> <<画像ファイルあり>> もちろん、2,000万画素で全てが解決するわけではない。 手ブレ補正能力を上回るブレ(つまり低シャッタースピード)があったり、展示物の奥行きのために被写界深度からハミ出たり、そもそも2,000万画素の分解能を越える展示物については、別撮りを余儀なくされる。 それ以外にも、このカメラは露出過多となり易いように感じた。そのため、マイナス1/3〜2/3にて露出補正を常用した。暗い中でライトアップされた展示というシチュエーションが苦手なのかとも思ったが、屋外に停めたクルマの写真を撮った際にも同様にオーバーとなってハイライトが飛んだ。 また、今回使った「EF24-105mm F4L IS USM」では樽型の収差が大きいためパネル展示の撮影では額縁の膨らみが気になる。四隅を合わせるだけの単純な補正では歪みが残る。 <パネル展示の額縁が膨らむ> <<画像ファイルあり>> さらに言うと、毛足の長い厚手のシャツなどを着てカメラを肩から提げていると、モードダイヤルが摺れていつの間にかモードが替わっていることが多発した。我輩の場合、ユーザー設定モードで「C1」は高画質、「C2」は低画質として使い分けているのだが、もし知らぬままモードダイヤルが動いてしまうと、高画質で撮ったつもりが低画質で撮ってしまったというケースがあり得るため注意が必要。 しかしそれにしても、今回の予想以上の効果に驚かされたことは間違いない。もし今後「4,000万画素のカメラ」、「高性能レンズ」、「強力な手ブレ補正」という組み合わせが使える時代になれば、撮影枚数が大幅に減り、資料収集の手間もかなり軽減されるものと期待する。 -------------------- <豚児入学式> ●撮影条件 豚児関係のイベントでは、基本的に66判写真を制式としている。 しかしながら、入学式の行事そのものは体育館、つまり広い屋内で行われ、ストロボを使おうともクリップオン程度のものでは用を為さぬし、望遠で撮ろうにも遠過ぎる。 そこで役割を明確にするため、66判は校門近くで撮る記念撮影や教室内でのブリーフィングの場面に限定して使うことにする。 そういうわけで、体育館での入学式については、フィルムではなくデジタルカメラでの撮影に集中したい。 ただし豚児イベントの撮影順位付けとしては、「66判>ビデオ>デジタル写真」となる。66判とデジタル写真はどちらもスチル写真だが、ビデオはムービー映像という大きな特長があるから順位付けを低くすることは出来ぬ。 ところが今回使う「EOS 5D Mark2」では、ビデオ撮影中でもスチル撮影が可能なため、ビデオ撮影をメインとしつつもデジタル写真も積極的に行いたい。 ところで音声は、一応は「5D Mark2」本体に内蔵マイクがあるためモノラルでの録音は可能である。しかし手元にステレオマイクがあるので使ってみようかと思う。ただしカメラに固定するには一工夫必要で、ストロボシューの角度を自由に変えられるアクセサリを使って自作してみた。 異様な外見ではあるものの、これが最善かと思う。 <外付けステレオマイクを装着> <<画像ファイルあり>> また、手元のメモリカード(コンパクトフラッシュ)の最大容量は4GB。これでハイビジョン撮影はさすがに容量が足らぬだろうと思い、前日に16GBのカードを買い足した。200倍速のもので4,400円ほど。300倍速のものでは値段が高く手が出ない。 体育館でのイスの並びは当然ながら保護者席が一番後ろになる。着席した状態では体育館の壇上しか見えない。席が決まっているならば仕方無い・・・と思ったところ、左右の壁際に立ってビデオカメラを持っている保護者たちがいるのに気付いた。中には三脚を立てている者もいる。 そこで我輩も、その列に加わる形で壁際に立った。前方に席のある新入生は後姿となるものの、全く姿が見えないという状態よりは良い。また、体育館全体が見渡せるようになった。 ●撮影結果 「5D Mark2」はよく使う設定の組み合わせをC1〜C3に登録することが出来るため、我輩はビデオ撮影用の設定をC3に登録しておいた。その設定でライブビュー状態にして「SET」ボタンを押せば録画が始まる。 今回の撮影では「EF24-105mm F4L IS USM」で撮るには少々距離が離れていたが、ハイビジョン撮影であるから少しは救われよう。 それにしても問題はピント合わせである。 動画撮影中にピント位置を変えようとすると、AFボタンでAFが働くものの、撮影中にピントが行ったり来たりを繰り返すため、AFを利用するならその部分は編集してカットせねば見苦しい。 今回は音声の連続性を考えて、問答無用のカットが強いられるAF動作はさせず、MFにて対処した。液晶画面でのピント合わせは苦労したが、後で取扱説明書を読み返したところ、画面を拡大してピント合わせ出来るようだった。今後はこの方法を試したい。 さて、シーンごとに細切れ撮影しているとはいえ、長時間撮影しているとカメラの温度が上がってくるのを感じた。さすがにフルサイズの撮像素子が発熱しているのだろうか。それでも、約3時間のイベントによく耐えてくれた。 結果的に16GBのメモリカードを使い果たし、4GBのカードを半分まで使ったわけだが、バッテリーも1個だけで十分間に合った。 撮影した動画をカメラの液晶画面で再生した限りでは画質はごく普通だが、パソコンで改めて再生したところ、処理速度の限界でコマ落ち再生してしまうものの画質自体はかなりのもので、全体の様子を映しながらも一部分もよく見える。だから肉眼で見ているような感覚があり、そういう意味で非常にリアルだった。 もはや普通のビデオカメラには戻れない。 しかも今回使った外付けステレオマイクの効果は劇的で、ステレオの効果はもちろん、カメラ内部の音を拾わずにクリアな音が記録されていることで、非常に臨場感がある。ハイビジョンビデオ撮影を主体とするならば、外付けステレオマイクは絶対に使ったほうが良い。 ちなみに、動画撮影中にシャッターを切ったものについては、動画記録が1〜2秒ほど中断する。だから、ある瞬間の映像はスチルあるいは動画のどちらかしか選べないわけで、決定的瞬間は事前にどちらで撮るのかということを決めておく必要があろう。 ●カット編集&ブルーレイディスク化 DVDを実家で観てもらう時には単純にDVDプレーヤーを実家に贈って(送って)テレビに接続してもらえば済んだのだが、ハイビジョンであるブルーレイビデオの場合は、高価なブルーレイプレーヤーと共にハイビジョン対応テレビへの買い替えも必要となる。今の段階では10万円を越える出費となり現実的ではない。我が家のリビングのテレビでさえブルーレイビデオが観られない状況で、実家のブルーレイ環境を整えることは不可能である。 そういうわけで、ハイビジョンの高画質な元データは蓄積しつつ、当面はスタンダード画質に変換したものをDVDビデオ化するしかない。 さて、これまで我輩は、ビデオの編集は「Ulead VideoStudio 11」というソフトを使っていた。 今回はハイビジョンのデータ(H.264のMOV形式)であるが、この「VideoStudio」はハイビジョンデータの編集にも対応しているとのことで、特に問題無く編集が行えるだろうと思った。 ところがカット編集したまでは良いが、その編集結果を書き出すには「AVCHD形式」あるいは「MPEG2-HD形式」を選ぶしか無い。両方試してみたが、データ量は劇的に小さくなるものの、やはり再圧縮すると画質低下が避けられない。どちらもクオリティが低下しているのがあからさまに分かる。 元が高画質なだけに、ちょっとでもクオリティが下がるとすぐに判るのだ。 かと言ってカット編集しないまま残しておくにはあまりにデータ量が大き過ぎる。だから、再圧縮せずに余計なカットだけを取り除ことが出来るのが理想。 調べてみると、カメラ付属ソフトの「ZoomBrowser EX」では再圧縮せずに書き出せるということが分かったが、カット編集とは言えないレベルのことしか出来ないらしい。 しかも、MOV形式の動画を撮影した際に同時生成されるTHM形式の小さなデータが無いと動画が認識されないとのこと。我輩はこのTHMファイルが何のためにあるのか分からず削除していたため、どちらにせよ今回撮影した分については「ZoomBrowser EX」が使えない。 結局、アップルコンピュータの「QuickTime Pro(3,400円)」というソフトを使うことで、カット編集と再圧縮無しの書き出しが可能となった。 これにより、カット編集した高画質な元データ(MOV形式)と、それを基にして変換したDVDビデオ用スタンダード画質のデータ(MPEG2形式)を得ることが出来た。ただし、DVD用データのほうはスタンダード画質ということを考慮しても画質が良くないのが残念。 やはり、ハイビジョンで撮影したビデオはハイビジョンで鑑賞せねばもったいない。 そんなことを思っていると、パイオニアの「BDP-120」というブルーレイディスクプレーヤーが3万円を切る価格で5月下旬に発売するというニュースを知った。これならば何とか買えるかも知れない。 とは言っても、ハイビジョン液晶テレビのほうはまだ高く、安くとも7万円はする。それが買えなければ、いくらプレーヤーが手に入ったとしても無意味。ハイビジョンの閲覧環境は、やはり未来の世界にしか無いようである。 ちなみに、先日購入したブルーレイディスクドライブ(参考:雑文649「画像ファイル管理」)に付属していたブルーレイビデオ作成ツールで試しに作ってみたところ、メニューレイアウトなどの自由度が低いものの、それなりの形にすることは出来た。 ブルーレイディスクドライブがが接続された我輩のメインパソコンでしか観られないが、高品位なビデオが意外にもコマ落ち無くスムーズに観ることが出来たのが嬉しい。 -------------------- 以上、「Canon EOS 5D Mark2」を使ってみた印象であったが、使いづらい点は少なからずあった。 しかし2,000万画素とフルハイビジョン撮影機能の持つアドバンテージは現在のところ唯一無二の存在で、このカメラにしか撮れない映像があるという事実は大きい。 今回はあくまでも問題点の洗い出しということを行ったつもりである。欠点があるからダメだということではない。 今後は、如何に欠点を回避し撮影結果に繋げるかということを考えていきたい。 ---------------------------------------------------- [660] 2009年05月03日(日)「ゴールデンウィークの計画」 今年は未曾有の不景気のためにゴールデンウィークが4月25日からのスタートとなり、5月10日までの16連休となってしまった。もちろん、その分だけ給料が減ることになる。 それにしても、ほぼ半月の休暇。 このような長期の休暇は滅多に無いため、どこかに旅に出てみたいと考えているところ。 いつものパターンとしては、「どこに何しに行こうか」と考えているだけで休みが終わってしまうことがよくある。しかし半月もあるのだから、さすがにそれは無かろう。 とにかく、いつもは出かける間際に色々と準備に追われて忘れ物をしがちであった。 だから今回は、最終的に行き先が決まらずどこにも行けなかったとしても、準備だけはしておこうかと思う。 我輩はいつもは往復3時間半、利用路線4本もの満員電車通勤のため、せめて休みの日には電車に乗りたくない。 というわけで、クルマでの旅とすることが大前提となる。 豚児はカレンダー通りの休みであるから、平日の行動は当然ながら我輩一人となる。少し寂しいがたまにはそれも良かろう。そういえば、一人旅は2年前の山陰行き以来。 どうせならば、こういう機会でなければ行けないような縁の薄い土地へ行こうかと考えた。 まず西日本方面については、九州は実家があるため毎年のように帰っており、九州のみならず途中下車で対応可能な山陽方面については除外すべきだろう。そうなると、今まで行ったことの無い四国くらいか。しかし四国方面には火山地形が無く、火山地形を好む我輩にはいまひとつ牽引力に欠ける。 そこで東北地方に目が移ったのだが、そのまま目線が北海道にまで移動した。 「どうせ長期休暇ならば、いっそ北海道に行ってみるか・・・?」 考えてみれば、北海道ほど我輩に縁の無い土地も無い。 単純な距離的な問題だけでなく、地理的にも海に隔てられている。しかも九州の実家方面とは対極の位置。 それでも親戚や友人でも住んでいれば訪ねてゆく機会もあるのだろうが、それすら無い。 だがそうは言っても、北海道は火山地形としては魅力的な土地である。 これまで、興味を引く火山の写真などを見た時に、それが北海道だと知ってガッカリすることは多かった。 もし今回、北海道に行くことになれば、その想いも晴れよう。思い切って「巡検ドライブ」に行ってみるか。 (※巡検=地学的な実地調査) 調べてみると、北海道へ行くにはフェリーを使うしか無いらしい。関門トンネルのように北海道もトンネルで行けるのかと思っていたが甘かった。北海道について、我輩がいかに無知であるかを再認識させられた。 代表的な出発港としては、大洗、仙台、新潟、秋田、青森、大間となる。一人旅のためなるべく安くなるよう2等室の利用を考えているが、片道はだいたい2万円くらいかかるようだ(5メートル以下の乗用車の場合)。 不思議なことに、いくら陸路を頑張って青森からフェリーに乗ったとしてもそれほど安くならない。例えば青森-函館間の4時間ほどの乗船でもやはり2万円となっている。 色々とフェリーの情報を見てみたが、関東からだと新潟発のフェリーならば、港までの距離と値段のバランスが良いように思える。土日の高速道路が1,000円となることを狙い、その間の平日4日間を北海道で過ごそうと考えた。 極力コストを抑えるため、食事はコンビニ弁当、風呂は銭湯とし、道の駅で車中泊とする計画。 元々、登山を直接のきっかけとしてクルマを運転するようになった我輩であるから、去年新車を買う時には車中泊を可能とするべくトランクスルーのオプションを追加しておいた。それが役立つ時が来たのだ。 そんな時ちょうど、自宅最寄駅まで家族をクルマで送ることがあった。そして駅から戻ったところ、家の鍵を持って出るのを忘れていたため、3時間ほど車中で待つハメになってしまった。 その時にトランクスルー状態で車中泊をシミュレーションするために3時間寝てみたわけだが、敷いていたマットが薄すぎて背中が痛くなった。トランクスルーも完全にはフラットになっていないということも原因があろう。 また、トランク貫通部の開口部が狭く、寝返りをうつ時に少し窮屈に感ずる。見ると、確かに開口部は強度を持たせるための頑丈なフレームで囲まれている。後部座席の衝突安全性を考えれば、狭くとも文句を言うべきではない。 <車中で3時間ほど寝てみた> <<画像ファイルあり>> 後日、厚いマットを敷いて寝てみたところ、完全にフラットな柔らかい寝床となった。あまりに快適で、うかつにも寝入ってしまいそうなほど。 なお、車中泊として実際に使う時には、遮光カーテンをテントのように吊して目隠しにする予定。 <マットとカーテンを装備した状態> <<画像ファイルあり>> 車中泊となれば、デジタルカメラバッテリー充電及びパソコン電源の確保が問題となる。ホテルに泊まるなら宿泊時に充電すれば済むが、今回はクルマだけが頼り。 そこで、自動車用直流12V電源を家庭用交流100Vに変換するDC/ACインバーターを購入。送料込みで3,500円だったが仕方無い。 ちなみに、今回の撮影機材としては、制式撮影用として66判は使うものの、66判を補間するサブカメラ及びメモ用途のメインカメラとして「Canon EOS 5D Mark2」を本格投入する。2,000万画素のデジタルカメラとフルハイビジョンカメラを兼ね備えた、旅の記録に相応しい存在である。 そうなると、1週間分の画像データを撮り貯めることが出来るかどうかが問題となる。手元にあるメモリカードをかき集めてみると、16GBを筆頭に8枚のカードがあった。合計容量は44GB。静止画だけならば事足るかも知れないが、ハイビジョン撮影すると不足するだろう。それを考えると、パソコンを使ってUSB接続のポータブルハードディスクにストレージさせねばなるまい。 一方、連絡用としてプリペイド携帯電話も購入した。経費削減のあおりで営業用携帯電話を取り上げられて以来携帯電話は持っていなかったが、ついに私用の携帯電話の導入である。こちらは車中泊でなくとも必要と考えた。 では、具体的な巡検ポイントについての検討だが、ノーマルタイヤの我輩のクルマでは雪道は避けねばならぬ。フェリーは小樽港へ着くため、少なくともそこから北方面へ行くのは避けておきたい。 そうなると、火山地形としてはまず有珠山が挙がる。そして隣の昭和新山、カルデラ湖の洞爺湖、2000年に噴火した西山火口を見て回ろうかと思う。 小樽港から行くならば、通り道にある羊蹄山周辺の湧き水もついでに見てみるの面白いだろう。 また、石狩油田跡というものもあるそうで、そこでは原油が今でも地中から染み出している場所があるという。日本国内でそのような場所があるというのも非常に興味深く、実際に見てみたいし、出来れば原油のサンプルを採取してみたい。 それから、登別には「地獄谷」と呼ばれる温泉噴出地帯があり、そしてその近くには倶多楽湖というほぼ円形のカルデラ湖があるため、この辺りもまとめて見ておこうと思う。 ところで北海道と言えば、「宇宙友好協会(CBA)」というUFO研究団体が1967年に平取町(びらとりちょう)に建設した記念塔「ハヨピラ」が思い付く。 我輩が初めてハヨピラを知ったのは小学生の時で、矢追純一著の「UFO目撃多発地帯」という本に載っていた。B級的な名所ながらも子供心に興味を刺激され、もし行けるのであれば行ってみたい場所の1つでもあった。 そこで、今回は良い機会であるから、このハヨピラへも行ってみることにしたい。 <建設当時のハヨピラ (某所より購入した写真)> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> 以上の見学ポイントについて、小樽港から始まる左回りのルートで「小樽」−「羊蹄山」−「洞爺湖」−「有珠山」−「ハヨピラ」−「石狩油田跡」というふうに順次巡ることを計画した。 ちなみに入浴及び宿泊地は、洞爺湖周辺、室蘭、千歳市を考えている。インターネットで多少の下調べをしてアタリをつけておいたが、感覚的な問題として車中泊し易い場所かどうかは実際に行ってみなければ分からないだろう。 <<画像ファイルあり>> 予定 4月26日(日) 新潟港発(新日本海フェリー) 〜フェリー泊〜 4月27日(月) 小樽港着 ・羊蹄山周辺 ・洞爺湖周辺・西山火口 〜車中泊1(洞爺湖周辺)〜 4月28日(火) ・有珠山(ケーブルカー利用) ・昭和新山 〜車中泊2(室蘭周辺)〜 4月29日(水) ・登別地獄谷 ・倶多楽湖 ・ハヨピラ 〜車中泊3(千歳市周辺)〜 4月30日(木) ・石狩油田跡 〜車中泊4(石狩市周辺)〜 5月01日(金) 小樽港発(新日本海フェリー) 〜フェリー泊〜 5月02日(土) 新潟港着 以上、一応は計画を立ててみたわけだが、我輩にとって未踏の土地である北海道、しかも初経験となる車中泊で4連泊するということについての不安は大きい。 車中泊をテーマとしたウェブサイトの中には、セダンで車中泊するのはせいぜい1泊が限度であるとする意見もある。我輩のクルマはトランクスルー仕様とはいえ、車中泊で4泊するのは果たして可能なことなのだろうか・・・? <このクルマで北海道4連泊出来るのか・・・?> <<画像ファイルあり>> とりあえずは、渋るヘナチョコ妻から少し多めに金を借り、もうどうにもならない時にはビジネスホテルに逃げ込めるようにしておきたい。 同じくらい離れた九州の場合であれば実家のサポートが期待出来るが、北海道ともなれば頼る人間は誰もいない。せめて持ち金だけは余裕をもたせていざという時のために備えておきたい。 ---------------------------------------------------- [661] 2009年05月04日(月)「北海道ドライブ(1日目)」 北海道へのドライブについては、我輩の一人旅のため、当然ながら家計からの出費は渋くなる。 しかし食費については、多少割高になるとはいえ、旅行に行こうが行くまいがどちらにしても出費は必要。我輩はその理屈をうまく交渉に利用し、フェリー代往復4万円のみを我輩が負担(家計からの借金)することでヘナチョコ妻と合意に至った。 ただしこの交渉は旅行予定日の直前まで続いたためフェリー予約もギリギリだったが、一般人よりも1週間早いゴールデンウィークのせいかどの船室も選べる状態で助かった。 フェリー会社は「新日本海フェリー」。新潟と小樽を結ぶ航路で、4月26日(日)の10時半出航の便に乗る予定。 当初、一番安い2等船室を考えていたが、雑魚寝ではプライバシーも無く気疲れも大きいと思い、1,500円高くなるが2等寝台を選んだ。これならベッドとカーテンがある。 さて出発前日の4月25日(土)、雨が降り出し風が出てきた。天気予報によれば、低気圧が西日本から移動中とのこと。 情報によれば、津軽海峡を渡るフェリーが悪天候のため欠航し、大洗発のフェリーも大幅な遅れが出る模様。ところが我輩が予約を入れた新日本海フェリーでは特にそれらしい情報が無い。ウェブサイトには「出航に遅れはありません」という言葉すら無く、大丈夫なのかそうでないのかが分からないのである。そうなると、こちらも予定通りに進める以外に無い。 さて、車中泊には通常、シュラフ(寝袋)が必要とされるようだが、我輩はシュラフを持っていないし、必要性を感じない。極寒の季節でもないのだから普通の布団でも良さそうだが? 今回、自宅で寝る状態をそのまま再現するため、普段使っている布団や毛布、そして枕などの寝具をそっくり車内へ持ち込んだ。そして、車中泊に問題点は無いかを洗い出すための最終確認として出発前の夜にその状態で寝てみたのだが、枕の固さや掛け布団の重さ、そして毛布のニオイなどがいつもと同じでリラックス出来た。 問題は何も無いはず。 <4月26日(日)> 4月26日(日)の早朝1時半頃、目覚まし時計が鳴って起きた。 外は相変わらず雨が降っている。クルマの窓ガラスには結露があったが、窓は多少開けていたため特に息苦しさは感じない。北海道では気温がどの程度まで下がるか分からないが、窓の開け方を調整して対応することになろう。 荷物を積み込んだところ、助手席とその足下、そして後部座席の足下にスペースがあるため、意外にも荷物が積めた。また、トランクスペース下のスペアタイヤ周りに空間があるので、頻繁に使わないものをそこに突っ込んでおいた。 今回、ザックやトレッキングシューズなどの登山装備も念のために積んであるが、それでも窮屈感はあまり無いのは自分でも驚いた。やはりセダン車中泊にはトランクスルーは必須オプションであろう。 2時頃に家を出発、途中でガソリンを満タン給油して高速道路に乗った。 カーナビゲーションによれば、到着予定時刻は6時半となっている。新潟港までは出航時間の1時間前まで、つまり9時半までに着けば良いのだから余裕はかなりある。 今回の旅では燃費は重要と考え、時速80kmをキープしてなるべくアクセルを一定にして走らせた。すると14.5km/Lと、このクルマにしてはなかなかの燃費を記録した。 <14.5km/Lの燃費> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/26 04:17 雨は止みそうに思うとまた激しく降り出したりして一定しない。風は比較的強く、フェリーがどうなるか少し不安になる。 夜が明け始めて景色が明るくなってくると、周りの山々に雲が立ちこめているのが見えてきた。 <赤城高原SAからの眺め> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/26 04:48 のんびり行くつもりで、小刻みにパーキングエリアで休憩を入れたのだが、同じ場所でも雨が降ったり止んだりを繰り返す。 空が明るくなってきたので少しピッチを上げたほうが良いかと思い、時速100km付近まで増速したが、意外にも燃費は悪化しなかった。安定してアクセルを踏んでさえいれば問題無いのだろう。 <雨が降ったり止んだり (谷川岳PAにて)> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/26 05:52 途中、激しい雨に見舞われて視界が悪くなる。天候があまり良くないことからフェリー航行に影響が出ないかが気になる。 遅れは覚悟しているが、まさか欠航になったりしないだろうな・・・。 <激しい雨に遭遇> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/26 06:25 8時過ぎに新潟港に到着。相変わらず天気が良くない。 フェリーは欠航にはなっていないようだったが、係員の話によれば、場合によっては遅れがでるかも知れないとのこと。まあ、どうせ早朝4時半に着くのだから少しくらい遅れたほうがちょうど良い時間となって良いとも言える。 <新潟港のフェリー乗り場に到着> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/26 08:10 9時40分頃にフェリー搭乗が始まり、クルマを停めた後、必要な荷物だけを持って階段を上がってカウンターで2等寝台の割り当てをしてもらう。 もし連れがいる場合には同じ一角で寝台の割り当てを、一人客の場合には他の一人客と隣り合わせになるようだ。 <フェリーに搭乗> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/26 09:49 我輩はとりあえず荷物をベッドに置き、唯一の貴重品であるデジタルカメラ「EOS 5D Mark2」を持って船内や港の風景などを撮って回ったりした。 空は晴れたかと思えばすぐに曇り、なかなか安定しない。天気予報によれば北海道では雪が降るという話だが・・・。しかし次の日の到着までには天気は回復する見通しとのこと。 フェリー出航は定刻通り10時半であった。低気圧の影響で船はそれなりに揺れるかと思ったが、船が大型のためかそれほどの揺れは感じない。強烈な揺れで船酔いが心配だったのだが、特に心配する必要は無かったようだ。 昼食はカフェテリア式のレストランで、650円の牛丼を食べた。一番安いメニューを選んだつもりだが、それでも安くはない。 もちろん、コンビニ弁当を持ち込んでいればもっと安く済んだろうが、2等寝台の乗客としては、せめて食事は食堂で暖かいものを食べたい。 <昼食は650円の牛丼> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/26 12:07 強風のため甲板上への立ち入りは禁止されていたが、窓から外を見ると白波が少し立っており、風の強さを感じさせた。 <海面は白波が少し立っている> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/26 17:42 夕食時、昼食と同じくカフェテリア式で、好きなものを取って最後に会計をするようになっている。 しかし夕食は品数が多く、会計すると1,120円もの高価な夕食になってしまった。「肉じゃが420円」は量的に多いから仕方無いとして、「サンマの甘露煮300円」は予想外の値段。しかしこれが特別に旨かったのだから、喜んでよいものか悲しんでよいものか・・・。 <夕食は予算オーバーの1,120円> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/26 18:03 食後はすぐに風呂に入り、次の日の到着も早いことからすぐに就寝した。早朝4時半に小樽港到着予定のため、乗客は3時半には起こされることになる。 ところが夜中近くに船体の揺れが激しくなって目が覚めた。左右に揺れるローリングではなく、前後にお辞儀するように揺れるピッチングが激しく、まるでエレベーターに乗って上下に動いているかのような気分であった。上がる時は良いが下がる時は頭がヒヤッとする。少し頭が重かったため、恐らくは軽い船酔いにもなっていたことだろう。 しかもそれだけでなく、その揺れに伴って船体の底のほうから「ドガガーン!」という何かがぶつかる音がする。揺れが1往復するたびに「ドガガーン!」と音が響く。「もしかしてクルマ同士がぶつかったりしてるわけじゃないだろうな・・・。」などと心配しながら、大きな揺れを我慢しながら寝るしか無かった。しかし、夢の中にまで揺れが襲ってきたのには参った。 あと数時間我慢すれば港に着く。それまでの辛抱・・・。 ---------------------------------------------------- [662] 2009年05月05日(火)「北海道ドライブ(2日目)」 <4月27日(月)> 早朝4時、フェリーの船内アナウンスが流れた。 「1時間後の午前5時、本船は定刻より30分遅れで小樽港に接岸致します。」 船の窓から外を見ると、雪に覆われた景色が薄暗い中で見えた。 「な、なんだこの冬景色は・・・?!」 我輩は自分の目を疑った。もしかして、北海道はまだ本格的な冬真っ最中とでも言うのだろうか。もしそうならば、火山地形の巡検はほぼアウトであろう。雪に覆われた地形の観察は不可能であるばかりでなく、ノーマルタイヤを履いた我輩のクルマでの雪道走行は危険を覚悟せねばならぬ。 せっかくはるばる北海道までやってきたというのに、何も目的を果たせず都市部の観光で終わることになるのか? <雪景色の小樽> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/27 04:35 何はともあれ、第一目的地である羊蹄山(ようていざん)周辺の湧き水のポイントまで移動しようと思う。実際に道を走り、積雪具合を確かめたい。 クルマでフェリーから降りて、北海道の道を走り始める。路面は濡れているが雪は無い。間欠ワイパーを動かす程度の雨が降っていた。 さすがに北海道だけあって、いきなり片側3車線の広い道路に出た。早朝のせいで他にクルマが少なく速度調節が難しい。聞くところによれば、北海道の平均速度は本土よりも速いらしい。まあ、クルマが増えてくればその流れに乗れば良かろう。 道路は車線が消えかかっている区間が多く、しかも路側帯がかなり広いせいもあり、レーンを維持するのに神経を遣う。気付くと路側帯にハミ出していたりするのだ。濡れた路面の微妙なタイヤ跡を見ながら、それをトレースするしかない。 しかしそのうち速いトラックが前を走ったためそれを先導とした。さすがに北海道だけあって高速道路並の速度になることもあった。 それにしても、どうも後ろを走るクルマが気になって仕方が無い。車間距離が短く、どうも煽られているような気になる。 対向車線側を見ると、2〜3台のクルマがキャラバンのようにまとまって走っていることが多い。これらも先頭車両が煽られているのか? 我輩はそういうのが気になる性格のため、なるべく先頭車両にならないように気を付けた。しかしそれでも後ろのクルマが詰めてくるのでイライラする。いつもは停止時以外の速度調整にはエンジンブレーキを多用しているのだが、これだけ車間距離が短いと少しばかり危険を感ずるため、ギアダウン時にはいつもよりエンジンを吹かし気味にした。 しばらく走っていると、後方2台目のクルマが右ウィンカーを出して対向車線にハミ出してきた。 「何だ?」と思っていると、右ウィンカーのまま対向車線をずーっと走っていくではないか。「右折が待ちきれないのか?」と思っていると、我々の横をゆっくりとすり抜け、はるか前方のほうで左ウィンカーに切り替わり車列に入った。我輩はその時ようやく理解した。 「これは・・・追い越しか。しかも5台ゴボウ抜きとは。」 <対向車線から5台ゴボウ抜き> <<画像ファイルあり>> [SONY製車載ビデオカメラ] 2009/04/27 05:43 我輩が九州にいた子供の頃は、追い越しは見たことがあったが、それでも1台追い越す程度である。今回のように対向車線をずーっと走り抜けて5台をゴボウ抜きする追い越しは初めて見た。 そもそも、我輩が運転するようになってから追い越しなど見たことが無い。 あまりの異質な風景に驚かされたが、同じように大型トラックでさえもこのような追い越しをしているのを見てさらに驚いた。何しろ、大型トラックが対向車線に出る時は急激なハンドル操作で車体が大きく揺れているし、しかも加速が悪いためか追い越し始めるまでしばらく併走しているような状況となる。そしてゆっくりと加速しながら前に出るのだ。 「すごいな・・・高速道路と間違えてないか・・・?」 さて、そうこうしているうちに峠にさしかかったのだが、そこでは道路にも雪が積もっており、轍(わだち)からズレないよう慎重に運転することを強いられた。周囲も完全なる雪景色。もしこの先、全面的に雪に覆われている区間があれば、我輩のクルマでは大変なことになる・・・。 <道路にも雪が・・・> <<画像ファイルあり>> [SONY製車載ビデオカメラ] 2009/04/27 05:58 一応、タイヤチェーンは積んであるものの、装着できる場所が無ければどうしようもない。 しかしそれ以上に雪が積もっている区間は無く、峠を越えると雪も見えなくなりホッと胸をなで下ろした。 6時半頃、まずは第一ポイントである「羊蹄山ふきだし公園」に到着。 駐車場には何台かクルマが停まっており、その中には明らかに車中泊しているようなバンやワンボックスカーもあった。ただ少し早い時間のためか、人の気配があまり無い。外も寒いため、少し仮眠してから活動を開始しようと思い、後部座席に移って目隠しカーテンを吊り、布団の中に潜って寝た。 9時頃、セットした目覚まし時計が鳴って目を覚ました。 見ると、向かい側に観光バスが何台か停まっており、ツアー客たちで賑わっていた。我輩もそろそろ活動を開始する。 <仮眠から目を覚ました> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/27 09:04 外に出るととても寒い。雪も所々に残っている。 見ると、中国語らしき言葉をしゃべる団体が50人ほどいたのだが、しばらく待っているとツアーの集合時間になったためか全員引き上げて行った。 <ふきだし公園> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/27 09:38 あっと言う間に1人になってしまったわけだが、ここで66判撮影と「EOS 5D Mark2」によるハイビジョン撮影を行った。特にハイビジョン撮影では外付けステレオマイクを使い、水の流れる透明感のある音の収録を狙った。 次は、羊蹄山を挟んで反対側の別の湧き水も見に行った。 こちらは観光地というよりも本当にただの取水用の場所という感じで、我輩も空いたペットボトルに水を汲んでおいた。 <羊蹄山の湧き水> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/27 10:32 それにしても、どうも車内に妙なニオイが充満している。何のニオイだ? 汗のニオイか・・・? 原因は分からないが、これから車中泊をすることになるのだから多少は気になる。 さて、その後しばらく羊蹄山の周りを行ったり来たりして撮影ポイントを探し、羊蹄山の写真などを撮ったりした。 こうして見ると、富士山によく似ている。 <羊蹄山> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/27 11:24 昼近くになり、コンビニエンスストアで買った弁当を道の駅「真狩フラワーセンター」の駐車場で食べて小休止。 ついでにクルマにもガソリンを給油しておいた。 午後はさらに南下し、洞爺湖へ到達。 今夜の宿泊地となる洞爺湖駐車場を確認した後、その近くにある「金比羅火口災害遺構物」を見学に行った。ここは2000年に有珠山の麓から噴火した金比羅火口からの熱泥流が襲った場所で、アパートなどが埋まったり橋が流されてきたりしたという。そしてその様子が今でもそのまま保存されているのである。 ここは散策路になっており、平日のせいか我輩の他には誰も見学者はいなかった。 <金比羅火口災害遺構物> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/27 13:54 次はその隣にある施設「洞爺湖ビジターセンター」とその中にある有料コーナー「火山科学館」へ行ってみた。 そこでは、有珠山の噴火予知に関するエピソードや、噴火被害の資料展示などがあり興味深い。今は平穏な山であるのに、ひとたび活動するとこのような状態になるのかと改めて驚いた。そして、そのような火山と本当に近い場所で日常生活を送っている住民たちがいるということにもまた驚かされる。 <洞爺湖ビジターセンター> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/27 15:23 さて今度は、このような被害をもたらした火口について興味があったため、クルマで道を少し登って金比羅火口を見ることにした。 料金所で1,000円を払ってかなり急な坂の未舗装道路を登り詰めると、金比羅火口が一望出来る展望台に行き着く。 そこには、まるで「蔵王のお釜」を思わせる火口湖が2つあった。しかしそのうち1つは半分が山肌の陰に隠れて見えないのが残念。 <金比羅火口> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/27 15:36 ここで中判撮影もしたのだが、レンズを換えようと車内の荷物を探った際、先ほどから感じていた車内の妙なニオイの原因が判明した。それは、前日のフェリーで風呂に入った際に使ったタオルだった。 どうやら、風呂に備え付けのボディシャンプーの香料がタオルに染み付き、ビニール袋に入った生乾きのタオルから妙なニオイが発散されていたのである。 そこで、少し風が強いことを利用してこの場でクルマのドアにタオルを引っ掛けて乾かしてみた。時間的には完全に乾かすことは出来なかったが、それでも少しはマシになったように思う。 金比羅火口の次は、そこから近い西山火口群と呼ばれる被災地域を見ることにした。 ここは先ほどの「金比羅火口災害遺構物」と同様に、噴火被害の状況をそのまま保存している地区で、建物の被害だけでなく、地面の隆起による道路が破壊された様子が見られる。 <西山火口噴火による被害> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/27 16:00-16:21 西山火口群見学を終えたのは17時過ぎ。そろそろ夕食と風呂、そして宿泊のことを考えねばならぬ。 宿泊地は洞爺湖駐車場を考えているが、参考として近隣の道の駅「あぷた」へ行ってみた。 ところがここは思っていたよりもこぢんまりとしており、通りに面していながら寂しい雰囲気。最初は4台ほどクルマが停まっていたが、間もなく2台ほどに減ってしまった。そのうち1台には誰かが乗っているようだ。初めての車中泊をしようという我輩にとって、このようなクルマの少なさは落ち着かない。やはり洞爺湖駐車場にするか。 <道の駅「あぷた」> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/27 18:29 途中のコンビニエンスストアで弁当を買って食べ、豊浦町の温泉銭湯「しおさい」で一風呂浴びた。やはり疲れをリセットするには風呂が一番。 そして身体が暖かいうちに洞爺湖駐車場の方へ移動した。ここなら広い駐車場に10数台ほどクルマが停まっており、自分自身の存在感も薄れるようで気が楽。 早速パジャマに着替え、トイレの洗面所で歯磨きをし、クルマに戻って布団に入る。自宅そのままの寝具のため、とてもリラックス出来る。首元が寒いので、ハーフサイズの毛布を防空頭巾のようにして被った。 カーテン吊りも意外に圧迫感は無い。酸欠になるのを防ぐためにも、後部座席の窓をバイザーで隠れている範囲で少し開けておいた。もちろん、ドアロックすることも忘れない。 こうして、我輩の初めての車中泊の夜は更けていった。 ---------------------------------------------------- [663] 2009年05月06日(水)「北海道ドライブ(3日目)」 <4月28日(火)> 朝6時前、目覚まし時計が鳴る直前に目が覚めた。 車内がかなり寒い。窓を開け過ぎたのかも知れない。最低最高温度計を見ると、7度までは下がったようだ。軽い頭痛がする。 <警報付き最低最高温度計> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/28 06:10 改めてクルマの周りから見てみたが、外側が黒い遮光カーテンを車内で吊っているためあまり目立たないのが良い。パッと見た目、車中泊をしているとは気付かないだろう。 <初めての車中泊の夜が明けた> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/28 06:21 今日はいよいよ昭和新山を見に行こうと思う。 昭和新山は、昭和19年に突然畑が隆起し始め、そして溶岩ドームが地面を突き破って頭を出したものである。溶岩の粘度が高いために流れ出さずそのまま上方へ持ち上がる「ベロニーテ」と呼ばれる噴火形態で、世界的にも珍しいという。 我輩はこの昭和新山に以前から興味を持っていたが、北海道という僻地にあるため実際に見ることは諦めていた。 しかし今、昭和新山のすぐ近くにいるのだ。 まずは、昭和新山の裏手から回り込みたい。というのも、昭和新山は隆起した地面(潜在ドーム)と、その地面を突き破って出た溶岩ドームの2つから成るが、裏手から見た方がその構成がよく分かるとのこと。 クルマで走って行くと、何の変哲も無い町並みの遠景に現れた赤い山がとても印象的だった。それはまるで、映画「未知との遭遇」に出てくるデビルズタワーが現れるシーンのよう。 <裏手から見た昭和新山> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/28 07:28 早朝の陽の光がちょうど順光となり、撮影と観察には好都合。当然ながら、資料写真として制式なる66判にて撮影した。 しかしそれは反対に、昭和新山に最も接近出来る表側のほうは逆光となることを意味する。芸術写真ならばこういう逆光でも良いかも知れぬが、巡検では必要な情報が得られず全く不適当な写真と言わざるを得ない。 仕方無いので、表側は午後にでもまた改めて来ることにしたい。 <表側は完全なる逆光> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/28 07:47 ではそれまでの間はどうするか。 現在時は8時前。これから行って昼頃には戻れる場所でなければならない。 それを考えると、元々予定としては組み入れていなかった洞爺湖の中島に行ってみるチャンスかも知れない。中島は山がちな地形のようだが、この旅は巡検ということもあり、一応トレッキングシューズやザックも用意してある。 そこで、洞爺湖湖畔のコンビニエンスストアで遊覧船乗り場の場所を聞き、行ってみると8時から30分毎に船が出ていた。少しギリギリだったが8時半の便に間に合った。 料金は1人1,320円と少し高い気がしたが、まあ仕方無い。 平日でしかも朝も早いせいか、我輩の他には1組の家族連れしか乗っていなかった。当然ながら家族連れは普通の格好だが、我輩はザック(ブロニカと交換レンズが入っている)を背負い、デジタル一眼レフを片手に持っている。少し場違いな存在とも言える。 <洞爺湖の中島> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/28 08:44 船は20分ほどで中島に到着。 そこには売店と小さな自然博物館しか無く、島の奥へ行こうにも柵があって立ち入ることが出来ない。だからすぐに飽きる。 しかし事前にインターネットで得た情報によれば、売店で入山許可さえ取れば、柵の扉に掛かっている鍵の番号を教えてくれるとのこと。連想し易い番号らしく、我輩も鍵の番号の大体の見当は付いていたが、一応売店に行って許可をもらうことにした。 <島の奥へ行くには柵を通過する必要がある> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/28 08:56 ところが売店に向かって歩いて行くと、博物館前で掃除をしていたオイちゃんが近付いてきて「奥に入られますか?」と聞いてきた。 どうやら我輩の格好で察してくれたようだったので、鍵の番号を聞こうとしたところ、鍵は掛かっていないので自由に行けるとのこと。 「入り口には入山の注意も書いてありますが、おたくはプロだから説明するまでもないでしょう。」 何のプロなのかとは思ったが、我輩の格好から恐らく地質や自然生態の研究かと思ったのだろう。 柵の中に入ると、早速シカが出迎えた。しかし餌がもらえないことを悟ると離れて行った。 <出迎えたシカ> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/28 08:57 入り口部分は植林されたようで、注意して見ると木々が直状に整然と並んでいるのに気付く。 意外にも遊歩道が整備されており、ウッドチップが敷き詰められており歩き易い。 見渡すと本当に植生が多く、倒木などが腐り土となって表面を覆い、島の土台となる火成岩の観察は全く不可能である(露頭が無い)。 従って、今回は地形全体を眺めることで、火山活動が起きた時の様子を想像するしかない。 <土へ変わりつつある倒木> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/28 09:26 中島の探検は2時間ほどかかったが、山は小振りで傾斜も強く、ジオラマのように小さなスケールの地形が模式図的で興味深い。 <中島の山> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/28 09:33 帰りも同様に遊覧船に乗ったが、来た時とは違う船だった。デッキがあり、上から外の景色が良く見え、特に洞爺湖温泉街とその背後の有珠山の位置関係が一目瞭然で、それを見るためだけにこの遊覧船に乗る価値は十分にあると感ずる。 <湖上より望む洞爺湖温泉街方面> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/28 11:42 さて、昼は再び湖畔のコンビニエンスストアに行き、そこで昼食をとる。 そして早朝は逆光だった昭和新山へ向かった。 昭和新山の表側は距離も近いせいもありなかなか雄大で、噴気もモクモクと出ており迫力がある。この時間では完全に順光となり、青い空とのコントラストが美しい。 <表側から見た午後の昭和新山> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/28 12:48 麓での撮影をひとしきり終え、今度はロープウェイで有珠山山頂展望台を目指す。 上から見た昭和新山は、付近の地形との位置関係が明瞭になりとても面白い。周辺には潜在ドームと思われる盛り上がりが幾つも見られる。 <有珠山山頂から見た昭和新山> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/28 13:23 一方、有珠山そのものは全く見所が無いわけでもないが、火口付近を観察出来る遊歩道が閉鎖されており、大きな不満を残した。 下りのロープウェイは14時。 駐車場のクルマに戻ってからもロープウェイの写真などを撮ったりしていると14時半になった。 これからどこか別の場所、例えば登別の地獄谷などへ行くとすれば16時も近くなろう。駐車場も有料であるから、中途半端な訪問では翌日また行くハメになり不経済。 結局、洞爺湖温泉街を散策しようとクルマで戻ってみたが、特に大きな町というわけでもないためやはり散策を諦め、次の宿泊地としての候補となる道の駅「だて歴史の杜」と「みたら室蘭」を見に行った。少なくとも、「みたら室蘭」は駐車場とトイレが道で分断されているため論外。そうなると、「だて歴史の杜」のほうにすべきか。 まあ、せっかく室蘭まで来たのだからと、室蘭の銭湯「楽々温泉」へ行った。ハッキリ言ってあまり良い印象ではないが、風呂自体は普通の銭湯である。 銭湯ゆえにシャンプーや石鹸などは持ち込みとなるのだが、我輩はここ10年ほど洗髪にはシャンプーやリンスは使わず石鹸ひとすじ。小さな袋を提げて行くだけである。 <銭湯「楽々温泉」> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/28 18:48 そして夕食はまたコンビニエンスストアかと思ったが、メニューが単調であるし割高でもあるため、近くのスーパーにでも行って総菜の値引品でも買おうと思う。 カーナビゲーションで見付けた「コープさっぽろ東室蘭店」だが、こういうスーパーで買い物をしていると、観光客ではなく住民の一人になったような気分になる。まるで、新しい街に引っ越してきた最初の日のようだ。 ただし誤算だったのは、ここではレジ袋が無いために薄手のビニール袋に入れねばならなかったことだ。聞くところによれば、この地域では他の店も同様とのこと。サービスで割り箸を入れてもらえたのはラッキーと言うしか無い。 <コープさっぽろ東室蘭店> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/28 19:56 その後、道の駅「だて歴史の杜」へ移動し、食事をして寝る支度をしようと思ったのだが、街中の大通りに面しているせいか時間のわりに駐車車両が多く、またヤンキー車のエンジン音が駐車場内を周回していたりして落ち着かない。 結局、22時過ぎにその場所を諦め、前日に宿泊した洞爺湖駐車場まで戻ることにした。多少無駄な距離とはなっても、一度宿泊した実績のある場所ならば確実である。無理はしないほうが良いと判断した。 その判断のおかげで、この日も静かで安全な夜を過ごすことが出来た。 ちなみに、デジタルカメラに装着した16GBのメモリカードもそろそろ一杯になってきたため、車中でパソコンを使ってポータブルハードディスクへ移す作業をしたところ、表示によれば3時間近くかかるらしく、30分くらい頑張ってみたものの途中で諦めた。まだ他にもメモリカードはあるから、今のところ撮影には困らない。 だがそうは言っても、動画記録可能な高速メモリカードは3枚しか無く、この16GBのメモリカードはそのうちの1枚であることを考えると少し残念であった。 ---------------------------------------------------- [664] 2009年05月07日(木)「北海道ドライブ(4日目)」 <4月29日(水)> この日の朝は爽やかに明けた。 何しろ車中泊も2日目ということで、少し慣れてきたということが大きい。 前日の車中泊を教訓として窓の開け方を最小限としたため、温度が昨日よりも下がらなかった。しかも寒さ対策のためにハーフ毛布を2枚使ったということもある。 しかも寝具とパジャマが自宅のものと同じということで、ヘタにビジネスホテルで寝るよりも快適に感ずる。これならば、4連泊など何も問題は無かろう。 ただし、これは比較的寒い季節だけの話である。寒ければ着込めばどうにでもなるが、暑い季節では対処のしようが無い。車中泊は、今だからこそ出来ると言って良い。 <2度目の車中泊が明けた> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/29 06:17 さて、今日は平取町(びらとりちょう)のUFO記念碑「ハヨピラ」を訪れたい。平取町までは多少距離があるため、早い時間帯のうちに行っておきたいのだ。 しかしカーナビゲーションの誘導経路を見ていると、登別の地獄谷近くを通過することが分かった。それならば、最初に地獄谷に行ったほうが良かろう。 地獄谷までは峠道を走ったが、雪もかなりあった。とは言っても除雪がされているためノーマルタイヤでも何の問題も無く走行可能。雪さえなければ、ワインディングロードを走るにはこのクルマが最適。ただしカーブで荷物が吹っ飛ぶため、車載ビデオカメラのセットは難しく走行撮影は出来なかった。 <峠道の見晴台での記念撮影> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/29 07:08 地獄谷へは7時45分に到着。 駐車場の料金所に接近してみると、普通車は410円の駐車料金と掲示されていたが、そこに人影は無かった。まだ時間が早過ぎるようだ。 とりあえずそのままクルマを駐車し、地獄谷のほうへ歩いた。 地獄谷はまさに、別府の地獄巡りのようであった。 この時間帯では多少逆光気味ではあるものの、それほど情報量として問題になるほどではない。 <登別の地獄谷> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/29 07:58 散策路をしばらく行くと、今度は温泉の池である「大湯沼」の道しるべが現れた。多少距離はあるようだが、せっかくここまで来たのだから先を行くことにする。 まず見えてきたのは、眼下に望む大湯沼の全体像だった。 <大湯沼> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/29 08:19 そしてそこから降りて行くと、そこには駐車場もあった。地獄谷を見終わった後でいったんクルマに戻ってから改めてクルマでここに来た方が良かったのかも知れぬ。 そこでもまだ料金所には人影は無かった。 間近で見る大湯沼は、なかなか壮大な不気味さがあって我輩好みである。こういう場所が自然に出来上がったというのが本当に興味深い。 <大湯沼> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/29 08:30 「さて途中で引き返すか」と思いながら道を進んでいると、この先に天然足湯と大正地獄という温泉池があるという道しるべが出てきた。 ここまで来たのだから、見に行くことにする。 それにしても、このままどんどん戻れないことになるような気がする・・・。 大正地獄は、時々熱い泥が噴出することがあるとのことで、注意を促す看板があった。しかし我輩が見た時には特に動きは無く、平穏そのものだった。 <大正地獄> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/29 08:41 天然足湯のほうは、先ほどの大湯沼から流れ出た湯が川となってここまで達していた。つまり、大湯沼の湯をこの場所で触れられることになる。 せっかくなので、我輩も足湯に入ってみた。 確かに温泉の暖かさがある。川底は浅いが、白い砂利が足の裏に少し痛い。 <大湯沼川の天然足湯> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/29 08:45 さて、いい加減に戻らねば、平取町のハヨピラへ行く時間が遅くなってしまう。 急いで元来た道を戻り始めた。 途中、大湯沼も通過するが、先ほどは静止画撮影だったため、今度はハイビジョンによる動画撮影を行った。ポコポコと地下から噴出する様子や、湯気の動きなどが実に面白い。 しかし動画の撮影というのはそれなりに時間がかかるため、大湯沼の通過だけで20分もかかってしまった。それに、動画撮影可能なカードとして4GBのものを使ったのだが、動画だけでそのカードを使い切ってしまった。残る動画撮影に使えるメモリカードは2GBのものしか無い・・・。 地獄谷の駐車場に戻ったのは9時45分頃。 結局、ここで2時間ほど費やしたことになる。 駐車場料金所にはもう係員がいた。恐らく、我輩が出る時に駐車料金を請求されるだろう。そう思って小銭を用意してクルマを動かした。 すると、係員が手を挙げてこちらに近付いてきたので、我輩は窓を開けて小銭を握った手を出そうとした。 ところがその係員は我輩にこう言った。 「タキモトさんのところですか?」 我輩は「えっ?」と聞き返した。 「タキモトさんところにお泊まりですか?」 言っている意味が分からなかったが、泊まりではないので「いいえ」と答えたところ、係員は「そうですか」と言っただけで離れて行った。 我輩はそのまま料金を請求されることなく駐車場を後にした。 後で調べてみると、滝本というホテルがあることが分かったのだが、それにしても、なぜ我輩がそこに宿泊していると思われたのかは謎だ。もしかしたら、同じ車種に乗った宿泊客の情報があったのかも知れない。 関係無い話だが、北海道に来てから何台ものクルマとすれ違ったが、メルセデスベンツは1台も見かけなかった。それを考えると、我輩は少し目立つのかも知れぬ。 さて、いよいよ平取町の「ハヨピラ」の訪問である。 交通量の多い幹線道路を走ったのだが、やはりここでも後続車が煽ってくる。後続車が変わっても同じように車間距離を詰めてくる。 ミラーから見ると、ドライバーは普通のオバちゃんだったりする。なぜにこのオバちゃんは我輩を煽るのか? しかしよくよく考えると、車間距離の短さはこの土地特有のような気がしてくる。だからオバちゃんは特に悪気も無く車間距離を詰めてくるのだろう。 我輩はこの瞬間、なぜ北海道の交通事故がワースト1位なのかを理解した。 車間距離が短ければ事故が多いのは当然。 雪道ならば、タイヤの性能や運転の慣れでカバー出来るだろうが、車間距離の短さは前車の動きに対処する時間を短くするだけ。前のクルマが急ブレーキを踏んだらどうする? 前のクルマが障害物を急ハンドルで避けたらどうする? 人間の反応速度には限界があるのだから、慣れがどうこういう話ではない。恐らく何も考えずに漫然と前のクルマにくっついて行くのが北海道民の運転の仕方なのだろう。こんな運転をもし千葉でやったならば、危険承知のバトル開始のサインを送っていることになる。 「交通事故ワースト1を返上しよう!」などという看板を幾つか見掛けたが、本当に事故を少なくしたいと思っているならば、ちょっとでも考える力を養ったほうがいいと思うぞ、北海道民よ。 まあ、余計な話はともかく、平取町には11時50分に着いた。 ハヨピラでの駐車スペースは期待出来ないと思っていたので、近くにある「義経神社」の駐車スペースにクルマを停めて歩くことにした。 しばらく歩くと、道路沿いにハヨピラが見えてきた。子供の頃から見てみたいと思っていたあのハヨピラが、今、目の前にある。 この感動は、7年前に大阪万博の遺構を目の当たりにした時と同じであった(参考:雑文362「長期休暇撮影3(万博公園撮影日記)」)。 <ハヨピラが見えてきた> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/29 11:59 事前のインターネット情報どおり、ハヨピラの入り口は閉鎖されていた。 しかし入ろうと思えばゲートの横から何の苦労も無く入り込める。ただ道路に面しているため、不審者としてマークされぬよう、クルマの通行が途切れるタイミングを図った。 <ハヨピラ入り口> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/29 12:03 場内は、意外にもサッパリとしていた。季節柄、雑草があまり無いためであろう。これから夏になれば、雑草が生い茂って見通しが悪くなるに違いない。 それにしても、この建築物は「宇宙友好協会(CBA)」の会員たちが自ら施工をしたというだけあり、近くで見ると造りが雑であると感ずる。 <ハヨピラ> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/29 12:05 崩れ始めている階段を慎重に上り、UFOをモチーフにしたと思われるオブジェを撮影したりした。 振り向くと、景色が遠くまで見渡せて気分が良い。 <ハヨピラのUFOオブジェ> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/29 12:09 さらに危険な場所だが最上階のほうまで行ってみることにした。 しかしバリケードで阻まれているため、裏手の山の斜面から登ってみた。 さすがに最上階は足場が悪い。コンクリートもボロボロで、あまり冒険すると転落の危険があるので注意が必要。後ろから撮るにとどめた。 <ハヨピラ最上階の裏手> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/29 12:19 そろそろ下に降りようかと見てみると、男が一人、場内へ歩いてくるのが見えたので慌てて奥に引っ込んだ。 「まずいな、誰かが通報したか・・・?」 しばらくして顔を出してみたが、男の姿は見えない。もし近くまで来ているとすれば、手前の陰に隠れて確認出来ないのだ。引き上げたか、それとも近くにいるか。 10分ほど待ってみたが何も気配がしないので、裏手の山の斜面から慎重に降りてみることにした。 枯葉がガサガサ音がして気が気でなかったが、ようやく降りてハヨピラのほうを見てみたが、そこには誰もいなかった。 <裏手の山の斜面から降りる> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/29 12:28 ハヨピラの正面に回って階段を下りていたところ、今度は青い作業着を着た若者2人が逆に上ってきた。彼らは我輩とすれ違ったのだが、我輩が振り返ると最上階への階段のバリケードを乗り越えていた。 我輩は人間のスケールを写し込むにはちょうど良いと思い改めてハヨピラの全景を撮ったのだが、その時2人が振り向いた。 2人は我輩が写真を撮っているのに気付いてそのままピタリと動きを止めたが、しばらくして前に向き直り前方の階段を上って行った。 <最上階の階段を上る2人 (トリミング)> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/29 12:36 その後、クルマに戻ってパンを食べて昼食とし、小休止の後クルマを発車させて遠景としてのハヨピラを撮ったり、周辺の散策ドライブなどをしたりしたが、14時頃には平取町を後にした。 それにしてもここでも後ろのクルマが車間距離を詰めてくる。 まあ確かに、極端に遅いクルマがいるのも確かである。というのも、前方をほとんどのクルマが追い越して行くので何かと思ったところ、制限速度そのままのクルマが走っていた。 我輩としては、制限速度であるから別に問題は無かろうと思い、しばらくそのクルマの後ろに付いて走っていたのだが、どうもそのクルマの挙動がおかしい。路側帯にハミ出したり、さらに低速になったり、思い出したように加速するのだ。 車内の様子をシルエットながらも窺(うかが)い見ると、どうやら助手席に犬か何かを乗せているらしい。そしてドライバーは助手席の方を向いている。実に危なっかしい。 なるほど、皆、このクルマに関わりたくないから追い越して行くんだな。 そんな時、ちょうど直線の長い区間に出た。 我輩には、一般道で対向車線に出て追い越すという文化は無い。しかし、非常に見通しが良い状態で、追い越そうと思えば追い越せそうだ。後続車も詰めてくるし、どうする? そこで、思い切ってここで追い越すことにした。 右ウィンカーを点けてアクセルペダルを床一杯に踏み、車線を変更させる。 最初は加速が鈍いものの、コンプレッサー(スーパーチャージャー)が効き始める音がして、自分でも驚くほどの加速が始まった。前方にトラックもいたので、ついでにそれもブチ抜き、元の車線に戻った。ミラーを見ると、後続車が遥か彼方にかろうじて見えた。 「凄いなこのクルマは。とても1,800ccとは思えん・・・。」 一般道の追い越し初体験の我輩としては、対向車線を走る併走時間は恐怖であるから、なるべく早めに追い越しを完了させたかったが、その期待に応えてくれる性能は有り難い。 さて、今夜は千歳市にある道の駅「サーモンパーク」へ泊まろうかと思う。 ここまで来たら、もう洞爺湖へ戻るのも大変。 明るいうちに確かめておこうと思い、平取町から直接サーモンパークへ直行した。 到着したのは15時過ぎ。クルマの駐車はかなり多いが、中に3台くらいキャンピングカーが停まっているのが見えた。それを見ると、車中泊はし易そうに見える。 クルマを置いたまま40分ほど町中を歩いてみたが、町の雰囲気は生活感があってなかなか良さそうに思った。 <道の駅「サーモンパーク」> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/29 15:57 この時間であるから、もう生活の時間に入ろう。まずは夕食と翌日の朝食の確保である。 近くにあるスーパーで惣菜を買う。レジ袋は用意しておいたので、何の戸惑いも無い。慣れたものだ。例えるならば、新しい町へ引っ越して2日目というところか。 ただし我輩一人というのは少し寂しさがある。改めて家族の大切さを実感する。 <コープさっぽろ 高台店> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/29 16:50 その後は銭湯へ行った。 2つほど候補があったが、最初に見たところはあまりにこぢんまりとし過ぎ、しかも大通りの交差点に近いためクルマの出入りが面倒に思う。なお、先ほど見掛けたキャンピングカーの1台が停まっているのが見えた。 <最初の候補の銭湯 (散策時に撮影)> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/29 16:12 そこで我輩は、2番目の候補の「太陽湯」というところに入った。 住宅街の中にあるためクルマの通りも少なく、我輩のイメージにはピッタリだった。 <千歳市の銭湯「太陽湯」> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/29 17:25 この銭湯では猫を飼っており、オバちゃんの雰囲気も良く、なかなか良いと思った。機会があればまた明日にでも来たい。 風呂から上がり、改めてサーモンパークへ戻る。 もう駐車しているクルマはかなり減っている。駐車場は2面あるのだが、24時間利用可能なトイレがある側に停めた。ただし、あまりトイレの近くでは人も集まるだろうと思い、大通りを背後にした場所に停めた。 <道の駅「サーモンパーク」> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/29 17:58 そこで食事をした後、布団で横になりながらDVDで映画を見ながらくつろぎ、寝るまでの時間を過ごした。 車中泊も3度目で、場所さえ決まればもう何の不安も無い。時間さえ許せば何泊でも出来るだろう。 背後にある大通りのクルマの走行音も聞こえてくるが、数年前まで通りに面した借家で暮らしていたので、そういう音は気にならない。 <道の駅「サーモンパーク」> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/29 22:04 そういうわけで、3度目の車中泊の夜は更けていった・・・。 ---------------------------------------------------- [665] 2009年05月07日(木)「北海道ドライブ(5日目)」 <4月30日(木)> いつものように、この日も目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。6時前だった。 しかし朝食を摂ってしばらくすると再び眠気が襲い、しばらく寝て起きると7時半になっていた。 <道の駅「サーモンパーク」> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/30 08:10 今日は、北海道で活動する最終日。 今夜もう一度車中泊するものの、翌日は朝からフェリーに乗るだけとなる。 では今日の午前中は、いよいよ石狩油田跡を見に行こうと思う。午後の予定は考えていないが、何か探して行ってみたいと思う。そしてその周辺で車中泊する場所を探そう。 そういうわけで、「サーモンパーク」を8時過ぎに出発。少し出遅れた。 石狩方面に向かってクルマを走らせ、9時45分に現地へ到着。 ただし到着とは言っても、そこから更に「五の沢林道」という細い道を進まねばならない。その林道は狭いため、途中でクルマが置けるかどうかが分からないし(GoogleEarthでも高解像度の画像が無く確かめられない)、しかもゴールデンウィーク前後までは冬季閉鎖だという情報もある。だからヘタにクルマを進めずに、近くにあるチェーン脱着場兼休憩所にクルマを置き、そこから歩いて行くことにしたのだ。 まあ、歩きでもそれほどかかるまい。 <チェーン脱着場兼休憩所> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/30 09:53 用意した機材は、66判のブロニカと、ハイビジョン動画撮影用としての「EOS 5D Mark2」、そして原油サンプル採取用のガラスビン、そして原油で濡れた地面を歩くために靴を包むビニール袋2つである。 早速歩き始めたのだが、予想に反して林道の入り口までの道のりは遠く、クルマを降りてから10分ほどかかった。 林道の入り口には「通行止めのお知らせ」という看板があり、それによればスポーツ競技会で占用するために5月24日まで通行止めとなっているらしい。冬季閉鎖は解けても別の理由でクルマは通れないのか。まあどうせ最初から歩くつもりだったのだから何も問題無い。 我輩は林道を進み始めた。 <五の沢林道入り口> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/30 10:23 そこからしばらく歩くと、ゲートが見えてきた。ここからが本当の林道なのかも知れない。 それにしても、通行止めとは言ってもゲートは閉まっていない。林道を使うから占有しているのであるから、ゲートを閉められないのだろう。 ゲートの手前にはクルマが停まっており、そこから誰かが徒歩で入ったようである。我輩もここまでクルマで来れたかと思ったが、今さら戻るのもそれこそ時間の無駄。 <五の沢林道のゲート> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/30 10:30 事前の情報収集ではピンポイントに場所を特定することは出来なかったため、歩きながら探す以外に方法が無い。インターネットの情報によれば、昔の小学校跡の近くにあり、ガソリンのニオイを頼りに探し当てたなどと書かれていたりする。 我輩も、ある程度進むとクンクンしながら慎重に歩くようにした。心なしか、たまにゴムのようなニオイがすることがあったが、気のせいだと言われればそうかも知れない。 <ひたすら歩く> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/30 10:40 40分ほど歩いていると、だんだん不安になる。明らかに、事前に想定した距離を超えている。 「もしかして、通り過ぎたんじゃないのか・・・?」 平坦な道ならばともかく、上り下りのある道で疲労もそれなりに出てきた。いったいどこにあるんだ? このまま油田跡は見付からないまま終わるのではないだろうかという不安が大きくなってきた。 そう言えば、小学校の跡地の近くにあるという話だった。考えてみれば、このような林道沿いに小学校の跡地が本当にあるのか? 50分くらい歩いた時、ようやく何かを見付けた。 急いで近付いてみると、それはまさしく小学校跡地であった。 <小学校跡地> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/30 11:13 小学校跡地があるということは、油田跡はこの近くにあるに違いない・・・と思ったら、そのすぐ隣に「石狩油田跡」という碑が建っていた。 我輩が探しているのはこのような記念碑ではない。油田跡というよりも、原油が地面に染み出している場所だ。 いずれにせよここからは遠くないはず。 我輩は付近のニオイを嗅ぎながら、少しずつ道を進んだ。しかしニオイは全く何も感じない。 「そう言えば、火気厳禁の赤い看板が見えるという話だったなぁ・・・。」 そう思っていると、木々の間から赤い物が見えた。 <赤いものが見える・・・> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/30 11:17 「EOS 5D Mark2」のズームレンズを最大望遠にして覗いてみたが、105mmでは少し遠い。それでも例の「火気厳禁」の看板に間違いないと思った。 この時の気持ちは、言葉では言い表せない。 1時間近く歩きもうほとんど諦めかけて無力感が漂っていたところに、ようやく目標物を見付けたのだ。 これで、北海道の旅が完結する・・・。 <やっと見付けた火気厳禁の看板> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/30 11:18 意外にもそこは開けた場所で、林道からもよく見える。 そして、近付けばガソリンのニオイがするものの、それは林道には届いていない。もちろん風向きなどもあろうが、想像していたほどの強烈なものではなかった。 もし、夏場などで見通しが利かないほど雑草に覆われていたとしたら、もしかしたら見付けられなかったかも知れない。 それにしても、現場はまさに原油が染み出しているという状態であった。知識としては石油は地下にあるとは知っているものの、それを自分の目で見て確認することは今回が初めてである。 この時、自分の世界(外からの情報を得て脳内で再構築されている世界)がひとつ広がったと感じた。 <原油が地面に染み出している> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/30 11:18 近付いてみると、沼のように原油が溜まっているわけではなく、全体的に泥状で、所々に小さな油溜まりのようなところがある。 想像するに、揮発性が高い成分は飛んでしまい、地面には黒いタールが残っているのだろう。そして、油溜まりになっているところは、今、原油が湧いている場所ではないかと思う。 <ガソリンのニオイが立ちこめている> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/30 11:28 中央部には、薄緑色に見える比較的大きな油溜まりがあり、そこでポコポコと音を立てて泡が湧き上がっているのが見えた。 人類が初めて石油を発見した時も、このような光景を目にしたのだろうか。 この様子を「EOS 5D Mark2」のハイビジョン動画で撮影し、我輩の資料映像とすることにした。 <泡がポコポコと湧き上がっている (ハイビジョン動画のキャプチャ)> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/30 11:30 また、付近の地形なども重要と考え、同じくハイビジョン動画でゆっくりパンしながら撮影した。 撮影を一通り終えた後、せっかくだからと、この原油をサンプル採取することにした。 揮発成分が飛んでいないなるべく新しいものをと考え、湧き出しているところを狙い、持参したガラスビンに採取した。ガラスビンの中では3つの層に別れたが、恐らく下の透明な部分は水であろう(数日前に雨か雪が降ったせいか)。そして中間に漂っているものは枯葉などのゴミかと思う。そして、上部の黒い液体が原油に違いない。 <サンプル採取した原油> <<画像ファイルあり>> 原油採取までを果たし、我輩は大満足で11時45分頃にその場を後にした。 帰りは、来た時のように周囲を探索しながら歩く必要も無いため短時間で戻れるかと期待したのだが、日頃の運動不足のためか脚(ふともも)が痛くなり、結局は1時間かかってしまった。 時間は、間もなく13時。 これから昼食を摂ってから行動するとなると、すぐに14時15時になってしまう。 原油採取という大きな目標も果たしたことでもあるし、もういいだろう。残りの時間をゆっくりと過ごそう。 そこで我輩は、映画を観ようと思った。 映画など、北海道でなくとも同じものが観られるわけだが、数日間とはいえ北海道で暮らしたため、最後の旅の締めくくりに北海道での日常生活の一つとして映画を観るのも良かろう。 それに、映画というのは意外にも時代のインデックスとなり得るもので、北海道に来た時の情動をパッケージ出来るのではないかと思う。 しかしながらカーナビゲーションで周辺施設検索で映画館を探したが、やはり林道のあるような場所には映画館など近くには無い。 ところで、最後の宿泊地は小樽港の周辺で探そうかと思っていたのだが、最終日に色々と探し回るよりも、実績のある千歳市の「サーモンパーク」でもいいかなと思い始めた。そうなれば、銭湯も自ずと「太陽湯」に決まる。出航港の小樽からはいったん遠ざかることになるが、最後の夜は何も悩まずに過ごせるほうがいい。 そこで、千歳市までの経路で探してみたところ、1つの映画館「東宝シネマ8」を見付けることが出来た。 途中のコンビニエンスストアで昼食を摂り、「東宝シネマ8」へ15時20分頃到着。広大な駐車場にはただ驚いた。 何かハリウッド系アクション映画など無いかと思ったが、特にそういうのはやっておらず、仕方無く「レッドクリフPart2」という三国志の映画を観ることにした。 期待せずに観た映画だったが、これがなかなか面白く、心にも響いた。 <映画を観た> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/30 18:08 映画が終わって外に出ると、夕日が沈もうとしているところだった。 明日の朝には北海道を離れることを考えると、この日一日が終わりつつあることを寂しく思った。 駐車場で改めて自分のクルマを眺めた。 我輩は、物や動物などに対する擬人化というものを徹底して嫌うのだが、今回ばかりは少し違う気持ちである。もちろん擬人化をするつもりは無いが、このクルマとは寝食を共にし、もはや"相棒"と呼ぶにも抵抗が無いだろう。 <北海道最後の夕日> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/04/30 18:16 その後、前日と同じように「コープさっぽろ 高台店」で惣菜を買い、「太陽湯」で風呂に入った。 そして布団に入り、これまで撮ったデジタルカメラの写真などを見ながら旅の回想に耽った。 (追記 2009/05/08) 帰宅後に画像を詳細に分析したところ、五の沢林道の通行止めの件はどうやら予告掲示であって、「5月24日まで通行止め」ではなく「5月24日の1日間だけ通行止め」という意味らしいことが判明した。つまり、我輩が訪れた時は通行止めではなかったことになる。しかし、クルマで走行しながら現場を見付けることは難しいと思っていたし、見付けたとしても駐車スペースがあるかが分からなかったため、例え通行止めではないと分かっていたとしても、歩いて行かざるを得なかったろう。 ---------------------------------------------------- [666] 2009年05月07日(木)「北海道ドライブ(6日目)」 <5月1日(金)> もし、フェリー内に駐車した自分のクルマの中で寝ることが出来るならば、快適な睡眠が得られることだろう。 もちろん、時化で揺れた時の安全性や、防犯上の問題などから許されるはずはないとは思うが・・・。 そんなことを考えさせるほど、今回の車中泊は快適であった。 この日の朝も、前日までの疲労をリセットし快適な朝が明けた。ただし、早起きのクセがついてしまい、5時には目が覚めてしまった。 ところで、今さらながらに北海道のお土産を買っていなかったことに気付いた。もし手ブラで帰ったりすれば豚児がウルサイだろう。 フェリー乗り場に着く前にどこかで買おうかと思ったが、よく考えるとこの時間に開いている店などあるまい。失敗した。 もしかしたらフェリー乗り場に売店があるかも知れないが、行って無ければ完全にアウト。しかしそれに賭けるしか無い。 前夜に買った朝食のイナリ寿司を食べ、5時半にクルマを発車させた。 さすがに渋滞は無かったが、車線に気を付けねば、交差点でもないところで右折待ちのクルマの後ろに付いてしまったりする。もちろん、北海道では道路幅に余裕があるため、早めに察知すればステアリングでかわすことが出来る。 しかし見ていると、必要以上に距離を開けて右折待ち車を回避する者がとても多い。下手をすれば左車線に出るくらいに大きくふくらむ。 普段は車間距離を詰める運転をしながらも、こういうところではマージンを大きく取るというのも妙な話だ。広い道路ばかり走っているから、狭いすり抜けは苦手なのか? もっとも、我輩のすり抜け技術はクルマの性能に頼る面も大きい。見切りの良さとステアリングの切れ角の深さは、さすがにメルセデスベンツだと感ずる。 <ステアリングの切れはかなりのもの> <<画像ファイルあり>> さて、小樽港には7時20分に到着出来た。出航1時間前の9時半までに着けば良かったのだから、時間としてはかなり早い。我輩の先にもクルマはいたが、台数は少ない。 <小樽港へ到着> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/05/01 07:20 クルマを降りて、さっそくフェリー乗り場の売店を探したのだが、やはり店は開いていない。まいったな・・・。 仕方が無いのでクルマに戻ってDVDプレーヤーで映画を観て時間を潰すことにした。 しかし念のために搭乗直前にもう一度売店に行ってみたところ、今度は開いており、無事に北海道土産を買うことに成功した。 これまで乗ってきた幾つかのフェリーでは、夕方〜夜の出航であった。しかし今回の新日本海フェリー航路では朝出航ということで調子が狂う。2等寝台という窓の無い空間にいると、時間を勘違いする場面も何度かあった。 <新日本海フェリー「らいらっく」> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/05/01 07:41 ただ、なぜか船室が非常に臭い。汗の臭いでもベッドに染み着いているのかと思ったが、どうもゴムが焼けたような臭いがして気分が悪くなる。 通路にはそういう臭いは無く、船室の中だけにその臭いがある。しかも我輩のいる特定の船室だけかと思えばそうではないようで、隣の船室の入り口からでも同様な臭いがした。 本日の航行は穏やかとのことで船の動揺は最小限だと予想されたのは幸いだった。この臭いの中でさらに船の揺れが大きければ、確実に吐き気をもよおすに違いない。 結局、寝る時以外は船内映画上映などを観て時間を潰すしか無い。 ただ今回は天候が良好なためか、船のデッキへ出ることが可能だったのは嬉しい。そのおかげで、昼間の景色を楽しむだけでなく、夜も、反対方向から来た僚船とのすれ違いを見るという貴重な体験をすることが出来た。 <昼間の景色> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/05/01 12:13-18:09 <僚船とのすれ違い> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/05/01 19:43 最後に残念だったのは、往路での船内食堂で旨かった「サンマの甘露煮」が今回は無かったことだ。それを食べるために北海道での食費は低く抑えたつもりだったのだが・・・。 ---------------------------------------------------- [667] 2009年05月08日(金)「北海道ドライブ(7日目)」 <5月2日(土)> 「おうちに帰り着くまでが遠足ですよ」 この言葉は、小学生の頃によく聞かされた言葉である。「寄り道をせずに帰れ、最後まで気を抜くな」という意味であるが、我輩としても、フェリーで北海道を発ったとは言っても「北海道ドライブ」の途上であることを肝に銘じたいところである。 小樽発新潟行きのフェリーは、6時に新潟港に到着する予定。その場合、到着予告アナウンスは5時頃に流れるのだが、我輩は4時くらいに起きてしまいそのまま眠れずにいた。もうすぐ帰れるという興奮のためか、あるいは船室の臭いのためか、あるいは早起きのクセがついたためか。 とにかく、いったん起きたら眠れなかった。 <間もなく新潟港に到着 (船内ロビーに設置されているモニタ画面)> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/05/02 05:16 6時に下船であるから、千葉の自宅に帰り着くのは遅くとも昼頃になる予定。家には昼食は帰ってから一緒に食べると連絡しておいた。 クルマへの搭乗は、下船10分前と直前であった。 カーナビゲーション画面を見ると、クルマはまだ小樽港にいると思っているようだ。 それにしても自分のクルマに乗り込むと、船という閉鎖空間から間もなく解き放たれるという開放感があり心が弾む。この気持ちは、フェリーから降りる時にはいつも感ずることである。 <船内車庫> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/05/02 05:54 6時を回って、いよいよゲートからタラップが下ろされる。そして、係員の指示に従って次々にクルマが降りて行く。 <いよいよタラップが下ろされる> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/05/02 06:04 我輩も搭乗が先頭に近かったおかげで降りる時も早めだった。 タラップを降りて行くと、カーナビゲーションが「新潟県に入ります」とアナウンスした。意外に早く自車位置が補正された。 自宅までの距離は350kmほど。高速道路ならば遠くもなく近くもない微妙な距離だが、眠くなったりトイレに行きたくなるなどしなければノンストップで走り通してもいいかも知れない。 土日のETC千円料金のため混んでるかと思ったが、地方のためか特にクルマが多いとは感じられず走り易い。 <ノンストップ走行> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/05/02 07:48 しばらく走っていると、クルマも増えてきた。前車が遅く感じられた時は、追い越しをかけた。 高速道路での追い越しは、下手をするとキリが無い。遅いクルマを追い越そうとして前の1台を追い越すと、次にもまた遅いクルマがいたりする。だから、ずっと先を見て、まとめて数台を追い越そうと思ってしまうわけだが、その区切りを付けておかねば延々と追い越し車線を走り続けることになる。 我輩は、追い越しを短時間で済ませるために速度を上げて左車線のクルマを追い抜いた。適当な割り込み場所が見付からないので、そのまましばらく追い越し車線を走ろうかと思ったのだが、後ろから黒いクルマが接近してきたので、道を譲ろうとして狭い場所ながらも左車線に割り込もうと左ウィンカーを出して車線変更を始めた。 その瞬間、後方の黒いクルマから赤色回転灯が点灯した。 「覆面パト・・・?!」 さすがにこの時の動揺は大きい。以前覆面パトカーに捕まった時(参考:雑文585「蔵王のお釜(7)」)の記憶が蘇ってきた。 我輩はとりあえず左車線への変更をそのまま行い、覆面パトカーの動きに注意した。恐らく、パトカーが我輩の前に割り込んで電光掲示板で指示が出るはず。 それにしても、速度超過とはいえ今回は目立つような速度は出していなかったはずなのに、なぜこんなことに・・・? 覆面パトカーは徐々に我輩の隣まで近付いてきた。 どうなるんだろうかと思っていると、なぜかそのままゆっくりと過ぎ去って行った。 「つ、捕まえないのか・・・?」 この後、しばらくの間は全体の流れがかなり遅くなった。走行車線も追い越し車線も、時速80kmの流れ。 我輩は落ち着くために次のパーキングエリアで休憩でもしようかと思ったが、しかしこの遅い流れの中にしばらくいたほうが逆に自分のためかも知れないと思い、そのまま走ることにした。 結局のところ、自宅へは10時半に帰り着いた。 家に帰り着くまでが北海道ドライブ。エンジンを停めて、熱が冷めていく時の「チンチンチン・・・」という音を聞きながら、ようやく、足かけ1週間もの北海道ドライブが終了したと感じた。 クルマに積んである荷物を全て家の中に入れたのだが、「よくこれだけ入ったな」というほどの荷物の山が出来上がった。 豚児には北海道のお土産を渡し、昼食のお好み焼きをゆっくり食べた。 <お土産> <<画像ファイルあり>> 今回のドライブのまとめは下記の通り。 ●期間 2009年4月26日〜5月2日(7日間) うち、北海道での行動は4日間 ●車中泊回数 4回 宿泊場所としては2カ所 ●デジタル撮影総枚数 約2,500枚(AEB撮影含む) とにかく、「EF24-105mmF4L IS USM」の周辺描写が悪いのが印象に残った。 ●走行距離 1,574km 行ったり来たりと無駄な走行が多く走行距離が増えてしまったのは大きな反省点。 ●燃料消費量 約135L 多少の誤差はあるとは思うが、出発時と帰着時の燃料計の針がほぼ同じ値だったため、今回の給油総量を燃料消費量として採用した。 ●平均燃費 11.7km/L 満タン法にて算出した。ちなみにクルマの燃費計では高速道路で14.6km/Lを出した。 ●旅行費用 79,737円 <内訳> ・フェリー代 :40,850円(往復割引) ・高速道路代(ETC) :4,050円?(予想) ・ガソリン代 :16,235円 ・食費 :7,922円 ・銭湯代 :1,840円 ・入館・駐車代 :6,140円 ・土産その他 :2,700円  やはりフェリー代の占める割合は大きい。例え青森までクルマで走ったとしても、フェリー代はほとんど変わらないし、安くなるどころかガソリン代で逆に高くなる。安価に北海道へ行ってドライブ出来ないというのは残念と言うほか無い。 ---------------------------------------------------- [668] 2009年06月26日(金)「カメラ無くとも写真は撮れる」 一般的に、写実画を描く時、片目をつぶりながら腕一杯に伸ばした筆の柄で主要ポイントを採寸し、それをキャンバス上に転写する。幾つかの大まかな位置決めが出来たら、それらを起点として細かい描写を埋めていくと絵が出来上がる。 この方法は、最低限の技量さえあれば、決められた手順に従って機械的に作業することによりそれなりに正確な描写が可能であるというメリットがある。 とは言うものの、いちいち採寸するのは手間がかかる。 そこで、「カメラ・オブスキュラ」と呼ばれる暗箱を用い、投影された風景をなぞって描く手法が生まれた。 これならば、何も考えずになぞるだけで正確な描写が得られる(参考:雑文292「先祖返り」)。 <東京ディズニーシーの「カメラ・オブスキュラ」の投影する映像> <<画像ファイルあり>> しかしそうは言っても、なぞることにも一定の技量が必要であるし、なにより根気が必要。 トレース作業をしたことのある人間ならば理解出来るだろうが、目で見た風景をキャンバスに写していくのは楽しいが、投影された線を追っていくような単純作業は面白くも何ともない。 絵を描く楽しさを得るためならば、正確さを捨てて自分の描きたいように描くのが良かろう。 一方、業務に徹して写実性を追求するならば、効率性は重要となる。せっかく風景が平面に投影されたのだから、その映像をそのまま定着させることは出来ないだろうかと思うのは当然のこと。 必要は発明の母。 やがて、感光剤で絵を焼き付ける「ヘリオ・グラフィー(太陽が描く絵)」が生まれたのである。 歴史的経緯から言えば、カメラマンとは、写実派の画家の末裔とも言えよう。絵筆をカメラに持ち替え、目の前の風景を忠実にして手元に収める。 かくいう我輩も、カメラを手にしたのは、絵に限界を感じたからに他ならない。 幼い子供の頃、我輩は庭木の花や、そこに集まる昆虫たちの映像を手元に残したかった。そこで我輩は、絵が上手いという祖父にバラの花を描いてもらうよう頼んだ。 確かに、色鉛筆で描いてもらったバラの花は上手そうに描けていたが、何かが違う気がした。 そこで我輩は、自分が納得する絵を自分自身で描くしか方法が無いと考え、下手なりに絵を描き始めた。 絵は思ったように上手くならなかったが、それでも絵を描くこと自体に面白さはあり、続けることによる上達分くらいはあっただろう。 (絵というものは、才能よりも努力が大きく影響する。誰にも習わず始められる芸術は、絵画以外には無い。) さて、小学校も高学年になった頃、家でカメラを買うことになった。それが「ピッカリコニカ(Konica C35EF)」であった。 それまでは祖父の「キヤノネット」があったが、それは祖父が主に使うものであったし、操作も手軽ではなかった。だから、押すだけの簡単カメラがやってきたことは大きな革命となった。 それまで絵で描くしかなかった、いや、描いても実物とはほど遠いものにしかならなかったものが、カメラを使うことにより、正確な相似形として映像を手元に残すことが出来るようになった。 もはや、絵などという不安定な描写力に頼る必要が無くなったのだ。 カメラは、一瞬でその場の映像を切り取り記録する魔法の道具。 我輩にとって、無くてはならぬもの。 カメラが無ければ不安になるが、逆にカメラさえあれば不安が消えてしまう。 ところが、そんな我輩の大切な道具であるカメラが使えない状況が生まれた。 それは、豚児の小学校での授業参観だった。 「授業参観であるから、授業の様子を撮ってやろう」と思っていたところ、なんと授業参観は撮影禁止というのだ。 "撮影は授業の妨げになる"というのが理由である。 確かにその主旨は理解出来る。しかし目の前の様子を映像として記録出来ないというのは何とも歯痒い。 カメラ無くとも写真を撮る方法は無いものか・・・。 そこで我輩は、原点に戻ることを考えついた。 我輩も画家の末裔のようなもの。カメラが使えぬのならば、絵を描けば良いではないか。 昔、シベリアに抑留された日本兵の中で、かろうじて生き延びた者が帰国を果たし、記憶を元にして当時の様子を絵に描いた。 また、原爆投下や東京大空襲、そして関東大震災の様子が絵で残されていることも有名な話。 我々はその絵から当時の様子を知ることが出来る。 また現代であっても、撮影禁止の法廷での様子を絵で再現して報道されたりもする。 絵はまさに、写真と同等の価値を持つ。 カメラマンである我輩は、昔を想い出し、絵を描くことにした。 授業参観当日、我輩は廊下側から教室の様子をスケッチした。 立ったままの状態で、刻々と変わるシーンを短時間で捉えるため、あまり丁寧に描き込むことは現実的ではない。特徴となるポイントを押さえておき、帰宅してからゆっくりと清書する。この清書の工程は、写真で言うところの「現像処理」と言えるかも知れない。 <授業参観の様子を描いた絵> <<画像ファイルあり>> 豚児は、最前列の席にいた。そのせいで、表情もよく見える。 何か不真面目なことをするような気がしたので、スケッチしながら豚児を見張っていた。 <豚児とその周囲を描いた絵> <<画像ファイルあり>> しばらくすると、豚児が大きなあくびをした。 我輩はその様子をシッカリと捉え、"証拠写真"として素早くスケッチをした。 「アイツめ、家に帰ったら叱りつけてやるわ。」 <大あくびをする豚児を素早くスケッチ> <<画像ファイルあり>> 帰宅後、「おまえ、授業中に大きなあくびしてたろう!」と豚児に言ってやった。 すると豚児は「何のこと〜?」というふうにトボケた表情をしていたが、"証拠写真"を突き付けてやると、観念したように頭を掻いた。 写真ではなく絵であるからシラを切り続けることも出来たろうが、豚児がそれを証拠として認めたということは、やはり絵と言えども、視覚に訴えるものは印象が強かったからだろう。 カメラマンは、画家の末裔である。 その自覚と誇りさえ忘れなければ、カメラ無くとも写真は撮れる。 (2009.07.26追記) スケッチ画中の「受業」の文字は「授業」の間違い。 ---------------------------------------------------- [669] 2009年07月26日(日)「間もなく閉館と知り」 たまにテレビで見る鉄道車両の引退ニュース。 新幹線0系や寝台特急ブルートレインの引退などは記憶に新しい。 特にブルートレインの場合は、マスコミが上空のヘリコプターから中継していたほどの大騒ぎで、駅のホームでも通勤ラッシュかと思うほどの人混みであった。 確かに寝台特急ほど旅情を感じさせるものは無い。それが廃止となるのだから、感慨深いものもあろう。多くの人の想い出を乗せて永遠の旅に出ると言われれば、最後にひと目見ておこうという気にもなろう。 しかし我輩は、これだけの人数がブルートレインの最後に集まったことについて、もしこの人間たちがブルートレインを利用したならば廃止になることは無かったのではないかと思うのだ。 結局のところ、最後の日を迎えてしまった原因は、そこに集まったコイツらにある。普段は利用せずに、こういう時だけに集まるなど卑しいにも程があろう。本当に大切に思い、本当に残念に思うのなら、なぜ、普段ブルートレインに乗らんのだ? 我輩などは、数年前にブルートレインに乗った後、これが最後になるかも知れぬと「さようなら」を心の中で言ってきたものだ。これが、裏千家茶道で習った一期一会の精神である。 だから我輩は、廃止になるという話を聞いた時、「ああ、あの日が別れの日だったんだな」と静かに思い返すのみだった・・・。 −−−−− さて、栃木県益子町に、「ペンタックスカメラ博物館」という施設がある。 ここはペンタックスの工場敷地内にあり、その関係で営業時間が平日のみとなっている。そのため、我輩のようなサラリーマンは休暇を取って行くほか無い。いくらカメラの数が多くとも、1時間くらい見れば気が済むだろう。それだけのためにわざわざ休みを取る気にもなれず、かと言って益子町周辺についでに行けるようなおもしろそうな施設や観光地なども無い。 そういうわけで、行ってみたい気持ちはあるものの、なかなか重い腰が上がらなかった。 ところがそんなある日、「ペンタックスカメラ博物館」が間もなく閉館するというニュースを知った。営業日は今年の7月末までとのこと。 このニュースを知ったのは7月始めであったから、まさに閉館まで秒読み段階。 「くそっ! まごまごしているうちに閉館になろうとは・・・。」 我輩がもし本当に行きたいと思っていたならば、休暇を取って行くチャンスなどいくらでもあったろう。蔵王のお釜へ行くエネルギーに比べればはるかに楽なのだ。つまり、今まで行かなかったということは、我輩がどうしても行きたいとまでは思っていなかったということになる・・・? そうなると、もし閉館間際に行くとなれば、それはあくまで閉館間際ということが動機ということになろう。ブルートレイン最後のさよなら運転に押しかける奴らと何ら変わらないではないか。 「なんてことだ・・・、なんてことだ、まったく・・・。」 我輩は、自分自身が許せない気持ちになりながらも、それでも閉館間際ということを動機として利用し、「ペンタックスカメラ博物館」に行くことにした。そのために、自分自身が1つのことを認めざるを得ない。 「この博物館、行く価値があるかどうかは分からないが、閉館するというから行っておくのだ」と。 我輩の興味あるカメラは、近代の35mmSLR(一眼レフレックス)カメラである。それは我輩が経た時代に深く関係している。 我輩が最初に知ったSLRは「Nikon F3」、我輩が最初に触れたSLRは「PENTAX K2-DMD」、我輩が最初にシャッターを押したSLRは「OLYMPUS OM-1」、我輩が最初に手に入れたSLRは「Canon AE-1」・・・。 しかしこれらのカメラは特に珍しいものではなく、中古カメラ店に行けばすぐにでもご対面となろう。わざわざ、博物館に行くまでも無い。 ただし中古カメラ店は在庫の動きがあるため、行くタイミングで特定の機種が見れたり見れなかったりする。それに、店内で在庫を撮影するわけにもいくまい。その観点から言えば、博物館に行く価値も少しはあるかと思う。 ところで今回のドライブは、カメラに興味が無ければ面白くないだろうと思い、1人で出かけるつもりだったが、念のために豚児とヘナチョコ妻に声をかけてみたところ、夏休みで暇をもてあましていたようで一緒に行くことになり、カメラ博物館近くのオモチャ博物館も行程に組み込むことにした。 休暇を取ったのは7月23日木曜日。 クルマに乗ってカーナビゲーションの目的地を設定し、10時頃に出発。 途中、高速道路に乗ったのだが、10キロくらい走るとなぜかカーナビゲーションの指示により高速道路を降りてしまった。 以前、我輩は知らない道をカーナビゲーションの指示に従わずドツボにハマった経験があることから、この作戦には何か深い意味があると思い、敢えて高速道路を降りたわけだが、実際のところ一般道はトラックで混雑しており、我輩の判断は裏目に出てしまった。 <一般道はノロノロ運転> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 結局、ペンタックスの益子工場に到着したのは14時近くであった。昼食タイムが含まれているとは言え、これは完全な予定外。化石博物館どころか、オモチャ博物館にも寄る時間があるかが心配。 何はともあれ、ペンタックス工場内を道しるべに従いクルマを走らせ、守衛詰め所のところで案内を受けた。 <ペンタックスの工場入口> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 我輩は現在、某自動車工場の敷地内で勤務しているのだが、そこに比べるとこのペンタックス工場はさすがに光学機器の工場らしくキレイである。緑も豊かで騒音や悪臭も無い。 <敷地内駐車場> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 博物館のある建物までの道しるべが立っているので、特に迷うことは無い。 それにしても、緑に囲まれたこの雰囲気は、少し寂れた動物園のようにも感ずる。子供の頃によく行った小倉の到津(いとうづ)動物園に来たような気分で懐かしい。 <緑に囲まれた敷地内> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 途中の渡り廊下もなかなか良い雰囲気。こういう雰囲気は出そうと思っても出せないだけに、これが見られるのは今回が最初で最後かと思うと少し寂しい気がする。 <涼しげな渡り廊下> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 渡り廊下が終わるところに、カメラ博物館のある建物入口が見えた。 何の色気も無い地味な建物だけに、かえって貴重な資料が保存展示されているだろうという予感が漂う。 <カメラ博物館のある建物> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 入口から入ると、中は薄暗い雰囲気。豚児とヘナチョコは少し不気味さを感じたようだったが、我輩としてはこの雰囲気は嫌いではない。 工場という雰囲気ではないが、例えるならば古い大学校舎内という感じがして、これまた懐かしい。 <建物内> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 博物館はこの3階にあるらしい。 階段を上がって行くと、インターネットで見たことのある博物館入口が見えてきた。 <カメラ博物館入口> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] やはり平日のためか、入場者は我々の他には2人ほどしかいない。 閉館間際ということで、普通の中古カメラ店くらいの混雑があるかと思っていたが安心した。 <カメラ博物館内> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 我輩は早速、「Canon EOS-5D Mark2」で展示物の撮影を始めた。 他の入場者も撮影をしているようだったが、撮影音を聴いていると、ペンタックス製のデジタル一眼レフの音がした。我輩の職場には「PENTAX K10」があるため、特徴ある音ですぐ判る。 それにしても、展示物が多いので1点1点を写真に収めるのは不可能に近い。 そこでとりあえずは展示用ケース全体を撮っていくことにしたのだが、さすがに2,000万画素ではツライものがある。文字など読み取れなくもないが、4,000万画素くらいあれば余裕だったろうにと思った。もちろんそうなると、レンズ性能は今まで以上に要求されるわけだが。 <展示用ケース> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] もちろん、気になるカメラは個別に撮影する。 歴史的なカメラや個性的なカメラ、そして個人的に関わりのあったカメラ・・・などである。 最初にも書いたように、我輩は35mmSLRカメラに強い思い入れを持っている。その理由は、一眼レフというのはファインダーで見たものがそのままフィルムに写るからだ。本来フィルムに届く光束を拝借し、目で見るほうのファインダーに映すシステム。これほど画期的で自由度の高いシステムは無かろう。 キヤノネットやピッカリコニカのようなファインダーが別軸にあるレンズシャッターカメラで不自由を強いられていた頃に憧れていた気持ちが、今でも続いているのである。 <PENTAX K2(上)とLX(下)のカッタウェイモデル> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] SLRというシステムの有用さは、35mmカメラのみならず大きなフォーマットや小さなフォーマットにも広がるべきもの。 そういう意味では、PENTAXの中判SLR「PENTAX 67」や110判SLR「PENTAX auto110」などは、我輩自身がそれらのユーザーにはならなかったものの、非常に大きく重要な存在に思えたものであった。 <透明外装のPENTAX auto110> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 特に「PENTAX auto110」などは、オモチャのような110フィルム(実際、110フィルムを使うカメラはポケットカメラと呼ばれ、ほとんどオモチャ扱いであった)を使いながらも本格的なシステムを構成し、SLR特有の「その気になればどんなもの(分野)でも撮れる」と思わせるに十分なものだった。 <PENTAX auto110お歳暮セット> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] ふと目を移すと、計算尺のようなものが目に入った。これはまさに、「セノガイド(参考:雑文348)」のような露出ガイドだった。 我輩はこの時代のことは知らぬが、それでも様々な条件から露出値を求めるためのノウハウが詰まっていることについて、以前から"関心"と"感心"の念を抱いていた。 今後の資料のため、これは写真に撮らぬわけにはいくまい。 <露出早見表とも言える露出ガイド> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 他にも驚かされたものに、「キーストンK1020」というマミヤ製OEMカメラがある。 この存在を知ったのは昭和62年刊の「クラシックカメラ専科」であったが、紙面に掲載された写真で見るそのカメラは非常に大柄に、恐らくは「Nikon F2フォトミック」くらいあるのではないかと思われた。貫禄十分の堂々としたカメラという印象である。 ところが実際に現物を目の当たりにして、その認識が完全に間違っていたことが判り愕然とさせられた。まさに手のひらに収まるくらいのオモチャのようなカメラだったのだ。 <実は小柄だったキーストンK1020> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 他には、フィルムの展示はなかなか興味深い。 銀塩カメラは、デジタルカメラとは違って電気は不要だが、フィルムが無ければタダの箱という存在なのだ(「電気が不要」ということの意味は、写真原理として映像を現すのは化学反応であるということ)。 だから、フィルムこそが写真の歴史の隠れた主人公であると言っても良い。 <昔のフィルム> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] そうこうしているうち、とうとう「PENTAX K2DMD」に出会った。 このカメラは、中学高校時代の同級生「クラッシャー・ジョウ」(「PENTAX K2-DMD」の項参照)の愛機であり、我輩が初めてSLRに触れ、初めてダイヤルデバイスの素晴らしさを知ったカメラである。 ジョウよ、おまえは今、どこで何をしているのだろうか・・・。 <PENTAX K2DMD> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] それから、忘れてはならぬ我輩の写真の原点となるのが、祖父の使っていた「キヤノネット」と、家のカメラ「ピッカリコニカ」である。 キヤノネットは、我輩が小学生の頃に母親と山口県の青海島(おうみしま)へ旅行する時に祖父に借りて使ったことを想い出す。 美しい景色を撮ろうとしてボディ底部のトリガー式巻上げレバーを操作したが、途中で巻上げが固くなってしまった。それでも、ある程度の力を加えると巻上げが軽くなり、何とか撮影は続行出来た。 しかししばらく撮っていると、何枚撮ってもフィルムが終わらないことに気付き、途中でそのフィルムは巻戻した。後日現像したところ、フィルムの左右のパーフォレーション(ギアのハマる穴)が破壊されており、そのあと撮ったはずの10数カットの写真は写っていなかった・・・。 <キヤノネット> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] それから「ピッカリコニカ」は、同じく我輩が小学生の頃に家族全員が使えるようにということで導入された。 ただしピント合わせは目測式で、おおざっぱではあるがそれなりの操作は要求された。 我輩はこのカメラを駆使し、庭木にやってくる昆虫の撮影から始まり、UFOのトリック撮影、そしてカメラの限界を超えて星夜写真のバルブ撮影さえ行ったこともある。 (※ピッカリコニカでのバルブ撮影は、レンズシャッターをセロテープで開きっぱなしにすることにより可能となる。シャッター羽根はフィルム室から直接触ることが可能で、そういう意味では正確に言うと「ビハインドシャッター」と呼ぶべきかも知れない) <ピッカリコニカ> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 実際のところ、博物館内で撮影したカメラはまだまだ色々あり、とてもここで紹介しきれるものではない。しかしそれでさえ、全ての展示物を撮れたわけでもなくほんの一部。写真に撮るにはあまりに展示品の数は多かった。 それに、撮影時は少々気が急いていたせいもあり、ピンボケ(被写界深度からの外れ)や手ブレなどが幾つかあった。それらは微妙なため撮影時に背面液晶画面では気付けなかったのが残念。 出来ればもう一度撮り直したいと思うのだが・・・、もうそのチャンスは無い。 しみじみ、間際になって行くのではなく、普段から行っておけば良かったと思い知らされた。 今後、これらのカメラたちがどこへ行くのかが気になるが、いつか思わぬところで再会出来ることを願うしか無い・・・。 ---------------------------------------------------- [670] 2009年05月04日(月)「2009年夏 九州帰省日記(事前計画)」 例年の九州帰省では、カメラや写真に関することについて、今後の参考となるよう記録に残していたわけだが、その内容も出尽くした感がある。 だが旅そのものについては、ひとつとして同じパターンに収まるものが無い。 そこで今回は、カメラや写真にこだわらず、単なる日記として記そうと思う。カメラや写真についての記述が少なくなっているが、写真活動そのものは通常通り行っていることをここで書いておく。 それでは早速だが、今年の帰省についての事前計画から始めることにしよう。 去年の夏では、1日早く金曜日に休暇を取って"抜け駆け帰省"を狙ったものの、首都高速道路に乗る前から渋滞にハマり、関東圏を脱出するだけでも5時間もかかった。そして結局、千葉から大阪まで11時間半もの時間がかかってしまった。 大阪からはフェリーを使って九州を目指したのだが、まさにフェリー出航時間ギリギリの到着だった。 <去年の帰省の様子 (東名高速道路)> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/08 11:12 ちなみに、千葉−大阪間の陸路11時間半は、クルマのエンジンを1度たりとも切ることは無かった。 途中でトイレに行ったり車内で昼食を摂ったりもしたが、夏の暑さのため、エンジンを切ってエアコンを止めることは出来なかったのである。 さて、今年は地方の高速道路が一律1,000円となるため、渋滞は去年よりも更に深刻になることは容易に想像出来る。 そうなると、去年と同じような旅程ではフェリー出航に到底間に合うまい。渋滞回避のためには、夜中出発して渋滞に捕まる前に関東圏を脱出するしか方法が無い。豚児とヘナチョコ妻には申し訳ないが、渋滞の中で長時間乗車するよりもマシかと思う。 ただ、渋滞に捕まらないということになれば、逆に早く到着し過ぎることになる。もし夜中2時頃に出発すると、午前中には大阪に到着してしまうのだ。フェリー出航は夜であるから、それまで時間を潰さねばならぬ。 そこで思い付いたのが、静岡県浜松市にある「スズキ歴史館」であった。ここは以前から行ってみたいと思っていたが、わざわざこのためだけに千葉から行く気も起きなかった。だから、今回はちょうど良い機会ということになる。 場所は大阪ではないものの、静岡県まで出ればもう渋滞の心配は無かろう。午前中にこの博物館を訪れ、午後は大阪へ移動することにしたい。 ところで、九州上陸後の行動については、祖父母が高齢ということもあり、あまり実家に居続けるのも苦労をかけることになるため、2日間ほどはホテルに泊まる予定とした。 どうせホテルに泊まるならばと、長崎へ小旅行することを考えた。行き先は「ハウステンボス」、そしてカピバラで有名な「長崎バイオパーク」である。 また、別府へは日帰りで行き、スギノイパレスのアトラクションプールで家族で遊ぶことにしようかと思う。 それから、父方の祖母にも会いに行くことも考えている。 父親とは、我輩が幼児の頃に両親が離婚したために20年ほど会っていなかったが、10年前の帰省をきっかけに会うようになり、ここ最近は毎年会っている。ただし、父親と会うことが本意ではなく、あくまでも父方の祖母に豚児を会わせることが目的である。出来る限り多く会わせることによって、距離と世代と事情の離れた縁を結び付けたいと思う。 そこで父親に連絡を取ったところ、今年は衆議院選挙が月末にあるためその準備に忙しくて時間が取れないかも知れないという。父親は確かに政治活動をしていたが(参考:雑文502「未来」)、確かそれは引退したとか聞いたが・・・? 結局、九州に着いてからあらためて連絡を取り、スケジュールを調整することになった。しかし実際にはこちらのスケジュールは決まっているので、九州滞在最終日に会うことを告げてそれが無理ならば諦めるしか無い。 8月7日(金) 自宅→浜松→大阪 泉大津20:00発(フェリー泊)→ 8月8日(土) →新門司8:30着→平尾台→小倉母親宅→宗像市ホテル(泊) 8月9日(日) 宗像市ホテル→ハウステンボス→佐世保市ホテル(泊) 8月10日(月) 佐世保市ホテル→長崎バイオパーク→京都郡実家(泊) 8月11日(火) 京都郡実家→別府スギノイパレス→京都郡実家(泊) 8月12日(水) 京都郡実家→父方祖母宅→小倉周辺→新門司20:10発(フェリー泊)→ 8月13日(木) →泉大津8:50着→自宅 <<画像ファイルあり>> 旅費については、今年からは豚児も子供料金がかかるようになるため、どこかで節約しなければならない。 まずフェリー料金を節約するため、去年は個室だったところを今年は寝台の相部屋とした。 そしてホテルはとにかく安いところを探した。 肝心のカメラについては、中判は一眼レフの「BRONICA SQ-Ai」は外せないが、軽量装備を要求する場面も想定して沈胴式レンジファインダーの「New MAMIYA-6」も持って行く。クルマならば荷物の重量は気にならないのが良い。 デジタルカメラのほうは、当然ながら情報量の多い2,000万画素機「Canon EOS-5D Mk2」を使う。フルハイビジョンも撮影出来るビデオカメラとして使えるのが便利。 それから忘れてはならないのが、3年前に帰省した際、置き去りにした折り畳み自転車のこと(参考:雑文581「夏の帰省2006(その2)」)。実家に持ち込んだは良いが、その後3年間ずっと持ち帰れずにいた。 せっかくの折り畳み自転車、もし手元にあれば、別の場所に行く時にクルマに積んで行くことで行動範囲が広がろう。 今年こそは、ぜひ持ち帰りたい。 <実家に置き去りにした折り畳み自転車> <<画像ファイルあり>> というわけで、今年の帰省での目標は、以下3点。 1.千葉−大阪間を、去年よりも早く 2.折り畳み自転車を持ち帰り 3.旅を無事に終える それでは、出発は次回雑文から。 ---------------------------------------------------- [671] 2009年09月07日(月)「2009年夏 九州帰省日記(1日目)」 ●8月7日(金) 1日目 <事前計画:自宅→浜松→大阪 泉大津20:00発(フェリー泊)> 去年と同様、1日早い金曜日の8月7日に休暇を取ったわけだが、今年は深夜(早朝)出発ということで、前日8月6日(木)の勤務が終わった後、急いで帰宅した。帰り着いたのはいつもどおり19時半。 食事と風呂、そして貴重品以外の荷物をクルマに運び込み、21時に就寝。 起床は午前1時半のため、とりあえず4時間半は眠ることが出来た。 出発は午前2時。 豚児を起こしてクルマに乗せ、座席で寝るように言った。 いつも思うことだが、夜の出発は気分が盛り上がる。 <夜中の出発> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/07 02:35 途中、コンビニエンスストアで朝食とするためのおにぎりを買い、いよいよ高速道路に乗る。 首都高速道路は夜中でも混む危険性があると思ったが、思い切って乗ったところ、それほど流れは悪くなかった。そして東名高速道路に入り、順調にクルマを走らせ、出発から4時間後の午前6時過ぎに「遠州豊田パーキングエリア」に到着。 <間もなく遠州豊田パーキングエリア> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/07 06:05 ここは、浜松のスズキ歴史館に一番近いパーキングエリアで、ここで時間調整することにした。暑いのでエンジンを切れない。 ちなみに、自動車博物館は予約制となっており、我輩は一番早い9時からの見学を希望している。 8時半頃、パーキングエリアを出発し、高速道路を降りて博物館を目指した。多少混雑しており予定よりも20分遅れてしまったが、スズキの工場に隣接した博物館に無事到着。 もうこの時間になると、ジリジリと刺すような陽が照りつけ、エンジンを止めた瞬間に車内温度が上がるのを感ずる。 <スズキ歴史館>(帰り際に撮影) <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/07 11:30 博物館の中では、我輩の好きな旧いクルマが多く展示されており、ここぞとばかりにデジタル写真を撮りまくった。 <展示車両> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/07 09:41-10:00 ただ、展示車輌同士が接近し過ぎており、ちょっと離れて撮ろうと思うとフロントが隠れてしまったりして全体が見られないのが残念。 <車輌同士が接近し過ぎ> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/07 09:57 一方、クルマの設計・製造の展示では、見せ方がなかなか巧いと感じた。この辺は実際に観てみないと伝わるまい。 我輩はこれらの展示について、「Canon EOS 5D Mk2」を使って高画素写真及びハイビジョン動画の撮影をした。 <設計・製造の展示> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/07 10:55-11:11 展示をすべて真面目に見て回ると、軽く2〜3時間くらいは費やしてしまう。時計を見ると、もう11時半だった。 クルマに戻ると、車内は製鉄所のように暑く、そして手に触れる物すべてが熱かった。これをエアコンで冷やすとなるとかなりのエネルギーを消費するだろう。どうせ昼食のために近場のレストランへ移動するだけであるから、エアコンは切って窓全開とした。 昼食はカーナビゲーションで検索したファミリーレストランに向かったが、誘導された店は現地に存在しなかったので、近くのデパートへ入り、レストランで食事をした。 <レストランで食事> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/07 12:14 食後、クルマを出発させ、いよいよ大阪大津のフェリー乗り場へ向かう。浜松市は中間地点のため、4時間後の17時には到着するだろう。フェリー搭乗は19時頃だからかなり余裕がある。去年は「絶対に間に合わない」という絶望感の中でのドライブで最悪だったが、今回は「いよいよフェリーに乗る」というワクワク感があるのが良い。 <大阪へ向かう> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/07 14:27 ただ、高速道路を走っていると、ローダウンした白のトヨタ・シエンタが絡んできた。 追い抜くと、必ず追いかけてきて抜き返すのだ。そのまま走っていけばいいものを、すぐに追い付くような速度になるのが大きなナゾ。何がしたいのか・・・? それに、こちらを追い抜く時には、ウィンカーも点けずに左車線まで斜めにクルマの間を縫い、そしてまた追い越し車線に斜めに縫って戻るのだ。 まあ、こういうアホな輩はどこにでもいるのだろうが、それでもアホなドライバーは多い大阪であるから、「大阪に近付いたんだなぁ」という実感みたいなものも感じた。 ところで、去年はドライブの後半は日没となり涼しくなったが、今年はドライブの後半が日中のため、強い日差しが眼に痛い。それに、このまま行くと早く着き過ぎるので間が持たない。 そういうわけで、名阪国道(高速道路のような一般道)の「高峰サービスエリア」で30分くらい休憩した。もちろん、とてもエアコンは切れないのでエンジンはかけっぱなし。そんな時、隣に大型トラックが停まったことで日陰になったのは幸いだった。 <高峰サービスエリア> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/07 15:57 さて、いよいよ泉大津もあと少しというところで、少々焦って1つ前の高速出口から出てしまい、余計な細かい道を走ることになってしまった。 しかも、踏切直前の脇道から右折する形になってしまったが、なかなか割り込みのタイミングが合わない。 「くそっ、ここは大阪だから行儀良い運転だと永久に進めんかも知れん。少々強引にでも突っ込むか・・・。」 そう思った時、1人のオイちゃん運転手が身体全体を使って「こっち入れ、こっち入れ」というサインを送ってきた。我輩は手を挙げてそれに応え、鼻先を突っ込んだ。 ありがとう、オイちゃん。こういうのも、なるほど大阪らしい。 <右折突っ込み> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/07 17:14 フェリー乗り場に着いたのは、17時半。やはり早く着き過ぎたようだったが、フェリー案内所での展望を楽しんだりしているうちに意外にも時間が過ぎ、あっという間に19時の搭乗時間となった。 <乗船前の荷物まとめ> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/07 18:30 このフェリーでは、ドライバーと同乗者は別々に乗り込む(フェリー会社によって異なる)。そのため我輩は家族と離れ、駐車場に停めたクルマに戻って待機した。 搭乗前のこの時が、一番気分が盛り上がる。 それにしても気になったのが、ドライバーが戻らない2〜3台ほどが車列の所々で停まったまま。我輩の直前のクルマもそうだったので、乗り込む少し順番が変わってしまった。乗り込む順番は、降りる順番でもある。 「くそ、せっかく早く着いたというのに・・・。」 誘導員の指示する場所に駐車し、荷物をまとめてクルマを降りた。そして、あらためてクルマを見た。 「かつてペーパードライバー歴15年だった我輩が、今はこんな旅をするようになるとはなぁ・・・。」 フェリーは夜から朝にかけての乗船のため、フィルム撮影では光量的に難しかろうと、船内にはデジタルカメラ「Canon EOS-5D Mk2」のみを持ち込んだ。これならスチルだけでなくハイビジョンムービーも撮影出来るのが良い。 搭乗後、ヘナチョコたちと船室で落ち合い、すぐに食堂に行って夕食を食べた。 食堂は去年と同じくカフェテリア方式で、好きなものを選んで最後に会計する。席はどこでも空いていたのだが、何となく去年と同じ場所に座った。 <食堂で夕食> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/07 19:22 食後は、風呂に入って寝るだけ。明朝には九州に到着する。 部屋は4人部屋の寝台で、こちらは3人のため、別の1人と相部屋となる。4人部屋を3人で貸切ることも可能だったが、その場合は追加料金が必要となるため、相部屋となるのはやむを得ない。実際のところ、寝るだけの場所であるからそれで良い。 <寝台> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/07 21:15 内海を航行する大型船、しかも波も穏やか。エンジンの振動以外の揺れは全く感じなかった。 風呂上がりにはちょうど良かった室温も、段々と寒く感じてきた。毛布を被ろう。 夜中出発と日中の疲れもあり、我輩は22時頃には眠りについた・・・。 ---------------------------------------------------- [672] 2009年09月09日(水)「2009年夏 九州帰省日記(2日目)」 ●8月8日(土) 2日目 <事前計画:新門司8:30着→平尾台→小倉母親宅→宗像市ホテル(泊)> 朝、6時前に目が覚めた。 窓の無い船室のため、時計を見るまでは夜中なのか朝なのかが分からない。 <船室> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/08 06:30 食堂の朝食は6時半からとのこと。しかしヘナチョコの体調が優れず食欲が無さそうだったため、九州上陸した後でコンビニエンスストアでおにぎりなどを買って食べようということになり、フェリーの食堂へ行くのはやめた。 そうなると下船までには時間があるので、ヘナチョコを船室に残して豚児と2人で甲板に出て行き交う船を見て過ごした。 <フェリー甲板と航路掲示板> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/08 07:03-07:14 それから1時間ほど過ぎた8時過ぎ、フェリーが間もなく接岸するとアナウンスがあり、我々は荷物を持ってロビーに出た。 いよいよ九州上陸。 ドライバーの我輩はクルマに戻り、クルマで下船。ヘナチョコらは歩行者用タラップでフェリー案内所へ渡る。 <下船後の待ち合わせ場所 (※向こうに見える船は無関係)> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/08 08:37 さて、この日の予定としては、日中は平尾台のカルスト地形(石灰岩地形)を見て回る。そして我輩の母親が豚児に手作り料理を食べさせたいとのことで、夕方には小倉にある母親の住むマンションへ寄ることにした。そして宿泊は、次の日の長崎に少しでも近い場所として、宗像市にある「チサンイン宗像」というホテルに泊まることになっている。 早速、平尾台を目指すが、朝にも関わらず日差しが強くてめまいがしそうだ。 それに、上陸からしばらく経ってもヘナチョコの体調が回復しないため、酷暑の平尾台へ行くのは危険と感じ、急遽、祖父母のいる京都郡(みやこぐん)の実家へ帰ることにした。 コンビニエンスストアの駐車場から実家に電話すると祖父が出たが、祖母は「マルショク」(=スーパーマーケットの名前)へ買いものに行っているとのこと。まあ、帰り着くまでには祖母も戻るだろう。 ところでクルマのガソリン残量も4分の1になっていたので、ここで九州最初の給油を行った。 <九州で最初の給油> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/08 09:24 その後、1時間くらい運転すると実家近くまで来た。 さすがに田舎のせいで道が狭くなる。何しろ町内には、我輩が子供の頃から信号機が1つしか無い。それくらいの交通量である。全国的に少子高齢化と言われているのだから、こんな田舎では年寄りばかりでクルマを運転出来る人間も多くはなかろう。 実家に着いたのでチャイムを鳴らしたが、誰も出ない。 窓から覗くと祖父がテレビを観ていた。テレビの音でチャイムが聞こえないらしい。仕方ないので電話をかけたところ、祖父はフラフラした足取りでようやく電話に出た。祖母はまだ帰っていないとのこと。祖父に玄関を開けてもらおうかと思ったが、フラフラの足取りを見たのでやめておいた。 ヘナチョコは体調が優れないので、とりあえずクルマに戻って窓全開状態で風通しを良くしてシートに座らせ、我輩は歩いて近所のマルショクへ行ってみることにした。 ところがどこにも祖母は見付からなかった。 「マルショクとは言っても、もしかして隣町の大きいマルショクのほうに行ったかも知れんなぁ。」 我輩はまた歩いて戻ることにした。 それにしても暑い。「ワシャワシャワシャ」とやかましいくらいにクマゼミが大合唱をしている。まさに、"九州の夏"という感じがした。 道端で、ウォーキング姿の老人が腰掛けて汗を拭いていたところを通りかかり、何となく目が合ったので互いに会釈した。ごく自然に挨拶が成立したので我輩自身驚いた。知らない者同士で会釈する雰囲気がそこにはあるようだ。 実家のほうに戻ってみると、ちょうど祖母がタクシーに乗って帰ってきたところだった。やはり隣町のほうのマルショクへ行ったようだ。 室内へ入り、体調の悪いヘナチョコを布団に寝かせ、我輩と豚児はジュースやカキ氷を食べた。 朝から体力が抜けたようになり、このまま1日がダラダラと過ぎそうに感ずる。遠路はるばる旅してこのザマかと思うと気が滅入るが仕方無い。平尾台はここからでもそんなに遠くはないが、今回は諦めた。 昼食のことは何も考えていなかったが、祖母は「それなら近所のマルショクで買おてきちゃるわ(買ってきてあげるよ)」と言って出かけていった。 祖母は90歳にも近いので「クルマで行こうか」と誘ったが「歩いたほうが健康にええけ」とスタスタ行ってしまったのには驚かされた。涼しい季節ならばともかく、こんな暑い日に・・・。 後から考えると、高齢になると暑さ寒さに鈍感になるため、本人が平気だと思っても危ないことがあるので注意が必要であった。しかし誰も祖母を止められる者がいないのも事実。 夕方になり、そろそろヘナチョコの体調も回復してきたようなので、我々3人は、我輩の母親のいる小倉のマンションへ向かった。 マンションへは1時間15分ほどで到着。1年前に来た時よりも、周囲の建物が無くなり、殺風景になった。というのもこの辺りは再開発が行なわれているため、近々このマンションも取り壊されることになっている。 豚児は「早くばあちゃんに会いたいなぁ」と言っていたが、最初は少し慣れずにおとなしかったが、次第に打ち解けて仲良くなっていた。 夕食も食べ、みんなで記念写真を撮った。ただし、中判カメラはクルマに置いてきたため、デジタルカメラで撮ってしまった。まあ、九州最後の日に祖父母も一緒に全員で中判写真の記念撮影をするつもりではある。 <夕食> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/08 18:06 マンションから小倉の夕景を見た。 いかにも小倉という眺めがまた良い。故郷に帰ってきたという実感がわく。 ただし来年はもうこのマンションも無くなり、長年見てきたこの角度からの眺めは今回限りとなる・・・。 <小倉の夕景> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/08 19:31 さて、この日の宿である「チサンイン宗像」、場所をGoogle地図で見ると近そうに感じていたが、ルート検索してみると1時間ちょっとはかかると判明。21時のチェックインに間に合うようにと、20時前にクルマで出発した。 交通状況から、少し遅れるかと思われたが、何とか21時ちょうどに到着出来た。ただ、慣れない道での夜間走行はやはり疲れた。 <「チサンイン宗像」に到着> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/08 21:04 この日泊まる「チサンイン宗像」は、建ってから1年もしないような新しいホテルで驚いた。もちろん部屋でインターネットも可能である(パソコンは持ち込みとなるが)。 これで大人2人+小学生1人の料金が7,500円。まあまあではないかと思う。 <「チサンイン宗像」の客室> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/08 21:17 豚児はもう寝る時間だが、やたらにテンションが高い。普段からテンションが高いのは否定しないが、この日はヘナチョコの体力を吸い取っているようにも思える。 ---------------------------------------------------- [673] 2009年09月12日(土)「2009年夏 九州帰省日記(3日目)」 ●8月9日(日) 3日目 <事前計画:宗像市ホテル→ハウステンボス→佐世保市ホテル(泊)> この日は長崎の「ハウステンボス」へ行く予定。少し遅くなっても現地で泊まれる安心感があるからこの日が良かろう。 しかし宗像市から長崎へ移動するとなれば、到着は昼頃となる。そうなると、意外に「ハウステンボス」で過ごす時間が短いことに気付いた。 ならば、この日の午後は「長崎バイオパーク」でカピバラたちとノンビリ過ごし、「ハウステンボス」のほうは翌日の朝一番から行くのが良いかも知れない。 そういうわけでこの日は「長崎バイオパーク」へと行き先を変更。 途中、昼食を摂ろうと思ったが、昼には微妙に早かったので、園内のレストランで食べるつもりでそのまま現地を目指す。 <長崎自動車道> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/09 10:25 高速道路から一般道に降りた後、しばらく走ると綺麗な景色の見える橋を渡った。 渡りきってしばらくして気付いたが、この橋は観光名所の「西海橋(さいかいばし)」らしい。理由は後で述べるが、この橋は子供の頃からいつか自分の目で見てみたいと思っていた橋なのだ。 <西海橋を渡る> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/09 11:04 西海橋を渡って20分後、「長崎バイオパーク」へ到着。 かなり辺鄙(へんぴ)な場所にあったため、なかなかクルマ以外でのアクセスは難しいと思った。 バイオパークの駐車場は無料で、誘導員に従いクルマを停めた。エンジンを切った瞬間に車内温度がグンと上がるのを感ずる。この暑さのため、携行する荷物はカメラ機材の他に飲み物は必須。 ちなみにカメラ機材は、ビデオ撮影用として「Canon EOS-5D Mk2」と、スチル撮影用に「BRONICA SQ-Ai」を選んだ。 園内に入る時に案内マップをもらったが、どうやらレストランに行くには少し歩かなければならないようだ。 今から考えるとたいした距離でも無かったとは思うが、この暑さの中を歩くのはかなり大変で、滝のように流れる汗をタオルで拭きながら、ヒーヒー言いながら歩いた。経路の途中に動物が何種類かいるようだったが、ほとんど目に入らない。 やっとの思いでレストランに辿り着いたところ、レストランと言うよりも行楽地にありがちな"軽食売店"という感じで少しガッカリさせられた。 しかしそれでも、食事する場所はガラスで仕切られエアコンが効いていたのは有り難い。 <バイオパーク園内で食事> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/09 12:16 食後、さっそくカピバラ放牧地へ行き、そこで大小様々なカピバラと触れ合った。 カピバラは非常におとなしく、また驚いたことに、あの風体には似合わず「ピー、ピュルルルル」という小鳥のようなかわいい声を発する。 予想通り、豚児はカピバラをとても気に入ったようで、一生懸命なでたりマッサージしたりして交流を深めていた。そして我輩はその様子を「EOS-5D Mk2」でハイビジョン撮影した。 <カピバラとの交流> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/09 13:04 しかしやはり直射日光の当たるところにいると身体がダルくなる。飲み物も底を尽きた。 カピバラは泳ぎも得意で、暑くなると水に飛び込んで泳いだりする。見ると、足には水かきもあった。 我輩たちは水の中で涼しそうにしているカピバラを羨ましく思った。特に我輩は、中判一眼レフカメラの「BRONICA SQ-Ai」の重量が負担に感じていた。 「くそ、この程度の重量が負担になるとは情けない。本当に殺人的な暑さだな・・・。」 こういう場所では、ちょっとした飲み物でも300円もする。普段なら絶対にそんなものを買わないのだが、この日ばかりはそうも言っていられない。暑さに負けて2回も飲み物を買ってしまった。 <酷暑のため売店に寄ってしまう> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/09 14:49 その後、昼食のためにパスした途中経路の動物たちを改めて訪問して回った。 16時を過ぎると暑さのピークを越えたようで幾分涼しくなり、余裕も少し出てきた。 再び、カピバラ放牧地へ戻り、今度はゆったりした気持ちでカピバラとの触れ合いを楽しんだ。 <夕方にまたカピバラと触れ合う> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/09 16:27 それにしても、このバイオパークは色々な動物と触れ合えるという意味では、他のどんな動物園と比べても特徴的だと思う。 ここでは特に写真掲載していないが、もちろんヤギやモルモット、リスザルなどのオーソドックスな動物とも触れ合える。 <色々な動物との触れ合い> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/09 13:48-15:11 豚児も色々な動物と触れ合い、調子に乗って「今度はキリンとシマウマに触れ合いたい〜」などと言い出す始末。そんな動物と不用意に触れ合ったら蹴り飛ばされるぞ・・・。 ちなみに、キリンとシマウマはあまりの暑さのためか日陰に入ったまま動かない。 <キリンとシマウマも酷暑は苦手か> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/09 13:58 最後に、出入り口近くの売店に寄り、動物のハンドパペットを買おうかということになった。 実は、我輩は動物のハンドパペットにこだわりがある。その我輩の目で見ると、ここのハンドパペットは期待したほど作りが良くなかった。中の下というところか。 しかし豚児がしつこく欲しがったので、仕方無く豚児専用として買ってやることにした。 <子供だましのハンドパペット> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/09 17:03 さて、この日の宿泊は佐世保市の「潮音荘」というホテルに泊まる予定。 ここは、家族3人で4,000円ちょっとという値段だったので決めた。部屋が道路側という理由のためだそうだが、一人あたり千数百円程度というのはどんなにボロ旅館でもそうはあるまい。・・・いや、このホテルが超ボロホテルというだけのことかも知れないが。 帰省計画時にインターネットでこのホテルの口コミ情報を見たところ、「潮風のせいか、布団が湿っていました」という書き込みが数件あった。そのことを豚児に言ってみたところ、「布団が湿ってんのぉ〜?!、カンベンして〜(ゲラゲラ笑い)」とウケていた。 そこで我輩は、面白そうなのでそのホテルに泊まることに決めた。 さて、格安ホテルは当然ながら食事は出ないので、夕食の後チェックインしようと思う。 長崎に来たのでちゃんぽんが食べたくなった。あのモヤシの香りを思い浮かべるとたまらない。 カーナビゲーションシステムで検索すると、宿の近くに「リンガーハット」があったのでそこに行くことにした。 途中、行きでも渡った西海橋を渡ったので、ふと駐車場に停めてみた。 クルマから降りて見てみると、海峡は潮の満ち引きのため、大きな川のように水の流れや渦が発生している。 そういえば我輩は小学生の夏休みの宿題で、長崎旅行の絵として西海橋を描いたことがあった。その旅行では西海橋には行かなかったのだが、絵葉書を見て西海橋を描いた。だから、実は現物を見たのは今回が初めてである。 <西海橋> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/09 17:56 しばらくしてクルマに戻り、佐世保市のリンガーハットまで走った。 駐車場は周辺のドラッグストアやスーパーと共同だったのでそこそこ広かったが、店内のほうは狭く満席で、席に着くまで15分くらいは待たされた。言葉遣いから関西人が多くいたようだったが、我輩と同じく観光客だろうか。 <ちゃんぽん> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/09 19:21 大盛りちゃんぽんを食べて満足したところ、もうチェックインの夜8時に近かったので宿に急いだ。 宿は鉄筋建てではあったがかなり古そうな様子。想像通りとも言えた。 <今夜の宿泊ホテル> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/09 20:11 しかし通り沿い、しかもカーブの出口であったため、クルマを一時停止させて駐車場を聞きに行くことも出来ずにそのまま通り過ぎ、先のコンビニエンスストアでクルマを停めて改めて電話で駐車場の場所を聞いた。 クルマで引き返すとホテルの人が誘導してくれ、駐車場に停めることが出来た。 それにしても意外だったのは、フロントの対応がかなり丁寧で、しかも安い道路側の部屋を取ったはずだったが、空いているということで海の見える側の部屋にしてくれた。そうでなくては、潮風で湿った布団には会えない。 部屋の中は殺風景で、狭くは無いが閉塞感はある。ちょっと昔の研修宿泊施設という感じか。 問題の布団だが・・・、特に湿ってはいなかった。 布団の上には浴衣があった。それに、テーブルにはポットに入った冷たいお茶があり、暑い季節には有り難かった。これで4,000円ちょっとという料金は破格だろう。もちろん、風呂・トイレは共同だが。 <ホテル室内> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/09 20:24 窓を開けると、ザーッと川の流れる音がする。 だがここは川ではなく実は海峡で、潮の満ち引きで水流が発生するとのこと。今は真っ暗で何も見えないので、翌朝の景色が楽しみだ。 ---------------------------------------------------- [674] 2009年09月27日(日)「2009年夏 九州帰省日記(4日目)」 ●8月10日(月) 4日目 <事前計画:佐世保市ホテル→長崎バイオパーク→京都郡実家(泊)> 事前の予定では、この日は「長崎バイオパーク」に行くことになっていたが、前日の予定と入れ替わったため、「ハウステンボス」行きとする。 ホテル「潮音荘」はハウステンボスに比較的近く、開園9時に間に合わせるには8時半に出発すれば十分である。それまでの間少し時間があったので、部屋から見える海峡の水流を見ることにした。 その海峡は、どこからどう見ても河口近くにあるような小さな川にしか見えない。おまけに今は干満の狭間らしく、潮の動きは全く無く静かなものだった。 「残念、流れている様子は見れなかったか・・・。」 しかし30分くらいすると、わずかに水が流れている様子が見えた。我輩はその時初めてそこのビデオを撮り始めた。 「しまった、全く水の流れの無い状態から撮り始めれば良かったなぁ・・・。」 <ゆっくりと水が流れ始めた海峡 (ハイビジョン動画のキャプチャ)> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/10 07:30 しかしそれから30分すると、わずかに水が流れている様子が見え、さらにしばらくすると「ザァーッ」という水音も聞こえるくらいに激しく流れるようになってきた。それは本当に、普通の川のように見える。これが海峡だというのだから不思議だ・・・。 <激しく水が流れている海峡 (ハイビジョン動画のキャプチャ)> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/10 08:33 ホテルをチェックアウトし、向かいの駐車場からホテルを振り返って見た。ちょうど海峡と道路に挟まれるような立地であることがよく分かる。 それにしてもエントランスの階段を降りたところがカーブ終端の道路というのもなかなか危ないな・・・。 <朝のホテル外観> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/10 08:38 さて、クルマでの出発は少し遅れて8時50分となったが、それでもハウステンボス駐車場へは9時5分に到着。なかなか近い。 クルマから降りると、この時間でももう暑い。タオルを首にかけて汗を拭く。心なしか既にダルい。本当に、暑さというのは体力を奪う・・・。 カメラ機材が負担になりそうだが、記念撮影用の中判カメラは必須。とりあえず、軽量レンジファインダー機「New MAMIYA-6」をカバンに入れた。 それから、ビデオ撮影用とデジタルスチル撮影用として「Canon EOS-5D Mk2」も持って行くことになるが、やはりフルサイズの堂々としたカメラとレンズであるから、体力の無い時にはかなりツライ。やはり片手間ビデオ撮影用としてこのデジタルカメラを使うのは無理があるか。 このカメラ、本気でビデオ撮影する分には、それこそ果てしない可能性を持つのだが・・・。 駐車場から入り口まで少し距離がある。ハウステンボス入り口近くまで来て、雲行きが怪しいことに気付き、我輩は折り畳み傘を取りに再びクルマまで戻った。 ただでさえ暑いのに、余計な歩きがさらに体内の温度が上昇させる。 ハウステンボスはこれまで何度か来ているので、特にここで事細かく書く気も無いが、1つだけ、「グランオデッセイ」というなかなか面白いアトラクションがあった。 最初に入場者全員の3D顔写真を撮り、その写真がCG映画の登場人物の顔となり、宇宙を舞台とした物語の中で活躍するというものである。シナリオもなかなか良い。 これは最近出来たアトラクションなのかは知らないが、今回初めて体験した。 <グランオデッセイ> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/10 11:33 ただ、顔写真をハメ込み易くするためだろうが登場人物が宇宙服ヘルメット姿で、どれが誰の顔かというのが判りにくい。 人の顔、特に女性の顔は、髪型も含めて認識されるため、顔面しか見えない状態ではなかなか人物特定は難しいのだ。特に豚児の場合、幼児顔を大人顔に当てはめられているため眼の比率が小さく、「もしかしたら成長すればこのような顔になるのかも知れないなぁ」と思う程度しか似ていない(下写真参照)。 <<画像ファイルあり>> ただそうは言っても、これはこれでよく考えられた企画で、映画が終わった後に別棟の出力センターへ行くと、自分の顔になっていた登場人物の画像を1枚800円でプリントアウトできるようになっている。紙は厚手で、昇華型プリンタで出力しているようだ。 出力マシンの前でバーコードの付いたチケットをかざすと、自動的に自分のデータが呼び出されて画像が表示されるようになっているので面倒は無い。 行楽地の押し売り記念写真撲滅委員会会員である我輩でも、このような一工夫ある写真は買いたいと思う。買わなければ紙出力されないのも、押し売り的でなく良い。 しかも翌日までデータは残っているので、プリントアウトするかどうかをしばらく悩む時間もある。 さて、雨は昼食時にも本格的に降ってはいたが、しばらくすると止んだ。雨が降ろうが陽が差そうが、暑さは変わらず。 持参した飲料が無くなると、フローズン系飲料を買ってしまう。暑くて耐えられないのだから仕方無いが、ホントに夏は金がかかる・・・。 <意外にうまいフローズンメロン> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/10 14:46 ところで、九州上陸した後に父親に連絡するのを忘れていたことに気付いた。 「どうせ選挙で忙しいのだろう」と思い、無意識のうちに重要な項目から外しておいたせいだろう。 とりあえずその場で電話してみた。 九州最終日の8月12日しか予定を入れられないので、その旨を伝えたところ、12日に会うということに決まった。 ハウステンボスを出たのは17時頃。意外にも時間が経つのが早い。8時間もいたことになるが、どこでこんなに時間を費やしたのかが不思議に思う。 この日は京都郡(みやこぐん)の実家に戻ることになっているため、福岡県に向けてクルマを出発させた。 <到着予定は20時01分> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/10 17:09 せっかく長崎県に来たのだからと、帰り道に本場のカステラを買おうと思ったが、どこで買えばいい? とりあえず高速道路のサービスエリアに行けばあるだろう。もしそこで無ければ諦めるしか無い。 果たして、カステラはサービスエリアにあった。しかも、ひとつのカステラコーナーが設けられているではないか。 そのうち1本を手に取ってみたが、さすがは本場のカステラ。ズシリと重い。この密度の高さは、カステラのカステラらしいところと言える。 我輩は、カステラ1本と、カステラ生地で餡を巻いたカス巻きを1本購入した。 <金立サービスエリアのカステラコーナー> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/10 18:40 その後しばらく走っていると、水害のため通行止め区間があるとのことで、鳥栖インターチェンジで高速道路を降りて筑紫野バイパスを走った。 時間的にはそろそろ夕食としたいが、道沿いでファミリーレストランを探していたがなかなか見付からない。 そのうち、個人経営のようなハンバーグ店が見えたので、とっさにそこへ入った。幹線道路と鉄道に挟まれた立地であるから決して静かではないはずなのに、なぜか寂しい雰囲気がある。 (後日調べたところ、九州自動車道の基山パーキングエリアに近いところであった) <道沿いのハンバーグ店> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/10 19:14 タレに浸けて食べる和風ハンバーグはなかなか旨かった。 食後は高速道路には乗らずそのまま一般道を走り、結局、実家に帰り着いたのは、22時少し前だった。 なぜこんなに時間が経つのが早く感ずるのだろう? ---------------------------------------------------- [675] 2009年09月28日(月)「2009年夏 九州帰省日記(5日目)」 ●8月11日(火) 5日目 <事前計画:京都郡実家→別府スギノイパレス→京都郡実家(泊)> 朝、テレビを観ていた祖母が「東京で地震があったちねぇ(関東方面で地震が起きたそうだねぇ)」と言ったので、テレビの前に来てみると、どうやら静岡付近で大きな地震があったようだ。しかも大雨による地盤の緩みも重なり、東名高速道路の一部で土砂崩れが起きたとのこと。 「東京帰れるんそかん。(千葉へ帰れるんかね?)」 「大丈夫、大丈夫。」 内心、心配だったが、まあ、「すべての道はローマに通ず」と言うではないか。ナビゲーションシステムがあるから、何とでもなろう。 それに、ニュースによれば、千葉へ戻る8月13日の昼頃には復旧する予定というではないか。 ところで今回の帰省の1ヶ月前、実は我輩の祖父の具合が悪く救急車で運ばれる事態が起きた。そのため、もしかして帰省するまで間に合わないことがあるかとも心配したが、今は体調も回復したようでホッとした。ただそうは言っても、高齢のために立ち上がるのが大変そうな状態。 我輩は、次の帰省まで祖父が元気でいるか分からないと考え、祖父と豚児の記念写真を撮ることにした。家族全員での写真は、ここを発(た)つ日にでも66判で撮ろうかと思うが、今撮れる写真も撮っておくほうが良かろう。 曾祖父と曾孫の記念写真、なかなかこういう写真も撮れまい。少なくとも、我輩は曾祖父母に会えなかった。だから、豚児を羨ましく思う。 <曾祖父と曾孫の記念写真> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/11 08:32 さて、この日は別府のスギノイパレスへ行き、そこの「アクアビート」というアトラクションプールで豚児を遊ばせるという計画だった。 しかし前日の遅い帰着もあり、疲れが残っているのが気掛かり。少し小規模になろうが近場のレジャープールにでも行くか? そのことを我輩の母親に言うと、「別府よりも近いスペースワールドのプールにしたら?」と提案された。 確かに、別府は遠くはないとは言えるが、かと言って近くでもない。プールへ行くのに高速道路を走って行くのもムダが多いかも知れん。 しかしなぁ、スギノイパレスのアトラクションプール「アクアビート」は規模が違うんだぞ。・・・まあ我輩も疲れが溜まってるし、それでもいいか。 結局、予定は出発直前で変更になり、スペースワールドへ向かった。せっかくなので、我輩の母親にも同行してもらった。 実家を出発したのは10時過ぎ。出遅れた感はあったが、疲れがあったのだから仕方あるまい。1時間後に到着したが、時間が中途半端か。まず昼食を摂ろうということになり、隣接するショッピングモール「イオン」に行くことにした。 <イオン> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/11 11:12 ただ、隣接とは言っても「スペースワールド」及び「イオン」の敷地面積は広大なため、スペースワールド駐車場からイオンへ行くには10分以上は時間がかかってしまった。 途中、近くに博物館施設が見えた。「いのちのたび博物館」という自然史博物館らしい。我輩の母親が言うには、1日では回りきれないほどの展示らしい。 ・・・気になる。 食事は、自然食を売り物にしたバイキングレストランに入ったが、思ったほど料理の種類は多くなかった。 しかしさすがにバイキングだけあり、胃袋にはたくさんの食べ物が詰め込めた。 <バイキングレストラン> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/11 13:22 「こんなに満腹状態では、プールで泳ぐのは危険かも知れないな・・・。」 我輩は自分で勝手に納得し、1人だけであの博物館に行くことにした。特に反対意見は出なかったので、皆と別れて博物館に向かった。 やはり、あれだけの規模の博物館を見て素通りするのは難しい。滅多に来れぬ九州の地だからこそ、チャンスを逃したくはない。 <いのちのたび博物館> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/11 14:09,16:17 博物館では常設展の他に夏休み限定の恐竜展も行なわれていた。 恐竜展のほうは別料金だったが、せっかくだからとそちらも観ることにした。 <恐竜展> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/11 14:12 ここで書くまでもないが、我輩は博物館マニアのため、このような情報量の多い博物館には目が無い。 同じく情報量の多い2,000万画素の「Canon EOS-5D Mk2」を使い、展示物を次々に撮影していった。 <展示物> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/11 博物館は確かに広く展示物は多かった。 そのため、現場でジックリ見ることを諦め、写真撮影で後日ゆっくりと鑑賞することにした。その甲斐もあり、およそ2時間半ほどでだいたい気が済む程度には撮影は完了した。 時計を見ると、16時半。 その時ちょうど、母親から携帯メールが着信した。今からでもプールに来ないかという誘いだった。 プールは18時までということであるから、今すぐ行っても1時間半しか泳げない。そのためだけにスペースワールドの高い入場券を買うのもバカらしい。 ところが16時以降になるとトワイライトフリーパスという安いチケットで入れるそうなので(それでも3,360円だが)、入ることにした。 プールは、流れるプールやスライダープールなど色々とあったが、基本的に子供用のため水深が浅く、大人が泳ごうと思っても底に手足が着いてなかなか難しい。 仕方無いので、豚児と流れるプールで浮き輪に捕まって回遊することにした。 <流れるプール> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/11 17:44 我輩は小中学生の頃は潜水が得意で、25メートルプールを端から端まで潜水して泳いだこともある。今でもそれくらい泳げるか試そうと思ったが、浅いプールでは意外に潜水しづらく、あまり距離が稼げない。何度か挑戦しているうちに、眼がピリピリと痛くなってきたのでやめた。 そうこうしているうちに時間切れの18時となった。 プールから上がり、眼を洗って着替えた。 母親は「もう帰ろう」と言うのだが、せっかく入場したばかりだというのにプールだけで帰るのはもったいない。 どうせなら1つ2つほど何かアトラクションを観て帰りたいものだ。それに、泳いだ後にすぐ運転するのもツライ。少しくらい休む時間も欲しい。 そういうわけで、アトラクションに入ったのだが、どうも眼が痛みが治まらない。先ほどのプールは塩素消毒がかなり強いものと思われる。 3Dシアターの映像はなかなか見応えのあるものだったが、眼が痛くて涙が止まらない。館内が暗いので人目を気にせずポロポロと涙を流し、眼を洗うことにした。 何にせよ、運転中でなくて良かった・・・。 スペースワールドを去る道で振り返ると、ちょうど皿倉山をバックにして実物大スペースシャトルがよく見えている。 今日もまた、一日があっと言う間に終わった。 <皿倉山とスペースシャトル> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/11 19:13 駐車場に戻り、クルマのエンジンをかける。眼の痛みはまだあったが、だいぶマシにはなっていた。 疲れ、眼の痛み、慣れない道、夜・・・という悪条件のため、特に運転には慎重になった。 <駐車場> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/11 19:20 食事がまだなので、途中のショッピングセンターで惣菜などを買い込み、途中、母親のマンションにも寄り、京都郡(みやこぐん)の実家に着いたのは21時過ぎ。 またもこんな時間になってしまった・・・。 ---------------------------------------------------- [676] 2009年09月30日(水)「2009年夏 九州帰省日記(6日目)」 ●8月12日(水) 6日目 <事前計画:京都郡実家→叔母さん宅→小倉周辺→新門司20:10発(フェリー泊)> この日は、九州最終日。 実家を出るともう戻って来ないので、荷物をまとめる必要がある。 忘れてはならないのは、実家に置きっ放しにしてあった折り畳み自転車を持って帰ること。 タイヤのチューブにリペアムゲルというゲル状物質を注入しパンクレス加工をしてあったわけだが(参考:雑文572「折りたたみ自転車」)、3年ぶりに実家の倉庫から出して見ると、タイヤのリムの隙間から油状のものが少し漏れて濡れていた。さすがに長期間動かさずにいるとこうなるのか。しかしまあ、タイヤの固さそのものは変わり無く、油を拭き取れば普通に乗れた。それに、アルミフレームのため錆が出ていないというのも期待通り。 早速、フレーム中央部のフックを外して折り畳み、持参した輪行バッグ(自転車を持ち運ぶための袋)に入れて、それをクルマのトランクに収めた。そして一歩下がり、改めて眺めた。 トランクの中で、それは意外に場所を取っている。 しかも、我輩は高速道路走行時には必ず4つのパイロン(三角コーン)とLEDフラッシャーをトランクに備えている。そして非常時にはいつでも取り出せるよう、トランクの中でパイロンを積む位置を限定しているのだ。 「・・・マズイな、これでは他の荷物が乗らんぞ・・・。」 大急ぎで他の荷物を集めてみたところ、結構な量であることが分かった。 小倉までは母親も乗せて行くのだから、座席は4人分が人員で埋まる。5人乗りセダンであるから、無理すれば1人分のスペースに荷物を積めよう。だが、それだけで解決するとはとても思えん・・・。 <自転車以外にこれだけの荷物がある> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/12 08:19 いったいどれだけの荷物が余ってしまうのか、それを確かめるべく、とにかく荷物を詰め込んでみることにした。 努力はしてみるもので、意外にも詰め込んでいくと何とか全てが収まった。スペアタイヤのあるフロア下スペースにも荷物を詰めたりした結果である。 ただし、一度詰め込んだ荷物は自宅へ帰るまで取り出すことは出来ない。そのため、移動中に使うものについては、トランク手前側に置いたり、車内へ持ち込んだりすることになる。 さて、実家を出る前に、家族全員の記念写真を撮る。これが無くては、九州まで来た甲斐が無い。 <全員で記念写真> <<画像ファイルあり>> [New MAMIYA-6/50mm] 2009/08/12 08:55 記念写真を撮り終わった後、祖父母に別れを言ってクルマで実家を出た。 我輩の父親の住んでいる団地へは9時頃に行くという約束だったが、少し出遅れたため到着は9時20分頃になってしまった。 出迎えた父親は相変わらず軽装だった。 豚児をクルマから降ろすと、父親は「おお、おんぶしてやろう。」と豚児をおぶった。 <豚児をおんぶする我輩の父親> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/12 09:23 去年ならばそのまま父方の祖母のいるところまで一緒に行くところだが、今年は「ウチに上がらんか?」と言われたので、行ってみることにした。 そうなると、クルマはどこに駐車しようか。 「クルマはそこに停めときゃええ。」 父親は、黄色いラインで駐車禁止区域となっている場所を指し示した。 「えっ、ここは"駐車禁止"ってなっとるみたいやけど?」 さすがに堂々と停めるのはマズイと思った。しかし父親は平然と言った。 「構わん、構わん。」 「いや、構わんっちゅうたって、団地の管理人が構うやろうが・・・。」 「ワシが管理人やけん。」 「えっ?! ・・・あ、そう。」 我輩は、団地の管理人のお墨付きをもらったので、駐車禁止区域に堂々と停めることになった。 <駐車禁止区域に堂々と駐車> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/12 09:24 部屋に入ると、そこに父親の奥さんがいたが、父親の娘のY子(つまり我輩の妹ということになるか)は外出中とのことだった。ただ、Y子は豚児のためにプレゼントを用意していてくれたとのことで、それを受け取った。 しばらく雑談した後、祖母のいる場所に行くことになった。 父親がクルマに同乗し、道案内をする。 去年は祖母の自宅へ行ったが、今年はデイケアの施設へ通っているとのことで、そこへ訪問するということになった。 途中、なぜか町内の中央図書館へ案内された。 聞けば、そこでは父親の主催する原爆写真展が行なわれているとのこと。そこで小一時間、写真展示を見ることになった。 「う・・・、平和教育も大切かも知れんが、こちらにもスケジュールがあるんだが・・・。」 <原爆写真展> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/12 10:34 駐車場に停めたクルマに戻る時に我輩が小走りしたところ、「なん、急いどるそか?(なんだ、急いでるのか?)」と父親が言った。 「今日の夕方はもうフェリーに乗るんやけん余裕が無いんちゃ。(今日の夕方はもうフェリーに乗ることになってるのだから余裕が無いんだよ。)」「おお、そうなんか。これからK男のところにも寄ろうち思うちょったが、無理やったかのお。」 K男・・・、そうか、弟もいるという話だった。忘れていた。しかし、祖母に会いに行くという予定しか組んでいないため、これ以上の寄り道は難しい。 ようやく、デイケアのある隣町に進路を向けた。 助手席に座った父親の案内どおりにクルマを走らせていたのだが、どうも最初に聞いた話とは違う場所へ誘導されているようだ。そのことを父親に指摘すると、「あ、そうか、間違えてワシが通っとる腰痛の病院を案内しよったわ、ハハハ。」と笑い出した。 カンベンしてくれ・・・。 その後、ようやく祖母の通っているデイケア施設へ到着。 祖母は、ビックリしたような顔をした。我々が九州へ来たことは知っていたようだが、この日に来ることまでは知らなかったらしい。 「あれまあ、よう来てくれたわ!」 目を丸くして驚いていた。 父親が、「みんなで記念写真を撮ろう」と言い、介護師さんにカメラを渡して撮ってもらうように頼んだ。 見ると、父親のカメラは「MINOLTA α-7」だった。以前は「α-9000」だったのだが、最新機種に替えたらしい。 そして、次に我輩の「Canon EOS-5D Mk2」でも撮ってもらった。 <皆で記念撮影> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/12 11:04 撮影時、祖母が豚児の手をギュッと握っているのが印象に残った。 撮影後も、祖母は豚児の手を握ったまま話などしていた。豚児の様子を見ると、いつもと違う神妙な表情になっている。久しぶりに会ったので人見知りしているのかと最初は思ったが、どうもそういう感じでも無さそうだった。こんな表情は初めて見た。 我輩も祖母と握手をした時に、その手の力強さを通して祖母の気持ちを感じた気がした。豚児も、同じことを感じたのだろうか? <撮影する父親、そしてそれを撮る我輩> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/12 11:28 祖母と歓談して30分ほど経った頃、父親が「じゃあそろそろ」という感じで言ったため、クルマに戻る雰囲気になってしまった。少し早過ぎるようにも思ったが、来客ということであまり長居出来ないのかと気を遣った。 祖母は、最後の時間を名残惜しそうにしながら、豚児や我々の手を固く握ってきた。 特に豚児には、「がんばんなさいよ!」と激励の言葉をかけた。次代を担う曾孫に、強く生きろと願いを込めたのだろうか。 <「がんばんなさいよ」と豚児を激励> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/12 11:33 見ると、祖母と豚児は背が同じくらいである。祖母が小さいのか、それとも豚児の成長が早いのか。 後になってこの写真を見ることがあれば、また感慨深いものがあるに違いない。 豚児は別れ際に「じゃあ、ばあちゃんバイバイ」と手を振った。 我々はエレベーターに乗ったのだが、エレベーターのドアには窓が付いていたため、ドアが閉まった後でも、エレベーターが下に降りる瞬間まで祖母の顔が見られたのは良かった。 <ばあちゃんとの別れ> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/12 11:33 クルマに戻った我々は顔を見合わせ、「ばあちゃん、元気だったね」と安心したように言った。 今から思えば、何か記念になるようなもの、例えば豚児が描いた絵などを渡せば良かったと思ったが、まあ後日、記念写真などを郵送しておこう。 さて、昼は叔母さんにお昼をご馳走になる予定。我輩の母親もその店で合流することになっている。 我輩は父親をクルマで団地まで送り届け、叔母さんの家に行った。 食事は隣町のほうにある料理屋で予約を入れているとのことで、叔母さんをクルマに乗せてその店に向かった。田舎は狭いので、先ほど行ったデイケアの近くを通り、料理屋の駐車場に到着。 やはりこの時間になると、エンジンを止めた瞬間に車内が暑くなるのを感ずる。 我輩の母親は一足先に店に到着していた。 さすがに予約する店だけあり、なかなか珍しい料理が色々と出た。叔母さんはこういう店を見付けるのがうまい。 <昼食> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/12 13:11 食後、叔母さんを家まで送ったのち、今度は我輩の母親の住む小倉のマンションへ向かう。 小倉の街を巡ってみるのも良いかも知れないが、この日の夕方にはフェリー乗り場へ行かねばならないことも念頭に置く必要がある。 フェリー出航が20時、乗船手続きはその1時間前の19時。小倉のマンションからフェリー乗り場までは30分の道のりであるから、余裕を見て18時には出発したほうが良いだろう。 時間が経つのが意外に早いということを考えると、ヘタに街中に出るよりこのままのんびりマンションの部屋で過ごしたほうが良かろう。 これは、フェリー出航時間に間に合わせる責任を持つドライバーとしての心理である。もし我輩がドライバーでなかったならば、もしかしたら街中に出ることを望んだかも知れない。 それにしても、やはり我輩の予想通り時間が経つのは早かった。本当に今回の帰省は、我輩の周囲だけ時空が歪んでいるのかと思わせる。 しかし心配性の我輩は、17時半になった時点でそこを出発することにした。もっとも、これまで時間ギリギリのハラハラドキドキを何度も経験しているからということもある。 マンションを出る直前に皆で記念写真を撮った。 「このマンションの部屋とも、もうお別れか」 来年来る時には、このマンションは取り壊されていることは間違いない。我輩がここに住んだことはなかったものの、予備校時代から大学時代、そして今日に至るまで、ちょくちょく遊びに訪れた想い出がある。 あまりキレイとは言えない部屋の中を撮られるのは母親は喜ばないだろうが、玄関を出る前にぐるりと見渡すように部屋の中を撮影した。 そしてマンションを出てクルマに乗り込み、見送る母親に手を振りながら、新門司のフェリー乗り場に向かってクルマを発進させた。 道はスムーズに流れており、意外に早く18時半にはフェリー乗り場へ到着した。 <新門司フェリー乗り場> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/12 18:57 間もなく接岸したフェリーは、特に狙ったわけではなかったが、偶然にもここに来た時と同じ船「ニューながと」だった。 <来た時と同じ船だった> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/12 18:41 帰りの便も4人部屋の寝台であるが、もしかしたら我々家族3人の貸切り状態にならないかと期待したが、やはり1人の男性客との相部屋となった。 まあ、寝るだけの部屋であるから、静かに寝ていれば何も支障は無い。 早速、夕食を食べに食堂へ行った。 今回もまた何となく同じ席に座った。そのほうが落ち着くような気がする。 <夕食> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/12 19:43 その後、デッキに出て夜の港の風景を楽しんだ後、風呂に入ってすぐに寝た。 明日の中央自動車道の走行がどうなるか少し気がかりではあったが、現時点で心配する情報や安心する情報など何も無く、考えても意味は無かろう。 ここまで来たら、なるようにしかならぬ。 ---------------------------------------------------- [677] 2009年10月02日(金)「2009年夏 九州帰省日記(6日目)」 ●8月13日(木) 7日目 <事前計画:泉大津8:50着→自宅> この日は、フェリーを降りてからひたすら関東を目指して走ることになるため、朝食のための余計な寄り道は避けたい。よって、船内食堂にて朝食を済ませた。もちろん、いつもと同じ席である。 <朝食> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/13 06:49 食後、デッキに出てみると、進行方向に明石大橋が見えてきた。 大きいなぁと思っていると、どうやらその下をくぐるようだ。 <前方に見るは明石大橋> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/13 07:31 船というのは不思議なもので、かなり遠くに見える目標物でも、意外に早く到達する。恐らく、巨大な船体のために体感速度は遅いが、速度そのものは35〜40km/hくらいはあるようだ。 そのため、遠くに見えていた明石大橋もみるみる近付き、あっという間に下をくぐって行った。 <明石大橋の下をくぐる> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/13 07:37 部屋に戻ると、相部屋の男性客は荷物をまとめて居なくなっていた。恐らく下船までの間、ロビーでくつろいでいるのだろう。 ならば、部屋にあるテレビを暇つぶしにつけてみようか。洋上で映るかどうか分からないが。 テレビをつけてみると、ノイズが多いながらも意外にも映像は映った。 チャンネルをニュースにしてみたところ、ちょうど東名高速道路不通区間の復旧工事についてやっていた。それによると、当初予定されていた上り線の復旧完了予定の8月13日が延期されたという。理由は、法面(のりめん=切土や盛土により作られる人工斜面のこと)の土砂崩れの規模が思いのほか大きく、根本的な手当てをしなければ所定強度が出ないとのこと。 <東名高速道路の通行止め報道> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/13 08:33-08:36 どちらにせよ我輩は東名高速道路を避けて中央自動車道を行くと決めていたのだが、東名道の不通により中央道へ流れるクルマが多くなることを考えると、その影響は決して小さくはなかろう。 今年は一体どうなる・・・? さて、到着時刻も近くなり、ドライバーは各自クルマへ戻って待機。運転席に座ると、やっと船という閉鎖空間から解放されるというワクワク感と同時に、長距離を走り抜かねばならないという緊張感に包まれる。 フェリーの岸壁接岸後、直ちににタラップが降ろされ、誘導に従って次々にクルマが出て行く。「動きにムダが無いなぁ」などとのんきに眺めていたところ、急に順番が来たため、慌ててエンジンをかけてクルマを出す。 フェリー案内所前でヘナチョコ妻と豚児を拾い、早速、関東に向けてアクセルを踏んだ。 <下船> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/13 08:53 我輩のクルマのカーナビゲーションでは、FM波でのVICS(道路交通情報通信システム)情報は受信出来るのだが、それが今回の東名高速道路回避にどのように働くのかは不明だったため、確実を期すよう途中経路を強制的に指定してアンカーとし、必ず中央自動車道を通るようにしておいた。 <ルート設定> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/13 08:51 去年は岡崎市辺りで昼食を摂ったので、今年もそれくらいの距離を走って昼食としたいところ。 ところがその手前の四日市市辺りで昼食時になったため、高速道路を降りてレストランを探して入った。やはりペースが遅い。 レストランでは、豚児はいつものようにお子様ランチ的な無難なものにするかと思ったのだが、生意気にも、自分で握り寿司が作れる「こども寿司セット」にしたいと言い出した。 ところが意外にもこれはなかなか面白そうで、豚児自身も楽しんでいた。商売人というのは色々と考えるものだ。 <昼食> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/13 12:49 食後はしばらく高速道路を走ったが、途中でなぜか一般道を走るようカーナビゲーションの指示があり、「恐らく渋滞情報を加味した深い考えがあるに違いない」と深読みして指示通り高速道路を降りてみた。しかし、あまり意味が無さそうに思えてきて途中で高速道路に戻った。時間の無駄だったか? 何しろ、高速道路は高速道路で時々渋滞になるものだから、その判断はなかなか難しい。 それにしても、ふと気付くともう夕方になっていた。ついさっき昼食だったと思ったのだが、もう夕食の時間になりつつある。 ところがサービスエリアはどこも満車のようで、しばらく走り続けていたものの、20時くらいにはもう限界だと思い、談合坂サービスエリアに入ってそこでようやく駐車出来た。この先にまた渋滞が始まりつつあったのでちょうど良かろう。 クルマを降りて食堂に行こうとしたところ、食堂周辺はまるで満員電車のような人混み。カウンターまではとても辿り着けまい。 <談合坂サービスエリア> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/13 20:18 仕方無いので売店で売っているうどんなどの麺類でも買おうかと思ったが、サービスエリア内にどこにも座る場所が空いてない。汁物をクルマに持ち込むのも難しく、結局、給油だけ済ませて一般道に降りてみることにした。 降りてみて判ったのだが、そこは相模湖周辺で、夜には開いている店はどこも無い。カーナビゲーションで周辺施設検索でファミリーレストランを探してみたが、「周辺にはありません」と言われてしまった。 やむなくコンビニエンスストアを探してひたすらクネクネ道を走り、ようやく見付けたセブンイレブンで弁当を買って食べた。思い切って一般道に降りたというのにこのザマ・・・。 この時点で時間は21時。 高速道路を跨ぐ陸橋から見ると、高速道路は相変わらずノロノロ運転の状態のようだ。もうこのまま一般道を走って家に帰るか・・・? <渋滞中の高速道路が見えた> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/13 21:26 我輩は豚児とヘナチョコに「家に着くまで寝ておけ」と言ってクルマを走らせた。 夜の一般道は空いていた。クルマもスムーズに走れる。ただ、信号にはよくひっかかかるので、思ったほど進めない。 高速道路の渋滞がどれほどの長さがあったのかは分からないが、一般道では都内到達まで思った以上に遠く感じた。しかしここまで来たら、もう一般道のまま走るしか無かろう。 <夜の一般道> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/13 22:35 都内に入るとタクシーが多く難儀した。しかも、片側3車線道路の右端を走っていたところ、我輩のすぐ左を走っていたタクシーが大型車輌を避けるためか急に右へ膨らんだため、とっさにブレーキを踏んだが、少しでも遅ければ確実に接触するところだった。 本当に、都内の深夜タクシーは無法者が多い。ウィンカー無しでレーンチェンジなど当たり前。第二種免許を持っているとはとても思えない。警察はなぜそういう輩を取り締まらんのだ? <都内へ到達> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/08/13 23:49 冷や汗モノの深夜の都内を抜け、ようやく千葉へ入った。もうカーナビゲーション画面が無くとも帰り着けるだろう。 後部座席では、寝ていたはずのヘナチョコが時々「イタタ・・・」と言って体勢を変えていたが、出発から16時間も経つのだから、さすがにコンパクトセダンの後部座席では辛かったろう。 帰宅したのは25時。日付が変わっていた。 出発時、まさかここまで遅くなるとは思わなかった。もし事前にこうなると予想していたならば、途中でどこかに宿泊していたに違いない。 今回、酷暑・長距離・渋滞という過酷な条件でクルマを走らせたが、幸いなことに事故・故障も無く無事に帰着出来たことを感謝したい。 それでもさすがに16時間ものドライブはウンザリさせられた。次回は新幹線とレンタカーを使うか、あるいは帰省時期を年末年始に変えるかなど検討が必要かも知れぬ。 今回の帰省のまとめは下記の通り。 ●期間 2009年8月7日〜8月13日(7日間) うち、九州での行動は5日間 ●デジタル撮影総枚数 約1,500枚 内蔵ストロボの必要性を感じた。 ●走行距離 1,873km 東名高速道路の上り線不通により予定外の走行を強いられた。 ●燃料消費量 約170L 多少の誤差はある。 ●平均燃費 11.0km/L 満タン法にて算出。渋滞もあったことを考えるとまあまあか。 ●旅行費用 158,345円 <内訳> ・フェリー代 :55,660円(往復割引) ・高速道路代(ETC) :11,800円?(予想) ・ガソリン代 :23,376円 ・食費 :22,407円 ・宿泊費 :11,760円 ・入館・駐車代 :20,040円 ・土産その他 :13,302円  小学生となった豚児のフェリー代が今年からかかるようになったが、個室から相部屋の寝台へランクを落としたことで、逆に去年よりも3万円ほど安くなった。なお、相部屋について特に問題は無かった。 また、ハウステンボスの「グランオデッセイ」の写真代は「土産その他」に含めた。 ---------------------------------------------------- [678] 2009年10月04日(日)「クルマ撮影プロジェクト」 我輩は現在、印刷営業をやっており、写真撮影や制作業務とは少し縁が薄い。 毎日、受注伝票の処理や納品物の手配と納品作業を行っており、納品時には営業車の運転もする。 そんなある日、我輩は社内で、あるプロジェクトの参加要請を受けた。 ここでは内容を具体的に書くことは出来ないが、営業ツールとしてのウェブ用のデモコンテンツの作成に取り組むことになったのである。 デモコンテンツの内容としては、クルマをモチーフとしたFlashコンテンツを制作するということが決まったのだが、我輩はその素材となる写真撮影を担当することになった。 普段あまり関わることの無い撮影業務であるから、本雑文にてその内容を書き記してみたい。 さて、今回必要な素材というのは、外装と内装の360度回転する素材である。 クルマの外観及び内装を360度全方向から見られるようにマウスドラッグで回せる、よくありがちなコンテンツに使う素材ということになる。滑らかに回すには、360度を細かいステップで刻んで撮影しなければならない。 3次元コンピュータグラフィックスを使えば区切るステップ角も正確で手軽だが(レンダリングの時間は必要になるが)、今ここでデモ用に使えるデータが無いので写真で代用するのだ。 では撮影するクルマはどうするかという話になり、職場の営業車を使って撮影しようということが決まった。 我輩のいる川崎市の営業所には営業車は5〜6台あるが、それらのうち、セダンタイプの「三菱ギャラン・フォルティス」を撮影することになった。 我輩がいつも使っている営業車は「三菱コルトプラス」なので、今回スポーツ色の強い「ギャラン・フォルティス」に乗れるのは楽しみであった。 どうせならば景色の良いところまでドライブしたいところ。 <職場の営業車、三菱ギャラン・フォルティス> <<画像ファイルあり>> プロジェクト会議では、今回の撮影についての打ち合せが行なわれた。 我輩は「360度全方向から撮るには、それなりに広く他のクルマの邪魔にならない場所が必要」という意見を述べた。クルマのような大きな物の周りを回りながら撮るわけであるから、少なくとも半径5メートルの円を描きながら撮影することになろう。そこら辺の駐車場などでは、他人への迷惑だけでなく安全面でも問題がある。 また、建物や電柱などがクルマのボディに映り込むと見苦しいので、出来れば空の開けた場所で撮りたいところ。 上司から「どこか良い場所知らないのか?」と訊かれたので、「う〜ん、富士のふもとまで行けば広い土地があるんじゃないスか?」とトボケておいた。 「富士のふもとかぁ〜。まあ、川崎市からだったら行けなくもないけど、でも遠いなあ。」 会議が行き詰ったので、我輩は「じゃあ明日までにもっと近い場所を探しておきますよ。」と言ってこの議題を流した。 次の日、我輩は上司にメールを打った。 -------------------- ギャランフォルティス撮影につきまして、下記のとおり計画を立てましたので 認許お願いします。 【場所】 アクアラインを渡って千葉に入り、 ・富津岬周辺(プール駐車場、海岸駐車場) ・木更津市の矢那川ダム駐車場(撮影実績あり) (※道のりは片道55kmのため、昨日お話した富士山周辺140kmよりも近くなります) 【タイムスケジュール】 ・午前中までに各地点を回り、撮影可能な場所を見極める。 ・外観撮影に適した時間帯、影の影響を考えると正午から午後2時くらいまで  と思われるので、それまでに外観撮影を終わらせる。 ・残りの時間は内装の撮影を行なう。午後3時半頃終了予定。 ・帰着は午後5時頃。 【備考】 外観撮影では、停車位置中心の円を描き、等間隔に刻んだ撮影ポイントに 従って撮影します。 影の影響を考えると、天候は曇りがベストです。 車内の撮影ではAC電源が必要なストロボを使用する予定ですが、 クルマのシガーソケットからAC電源に変換できるインバータを 自宅から持って来るつもりです。 また、もし時間が余れば、各種稼動部(トランク、ボンネット、シート・・・等) の開閉の様子や、部分詳細撮影なども行います(その写真を使う使わないは 後で考えるとして)。 以上よろしくお願い致します。 -------------------- あくまで業務に徹したメール内容にするのがポイントである。遊びに行く気分を悟られないようにしなければならない。 「天候は曇りがベストです。」という一文も、ドライブ日和よりも撮影結果が最優先という姿勢を印象付けるだろう。 そして、最初に示した富士山周辺よりも距離が短くなったという点を強調し、落としどころとした。 このメールに対し、上司からは次のようなメールが返信された。 場所の設定、機材準備、撮影方法等準備万端頭が下がります。 応援には行けませんが、撮影当日は、事故、トラブル等充分に気をつけて進めて下さい。 これで、会社公認ドライブに行けることになった。 もし、当初からアクアラインで千葉入りするという話を出していたならば、果たして認許されたかどうかは微妙なところ。最初に「富士山周辺」などと遠くに目を向けさせておいたのが勝因と言えよう。 機材は、職場にある「PENTAX K10D」を使うのも良いが、我輩にとって少々使いづらい面もあるため、「Nikon D200」を使うことにしたい。これなら、狭い車内を撮るために歪みの少ない優秀なレンズ「14-24mm」が使える。 撮影について実際そこまで時間がかかるとも思えないから、手早く撮影を済ませた後、波の音でも聞きながらクルマのシートで昼寝するのも良かろう。 さて撮影当日、まず川崎市の職場に出社し、撮影機材をまとめて「ギャラン・フォルティス」に乗り込んだ。 このクルマにはカーナビゲーションシステムが搭載されているのだが、逆に言えば、それが無ければ我輩は遠くまで運転することが出来ない。 使い方はどのカーナビゲーションも似たようなものだろうとは思ったが、それでも少し勝手が違ったので、慣れるまで少し出発が遅れた。 第一目標地点は、木更津市の矢那川ダム駐車場。 ここは我輩もクルマの撮影経験のある場所である。前回行ったのは休日だったが、少し待てば誰もいなくなることもあったため撮影し易い印象が残っている。 9時20分頃に職場を出て、高速道路入り口を目指して走る。 さすがに、いつも乗っている「コルトプラス」とは感触が違う。運転始めは少し慣れなかったが、しばらく運転していると意外にもかなり運転し易いと感じた。まだ限られた範囲での運転でしかないが、ヘタすると自宅のクルマよりも運転し易いところを感ずる。 高速道路に乗る際、加速しようとアクセルペダルを踏み込んでみたのだが、加速感はそれほどでもない。 「このクルマ、加速は苦手なのか・・・?」 体感速度では時速80km程度しか上がっていないように思えたが、ふと速度計に目を落としてビックリした。なんと時速110kmを指しているではないか。 慌ててアクセルペダルを緩めた。 「信じられんな・・・、ウチのクルマだと110kmも出せばかなり速く感ずるのだが、このクルマは全然そんな感じがしない。」 我輩は意識的に速度を抑えつつ、トンネルに入った。いよいよ、アクアラインで東京湾を潜って行く。 <アクアライン走行中> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2009/09/07 10:00 しばらく走っていると、洋上パーキングエリアの「海ほたる」の案内が見えてきた。このまま目的地へ直行するのもつまらないので、ちょっと寄り道しようか。 「海ほたる」は、ちょうどトンネルを出たところにある。海を横目に見ながら駐車エリアにクルマを移動させていると、今勤務中であるということが不思議だと感じてしまう。 <海ほたる> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2009/09/07 10:04 だが、初めて訪れたわけでもない「海ほたる」、特に新鮮味は無かった。ただ海を眺め、そして何もすることもなくクルマに戻った。 <潜ってきた海を眺める> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2009/09/07 10:13 本線に戻り、今度は海の上を走った。 直線道路が気持ち良く、ついスピードを上げたくなる気持ちになるが、社用車にてスピード違反で捕まるのはマズイので時速80kmをキープして走る。 千葉に上陸した後、案内に従って高速道路を降りるはずだったが、自宅のクルマのナビゲーションのタイミングと違うために降り損ねてしまい、若干遠回りとなってしまった。 <千葉に上陸> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2009/09/07 10:32 それでも、無事に第1目的地の「矢那川ダム駐車場」に11時頃到着。曇り空で撮影には理想的。 ただ今回は周囲で除草作業を行なっているようで、作業車も入っている。少し計画が狂ったか。 とりあえずクルマを停め、シートを倒して横になり、しばらく様子を見ることにした。駐車場の奥のほうにも2台ほど休憩中と思われる一般車が停まっている。 <矢那川ダム駐車場は除草作業中> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2009/09/07 11:19 10分くらい様子を見ていたが、撮影を始めても除草作業の邪魔にはなりそうもないと判断し、クルマを少し中央寄りに移動させて撮影を始めた。 本当は、クルマを中心にした円をチョークで描き、その線に沿って移動しながら撮影したかったのだが、あまり目立ったことはしづらく、目分量で撮っていくことにした。 1周回って撮り終えた後、車内に戻って画像をチェック。約100枚くらい撮影していたが、微妙に傾いたりしてムラがある。 もちろん、傾きなどパソコンで修正は可能だが、枚数が多いことからなるべく修正せずに済むようにしたい。 そこで、2周目、3周目とチャレンジを繰り返した。 画像を見ると、立って撮影したせいでクルマを見下ろしたような画となってしまった。かと言ってしゃがみながら移動して撮影するのは安定さを欠く。 まあ、これはこれで良かろう。 ただそれよりも、残り撮影枚数が少ないことが問題であった。今回の撮影ではそれほど撮影枚数は必要無いだろうとナメていたのが原因である。何周も撮るとは思わなかった。 仕方無く、JPEGのクオリティを下げることで撮影可能枚数を増やした。 それにしても、ここは思ったほど撮り易くはないように思った。背景に変化が無いし、あまり目立ったこともしづらい。だとすれば、早めに富津岬のほうへ移ったほうが良い。あそこは観光地のため、気分的にも気軽に撮影出来よう。 富津岬への移動中、コンビニエンスストア「セブンイレブン」を見付けたのでそこにクルマを停めて弁当を買い、昼食とした。 <昼食> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2009/09/07 11:45 真夏ほど暑くはないが、しかしエンジンを停めるとそれなりに暑くはなる。 窓を開けると程良い風が入ってきた。クルマの走行音はするが、それ以外は人の気配のあまり無い静かな田舎町。このままノンビリしていたいものだ。 だが、仕事が残っている。早いところ済ませて本当にノンビリしよう。 <富津岬へ向かう> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2009/09/07 12:24 富津岬にあるプール施設駐車場に到着したのは12時半頃。曇り空が晴れ、直射日光が差していた。外に出ると結構暑い。 プールのシーズンが終わっているため駐車場に停まっているクルマは少ないのだが、前方のほうに停まっているクルマにはドライバーが乗っており、それぞれ休憩しているようだった。 ここで路面に薄く円を描きたいが、やはり駐車場で不審なことをするのは気が引ける。 <富津岬にあるプール施設駐車場> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2009/09/07 12:50 外装は無理でも、とりあえず内装の360度連続写真を撮ろうかと思い、シガーソケットからAC電源に変換するインバータを装着してACストロボのスイッチを入れた。 ところがインバータが「ピーッ」と鳴ってストロボの電源が入らない。どうやらストロボの要求する電力に対してインバータの出力が足らないようだ。 参ったな・・・。 そこで、ストロボの出力を目一杯下げてスイッチを何度か入れたり切ったりしたところかろうじてチャージ出来たが、ストロボを光らせるとまた同じ状態となった。 連続撮影で角度を変えながらパシャパシャと撮影したいのに、これでは連続性を欠いてしまう。 しょうがないので、電池式のクリップオンストロボを使って撮影していった。 さて、このままいても仕方無いので、富津岬の南側にある海水浴場の砂浜へ行ってみることにした。 そこは波打ち際までクルマで入れるのだが、平日にも関わらずそれなりに人がいる。人がいるということは、撮影がやりづらいということだ。 <富津海水浴場に行ってみたが> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2009/09/07 13:21 「まあ、場所の確認ということで、また後で来ることにしよう。」 我輩はそこで数枚写真を撮った後、すぐにクルマに乗って移動した。 「じゃあ、次は富津岬の先端へ行ってみようか。」 富津岬の先端には展望台があり、その辺りの砂浜では、ごく最近まではクルマで出入り可能だった。しかし残念なことに今は立ち入りが禁止されている。 それでもあえてここに来たのは、やはり観光地気分もあったからに他ならない。 ただし、以前も来たということもあり、時間の節約のため展望台までは行かなかった。 <富津岬> (※参考として以前撮った写真を掲載) <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/14-24mm] 2009/01/04 10:31 我輩はそこで写真を撮り、「ギャラン・フォルティス」を運転してきたという記念とすることにした。 ちなみに、逆光のためストロボは使った。 <富津岬展望台駐車場にて記念撮影> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2009/09/07 13:35 さて今度は、富津岬入口付近にあった別の駐車場にも行ってみた。 ここも、最初に行ったプール施設の駐車場と同じように、仕事をサボってクルマの中で寝ている者たちが何人かいるようだ。 ところで、先ほど撮った富津岬先端での記念撮影は撮影距離が短すぎて遠近感が強くなってしまったが、今度は適度な距離から撮影出来るだろうと思い、記念撮影の撮り直しをすることにした。 <富津岬入口の駐車場にて記念撮影> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2009/09/07 13:52 なかなか良い具合に撮れて満足していたのだが、肝心な業務的撮影がまだ完遂出来ていないことを思い出し、先ほど行った海水浴場に再度行ってみることにした。 もうそろそろ陽が傾いて撮影が難しくなってくる。観光気分で記念写真を撮るなどノンビリしているどころではない。 海水浴場に行ってみると、うまい具合に誰もいない。これでやっと、誰のジャマにもならず人目も気にならない場所を確保出来た。 <再び、富津海水浴場> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2009/09/07 14:26 我輩は早速、クルマの周りから360度の角度で撮影しようと思った。 午前中に矢那川ダム駐車場で撮った360度写真は、少し上から見た角度だったが、今度は真横から撮るためにしゃがんで撮ろうと思う。 カメラの露出設定をマニュアルで固定し、いよいよ撮影を行う。 本当は正確な円を地面に描いてそれに沿って撮影していきたいところだが、とにかく撮影可能な時間帯ギリギリという焦りもあり、目分量で移動することにした。 1枚撮影し、カニ歩きで1歩左へ移動。また1枚撮影し、また横へ移動・・・。 最初はまだ良かったが、だんだんそれもつらくなってきた。しゃがんだ状態でクルマの周りを少しずつ円を描きながら移動するというのは、普段やらない動作だけにキツイのだ。 それでもようやく1周を果たし、車内に入って画像を確認した。70枚弱も撮影していた。 <360度回転撮影> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2009/09/07 14:26-14:33 画像を見ると、多少、距離が近付いたり離れたり、あるいは傾きがあったりするが、パソコンで調節すれば何とかなろう。もう撮り直しする元気が無い。 枚数が多くてパソコンでの修正が大変だとは思うが、何も素材が無いよりはマシだ。 その後、海をバックに何枚か撮影をしてみたが、15時にもなるとかなり陽も傾き、もはや撮影限界と判断した。 「任務完了。・・・しかしノンビリ昼寝など出来なかったなぁ。」 我輩は、時間が経つのが予想外に早かったことについて、改めて驚かされた。このことは、今後の参考としたい。 <陽が傾き、もはや撮影限界> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2009/09/07 15:12 ここから川崎市の職場までは1時間半くらいかと思う。そうなると、15時過ぎに出発すれば17時帰着とちょうど良い。 可能ならばこのまま千葉県の自宅へ帰りたいところだが、そういう事前計画にはなっていないので仕方無い。そもそも、自宅にはこのクルマの置き場所が無い。 さて、帰りも来た時と同様にアクアラインを通る。 少し疲れたが、帰着が遅れると残業になってしまうので「海ほたる」は寄らずに通過した。 <「海ほたる」は通過> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2009/09/07 15:59 川崎市に入り、一般道を走る。 やはり、一般道のほうが緊張する。あともう少しであるのに、ここで帰着を焦って事故を起こしては元も子も無い。 <川崎市に帰還> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2009/09/07 16:37 夕刻の渋滞に多少ハマッてしまったのだが、職場帰着時刻は、ほぼ17時であった。 あまりに時間ピッタリだったので逆に怪しまれるかと思ったが、結果さえ出していれば問題は無かろう。 次の日は、360度連続撮影の写真70枚弱について、1枚1枚切り抜く作業はなかなか大変な作業であったが、それ以上につらかったのは、意外にも脚の筋肉痛であった。 やはりしゃがみながら横に少しずつ移動しながら撮ったというのは、普段使わない筋肉に負荷をかけたようだ。ウサギ跳びと似たような運動だったかも知れぬ。 それでも、出来上がったコンテンツがそれなりにスムーズに回転することを確認し、我輩としても苦労が報われた気持ちにはなった。 こういった小さな実績が、また次のプロジェクトへの誘いに繋がろう。その時はまた、雑文にて紹介したいと思う。 (2009.11.05 追記) ギャランフォルティスの体感速度の違和感については、恐らくCVT(無段変速機)に起因するものと思われる。 ---------------------------------------------------- [679] 2009年10月27日(火)「蔵王のお釜(8)-1日目」 我輩は現在、千葉県内の町に在住しているが、この町に住み始めて11年となる。 生まれ育った土地を離れてこれまで4回ほど住む町を替えたのだが、持ち家を得たことで今住んでいる町が最後の土地となろう。 それにしても、引越した直後に感ずる新鮮な気持ちが、今思い返すととても懐かしい。 どんな町なのかを知るために、行き当たりばったりの散策から始めたものだ。散策した道の中には、これから何度も歩くことになる道や、逆に散策で歩いたのが最初で最後という道もあった。 ただとにかく、どんな道も新鮮だった。 そういう動機から、今年のゴールデンウィークで北海道へ行った際に、知らない土地で生活を始めた気分を味わってみたわけだ(参考:雑文「670」〜「677」)。 それはなかなか面白い体験で、擬似的にも引越した時と同じような気分が味わえた。 また機会があれば、同じようなことをしてみたい。 そんな時、恒例の蔵王行きを検討するタイミングとなった。 山へ行くには天気に恵まれることが大切で、週末に快晴となるタイミングが非常に重要である。もちろん、快晴であれば平日であっても休暇を取るという方法もあるが、やはり土日のほうが地方の高速道路料金が1,000円となるため、安月給のサラリーマンには土日以外の選択の余地は無いのだ。 蔵王へは、これまで火口湖「蔵王のお釜」へ訪れることを唯一の目的としていたため、特に宿泊することもなく毎回日帰りであった。例え宿泊したとしても、次の日にまた同じ行程を繰り返す意味は無いし、かと言って他の予定も無い。だとすれば、少し無理しても宿泊せずに早く帰宅したいと考える。 ただそうは言っても日帰りの場合、往復の運転時間は10時間にもなる。もし宿泊出来れば1日あたりの運転時間が半分に減らせるのだが・・・。 そこで考えたのが、「宿泊した翌日は、知らない町を散策しよう」という計画。 これならば、宿泊する意味があるというもの。 天気予報によれば、ちょうど日曜日の9月20日は快晴となるようだった。その翌日は祭日なので、泊まりには都合が良い。 問題は、どの町にするかという選定である。 高速道路出入り口の白石市や遠刈田温泉などは、これまで蔵王登山で何度も訪れているために、我輩にとっての新鮮さを失いつつある。そうなると、全く別の土地を探さねばならない。 想定するのは、一度も訪れたことが無く、散策のしがいのある規模の町。 何も無い小さな田舎では、住民に溶け込むことは無理があるし、ただ歩いてもそれこそハイキングでしかない。商店やショッピングセンターなどが普通にあるような町で、住民に紛れてスーパーで買い物したり町を歩いたり出来るところが良い。 最初に考えたのは仙台市だった。どこかでクルマを駐車し、折り畳み自転車で移動しようかと思った。 ただ、都市の規模が大き過ぎるか。色々と調べてみたが、駅近くでは駐車が困難であろうと思われた。クルマの置き場所に気を使うのは困る。 そこで他の町を探すことにしたのだが、平日に割ける調査時間が少なく、結局決まらぬまま前日の夜を迎えてしまった。 前日となれば、それこそ早く就寝せねばならぬ。 仕方が無い、とりあえず、車中泊するための「道の駅」をピックアップしておき、そこから近い町の中から当日決めることにした。 さて、クルマに積み込む荷物については下記の通り。 ・布団一式 ・折り畳み自転車(市内散策用) ・遮光カーテン(車中泊の車内目隠し用) ・ACインバータ(主に各種充電器用) ・登山用具一式 ・撮影機材一式 撮影機材については、今回は高品位なハイビジョン撮影が可能である「Canon EOS-5D Mk2」があることから、これを使って撮影してみたい。 そういうわけで、まず最初に「EOS-5D Mk2」が決定した。 一方、登山ではいつもスチル撮影に関しては66判をメインとし、66判を補完する役割として35mm判を用いている。 しかしながら最初に決定した「EOS-5D Mk2」は、フルサイズのせいなのかレンズ共々図体がデカい。しかもビデオ撮影ならば三脚とビデオ用雲台は欠かせぬ。これに66判と35mm判のカメラを追加するとなれば、撮影機材はかなりのものとなる。 仕方が無いので、今回は一眼レフカメラの「BRONICA SQ-Ai」ではなく軽量レンジファインダーカメラ「New MAMIYA-6」を選んだ。 そして35mm判については、マルチスポット測光が可能な機種として「MINOLTA α-707si」か「OLYMPUS OM-4Ti」のどちらかということになるが、軽量コンパクトという条件を加えると、自ずと「OLYMPUS OM-4Ti」という結論に辿り着く。 蔵王行きの前の晩、いつものことだが、支度に時間を取られて寝るのが遅くなった。 寝るのが面倒になったので寝るのは諦め、そのまま出発した。 時間は、午前1時。 それにしても様子が変だ。この時間にしてはやけにクルマが多い。まるで昼間の高速道路のよう。 例年ならば、こんな夜中に走るクルマはトラックしかおらず、区間によっては我輩の前後にクルマがほとんどいない状態にもなり寂しささえ感じたものだが、今回は寂しさなど微塵も無い。 やはり、休日の地方高速道路1,000円の影響なのだろうか。 <午前2時にしてはやけにクルマが多い> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 01:57 途中、休憩のためにパーキングエリアに入ろうとしたのだが、満車のために入れないではないか。こんな夜中にも関わらず誘導員も多数いて発光棒を振っている。参ったな・・・。 幾つかのパーキングエリアを過ぎた後、ようやく安達太良サービスエリアで停めることが出来た。それでも、本来は駐車スペースではない安全地帯のような場所に誘導されたくらいだ。 夜が明け始めたとは言え、この時間でここまで混むとは何事だ・・・。 <安達太良サービスエリア> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 05:31 寝ずに出発したこと、そして、ここまで休めなかったこともあり、ここでしばらく仮眠を取ることにした。 まあ、後ろの布団で寝るまでもあるまい。 ただしその場合、前席では布団がジャマになってリクライニング出来ないため、腕を組んで目をつぶるくらいの仮眠でしかない。 1時間後、すっかり明るくなったのでクルマを出発させた。 しばらく走っているとパーキングエリアが見えてきたりするが、どこも満車状態で入れる様子は無い。先ほど入れたのはラッキーだったのだ。 <どこも満車> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 07:16 そんなこんなで、ようやく白石インターチェンジを降り、蔵王エコーラインを目指す。 時間は7時半。もうこの時間ではエコーラインの先にある有料の蔵王ハイラインへは無料通行出来ない。焦らず行くことにする。 改めて考えると、新しいクルマで蔵王に来たのは初めてだった。 エコーラインの九十九折(つづらおり)のヘアピンカーブが、以前のクルマよりもかなり安定しており、ついつい調子に乗ってスピードを上げてしまう。まるで、自分の運転が上手くなったかのような錯覚すら感ずる。 しかし途中でキャンピングカーに阻まれてペースを落とさざるを得なかったが、事故を防ぐ意味ではちょうど良かったろう。 蔵王ハイライン入り口で通行料520円を払い、残りの短い道を登り切って山頂に着いた。時間は8時40分になっていた。 駐車場は、レストハウスに近い順に第一駐車場、第二駐車場・・・とあるのだが、第一駐車場はほぼ満車で、辛うじて空いたところになんとか停めることが出来た。 驚いたことに、前回訪れた時には砂利だったが今回見るとキレイにアスファルト舗装されていた。 <第一駐車場> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 09:41 クルマを停めた後、ドアを開けると冷たい風が吹き込んだ。思ったよりもかなり寒い。周囲の観光客も、ビックリしたように「うわ、寒い!」と言っている。 それでも観光客たちの多くは、上着の用意をしてないせいか、あるいはすぐに戻ってくるつもりでいるためか、薄着のままで震えながら「蔵王のお釜」が見えるほうへ歩いて行く。 空を見上げると、霧のような雲(距離が近いので霧のように見える)が上空を覆い被さり、強風のためか速く流れていた。 さすがに我輩は、数時間を過ごすつもりでいるから、寒さに耐えられるような格好で行かねばならぬ。何しろ北海道では今年、夏山でありながらも7名の凍死者を出した事故があったばかり。寒さをナメてはならない。 そこで我輩は、保温性の高い部屋着をズボンの下に着込み、シャツも二重に着て、その上から防寒着を着た。暑くなればシャツを1枚ずつ脱げば良い。 着替えは、クルマの後部座席でカーテンを吊っておこなった。寝るには必要十分な広さではあるが、着替えには少し狭いため手間がかかる。 着替えの手間や、出発間際に放り込んだ荷物の整理などがあったせいで、いつの間にか1時間ほど経ってしまった。 その後、厚手の靴下を履いてトレッキングシューズに足を入れる。そして改めてクルマから出て、撮影機材を入れたザックを背負った。 それにしても、風が強く冷たい。襟元を詰めたが少し鼻水が出てくる。 おまけに、ズボンの内側に履いている部屋着ズボンがだんだん下がってくるのが気になって仕方が無い。そう言えば、部屋着ズボンのゴムが最近ゆるくなっていた。ただし外側に重ね履きしたズボンのおかげで、下に脱げ落ちることは無い。 午前10時、観光客と登山者を分ける柵をいつものように乗り越え、崖降りルートを順調に下る。 <柵を乗り越える> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 09:58 曇り空はいつの間にか払われて青空が出てきたが、風は相変わらず強く吹き付け、カメラのストラップも激しくはためく。 <強風でストラップがはためく> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 10:14 しかしその強風も、お釜のふもとまで降りると静かになった。 部屋着ズボンは、もうこの時点で限界まで下がっていた。落ち着かないし歩きにくかったが、崖を下る途中では対処も出来ずに苦労させられた。 途中、雨水で斜面が浸食されているところを見付けて興味深く眺めたりした。ちなみに、このような地形を地質学的には「ガリー浸食」と言うらしい。 そう言えば、最近、火星のクレーター内で水が流れた形跡が発見されたという画像を見たことがある。水が流れる前と流れた後の比較画像(4年を隔てた2枚の写真)だったが、静止画ながらもそこに"動き"を垣間見た。そして今、目の前にした風景も、雨水を集め流れ下る様子が目の前に蘇るかのように感ずる。 <雨水で浸食された斜面> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 10:19 そこから少し歩くと、積層した火山灰が雨水に浸食されている場所もあり、そこではまるで等高線のように見えるのが面白い。 この水無川の川床に降り、積層した火山灰の層を詳細に見てみると、カチカチに固まった層もあれば、砂利の状態で指で摘めるものもあるということが分かった。そして、固い層のほうを石で叩いてみると、カコンカコンと軽い音がする。 そこでようやく気付いたのだが、この水無川はお釜から流れ出す「濁川」であった。いつも流れていたはずの濁川なのに、なぜ枯れているのか・・・? <等高線のように見える浸食地形> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 10:41 少し上に上がって川下のほうを向くと、水の流れる音が聞こえる。少し高いところに上がると、水の流れも見える。 川筋が変わったのか、あるいは途中で伏流しているのか。しかし、他に川筋が見当たらないことから、やはり伏流しているのかと想像する。 それにしても、川下の流量は少なくなさそうに思うが、それほどの流量が伏流しているとすれば信じられない。 さて、お釜の縁へ登って湖面を覗いてみようと思う。 相変わらずフカフカしている白い地面の斜面を登り、お釜の縁へ到達した。ちょうど良い色に発色する時間帯のためか、とてもキレイな緑色の湖面が見えた。それと同時に、強風が我輩に吹き付ける。遮る物が何も無い、まさに吹きっ晒しの場所であった。 <吹きっ晒しのお釜の縁> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 11:04 風は湖の側から吹き付けるため、湖面側へ落とされる危険性は無いだろうとは思うが、それでも縁のギリギリに立って強風に身体を揺らせていると恐怖感が襲う。 我輩は、そこで「EOS-5D Mk2」を三脚にセットし、湖面全体を右方向へパンして撮影することにした。 1回目、失敗。 やはり強風のため、しっかりと三脚を押さえ付けておかねば少しブレが出る。 2回目、そして3回目とやって、ようやく納得出来る動画が撮れたように思う。 その後、湖面に一番近付けるデルタ(三角州)側へ回り込んだ。 以前来た時と、湖岸線が全く違っている。詳細は帰宅してから画像を見比べねば分からないが、パッと見た目、湖岸線が湖側へ後退しているように思う。つまり、水位が低下しているようだ。 <デルタ(三角州)> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 11:20 デルタを一通り散策した後、お釜に注ぐ複数の川のうち、恒常的に流れている1本の清流「五色川」に近付いた。 そこでは、五色川に浸食されている粘土層が露(あら)わになっているのが見えた。 この様子は以前にも見たが、今回はかなり広範囲に露出している。 <五色川に浸食されつつある粘土層> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 11:50 粘土の層は、細かい粒子の火山灰が降り積もったものであろうから、ここだけでなく別の場所にもこのような層の続きがあるに違いない。 そして、粘土の層は不透水層であるから、お釜の水をたたえる働きとして重要な役割をしているのかも知れない。 お釜の水位はある一定以上にはならないということからすると、スリバチ状の粘土層の上端まで水位が達すると、そこから溢れた水が濁川に流れ込むのではないかと思うのだが。 さて、もうすぐ12時。そろそろ昼食にしようか。 前回は日清のカップヌードルを食べたのだが、今回は少し大きめのものを選ぼうと思い、コンビニエンスストアで本格的なとんこつラーメンを選んでみた。 カップラーメンに使う水を得るため、五色川を遡上していく。なるべく上流の水を汲んで湯を沸かしたい。 それにしても、もう9月中旬であるから、雪解けも終わっているはず。それでもなお五色川の水が流れているのは不思議に思う。植物が茂っている場所ならば保水力もあろうが、植生のほとんど無い岩場から五色川の水が湧き出ているのである。水源として、どこにそんな保水力があるのだろう? それはいずれ突き止めたい謎の1つである。 <五色川を流れる清流> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 12:20 さて、前回とほぼ同じ場所で腰を下ろす。ここまで歩いてくるとさすがに暑い。防寒着を脱いで1枚目のシャツのボタンを外した。少し寒くなったが、汗を乾かすには強風が好都合。 キャンプ用ケトル(やかん)とアルコールバーナーを使って湯を沸かす準備をする。強風のため、岩で囲って風から守るようにした。 だが、持参した100円ライターの点きが悪く、どうやっても火花しか散らない。実は、元々点きの悪いライターだと知っていたのだが、火花さえアルコールに触れれば着火するだろうと思っていた。しかし、なかなかうまくいかない。 アルコールの炎というのはほとんど見えないため、着火時にヤケドを負う危険性がある。それでもなかなか火が点かないことで半ばヤケになり、危険を承知でバーナーに突っ込んでライターを擦ったところ、やっと点いてくれた。 炎は見えないが、強風のためにボオーっと音がして熱くなってきた。良い感じだ。 アルコールバーナーであるから沸騰するまで少々時間がかかったが、それでもグラグラと力強く沸騰している(ただし、高所のため若干沸騰温度は低いはず)。 <湯を沸かす> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 12:43 早速、湯をラーメンのカップに注ぎ、時間を待った。 そしていよいよ食べるわけだが、食べ始めはそれなりに熱くて大変ではあったものの、強風のせいかみるみる温度が下がる。日清のカップヌードルよりも開口部が広いので、熱も風に奪われ易いのだろう。 肝心の味についてだが、確かに、本格的なとんこつらしき味はするのだが、思ったほど旨くない。我輩は庶民であるから、本格的に"とんこつ"を謳ったラーメンよりも、近所のラーメン屋で出るような無印ラーメンのほうが数倍旨いと感ずる。わざわざ"とんこつ"を名乗るというのは、あまりにとんこつということを意識し過ぎている(つまり、気取っている)ように感ずるのだ。 <本格とんこつラーメンを食す> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 12:54 その点、「うまかっちゃん」のようなインスタントラーメンは、小さく"とんこつ風味"と気付かない程度にしか書かれておらず、味も素直で万人ウケするだろう。 次に来る時は「うまかっちゃん」にするか。 食後、しばらく座ったまま休憩した。 上部の外輪山には小さな人影が幾つも見える。恐らく向こうからはこちらは見えまい。お釜という巨大なものの陰にいる小さな人間など、どうやって気付くというのだ。 <外輪山の人影> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 12:16 お釜のふもとに目を移すと、安齋徹の火山研究所跡が見えた。 これからお釜の最高峰五色岳へ登ろうと思うが、途中、火山研究所跡に寄ってみよう。そこは我輩にとって神社みたいなもので、この先の行程の安全を祈るのだ。 五色岳は、お釜の湖面が一望出来る一方、お釜の背面も見渡すことが出来るとても眺めの良い場所である。そこへ登ってみたところ、我輩がクルマで登ってきたエコーラインが見えた。クルマの行列が壮観だった。 ところが良く見ると、クルマの行列は微動だにしていない。まさに渋滞であった。 <エコーラインの渋滞> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 14:03 山頂の駐車場がもし第一駐車場だけでなく全てが満車状態であるならば、この渋滞はかなり深刻であろうと思われた。何しろ、駐車場から1台出ないことには、待っている1台が入れない。道を通過するだけの渋滞とはその点が大きく異なる。 山の上から見下ろしているだけに、渋滞が遥か向こうまで続いているのが良く判る。最後尾のクルマが駐車場に入れるのは、いったいいつになることだろう・・・。 それにしても、自家用車でここまで来るようになって、時間的余裕がとても嬉しい。 新幹線とバスで来ていた頃は、まさに時間との戦いだった。最終バスに乗り遅れたこともあった(参考:雑文444「蔵王のお釜(1)」)。 しかし今、自分でクルマを運転し、好きな時に訪れ、好きな時に家路につくことが出来る。そして今回も、気が済むまでここに居よう。 そんなことを思っていると、やけに自分の影が長くなっていることに気付いた。 「マズイ、いくら時間に融通が利くとは言え、この季節は陽が短かかったことを忘れていた。」 我輩はピッチを上げることにした。 今回は、これまで歩いたことのないルートを辿った。お釜脇にある大きな水無川の源流である2つの火口跡の縁を歩き、そのままふもとまで降りる。 途中、興味深いものを見付けた。 まるで、泥に小石が飛び込んだような状態がそのまま固まったような岩石があった。これは、積層されていた火山灰の層の中にあったと思われる。詳しいことは分からないが、これがかつて泥であったことは確かだろう。 <かつて泥だったのか> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 14:20 その後、水無川を降りて巨大な滝壺のところまでやってきた。 その巨大さは、写真ではどうしても伝えることは出来ない。広角で撮れば小さく見えるし、かといってズームアップすれば全体が見えなくなる。 上から顔を覗かせて見下ろすと、あまりの崖に足がすくむが、まるで神殿のホールのような荘厳な雰囲気が良い。 <滝壺の神殿ホール> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 14:46 ふと見ると、積層された火山灰の層が、1箇所(と言っても巨大なものだが)だけ縦に向いているものがあった。浸食か何かの理由で、その岩石が崩れ落ちたのだろうか。もしそれが本当だとすれば、その時どんな大音響が響いたのだろう。聞いてみたかった。 <火山灰層の向きが異なる> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 14:56 ふと上空から、何かエンジンの唸る音が聞こえてきた。見ると、ライトプレーン(1人乗り軽飛行機)が2機、お釜上空に現れ、旋回していた。そして我輩の上空を通り過ぎたが、我輩のことに気付いただろうか? 相対高度は100メートルくらいあったように思うが。 <ライトプレーン> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 15:01 お釜のふもとへ降り、白い斜面を歩いた。 目の前には、いつも帰りに寄る1本の木が見えた。まさに、外輪山の影に隠れようとしている間際だった。 その木は、いつものように元気そうに見えた。 <影に隠れようとしている1本の木> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 15:06-15:08 我輩はしばらくの間、懐かしげにその木の幹を触ったりしていたが、やがて外輪山の影も被さってきたので、その木に別れを言った。 来た道を戻り、崖を登る。 振り返ると、つい1時間前に上から見下ろしていた滝壺の神殿ホールが一望出来た。 <滝壺の神殿ホール> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 15:31 ふと足下を見ると、我輩の影がとても長く伸びていた。これならば、上から見ている者も我輩の存在に気付くのではないかと思うのだが。 <長く伸びた影> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 15:37 帰りの登りはそれなりにキツかったが、クルマで来たのだから焦る必要は無い。それに、今回は車中泊をするのだから気が楽。 最初に乗り越えた柵をまた越え、観光客に混じって歩いた。やはり最後の登りは足が重い。 ようやくレストハウスに到達した頃には午後4時になっていた。 レストハウスでソフトクリームでも食べようかと思ったが、残念なことにこの時間では閉まっていた。 仕方なくそのままクルマに戻って身体を休めた。 このような場面でクルマという母艦があるというのは、「休憩所」、「補給源」、「移動手段」という点で非常に有り難い。 それにしても、シャツは汗で濡れていた。少し窓を開けると、強風によって汗もみるみるうちに乾いていく。 我輩は車内で着替え、部屋着になって30分くらい布団に横になった。こんな場所で、自分の布団で寝られるとは何と言う極楽か。 <布団を敷いた車内> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 16:55 ただ、トイレに行きたくなったのでそんなにゆっくりもしていられない。何しろ、トイレは閉店したレストハウス内にあるのだ。 我輩はクルマを発車させ、下山を開始した。もう、スモールライトを点けるべき明るさであった。 遠刈田温泉へ着いたのは、午後6時半頃。もう真っ暗であった。 ここで銭湯に入るか。 以前ここで入浴した時の施設は無くなっており、代わりに新しい施設が出来ていた。ちょうど、以前駐車場だった場所に建っている。 入浴料は300円とかなり安い。 <遠刈田温泉の銭湯> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/20 19:09 入浴後、近くのコンビニエンスストアに行って弁当などを買おうかと思ったが、コンビニエンスストアの外見にしては普通の商店という品揃えのため弁当は買えず、そこから2km離れた別のコンビニエンスストアで弁当を買ってその場で食べた。 ちなみに、明日の朝食もそこで調達しておいた。 さて、今夜の宿泊地だが、30kmほどと少しばかり離れているがダム湖のほとりにある「道の駅七ヶ宿」にしようと思う。 コンビニエンスストアを出発して遠刈田温泉方面に戻り、そこから街灯など全く無い道をひたすら走った。 四つ角にさしかかると一旦停止するのだが、ライトの当たらない左右は真っ暗で何も見えず、安全確認が出来ない。もし無灯火の自転車が横から突っ込んできたら、ぶつかるまで気付くまい。 当初から前後に全くクルマが居ない寂しい道だったが、進むにつれ民家も見えなくなり、道の両側に木々が生い茂るだけとなった。こんなところ、昼間であっても自転車や徒歩では通りたくない。 遠刈田温泉を出てから40分経ち、ようやくダム湖に沿った道に出た。そして幾つか橋を渡り、ようやく「道の駅七ヶ宿」に到着。 駐車スペースは小さく、車中泊と思われるクルマたちが1つおきに駐車している。我輩はグルリと回り、適当な場所にクルマを停めた。 さっそく車内で遮光カーテンを吊り、道の駅のトイレで歯を磨いて寝床に入った。 自宅寝室で使っているいつもの布団であるから、寝床に入れば自宅に帰ったような気分になれる。 酸欠しないよう、窓はほんの少しだけ開けたが、寒さは思ったほどでもない。 たまに車の出入りする音やドアの開閉の音が聞こえてくるが、登山の疲れもあり、いつの間にか眠りに就いた。 ---------------------------------------------------- [680] 2009年10月28日(水)「蔵王のお釜(8)-2日目」 早朝5時半頃、何となく目が覚めた。 周囲が起き始めたため、その気配でこちらも目が覚めたのだと思う。 遮光カーテンをめくってみると、来た時は1つおきに停まっていたクルマも、隙間無い状態にまでなっているではないか。そしてその状態から、1台1台とクルマが出て行く。 <道の駅「七ヶ宿」の朝> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/21 06:10 前席へ移り、前の日に買った稲荷寿司を食べた。 フロントガラスは水滴が付着し曇っている。外気温はそれなりに低いのかも知れない。 外に出てみると車体にも水滴が着いていた。 食後、外に出て早朝のダム湖を眺めたりなど散策してみた。 ここには長い階段と、そして長い滑り台があった。こんな長い滑り台は今まで見たことが無い。 <長い滑り台> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/21 06:07 さて、この日は知らない町を散策する予定。ただし目的地がいまだ決まっていない。 しばらく車内でカーナビゲーションの地図を見ながら検討していたが、なかなか適当な場所が見付からない。確かに、カーナビゲーションの地図からでは町の規模や雰囲気など全く分からないのだから当然ではある。 そこで、とりあえず帰宅経路の途中に存在する町に決めることにした。そうすれば、帰宅する際に多少距離が短くなり苦労が減ると思った。 そういうわけで、那須塩原市の黒磯駅付近などはどうかと考えた。少し観光地の雰囲気があるだろうが、少しくらい賑やかなほうが良かろう。土産を買うのもちょうど良い。 午前6時半頃、道の駅を出て高速道路入り口を目指した。 ガソリンが残り少ないのだが、経路上にガソリンスタンドが存在しない。どうしようかと思ったが、高速道路に入った後で安達太良サービスエリアにて20リットル給油しておいた。 那須塩原に着いたのは午前8時半頃。 高速道路出口でかなり混雑していたので「さすがに観光地だなぁ」と思ったが、黒磯駅方面にクルマを向けると混雑も無くスムーズに走行出来た。 まだ午前9時過ぎだったせいか、店はどこも開いていない様子。しかしその中でも「ダイユー」というスーパーマーケットが開いているようだったので、そこの駐車場にクルマを停めてみた。 では、ここを拠点にして町を散策してみようか。 <ダイユーの駐車場> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/21 10:11 折り畳み自転車を使おうか迷ったのだが、散策途中で駅や店舗などに立ち寄ることを考えると、徒歩のほうが身軽だろう。カバンなど持たず、ただ、1台のメモカメラ(EOS-5D Mk2)を肩に掛けるのみ。 元の場所に戻れなくなると困るので、携帯式GPS「GARMIN」を持った。電源を入れてみたところ電池が切れそうになっていたので、車内で単三電池を探したがあいにく見付からなかった。 まあ、最悪の場合、コンビニエンスストアでも見付けて電池を買えば良い。 我輩はそこにクルマを置いたまま、黒磯駅の方向(南)へ歩き始めた。 途中、懐かしい感じの写真店や時計店、雑貨屋などを目にして写真を撮ったりした。しかし町が全般的に寂れているのが気になる。歩いている人間もほとんどおらず、住民に溶け込むどころか我輩の存在が浮いているような気にさせられる。 <寂しい商店街> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/21 10:22 そんなことを考えているうち、午前10時半頃、黒磯駅に着いた。 さすがに駅には人が多かったが、それでも駅構内の規模は小さく、土産物(豚児は食べ物よりも物がいいと言っていた)でも買っていこうかと思ったがめぼしい物は無かった。 <黒磯駅> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/21 10:31 駅前に町内の案内地図があったのでそれを見たところ、自然公園が北の方角にあるようだったのでそちらに行ってみることにした。方角としては、クルマを置いている場所の方向へ戻るのだが、先ほど歩いた道と平行した道を歩くことになる。だから、公園で過ごした後は西へ少し移動すればクルマの置き場所へ戻れるだろう。 テクテクとひたすら歩くのだが、やはり我輩の他に歩いている者はいない。暑くなってきたので途中でコーラを買って水分補給しながら歩く。 午前11時頃、公園の入り口が見えてきた。 恐らく人工的に作ったものだと思われる小川が流れ、トンボが舞っている。大きなトンボが同じところを何度も往復しているのが見えたが、これはオニヤンマだろうか。また、光沢のあるトンボもいたが、こちらはギンヤンマか。イトトンボの仲間も見られた。 しばらく歩いて行くと、浅い池などが幾つかあり、家族連れなどがのんびり過ごしている様子が見えた。 豚児が一緒にいたらまた楽しいだろうなあと思った。 <公園> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/21 11:11 さらに先へ行くと、運動公園のようなところに出てきた。ちょうどラグビーをしているのが見える。 我輩は土手に座ってしばらくノンビリした空気を味わうことにした。 ここは初めて来た縁もゆかりも無い場所で、知り合いすらいない。そんな場所の日常風景に触れている。まさに、引っ越して来たばかりの気持ちが再現されている。 「ずっとここに居てもいいかもなぁ。」 <運動公園> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/21 11:18 10分ほど過ぎた時、ふと目を移すと、向こう側に釣竿の先のようなものが動いているのが見えた。 「何だ? 向こうは川か?」 しばらくそこでノンビリするつもりだったが、気になったのでちょっと見に行ってみた。 すると、土手の下には見事な川が流れており、ゴツゴツした礫が目を引いた。 ふと見ると、川沿いに道があったので、そこを北の方角へ歩いてみることにした。 <川沿いに歩く> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/21 11:29 途中、食事処と鮎の観光捕獲場(「やな場」というらしい)が見えてきた。なかなか面白そうだったが、今この時間に何かをやっているわけでもなさそうだったのでそのまま通り過ぎた。 そこからまた歩くと、今度は道しるべが現れ、それによれば1km先に別の公園があると書かれている。 せっかくだから、そこまで歩くか。そして途中から川を離れて歩けば、クルマを置いた場所に戻って来れるだろう。 少し疲れてきたが、そのまま川沿いの道を進んで行った。 ところが、到着した公園はオートキャンプ場で、全く落ち着く場所ではなかった。 「どうする? 戻るか?」 しかし来た道を戻ることがとても苦痛に感ずるため、このまま進んで道を探すことにした。 GPSのスイッチを入れて測位してみると、西の方角のクルマを置いた場所を通り過ぎ、どんどん遠ざかっていく。西へ向かう道が無いのだから前方(北)へ進むしかない。 ちなみに、西のほうは植生に覆われているのでよく見えないが、高台になっているようだ。恐らく、河岸段丘の地形だろうと思われる。どこかでこの高台へ登る道を見付けねば戻れない。 <携帯式GPS「GARMIN」> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/21 11:53 しばらく歩いていると、ようやく、西側へ登る坂道が見えてきた。 所々に見える民家の庭先に、コスモスが咲き誇っているのが見える。何となく九州の我輩の実家近くの風景に似ている気がした。 <コスモスの咲き誇る民家の庭先> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/21 12:24 その先には、稲が実り黄金色(こがねいろ)に光り輝いている所があった。 これらはまさに、秋の景色。 <頭を垂れる黄金色の稲穂> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/21 12:28 時々、GPSのスイッチを入れて場所を確認する。 実はこのGPS、全国の細かい道情報を全て入れるにはメモリ容量が足らない。だからその都度、必要な地域を厳選して詳細情報をパソコン側からGPSへ流し込む必要がある。今回、この辺りの詳細地図は入れておらず、大きめの道しか表示されない。だから、GPSとして位置情報は正確に把握出来るものの、ナビゲーションとしての道案内は心許ない。 今歩いている道が、もしかしたら行き止まりになっているかも知れない。しかし目標地点が近付くように歩くしかないのだ。 <方向は合っているが・・・> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/21 12:45 だんだんとクルマの交通量が多くなってきた。しかし、歩道など何も無いのでクルマが横をかすめて行くので非常に危ない。しかもそういう状態が長く続き、そういう意味でかなり疲れた。 GPSの電池切れが心配で、頻繁にスイッチを入れられないが、もうかなり自分のクルマに近付いていることが分かる。 しかし周りの風景を見た感じでは、全くそんな気がしないので不安にさせられる。本当に辿り着けるのだろうか? それでも、さらに歩くと大きな通りに出た。そして、この先を歩けばスーパーマーケット「ダイユー」が見えそうだと思えるような雰囲気のところまで来た。 ここまで来ればあともう少し。 <ここまで来ればあともう少し> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/21 13:13 午後1時過ぎ、やっとのことで「ダイユー」の駐車場に辿り着き、クルマのシートに座り込んだ。歩いた道のりは10kmほどか。 日頃の運動不足と年のせいか、この程度の距離を歩いてここまで疲れるというのも情けない話。 もうしばらく休んでいたかったが、昼飯時を過ぎているので、「ダイユー」で惣菜や飲料などを買って食事にしよう。 ちょうどヘナチョコ妻と豚児は帰省しているので、自宅へ帰ってからの夕食と翌日の朝食分も買っておいたほうが良かろう。 買い物をしている間は、まさに地元民に溶け込んでいた。この雰囲気がなかなか楽しい。 レジで割り箸の数を聞かれたので1膳で良いと答えたのだが、クルマに戻って袋の中を見るとなぜか4膳も入っていた。 <「ダイユー」で買い物> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/21 13:36 食事後はしばらくシートに座ったまま休んだ。風も程よく気持ちが良い。 読書用として本を何冊か車内に積んでおり、本なども読んで過ごした。 ただ、夜になる前には帰り着きたい。そうなると、午後3時頃までにはここを出発しなければならぬ。 もっとゆっくりしていたかったがそこそこ遠い場所であるから仕方ない。 午後2時過ぎにクルマを出発させ、高速道路入り口を目指す。 ところが途中で渋滞にハマってしまった。高速道路が渋滞の源なのかと思い、もしそうならばやはりこの地でしばらく時間を潰したほうが良いか・・・? ふと、映画でも観ようかという気になった。北海道へ車中泊ドライブした際にも、最終日に映画を観た。今回もそうするか。 <高速道路に乗る前に渋滞にハマった> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/21 14:31 カーナビゲーションで映画館を検索したところ、黒磯駅付近で1件ヒットした。 どんな映画館かは分からないが、町の規模からすれば小さな映画館に違いない。そうなると、映画のタイトルを選ぶことすら出来ないかも知れぬ。さすがに映画なら何でも良いわけではないのだ。恋愛物くらいしか上映してなかったら悲惨だな・・・。 結局、映画よりも渋滞を選ぶことにした。 ただし幸いなことに、渋滞の源は高速道路ではなく、別の方向にあった。そのため、高速道路入り口へ分岐する道ではスムーズに入ることが出来、渋滞に別れを告げた。 渋滞を抜けた直後ということもあり、高速道路ではスピードも乗っていたのだが、考えてみるとガソリンもそんなに余裕があるわけでもなく、経済的なスピードまで落とし、走行車線を単調に走った。この調子なら午後6時には帰れるだろう。 ところが順調と思われた高速道路も、所々で渋滞気味になってきた。那須塩原からそれほど走っていないが、渋滞をやり過ごすためにパーキングエリアへ入ることにした。 入ったのは矢板北パーキングエリア。 驚いたことに、入り口の時点で渋滞しており、スペースが空くまで駐車を待たされた。 10分くらい待ってようやく駐車したのだが、本線を見ていると走行ペースが遅くなり、ついには渋滞で流れが止まってしまったようだ。 困ったことになった。これでは、出ようにも出られない。出れば即、渋滞の餌食・・・。 <本線が完全にストップ> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/21 16:33 ここは、ヘタに動くよりもしばらく滞在していたほうが良かろう。何しろ、後部座席には布団が敷いてある。そこで寝ておれば良い。 さっそく部屋着に着替えてリラックスした状態で布団に入ったのだが、どうにも暑くて落ち着かない。窓も少し大きめに開けているのだが、それでも汗がにじむ。 結局、寝るに寝れず、横になってしばらく時間を潰したくらいで終わった。 <車内で寝て待つが暑い・・・> <<画像ファイルあり>> [Canon EOS 5D Mark2/24-105mm] 2009/09/21 15:31 本線を見ると、渋滞は相変わらずだが、少しずつ流れるようになってきた。 時間はもう午後5時過ぎになっていた。 先ほどのような完全停止の渋滞ではないのだから、もうここらへんで出てみるか。 意を決してクルマを発車させ、渋滞の本線に合流した。 やはり、所々でノロノロ運転となる。しかし、それでも進むことは進んでいるので慰めにはなる。 結局のところ、帰着は午後9時近かった。 <今回の荷物> <<画像ファイルあり>> -------------------- ●今回得られた教訓 (蔵王のお釜について) 動画の撮影では三脚が必須であるが、傾きのある場所では撮影のたびに三脚の脚の長さを加減して水平を調整しなければならぬ。1回の動作は大したことは無いが、回数が多くなるとそれなりに負担となり、「ここは撮らなくとも良いだろう・・・」などと撮影に妥協が発生する。 今回は中判撮影とビデオ撮影を両方行なったが、どちらも中途半端に終わったようにも思う。やはり理想としては、ビデオ撮影するならば中判撮影などせずビデオのほうに集中したほうが良いだろう。 また撮影時間について、最初は「自家用車利用のため現地で好きなだけ活動出来る」と気楽に考えていたが、結局、陽が傾けば撮影や観察は出来ない。特に、秋が深くなればなるほど活動時間は制限される。今回、その点に考えが及ばず、後半の活動は少々急かされた。 それから、ラーメンは食べ慣れたものを持って行くべき。 -------------------- ●今回得られた教訓 (知らない街について) 事前調査は大事。行き当たりばったりでは、限られた時間をいたずらに浪費してしまう。 寂れた商店街では単なる散策に終わる。ある程度賑わった商店街、あるいはショッピングモールなどがある街にすれば、それなりの擬似生活が出来ただろう。 また、帰りの時間に追われて落ち着かないため、その街で宿泊するのがベスト。それに、そのほうが生活感も生まれる。早めに帰るならば、早朝帰れば良い。 ---------------------------------------------------- [681] 2009年10月29日(木)「自分のやり方を貫いた、一つの到達点」 我輩は、カメラの写真を撮る。 「Nikon F3」シリーズや「Canon AE-1P」などのカメラを所有し、そしてそれらの写真を中判写真で撮ってきた。 これはあくまでも我輩の趣味としての撮影ではあったが、常に、印刷原稿に耐えることを念頭にして撮影してきた。35mm判から中判へと切替えたのもこのためである。 今でこそ、中判カメラを様々な撮影で使っているが、元々は「カメラの写真を撮る」ということが、中判機材導入の直接の動機だった。 もちろん中判カメラ機材だけでなく、40万円もするスタジオストロボ(コメットダイナライト-米国製)を購入したのも同じ動機だった。 「Nikon F3」などのカメラを、キッチリと写真に収めたい。正確な色、正確な形、正確な角度、充分過ぎる情報量で写真に残す。目指すのは、カタログ写真のような襟を正した写真であった。 そんなふうにして撮った写真ではあるが、趣味で撮った写真であるから、普通に考えれば印刷原稿になるルートは無い。ただ単に、好きで撮った自己満足写真に過ぎぬ。 それでも我輩は、漠然と印刷クオリティが必要であると信じ、妥協を許さず写真を撮った。 心の奥底で「このクオリティがいつか役に立つに違いない」という直感のままにクオリティを追求したのだ。この「いつか」とは、もしかしたらずっと先、我輩の死後のことかも知れない。 そんな我輩を見て、「個人で撮る写真でそんなクオリティを求めても何の意味があろうか」と冷ややかな目で見ていた者もいただろう。普通に考えれば、確かにそう言える。 <我輩の趣味のひとつはカメラを写真に撮ること> <<画像ファイルあり>> [BRONICA SQ-Ai/110mm] それからしばらく時が経ち、今になってその写真がひとつの形になった。 先日発売された写真雑誌「カメラ・ライフVol.4」に、Nikon F3特集として我輩の撮ったF3の写真2点が掲載されることになったのだ。 経緯としては、出版社のほうでF3特集記事の企画を立てたものの、F3PとF3Hの写真がメーカーのほうにも無いとのことで(信じられない話なのだが)、我輩の撮った写真を使わせてもらえないかという打診があったのだ。 早速、手元にあるF3PとF3Hを撮った中判ポジをフィルムスキャナにかけ、デジタルカメラ換算で6,300万画素相当の画像を得た。10年くらい前に撮った写真ではあるが、これだけの情報量があればどんなサイズの印刷物にも対応出来よう。我輩は胸を張ってその画像を編集者に渡した。 実際の印刷物を見ると、切り抜き使用ということで背景は無くなっていたが、それでも一つの形となったことは我輩にとっての到達点でもある。 <「カメラ・ライフ」に掲載された我輩撮影のF3写真 (2カット)> <<画像ファイルあり>> これまで我輩は、業務でカタログ写真などは撮ったことはあるが、狭い業界内でのカタログであるため、一般人の目に触れることは無かった。しかし今回は、書店で並ぶ雑誌に写真が載ったのである。これまでと意味が異なる。しかも、コンテスト入賞写真などの「お客さん掲載」ではなく、特集記事に使われた「仕事掲載」なのだ。 要求仕様を満たし、採用された。 今回のことで、我輩は1つの感触を得た。 信念を曲げず自分のスタイルにこだわり続ければ、いつか何らかの形として成立する・・・と。 趣味で撮るからと、安易に妥協して信念を曲げてはならぬのだ。 雑誌紙面に掲載された他の写真をよく見れば、デジタルピクセルのジャギーが見えているものもあったが、絶対にあのようにはなりたくない。 それがメーカー支給の写真ならば「他に写真が無かったんだな」という程度で終わろうが、シロウトが撮った写真となれば「やっぱりシロウトの撮った写真だ」と言われるのがオチ。 今回の掲載理由を要約すれば、結局のところ「オマエが撮った写真だから欲しいのではなく、珍しいカメラが写っているから欲しいのだ」ということに尽きるが、我輩としてはそれを肯定するような写真にはしなかったつもりだ。 我輩は、何の役に立つかは分からないものの、とにかくクオリティを一定以上に保つ努力をしてきた。それは、写真の利用範囲を狭めぬための我輩の努力であった。人に言わせると無駄とも言えるようなクオリティではあったが、それがここにきて思わぬところで役立ったのである。 クオリティの追求については、豚児写真でも同じことが言える。 我輩は、豚児写真を単なる子供の写真とは捉えていない。もちろん、自分自身のため、あるいは豚児のために撮っているという動機が第一であるが、それだけでも無い。 永い年月を経て豚児写真が発見された時、きちんと撮影した過去の風景を未来人に見せて感心させたい。 平成という時代の中に写る、1人の子供の写真記録。 我輩が、周囲の様子も写し込む広角レンズを好むということも、あながちそれと無関係ではなかろう。 「カメラなんかを写真に撮って何が面白いんだ?」 「個人で撮るならせいぜい四切プリントに足る情報量でいいんじゃないか?」 「ずっと先のことを考えても自分が死んだ後のことなんか意味無いだろ?」 今までこのようなセリフはよく聞かされた。 だが、これらの雑音に惑わされることは、自分の存在意義を否定するに等しい。 ましてや、自分の能力を卑下し、信念を貫けず、未来の可能性を最初から否定する人間はバカだ。 人は、何のために生きる? 100のうち99がムダに消えようとも、そのうち1でも努力が残れば良かろう。そういう可能性を信ずること、それが"信念"というもの。 自分が死に、存在が消えてしまった後でも、世界は変わらず存在し続ける。だから、現在地からは見えない先のことを想定して、他人から見ればムダにも思える努力やこだわりを追求することには充分に意味があろう。 もし、自分の中に何か信ずるものがあるならば、生半可な理屈に惑わされずに自分のやり方を一心不乱に貫け。 (2009.10.31追記) 「Nikon F3H」の写真で、レンズ絞り環のカニ爪の位置が正面の位置(F5.6の位置)になっていないことについて疑問の声があった。 この理由は、F3Hは常時絞り込み状態となるため、カニ爪が正面の位置(F5.6)ではレンズ内に絞り羽根が見えてしまうからである。 これについては過去に、「レンズに細工を施して開放状態とすべきだ」という意見や、「絞り羽根が見えても良い」という意見、そして「カニ爪位置がズレようとも開放としたほうが素直だ」という意見などがあった。 我輩としては、資料性を考えると有り得ない写真は撮るべきではないと判断し、細工することはしなかったのだが、絞り羽根が見えるほうを選ぶのか、あるいは見えないほうを選ぶのかは迷った。 結局、当時はレンズの映り込みの美しさに異常にこだわっていたため、絞り開放となることを優先させた。 しかしこのことは今でも悩むところ。 今さらながら、2パターンの写真を撮っておけば良かったとも思ったりもする。 今はもうF3Hも手元に無く、どうにもならない話であるが・・・。 (2010.01.07追記) 本雑文では、「雑誌に掲載されたぞ、どうだスゴイだろう」という気持ちも多少あることは否定しないが、やはりここで強調したいのは「他人に認められるかどうかという動機で写真を撮るな」という強いメッセージである。 純粋に、ただ自分自身が撮りたいと思う写真を撮ればそれでいい。パンチラ写真のように、たとえ誰一人理解する者がいなくても構わない。それが、我輩の撮影スタイルであり、自分が生きることの理由に近付く道でもあると信ずる。 (参考:雑文487/雑文586/雑文587/雑文588) だがそういう生き方は理解されにくいがゆえに、我輩がいくら雑文で主張しようとも、それに賛同する者は非常に限られるという弱点があった。 そんな中、雑誌掲載という一つの形になったことで、我輩の言葉にも少しは説得力が生まれたと思う。 揺れ動く時代や流行へ自分を必死に合わせなくとも、一切の妥協を許さず融通が利かないほどの真っすぐささえあれば、いつか時代のほうから交差してくることもあるだろう。 「評価を気にせず進んで行けば、いずれ評価される」などと矛盾のある紹介だったかも知れないが、少なくとも、独自スタイルが決して報われぬ努力ではないということは示せたのではないか・・・? ---------------------------------------------------- [682] 2009年11月23日(月)「SIGMA DP2の画質を見極めたい」 ●経緯 最近、「SIGMA DP2」を買った。 もちろん、金に余裕があって買ったわけではない。家計に借金をして、中古品をようやく手に入れた。 それほどまでに無理して買った理由は、「DP2」の特長にある。 まず第一に、コンパクトカメラサイズながらもAPSサイズの大型イメージセンサーを搭載しているから。 普段から通勤カバンにメモ用途としてのコンパクトデジタルカメラを常備しているが、その画質の悪さに辟易としていたのだ。メモ用途とは言っても、普段持ち歩いているのだから、ちょっとした記念撮影や日常風景を写す機会もある。そういう場面で、APSサイズのイメージセンサーを積んだカメラを用い、デジタル一眼レフカメラと同等な画質を得たいと思う。 そして第二に、R・G・Bのデータを1ピクセルエリアで垂直に感受出来る「Foveon(フォベオン)」という3層構造のイメージセンサーを採用しているから。 その性能が本当だとすれば、デジタル一眼レフカメラの画質さえも越えるだろう。もちろん、「DP2」のレンズは非交換式の単焦点であるからオールマイティとは言えないわけだが、撮影条件を限定すれば、デジタル一眼レフカメラではなく敢えて「DP2」を使うことになるかも知れぬ。 第三として、1,400万画素の画像が得られるから。 デジタルカメラである限り、画素数は多くなくてはならぬ。なぜなら、色深度が浅くトランスパレンシー媒体を遺さぬデジタルカメラが、フィルムカメラを駆逐してまでのさばろうとしているのである。少なくとも、圧倒的な画素数でフィルムを凌駕することは、フィルムに対する礼儀でもあろう。もし1,000万画素以下のデジタルカメラに駆逐されるのであれば、フィルムは泣くに泣けないし、我輩はそのことを一生涯許さぬ。 <SIGMA DP2> <<画像ファイルあり>> ところが、品物が手元に届いてすぐさま後悔した。 カタログでは1,400万画素とされていたイメージセンサーだったが、それが吐き出す画像データは460万画素(2,640x1,760ドット)でしかなかったのだ。 パソコンのディスプレイ(1,920x1,200ドット)上で表示するとやけに画像が小さい。特に、縦位置写真だと等倍表示でも左右が足りぬ。 これはつまり、イメージセンサー「Foveon」がR・G・Bの3層であるため、各層それぞれの画素を合計した総数として1,400万画素という表記がされていたのである。 実際のところ、R・G・Bの3つのピクセルから1ピクセルの色を作るため、アウトプットされるデータはイメージセンサー総画素数の三分の一、460万画素ということになる。 <我輩所有デジタルカメラの画像サイズ比較> <<画像ファイルあり>> もちろん、「Foveon」ではない一般的なイメージセンサーでも、R・G・Bのセルが平面上に交互に並んでいるためにR・G・B各色では画素数が少ない。つまり、R・G・B各色の画像はメッシュの目が詰まっていない。だから、目を詰めるためにカメラ側で補間処理が行われており、それをしないと実質的な画素数が1/3となってしまう。当然ながら、それをやると画質は劣化する。 そういった事情を考えると、「Foveon」が1,400万画素と表記することは、他社のデジタルカメラとの比較では正当かも知れない。逆に言うと、「Foveon」では1,400万画素の画像を縮小して目の詰まった460万画素の画像を得ていると言えよう。 だがそうなると、「Foveon」であることの特長が相殺されてしまうのではないか? 補間処理の行われた一般デジタルカメラの画像であっても、それが高画素データならば縮小処理すれば目が詰まる。つまり、「Foveon」の画質と同等になろう。 確かに「Foveon」は3層構造ということで素子1セルあたりの受光面積が広いわけだが、それが本当に画質となって現れるのだろうか? 他メーカーのデジタル一眼レフカメラの画質を越えるのだろうか? 我輩としては、「DP2」の画質を早急に見極めたい。 「DP2」を購入したことへの後悔を確定してしまうのか、あるいは、新たな認識を持ってこのカメラを活用することが出来るのか・・・。 今回のテストでは、その見極めをすることが動機となっている。面白半分で性能テストをやっているわけではなく、「DP2」を手放すかどうかという判断をするための重要な見極めとなる。 そのため、我輩の使用目的に適うかどうかということが重要であり、それが今回のテスト基準となる。 ●テストについて 我輩が、コンパクトサイズのデジタルカメラ、特に「DP2」に求めることについて以下に項目を挙げる。 これらの項目が満たされねば、わざわざ苦労して「DP2」を導入した意義が失われてしまう。今回それを判定する。 (1)資料撮影 いわゆるメモカメラとしての利用となる。1枚モノの資料やメモは散逸し易いため、とりあえず撮影することは多い。また我輩は一時記憶能力に欠けるため、外出先でも注意書きなど何らかのメモ撮りは頻繁に行う。必然的に、常に持ち歩けるコンパクトサイズのカメラがその役を担うことになる。 判定基準は、「細かい文字が判別可能かどうか」。 (2)日常撮影 メモカメラ用途と同じく、撮影を目的としていない場面でいざ撮影しようとすると、手元のコンパクトサイズのデジタルカメラしか無い。例えば、少人数の飲み会でのスナップ撮影などはほとんどがそのような撮影となる。飲み会ではほとんどが暗いシチュエーションであるから、ノイズの多い写真が大半である。こういった撮影でノイズの少ない高画質な写真が撮れれば、素直に嬉しい。 判定基準は、「暗いシチュエーションでのノイズの出方」 (3)一般撮影 これまでは、デジタル一眼レフカメラの画質が必要となれば、どんなに単純な撮影であってもデジタル一眼レフカメラを持ち出すしか無かった。しかしコンパクトサイズのカメラで同様な画質が得られるのであれば、撮影レスポンスや交換レンズ等を必要としない撮影ではダウンサイジングが可能となる。つまり、デジタル一眼レフカメラの代用が可能かどうか。 判定基準は、「解像感と、ノイズの出方や背景のボケ具合」。 ●テスト1 <細かい文字を読む> 文字情報がどれくらい細かいところまで読めるかということについて比べてみた。 これは、メモ用途として主に用いるコンパクトタイプのデジタルカメラ「Nikon P5100」との比較となる。 どちらもISO100で撮影した写真について、ディスプレイ上でピクセルが見えるよう、ブラウザで2倍引伸ばし表示をしている(データは等倍のまま)。 なお公平を期すため、切出し再保存時には同じ圧縮率のJPEG画像とした。そのため、両画像とも最終保存時のJPEG圧縮ノイズの上乗せが若干ある。 また、色はそれぞれ調整を施しているため、固有の色味を現しているわけではない。 「Nikon P5100」と「DP2」の等倍画像比較 <両機共通撮影エリアと、比較切り出しの位置> <<画像ファイルあり>> <Nikon P5100 (2倍引伸ばし表示)> <<画像ファイルあり>><<画像ファイルあり>> <SIGMA DP2 (2倍引伸ばし表示)> <<画像ファイルあり>><<画像ファイルあり>> これを見ると、個々の対象物に割り当てられたピクセル数は、当然ながら460万画素の「SIGMA DP2」よりも1,200万画素の「Nikon P5100」のほうが多い、つまり大きく写っていることが解る。 だが、費やしたピクセル数に応じた情報が読み取れるかどうかということになると、必ずしもそうなっていない。よく見れば、「P5100」では画面の場所によって文字の見え方が違う。 これは恐らく、レンズの収差に起因するものではないかと思う。 それに加えて、画面に一様に発生するノイズが加わり、そして最後にJPEGの圧縮ノイズが画像を荒らすのだろう。JPEGは、ノイズのような細かいパターンを表現するのが苦手である。 一方、「DP2」では出力画素数が小さいながらもノイズが少ないためにメリハリが利いて文字が読み易い(もちろん、RAWデータからTIFF画像に変換すればJPEGに見られるモスキートノイズも無くなる)。 また、画面の場所による違いも認められない。これはつまり、レンズの収差の影響が少ないということを意味する。 この撮影条件では「DP2」の圧勝となるが、「P5100」ではズームによる引き寄せが出来るということは重要である。肉眼では読めない遠くにある看板を、デジタルカメラのズームで引き寄せて撮り、確認することはよくある。そういう場面では、「DP2」では少し不便かと思う。 ●テスト2 <解像感> さて次の「テスト2」及び「テスト3」では、デジタル一眼レフカメラ「Canon EOS-5D Mark2」を参加させ、「DP2」がデジタル一眼レフカメラの代替となり得るのかということを見極めたい。 そのために、画像の解像感やノイズの出方を見ることにする。 撮影対象としては、比較的近距離で被写界深度が浅くなる1/18スケールのミニチュアカーとした。そして、撮影エリアや感度、露出設定も同条件にしてある。 また、各カメラの持つ最高画質が得られるよう、光量が充分に確保出来るストロボを光源とした。このことにより、ブレの抑制にも役立つ。 <共通撮影エリア> <<画像ファイルあり>> [共通撮影条件: ISO100・1/200秒・F4.5・ストロボ使用] ここでは、ピントを合わせるポイントとして、ミニチュアカーのオレンジ色ウィンカー部とした。 撮影時、なぜか「EOS-5D Mark2」では若干後ピンとなることが多く(測距エリアは一番近い点を選んでおり、コサイン誤差は最小限のはず)、何枚も撮り直し、ようやく撮れた1枚を使った。 等倍切出し比較 (解像感) <Canon EOS-5D Mark2からの等倍切出し (RAWデータからJPEG変換)> <<画像ファイルあり>> 若干ブレているようにも感ずるが、ストロボ撮影であるから、余程早い振動でも与えない限りはブレは有り得ない。恐らくこれはレンズ(24-105mmF4L)のせい。以前から我輩は、このレンズの周辺描写が良くないことを不満に思っている。 <Nikon P5100からの等倍切出し (JPEG撮影)> <<画像ファイルあり>> 色のくすみがあるため彩度を若干上げてみたが、その分だけ隠れていたザラツキ感が浮き上がってきた。被写界深度は深くピントの合っている範囲が広いが、クリアな感じは無い。ただ、メモカメラとして考えるならば充分過ぎるほどの情報量があると言える。 <SIGMA DP2からの等倍切出し (RAWデータからJPEG変換)> <<画像ファイルあり>> ウィンカーのオレンジ色のクリア感に驚かされる。少なくともこの等倍での比較に限定すると、「Canon EOS-5D Mark2」の画質を凌駕しているようにも見えてしまう。 この結果を見ると、「SIGMA DP2」の解像感が際立つ。 多少画像サイズは小さいが、Foveonイメージセンサーの唯一無二の画質を得られるという利点は大きいように思う。 しかし一般的には、大きな画像を縮小処理してシャープネス処理をかけると引き締まって緻密感が増す。 ならば、画素数の大きい「EOS-5D Mark2」と「Nikon P5100」の画像を、「DP2」相当の画素数にまで縮小処理するとどうなるだろう? 「EOS-5D Mark2」と「Nikon P5100」を「DP2」の画像と同じ大きさに縮小 <Canon EOS-5D Mark2の縮小画像> <<画像ファイルあり>> 縮小処理とシャープネス処理により、「DP2」の質感と同等あるいはそれ以上となった。フルサイズ2,100万画素だけのことはある。 <Nikon P5100の縮小画像> <<画像ファイルあり>> バンパーの黒い部分はノイズが目立つものの、思ったほど悪くはない。1,200万画素の冗長性で救われたか。これならば、同じく1,000万画素超のデジタル一眼レフカメラ「Nikon D200」であれば画質は同等となろう。 この結果を見ると、「P5100」のほうはともかく、いくらFoveonであっても「EOS-5D Mark2」の解像感を超えているわけではないことが判る。Foveonでしか得られない画質というものが解像感以外にあるとしても、このテストからは感じられない。パソコンの壁紙サイズにも足らぬ460万画素というサイズは、いくらなんでもマスターデータとしては小さ過ぎるように思う。 ●テスト3 <ボケ具合とノイズの出方> 先ほど撮った同じ写真のうち、ピントの合っていない部分の描写とノイズについて比較してみたい。 等倍切出し比較 (ノイズ) <Canon EOS-5D Mark2からの等倍切出し (RAWデータからJPEG変換)> <<画像ファイルあり>> さすがにフルサイズだけあってボケの度合いは大きい。ノイズもあまり目立たない。35mmカメラを使っている者としては違和感が最も少ない。 <Nikon P5100からの等倍切出し (JPEG撮影)> <<画像ファイルあり>> イメージセンサーの面積が小さいだけにボケの度合いは小さい。またノイズが多いのがかなり気になる。いくら画素数に余裕があろうとも、このノイズを画像縮小処理でごまかすことは不可能。 <SIGMA DP2からの等倍切出し (RAWデータからJPEG変換)> <<画像ファイルあり>> フルサイズの「EOS-5D Mark2」と比べればボケの具合は小さいものの、それでもコンパクトタイプのデジタルカメラとしてはかなりキレイなボケ具合と言える。ノイズも一般的なコンパクトタイプのデジタルカメラとは雲泥の差。 この結果を見ると、ボケ具合はともかく、ノイズの少なさは衝撃的ですらある。 いつでも携行出来るコンパクトサイズのデジタルカメラで撮った何でもないような日常撮影。それがまるでデジタル一眼レフカメラで撮ったような画像となるのだから、これほど面白いことも無い。 ●その他、描写として気付いたこと 撮影した画像をチェックしていると、妙に違和感のある画像が目に入った。 その写真は、ハイライトが絵の具でベタ塗りしたかのような状態になっており、まるでビデオから静止画としてキャプチャしたかのような印象を与える。 こういうところは、ビデオカメラから派生したデジタルカメラらしさが出ていると言えなくもない。 ハイライトが絵の具のようなベタ塗りとなる <DP2の等倍切出し (RAWデータからJPEG変換)> <<画像ファイルあり>> ●我輩の結論 もしその場にデジタル一眼レフカメラがあるならば、わざわざ「DP2」を使う理由は無い。 いくらFoveonであろうとも、所詮は460万画素しか無い。Foveonでなくとも1,200万画素以上の画像であれば、縮小処理することでFoveonと同程度の画質が得られる。レンズが優秀だと言っても、小さな土俵で勝負する限りにおいてはその差も小さくなる。 また、「DP2」のハイライトでの不自然な描写はやはり気になるところだが、他のカメラでは撮影していない写真のため比較評価が出来なかった。しかしこういう画像は「DP2」で初めて見たのも事実ではある。 しかしながら、現在の通勤カバン常備のメモカメラを置き換える意味は十分にあると思われる。 また、デジタル一眼レフカメラに迫る画質は、我輩に"撮り甲斐"を感じさせ、「無理してもデジタル一眼レフを持って来れば良かった・・・」と後悔するシーンも減るだろう。 我輩の結論としては、過剰な期待をせずに「DP2」をメモカメラ後継として使っていくこととした。 なお、画質以外の使い勝手を中心とした評価については、ちょうど広島出張もあることから、早速「DP2」を実戦投入して問題点の洗い出しをしたいと思う。 ---------------------------------------------------- [683] 2009年12月06日(日)「出張でSIGMA DP2を使ってみる」 「SIGMA DP2」を購入してすぐ、勤務先で広島出張を命ぜられた。 内容としては半日仕事であるから、新幹線での日帰り出張となることは自ずと分かった。朝6時に千葉県の自宅を出発し、広島駅へ11時に到着。昼食を摂り、バスで移動して13時から17時まで会議や工場見学などをして、それが終わればすぐにバスと新幹線で帰路に着き、23時半くらいに自宅に戻る。 それにしても、新幹線のぞみが品川-広島間で4時間ほどというのが驚く。そのおかげで、泊まりがけでの出張はなかなか機会が無い。 ちなみに、出張の日は11月16日の月曜であった。 ならば、その前の土日を広島観光に充てるというのはどうか。宿泊費は自腹となるが、交通費も3万4千円とバカにならぬから、観光とはいえ一つの行動で最大限の効果を得ることは重要だろう。通勤カバンの中に入る「DP2」を運用試験する良い機会ではないか。 ただし、土日全て費やすとなると私費の負担が大きくなるばかりでなく休む時間も無くなる。 今回、土曜日は休息とし、日曜日の早朝出発ということにしたい。 予定としては、日曜日の10時くらいに現地に着き、呉市の「大和ミュージアム」と「てつのくじら館」へ行こうと思う。博物館は意外と時間がかかることを知っているので、あまり欲張らずにこの日を終えよう。 そして次の月曜日の朝早くから宮島に行ってみようかと思っている。 ちなみに、今回は記述が長くなるため、以下、「DP2」に関することは黄色文字で表すことにした。 -------------------- 出発の日、我輩は通勤カバンに着替えの下着やワイシャツ、靴下などを詰め込み、その隙間に「DP2」を入れた。一見すると泊まりがけには見えないところが良い。もしデジタル一眼レフを使うとすれば、カバンには入らず肩に掛けるなどしなければなるまい。そうなると旅行気分がバレてしまう。 こういう、さりげなく高画質性能を持ち歩けることが、「DP2」の最大の性能と言えよう。 品川駅で、6時発の新幹線のぞみに搭乗したが、搭乗前に「DP2」で何枚か撮影してみた。 AFでのピント合わせが多少遅く感ずるため、MFに切り替えて撮影した。 <新幹線のぞみ> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO100・1/25秒・F2.8] 2009/11/15 05:51 <新幹線のぞみ> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO100・1/40秒・F2.8] 2009/11/15 05:52 車内でも撮影してみたが、ボディがのっぺりとして引っかかりが無いため、ホールドがとても難しい。ブレ防止機能が無いせいもあり、気を抜いて撮影するとすぐにブレる。グリップが欲しい。 それに、気を入れて撮影しようとしても、シャッターが切れるタイミングが分からない。というのも、1回撮影毎に「カシャッ・・・カシャッ」とシャッターのような音が2度聞こえるのだが、これはシャッターの"開き"と"閉じ"ではないらしい。1/50秒のシャッタースピードであっても、音は明らかに2秒ほどの間隔がある。 また、撮影時に液晶画面がブラックアウトする時間も比較的長く、まるで長時間露光で撮影しているような感覚で調子が狂う。 <新幹線のぞみ車内> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO100・1/50秒・F2.8] 2009/11/15 09:40 広島駅には10時半頃に到着。 この日の予定として、呉へ行って2つの博物館「大和ミュージアム」と「てつのくじら館」へ行くことにしている。 博物館の見学というのは、意外に時間がかかるものだ。昼食時間も入れると、恐らくこの2つの博物館だけで午後の時間を費やすことになろう。 他にも宮島へ行きたいが、呉から宮島まで1時間半くらいかかりそうなので、宮島へは翌月曜日の午前中にしようと思う。会議は午後であるから計算は合う。 呉駅からしばらく歩いたところに2つの博物館があるのだが、まず「てつのくじら館」にある大きな潜水艦が目を引く。 陸橋から撮影しようとしたが、「DP2」の撮影テンポが遅く、またブレを確認するために画像を拡大して見なければならないのが手間に思う。 それにしてもこれまで気になっていたのだが、背面液晶で撮影画像を確認すると冴えない写真に見えてしょうがない。画像データのほうではなく液晶のせいだとは思うが、液晶画面を見るたびに気持ちが沈む。 何枚か撮り直してみたのだが代わり映えしないし、吹きっ晒しの陸橋では風が冷たく耐えられない。上手く写っていることを信じ、陸橋からの撮影を切り上げるしかなかった。 <陸橋からの風景> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO100・1/160秒・F5.6] 2009/11/15 10:41 まずは、「大和ミュージアム」へ入る。 ここには、1/10スケールの戦艦大和の模型が展示されており、我輩としても是非ともここを訪れてみたかったところだ。しかし広島は距離的に遠く、九州帰省途中で寄ろうと思っても大阪ー北九州間はフェリーでの移動となるため、今までその機会は無かった。 <1/10スケール大和模型> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO200・1/100秒・F4.0] 2009/11/15 11:30 それにしても1/10スケールの大和というのはここまでデカイのか。そこら辺の漁船よりも大きいくらいだ。 おかげで、「DP2」の画角ではとても全体が入りきらない。 ちなみに、「DP2」のレンズは35mmカメラ換算で41mm相当である。だから、広い範囲を撮影するのに「DP2」を使うべきではなかろう。そういう撮影には28mm相当の「DP1」や「DP1s」が適している。 そもそも、全体を写し込んで情報量を得ようとする広角好きの我輩が、なぜに「DP2」を選んだのか? それは、せっかくAPSサイズの大きなイメージセンサーを搭載したカメラを買うのならばボケも楽しみたいと思ったからだ。場合によってはデジタル一眼レフカメラの代わりをも務める可能性もあるのだから、メモカメラ専用としておくのはもったいなく思う。 <1/10スケール大和模型> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO200・1/125秒・F4.5] 2009/11/15 12:02 ただ幸いなことに、大和ミュージアムでは様々な角度やアングルで観ることが出来るため、後方限定ながらも上方から狙えば全体像が収まった。 <1/10スケール大和模型> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO200・1/100秒・F4.0] 2009/11/15 11:25 大和ミュージアムでは、他にも現物展示や戦史、造船技術関連の資料展示などが多くあり大変興味深かった。 1日で全ての展示を見て理解することは不可能であるから、写真撮影をしてゆっくり眺めたいところだが、とても全て撮影しきれないだけでなく、展示物の中には撮影禁止のものもある。 <展示物> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO200・1/50秒・F3.2] 2009/11/15 11:12 <展示物> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO200・1/10秒・F2.8] 2009/11/15 11:44 ふと気付くと12時過ぎ。そろそろ昼食時か。 しかし我輩は一人で飯屋に入るのに抵抗がある。クルマで来ておれば、コンビニエンスストアで弁当でも買うところだが、歩きでは弁当を買っても食うところが無い。 まあとりあえずは昼食は先送りにして、大和ミュージアムの裏手に見えた公園と展示物を見に行くことにする。 公園には、大和船首の輪郭を実物大で再現しているところがある。主砲のあたりは色の違うブロックで敷き詰めて表現しているのが面白い。 また近くには、潜水調査船「しんかい」と水中翼船「金星」の実物展示があった。実を言うと、「しんかい」には一度お目にかかりたいとつねづね思っていたので、今回一つの目的を果たした気分であった。 <潜水調査船しんかい> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO100・1/320秒・F8.0] 2009/11/15 12:19 その後、向かいにある海上自衛隊の展示施設「てつのくじら館」へ行ってみた。 そこには実物大の潜水艦が展示してあった・・・、いや実物大展示ではなく、実物そのものであった。 <てつのくじら館> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO100・1/250秒・F6.3] 2009/11/15 12:34 そこは広報施設のためか入館は無料で、潜水艦や機雷の掃海に関する展示があり、興味深く見て回った。 そして最後に、実物展示の潜水艦の内部にまで入ることが出来た。実物の潜水艦に入ったという面白さは、なかなか他では得られまい。 ただ、実物潜水艦まで急いだせいか、あるいは他の展示が思ったよりも少なかったせいか、30分ほどで館内1周してしまった。 思ったよりも早く、2つの博物館を見終わってしまった。もしかしたら、午後はこのまま宮島へ行ってみるのも良いかも知れない。 昼食はまだだったが、とりあえず呉駅まで歩いた。 すると、駅近くにレストラン街のあるビルが目に入ったので、そこに行ってみることにした。少し歩くと、トンカツ屋が見えてきた。値段を見て少し迷ったが、まあ千円程度なので思い切って中に入り、ロースカツ定食を食べた。 周りを見ると、1人で食べているサラリーマンが数人いたので気は楽だった。自分だけ1人という時はあまりにも落ち着かないからな。 食後、列車に乗って広島駅へ行き、そこで乗り換えて宮島口駅まで行った。まだ15時半ではあったが、この季節のせいで少し夕方の雰囲気になっており少々焦った。しかし、これで物足りなければ明日の朝にまた来てみるのも良かろう。 <宮島口駅> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO200・1/200秒・F5.6] 2009/11/15 15:27 <宮島行きフェリー乗り場> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO100・1/250秒・F5.6] 2009/11/15 15:30 <宮島行きフェリー> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO100・1/80秒・F4.0] 2009/11/15 15:38 宮島口駅から、宮島行きフェリー乗り場までは歩いて5分程度の正面にあるが、この微妙な距離感に不思議な趣を感ずる。 フェリーはだいたい15分ごとに出ており、目の前でフェリーを逃したものの、すぐに往復してきてそれほど待たされることもなく乗ることが出来た。 宮島は、小学校の修学旅行で訪れたことがあるが、景色を見渡しても当時の断片的な記憶に当てはまるものがほとんど無く、印象がまるで違うのが非常に残念であった。もちろん、厳島(いつくしま)神社やその鳥居の風景は記憶に当てはまるような気がするが、あまりに有名な風景だけに、修学旅行当時の記憶では無いように思う。 恐らく我輩の記憶の中にある宮島は、パラレルワールドとして別宇宙の中で今も変わらず存在し続けているに違いない。 さて、せっかく訪れた宮島であるから、「DP2」を使って撮影していきたい。 明るい標準レンズとAPSサイズのFoveon搭載ということで、背景をボカした写真を何枚か撮ってみた。ここでは縮小表示せねばならないのが残念だが、パソコンディスプレイ上で等倍画像を見ると、とてもコンパクトサイズのデジタルカメラで撮ったとは思えぬ描写に驚かされる。 ちなみに、このあたりでバッテリーが切れたので予備バッテリーに入れ替えた。 <宮島厳島神社> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO200・1/100秒・F4.0] 2009/11/15 16:28 レンズはF2.8と明るく、開放ならば少々暗くとも撮影出来るところが心強い。 それに、外見はコンパクトカメラながらも中身はデジタル一眼レフ並であることを思うと、それだけで撮り甲斐が湧いてくる。最近は、せっかくのデジタル一眼レフカメラ("レフ"無しカメラも含む)でありながら小さなイメージセンサーしか持たぬフォーサーズなるものすらあるのだ。それを考えると、この「DP2」が頼もしく思えてくる。 <宮島厳島神社> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO200・1/20秒・F2.8] 2009/11/15 16:36 だが、スタイルがコンパクトカメラ型であるが故に、撮ろうと思ってスイッチを入り切りするたびに沈胴レンズがウィーンと出てきたり引っ込んだりする。スイッチを入れっぱなしにしておいても、一定時間経つと自動的に引っ込んでスイッチが切れる。だから、撮影テンポによっては何度もスイッチを入り切りすることになる。 いかにもバッテリーを喰いそうだな・・・。 陽も傾いてきた。見ると、鳥居がライトアップされているようだ。しばらく待ってもう少し暗くなれば、ライトアップも映えるだろう。 ただ、もう11月であるから陽が沈むとかなり寒くなる。我輩は比較的寒さには強いものの、背広姿であるから耐寒性はあまり無い。 <宮島厳島神社鳥居> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO200・1/15秒・F2.8] 2009/11/15 17:27 寒さの中、頑張ってスローシャッターで鳥居や厳島神社を撮ったりしたが、三脚が無いので、カメラを立木に押し付けたり石垣に乗せたりして慎重にシャッターを切る。そしてブレが無いかを確認するために液晶画面に映して拡大表示をさせる。ちょっとでもブレが認められると、すぐに撮り直しをした。滅多に来られない場所であるから、撮り直しをするなら今やるしかないのだ。 そうこうしているうち、なんとバッテリーが切れてしまった。もう、予備バッテリーは無い。 沈胴レンズを頻繁に動作させ、液晶画面を何度も点灯させ、おまけにこの寒さ・・・。バッテリー切れになるのも理解出来る。 苦肉の策で、最初に力尽きたバッテリーに入れ替えてみることにした。ポケットに入れていたため、多少は暖まっている。乾電池ほどには温度に左右されないかも知れぬが、少しでも撮れるようになればと思った。 幸いなことに、その後数枚の写真を撮ることが出来た。 <宮島> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO100・1/4秒・F4.0] 2009/11/15 17:20 18時頃、寒くなってきたばかりでなく、売店もどんどん店じまいをするところが増えてきて雰囲気も寂しくなってきた。もうこの辺が潮時か。 帰りのフェリーは、寒さのためかデッキに出る者はほどんどおらず、船室のほうに集中したためかなり混んでいた。それでも10分程度の旅だから辛いというほどでも無い。 今夜の宿泊地は、広島駅近くにある一泊3,500円のビジネスホテル。早く帰って風呂に入り暖まろう。 宮島を出てホテルに着くまでの間、2つのバッテリーを交互に入れ替えながら街の風景などを撮影したのだが、とりあえずは最後まで撮れたのは幸いである。 ちなみにホテルは眺めも良く、窓から長時間露光で夜景などを撮るなどして「DP2」で遊んでみた。 <長時間露光の夜景> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO100・15秒・F11] 2009/11/15 22:03 -------------------- さて翌朝、宮島行きはもう済んだことから平和記念公園のほうへ行こうかと思う。 公園はホテルからは歩いて行ける距離で、近くのバス停からバスに乗れば、広島営業所までそのまま行けるので好都合。 この日は月曜日ということもあり、通勤中のサラリーマンたちとすれ違う。 だいたいの方角しか分からないので適当に歩いてみるが、事前に想像した風景とは違うので不安になる。だが自分を信じて進んでいると、そのうち前方のビルの陰から原爆ドームが見えてきた。 ここも小学生の修学旅行の時に来たはずだが、ハッキリした記憶が残っていない。川沿いに建っているというのも知らなかった。 <原爆ドーム> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO100・1/160秒・F5.0] 2009/11/16 08:58 「DP2」で撮影して液晶画面で確認すると、どうも冴えない画像に見えてしかたない。ピントも何だか甘い気がする。ブレは無いようなので、まあ大丈夫だとは思うが。 川を渡り公園のほうへ歩いて行くと、修学旅行の学生たちが数多くいた。 写真を撮りながら平和記念資料館へ行ってみた。驚いたことに入館料は50円とかなり安い。 ここも修学旅行で来たことは間違いないのだが、やはり内容まではあまり覚えていない。 ところで初めて知ったが、原爆の爆心地は原爆ドームではなくそこから少しズレた病院の上空であるとのこと。これまでの我輩の認識が不意に書き換えられたような気がして多少混乱した。 <爆心地は左下の赤い棒のあたり> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO400・1/25秒・F2.8] 2009/11/16 09:32 それにしても原子爆弾の被害は悲惨であると改めて感じた。 家が押しつぶされ、中に閉じ込められた子供を助け出そうとしたが、火が迫って目の前で焼かれるのを見るしかなかったなど、まさに地獄の様子が絵に描かれていた。 今でも放射線による後遺症に苦しむ被爆(被曝)者が多くいると聞く。原爆で背中に大やけどを負った少年が、その後生き延びたものの、老人になっても傷が完治せず、皮膚が突っ張ったり膿が出たりするという。 さて、11時頃に公園を離れ、昼食を摂る場所を探そうと街中をさまよった。しかしなかなか入り易そうなところが見付からない。いやそもそも食事処が少ない。 そうこうしているうち、裏道へ迷い込んでしまった。こんな場所には何も無いだろうと思っていたところ、1つの喫茶店が目に入った。 「喫茶店か、ここなら一人で入っても良いかも知れんな。」 ・・・というわけで、ここに入った。 <裏道の喫茶店> (出た際に撮影) <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO400・1/250秒・F6.3] 2009/11/16 11:46 「ミートスパ」を頼もうとしたところ、品切れとのことで、代わりに「カツカレースパ」を頼んだ。スパゲティにカレーとは珍しい組合せだな。 しばらくして、そこそこの量のある「カツカレースパ」が運ばれてきた。 スパゲティの麺はフライパンで炒めたもののようで、所々に焦げがある。うん、これは、我輩が大学時代に学食でよく食べたスパゲティの特徴によく似ている。焦げの少しパリパリした食感が実に香ばしい。その麺にカレーが絡んで絶妙な味であった。この量とこの味で800円、我輩としては納得出来る。 <カツカレースパ> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO400・1/80秒・F3.5] 2009/11/16 11:33 食後、バス停のある大通りへ出た。時計を見ると、ちょうど12時。 広島営業所まではここからバスで30分とのことであるから、午後1時から始まる会議には十分間に合う。 会議室では全国から各営業所の人間が集まり、活発な意見交換が行われた。 我輩は、出張報告にまとめる時のために、今回の「DP2」を活用することにした。つまり、ボイスレコーダー機能の活用である。 もちろん、要点をまとめれば簡単なメモ書きでも事足りるだろうが、我輩も人間であるからミスはある。完璧にメモを取れているとは限らない。だから、とりあえず会議の音声を録音さえしておけば、後からどうにでもなろう。 「DP2」では、録音中は背面のLEDランプが点滅する。しかし内蔵マイクの穴は前面にあるため、カメラを上向きにして机の上に置いておくことになる。 時々カメラを持ち上げて背面LEDを確認するのだが、しばらく会議に集中していると「DP2」のことを忘れてしまった。そしてふと思い出して「DP2」を持ち上げてみると、いつの間にかLEDが消灯しているではないか。バッテリー切れであった。 急いで予備バッテリーに入れ替えたが、どれだけ空白時間があったかは確かめようが無い。数分か?数十分か? 「どうせ録音しているから」とメモ書きが疎かになっていたのは少々マズかった・・・。 会議が終わったのは17時半。予定よりも30分遅かった。 想定範囲内ではあるものの、だからと言ってノンビリもしていられない。どんなに急いでも、千葉の自宅に帰り着くのは23時半くらいにはなる。 バスに乗って広島駅へ。 新幹線改札口へ急いだのだが、何か懐かしい雰囲気を感じた。 「もしかして、前にもここに来たことがあるような・・・?」 そうは言っても、新幹線改札口など、どの駅でも似たようなものだろうし、これはいわゆる錯覚の類であろう。 そんなことを考えていると、不意に記憶が蘇った。 「寝台特急で帰省する時、途中の豪雨で新幹線に乗り換えをしたことがあった。それは確か、この広島駅だったな・・・? そうだ、豚児を抱えてこの改札を通ったぞ。」 (参考:雑文503「夏の帰省日記(1)」) そのことに気付いた瞬間、小さな衝撃を受けた。 もし、事前にそういう意識があったならば衝撃など受けずにただの懐かしさで終わったろうが、不意にその場で気付くとやはり驚かされる。 (似たようなことは、雑文496「いつも歩いた道、いつも歩いている道」でも書いた。) <広島駅新幹線改札口> <<画像ファイルあり>> [SIGMA DP2・ISO400・1/125秒・F4.5] 2009/11/16 18:19 品川駅には、22時半頃到着した。そして自宅に帰ったのは24時近かった。 さすがに写真を整理する時間も無く、その日は布団に入った。 -------------------- さて翌日、「DP2」で撮った写真の整理をしたのだが、まずその高品位な画質に改めて驚かされた。まるでデジタル一眼レフカメラで撮ったかのような仕上がりである。撮影時に背面液晶画面で見る画質が良くないので心配していたが、パソコンディスプレイでは美しく映し出された。 着替えや資料などで荷物が一杯になる出張に於いて、これほど心強い相棒もおるまい。もはや、こういう状況で普通のコンパクトデジタルカメラを使うことは無かろう。 ただ、電池の保ちが悪いのは気になる。他のコンパクトデジタルカメラと同じように沈胴レンズを出したり引っ込めたりするのは電力の浪費に繋がる。強度の問題があろうが、手動で行わせるように設計出来ないものなのか? あまり言うと、出来ない理由ばかり持ってきそうだが、問題点があれば解決するのがメーカーであろう。 また、ISO400くらいの高感度になると暗部の粗れが目立ってくるのも意外であった。せっかく高画質を狙うのだから、ここはISO100を常用とし、感度を上げてもISO200までとしたほうが良かろう。ISO400は非常時くらいに考えておく。 画像ファイルについては、RAWデータはシグマ独自の「X3F形式」のファイルが生成されるわけだが、専用の付属ソフトウェアで画像の調整及びJPEG/TIFF化が行える。 そしてそのソフトは、特に専門知識は必要無いので使い易い。これならば、日常的にRAWデータでの記録も問題無かろう。 ただし、RAWデータというのは汎用ではないため、時代が変わると画像を開く手段を失い、ゴミとなる危険もあることを意識せねばならぬ。例えばシグマが倒産したら、誰がソフトをバージョンアップしてくれる? 時代が変わればパソコンのOSも替わろう。そうなると旧いソフトが動かないこともある。 我輩がMS-DOS時代に使っていた「Z's STAFF Kid98」のzim形式画像やWindows3.1時代に使っていた「SuperKid」のzsk形式画像は、今や開く手段を持たぬ。まさに、ゴミだ。 そういう経験から、我輩はこの「X3F形式」のデータをそのままにしておくわけにはいかぬ。「X3F形式」については、それはそれで持っておき、それとは別にJPEG化したファイルも生成させておくようにした。もちろん、1枚1枚レタッチしてJPEG化などせず、ソフトの機能を使って一括変換したものである。とりあえずこのようにしておき、使いたい画像があればその都度「X3F形式」からレタッチしたものを、改めてJEPGデータに変換して既存のJPEGデータに上書きすれば済む。 ---------------------------------------------------- [684] 2009年12月25日(金)「こうも感覚が違うのか」 客先にて、あるコンペが行なわれた。 客先の取扱製品を3次元CG(コンピュータグラフィックス)で表現してコンテンツ化するというものである。我輩の勤務先でもこのコンペに参加することとなった。 なんとしても受注するという社の方針により、今回、プロジェクトが立ち上げられ、我輩はそのメンバーの一員として加わることになった。 なお、本雑文では製品に関する具体的なことは書けないため、ここから先は、製品をカメラに置き換えて話を進めることにする。当然ながら、実際の製品はカメラではない。 さて、今回のプロジェクトの主要メンバーは3人。田町のG課長、品川のK君、そして川崎の我輩である。我輩は主に提案書の作成を担当することにした。 プロジェクトゆえに、メンバーそれぞれの所属する営業所が違うため、打ち合わせは田町の営業所に集まって行なわれることが多かった。 コンペの仕様としては、客先から支給される製品CGデータを基にレンダリングを行い、実物と違(たが)わぬ映像を作ることが要求された。特に、ライバルメーカーのコンテンツクオリティを越えたいという要求もあることから、我輩としてはクリアすべき目標が明確に見えた。 ただ今回は納期がかなり短いため、小規模な体制しか無い社内ではなく外注業者に出すことにした。 外注業者の候補はA社、B社と2社あり、業者選定のために「CGレンダリング作例」を提出してもらうことにした。 後日、その作例が提出されたとのことで、我輩は打合せの場へ赴いた。 作例を見ると、A社のものはまるで塗り絵のよう。問題にならない。どのようにレンダリングすればこのようになるのかを逆に問いたいくらいの出来だった。 その点については、メンバー全員の意見は一致した。 次にB社の作例だが、これはA社の作例よりはまだマシだったが、それでも平面的に見えて違和感が残る。 <B社が作った作例CGを再現したもの> ※実際の製品はカメラではない <<画像ファイルあり>> 我輩はそのことを他の2人のメンバーに言ったところ、CG技術に詳しいK君が「じゃあフチの部分の光沢を強くしてもらいますか?」と言った。 我輩はその言葉に驚いた。 「あ、いやそういう部分的な問題じゃなくて、全体的におかしいと思わないか?」 「う〜ん、まあ確かに刻印の描写が鮮明じゃないですね・・・。」 「いやだから、そういう部分的な話じゃなくて・・・何と言えばいいのかなぁ・・・。」 K君は、我輩が伝えようとしていることをなんとか聞き取ろうとしていたが、我輩の側に伝える術が無かった。 いやそもそも、違和感を持ったのが我輩1人だけだったということがショックであった。 結局、業者としてはB社を選び、改善要望点をK君が取りまとめてB社に送ることになった。 打合せ終の帰り際、我輩はK君に聞いてみた。 「キミはCGデザインコンテストで賞を取ったほどなのに、この描写力で許せるのか? 我輩には別の製品に見えるぞ・・・。」 「うーん、満足とは言えませんけど、根本的なことを言うなら元の3Dデータが悪いとしか言いようがないですよ。」 「いや・・・、そうじゃなくて・・・、レンダリングの方法が違うとか・・・、うーん、どう言えば良いんだ・・・。」 我輩のほうは提案書を仕上げねばならないため、CGの件はとりあえずK君に任せ、改善要望が反映されたものがうまくCGのクオリティ向上に繋がることを信じることにした。 3日後、B社からCG作例の修正されたものがメールで届いた。コンペ提出期限まであと数時間とギリギリである。さあ、どんなふうに変わったか・・・。 しかしその画像を見て、我輩は落胆した。 「全く同じじゃないか。どこが変わったんだ? これじゃ、コンペに提出しても落とされるぞ・・・。」 我輩は慌ててK君に電話してみた。 「以前より良くなったと思いませんか?」 K君はこのように言った。 「一応、こちらからの指摘事項はクリアしてますし・・・」 我輩はK君の言葉を遮った。 「いやこれじゃコンペ通らんわ。指摘事項はクリアしたかも知れんが、全体の印象はまるで変わってないと思わんか?」 しかし先日のように話が噛み合わないように感じたので、もう1人のメンバーであるG課長に相談しようと田町へ電話した。 そう言えば、CGに関するG課長の意見は今まで明確に聞いたことが無かったが、どう思っているだろう・・・? ところがG課長は「前より良くなったと思うぜ。」と言うではないか。 「えっ、ちょっと待ってくださいよ、少しくらい立体感が欲しいと思いませんか?」と確認してみたが、これで十分勝負出来る出来栄えだと言うのだ。 我輩は、何がなんだか分からなくなってきた。 もしかしたら、我輩の感覚のほうがおかしいのだろうか? だがどう見ても、形や立体感は変化していないように我輩には見える。確かに各部分の光沢が増したようには思うものの、全体の印象は最初と変わらぬまま。 コンペ提出期限まで、あと3時間。 G課長は今回の営業担当であるから、間もなく提案書とCG作例がG課長から客先へメールで提出されることになろう。このまま何もしないで良いのか・・・? 我輩は少し考え、覚悟を決めた。 「CGのレンダリングがおかしいと思うので、私のほうで条件を変えてレンダリングやり直してみます。」 もう、言葉で説明しても解ってもらえない。 我輩の求めるものを画像として提示すれば、さすがにK君やG課長も、我輩の言いたいことを理解してくれるだろう。 正直言って、大変なことを言い出したもんだなと自分でも思った。 この言葉は、もしコンペで受注した場合には我輩自身がCG製作を行なうことを意味する。見本と製品が異なる環境で作られるのは問題があるからだ。 日々の営業業務に加えてCG製作もやることには不安もあるが、この時点で我輩は腹をくくった。 「おいおい、あと3時間しか無いぞ、間に合うのかよ。」 「自分としてはとてもB社の作例で出すのは抵抗がありますよ。とにかく2時間で作りますから、それを見てもらえますか? 比べてみてもらえれば解ると思いますから。」 「うーん、そうか。」 我輩は電話を切り、再びK君に電話をしてG課長とのやりとりを説明し、K君からCGの元データを送ってもらった。 今考えると、アドレナリンがかなり出ているくらい興奮していたように思う。 時間が無いという焦り、ここが踏ん張りどころだという使命感、もしうまく結果が出なかったらどうしようかという緊張感・・・。 成り行きとは言え、自分を追い込み過ぎたような気もする。しかし今この局面では、自分を信じて突き進むのみ。 早速、CGソフトにデータを読み込み、適当なライティングでレンダリングしてみた。その結果、B社の作例と同じようなものになった。 やはり、何も考えずにレンダリングすればこうなるのか・・・。 そこで我輩は、商品撮影の経験を活かしてライティングを組み立てることにした。 現実と同じように白レフや黒レフを置いたり、照明を調整したりした。 レンダリングは時間がかかるため、大体の結果が見えてきたらすぐに止め、また微調整してレンダリングし直すことを繰り返す。 だんだん、我輩のイメージに近い結果が得られるようになってきた。 1時間が過ぎ、昼休みになった。省エネのため、職場の室内灯が消されて薄暗くなった。 いつもならば我輩は早々に昼食を済ませ昼寝タイムに入るのだが、この日は全く眠くならない。 レンダリングの結果が良くなってくるにつれ、「もしダメだったらどうしようか」という緊張感は次第に消え、もはや純粋に時間が迫ることの焦りだけとなった。 最終的には大きな画像でレンダリングするわけだが、その見極めが難しい。手を加えれば加えるほど完成度が上がるだろうが、時間はもう無い。 我輩は、タイムリミットの10分前に調整を止め、残り時間で本番レンダリングを行なった。 画面上に少しずつ、我輩の組み立てたライティングでのCGが現れてきた。 小さな画面では気付かなかったようなアラも見えてきたが、もうこの時点では止められぬ。部分部分は仕方無かろう。全体を見渡した印象では、明らかにB社の作例よりも実体感が出たのだ。 <我輩がレンダリングし直したCGを再現したもの> ※実際の製品はカメラではない <<画像ファイルあり>> 我輩は、出来上がった3D画像に多少のレタッチを加え、K君とG課長にメールで送った。メール本文では特に説明することはしなかった。画像を開けば一目瞭然。見れば全てを理解してもらえるはずだ。 両方とも、受信確認メールはすぐに返ってきた。 「よし、やることはやった・・・。」 しばらくしてG課長から、コンペ提出メールが我輩にもBCCで届いた。提出期限に間に合ったようで良かった。 添付書類を見ると、当然ながら提案書とCG作例画像が添付されている。 作例画像を開いてみると・・・それは、我輩の作例ではなくB社の作例だった。 「なんじゃこりゃ・・・?」思わず声に出た。 我輩は急いでG課長に電話をかけた。 「なんでB社のほうを送ったんですか?! 私の作った作例のほうが良いと思いませんか? 自分が作ったものだから採用して欲しいとかそんな意味じゃないですよ。よりクオリティの高いものを用意したのだから、それが採用されないのはおかしいと言いたいんですよ。ぜひその理由を聞きたい。」 するとG課長は、我輩のCGには、赤い色が鮮やかさを失っているなど細かい点でアラがあると言う。確かに、B社が3日かけた仕事を2時間でやったのだからそれは認めざるを得ない。だが、全体を見た時の印象はまるで違うと思うのだ。まさか、全体の印象などどうでも良いとでも言うのか・・・? 我輩はガマンならず、「B社のはCGじゃなくて絵に見えるじゃないですか。これでコンペ通るわけがないですよ。」とハッキリ言ってやった。我輩としては、もう受注は有り得ないと、諦めの言葉でもあった。 それに対しG課長は、「オレは受注出来ると思うね。例えダメだったとしたら、オマエのCGでも通らないだろうな。」と返してきた。 結果がどう転んでも困らないような言葉なだけに少しズルイなと思ったが、最後に1つだけ確かめようと質問してみた。 「B社の作例は、お客さんのライバルメーカーのコンテンツよりもクオリティが高いと思いましたか?」 G課長は明確な答をくれなかった。 その後、互いに沈黙してしまったので、後日また話そうということにして電話を切った。 我輩はその後1週間、コンペの結果が出るまで複雑な心境だった。 理屈で考えれば、要求仕様を満たさぬ作例が通るはずが無い。しかし社として考えると受注して欲しい。そうは言っても、もし受注すれば今後我輩の意見はますます通らなくなろう。 そして、待ちに待った結果が出た。 受注ならず・・・。 逸注の理由として、「価格が高めで、CGのクオリティが要求レベルに達していない」とのこと。 G課長は「値段下げれば良かったなぁ」と言っているのだが、そもそもの条件としてCGのクオリティがライバルメーカーを越えることが必須であるから、CGのクオリティが要求レベルに達していないと言われた以上、価格がいくらであろうとも受注出来るわけがなかろう。 かと言って、我輩のCGを提出して受注出来たかと言われてもそれは分からない。 ただ今回一つだけ判ったことは、人の感覚(センス)というものは人それぞれで、自分では明らかにこれが良いと思えるようなものであっても、そう思うのは自分一人だけということも有り得るということであった。 他人が色々と調整しても我輩にはその違いが分からず、逆に我輩が色々と調整しても他人にはその違いが分からない・・・と。 そう言えば、一つ思い当たることがある。 5年くらい前、印刷業務で客先の商品のパンフレットを作る際に商品撮影をしたことがあった。 その時、その写真の著作権について知的財産関係の部署に問合せてみた。この写真には当社の著作権が存在するのかという点である。 それについて、「写真を見せてもらったが、商品撮影のように誰が撮っても同じ結果にしか撮れない写真は、著作権は発生しないだろう」との回答が返ってきた。 我輩は、著作権がどうのこうのはともかく、商品撮影についての位置付けが我輩とは全く異なることについて軽いショックを受けた。 誰が撮っても同じ・・・。まあ、そういう面も否定はしないが、我輩は我輩で小さなこだわりを写真に反映させて撮影しているのである。 ただそういうこだわりは、他人にとって何の意味も無いかも知れないし、逆に、こだわらなければならない点を我輩が見落としているかも知れぬ。そういう可能性はあろう。 こういう感覚の違いは、写真のシロウトかクロウトかということで済ませる問題では無いと思う。 なぜそう考えるのかという説明は難しいが、我輩の直感なのだ。 この件をきっかけに我輩は、手元にあったMP3プレーヤーを撮った写真を例にして、どのライティングで撮った写真が好ましく感ずるかということを、周囲の人間にアンケートを取り始めた(下の2点の写真)。 対象はもちろん、写真に興味を持たぬ一般人である。 <ライティングA> <ライティングB> <<画像ファイルあり>><<画像ファイルあり>> 今のところ、上の2つの写真のうち、ほとんどの者がライティングBのほうが好ましいと言っているのだが、「液晶画面がハッキリ見える」とか「本体の色が鮮やかに見える」という理由でライティングAを選びそうになった者も何人かいたのも事実である。 今後も引き続きアンケート調査を続けるつもりだが、この結果がどうであろうとも我輩の写真に対する方向性が変わるはずも無いが、少なくとも業務で企画をまとめる際、考慮せざるを得なくなると考えている。 ---------------------------------------------------- [685] 2010年02月24日(水)「昔はそれが当たり前だった」 ペーパードライバー歴15年だった我輩がクルマを運転するようになってもうすぐ5年になろうとしている。 我輩がクルマを買う動機となったのは、火口湖「蔵王のお釜」を訪れるためであった。 「蔵王のお釜」は山の上にあり、西は山形駅から、東は白石駅から山頂行きバスが出ており、クルマを持たなかった頃はそれを利用していた。 しかしバスは東西それぞれ1日2〜3往復しか無く、もし最終バスを逃すと行程が根底から覆ることになる。実際我輩は、初回から最終バスに乗り遅れてタクシーを呼んでもらう事態に陥った(参考:雑文444)。 それでも我輩は、これまで5回もバスを使って「蔵王のお釜」へ訪れた。ようやくクルマを使うようになったのは6回目からである。 普通の人間であれば、バスに乗り遅れた初回訪問時にクルマの必要性を感ずるだろう。しかし我輩には、そもそもクルマという発想が無かった。運転出来なかったのだから当然である。 だから、今振り返ると「よく不便なバスなど利用していたなぁ」と思うわけだが、当時はそれが当たり前だという認識だった。 もちろん当時は、バスの利用に苦労を感じなかったというわけではない。 しかし「蔵王のお釜」へ行くためには避けられない苦労であり、それが"当たり前"ということなのだ。 ところがクルマを導入してからは、クルマの便利さに手放せなくなり、1日2〜3往復のバス路線などもはや利用する気にもならなくなってしまった。 我輩の中で、これは驚くべき変化であった。 クルマを導入した影響は他にも広がり、例えば九州の実家へ帰省した際は2時間に1本のバスなど眼中に無かったし(そのバスも現在では廃止された)、第二の故郷である島根県へ訪れた時も、手軽なレンタカーで済ませてしまい、風情ある一畑電鉄線に乗る機会を逸してしまった。 とにかく、クルマでの移動が前提となってしまった。 <実家近くの西鉄バス停留所 (現在廃止)> <<画像ファイルあり>> 学生時代の我輩は、実家九州の片イナカや、誰も位置を知らないイナカ県の島根にて、クルマ無しで実際に生きてきた。特に島根県などは、先日、民主党の石井一選挙対策委員長が「日本のチベットのようなもので人間より牛のほうが多い土地だ」と発言したほどのドイナカである。 そんな場所でも、バスや鉄道、そして自転車があればどこにも行けた。日本海側特有の大雪の時は苦労したが、それでも「クルマ無しでは生活出来ない」などと思ったことは1度も無い。それは歴然とした事実である。 しかし今、その事実が信じられない。 今では、自転車で2〜3分ほどのコンビニエンスストアに行くのでさえ、クルマでなければ行きたくなくなった。いや、行けなくなった。 人間というものは、一度便利なものを体験してしまうと、もう後戻りは出来ない。 昔からそう思ってはいたが、ここまで強く実感したのは初めてだった。 そこでふと、他のことについて考えてみた。 例えば、携帯電話。 我輩は現在の携帯電話のあり方に疑問を持っているため、いつでも捨てられるようプリペイド式携帯電話しか持たない。しかしそれでも、公衆電話を使う機会がゼロになった。そもそも連絡を取るための選択肢として公衆電話が挙がらなくなった。 最近では公衆電話が減り、そのためさらに携帯電話が無ければ不便になった。まさにスパイラルである。 それはクルマとて同じことで、クルマを利用する人間が増えたことでバスの便数が減り続け、そのせいでさらにクルマが無ければ生活できなくなってしまったのだ。 (逆に交通の便が悪いからクルマが普及したわけではないことは、軽便鉄道やローカル線の廃止の歴史を見れば解る。) <5年前まで自転車で走っていた道をレンタカーで走る> <<画像ファイルあり>> かつては国鉄路線だった鉄道も第三セクター運営で1両編成となり便数も大幅に減った。またバス路線のほうは廃止され乗り合いタクシーのみとなった。全てはマイカー普及が原因である。 ならば写真はどうか。 言わずもがな、デジタルカメラの存在である。 デジタルカメラが存在しなかった時代、そして、存在しても性能的に不十分だった時代、我々は何も不便を感ずること無くフィルムで写真を撮っていた。 最大36枚撮りのフィルムを買い、その場で撮影結果が分からぬカメラで撮影し、現像仕上がりまで辛抱強く待ち、ようやく写真映像を手にしていた。 恐らくデジタルカメラを使った者の多くは、フィルムには戻れないであろう。 メモリカード容量次第で何千枚も撮れ、撮影したその場で結果が分かり、現像せずともパソコン上で写真が得られる。 人間というものは、一度便利なものを体験してしまうと、もう後戻りは出来ないのだ。 だが、我輩はフィルム撮影をやめない。いや、やめられない。我輩は、写真には「クオリティ」を求めるからだ。 フィルムには、デジタルではとても到達出来ぬ「クオリティ」がある。 クルマや携帯電話であれば、得られる結果が同じ(クルマの場合は目的地到着、携帯電話の場合は音声通話)であるから、手段は簡単なほうが良い。 しかし写真の場合は、フィルムとデジタルでは同じ結果が得られない。 デジタルカメラでは、便利さと引き換えに光の眩しさと色の深みを失ってしまった。 眩しさの上限は、ディスプレイのバックライトの上限。色の深みの限界は、データ深度の限界。 いくら色の情報量を増やそうとも、それを出力する手段が、現状無い。 こんなことを書くと、「電子化の流れに適応出来ない頭の固いヤツめ」と思われるかも知れない。 しかし我輩はデジタルカメラ歴15年、フォトビクスによるアナログ電子画像化をも含めれば20年近いキャリアを持っている(参考:雑文470)。去年、30万円以上もする「Canon EOS-5D Mark2」を導入したのも心の迷いではない。いやそれどころか、NikonからD700の後継機の発売を待っている状況ですらある。 このように、我輩はデジタルカメラ黎明期からその成長を追ってきたのだ。デジタルカメラに対するアレルギーや偏見は無い。 確かに最近では、ローカル線縮小・廃止の如く、フィルムの利用も厳しくなりつつあるが(我輩の利用していたクリエイトラボの新橋店も先日閉鎖された)、クオリティの面で言えば、デジタル写真は到達する目的地がフィルムとは完全に異なる。 フィルムの目的地へ向かうならば、面倒であっても他に方法は無い。ならば、何を今さら面倒に思うことがあろうか。 昔はそれが当たり前だったのだ。 ---------------------------------------------------- [686] 2010年03月11日(木)「手ブレの原因と対策についてのヒント」 昨日、NHKの「ためしてガッテン」という番組にて、手の震えについての話題を取り上げていた。もしかしたら写真撮影時の手ブレ軽減に役立つかも知れないと考え、ここで紹介することにした。 その番組によれば、普通の人間でも、手を空中で静止させておくだけで震えが起きるという。 手を上げようとする筋肉と、下げようとする筋肉、この2つの力のバランスが微小な上下動を起こしているというのだ。 ただ我輩は、このことは以前から知っていた。 というのも、ロボット工学の分野でよく言われていたことだからだ。 人間と従来のロボットには、静かに立っている時の姿勢保持に大きな違いがあった。 従来のロボットでは、静かに立っている時というのは、スイッチを切ったようにどこも動かさないで静止した状態であった。 しかし人間の場合、立っているだけでも様々な筋肉を細かく調整してバランスを取っている。だから、ピタリとは静止することは出来ずに、細かく見ると身体は揺れているのである。 もし人間の身体が立ったまま硬直してしまったら、バランスが取れずにそのままバターンと倒れてしまうだろう。 一見、常にバランスを取り続けなければならない人間のほうが不安定でメリットが無さそうに見えるが、俊敏な動きを実現するには不安定なほうが良いようだ。従来のロボットのように一歩一歩重心を中心に置きながら歩くのでは動作が緩慢過ぎる。 そこで最近では、ロボットもバランス感覚を取り入れ、人間のように走ったりジャンプしたり出来るものも現れてきた。 (当然ながら電源が落ちれば人間のように転倒するわけだが) だから我輩は、手を空中に静止させようとしても筋肉の力のバランス調整のために震えていることについて改めて驚かない。 ところが番組によると、この震えは、自分が震えているということを意識するとさらに震えが大きくなるというのだ。 この理由は、震えに気付いて「これは異常だ」と意識してしまうと、自律神経が緊急事態に備えて筋肉の活動を活発化させてしまい、結果として震えが増大するとのこと。 我輩にも経験があるが、歯科医でCTスキャンを撮ってもらう際、装置が頭の周りを回っている間は動かさないようにしないといけない場面で、意識すればするほど頭が動いてしまうものだ。 まさに、手ブレもそうではないか。 三脚無しでスローシャッターを切る時、ファインダーを覗いたままブレが少なくなる頃合を見計らってシャッターを切ったものの、実際にシャッターを切る時に大きくブレていたりするものだ。 原因が判ったからと言って、解決策がすぐに出るわけではないが、例えばブレていることを意識しないよう努力したり、あるいは敢えて静止させようとせず一方方向にゆっくり動かすなど試してみる価値はあるかも知れない。 ちなみに、ゆっくり動かしながら撮る手ブレ対策は、以前から経験的に知られていたことである。 ---------------------------------------------------- [687] 2010年03月27日(土)「忌引帰省」 ※今回はかなり冗長な文章だが、記録という側面からそのまま掲載した。 -------------------- ●祖父他界 2010年2月16日火曜日、職場で会議中に連絡が入った。 九州実家の祖父が、息を引き取ったという。死亡時刻9時55分、享年93歳だった。 会議の場にいた上司が「どうした?」と聞いてくれたために話が早く、その日は午後休暇、そして翌日から忌引休暇が取れることとなった。 続柄としては2親等なので忌引休暇は多少気が引けたが、九州田舎の高齢者ばかりの実家ゆえ、クルマを運転出来る者もおらず、我輩が現地でレンタカーを運転し動き回るしか無かろう。 祖父はこの半年ほど前に危篤状態となったのだが、奇跡的に回復し、介護施設に入所してリハビリに励んでいた。 ところが今年になって身体が弱ってきたようで寝たきりの状態となった。その様子を写真で見るとかなり痩せ細っているのが分かった。 実家九州のことゆえ、千葉県にいる我輩は母親からの電話やメールでしか様子が分からないのが歯痒いが、これまで戦争を生き延び、30年くらい前に大腸ガンを克服した祖父であるからと、その生命力の強さを信じ、また復活するだろうと思っていた。 しかし次第に言葉も不明瞭になり、耳を近付けないと聞き取れないようになったという。 また、ベッドに寝かせているにも関わらず、「頭が後ろに落ちる気がして怖い」と介護職員に訴えたため、ベッド上半身を少し起こしてやったそうだ。平衡感覚がおかしくなったのだろうか? 2月15日、祖父は「明日、帰れないなら自分は自殺する」と言い出した。そして、介護職員らに「自分は明日帰ることになりました。お世話になりました。」と言ったらしい。 食事もほとんど食べなくなり、この日我輩の母親がゼリー状のものを2さじほど食べさせたものの「もういらない」とそれ以上は食べなかったとのこと。 そして2月16日の朝、介護職員が祖父に食事を与えていたところ、フッと意識が無くなり心肺停止の危篤状態に陥った。 病院に運ばれ心臓マッサージが施されたものの、そのまま意識が戻らぬまま息を引き取った。 親族はもとより医者にさえ「僕もこのような大往生をしたいものだなあ」と言わせたほどの、祖父の臨終だった。 さて今回、我輩は新幹線のぞみで北九州の小倉に向かい、駅近くでレンタカーを借りることにした。その時点で日程は読めていないが、とりあえず4日間借りることにしようと思う。 ところがインターネット上でレンタカーを予約しようと思ったのだが、4日間連続で借りようとすると空車が全く無い。あったとしても借り賃の高い高級車。 ならば、自分のクルマを運転して千葉から北九州まで走り通すか? もしそうするのであれば、下着の着替えや喪服、そして撮影機材などをクルマに適当に積み込めば済むのだ。新幹線ならばそうもいかず、荷物は手持ちの範囲となるよう厳選せねばならぬ。 それに、祖父は生前、我輩のクルマを見てみたいと言っていた(写真では見せたが)。せめて骨だけでも乗せてやりたいとも考えた。 通夜は翌日の18時の予定。まだ24時間以上ある。運転さえ頑張れば間に合わないこともない。しかし復路もあるのだから、大変な旅になるのは容易に想像出来る。 大阪からフェリーで行くことも考えたが、さすがにその日のフェリー乗船時間には間に合うわけがない。 そうであればせめて、帰りだけはフェリーとするか?・・・いや、それでも大阪から8時間運転し続けねばならぬ。 結局、再度インターネットでレンタカーを探してみると、喫煙車を選択するならばトヨタレンタリースにて空車が1台あることが判明。1,300ccエンジンのコンパクトカー「トヨタ・ラクティス」だった。 しばらく迷った末、今回、それを予約した。 そうなると、手荷物の問題が残る。 喪服や着替えなどと共にカメラもぜひ持って行きたい。機材選定をどうするか。 まず、メモカメラとしてのデジタルカメラは必要になるだろう。軽量な「SIGMA DP2」ならば一眼レフ画質なので良かろうと思ったが、どうしたことか充電器が見当たらぬ。部屋が散らかっているため、大掛かりな捜索をせねば見付かるまい。しかしとてもそんな時間が無い。 仕方無いので、今回は「Nikon D200」を持って行くことにした。もっとも、「SIGMA DP2」では撮影レスポンスの問題もあるので、葬儀の片手間に撮影するとなれば、多少大柄でもデジタル一眼レフカメラのほうがサッと撮影出来るという意味では面倒が無い。 それから、フィルムカメラも必要となる。記録するにはフィルムしか考えられない。もちろん、中判しか考えていない。 デジタルカメラの機種選定ではサッと撮影出来ることを重要視したため、中判カメラのほうもそういう意識が働いた。サッと撮るには、レンジファインダー形式の「New MAMIYA-6」ではなく、一眼レフ形式の「BRONICA SQ-Ai」しか無い。 (※中判カメラの場合、被写界深度が浅く、広角レンズであろうと厳密にピント合わせをせねばならない。そのため、画面の中心部しかピント合わせが出来ないレンジファインダーカメラでは速写性に劣るのだ。そこが被写界深度の深い35mmカメラとは特性が異なる。) しかしそうは言っても、「BRONICA SQ-Ai」はレンズ込みではかなり重い。撮影が主体であれば着替えを減らしてでもカメラを優先させることも出来ようが、今回はそうもいかぬ。カバンに荷物を詰め込み過ぎてネクタイにシワでも入ると困る。 それに、やはり全てがマニュアル動作というのはツライ。また、光量が足りなければストロボはどうする?さらに荷物が増えるぞ・・・。 結局、66判を諦めて645判の「FUJI GA645Wi」を持って行くことにした。 これならば、AE&AF&AWのフルオートで撮影出来るし、ストロボも内蔵されている。露光精度については、ISO100のフィルムをISO80で使うとAEでもかなり当たるという実績があるので、カメラ任せでも不安は無い。 645判としたことについては、66判を制式フォーマットとしたのは豚児写真であるから、今回の撮影では規定には抵触しないという憲法解釈である(もし豚児が同行していたら66判でないとマズイ)。 <FUJI GA645Wi> <<画像ファイルあり>> -------------------- ●帰省1日目(2月17日) 通夜当日の2月17日早朝、家を出発。 東京駅6時発の新幹線のぞみに乗った。自由席で往復割引を使うと、3万8千円くらいになる。 5時間後、小倉駅へ到着。 いつもの帰省では長距離運転やフェリー移動で日をまたぐのが普通であり、それに比べると5時間など「あっと言う間」という感覚になる。 列車から降りて小倉の空気を吸ったが、さっきまでは東京にいたのだ。なかなか自分が九州にいることが実感出来ない。 トヨタレンタリースは、駅から少し歩いたところにあった。 ちょっと庶民的印象のキュートな茶髪お姉さん店員に対応してもらい、ついでにカーナビゲーションの使い方など教わった。 費用は4日間で3万円弱。カード払いで手続きした。 慣れないクルマのため、最初はかなり難儀した。ちょっとアクセルを踏むとビックリするような急発進をするのだが、その後がなかなか加速しない。しかもブレーキがなかなか効かず、ガツンと踏み込んでちょうど良いくらいに思う。 <トヨタ・ラクティス> <<画像ファイルあり>> 葬儀社に到着すると、控え室では近しい親戚が集まっていつものようにベチャクチャおしゃべりに夢中で、その横には祖父が寝かされていた。その様子は祖父の生前の位置関係にも似ており全く違和感が無い。 祖父の顔にかけられていた白い面布を取ると、静かに眠ったような祖父の顔が現れた。 実を言うと、我輩は人の亡骸を見るのは今回が初めてだった。顔色は白く見えるが、普通に眠っているかのようだ。とても死んでいるとは思えぬ・・・。 しかも、葬儀社の職員がやってきて祖父のヒゲを剃ったり、口の中に綿を詰めたり、化粧を施して顔色を生前に近付けたりしていくうちに、ますます死んでいるとは思えなくなった。我輩の従兄弟の子供がその様子を見て「ジイちゃんまだ寝てるねぇ」と言っていた。確かにそう思うのも無理は無い。 こういうところでパシャパシャと写真を撮るのも不謹慎かとちょっと思ったが、こういうところでこそ写真を撮らねば写真の写真たる意味を失うと思い、「GA645Wi」でシャッターを何枚か切った。 人物主体の近接撮影では内蔵ストロボを使ったが、部屋全体を写すには内蔵ストロボでの照明は光量が足りぬから、蛍光灯色被りは承知の上でノーストロボで撮る。 ISOを80にセットした以外は、完全にカメラ任せとした。 ひとしきり撮影した後、我輩は母親に「GA645Wi」を渡し、祖父の横に座ったところを記念に撮ってもらった。これが祖父との最後のツーショット。 <祖父と最後のツーショット> <<画像ファイルあり>> [FUJI GA645Wi/Kodak E100G] 2010/02/17 さすがに93歳の死では、我輩も含めて皆、「悲しい」というよりも「よくここまで長生きしたなぁ」という気持ちになる。 ただ我輩の母親は、「最期の瞬間に家族がいなかったのがかわいそう」だと言っていた。 ふと見ると、祖父の日記帳があった。他にも日記帳は何冊かあったそうだが、残念なことにそれらは処分したそうで、残っているのは一番最近の、この一冊とのこと。 中を読むと、「介護施設のお出かけに行った」とか「誰々が面会に来た」というふうにその日のことを簡潔に記録してあった。また、レシートなども貼ってあるページがあり、かなり几帳面なところが伺える。 さらに読み進めると、介護施設のAさんという女性職員が頻繁に出てくることに気付いた。 「買い物の日には美人(Aさん)が同乗。車イスの私をたすけて買い物し楽しい一日だった」 「リハビリ中、こんにちはと言って握手してきた美人あり。Aさんだったのか。」 「バスハイクで門司港の公園でAさんと並んで写真を写す。美人とは嬉しい。」 <祖父の日記帳> <<画像ファイルあり>> 「美人が好きやったみたいやねー、それくらいやけ九十三まで生きたんやろうねー。」と皆で笑った。 それにしても、Aさんというのはどんな人だろう? "美人"というキーワードに引っ張られて気になってしまう。 まあさすがに、介護施設に美人を尋ねて行くわけにもな・・・。 通夜は18時から始まり、我輩は受付を担当した。身内だけの葬儀なので、受付はそれほど大変ではない。 <祭壇> <<画像ファイルあり>> [FUJI GA645Wi/Kodak E100G] 2010/02/17 通夜ではお坊さんが読経していたが、今までに聞いたことの無いような独特な読経だった。ただ、風邪気味なのかしきりに激しい咳をしてその都度中断するのが少し残念。まあ、生きている人間だから仕方無い。 通夜の後、控え室に戻り、食事をした。 そして風呂に入った後、控え室に布団を運び込んで皆で雑魚寝した。 寝る前、叔父が「オレのイビキはうるさいぞ?出来るだけ離れたほうがいいぞ?」としきりに言っていたが、確かに、言うだけのことはある豪快なイビキだった・・・。 -------------------- ●帰省2日目(2月18日) 前日は、寝付いたのは午前1時頃だったと思う。そして、起床は5時だった。 気付くと我輩以外は起きていて小さな声でベチャクチャおしゃべりしていた。 この日は告別式、そして火葬であるから、少々忙しくなろう。 9時頃にお斎(おとき)の精進料理を食べ、その際、葬儀社のスタッフ数人が来て進行確認が行なわれた。 スタッフは、経験豊富そうな女性が3人、若い男性が1人だった。 叔母の「まあ、女性が多いんですねーっ。」という言葉から雑談が始まり、本木雅弘主演の葬式映画「おくりびと」に話題が移り、女性スタッフが若い男性スタッフを指して「ウチのモックンですー」と紹介して大ウケしていた。 この雰囲気、とても告別式の直前とは思えぬ・・・。 食後、身支度を整える。我輩は背広の下に「GA645Wi」を忍ばせておいた。 告別式は11時に始まった。我輩は前日の通夜と同様に受付をした。 この日は、昨日のお坊さんに加えてもう1人のお坊さんが来て、2人で読経をした。独特な読経と激しい咳は昨日と変わらず。 しかしながら、従兄弟の子供がいかにも悲しそうに泣き出したので、意外にも周囲がそれに感化され涙を誘った。まだ3〜4歳の子供なのに死の概念が理解出来るのか・・・? 読経が終わると棺桶のフタを開け、皆で祖父の周りに花を敷き詰めたり、祖父が好きだった梅酒を口元に垂らしたりした。 そう言えば、イラク北部のシャニダール洞窟から発見されたネアンデルタール人の埋葬跡に大量の花粉が見付かったことを思い出した。ネアンデルタール人も、死者には花を手向けたのかも知れない。そう思うと、死に対する気持ちというのは数十万年前も同じだったのだろうかと神妙な気持ちになった。 最後に我輩は、2枚の記念写真を祖父の顔の両横に置いておいた。去年の夏に祖父を囲んで皆で撮ったものと、祖父と豚児のツーショット写真である。ちなみに、祖父と豚児は誕生日が同じなので何かの縁を感ずる。 <花を敷き詰める> <<画像ファイルあり>> [FUJI GA645Wi/Kodak E100G] 2010/02/18 12時過ぎ、告別式が終わって霊柩車とマイクロバスに乗って祖父の亡骸と共に火葬場まで行くことになった。 霊柩車というと社付きの黒塗りリムジンかと思っていたのだが、普通のワンボックスカーに棺桶積載装置を付けたものだった。リムジンのオプションは高価らしい。 我輩はマイクロバスのほうに乗ったのだが、田舎道特有の狭い道路を走るので対向車が来るとヒヤヒヤする。しかし我輩の心配をよそに、微妙に道幅が広がっているところを見付けてキレイにすれ違うのは見事。まるで対向車と事前に打ち合わせたかのよう。 そういえば、島根県松江市の一畑バスも、商店街の狭いクランクをフルサイズのバスが曲がるものだから看板などが目の前数十センチまで迫って最初は驚いたものだ。対向車が来たら相手はバックするしかない道である。 田舎の運転手は、運転がとても上手い。 途中、県営住宅がチラッと見えた。 そう言えば、我輩も幼少の頃はこういうところに住んでいたことがある(参考:雑文542、雑文539)。懐かしい風景だ。実際に住んでいた住宅はもう取り壊されているので見ることは出来ないのが残念だが。 さて火葬場に着くと、祖父と最後の別れをし、祖母が炉の点火スイッチを押した。 職員の案内によれば、全てが焼けるまで1時間半ほどかかるとのこと。 その間、ロビーで待ってお菓子などを食べていた。 我輩は、先日購入した録音可能なMP3プレーヤー(参考:雑文684)を使ってさりげなく家族のおしゃべりを録音した。というのも、おしゃべりを聞いていると、我輩の知らなかった祖父に関係した情報が出てくるからである。 しばらくすると、職員が呼びに来た。 行ってみると、まだ熱気を帯びている台座の上に祖父の骨が横たわっていた。周囲に散らばっているコの字型の細い金具は、想像するに棺桶の金具か。 皆で手を合わせた後、箸を使って祖父の骨を骨壷に納めていく。 職員が「この骨はどこどこの部分です」と説明してくれるのだが、この骨が、つい先ほどまで眠るように横たわっていた祖父の骨とは・・・。 ちなみに、ノド仏の骨は別の入れ物に納められた。 肩や足の球間接は丈夫なためか、ほぼ完全に原型を留めている。 これが祖父の身体を支え、運動機能を実現していたのだ。そう思うと、何とも不思議な気持ちになる。 骨壷は小さいため、長い骨などはバリバリと砕いて入れるものらしい。また、骨は全てが入るわけではなく、半分くらいは余ってしまうもののようだ。 祖父の骨を収めた骨壷は我輩が受け取ったが、マイクロバスに乗った時にひざの上に乗せると、火葬の余熱が伝わって暖かく感じた。 葬儀社に戻ったのは15時頃。 控え室の祭壇に骨壷を置き、そこで改めてお坊さんの読経が始まった。今度の読経は、途中から拍子木をカンカン鳴らしていた。こういう宗派もあるのか。 我々親族はその後ろで正座しているのだが、祖母がだんだん横に傾いてきたので、叔母が少し支えるようにした。 祖母は高齢のため正座ではなくイスに座っており、足が痺れたわけではなかろうが・・・。 16時になって食事が用意された。 お斎(おとき)の精進料理は味気無かったが、今度の食事は食べ甲斐のあるもので美味かった。 食事タイムは、当然ながらおしゃべりタイムでもある。 祖母が開口一番に言った。 「あのお経、ヘタクソやったね〜!」 皆も笑いながらそれに同調した。 「拍子木のカンカン言うのがもう耳が痛かったっちゃね〜!」 言いたい放題であるが、我輩もそう思っていただけに自分だけじゃなかったんだと少し安心した。 ちなみに、祖母が読経中に傾いたのは、出来るだけ音源から遠ざかろうとしていたためだったそうだ。 これに懲りたので、四十九日の法要の法要では、一番短いコースでお願いすることで親族内の意見が一致した。 17時に我輩のレンタカーを含むクルマ2台で葬儀社を出発し、17時20分に実家に到着。 その後、遅れて葬儀社の人が来て床の間に祭壇を作ってくれた。 -------------------- ●帰省3日目(2月19日) この日の午前中は、火葬場へ行く途中で見かけた県営住宅へ、レンタカーに乗って行ってみることにした。 8時頃実家を出発。 空には雪が舞っており寒々としている。 昨日の記憶を頼りに道を辿って行くと、確かに県営住宅が見えてきた。 近くにクルマを停め、カメラを持って歩いてみた。 博物展示ではなく実際に住民が住んでいるのだから撮影出来ない状況もあるかと思ったのだが、すれ違った1人だけで他に人影も無い。見ると、空き部屋もかなりあるようだった。 我輩は住宅内を歩きながら、懐かしい風景を「Nikon D200」と「FUJI GA645Wi」で撮っていった。 <県営住宅> <<画像ファイルあり>> [FUJI GA645Wi/Kodak E100G] 2010/02/19 その後クルマに戻り、平成筑豊鉄道が見えるところまで移動した。 かつては国鉄田川線として2輌編成くらいのディーゼルカーが運行されていたのだが、今では第三セクター運営となりワンマン運行とするため料金箱が設置されたレールバスが1輌編成で走るだけとなっている。 我輩は子供の頃、日曜日などに「散歩に行こうか」と祖父に誘われ、歩いて30分の最寄り駅から田川線のディーゼルカーに乗ったものだ。 ディーゼルエンジン特有のカラカラカラ・・・という音を聞きながら、かつて石炭採掘で賑わった町やボタ山を車窓から眺めた記憶が蘇る。 そんな想い出に耽っていると、近くの踏み切りが鳴り始め、派手なカラーリングのレールバスが通過した。 数年前帰省した時にレールバスには乗ったのだが(参考:雑文504)、国鉄当時の面影など全く無く、ガッカリさせられたことを想い出した。運転本数も1時間に1本と少なく、もう乗ることもあるまい。 <平成筑豊鉄道のレールバス> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/02/19 10:12 さて、10時半頃に実家に戻ると、叔母さんが来ており、香典の集計をしていた。 その後、11時頃に寺へ行って礼金と果物を届けに行ったのだが、これがまた死ぬほど狭い道を通らねばならず、ドアミラーが壁に擦りそうなほどだった。寺の出入りにしても、何度も切り替えしせねばならない。 田舎の道はこれだから困る・・・。 <寺> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/02/19 11:23 ところで、祖父がお世話になった介護施設について、まだ荷物が置きっぱなしで取りに行かねばならないということで、お世話になった挨拶がてら介護施設まで我輩の母親と叔母さんをクルマに乗せて行くことになった。 行ってみると介護施設は立派な建物で、事前に連絡していたおかげで祖父の荷物などは台車に載せられすぐにクルマに積み込める状態にまとめられていた。 叔母さんは親族の中でも特に話好きで、介護施設の事務室にいた女性職員と祖父の話題で話が盛り上がった。 その際、美人のAさんの話が出たのだが、実は我々と話をしている女性職員が、あのAさん本人であることが判明し、皆でビックリした。 しかし残念なことに、Aさんは大きなマスクをしていたので顔が分からない・・・。 その後、祖父がリハビリをしていた部屋や寝ていたベッドなどを見に行ったり、他の介護職員の方と話をしたりして小一時間過ごした後、再び事務室のところまで戻ってきた。 しかし我輩はモヤモヤしたものを感じていた。 「Aさんが美人なのか確認したい。」 そこで我輩は、Aさんを囲んで3人で記念写真を撮る提案をしてみた。 すると叔母さんもAさんの顔を見てみたかったようで「そうしよう」とAさんに頼みに行き、マスクを外したAさんを見ることが出来た。 確かにAさんは美人であることに間違いないのだが、それよりも、我輩の好みと共通するものを感じて驚いた。20年ほど前にフジテレビの「プロ野球ニュース」に出ていた石川小百合アナウンサーの若い頃に似ている。かわいい系ではなく美女系である。 ちなみに、この時持って行ったカメラはたまたまデジタルカメラの「Nikon D200」のみであり、フィルムでの撮影は叶わなかった・・・。 <美人Aさん> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/02/19 15:40 夜、テレビのローカル番組を観ていると、飯塚市に近い桂川(けいせん)町にある「王塚古墳」が紹介されていた。見ると、古墳近くの「王塚装飾古墳館」では、古代の絵の具の材料が各色展示されており、我輩はそれに興味を持った。 「当時はどんな材料で色を出していたんだ・・・?」 レンタカーはあともう1日借りているので、次の日にでも行ってみようと考えた。 -------------------- ●帰省4日目(2月20日) レンタカーはこの日の18時まで借りている。とりあえずは葬儀関係も落ち着いたことから、千葉の自宅へ戻るには、この日の夕方にしようかと思う。 まず午前中は「王塚装飾古墳館」へ行く。 朝10時頃、桂川町に向けてクルマを出発させた。 片道1時間半ほど。長距離と言うほどでもないが、慣れないクルマであることを考えると、気楽なドライブだとも言えまい。 カーナビゲーションではフォローされないような新しい道(近道トンネル)では多少混乱したが、何とか目的地の「王塚装飾古墳館」に到着。 <王塚装飾古墳館> (※帰りに撮影) <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/02/20 12:15 クルマを駐車して建物に入り、入場料を払って展示コーナーへ行ったところ、すぐ目の前に「撮影禁止」の看板が・・・。 慌ててカメラを隠し、目的の展示物のところへ行ってみた。 お目当ての「古代の絵の具材料」については、それぞれの色についての鉱物材料が説明されており興味深かった。写真に撮れぬならばと一生懸命覚えようと思ったが、ムダだった。我輩の脳内一時記憶装置は容量が小さいのだ。 せめて筆記用具が手元にあれば・・・。 その後、外に出て隣接する王塚古墳を見に行った。 残念なことに古墳の一部は削り取られて宅地化されていた。詳しい経緯は知らないが、恐らく古墳発見前に、古墳とは知らずに小山を削ってしまったのではないかと想像する。そうでなければここまで古墳に食い込むように家が建つはずがない。 <王塚古墳> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/02/20 12:11 さて、これ以上ここにいても何もすることが無いので、同じ道を引き返して実家に戻った。 時間はまだ14時。時間があるので、祖父の遺品の中から持ち帰られるものを見付けようと思った。 祖父の遺品は、祖父が介護施設に入った頃から祖母がかなり処分していたとのことで、もうほとんど残っていなかった。 残っているのは写真やほんの少しの書籍類、レコードや祖父の卒業アルバムくらいだった。ただ、ほとんど残っていないとは言っても、もらって帰るには量が多い。宅配便で自宅へ送るにしても、全てを置くには場所が無い。 そのまま残しておくと全て廃棄されそうな雰囲気だったのだが、残念ながらレコードは諦め、それ以外を宅配便で送ることにした。 夕方になり、母親を乗せて小倉へ向かった。母親は小倉に住んでいるので小倉駅で別れることになる。 小倉のトヨタレンタリースでクルマを返した後、小倉駅で母親が豚児用の土産を買い、我輩に持たせてくれた。 新幹線は自由席であるから、特に「この時間の列車でなければならない」という縛りは無いが、東京の到着時間を考えると遅くとも18時前後の便に乗らねばなるまい。 ここ最近は、クルマで帰省していたので、このように故郷を離れる列車の時間を待つ寂しさは久しぶりだ。 改札を通って振り返り、母親に手を振った。 皮肉にもこの瞬間に、九州にいたのだという実感が涌いた。 しかし感傷的になっていたのも束の間、よく考えれば、また半年後に初盆で帰ることになることに気付いた。 夏の帰省の苦労を考えると、今から気疲れして汗が出そうだ。 「はやく家に帰ろう・・・。」 新幹線に乗った我輩の気持ちは、ただそれだけだった。 <小倉駅> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/02/20 18:17 -------------------- ●120フィルムを現像 今回の帰省を終え、「FUJI GA645Wi」で撮影したフィルムを現像に出したところ、そのほとんどがイメージ通りの露出で撮られていた。TTLでない露出計でありながら、フルオートでここまで巧く写るカメラも珍しい。 それはつまり、段階露出をせずとも採用カットが得られ、無駄ゴマが発生しないことを意味する。 無駄ゴマが発生しないということは、実質的にコマ数が増えたとも言える。35mmカメラに近い感覚で使うのも良いかも知れない。 驚くことはそれだけではない。実はこのカメラを手に入れて以来7年近く(参考:雑文450)、1度も電池を交換していないのだ。ストロボやAF、AWなど、電力を喰う仕組みが詰まっているように思ったのだが、全く電池が減らないので逆に心配になる。 古代の超テクノロジーで作られたオーパーツの電池なのか・・・? ---------------------------------------------------- [688] 2010年03月27日(土)「フルオート中判一眼レフカメラ」 先日の忌引帰省にて、フルオート645判中判カメラの機動性の高さについて再認識させられた。 改めて、AE(自動露出制御)やAW(自動巻上げ)、そしてAF(自動焦点調節)のあるカメラに魅力を感じたのである。 このことは、雑文045「やってみなければ分からない」でも書いたように、「MINOLTA α7000」で初めてAFに触れた時のことを想い出させた。 「中判の一眼レフでも、フルオートで撮れるといいのだが・・・。」 我輩は、雑文454「MF派でない宣言」で宣言しているとおり、MF派ではない。メインと位置付けたフォーマット66判にはAFカメラが存在しないため、仕方無くMFカメラを使っているのである。 (※ローライには66判AFカメラがあるが、システムがあまりに不十分で用を為さぬ) 元々、我輩が66判をメインに位置付けた理由は、「縦横の区別が無い」ということに尽きる。 中判カメラをメインとするには、当然ながら一眼レフでなければ用を為さぬ。そのことは雑文230「無くてはならぬ一眼レフカメラ」にも書いた。 撮影レンズを通した映像を、そのまま目で見る形式の「一眼レフ」は、応用に富み如何なる撮影にも対応出来る。なぜなら、ファインダーで見たそのままがフィルムに映る(投影される)からだ。 そういうわけで、中判カメラを導入するにあたり、まず、一眼レフカメラの大きさや重さがネックになった。 ボディはペンタプリズムも大きく、交換レンズは35mmカメラのそれよりも大きく重い。そんな大きく重いカメラを、35mmカメラのように自在に振り回して使えるだろうか。 我輩が最も心配だったのは、縦位置撮影だった。 当時は就職で上京してそれほど経っていないこともあり、田舎ではあまり無いようなモデル撮影会などに参加することが多かった。当然、モデル撮影では縦位置が多くなる。だから、縦位置で構えるのが大変そうな中判カメラでは、恐らく手ブレなども頻発するに違いない。 それに、縦位置か横位置かを迷った際に両方撮ることも考えると、中判フィルムでの撮影枚数の少なさが心許なかった。 そこで、いっそのこと正方形の66判フォーマットを使うことで、縦横の区別を無くすことを考えた。 これならば縦横を撮り分けることも無く、またボディもプリズムファインダーを使わずウェストレベルファインダーで軽量化出来る。嬉しいことに、ウェストレベルファインダーならば、ルーペ拡大率が大きいのでピント合わせの精度も向上する。 そうやって選んだ66判カメラは、ロシア製ルビテル二眼レフから始まり、ブロニカ一眼レフ、マミヤレンジファインダー、ロシア製キエフと続いた。 確かに、正方形の合理性はとても優れ、特に魚眼レンズでは正方形ならではの独特な世界を表現することが可能であった。 しかしながら、中判では645判(セミ判)のほうが圧倒的にユーザーが多く、メーカーも645判のほうに技術を投入し、ズームレンズもシフトレンズなど豊富で、ついには35mm一眼レフカメラと同等な性能を持つAF一眼レフが各社から登場するに至った。 それに対してほとんど進化が進まない66判カメラ。 時間差はあるにせよ、いずれは66判も同様にAF化されるものと信じていたのだが、結局、我輩が使っていた66判一眼レフカメラが後継機を残さず消滅したことにより、その希望も絶たれた。 645判のAFフルオートカメラは、我輩にとって非常に魅力を感ずるものだったが、66判ではないということと、何よりその値段があまりにも高く、購入を考えることなど一度も無かった。 カメラボディが30万円を超えるのは、何とか努力すれば買えなくもないが、それで終わりではないのが困る。レンズが20万円、30万円もするのだから追い付いていけない。 だがそのうち時代も変わり、デジタルカメラがフィルムカメラを次々に駆逐して行き、今では中判カメラはもちろんのこと35mmカメラさえカメラ店から姿を消してしまった・・・。 さて、先日の帰省でフルオート645判の機動性を認識したわけだが、そのせいで中判一眼レフに興味が移った。 35mm判の位置付けを645判にシフトするならば、66判との棲み分けも出来るだろう。そういう意味で、645判がフルオートであることの意味がある。 デジタルカメラ全盛の今なら、需要の少ないフィルム中判カメラもかなり安くなっているに違いない。・・・とは言っても、例えば「PENTAX 645N」ではボディのみの新品定価が30万円を超えるのだから、中古でも20万円くらいはするだろう。やはり考えるだけ無駄か。 ところが試しに中古カメラの検索サイトで調べてみたところ、なんと「PENTAX 645N」が4万円弱。程度の悪いものでは3万円台からあるのだ。信じられないほど安い。 いや、ボディが安くともレンズが高ければ手は出せない。 ところが調べてみるとレンズも同様に安く、定価26万円ほどのAF標準ズームレンズ45-85mmで、中古では4万円弱だった。これならボディと合計で8万円。家計への借金が増えるが、借りられない額ではない。 そういうわけで、標準ズーム付きのフルオート中判一眼レフカメラが8万円で手に入った。 <PENTAX 645Nと45-85mmズームレンズ> <<画像ファイルあり>> ズームレンズは、複数のレンズを持ち運び交換する手間を省いてくれるばかりでなく、最適なフレーミングを微調整出来るという大きなメリットがある。単焦点レンズでは、固定された画角に縛られているため、前後に撮影位置を変えるなどしてフレーミングを調整するしかない。そうなると、遠近感のコントロールがデタラメになってしまう。ズームレンズは強力なアイテムなのだ。 (参考:雑文267「年の差」) 特に望遠になると、少々前後に動いたところで変化はあまり無い。ズームでフレーミングを調整する意味は特に大きい。 金銭的な面で少し迷ったが、結局、追加で80-160mmレンズを5万円弱で買い足した。 また、フィルム装填は軸の回転が渋いせいか意外に手間取ることが判明した。このままではフィルム切れのタイミングで撮影テンポが途切れてしまうので、予備のフィルムバックを買い揃えた。 ついでに、AF機ではあまり関係無いがフォーカシングスクリーンをマイクロプリズムタイプに変えてみた。これはこれで、ピントが合っているかが判り易くなって良い。 <買い揃えたPENTAX 645Nのシステム> <<画像ファイルあり>> 手頃な値段のAF中判一眼レフカメラは、PENTAXの他にMAMIYAもあった。 しかしこの「PENTAX 645N」を選んだのは、「NikonF3」を思わせるシャッターダイヤルがあったからに他ならない。 フルオートで撮るという位置付けのカメラだけに、使うはプログラムオートのみ、マニュアル露出に用は無い。しかし、ダイヤルに刻まれたシャッタースピードのそれぞれの値が、我輩にこのカメラの可能性を感じさせる。いざという時に、迅速かつ確実に(強制的に)シャッタースピードを設定出来るというのは大きな意味がある。 <素晴らしきダイヤルの機能美> <<画像ファイルあり>> レンズの絞り環にも「Aマーク」があり、絞り環とシャッターダイヤル両方とも「Aマーク」に合わせればプログラムオートになる。 また、どちらかを任意の数値に合わせればその値が優先され、他方がそれに合わせて自動調整される。いわゆる「絞り優先AE」と「シャッター優先AE」となる。 測光方式は、分割測光が使えるため、それなりに正確であろうと予想する。 それを確かめるために、試し撮りを是非行いたい。 だがフィルムで撮るにも費用はかかるので、せっかく撮るならば意味の無いものを撮るよりも、本番を兼ねた撮影としたい。つまり、巧く撮れればその写真を採用し、失敗すればまた次の機会に撮り直す。 そうなると、撮り直しが利く範囲の近さで、かつ、我輩にとって興味深い被写体を選ぶことになる。 色々と吟味した結果、千葉房総半島の中央に通っているローカル鉄道線「小湊鉄道」を撮ってみることにした。 ここならば、クルマで一般道を走って2時間くらいで行けるし、車両そのものも味があって写真に撮る意味もある。 撮影当日はあいにくの雨だったが、撮影地点が限定される鉄道撮影ではズームレンズが効力を発揮した。もちろん、AFは非常に役立つ。 また、AEB撮影(自動段階露出)も行えるので、絶対に失敗したくないカットではこれを使えば安心出来る。 ただ、やはりフィルム装填はなかなか手間取り、今回は使わなかったが予備のフィルムバックの重要性を強く感じた。 そして肝心の露出についてだが、やはりズームで画角を変えると明るいエリアの面積が変わるせいか露出も微妙に変化してしまう。ズーミングを多用する際には注意が必要かと思われる。 <試し撮りの結果> <<画像ファイルあり>> 今回、まだ十分にこのカメラの特性を理解したとは言えないが、そこそこ我輩の期待に応えるものであることを確認した。 いずれにせよ、このカメラは我輩にとっては35mm判の延長。66判とは異なる位置付けであることを常に意識し、迷い無く使い分けることに務めたい。 ---------------------------------------------------- [689] 2010年04月28日(水)「Canon EOS 5D Mark2 オークション出品騒動」 1年前に32万円で購入したフルサイズデジタル一眼レフカメラ「Canon EOS 5D Mark2レンズキット」(参考:雑文658)を、今回ネットオークションに出した。 元々、我輩はこのカメラを暫定的なカメラとして位置付けており、2,000万画素やフルサイズという点とハイビジョンビデオ撮影が可能という点について必要を感じたから購入した。 しかしながら、下記の問題点があり、そのうち幾つかは事前に判っていたことだが、実際に使っているうちに苦痛になってきた。 ・コントラストが強過ぎる RAWデータの後調整でも厳しいものがある。 ・レンズキットの周辺部描写が意外に良くない 白色エッジ部の色ズレが起きたり、手ブレ補正機能を使った場合に周辺が不自然に流れるなど。 ・内蔵ストロボが無い メモ撮影用途のため、内蔵ストロボが無いのが使いにくい。高感度特性が良くとも、そもそも光が無い環境では撮影不能。 ・ビデオ撮影ではAF追随不可能 撮影中にはAFが動作しないので日常撮影向きではない。映像そのものは素晴らしいだけに非常に残念。 ・ビデオ撮影でなぜか絞り開放で撮れない 撮影前の液晶画面ではバックがボケてても、いざ撮影スタートさせると微妙に絞られているのかバックがボケない。ファームウェアのアップデートでフルマニュアル撮影可能となったが、それでも同じ結果。 ・ビデオファイルがクイックタイムで生成される クイックタイムの編集はかなり面倒。保存時に再圧縮をせず画質が劣化しない編集ソフト「QuickTimePro」を購入したものの、カット編集はクセがあってかなり苦労させられる。しかもヘタをすればすぐに再生不能データを吐き出すのでタチが悪い。ソフトそのものも、ちょっと負荷をかけるとすぐに異常終了する(有名な現象らしい)。 ハイビジョンビデオ撮影に関しては、別途HDDハイビジョンビデオカメラ(AVCHD方式)の中古を5万円で購入したことで解決を図った。それにより撮影の苦労は減ったものの、画質が並になってしまったのは少々残念。 それにしても、「EOS 5D Mark2」を手放すタイミングはなかなか難しいところがある。 2,000万画素のフルサイズというのはやはり大きなメリットで、乗り換え先が無い状況では手放したくない。 我輩としては、高性能レンズ「AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED」(参考:雑文643)の性能を余すこと無く使えるフルサイズのNikonカメラに期待をしており、現行の「Nikon D700」に2,000万画素イメージセンサーとハイビジョンビデオ撮影機能が追加された新機種を待ち続けている。 しかしながら、いったん新型カメラが出てしまった後では、「EOS 5D Mark2」を始めとする既存の機種の相場が暴落してしまうことになろう。 だから、手元の「5D Mark2」を売るのは、新型カメラが出る直前が一番良いわけだが、そのタイミングが難しい。ウワサレベルでは、Nikonからそろそろ「D700」後継となる新型カメラが出るぞ出るぞと言われ続けているが、なかなか出てこない。 結局今回、新型カメラが出ぬまま、相場の自然低下に促されて手放すことを決めた。 「このままでは新型カメラを購入するための原資がどんどん失われる。とりあえず、今、現金化しておくしか無い・・・。」 苦渋の選択とは、まさにこのことであろう。 価格コムで調べたところ、新品の「EOS 5D Mark2レンズキット」の最安価格は約28万円。我輩が手に入れた時よりも5万円も安くなっている。 1年間使った中古であるから、25万円以上では売れぬか・・・? ネットオークションに出品する際の値付けは、開始価格20万円で、即決価格25万円とした。 <<画像ファイルあり>> 商品の写真は実物よりも美しく写してしまうと、擦りキズの有り無し等でトラブルになりかねないのだが、いつもの照明で撮影するとどうしても擦りキズが見えなくなってしまう。 いつもの商品撮影ならばキズが目立たぬよう撮影しているのだが、擦りキズが見えるように写すというのは勝手が違って難しい。 仕方ないので、擦りキズについては文章で説明しておいた。 また、イメージセンサーにホコリが若干あるが、ブロアで飛ばないので静電気で付いているように思う。サービスセンターに行く手間を考え、現状渡しとしておいた。 それから、ストラップの束ね樹脂パーツが1つ割れていることも明記した。 さすがに人気商品なだけに、出品直後からオークションアクセス数が増え始め、ウォッチリスト登録のほうもアクセス数の1割くらいの数で増え始めた。 1日後、早期終了の希望が入った。 「24万円での早期終了はいかがでしょうか」とのこと。 その値段ならばいいかと思い、メールで連絡を取ってみた。 しかしながら、相手はイメージセンサーのホコリについての記述について気になるようで、最後には「イメージセンサーに電気的不具合が出ないか心配」という意味不明な話が出たので「ホコリが乗っているだけなので電気的に問題無いはず」と答えたらそこでメールが途絶えた。 次の日、今度は別の者から「オークションのシステムを通さずに取引すれば、5.25パーセントの手数料を払わずに済むので、手数料を抜いた23万7千円でどうでしょうか」という内容の打診があった。 しかしこの日に入札が1件入ったため、この状態でオークションを取り消すと手数料525円が別途発生する。 そこでその分を加えた額で提示したところ、「ストラップの樹脂パーツが割れているのでそれくらいは大目に見てくれませんか」という返信が来た。「23万7千円即決でなければ諦めます」とも明記されていた。 ストラップの樹脂パーツは事前に説明しておいたことであるから、それを理由に減額する理由が解らない。そういったことを最初から加味した中古価格のつもりだが? もしこの要求を呑んでしまうと、事前説明のある「スリキズがあるから」とか「イメージセンサーにホコリがあるから」とかいう理由でさらに減額される理屈になってしまう。 言っている意味が解らない・・・。 まあ理屈はともかく、トラブルになりそうなニオイのするメールであったし、我輩は駆け引きが嫌いな直球勝負の人間なので、お互いの条件が合わないことから「では今回は諦めます」と即座にメールを送った。 すると今度は、なぜか「では提示価格で結構ですのでぜひ譲って下さい」と来た。アホか。数分前に「23万7千円即決でなければ諦めます」と言ってただろうが? 男らしく諦めろ。 相手の出方次第で態度を変えるというのは、信頼に足らぬ人間であることを自ら認めるようなものだ。 この後、何度かやり取りがあったが、途中、別の者から即決依頼が来た。「23万7千円でどうでしょうか。入札があるようなので取り消し手数料は別途お支払致します。」とのこと。まるで今やりとりしている内容が見えているかのような内容に違和感を覚えた。そのオークションIDを見ると、どうもひっかかる。 仮に、今やり取りしている者の名前を「山下さん」だとするなら、新たに現れた即決希望者のオークションIDが「Yamap123」なのだ。 「う〜む、限りなく黒い灰色だ・・・。」 とにかく、今メールのやり取りをしている者はスッパリ拒絶し、以上3人のオークションIDをブラックリストに登録した。高額商品ゆえにトラブルはゴメンだからな。出品者の立場であろうとも、イタズラで落札されただけで1万数千円もの損害が出てしまう。用心するに越したことは無い。 後で調べてみると、オークション外での取引は色々と問題があるようで、そもそもオークション規約違反であった。この点については我輩が浅はかだったと言わざるを得まい。 その後、オークション説明には、オークション外取引には一切応じないとの説明書きを加えておいた。 それからしばらくは平穏だったが、入札も最初の1件のみで最終日まで値が上がらなかった。 しかしアクセス数は2,000近く、ウォッチリストは100を越えている。そろそろ来ないかと思ったのだが、動きがあったのは終了10分前だった。 千円単位で徐々に値が上がる。しかし入札が入ると終了時間が少し延びるオプションにしてあるので、終了直前になると入札があるのだがその都度時間が延びる。つまり、なかなかオークションが終わらない。 あと30秒で終わるところまで待ってから入札が入り、また終了時間が5分延びる。そしてまた直前になって入札、そして5分延長・・・。 こんなことが延々と繰り返され、最終的に30分も延長となった。 結果的に、最終価格は23万8千円。入札者は13人となった。 満額25万円で落札された場合と比べれば1万2千円ほど安くなったが、まあ、トラブル回避のためには仕方なかろう。 しかし話はこれで終わらなかった。 通常、ネットオークションで落札者と連絡を取るにはメールではなくシステムを介した「取引ナビ」でやり取りするのだが、支払い方法等の連絡が終わったにも関わらず、翌朝、落札者から再度取引ナビで連絡が入った。 「我輩さんから支払いを待ってくださいとの連絡が取引ナビではなくメールで午前2時ごろあったみたいなのですが。真意はどうなのでしょうか?」 一瞬、意味が分からなかったが、どうやら我輩を騙った者からの詐欺メールが相手先に届いたようだ。 メールの内容を見せてもらったが、「出先なので必ずメールにて返信お願いします」との内容。恐らくこれに返信すれば、別の振込先を案内されるに違いない。 危ういところだったが、取引相手が事前に確認してくれたおかげで難を逃れることが出来たのは幸いだった。 最近はネットオークションに出品していなかったが、近頃はこういう輩が跋扈(ばっこ)しているのか。全くやりにくくなったものだ・・・。 さて、ようやく現金化した「EOS 5D Mark2」だが、この金を、いつか出るであろう「Nikon D700」の後継カメラを購入するための資金として大事にとっておかねばならぬ。 我輩の根拠の無い予想では、後継機は9月過ぎに出るのではないかと思う。それまでこの金に手を付けぬままでいられるかどうかは、ハッキリ言って自信は無い。 ---------------------------------------------------- [690] 2010年05月11日(火)「2010年ゴールデンウィーク一人旅(事前計画)」 ●今年のゴールデンウィークの行き先 勤務先では、ここ数年の深刻な不景気の影響で仕事が極端に少なくなり、ゴールデンウィークも休みが多めになるのは去年と同様。休むとその分だけ給料が減る、いわゆる"帰休"というものである。 そういうわけで、今年の休みは4月29日から5月9日までの11連休となった。4月30日、5月6日、5月7日はカレンダーでは平日であるが、そこに休暇を入れた。 それに加え、今年は早期退職のアナウンスもあったため、休みを利用して転職活動に向けた努力が必要となろう。例えば「資格の一つでも取るための勉強をする」などが考えられる。 ところが求人募集内容を色々と探してみたものの、そのほとんどが即戦力を求めるものばかり。特定分野で3年以上の経験者でないと難しいようだ。それはつまり、他業界への転職はかなり難しいことを意味する。 もしそうだとしたら、我輩は今の「印刷・情報処理系」の業界内しか転職出来ないだろう。 この業界そのものが仕事が無くなり人減らしをしているというのに、その中で転職をしても全く意味が無いではないか。 結局、考えが行き詰まってしまい、気分転換(現実逃避とも言う)として、去年のようにまた一人旅をすることにした。 当初は、2年連続で一人旅というのもマズイかと思い家族旅行も検討していたのだが、よく考えると豚児は学校があるため我輩の11連休とは連動せず、やはり一人旅の計画に落ち着いた。まあ豚児については、ゴールデンウィーク最終土日にでも、1泊の車内泊旅行に連れて行こうかとは思っている。 去年の記録を読むと、北海道行きはフェリー代だけでも4万円もかかっていた。2年連続でこのような出費は出来ないので、今回は陸続きの場所にしなければならない。 そうなると場所はどうするか。 一人旅であるから車中泊で宿泊費用を削りたいのだが、当然ながらクルマで無理なく行ける範囲で考えねばならない。 しかしあまり近すぎてもわざわざゴールデンウィークを使って行く意味が無いし、高速道路のETC割引料金1,000円も今回が最後のチャンスとのことで、それなりに遠出はしたいと思う。 また、車中泊してまで見て回る魅力のある場所かどうかも重要。 我輩としては、地質巡検と博物館巡りに関心がある。また、鉄道関係も気になるところ。 まず東北地方を考えたが、今年は東京でも4月に雪が降ったことを考え、あまり北上しないほうが良いと思った。それに、恒例の蔵王のお釜行きがあるから、そのついでに行けるという意味では今回の長旅でわざわざ行く必要もあるまい。 そこで考えたのは、北陸(富山・石川・福井)あるいは伊豆半島。 特に、伊豆半島は火山地形が豊富で、海岸地形もまた多い。しかし何となく伊豆方面は観光客が多くて開けたイメージがあったので、今回は伊豆半島を避け北陸を選ぶことにした。 場所が決まったところで、見所をピックアップしてみる。 調査はインターネットはもちろんのこと、地学本やJAF地域特集記事など、様々な情報源を当たった。 しかしながら調査を進めていくと、北陸にはクルマで行ける範囲に「蔵王のお釜」のような火山を象徴する分かり易い地形は無く、火山好きの我輩にとっては少々物足りない気がしてきた。 (白山などは魅力的だが、クルマでは行けない) これら事前調査には2週間ほど費やし、一時は伊豆半島にしようかと思いかけたものの、ようやく今回の旅の目的を設定するに至った。 ●旅の目的 今回の旅の目的は下記4点とした。 (1)「柱状節理岩石と海岸浸食地形の巡検」 苦労して登山せぬとも、東尋坊や雄島、越前松島など多くの興味深い地形が海岸線に沿って存在する。特に越前松島では、柱状節理があらゆる方向に伸びている様子を写真で見て期待を持った。 (2)「博物館巡り」 「フォッサマグナミュージアム」、「青海自然史博物館」、「コスモアイル羽咋」、「日本自動車博物館」を訪れる予定。 特に「コスモアイル羽咋」では、米ソの宇宙探査機のレプリカ展示があるので期待しているが、撮影の支障となるため混雑する日は避けたい。世間的に平日である4月30日を狙って行くことにする。「日本自動車博物館」も同様。 (3)「のと鉄道の廃線探索」 数年前に廃線となったというこの路線では、すでに線路は撤去され、寂れた駅舎と盛り土が残るのみだが、古い時代の痕跡を探す楽しみがあろう。 (4)「富山地方鉄道に移ったレッドアロー号の撮影」 西武鉄道時代にレッドアロー号と呼ばれていた車両が富山地鉄で運用されているとのこと。 我輩は鉄道車両に詳しくはないが、昭和レトロの時代を追う我輩にとって、このような昭和の花形車両に実際に出会えることの意義は大きい。 <<画像ファイルあり>> ●日程 以上を踏まえ、日程を次のように割り振ってみた。 4月29日(木) 移動・フォッサマグナミュージアム・宇奈月駅(富山地鉄) 4月30日(金) コスモアイル羽咋・日本自動車博物館 5月1日(土) 海岸線巡り 5月2日(日) のと鉄道廃線跡巡り 5月3日(月) のと鉄道廃線跡巡り 5月4日(火) 街中散策 5月5日(水) 早朝帰宅 今回は6回の車中泊が必要となるが、去年は4回やってまだ余裕が感じられたので大丈夫であろう。 去年の北海道行きでは、フェリーでの移動に費やされた時間が大きかった。今回はそれが無い分、時間が有効に使えると期待する。ただ、「陸続きだからいつでも帰れる」という甘えがあることから、北海道行きの時よりも覚悟が若干薄い気がする。 のと鉄道廃線跡巡りについては時間がかかると考え、2日行動としておいた。 それから、最終日の街中散策では、ある街をターゲットにしてその街の住民になって生活してみようという恒例の企画である。 今回の旅では、とにかく宿泊や食事には極力金をかけないということを基本コンセプトとしたい。 家族旅行ならば旅館やホテルの雰囲気、そして食事の旨さが想い出の重要は要素となるのだが、一人旅ならば想い出など全く考慮する必要が無い。逆に目的がハッキリしているから、それ以外のものに関しては限りなくコストゼロを目指す。 そういう意味で、食料については可能な範囲でスーパーマーケットで調達しようと思う。惣菜の見切り割引きなどを狙ってなるべく安く済むようにしたい。 確かに北陸はカニが旨いらしいが、旅の本来の目的を遂げるために必要というわけでもないので、あくまで食事は燃料補給と割り切るものとする。 ちなみに、去年の旅ではスーパーマーケットでは買い物袋をもらえないことがあったため、今回はあらかじめ何枚か持参しておこう。 ●撮影機材 銀塩のほうはいつも使っている66判ではなく、割り切って645判とする。 645判は66判と比べて画面サイズが若干小さく雰囲気も変わるが、フルオート645判一眼レフ「PENTAX 645N」とズームレンズ2本が投入出来るため、機動性と撮影枚数増のメリットが生まれる。 ただし、念のために66判の「BRONICA SQ-Ai」は一応クルマに積んでおこうと思う。使う予定の無い余計な荷物でも気軽に積み込めるのはマイカー運用ならでは。同様に、フィルムも40本ほど入れておく。もしフィルム切れになってしまうと悲惨なことになってしまうのは経験済み(参考:雑文362)。 <PENTAX 645N> <<画像ファイルあり>> 一方デジタルカメラは、高画素カメラ「Canon EOS 5D Mark2」を売却してしまったことから(参考:雑文689)、低画素の「Nikon D200」にてメモ撮影を行なう。もっともこちらのほうが、高性能レンズ「AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED」が使えるので却って良いかも知れない。 「Nikon D200」、最近はRAW+JPEG記録で使っているが、そうなるとメモリカードも大量に必要になる。とりあえず手元にあったのは「16GB」、「4GB」、「2GB」のコンパクトフラッシュメモリ。しかしこれでは足りそうもないので、変換アダプタ経由でSDカードメモリも使うことにした。そうすると「8GB」、「4GB」、「4GB」、「4GB」のカードが追加される。これだけあれば十分だろう。 <D200とメモリカード> <<画像ファイルあり>><<画像ファイルあり>> ビデオ撮影は、今回は車載カメラとして使うのみ。 去年は、テープ記録のため80分毎のテープ単位で記録が途切れてしまったわけだが、今回は中古で購入したハードディスクタイプの「Canon iVIS HG21」のため、ディスク容量120GB(約15時間)目一杯まで連続撮影が可能である。またSDカードを挿せばそちらでも記録可能。もちろん、クルマのシガーソケットから給電してバッテリー切れなどのヘマが無いようにするつもり。 <ワイドコンバージョンレンズを装着したCanon iVIS HG21> <<画像ファイルあり>> 車載カメラでの撮影の目的は、ドライブレコーダ代わりに使うという意味もあるのだが、旅の記録としての意味も大きい。何しろ、運転中は安全運行に集中せねばならないので景色を楽しむ余裕は無いし、往来の迷惑にもなるため思い付きでいきなり停車させることも出来ない。そういう意味で、車載ビデオの映像は旅の記録の1つとなろう。 長時間のビデオ映像となることから、去年まではNTSCスタンダード画像を高圧縮率の低画質にて記録していたのだが、試しに撮ったハイビジョン撮影が思いのほか臨場感があり、現在はハイビジョンでしか撮影していない。 ---------------------------------------------------- [691] 2010年05月14日(金)「北陸ドライブ(4月29日−1日目)」 今回から数回に渡り北陸ドライブの記録を書き綴るが、これまでの撮影記と同様、我輩自身が後日参考になるようにという配慮から、撮影とは直接関係無い細かいことまで記述するつもりである。そのためかなり冗長な文章で読みづらくなっているが、飛ばし読み出来るよう撮影に関する記述には黄色で着色した。 -------------------- ●北陸へ向けて出発 前の日の勤務が終わり、家に帰宅したのは19時過ぎ。あと数時間で北陸へ向けて出発となるため、疲れが残っていることが心配であった。 風呂と食事の後、色々と支度をしていると、寝るのが23時になってしまった。起きるのは翌朝3時なので、疲れが残らなければ良いが。 予定通り3時に起床後、クルマに荷物を積み込む。一番大きな荷物は、車中泊で必要となる寝具である。ついさっきまで寝室で寝ていたわけだから、事前に積み込んでおくことは出来ず、出発直前の暗い中、近所迷惑にならぬよう音を立てずソロリソロリと積み込んでいく。 マット、敷き布団、敷き毛布、掛け毛布、掛け布団、ハーフ毛布2枚、枕。 それに加え、目隠しカーテン、撮影機材一式、6日分の着替え、タオルや歯磨き等、ノートパソコン、地質本や道の駅ガイドブックなどの資料、食料少々と飲料、相棒としての動物ぬいぐるみなどを積み込んだ。 金は余裕をみて5万円ほど持った。 なんだかんだで出発は朝4時半となってしまった。空が薄っすらと明るくなってきたので焦る。 カーナビゲーションの案内によれば、現地到着は5〜6時間後とのこと。距離的にも「蔵王のお釜」とほぼ同じなのでそういうものだろうと思った。 エンジンをかけてみると、ガソリンメーターが半分の値を示していたため、最初にガソリンスタンドに寄り満タンにしておいた。この状態から始めれば、旅にかかる費用を計算するのが分かり易くなろう。 かなり明るくなってきたが、まだ早朝と言える時間帯のため、一般道路も高速道路も走行はスムーズだった。ただ、あまり調子に乗ってスピードを出して捕まるのもバカらしい。高速道路に乗っても、80km/hで生真面目に走った。 <80km/hで走行> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/04/29 05:09 それにしても、やはり眠気は早くから出てきた。 途中「上里SA」、「横川SA」、「東部湯の丸SA」で小休止をとったのだが、8時半頃着いた「小布施PA」にてとうとうギブアップ。カーテンを吊って後部座席に敷いてある布団に潜り込んで寝たのだが、次に目が覚めるともう10時だった。2時間も寝てしまったことになる。 当初、「フォッサマグナミュージアム」と「青海自然史博物館」には午前中に訪問し、午後には宇奈月温泉に行って富山地鉄のレッドアロー号を撮影する予定だったが、これでは宇奈月温泉に着くのは夕方になってしまう。そうなると、宇奈月温泉で一晩過ごして翌日改めてレッドアロー号を狙うことになるが、そうなると「コスモアイル羽咋」行きもズレ込んでしまう。しかし「コスモアイル羽咋」では宇宙探査機を撮影する予定なので、みすみす平日の空いたチャンスを逃すのはもったいない。 仕方無いので、宇奈月温泉は最終日に行くことにした。場所的にも帰宅方向のため、予定変更とは言うもののムダは無かろう。 再びクルマを走らせたが、もはや朝の雰囲気は皆無。また、山を越える道のためか途中霧に遭遇したり激しい雨に降られたりした。 ●フォッサマグナミュージアム(新潟県糸魚川市) 12時近く、最初の目的地「フォッサマグナミュージアム」に着いた。ガソリン残量は、およそ半分くらいを指していた。 駐車場には数台のクルマが停まっているのみ。祝日とは言え、まだ世間では連休という状態ではないためかだろうか。 ここでは良過ぎるほどの天気で、クルマを停めた途端に車内の温度が上がるのを感ずる。窓を開けて風を通し、家から持ってきた惣菜パンを食べて昼食とした。 遠くに、雪を頂いた山々が見えている。静かで長閑(のどか)だ。 <フォッサマグナミュージアム> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/04/29 12:04 食後、博物館へ行く準備にかかる。 通常、博物館というものは暗く、照明光も様々。そして撮影するならその数も多いため、デジタルカメラでの撮影でなければ対応出来ない。というわけで、ここでは「Nikon D200」とレンズ「14-24mm」、「18-70mm」を手にした。 「フォッサマグナミュージアム」は、近隣(クルマで20分)の「青海自然史博物館」とのセット券が600円と割安で販売されており、どうせならばとそのセット券を購入した。もし個別に買うとすれば、「フォッサマグナミュージアム」単独入場料500円に加え、「青海自然史博物館」の入場料300円が必要となる。 ところで「フォッサマグナ」とは、「中央地溝帯」とも呼ばれ、地質学的な大きな溝として日本列島の中央を縦断しているわけだが、なぜその名前を冠した「フォッサマグナミュージアム」なのだろうか。この糸魚川近辺はフォッサマグナの縁にあたるということに由来しているのだろうか? いずれにせよ、地学的な博物館ということには間違いない。 展示室に入ったところ、ここは他と比べて暗いような気がした。ISO400での撮影に限界を感じ、ISO800にて撮影することにした。高感度のノイズが出るだろうが仕方無い。 <館内> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/04/29 13:14 駐車場の様子から想像したとおり、館内にはあまり人がいなかった。 途中、関西人と思われる中年夫婦が来たが、オバちゃんのほうがしきりと「えぇーっ?これが自然に出来たってウソやん!有り得へん、有り得へん!絶対コレ作っとるわ〜(笑)」と言っているのが聞こえた。見ると、黄鉄鉱の結晶の展示物だった。確かに、自然に出来たとはにわかに信じ難いほどの人工的に見える造形だったが、自分の中の知識だけで全て結論付けてしまうオバちゃんには、ある意味畏敬の念を抱いた。 <黄鉄鉱> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/04/29 12:50 しばらく進んで行くと、今度は「コスモクロア」というあまり聞かない岩石の特設コーナーがあった。 稀な岩石のようであるが「ふーん」と通り過ぎようとしたところ、説明文中の「島根大学」という文字が目に付いた。改めて読んでみると、どうやら我輩の母校である島根大学の学生がこの稀な岩石の発見に関わったものらしい。博物館に名を載せるとは大したものだ。我輩など、自分の氏名をGoogle検索しても、大学時代の研究成果が出てはくるものの、中途半端な研究であったことが自分でよく分かっているので恥ずかしさしか無い。 <コスモクロア> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/04/29 12:58 さて、この博物館のある地域はどうやらヒスイの産地らしく、ヒスイに関する展示が結構多い。 我輩は岩石には興味があるものの、宝石という方向からのアプローチには全く興味が無いので、ヒスイというものがどういうものか全く知識が無かった。そこで、パネル展示などを読もうと思ったのだが、あまりに時間がかかることが分かり、それらを全て写真に撮り、後日ゆっくりと読むことにした。ただ、カメラの背面液晶で拡大して見ても、細かい文字がボヤケて見えるので心配になる。やはり1,000万画素クラスの低画素デジタルカメラでは荷が重いか・・・? 仕方が無いので、細かい記述がある時は2分割や3分割で撮影した。こんな時、2,000万画素機があればずいぶん助かるのだが。 <1,000万画素の限界> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/04/29 13:05 細かい記述はカメラで記録することで時間を節約したつもりだったが、出口に辿り着いたのは14時を過ぎていたのだから、2時間くらいはそこにいたことになる。 ここでのデジタル写真撮影枚数は、後日カウントしたところ246枚であった。 出口を抜けると、ミュージアムショップがある。我輩はそこで地学本などを仕入れようと考えたが、それなりに高価で手が出なかった。しかしせっかく来たのだからとそこでしか手に入らないような「2004年新潟県中越地震(1,000円)」と、「腕足類ってなんだろう(500円)」を購入。 また、豚児への土産には「よくばりスコープ(1,300円)」というものを買ってやった。果たして喜ぶだろうか? ヘナチョコ妻には、メノウやヒスイのペンダントでも買ってやろうかとも思ったが、何か買ってやって喜んだ試しが無いので、相談無しに買うのは無駄金となるリスクが非常に高くやめておいた。 <購入品> <<画像ファイルあり>> 建物から出たところ、我輩が停めた駐車場とは別にまた駐車場があり、そちらにはそこそこクルマが停まっているようだった。もしかしたらそちらがメインの駐車場なのかも知れぬ。 ただそれにしても、入場者は停まっているクルマの数ほど多くないように感ずる。何か他の施設などがあるのか? 14時過ぎ、「フォッサマグナミュージアム」の駐車場を出て「青海自然史博物館」へ向かってクルマを走らせた。 ●青海自然史博物館(新潟県糸魚川市) 「青海自然史博物館」には14時半頃に着いた。 駐車場にクルマを停めて外に出ると、やはりここも静かなところで、近くの信号機が発する"カッコウ"の合成音だけがやけに響いていた。 <青海自然史博物館> ※帰り際に撮影 <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm] 2010/04/29 15:50 建物は公民館のようなところで、展示室はその一角にあるようだ。窓口で券を出して展示室に入ると、岩石の展示がされていた。我輩以外に人が入っていないので非常に寂しい。しばらく撮影などをしていたら、1組の中年夫婦が来てサッと見て出て行った程度。 ここは、雰囲気的に観光コースに組み入れるような場所でもないため、今日のような祝日でもこういう状態なのだろうか。 それにしてもこじんまりとして展示スペースがあまりないのはどういうことだろうかと思っていたら、どうやら2階にも展示があるようだ。 期待を込めて2階に上がってみると、いきなり鍾乳洞が現れた。建物の中に、まさか鍾乳洞とは・・・。これは、青梅の鍾乳洞を模した演出らしい。期待が高まる。 <2階展示室へ導く鍾乳洞通路> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/04/29 14:57 鍾乳洞を抜けると、先ほどより面白そうな展示スペースが見えた。こちらには先ほどの中年夫婦がいたが、やはり他に誰もいない。 <2階展示室> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/04/29 15:17 展示の中で興味深かったのは、日本各地で採掘される石灰石のサンプルが並べられていたことである。石灰岩地形に関して、これまで福岡県の平尾代に何度も足を運んでいるわけだが(参考:雑文439、雑文600)、他の地方では東北の「あぶくま洞」くらいしか行ったことは無い。そういう意味で今回は良い機会なので、我輩用のサンプルとすべく、各地の石灰石サンプルを全て写真に撮っていった。 また他にも、石灰岩を作った古代の海の風景が模型で再現されており、朝-昼-夕の光を表現して見せていた。なかなか凝った力作である。展示規模のわりに意外と頑張っているなぁと思わせた。 <古代の海の再現展示−光の雰囲気が刻々と変わる> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/04/29 15:12 博物館を出たのは16時頃。1時間半くらい費やしたか。細かい撮影が多かったためであろうか、当初思っていたよりも時間がかかったように思う。 ここでのデジタル写真撮影枚数は、後日カウントしたところ141枚であった。 さて、これから何をするにしても中途半端な時間になると思ったので、本日の活動はここで終えて、次の行動予定地の近くまで移動しておこう。 翌日の予定は、これまで再三述べた平日狙いの「コスモアイル羽咋」である。ということは、羽咋市近辺で夕食手配・銭湯入浴・道の駅車中泊をせねばならぬ。 しかしながら、事前計画では宇奈月温泉近辺で泊まる予定だったため、羽咋市近辺での事前調査はしていなかった。ただ幸いなことに、道の駅ガイドブックが手元にあり、羽咋市に近い道の駅として「氷見」を選ぶことが出来た。もちろん、携帯電話(最近、i-Modeに繋がるDOCOMO携帯電話を導入した)からWeb情報の検索は可能ではあるものの、道の駅に関するサイトは地図から探せるものがあまり無いので役に立たない。 ちなみに、我輩のクルマのカーナビゲーションでは目的地近隣の施設検索が出来るものの、10kmも離れていると検索ヒットせずに「近くに施設はありません」で終わってしまうので、こういう用途では役に立たない。 銭湯に関しても、やはりカーナビゲーションで探すことは難しい。例え検索ヒットしたとしても、規模や入浴料や営業時間、そして評判などの情報は得られないからだ。特に入浴料などは、施設によって400円〜1,000円と幅があるので、事前情報は重要。 その場合、携帯電話であれば"氷見市"をキーワードにしてWeb情報を検索すれば詳細な情報が得られる。今回は氷見駅に隣接した「有磯の湯」という銭湯に行くことにした。 ただし、食料調達についてはカーナビゲーションのほうが役に立つ。コンビニエンスストアならばどこも似たような店舗であるし、スーパーマーケットであっても名前や地図上の大きさで大体の雰囲気の想像がつく。 今回は幹線道路をずっと走るようなので、カーナビゲーションにはとりあえず「有磯の湯」を目的地にセットしておき、途中でコンビニエンスストアやガソリンスタンドが目に付けば補給しようと考えた。特にガソリンスタンドは、掲示単価を比較しながら店を決めるしかない。 まず16時半頃にコンビニエンスストアに入り、夕食と朝食となる弁当を買った。野菜が足りないと思われたので、「1日に必要なビタミンドリンク」というものも買ってみた。長丁場になるので、ビタミン摂取には気を付けたい。 夕食については、少し早いかと思ったがそのコンビニエンスストアの駐車場に停めたクルマの中で食べた。 <夕食> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/04/29 16:45 それにしても、ガソリン単価は各店まちまちで単価5円くらいの違いがあるようだ。価格だけを注意していたので気付かなかったが、恐らくフルサービスとセルフ式の違いだろう。ウチの近所ではセルフ式がほとんどなので、そういう意味ではあまり価格差は無い。 18時半頃、ハイオク単価@145円のセルフ式スタンドに入った。この辺り(魚津市〜滑川市)ではこれが最安値のように思う。ちなみに給油量32.53リットル、4,717円だった。 ●銭湯「有磯の湯」(富山県氷見市) 19時半頃、氷見市の銭湯「有磯の湯」に着いた。 カーナビゲーションで案内されるままに着いたわけだが、辺りは住宅地のように見えたので少々戸惑った。銭湯などどこにあるのだろう。辺りは暗いので見通しが利かず、小さな月極駐車場らしきところに入って転回しようとしたところ、その先のほうで開けているように見えたので試しに行ってみると、そこが銭湯の駐車場だった。 <銭湯「有磯の湯」> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/04/29 19:29 銭湯は、施設によって方式がそれぞれ違う。 ここでは、下足箱は基本的に棚に入れるのみ。玄関先に脱ぎっ放しの者もいるようだ。そして券売機で入浴券を買い、券を番台に渡して入場する。Web情報では入浴料450円となっていたが、それは古い情報だったようで、今は480円になっていた。 脱衣場の棚は鍵がかかるようになっており、鍵は身につけて湯に入る。洗い場には、ボディソープとリンスインシャンプーが備え付けられていた。 湯船は幾つかあり、その時はあまり気にしていなかったが、効能がそれぞれあるようだった。 銭湯を出たのは20時過ぎ頃。 クルマの中で衣類やゴミなどを整理し、今回の旅で最初の宿泊地となる道の駅「氷見」へ向かった。 ●道の駅「氷見」(富山県氷見市) 20時過ぎ、道の駅「氷見」到着。 大型車用駐車場と一般車用駐車場は敷地が分かれていたが、道の駅の施設(店舗やトイレなど)が近い大型車両用駐車場のほうに一般車が多く停まっていたので、我輩もそちらに停めてみた。 まだ時間が早いものの、到着すると直ちにライトを消灯し、エンジンも切った。車中泊をする最低限のマナーである。 ところがその後我輩の隣に停まったクルマはしばらくアイドリングをしたまま。ただしこれは車中泊ではないようで、30分後には出て行ってしまった。とは言うものの、真夏でもないのに30分もアイドリングする感覚は我輩には理解不能だが・・・。 携帯電話から自宅にメールなどをした後、トイレの洗面所で歯を磨き、パジャマに着替えて後部座席のトランクスルーに敷いた布団の中に潜り込んだ。 去年行った北海道のような寒さは無いので、窓は手が入らない程度ではあるが広く開けておいた。こういう時にはドアバイザーが役に立つ。 さて、初日から予定が変わったところもあったが、この日の軌跡を地図に描き込むと下のようになる。 <この日の軌跡> <<画像ファイルあり>> ---------------------------------------------------- [692] 2010年05月16日(日)「北陸ドライブ(4月30日−2日目)」 北陸ドライブの記録2日目の記述となるが、引き続き、撮影に関する記述には黄色で着色した。 -------------------- ●羽咋市へ向けて出発 5時半頃目が覚めた。道の駅「氷見」での朝だった。 目隠しカーテンを開けて見ると、窓に水滴がたくさん付いていた。「ものすごい結露だな」と思っていたところ、実は外側に付いたものだった。どうやら、ついさきほど雨が降ったらしい。路面も雨で濡れている。 <窓に水滴が> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/04/30 06:31 この日の最初の目的地「コスモアイル羽咋」の会館時間は8時半。まだまだ時間がある。その間、何をしようか、どこに行こうか、などと考えていると、雨が激しく降り始めた。空を見ると、朝日が顔を覗かせている。 「ヘンな天気だなぁ。そういえば、この地方では"弁当を忘れても傘を忘れるな"という言葉があると聞く。」 雨はその後、降ったりやんだりを繰り返した。 <道の駅「氷見」> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm] 2010/04/30 06:43 眠気が晴れないのでしばらく考えがまとまらずウダウダしていたが、「コスモアイル羽咋」の近くには、クルマが走れるほどの引き締まった砂浜道路「なぎさドライブウェイ」というものがあるというのを思い出し、「コスモアイル羽咋」が開くまでの間、そこに行ってみることにした。 前日に買っておいた朝食のイナリ寿司を食べ、着替えてクルマを出発させた。時間は7時になっていた。 近くのコンビニエンスストアに寄って少々買い物をした後、1時間かかって羽咋市の「なぎさドライブウェイ」入り口に到着した。ところが入り口は立ち入り禁止のバリケードがあるではないか。 クルマを降りて様子をみようとしたら、強烈な風が吹き付けて驚いた。堤防のような盛り土を登ってみると、海には白い波頭が立ち高波が砂浜に打ち付けているのが見える。確かにこれでは無理か。 諦めてクルマに戻ったが、強風のせいで口の中に砂が入って少しジャリジャリした。強風にも程がある。 <強風のなぎさドライブウェイ − カメラを構えるのにも苦労する強風> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/04/30 08:01 ●コスモアイル羽咋(石川県羽咋市) 少々時間が早いのだが、仕方無いので「コスモアイル羽咋」へ向かった。ほんの5分ほどで到着。 やはり駐車場にはクルマがほとんど停まっていないが、全く無いわけでもない。「開館時間前なのに気合が入っているな」と思ったが、よく考えたら売店や施設のスタッフが乗ってきたクルマではないかと気付いた。 ふと見れば、いつの間にか良い天気になっていた。 クルマから降りたところ、クルマに付いた雨粒もすっかり乾いていたが、ビックリするくらい汚れていた。 「家を出る時は洗車をしておいたはずだが、たった1〜2度の雨でここまで汚れるというのもスゴイな・・・。」 日本海側でもあるし、これは黄砂のせいかも知れない。 <汚くなったボディ> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(トリミング)] 2010/04/30 12:22 時間調整のためしばらく車中で待機し、8時半になるまで待った。 ただ、8時半キッカリに行って気合が入っているように思われるのもなんなので、わざと数分経ったのを確認した後、正面エントランスへ向かった。 <コスモアイル羽咋全景> ※館内から出た後に撮影 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/04/30 12:24 撮影機材については、ここでも前日の「フォッサマグナミュージアム」と同様に、デジタル一眼レフカメラ「Nikon D200」と標準ズーム「18-70mm」、広角ズーム「14-24mm」を持って行った。歪みの少ない正確な描写(遠近感による歪みは仕方無いが)を期待したいので、可能な限り高性能な「14-24mm」のほうを多用するつもり。 入場料は通常は350円のようだったが、"Twitter割引き"というものがあり、携帯電話などからTwitterに「コスモアイル羽咋なう」と書き込んでその画面を見せると280円で入場できるとのこと。 我輩もTwitterに書き込み、割引き適用してもらった。 (※Twitterがいつまで存在するか分からないので将来分かるよう敢えて説明しておくが、Twitterとは短い文章をつぶやくように書き込むチャットのようなサイトである。) 展示室は、まさに我輩一人の貸切状態。 撮影し易いようにと平日の朝一番を狙ったわけだが、休日に挟まれた平日だけに、さすがにここまで人がいないというのも予想していなかった。 最初に出迎えた宇宙機は、アメリカのマーキュリー宇宙船だった。 核兵器を搭載するICBM(大陸間弾道ミサイル)を流用したロケットのため、人間が搭乗するスペースがかなり狭く、1人乗りだったそうである。 <マーキュリー宇宙船> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/14-24mm] 2010/04/30 08:48 展示品の多くは実物ではないものの、可能な限り本物の予備パーツを用いて組み上げられたレプリカだという。 外側に設けられたタラップを上るとコクピットが見えたのだが、その時我輩は、中学生の頃に「ふくおか'82大博覧会」で撮影したジェミニ宇宙船のコクピットを想い出した(参考:雑文383)。 当時、「ふくおか'82大博覧会」へは2度行ったのだが、最初は中学校にて貸切バスで見学で行ったのだと記憶している。しかし田舎の学校からバスで福岡市のような大都会に出てくるには時間がかかる。そのため実質的な見学時間はあまり無かった。そこで母親にお願いしてもう一度連れて来てもらったのである。その際、「Canon AE-1」が活躍したのは上記参考雑文を読めば分かるとおり。 誰もいない展示室でコクピットをじっと見つめていると、写真を始めた頃の新鮮な気持ちが自分の中に蘇ってきた。今ではAE-1などガラクタくらいの価値しか無いが、当時は「一眼レフレックスカメラ」などと仰々しく言いたくなるくらい大したカメラに思えたものだ。 「あの頃は良かったなぁ・・・。」 さて、ふと我に返り他の撮影も始めた。 展示物として「マーキュリー」の他に「ヴォストーク帰還用カプセル」、「月面車のプロトタイプ」、「モルニア通信衛星」、「アポロ司令船」、「ボイジャー探査船」、「アポロ月面着陸船」、「ルナ月面着陸船」、「バイキング火星着陸船」があった。 我輩としてはそれらの中で「アポロ司令船」と「アポロ月面着陸船」に特に興味があり、丹念に撮影していった。 それにしても、やはりここも暗い。 感度はISO800、絞りもF2.8開放にしたりするが、そもそも光が当たっていない部分はいくら感度を上げようが描写は無理。 結局、カメラ内蔵ストロボを使って撮ることにした。結果は上々。恐れていたほど反射によるテカリも目立たず、色再現性も良い。それまで撮った写真も撮り直すことにした。 ただし、高性能な広角レンズ「14-24mm」では筐体が大き過ぎてカメラ内蔵ストロボの光が遮られ影が写ってしまうので、細身の「18-70mm」を使わざるを得ないが。 <展示されている宇宙機> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm・14-24mm] 2010/04/30 09:01-11:30 展示品にはそれぞれビデオ解説とパンフレットが用意されていたが、いちいちビデオを観ているのは時間がかかると思い、とりあえずは写真撮影を全て済ませ、その後に改めてビデオを観ていこうと思う。 そういうわけで撮影を進めていたところ、入り口近くの展示にてビデオ解説の音が流れるのが聞こえてきた。見ると、他の入場者が現れたようだった。しかしそれでもたった1人。 我輩は撮影をしていたため進行が遅く、やがてその1人は我輩を追い越してついには出口を出てしまった。 さて、展示の後半部分では、前半の宇宙開発的なものとはガラリと趣が異なり、UFOに関する展示が出てくるので、宇宙開発に興味があってこの博物館に訪れた者には、このギャップに驚くのではないかと思う。 ヘタをすれば、前半の宇宙開発の展示さえ胡散臭い印象に転化させてしまう危険性もあろう。何しろ、バイキング火星着陸船のそばに、宇宙人の死体解剖を再現した模型が展示されているのだ。 この模型は、以前テレビで紹介され話題になった宇宙人死体解剖映像をモチーフとしている。ちなみにネタ元の映像ほうは、特殊効果を用いた創作ということが暴露されている。 <宇宙人の死体解剖を再現した模型> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/04/30 11:18 また他の展示として、UFO写真のデータベースということで専用端末から画像を検索・表示させることが出来るようになっていた。 ただ我輩は、こういう分野には最初から結論を決め付けることはしない。 「UFOを信ずるか?」とか「幽霊を信ずるか?」と訊かれても、「我輩が信じようが信じまいが、そんなことに関係無く事実があるのみ」と答えるしか無い。 (※UFOの定義については、ここでは「地球外知的生命体が乗る宇宙船」と限定しておく) 「UFOが実在することを"信ずる"」ということの反対語は何であろう? 「UFOは実在しないことを"信ずる"」ということである。 どちらも"信ずる"という意味では、結論が最初にある「決め付け」に他ならない。 確かに、我輩も若い頃はUFOや幽霊の存在を信じていた。つまり、結論が最初に存在していた。しかし今は、「存在の可能性を考える」にとどまる。 我輩の人生の中で、結論を出すための思考プロセスや映像作成に関する知識が増えるにつれ、これまで確かな証拠だと思っていたことが実はあやふやであったことが分かってきて、UFO写真や事件の多くがインチキや間違いであると思い始めた。 だがそのことで、全てをひっくるめて否定しようとは思わない。我輩は、結論というものは最後に出すべきだと思い、その結論を出すために各事案をそれぞれ調べて検討を続けるのである。場合によっては現地調査も行う(参考:雑文596)。 ところで、ここ羽咋市では「UFO」が町興しのテーマとなっている。そのため、街中にも「UFO型街灯」や「UFO型看板」などがあるという。 またUFOについての国際会議も羽咋市で開催されたこともあるらしい。 なぜ、羽咋市でUFOなのか? 我輩は15年ほど前にテレビで知ったのだが、羽咋市の古い言い伝え「そうはちぼん伝説」によれば、そうはちぼんという仏具に似た円盤状の物体が空を舞ったという話があるそうだ。もちろん、当時はUFOという概念など無かったわけだが、現代の解釈として「それはUFO目撃事件だったのではないか」ということで話題になったわけである。 さて、展示室には2つのビデオコーナーが設けられており、1つはSETI(地球外知的生命体探査)に関する各専門家のインタビュー、そしてもう一つは、UFOに関する各専門家のインタビューのビデオが観られるようになっていた。このビデオの視聴がとにかく時間がかかった。 結果的に、丹念な撮影と併せ、この博物館で3時間半ほども費やし、博物館から出たのは12時半くらいになってしまった。結局その間、2〜3組くらいのカップルが入ってきただけである。やはり平日だけに入場者数は少ない。 ちなみに、ここでのデジタル写真撮影枚数は、後日数えたところ263枚であった。 せっかくだから何か土産などを買おうかとロビーにあるショップで物色し、「宇宙&UFO国際会議報告書(1,000円)」と、豚児用に「テレビ石ストラップ(300円)」及び「カラフル色鉛筆(110円)」を選んだ。 さすがに3時間半は疲れた。 クルマに戻って一息ついたのだが、これから昼食を食べた後、80km離れた「日本自動車博物館」に行くとなれば、すぐに夕方になってしまうだろう。そう考えると途端に気が萎える。 「その博物館でしか見られない珍しいクルマがあるのだろうか?」 改めてパンフレットを見てみたが、あまりそうは感じられない(実際はどうか知らないが)。 結局、日本自動車博物館行きは諦め、他のスポットを探し始めた。 あるパンフレットを見ていたところ、ドラマ「坂の上の雲」に登場した戦艦「三笠」の実物大模型のある「戦艦三笠ミュージアム」というところが目に付いた。 戦艦「三笠」については、先日他界した我輩の祖父(参考:雑文687)が尊敬していた曽祖父が、日露戦争日本海海戦にて三笠の姉妹艦「朝日」に搭乗していたことから関心を持っていた。 こちらも100km近く離れており、「日本元気劇場」という施設の中の1つの展示らしかったが、戦艦「三笠」だけを目当てにして行くならば、閉園時間もそれほど問題になるまい。 そこで、次の目的地を「日本元気劇場」としてクルマを出発させた。 途中、近くのコンビニエンスストアにて、昼食となる弁当とビタミンドリンクを買って食べ、その後しばらく運転していたのだが、時間が経つにつれだんだん陽が傾き夕方っぽい光になってきた。 「展示方向にもよるが、せっかく入場料を払って入っても逆光でうまく写らない時は悲惨だ。しかも、実物大の戦艦三笠は横須賀にもあるし、そもそも横須賀にあるほうが実物そのもの。わざわざ遠くのレプリカなど見に行く意味があるのか・・・?」 ネガティブな思考が大きくなる。 午前中の「コスモアイル羽咋」での撮影は、今回の旅の中で大きな比率を占める目的の1つだった。そういうわけで、この日はそれだけで十分な収穫を得たと言えるだろう。 時間に追われて交通事故を招いたり疲れを増したりするよりも、ここは早めに切り上げて生活時間に入ったほうが良かろう。 そういうことになれば、翌日の目的地としての「海岸線地形の巡検」のために、この日のうちに一番遠いスポット近くまで移動しておこうかと考えた。 一番遠いのは、福井県側にある柱状節理の名所「東尋坊」である。その近辺の銭湯や道の駅は予め調査してあるので、そこに行くことにしよう。 道の駅の名は「みくに」。 まずはそこへ行き、車中泊が可能かどうかを見極めたい。 ●道の駅「みくに」(福井県坂井市) 東尋坊近くの道の駅「みくに」へ到着したのは、16時頃であった。 この季節のこの時間では、まだ十分に明るい。 <道の駅「みくに」> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/04/30 16:22 ここへ到着する直前に通った町は生活し易そうな雰囲気に思えたので、夕食などはその辺りで調達しよう。 広い駐車場の隅にある落ち着けそうなエリアにクルマを停め、後部座席でカーテンを吊って布団に入って少し休んだ。窓を開けると風も入って涼しい。 車中泊の時もこの場所にしようかと考えたが、トイレが反対側にあるのが不便なので、やはり中央辺りにしようかと思う。 18時頃、あまり暗くなる前に食料を調達することにした。 カーナビゲーションでスーパーマーケットを検索し、「みくにショッピングワールド・イーザ」へ行ってみた。 こちらも駐車場が広かったが、駐車車両もその分多い。空いている場所にクルマを停め、店に入る準備をした。 「準備」とは、買い物袋を用意しておくことである。去年の北海道旅行では、買い物袋がもらえないのが当たり前の地域だったため、それを知らずに入った我輩はかなり困難な状況に陥ったことがあった(参考:雑文663)。今回は同じ失敗を繰り返さぬようにしたい。 また、昨日コンビニエンスストアで弁当を買った時にもらった割り箸を、使った後捨てずに取ってある。割り箸をくれなくとも大丈夫。 <みくにショッピングワールド・イーザ> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/14-24] 2010/04/30 18:29 店内に入り、惣菜コーナーに行ってみたところ、色々なものが揃っており、あれもこれもと買ってしまいたくなる。だが無制限に金を使うわけにもいかないのでしばらく悩んだ。 こんがりと焼けた餃子がおいしそうだが、ちょっと手が出ない。しばらくあちらへ行ったりこちらへ行ったりしていたところ、店員が割り引きシールを貼り始めたのでとりあえずその動向を見守ることにした。 約10分後、目当ての餃子に割引シールが貼られたので、すぐにそれを買い物カゴに突っ込み、他に翌朝の朝食用のイナリ寿司と夕食のメインの惣菜、そして菓子パンや飲料などを一緒に買った。 レジでは買い物袋はくれなかったが、我輩は手馴れたようにポケットから買い物袋を取り出し、その中に詰めた。完璧だ。周囲は、まさか我輩がヨソ者とは思わないだろう。 クルマに戻り、早速夕食タイムとした。 確か、店内に電子レンジが置いてあったと思ったが、暖めておけば良かったか。餃子などは冷めていると旨くないからな・・・。 それにしても、餃子のタレをかけて食べたところ、車内に酸っぱいニオイが充満し、窓を開けても微妙にそのニオイが残ってしまった。 <夕食補助食品の餃子> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/14-24mm] 2010/04/30 18:42 食事が終わった後、辺りはもう薄暗くなっていた。 次は、銭湯に行って風呂に入ろう。 事前に調べていた「三国温泉ゆあぽーと」をカーナビゲーションにセットし、クルマを走らせた。 ●銭湯「三国温泉ゆあぽーと」(福井県坂井郡) 19時頃、「三国温泉ゆあぽーと」へ着いた。 こちらも駐車場が広く、また、海がすぐそこに見える。支度を整えて店内に入った。 <銭湯「三国温泉ゆあぽーと」> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/14-24mm] 2010/04/30 19:08 ここは、靴を鍵付ロッカーに入れ、その鍵をフロントに預ける。そして、代わりに脱衣場ロッカーの鍵が渡されるシステムになっている。料金は500円。 洗い場にはボディソープやシャンプー・リンスが備え付けられていた。 ●道の駅「みくに」(福井県坂井市) 風呂から上がってクルマに戻り、再び道の駅「みくに」へ向かう。 それほど離れていないので、すぐに到着した。時間は20時。 どこに停めようかとちょっと迷ったが、あまりトイレに近いとトイレを利用するクルマの出入りがウルサイかと思ったので、やはり程良く離れた中央部に停めることにした。 <夜の道の駅「みくに」> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/14-24mm] 2010/04/30 21:03 歯を磨いてパジャマに着替えた後、布団に寝ころびながら、その日に撮ったデジタル写真を見返したり、パソコンに保管してある事前調査情報などを見たりなどした。 車内は、確かにセダンだけに高さは無いが、寝ころんでいるぶんには何も支障が無い。例えるならばカプセルホテルのようなもの。 <車内での空間> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/14-24mm] 2010/04/30 21:23 消灯後、早起きと疲れですぐに寝入ったのだが、ふと雨の音で目が覚めた。クルマの屋根を雨が叩く音がバラバラと響く。そして時々、ゴロゴロと雷鳴が遠くに聞こえた。 雨は、強く降ったかと思えば、パタリと止んだりして不規則であった。これもまた北陸的な雨というところか。 それにしても、雨の中でも安心してぬくぬくと寝ていられるのが楽しい。 もしこれが建物の中なら、雨の音さえ聞こえず守られている実感も無いが、雨の音がダイレクトに伝わる車中泊では、雨をしのいでいるという実感を強く感ずるのである。 <この日の軌跡> <<画像ファイルあり>> ---------------------------------------------------- [693] 2010年05月18日(火)「北陸ドライブ(5月1日−3日目)」 引き続き、撮影に関する記述には黄色で着色した。 -------------------- ●海岸地形へ出発 この日も5時半頃に目が覚めた。 眩しい朝日が差し込んでいたが、外に出ると雨上がりの様子。とりあえず天気予報では、雨はこれ以降は無さそうとの情報。 <雨上がりの朝> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(65mm)] 2010/05/01 06:06 この日は、東尋坊を始めとした柱状節理の地形、そしてそれらが波によって浸食されている状態を観察する予定である。 それらの自然地形には、開館時間などは無い。せっかく現地に近く、そして朝早く起きたのだから、早くから行ってみようと思った。 この場所からは、全国的な知名度の「東尋坊」、そしてその近隣の「雄島」、「越前松島」がターゲットとなる。 まずは「東尋坊」・・・、といきたいところだが、さすがに観光地だけあって駐車場が有料のため、出たり入ったりすると無駄金を浪費してしまう。まずは無料駐車場のある「雄島」へ行き、朝陽の当たり具合などを見ながら撮影に適した時間帯などを探っていこう。 前の日に買った昼食用イナリ寿司を食べ、6時半頃出発した。 ●雄島 雄島へは、出発して15分後に到着した。さすがに朝早いため、駐車場にはほとんどクルマが停まっていない。 見ると、駐車場から雄島へは赤い橋が架けられており、そこを歩いて渡ることになる。橋の入口には車止めがあってクルマは進入出来ない。島の上部は木々に覆われていたが、側面には柱状節理がよく見えている。 5月と言えども、やはり朝は寒い。防寒着を羽織ったが、冷たい風のせいでだんだんと首元が冷たくなってきたので、襟をしっかりと詰めた。 <雄島> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(45mm)] 2010/05/01 06:55 ちょうど橋から見ると、順光状態で写真写りも良さそうだった。だがそうなると、島の裏手にある地形は逆光となるのではないか。我輩が最大の撮影ポイントと位置付けている柱状節理の断面が見える風景も島の裏手にあるため、少々不安になってきた。 島内には島を一周する小道があるのでそこを右回りに歩いて行く。 道は、前日の雨のせいか所々水溜りがあったり泥状になっていたりしている。飛び石があるのでそこを歩けば良いが、間隔が少々遠い部分もあるので跳ぶのが大変。途中、神社のようなものがあり、そこを過ぎると島の反対側へ出た。 柱状節理断面がよく見えるポイントから見てみると、そもそも逆光以前の問題で、陽が当たっておらず暗い。時間が早過ぎたか。 この状況ではフィルムで撮影する価値が無いと考え、とりあえずはデジタルカメラでのみ撮るにとどめた。 <影に隠れた柱状節理断面> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/01 07:07 それにしても、見れば見るほど柱状節理の断面が非常に分かり易いサンプルだと思った。ここが上手く撮れれば、この日の目的の半分くらいが達成されたと思っても良い。 恐らくもう少し時間が経てば、ここにも陽が差すに違いない。 我輩は、そのポイントを後回しにして島内の別の場所を散策・撮影して時間を潰すことにした。 実はそこからちょっと歩くと、「瓜割の水」と呼ばれる真水が湧き出る場所があるらしい。 案内板に従って歩いて行くと、それは確かに存在した。しかし驚くことに、海岸線がすぐ近くにあり、しかも海水面とそれほど変わらない高さにその水が湧き出ているのである。 「単に海水が染み込んで湧き出てるんじゃないのか・・・?」 その水を手ですくって味わってみたが、全く塩辛くない。真水そのもの。 <瓜割の水> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(45mm)] 2010/05/01 08:45 案内板の説明によれば、島に降った雨が、岩石の節理に沿って流下し、その流れの一つが瓜割の水として出てきたと考えられる・・・とのこと。 ここも多少影が深いので、もう少し時間が必要か。 また時間を潰すために、小道に戻って先を進んでみたり、また瓜割の水に戻ってみたりした。そしてしばらく岩場に腰を下ろして時間が経つのを待った。それにしても寒い。 8時半頃、瓜割の水にかかる影はまだしばらく解消されそうもないので、この雄島はまた改めて訪れることとし、隣の「越前松島」のほうに行ってみようかと思い、腰を上げた。恐らく、最初に見た柱状節理断面のほうもまだ半分くらいは影の中であろう。 しかし念のために柱状節理断面のほうを覗いてみると、こちらは既に影はかかっておらず陽が当たっていた。ただ残念なことに、逆光気味であるため岩石の色などのディテールは出ていない。 案内板に載っている写真ではきちんと色が出ているので、陽が移動すれば必ず具合の良いライティングになるはず。ただし、この先の予定がどう変わるか分からないので、とりあえず現状でフィルム撮影を行なっておく。もし後でこれより良い状態の撮影が出来れば、この撮影カットは不採用とすれば良かろう。 <逆光気味の柱状節理断面> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(65mm)] 2010/05/01 08:45 もっとも、逆光状態で撮影したほうが岩石の凹凸が分かり易いかとは思う。順光・逆光の2パターンで撮っておけば、地質巡検として必要な情報の幅も広がるだろう。芸術写真ではないのだから、単に「美しいかどうか」という価値に影響されないようにしたい。我輩の立場としてはあくまでも、「芸術写真を撮る技術を活用し記録写真を撮る」ということなのだから。 さて、クルマに戻って「越前松島」に移動する。 そこは、事前情報によれば柱状節理があらゆる方向に伸びているのが観察出来るようだ。「東尋坊」や「雄島」よりもスケールは小さいものの、我輩の地学的な興味はこの「越前松島」が一番高い。 先ほど、「この日の目的の半分は雄島の柱状節理の断面」と書いたが、残りの半分は「越前松島」ということになる。 ●越前松島 9時半頃に「雄島」を出て、ほんの数分で「越前松島」の近くまで来た。ただ、こちらは駐車場が有料のようなので、隣の水族館の駐車場のほうに停めてみた。 そこから少し歩き、海のほうへ行く道へ折れてさらに進む。すると前方に、変化に富んだ柱状節理の小島が幾つも現れた。 <越前松島> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(45mm)] 2010/05/01 10:20 <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(45mm)] 2010/05/01 10:07 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/01 10:07 まだ多少影が深いが、それでもまずまずの陽の当たり方。もしかしたら、その時間帯は形状描写と色描写のバランスが一番良いかも知れない(実際にそうなのかは、長い時間見てみないと分からないが)。 崖を覗き込むような先ほどの「雄島」に比べ、撮影ポイントが比較的自由に取れるのは有り難い。反面、視点がキッチリ決まっていないと目移りしてフレーミングが定まらぬ。 ここでは、足場に気を付けさえすれば前後左右に移動出来、しかも今回はズームレンズという武器を手にしている。自分の思い付きの数だけ写真が撮れてしまうのだ。 風光明媚な景色に引っ張られたりして撮影カットが多くなってしまった。 それにしても、我輩が一番気になっていた小島は、事前に写真で見た時とは印象が違っていた。当然と言えば当然だが、立体感が違う。 これは、角柱の多い柱状節理の塊だけに陰影が細かく、却って全体的な立体感を失わせているのではないかと思った。 そこで今回、2枚の写真を位置を変えて撮り、ステレオ写真を得ることにした。 対象が比較的大きいので視差を大きく取ってみたのだが、もしかしたら少々やり過ぎたかも知れない。 <越前松島のステレオ写真(平行法)> ※横長写真なので左右をトリミングした <<画像ファイルあり>><<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/01 10:24 この越前松島には、1時間くらいいた。 少し時間をかけて影がどのくらい変わるのかというのを見たかったこともあるが、風景そのものが面白く、ベンチに座って眺めているのもまた楽しかったのだ。 ちなみに、この1時間の間で来た観光客は5〜6組程度で、誰もいなくなる時間のほうが多かった。 さて、次はいよいよ「東尋坊」へ行ってみようと思う。 有名な観光地なだけにそれなりの期待感もあるが、実際はどうだろうか。駐車場に戻ってクルマを出した。 ●東尋坊 「東尋坊」到着は10時40分頃。 ここは、先ほどの「雄島」や「越前松島」とは雰囲気がガラリと変わり、まさに観光地といった状態だった。 東尋坊の歓迎ゲートをくぐると、民間駐車場の誘導員が手招きをしている。そして500円を払い、駐車スペースを見付けて停めた。 <東尋坊の歓迎ゲート> ※この写真は早朝に撮影したもの <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/01 06:32 快晴なので、この時間になるともう暑い。これまでの活動で少々疲れたせいもあり、駐車したクルマの中で少し休むことにした。窓を開けると風通しが良くなり涼しい。脚に直射日光が当たって熱かったので、ハーフ毛布をかけて防いだ。 ただ、まもなく隣のクルマが入れ違いで車高の高いミニバンに替わり、そのせいで風通しが悪くなってしまったのは悔しい。 しばらくすると腹が減ってきた。 観光地で食事をすると高いし、どこかに買いに行くにしても、入る時に駐車料金をまた払わねばならなくなる。 結局、昨日買い物した食料の残りを車内で食べることにした。 1時間半ほど経ち、そろそろ体力も回復してきたように思う。カメラ機材を整え、東尋坊のほうへ行ってみることにした。 クルマを降りて改めて見てみると、ボディがより一層汚くなっていた。昨夜の雨が汚れを流してくれないかと期待していたが、その雨自体が汚かったようだ。 昨日くらいの汚れならばまだガマン出来たが、ここまで汚いとポンコツ感が漂い、そのせいで周囲のクルマに舐められ無理な割り込みなどされることもあろう。それでなくとも、北海道と同様にこの地方でも車間距離が短いと感じていたところである。 <クルマの汚れ> <<画像ファイルあり>> さて、東尋坊のほうに歩いて行くのだが、土産物屋の店内を通るようになっており、なかなか商売上のしたたかさを感ずる。 ご丁寧にも、「車道を歩くと危ないですよー!店内を通って下さいー!」と駐車場誘導員も案内している。 店内を過ぎると、今度は狭い路地に出た。そこも両側に土産物屋が軒を連ね、人出の多さも加わり、なかなか思うように進めない。 近くには「東尋坊タワー」という展望タワーがあった。そこからの眺めはどんなものだろう? しばらく進むと、広い下り階段が現れ、その先に「東尋坊」が見えてきた。さすがにスケールは大きい。それに観光客があちこちにおり、一見危なそうな崖のところにもいるのが驚く。少し下のほうに降りて写真を撮ったりしたが、観光客が写り込むことによって縮尺が表現出来るように思う。 <東尋坊> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/80-160mm(160mm)] 2010/05/01 12:27 ふと後ろを振り向くと、先ほど降りてきた階段のちょっと上に東尋坊タワーが見えた。位置関係を考えると、東尋坊タワーから見ても階段の上から見ても大して変わらないように思うのだが、どうだろう。 <東尋坊側から振り返って見る「東尋坊タワー」> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/01 12:56 「東尋坊」はそのスケールは大きく、風景も壮大には見えたものの、柱状節理自体の変化はあまり面白いとは思えず、結果論にはなるがわざわざ有料駐車場に停めてまで見るものでも無かったと思う。 いや、もしかしたらここでしか見られぬ地質学的な見所もあったのかも知れぬが、予備知識の無い状態では何も見えてこなかった。 ちなみに、遠景に「雄島」の横顔が見えていた。 <東尋坊> ※雄島が向こうに見える <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(45mm)] 2010/05/01 12:40 さて、観光客が多く落ち着かないのでそろそろクルマに戻り、再び「雄島」の柱状節理断面を見に行こう。今度こそは、良い発色で写真が撮れると期待したい。 駐車場に戻る途中、売店のトイレの手洗い場で500mlペットボトル空容器に水を酌んだ。クルマを水拭きするためである。 クルマに戻り、昨夜風呂に入った時に使った白いタオルに水を含ませてボディを拭いていった。さすがに汚いボディのため、ひと拭きしただけでタオルが黒ずむ。しかし一通り拭き上げると、ポンコツに見えていたクルマが見違えるようにキレイになった。汗を流した甲斐があったというものだ。 ただ、タオルのほうは何度か濡らして絞ったものの、白い色がネズミ色になってしまった。その色を16進数で表わすと「#e5e5e5」くらいか。今夜風呂に入る時にこのタオルが使えるだろうか・・・? とにかく、クルマがきれいになってサッパリとした気分になれて嬉しい。逆に考えると、今までよくあんな汚い状態で走っていたものだ。 <水拭き前> <<画像ファイルあり>> <水拭き後> <<画像ファイルあり>> ●二度目の雄島 「東尋坊」を出てほんの数分後、再び雄島の駐車場に到着。 時間は13時半だったが、この時間になるとさすがにクルマが多く、ちょうど1台空いていたスペースにかろうじて停めることが出来た。 暑いことに加え疲労も少し溜まってきたので、窓を開けたまましばらく休憩した。早朝の寒さがウソのようだ。 20分ほど経って、ようやくカメラを手にして橋を渡り始めた。時間が無いわけではないが、ターゲットが決まっているので、早く済ませて楽になりたい。 島内の小道は水溜りも少なくなったが、やはり泥溜まりはあるので飛び石を跳んで行くしかない。急いでいると、ホップ・ステップ・ジャンプという感じに連続で跳ばざるを得ず、とても疲れる。 まず、柱状節理の断面が見える地点へ行ったところ、理想的な光の当たり具合であった。再訪した甲斐があった・・・。 我輩は「PENTAX 645N」を取り出し、絶対に失敗しないよう3枚ずつのAEB(自動段階露光)で数パターン撮影した。 "数パターン"とは言っても、撮影位置がほぼ限定されているので、縦横の切替えや少々ズームアップするくらいしかバラエティは無く、撮影そのものはすぐに終わってしまった。 しかし何か物足りず、無意識に同じパターンを再度撮ろうとしてハッと我に返った。確かに待ちに待った光景ではあるが、同じ写真を何枚も撮ってどうするんだ。 <キレイに発色した柱状節理の断面> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(65mm)] 2010/05/01 14:18 そして次は、「瓜割の水」である。 ところがこちらは、朝の影は抜けたものの、今度は反対方向からの影が被っていた。ここは特定時間に狙いを定めるか、あるいは曇りの時に撮ったほうが良さそうに思う。ただこちらは、そこだけの画を撮影するよりも、地形全体の中での位置関係が判るように撮影したほうが有意義だったかも知れぬ。 まあとにかく、この日の目的が全て達成されたことになったので、すぐに駐車場に戻ろう。帰りは、足取りが軽い。 駐車場は相変わらず一杯だった。 クルマに乗り、休憩を兼ねて思案した。 「これからどこに行こう。」 明日は、能登半島の北側海岸線を攻めたいと思っている。 今いるのは東尋坊近辺であるから、想定していた活動範囲の最西端となる。明日移動するとなれば到着時間が遅くなろう。ならば、本日のうちに移動しておきたい。 事前に調べておいた道の駅と銭湯情報によれば、能登半島北部に一番近いのは能登島のものだった。ならば今からそちらに向かうことにしようか。 カーナビゲーションによれば、到着は19時頃になるとのこと。今はまだ15時くらいなのに、そんなに時間がかかるのか? 能登半島のスケール感がまだ馴染めず、予想外の到着時刻に少々戸惑う。 途中、比較的安いセルフ式ガソリンスタンドが目に入ったので給油。 給油量は、29.44L。 18時45分頃、能登島に入る直前にコンビニエンスストアで食料を調達。 実は、付近のスーパーマーケットをカーナビゲーションで検索して行ってみたところ、ただの住宅街に誘導され、仕方無くコンビニエンスストアにしたのだ。 そして食事をとった後、19時半頃に能登島の銭湯「ひょっこり温泉島の湯」を目指してクルマを出した。 もう辺りはすっかり暗くなっており、途中、観光名所となっている「能登島大橋」を通行したように思ったが、暗黒中で展望が全く利かず残念だった。 ●銭湯「ひょっこり温泉島の湯」 島内は、本当に暗い。クルマもほとんど走っていない。 銭湯の近辺まで来たが、右横に見える銭湯の駐車場入り口が暗くてハッキリ見えない。というのも、クルマのヘッドライトは前方を向いているため、横を照らすことが出来ないからだ。 我輩は後方を気にしながら道を徐行し、何となく入れそうに見えるところから右折で入った。少々離れていたので、もしかしたら銭湯ではなくその隣の敷地かも知れない・・・。 だが結果的にそこで正解だった。入ってみれば駐車場は道に沿って長くなっていることが分かった。 エンジンを切って時計を見ると、19時40分。 暗いので、薄汚れたタオルが目立たないが、さすがに室内では目立つだろう。洗い場で身体を洗いながらタオルも洗うか。 銭湯の入り口を入ろうとしたところ、注意書きの掲示が目に入った。 「当店では石鹸・シャンプーは備えておりません」 我輩はそれを見て急いでクルマに戻り、石鹸を持ってきた。我輩としてはそのほうが好都合。石鹸ならばタオルを洗い易いし、我輩自身も20年くらいは石鹸で頭を洗っているからだ。シャンプーだと洗った気がしない。特に、リンスインシャンプーなどはサッパリ感が全く無い。 <銭湯「ひょっこり温泉島の湯」> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/01 20:39 この銭湯では、靴を下駄箱ロッカーに入れるのだが、その鍵はフロントに預けずそのまま持ち込むシステムになっている。券売機で買った入場券(450円)を渡すのみ。 そして脱衣場にはロッカーがあり、そこに下駄箱の鍵を入れておき、脱衣場ロッカーの鍵を身に付けることになる。 タオルが黒っぽいので少々恥ずかしく、丸めて手に握るようにして洗い場に直行。すぐに桶の中の湯に浸し、石鹸を擦り付けてゴシゴシと洗った。透明な湯が、見る見るうちに黒くなる。 何度か繰り返していると、タオルの色がかなり薄くなったように思う。その色を16進数で表わすと「#f4f4f4」くらいか。これならば、浴室の暗い照明の下では気付かれまい。 無事に入浴を終え、タオルもキレイになり、クルマに戻って一息ついた。 後は、道の駅「のとじま」へ行って寝るだけ。 銭湯を出たのは20時40分。 途中、執拗に後ろにくっついてくる軽自動車に遭遇したが、途中道が分かれて我輩1台になった。道が本当に暗いので、ヘッドライトをハイビームにしなければとても先が見えない。 ●道の駅「のとじま」 10分後、道の駅「のとじま」へ到着。 駐車場内に入り、様子を見ながら隅のほうにクルマを停めた。車中泊とみられるミニバンやキャンピングカーなどが見えるが、これまで見てきた道の駅ほど数は多くない。まあ、さすがに辺鄙な場所だけに穴場かと思う。 しかしそれにしても暗い。道の駅の自動販売機の光だけが頼りだが、横から光が入るだけでクルマの中を照らさず車内が全く見えない。仕方無いのでLEDランタンを使った。 しばらくすると、後方に1台のクルマが入ってきて、そのままアイドリングを続けている。エンジン音は静かだが、「ヴ〜ン」と一定間隔で唸りを上げる電動ファンがうるさい。 さて、歯を磨こうと思うのだが、トイレはどこだ・・・? とりあえずクルマを降りて建物に近付く。しかし、中央の建物にはトイレは無い。 ちょっと先まで歩いてみると、トイレらしき小さな別棟があったので入ってみた。だがそこは、まるで小さな公園のトイレのよう。洗い場は小さな洗面台が1つあるのみ。水が出るのかも怪しいような雰囲気である。 我輩は後ずさりしながら外に出て、改めて辺りを見渡した。暗くて何も見えない。だが、近くにクルマが停まっているので、あまりウロウロするのも怪しい。 仕方が無いので、散歩がてらそのまま進んで小さな道を横切ってみた。 すると、そこに第二駐車場とも思えるような場所があり、そこには多くのクルマが所狭しと停まっていたのである。キャンピングカーも多数おり、発電機が威勢良く回っている音が響いていた。 「車中泊の穴場どころか、まさにメッカじゃないか。さっきのアイドリング車のほうがまだマシだな・・・。」 こちらには立派なトイレもあり、我輩はここで歯を磨いて自分のクルマに戻った。 寝る前、カーテンをめくると空が見えた。 そこには、驚くほど多くの星が見えた。自動販売機の光が横から差し込むが、それでもハッキリ見える。星を眺めながら、実家の田舎を思い出した・・・。 <この日の軌跡> <<画像ファイルあり>> ちなみに、この日撮った海岸地形のデジタル写真撮影枚数は、後日数えたところ約200枚であった。 ---------------------------------------------------- [694] 2010年05月23日(日)「北陸ドライブ(5月2日−4日目)」 引き続き、撮影に関する記述には黄色で着色した。 -------------------- ●能登島を出る 車中泊では目覚まし時計をセットしているのだが、いつもアラームが鳴る前に起きてしまう。周囲のクルマが活動を始めるので、目が覚めてしまうのだ。 カーテンを開けてみると、ちょうど朝日が昇るところだった。 <朝日が昇る> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/02 05:08 この日は、主に能登半島北側の海岸を攻める予定。そして最終的に東側へ回り込み、「見附島(みつけじま)」へ行くことにしたい。 「見附島」は通称「軍艦島」とも呼ばれ、写真で見ると、まさに軍艦が寄港しているような風景である。普通の島とは異なる高くそびえたその姿に、我輩の好奇心が刺激された。 というわけで、まずは輪島港近くの「鴨ヶ浦」から始めようと思う。 ただそれにしても、疲れが溜まっているようで眠気が取れない。朝食を食べてしばらくまた横になったりして、ようやく活動を始めたのは8時前。輪島港へ向けて出発した。 能登島を出る際、昨夜通った橋「能登島大橋」をもう一度渡ってみたかったのだが、カーナビゲーションの示す道は別の橋「ツインブリッジのと」だった。 <ツインブリッジのと> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/02 08:08 その後しばらくは内陸の道を走り、1時間かけて輪島市街地に到着した。 ●鴨ヶ浦(石川県輪島市) 輪島市街は観光地という雰囲気で、まだ朝ではあったものの観光客で賑わっており、交差点では多くの警官が交通整理にあたっているのが見えた。 <輪島市街> <<画像ファイルあり>> [車載ビデオカメラ] 2010/05/02 08:55 現地に駐車場があるかどうかの情報は掴んでいなかったが、カーナビゲーションの地図を見ると、何とかなりそうな場所のように見えた。実際、港には停められる所はあったが、「鴨ヶ浦」はまだ先のほうにあるらしい。しかし我輩はそこにクルマを置き、徒歩で先を進むことにした。 歩いていると、海で生活をしている町という雰囲気がある。朝の散歩としてはちょうど良い。 10分ほど歩くと、堤防が見えてきて、その先に海が広がっていた。 目当ての「鴨ヶ浦」らしき場所も左のほうに見えていたので、そちらのほうへ行った。見れば、ある程度の台数が停められそうな駐車場があった。まあ、奥まで進んで行って駐車場が無いよりは良かろう。 見ると、なかなか見事な海岸地形が見えている。 ちょっとした潟湖(せきこ=ラグーン)とでも言うような浅瀬の内海があった。ほとんど波に揺られず、海草が多いものの水底まで鮮明に見えていた。 <浅瀬の内海> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(45mm)] 2010/05/01 09:17 この内海はとても広いプールとしても使えそうに思ったのだが、実はプールは別に作られており、それなりに手すりなども備え付けられていた。 見たところ水底は自然の石そのままにゴツゴツしているので泳ぎにくそうにも思うが、夏になれば誰かが泳ぐのだろうか。 <海のプール> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/02 09:21 さて、この辺りの地形は、地学本によれば石灰質の砂岩層で、緩い向斜をなしているという。 確かに、地層に由来すると思われる直線的な浸食が多いようだ。浸食に強い層と弱い層があるのだろう。 <直線的な浸食> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(45mm)] 2010/05/01 09:42 帰り際、ふと足下の水面に目をやると、ウミウシが這っているのが見えた。 子供の頃に図鑑ではよく見ていたウミウシだったが、実物を見たのは今回が初めて。子どもの頃に想像していたスケール感よりも実物はかなり小さいのは印象的だった。 指先でつついてみたところ、ブヨブヨしていてまさに"貝"というか"ナメクジ"というか、そんな感触だった。 <ウミウシ> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(85mm)] 2010/05/01 09:56 ふと周りを見渡すと、他にもウジャウジャいるのに気付いた。なぜこの場所に集中している? しかし良く考えたら、他の所にもいたということも考えられる。我輩が気付かなかっただけかも知れない。 そう思って先程歩いた岩の上を戻り、適当な場所で水面をジッと見てみた。すると、そこにもウミウシがたくさん這っているのが見えた。まるでウミウシの養殖場だな・・・。 ちなみに、ウミウシは貝の仲間ではあるが、食べてもかなり不味いらしい。 元来た道を歩きクルマに戻ると、もう車内が熱気で充満していた。この季節で、この温度。本格的な夏になればどうなることやら。 さて、今度は海岸線に沿って東へ行こうと思うが、途中、「千枚田」と呼ばれる観光名所があるらしく、そこへ寄ることにしようか。 「千枚田」とは、海岸近くの斜面に作られた棚田のことで、そばにある道の駅からその様子を一望出来るとのこと。 地学本を開いてみると、この「千枚田」は典型的な地滑り地形の上に作られたものだと書かれている。こういう地滑り地形は、この辺りの地域ではよく見られるものらしい。 ●千枚田(石川県輪島市白米町) 10時半頃、道の駅「千枚田ポケットパーク」に到着。 "ポケットパーク"という名前のとおり、駐車場の台数はかなり少なく、少し順番待ちが必要だった。 事前情報のとおり、道の駅から「千枚田」が一望出来た。 ここが地滑り地形だという意識があるので、想像力が働いて棚田が出来る前の様子が目の前に浮かんでくるように思えた。そのため、写真には「千枚田」だけでなく、地滑りで流れてきた方向にもカメラを向けシャッターを切った。 <地滑り地形の上に作られた千枚田> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(45mm)] 2010/05/01 10:45 他の観光客を見ると、棚田のほうに歩いて行く者が多くいた。我輩も間近で見てみようかと思ったが、今回の目的は地滑り地形の全体を俯瞰することであり、棚田を見物することではない。まだ先へ行く予定があるのだから、時間の浪費はやめておこう。 道の駅のソフトクリームがおいしそうだったが、金が無いので諦め、クルマに戻って出発。「千枚田」の滞在は30分程度であった。 だが千枚田を出発してちょっと走ると、なかなか景色の良いポイントが幾つもあり、停車出来そうであればその都度停まって撮影をした。 これは、地質的な興味というよりも写真景色的な興味のせいなのだが、そのまま通過するのがもったいなく思い、思わずブレーキを踏んでしまうのである(もちろん後続車の有無を確認してブレーキを踏んでいる)。 それに、せっかくキレイに水拭きしたクルマであるから、風景の中に入れて写真を撮りたいという気持がも起こるのは仕方無い。 <海景色をバックに記念撮影> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(55mm)] 2010/05/01 09:56 ●仁江海岸(石川県珠洲市) それにしてもあまりに撮影ポイントが多く出現するので、「その都度停車していたら時間がいくらあっても足りないなぁ」と思い始めていたところ、今度は本当に地質学的な興味をそそるような地形が見えてきた。 しかしクルマを停める適当な場所がなかなか出てこない。500メートルほど過ぎて、ようやく停車スポットが現れたので早速クルマを停めた。 クルマから降りて、今走ってきた道を徒歩で戻る。500メートルとは言え、さすがに徒歩は時間がかかる・・・。 だが目の前にその景色が広がった時には、その苦労も消えるような気がした。 <仁江海岸の頁岩層> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(45mm)] 2010/05/01 12:06 ここは後日確認したところ、珠洲(すず)市の「仁江海岸」という所らしく、地学本によれば泥岩が積み重なった頁岩(けつがん)層とのこと。 詳しいことは後ほど調べるが、この地層の傾き加減がまた良い。大地の動きが視覚的に表されているのが分かり易いのだ。 我輩は、図鑑に出てくるような、視覚的に分かり易い教材的な写真を撮ることを目標にしている。撮影者の個性が前に出ない、被写体が主役の写真である。 「自分が撮った写真を見せたい」というのではなく、「この被写体を見せたい」という写真の原点が我輩の求めるところなのだ。 これなどは、まさにその被写体として最適と感ずる。 30分ほどしてクルマに戻ろうと歩き出したが、海岸は色々なものが散らばっているので下を見て歩くのが面白い。確かにゴミばかりだが、その中に昔のトイレか浴室の壁の欠片があるのに気付いた。 その欠片には、昭和の時代を感ずるとても懐かしいタイルが貼ってあった。 「子どもの頃、どこの家に行ってもこんな感じだったなぁ。いつの間にか目にすることがなくなったが、こんなところで出会えるとは・・・。」 <昭和を感ずるタイル> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/02 12:09 ところで、クルマに戻る際にふと前方を見ると、すぐそこに「揚げ浜塩田」というものがあるのに気付いた。確かに塩田が近くにあるらしいことは知っていたが、こんなに近くにあるとは思わなかった。もし行くなら、クルマを移動するまでもないほど。 だが自然地形とは関係無いこともあり、時間の節約のため、ここからは「見附島」へ向けて寄り道することなく進むことにした。 ●見附島(石川県珠洲市) 「見附島」には13時頃到着した。ちなみに駐車場はそれなりの広さが確保されており、しかも無料なのが嬉しい。 クルマから降りて道を渡ると、すぐに「見附島」が目に入った。遠景に見えるその姿は、まさに軍艦が寄港している風景に見えた。 <見附島> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(85mm)] 2010/05/01 13:11 この島は全体が珪藻土で出来ているという。 ちなみに、珪藻土はこの地域の特産物「七輪」の原材料とのこと。食べられる土らしいのだが、本当だろうか。にわかに信じ難い。 近くまでは石を敷き詰めた桟橋のような道を歩いて行けるのだが、少々波が打ち付けており、もっと波が高い時には渡るのが怖いだろうなと思わせた。 ここまで近くに来たのだから実際に触ってみたりしたかったのだが、そこまでは道が続いていなかったし、島自体も崩れ易くなっているようで、近付くのは危険だろうと思われる。しかし、島のてっぺんに登ってキャンプなどしたら、地学的興味とは関係無く楽しそうだ。 <近くから見上げる見附島> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(55mm)] 2010/05/01 13:19 撮影では、広角レンズ主体かと思われたが、横からの角度で撮ろうと思うと意外にも望遠が必要となり、クルマまで取りに戻った。 こういう時、駐車場が近いと何かと便利である。 <望遠で撮る見附島> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/80-160mm(160mm)] 2010/05/01 13:26 このような島が、どのようにして出来たのか、見れば見るほど不思議に思う。 しかしながら、この島は地震や風雨などで少しずつ崩れているらしく、もしかしたら、昔はかなり大きな島だったのかも知れない。いや、元々は陸続きで、それが海食によって一部分が孤立して島になったのではないか? もしそうならば、この軍艦の形は、地質学的スケールで言えばほんの一瞬の姿に過ぎないと言える。 気付くと、もう時間は13時50分。 撮るターゲットは「見附島」だけということもあり、色々と角度をつけて撮ってはみたものの、さすがにもう十分か。 それにしても、まだこの時点では昼食を摂っていない。どこかにコンビニエンスストアが無いかと思ったが、隣接した「恋路海岸」まで行けば、この日の目的は大体完了する見通し。陽も傾きつつあるし、どうせならそこを済ませてから昼食としたい。 ●恋路海岸(石川県鳳珠郡能登町) 「恋路海岸」は、見たところ白っぽい岩が多くある海岸で、場所的にも「見附島」に近いことから、恐らくこちらも珪藻土で出来ているものと推測する。 <恋路海岸> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/02 14:11 ここには「弁天島」という小さな陸繋島(りくけいとう=トンボロ)のようなものがあり、社が祀られていた。 <弁天島> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(55mm)] 2010/05/01 14:12 またここからは、先程の「見附島」が遠方に見える。ちょうど真横から見るような位置だった。 デジタルカメラのレンズを望遠ズームに替え、300mmで撮影してみた。 <遠方に見える「見附島」> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm・70-300mm] 2010/05/02 14:00 時間ももう14時半近く。では、そろそろ昼食とするか。 近くのコンビニエンスストアを検索して行ってみると、風通しの良い広い駐車場がある店だった。 食後はしばらく休憩していたが、どうにも疲れが抜けない。暑いこともあるが、快晴のせいで紫外線が強かったのかも知れない。身体がだるいだけでなく、目がシバシバする。 この疲れは今日1日だけのものではなく、これまで蓄積されてきたもののような気がした。 考えてみればそれもそうか。車中泊でなくとも、毎日出掛けていれば疲れはするだろう。暑い時などは特にそうなる。去年の北海道の時は寒かったからまだ良かったのだ。 さて、これからどうするか。 しかし考えがなかなかまとまらない。この日の活動はもう打ち止めとしても良いのだが、翌日の予定を立てねば今夜の宿泊地が決められない。 我輩としては、翌日は「のと鉄道」の廃線跡探訪をするつもりだったが、このだるさでそんなことが出来るのか疑問に思う。 「明日も快晴のようだし・・・暑いだろうなぁ・・・。」 だんだん、気が重くなってきた。 結局、廃線跡探訪は断念することにした。去年の北海道と同じような感覚で考えていたらとても体力が持たない。寒さならば体力はそれほど低下しないが、暑さは極度に体力を消耗させる。そうでなくとも我輩は暑さには弱い。 そういうわけで、もし廃線跡探訪を中止とするならば、初日で行けなかった宇奈月温泉でのレッドアロー号の撮影をしようか。そして次の日の午前中に千葉へ帰還すればいい。当初の予定よりも1日早いが、体力を考えたらもうこの旅も限界だろう。 しかし、能登半島の先端から富山県の宇奈月温泉まではかなりの距離がある。この日のうちになるべく近くまで移動しておきたいものだが、どこまで行けるだろうか。 時計を見ると、16時。生活時間に入るには、あと2時間くらいの距離が限度だろう。それを考えると、最初に泊まった氷見市が適当だとの結論に至った。ここならば銭湯や道の駅など勝手が分かっているので、余計なことで悩まなくても済む。 クルマを発車させ、氷見市を目指した。 ●氷見市 疲れた目で一般道を2時間も走行するのは疲れるが、それでも何とか氷見市まで辿り着くことが出来た。 氷見市に入ると、富山湾が見渡せる海岸公園があったので、そこで海を眺めたり散歩したりして夕方のひとときを楽しんだ。 <氷見市の海岸公園> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/02 18:17 暗くなってきた頃、そろそろ生活時間に入らなければならないと思い、カーナビゲーションで検索したスーパーマーケット「バロー」を目的地設定し、クルマを発車させた。「バロー」とは名前が面白い。無意識ながらもつい「バーロー、バッキャロー」などと独り言を言ってしまう。 10分もしないうちに「バロー」に着いたのだが、広い駐車場を中心にして周囲に色々な店があり、地方都市にありがちな雰囲気であった。「カメラのキタムラ」も見える。我輩としては、この何でもない日常的な感じが居心地良さそうに思えた。機会があれば数日暮らしてみたい気もする。 <スーパーマーケット「バロー」> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/02 18:48 早速、夕食や次の日の朝食などを仕入れようと思ったのだが、惣菜コーナーにはめぼしい物が何も無い。そもそも客も少ない。この時間だともうタイムアップか? だが選り好みはしていられない。グズグズしていると、残り物すら他の客に取られてしまう。急いで208円の「鶏南蛮」と138円の「冷やしうどん」を確保。これで明日の朝まで足りるかどうか・・・。 飲料水も欲しいが、安いものは2リットルのブレンド茶で98円のものがあった。ウーロン茶は尿が近くなるので運転する時には向かないのだが、まさかこれにウーロン茶がブレンドされているか? まあ、入ってないはずが無いか。だがそのボトルが一番安いのでそれを買うことにした。 食料を確保して安心してレジを通ったところ、なんと、食料品売り場とは別の売り場で、専門店の惣菜コーナーが幾つかあったのに気が付いた。 「なんだ、わざわざ残り物に手を出さなくても良かったのか・・・。」 まだまだこの町の住民にはなりきれていなかった。 クルマに戻って「鶏南蛮」を食べた。おかずだけを食べるのも味気ないが、あとは菓子パンを食べて我慢するしか無い。 食べた後、辺りはすっかり暗くなっていた。クルマのエンジンをかけると、メーターのイルミネーションが浮かび上がった。我輩はそれを見て、「さあ帰ろう」という気持ちになった。この場合の"帰る"というのは、"車中泊"を意味するわけだが。 <闇に浮かび上がるメーター> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/02 19:16 「では銭湯に行こうか」と思い駐車場内でクルマを転回させていると、通りを挟んだ向かい側に古本ショップがあるのに気付いた。もしかしたら、掘り出し物があるかも知れない。 我輩は、銭湯へ行く前に古本ショップへ寄ってみることにした。 <古本ショップ> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/02 19:37 こういう古本チェーン店では、どこでもマンガ本が多い。ここも例外ではなく、半分以上がマンガだった。 しかし探せばあるもので、我輩としての掘り出し物を何冊か手に入れることが出来た。寄ってみた甲斐はあったと言える。それに、観光的な買い物ではなく、このような日常的な買い物というのは、この土地の住民になったような気にさせてくれる。 ●銭湯「有磯の湯」(富山県氷見市) 銭湯は、当然ながら北陸初日に行った「有磯の湯」。19時半頃に到着。 まだ二回目だというのに、少し日を空けて行ったせいか、ほんのり懐かしい気持ちになる。 <銭湯「有磯の湯」> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/02 20:32 ●道の駅「氷見」(富山県氷見市) 道の駅「氷見」には、20時40分頃に到着。 ところが、今はゴールデンウィーク真っ最中のせいか駐車場はほぼ埋まっているではないか。計算外とは、まさにこのこと。 しかし、たまたま見付けた隙間的スペースにかろうじてクルマを滑り込ませることが出来たのは幸運だった。 寝る時、ここ数日快晴だったせいか、もはや掛け布団は不要であった。これ以上暑くなればもう車中泊は出来まい。 <この日の軌跡> <<画像ファイルあり>> ちなみに、この日撮った海岸地形のデジタル写真撮影枚数は、後日数えたところ約170枚であった。 ---------------------------------------------------- [695] 2010年05月27日(木)「北陸ドライブ(5月3日−5日目)」 引き続き、撮影に関する記述には黄色で着色した。 -------------------- ●宇奈月温泉へ出発 この日も早朝5時半頃に目が覚めた。やはり、周囲のクルマの動きが目を覚まさせる。隣に停まっていた軽トラが出て行ったので、少し広くなったなと思ったところ、すぐに別のクルマが入ってきた。しかしセダンなので圧迫感が無くて良かった。もしミニバンなどが隣に来たら気が滅入ることになる。 初日にここで車中泊した時は雨が降ったりやんだりしていたが、今回は良い天気だ。車中泊が明けると毎回その様子を写真に撮っているのだが、ここでも写真を撮っていると、隣のセダンのオイちゃんが声を掛けてきた。 「みんな遠くから来てますね〜。おたく、千葉だし。」 話をしてみると、オイちゃんは昔、千葉県近くの埼玉県に住んでいたことがあるとのこと。だから千葉の地名も知っているという。 ちなみにオイちゃんは、人との待ち合わせでこの道の駅まで来たらしい。 我輩はその後、車内で朝食の冷やしうどんを食べたが、どうにも疲れが抜けないので布団に寝転んだりしていた。 すると8時頃、先程のオイちゃんが窓をコンコンとノックして「店が開きましたよ」と教えてくれた。どうやら、我輩が朝食を食べるために道の駅の店が開くのを待っていると思ったようだ。 まあ、そろそろ出ないと遅くなるので動き出すか。 この日は富山県の宇奈月温泉へ行き、西武鉄道から富山地方鉄道へ移籍した「レッドアロー号」の撮影をする予定である。出来ればその地で温泉に入り車中泊としたかったが、早く帰りたいので撮影が済めば直ちに帰路に就こう。 夜を明かした道の駅「氷見」は同じ富山県であるが、宇奈月温泉まではそれなりに距離がある。しかも一般道を地道に走るのでそれなりに時間はかかる。 途中、9時過ぎくらいにハイオク単価145円のガソリンスタンドを見付けたので給油し、10時頃に宇奈月温泉近くのコンビニエンスストアに入った。 この先、温泉街へ行っても駐車出来る場所は限られているので、温泉街に入ってしまうとクルマで自由に動き回れないだろう。だから、温泉街に入る前に昼食を調達しておくほうが良い。 その後、少し先にある道の駅「うなづき」でトイレ休憩し、10時半頃、温泉街へ向けて出発した。 ここからは、黒部川が側を流れる気持ちの良い道が続く。天気も良いのだが、それが逆に目に痛い。 <宇奈月温泉へ向けて走行> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/03 10:47 ところで、実を言うと我輩は、「宇奈月温泉」という名前すら今回初めて知った。 山間の小ぢんまりとした土地のようなので、少々寂れているのではないかと思う。ひとけの無い温泉街でノンビリと散策というのも面白かろう。 ところがどうしたことか、トンネルのあるところで渋滞が始まってしまった。ちょっと進んでは止まり、またちょっと進んでは止まる。 途中に気の利かない信号機でもあるのかと思ったのだが、次第に「もしかしてこの車列は、温泉街まで続いているのではないか」と思い始めた。もしそうなら、恐らく駅前の駐車場が一杯なのだろう。そんなに人気のある有名観光地だったのか・・・? カーナビゲーションの地図を見ると、駐車場はまだまだ先のほうらしい。それなのにこの進み具合。もっと早く来るべきだった。 <トンネルの手前から渋滞が始まった> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/03 10:50 だがそれでも、車列はそれなりに動いており、15分も経つと富山地方鉄道の「宇奈月温泉駅」が見えてきた。そしてそのすぐ先に、黒部峡谷鉄道トロッコ列車の「宇奈月駅」が見えている。確か駐車場は、「宇奈月駅」の駅前のほうにあるはず。ということは、あと少しの辛抱か。 <宇奈月温泉駅が見えてきた> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/03 11:08 ところがこの状態から進むのが遅くなり、しかも駅前まで来たところ、駅前駐車場は満車状態で、さらにその奥の駐車場まで車列が続いていた。まだまだ忍耐が必要か。 それでもしばらく頑張っていると、ようやく駐車場のゲートが見えてきた。この段階まで来ると、もはや、"渋滞"というよりも"駐車待ち"という雰囲気に変わった。出庫するクルマが1台あれば、こちらも1台分進む。あともう一息。 だが駐車後に改めて昼食タイムとするならば、時間がもったいない。昼食なら今この時間に済ませておいたほうが良かろう。 我輩は駐車待ちの車内で、先程コンビニエンスストアで買った惣菜パンを食べた。 <駐車待ちの中で昼食> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/03 11:47 ようやく順番が回ってきて駐車料金900円を係員に払い、駐車場所を案内されたのだが、そこは、奥の奥のほうにある臨時駐車場のような砂利敷きの場所だった。 時刻は11時52分。まずは、富山地方鉄道の時刻表を確認。 西武鉄道から富山地方鉄道へ移籍した特急車両「レッドアロー」は、直近では12時40分発の便に特急がある。ただしこの特急がレッドアローの車両かどうかは分からない。特急で運用される車両は「レッドアロー」だけではないからだ。 (※「レッドアロー」は、富山地鉄では「モハ16010形」と呼ばれているが、呼びづらいのでここでは「レッドアロー」と呼ぶことにする) しかし12時40分までは1時間近くあるので焦る必要は無い。 クルマを降りて振り返って見ると、黒部峡谷鉄道のトロッコ列車が通る鉄橋が見えた。なかなか眺めが良いので、上のほうの見晴台から鉄橋を見下ろしてみたり、鉄橋のすぐ側まで降りて行ってみたりした。そしてその下の斜面には、サル顔のオヤジさんが農作業か何かやっており、我輩と目が合ってしまった。 <トロッコ列車の鉄橋と農作業中のオヤジさん> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/03 12:15 そんなことをしているといつの間にか時間も経ち、特急発車の20分前になっていた。そろそろ駅へ向かうことにしよう。 もし12時40分発の便が「レッドアロー」ではなかったとしたらガッカリだが、それでも次の特急は13時50分発がある。ただ、その便もダメなら、あとは15時30分発となってしまうのでさすがにそれまで待てぬ。 そんなことを考えながら歩いていると、黒部峡谷鉄道の「宇奈月駅」が見えてきた。そしてその向こうに、富山地鉄の「宇奈月温泉駅」も見えている。目を凝らして見ると、「宇奈月温泉駅」にちょうど「レッドアロー」が停まっているではないか。 <「宇奈月駅」の向こうの「宇奈月温泉駅」に特急列車が見えている> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(45mm)] 2010/05/03 12:21 ここは終着駅だから、始発ということになる。だから20分前でも駅には到着していたのだ。少し考えれば分かることだが、完全に考えが抜けていた。 「レッドアロー」の撮影は駅に入ってくるところから始めたかったが、それは叶わなかった。駅から出て行くところを撮るしかない。 とりあえず今は、駅に停車しているところを撮りまくろう。 「レッドアロー」が正面に見える場所があったので、そこから狙ってみた。 ところが、中判カメラ「PENTAX 645N」とデジタルカメラ「Nikon D200」の両方とも標準ズーム装着のため拡大率が足りない。これほど離れたシーンは想定していなかったため、望遠レンズはクルマに置いてきてしまったのだ。 クルマへ取りに行くにしても、奥の奥にある駐車場のため、戻ってくるまでに5分は要する。どうするか。 <手持ちの標準ズームレンズでは遠すぎた> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(85mm)] 2010/05/03 12:25 結局、望遠レンズは諦めた。 望遠が必要なのはこのシーン以外には無いだろう。ならば、その1カットだけのために貴重な時間を浪費出来ぬ。 我輩はこのシーンを、標準ズームの範囲で撮影した。 次に、「レッドアロー」に近付いて柵越しにカメラを構えて撮影した。 露出の失敗だけは避けたいので、「PENTAX 645N」ではAEB(自動段階露光)にて撮影した。 <駅の外側から撮影> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(85mm)] 2010/05/03 12:28 それにしても、この「レッドアロー」の現物を肉眼で見るのは今回が初めて。子供の頃に交通図鑑で見て心惹かれた車両だったのだが、それを実際に見ることが出来るとは思わなかった。昭和的なその面構え、まさに感無量と言うほか無い。 我輩は、図鑑に掲載されているような、キッチリとした写真を撮りたいと日々思っているのだが、今回の撮影でその思いが届くだろうか。 少々横からの角度でも撮影してみたいのだが、柵から離れると柵が画面に入ってジャマになる。またアングルも限定される。 ならば、ホームに入って撮影するしか無い。もちろんホームも広いわけではないから思うがままに撮影出来るということではないが、外から撮るよりは微調整が利くはず。 とにかく、あと10分で発車時刻となるので、行くなら早くしないと時間が無い。我輩は急いで駅の階段を上がって窓口に行き、そこで入場券を買おうとした。 <宇奈月温泉駅> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(45mm)] 2010/05/03 12:45 すると窓口のオイちゃんが「1枚でいいの?」と訊くので見てみると、入場券は昔懐かしの硬券だった。せっかくなので、記念にもう1枚買った。 改札で入場券の1枚を出したところ、改札のオイちゃんは「えっ?」という顔をしてホームのほうを見たり切符を見たり戸惑っていた。その様子は、「この切符にスタンプ押しちゃっていいの?」という感じだった。しかし我輩はもう1枚買っているので、スタンプに抵抗は無い。 <硬券の入場券> <<画像ファイルあり>> ホームへ降りるとすぐに撮影を始めた。やはりこちらは低いアングルで撮影出来るのが良い。 しかし時間ギリギリまでホームで撮影していると、駅を出る姿を撮影出来なくなるので、適当に切り上げねばならぬ。メインは中判645での撮影だが、フルオートの「PENTAX 645N」のおかげで手早く撮影が出来た。 <ホームでの撮影> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(85mm)] 2010/05/03 12:37 発車時刻の3分前、ホームでの撮影を切り上げることにした。 ホームの階段を上がり、改札を出ようと入場券を改札のオイちゃんに渡した。するとオイちゃんはまた戸惑い、「え・・・と、切符、要りますか?」と訊いてくれたので「あ、いいんですか? ありがとうございます」と礼を言ってその切符を受け取った。 駅を出て、駅前の踏切のところまで行ってカメラを構えて待機する。 今度は動いている列車だから、フィルムとデジタルの2台のカメラで撮影は出来ぬ。ここは「PENTAX 645N」一本で勝負するしかない。しかもAEBにも頼れないので、露出も一発勝負。撮影中にフィルム切れになっては致命的であるから、フィルムカウンターも確認した。 しばらくすると、駅から「レッドアロー」が出てきた。 我輩はカメラを構え、ファインダー越しに見るその姿にフォーカスポイントを合わせた。標準ズームだけに、その姿はまだ小さい。だが、意外に近付くスピードが速く感じたので、思わずシャッターを切ってしまった。「しまった、まだ遠かったか。」 シャッターが切れてミラーが復元するまでの時間が長く感じられた。 次に「レッドアロー」が見えた時には、もうかなり距離が近くなっており、AFが追いきれず2枚目の写真は撮れなかった。 「しまった・・・。」 我輩はすぐさま振り向き、過ぎ去って行く「レッドアロー」の後部を、ズームレンズで追いながら撮った。 <去って行くモハ16010形> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(75mm)] 2010/05/03 12:40 これは完全に我輩の失敗だった。 AW(自動巻上げ)であろうとも、タイミングは非常に大事である。我輩はその基本を忘れ、気の焦りで貴重なタイミングを逸してしまった。もし撮り直し出来るものならば挽回したい。 次の特急は13時50分発。続けて「レッドアロー」という可能性は低いとは思うが、次もそうだという心積もりが無ければまた失敗を重ねてしまうだろう。 駅には早めに入るはずだから、13時20分にはスタンバイしておこうと思う。それまでの間、温泉街を散策することにした。 散策をしていると、12時55分頃に踏み切りが鳴り始めた音が聞こえたので何だろうと思い戻ろうとすると、「モハ14760形」と呼ばれる車両が駅に入るところが見えた。これは、今度13時18分に発車する普通列車らしい。 せっかくだから、この車両が出発するところを写真に撮ってみよう。次の特急を撮影する予行演習にもちょうど良い。 我輩は踏み切り近くの商店に設置してあったベンチに腰掛け、踏み切りが鳴り出すのを待った。 しばらく待っていると、再び踏み切りが鳴り始めた。 我輩は立ち上がり、駅のほうにカメラを向けた。今度は焦ることなく、列車がちょうど良いポイントに来るまでシャッターを切るのを我慢せねばならない。 ところがふと後ろに気配を感じて振り向いてビックリした。別の列車が駅に入ってくるではないか。 普通列車の出発前に特急列車が入ってきたのだ。 完全なる不意打ちだったが、フルオート中判カメラに助けられ、前と後ろの写真を何枚か撮ることは出来た。それにしても、この特急は「レッドアロー」じゃなかったぞ・・・。 <普通列車に続いて駅に入線するモハ10030形> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(70mm)] 2010/05/03 13:13 この次の特急は15時30分発まで無いため、残念ながら「レッドアロー」の撮影はもう出来ない。 我輩は最後に、13時18分発の普通列車「モハ14760形」、そして13時50分発の特急列車「モハ10030形」を撮り、鉄道撮影を完了した。 <モハ14760形> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/45-85mm(60mm)] 2010/05/03 13:18 その後、トロッコ列車が鉄橋を渡る様子などを撮影し、クルマに戻った。 北陸での活動は、一部当初の予定通りではなかったものの、これで完了したことになる。疲れのせいもあり、これで終わったと思うとホッとした。 駐車場を出たのは14時。 駐車場に入る渋滞の車列はまだまだ続いていた。この時間になって訪れるということは、泊まり客だろうか。 ●黒部川の河原 途中、道に沿って流れる黒部川がとても気分良さそうに見えたので、河原に行ける場所を探してあっちへ行ったりこっちへ行ったりしてみた。すると、河原近くに「中の口緑地公園」という場所があったのでそこにクルマを停め、河原へ降りてみた。 <中の口緑地公園脇を流れる黒部川> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/03 14:23 水の流れる音が涼しげで、これまでの疲れを癒してくれるようだ。河原の地形を見るため、しばらく散歩してみることにした。 しばらく歩くと、堆積した砂地を見付けた。そこには水の流れを示す跡が残されていた。それを眺めていると、川が増水してこの辺りまで水が流れている様子が目に浮かんできた。 そう言えば、これと似た地形を見たことがある。「蔵王のお釜」登山の際に出会った、水無川の河床(かわどこ)である(参考:雑文447)。 水が流れていたその瞬間に立ち会えなくとも、痕跡からその時の様子を想像力で知ることが出来る。 <水の流れを示す跡> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/03 14:25 我輩は、寿命さえ続けば、いつか火星へ行ってみたいと思う。 アメリカの探査機からの映像によれば、火星の不毛の大地には水の跡が刻まれているという。それを間近で見て、水が流れた過去の世界に想いを馳せてみたい。もちろん、そのスケールは地球とは比べ物にならない。直径数kmのクレーターを避けるように洪水が流れた跡すらあるのだ。 そんな雄大な水の痕跡は、緑あふれる大地よりも素晴らしく、そしてエキサイティングな風景に違いない。 この河原のように、そんな風景が我輩を待ってくれていると信じたい。 ●スーパーマーケット「パルフェ」 さて、これから帰路に就くわけだが、我輩はこの日の活動を終えて疲れた状態である。本来ならば生活時間に入るところだ。 一方、上信越自動車道は上越ジャンクションから信濃町インターチェンジまでの区間が上下2車線の対面通行となっているせいでそこがボトルネックとなり、連休中は深刻な渋滞が発生する。しかも、ちょうどゴールデンウィークのUターンラッシュのタイミングである。インターネットの渋滞予測によれば、19時頃が渋滞のピークとのこと。 以上のことを考えると、まずとりあえずは高速道路に乗り、どこかのパーキングエリアに入って深夜まで睡眠を取った後、渋滞が和らぐ時間帯に自宅まで走り通すことにしようと思う。 そうなると、夕食と入浴をどうするか。 夕食はどこかのスーパーマーケットで仕入れておけば良いとして、入浴は帰宅まで我慢することにした。 宇奈月近辺のスーパーマーケットをカーナビゲーションで検索し、「パルフェ」という店に行った。駐車場は広いが、店に近いエリアはクルマの出入りが多いので、少し離れた落ち着ける場所に停めた。 そして店で弁当と菓子パンなどを買い、駐車場で一息ついた。 <宇奈月のスーパーマーケット> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/03 14:46 しばらくすると、我輩の隣にミニバンが1台停まった。そして延々とアイドリングをしていた。こんなに空いている駐車場なのに、わざわざ我輩の隣に停めてアイドリングするのは何かの嫌がらせか? 結局そのクルマは15分くらいアイドリングした後、再び出て行った。 我輩はこの駐車場で1時間ほど休憩していたが、ふと、ここでクルマを撮って記念にしようと考えた。 この旅では、我輩の移動の手段となり、案内役となり、補給基地となり、そして宿泊施設となってくれた。クルマ無くして今回の旅に対する柔軟な対応は出来なかったろう。母艦として良く働いてくれた。 我輩は、唯一の支えであるこのクルマを最後に撮ることにより、今回の撮影の打ち止めとしたい。 カメラを構えてクルマにフォーカスポイントを合わせた。背景には、雪を頂く山々が見えた。 <母艦として良く働いてくれた> <<画像ファイルあり>> [PENTAX 645N/80-160mm(117mm)] 2010/05/03 15:40 我輩がクルマを運転をするようになって早5年。いまだに我輩がクルマを運転していることが信じられないと思うことがある。5年前まで、クルマなどとても自分が所有出来る代物ではないと思っていた。 普通の者ならば、クルマを買うのに特別な覚悟や思い切りは無かろうが、我輩の場合は大変な決断が必要だったのだ。 だからこそ、その一世一代の決断のために、自分が手にし得る中での最高のクルマを選んだつもりである(最初のクルマは97年式メルセデスベンツW202)。逆に言うと、妥協するならばクルマ導入は見送ったに違いない。 クルマを導入して以降、蔵王山、吾妻山、北海道、九州、そして今回の北陸へ到達した。遠い場所に、自分の力でクルマを操り到達した。5年前までは想像だにしなかったことだけに、それに対する実感が薄い。 改めて自分のクルマを眺めて、「本当にこれを自分が運転してきたのか」と驚かされるのである。 ●帰路に就く では、これから高速道路に乗り、どこか手近なパーキングエリアに入ろう。 出発時刻は15時40分。 出来れば少しでも先へ行きたかったが、やはりこの日の疲れを背負っているので、30分ほど走って目に入った「蓮台寺パーキングエリア」で休むことにした。 <蓮台寺パーキングエリア> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/03 16:31 走行中は風が入るのでそれほど暑くは無いが、停車させると途端に暑くなる。 温度計を見ると、29度だった。これではとても寝られまい。だがそうは言っても真夏ではないので、夕方になれば次第に気温は下がるはず。それまで待とう。 <まだまだ暑い> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/03 17:34 少々早いが、ここで夕食とした。 冷やしうどんセットなのでうどんツユをかけて食べるのだが、ツユをかけた後、片手で保持したままデジタルカメラで撮影しようとした。 デジタルカメラはメモ用途であるから、旅の記録のためにこのような撮影も行なうのだ。 <パーキングエリアで夕食> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/03 17:40 ところが片手で保持したせいで弁当容器が中央部から折れ曲がり、うどんツユが運転席シートにザァーっとこぼれてしまったではないか。 大慌てでティッシュペーパーで拭き取ろうとしたが、何枚あっても足りない状況。 「くそ、なんてこった・・・。」 このうどんは関東風のためか醤油の黒色そのままである。それに対しクルマのシートはベージュの薄い色。しかも水分吸収バツグンの布地なのだ。出汁(ダシ)の利いた香ばしい香りに包まれた大きな黒い染みがシート生地にクッキリ残された・・・。 だが呆然とはしていられぬ。このまま乾いてしまえば、本当に染みが固定されてしまう。 我輩は銭湯で使っているタオルを水で濡らしてきて、それをシートに当てて揉んだ。シートに染みこんだツユを、水と混ぜて薄め、それをタオルで再度吸収させるのである。乾いた後に、濡れていないところとの境界線が目立つであろうから、布面1区画全体を水で濡らして拭き取った。 それが功を奏したのか、最終的に染みは完全に消え去った。 もしかしたら赤外線撮影などすれば染みが浮き上がるかも知れぬが、可視光の範囲ではまず判らない。 香ばしい香りは残っているが、帰宅後に「ファブリーズ(消臭製品)」を噴霧すれば何とかなろう。まずは、一安心。 食後、温度計を見てみたが、少し下がって27度になっていた。このまま23度くらいに下がってくれれば、快適に寝られるのだが。 試しに、後部座席でカーテンを吊り、下着状態で寝てみたのだが、やはり暑くて汗ばむ。セキュリティ上、窓も大きく開け放つことも出来ぬ。寝転びながら、ウチワで扇いで古本を読んだりして過ごした。 その後暗くなってくると本も読むことも出来なくなり、頑張って寝ようと努力したのだが、やはり暑さのせいでグッスリとは眠れず、ウトウトとした状態で携帯電話でインターネットの情報を見たり、温度計を見たりした。 そして結局、「どうせ眠れぬのなら、今日のうちに行けるところまで行ってみよう。」と思うに至った。もしかしたら、渋滞予測の19時も過ぎているので、少しは走り易くなっていることも期待したい。 <出発> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/03 21:04 「蓮台寺パーキングエリア」を出たのは21時頃。 北陸自動車道から上信越自動車道へ移り、南下を始めたのだが、やはり途中で渋滞にハマってしまった。この状態では、付近のパーキングエリアも満車に違いない。 もしかしたら、あのまま「蓮台寺パーキングエリア」に留まっていたほうが良かったかも知れないとふと思ったが、それでも少しでも自宅に近付いているという事実のほうが大きく、今さら後悔するつもりも無い。 <やはり渋滞> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/03 22:13 渋滞はしばらく続いたものの、渋滞ポイントとなる特定区間を過ぎると流れがスムーズになった。 23時過ぎ、小腹が空いたので「小布施パーキングエリア」で何か買おうと思ったが、土産物ばかりで普通の食べ物がほとんど売り切れ状態。売れ残りのアンパンとアイスクリームを買って食べた。 しかし0時近く、さすがに強い眠気が出てきたので、「東部湯の丸サービスエリア」に入り、ここで睡眠を取ることにした。 洗面所で歯を磨き、クルマの中でパジャマに着替えて布団に横になった。もう暑さは解消され、ストンと落ちるように眠り込んだ・・・。 <この日の軌跡> ※帰路は示していない。 <<画像ファイルあり>> -------------------- 「北陸ドライブ(5月4日−6日目)」 昔の職場仲間たちが、我輩に会いに来た。いや、我輩のほうが会いに行ったのかも知れぬ。 懐かしい顔を見て、昔のような気分になった。 「最近、どうしてる?」と訊こうとして、フッと目が覚めた。 夢だった。 一瞬、自分がどこにいるのか理解出来なかった。 いつもの布団に寝ているだけに自宅にいるのかと思いかけたのだが、妙に狭い空間に戸惑った。 「・・・ああ、そうか、クルマの中か。」 身体を起こしてカーテンをめくると、空が薄明るい。時間は早朝5時過ぎだった。 クルマの外に出てみると、少々肌寒い。 トイレに行ってからサービスエリア内の公園をちょっと散歩した後、再びクルマに戻って出発した。 自宅まではあと200kmほど。 クルマの流れはスムーズで、9時前には着くだろうと思われた。これならパーキングエリアなどに寄ることも無く、ノンストップで帰れるだろう。 途中、クルマのメーター表示を見たところ、どういうわけか燃費計の値が17.5km/Lになっているではないか。ビックリしてしばらく様子を見ていたが、値は少しずつ増えて行き、最終的には17.8km/Lまで到達した。 このクルマのこれまでの平均燃費が11km/Lであることから考えると、この値はとても考えられない。走り方を変えたわけではないのに、いったいどうしてこうなったのだろう。 <燃費の記録更新> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2010/05/04 06:39 関東に近付くにつれ、だんだん見覚えのあるランドマークが増えてくる。 そして、日常的に行動する圏内に入ると「帰ってきた」という気分になった。しかし気を抜くと事故の元。速度を抑え、慎重に運転した。 帰着は予定より少し早く8時15分。 間を置くとヤル気が起きなくなるので、自宅に着いてすぐに車内の荷物を家に運び込んだ。 車中泊のたびに思うが、相変わらず大量の荷物にビックリする。こんなに荷物を詰め込んで、よくもまあ、運転するスペースと寝るスペースがあったものだ。 <今回の荷物> <<画像ファイルあり>> ちなみに、家に帰ってから驚いたことがある。 クルマに積み込んでいたと思っていた66判カメラ「BRONICA SQ-Ai」が、実は自宅に置いたままになっていたことだ。まあ、特に影響無くて良かった。 -------------------- <今回の旅で感じたこと> ・旅行先選定について ゴールデンウィークともなれば、そろそろ暑さが気になってくる季節。北陸は関東よりも北方だが、それでも暑さに悩まされた。伊豆半島にしていたらもっと深刻だったかも知れぬ。 ・長旅の疲れの問題 旅の計画というものは、スケジュールを詰め込んで効率良く多くのスポットを巡るようにするものだが、長旅になると、疲れを解消するための余裕が必要になることを実感した。去年の北海道行きでは、涼しかったことに加え、フェリーで何もしないでノンビリする時間があったのでそれほど疲れが溜まらなかったのだろう。 ・カメラについて 中判「PENTAX 645N」との付き合いはまだ浅いため、いつの間にか測光方式切替スイッチに触れてスポット測光になっていたことがある。そのせいか露出失敗写真の中でも露出オーバーの写真が多かった。 デジタルカメラ「Nikon D200」のほうはJPEGとRAWの両方で撮ったが、今のところRAWを必要とする画像の利用は無い。ただ、画素が不足気味なのは残念。 ・「レッドアロー」の望遠撮影 「レッドアロー」の望遠撮影は、今でも心残りである。たった1カットでも望遠写真があると変化があって良かったかも知れぬ。しかし同じ状況に置かれればまた悩むだろう。 今回のドライブのまとめは下記の通り。 ●期間 2010年4月29日〜5月4日(6日間) ●デジタル撮影総枚数 約1,400枚 RAW+JPEG記録のため、1セットで1枚とカウント。 ●フィルム撮影本数 120フィルム20本 (Kodak E100G) 120フィルム1本につき16枚撮れるカメラのため、撮影枚数は320枚となる。うち、採用枚数は200枚と上出来。 ●走行距離 1,526km 過去のドライブと照らしてみて妥当なところかと思う。 ●燃料消費量 約123L 最後の給油タイミングを誤ったため、推測値である。 ●平均燃費 12.4km/L 満タン法にて算出。上記給油タイミングの関係上、この計算値も推測となる。 ●旅行費用 40,168円 <内訳> ・高速道路代(ETC) :3,800円?(予想) ・ガソリン代 :約18,000円(推測) ・飲食代 :8,468円 ・銭湯代 :1,910円 ・入館・駐車代 :2,780円 ・土産その他 :5,210円 ---------------------------------------------------- [696] 2010年05月28日(金)「画像盗用する者は、覚悟して欲しい」 ●写真盗用についての今回の経緯 我輩が撮影し雑文440にて掲載していた「MINOLTA FLASHMETER VI」の外観写真(下写真)が、先日、第三者のネットオークション出品説明写真に無断盗用されたのを見付けた。 <盗用された写真> <<画像ファイルあり>> <該当オークションページ(外部リンク)> <該当オークションページ(キャプチャ画像)> <<画像ファイルあり>> 我輩の脳内には過去に撮った膨大な写真のインデックスが納められているため、一目見ただけでその画像が我輩のものかどうかというのが判る。画像加工で誤魔化そうともムダだ(<ジー コーポレーション>の件でも述べた)。 出品者は古物商許可証を取っている業者らしく、神奈川県の「ハナマル」という。以下にその業者の情報を挙げておく。 オークションID wchinazz2007 会社名 ハナマル(ハナマル) 代表者 山本 震 本店住所 210-0828 神奈川県川崎市川崎区四谷上町11-12-202 業務地 210-0828 神奈川県川崎市川崎区四谷上町11-12-202 電話 044-271-2612 ファックス 044-271-2612 メール wchinazz@ybb.ne.jp URL なし 担当部署 販売係 担当者 山本 眞澄 やまもと ますみ 営業時間 AM 9:00-PM 5:00 会社概要備考欄 定休日: 土曜日、日曜日 祝日 免許情報 第452510000881号/神奈川県公安委員会 古物商許可証 我輩は直ちに相手方へ抗議のメールを送信したのだが、それに対する返信は無く、しばらく様子を見ていたところ、翌日になってそのオークションは取り下げられたのを確認した。 相手からの言葉が無いだけに、相手がこの件に関してどう思っているのかは全く分からないが、全くけしからんことだ。 防止策としては、一般的には画像隅に署名を入れるなどの方法が考えられるが、ハンドルネームでは著作権を主張する効力が無いため、その方法は単に「画像を汚しておく」という意味でしかないし、トリミングされれば元も子もない。 そもそも、これまでの膨大な画像に署名を入れるのは大変な労力であるし、JPEG画像を保存し直すと画像劣化が激しくなる。それを避けるために元画像から再度加工するとなれば、それこそ途方も無い作業量となるので不可能。 ●ネットオークション出品写真について ネットショップやネットオークションで使われる画像について調べてみると、下記のことが分かった。 ネットショップやネットオークションに使われる写真は、2つのパターンがある。 1つは、新品販売で使われる「不特定売買の写真」。 もう1つは、中古販売で使われる「特定売買の写真」。 新品販売で使われる写真は、実際に販売され消費者に渡る品物とは異なるものである。それを「不特定売買の写真」と呼ぶ。 もしその商品写真に写った製品のシリアルナンバーが写っていたとしたら、実際に買う製品のシリアルナンバーは異なるはずだ。つまり、1枚の商品写真は、実際の製品数千個・数万個の代表写真である。 よく、カタログ写真で「写真は実際の製品とは仕様が異なる場合があります」とか「写真は国内仕様のものではありません」という但し書きが入っているものはよく見る。場合によっては試作品を撮ったものもある。 消費者の購入意欲を高めるため創意工夫を凝らして撮られることから、画像は表現物としての価値を持ち、一般的には著作権が認められる。 それに対し、中古販売で使われる写真は、1点物である品物を説明するため、現物を撮った写真となる。それを「特定売買の写真」と呼ぶ。 製品にキズが入っていれば、写真で確認出来なければ問題となる。だから、同じ型番の製品を複数台売るにしても、中古であれば1点1点状態が異なるので、それぞれに対して撮影した写真を掲載せねばならない。 製品の状態を正確に伝える意味からも、表現物としての価値を持たせることは出来ず、一般的には著作権は認められない。 さて今回、オークションの出品業者に画像を盗用されたことに関して、出品物は中古品と明記されていた。 通常ならば「特定売買の写真」としての現物写真を使わねばならないケースである。だが業者は、我輩の撮った写真を盗用した。そうなると結果的に、我輩が所有している「MINOLTA FLASHMETER VI」を売るという形になってしまう。 これは大きな問題だ。写真盗用というよりも、窃盗未遂ではないか。我輩のあずかり知らぬところで我輩の「MINOLTA FLASHMETER VI」を売却しようというのだから。もちろん業者にはその意図は無いだろうが、だとしても入札者に対する詐欺行為である。 確かに、このオークションでは説明文章で中古の状態を記述していることから、暗黙知として「写真は不特定売買の写真だな」ということが成り立つかも知れない。 もしかしてこの業者は、我輩の写真をメーカーが撮った写真と見誤ったか? それは我輩にとって光栄だが、中古売買業者が商行為で行なっている以上、メーカー写真と言えども無断使用は出来ないはず。 適当にWeb検索して出てきた画像の中からそれっぽいものを引っ張ってきたのは間違いないのだから、まことに杜撰(ずさん)でいい加減な商売だと言わざるを得ない。本業も推して知るべし。 ●我輩の写真の著作権について 7年ほど前、我輩は勤務先の業務に於いて、客先の製品のパンフレットを作成するにあたり、製品現物を借り受けて写真撮影をしたことがある。 その後、客先から「他の案件で製品写真を使いたいので画像を提供して欲しい」との要望があった。 製品は客先のものであるから製品写真を使いたいというのは理解出来るが、後々著作権の問題で揉めることを避けるためにも、写真を撮った我輩自身(つまり写真の著作者)はどうすべきか、そして何か気を付けるべきことは無いのかを確認するため、社内の知的財産関係の部署に相談してみた。 すると、「誰が撮っても同じように写る写真には著作権は存在しない」と言われた。 我輩はその言葉に驚いた。 我輩は、被写体が何であろうと、それとは別に、撮影技術や手間そして経費に対して一定の評価が与えられるものと思っていたのだ。つまり、写真の著作権は存在すると。 しかし、そういう我輩の個人的心情とは別に、法律的な解釈としては、「思想の表現を表わす創作性が無ければ、写真の著作権は認められない」とされるのである。 これは、我輩の写真趣味を全否定するにも等しい内容である。 もちろん、製品パンフレットの件については業務上の問題ではあるが、我輩が趣味の範囲で撮影する写真にも繋がる問題なのだ。 我輩はこれまで、被写体そのものを愛すことが写真の本質であると信じ、撮影者の個性や気配を写真から出来るだけ消し去ることだけを至上命題としてきた。正方形フォーマットを選択したのも、縦位置や横位置さえ撮影者の意思が感じられるからだ。 写真を観る者(自分自身を含め)に、これが写真であることを意識させることの無いよう、情報量(色深度と緻密感)にも拘った。 そのために必要な努力は、作為を込めた写真とはまた別の種類の苦労や努力が必要であった。 具体的な撮影内容を言うならば、「商品撮影」、「地質巡検撮影」、「鉄道・自動車撮影」などである。 観る者に、技法を凝らしたとは意識させず、あくまでも被写体そのものに関心が行くように、そして陰になる部分が無く色再現性の高い正確な描写が、我輩にとっての目指すべき写真であるのだ。 被写体そのものを愛すからこそ、違う色に染めたくない。全てを正確に写し込みたい。ただただ、そう願っていた。 目指すのは、図鑑に載っているような写真、あるいは絵ハガキに使われるような写真である。 そしてそういう写真こそが、時代を貫き存在し得る写真作品であると考えた。 しかしこれらの努力は、著作物という側面から見れば、全く逆効果ということになる。 我輩が追求する「撮影者の個性や気配を消し去る」ということは、つまり「写真の創造性を消し去る」ということに他ならない。 実際の撮影では、あらゆる技術を駆使して、あらゆる努力と費用を注ぎ込み撮影した写真なのだが、その苦労を感じさせないほどに普通に写るようにしたことが裏目に出たのだ。 真っ直ぐなものを真っ直ぐに写すこと、赤い色を赤いままに写すこと、そのように普通に写すということは意外に難しい。なぜなら、「まぐれ」というものが無いからだ。 芸術写真ならば、真っ直ぐなものが曲がって写り思いがけない写真になったとしても、それが心に響くものがあれば良かったりする。しかし我輩の場合、真っ直ぐなものを真っ直ぐに写らなければ、それは失敗写真である。 (※"真っ直ぐに写す"というのは例えであり、実際に我輩が真っ直ぐな写真を求めているという意味ではない) このように、我輩の撮る写真は著作権の認められない方向性なのだ。 では何を問題とするのだろうか。 それは、我輩の心情的問題である。 確かに、我輩の写真はいずれは人類共有財産及び文化遺産として使われることを希望しているわけだが、自分が存命中のうちに写真を無断で使われるのには抵抗がある。 なぜなら、撮影にかかった努力や苦労や費用は、撮影者が生きているうちは消化出来ないからだ。 人間は、妨げとなる障害を乗り越えて行動を起こす。それが出来るのは、見返りがあるからに他ならない。苦しくても努力するのは、努力の結果として得られるものがあるからだ。もし苦労だけがあって結果的に何も得られないのであれば、誰も行動しないだろう。 せっかく努力したのに、その苦労を認められないどころか他人の手柄にされるのであれば、自分の存在する意義すら失われる。 自己の存在を否定されるということは、法律を越えてまでも抵抗せねばならぬ問題だ。法律で決まっているからと言って「ハイそうですか」とはいかない。断固として闘い、権利を勝ち取らねばならぬ。 いや、我輩だけの問題、個人だけの問題ではない。ひいては社会秩序すら失いかねないことだ。 努力が認められる世の中でなければ、行き着く先に光は無い。だからこそ、写真の盗用には断固抵抗するのである。 ●工業所有権について 我輩は、趣味でカメラやクルマ、モデルガン、腕時計などの工業製品を写真に撮っている。 それらについては著作権が認められない可能性があると述べた。背景を無くし、ライティングを整えて商品撮影的に撮ったならば、それは創作物としての個性を失い、写真作品としての著作権の主張を難しくするのである。 だが話はそれで終わりではない。 商品そのものには工業的な意匠が存在し、"工業所有権"として保護されているのである。 例えば、「Nikon F3」を所有する消費者が、それを写真に撮ってWeb上で公開したとする(つまり我輩だが)。 その場合、「(株)ニコン」という法人が「Nikon F3」という工業製品についての意匠権を持っており、我輩がその製品を勝手に撮ったことで意匠権に抵触したとみなされることも有り得る。 <勝手に撮って勝手に掲載したNikon F3の写真> <<画像ファイルあり>> もちろん、メーカーに撮影許諾を受ければ問題は無い。 しかし一旦その作業をやり始めたら、今までの写真を全て掘り返して許諾を受けねばならなくなるし、それ以降は1枚撮って掲載するごとに許諾を受けねばならなくなってしまう。1枚でも漏れがあれば、許諾を取っている意味が無くなってしまうのだ。やるなら全部やるしかない。 調べてみると、写真1枚1枚ではなくWebサイト全体に対して許諾を求めた者も一部にはいるようだが、印刷物のように内容が固定したものならばともかく、Webサイトやブログのような日々追加更新される媒体では、やはり写真1枚1枚の許諾を受けねば意味が無い。 そもそも、該当メーカーも「Nikon」、「Canon」、「PENTAX」、「OLYMPUS」、・・・と数々ある。カメラメーカーだけでなく、フィルムや用品メーカーなど多岐に渡る。 また、後から「それは撮影許諾を取っているのか」と言われた時のために、許諾の記録を管理しておかねばならない。ただし画像が特定出来るようにしなければどれに対して許諾を受けたか分からないので、理想的には、該当する画像をプリントアウトし、それに許諾の署名捺印してもらうほうが確実。 「作業が大変であってもそれが筋というものだからやるべきだ」という意見もあろうが、Web上のほとんどのサイトやブログではメーカーの許諾を取っているとは謳っていないだけに、なぜに我輩だけが・・・という気持ちにもなる。 考えてもみろ、例えばドライブに行ってクルマを入れて記念写真を撮り、それをブログに掲載するためにいちいちメーカーに許諾を受けねばならんとは。背景の中にたまたま写りこんだわけではなく、それを狙って撮っているのだから法的には引っ掛かるはず。 証明写真も困るぞ。メガネを掛けてたりすれば、メガネのメーカーに許諾を受けねばならなくなる。衣服も法的解釈は微妙ながらも個性的な意匠が強いものだけに、脱いで撮ったほうが無難。 ましてや鉄道写真など完全にアウトになってしまうぞ。これなどは自分が所有する車両ではないのだから、撮影時と掲載時にそれぞれ許諾を受けねばならない(撮影時は車両所有者の鉄道会社に、掲載時は車両意匠権を持つ製造メーカーに許諾を受けることになる)。 メーカーも大変だぞ。 毎日毎日、世界各国からの許諾申請が入るため、専用の部署を設けて対応に当たらねばならない。 大企業ならば効率化のためにWeb申請のシステムを導入するだろうが、それでも画像を人間の目で見て判断することは不可欠となる。 だが、現実にはそんなことがあるはずもない。 もちろん、営利目的で撮影される写真ならば何かしらの規制を受けるべきだろうが、我輩のように個人が非営利で撮影・掲載する写真について、現実的には規制を受けるとは思えないし、他の無数のサイトを見渡せばメーカーに黙認されていることは明らかである。 よって、我輩の非商用利用の撮影行為に関しては、法的な問題はクロだが、現実的には無問題と言える。もし問題があるとすれば、世界中の老若男女のウェブマスター及びブログ/SNSユーザーに手錠がはめられることになろう。 ●結局のところ 今回のことで、著作権に関する法律解釈によれば「創作性が見られず誰でも同じように撮れる写真に著作権は存在しない」という判断が一般的だということが分かった。 これに則れば、先日北陸の雄島で写した柱状節理の写真も、著作権は認められまい。なぜならば、険しい崖から覗き見るため撮影ポイントはほぼ限定されており、誰が撮っても同じアングル/フレーミングとなる。極端なシャッタースピードやカラーフィルター、月夜での長時間露光などの工夫をしない限り、誰が撮っても同じような写真になることは避けられないのだ。 <著作権が認められないであろう雄島の柱状節理の写真> <<画像ファイルあり>> そうなると、この写真が旅行業者のパンフレットに無断転載されても文句は言えないということになる。著作権の無い写真だから法的に問題無いのだ。 (※法廷では著作権の判断は個別に為されるだろうが、ここでは最悪のケースを想定している。) しかし法律以前の問題として、これを撮るまでに2度訪れ数時間寒さに耐えたことの苦労はどうなる? Web上からワンクリックで手軽に画像を転用することが許されるのであれば、現場に行って写真を撮りに行く必要も無い。わざわざ現場に行った我輩がバカだったということだ。 商品撮影にしても、自分で現物を買い、それを写真に撮っている。もちろん、写真を撮るためだけにその製品を買ったわけではないが、少なくとも自分の所有物の写真である。 それに対し、製品も買わずに画像だけを拝借して利用する者がいても無問題というのは、常識的に考えておかしいではないか。 結局のところ、著作権に関する法律そのものが間違っているとしか言いようが無い。 法律というのは、人間社会の秩序を守り、発展を促進させるためのものであると我輩は思っている。努力に応じた見返りが無ければ、誰も努力などしないし発展も無い。 もちろん"悪法も法"ではあるが、法律は変えることが出来る。調べてみると、著作権改正に関わるパブリックコメントの募集をしていたことがあるようだ。今は募集していないようだが、次にその機会があれば何かアクションを起こしてみたい。 法律が改正されるまでの間は、画像盗用などが起こるたびに大騒ぎして人の目に触れるようにし、我輩なりの問題提起を行っていきたいと思う。 そういう意味で、我輩の画像を盗用しようとする者は、覚悟して欲しい。 <参考> 著作権が主張出来ないことが確実な写真の例 <<画像ファイルあり>> この写真は、過去に我輩がオークション出品用に撮影した写真である。単なる説明写真ゆえに創作性が無いことはハッキリしており、著作権が主張出来ないことはほぼ確実。これがどんなに手間を掛け苦労して撮った写真であったとしても関係無い。 よって、この画像を無断転載されようとも、文句は言えても法的手段は取れないことになる。 (2010.06.01追記) 「写真置き場」コーナーにて、写真提供をする方針を立ててみた。 ---------------------------------------------------- [697] 2010年07月19日(月)「公約を実行出来ない民主党」 去年2009年、長らく続いた自民党政権が、衆議院選挙で民主党に大敗した。政権交代の歴史的瞬間であった。 そしてその時、我輩以外の日本人は皆、未来への希望に心を躍らせた。 選挙前の民主党は、「高速道路の原則無料化」とか、「ガソリン税減税」とか、「子供手当支給」とか、様々な選挙公約(マニフェスト)を打ち出し、それらに賛同した有権者から票を集めた。 ところが、いざ民主党が政権を取ると、現実の問題が次々に浮上し、公約の実現には至らなかったものがあまりに多い。 我輩以外の日本人が、民主党の公約実現を期待したからこそ選挙で民主党を勝たせたというのに、公約が実現できない民主党に、いったい何の存在理由がある? ・・・・・ さて、デジタルカメラは現在、1,000万画素のあたりが主流となっている。コンパクトタイプ、ミラーレス一眼タイプ、一眼レフタイプと、それぞれにイメージセンサーの大きさに違いはあれど、どれも大体そういう状況。 ところが一般的に、画素数を増やしていくとノイズが多くなったりダイナミックレンジが狭くなる。それを嫌う者の中には、デジタルカメラが1,000万画素で頭打ちになることを望む者すらいる。 「画素数の高さよりも、ノイズの少なさを優先させたい。」 これが、彼らの主張である。 しかしながらノイズの問題が表面化するのは、コンパクトタイプデジタルカメラの本当に小さなイメージセンサー(1/1.8インチなど)の場合であって、一眼レフタイプのような比較的大きなイメージセンサーであればまだまだ余裕はある。それでもノイズが酷いと言われているのは、超々高感度領域での話。 例えば、1,200万画素機「Nikon D700」と2,000万画素機「Canon EOS5D Mark2」では、通常感度域でのノイズの優劣に顕著な違いは見られない。 そもそも、超々高感度が必要な場面がそんなにあるのかと問いたい。 そういう場合、銀塩写真時代であればストロボを使ったり、F1.2などの大口径レンズを用意したり、三脚で固定しケーブルレリーズで長時間露光したりしたもの。そうやってもなお、超々高感度でなければ撮影不能な状況があるのか? どうせまた、横着して撮ろうというのだろう。いかにもデジタルカメラ使いにありがちな発想だな。 それに、いくらノイズの少ない滑らかな諧調であっても、画素数が足らず全面モザイクになってしまえば、写真として不足がある。 <ノイズの乗った高解像画像> <ノイズの無い低解像画像> <<画像ファイルあり>><<画像ファイルあり>> 最近はパソコンディスプレイもフルHDタイプが当たり前のように売られているし、先日などSONYの4K解像度(4096x2160ドット)のディスプレイも目にしたが、1,000万画素がそのまま表示されていたのには驚かされた。そのようなディスプレイが当たり前の時代になれば1,000万画素ではギリギリで、トリミングは2,000万画素でなければ無理である。 我輩の正直な気持ちは、銀塩写真を絶滅の危機に追いやったデジタルカメラが、早々に画素数に見切りを付けるなどということを許すことは出来ない。あれほど「銀塩の画質(画素数)を越えた!」と喧伝していたデジタルカメラなのだから、最後まで筋を通して画素数にこだわるべきである。もしそれが出来ねば、公約を実行出来ない民主党のようだと呼ばれても仕方あるまい。 もちろん、デジタルカメラは画素数を公約にしていたわけではないが、銀塩カメラとの政権交代は、事実上、画素数の向上によってもたらされたものであることを忘れるべきではない。 それを考えると、もしデジタルカメラが少々のノイズを恐れて1,000万画素で頭打ちになるならば、何のために銀塩から政権を奪ったのだ?という話になる。少々のノイズがどうこう言うくらいの神経質であるならば、デジタルの色の浅さを問題にしないのは矛盾にもほどがあるし、むしろそちらのほうが致命的画質低下ではないのか。 デジタルカメラを選ぶのであれば、少々の画質低下よりも解像度としての情報量を優先させるべきだと我輩は思う。それこそが、銀塩を否定したデジタルカメラの存在意義なのだ。 画質に妥協出来なくば、今すぐにでも銀塩に戻れ。 ---------------------------------------------------- [698] 2010年07月25日(日)「EOS 5D Mk2の売却金が何に化けたか」 先日、フルサイズデジタル一眼レフカメラ「Canon EOS 5D Mark2」を売却して現金化したことについて、雑文689「Canon EOS 5D Mark2 オークション出品騒動」にて書いた。 そして最後に、「それまでこの金に手を付けぬままでいられるかどうかは、ハッキリ言って自信は無い。」と結んだ。 その予感は、やはり的中してしまった。 毎月の小遣いが1万円(本当は2万円だが、1万円は家計への借金返済に消える)の人間が20万円もの現金を手にしてしまうと、少しくらい何か他に使いたくなる。特に計算は無いが、漠然と2〜3万円くらいで考えていた。 そこで目を付けたのが、M16系のアサルトライフルであった。 しかし、M16は銃身長がかなりある。ロングレンジでの精密射撃ならばいざ知らず、室内での取り回しとなれば最悪。というわけで、銃身の短いカービンを探した。 そして選んだのは、「マルイ電動ガン・M933コマンド」であった。グリップやストックがTANカラーと呼ばれるベージュ色の限定バージョンで、ベージュ色好きな我輩は一目で気に入った。約2万円也。 <まず、アサルトライフル「M933コマンド」に化けた> <<画像ファイルあり>> それにしても、インターネットでの検索というのは、探そうとしているもの以外に関連情報も一緒に引っかかってくる。それが、場合によっては困ることにもなる。 今回は、「M933コマンド」をベースにしたショップカスタム銃「M933マグプル」を見付けてしまったのだ。これはグリップやストック部のみならず機関部やマガジンまでもベージュ色となっており、しかも樹脂製ではなくアルミ製。また、上部ハンドルが無くスッキリしたリアサイトも新鮮。 ところがこのカスタム銃の値段は約5万円で、もしこれを買うと、最初の2万円の買い物と合わせるて7万円の出費となる。さすがに20万円の軍資金からそこまで出すと、「Nikon D700」の後継機が発売されたとしても手に入れられなくなってしまう。 だが我輩は、ベージュ色のアサルトライフルに魅せられ、金の問題は後回しにしてそれを購入することとした。「D700」後継機などという無い物ねだりよりも、現実に存在する物のほうが力が強いということである。 <ショップカスタム銃「M933マグプル」> <<画像ファイルあり>> 結局、「Canon EOS 5D Mark2」の売却金の半分近くが、この2挺の銃に化けてしまったことになる。 残りは約13万円。さすがにこれ以上の浪費は抑えねば、せっかく手放したカメラが無駄になる。 ところで、「D700」後継機の話はどうなっている? 噂レベルの情報でも得ようかと、情報ブログや価格コムの「D700」の口コミを色々と読んでいた。 また、ウェブ上の複数の情報を追っていくと、D700後継機は来年になるまで出ない可能性が大きいということも感じてきた。 それにしても、現行機の「D700」の値段を見ると、最安でも19万円強。 発売から2年も経っているというのに、当時のキャッシュバックキャンペーンで18万円で買えたことを考えると、ほとんど値が落ちていないではないか。この値段で買うくらいならば、2年前のキャッシュバックキャンペーンの時に18万円で買っておいたほうが長く使えてお得だったろう。それは逆に言えば、今買うと損が確定するということでもある。損が確定しないようにするには、今さら「D700」を買わないことだ。 しかし、我輩の所有するレンズの中で一番期待される高性能レンズは「AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED」(参考:雑文643)なのだが、いまだにその実力が発揮出来ないというのは残念と言うほか無い。現状では、APSサイズ機「D200」で画面の中心部をトリミングしているようなもの。 画面の隅々まで利用可能なNikon製フルサイズデジタル一眼レフカメラが無ければ、このレンズの性能は活かされぬ。 そこで試しに、「D700」の中古相場を見ようと「J-カメラ:中古カメラ検索」で調べてみたのだが、17万円前後が最安となっていた。新品より2万円安いが、キャッシュバックキャンペーン時は18万円だったことを考えると全く割安感は無く、わざわざ中古で買う意味を見出せない。中古品で手に入れるならば、最低でも15万円くらいでなければ。 次にネットオークションを見てみたが、即決価格での最安ではこちらも17万円ほど。もちろん、即決価格設定の無い物件では10万円などと出ているものもあるが、オークション形式では値が吊り上がるので、その値段で落札出来るわけがない。結局は17万円前後の値段に落ち着くだろう。 かと言ってこのまま引き下がるのもシャクなので、試しに1件のオークションに入札してみた。 現在価格14万円台のオークション。 普通、オークションは終了間際に価格が吊り上がるものだが、我輩はまだ2日もありながらもいきなり16万円を突っ込んだ。早々に値を吊り上げて離脱するつもりである。競争相手の自動入札により競り合ったようだが、15万円で我輩が最高入札者となっていた。 (※ネットオークションでは、競争相手が現れても自分の上限設定までは自動的に入札する機能がある。この場合、値が上がっても16万円までは見ているだけで良い。) その後、競争相手が手動で高値更新を狙ったようだったが、我輩の16万円の壁が破れず15万2千円で引き下がった。 とは言っても、相手は終了2日前からいたずらに値を上げることを避けただけで、最終日ギリギリに再び現れ勝負をかけてくるに違いない。 ところがオークション最終日になってもまだ15万2千円のまま。我輩は、自分の突っ込んだ16万円が高値更新されるのを見届けたいのだが、なかなか入札が無い。 結局、そのまま、我輩が15万2千円でD700を落札してしまった。 信じられない・・・。 想像するに、最初から我輩が大金を突っ込んでいる、つまり本気を出していると競争相手が悟ったのだろう。2日前からこの状態では、値が吊り上がるのは必至。相手はそのことを感じ取って戦意消失したのだろうか。 いずれにせよ、この値段で落札出来たのなら文句は無い。アサルトライフルを買った残金と、その月の小遣い、そして多少の借金で何とかギリギリ買える。 こうして手に入れたD700は、程度もなかなか良く、よくもまあ15万2千円で手に入ったものだと改めて思った。 <オークションで入手したNikon D700ボディ (レンズは既存品)> <<画像ファイルあり>> けれどもよく考えると、このカメラに使う常用レンズを持っていなかった。 高性能「AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED」が活用出来るとは言うものの、それは図体の大きな超広角ズームレンズなのだ。オールマイティに使えるフルサイズ用の標準ズームレンズが必要になる。 仕方がないので、D200を売却してその購入費用としよう。 というわけで、「5D Mk2」が何に化けたのかという結論としては、下記の式のとおりとなる。 「5D Mk2レンズキット」=「M933コマンド」+「M933マグプル」+「D700ボディ」 ---------------------------------------------------- [699] 2010年07月26日(月)「D700を機軸としたデジタルカメラの再編(前編)」 「Canon EOS5D Mark2」は、元々「Nikon D200」の代替を目的として1年前に導入したものだった。 2,000万画素の圧倒的な情報量は素晴らしく、ハイビジョンビデオ撮影も唯一無二の存在感を示すに十分だった。 ただそうは言っても、さすがにフルサイズデジタル一眼レフは大きく重い。ちょっとしたメモ用途であれば「D200」でも十分で、しかもストロボ内蔵というメリットが活きる。 結局のところ、「EOS5D Mk2」はあくまでもハイエンドな撮影を担当するという位置付けとなり、「D200」と入れ替えることは出来なかった。 そういうわけで、引き続き「D200」を使い続けることになる。 ところが前回の雑文でも書いたように、先日、フルサイズデジタル一眼レフ機「Nikon D700」を導入するに至った。 「EOS5D Mk2」に比べて画素数が1,200万画素に低下し、しかもハイビジョンビデオ撮影も出来なくなったものの、内蔵ストロボや我輩好みの階調が得られ、しかも小気味良いシャッターフィールや操作感が快適で、更には高性能広角ズーム「AF-S 14-24mm F2.8G」の実力がようやく発揮出来ることになる。 ただ問題は、「D200」の問題であった。 今のままでは、「D700」は「EOS5D Mk2」の代替という位置付けとなるため、「D200」の役割は残り続ける。そうなると、「D200」は売却出来ないばかりか、2台のデジタル一眼レフカメラを使い分けるという難しさは解消されない。 これは、難しい問題である。 「D200」を売らずに残せば、「D700」用の常用となる標準ズームが手に入らず活躍の場を失わせ、ますます「D200」の依存度が高くなる。 逆に「D200」を売ってしまうと、些細なメモ撮影であってもフルサイズ「D700」の大きな図体を持ち出さねばならぬ。 もちろん、少し我慢して金が貯まってから「D700」用レンズを手に入れるという手もあろうが、そもそも「D200」自体は"軽量一眼レフ"と呼べるほどでもなくそれなりにズシリと重い。やはり、「D700」と「D200」との使い分けは、本当の意味で効率的とは思えない。買い増ししていった結果このような組合せになっただけのこと。 そこで、「D200」を売って「D700」用レンズを入手した後、残りの金で改めて軽量・安価なデジタル一眼レフを調達しようと考えた。そうすれば、2つのデジタル一眼レフカメラそれぞれの特長が明確になり、使い分けも意味を持つ。 「D200」の売却ならば、それを実現させるくらいの金は生んでくれるだろう。 細かいやりとりは省くが、ネットオークションにて「D200ボディ」は4万3千円、「AF-S 18-70mm F3.5-4.5G」は1万5千円で売却出来た。 手にした金は、合計5万5千円ほど(オークション手数料が引かれるため)。 しかし「D700」用の常用ズームとして考えていた「AF-S VR ED 24-120mm F3.5-5.6G」の中古も安くはなく、4万円弱をかけてようやく手に入れた。これでようやく、元々持っていた広角ズーム「14-24mm」、望遠ズーム「70-300mm」を加えて、「D700」を活用出来るレンズ環境が整ったことになる(70-300mmレンズの入手については雑文614を参照)。 <フルサイズシステム 14-24mm/24-120mm/70-300mm> <<画像ファイルあり>> これにて、フルサイズのシステム構築の問題は解決した。 次に、軽量デジタル一眼レフについてだが、残金は1万5千円ほどである。これで何が買えるだろう。 軽量デジタル一眼レフとズームレンズ(つまりレンズキット)を手に入れたいところだが、この条件ではなかなか難しい。確かに、金額的にはこの金額で引っかかる物件もあるにはあるが、どれも640万画素であった。 「D700」の1,200万画素でも少々不満であるのに、今さら640万画素など考えられぬ。 「J-カメラ:中古カメラ検索」で色々とメーカーを変えて検索を繰り返していたところ、OLYMPUSやPanasonicのフォーサーズ一眼レフカメラが目に止まった。 「これも一つの解決法か・・・?」 しかし色々と調査してみると、フォーサーズ一眼レフカメラであろうとも、APSサイズの軽量カメラと比較して、カメラの大きさにそれほど違いが無いことが分かってきた。その程度の違いならばAPSサイズの画質を望むし、NikonのD40Xなどを選べばフルサイズとマウントの共通化が図れる。 そもそも、我輩はフォーサーズにあまり良い印象を持っていない。あんな中途半端なフォーマットを選ぶようになったらおしまいだ。 ただそうは言っても、手元にある金は1万5千円。 これで買える範囲という現実を考えると、「Canon EOS-Kiss Digital N」のレンズキットくらいか。これならば800万画素と多少妥協はあるものの、640万画素よりは少々多い。 それとも、2万5千円くらいにはなるが、何とか金を工面して1,000万画素の「Canon EOS-Kiss Digital X」レンズキットとするか。 まさかこの我輩が、「Kiss」などというヌルイ名前のカメラの購入を本気で検討するようになるとはな・・・。 (・・後半へ続く・・) ---------------------------------------------------- [700] 2010年07月28日(水)「Nikon D700を機軸とした再編(後編)」 我輩はクルマを運転するにあたり、燃費計算や区間走行距離、そして所要時間の把握のため、メーターパネルの撮影を都度行なう。 所有車だけでなく、運転するクルマは社有車であろうとレンタカーであろうと、とにかく写真記録を残す。給油を行えば、その伝票もその場で撮影しておく。 最初のうちは「場所」、「時間」、「ODOメーターの数値」の3つをメモ書きしていたのだが、乗車降車の度に書くのが煩わしい。時にはペンや紙片が見当たらず、なかなか発車出来ないこともあった。またメモをパソコンに入力するのを少しでも怠ると収拾がつかなくなる。 ところがこれをデジタルカメラでメモ撮影するようになると、その問題が完全に解決した。カメラでメーターパネルを撮るだけで済む。 時計や距離数値はもちろん、外の景色も写り込むことで場所の記録も出来る。それだけでなく、燃料計や外気温数値も参考になる。 撮影したものはデジタルデータであるから、とりあえずパソコンに転送しておけば紛失することも無く、撮影時間でソートすれば順番に並んでくれる。気が向いた時にテキスト集計すれば良い。 しかしながらこの撮影では、画像のクオリティはそれほど高いものを要求しないにも関わらず、カメラの動作にはデジタル一眼レフ並のレスポンスが必要となる。 コンパクトデジタルカメラを使った場合、スイッチを入れてからウィーンと電動レンズが繰り出して撮影可能状態になるまで少々時間がかかるし、シャッターが切れるタイミングもまた遅い。結果的にそれが手ブレに繋がり、何度か撮り直しとなってしまうのだ。 だから我輩は、メーターパネルのメモ撮影にもデジタル一眼レフ「D200」を使う。 クルマに乗り込んでサッとカメラを構えてサッと撮り、そしてサッと出発する。図体の大きい点を除けば、デジタル一眼レフのレスポンスの速さは、メモ用途に最適と言える。 だが今回、「D200」を売却することになった。そうなると、代わりは「D700」となる。さすがに撮影能力は高いだろうが、あの図体と重さをメモ用途に使うのは現実的ではない。 そこで新たに、軽量なデジタル一眼レフカメラが必要になった。 我輩としては、中古カメラ検索の価格順表示で筆頭に現れる「Canon EOS-Kiss Digital」の値段は魅力だった。1万5千円で800万画素のレンズキットが手に入る。 いや、どうせならば2万5千円の1,000万画素にすべきか。 待て、そこまで行くならNikonにしたほうがマウントも統一されて良かろう。 確かに理想はそうだが、肝心の金が・・・。 我輩はこの思考状態を2週間ほど延々と繰り返し、色々と思い付いてはその度に検索を続けた。 「金さえあれば、こんな問題、すぐに解決するんだろうが・・・。」 その時思い付いたのが、通勤カバンに常備している「SIGMA DP2」の売却だった。 「DP2ならば3〜4万円で売れるのではないか? そうすれば金額の縛りも緩和され、自由な発想で機種選びの幅が広がることになる。 ところがこれは、新たな問題を生み出した。 DP2を手放すことになれば、その用途も同時にカバーするよう、携帯性をより一層追求せねばならぬ。 ・・・それはつまり、「Nikon D200」と「SIGMA DP2」2つの位置付けを兼ねるカメラが必要ということだ。 これは難題でもあったが、取り組む価値のある問題とも感じた。と言うのも、フルサイズ一眼レフが加わることにより、「ハイエンド撮影」、「メモ撮影(常用)」、「携帯性」と3台体制にならざるを得なくなってしまった現状について、ここで改めて「D700」を機軸として考え直し、それ以下のカメラをゼロベースで選び直すことで最適化が実現出来る。 そういうわけで、では改めて、必要とされるカメラの検討に入ろう。 「D200」の場合、速写性が求められるメモ用途、そしてレンズ交換によるオールマイティな撮影が求められていた。 そして「DP2」の場合、常に持ち歩ける携帯性と、APSサイズのイメージセンサーによるデジタル一眼レフに負けない画質が求められていた。 これらを兼ね備えたカメラとは? 金の問題がクリアされれば、導かれる答は早かった。 ミラーレス一眼カメラの「マイクロ・フォーサーズ」がそれだ。フォーサーズ規格の派生で、ミラーが無い分、フランジバックが短くなり、カメラがより小型に出来る。 店頭で実際に手に取ってみたところ、Panasonicの「LUMIX DMC-GF1」というカメラが好印象だったのだが、"LUMIX"に対する我輩の抱くブランドイメージは最悪。 とにかく浜崎あゆみのCMのイメージが強いし、ミーハーでシロウト騙しのカメラという印象しか無い。一眼レフでもないのに擬似的なペンタ頭をデザインしたエセ一眼レフの称号が"LUMIX"である。 だが、この「LUMIX DMC-GF1」はシロウト騙しの余計な造形は無く、起動も素早い。そしてシャッターも通常のスクェア型フォーカルプレンシャッターでシャキシャキと小気味良く切れ、その感触はまさに「カメラ」と呼ぶにふさわしい。 おまけにレンズ交換式であるからオールマイティな撮影にも使えるし、パンケーキレンズを選べば携帯性にも優れる。もちろん「DP2」より大きいのは仕方ないが、カバンに常備可能な範囲である。 心配なのはAPSサイズよりも一回り小さなイメージセンサーであるが、コンパクトデジタルカメラの1/1.8インチセンサーなどと比べれば十分に大きいと言えよう。また1,200万画素のため、「D700」との足並みは揃う。 まいったな・・・これは。 ちなみに、同じ位置付けのカメラにSONYの「NEXシリーズ」もあったが、あれは何をするにもメニューから選ばなければならず、カメラとして使うには難があり過ぎる。あれこそシロウト騙しではないか。 確かに従来の概念・常識を打ち破ったという意味では評価出来ようが、あのスタイリングは一目見て気持ち悪さを感じた。これは理屈ではなく我輩の直感である。どこかヤセ我慢をしてこのような形を保っているかのようで、非常に気持ちが悪い。 我輩は結局、この「DMC-GF1」を導入することを決定した。 新品での最安値は4万円前後。さらにキャッシュバックキャンペーン中のため、結果的に3万5千円になる。 中古も探してみると、マイクロフォーサーズ自体新しい規格なため、中古品の出物があまり無い。あっても3万円台と割安感はそれほど無い。買うなら新品か。 ところがネットオークションで探したところ、レンズキットからレンズを除いた未使用ボディのみが即決価格2万5千円で出品されているではないか。ボディカラーは赤だったが、元々赤やベージュなどの暖色系が好きなため、抵抗無くそれを落札した。 <DMC-GF1レッドボディ> <<画像ファイルあり>> 一方、レンズは2種類必要と思われた。 「D200」の用途で使う際には標準ズームレンズ、そして「DP2」の用途で使う際には薄いパンケーキレンズ、とレンズで用途を使い分けることにする。 最初は純正のPanasonic製レンズから選ぼうと思ったが、同タイプのレンズであればOLYMPUS製レンズのほうがコンパクトだと判り、両方ともOLYMPUS製を選んだ。同じマイクロフォーサーズ規格のレンズであるから、メーカーの異なる組合せでも使用可能なのが大きなメリット。 <OLYMPUS製標準ズームレンズとパンケーキレンズ> <<画像ファイルあり>> ズームレンズは「14-42mm F3.5-5.6」の中古をマップカメラで1万円ほどで購入。35mmカメラ換算24-84mmで実用に十分。 このレンズは金属マウント(単品販売用)とプラスチックマウント(レンズキット用)の2種類があるが、当然ながら中古ではプラスチックマウントのほうが安く、我輩が購入したのもプラスチックのほう。 沈胴レンズのため収納もコンパクトであるが、いたずらに電動ではないため、スイッチの入り切りでレンズが出たり入ったりすることも無い。手でズームリングを捻らないかぎり、ビクとも動きはせぬ。 試しにレンズが沈胴状態のままカメラのスイッチを入れてみると、「レンズを確認してください」とメッセージが出る。 <撮影状態と沈胴状態> <<画像ファイルあり>> パンケーキレンズのほうは「17mm F2.8」の中古をネットオークションにて2万円で購入。厚さ22mmでかなり薄い。 片手でスッポリ入るのだから、携帯性は「D700」とは比べようも無い。もっとも、我輩の手の大きさは野茂投手とほぼ同じ大さではあるが。 <パンケーキレンズを装着した状態ではかなりコンパクト> 内蔵ストロボはやはりメモ用途には重要となる。しかもこのストロボは割と高い位置にポップアップするので、何気にマジメによく考えられている。これがあのLUMIXブランドのカメラとは驚かされる。技術云々というよりも、カメラ的思想が入っていることを感ずるのだ。我輩は業界の詳しい事情など知らぬが、どこかのカメラメーカーとの提携があるのか、あるいはカメラメーカーの設計者を引き抜いたか。 <ストロボ内蔵でポップアップ位置も高い> <<画像ファイルあり>> さて、ここで「D700」と並べてみたのだが、さすがにかなりの違いがある。ここまで大きさが違うと、迷い無く明確な使い分けが可能となろう。 ボディ色の違いも、キャラクターの違いが反映されているように感じられてなかなか良い。 そういうわけで、これからは、デジタルカメラはこの2台体制で行うことにする。 <D700とDMC-GF1、互いに標準ズームを付けた状態の比較> なお、バッテリーについては、充電中に使えないというのは困るので、予備バッテリーを7千円で追加購入した。 いつもならば中国ROWAの互換バッテリーを買うところだが、Panasonicが最新ファームウェアで互換バッテリーを使えないよう対策してあるのでダメらしい。もし使えれば2千円だったのだが・・・。 まったく、こういう純正囲い込み商法は何とかしてもらいたい。バッテリーの安全性を保証するためであろうが、いくらなんでも7千円(これでも最安値)は高過ぎる。 まあともかく、改めて「DMC-GF1」を手に取ってみると、コンパクトなボディでもズシリと重い。電子的なカメラであることは間違いないが、なにかこう、メカニカルなものが詰まっているという印象があって写真を撮りたいと思わせるのが面白い。 近いうちに「D700」と共に試し撮りをしてみたいと思う。 ---------------------------------------------------- ダイヤル式カメラを使いなサイ! http://cam2.sakura.ne.jp/