「カメラ雑文」一気読みテキストファイル[601]〜[650] テキスト形式のファイルのため、ブラウザで表示させると 改行されず、画像も表示されない。いったん自分のローカ ルディスクに保存(対象をファイルに保存)した後、あら ためて使い慣れているテキストエディタで開くとよい。 ちなみに、ウィンドウズ添付のメモ帳ごときでは、ファイ ルが大きすぎて開けないだろう。 ---------------------------------------------------- [601] 「タダでも要らぬ」 [602] 「変革の予感」 [603] 「浄土平行き」 [604] 「スチルとムービー」 [605] 「PDA」 [606] 「部下が配置された」 [607] 「我輩の心が叫んでいる」 [608] 「2007年夏の帰省」 [609] 「浄土平行き(2)」 [610] 「運動会での撮影」 [611] 「巡り合わせ」 [612] 「株式会社 ジー コーポレーション」 [613] 「MAMIYA 645」 [614] 「2本のAFレンズの購入」 [615] 「部下が配置された(2)」 [616] 「コンパクトデジタルカメラのアキレス腱」 [617] 「次のコンパクトデジタルカメラ」 [618] 「Nikon COOLPIX P5100」 [619] 「Nikon COOLPIX P50」 [620] 「畑泥棒」 [621] 「今さら、Canon EOS-10D」 [622] 「Nikon D200の修理について」 [623] 「独裁体制確立」 [624] 「デジタルを認めない理由(1)−"画像"と"写真"」 [625] 「デジタルを認めない理由(2)−成果物」 [626] 「Nikon D700の導入について考えること」 [627] 「金のかかる趣味」 [628] 「動画撮影機能搭載デジタル一眼レフ登場」 [629] 「動画撮影機能搭載フルサイズデジタル一眼レフ登場」 [630] 「万人受けするキレイな写真が必要」 [631] 「夏の帰省日記2008」 [632] 「だがちょっと待って欲しい」 [633] 「手写(てしゃ)リング撮影の応用」 [634] 「見えない独占市場」 [635] 「OLYMPUS OM-4」 [636] 「赤城山」 [637] 「浄土平行き(3)」 [638] 「自分の殻を破れ」 [639] 「QP CARD」 [640] 「革命を応援してくれ」 [641] 「我こそ高性能デジタルカメラが相応しい」 [642] 「次期デジタルカメラ、NikonかCanonか」 [643] 「里帰り」 [644] 「ネーミングルール(Nikon編)」 [645] 「ネーミングルール(Canon編)」 [646] 「古い概念の呪縛」 [647] 「中古買取り価格」 [648] 「資料収集用途のレンズ」 [649] 「画像ファイル管理」 [650] 「人類の存在する意味(我輩の為すべきこと)」 ---------------------------------------------------- [601] 2007年05月19日(土) 「タダでも要らぬ」 先週、東京ビッグサイトへ出向き、ビジネス系の某展示会を見に行った。 言うまでもないが、そこでは多くの出展企業がブースを構えていた。 まだ時間が早かったせいもあり、入場者はあまりいない。もちろんそれなりに入場者はいただろうが、会場が広大なため少なく見える。そのせいか、歩いているとチラシやパンフレットを渡そうとする手が我輩めがけて何本も伸びてくる。 我輩も以前、何度かこのような出展社側でパンフレットを配ったりしたことがあるが、明らかに"通行人"という感じの入場者には無理に渡すことはしない。というのも、事前に得意先へ招待券を配り、訪問された担当者殿に出展内容をご説明するのが主な目的であった。 それに比べ、不特定多数が対象となる多くの企業では、あらゆる工夫をしてパンフ類の手渡しや名刺を入手しているようだ。 コンパニオンを並べて配らせるのもその一つの方法か。確かに、長身茶髪美女に囲まれてパンフレットを差し出されると、うっかり受け取りそうになってしまうが、同時に「簡単に受け取るとシャクに触る、男をバカにすんな」という気持ちも起こり、かなり葛藤する(結局は受け取るが)。 それからもう一つの方法として、ノベルティグッズのプレゼントがある。 あるブースをチラリと見ていたところ、コンパニオンが我輩に近付いて「アンケートにご記入ください」と用紙を渡してきた。このアンケートに名刺を添えて出すと、立派な折り畳み傘がもらえるとのこと。ちょうど、外は雨が降っていた。 我輩はしばらく考えた後、アンケート用紙をコンパニオンに返してしまった。 「傘は・・・いらんですわ。」 コンパニオンは微笑み、「それではパンフレットだけお渡ししましょうか?」と言ったのでそれを受け取った。 ハッキリ言って、折り畳み傘は要らぬ。 何しろ、実家から色々な種類の折り畳み傘が10本ほど送られてきたばかり。それらはジイちゃんが現役のお偉いさんだった頃に贈り物としてもらったものである。そういうわけで高級品が多い。 「高級であるから素晴らしい物」というわけでもないが、手を抜いて作られた合理化尽くしの傘に比べれば、丁寧な作りの傘のほうが丈夫で長持ちして使い勝手も良いのは当然と言える。その中から自分に合うものを1本厳選し使っている。だから、適当な傘をタダでもらっても嬉しくもない。 また、ボールペンや卓上カレンダーなどをノベルティとして配っている企業もあったが、正直言ってどれも欲しいとは思えない。タダでも要らない。 こちらは我輩の愛用しているボールペンのほうが安物かも知れないが、自分の指にフィットする形状及び求める書き味に適うボールペンは長い時間をかけて探し出したものであるから、それに取って代わるものがそうそう現れるものではない。 卓上カレンダーもまたそうである。特定の企業の物が使い易く、それを毎年使っている。 かつて景気の良い時代には、腕時計をもらったことさえあった。アップルコンピュータのデザインされたアナログウォッチである。これは、欲しい者が見ればかなりのものらしいが、自分に似合うデザインでないことと、何よりデジタル時計ではないということが気に入らず、結局は友人に譲渡してしまった。 現在、我輩には不足している物は無い。 なぜなら、不足している時点で充足を考える。そして、自分の本当に必要とするものを選んで買う。多機能化の時代の中で不要な機能を嫌うのは、必要な機能を極限まで突き詰めたいとする気持ちからである。 そしてようやく手に入れた物は、我輩にとって長く愛用する道具となるのだ。 そのためには、我輩は金や時間に糸目を付けない。 参考雑文雑文553「少数派の苦労」でも書いたデジタルウォッチについても、今もなお探している最中である。5千円程度の安物時計であっても、我輩にとっては50万円のロレックス以上の価値がある。もちろん、50万円払ってそのデジタルウォッチを手に入れようというわけではないが、どちらかもらえるというのであれば、50万円のロレックスをもらうよりも、この5千円のデジタルウォッチをもらえるほうがはるかに嬉しい。 (当然ながら、両方もらえるのであれば両方もらうだろう。その場合、ロレックスは道具として使わず換金するだけ。) カメラについても、我輩は自分の欲しい物は揃えてきた。よほど高価な物や稀少品以外では、欲しい物はもう手元にある。 もし、タダでカメラをもらえるようなプレゼント企画やイベントがあったとしても、全く関心は無い。いくら我輩が貧乏性と言えども、不要なものまで手に入れようとは思わぬ。 ただ、カメラの中でもデジタルカメラは少し事情が異なる。 我輩の欲しい物が、現実の製品として存在しないのだ。 先日、「RICOH GR-D」のCCDにゴミが乗って修理に出したのだが、それをきっかけにして「もっといい製品があったら買おうか」と思い始めた。実際、「RICOH GR-D」もかなりの不満がある。 ところが、どの製品を見ても、買い換えるだけの価値が無いものばかり。まさに、タダでも要らぬカメラばかり。もし本当に欲しいと思わせるようなデジタルカメラがあったならば、それこそ金に糸目を付けず、借金してでも手に入れるのだろうが・・・。 デジタルカメラの市場には、いつもイライラさせられる。 恐らく、デジタルカメラを使っている人間の多くは、カメラや写真を趣味としない一般人の割合がかなり大きいに違いない。そのことは、自分の周囲を見渡してもすぐに分かる。 何しろデジタルカメラはランニングコストがかからず現像処理も不要、そして小型化も著しい。そんな気軽な道具が写真人口の裾野を広げたわけだが、結果として「タダでも要らぬ」という層が減り、「タダならどんなカメラでもいい」という層が増えたため、とにかく安く、こだわりの無い製品しか発売されなくなったと思われる。 この状況、何とかならんのかデジカメ業界・・・。 ---------------------------------------------------- [602] 2007年05月20日(日) 「変革の予感」 我輩は複数のパソコンを所有し使っているが、それは複数の処理を無理なく同時に作業するためであった。 例えば、一つのパソコンでビデオのエンコードをしている間、もう一つのパソコンで文章を書く、といった具合である。 これは主に、パソコンの処理に負担をかけないという意味があった。 ビデオをエンコード中に同じパソコンで他の作業をやると、ハードディスクのアクセスが追い付かずにエラーになるかも知れない。キャプチャ中であれば、確実にコマ落ちした。 ところがそれは一昔前の話で、今は最新のCPUやハードディスクの高速接続があるため、キャプチャでもコマ落ちはまず無い。 CD-RやDVD-Rの書込みの場合でも、かなり重い処理を同時にやっても書込みエラーにはならない。 そういうわけで、現在はメインとなる主力パソコン1台でほとんどの処理をまかなうようになった。 もちろん、写真やドキュメントのスキャンやバッチ処理ではサブマシンを使うことはある。例えば同じパソコン内ではフォトショップを2つ起動することは出来ず、バッチ処理をしている間は写真のレタッチが出来なくなるため別のパソコン上で処理せざるを得ないのだ。 しかしそのような例外を除けば、もはやメインパソコン1台で事足るようになっている。 そうなると、途端にパソコンのディスプレイが狭く感ずるようになる。 そこで導入したのが、デュアル・ディスプレイだった。左には1680x1050ドットのワイド液晶ディスプレイ、右には1280x1024の普通の液晶ディスプレイを配置した。 実を言うと、今この瞬間も、ビデオカメラの映像をキャプチャしながら文章を書いている。 もしこれが狭い1つのディスプレイであれば、裏側にキャプチャ画面を隠し、表側にテキストエディタ重ねて作業することになる。途中、キャプチャの進捗(しんちょく)が気になれば、隠れたウィンドウを表に出して見なければならない。場合によっては画面の再描画に時間がかかり、なかなか絵が見えないこともある。 ところがデュアル・ディスプレイならば、左側のエンコード画面をチラチラ見ながら右側のエディタで文章を書くことが可能なのだ。実に効率が良い。 また、左右のディスプレイではそれぞれドットピッチが異なるため、表示される文字や画像の大きさも違って見える。 それにより、文字を表示させるには、右のディスプレイのほうが文字が大きく読み易い。 反面、写真を表示するには、左のディスプレイのほうが大きなサイズの写真でも表示され、しかも緻密感が高い。 つまり、異なる仕様の2つのディスプレイを使い分けることにより、文字を小さくすることなく、そして画像を間延びさせることなく、それぞれに適した作業が可能となったわけである。 もし、画像ならば画像、文字ならば文字、というどちから一方の作業しかしない人間であれば、このような変則的なデュアル・ディスプレイは必要無かろう。インターネットブラウザを2つ3つと並べて表示させたいとか、写真を広く表示させたいなどという用途には向かない。 我輩は文字と画像を両方扱うため、このような環境となっているのだ。 しかし、パソコンの汎用性を考えると、やはり我輩のように文字や画像を両方使う人間は一般人にも多かろう。インターネットの情報を読んだりメールを書くために「文字」を、デジタルカメラの写真を観るには「画像」を取り扱うことになる。 我輩の場合、それらを同時にやろうとしているだけであり、基本的には一般人の用法と変わるまい。 ただし一般人は、質の違いに気付きにくく、改善したり向上したりという発想はなかなか無い(パソコンに慣れるだけで精一杯という面が大きい)。 さて、写真表示の件については、リバーサルフィルムを使っている者であれば感じていることと思うが、現在のパソコンディスプレイの表示は緻密感が無く、とても写真鑑賞に耐えられるものではない。 雑文559「スクロール鑑賞のすすめ」でも書いたように、画像の全てを表示させようとしてピクセル等倍でディスプレイに表示させると、画面を大きくハミ出してしまいスクロール無しでは見ることが出来ない。かと言って縮小表示(表示上の縮小)あるいは縮小処理(画像の縮小)をすると、画像そのものの情報量が激減することになる。 中には、緻密感を擬似的に補うためにシャープネス処理(ソフウェア的にアンシャープマスキングを施すなど)やコントラストを上げて誤魔化す者もいる。我輩などはその一人だ。 確かに、シャープネス処理やコントラストを上げたりすれば、色の境界線がハッキリするためメリハリが効いて解像感が増すように見える。解像感が増すと自ずと緻密感も感ずる。 しかしそれは錯覚であり、ジックリと観れば解像感や緻密感が無いことが判る。そもそもパソコン画面は四角いピクセル単位でしか表現出来ないため、ピクセルにまたがる色の境界線は混色で表現するしか方法が無いのだ。つまり、ボヤケる。それを無理にどちらかの色に揃えれば(ソフトウェア処理すれば)ボヤケが消えるが、色の境界線上の位置がズレてジャギーになったり、そもそもピクセルよりも小さな表現は潰れて見えなくなってしまう。 <<画像ファイルあり>> このような、橙色と白色で作られた画像があったとする。 (格子は1つ1つのピクセルを表す) <<画像ファイルあり>> このように縮小してみると・・・。 <<画像ファイルあり>> ピクセルをまたがる部分の境界線は橙色と白色との混色で塗り潰すしかない。 <<画像ファイルあり>> その結果、画像の輪郭はボヤケる。 <<画像ファイルあり>> 混色部分を飛ばすとシャープに見えるが、ジャギーや形の崩れが著しい。 <<画像ファイルあり>><<画像ファイルあり>> 元画像 → 縮小画像 これを防ぐには、何よりもディスプレイのピクセル表示そのものが小さく、高密度になる以外に無い。 雑文553「超精細ディスプレイ」では、200dpi(1インチの長さの線分上に200個のピクセルが並ぶ密度)だったが、これがさらに300dpiくらいになれば、少なくとも紙印刷程度の解像感が実現出来るはず。 さらに、印刷でも高精細なものはあるため、400dpiなどというものがあればそれはそれで違いを感ずるだろう。 もちろん、あまり細かくしても人間の眼では違いが分からなくなるという意見もあるが、サブリミナル効果などの例もあるように、意識上では分からない感覚というのもある。えてしてそういう感覚が、強く人間を動かす。 そういうことが理解出来なければ、人間に聞こえないはずの波長をカットした音楽CDやMDなどがアナログに比べて音が硬くなったと言われても、理屈の正当性を主張する人間が物事の真理に近付くことは無い(参考:雑文495「理屈」)。 閑話休題・・・話が少し脱線したが、とにかく、ディスプレイの画素密度が向上すると、写真を素直に表現することに繋がるのである(輝度と色数の問題は残っているが)。 <<画像ファイルあり>><<画像ファイルあり>> 通常ディスプレイではハミ出してしまう大きな元画像 → 高精細ディスプレイでの表示 <<画像ファイルあり>><<画像ファイルあり>> 通常ディスプレイではハミ出してしまう大きな元画像 → 通常ディスプレイでの縮小処理 そうは言っても、雑文553「超精細ディスプレイ」で書いたように、ディスプレイの画素密度が高くなると、文字表示が非常に小さくなり、目も疲れてくる。そうなると作業効率も低下する。我輩や一般人は文字と画像を同じパソコンで取り扱うため、その問題は非常に影響が大きい。特に一般人は問題を意識出来ないことから、漠然と「長時間パソコンすると疲れるなあ、眼鏡が合ってないのかなあ、それとも案外、イスが合ってないのかも」などと思うだけである。 そうなると、「パソコンで写真を表示させるというのは無理があることなのか?」と思ってしまう。 ところが今年になって、画期的とも言える「Windows VISTA」が発売された。 このOSが今までと決定的に異なる点は、文字やアイコンなどのGUI部品の取り扱いにある。つまり、ディスプレイ解像度の大小に影響されず、文字やアイコンを一定の大きさにするということが可能になったらしい。それはつまり、いくらドットピッチが小さくディスプレイの画素密度が高くとも、文字やアイコンが小さくなって見づらくなるようなことがない。 だから、どれほど超高密度な解像度のディスプレイが登場しても、文字やアイコンの大きさはそのままで、写真表示のみが緻密な画質となるのだ。 我輩は、現時点では「Windows VISTA」に触れたことがないため、その使い勝手は不明だが、少なくともWindowsの進化がそういう方向にあることは確信した。 高画質画像の表示と文字表示の共存。それは、我輩が以前から熱望していたことである。 今後「Windows VISTA」が普及するに従い、液晶ディスプレイメーカーやグラフィックボードメーカーがそれに対応するよう超高密度なディスプレイ環境を開発してくれることを期待する。ナノテクノロジーを駆使し、ぜひとも頑張って欲しい。 そしてゆくゆくは、1,000万画素のデジタルカメラ画像であっても、ピクセル等倍表示でありながら全体が見えるようなディスプレイが登場することを望む。 ---------------------------------------------------- [603] 2007年06月10日(日)「浄土平行き」 <注意事項> 旅の記録は、我輩自身にとって参考になる。今回の旅も、以前の旅の記録を読んで参考にしたほど。そのため今回の記録も、取るに足らぬことまで余さず書き留めることにした。そのせいで文章が非常に長くなっているので注意。 5月28日月曜日、職場からインターネットで「Yahoo天気予報」を見た。 東北の明日の天気は・・・晴れ。 現在我輩は、制作と営業をかけもちしている。そのため、納品や商談での外出と制作作業が重なると大変な忙しさになる。 しかしこの日は、納品作業も早めに終わり、制作作業も一段落した。ちょうど、雑文437「一つずつ」にも書いたように、ふと嵐が去ったかのような静かな状態だった。 そこで、何を見るともなく「Yahoo天気予報」にアクセスした。 「Yahoo天気予報」によれば、火曜日以降は雨や曇が続くようだ。この様子では、そのまま梅雨に突入する可能性もある。 ということは、火曜日が唯一のチャンスということになる。 「チャンス? 何のチャンスだ・・・?」 ふと我に返った。 どうやら、我輩は無意識に蔵王のお釜行きを考えていたようだ。 しかし蔵王のお釜は、まだこの時期には残雪が多かろう。今まで行ったうちでは一番早いのが6月中旬だったが、それでも残雪があった。今はまだ5月下旬。残雪というのは写真的には良かろうが、地形の観察・記録には適さない。 「ならば、もう少し南のほうか・・・。」 ふと、「吾妻小富士(あづまこふじ)」を思い出した。去年、蔵王のお釜へ行く時に、帰りに寄ろうと計画していたが挫折した場所である(参考:雑文585「蔵王のお釜(7)」)。 ここは蔵王のお釜と同じように火山地形である。どちらも火口の形状がハッキリと現れているのが共通している。吾妻小富士に水が溜まっていれば、さぞや蔵王のお釜にソックリだったろう。 そして、もし行くとすれば、吾妻小富士をはじめとする火山地形を一望出来る「一切経山(いっさいきょうさん)」への登山も避けて通れまい。 しかし、いくら蔵王よりも南方とはいうものの、福島県であるから遠いことには変わりない。車で行くと、片道4時間半はかかる。高速道路の空いた時間帯とETC深夜割引を考えると、やはり夜中に出発せねばなるまい。 そうなると、もはや「明日出発する」というよりも、「今夜出発する」という言い方のほうが近い。 準備も何も無い状態で、いきなり今夜出発するのか・・・? しかし、考えているだけではどんどん時間が経ってしまうため、とにかく段取りを進めねばならぬ。 行くかどうかは後で結論を出すとしても、まずは、行く前提で準備を進めておかねば、「いざ行く」という話になった時にはもう遅いのだ。 とりあえず、主任殿に休暇を取ることについて相談し了承を得た。客先にも、携帯電話のメールアドレスを伝え、チェックが済んだらメールで回答してもらうようにした。 今夜出発であるから、早く帰宅せねば。 実は、前回島根県に行った際にコンパクトデジタルカメラ「RICOH GR-D」のCCDにゴミが乗ってしまい、ゴールデンウィーク明けに修理に出していた。ちょうどこの日、修理が上がったという知らせがあったため、秋葉原で途中下車してヨドバシカメラへ寄った。 そう言えば、35mmカメラ用のフィルムの在庫が無い。ついでにそれも調達する。 改めて見ると、135フィルム(35mm判)は高く感ずる。撮影枚数が違うとはいえ、120フィルムの2倍の値段か。品名と値段を見比べながら色々と迷った。こうしている間にも時間は過ぎ、用意する時間がなくなってくる。 結局、一番安いと思われる「Kodak ELITE100(EB)」の3本入りを2セット購入。これは新製品のようだったが、特性が分からないのが不安(後日、DINAと同じものだと判明)。 帰宅後、風呂と食事を済ませた。 ヘナチョコ妻には「山に行くかも知れん」と言っておいたが、「まだ迷っている」とも付け加えた。 「朝起きて、もし我輩が居なかったら、出発したと思ってくれ。」 時計を見ると、時間は21時。 カメラなどの用意を始めたが、この段階でもまだ"とりあえず"の行動だった。何しろ、初めて行く土地でありながら下調べが十分ではない状態である。このまま行っても消化不良に終わる可能性が高い。せっかく高速料金やガソリン代などコストをかけて行くのであるから、準備万端で臨みたい。 しかしそうは言っても、せっかく取った休暇であるから無駄にしたくないという気持ちもある。それに、梅雨入りしてしまえばいくら休暇が取れても意味が無い。やはりこのチャンスは重要。 結局、準備と下調べを交互にやっていると、いつのまにか23時もかなり過ぎていた。 急いでベッドに飛び込み、目覚し時計を2時半にセット。睡眠時間が短いため、片道4時間半もの運転に耐えられるかが心配だが、まあ、起きられなければその時はその時。 しばらくして目覚し時計が鳴った。2時半だった。 音を止めた後、しばらく寝た。 「起きなければなぁ」と思いつつ寝たため、3時くらいにまた目が覚めた。 正直言って、眠い。 この眠気さえ無ければ淡々と支度を始めるところなのだが、起きて服を着替えたり車に荷物を積み込んだりすることは、この段階でもまだ"とりあえず"であった。 支度が一通り済んで少し気が抜けた。時計を見ると3時半。 どうする・・・? 行くか、それともやめるか。 行くと、運転がツライぞ。やめて家でゴロゴロしながら平和に過ごすか・・・? そうこうしているうちに、3時40分になった。 「うーむ、高速道路のETC深夜割引は4時までだったな・・・。とりあえず出発して4時までに料金所を通っておくか。そして近くのパーキングエリアでゆっくり考えよう。」 ETC深夜割引は半額近くになるため、その有り無しは大きい。 真っ暗な車内に入ってエンジンをかける。照明に浮かび上がったメーター類。いつもながら深夜〜早朝の出発は気分が高まる。修理を終えたばかりの「RICOH GR-D」を取り出して走行距離メーターを撮影。そして出発。 時間が時間だけに渋滞も無い。それでもインターチェンジに入ったのは、4時まであと2分というところだった。 東北道自動車道に乗った後、早速パーキングエリアに入った。そして、しばらく車を停めて仮眠をとった。 10分ほど経って目を開けた。空が明るくなってきていた。 眠気はあまり感じなかった。 「行くか」 今までの行動が全て"とりあえず"だったのだが、この時ようやく、行くことを決断した。 <<画像ファイルあり>> 4時20分の決断 その後、高速道路を北に向けて走った。 初めて車を運転して蔵王に向かった時は、途中1度だけパーキングエリアに寄っただけであった。しかし今回、無理をせぬようにと4回ほどパーキングエリアに寄った。 また、去年は福島県内で覆面パトカーに速度超過で捕まったため、速度には慎重になる。 福島西インターチェンジで高速道路を下りたのが7時半頃。朝食を食べるためコンビニエンスストアを探し、セブンイレブンに入った。 朝食として調理パン、そして昼食用にチキン南蛮を調達。「暖めますか?」と訊かれたが、昼まで時間があるので冷たいままとした。また登山用にいつも持って行くチョコレート菓子「スニッカーズ」を1本購入。 車内で朝食を食べ、30分後に磐梯吾妻スカイラインを目指して車を走らせた。 福島市内を抜け山道に入ると、ほとんど車がすれ違うことがなくなった。平日の朝はこういう状態か。 やがて磐梯吾妻スカイラインの高湯料金所に到着。料金は小型車1,570円。 磐梯吾妻スカイラインは、蔵王のエコーラインのようにクネクネとつづら折りで登って行く。ただ、そのクネクネは蔵王よりも緩いように思えた。 また、道の途中に停車出来るスペースが幾つかあるのが良い。 <<画像ファイルあり>> 磐梯吾妻スカイライン しかしながら火山地形の中に入っていくと、火山性ガスのため硫黄臭が強くなり、「火山性ガス注意 停車禁止」という看板が現れるため停車出来ない。停車出来ないため低速で走りながら景色を見ていたところ、後ろから観光バスが追い付いてきたのでスピードを上げた。 浄土平にはレストハウスがあり、大きな有料駐車場がある。 しかしインターネットによる事前情報から、この先に「兎平野営場」という場所があり、そこの駐車場が無料だということを知っていた。そのため浄土平を通過し兎平まで行って車を停めた。 時計を見ると、ちょうど9時だった。 <<画像ファイルあり>> 兎平駐車場(無料) 今回、用意したカメラ機材は下記の通り。 <中判カメラ> ・BRONICA SQ-Ai ・魚眼 35mm ・広角 40mm ・望遠 180mm <35mm判カメラ> ・MINOLTA α-707si ・超広角 17mm ・ズーム 24-105mm <デジタルカメラ> ・RICOH GR-D <その他> ・小型三脚 ・MINOLTA FLASHMETER-VI メインとなる中判カメラについて、山登りであるから軽い機材のほうが良いのだが、これまでの山登りの経験では、広角が50mm止まりのレンジファインダーカメラ「New MAMIYA-6」では画角が足りないことが多かった。そのため、40mmの広角レンズが使える一眼レフ「BRONICA SQ-Ai」を選んだ。 しかしそれでも足りない場合のため、35mm対角線魚眼レンズも携行する。ちなみに円周魚眼カメラについては、山の景色は円周でまとめるのが難しいため今回は使用しない。 35mm判カメラについては、ここでは中判のサブという位置付けのため、35mm判での撮影で手間取りたくない。というわけで、カメラ任せの撮影として必然的にAFカメラしか選択肢は無い。中でもマルチスポット測光が可能な「MINOLTA α-707si」は、露出計という役目でも有用なため、今回動員することとなった。 まあ、過去の実績から測光の信頼性は高いと感じており、忙しさの度合いによっては面倒なマルチスポット測光をせず完全にカメラ任せでも良いかも知れぬ。 中判のバックアップとしてはもちろん、行程記録や主要被写体周辺を含めた包括的な撮影をこのカメラでこなす。 デジタルカメラは、主に車の走行距離記録に使うが、その他にも、その場で役目を終えるような軽い用途で使う。例えば登山道の案内を撮影しておき、後で見たい時に役立てる。 また、露出で迷った時にはデジタルカメラの結果も参考にする。 さて、車から降りて荷物を整理しトレッキングシューズを履こうと思ったが、ここで重要なことを思い出した。 「トレッキングシューズを車に積んだ記憶が無い・・・。」 家で荷物をまとめていた際、トレッキングシューズは玄関の靴箱にあるため後回しとなり、そのまま忘れてしまったのだ。 「まずいな・・・、今履いているのは単なるウォーキング用のシューズか・・・。」 靴底は柔らかく、岩のゴロゴロしたガレ場では大変であろう。 観光スポットとして階段が整備されている「吾妻小富士」にはスカートの女性でも登っているようだが、「一切経山」となるとそれなりの装備が必要と思われる。 しかし、コストと時間をかけてここまで来たのであるから何とか登りたい。この靴でちょっと試してみるか。 それは今考えると、無謀なことであった。 昼までには戻る予定で、弁当は車に置いておくことにする。戻ってくるまでに温まれば食べるのにちょうど良い。 会社支給の携帯電話を見ると、"圏外"となっている。困ったな・・・。もし客先から連絡が入ったらすぐに納品準備の手配をしたいのだが。 浄土平のレストハウスに行けば電波が入らないだろうかと期待するが、実際どうだろう。 500mlのペットボトルも忘れていたようで、少し回り道になるがレストハウスで麦茶を買いに行った。 やはり、レストハウスでも"圏外"は変わらない。まあ、仕方無い。午後下山して福島市内で連絡を入れてみるか。 <<画像ファイルあり>> 浄土平駐車場とレストハウス 時間は9時半。レストハウスから吾妻小富士に背を向け一切経山に向かった。 途中、登山者カードの投函口があった。白紙カードを取り出してみると、記入項目がかなり多くとてもすぐに投函出来そうにも無い。 「まあ、次に訪問した時に記入済みのカードを投函するか」とそのまま白紙カードをポケットに入れた。 「ちょっと登って下りるだけだしな。」 <<画像ファイルあり>> 登山者カード投函口 そこからちょっと歩くと、一切経山への道しるべが見えてきた。 そこには周辺案内の地図看板が立っており、我輩はデジタルカメラでそれを撮影した。デジタルカメラならば、後で必要になった時に画像を呼び出して見ることが出来る。 道しるべの示す方向に歩いて行くと、やはり岩がだんだん多くなってきた。やはり、柔らかい靴底では歩きづらい。 <<画像ファイルあり>> 一切経山登山口 途中、石碑が目に入った。 石碑に刻まれた文字は途中が岩で埋まっており読み取れないが、日付の部分は読めた。 少し気になったので、手元にあった「東北の火山(築地書館)」をめくると、1893年6月4日に噴火調査に向かった技師2人が噴石に当たって殉職したとのこと。 これはその慰霊碑であった。 <<画像ファイルあり>> 慰霊碑 我輩が慰霊碑の写真を撮っていると、背後からチリンチリンと音が近付いてきた。見ると他の登山者だった。そう言えば、山では皆同じように熊よけの鈴(カウベル)を鳴らしていた。我輩も次は熊よけ鈴を付けるか。 そこからしばらく登ると、大きな口を開けた「大穴火口」と呼ばれる火口跡が見えた。ちょうど吾妻小富士が遠景にあり、構図としてまとまっているのが良い。先ほどの「東北の火山」にも、同じ構図の写真が載っている。 当然ながら、我輩も同様な写真を撮る。 殉職した技師2人は、ここの噴火で亡くなったようだ。また、1977年にも噴火が起こったという。 <<画像ファイルあり>> 手前の大穴火口と遠景の吾妻小富士 そこから更に登り坂が続く。岩が多いため足が不安定になる。トレッキングシューズを忘れたことが改めて悔やまれる。この時点ではまだ足が痛いということは無いが、靴が傷んできたことは感じる。 しかしまさか、靴底に穴があくことはあるまい・・・。 <<画像ファイルあり>> 一切経山への登山道 しばらく坂を登ると平坦な場所に出た。そこが山頂かと思ったが、まだ先があった。しかしながらこれ以上登るということは無く、平坦な道をそのまま歩き、最後に少し登って山頂に到達。時間は11時ちょうどだった。 山頂には誰も見えなかったが、向こうの方で人の声がする。 とりあえず三脚を立て、セルフタイマーで登頂記念の写真を撮る。そして人の声のする方向へ歩いた。 そこには、青い湖が見えた。五色沼と呼ばれる火口湖だった。 <<画像ファイルあり>> 五色沼 「こんちはー。」 我輩はそこにいたオイちゃんおばちゃん連中に挨拶した。 「こんちはー。」 向こうも挨拶を返した。 それにしても、五色沼の美しさはとても言葉で表すことはできない。 その感情は、見た目の色彩的なものから生じるのはもちろんだが、火山の力によって造られたということに対する興味深さも大きく影響している。 「昔はここから噴煙が上がっていたのだろう。」このように思うと、この青い水の下に何か大きなエネルギーが潜んでいるかのような気になる。 我輩がカメラを向けると、オイちゃんオバちゃんたちは「すごい、カメラ2台も持ってるわ。」と驚いていた。 レンズを換えながらしばらく撮っていると、いつのまにかオイちゃんオバちゃんたちはいなくなっており、代わりに中年夫婦がいた。 挨拶を交わした後、撮影を続行しようとしたが、その夫婦は五色沼をバックにして互いに写真を撮り合っていた。我輩は自分のカメラを下に置き、「シャッター押しましょう。」と申し出た。 普段ならば、我輩はこういうことはしない(参考:雑文035「シャッター押して下さい」)。なぜならば、自分がいいように利用されていると感ずるからだ。誰が好き好んで浮かれた観光者どもに関わりたいものか。 しかしここまでわざわざやって来るのは浮かれた観光者ではなく、本当に山が好きだからである。そうでなければ、苦労して登って来るはずがない。いや、登っては来れまい。 言うなれば、ここにいるのは皆が仲間である。だから、自然と声をかけた。 その後、再び五色沼の写真を撮り始めた。 35mm判ではもちろん、66判でも撮った。しかしウェストレベルファインダーを装着してあるため、どうしても足元の地面がフレーム内に大きく入り込んでしまう。そこで、アイレベルを上げるためにカメラを逆さまにして持ち上げ、ウェストレベルファインダーを見上げるようにしてシャッターを切った。これならば我輩の身長分の高さで撮影出来る。 しかもいつもは広角ばかりで撮っている中判であるから、今回は敢えて180mmの中望遠でも狙ってみた。 一切経山の頂上から望遠で見た五色沼もまた興味深い。 <<画像ファイルあり>> 五色沼対岸アップ ふと、五色沼の脇を人が歩いているのが見えた。 「うーむ、あそこは登山道なのか・・・?」 改めて「東北の火山」を読んでみると、掲載されている地図には登山道らしき点線が五色沼の脇を通っている。さらに、一切経山に登る前にデジタルカメラで撮影した案内地図の看板も見てみたが、やはり登山道が書かれており、しかもご丁寧にも区間ごとの所要時間も記入されている。 <<画像ファイルあり>> 登山道入口の案内地図 初めて蔵王のお釜に降りた時の感動が、再び甦った。 「美しい景色の中に、自分自身が入り込んでみたい。」 山頂から登山道が伸びていると思われる場所に行ってみると、確かに五色沼の方向に向かってロープが張ってある。上から覗き込むとかなりの傾斜。ほとんど「崖」と言ってもよい。しかし、少しずつ試しながら降りてみると、少なくともここから見える所までは何とか降りることが出来そうだと判断した。 11時40分に下降開始。 慎重に降りて行くがかなり緊張する。しかも上から見ている登山者もいた。 こういう場面では杖(トレッキングポール)があると便利そうに思う。 だが何とか崖をクリアし、少し平坦な場所に出た。そこから下では植生が現れ、林のようになっている。登山道と思われる道はジグザグ状に木々の間に続いている。さすがに疲れてきたが、五色沼がだんだん近付いてきているのが見えると心が躍るようだ。 ところが途中で、道が雪に埋まっているところに行き当たってしまった。 山の傾斜に積もった雪であるから、まるでスキーのゲレンデのような状態である。下手すると滑落して木々に激突するかも知れぬ。参ったな・・・。 ふと足元を見ると、雪には登山者の足跡がある。先ほど一切経山山頂から視認した登山者のものだろうか。雪の表面は少し硬いため、我輩の柔らかい靴底では、雪面に足場になるような足跡が付けられない。この登山者は登山靴を履いているからこそ、硬い雪面でもしっかりと足場を作りながら降りて行ったのだろう。 <<画像ファイルあり>> 硬い雪面 「ちょっと行ってみるか。」 恐らく足だけではなく手も使わねばなるまい。我輩は軍手を手にはめ、首に提げたカメラをザックにしまった。この状態が、我輩が出来る限りの戦闘状態である。 しかし今考えると、それは戦闘状態どころか、かなり無防備な状態であった。 我輩はゆっくりと、前にある足跡を足場にしながら歩いた。しかし硬い雪面というのは、同じ傾斜であっても地面よりも急傾斜に見える。足場となるべき足跡もだんだんと浅くなり頼りなくなってきた。仕方無く、雪面から出ている樹木や枝をめがけて滑り込んだ。尻を付けて滑ったためズボンが濡れてしまった。 ふと、前の足跡を見ると、杖の跡もあった。 「登山靴で杖を使っている者の後を付いて行くのは無謀だったか・・・。」 来た道を見上げてみたが、果たして戻る時にこの硬い雪面を登れるのだろうかと不安になった。 「くそっ、こうなったら最後まで降りるしかない。五色沼の向こうにも登山道が続いていたようだから、下まで行けば別ルートで戻れるだろう。」 今考えると、憶測で行動するなど危険極まりない。 もやは木の枝に掴まりながらしか降りるしか方法が無い。かかとで思い切り雪面に食い込ませようとしたが、柔らかい靴底がクッションとなって全く歯が立たない。 所々に笹薮があり、何度もそこに滑り込んだ。軍手もビショビショ、靴の中にも雪が入る。足首まで覆われたトレッキングシューズならば何でもないようなシーンなのだが・・・。 もうどれくらい下ったろうか。 下を見てもまだ雪面は続いている。もしかしてこれは、深刻な状況ではないだろうか? 今更になって、登山者カードを出さなかったことが気になり始めた。 時間は12時。 そろそろ腹も減ってきたが・・・、コンビニエンスストアで調達したチョコレート菓子「スニッカーズ」を車内に置いてきたことに気付いた。食べる物が全く無い。もしこの状態で何かあったらマズイことになる。 「まあ、いざとなればヘナチョコ妻が通報・・・、しまった、ヘナチョコには単に"山へ行く"としか言ってなかったな・・・。」 改めて携帯電話を見たが、レストハウスで受信圏外だったものが、こんな場所で受信圏内であろうはずがない。しかも、携帯電話の電池がもう切れかかっている(後で知ったが、圏外のまま電源を入れておくと、頻繁に電波を探すために電池消耗が激しくなるらしい)。 映画「ダイハード」では、ビルの屋上でピンチに陥った主人公ジョン・マクレーンが次のようなセリフを言う場面がある。 「神様、もう二度と高いところには登りません・・・(だから助けて)。」 我輩も思わずこう言った。 「神様、もう二度と無茶はしません・・・(だから助けて)。」 上を見ると、よくこんなところを下ってきたものだと、まるで人ごとのように感心する。逆に言えば、登ることは不可能と思わせた。やはりもう、このまま下るしかない。 目の前には、垂直に近い段差があった。ギリギリ飛び降りることが出来る高さだが、その先で滑り落ちてしまうのは明らかである。周りを見渡すと、木の枝が出ている所があったので、そこに移動して枝を掴みながら降りることにした。その先で滑ったとしても大丈夫なように、笹薮がある場所を目指して降りた。 枝の長さには限りがあるので、思い切って笹薮に突っ込んだ。 このような苦労が何度か続き、ふと見ると雪が途切れて登山道が見えていた。 「や、やったぞ・・・。助かった・・・。」 岩石がこれほど歩き易いとは今まで思わなかった。 とにかく早く降りてその先の道がどうなっているか確かめたい。迂回路があることが判れば、その時点で心から安心出来る。 少し急ぎ気味に降りた。ジグザグになっている道の、曲がり角を越えた先の景色を早く確かめたい。 何度か曲がり道を曲がったところ、急に樹木が開けて景色が広がった。そして、目の前に看板があった。 「立入禁止・申請者 福島県知事」 <<画像ファイルあり>> 立入禁止 「なにぃー! ここから先へ行くには福島県知事に許可を申請する必要があるのか!」 今から福島県知事に会いに行けるわけがない。第一、趣味登山の一般人に許可が下りるとは思えぬ。つまり、どうやっても立入禁止なのだ。 五色沼のフチまであと少しという場面で、このような予想外の光景が目に飛び込んでくるとは・・・。 この時の気持ちを正直に言うならば、「五色沼に降りられず残念」ということよりも、「後戻り出来ないぞ、どうするんだ?!」という焦りのほうがはるかに大きい。 それにしても、この先の立入禁止区域を歩いていた登山者というのは誰だろう? 察するに、この辺りを管理している山岳監視員ではないか? もしそうならば、仮に「立入禁止」を無視して進んだとしても見付かって非常にマズイ。 いやそもそも、見付かる見付からないの話ではない。立入禁止の場所に入って写真を撮ったならば、その写真は人目に触れてはならない後ろめたい写真となる。そんな写真を撮るために敢えて行く意味などあろうか。 結局、元来た道を重い足取りで戻るしかなかった。 再び現れた雪面の坂・・・。極端に言えば、来る時は滑り降りれば良かったが、今度はよじ登らねばならない。 雪面に手足をかけて登ってみるが、下手するとズリ落ちてしまい、ふりだしに戻る。雪面が硬いので指がかからない。とにかく、降りてきた道筋をそのままトレースするのは不可能。今度は登り易いルートを改めて探して進まねばならない。 こんな時に杖があれば少しは楽だったろう。もし無事に帰ることが出来たら、真っ先に杖を調達しようと思う。今は仕方無いので三脚の脚を雪面に突き立てて登る。しかし硬い雪のため、伸ばした三脚の脚が縮むだけで突き刺さらないこともあった。 そして本当に登れないような斜面では、笹薮を見つけてかき分けながら進んだ。 ふと、後ろが気になった。 登るのにこんなに時間がかかっていると、前を歩いていた山岳監視員らしき者が戻って来て我輩に追い付くのではないか? そうなると、一人こんな場所で雪面を登っている我輩は相当怪しい存在であろう。 我輩は後ろを振り返りながら、必死になって雪面を登った。後から思えば、山狩りで警察に追われているベトナム帰還兵ランボー(映画「ランボー」)の心境であった。 ズボンは雪にまみれ、軍手共々ビショ濡れ状態。一方、上半身は雪ではなく汗で濡れていた。暑いようで冷たいようで、とにかく大変な事態である。 そんな時、ふと横を見ると道が見えた。それは、最初に雪面を下り始めた地点だった。必死に登っているうち、いつの間にかその場所に到達していたのである。 「助かった・・・。」 しかしホッとする間も惜しんで道を登った。 何の収穫も無く引き返してきた最後の崖登りである。気力も何もあったものではない。ただもう、機械的に脚を動かしているだけ。 <<画像ファイルあり>> 最後の崖登り 12時50分。ようやく一切経山を登り切った。 しかしそのまますぐに山頂から浄土平へ降りる。早く車に戻って昼食にしたい。もう脚はガクガク。日頃の運動不足が良く分かる。 途中、分かれ道があり、来た道を戻るかあるいは「酸ヶ平(すがだいら)」と呼ばれる場所経由で降りるかで迷ったが、同じ道を戻るよりも新しい道を行くほうが気分も晴れて疲れが少ないと考え、酸ヶ平へと下って行った。 この道は酸ヶ平までは見通しが良く、勾配は緩くないものの、距離的には短く感じられた。 酸ヶ平の避難小屋を通り過ぎ、そこから木道に入った。 木道は非常に歩き易く、もうここからはピクニックの感覚で歩いて行けると思い、気も緩んだ。 <<画像ファイルあり>> ピクニック気分の木道 ところが少し行くと、木道は雪に埋もれ分断されていた。ここに来てまた雪に悩まされるとは・・・。 対岸は遙か向こうにあり目視出来ないが、とりあえずは雪面に足跡が残っており、それを目印に進んでみる。先ほど格闘した雪面よりも傾斜は緩いものの、気が緩むと足が滑る。 <<画像ファイルあり>> 雪で分断された木道 慎重に、慎重に、腰が引けるように歩く。こんな姿を誰かに見られたら少し恥ずかしい。もしトレッキングシューズを履いていたら、ガンガン足跡を付けながら歩いたのだろうが・・・。 100メートルほど下ったろうか、ようやく対岸の木道が見えてきた。あと少しというところまで接近して、何やら様子がおかしいことに気が付いた。 「これは・・・小川じゃないのか・・・?」 見ると、木道に雪解け水が流れ込み、見事な川となっていた。 <<画像ファイルあり>> 小川と化した木道 まあ雪よりはマシ、と靴を濡らしながらその小川を下った。 途中、木道も所々崩壊しており、最後にはごく普通の登山道となってしまった。 13時50分、ようやく浄土平に辿り着いた。 もう、ヘトヘトである。再びレストハウスでペットボトルのジュースを買い、しばらく休憩した。 「腹も減ったし、もう帰るか・・・。」 しかし目の前には吾妻小富士が待っていた。 せっかく来たのだから、ここでもうひと頑張りして吾妻小富士の火口跡を見て行くべきだ。そうでなければ、家に帰った後に後悔することになろう。そういうことは今までに何度も経験しているから分かっている。 我輩は重い足を引きずりながら、吾妻小富士の階段を上って行った。 <<画像ファイルあり>> 吾妻小富士 それにしてもこの階段は我輩にとって非常に登りにくい。 高い位置の丸太と低い位置の角材が交互に並んでいるが、丸太に足をかけて歩くと大股で歩くことになり疲労が増す。かと言って丸太と角材両方に足をかけると歩行のリズムが狂う。それならばと丸太をまたいで歩くと足を必要以上に持ち上げねばならずこれまた脚に負担がかかる。 <<画像ファイルあり>> 吾妻小富士の階段 それでも、吾妻小富士のほうは登山者ではなく一般の観光客が多いため、この程度の登りで息を切らしている様子を見られるのがみっともない。肉体の限界を感じながらも、涼しい顔をして頂上まで登り切った。 そこには、とても感動的な光景があった。 巨大なクレーターである。 <<画像ファイルあり>> 吾妻小富士火口跡 我輩は、しばらくその場に立ちつくした。 「こ・・・、これは・・・、まさに水の入っていない蔵王のお釜だ・・・。」 我輩はこれまで、蔵王のお釜には何度も訪れた。しかし湖の透明度が極めて低いため、湖底の様子について全く分からなかった。想像すら出来なかった。 しかし今回、吾妻小富士の火口跡を見て、イメージするための素材が得られたような気がした。 もちろん、両者の外見が似ているからと言って地質学的にも似ているとは限らない。しかし、これまで全く想像すら出来なかったということに比べると、このような具体的なビジョンを得られたことは大きな収穫であったと言ってよい。 これは、雑文600 「ゴールデンウィーク独り旅」にて、菅田庵近くで干上がった沼の跡を目にしたが、ちょうどあのような感覚である。 ところでよく見ると、火口底に何やら石を並べて作った文字のようなものが見える。 これは以前、どこかのウェブサイトでも書かれていたため、我輩も注意して見てみたのだが、確かに石の並びには人為的なものを感ずる。ただ、何と書いてあるのかは分からなかった。 <<画像ファイルあり>> 火口底の石を並べた文字のようなもの さて、本来ならばこの火口跡のフチの周りを歩く「お鉢巡り」をするものだが、とてもそこまでの体力は残っていない。残念だが、駐車場の車に戻って昼食とせねばならぬ。 下りは下りでまた大変だったが、身体全体で脚を動かしながらようやく降りた。 兎平までは800メートルくらいあり、歩くのが億劫だったが、誰かが車を持ってきてくれるわけでもないので前傾状態になりつつ歩いた。 途中、「桶沼」という看板があった。 「もう一つ湖があるのか? しかしもう限界だから見なかったことにしよう・・・。」 そう思って2〜3メートルほど通り過ぎたが、帰宅後の後悔を考えると、さらに無理をして「桶沼」とやらに行ってみることにした。 周りは樹木で覆われており全体が見渡せない。しかし山ではなさそうなため、それほどの体力は必要無かろう。ちょっと丘を登るくらいで大丈夫そうだ。 ところが、丘を登っていくとさらにその先が上り坂になっている。木々の枝が邪魔をしてその様子が下からでは判らなかった。 しかし今さら引き返せない。 途中、雪で道が埋もれている地点もあったが、木の枝に捕まりながらようやく登り切った。 しかしそれでも見通しが悪い。湖面がかろうじて木々の間から見えるという程度。 「こんなに苦労して登った結果がこれか・・・。」 我輩はここに来たことを後悔した。 <<画像ファイルあり>> 桶沼の看板 「し、しかしまあ、やらずに後悔するよりも、やって後悔したほうが何倍もマシだというのが我輩の信念であるはず。これでいいんだ・・・。」 我輩は自分にそう言い聞かせ、戻ることにした。 ところがふと横を見ると、木々の間に隠れるようにして小道が脇に続いていた。気になったので行ってみると、そこはすぐに行き止まりになっていたが、先ほどに比べると湖全体が見渡せた。 <<画像ファイルあり>> 桶沼全景 ※ 帰宅後、今回の写真を見返してみると、「小川と化した木道」で掲載した写真にも桶沼が写っていた。写真の左上に、緑に覆われたクレーター状の小山が写っているのがそれである。 そろそろ、本当に限界点に近付きつつある。もう本当に歩けなくなってきた。 そしてやっとの思いで兎平の駐車場まで辿り着いた。 時間は15時ちょうど。 すぐに車の窓を全開にしたが、車内は暖かく、弁当も暖まっていた。5時間以上も暖かい状態で放置していたため、これがもし夏場だったら腐り始めていてもおかしくない。 ちなみに、弁当と一緒に置いていたチョコレート菓子「スニッカーズ」はグニョグニョに柔らかくなっていた。 食後、しばらく後部座席に座ってグッタリした。 帰りは15時半くらいだった。 福島市内に入ってガソリンを満タンにした後、高速道路に乗って慎重に走った。何しろ、ペダルを踏む足がダルい。それに、去年蔵王へ行った時には福島県内で覆面パトカーに捕まった。最後の最後でヘマしたくない。 しばらく走っていると、車の流れが遅くなった。何だろうかと思っていると、前方に赤色回転灯が見えた。 近付いていくと、覆面パトカーが獲物を捕らえた直後だった。パトカーの後部には「パトカーの後に続け」との電光掲示板メッセージが見えていた。 <<画像ファイルあり>> 覆面パトカー その後、パーキングエリアに4回ほど寄り、なるべく疲れを溜めないようにして帰宅した。 時間は20時過ぎだった。 風呂に入り夕食を摂った後、今回の撮影済みフィルムをまとめたところ、120フィルムは8本、135フィルムは3本だった。一見、135フィルムが少ないように思うが、こちらはカメラの露出計を信用して段階露光を全く行わなかったためである。 ちなみにデジタルカメラの撮影枚数は132枚。うち、40枚は車の走行距離記録と到着場所の記録として使っている。 さて忘れてはならないのは、翌日は出勤だということ。 というわけで、その日は早めに寝た。 ところで、五色沼の立入禁止の件であるが、後日「浄土平ビジターセンター(レストハウス近くにある)」のほうに問い合わせてみたところ、この立入禁止は登山道のことではなく、脇道の保護区画についての警告ということだった。 つまり、五色沼のフチは普通に通行出来るとのこと。くそ、せっかく目の前まで行ったというのに・・・。 改めてインターネットで検索してみると、五色沼のフチで撮ったと思われる写真が幾つかヒットした。やはり今回は、事前調査が甘かった。 いずれにせよ、このままで済ますはずがない。 次回は必ず、五色沼のフチへ行く。 ---------------------------------------------------- [604] 2007年06月25日(月)「スチルとムービー」 ここ最近、豚児の幼稚園行事に行くことがあるが、父兄の撮影の様子を見ていると、ビデオ派とカメラ派がいる。 注意深く見ていると、父親はデジタルカメラ、母親はデジタルビデオカメラ、というような役割分担の家庭もある様子。我輩とヘナチョコ妻もそういう役割分担をすることがあるが、たまに「付き添いは父か母のどちらか1名」というイベントもあり、そういう時は「スチルかムービーか」という二者択一を迫られることになる。 考えてみればスチルとムービーは、「映像」という意味では同じものである。動くか動かないか。ただそれだけの違いしか無い。 デジタルビデオカメラ(Mini-DV)が一般向けに発売されるようになった頃、我輩もそれまで使っていた8mmビデオを捨てて「Victor GR-DV1」という機種を使い始めた(参考:雑文470「次のデジタルカメラ(前編:それまでの遍歴)」)。 <<画像ファイルあり>> Victor GR-DV1 このビデオカメラにはスチル撮影機能があったのだが、単純に静止画を一定時間だけテープに書込むというだけであり、静止画データをファイル化してパソコンに転送するなどということは出来なかった。 そもそもこのビデオカメラにはパソコンに繋ぐためのI/O(インターフェイス)が全く無く、出力はアナログのピンコードだけであったため、画像をパソコンで取り扱うためにはアナログキャプチャしか方法が無い。それならば、動画で撮影したものをキャプチャして、その中から最適な1コマを選び出せば良い話。わざわざスチル撮影するメリットが無い(参考:雑文560「デジカメ=デジカム」)。 その後、デジタルカメラのほうでムービー撮影可能な機種が現れてきたが、こちらはこちらでフレームレートが粗く、とてもビデオカメラの代用として使えるものでは無かった。恐らく、10fps(1秒あたり10コマ)程度ではなかろうか。 そもそも画面が小さく臨場感の欠片も無い。 デジタルビデオカメラもデジタルスチルカメラも、どちらもCCD/CMOSという電子撮像素子を使い、デジタル化された映像を扱う。それなのに、ムービーもスチルも同じように扱える統合したカメラが存在しない。もしそのような製品があれば、機材を減らすことが出来て好都合なのだが。 それからしばらく経ち、我輩が使ってきたデジタルカメラも結構な数になってきた。 現在使っているのは一眼レフ形式の「Nikon D200」とコンパクトタイプの「RICOH GR-D」だが、「RICOH GR-D」のほうは動画撮影が可能である。しかし購入後しばらくは動画機能を使うことは無かった。頭から「デジタルカメラの動画機能は使えない」と思い込んでいたためだった。 <<画像ファイルあり>> RICOH GR-Digital ところある時、遊び半分で動画を撮ってみて驚いた。動きが滑らかで違和感が無い。 撮影した動画はAVI形式に出力されたため、試しにそれをDVD編集ソフトで加工してみると、ファイル形式としてはDVD-Video化が可能なMPEG2となった。画面サイズも問題無い。 素晴らしい。 だが惜しいことに、画質がかなり悪い。 暗い場所ではノイズが激しく、またスミアがかなり強く発生してしまう。シーンによってはほとんど画にならないほど酷い。 <<画像ファイルあり>> RICOH GR-Dによる動画撮影(縮小) また、音声がモノラルで音がこもっている。せっかくの動画であるのにステレオの臨場感が無いのが残念。 しかもGR-Dは単焦点レンズである。ズームの無いビデオほど使えないものは無い。やはり、デジタルカメラ側でビデオ機能を持たせることは難しいのか? せっかくの小型サイズであるから、動画の画質が良ければ無敵だと思ったのだが・・・。 それからまたしばらく経ち、今まで使っていたビデオカメラ「SONY DCR-HC30」が故障した。液晶パネル側の録画ボタンとバックライト消灯ボタンが利かなくなったのだ。 修理の見積りに出すと、1万数千円とのこと。元々新品価格5万数千円だったものを1万数千円出して修理する価値があるかどうか。1年前にも別の故障で既に1万数千円かかっている。 しかも中古販売やオークション落札記録を見てみると、1万円〜2万円で手に入るようだ。 <<画像ファイルあり>> 故障してしまったSONY DCR-HC30 まあ、ビデオの中古品は可動部が多い製品ゆえに手を出すのは避けたい。この際、新品で安いビデオカメラを導入しようか。 もちろん、2年前に購入した同じ機種のビデオカメラが今も新品で売られているわけがない。似たような価格帯の、似たような大きさの製品を探すことになる。 ところが現在、ビデオ界ではハイビジョン化の流れが大きくなっている。ヨドバシカメラへ行っても、ハイビジョンの画質を比較するコーナーがあり、販売員もハイビジョンのビデオを強く勧めてくる。 見ると、機種によっては5万円台のものすらあるではないか。 ところが調べてみると、今のところハイビジョンの再生環境は整っておらず、将来的にもどうなるか不透明だという。現在、「ブルーレイディスク」と「HD-DVD」の2つの方式が次世代ビデオ規格として争っている。この選択を誤れば、再生環境を失ったハイビジョンビデオが残されることになる。 もちろん、両方式が共に廃れて全く新しい別な方式が登場する可能性もある。LD(レーザーディスク)などはその良い例である(LDはVHDに勝ったかのように見えたが、結局は広く普及する前にDVDに置き換わってしまった)。 また、ハイビジョンビデオの編集については、パソコン側にかなりのパワーを必要とする。我輩のCore2のCPUでもかなり厳しい。ハードディスクも相当な容量を用意しておく必要がある。もちろん、次世代ディスクのドライブや生ディスクも当然必要。 そうなると、出費はビデオカメラ本体分だけでなく、その何倍もかかることになる。どう考えても現実的な選択ではない。 そういうわけで、結局は従来方式のビデオカメラを探すことになったが、ハイビジョンカメラを候補から外すと選択肢が少なくなるのが悩みである。 カタログを集めて調べてみると、どうもMini-DVテープを使ったもの以外に「8cm DVD方式」や「HDD方式」があるようだ。これらのカメラの最大の特長は、カメラをパソコンに接続するとストレージとして認識され、動画ファイルのコピー作業で済むという点である。特にDVD方式の場合は、カメラをパソコンに接続せずとも撮影したDVDをパソコンのドライブにセットするだけで良い。 ただ、DVD方式は容量がかなり小さく、一方HDD方式では振動に弱い。 振動に弱いというのは、HDD方式は落下に備えたHDDヘッド待避機能が組み込まれており、小さな揺れであっても大きな衝撃の前兆と判断されてHDDヘッドが待避する。もちろん、バッファによって数回の待避は補償出来るようだが、連続した振動には無力とのこと。 この問題はWeb上で知ったのだが、それによると車載カメラとして使うには無理があるようだ。例えば高速道路の繋ぎ目を跨ぐ時の振動で記録が出来なくなるらしい。ユーザーがメーカーに問合せたところ、そういう使い方は想定していないとのことだった。 我輩は車載カメラとしてもビデオカメラを使っているため、HDD方式は用途に適さないと言えよう。 結局、実用的なのはMini-DVテープを使う従来のものかと思い始めた。 しかしテープを使う機種は、パソコンに取り込むのがネックである。1時間の映像をパソコンに転送するには1時間かかるのだ。しかも、ヘッドが汚れていたりテープがヘタっていたりしてノイズが入るとエラーになることがある。そういう場合は最初からやり直しである。 あらためてビデオカメラのカタログをめくってみると、メモリ記録方式のビデオカメラが目に入った。DVD方式やHDD方式と同じくMPEG2で記録するタイプである。 こちらはSDカードメモリを使っているため、現時点では最大4GBの記録容量である。それでもDVD方式に比べれば大きく、また可動部が無いためHDD方式のような悩みも無い。そして何よりカメラの大きさが非常にコンパクトである。 ただ、このタイプはあまり種類が無く、Panasonicから1タイプあるのみ。他のメモリ記録方式では、ハイビジョンタイプか「MPEGカメラ」と呼ばれる簡易ビデオタイプしか無い(簡易タイプではビデオカメラとしての基本的な仕様がどこか欠けている)。 唯一の選択肢であるPanasonic製「SDR-S200」だが、驚いたことに3CCDである。確かにPanasonicは3CCDがお得意なのだが、このようなメモリ記録方式のものまで3CCDとしているあたりが、簡易タイプとは一線を画す、ビデオカメラとしての生い立ちを示している。 また、200万画素程度(1920x1080ドット)のスチル撮影も可能で、そのためにストロボもポップアップで使えるようになっている。200万画素と言えばハイビジョンと同じくらいの解像度であるから、もしかしたらCCDはハイビジョン機と同じものを使っているのかも知れない。 いずれにせよ、3CCDのデジタルカメラは存在しないため(昔のMINOLTA製ではあったようだが)、どんな画が得られるのか非常に興味深い。 色々と悩んだ結果、この「SDR-S200」を購入。通販で6万5千円だった。 ちなみに、ヘナチョコ妻を説得するのに要した時間は1週間ほど。 <<画像ファイルあり>> Panasonic SDR-S200(ストロボをポップアップした状態) ネックは、コンパクトボディによるバッテリーの制限である。 通常のビデオカメラは、ボディが小さくともバッテリーは外側にハミ出しているため、バッテリーの大きさに制約は無く、長時間バッテリーも用意されている。我輩が今まで使っていたビデオカメラも長時間バッテリーを常用していたのだが、それを使うと4時間くらい平気で保つ。 ところがこの「SDR-S200」はバッテリーを本体内部に格納するタイプのため、バッテリーの大きさは1種類しか許さない。そのため1時間程度しか保たないのである。 しかしバッテリーの大きさとしては、デジタルカメラであるRICOH GR-D用のものよりも一回り大きい程度。これでビデオカメラを1時間駆動させるというのは、それなりに凄いことなのかも知れない。 それにしてもこの機種はあまり主流ではないため、そのうちラインナップから外れるらしい。メーカーのほうでも「在庫僅少」となっている。 メモリについては待てば待つほど値段が下がっていくため焦って買う必要も無いが、予備バッテリーのほうは早めに確保しておかねばなるまい。 <<画像ファイルあり>> 左:RICOH GR-D用/右:Panasonic SDR-S200用 操作系について、元々ビデオカメラというのはスチルカメラのように標準的な形状があまり無いため、同じメーカーの製品でもスイッチ類の統一性は無い。そのため、機種ごとに操作性も異なると考えた方が良い。 SDR-S200では、その形状から拳銃のように持つことになるが、人指し指の辺りに録画ボタンがあると自然に操作出来そうに思うが、実際には録画ボタンは背面にあり、人指し指の辺りには指当てがあるのみ。 もっとも、拳銃には暴発を防ぐためのトリガーガードがあるが、ガードが付いていないこの製品では誤作動を防ぐ意味でもこの部分にはボタンが付けられなかったのだろうと思う。 <<画像ファイルあり>> SDR-S200の背面 今まで使っていた「SONY DCR-HC30」もテープを使うビデオカメラにしてはかなりコンパクトだったためか、今回購入した「Panasonic SDR-S200」がコンパクトであるという実感が無い。しかし、ホールドした時に指が余ってしまうことからその小ささが分かる。少し余裕のあるズボンのポケットにも入る。 ちなみに、ファインダーは液晶パネル式のみで、接眼式のファインダーは無い。そのためか、液晶パネルを畳むと電源が切れてしまい、録画ボタンを押しても動作しない。ただし、録画している状態から液晶パネルを畳むと、録画はそのまま続行される。 <<画像ファイルあり>> ホールドの例 画質は3種類用意されており、4GBメモリカードを使用した場合には、高画質モード(XP)は50分、標準モード(SP)は100分、長時間モード(LP)は200分撮影可能である。しかしバッテリーの限界のため、200分の連続録画を実現するにはACアダプタを使用することになろう。 付属ソフトをインストールしたパソコンにSDR-S200を接続すると、動画ファイルをパソコンに取り込むことが出来る。もちろん、そのままカット編集も可能である。 また、付属ソフトを使わない場合はエクスプローラー上からストレージとしてアクセス出来るため、ファイル操作でコピーも出来る。その場合は動画ファイルの拡張子が「.mod」となっているが、これを「.mpg」に書き換えれば問題無い。 ただし、パソコン上からメモリ上のデータを消したりするとおかしなことになるらしく、その点は気を付けたい。 それにしても、これまで1時間の動画をパソコンに取り込むには1時間かかっていたのだが、今回からファイルコピーの数分で済むようになったのは大きな進歩と言える。 付属ソフトではあまり細かい作り込みが出来ないため、「Video Studio Ver.11」を用いてMPEGファイルを編集してみた。 録画時に一時停止や停止した時点で1つのファイルが生成されるため、細かく撮っているとファイルも細かく分かれてしまう。まあ、シーンごとにファイルが分かれるのは好都合ではあるが、「Video Studio Ver.11」で編集して1つのMPEGファイルに出力したところ、音声がズレた動画が出来てしまった。 調べてみると、最初は音声のズレが無いが、後になるほどズレが大きくなる。どうやら、ファイルの切れ目で映像が少し止まってしまい音声から遅れてしまうようだった。これを防ぐには再レンダリングをすると良いようだが、再レンダリングをすると画質がかなり落ちてしまうため、それはやりたくない(静止画でもJPEG圧縮を何度も繰り返すと画質が低下するが、動画でも同じことが起こる)。 色々と試行錯誤した結果、付属ソフトで動画をいったん1つのファイルにまとめた後で「Video Studio Ver.11」で加工すれば、再レンダリングせずとも音ズレが発生しないことが判った。 動画としての画質は、やはり3CCDのためか色乗りが良く感じられる。その分、ホワイトバランスがズレると目立つが、すぐに立ち直るので問題は無い。車載カメラとしても使ってみたが、空の明るさに影響されず適正な露出で見易い映像が得られた。 MPEG圧縮特有のノイズがあるものの、どんなビデオカメラを使おうとも結局はDVD-VideoとしてMPEG化することになるため、今回問題となることではない。 さて、気になるスチル撮影機能のほうだが、実際に使ってみたところ、期待したほどの画質が得られずデジタルカメラとしての利用は諦めざるを得なかった。 画像サイズはそれなりにあるが、どう見てもビデオ映像からのキャプチャーという感じがする。実際のところ、ハイビジョンの映像からキャプチャーした画像がこんな感じだろう。デジタルカメラという見方をすれば画質が悪く感ずるが、ビデオからのキャプチャーとして見ればそこそこか。 <<画像ファイルあり>> Panasonic SDR-S200によるスチル撮影(縮小) <<画像ファイルあり>> Panasonic SDR-S200によるスチル撮影(部分原寸) スチル機能を全面的に期待していたわけではなかったが、もしこの製品でデジタルカメラが代用出来るのであれば、撮影機材を少なくすることが出来たわけで残念ではある。 デジタルカメラ側からのアプローチもダメ、ビデオカメラ側からのアプローチもダメ。 いつになったら両者の機能が融合する時が来るのだろうか。 次にデジタルカメラかデジタルビデオを買い換える時には、そんな悩みも無くなっていることを祈る。 (2007.06.29追記) 修理費用の見積り連絡が来た時に修理キャンセルとした「SONY DCR-HC30」について、"未修理"と記載された伝票が貼られて手元に戻った。しかしながら、動作させてみるとなぜか機能が回復していた。どんなに力を入れて押しても反応が無かったボタンが、普通に反応するようになったのだ。 SONYの修理屋さん、ありがとう。 (2007.06.30追記) 本文中にも書いたとおり、画像と音声のズレは付属ソフトを使うことによって起こらなくなったものの、作成したMPEGファイルをDVD-Videoとしてオーサリングすると再びズレが発生するようになった。 そこで、これまで使っていた「Ulead DVD Workshop 1.2」の代わりに「TMPGEnc DVD Author 3」を使ったところ、ズレの問題は解消された。ちなみにこのソフトはSONY VAIO優待価格があったため、そちらで7,920円にて購入。 ---------------------------------------------------- [605] 2007年06月30日(土)「PDA」 7年くらい前、我輩はPDAを導入した。Palm-OSのIBM製「WorkPad30J」である。 モノクロ液晶の単4乾電池仕様であった。メモリ容量は8MBだったと記憶している。 我輩はこれを通勤電車の中でテキストファイルを読むのに使った。それまでは紙に印刷したテキストを読んでいたため、紙の節約にもなった。 <<画像ファイルあり>> WorkPad30J (写真が無いためイラストで表現) しかしながら、モノクロ液晶のため写真などを表示させることには向かず、データの入出力もクレイドルを介してパソコンのシリアルポートと接続させるしかない。しかも、テキストファイルは独自のDOC形式(※)に変換させねば表示することは出来ない。 (※MS-WordのDOC形式とは全く別物) そんな時、WindowsCE機のカシオ製「CASSIOPEIA E-750」が現れた。 カラー液晶が非常に美しく、写真などもパソコンと同じように表示される。そしてコンパクトフラッシュメモリを使えばクレイドルが無くともデータの入出力が可能。そして、テキストファイルばかりでなく一般的なWindows用ファイルも変換不要で表示出来る。 ちょっとしたパソコンと言える。 <<画像ファイルあり>> CASSIOPEIA E-750 しかしながら「E-750」は筐体が厚く重量もあったため、通勤電車で片手で保持しながら使うには負担を感じた。 そこで、軽量薄型の東芝製「GENIO e550G」を導入。液晶の質は若干落ちたものの、コンパクトフラッシュメモリばかりでなくSDカードメモリも読めるようになった。 また、赤外線通信ポートを利用した外付けキーボードも導入。 ちょっとした場所さえあればキーボードによる軽快なテキスト入力が可能となった。 <<画像ファイルあり>> GENIO e550G ところがここまで来ると、パソコンの用途を求めるようになってしまった。 こうなると、いくら高性能であってもPDAでは満足出来ぬ。結局、タイミング良く舞い込んだ臨時収入を充てて超小型パソコン「SONY VAIO VGN-U50」(参考:雑文508「超精細ディスプレイ」)を購入した。これにより、旅行先でデジタルビデオのノンリニア編集さえ可能となった。 <<画像ファイルあり>> VAIO VGN-U50 しかし、ふと思い出した。最初にこのような機器を導入したきっかけはテキストを通勤電車内で読むためであったことを。 電車内では超小型パソコンを使うことは難しい。パソコンは汎用性がある反面、操作がワンタッチではなく、ダブルクリックや右クリック、そしてドラックという操作を必要とする。それはつまり、片手で使うのが難しいということである。汎用性がある分、操作がワンタッチでは無くなったのだ。 また、高価であるがゆえに破損が恐く、気軽に扱うことが出来ないという面もある。 そこで、久しぶりにWindowsCE機を使ってみたのだが、バッテリーがヘタっており1日も保たなくなっていた。バッテリーが放電したまま放置していたのが良くなかったか。特に、「GENIO e550G」はバッテリーが本体内部に収まっているため換えが利かない。バッテリーの死は、すなわちPDA本体の死を意味する。 もし乾電池式であったならばこのような問題は無いのだが、カラー液晶を搭載したWindowsCE機ではバックライトが必須であるため、それなりの電力を必要とする。これが、乾電池式のカラー液晶PDAが存在しない理由の一つである。 結局、乾電池で駆動するモノクロ液晶Palm-OS機に戻るしか無かった。 ただ、「WorkPad30J」はとうの昔に手放しており、新たにHandspring製「VISOR」を入手することになった。ただ、"新たに"とは言うものの現在ではPalm-OS機は絶滅しているため、中古となるのは仕方無い。 <<画像ファイルあり>> VISOR また、今後は中古品も数が減っていくことになるため、もし永く使おうというのであればバックアップ用も確保したほうが良かろう。結局、3個体を確保した。 この機種はインターフェースにメモリアダプタを刺すことによってコンパクトフラッシュメモリが使用可能となる。これを介すことにより、これら3個体が同一に扱えるようになる。 それにしても、反射式のモノクロ液晶は今見るとクールである。もちろん、文字も見易い。 通常の使用では、電池は2ヶ月保つそうだ。充電や節電に追われることも無く、自分のペースでテキストを読むことがこれほどまで快適だったとは、今さらながらに気付かされた。 他の者が見れば、「今さら絶滅したPalm機を使うなど時代遅れの原始人か」と思うだろう。間違っても我輩のことを「新し物好き」とは思うまい。 それでも我輩は、基本的には「新し物好き」である。本心としては、金さえ続くならば常に新しいデバイスを導入したいと思っているくらいなのだ。 最近、思う。 「新し物好き」というのは、常に満足出来ない人種ではないかと。 新しい物が出ても、それらは我輩の要求仕様に足らぬ不完全な製品しか無い。しかし他に選択肢が無いため、ちょっとでも進歩があるならば飛び付きたくなる。 その結果、最初は新しい機能や性能に感動したとしても、しばらくすると使い辛さに辟易して更に新しい製品を追い求めることになるのだ。 なぜ進歩しているはずの最新機器が使い辛くなるのか? やはり、技術がなかなか都合良くは進まないというところが原因か。 不完全な技術でムリヤリ新製品を投入したとしても、性能のトレードオフ(ある性能を追求すると別の性能が犠牲になる)の問題が顕著になるため、本来の目的を失いがちである。 PDAの場合では、液晶のカラー化によってバッテリーの問題が生じた。その結果、「テキストを手軽に読む」という我輩の求める本来の目的を果たせなくなってしまった。また超小型パソコンを使った場合、片手操作もままならなくなってしまう。 結局のところ、主目的を達成するために何が必要なのかということを考えると、シンプルな昔の機種を使うことが合理的だと判断した。 確かに新しい機器は欲しいが、まずは求める目的をシンプルに実現させることのほうを優先させたい。 ふと、カメラにも目を向けてみた。 「そう言えば、我輩のカメラも同じような買い方をしてきたな・・・。」 機能的に優れたカメラを追い求めてきた我輩が、途中でF3に逆戻りしたことを書いた雑文152「7年目」を思い出した・・・。 <余談> 本文中に書くと本筋がボヤけるため割愛したが、実はPDAが登場する以前から「NEC デジタルブックDB-P1」というアイテムを使い、電子文書を読む試みを行っていたことをここで白状する。 DB-P1は、専用のデジタルブック用コンテンツ(小説など)を購入して読むための端末である。現代のPDAよりもふたまわりほど大きい。しかも、パソコン用のテキストファイルを転送してそのまま表示させることは出来ない。 しかし、開発者用のツールキットを購入することにより、コンテンツを開発出来るようになる。画像もRGBベタファイルならば挿入可能である。 しかし当時はMS-DOSの時代であり、ツールキットも当然ながらMS-DOSアプリケーションである。操作性があまり良くないうえ、画像挿入可能な数が仕様に満たないという致命的なバグもあった。我輩はこのアイテムを何とか実用したいという執念があったため、NECに問合せ、開発技術者と電話で話をし、その結果、我輩の指摘したバグを修正してもらうことに成功。送られてきたフロッピーのラベルは手書きであったが、きちんと動作するようになった。 結果的にデジタルブックというアイテムは盛り上がらぬまま廃れてしまったが、当時まだ誰も携帯電話などの液晶画面を見ていなかった電車の中で、我輩だけが一瞬ながらもデジタルブックを電車内で使い電子文字を読んでいたのである。 (2007.07.03追記) 雑文605「PDA」、雑文256「カラーの時代」、雑文258「メーカーとユーザーの役割」の記述が矛盾するのではないかとの指摘があった。消費電力の小さいモノクロPDAを擁護する一方で、消費電力に大きな差はないとして視覚的な表示を可能とするカラー液晶のカメラへの採用要望案についての比較である。 ここで改めて、これら雑文についての読み方を示したい。 雑文256「カラーの時代」では、この当時はまだ新製品が望める状況だったため、このような期待を込めた要望を書いた。省電力型のカラー液晶開発への期待である。コストの問題については、その存在証明として携帯電話などのカラー液晶の存在について言及した。そして反射光式かつセグメント式であれば、さらに視認性の良い低消費電力型のデバイスとしてカメラに似合うだろうと考えた。 一方雑文605「PDA」では、既にPDAというジャンル自体が終わっているため、もはや新製品は望めない。ということは、現在流通している中古品の範囲内で選び使うということになる。現状のカラー液晶というのは電力を最も消費するデバイスであるから、新製品を望めない状況で長時間バッテリ駆動を求めるにはカラー液晶を避ける以外に方法は無い。 仮に新製品が出るとしても、PDAの進化は画像としての表示を前提としているため、色再現性は比較的求められるし、ドットマトリクスでの表示は必須となる。カメラの場合は露出情報など数値の表示であるため、単色のセグメント表示で充分。 ただし雑文としての肝は、雑文256「カラーの時代」及び雑文258「メーカーとユーザーの役割」ではメーカーの現状維持姿勢についての批判であり、雑文605「PDA」では最初の目的を見失うことについての警告である。 カラー云々は、この際どうでも良い話。 これが読めねば、他の雑文も含め、話の半分も意味が伝わっていないことになるので要注意。 ---------------------------------------------------- [607] 2007年09月24日(月)「我輩の心が叫んでいる」 Nikonもようやく、フルサイズCCD(正確には「CMOS」だがここでは撮像素子という意味を込めて「CCD」と総称する)カメラが出ることになった。プロ向けの「Nikon D3」である。 デジタル一眼レフというのは35mm判の一眼レフカメラのシステムをベースに開発されたものであるから、CCDがフルサイズを目指すのは当然のことである(参考:雑文376「フルサイズCCD」)。 一時期、「Nikonはマウント径が小さいため、レンズ後端から出る光束が斜めにCCDに当たり画面端で光量が低下する。よってフルサイズ化は無理。」と言われていた。その説に説得力を与えたのは、Nikonが一向にフルサイズ機を出さなかったせいもある。 フルサイズ化に関してNikonがCanonに大幅に後れをとったのは、Nikon独自の完璧主義によるものであろうか。デジタル撮影を前提とした設計ではない旧いニッコールレンズでも使用可能となっている。この仕様にこだわったゆえに今までフルサイズを出さなかったのだと我輩は見る。Nikonらしいと言えばNikonらしい。 今回のフルサイズ機はプロスペックゆえに60万円の価格で、簡単に趣味人の手の届くシロモノではない。 この先、フルサイズはあくまでプロ向けに限定するのか、あるいはコストダウンを図り普及機にまで採用を計画しているのかは不透明。それは、企業戦略と他社(主にCanon)の動向に依るだろう。 ただ、APSサイズ専用のレンズとフルサイズ用のレンズをこの先両立する覚悟はあるのかは疑問である。何しろ、Nikonは何も考えてないんだから(参考:雑文236「何も考えてないんだから」)。 まあ、いずれにせよ我輩の愛用カメラであるNikon製デジタル一眼レフのラインナップにフルサイズ機が加わったのは、システムとして選択肢が増えるわけであるから正直言って嬉しい。時間はかかったとしても、今後是非とも普及機クラスにもフルサイズ化を望みたい。 それにしても、フルサイズ機ユーザーのウェブサイトを覗くと、魚眼レンズから始まる様々な交換レンズを駆使したバラエティ溢れる映像が目に飛び込んでくる。APSサイズCCDカメラユーザーとしてはとても羨ましく思う。こんなにレンズを楽しめるのは、まさにフルサイズならでは。 もちろん、APSサイズのカメラでもレンズラインナップは豊富にある。APS専用レンズも加えると、寧ろこちらのほうが多いくらいだ。しかもAPS専用レンズは小型で、カメラとの一体感がある。 しかしながら、「APSサイズは過渡期の製品である」とか「フィルム用にも使えるフルサイズ向けレンズのほうが無駄が無い」という意識が我輩の中に強くあるため、APSサイズのシステムを本気で拡充する気持ちにはどうしてもなれぬ。かといってフルサイズ用レンズをそのままAPSサイズカメラに流用すると画角的に使いづらい。特に広角レンズは。 こういう状況であるから、もしフルサイズ機が手に入れば、本気でデジタル一眼レフのシステムを完成させたいという衝動が湧くだろう。魚眼レンズから望遠レンズまで、どんな撮影にも適応出来るシステム。さぞかし楽しいだろうと想像する。 さて、我輩はごく最近、高価な買い物をした。カメラや写真の分野とは全く異なる物であるため詳しい話は省くが、"今回の「Nikon D3」も楽に買える金額"とだけ言っておく。もちろん我輩の小遣いから出せるわけがなく、ヘナチョコ妻にねだりにねだって家計から捻出した、いわば"最後の手段"みたいなものである。そんな取って置きの手段を、カメラ・写真のほうに使わなかったのはなぜだ? フルサイズ機導入も出来たはず。 その疑問は尤もである。 「Nikon D3」の発表が今回の買い物に間に合わなかった事情があったにせよ、フルサイズ機導入という目的で「Canon EOS 5D」(実売25万円)と交換レンズ一式(残り30〜40万円分)を買うという選択肢もあったはず。しかし我輩は、そこに金を注がなかった。 これまで我輩は、登山に、九州帰省に、時にはモデル撮影会に、大きく重い中判一眼レフカメラと各種交換レンズを背負い撮影してきた。12枚撮るごとにフィルム交換であるから、交換の手間を考えると撮影効率がすこぶる悪い。ズームレンズなど無いから、ちょっと画を変えるためだけに大きなレンズを交換せねばならぬ。これで露出が間違っていれば苦労は水の泡。 こんな時、デジタルカメラに全神経を集中して写真を撮り続けるユーザーのことを羨ましく思うことがある。もちろんこれは皮肉でも何でもない。我輩自身の心の迷いである。 もし我輩が、フルサイズCCDのデジタルカメラを導入し、交換レンズやアクセサリなどのシステムをこのカメラ中心に構築し、撮影行為の全てをデジタルに集中するとしたら、これほど楽なことはあるまい。 カメラやレンズは非常に小型軽量、ズームも高倍率、メモリの許す限り撮影が可能、AF/AEで撮影に集中出来、撮影結果がその場で確認可能、そして何より、多少失敗したとしてもパソコンレタッチで何とかなる。 これまで我輩は、雑文の中でデジタルカメラの悪い点ばかりを強調してきた。だが、普通に考えれば、デジタル一眼レフカメラを選ぶのは非常に合理的であり、理解出来ることである。 しかし、我輩はどうしても、デジタルカメラを本気で使うことは出来ないのだ。 今回、その理由は金が無いからではないというのはハッキリした。我輩の心が、身体が、デジタルではダメだと叫んでいる! この先、どんな理屈に触れたとしても、その気持ちは絶対に変わらない。我輩の人生で銀塩写真に触れたのが運の尽きであったろうか。いや、そもそも、銀塩写真に触れなかったとしたら写真そのものに興味を持っていたろうか? 興味を持ったとしてもそこまで深く入れ込んだだろうか? 今後、安価にフルサイズ機が出てそれを導入したとしても、それはやはり、補助的な用途にとどまる。 その強い気持ちを、我輩は自分自身で感じた。 ---------------------------------------------------- [608] 2007年10月14日(日)「2007年夏の帰省」 ●はじめに ・今回、例年のように夏の帰省について雑文に書くが、あまり分割してタイトルが増えても意味が無く、長文となっても1つにまとめることにした。 ・日頃書いている豚児日記をベースにカメラや撮影に関する記述を加えた文章のため、かなり冗長になっている。 ・カメラや撮影に関する記述については、区別し易くするためこのように着色した。 ・文中に挿入された写真のうち、正方形のものは66判によるもの、それ以外はデジカメによるものである。 ●事前計画 夏に入る前、我輩の母方の祖父が入院したという知らせが入った。膝を痛めたらしい。リハビリが必要なようだ。 夏に帰省するつもりのため、その時に病院に見舞いしようかと考えた。曾孫である豚児の顔でも見れば少しは元気も出よう。 (祖父については雑文448「祖父からの手紙」にも書いている。) 一方、父方の祖母にもまた会おうかと思った。元気でいるだろうか。父親の携帯電話にかけてみたが一向に通じない。 すると、数日後に父親から電話がかかってきた。最初、我輩のかけた電話でかけなおしてきたのかと思ったが、特にそういう感じではなかった。そう言えば、我輩が電話をかけたのは勤務先からだったため、我輩がかけたというのは分かるまい。 父親は、我輩に次のように言った。 「ばあちゃんがな、転んで骨折して入院しとるんよ。まあ歳が歳やし、ひょっとすると寝たきりになるかも分からんでのぉ、一応おまえには言っとこうと思うたんじゃ。」 しかも入院してから少しボケてきたとも言う。少し心配である。 イナカの年寄りは元気だとは言っても、もうどちらも90歳を越えておるから身体のどこかが悪くなっても不思議ではない。・・・そう言えば、偶然か両者とも同じ歳だった。 「今度九州に帰った時に、見舞いに行こうか。」我輩は父親にそう言った。 「帰る? 何しに帰るんじゃ?」父親はキョトンとした声で我輩に訊いた。 「ナニて・・・、そろそろ盆休みやからなぁ。」 「おお、そうか、もうそんな季節やったか。」 間の抜けた会話に、父親のほうこそ大丈夫なのかと思った。父親は元からそういう性格なのかも知れないが、どういう人間かあまり知らないので何とも言い難い(父親と同居していたのは我輩が幼い頃のみ)。 とりあえず、祖母の入院先を聞いておいた。 <<画像ファイルあり>> −登場人物の関係図− さて、我輩の母親にも父方の祖母の入院の件について伝えた。 母親に対しては、大昔に離婚した父親のことについてを話すのは気が進まないのだが、帰省中は母親と共に行動することが多いと予想されることから、行動予定を立てるためにも今の段階で話しておこうと思った。そしてもし、母方の祖父と父方の祖母の入院している病院が近ければ、2人の見舞いに行こうかという話をした。 早速電話をかけて父方の祖母の話をしたところ、母親は我輩に指摘した。 「○×病院って・・・、2人とも同じ病院やん。」 「同じ? 2人とも同じ病院て・・・、あホントやわ・・・。」 我輩は別のことに気を取られていたのか、病院名を聞いておきながらも2人が同じ病院に入院していることに全く気付かなかった。 母方の祖父、父方の祖母。もう数十年も顔を会わせていない2人が、同じ時期に同じ病院で入院し、それぞれにリハビリをしているというのだから驚く・・・。そしてそのことを、恐らくは互いに知らないのだ。 まあ確かに田舎は病院の数は少ない。しかし逆に、田舎であるから街の大きな病院に出て入院することになる。街にはそれなりに病院があるため、2人が同じ病院に入るというのはやはり偶然であり必然ではない。 それにしても、この偶然のおかげで手間が省けた。同じ日に2人を見舞うのも大した苦労ではなくなったわけだ。 改めて、我輩は父親に電話をして見舞いに行く日程について話をした。そして最後に、その病院には母方の祖父(父親から見れば舅)も入院していることを言っておいた。 「あ、そうそう、ジイちゃんも○×病院に入院しとるらしいわ。」 「お?!・・・な、なんてや?(何と言った?)」父親の動揺が声に現れた。驚いとる驚いとる。 「ジイちゃんもな、同じとこに入院しとるんやわ。」 「・・・ほ、ほうかー。(そうかー)」 それ以上の言葉は無く、電話を終えた。しかし、父親の驚きは、我輩以上であったろう。 さて、肝心の移動方法についてそろそろ検討せねばならぬ。 去年の盆休みの帰省ではフェリーを利用した。一昨年のように快適な旅になるはずだったが、雑文581にも書いたとおり台風の影響により復路ではフェリー欠航となってしまい、1,000km以上の長距離運転を強いられた。長距離運転を回避するための方法だったはずが、却って長距離ドライブに追い込まれてしまったのは皮肉な話。 もちろん、運が悪かったのだとは思う。だから、今年の盆休みもフェリーを選択しても良かった。しかし何となくフェリーを選択する気持ちが煮えきらず、乗船予約開始日(乗船2ヶ月前)を迎えても何のアクションも起こせなかった。結果的に、帰省手段を1つ失うことになってしまったわけだが、ではどうやって帰ろう。新幹線か? しかし、新幹線を使うと、バスの廃止された実家周辺での移動の問題がある。何も考えなければ、タクシーを使う以外に方法が無い。 (事実、車を持たぬ年寄りはタクシーが主な移動手段となっており、タクシー会社も乗合自動車を用意したりしている。) ここで、今年のゴールデンウィークに独りで帰省したことを思い出した(参考:雑文600「ゴールデンウィーク独り旅」)。新幹線とレンタカーの利用は気楽であった。盆休みの帰省も、新幹線とレンタカーを使うことを考え始めた。 しかし最大の問題は荷物である。子連れ家族で帰省するとなると、荷物が多くなるためレンタカーではそれこそ"荷が重い"。恐らく、レンタカーを返した後が荷物となろう。下手に土産物など買い込むと大変なことになる。 それにしても、最近は業務が忙しく、しかも通勤時間が長いため、日々時間に追われてしまい他に何も考えられなくなってしまった。そのため、帰省計画も延び延びとなってしまい、いつの間にか新幹線の予約開始日(乗車1ヶ月前)を数日過ぎてしまっていた。 「まずいな、新幹線で行くなら、もうさすがに指定席取らんと。」 レンタカーの問題点はあるものの、もうこの局面に於いて選択の余地は無い。今年は新幹線+レンタカーで行くことにする。 慌ててWeb上から予約画面を開き、空席のある列車の中で2列席を指定してみた。しかし、2列席はどこも空いていない。豚児が動き回るため3列席で他人と混ざるのは厳しい。朝早くの便を狙ってみたが、やはりそちらも空きが無い。 結局のところ、空きがあるのは夜到着する便しか無いようである。しかし、子連れではあまり遅い時間に到着するのは避けたい。 「困った・・・。もはや自由席しか無いのか・・・?」 しかし過去にも自由席でヘナチョコ妻と2人で九州へ帰ったことがあったが、席に座れたとしても帰省ラッシュの真っ只中であるから混雑を極めている。通路など通れない状況で、トイレに行くにも一苦労だった。また、トイレに行った隙に他人が座ってしまいトラブルになった現場を見たこともある。そんな戦場のような自由席に5〜6時間も居られるはずもない。 ふと、グリーン車の存在に気付いた。 「くそ、金がかかるがグリーン車にするか・・・。」 グリーン車を選択すると、通常の料金に加えて1人あたり7,440円の金がかかる。2人分で追加料金1万5千円とは。 確かに、グリーン車であれば2列席が取れるようだ。それに、どんなに混雑してもグリーン車の通路に立つ者は居ない。 まだ予約確定していないので迷っていたが、ぐずぐずしているとグリーン車さえも埋まってしまう危険がある。それでも1日くらいは猶予があろうと考え、予約を取らぬまま翌日にヘナチョコと相談した。しかしヘナチョコに相談しても「どうしようか〜」などとラチがあかない。結局、我輩の思い切りで予約ボタンを押して確定させた。列車のタイプは700系であった。 いつもであれば、豚児を長距離列車に乗せる際には我輩とヘナチョコとの間に座らせたりしていた。今回もそのようにしたいのだが、インターネット上で情報を集めると、どうやら700系のグリーン車の座席は、2列席の間に大きな肘掛けがあるらしい。そしてその肘掛けは固定式で上方に折り畳むことが出来ないようだ。そうなると、豚児をどのように座らせれば良いのだろうか。肘掛け部分に座らせることは可能か? 最悪の場合、九州までの5時間ずっと膝の上に座らせることになるかも知れぬ・・・。 ところで復路についてだが、こちらはキッチリ1ヶ月前に予約を入れることが出来たため、通常の指定席にて予約を入れることが出来た。 後日、最寄の駅でチケットを受け取り、当日に備えた。 一方、レンタカーについては、ゴールデンウィークの独り旅では軽自動車だったが、今回は最大4人で乗車する他にも高速道路なども走る予定であるから普通乗用車とした。 コンパクトカーならば、軽自動車と数千円程度の違いで済む。ただ、ガソリン価格が高止まりになっているため、燃費のほうが気になる。 ちなみに、今回の帰省の日程は下記の通り。 8月11日(土) 10:53東京発→15:53小倉着→門司港(泊) 8月12日(日) 門司港→小倉→戸畑グリーンパーク→病院→京都郡(泊) 8月13日(月) 京都郡→別府(泊) 8月14日(火) 別府→サンリオ・ハーモニーランド→京都郡(泊) 8月15日(水) 京都郡→15:25小倉発→20:26東京着 今回の帰省のために用意したカメラ機材については以下の通りである。 ・66判カメラBRONICA SQ-Ai ・BRONICA用広角レンズ40mm ・SUNPAKストロボB3000S ・テーブル三脚 ・デジタルカメラRICOH GR-D ・デジタルビデオカメラSONY DCR-HC30 スナップショット用として、中判一眼レフはもはや欠かせない。一眼レフカメラならばレンジファインダーカメラと違い画面周辺部でもピントを合わせることが可能だからだ。如何に超広角レンズであろうとも、中判レンズは被写界深度が浅いため、ピンボケの危険性は常につきまとう。 また、ストロボは人物撮影では必須である。室内撮影だけでなく、晴天の下で陰を和らげるレフ代わりとして有用なのだ。まさか、帰省のスナップショットで大きなレフ板を持って歩くわけにもいくまい。 デジタルカメラのほうは、例によって露出計代わりである。また、撮影時間や車の走行距離記録用としても重要な働きを担う。 ビデオカメラについては、先日新たに購入したメモリ記録のMPEGカメラ「Panasonic SDR-S200」(雑文604参照)は今回使わない。というのも、実は直前に故障して修理中となってしまったのだ。映像は撮れるが音が全く録れないという症状が出た。まあ、故障せずとも付属のメモリ2GBでは1時間程度しか録れず帰省や旅行などの泊まりがけには使えない。4GBのメモリを何枚か買い揃えてから、ようやく本格的に使うことになろう。 (ちなみに、現在はメモリが安くなるのを待っている状態。動画記録用として安定したデータ転送が求められるゆえ、Panasonic純正のメモリしか眼中に無い。) ●8月11日(土) 1日目  <東京→小倉→門司港(泊)> 出発当日、東京駅で弁当を買って新幹線ホームへ。 我々が乗る10:53発の「のぞみ181号」が入線したが、社内清掃があるため、すぐには乗車出来ない。しかし、ホームから清掃の様子が間近に見ることが出来た。ゴミの片付けはもちろん、座席の回転やリクライニングのリセット、そしてヘッドレストのシーツ交換。それらを迅速にかつ正確にこなす清掃のおばちゃんたちを見て、我輩はプロの仕事だと感じた。 <<画像ファイルあり>> グリーン車搭乗前 清掃が終わり、早速、我々はグリーン車に乗り込んだ。こんな機会が無ければまず乗ることが無いグリーン車である。一般車両との違いに気を付けるのは当然のことであった。 まず第一印象として、室内が非常に暗いと感じた。室内には間接照明しか無いのである。座席に座りふと上を見ると、旅客飛行機に備え付けられているような読書灯あった。なるほど、読書するならこれを使えば良いか。一方、何もすることが無く眠りたい場合には、この暗さが都合が良いのだろう。 しばらくすると発車時刻となり東京駅を出発した。 すると、室内が明るくなった。外光が十分ある場合には、明るさは他の一般車両と変わらないようだ。 座席の横幅は確かに一般車両よりも広い。また足下も広く、足置きもあってリラックス出来る。一方豚児については、肘掛けの上に座らせるにはやはり安定が悪い。そのため、ヘナチョコの隣や我輩の膝の上に座らせたりすることになった。最初はまだ良かったが、2〜3時間もすると窮屈になってきた。そして5時間が過ぎてようやく小倉に到着する時には身体が痛くなっていた。もしかしたら、中央の肘掛けを折り畳める一般車両のほうがまだ良かったのかも知れない。まあ、復路では一般車両であるから、そのことは後で検証出来る。 15:53に小倉駅に到着。 駅の改札では、我輩の母親が出迎えに来ていた。 豚児は、久しぶりに会うバアちゃんだったため、少し恥ずかしそうにしていた。しかし、母親のマンションまで行って夕食を一緒に食べた後は、豚児とバアちゃんは仲良くなっていた。 その後小倉駅に戻り、門司港行きの列車に乗って最初の宿泊ホテルの「ホテルポート門司」にチェックインした。なぜ小倉に泊まらなかったのかと言うと、単純な話、1万円前後の安いホテルが小倉では確保出来なかったためである。 ●8月12日(日) 2日目  <門司港→小倉周辺(若松)→京都郡(泊)> この日は、我輩、ヘナチョコ、豚児の3人に加えて我輩の母親を車に乗せて若松区のグリーンパークへ遊びに行く予定である。 そして夕方には○×病院へ行って祖父・祖母と面会することにしている。父親には「16時頃に病院に行く」と伝えてあるのだが、「いつでも良い」などと言っていたので、父親は祖母の病室で待っているわけでも無いようだ。 夜は実家の京都郡(みやこぐん)へ南下し、そこで一泊することになっている。 レンタカーは、ゴールデンウィークの時と同様に小倉駅の駅ビルにある窓口で借りる。今回は前回のようなキュートな茶髪おねえさんはいなかったが、朝だったためか時間通りに到着しても受付順番待ちとなった。 受付が終わり表で待っていると、今回借りる車がやってきた。車種は「HONDA Fit」である。説明によれば、この車はほぼ新車であるとのこと。走行距離を見ると、まだ580kmであった。また、今回はカーナビゲーション標準装備以外にもETCも装着されていた。我輩のETCカードをこれに刺せば高速道路で使えるので便利。 <<画像ファイルあり>> 新車の「HONDA Fit」 車を調達した後、近くにある母親のマンションまで行き、そこで母親を車で拾った。そしてグリーンパークへ向けてドライブ。 グリーンパークにはカンガルーやワラビーなどが数多くおり、そばまで行って背中を撫でたりすることも出来るとのこと。確かに、ワラビーとカンガルーがいたが、ワラビーは人間が近付くとちょっと離れてしまう。カンガルーのほうは身体が大きいせいかあまり人間を怖がらなかったが、逆にこちらが恐かった。 それにしても、グリーンパークは東京近郊の施設とは異なり、かなり客が少ないように思う。盆休みのためかも知れないが・・・。 その後、温室の植物園に入ったりしたが、他に面白そうなところが見付からない。確かに芝生の広場などが広々としているが、夏であるからそんな直射日光の当たる場所で長く居られない。クーラーの効いた室内でなければ過ごせないのだ。 結局、入園して2時間ほどで出ることになった。 小倉市内のファミリーレストラン「フォルクス」で遅い昼食を摂り、しばらく休憩した後、○×病院に向けて車を走らせた。 初めての場所で到着時間が読めなかったが、都合良く16時前10分に着いた。 病院内ということもあり、あまり大っぴらにカメラを持って行くのはマズイかと思われた。しかし全く何も持たずに行くのは無防備で心細い。そのため胸ポケットにはデジタルカメラ「RICOH GR-D」を忍ばせておいた。さすがに中判一眼レフカメラを隠し持つことは無理。 もっとも、他の入院患者もいるであろうから、GR-Dであろうとも恐らく写真撮影は難しいだろう。 受付で祖父と祖母の病室を訊いたところ、驚くことに2人の病室は同じ階らしい。まさか、部屋が隣同士ということは無かろうな。 エレベーターで上がると、ちょうど父親がエレベーターの前で待っていた。これは意外だった。電話では「いつでも良い」と言われたのだから、我輩が予定を変える可能性は考えなかったのか・・・? 病室を案内されると、そこは4人部屋だった。看護婦さん(女性看護士の旧名称)が数人おり、いずれも茶髪系長身美人である。こちらに対して目一杯の笑顔を送ってくるので、面会者の中には勘違いする者もいるのではなかろうか。 部屋は想像していたよりも広く開放的な感じだった。これならばさりげなく撮影も可能かも知れない。ただしストロボ撮影はやめておいたほうが良いだろう。 我輩は、それぞれ個別にしか会っていなかった父親と母親が同じ空間に居ることが不思議に思えたため、写真に同フレームに収めることにした。他の入院患者に気を遣ってサッと撮ろうとしたが、ブレているのが液晶画面でも判る。そのため何度も撮影しなければならなかった。 祖母は思ったほど弱っているわけではなく安心した。我々の姿を見て、とても喜んでいたし、特にボケているようにも見えなかった。言葉数もとても多く感じられた。寧(むし)ろ父親のほうが老けたように思えた。 同じ階の病室に母方の祖父が入院してリハビリしていることを伝えると、「あれまあー! そう言えばリハビリ室でなんか見たような人おったけど、やっぱそうやったんやろねー。」と驚いていた。 ところで、母親が携帯電話で写真を何枚も撮っているようだ。あまり目立つことをしないようにと思ったが、特に気にする者もいないようだったので、我輩も少し写真を撮ったりした。 そして別れ際、みんなで写真を撮ろうと思い、撮影者交代でシャッターを押そうとしていたところ、近くにいた看護婦さんが声をかけてきた。 「シャッター押しましょうか。」 我輩はてっきり、「他の患者さんの迷惑になりますので」などと言われると思ったが。 しかし写真が撮れるのであれば中判で撮りたかった。そうは言っても看護婦さんに持たせるカメラであればデジカメ程度でなければ重くて無理ではあったが。 <<画像ファイルあり>> 病室での記念撮影 小一時間経ったので、引き上げることにした。 最後に皆それぞれ祖母と握手をした。豚児には特に強く握手してもらった。曾祖母と曾孫の重なる時代は短いだけに貴重である。 祖母はしきりに我々の訪問を感謝し、振り向くと手を合わせていたのが印象的だった。 さて、次は母方の祖父の病室のほうへ。 こちらはなんと歩いて数秒しか離れていない部屋であった。隣の部屋ではなかったが、階段と用具室を挟んで隣という感じである。 祖父は頭はハッキリしてるため暇をもてあましているようであった。そして「早く家に帰りたいのう」と言っていた。それでも、豚児に会えたのは嬉しそうであった。 病院を出て車に乗り、京都郡の実家を目指した。 こちらの祖母は元気であったが、やはりこちらも80歳を越えているため料理は期待せず、隣町の「youme town(ユメタウン)」で総菜を買って夕食とした。 ●8月13日(月) 3日目  <京都郡→別府(泊)> この日は車で別府まで行って「水族館 うみたまご(旧称:別府マリンパレス)」と「スギノイパレス」で過ごす予定。 母親も誘ったが、仕事の関係で行けないとのこと。 8時半頃出発。 多少雲行きが怪しく、途中で雨がポツポツとフロントガラスに当たったりした。しかしおおむね曇りであった。 椎田道路から宇佐別府道路へ走る。 しばらくすると対向車がライトオンして走ってくるようになった。「もしかしてこの先は豪雨だったりするのか?」と思っていたところ、いきなり濃い霧に見舞われた。 <<画像ファイルあり>> 濃霧発生 前車に合わせて速度を落としたが、後ろからもの凄いスピードでフェアレディが追い付き急激に車線を変えて追い抜いて行った。 まあ、急病人でも乗せているのだろうな。怪我人を出さないことを祈る。 インターチェンジを降りて別府市内に降りる。まずは「うみたまご」へ行くことにした。 到着は10時半頃。 車を降りて山の上の高速道路のほうを見ると、まだ霧に包まれているのが見えた。 <<画像ファイルあり>> 「うみたまご」から見た山側 「うみたまご」では入場者の列が出来ていた。入場制限が行われているのだ。 列の途中は直射日光が当たるため、暑さのため体力が消耗させられた。しかし何とか乗り切り、ようやく館内に入った。 やはり外の様子から予想出来たが、館内の混み様も尋常ではなかった。この文章を書いている今、そのことを思い出しただけで疲れが蘇ってくるようだ。 館内のレストランで昼食を摂り、早々に「スギノイパレス」へ向かう。 到着は13時頃。 大ホールでは、去年と同じようにウルトラマンショーが開催され、寝ころびながらそれを眺めた。 その後、夏休み企画の巨大迷路のスタンプラリーや子供コーナーで豚児と遊んだ。 広い室内での人物撮影は、ストロボの用法で迷いが出る。 室内の雰囲気を出すにはシャッタースピードを遅くしてスローシンクロすべきだが、動きのある人物撮影では軌跡が残って煩わしい。かと言ってシャッタースピードを上げて定常光を切り捨てると、人物の発色や描写は美しくなるものの室内の雰囲気が出ない。 この微妙な駆け引きを、デジタルカメラのテスト撮影で判断することになる。 <<画像ファイルあり>> この2枚の中間くらいにしたい 18時半頃、「スギノイパレス」を出て宿に向かった。この日の宿泊先は別府駅前にある「別府第一ホテル」である。こちらは1泊8千円と格安。もちろん夕食は無く、外で食べた。多少雨がパラついていたが、少し我慢すれば傘無しでも良かろうと思わせる程度である。 別府駅前には、今まで気付かなかったが足湯ならぬ手湯があった。 <<画像ファイルあり>> 別府駅前の手湯 ●8月14日(火) 4日目  <別府→サンリオ・ハーモニーランド→京都郡(泊)> この日は、丸一日「ハーモニーランド」で過ごす予定。外は快晴である。 車で8時に出発、30分ほどで到着した。そして9時の開園まで並び、園内へ入った。 昨日の「スギノイパレス」とは一転し、今度は日中シンクロである。人物が黒く陰になるため、ストロボの光で陰を起こさねばならない。その点、レンズシャッター式のカメラはどのシャッタースピードでもシンクロ出来るので好都合。 もっとも、レンズシャッター式は最大でも1/500秒までしか無いが・・・。 <<画像ファイルあり>> レフ代わりの日中シンクロ撮影 それにしても、園内ではどこもかしこも記念撮影の半押し売りサービスばかりであったのがカンに触る。 「買うか買わないかは別として、まず写真撮影しますから」みたいな状態は本当に煩わしい。坂の下のエリアに行くための汽車に乗ったところ、乗車写真を撮るというので「ノーサンキュー」と言って断った。しばらくして豚児が「また坂の下のアトラクションに行きたい」と言い出したので再び汽車に乗るとまた写真を撮ろうとする。もういい加減にしろと思ったが、「ノーサンキュー」という言葉が印象的だったのかカメラマンが途中で我輩だと気付いてくれたが。 とにかく、各アトラクションで必ず写真撮影は勘弁してもらいたい。遊園地の乗り物でも撮影ポイントがあり、4人乗りのモノレールに乗っていたところ、スピーカーから「ハイそこで止まってください。写真を撮りまーす。」という声がするではないか。見ると、前方に野外監視カメラみたいなものがあり、撮影ポイントの看板があった。我輩は当然ながらフルスピードでその場所を突っ切った。すると、背後でシャッターを切った音(合成音)がした。 また別の場所では、キャラクターとの記念撮影が出来るとのことで入ったが、もちろん自分のカメラでも撮れるが、どうやら備え付けのカメラで撮ってプリントを売る商売のほうがメインのようだった。 その部屋は一見スタジオっぽく見えたものの、その照明セットは写真用としてはかなりお粗末。いや、機材の優劣を問うているのではない。ただ、その使い方が全く良くない。 天井を見ると、唯一の撮影用照明と思われるアンブレラ付きストロボがあったが、そのアンブレラはかなり小さく、しかも被写体から10メートル以上離れているのだ。並んでいる列の後ろの壁側にあるから、もしかしたら15メートルは離れているかも知れぬ。 <<画像ファイルあり>> 撮影風景(客のカメラで撮影中) アンブレラというのは、光を軟らかく拡散させて影を和らげるために使う道具である。つまり、発光面積を大きくするためである。ところが被写体までの距離が遠くなると、見かけ上の発光面積が小さくなる。そうなると、いくら光量を上げようとも影は強く出ることになる。 天井は黒色でペイントされているため、天井からの反射光すら期待出来ない。 下の写真は、列の後ろで振り向いて撮ったものだが、アンブレラに一番近いこの位置でもまだ遠いように思う。せめて、もう少し大きな傘を使うべきだろう。なぜか、わざわざ一番小さな傘を選んで使っているように思える。 こんな状態ならば、寧ろ傘など使わずダイレクトに照射すれば光量がアップして良いのではないかとすら思う。 <<画像ファイルあり>> 小さなアンブレラは距離が離れていると意味が無い ただ、撮影システムとしては、全体的に金がかかっていることは確かである。それなのに、なぜこのような理解に苦しむようなライティングを行っているのか? 無理矢理に推測するならば、部屋のレイアウトデザイン上、照明位置があそこしか無かったということだろうか。そして、距離のある小さなアンブレラでは効果が小さいということを承知の上で、スタジオっぽい雰囲気を演出するために無駄を承知であのようにしているとか? プリントは、デジタルカメラ1台に対して複数のPCに振り分けて出力しているようだった。そこでは文字入れなどの注文を受けているらしい。恐らくカウンターの下ではPC本体とそれに繋がるカラープリンターがあるのだろう。 <<画像ファイルあり>> 金のかかったプリントシステム 我輩はプリント写真を収集する趣味は無いため、ここでは自分のカメラでリバーサル撮影を行い、プリントのほうはカウンターを素通りしてやり過ごした。 我輩は貧乏人であることは確かだが、いくら金が余っていようとも、不要なものまで金を出して買おうとは思わぬ。世間から見ればヒネクレているように見えるだろうが、信念を貫くことが自分自身の存在意義であると考える我輩にとっては当然の行為である。 その後、17時に「ハーモニーランド」を出て京都郡の実家に向かい、途中、「youme town」で総菜を買い込み、19時半に到着した。 明日は東京へ帰る日である。豚児が寝る前に、皆で花火をして九州での最後の夜を楽しんだ。 ●8月15日(水) 5日目  <京都郡→小倉→東京> 朝、実家を出発する前に皆で記念写真を撮った。暗い室内のため、ストロボ光のみが頼りである。去年も同じように写真を撮ったが、中判の浅い被写界深度のためピントの合っている顔と、微妙にピンボケになっていた顔があった。今回はそれを教訓に、なるべく皆が同一平面上に近付くよう配慮した。 9時半頃に母親も乗せて実家を出発し、途中、隣町の叔母の家に寄った。盆休みということで、従兄弟夫婦とその子供たちが遊びに来ているということだ。 ここでも記念写真を撮ったが、先ほどと同様になるべく同一平面上にそれぞれの顔が近付くよう心がけた。しかし、後日フィルムを現像して判明したのだが、なぜかこの写真は一部の者の顔しかピントが合っておらず、他は完全にピンボケ状態だった。こういう写真にならぬよう気を付けたつもりだったが、なぜ防げなかったのか、いまだに謎である。 10時半頃に叔母の家を出発、苅田辺りでガソリンを満タン給油し、そして小倉駅を目指した。 小倉駅前には駐車場があり、そこにレンタカーを停めて係員に引き渡した。時間は12時。返却予定は13時ではあったため、1時間早く返したことになる。 車の距離計を見たところ、ちょうど300km走行したことが判った。先ほど満タンにしたガソリンは20リットルだったことから、そこから燃費を計算すると15km/Lということか。ただ、最初のレンタル時に燃料計の針が微妙に下がっていたように思ったが、もしそうならさらに燃費は良いかも知れない。 小倉駅前の伊勢丹のレストラン街で昼食を摂り、その後、同じく伊勢丹の夏休み企画であるカブトムシ展でしばらく時間を潰した。 そして15時頃、小倉駅の改札で母親と別れ、15:25発の「のぞみ186号」で東京に向かった。 復路は一般車両の指定席のため、肘掛けを上に畳み、我輩・豚児・ヘナチョコと3人で並んで座った。 東京到着は20:26。 ●まとめ <移動について> さすがに新幹線での移動は安心感がある。 昔は「のぞみ」を使わなかったため小倉まで6時間もかかったが、今回は「のぞみ」であるため5時間で済んだ。ただし、盆休みということを考えて早めに指定席を取るべきだった。独り旅ならばいざ知らず。 レンタカーについては、ゴールデンウィークに軽自動車を使ったのだが、さすがに今回は高速道路を使うため大変だと思い普通車とした。そのおかげで3人乗車での高速道路はストレス無く走ってくれた。 今回の「HONDA Fit」について、他の日本車(比較対象はNISSAN、TOYOTA、MMC)と比べると結構アクセルペダルが重い。しかしながら高速道路での巡航ではやはり足が疲れてくる。かかとを地に付けてつま先を上げておくのは疲れるのだ。もう少しペダルが重ければ、足の重さをペダルに預けてリラックス出来るのだが、その点が惜しい。 もっとも、それ以外は経済的でもありなかなか良いと思った。残念なことに、レンタカー屋では車種を選べない。 <<画像ファイルあり>> 「HONDA Fit」 <BRONICA SQ-Ai(銀塩)> 今回、120フィルムは14本(66判で168枚)撮影し、採用枚数は71枚である。撮影本数こそ去年より多いものの、驚くことに採用率は去年と全く同じであった。 露出過不足はそれほど無かったものだが、思わぬカットでピンボケしておりガッカリさせられた。慎重にピント合わせしたつもりでもボケていたカットが幾つもあったため、もしかしたらフィルムの浮きが問題かも知れない。ただし今以上にピント合わせには気を遣いたい。 <RICOH GR-D(デジタル)> GR-Dは、主に露出計用途としての役割を与えているが、撮影時間も記録してくれるため、旅の記録全般で活躍した。 撮影枚数としては270枚であるが、この写真が無ければ本雑文の時間記録も曖昧になっていたことだろう。少なくとも、車の出発時・到着時には必ずメーターを撮影しているため、その点ではかなり重宝する。 ---------------------------------------------------- [609] 2007年10月21日(日)「浄土平行き(2)」 <はじめに> 今回、当雑文の背景色を時間経過を追って変え、その場の雰囲気を表現しようと考えた。基本的にその時間の空の色に対応させている。そのため文字が多少読みづらくなっている配色もあるかも知れないが、雰囲気の表現を重視させた。 9月21日金曜日の夜中、我輩は車に乗り込んだ。時計を見ると、ちょうど日付が22日に変わろうとしているところだった。 これから目指すのは、雑文603「浄土平行き」に書いた福島県の吾妻火山。再び同じ場所に行くのである。 実は21日金曜日、我輩は休暇を取っていた。 天気予報によればこの日は快晴らしく、しかも休暇が取れそうであったため、急遽この日に吾妻火山へ行くことにしたのだ。 いつもであれば蔵王のお釜に行くところである。しかし、雑文603「浄土平行き」の最後に「次回は必ず、五色沼のフチへ行く。」と書いた。 あの時は、五色沼の目前まで迫りながらも撤退を余儀なくされ悔しい思いをしたわけだが、今度こそは五色沼のフチへ到達し、その景色を堪能すると共にぜひともその湖水を口に含んで味わってみたいと考えたのだ。 今回の撮影機材は、いつもの「BRONICA SQ-Ai」と「超広角40mm」に加え、「魚眼35mm」が必要になろう。五色沼のフチへ降りるとなれば、恐らく魚眼レンズでなければ画角に収まるまい。ついでに「標準80mm」も追加しようか。ファインダーは重量と体積の嵩張るプリズムファインダーではなく、折り畳み式のウェストレベルファインダーとした。 そして、マルチスポット露出計を兼ねる35mm一眼レフとして「MINOLTA α-707si」をサブカメラとする。 デジタルカメラは、車の走行距離記録や行程時間記録、そしてサブ露出計として「RICOH GR-D」が胸ポケットに入る。 ただそれにしても、よくよく考えると車で5時間ほどかかる距離ゆえ、現地で朝から行動しようと思えば出発時間は夜中となる。つまり、21日金曜日に吾妻火山に行くとすれば、出発は20日木曜日の夜中でなければならぬ。極端な話、仕事から帰ってきたその夜に出発ということか。これはちょっと無理がある。 去年までは通勤時間が短かったため早く帰宅すれば何とかなったかも知れないが、今年からは通勤時間が片道2時間であるから、風呂に入って食事をすればもう21時を越える。支度も考えると、寝る間は無い。 平日であれば人も多くなかろうと思うのだが、今回は休暇を取った21日金曜日は純粋に休息を取るための時間として充てることにした。運転の危険、そして登山の危険を考えると、出来るだけ無理は避けることにした。 そういうわけで、21日金曜日も終わろうとしている時間に、必要な機材や登山装備を積み込み、我輩は車に乗り込んだ。 車のドアを閉めると、真っ暗な車内がとても静かに感じられた。10月も近いがまだ寒くはない。 キーを回してエンジンに火を入れる。そしてライトをオンにすると、インパネの照明がメーター類を浮かび上がらせた。いつも思うが、夜中の出発ほど気持ちが高ぶる。このことは、車に限らず列車での移動の時もそうだったが、車は車でまた違う種類の興奮があるように思う。 <<画像ファイルあり>> 暗闇の中、エンジンに火を入れる これから長距離を走るわけだが、ガソリンが残り少ないため、近所のセルフ式ガソリンスタンドで満タンにした。ガソリンが高いのが気になるが、2円/L割引券を使って少しでも安くなるようにした。 一般道を走ると、まだ午前0時ということもあり、"早朝"ではなく"夜中"という感じで、帰宅途中だろうか交通量もそれなりに多い。 そして高速道路に乗り、スピードを上げた。 ただ、川口ジャンクションから東北自動車道へ乗るはずだったのが通り過ぎてしまい、再び一般道に降りてグルリと回って高速道路に乗り直すハメになってしまったのは計算外だった。 東北自動車道に乗ってしばらく走ると、車線が減り照明が全く無い地点にさしかかる。ここからは、闇の中での孤独なドライブとなる。 いつもであればビリージョエルなどの音楽などをかけるところだが、今回はNHKスペシャル「宇宙 未知への大紀行」のDVDをかけた。もちろん、運転中は画面を見ることは出来ないため、音声のみ車内に流してそれを聞いていた。しかしそれがかえって闇のドライブとマッチして、宇宙に想像を巡らすことを容易にした。 150億年前に宇宙が誕生した当時は、水素とヘリウムばかりの単調な世界だったが、星が生まれ輝くうちに様々な元素が作り出され、我々の人間社会を形作る材料となった・・・。 これから目指す火山地帯も、珪素・硫黄・水素・酸素などで構成されているが、それらは元をただせば恒星が爆発した破片が集まったもの。想像を絶するもの凄い熱と圧力によって核融合して出来た元素が、巡り巡ってそこに集まったのである。 そう考えると、とても不思議な気持ちになる。 さて、しばらく頑張って運転していたが、中間地点にさしかかったので「黒磯パーキングエリア」で小休止とした。ドライブ時間も、おおよそ半分という感じだったので順調と言えよう。 <<画像ファイルあり>> 中間地点のパーキングエリアで小休止 このパーキングエリアにはコンビニエンスストアがあるため、朝食や昼食、そして飲料水を調達しようかと思ったが、やめておいた。吾妻火山の一切経山を下山して車に戻った時のために飲料水を氷で冷やしておきたいので、もっと現地に近い店でなるべくギリギリに買ったほうが氷も保つであろう。 <<画像ファイルあり>> パーキングエリアのコンビニエンスストア 後半のドライブは、時間も時間でありトラック以外はあまり車が走っていない。走行車線でもそれなりに速度を保つことが出来、トラックを追い抜くために時々追い越し車線に出る程度だった。そういう意味では走り易いが、やはり暗いため気が抜けない。 やがて、頑張った甲斐もあり、降りる予定の「福島西インターチェンジ」まであと数kmと迫った。 ふとODDメーターを見ると、数字が「055554」を示していた。あと1kmで数字が揃う。我輩はインターチェンジを降りることもあり減速させながら胸ポケットからデジカメを取り出し「055555」になるのを確認してノーファインダーで撮影した。 こういう場面では、サッとスナップ出来るタイプのデジカメは便利である。 <<画像ファイルあり>> 数字が揃った 高速道路を降り、福島の一般道を走る。そしてすぐに見えてくるコンビニエンスストア「セブンイレブン」の駐車場に車を停める。やはり地方のコンビニエンスストアは駐車場が広い。 燃料計の針はまだ半分まで減っていない。やろうと思えば給油無しで帰れるかも知れない。 時計を見ると、3時45分。まだまだ夜の雰囲気であった。 我輩はここで朝食及び昼食、そして飲料水としてスポーツドリンクとそれを冷やしておくための氷を調達した。また非常用としてピーナッツチョコレート菓子「スニッカーズ」も1本購入。 家から持ってきた発泡スチロール製のボックスに氷を袋ごと入れ、そこにスポーツドリンク1リットルのボトル1本、500ミリリットルのボトルを2本入れた。 普段飲まないスポーツドリンクを選んだのは、身体への吸収に適した浸透圧に調製されたもののほうが、結果的に水分の必要量を減らしてくれるのではないかと期待したからだ。我輩は登山ではいつも飲料水に行動を左右されているためにこのようにした。 その後再び車を走らせるが、夜中のためほとんど車が走っておらず直線道路、しかも高速道路を降りたばかりということもありスピードを上げたい衝動に駆られたが、意識的にスピードを抑えつつ磐梯吾妻スカイラインを目指す。 磐梯吾妻スカイラインの高湯料金所に到達したのは4時半過ぎ。ここからは有料道路のため本来小型車は1,570円かかるが、この時間では係員がおらずそのままフリーで通過可能である。念のために徐行して様子を見たが、やはり誰もいないので通過した。 前回は平日のためか明るい時間でもあまり他の車がいなかった。今回は土曜日であるが早朝のため前回以上に車がいない。景色も見えないこともあり、少しペースが早くなった。 浄土平駐車場の到着が4時40分。ここも有料だが、早朝のため係員がおらずそのまま入れる。 車のエンジンを切って空を見ると、山の稜線が夜明けの光のためにシルエットとして浮かび上がった。つい先ほどまでは真っ暗だったためこの景色に驚いたが、山の上の澄んだ薄い空気は光を散乱させるものが少ないため薄明(はくめい)の時間が短く、突然明るくなるように感ずるのだろうかと思った。 (※「薄明」とは、夜明前と日没後のうすあかりの空の状態のことを言う。関連用語として「天文薄明」。) <<画像ファイルあり>> 夜明けの浄土平 浄土平駐車場は、舗装された場所とは別に未舗装の広大な臨時駐車場がある。そこは一切経山への登山口に近く、我輩はそこに車を停めている。そして、同じような目的なのか同様に数台の車がポツリポツリと現れて我輩の車の周りに駐車し、身支度を整えて山に向かって行った。 空はだんだんと明るくなってきたが、我輩はドライブの疲れもあったことから、後部座席に移って横になり少し仮眠を取ることにした。エンジンを止めた後は微妙に暑苦しかったため両側の窓を少し開けたところ、強風のせいもあり車内にも風が通った。 我輩はそのまま目を閉じた・・・。 熟睡していたわけではないため、しばらく経って何となく目が覚めた。 辺りはすっかり明るくなり、眩しい光に目を細めた。 時計を見ると6時40分。 車を降り、改めて自分の車を眺めた。 「福島までの遙々(はるばる)300km余りを、こんな小さな"自動車"という機械装置に乗って運ばれてきたのか」としみじみ思った。 <<画像ファイルあり>> 広大な駐車場の一角 コンビニエンスストアで調達した朝食を食べた後、トレッキングシューズを履いて身支度をした。 車に積んだ荷物は、実はあまり吟味されたものではないため、ここで、車に置いて行く物と携行する物とを分けた。飲料水として購入したスポーツドリンクについては、1リットルのボトルは氷とともに車のトランクに残しておく。下山した時に冷たいものを飲みたいからだ。意外にも車のトランクルームというのは比較的温度が上がりにくい場所らしい。 結局のところ、携行する荷物のうちほとんどがカメラ機材である。重量比で言えば9割くらいはあろうか。 他はスポーツドリンク500ミリリットルのボトル2本、昼食用の弁当、パーソナルGPSくらいである。 また前回は、トレッキング用の杖(ステッキ)が欲しいと思ったため、今回は丈夫な一脚で代用することにした。もしこれで杖の有用性が確かめられれば、改めて専用の杖を購入したい。 7時15分頃、駐車場を出発し一切経山を目指す。この山への登山自体には興味無いが、その先にある五色沼へは一切経山の登山を避けて通れない。 もう2回目ということもあり、登りに不安は無い。蔵王の時と同じだが、一度通ったことのある道というのは、その先がどうなっているのかを知っているという点で安心感がある。また時間や体力の配分もし易くなる。 ただ逆に言うと、苦労する箇所も事前に分かっているため、その地点にさしかかる前から気疲れすることもある。 これは人生と同じようなものか。人生経験が長い年長者は、安定感はあるが苦労も多く知っているためそれらを避けて冒険をしなくなる。一方、経験の浅い若者は行動が危ういながらも、先の苦労を知らないため精力的に突き進むエネルギーを惜しまない。 さて、しばらく登ると大穴火口が見えてきた。時間は7時40分頃。 よく見ると、雨水による浸食のためか、一筋のクッキリとした細い溝が確認された。さらにその溝の終端には三角州状の堆積物が見えている。三角州は前回訪れた際に確認済みだが、溝については前回これほどハッキリしたものは見られなかった。陽の角度が浅いため陰影が際立っているせいもあろうが、それでもやはり前回との違いは明瞭である。 <<画像ファイルあり>> 川による浸食・堆積の模式図 三角州については、前回の写真と比べると、三角州がさらに拡大したというよりも上流方向に扇状地として追加されたような感じか。近くまで降りて観察してみたいが、急斜面の火口跡のためそれは不可能。それに、恐らくそこは登山道から外れた立入禁止区域であろう。硫化水素の臭いも強いため、そういう意味でも危険だと思われる。 <<画像ファイルあり>> 2007.05.29 <<画像ファイルあり>> 2007.09.22 蔵王のお釜の時もそうだったが、このように「合流」・「浸食」・「堆積」を模式図のように一目で見せてくれる地形というのは興味深い。しかも今回は傾斜の大きい場所であるため、川の営みが誇張して表現されており解り易い。 我輩はここで腰を降ろし、この川による浸食と堆積の模式図をジックリと撮影することにした。時折、他の登山者が我輩の背後を通過するが、誰も大穴火口の地形に注目する者はいなかった。 66判、35mm判、デジタルカメラにて撮影を済ませると、時間はもう8時になっていた。どうも時間が経つのが早く感ずる。 再び荷物を背負い、登山道を進む。今回は一脚を杖代わりにしているため、以前よりも安定感があるように思う。ただしグリップが無いため持ちにくいのは否定出来ない。 9時頃、ようやく一切経山山頂に到着。 一切経山の山頂は、特にこれというものが無く、そこでの記念写真は今回省いた。とにかく、目的は五色沼であるから、山頂からすぐに下り道を降りることにした。 見ると、前回我輩を苦しめた残雪は全く無い。これならば何の苦労も無く湖面にまで達することが出来よう。 <<画像ファイルあり>> 五色沼 (66判 40mm超広角レンズ) 前回障壁となった「立入禁止」の標識が再び見えてきた。やはり何度見ても「本当にここから先へ行って良いのか?」と不安になる。しかしこれは、脇道へ逸れぬよう警告しているだけである。 確かに、その先にも「立入禁止」の標識が幾つもあり、それらは道の脇に沿って設置してあることが判る。 <<画像ファイルあり>> 「立入禁止」の標識は道の脇に沿って幾つもある 9時20分頃、ようやく五色沼のフチへ降りることが出来た。 前回ほどの苦労は無かったが、一切経山を登った時の疲れと急斜面を降りた疲れが重なり、湖面がよく見えるところで腰を下ろし、休憩がてら撮影することにした。 それにしても、ここまで降りてくる登山者は何人も見える。しかもそれらのほとんどは定年退職したような老夫婦ばかり。我輩のような中年の男がこの程度の登山で苦労を語るのは恥ではないのか・・・? ただよく考えてみると、我輩は中判一眼レフカメラとその交換レンズ3本、さらに35mm一眼レフカメラ、その他フィルムなどを詰め込んだザックを背負っている。つまり、およそ6kgの荷物が余分にあることになる。まあ、その点を考慮すれば、少しくらいは苦労を語っても良かろう。 とりあえず、40mmレンズを装着したままの中判カメラを構えてみた。だが湖面の両側が完璧にフレームからハミ出している。やはりそうなるか。 そこで35mm魚眼レンズに換装してみる。すると、ちょうどフレームに収まった。ただし魚眼レンズのため仰角によって歪みが強く出るのだが、巧く調整することによって目立たなくすることは可能。 <<画像ファイルあり>> 五色沼 (66判 35mm魚眼レンズ) また、180mm中望遠レンズがあるため、対岸の映像も引き寄せて撮影してみる。 望遠で覗いていると、その風景の中にいる自分の姿が思い浮かぶ。後であの場所に行ってみることにしようか。 <<画像ファイルあり>> 五色沼の対岸 (66判 180mm中望遠レンズ) ふと横を見ると、一組の夫婦がこちらに歩いて来る。老夫婦とまではいかないが50〜60代くらいかと思われた。 「おはようございます。」互いに挨拶した。 「お仕事ですか?」と訊かれたため「趣味ですよ」と答えた。 「おお、凄いカメラだ。」と二人で驚いていた。どうやら、中判カメラの大きさというよりも、ウェストレベルファインダーで上から覗くスタイルが新鮮であるようだ。ちょうど魚眼レンズを装着していたこともあり、夫婦にファインダーを覗かせたりしてしばしの交流を楽しんだ。 さて夫婦が去った後、撮影を再開した。 基本的に山での中判撮影は、3枚の段階露光を行っている。フィルムと現像のコストよりも、山に登るためのコストと苦労が大きいからである。少しくらいフィルムを浪費しようとも、それで失敗が防げるのであれば安いものと考える。 ところが、35mm一眼レフは自動的に段階露光が可能であるが、中判カメラのほうは手動でやるしかない。しかも120フィルムでは12枚撮りとなるため、すぐにフィルムが終わって交換が必要となる。もし段階露光がフィルム交換によって中断されると、その間に光が変わってしまうとややこしいことになる。 現に空を見上げると、太陽の辺りに雲がかかっており時々光を遮る。しかも、湖面は影に隠れても対岸は明るい状態であったり、またその逆であったりして、せっかく露出値を決めて撮影を始めても、また測光をやり直して撮影し直すハメになる。 結局このようにして、同じアングルからの写真は段階露光の3枚に留まらず10枚近く撮ったカットもある。 さてこの五色沼というのは、一切経山から見下ろしていると水際まで降りるのは簡単そうに思える。しかし実際に近付いて見ると、密に茂った灌木が邪魔をして行き先を阻む。植生のほとんど無い蔵王のお釜とは対照的である。 また、そもそも登山道から外れることは禁止されており、どのみち水際まで接近することは出来なかった。 <<画像ファイルあり>> 灌木の生い茂った水際 しかし少なくとも湖を一周出来ないかと考え、フチを歩いてみた。 ちょうど、一切経山の向かい側にある対岸の辺りまで到達したところ、奇妙な形の岩石が散らばっているのに気付いた。どれも薄くはがれ、その縁はスッパリと切れたように真っ直ぐである。この五色沼は火口跡であることから、火山に関係する岩石であることは言うまでもない。 我輩はその岩石の一つを拾い上げ、ジッと見た。 <<画像ファイルあり>> 望遠レンズで見た対岸に到達 (66判 35mm魚眼レンズ) この岩石は、地下深くから湧き出た溶岩に含まれていたものだろう。つまり、地球の内側で対流していたもの。地球の中身に触れているとも言えよう。これは元をただせば宇宙を漂うチリであり、さらに言えば幾つもの恒星が核融合によって創り出した元素であった。 今この場所で改めてNHKスペシャルのDVDを観たならば、また違ったリアリティを以て観ることが出来るに違いない。 そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか灌木の茂みに行き当たった。どこかから抜ける道は無いかと探したが、結局、湖を一周することは断念した。 時間は11時を過ぎており、そろそろ昼食を摂る場所を確保しようと思い始めた。そこで、少し戻って日陰を作っている場所に降り、一息ついた。ここなら落ち着く。 <<画像ファイルあり>> 落ち着ける場所を見付けた 弁当を広げる前に記念写真を撮ろうと思い、中判カメラを岩の上に載せてフレーミングを調整した。こういう時、ウェストレベルファインダーが役立つ。 ところが、肝心のセルフタイマーが見付からない。スペア電池やフィルムなどを入れていたウェストポーチに入っていないのだ。どうやら、車で荷物整理をした時にセルフタイマーも誤って置いてきたらしい。 セルフタイマーが無ければ記念写真は撮れない。 仕方無いので、デジタルカメラと35mmカメラで撮ることにした。これらのカメラにはセルフタイマーが内蔵されているのだ。 <<画像ファイルあり>> 35mmカメラによる記念撮影 写真の背景は北の方角で、ちょうど蔵王もこの先にある。そして画面の右端には福島市内が見えている。空を見上げると、頻繁に旅客機が航跡を牽きながら北へ飛んで行くのが見える。望遠レンズで覗くと、双発機であったり4発機であったりというのが確認出来て面白い。旅客機の乗客からも五色沼が見えているだろうか。 我輩は弁当をつつきながら、のんびりとした時間を過ごした。 <<画像ファイルあり>> 絶えず旅客機が飛んでいる 食事後もしばらく景色を眺めてボーっとしていた。トレッキングシューズも脱いでリラックスしている。日陰の中で暑さもしのげる場所であるから、少しくらい昼寝をしても良いかも知れない。実際にはそこまでしないが、気持ちが穏やかであることによる素直な気持ちである。 この心の余裕は、自家用車でここまで来ていることに拠る。もし公共交通を利用していたならば、運行ダイヤに合わせた行動をとらねばならぬ。そのため、常に時間に追われる気持ちが抜けない。もちろん、登山は計画的に時間を気にする必要はあるが、時間に追われる意識とはまた別である。蔵王にて目の前の最終バスに去られた経験が忘れられない我輩は、自家用車を所有したことの恩恵を、この時に一番強く感じるのである。 12時半頃、我輩は装備を整え、トレッキングシューズを履いて紐を縛り、その場所を後にした。山で1時間も休憩したのは初めてであった。前回などは山で昼食は摂らなかった。 五色沼のフチをグルリと半周し、再び一切経山を登らねばならない。最終的には向こう側へ下山することになるのだから、この登りが虚しい。下山するために登山するわけだ。山を迂回出来れば楽なのだが・・・。 まあそうも言っていられないので、苦労してようやく一切経山を登り切った。土曜日の昼間ということもあり、上には多くの観光客風の登山者(一切経山の山頂にいるということは"一般観光客"ではないが、トレーナー姿にスニーカーという点が"登山者"とも言い切れない)がいた。そのうち1人のニイちゃんが、五色沼のほうから登ってきた我輩を見て話しかけてきた。 「この下って降りられるんですか?」 「ええ。」 「湖の周りを一周出来るんですかね?」 「いやそれは無理。」 「そうですか、ありがとうございます。」 そのニイちゃんは、我輩の登ってきた道をゆっくりと降りて行った。軽い気持ちで行ったとすれば、もしかしたら、後で体力が保たないかも知れないな・・・などと後で思ったが、まあカメラのような重量物を背負っているわけでもないだろうから、要らぬ心配だろう。 下山は、前回と同じく「酸ヶ平(すがだいら)」のほうへまわる。前回は残雪に苦戦したが、今回はそんなことも無かろう。 木道のある場所まで急斜面を降り、途中、鎌沼へ寄ってみたが、雲が出て暗くなったため撮影もせず引き返した。 時間は、いつの間にか14時。さすがにこの時点でもう疲労が溜まってきた。500ミリリットルのボトル2本はここで底を尽いたため、早く車に戻り冷えたスポーツドリンクを飲みたい。 <<画像ファイルあり>> 木道を歩き下山する 残雪は無かったものの、やはり木道は途中で分断されており、岩がゴロゴロした道を降りることが多くなった。登りよりも、下りのほうが脚に負担がかかっている。少しずつ少しずつ山を降りているのが分かるが、それでも先が長く感ずる。疲労のため、とにかく無心に道を降りて行った。 14時45分頃、ようやく元の駐車場に戻った。 荷物を降ろし、冷えたスポーツドリンクを飲んだ。そして車の後部座席に座り、しばらくグッタリしていた。ここまで来れば、何とでもなる。 窓を開けて風を車内に通した。ちなみに、車外温度計によると気温は20度である。 30分ほど休んだろうか、ようやく落ち着いたので、もうそろそろ家に帰ることにした。時間に制限は無いが、それでも早めに帰るに越したことは無い。 運転席に座りエンジンをかける。 疲労感と達成感が入り交じる中、車をゆっくりと動かし駐車場を出た。下り坂が続くため、エンジンブレーキでの減速を行う。フットブレーキは微調整と後続車への合図に使うのみ。 市街地へ降り、福島西インターチェンジから高速道路に乗るのだが、ガソリンがギリギリでは心細いため直前に給油しようと思う。 ところが、ガソリンスタンドの入り口を見誤り、急な動作を好まぬ我輩はそのまま通過してしまった。結局、そこからインターチェンジまでガソリンスタンドは無く、かと言って引き返すのも無駄に思い、そのまま高速道路に乗り帰路についた。 ちなみに外気温度は30度を示している。エアコンは弱く入れていた。 行きは平均スピードが100km/hであったから、帰りは80km/hにすれば少しはガソリンの消費も抑えられよう。一応、この車の経済運転速度は50〜60km/h(メーターに指標がある)となっており、それに近いほうが良いかと思う。 当然ながら80km/h巡航では、走行車線をひたすら走ることになる。もっとも、遅い車は必ずいるため、その車にずっと付いて行くような状態である。 後続の車は、次々に追い越し車線へ出て追い抜いて行く。 16時半頃、安達太良サービスエリアに入った。 燃料計はちょうど半分を示している。この分ならば、無給油でも大丈夫であろう。ただ、高速道路上であるから少しくらいは余裕を持たせたほうが良いのではないかとふと思った。このまま80km/hをキープするのも疲労が溜まるだろう。燃料計に気を遣わず運転するために、10リットルくらいは給油しておこうか。さすがにサービスエリアのガソリン単価では満タンにする気にはならない。 17時10分、阿武隈パーキングエリアへ寄った。空もずいぶん暗くなってきた。 カーナビゲーションの地図を見ると、まだそれほど進んでいないのが悲しい。まだ150kmもある。 脚はかなり疲れているはずだが、アクセルペダルが重い車のため、足の重さをペダルに預けることが出来るのが楽である。いくらかかとを床に着けていようとも、つま先を上げた状態を続けるのは疲れる。特に登山後の脚では。 しばらく走っていると、雨が降ってきた。もう陽は暮れて夜の景色となっている。 ところがその雨が突然にして豪雨となった。車のルーフに雨の音がドーっと響く。ワイパーの速度を最大にしたが視界がかなり悪くなった。前車の巻き上げる水煙がもの凄い状態となり、当然ながら車の流れが遅くなった。 この雨は、これまで運転してきた中でも特に激しいものだった。高速道路を走行中であるから、ハイドロプレーン現象が恐い。以前、一般道を走行中にも豪雨に見舞われたことがあったが、幹線道路だったため車の流れは速く、スピードを落とさず水たまりに入ったところわずかに車が尻を振ったのを感じてアクセルを緩めた。その時の記憶が蘇った。 この雨は局地的なもののようで、18時半頃に矢坂北パーキングエリアへ寄ったのだが、そこでは雨がふっていないどころか路面も濡れていなかった。 その後、順調に思えた運転ではあったが、途中で蒸し暑さを感じエアコンの風量を上げた。ガソリンに余裕があるため、何の問題も無いと思った。 しかしあまり風を感じないため、風向きを変えてみたり風量をさらに調整したところ、うまく風が来るようになった。ところがその風が顔面に当たるないなや、目に激しい刺激を感じ、涙が溢れてとまらなくなってしまった。何だこれは?! それはまるで催涙ガスを思わせた。 目を何度もしばたかせたり涙を流れるに任せて刺激物を洗い流そうとしたがあまり効果が無い。高速道路を走行中であるから、これにはかなり焦った。標識を見ると、羽生パーキングエリアまであと2kmと出た。あと少し頑張れば何とかなる・・・。 我輩は必死に車を操り、ようやく羽生パーキングエリアに車を停めることに成功した。 結局のところ、原因は判らなかった。エアコンも風量そのままで問題は無くなった。しばらく目を休ませると涙も落ち着き、痛みも無くなった。もしかしたら、エアコンにカビの胞子が大量に発生していたのかも知れない。しかしなぜ今になっていきなり? 最終的に、家に帰り着いたのは20時半頃であった。 暗いうちに出発し、そして暗くなって帰宅したわけだ。 今回はとにかく、前回達成出来なかった五色沼への到達を果たし、充実を感じている。しかし同時に、五色沼への接近には限界があるためもはやこれ以上探索する余地も無く、何度も訪れる価値を見出せなくなった。 しかも、一切経山を降りるために登らねばならないという苦労が伴うのだ。この場合、一切経山は単なる障害物でしか無い。迂回出来ればそれが一番合理的なのだが、それも無理。 恐らく、今後再び五色沼を訪れることは無かろう。 最後に撮影結果のまとめであるが、今回撮影したフィルムは120フィルムが8本(総撮影枚数96枚)、35mmフィルムが2本(総撮影枚数72枚)であった。 一見すると120フィルムでの撮影枚数が多いように思うが、段階露光が多いためシーンとしては少ない。一方、35mmのほうは段階露光は行っておらず、ほぼ撮影枚数と同じ数のシーンを撮影している。 採用枚数については、120フィルムが30カット、35mmフィルムが65カットとなっている。 この結果を見ると、120フィルムのほうはほぼ段階露光分の結果が現れており、シーンとしては取りこぼし無く全てをカバー出来た。一方35mmのほうは1シーン1カットとしており、それを考えると採用率は100パーセントに近いほうが好ましい。 ちなみに、採用基準は35mm判のほうが若干甘い。 ---------------------------------------------------- [610] 2007年12月14日(金)「運動会での撮影」 中判カメラで望遠撮影をするのは大変な苦労がある。 7〜8年くらい前、我輩がBRONICA用の250mmF5.6を購入した時だが、このレンズを使って上野動物園で試し撮りをした。その結果は、一脚を使用したにも関わらず、ほとんど全てのカットに微小なブレが認められた。 せっかく購入した機材で最初からこのような結果になるとショックが大きい。 確かに、動物園内は木々が茂っているため多少暗く、F5.6の状態でもシャッタースピードが1/60〜1/125秒くらいしか使えなかった(感度100フィルムにて)。しかしそれでも、一脚を使用しながら慎重にシャッターを切ったはず。まさに予想外の結果だった。 このような結果が出てしまうと、この250mm望遠レンズというのは実用外にも思えてくる。実用するならば、よほど強固な三脚にガッチリと固定し、ミラーアップ状態でケーブルレリーズを使うしか無いのか? そうなると、一眼レフであることのメリットが失われるばかりか、そもそも撮影対象がかなり限定されよう。使える場面が思い付かない。 元々、我輩は望遠撮影はあまり好まぬ。写真の情報量を第一目的としているため、パンフォーカス写真を常に目指しているからだ。 情報量を重視する意味で中判を選択した我輩だったが、中判では被写界深度が浅くなりがちで、より広角なレンズを求めねばならない。そういう意味では望遠レンズというのは、我輩の用途としては真逆に位置することになる。 それならば、なぜこの250mm望遠レンズを購入したのか? これは、目的無きいわゆる"衝動買い"というやつか? いや、このレンズを手に入れようとした大きな動機が実は存在する。 それは、豚児写真である。 我輩は、豚児撮影用として66判の中判を「制式写真」と位置付けている。これより小さなフォーマットはもちろん、大きなフォーマットでも制式から外れることになる。 以前、成り行き上67判で撮影せねばならなかったことがあるが(参考:雑文503「夏の帰省日記(1)」)、この時には現像後に67サイズのポジを66サイズに断裁した。それほどのこだわりがあるからこそ、"制式"たりうる。 この位置付けは、豚児が生まれる数年前からのものであり、決して、生まれた後に気まぐれで決めたものではない。だからこそ、当時としては必要も無い中判用の望遠レンズを購入した。もしそうでなければ、望遠撮影ならば迷わず35mm判を選択したはず。 それにしても、冒頭にも書いたとおり、中判用望遠レンズ250mmの撮影結果は芳(かんば)しくなかった。そのため、「たとえ運動会のためであろうとも、我輩の技術ではこの望遠レンズを活用出来まい。」という印象を持った。広角レンズを使いフットワークで被写体に迫るほうが、失敗も少なく臨場感も出よう。 このような理由で、中判用250mm望遠レンズは完全に無駄な機材となった。ただし、手放すことは無い。機材をストックするという行為は、何割かの無駄は覚悟の上でなければならぬ。いつかふと、必要になる機材が発生した時に備えて、必要無い物まで含めて買い込むのが本当のストックなのだ。 そういうわけで、購入からずっとこのレンズを使うこと無く機材庫にしまいっぱなしにしてあった。雑文462「10年目」にも、このレンズについては「想定される用途は無いが、とりあえず所有」と記載した。 月日は過ぎ、2007年の今年。いつの間にか運動会の日が現実になってきた。 ある日、床屋で幼稚園の運動会の話になった。 「運動会、場所取りで並ぶんスか?」 このように訊かれ、我輩は一瞬絶句した。 「そ、そう言えば、そんなことをテレビや雑誌などで聞いたことがある。前日から泊り込むツワモノもいるとかいないとか・・・。」 我輩は、床屋帰りに考えながら歩いた。 かけっこなどでは、良いポジションを確保しなければ見応えのある写真はなかなか撮れまい。しかし、いくら何でも幼稚園の運動会ごときで場所取りのために並ぶのは馬鹿げている。ましてや前日から並ぶなど・・・。 我輩は、これまで漠然と「こういう撮影ではフットワークを駆使して広角スナップでいこう」と思っていたのだが、いざ現実を前にして考えるとなかなか難しい。 考えてみれば当然なのだが、運動会の案内を読むと撮影場所は制限されている。遠くから望遠で引き寄せることも必要となろう。いや、もしかしたらそれが唯一の撮影法となるかも知れぬ。 我輩としては、豚児だけでなくその友達も同じフレーム内に納めたいと思う。それが我輩の求める写真の情報量である。 よく、「写真というのは引き算だ」と言われる。これは、余計なものをフレームからどんどん外していき、必要最低限の構成物だけで写真を組み立てろという意味である。しかしこれは写真を作品として扱う場合の話であり、我輩のような用途では「写真というのは掛け算だ」と言い切る。色々と写り込んだものがそれぞれに情報を持っている。そういう写真というのは、ジックリ観れば観るほど情報が湧いてくるのだ。 (もし、写真の情報量についての重要性を実感出来ぬならば、古い写真を観てみるがいい。写真を隅々まで観ている自分に気付くだろう。) 我輩は、状況さえ許せば広角レンズでスナップを行うこととするが、距離の離れた撮影のために望遠レンズも持って行くことにした。ただ、中判用望遠レンズは我輩の中では成功例が無いため、今回の運用は賭けに近い。事前に、「どういう条件であればブレにくいか」という研究はしておくべきだったと悔やんだが、もうその時間は無かった。 全ては、当日に答えが出る。 運動会当日、朝から良い天気だった。 これならば比較的速いシャッタースピードが使えよう。しかし成功事例の無い望遠レンズについての不安は消えぬ。我輩の広角専用スキルでは、仮に最高速1/500秒でシャッターが切れる条件であろうとも、望遠撮影ではブレる危険性は高かろう。 とりあえず、ほどほどの望遠として180mm中望遠レンズも用意した。250mmレンズが手に負えないようであれば、180mmに切り替えるつもり。 <<画像ファイルあり>> 朝から快晴(露出計代わりのRICOH GR-Dで撮影) 快晴となれば陰が強くなるため、ストロボでの日中シンクロは必須。これを欠くと、人物撮影では帽子を被った顔が暗くなり過ぎる。 確かに、日中シンクロを手動カメラで撮影するには調節が面倒。距離に応じたマニュアル発光量を設定する「フラッシュマチック」での撮影をせねばならぬ。動きのある被写体ではシャッターチャンスを逃すだろうが他に方法が無い。まさかレフ板を使うわけにはゆくまい。 また、幼稚園とは言っても一応は運動会での撮影あるからスポーツ写真には違いない。そのため、撮影レスポンスを向上させるためにモータードライブを装着した。作動音も大きいことから、子供の目線を引く意味でも効果があろう。 運動場を見渡すと、競技中の様子を写すには父兄席の後ろから距離を空けて撮る以外に無い。そうなるとやはり望遠レンズでの撮影が主体となろうか。試しに、250mmレンズを装着してファインダーを覗いてみたが、これでもまだ引き寄せが足りないように思った。 以前、ネットオークションで定価100万円もするブロニカの500mmレンズが出品されているのを見かけたが、最低落札価格10万円でも誰も手を出さなかった。その時はよほど我輩が落札しようかと迷っていたが、安いとは言っても我輩にとっては高かったし、250mmレンズさえ使いこなせない状態で500mmレンズなど実用に足るとは思えず断念したのである。しかし、ここまで望遠が足りない現実を前にして、やはり無理にでも500mmレンズを手に入れるべきだったかと少し後悔した。 だが、手持ちで状態で覗いた250mmのファインダー像は揺れており、これが500mmとなればその揺れもさらに大きくなろう。ここは、拡大率が足らず作画的に中途半端になろうとも、周囲の状況が写り込み情報量が増えるのだと前向きに考えることにしたい。 ただそれでも、競技中でなければ豚児に接近する機会は幾つかある。その一つが、入場門で次の出番を待っている場面である。そういう時には広角レンズで接近して撮影する。 この時、なるべく友達を一緒に写すように努めた。なぜならば、豚児だけを撮ってもそれは単なるポートレートでしかないからだ。そういう写真ならば休日にでも公園で撮れば済む話。友達と一緒に写った写真が後に大切な思い出となることは、我輩自身の経験からも明らかである。 露出はいつものようにデジタルカメラ「RICOH GR-D」で測るのだが、日差しが強いために液晶画面が見づらく露出決定に自信が持てない。広角専用カメラのため、部分を拡大して撮影することも出来ない。また、最近はピント合わせにも自信が無いために、可能な限り何枚も同じシーンでシャッターを切った。 もちろん、日中シンクロも忘れてはならない。 <<画像ファイルあり>> 日中シンクロ(BRONICA 広角40mm) <<画像ファイルあり>> 半逆光で日中シンクロ(BRONICA 広角40mm) <<画像ファイルあり>> 日中シンクロ(BRONICA 広角40mm) 日中シンクロの場合、陰を明るく照らすということばかり意識し過ぎると、写真全体としての不自然さに繋がり易い。やはり、陰は陰として表現したい。 これが自動化された35mm一眼レフカメラやデジタル一眼レフカメラならば、そのような状況でも専用ストロボを組み合わせることによって最適な発光量を自動調節してくれるだろう。しかし我輩のカメラは単純機能の中判カメラである。そのような高度な自動撮影は不可能。フラッシュマチックで算出した値からマイナス補正を加えるしか方法が無い。 それにしても、フィルム撮影は現像してみるまでは結果が分からないため、撮影中は「本当にこの設定で良いのか」という不安はつきまとう。デジタルカメラで露出を確認しようにも、GR-Dは広角専用機であるから、ピンポイントで露出を確認したい箇所は小さく写るため確認困難。 結局のところ、子供相手のため撮影距離が刻々と変わることもあり、計算通りにはいかなかったカットもそれなりに多かった。 さて、競技中は望遠撮影となるわけだが、やはりこれは難しい。 現像結果から言うと、やはりブレはそれなりにあったが、ピンボケ写真も多い。かけっこのような競技ではマニュアルフォーカスでの追随が難しいのである。ブレを気にしてしっかりホールドするとピント合わせがスムーズではなくなるし、ピントに神経を集中させるとブレが出てしまう。 しかしどちらかと言えば、快晴の直射日光が最高速シャッタースピードの使用を許してくれるため、ピント合わせのほうに多くの努力を注ぎ込むほうが良いかも知れない。 <<画像ファイルあり>> 半逆光で日中シンクロ(BRONICA 望遠250mm) ところで、ふと幼稚園指定業者のカメラマンが使っているカメラが気になった。 見ると、2台体制で撮影しているようだった。遠くからでは分からないため250mm望遠レンズで覗いてみたところ、どうもNikon製カメラのように思えた。だが機種までは判らない。 「2台のカメラを使わずとも、いまどきならば高倍率ズーム1本で済むだろうに」 しかしふと、以前のイベントで業者カメラマンが「MINOLTA α-9」を使っていたのを思い出した。それは別のカメラマンだったが、同じ業者に属しているに違いない。ということは、この業者はフィルムを使って撮影しているのだろうか? だからカメラも2台必要(フィルム装填のタイムラグをカバーするため)なのだろうか? そうやって見ると、今回のカメラマンが使っているカメラが「Nikon F6」に見えてきた。MINOLTAがカメラ撤退したためNikonに切替えたのかも知れない。 まあ、他人のカメラを気にするのはこの辺にしておく。 それにしても、モータードライブ撮影というのは忙しい。もちろん、巻き上げは自動なので楽だが、フィルム換装のほうは手動でやるしかない。12枚撮りの120フィルムではすぐにコマが尽きる。いつぞやの撮影会の時のように220フィルムを使えば24枚撮りになるだろうが、室内スタジオの撮影でさえ光がカブったことがあるから、直射日光の強い屋外で裏紙の無い220フィルムを使うのは自殺行為である。 そういうわけでモータードライブで120フィルムを使い、午前中にはフィルム7本を消費した。うまく撮れているか分からない撮影というのは、とにかくコマを消費してしまう。このままでは午後に使うフィルムが足らない。仕方無いので、いったん自宅に戻りフィルムを補充することにした。ただし、10本だけである。多めにあっても良いかと思ったが、あまりにたくさん撮っても大変であるから、上限を設ける意味で10本だけとした。 結果的にフィルムの浪費が抑えられ、フィルムが底をついたのは閉会間際であった。 今回は、午前中7本、午後10本撮影したことになる。 合計17本(204枚)撮影したうち、採用分99枚。ほぼ5割となる。ちなみに250mm望遠撮影の採用は40枚ほどであった。やはり強い光に助けられてブレ写真が少なかった。 一方、失敗の原因はピンボケと露出過不足である。プリズムファインダーは倍率が低いためピントが合っているかどうかが分かりづらい。もし倍率の高いウェストレベルファインダーを使ったならば改善されたのかも知れないが、モデル撮影と同様に子供の目線をこちらへ引くには都合が悪い。どう考えても、下を向いた人間(ウェストレベルファインダー)とこちらを向いた人間(プリズムファインダー)とではアピール度は異なる。 それにしても、豚児のリレー競争で若干後ピンだったのが悔やまれる。 ルーペで拡大して確認すると、背後の観客席にピントがバッチリ合っておりブレも全く無い。それだけに無念である。いつもならば「目のかすみか?」と思えるような微妙なピンボケですら採用しないのだが、今回は迷いに迷った。走っているカットはそれ以外に無いのだ。 「くそ、AFカメラならばこの程度でピントを外すことは無かったはず・・・。」 悔やんでもどうしようも無い、結局、我輩は信念を曲げることにした。苦渋の中での採用である。ここは、唯一の例外ということで自分を納得させるしかなかった。 このようにして今年の運動会は、成果も多く残したが、大きな後悔も残す結果となった。 来年は、何としてでもこの後悔を挽回せねば気が収まらぬ。 ---------------------------------------------------- [611] 2008年01月09日(水)「巡り合わせ」 「総理大臣になるには、どうすれば良い?」 このような発想から始まる者は、恐らく総理大臣にはなれまい。 総理大臣というのは、単に自分の努力だけでなれるものではなく、その時代の世論や派閥の力関係、そして何より、次の総理大臣が求められているその時に、求められる人間として自分が存在しているかどうかが鍵になる。 少なくとも、総理大臣になりたいという目的だけでやってきた者は、総理大臣どころか議員にすら不足であろう。 政治というのは、何になるかではなく、何をやったかが重要なのだ。だから、総理大臣ということを意識せずに政治活動に勤しんできた者が、結果的に総理大臣に推されることもある。その昔、故伊東正義議員が総理大臣を固辞した出来事があったが、これは、総理大臣を目指していない人間でも信念に生きていれば総理大臣になる可能性もあるということを示している。 結局のところ、ひとことで言えば「巡り合わせ」であろうか。 時代の求めるところと、求められる人間が、たまたまそこに居合わせたのだ。 −−−−−−−− さて、我輩はこれまで、自分の撮影する写真について「フォトコンテストで入賞する」とか、「写真集を出版する」などという気持ちを全く持たなかった。 ところが先日、ふとしたことがきっかけで、関連会社の社内報(季刊)の表紙に、我輩の撮った写真が掲載されることになった。66判で撮影した福島の五色沼の写真である。 「審査があるため採用されるかどうかは分からないが」とは事前に言われていたが、提供した10数枚の写真のうち、この写真が選ばれたのだ。 <<画像ファイルあり>> この会社の社内報は、関連会社を含む社員の撮った写真を募集し、社内報を編集しているデザイン会社が審査し掲載する。だが、応募してきた写真が一定レベルに達していない時には、敢えて社員の写真を採用せずレンタルフォトの写真を使っているとのこと。 思った以上に狭き門のようだ。 実は、その会社には我輩の親しい友人がいるのだが、彼は何度か写真を応募しているものの採用されたことは無い。 「気合入れて撮った写真なのに採用されなかったよ〜。」とこぼす。 ふと、我輩自身を考えてみると、別段、表紙に載せてもらおうと目論んで撮った写真ではなかった。 それは、絵ハガキ写真のように全てをしっかりと写し込んだ誰でも撮れそうながらも誰も撮らない写真(参考:雑文486「仕込み」)、そして、図鑑写真のように特定の興味視点から見た美を意識しない写真(参考:雑文490「写真をナメてるな」、雑文260「趣味性」)、である。 そしてそういった写真を、緻密で深い色を安定して記録可能なリバーサルフィルムに写し込むのだ。 そういう撮影はいつものとおりである。自分自身の求める写真を撮ったに過ぎぬ。 ではなぜ、我輩の写真が採用されたのか? 「応募された写真の中で使えるものが無い場合にはレンタルフォトを使う」という話から考えると、恐らく社内報編集者は、絵ハガキのようなしっかりと撮られた写真を求めているのではないかと想像する。通常のフォトコンテストであれば、我輩の写真が採用されるはずがない。我輩にはそういう変な自信はある。というのも、通常のフォトコンテストでは、偶然出くわした情景を心で感じてシャッターを押すというような"感性"を重んずる傾向があるからだ。 それに対して我輩は、まず最初に欲する映像があり、それを得るために執念を燃やし、ありとあらゆる努力を注ぎ込む。時には魚眼カメラを自作したり、時には膨大な借金をしてシフトレンズを購入したり、時には15年続けたペーパードライバーを返上したりした。それらは、我輩にとっては大変な執念と努力である。 我輩の写真に、"感性"という言葉は無い。たとえば感性を備えた人間がよく口にする「光を読む」という言葉などは、我輩にとって理解不能なものの代表である。 たとえ何かの間違いで万人が褒めるようなキレイな写真が撮れたとしても、キレイさとは別の、我輩の求める情報量が無ければ喜びはあまり無い。 もし今回、被写体そのものに深い関心を持ち撮影された写真ということが社内報編集者に伝わったのであれば、我輩はこの上無い喜びを感ずる。写真が認められたということよりも、我輩の意図が伝わったことの喜びである。 まあ、そこまでの解釈はさすがに深読みとは思うが・・・。 載せてもらおうと気合を入れて撮りながらも採用されなかった友人と、自分の欲する写真を撮っただけで採用された我輩。 これこそ、まさに巡り合わせについての良い対照であろう。 自分の信念を疑わず歩み進んでいれば、いつか巡り合わせで総理大臣になることもあるのだ。 ---------------------------------------------------- [612] 2008年01月14日(月)「株式会社 ジー コーポレーション」 ここ数年、禁煙の波は広がっており、いよいよタクシーでも全面禁煙化されたという。 しかしながら先日、喫煙を断られた乗客がタクシーの運転手に暴行をはたらき、軽傷を負わせて逮捕されたというニュースがあった。 しかもその加害者は、実は客として乗った別のタクシー運転手だったのだ・・・。 我輩は、このニュースを聞いて仰天した。 同業者というのは抜きつ抜かれつの競争相手ではある反面、同業者の苦労は人一倍解るものだ。そのため、禁煙についての理解を求める立場というのは、この加害者は解っているはずである。 しかしそうでありながら、運転手の座席の背もたれを後ろから蹴り、タクシーを降りた時に殴りかかった。そしてその理由が「喫煙を断られて腹が立った」という理不尽極まりないもので、まさに開いた口が塞がらぬ・・・。 −−−−−−−− 我輩はこれまで、数種のウェブサイトを制作・運営してきたが、そのどれもが素材の製作に時間がかかっている。 文字であれば時間は別として特別なコストは発生しないのだが、画像となればデジタルカメラやその交換レンズ、フィルムを使用すればフィルム代と現像代/マウント代などが上積みされる。 (デジタルカメラなどは、「その撮影のためだけに購入したのでは無かろう」と言われるかも知れないが、用途が広範囲であろうともそのような商品撮影用途が購入を決めた主要因であるならば、そのための機材と言えよう。) 以前、雑文436「ニュース速報」にて、我輩の撮った自動車事故現場の写真を掲載したが、この写真を「世界びっくりカーチェイス CLUB "a"」というサイトで無断で転載されたことがある。 そのことを雑文436の追記に書いたところ、早速該当ページが丸ごと削除されてしまった。恐らく、アクセスログからリンクされたのを察知したのではないかと思う。そうでなければ、他の写真も掲載されたページを"無かったこと"にするわけがない。 まあ、削除されてしまったページであるから、今さらどうこうする話ではない。 さて、我輩は運転初心者ながらも車が好きで、よく車関係の画像掲示板を巡回して珍しい車や興味深い車の画像を収集している。 するとそこに、「株式会社 ジー コーポレーション」(千葉県船橋市小野田町1509-1 TEL:047-457-0001 FAX:047-457-0132)という車屋のサイトが紹介されていた。 面白そうな内容として紹介されていたため、我輩もそこを見てみることにした。 すると、「5ちゃんねる」と題されたリンクボタンがありそこをクリックしてみると、何だか違和感のあるページへ飛んだ。 「ム・・・、我輩の何かが反応している・・・。何だこの違和感は?」 よく見ると、そのページのトップデザインに使われているCanon製デジタルビデオカメラの画像が、どうも我輩の撮った写真のように思える。 我輩の頭の中には、雑文の記述だけでなく、画像のデータベースも構築されているため、画像を一目見ただけでデジャヴュを感じるのだ。 「これは、雑文480で掲載した画像か・・・?」 <<画像ファイルあり>> もちろん、市販のビデオカメラを撮影した写真であるから、似たような画像があるのは考えられる。そう思って雑文480を開いてみたのだが、どのように見ようとも同一の画像であるとしか思えぬ。 <<画像ファイルあり>> 「ジー コーポレーション」掲載の画像 <<画像ファイルあり>> 雑文480に掲載している写真 見ると、そのビデオカメラにはレイノックス製ワイドコンバージョンレンズが装着されており、しかもゴムローレットの位置までピッタリ同じなのだ。このコンバージョンレンズはネジ込み式のため一定位置には止まらず、我輩はかなりキツく締め込んであるため止まり位置は別の者とは異なるだろう。また、製品自体のゴムローレットの位置がバラバラである可能性も高い。それなのに、このように見事に合致するとは・・・。 <<画像ファイルあり>> 大きさを合わせて交互に表示してみた。 他にもライティングの加減なども見たが、何から何まで一致すると言わざるを得ない。 結局のところ、この画像は我輩の撮った写真を転用したと認定した。 「サイト制作・運営がどれほど手間がかかるかというのは、制作者ならば理解出来るだろうになあ。逆に、自分が撮った写真を勝手に使われたらイヤじゃないのか?」 まさに、同業者に殴られたタクシー運転手のような、そんな感覚を覚えた。 しかも今回、画像を加工しており、同一性の保持さえ無い。 ふと思うことがあり、そのサイトのトップページを見てみた。 すると、「写真等すべての情報の版権は株式会社ジーコーポレーションに帰属します。無断転用を禁止します。」などと書かれているではないか。 ここまで来ると、もう笑うしか無い。これは、ブラックジョークなのだ。 <<画像ファイルあり>> 自分の著作権だけ主張しているところがブラックジョークを狙っており笑える。 しかしそれにしても、会社名を晒してまで捨て身でジョークを放つという度胸には恐れ入る。 ブログのほうを見ても、客の見られる場所に客を貶したことを書くなどなかなか気合いの入った内容であるし、恐らく生活のためではなく趣味で営んでいるショップなのであろう。 いずれにせよ、前回の「世界びっくりカーチェイス CLUB "a"」の件にしても、今回の「株式会社 ジー コーポレーション」にしても、"車関係"という共通点があるのは興味深い。 車関係というのは、こういう感じなのか? 結局のところ、我輩として一番痛いのは、このようなことに無駄な時間を浪費したことである。 そのお礼としては何だが、ここでショップの宣伝ということで晒しておきたい。いずれこの雑文も検索エンジンでヒットするようになるだろう。 ●2008.01.19 追記 もう検索エンジン「Google」にこのページが登録されているようだ。現時点で「株式会社 ジー コーポレーション」で検索すると、検索4ページ目の真ん中に現れる。 今後、もっと上位に現れるといいのだが、SEO対策は難しいからな・・・。 ●008.02.01 追記 検索エンジン「Google」での「株式会社 ジー コーポレーション」の検索結果が、7ページ目に落ちてしまった。 ●2008.02.10 追記 盗用先の該当ページのデザインが変わってビデオカメラの画像が目立たないようになっている。どうやら向こうのアクセスログで当ページを発見した様子。ゴマカシ作戦発動か? しかしそうは言っても、画像そのものはサーバにアップされたままになっている(http://www.g-corporation.co.jp/5chan/img/555.gif)。恐らく、慌てて修正版をアップしたのだろうが肝心の画像は消し忘れたということだろう。表面上は見えないから、よくそういう手違いはある。こちらでHTMLまるごとごっそり保存しているから、そんなに慌てなくともいいんだが。 とりあえず、画像ファイルがいつサーバから消えるのかが見物だな。 それから、検索エンジン「Google」での「株式会社 ジー コーポレーション」の検索結果が、4ページ目に戻った。 <<画像ファイルあり>> <この画像が消えたら、サーバから削除されたということを意味する> 画像が削除されるまでの日数---> 日(後日記録) ●2008.02.11 追記 今更の感はあるが、「世界びっくりカーチェイス CLUB "a"」のアクセスログ画面を発見した。 ** ここをクリック ** 当サイトからのアクセスが幾つかあるのが笑える。 多分、管理者はこのページを見て仰天し(まさに"世界びっくり"というところか)、すぐにこの画面をアクセス不能にするだろう。あるいは、さりげなく当サイトからのアクセスをカウント外にするだろうか。そのタイミングが注目だな。ここを見ているという確実な証拠になる。 アクセス対策するまでの日数--->4日 ●2008.02.16 追記 「世界びっくりカーチェイス CLUB "a"」のアクセスログの件、このページからのアクセスはカウントしないように変更されたようだ。 しかしそんなことをすると、こちらで何か動きがあると察知出来ないため、我輩が想像するに、恐らく別の解析ページを設けてそこでモニタリングしているのではないかと思う。 まあどちらにせよ、世界びっくりカーチェイス CLUB "a"の管理者はこのページを見ているというのが確定したわけだ。 もう写真無断盗用はするなよ。 ---------------------------------------------------- [613] 2008年01月18日(金)「MAMIYA 645」 我輩は、中判写真では66判のみを使うことにしている。 なぜならば、中判カメラを導入する際に、熟考に熟考を重ねて66判と決めたからである。正方形の画面であれば縦横を区別する必要が無く、軽量なウェストレベルファインダーだけでも用が足る。 そういうわけで、66判の前後にある645判や67判についてはほとんど興味が無い。 AF化された645判が時々羨ましく思うこともあったが、結局は66判に固執して今日まで来た。 もしそれほどの決意が無ければ、66判用の魚眼レンズ(参考:雑文382「里帰り」)やアオリレンズ(参考:雑文389「Canon TS-E 90mm F2.8を手放した理由」)をあれほど苦労して手に入れたりはしない。 さて先日、久しぶりにアオリ撮影をしようと、例のキエフカメラとハートブレイのアオリレンズを引っ張り出してきた。 そして、シャッターの調子を見ようとシャッターを切ってみたところ、初っぱなから妙な感触だった。 「?・・・、キレが悪いな・・・。」 フィルムバックを外してシャッターを切ってみようと思ったのだが、今度はフィルムバックに遮光用の引きフタを挿入しようとしたところ、キツくて全く入らないではないか。 とりあえずフィルムバックの裏ブタを開けてシャッターの様子を見てみることにしたのだが、シャッターを切ってもシャッター幕が微動だにしていない。ミラーのほうは動いているため、その作動音だけはする。だから、妙な音になっていたのだ。 <<画像ファイルあり>> ハートブレイのアオリレンズを装着したKiev88CM 「困ったな・・・、これでは撮影が出来ない・・・。」 現段階で、トラブルが2つあるわけだが、まず、フィルムバックを外すことを考えた。 引きフタは相変わらず挿入出来ない。しかしどうしようも無いので無理矢理ネジ込んでみたところ、遮光用のシールみたいなものがフィルム面の方向に押し出されてきた。 「参ったなこりゃ・・・。」 仕方無いので、その遮光用シールを引っこ抜いてみたところ、やはり画面の周囲を囲っているもののようで、1周分のシールが取れてしまった。 恐らく、このままでは光が漏れてフィルムバックとしては使えまい。 しかしとりあえずは引きフタも挿入してフィルムバックがボディから外れた。 問題は、シャッター幕である。 こちらはもう、指で押そうが何をしようが、1ミリも動かない。油などが固まって動かないというよりも、シャッター幕を止めている係止か何かが外れないような感じがする。 「やはり、ロシアカメラはこんなもんか・・・。」 いつかこうなる日が来るという予感のようなものが購入当初からあったのだが、それでも新品で購入して5年しか経ってないのがショックである。 「修理に出そうにも、出す場所が無い。しかも根本的にカメラの問題であるから、仮に修理したとしても、この先の不安は同様に続くだろう・・・。」 思い返してみると、このカメラでの撮影は「写っているだろうか」と常に不安を伴うものだった。特に、シャッターがどうしても信用出来ない。そのため、屋外(つまり定常光)では1度しか使ったことがない。 結局この日、我輩は、このカメラに見切りを付けた。 しかしながら、アオリレンズを活用するためには何らかのカメラボディが必要である。この際、マウントアダプターを使ってでも信頼出来そうな別のカメラに装着して使いたい。 そこで、マウントアダプターを検索してみたのだが、いくら探しても66判以上のボディに対応したものがヒットしない。どれもこれも、645判のマミヤやペンタックスばかり。中には35mmカメラ向けのものもあった。 よくよく調べてみると、フランジバックの関係で、他の66判以上のカメラにはキエフ用レンズのマウントアダプターが作れないことが判明した。もしあったとしても、無限遠が出なくなってしまう。 「くそ、645判を選ぶなど絶対にあってはならぬこと。何とか良い方法は無いか・・・?」 我輩は数日間、考えに考えた。同時に、検索に検索を繰り返しあらゆる可能性を探した。 一時はアオリ撮影が普通に出来る大判カメラにロールフィルムホルダーを装着するという選択肢も考えたが、大判機材を一から揃えると10万円は超えるため現実的でない。 ようやく出した答えは「アオリ撮影は特例として645判を認めざるを得ない」というものであった。 この結論は、「中判カメラは66判以外を使わない」という我輩自身の信念を汚すものである。だが、他に方法が無い。苦渋の決断である。 アオリ撮影などは、日常的に撮るような写真ではない。しかし、アオリ撮影出来るカメラが無ければ困る。多少、放っておいても大丈夫なカメラが必要なのだ。それには日本製のカメラが一番である。 もちろん、日本製カメラでも放っておいて良いというわけでもないが、ロシア製カメラに比べれば雲泥の差。そもそも、アオリ撮影をあまりやらなかったのは、カメラの不安もあろうかと思う。もしカメラの問題が解決されれば、アオリの面白さがより一層大きくなるかも知れぬ。 そうと決まれば、行動は早い。早速、購入の検討に入った。 代表的な645判と言えば、ペンタックスとマミヤである。ブロニカにも645判一眼レフはあるが、あれはレンズシャッター式であるため、純正レンズ(ゼンザノンとシュナイダー)以外は使えない。 まずペンタックスだが、ワインダー一体型で手動巻き上げが出来ない。別に悪くは無いが、どうも好きになれない。しかも、シャッタースピードを設定するダイヤルが無い。ダイヤル式カメラを推奨する我輩が、こんなカメラを選んでどうするか。 結局、マミヤとなったわけだが、ネットオークションで「マミヤ645スーパー」のボディ+ウェストレベルファインダーを22,000円で落札。未使用品とのことだったが、多少の使用感はあった。 その後、新宿キムラヤでフィルムバックとプリズムファインダーを購入。こちらは合わせて11,000円ほど。 そして、エレフォトのウェブサイトからマウントアダプターを注文。これは10,500円。 もちろん、金が無いから家計からの借金でまかなった。 せっかく借金が30万円台まで減ったと思ったが、また40万円台へと戻ってしまった・・・。 <<画像ファイルあり>> マミヤ645スーパーとハートブレイのアオリレンズ それにしても、このカメラはクイックリターン式のため、なかなか新鮮な感じがした。これまでは、シャッターを切ればブラックアウトしたままというのが普通の感覚だったため、まるで35mm判カメラのように感ずる。 また、エレフォトのマウントアダプターは造りがとても良く、スピゴット式のキエフマウントがキッチリとガタ無くレンズマウントを固定してくれるのが心強い。 プリズムファインダーは連続視度調節式のため、近視の我輩には好都合である。 モノクロフィルムで撮ってすぐに現像してみたが、なかなか良い具合に写っている。ピントも合っているのが確認出来た。 やはり、"写っている"という手応えのあるカメラというのは良いものだ。 もちろんそれが当たり前なのだが、ロシア製カメラの場合は残念ながら当たり前ではなかった。 今回、せっかく禁を破り、アオリ撮影のみという限定付きながらも645判を導入したのだから、今後はアオリ撮影を積極的に行い、楽しい遊び方なども開発したいと思う。 ---------------------------------------------------- [614] 2008年01月30日(水)「2本のAFレンズの購入」 我輩は現在、デジタルカメラを「Nikon D200」、「RICOH GR-D」、「Nikon COOLPIX5400」を使っている。 そのうち一眼レフタイプはD-200の1台のみであるが、一眼レフ型であるだけに、デジタルシステムの中心として活躍している。 一眼レフタイプのデジタルカメラについて、かつては300万画素の「Canon EOS D30」を使っていたのだが、こちらはEOSマウントのため、装着出来るレンズはAFタイプのみ。それゆえ、マウントアダプタを介して無理やりMFレンズを使う以外には、MF撮影を強いられることはあまり無かった。 ところが今は、MFレンズも装着出来るNikon製のデジタルカメラのため、AFレンズはボディと同時購入した標準ズーム1本しか無く、MF撮影を強いられる機会はそれなりに多い。 そんな去年の11月1日、東京モーターショーに見学に行った。我輩は自動車関連産業に関わっているため、業務上の見学であった。 その時我輩は、D200にMF24mm単焦点レンズを装着していた。室内撮影のため開放F値の小さな明るい単焦点レンズが良かろうと思ったからだ。 ところが、撮影している途中で気が付いた。 「もしかして、ピンボケしてないか・・・?」 背面液晶パネルで拡大表示させてみると、確かに大きくピンボケしてるのが判った。 「まあ、MFであるから手違いもあろう」と軽く考えて再度撮影してみた。すると、またもや大きくピンボケしているではないか。 「なぜだ? 今度は注意深く合わせて絶対に合焦させたと思ったが・・・。」 我輩はショックを受けた。 今度はフォーカスインジケーターを見てピントを合わせて撮影してみた。すると、今度はクッキリとピントが合っていた。 我輩は、自分の目が信じられなくなった。 「もしかして、焦点板がズレたのか? それとも我輩の目が衰えたせいか?」 ファインダーを覗いてゆっくりとフォーカスリングを回してみたのだが、映像がぼやけている状態からクッキリとした状態まで見えているつもりである。しかしながら、クッキリとした範囲に少し幅があるように感じた。つまり、ピントの山がどこにあるか分かりづらい。 これまで、このようなことが顕在化したことは無かった。 導入初期に300mmミラー望遠レンズをMFで使ったことについて雑文576「実戦投入」にも書いたが、このときはスポーツ写真だったため、ピンボケのカットがあっても動体に追随しきれなかったと解釈していた。もしかして、動体云々の問題ではなかったのか? そして、ピントが合っていたカットは、たまたまの偶然だったのか? 原因はともかく、モーターショーの現場では、自分の目でピントを見るのは断念し、フォーカスインジケーターだけを頼りに撮影してその場をやり過ごした。 撮影は、2GBのメモリカードの容量が一杯になった時点で終了。 撮影中は気付かなかったが、撮影後は目が非常に疲れていた。 フォーカスエリアを被写体に合わせてインジケーターを見ながらピントリングを回し、ランプが点いたらフレーミングしなおしてシャッターを切る。あまりインジケーターを凝視しすぎるとフォーカスエリアがズレてしまうことがあり、なかなか気が抜けない。 この一連の動作を数百回行ったのであるから、目が疲れて当然であった。 元々、我輩はブロニカ中判カメラにおいてMF撮影をしている。 人間のやることであるからピンボケ写真もたまに出てくるが、考えてみれば最近は少しピンボケカットが増えたような気もしてきた。 やはり、我輩の目の衰えであろうか。 ブロニカの場合はファインダーを換えられるため、ルーペ倍率の高いウェストレベルファインダーを使えば良い。それに焦点板にはスプリットプリズムとマイクロプリズムがあるため、迷いが無い。 それに比べ、D200ではファインダーは固定式で、しかもプリズム系の焦点板は用意されていない。 やはり、D200はAFレンズを使うことを前提としたカメラか。まあ、当然と言えば当然・・・。 たまたま、先日行われた豚児の「おゆうぎ会」にて、望遠ズームレンズの必要性が出てきた。 もちろん、ブロニカの250mm望遠レンズで制式写真は撮ったのだが、現時点で未現像なため結果が判らない。バックアップとして、その場で確認可能なデジタルカメラでも望遠撮影したいと思う。もちろん、決められた席からの撮影であるから、ズームであることは必須。また、ストロボや三脚の使用が制限されることも多く、手ブレ防止機能の付いたVRレンズは魅力的。 (ストロボについては撮影距離の問題、三脚については会場での禁止事項の問題である。) 一方、日常撮影用として大口径レンズでの撮影も有用であることを感じている。 これまでMF50mmF1.4レンズをD200でも使っていたのだが、やはりフォーカスインジケーターをチラチラ見ながらピント合わせする作業は疲れる。何しろ、このレンズを使う時は手持ちでの近接撮影が多いため、ちょっと身体の位置が動いただけでピントがズレるのだ。 これがAFレンズになるだけで大幅な負担軽減となることが期待される。 まず望遠ズームについては、豚児撮影用という名目があるため家計からの支出でまかなうことにした。予算は6万円程度ということで、ヘナチョコ妻への説得が必要だったが、何とか年末調整の返還金を充てることで納得させた。 ちなみに予算6万円というのは、「AF-S VR 70-300mm F4.5-5.6G」を想定していたことによる。ただこれは、最初に目に付いた望遠ズームということでしかなく、実際に購入検討する段階で幾つかの候補となるレンズの仕様を精査して決定する予定。 それから、50mmレンズについては、家計から支出する名目が無いため、我輩が自力で購入せねばならぬ。そうなると、価格の安いAF50mmF1.8を選択するしかない。まあ、F1.4もF1.8も似たようなもの。実際の撮影では開放で撮影できるシチュエーションも限定されよう。 また、どうせAFレンズを買うのであるから、Dタイプにするほうが良かろう。安いレンズであるから、ヘタに倹約しても意味が無い。 中古で買ったほうが5千円ほど安いようだったが、注文メールすると「在庫無し」と返信されたため、仕方無く新品で注文した。 望遠ズームのほうは、製品が幾つもあるためなかなか決まらなかった。 逆に言えば、全てを求めると該当するものが無い。 我輩としては、「低価格」、「最短撮影距離が短い」、「手ブレ防止機能」、「F値が5.6を超えない」、「フルサイズ対応」という希望があるのだが、〜300mm系や〜200mm系の望遠ズームには無数に種類があり、比較するだけでも大変である。 ドンピシャリと全ての希望条件を満たすものが無いので、妥協点を少しずつ変えながら吟味していくしかない。 結局のところ、選定しようにも選定しきれず堂々巡りとなってしまい、最初に検討した「AF-S VR 70-300mm F4.5-5.6G」を購入することとした。根拠を以って決めたわけではないため、勢いで「えいやっ!」と購入ボタンを押したわけだが、画面上に「ご注文ありがとうございました」と表示されたのを見て、本当にこのレンズで良かったのかと不安になった。 さて、数日後に2つのレンズが届いたわけだが、非常に満足している。 これまで我輩は、デジタルカメラの画像を「露出計/ポラ切り用途」あるいは「本番撮影ではない参考用途」と位置付け、なるべくその装備には金をかけないようにはしてきたつもりだったが、ここにきて2本のAFレンズを購入することになるとは複雑な心境である。しかも、そのうち1本は、絞り環の無いGレンズなのだ。 ただ、デジタル専用(APSサイズ専用)レンズを購入しなかったのは、F100やF80を導入すればフィルムでも使えるという余地を残したわけで、その気になればデジタル限定とせずに済む。そればかりか、フルサイズデジタル一眼レフカメラが一般的になった時にも使えるという安心感は大きい。 実際に使ってみたところ、AFの恩恵はかなり大きいと感じた。 特に、50mmレンズでは室内撮影で使う場面が多いため、片手にストロボを持って撮影する時など、片手でカメラを操作せねばならない。そういう時にAFは便利に思う。 もちろん、ストロボをスタンドに設置すれば済む話だが、クリップオンストロボを手に保持してサッと手軽に撮りたい時もある。 望遠ズームのほうも、超音波モーターを内蔵したレンズのため非常に高速・静音のAFが楽しめる(動作だけでも楽しい)。しかも、手ブレ防止機能まである。 Nikonの手ブレ防止機能は、PENTAXやSONYのようなCCD補正式ではなくレンズ補正式であるため、フィルムカメラでも使えるのが大きなメリット(ただし利用可能な機種は限定される)。 我輩は元々、AF撮影そのものは否定していない。むしろ、中判カメラにもAF化を切望している(参考:雑文454「MF派でない宣言」、雑文084「中判カメラのAF化について」)。 露出などは正解値が人によって違うため、完全な自動化には無理がある。しかし、ピント合わせなど誰がやろうが、あるいは機械にやらせようが、求める結果は同じ。そういう意味では、自動巻上げと同じである。このようなものについての自動化は、積極的に使うべきだと思う。 ただそうは言っても、MFで撮りさえすれば今回のレンズは必要無かった。そういうことが頭をよぎると少しつらい。 いや、そのMFが難しいのだ・・・。 それにしても、一眼レフカメラの醍醐味である「絞り開放背景ボケ写真」と「望遠写真」が、AFと手ブレ防止機能によって手軽に楽しめるようになったことは、素直に嬉しい。 これまでは、情報量を得るために広角写真ばかりを撮ってきたわけだが、たまには一眼レフカメラらしい写真を撮るのも良かろう。特に、望遠撮影は覗き願望を満たす(参考:雑文326「覗き」)。 今回我輩は、初めて一眼レフカメラに触れた時の感動を思い出した。 <<画像ファイルあり>> ---------------------------------------------------- [615] 2008年01月31日(木)「部下が配置された(2)」 先日書いた雑文606「部下が配置された」では、コメット製モノブロックタイプストロボの職場への導入について書いた。 実は、この導入は我輩の機材導入計画の前半に過ぎなかった。 導入計画の後半では、いよいよ一眼レフタイプのデジタルカメラの導入を進める。 しかしそうは言っても、安い買い物ではない。いや、安いものもあるが、安いカメラを選んで業務で使えなければ意味が無い。 少なくとも、今まで業務で使っていた我輩の私物カメラ「Nikon D200」に匹敵するものが欲しい。そうなると、交換レンズやストロボなどを含めるとかなりの額になる。 今回ばかりは、説得工作も緻密に計算し実行せねば、購入はかなり難しいと予想される。 そのためにも、まずは現状の把握が第一。 職場の機材庫を見てみると、20年近く前に購入したらしい「MINOLTA α-7000」と交換レンズ3本があった。カメラ本体は液晶パネルに若干の液晶漏れがあったが、それ以外の部分は特に支障無いように思えた。しかしレンズのほうは、絞り羽にオイルがベットリと染みており、その開閉が出来なくなっていた。修理が必要なのは明らか。工賃だけでもそれなりの金額になるはず。 まさかこのデジカメ全盛時代に於いて、雑文465「EOS7にすべきか、EOS Kiss-Dにすべきか」の時のように、「フィルムカメラを使え」という話にはならないとは思うが、もしそんな話になった場合には、修理無しには使えぬ現状を説明出来よう。 それから、200万画素のコンパクトタイプデジカメもあるはずだが、ここ最近誰かが持ち出したのか、行方不明である。 今回、その有無を再確認したが、やはり紛失したままであった。 「今どき、200万画素のデジカメなど持ち出してどうするつもりだ?」その点が少し気になるが、まあ、この件は説得工作に利用出来る。 我輩は、機材を管理している総務課の課長殿のところへ行き、こう言った。 「業務で必要なのでデジカメを借りたいんですが、行方不明のデジカメはまだ戻ってないんですかね?」 課長殿は機材庫に探しに行ったが、当然ながら手ぶらで帰ってきた。 「やっぱり無いよ、どこに行ったんだろうねー。」 「えー、無いんですかー、困ったなぁ・・・。」 「じゃあ、みんなに捜索メール出してみようか?」 我輩はその言葉を待っていた。 「じゃあ私からメールを出しておきましょう。課長は忙しいんでしょう?」 「あ、そう? じゃあ、悪いけど頼んでいいかな。」 我輩は自席に戻り、早速、電子メールを書いた。 要約すると下記のような内容である。 「業務上、デジカメが必要だが、行方不明のため仕方なく私物のデジカメを使っている。心当たりのある者は返却して欲しい。」 この電子メールは、一見すると単なる捜索メールのように思えるが、実は"デジカメが無いため困っている"ということを上司らに認知させるための工作である。そのために、機材購入に関わる承認者である課長や所長も送信先として入れたのだ。全所員向けとは言いながらも、課長・所長がメールを読んで「デジカメを探してるんだなぁ」と思ってくれればそれでいい。今さら200万画素のデジカメが出てきても使い道は無いのだから、本気で見付かって欲しいと願っているわけではないのだ。 しばらくすると、何人かが声をかけてきた。 「デジカメ、無いんだって?」 「そうなんスよ。困ったなぁ〜。」 そういう会話を何度かやっていると、副所長殿が近付いて話に割り込んできた。 「デジカメ、新しいの買っちゃえよ。」 「えっ?! 新しいのを・・・?」 「無くて困ってんだろ?」 「いやまあ、とりあえず私物を使ってますんで、何とかなるんですけどね・・・。」 「私物かぁ、やっぱ買ったほうがいいな。買っとけ。」 「はあ、じゃあ機材選定して購入伺い出します。」 実は、副所長殿は雑文123「カメラつながり」に登場した当時の課長殿である。カメラ好きであるから、今回、このような会話になることを期待していたわけだが、あまりに狙いどおりになってしまい、自分でも驚いた。 まあ、こちらから要求すると、その必要性を説明するのが大変なのは事実。こういうトップダウンの流れになると非常に買い易い。 通常であれば、課長を経由して順に話をつける必要がある。ただしその場合、課長殿がさらに上司にうまく説明出来るとは限らない。かと言って、課長を飛び越えて直接所長殿に話をつけるわけにも行かぬ。 パソコンのように誰もが業務に使うものであれば、順に話をつけても購入は早いが、デジカメはどうしても使用者が限られるし、業務に結び付く印象があまり無い。そのため優先順位が下がり購入出来たとしてもかなりの日数を必要とするのだ。 まあともかく、"副所長の命令で購入する"という名目が立ったのであるから、もう他に気にすることは無い。 実を言うと、購入機種の選定は既に済ませ、「PENTAX K10D」とした。見積書もビックカメラで取ってある。 選定のための条件として、我輩は以下の4点を挙げた。 「(1)1,000万画素」、「(2)手ブレ防止機能付」、「(3)標準ズームと望遠ズームが必要」、「(4)シンクロコネクタ付」。 (1)については、印刷原稿として使うにはトリミング分を勘案してもこれくらいは必要だろう。 (2)については、所員の誰もが使うことを配慮せねば後々何を言われるか分からない。そういう意味で、手ブレ防止機能は良い配慮となろう。 (3)については、様々な撮影シーンに対応出来ることを期待した。必要になった時に追加購入は難しいと考えたため、最初の購入時に万全を期す。 (4)については、先に導入したコメットのモノブロックストロボが使えねば全く意味が無い。 我輩はまずSONY製カメラを考えた。職場のフィルムカメラがMINOLTA製であったから、同じマウントのSONYにすべきかと思ったのだ。 しかし肝心のレンズが要修理状態なため、SONYこだわる意味は無い。 かと言って予算枠は決まっており、いきなり「Nikon D200」などは選べない。 結果的に「PENTAX K10D」と決まったわけだが、シンクロコネクタの件は、ホットシューからアダプタを介して接続することにした。 もちろん、他にも条件に該当する機種は存在したが、予算枠内で最大の購入を考えると、これが一番近かったのである。 それでも、ストロボや予備バッテリー、そしてメモリなどの細かい物も入れると予算を超えそうになったため、望遠ズームはTAMRON製の廉価なものを選んだ。幸い、TAMRON製の望遠ズームはマクロ機能が強力で用途が広がるのが良い。 早速、購入伺いを作成し、見積書を添付して課長殿に提出した。 「副所長が買えって言うもんで・・・。」 「そうか、じゃあいいのか。」 いつもは「何に必要なんだ」とか「他で代用出来ないのか」などとすんなり通らない課長殿であったが、今回ばかりは副所長命令ということで突っ込みようが無い。 そういうわけで、2007年12月、我輩の第二の部下とも言える一眼レフデジタルカメラが配属された。 初仕事は、社内報に使う職場のポートレート撮影だった。コメットストロボと組み合わせは良好で、他の記事に掲載された写真に差をつける仕上がりとなった。 PENTAX K10D <<画像ファイルあり>> PENTAX DA 18-55o F3.5-5.6 AL <<画像ファイルあり>> TAMRON 70-300mm F4-5.6 Di 今回、我輩の緻密な工作が功を奏し一眼レフデジタルカメラの導入を果たしたわけだが、ただ、唯一計算外のことがあった。 今年度は会社の業績が良く、年度内に設備投資を色々と行うとのことで、導入したい機器についての募集がかかった。 ソフトウェアなどは数千万円もの投資をするらしい。 噂によれば、ダメ元で要求した高価な設備も、伺いがすんなり通ったという。 こんな調子ならば、フルサイズデジタルカメラ「Nikon D3」でも通ったかも知れない。 一眼レフデジタルカメラを導入したばかりで、今さら「やっぱりNikon D3が欲しい」などと言えるわけが無かろう・・・。 ---------------------------------------------------- [616] 2008年02月02日(土)「コンパクトデジタルカメラのアキレス腱」 これまで2年間使っていたコンパクトデジタルカメラ「RICOH GR-D」が、ついに故障した。 いつかこの日がやってくるとは思っていたが、実際そうなると色々と苦労があって大変である。 まず、メモ撮影用途として撮影出来ない苦労。 それから、次の購入機種を選定する苦労。 そして一番大きな苦労が、金策する苦労。 GR-Dの故障箇所は、レンズの電動沈胴部分である。スイッチを入れても、レンズが出てくる途中でモーターがウンウン唸り止まってしまう。前の「Nikon COOLPIX5400」の時と同じだ。 実を言うとこの2年間、「GR-Dが故障するなら沈胴部分だろう」と恐れていたのである。まさに、そこが壊れた。 <<画像ファイルあり>> そもそも、レンズ部が電動沈胴式のカメラというのは非常にデリケートで壊れ易い。鏡胴がモーター駆動力でせり出すため、手で触れるようには設計されていないのだ。 しかしそうは言っても、カメラというのは手で持って使う道具であるから、どうしても鏡胴部に触れてしまうことはあるし、ちょっとした衝撃が加わることもある。 どうも最近のコンパクトカメラは、使う側に完璧さを要求しているようである。 「衝撃を与えないでください」、「水気のあるところで使わないでください」、「高温・低温になる場所に放置しないでください」・・・。 もちろん、これらの警告文は当然の内容であるが、人間ならば誰しも「やってしまった!」と思う場面はあるものだ。そういう時でも、カメラが正常に動いてくれるとホッとするものだ。 ところが、今は違う。 「やってしまった!」と思う場面に遭遇すれば、もう絶対にダメ。期待を裏切ること無く、ほぼ確実にカメラは故障してしまう。 「あらかじめ警告してあったはずです。」とカメラに冷たく言われているかのようだ。 たった1つの過失さえ認めないカメラか・・・。 確かに沈胴式は、カメラをスリムでコンパクトにする。 しかしそれでカメラが故障し易くなってしまったのは納得出来ない。修理しようにも、見積りに出すとGR-Dは4万円近くかかると言われ、修理は断念した。聞けば、ユニット交換となるらしい。 「アホか、普通に新品のコンパクトデジタルカメラが買えるぞ・・・。」 そういうわけで後継カメラを検討したのだが、なかなか良いものが無い。 一応、「小型」・「ホットシュー付き」・「マニュアル露出可能」・「800万画素以上」という条件があるが、出来ればアキレス腱である電動沈胴式は見送りたい。 しかし沈胴式のカメラはかなり多く、もし沈胴式という条件をNGとするならば選択肢が無くなってしまう。 結局、妥協して「Nikon COOLPIX P5100」にすることにした。 (ちなみに、金策はまだであるから、購入はしばらく先になる。) それにしても、我輩の求めるコンパクトデジタルカメラはいつ発売されるのか・・・。 もう何年も待っているが、待ちきれないので、3Dグラフィックスで作ってみることにした。 <我輩式コンパクトデジタルカメラの仕様> 4つの露出モードP/S/A/Mを2つのダイヤルにて切替え可能。(例えば2つのダイヤルをそれぞれ同時にAにセットするとPになる) 中間シャッタースピード、中間絞りが使用可能 ホットシュー接続により外部ストロボ使用可能 レンズ部は非沈胴式で、鏡胴周りをカバーで覆い、AF可動部が手に触れない構造とする ボディの各所にラバープロテクターを配置し、多少のショックに耐える 我輩式コンパクトデジタルカメラ Wa-GA1 <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> この画像は機能をそのまま形にしただけのやっつけ3D-CGのため、デザイン処理は甘い。 しかしそれでも、我輩の求めている機能形というのがハッキリと分かりやすく現れていると思う。もしこれをベースにして開発したいというメーカーがあれば遠慮無く申し出よ。その時は協力してやろう。 ・・・まあ、ヘタレメーカーばかりであるから、我輩に頼むことなど出来ぬだろうがな。 ---------------------------------------------------- [616] 2008年02月10日(日)「次のコンパクトデジタルカメラ」 以前、雑文470「次のデジタルカメラ(前編:それまでの遍歴)」にも書いたとおり、我輩は過去11年の間に何台かのデジタルカメラを使ってきた。 メガピクセル時代になってから初めてデジタルカメラに手を出した我輩であるから、さすがにデジカメ歴50〜60年の超ベテランにはかなわぬが、それでもそこそこ古参の類に入るのではないかとも思う。 そんな時ふと、思った。 「自分のデジタルカメラ遍歴はまとめたものの、どれくらいの頻度で買い換えているのかは気にしたことが無かったな・・・。」 あらためて、コンパクトタイプのみに限定して下記にまとめてみると、一つの傾向があることに気付いた。 1998年??月 FUJI FINEPIX700 (更新引退) 2000年01月 OLYMPUS CAMEDIA C-2020Z (更新引退) 2002年05月 OLYMPUS CAMEDIA C-700UZ (更新引退) 2004年02月 Nikon COOLPIX 5400 (半故障引退) 2006年01月 RICOH GR-D (完全故障引退) 2008年02月 Nikon COOLPIX P5100 ? (※「Canon IXY DIGITAL」はある事情により購入後すぐに手放したため除外した) これを見ると、キッチリと2年ごとにコンパクトデジタルカメラを買い換えているのが判る。別段意識したわけでもなかったが、このように見事なサイクルが現れるとは思ってもいなかった。 まさか我輩は、各メーカーに操作されて定期的に買い換えている・・・? 買い替えの動機としては、「スペックアップ」あるいは「故障のため」の買替えであるが、故障が理由の場合、そのタイミングは我輩側でコントロール出来る問題ではない。そういう意味で、このサイクルの正確さに不気味さを感ずるのだ。 そうは言っても、このまま常備カメラが無い状態が続くのは困る。急いで次期コンパクトデジタルカメラの機種選定をしなければならない。 金が無くとも、まず目標である。目標が決まれば、それを具体化するための手段を考える。最初に「可能か不可能か」ということを考えるならば、世の中の全ての事柄は全て不可能とされるだろう。 そういう意味で、機種選定は非常に重要なのだ。 今回、我輩は新しく導入する予定のコンパクトデジタルカメラを選定し、とりあえず「Nikon COOLPIX P5100」と決めた。だがこの決断も日々揺れ動いており、なかなか心が決まらない。 前回の雑文では我輩式理想コンパクトデジタルカメラを描いてみたわけだが、そんなものが存在するなら苦労は無いのだ。実際に購入する話となれば既存の機種から選ばねばならず、結局は"どこをどこまで妥協するか"ということでしか決める方法は無い。 我輩がコンパクトデジタルカメラで使用する用途は、次の2点である。 (A) メモ撮影 常に持ち歩き、内容が判れば良いというメモ用として目立たず控えめに撮影したい時など。 (B) 露出計用途 野外では露出計、屋内ではポラ切りの代わりとして。 まず、(A) メモ用途としては、次の3つの要件が重要となろう。 (A-1) ボディサイズが小さい (A-2) 起動が早い (A-3) ズームレンズ (A-1) 「ボディサイズが小さい」について やはりカメラボディが小さいと有用である。 一番最近まで使っていた「RICOH GR-D」では、小型ゆえに胸ポケットに携帯していつでも持ち歩くことが出来た。そして必要な時にサッと取り出して撮影したのである。 少なくとも、シャツの胸ポケットに入るくらいでなければ用途が限られてしまい、一眼レフタイプと使い分ける意味が無くなってしまう。 (A-2) 「起動が早い」について 当然ながら、起動時間が早けれはこまめにメモしようという気にさせる。起動が遅い場合、些細なメモ撮影は「まあこれは撮らなくてもいいか」などと諦めてしまうだろう。 (A-3) 「ズームレンズ」について 一眼レフのようにレンズを好みに合わせて交換出来るわけではないため、元々のレンズに束縛されることになる。そのため、場面に応じて焦点距離を可変出来るズームレンズはメモ用途としては特に有用である。そのことは、これまで単焦点レンズの「RICOH GR-D」を使ってきた不便さを身に染みて感じた。 さて、次に(B) 露出計用途としては、次の4つが要件である。 (B-1) 明るい場所でも見易い液晶画面 (B-2) ホットシュー搭載 (B-3) マニュアル露出モード可能 (B-4) 電子ダイヤル方式 (B-5) ISO100が設定可能 (B-1) 「明るい場所でも見易い液晶画面」について カメラの液晶画面が直射日光下でも見えるかという点が気になる。 過去に使った「Nikon COOLPIX 5400」では、反射光でも見えるような液晶なのか、直射日光が当たるとかえって見易く感じて好都合だった。あのような液晶が搭載されていると有難い。 またそれとは別の方法として、ファインダー内に液晶画面が見えるEVFと呼ばれる方式であれば、外光に左右されることなく安定して露出確認が可能である。しかし多くのEVFでは液晶画面のドットが粗く(カメラ内部に内蔵された超小型液晶をルーペで拡大しているため)、細かい部分の描写が確認出来ないというジレンマがある。 ただそれにしても、これまでの我輩の経験として、露出計として全く役立たずの液晶を持ったデジタルカメラは無かったように思う。GR-Dのように液晶が見づらくとも、慣れればそれなりに使えた。 それに、店頭では直射日光下での液晶画面の見え方は確認出来ないこともあるため、今の時点で心配してもあまり意味は無いかも知れない。 (B-2) 「ホットシュー搭載」について ホットシューの搭載は重要である。何しろ、肉眼では確認が難しい瞬間光のストロボであるから、本番のフィルム撮影と同じ条件(同じストロボ)でデジタルカメラで撮影すれば、その場で確認出来る。まさにデジタルカメラの即時性を活かした使い方であり、これが出来なければデジタルカメラを露出計として使うメリットの大半を失うことになる。 そのために、汎用ストロボが使えるホットシューは欠かせない。 (B-3) 「マニュアル露出モード可能」について 何と言っても、マニュアル露出モードは必須である。 通常、シャッタースピードのレンジ(設定可能な幅)は十分であることが多いが、絞りについては大抵の場合、開放F値(F3.5など)〜F8までの狭いレンジであることが多い。中には内蔵NDフィルターでもう少し絞れる機種もある。 (B-4) 「電子ダイヤル方式」について 「電子ダイヤル」とは、厳密に言うとCanon固有の呼称だが、ここでは"設定数値を上下させるダイヤル"という意味での一般名称として定義する。ちなみにNikonの場合は「コマンドダイヤル」と呼んでいる。 「RICOH GR-D」の場合はTv及びAvそれぞれに専用の電子ダイヤルが設けられているため、中級以上の一眼レフカメラと同等な操作性を持つ。しかしそのようなカメラは極めて特殊で、通常は1つの電子ダイヤルをボタンで切替えてTv/Avをコントロールするのが一般的。現実的にはこの方式を選択することになろう。 ヘタをするとアップダウンボタンでチマチマと操作せねばならない機種もあるが、少なくともこういう機種は避けたい。 (B-5) 「ISO100が設定可能」について 我輩はISO100のフィルム(E-100G)を常用しており、露出計として使うならば当然ISO100が設定出来なければならない。 しかしISO200が最低感度というデジカメもあるため注意が必要である。過去に「Fuji FinePix F700」の購入を考えたものの最終的にISO200がネックとなり諦めたことがある。ちなみに、Nikon初のフルサイズデジタルカメラ「Nikon D3」も、最低感度がISO200となっており、いくら超高級機であっても我輩にとってはスペック不足となる。 以上の条件を考えると、「RICOH GX100」、「Canon PowerShot G9」、「Nikon COOLPIX P5100」が候補に挙がった。 それぞれに、「RICOH GX100」はファインダー内液晶EVF、「Canon PowerShot G9」はマニュアル露出の操作性、「Nikon COOLPIX P5100」はコンパクトという特長がある。 特に「Canon PowerShot G9」は、ダイヤルの回転が遅れ無く設定に反映され、ダイヤル回転の移動方向も直感的である。また、マニュアル露出設定時に、設定値に相当する明るさが忠実にプレビューされているのが親切。その点では、「Nikon COOLPIX P5100」ではどんな値に設定しても、プレビュー画面は明るさが変化せず、実際に撮影しなければ明るさの確認は出来ない。 逆にそれぞれのデメリットについては、「RICOH GX100」はズーム無し(本当は有るが、検討時は無いと思っていた)と価格の高さ、「Canon PowerShot G9」はデカイ図体、「Nikon COOLPIX P5100」はマニュアル操作性の不足と言える。 ここのところ毎日、会社帰りにヨドバシカメラに寄って実機を触って悩んでいるが、その度に購入目標機種が変わってしまう。 というのも、「このカメラはどうだろう」と特定の機種を目当てに店頭に見に行くわけだが、その機種のデメリットを実感して萎えてしまい、相対的に他の機種が魅力に感じてしまう。それを何度と無く繰り返しているわけだ。 出来れば一週間以内に機種を選定して金策に集中したいが、果たして当初の予定通り「Nikon COOLPIX P5100」で良いのかどうか・・・。 ---------------------------------------------------- [618] 2008年02月11日(月)「Nikon COOLPIX P5100」 次のコンパクトデジタルカメラ購入の件、結局のところ、「Nikon COOLPIX P5100」を選び購入した。手持ち金が無いためとりあえずは家計から支出してあり、それは後々解決せねばならぬ。 それにしても、機種選定の決め手は、やはり「直感」であった。 どの機種も満足出来るものではなかったため、どこかで妥協をせねばならないのだが、ではどれを妥協すべきなのかと考えると答が出ない。 最終的には「Nikon COOLPIX P5100」と「Canon PowerShot G9」の2機種に絞ったものの、この状態で2〜3日は悩んだ。 P5100は胸ポケットに入るコンパクトさと実売3万円の価格が魅力。対してG9はマニュアル露出の操作性が良い。この2つの良いところが融合してくれればどんなに良いだろう・・・。 しかしそんなことを考えてもどうにもならない。 コンパクトさは大きなメリットでもあるし、最初の直感を信じてP5100を選んだ。 ネットショップから代金引換便で注文し、翌日にはもう届いた。 ちょうど車で出かける直前だったこともあり、新しく届いたカメラを胸ポケットに入れて車に乗った。 走行距離を記録するためにわざわざ一眼レフを使おうと思っていただけに、小さなメモカメラの便利さを改めて実感した。しかも、このカメラは1,200万画素である。上手く撮影すれば、メモとしての情報量はこれまで以上になろう。 起動時間を測ると、電源ボタンを押すと約1.5秒で撮影可能状態となる。終了も同じ。 ただ、レリーズボタン周りのレバーで電源が入るお馴染みの方式でないのが残念。レバーはズーム操作に使われるようになっており、電源スイッチは小さなボタン式になっている。 <<画像ファイルあり>> Nikon COOLPIX P5100 さて、このカメラの特長の一つとして、ホットシューが装備されており外部ストロボが装着可能ということである。Nikon純正のオートストロボを使うとTTL調光が可能となる。 我輩はこのカメラをBRONICAなどの中判カメラの露出計用途とするため、本番カメラで設定を再現出来ない専用ストロボは使わない。そのため、SUNPAKのB3000Sを装着して撮影してみた。 ところが、内蔵ストロボが発光するものの、外部ストロボは全く光らない。 メニュー画面やセットアップ画面に外部ストロボ使用の項目があるかと探してみたが見当たらない。説明書には、純正の外部ストロボの使用については「自動で切り替わる」と書いてあるが、汎用ストロボについては一切記述が無い。 「もしかして、汎用ストロボは使えないのか・・・?」 我輩は、心臓の鼓動が少し早くなるのを感じた。 せっかく購入したカメラが、用途の半分を失うことになるかも知れない。 我輩は、P5100の扱いに気を遣い始めた。なぜならば、場合によってはこのカメラを売らねばならないかも知れないからだ。傷や汚れを付けないようにしなければ・・・。 何度も設定関連のメニューをいじってみたが、内蔵ストロボのほうが光ったり光らなかったりするだけで、外部ストロボは全く反応無し。 それでも諦めきれず色々とやってみるうち、「発光切り換え」項目から「内蔵発光禁止」を選択して外部ストロボを装着したところ、やっとSUNPAKのストロボが発光してくれた。 COOLPIX 5400の時もそうだったが、汎用外部ストロボの使い始めで苦労するのはNikonの特徴なのか・・・? <<画像ファイルあり>> SUNPAK B3000Sとの組み合わせ ようやく、汎用ストロボが使えるようになったため、試しに一眼レフデジタルカメラと画質を比べてみようと思う。下に、同じ条件で撮影した写真から、縮小処理せずそのまま切り出した画像を掲載した。 Nikon COOLPIX P5100 ISO100 1/125sec F4.3(ストロボ撮影) <<画像ファイルあり>> 画質「FINE」の等倍切出し Nikon D200 ISO100 1/125sec F4.8(ストロボ撮影) <<画像ファイルあり>> 画質「FINE」の等倍切出し 元ファイルは容量が大きいため画面の一部分を切出ししたが、それを保存する際にJPEG再圧縮されるため、厳密には元の画質よりも劣化しているはず。それでも、見た目にそれほど変わらないと思った圧縮率で保存し、しかも両カメラ共に同じ圧縮率で保存したため、比較として考えるならば参考になろう。 ちなみに、P5100はホワイトバランスのマニュアル調整は定常光のみ可能で、ストロボ光では出来ないとのこと。それはつまり、バウンス撮影にはあまり向いていないということである。我輩の場合、P5100でバウンス撮影する時は本番撮影ではなくポラ切り代わりのため、少しくらい色が乗っても構わない。 とりあえずは、感度チェックしたところ特に問題無く、これから露出計用途として徐々に使ってみようかと思う。 またメモ用途としては、通勤カバンに入れておき、何かあれば撮影してみることにしたい。 ---------------------------------------------------- [619] 2008年02月16日(土)「Nikon COOLPIX P50」 前回の雑文618「Nikon COOLPIX P5100」では、一眼レフタイプのデジタルカメラを所有しているにも関わらず、我輩がコンパクトデジタルカメラを更新したことについて書いた。その理由は何度も書いていることだが、"用途に応じた使い分け"ということになる。 一眼レフカメラというのは、システム拡張性が大きな特長と言える。場面に応じたアクセサリを組むことにより、どんな撮影にも対応出来る。 ところが一眼レフカメラは、その拡張性ゆえに図体が大きく重くなる。いくら小型軽量化されようとも、システム拡張性が足かせとなる。例えば、レンズマウントは径が決まっているため少なくともその半径よりもカメラを小型化することは不可能、という具合に。 やはりポケットに入るような小型軽量カメラとなれば、システム拡張性に束縛されぬコンパクトデジタルカメラしか無い。 ところで、用途に応じた使い分けのニーズは、我輩個人のみならず職場に於いても同じだった。 先日、総務課のほうからコンパクトデジタルカメラの機種選定を依頼された。所内の機材庫に「PENTAX K10D」という立派な一眼レフがあるにも関わらず、である。 求められているのは、小型軽量かつ誰でも簡単に撮れるもの。 ポケットに入れて持ち歩き、必要な時にサッと取り出して撮れる小型軽量性能については、全く我輩の求めることと同じと言える。これに加えて、誰でも撮れる簡単さが必要だが、これはつまり、操作するところが少なく撮影者を惑わせないカメラという選択になろうか。 今回の具体的な撮影対象は「産業廃棄物最終処分場」とのこと。企業として、自社の排出した廃棄物が適正に処分されているかを確認する際の撮影に使うという。 もちろんこれだけのために購入するわけではなく、今後誰でも使える小型軽量カメラがあると便利だということもあり、今回の購入の話が持ち上がった。 我輩はあまりコンパクトデジタルカメラのことについて詳しくないが、個人的に「Nikon COOLPIX P5100」を購入したばかりであるから、今ならその時に得た商品知識を利用して機種選定に役立つと思われる。 とりあえずは、これと思った機種について1つずつインターネットで検索して調べてみた。 主に、「価格ドットコム」での口コミは役に立つ。良くも悪くも話題になっているカメラかどうかが口コミの数から判るのだ。口コミ数が多ければ、そのカメラに何かしら引き寄せるものがあるという証拠。 そして選んだ機種が、「Nikon COOLPIX P50」であった。 我輩個人所有のP5100に近い存在であるからアンフェアな選定のようにも見えるが、選定理由を考えると偶然この結果が出たとしか言いようが無い。 選定理由を述べるに、「広角側が広い」・「単3電池仕様」・「携帯しやすいコンパクトなボディ」ということになる。特に、広角と単3電池の組合せ条件で選ぶと、該当するのはP50だけのようである。 <<画像ファイルあり>> Nikon COOLPIX P50 広角側の広さは、どんな場面であっても利用価値は高いだろう。このような判断は、望遠ばかりに目が行く一般人ではなかなか難しいだろうと考え、我輩が独自に選定条件として加えた。 また、単3電池の条件については、日常のありがちな風景を想像して決めた。 以前、職場にあった200万画素のデジタルカメラを使う時に、バッテリーが放電状態ということがよくあった。たまにしか使わないと、バッテリーの管理は疎かになるものだ。そうなると、使いたい時には使えない。ますます、使う機会が減る。 しかし単3電池仕様ならば、緊急時にはコンビニエンスストアなどでアルカリ電池を調達すれば用が足る。 もちろん、平時はSANYOの「エネループ」などの二次電池を使っても良い。 <<画像ファイルあり>> COOLPIX P5100(左)・COOLPIX P50(右) 購入したP50を手に取って見たのだが、外観はP5100と良く似ている。寸法も同じくらいか。これで単3電池仕様なのだから感心する。 もっとも、使う電池の本数は2本であり、4本ならばここまで小さく出来なかったろう。 35mm判換算で28mmの広角から始まるというのが良い。試しに、通勤中に東京駅を撮り比べてみたが、やはり広角側が広いというのはフレーミングに余裕があって使い易い。広過ぎる場合はちょっとズームして調節すれば済む。P5100にもこれくらいの広角は欲しかった。 COOLPIX P5100のワイド端 <<画像ファイルあり>> (35mm判換算で35mm) COOLPIX P50のワイド端 <<画像ファイルあり>> (35mm判換算で28mm) しかもこのP50は、フルオートだけでなくマニュアル露出やAv/Tv優先モードまで使える。 ただし今回の社内ニーズは"写真知識が無くとも使える簡単カメラ"であるから、あまり撮影モードが選べてもシロウトを惑わせる恐れもある。その点については、「緑色のカメラマークに合わせておくべし」と教えておくことで対処するしかない。 ところで、似ているP5100とP50ではあるが、詳細を比較するとやはりP5100のほうに金がかかっていると思わせる。電子ダイヤル(コマンドダイヤル)の有無など、操作性に大きく影響している。 また、液晶パネルの違いについてはハッキリ分かる。電源が入っていない状態でもパネルの色の違いに気付いた。 電源が入っていない状態 <<画像ファイルあり>> COOLPIX P5100(左)・COOLPIX P50(右) 電源を入れた状態では、正面から見た時はそれほど気にならないが、見る角度が少しでもズレるとP50では液晶画面が見づらくなってしまう。 液晶画面点灯状態(上から見下ろした角度) <<画像ファイルあり>> COOLPIX P5100(左)・COOLPIX P50(右) また、画像も粗く見えたため、同じ倍率になるよう液晶パネルを接写してみた。すると、液晶の画素密度も違うことが確認出来た。 液晶パネルの拡大 <<画像ファイルあり>> COOLPIX P5100 <<画像ファイルあり>> COOLPIX P50 現時点では、P5100の実売価格は約3万円、そしてP50の実売価格は約2万円となっている。安い価格ゆえ、両機種の差1万円は大きく見える。価格もまた、選択の要素となろう。P50は、我輩個人が求めるにはスペックが足りぬが、その価格に比して2倍以上の価値がある。 P50は、基本的にはフルオートで撮るカメラだと思う。液晶画面の見づらさや電子ダイヤルではない操作性では、なかなかマニュアル設定をしようという気にはなるまい。しかし、いざという時にマニュアル設定が可能であるというのは心強いだろう。 ---------------------------------------------------- [620] 2008年02月17日(日)「畑泥棒」 農作物は、数ヶ月の期間や肥料・農薬・農業機械などのコストと手間などを費やして作られている。 ところがここ数年、それら農作物の盗難が急増しているという。しかも、形の良いものだけを選んだりサイズを揃えて盗んだりするケースや、梨5000個など大量に盗むケースが起きており、呆れるほどに悪質・巧妙化している。 詳しいことについてはウェブ上で検索すれば多くの事例が出てくるのだが、それら一つ一つを読んでいると、我輩は盗人に対する怒りがこみ上げてくる。農家の方々が精魂込めて作った結果を、その結果だけ持ち去るのであるから、まさに外道(げどう)と呼ぶにふさわしい。そして、被害に遭われた方々のやり場のない憤りを想像すると心が痛む。 中には、「少しくらい盗られたくらいで騒ぎ過ぎだ」と思っている者もいるかも知れぬ。そういう者にとって、我輩の感想は「偽善」としか映らないだろう。 しかし今回に限っては、この感情は我輩お得意の「偽善」では決してない(雑文401「動物野郎」)。 なぜなら、これまで我輩も似たような経験をしているからに他ならない。 我輩は、当サイトの他に幾つかのウェブサイトを運営している。そして、それらのサイトで使っている写真やイラストを盗用された。 盗用が発覚するのは、いつも偶然であった。我輩自身、ネットサーフィンは煩雑にやっているため、似たような興味範囲での遭遇率が高いと言えるのかも知れぬ。 ただ、雑文612「株式会社 ジー コーポレーション」で書いたような2件の盗用事件については、どちらの犯行も自動車関係のサイトということで、それこそ偶然に発見したのである。逆に言えば、発覚せず表面化しない盗用は幾つもあるということも考えられる。 いずれにせよ、ひとが苦労して創り上げた物を、その結果だけを持ち去るのであるから、農作物の盗難と似て悪質である。 もちろん、「デジタルデータを盗んだとしても、それはコピーであるから元データは残っており実害は無かろう」という意見もあるに違いない。しかし実害があろうが無かろうが、人間の感情として、自分が時間と手間と費用をかけて創った結果を、その結果だけを利用され、さも自分で創ったかのように装っているのが大変カンに障る。せめて引用先を明記し内容を改変せずにおれば、状況によっては憤りは起きないかも知れないものを。 ただ今のところ、写真分野での盗用者はいない。 それはつまり、写真趣味そのものが素材を創り出す趣味のため、産みの苦労を知っている者同士、相手の気持ちが解るのだと解釈している。 自分の撮った写真を盗用されればどんな気持ちになるか、写真系サイトの一つであるこの場で、我輩が改めて説明するまでも無い。 写真趣味のような素材創作系分野以外の人間が雑文612「株式会社 ジー コーポレーション」を読んだとしたら、「盗用が嫌ならインターネットで公開しなけりゃいいじゃないか」と思う程度かも知れぬ。立場を異にする相手の気持ちが解らなければ、当然そうなろう。 ひょっとして、そういう者たちは自分で撮った写真を盗用されてもあまり気にしないのだろうか? 考えてみれば、写真趣味分野以外の人間が写真を撮るためにこだわりがあろうはずが無い。ただ単純にカメラのシャッターボタンを押すだけであろう。写真などボタンを押すだけで簡単に得られるのだと思っているのであれば、自分の撮った写真を盗用されても気にするはずも無いし、相手の痛みも解るまい。 ならば、このように考えてみてはどうか。 自慢の愛車を写真に撮って公開し、その写真を盗用されたと。 せっかく手間や費用をかけてチューンナップ&ドレスアップした愛車であるが、それを他人が「俺の車だぜ、凄いだろう!」と、その写真を無断使用し別の所で自慢していたらどう思うか。 想像力があまり無くとも、さすがに相手の気持ちが解るのではないか? ---------------------------------------------------- [621] 2008年02月22日(金)「今さら、Canon EOS-10D」 <<画像ファイルあり>> 先日、今さらながらの旧いCanonの一眼レフタイプのデジタルカメラ「EOS 10D」を買い、そして、売った。 あまりに短い期間での使用であり、そのカメラで撮った写真も350枚程度であったため、せめてこの雑文に書いておくことで記憶が風化しないようにと願う。 去年の年末近くにカメラが壊れた・・・と言っても、先日の「RICOH GR-D」の話ではない。 今度は、一眼レフタイのデジタルカメラ「Nikon D200」のほうである。 ただし、壊れたとは言っても、シンクロコネクタが不良になっただけだった。 ちょっとばかりキツいシンクロコードをネジ込んだため、カメラ側のコネクタ部の中心接点が陥没したのだ。その結果、シンクロコネクタ経由ではストロボが使えなくなってしまった。 それでも、アダプタを用いてホットシュー経由でのシンクロ接点は利用可能であるため、とりあえずは、年末年始での撮影をこなした後にヨドバシカメラ秋葉原店の修理窓口にて修理見積りを依頼した。MFでピントが合わない件(参考:雑文614)や、標準ズームレンズの前枠の樹脂シートが少し破れたことなども併せて見てもらうことに。 問題は、修理に出している間の撮影をどうするか。 ちょうど同じ時期に「RICOH GR-D」も故障のため修理に出したということもあり、代わりとなるのは500万画素のコンパクトデジタルカメラ「Nikon COOLPIX 5400」の1台のみ。ただしこのカメラは画質が悪く、D200の代わりとして使うのは難しい。そもそもバッテリーが劣化しており、屋外に持ち出して使うのは無理があろう。 D200を修理に出す際、「デジタル一眼レフは修理に3週間はかかる」と言われた。長く見て1ヶ月ほどか。さすがに1ヶ月もの間、一眼レフタイプのデジタルカメラが無いのは不便に思う。 そこで我輩は、代カメラを調達することを考えた。なあに、中古で安く調達し、1ヵ月後に不要となればまた同じ値段で売ればいい。 まず代カメの条件として、我輩所有の交換レンズが使える一眼レフタイプのデジタルカメラが良い。 そうなると、Nikon、MINOLTA(SONY)、Canon、PENTAXが対象となる。 画素数は少なくとも500万画素のコンパクトデジタルカメラよりも大きいものが欲しい。 もちろん、後で売るとは言ってもあまり高価なものは手持ち金が無いため、価格的な限度はある。せいぜい3〜4万円であろうか。 ウェブ上の中古検索で探すと、一眼レフタイプのデジタルカメラは1万円台から見付かる。しかしそれは、我輩が過去に所有していた300万画素の「Canon EOS D30」(参考:雑文274)であった。 仮にこのカメラが600万画素だったとしても、過去に二束三文で手放した同じカメラを再び手に入れようという気にはならない。 次に安いのは、「Canon EOS Kissデジタル」や「PENTAX *ist DS」などである。特に「PENTAX *ist DS」は、中野のフジヤカメラに1万5千円での出物があった。これだけ安いと、二束三文で売れてもショックは少ない。 早速、フジヤカメラに電話を入れて取り置きをお願いすることにした。しかし残念ながら、電話口で「そのカメラは売却済み」と言われてしまった。 そもそも電子ダイヤルが1つだけの初級カメラは使いづらい。 電子ダイヤルが2つあり、かつ安いものとなると、「EOS D30」の後継機種「EOS D60」となろうか。これなら600万画素あるので条件に合う。 ただし中古としてはあまり出物が無いので、選ぼうと思っても難しい。 そこで、もう一世代後の「EOS 10D」を考えた。こちらも600万画素である。 再度、フジヤカメラのウェブサイトで見ると、今度は同じような価格帯の出物が複数あったため、電話はせずに直接店舗に出向いた。 店頭には、3〜4機種くらいの「EOS 10D」があり、その中で一番安い2万5千円のものを購入した(もちろん、動作確認をして購入した)。 さすがに当時は20万円もしたカメラである。造りがガッシリとしており重量もそれなりにある。 電子ダイヤルも、EOS伝統のチキチキ感のあるクリックが良い。この点はNikon系と全く違う。 ただ、さすがに旧い機種のため起動時間は3〜4秒くらいはあろうか。D200に慣れていると非常に長く感ずる。 <<画像ファイルあり>> それに、今から見ると背面の液晶画面がとても小さく見える。まるで、子供の頃に使った勉強机が小さく見えるかのようだ。 また、メインスイッチの位置がどうしても慣れない。 <<画像ファイルあり>> 我輩は、新しいアイテムを手に入れると、寝る前に布団の中にまで持ち込んでいじってみるクセがあるが、そこでもう一つ不便な点を見付けた。 それは、暗い中では撮影モードが選べないということである。 Nikon D200の場合、撮影モードを変えると、軍艦部の液晶表示に選択した撮影モードが表示される。マニュアルの場合は「M」、絞り優先AEの場合は「A」というふうに。 ところがEOS10Dでは、撮影モードはダイヤルで変えるのだが、それが暗闇では見えない。ならばと軍艦部の液晶をオレンジ色のイルミネータで照明したが、そこには撮影モードが表示されないのである。 さすがにこれは使いづらい・・・と布団の中で思った。 <<画像ファイルあり>> そうは言っても、これは代カメである。"使ってナンボ"であるから、D200の修理が完了するまでは大いに使うことにしたい。 そんなことを思っていると、ちょうど大雪の日が来た。 朝、外を見ると、一面真っ白。激しい勢いで雪が降っていたのである。この地域では、こういう日は2〜3年に一度しか無い。こんな貴重な日に、ヘタをするとデジタルカメラが手元に無かったかも知れなかったのだ。危なかった・・・。 <<画像ファイルあり>> さて、D200の修理は3週間弱で完了し、思ったより早く手元に戻った。 1,000万画素と600万画素、同じ一眼レフタイプであるから、当然ながら600万画素のほうは使う必然性が無くなる。 結局、予定通りネットオークションにて売却した。 送料込みで30,000円弱。中野までの交通費やオークション手数料などを加味すると、ちょうど良いくらいで売れたと言えよう。 手元に残った350枚の画像ファイルを見ながら、そう思った。 ---------------------------------------------------- [622] 2008年02月24日(日)「Nikon D200の修理について」 去年の年末、我輩は屋外でストロボ撮影していた。 35mmカメラと中判カメラを交互に使い、同じライティングで撮り分けていたのだ。そのため、シンクロコードを刺したり抜いたりを繰り返した。 しばらくすると、どうもストロボが発光していないような気がしてきた。 一眼レフカメラというのは撮影時にミラーがスイングアウトすることにより、撮影の瞬間はファインダー内で確認出来ない。そのため、発光したかどうかというのが確認が難しい。特に我輩は、片目を閉じてファインダーを覗くので尚更判りづらい。 日中屋外であるから、発光に気付きにくい事情もあろう。恐らく気のせいだとは思いながらも、念のために、ファインダーから少し眼を離して発光するかどうか注意してみることにした。 すると、本当にストロボは発光していなかった。 ストロボ側のシンクロコネクタをいじってみたが特に変化無し。 カメラ側コネクタのほうをいじってみると、今度は光った。しかし、手を離すととたんに不発に戻る。 コードを外してみようとすると、なぜか接点部がグラグラと動くではないか。見ると、シンクロコネクタの中心接点部分が陥没していた。 そう言えば、シンクロコード側の接点が少しキツめだった気がする。若干、無理にネジ込んだような感じもあったが、それが原因か・・・。 <<画像ファイルあり>> 正常なコネクタ <<画像ファイルあり>> 中心接点の陥没したコネクタ それにしても、シンクロコネクタがこんなに脆弱だとは思ってもみなかった。 いずれにせよ、その場の撮影は完了せねばならぬ。結局、ホットシュー経由でシンクロコードを繋ぎ、何とかやり過ごした。 さて、修理に出すにしてもその代わりになるカメラが無く、しばらくはホットシュー経由で使用を続けていた。それでも、頭からコードが出ているのは何とも使いづらい。それに、不具合のあるまま放っておくわけにもいくまい。シンクロ関係なだけに、カメラ内部でヘタにショートでもして不具合を増やすのも困る。 まあ、コネクタの小さな部品交換であるから、工賃5千円程度で済むはず。 それに、標準ズームの前面にあるドーナツ形の樹脂シートが少し破れてめくれ始めていたため、こちらもついでに貼り替えてもらいたい。 他にも、マニュアルフォーカスでピントが合わない点も見てもらうことにする。 それぞれの不具合は撮影が不可能になるような重大なものではないことから、今回のように幾つも不具合が出てからでないと重い腰が上がらない。 会社帰りの夜、ヨドバシカメラ秋葉原店の故障窓口で修理の依頼をした。シンクロコネクタがどのように接点陥没を起こしたのかという興味もあったため、交換部品は返却するようにしてもらった。我輩が構造を少しでも理解すれば、破損するような使い方も避けられるだろうという期待もある。 さて、1週間ほど経った頃、職場のPHSに「イストテクニカルサービス」という会社から電話がかかってきた。 どうやら、実際に修理作業をするのはこの会社らしい。以前、ブロニカSQ-Aiを修理してもらった会社である(参考:雑文419)。様々なメーカーのカメラを手がけていることから、恐らく技術力がある会社なのだろう。 電話の相手は、ハキハキしゃべる早口の若い女性である。 「D200の修理見積りですが、トップカバー交換で18,900円になります。」 我輩はビックリした。 「えっ、悪いのはシンクロ接点なんですけど!」 出し抜けに言われて、シンクロコネクタとトップカバーとの関連が理解出来ない。手元にD200が無いため、頭の中で思い返してみた。 「シンクロコネクタは・・・、トップカバーに組み込まれているんだっけか・・・?」 <<画像ファイルあり>> Nikon D200のコネクタ位置 女性は少し何かを読んでいるような気配だったが、改めて 「えーと、はい、トップカバー交換になります。」と答えた。 我輩は「なしてそうなるんじゃ!」と心の中で叫びながらも、静かに再確認した。 「ストロボ用のコードを接続する接点が不良なので、そこだけ交換すればいいだけの話じゃないんですか・・・?」 女性はしばらく何か紙をめくって読んでいたようだったが、 「確認してきますので少々お待ち下さい。」と言って保留音が流れた。 「うーむ、技術力のある会社にしては、変な見積りするわ・・・。」 我輩は、少し冷や汗をかきながらPHSから流れる保留音を聞き続けた。 2分ほど待たされ、ようやく女性が戻ってきた。 「やっぱりトップカバー全体を交換するようになってるみたいです。」 なんということだ、結局、答えは変わらなかった。 我輩は諦めてそれを受け入れることにした。せっかく15万円で買ったカメラだ、機能を回復させねばそれこそもったいない・・・。 続いて、レンズの前面樹脂シートカバーの件についての見積りを聞いた。 これが何と、8千円近くもかかるとのこと。 「シールをペリペリと貼り直すだけと違うんか!」 しかしこれも心の叫びとして声には出さず、こちらの作業はキャンセルとした。 そしてマニュアルフォーカスの調整については、視度が合っているかについて確認されたが、そんなことはどうでも良い。我輩としては、原因がどうであれ、そして不具合があろうが無かろうが、不安払拭のためにメーカー(今回はイスト社)で点検してもらいたいだけなのだ。 修理と点検という概念がゴチャ混ぜになっている者を納得させることはなかなか難しい。 その電話から2週間後、修理が完了したD200が手元に戻った。 驚いたことに、修理をキャンセルしたレンズ前面の樹脂シートが貼り替えられていた。しかも、明細にはその記載は全く無い。サービスか? また、マニュアルフォーカスについては「調整の結果ズレはありませんでした」とのことだった。 視度補正レンズを装着し、カメラ側のノブで微調整して改めてマニュアルフォーカスしてみたが、やはり自分の感覚ではズレていた。恐らく、フォーカスエリアと実際の焦点面はズレている構造なのだろう。我輩はフォーカスエリアを目印にしてピントを合わせているのだが、そのやり方はマズイようだ。 一方、トップカバーはやはり丸ごと交換されており、事前に知ってはいたものの改めて驚いた。 「こんな小さな破損のために、これ全部を取り替えたとは・・・、本当に無駄が過ぎるな・・・。」 <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> 交換されたトップカバー 見れば見るほど、トップカバーには多くの部品が付いていた。 メイン/サブの電子ダイヤル、ペンタ部内蔵のリトラクタブルストロボ、シャッターボタン、メインスイッチ、軍艦部液晶パネル、ストラップ金具、測光切替ノブ、巻上げモードダイヤル、ホットシュー、電子基板、その他9個のボタン。 それらのうちどれか一つが不具合を起こせば、また同じようにトップカバー丸ごと交換なのだ。 ただ一つ不思議なことに、液晶パネルの透明カバーが剥がされ、両面テープがむき出しになっていた。この部品だけは違うのか・・・? それにしても、ここまで大きな単位のユニットで交換するのが、果たして「修理」と言えるのか? イストテクニカルサービスでなくても、このユニットさえ別送してくれれば我輩にも交換出来そうに思う。 「ヘタすると、最近のカメラは上・中・下の3つのユニットで出来てるのかも知れんな・・・。」 我輩は、交換されたトップカバーを手に、空を見上げた。 ---------------------------------------------------- [623] 2008年04月23日(水)「独裁体制確立」 2006年10月、北朝鮮がついに地下核実験を強行した 核兵器は、それを持っているということを他国に知らしめることが重要であるため、技術的な意味だけでなく政治的にも大きな意味を持つ。 また、その核兵器を敵国に撃ち込むための弾道ミサイルの存在も、軍事パレードや発射実験によって示す必要がある。 「自国が滅ぶような事態があれば世界を滅亡させる」などという声明も、これまでの行動から見て不気味な響きすら感ずる。これは、北朝鮮の狙う戦略の一つであろう。もし核実験や軍事パレードを行わなかったとしたら、このような言葉は口先だけのハッタリとして報道すらされなかったであろう・・・。 さて、我輩が品川の職場から現在の川崎の職場に移ったのは1年半くらい前のこと。 片道2時間もの通勤、我ながらよく続いていると感心する。 通常、それぞれの職場というものは各人の役割分担が既に出来上がっているものだ。 それは、業務分担という表面的なものばかりでなく、例えば職場のムードメーカーだったり、飲み会部長だったり、あるいは雑学博士だったりと、それぞれの個性が活きた「ニッチ(生態的役割)」とも言うべきものである。 我輩は、新しい職場に加わるにあたり、我輩のニッチというものをなるべく早いうちに確立することが重要だと考えた。 我輩の場合、ニッチを確立するための分野として「写真」があった。 もちろん、パソコン知識についても営業集団の中で比較するならば長けていると言えるのだが、そもそも「ソフトウェア管理者」という業務分担が与えられたため、パソコン関係についてはわざわざ戦略を立てるまでもない。 それにしてもこの職場に移った当初は気付かなかったが、個人的に写真活動をしている職員は我輩の他にも何人かいるようだ。推測ではあるが、彼らは我輩が来るまではそれなりに写真分野でのニッチを占めていたのではないかと思う。 そういう中で、我輩は写真に関しては絶対的なニッチを確立するまでになった。これは政治的意図(参考:雑文589「政治的意図」)に基づいた戦略的行動によるものであるから、当然の結果と言える。 我輩の選んだ戦略は、「能書き」よりも「行動と結果」である。 あまり気の進まない集合写真やスナップ写真を敢えて引き受け、創意と工夫によって安定した結果を出す。別段、飛びぬけたクオリティでなくとも良い。一定水準を満たした写真を安定して提供出来るということは信頼に繋がるのだ。 そのうち、職員の証明写真の撮影依頼も来るようになり、こちらも安定した実績を積み重ねることによって我輩の業務のひとつとなった。 下からのレフを使い、表情を明るく見せる。場合によっては複数の写真から良い部分だけを合成したりする。このような地道な作業こそが、自らの信頼を高めることに繋がる。 <<画像ファイルあり>> 証明写真 他にも、リクルート用パンフレットに使う職員の仕事風景も、我輩が全てコントロールして撮影した。 他部所ではプロカメラマンに頼んで撮影したそうだが、我が営業所は自家撮影ながらも全く遜色無い仕上がりに評判も上々。 <<画像ファイルあり>> リクルート用パンフレット写真 また、去年は50人もの大人数を撮影した職員総会の集合写真(参考:雑文598「双方のメンツ」)について、今年も同様な撮影を行ったが、今回は60人とさらに人数が増えた。 今年の幹事も、1カットで収まらない人数と判断したのか「人数が多いので2組に分かれてください」とアナウンスしたが、我輩は前回採用した脚立撮影法に自信を持っているため、「分ける必要など無い、全員入れて撮る。」と断言した。 今年はモノブロックストロボ(参考:雑文606「部下が配置された」)を固定位置にセットしているため、撮影距離を取っても光量低下は無い。結果的に、去年よりも写りは良いくらいだった。 <<画像ファイルあり>> 大人数集合写真 それだけでなく、我輩が導入した写真関係の機材は随時全職員にメールで紹介し、我輩の装備が進んでいることをアピールした。 例えるならば、これは我輩にとっての軍事パレードとも言えよう。 <<画像ファイルあり>> PENTAX K10D導入時の紹介 <<画像ファイルあり>> モノブロックストロボ導入時の紹介 これらの実績は、一つ一つは小さいながらも、我輩のニッチを確実なものとしていった。 そして先日、上司から一つの打診があった。 「毎年、某企業の製品カタログを製作しているのだが、今まで業者に委託していた商品撮影を社内で行えるか?」というものだった。 (ここでは具体的な製品名は明かさないが、カメラよりも大きく、車よりも小さいものとだけ書くに留める。) 「もし撮影が可能ならば、必要となる機材を挙げて欲しい。」と上司は付け加えた。 恐らく、我輩が必要と認めれば、それに対して異論を挟む者はいない(予算内であれば)。それだけ我輩の写真分野でのニッチは絶対的なものになっている。もしこの先ライバルが現れたとしても、能書きよりも実績の積み重ねを重視してきた我輩のニッチは磐石で揺るがないだろう。 考えてみれば、我輩がこの職場に来たのは、奇しくも北朝鮮が核実験を行ったのと同じ2006年10月。 小さな分野ながらも、今まさに我輩の独裁体制が確立された写真分野。 この先の展開が楽しみになってきた。 ---------------------------------------------------- [624] 2008年06月23日(月)「デジタルを認めない理由(1)−"画像"と"写真"」 我輩はデジタルカメラの一つにNikon D200を使っているが、カメラ側が白飛びを恐れているためか、オートで撮ると大抵のカットで明らかな露光不足となる。 要は、「レタッチソフトで調整して下さい」という言葉無きメッセージなのであろう。あるいはRAWデータでの撮影を前提としている? (1日に数千枚も撮るという話も聞くくらい大量に撮影するデジタルカメラであるから、わざわざRAWデータで1枚1枚調整するヒマ人もおるまいが。) 我輩も、デジタルカメラでの撮影カットは、従来の撮影と比べて非常に多くなっている。 撮影後はパソコンでサムネイル表示させ、明らかな不良(例えばストロボ撮影時にたまたま不発となり真っ黒に写ったカットなど)は削除していくわけだが、微妙なピンボケや露光過不足、そして甘いフレーミングの画像は見逃してしまう。 "見逃す"とは、気付かないという意味ではない。「まあ、とりあえずいいか」と見逃してやるのである。 デジタル画像というのは、レタッチによってある程度のものは救済出来る。そうなると、従来のフィルム撮影では明らかにボツ扱いだったカットでも採用組に入ってしまう。 もちろん、デジタル写真は数が多いため、全てのカットについてレタッチを行うことは時間的にも不可能。 そうなると、レタッチしても救済不可能なもの以外はとりあえず全てを保存しておき、利用することになった時にそのつどレタッチするしか無い。 問題は、「撮影のたびに画像が大量に発生すること」と、「成功カットとそうでないカットが渾然一体となること」である。 我輩は現在、写真データのバックアップは4GBのDVD-Rを使用しているが、大量に撮影してしまうとその容量でも不足を感ずる。大量に撮った場合は複数のメディアに分かれてしまい、ハンドリングが非常に悪くなる。 しかしその問題は、データ量の問題は時代が解決してくれるとは思う。 Blu-ray Discだと最大27GBも保存出来るらしいから、少し待てばこの点は楽になるかも知れぬ(動画保存には100GB以上のメディアが欲しいが)。 ただ、成功カットとそうでないカットが渾然一体となることについては、いつも釈然としない。 フィルムで撮影したものを見ると、そこには失敗写真は存在しない。なぜなら、現像されたスリーブ状のフィルムを切り分けてマウントする際に、失敗カットはゴミ箱に捨てているからだ。 とても素晴らしいタイミングで撮られたカットであっても、それが微妙に露光過不足があれば泣く泣くボツとした。それが今までのやり方だった。 そしてその採用のボーダーラインは、これまで下げたことは無い。それは、今までボツとなってきた写真を尊重するためである。もし途中でボーダーラインを下げてしまえば、それ以前にボツになったカットは何のために捨てられたのかということになってしまう。 そんな我輩が、デジタル写真を利用するにあたって、採用のボーダーラインの曖昧さがとても不愉快に思う。 DVD-Rの中に、レタッチを前提とする画像が大量にある。 我輩にはもはや、それらは写真には見えぬ。 単なる素材としか思えないのだ。 我輩のデジタルカメラ暦は11年ほどにもなるが、それでもデジタル写真に対しての価値について、便利さ以外の写真的価値を認めることは出来ない。 我輩の価値観では、フィルムで撮ったものは"写真"だが、デジタルカメラで撮ったものは、あくまで"画像"なのだ。 ---------------------------------------------------- [625] 2008年06月23日(月)「デジタルを認めない理由(2)−成果物」 最近のデジタル写真には目を見張るものがある。 それは、我輩の写真に対する興味の一つ、「何でも細かく写り込んで、後で観るのに楽しい」という、いわば「写真の情報量」について、我輩の要求を満たしつつあるからだ。 (参考:雑文081「写真の情報量」) 今や、2,000万画素も実用の時代となった。 レンズを通る光さえ細かく解像すれば、あとは高画素受光素子(CCDやCMOS)が情報量を確保する。 しかも、受光素子は最大でも35mm判サイズ(一般向けデジカメの場合)であるから、被写界深度は中判カメラに比べて深い。広角レンズで絞り込めば、パンフォーカス画像も容易に手に出来る。これが2,000万画素であるとすれば、まさに隅々まで見渡して楽しめる情報量となろう。 さて、デジタルカメラで撮られた画像は、最終的にデジタルデータの形として保存される。 デジタルデータの場合、出力方法は2通つの方法があり、1つはパソコンディスプレイによる表示、そしてもう1つはプリンターによる印刷である。 まずパソコンディスプレイについてだが、あまり写真の鑑賞には向かない。なぜならば、画素密度200dpiくらいで頭打ちなのだ。 だから、大きなデータを表示させるには、寸法の大きなディスプレイで表示させねばならないが、画素密度そのものは変わらないので、写真としての緻密感はディスプレイ上からは感ずることは出来ない。 次に印刷の場合。 現在のパソコンプリンターは専用紙を使えばかなりキレイに出せるようになった。使用するインクの色数も多くなり、オフセット印刷よりも鮮やかさでは勝るものまである。 しかしいくら鮮やかとは言っても、すべての写真をプリント出力するのは現実的ではない。大きな画像データであれば、出力もそれなりに大きな紙サイズが必要となろう。鑑賞として使う用途ならば、撮った画像のデータ量はすべてを味わうのは当然のことである。もし小さな紙に出力するならば、ハンドリングは向上するものの、画質はその分スポイルされてしまう。 そもそも、ディスプレイやプリンターによる出力は、パソコンという機械によってデータを映像として見える形に復元されねばならぬ。 もし画像を保存しているメディアが破損したり、画像形式そのものが廃れたりした場合、もはやどうしようも無い。 それに対し、従来のフィルム(ポジ)ではどうか。 デジタルカメラとは違い、得られるものはポジという透明陽画である。パソコンで利用するにはスキャナで読み取るなど手間がかかる。 しかしながら我輩は、これまで出会ってきた写真媒体の中で、ポジという形態が写真として非常に合理的であると考え、これを採用してきた。 ポジは、それ自身に最大の表現密度を持っている。(ディスプレイに対する利点) ポジは、それ自身が保存に適したハンドリングの良いサイズである。(紙印刷に対する利点) ポジは、再生機が無くともそれ自身で閲覧出来る。(デジタルデータに対する利点) ポジは、拡大投影によって自在に表示サイズを変えられる。(ディスプレイに対する利点) もちろん、現在のデジタルカメラが高性能であることは、認める。 しかし、せっかく大きな情報量を貯め込んでも、そのデータ量に相応しい形で出力が出来ないというのでは、片手落ちと言わざるを得まい。 その点に関しての議論は我輩以外では行う者はいないが、その点は誰もが割り切っているからであろうか。 しかし我輩としては、入力(撮影)から出力(成果物)までを一貫して考えてしまうため、どうしてもポジ出力に勝る出力が出来ないデジタル画像には、その価値を認める気にはならないのである。 ---------------------------------------------------- [626] 2008年07月12日(土)「Nikon D700の導入について考えること」 先日、「荻窪さくらや」から特価情報DMが届いた。 我輩は毎年、120フィルムを「荻窪さくらや」で通信販売にて購入しているため、このようなDMが届く。 特価情報は色々なアイテムが並んでおり、眺めるだけでも面白い。 ただし、我輩は買いたい物などは無い。 カメラとレンズは欲しい物は全て確保したし、デジタル物に関しても、先日4GBのコンパクトフラッシュメモリを3,500円で買ったばかり。 そう思っていると、ハラリと1枚の紙切れが落ちた。 「なんだ・・・?」 見ると、「号外」と書いてあった。「Nikon D700デビュー」だそうだ。 そう言えば「D300」、「D3」が出たばかりだった。続いて「D700」とはNikonも元気がいい。 その号外には、「FXフォーマット&高画質ISO6400が大幅に身近になります」というサブタイトルが付いている。画素数1210万画素か。そして値段はおよそ30万円。 「アホか、こんなカメラに30万円も払うバカがおるわけなかろう。1200万画素なんて微増じゃないか、それなのに・・・。」 我輩の言葉が途切れた。 「ちょ、ちょっと待て! FXフォーマットと書いてなかったか、このカメラは??」 見ると、さりげなく「FXフォーマット」と書いてあるではないか。フルサイズのカメラなのか?! 念のためにNikonのウェブサイトで確認してみたところ、やはりFXフォーマットとあった。 「D3」がフルサイズとして出たため、一桁シリーズはFXフォーマット、それ以外はDXフォーマットという棲み分けをするのかと思っていたのだが、完全に意表を突かれてしまった。 もっとも、雑文376「フルサイズCCD」でも書いたように、35mm判フィルムのシステムをそのまま引き継いだデジタル一眼レフカメラがフルサイズ化するのは当然である。ただ2002年の段階では、特にNikonマウントについては、マウント口径の問題とCCDの構造上の問題でフルサイズ化は無理であるとする意見がまかり通っていた時代であるから、当時は我輩のフルサイズ化論はなかなか受け入れられなかった。 しかし現在、フルサイズ化を阻む技術的不可能について、したり顔で論ずる者はおるまい。 今や、40万円のハイエンドカメラ「D3」だけでなく、それよりも10万円も安い中級機「D700」でもフルサイズ化を果たすまでになった。"フルサイズ元年"と呼ぶ者さえいるのだ。 あらためて、号外のチラシを見た。 「Nikon D700」、欲しい・・・。 我輩は現在、自動車関係のウェブサイトの充実のために過去に撮った写真を掘り起こしているのだが、意外にも露出計代わりとして撮ったデジタル写真も利用価値がある。 撮影枚数を気にすること無く、フィルムカメラ撮影の隙間を埋めるように撮ったのであるから、予想外の情報を捉えていたりしたのだ。 デジタルカメラもなかなか捨てたものではないと再認識させられた。 ただ、やはり当時のデジタルカメラだけあって、画素数や画質には限界を感ずる。特に、一眼レフではAPSサイズでありながら広角レンズが24mmまでしか無く、1枚で簡潔にまとまる画が撮れなかったケースも多かったのだ。 我輩はこれまで、雑文607「我輩の心が叫んでいる」のようにデジタルカメラを認められないことについて書いてきた。 しかし我輩自身は、ウェブマスター(サイト管理者)としてコンテンツ製作に役立つデジタルカメラの進化を歓迎する。 この辺りが第三者には分かりづらいと思う。 だから、ここであらためて明確にしたい。 我輩は、写真を趣味としている立場と、ウェブマスターとしての立場を持っている。 写真を趣味としている立場ではフィルムのみを写真として扱い、デジタルカメラを写真として認めることはしない。 一方、ウェブマスターとしての立場は、デジタルカメラを有用な素材収集機として活用している。 つまり、写真を趣味としている我輩は、たまたま自動車関係のウェブサイトを持っている。逆に言えば、ウェブサイトを持つ我輩は、たまたま写真を趣味としていたということである。 我輩の場合、写真は趣味であるが、デジタルカメラは趣味ではない。 もし写真を趣味としていなかったとしても、ウェブサイト構築のためにはデジタルカメラを導入していただろう。 今回、フルサイズ機「D700」が出るにあたり、我輩はこのカメラの導入を考えている。「性能の良いデジタルカメラが早く手に入るならそれに越したことがない」というのが、ウェブマスターとしての判断である。 写真趣味として欲しいのではなく、目的に対して役に立つかどうかという観点なのだ。 我輩にとって、写真趣味は写真趣味、素材収集は素材収集として明確に分けて考えることが今後は大切となろう。そのことは、自分自身の思想を明確にし矛盾と苦悩を払拭するための大切な心構えであろうと思う。 ・・・ちなみに、「D700」を導入するための金策は、これからゆっくり考えることにする。 ---------------------------------------------------- [627] 2008年08月29日(金)「金のかかる趣味」 前回の雑文で、我輩はフルサイズデジタル一眼レフカメラ「Nikon D700」の購入を考えていると書いた。 我輩はこれまで「F3」関連のアクセサリ買い囲みをしてきたため、これらのうち少なくともレンズ系の資産がそのまま「D700」で活用出来る。 もちろんこれらの資産は、現在所有しているAPS機の「D200」でも使えないこともないが、フルサイズ機で使ってこそ真価を発揮出来るものであるし、場合によってはフィルムのフルサイズ機である「F3」との併用も効果的となるのが良い。 改めて言うが、我輩にとってフルサイズ機導入の価値は高い。 そこで肝心の「D700」の値段だが、登場時点での価格は30万円弱、そして現時点での最安値は25万円までに下がった。しかしながら、今ある金をかき集めても、ほんのわずか、あと23万5千円ほど足らぬ。 あと少しとは言っても、本当に足らぬものは足らぬ。だからどうにもならない。 参考として、同じくフルサイズ機である「Canon EOS-5D」が後継機を控えた終末価格が20万円弱であることを考えると、「D700」も20万円が安値の限界点であろう。 それにしても、考えてみると妙な気分になる。 というのも、フィルムカメラの時代であれば、10万円くらい出せば立派な一眼レフカメラが買えた。フラッグシップの「Nikon F3」などは15万円も出せば買えたのだ。 それが今、デジタルカメラの時代になり、フルサイズカメラというだけで20万円を軽く越えてしまう。フラッグシップになると40万円を超えるのだ。 一昔前ならば、「まだデジタルカメラの時代じゃないから、デジタル一眼レフカメラを買うくらいならフィルム一眼レフカメラだろ」とも言えたのだが、今やフィルム式のカメラの選択肢は無い。もはや、カメラと言えば「デジタルカメラ」を指すと言っても良い。 だからこそ、デジタル一眼レフカメラの値段の高さには驚くのである。 もちろんデジタルカメラの製品ラインナップは広がった。 7年前、雑文242「普通のデジタルカメラを作らんか」でも書いたように、10万円以内のデジタル一眼レフカメラも出た。 しかし、普通の感覚で使えるのはフルサイズ機であるのに、それはまだまだ高い。 高いのには理由がある? 分かった分かった、そういう話は何度も聞いた。 大サイズのCCD/CMOSチップの歩留まりやウェハーの切り数の問題だろ? だがそんなこと我輩に言われても関係無いし、ましてや我輩の責任でも無かろう。 問題は、そんな高いカメラしか無いのにフィルムカメラを絶滅させようとしているところだ。もしそれをやると言うのなら、じゃあ赤字覚悟でフルサイズデジタル一眼レフを売れよと言いたい。平行移行可能な代替を用意せずに高いものに乗り換えてくれというのは、横暴と言わずして何と言う? 「需要が無いから」という理屈でフィルム式一眼レフカメラを縮小するならば、新たな需要を掘り起こそうと努力している全国の営業マンの努力は何なんだ? 我輩は現在、営業支援という形で某商品の売り込みの戦略を立てているが、なかなか苦戦を強いられている。分析をすれば「需要が無い」の一言に尽きるが、それを言ってしまうと全てが終わってしまうため、何とか"提案"という形で需要の掘り起こしを狙っているのである。その努力は生易しいものではない。しかし我輩とその他営業マンは、必ずこの商品が役に立つと信じて努力を続けるのである。 このような努力が、フィルムカメラ界にあるかと言えば、全く無いと言えるだろう。あるとしても、ノスタルジックな退化でしか無い。 もっとも、別の考え方もある。 フィルム時代であれば普及タイプのカメラでも、プロ用フラッグシップカメラでも同じくらいの画質が得られた。画質は主にレンズとフィルムが担うものであった。 それがデジタルカメラの時代になると、フィルムに相当するCCD/CMOS撮像素子がカメラと一体となり、画質がカメラの良し悪しに直結する問題となった。だから、金をかければそれだけ高画質で利用範囲が広がるということで、値段に見合う見返りはあると言えばあるのだが・・・。 もちろん、APSサイズのCCD/CMOS撮像素子には、機材をコンパクトにできる(特に望遠レンズ)というメリットもあると言えなくもないが、現状、APSサイズ機とフルサイズ機を同列に比較し選ぶ環境にはなっていない。APSサイズを必要とする者は問題無かろうが、フルサイズを好む者にしてみれば価格の高さが障害となり、我慢してAPSサイズ機を使っている場合も多かろう。 恐らくあと10年ほどすれば、ローエンドのデジタルカメラでもフルサイズのものが現れるだろうとは思う。 しかしそこまで待つのか? 撮るという行為は日々発生する。新しいカメラを導入するまで待ってはくれない。まさか、満足な性能を持ったデジタルカメラが廉価になるまでの間、シャッターを押さずにいるか? とにかく、デジタルカメラが高くて高くてしょうがない。 所得が下がっているこの景気の中で、カメラの相対的価格は額面以上のものを感ずる。 この時代、写真に対してマニアックに入れ込むのは無理なのかも知れぬ。気付かぬうち、金持ちの道楽となってしまったのだろうか。 あまり入れ込まずに、そこそこにとどめておくのが一番金がかからない方法なのだろうが・・・、それでは趣味として楽しいはずが無かろう。 金策の悩みは今日も続く・・・。 ---------------------------------------------------- [628] 2008年09月10日(水)「動画撮影機能搭載デジタル一眼レフ登場」 先日行われた北京オリンピックでは、開会式で9歳の少女が革命歌曲を歌う場面で、別の7歳の少女が歌った口パクが発覚、大きな問題となった。 これについて中国は「対外的な印象を考え、国家利益のためにやった」と弁明したのだが、中国としては、最高の歌声と最高の外見の2つを組み合わせた最高の演出だったのだろう。 最高を求める気持ちは解るのだが、結局のところ、1人の完璧な少女を造り出すことは不可能だった・・・。 さて先日、Nikonから動画撮影可能なデジタル一眼レフカメラ「Nikon D90」が登場した。 デジタル一眼レフとしては世界初だそうだ。 この製品、我輩としてはどう評価すべきか迷うものである。 デジタルスチルカメラは元々、アナログの電子スチルカメラ(マビカなど)がデジタル化したものだ。 そしてそのアナログ電子スチルカメラは、ビデオカメラから派生した技術である。 つまり現在のデジタルカメラは、ビデオカメラの技術を主軸として発達してきたと言える。外見がどれほどフィルム式のカメラに似ていようとも、パーツ要素はビデオカメラそのものであり、より高画素高画質の静止画を撮るために特化されたに過ぎぬ。そのため、デジカメは初期の頃から動画撮影可能なものがあった。 もちろん、当時はメモリ容量も4〜8メガバイト程度と小さく、動画撮影機能としてはかなり貧弱だった。せいぜい「モーションJPEG」などの簡易的なものでパラパラマンガを見るような感じでしかない。 ところが、ここ最近はメモリもギガバイト単位は当たり前となり、フルモーション動画が楽に扱えるようになった。 またそれとは逆に、ビデオカメラのほうも記録媒体がメモリタイプのものが増え、もはやデジカメとビデオカメラを製品として分ける意味があるのかという疑問すら湧いてくる。 我輩は個人的にビデオ撮影を必要とする。 それは主に豚児成長記録のためであるが、我輩としては66判を公式記録媒体としているためこれも外せない。また、66判カットの間を埋める補佐及び露出計用途としてデジタルカメラも同時に使う。 そういうわけで、首にはブロニカ一眼レフ、肩にはニコンデジカメ一眼レフ、そしてポケットにはビデオカメラ、というのが我輩の標準スタイルとなってしまった。 ビデオカメラはメモリ式の小型のもののため(参考:雑文604「スチルとムービー」)、他の機材の邪魔をしないのだが、それでもポケットから取り出す煩わしさや、デジタルカメラとは別に必要な予備バッテリーと予備メモリの管理が負担となる。コンパクトな分だけ電池の保ちも悪いのだ。タイミングが悪いと、例えばビデオカメラのバッテリーを入れ替えた直後にデジタルカメラのバッテリーが切れ、そちらを入れ替えると今度はビデオカメラのメモリが一杯になり・・・ということが起こる。 そこで、「デジタルカメラとビデオカメラが1つの機材としてまとまらないか?」という気持ちになる。 今のところ、我輩所有のデジタルカメラで動画撮影が可能なものは「Nikon COOLPIX P5100」である。レスポンスが異常に遅く、ズーム倍率(変化量)もビデオカメラに及ばない。カメラ機能にしても、コンパクトタイプのデジタルカメラということで、期待すべくも無い。 そんな時、一眼レフで動画撮影可能な「Nikon D90」が発表された。 いくら一眼レフカメラであろうとも、デジタルカメラである限り、ビデオカメラの構成要素を持っている。だから理屈の上では、これまでビデオ撮影が可能なデジタル一眼レフカメラが無かったことが不思議であった。 ここにきてようやく、デジタル一眼レフカメラが自分自身ビデオカメラの末裔であることを思い出したかのようだ。 一眼レフカメラがビデオ撮影可能となれば、交換レンズが自由に使えるということが武器になる。ズーミングも手動操作のため素早く行えるのが良い(ズーミング中の動画は通常はカットしてしまう)。 何より、ムービーとスチルの機材が共用となることで、予備バッテリー及び予備メモリを減らすことが出来る。余裕を持たせて予備としていることを考えると、カメラ2台の余裕分とカメラ1台の余裕分とではそれなりの差があろう。 ただ我輩の懸念は、「果たしてこのような動画撮影機能を、Nikon D700やD3レベルの製品にまで展開出来るだろうか?」というものである。 もし動画撮影機能が、今回のD90レベル、つまりAPSサイズの普及機レベルでとどまるのであれば、少なくとも我輩のスチルカメラとしてのニーズには合わない。何しろ、我輩はフルサイズのデジタル一眼レフカメラの導入を考えているのだから。 普通に考えると、このようなビデオ撮影機能はなかなか上級機には組み込みにくいだろうとは思う。内蔵ストロボさえプロ用カメラには搭載されないくらいなのだから。 そもそも、写真を趣味としている層とビデオ撮影を趣味としている層は異なると思われる。確かに、動画撮影機能によって撮影の範囲は広がるには違いないが、積極的に活用されるかどうかは微妙といわざるを得まい。 技術的には同一の骨組みを持つデジタルカメラとビデオカメラであるが、どちらかの一方の機能が要求仕様に満たなければ、デジタルカメラとビデオカメラが1つになることの意味は薄い。 そうなると結局、2台別々に機材を持つことになろう。 そこが難しいところなのだ。 考えてみれば、我輩がデジタルカメラを買う時、そしてビデオカメラを買う時、それぞれに多くの製品の中から吟味して選び抜いた1台であった。デジタルカメラのみ、そしてビデオカメラのみで選ぶならば、その選択肢の中にどれかは自分の要求に適うものが見つかろう。 しかし、デジタルカメラとビデオカメラの2つの機能が組み合わされた1つの製品を選ぶ場合(現時点ではD90の1機種のみだが)、両方の機能が自分の要求に適う確率はかなり低くなるに違いない。 まさに、北京オリンピックの開会式で歌った少女のように、2つの要素どちらも最高のものを兼ね備えた1つの製品というのはなかなか無いのである。 何とも悩ましい話だ・・・。 ただし我輩の場合、ビデオ機能よりもカメラ機能のほうが要求仕様が高いため、少なくとも「Nikon D700」クラスのカメラに動画撮影機能が付いてくれればば、十分に選択肢に入るだろう。 Nikonの今後に期待したいと思う。 ---------------------------------------------------- [629] 2008年09月19日(金)「動画撮影機能搭載フルサイズデジタル一眼レフ登場」 つい先日、フルサイズ(2,110万画素CMOS)でありながらビデオ(ハイビジョン)が撮影可能な「Canon EOS 5D MarkII」が発表された。今年の11月下旬に発売されるもよう。価格は、ボディのみで約30万円となっている。 このカメラについて、我輩が注目する点は以下の4点である。 ・フルサイズ ・2,000万画素 ・ビデオ撮影可能(ハイビジョン) ・ビデオ撮影中にスチル撮影も可 まず、フルサイズ機にビデオ撮影機能が搭載されたという事実は非常に大きい。 前回の雑文628「動画撮影機能搭載デジタル一眼レフ登場」で期待した、ビデオ撮影可能なフルサイズデジタルカメラがついに登場したのである。 これはつまり、ビデオ撮影機能がビギナークラスにとどまらないというCanonの意思表示であるからだ。Nikonのほうでも、「5D MarkII」の出現により方針転換を余儀なくされるに違いない。 次に、画素数の多さだが、2,000万画素はさすがに大きく、実用に十分と言わざるを得ない。 我輩は現在、1,000万画素のデジタルカメラを、一眼レフタイプとコンパクトタイプの2種類を使っているが、もう少し多ければなと思うことがある。 というのも、過去に数回、カメラを他人に委ねて撮影を頼むことがあったのだが、カメラ本体の操作を教えるのが精一杯で、ズーム操作までは教えられなかった。下手に教えて混乱させるよりも、カメラの操作だけを確実にやって欲しかったという事情もある。 案の定、それら全てのカットは高倍率ズームの広角側でしか撮られていなかった。そういった画像をトリミングで利用するにしても、1,000万画素では少々足りない。 ハイビジョンでビデオ撮影可能な点については、今後ハイビジョンが主流となることを考えると当然必要な機能と言えよう。 ハイビジョン記録媒体についても、ブルーレイ規格がHD-DVD規格に勝利したことにより、規格選択の迷いも無くなったという背景もある。 もちろんハイビジョンだけでなく従来のスタンダードでのビデオ撮影が可能というのは、「大は小を兼ねる」ということで当然と言えよう。 ビデオ撮影中のスチル撮影については、我輩がひそかに心配していた点である。 今度の「5D MarkII」では、ビデオ撮影中のスチル撮影は可能らしいが、その場合は絞り・シャッタースピードを任意に設定出来ないとのこと。しかし今後はそれも改善されよう(何度も言うが技術的課題はメーカーが考えることであり消費者の我輩が心配することではない)。 余談だが、銀塩時代にはタムロンから「Nikon F4」向けのビデオ撮影装置が発売されていた。交換ファインダー部でビデオ撮影しながら、通常の銀塩写真も撮影可能だった。 それにしても、「Nikon D700」が欲しいと思った気持ちが、完全に「Canon EOS 5D MarkII」のほうへ移ってしまった。今後、間違っても「D700」に手を出すことはあるまい。 デジタル時代のカメラ価格相場が高いおかげで(参考:雑文627「金のかかる趣味」)、「D700」に飛び付くことが無いまま「5D MarkII」の発表を知ることになったわけである。もし資金が手元にあったら「D700」を掴まされて激しく後悔していたろう。 危なかった。 もちろん、「5D MarkII」の発表が近いことは噂されていたが、仕様の中身までは知らなかった。 今回の発表は、Nikonから初のビデオ撮影可能なデジタル一眼レフカメラ「D90」が発表されて間もないことから、ビデオ撮影機能の盛り込みはNikonに触発されたものではなく、Canonでも並行して開発されていたものと考えられる(発表時期は「D90」に影響されたとは思うが)。恐らく、他のメーカーでも同様な開発が現在行われているに違いない。そうでなければデジタルカメラとしてのトレンドに乗れず、メーカーとしてのブランドは維持出来まい。 今後、Nikonがどのようなビデオ撮影可能なフルサイズ一眼レフを出してくるかが見物。 我輩の個人的事情として、Canonを選んでも十分なレンズ資産が無い。そのためカメラボディ以上に金が必要となってしまう。だから、出来ればNikonのカメラを買いたいと思っている。 さてNikonとしては、これまで上位機種にビデオ撮影機能を盛り込むという方針が無かった場合には、今後は方針転換が必要となろう。そうなると新しいカメラの開発はこれから始まることになる。あるいは、現在進行中の上位機種カメラの開発に、急遽ビデオ撮影機能を盛り込むことになる。 そうなるとやはり、それなりの開発期間が必要であろう。 そもそも現時点では、「D3」と「D700」というフルサイズカメラがまだ新しいモデルとして存在する。ここからすぐに別のフルサイズカメラが投入されるというのも考えにくい。 まあ、我輩が資金を貯める間にゆっくり開発してくれればそれで良い。 5年以内には何とか買えるかも知れないな。 ---------------------------------------------------- [630] 2008年09月19日(金)「万人受けするキレイな写真が必要」 以前、雑文260「趣味性」にて、「ただ表面的な美しさにひきずられて、本当に自分が撮りたい写真を見失うな」という主旨の文章を書いた。 そのためには、"自分が認められたい"という自我欲求を抑えられるかどうかがカギを握る。 心を無にして純粋な気持ちになり、如何にして「認められたい」「尊敬されたい」「必要とされたい」というような雑念を削ぎ落とすかが重要である。そしてそれらの雑念にかき消されていた本来の自分が望んでいた写真というものを炙(あぶ)り出すことこそが、芸術の原点であろう。だからこそ斬新な芸術作品は、最初は他人には評価されにくい。 どうしても雑念を払拭出来ないという者あらば、我輩としては、座禅や写経(あるいは写仏)を薦めたい。 座禅は、心を無にする鍛錬である。 そして写経(写仏)は、1つのことに集中する鍛錬である。 雑念を打ち払い強い意志を培うには、どちらも最適な方法である。 我輩自身の話をすると、他人から評価されるためにキレイな写真を撮るということをやめてからしばらく経つ。 もちろん、だからと言って我輩自身が求める内なる声を全て理解し、それを写真作品として完璧に反映出来ているわけでもない。自分自身のことは、自分自身でも解らないことは多い。だから、それを1つずつでも明らかにするのが、我輩の写真テーマでもあろうかと思う。 ところが先日、グループ会社の社内報に使う表紙写真の提供を求められた。 この話は、以前雑文611「巡り合わせ」にて書いた内容の第2弾である。前回の実績を買われ、「また今回もキレイな写真をお願いします」と言うのだ。 「くうっ・・・、キレイな写真か・・・。」 我輩は頭を抱え込んだ。 全く皮肉な話である。 雑念を打ち払い、自分自身の求める写真を撮っていたら、たまたま万人受けする写真が撮れてしまった。それが前回の写真掲載で喜ばれ、再び万人受けする写真を要求されるとは。 もちろん、このように必要とされるのは嬉しい。作品を評価されるというのも嬉しい。印刷物の表紙を飾るのも嬉しい。 しかしそういった嬉しさは、結局、自分の欲望でしかない。 自分自身を炙り出すための芸術活動が、そのような自分の欲望を満たすだけのものにさせたくない。 自分とは何か? どこから来てどこへ行こうとしているのか? 生きる意味とは? 大げさに思えるだろうが、自分を知るということは、それらの疑問に対する答えにも繋がることである。そういった活動を今さら否定するのか・・・? そんなことに悩んでいると、今度はカラーコピー機コンペの話が入ってきた。 我輩の職場では、カラーコピー機(いわゆる複合機)の販売を行う部署がある。その担当者が「カラーコピー機のコンペがあり、出力サンプルとして写真素材を求めている。何かキレイな写真は無いか?」と言ってきた。 「くうっ・・・、またしてもキレイな写真か・・・。」 どうやらCanonのコピー機と競合しているようで、向こうの出力サンプルは「花」や「動物」や「自然景観」といった、いかにも万人受けするようなイメージ写真だった。 これに対抗する写真か・・・、頭が痛い。 重なる時は重なるもので、職場の女性から「お見合い写真に使うスナップを撮って欲しい」などという要請もあった。 これなどはまさに万人受けする写真でなければ絶対にマズイ(参考:雑文588「自分のため(3)」)。 まあ、結局はお見合い写真の件は無くなったのだが、依然として2つの案件が待っていた。 改めて我輩の写真ファイルを漁ってみたのだが、他人の評価を必要としない写真ばかりでなかなかキレイな写真が見当たらない。 業務が絡んでいるため、下手に断れないのがツライところ。業務上の評価や実績については、我輩も大いに気にするし、逆に言えば気にせねばならぬ。 「うーむ、こういう時に備えてキレイな写真も撮っておくべきだったかも知れん。」 色々と思い返すと、キレイな写真が撮れる場面は幾つもあった。例えば、雑文600「ゴールデンウィーク独り旅」 などは、画になる景色はたくさんあったはずだった。しかし、我輩の求める写真ではないという理由で、そのような景色を前にして余計なシャッターを切ることは無かった。 ならば、我輩がまだ雑念に満ちていた頃の昔の写真を引っ張り出すしかない。 探してみると、10年以上前に撮った「光を読んで撮った風景写真」、「色鮮やかな花写真」、「臨場感のある動物写真」、「各種、望遠による背景ボカシ写真」など、まさに万人受けするだろうなと思うような写真が幾つか見つかった。 「こんな写真を使うことになろうとは・・・」 我輩の心中は複雑であった。 結果として、これらの写真を使うことにより、2つの案件にて各担当者からは大変喜ばれた。 我輩としては、嬉しいという気持ちよりも、ピンチを切り抜けてホッとしたというのが正直なところである。 今後、我輩の写真についての評価は我輩の意図せぬ方向に向かうだろう。業務上の評価ゆえ、我輩はその期待を裏切らぬようにせねばならなくなった。つまり、雑文260「趣味性」で言うところの"無償の仕事"そのものを課せられたことになる。 もう、ここは割り切って、今後は我輩自信の趣味としての創作活動と平行して"無償の仕事"もやることにするしかあるまい。不本意だが仕方が無い。 重要なのは、この2つの活動を、決して混ぜてはならぬということ。 いかに他人から高く評価される写真が撮れようとも、それが"無償の仕事"で撮った写真であるならば、我輩はそれを"作品"とは考えず、"納品物"と考えることにする。 そうでもしなければ、自分自身がとても納得出来まい。 ---------------------------------------------------- [631] 2008年09月24日(水)「夏の帰省日記2008」 独身の頃の帰省は気楽なものだった。 バス路線が廃止された田舎とは言っても、ほとんどの道路は舗装されているので、自転車があればどこへでも行ける。車が無ければ何も出来ないということは無い。 坂道が多い土地柄のため自転車にとって大変に思うこともあるが、考えてみれば、坂を上ることがあれば、逆に下ることもある。 ただ、家族を連れて帰省するとなると、やはりタクシーでの行動を余儀なくされる。それでもタクシーさえ呼べない地域(源じいの森など)もあるのだから、行動範囲を狭めるか、あるいは車を使わざるを得ない。 我輩の場合、蔵王のお釜撮影のために自家用車を導入したのだが、この車を帰省にも利用することとした。 もちろん、車で日本横断するのは大変であるからフェリーを使うことにしたのだが、九州−関東間のフェリー航路が次々に廃止されてしまい、これまで同じフェリー会社を再び利用したことは無かった。しかも、2006年には帰りのフェリーが欠航してしまい、九州から関東まで延々と車を走らせて帰るハメになり非常に疲れた。 その時の反省から、去年は新幹線とレンタカーを使ったのだが、やはりレンタカーは自分の車ではないぶん勝手が違う。カーナビゲーションの操作法や、ウィンカーやワイパー操作、ガソリン給油口の開け方すら戸惑う。 シーズン中は早めに予約しなければ子供用として必要なジュニアシートが確保出来ない危険性もある。 そして何より、車を返した後の荷物の山に難儀する。 そういうわけで、今年はもう一度、自分の車を使うことを考えた。 カメラ機材を多く乗せるには、やはり車があると便利に思う。昔は銀塩カメラだけで良かったが、何しろ今はデジタルカメラもある。そうなるとパソコンも必要になろう。それに、カメラが故障した場合にも備えて予備機も持参したいところ。レンズも各種、そしてフィルムも田舎では手に入らないため十分な余裕を見て持って行く必要があろう。 さて、肝心のフェリー航路だが、過去に利用した新潟県直江津発の日本海航路「九越フェリー」、そして神奈川県久里浜港発の太平洋航路「シャトルハイウェイライン」はどちらも運行を取りやめている。 そこで今年は、東京湾から出航する「オーシャン東九フェリー」で行くことを考えた・・・と言うか、もはやそれ以外の九州行きフェリーが無いというのが現状。しかもこの航路、なんと洋上で2泊しなければならない。あまりにも時間かかりすぎるが、代替航路が無いのでどうしようも無い。 日程としては、盆休みに入る直前の金曜日の8月8日に有給休暇を取り、帰省ラッシュに巻き込まれないように一足早く動きたい。 これまでフェリーの予約受付けは出航日の2ヶ月前ということだったのだが、今回のフェリーの予約受付けは1ヶ月前からのようである。 というわけで、まだまだ先の話だと思い油断していたら、いつの間にか1ヶ月前の前の日になってしまい焦った。 あらためてフェリーの詳細をインターネットで確認し、料金を計算してみてビックリした。なんと往復で20万円近いではないか(1等個室)。 というのも、このフェリー会社は子供が未就学児であっても6歳以上は子供料金を取るのだ。これによって往復3万円くらい違ってくる。 ちなみに「九越フェリー」は往復10万円弱、「シャトルハイウェイライン」は往復14万円くらいだった。 原油値上げの影響も重なっているとはいえ、交通費で20万円というのはやはり無理があろう。 結局、「オーシャン東九フェリー」は諦めることにした。 しかし諦めたと言っても、まさか九州まで1,200kmを車で走り抜くなど無理。以前のフェリー欠航での日本横断で懲りている。片道でも懲りるくらいなのだから、往復など考えたくも無い。 じゃあどうするか? 東京から大阪まで車で走り、大阪からフェリーに乗るというのはどうか?これならば長距離運転を避けることが出来、フェリーも安く済むだろう。それに、到着日も1日早くなる。 ならば大阪発フェリーの予約を入れるか・・・と思ったのだが、他のフェリー会社は出航日の2ヶ月前が予約受付け開始だった。現時点ですでに出航1ヶ月前なのだから、さすがにもう空きは無くなっているに違いない・・・。 ところが、インターネットで大阪発の便を検索してみると、「阪九フェリー」で個室の空きがチラホラあるようだ。予約受付け開始して1ヶ月経過してるというのに完売していないとは意外だった。 もっとも、そのおかげで助かったわけだが。 このフェリーはインターネットで予約できるとのことで、早速予約手続きをとった。 もちろん、6歳の子供であっても未就学児ならば無料だということは確認した。料金は往復で8万4千円くらいである。高速料金とガソリン代を入れると13万円くらいか。 さて、具体的な日程としては下記表のとおり。 8月10日に福岡ドームで野球観戦する以外は、わりと実家近くでの行動である。 ちなみにこの野球観戦、我輩の母親がチケットを手に入れたということで、急遽予定に組み込むことになった。 8月8日(金) 自宅→大阪 泉大津20:00発(フェリー泊)→ 8月9日(土) →新門司8:30着→到津の森→検地→源じいの森温泉→京都郡実家(泊) 8月10日(日) 京都郡実家→香椎浜→福岡ドーム野球観戦→ホテル(泊) 8月11日(月) ホテル→京都郡実家→長井海水浴場→京都郡実家(泊) 8月12日(火) 京都郡実家→叔母さんの家→小倉→新門司20:10発(フェリー泊)→ 8月13日(水) →泉大津8:50着→自宅 <<画像ファイルあり>> ●8月8日(金) 1日目 <自宅→20:00大阪府泉大津港(フェリー泊)> いよいよ出発の日を迎えた。 この日は19時半くらいまでに大阪のフェリー乗り場に着けば良い。 カーナビで見ると、大阪までは8時間くらいのドライブになるようだが、恐らくこれは法定速度で走った場合の数値であろうから、実走行ベースでは7時間くらいで着くだろう。仮に渋滞に遭遇したとしても、世間よりも1日早く休みを取ったのだから、それほどひどい渋滞ではなかろう。 しかし万一のことを考え、朝8時頃に出発してみようかと思う。もし順調であれば16時には着く段取り。さすがに3時間半のマージンがあれば大丈夫だろう。 時間が余った場合は、フェリー乗り場近くに「岸和田カンカンベイサイドモール」という大きなアウトレットモールがあるらしく、そこで時間を潰すことにしようと思う。 ところが、幹線道路に出てすぐに渋滞にハマった。 「まさかこの分じゃ、高速道路も渋滞か・・・?」 そう思い、少し先に行ったところから首都高速道路に乗ったのだが、それでもやはり渋滞。 こういう時は追突事故もあるようで緊急車両が縫うように通って行くのだが、渋滞時に車を脇に寄せるのはなかなか苦労する。 時計を見ると、出発してからまもなく2時間が経とうとしていた・・・。 首都高速道路 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/08 09:54 首都高を抜け東名高速道路に入っても、渋滞は続いていた。 カーナビの渋滞表示がもうすぐ終わりそうに見えるのだが、それでもなかなか渋滞を抜けられない。まさか、渋滞そのものが進行方向へ一緒に移動している・・・? もしそうであるなら、永遠に渋滞を抜けられまい。 ふと、カーナビ画面を見ると、到着予定時刻がフェリー出航時間を完璧に超えているではないか。まだ午前中の段階であるのに、もう敗北宣言とは・・・。 カーナビはもうこの時点で敗北宣言 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/08 11:20 このままだとラチがあかない。それに昼食時であるから、とにかく一般道へ降りようと思う。 一般道に降りるまでがまた大変だったのだが、何とか降りてコンビニエンスストアでトイレと昼食。 ただ、昼食とは言っても、運転手の我輩は大急ぎで食べて車を発車させたため、ほとんど休憩にはならなかった。 カーナビは、降りたインターチェンジに戻そうとするが、また渋滞に戻るのは分かっているため指示を無視して一般道をそのまま走った。一般道のほうでも渋滞はあったのだが、それでも高速道路の動かない渋滞よりはマシという程度である。 そして2つ目くらいのインターチェンジで高速道路に戻ってみた。すると、幸いなことに渋滞は無くなっていた。 時間は13時。ここからどれくらい遅れを取り戻すことが出来るのかは分からないが、もしフェリーに乗り遅れることになれば、大阪で一泊した後、また車で走らねばならなくなる・・・。 出発してから6時間後、ようやく富士の裾野あたりまで来た。 かなり渋滞は緩和されたものの、それでも流れは良くない。 さすがにこの状態だと、もはや諦め半分である。カーナビも相変わらず20時過ぎの到着予定を表示している。 フェリー乗り場に電話入れてキャンセルしようかと何度も思ったが、どのみち当日キャンセルになるのだから、いつ電話してもキャンセル料は変わらない。ギリギリまで頑張ってみることにしよう。 浜名湖あたりまで来た時、時間は16時だった。距離としてはようやく半分といったところ。あと3時間半で残りの半分を走れということか・・・? いちおう平均時速100km/h出せれば十分着ける計算であるが、ここまで8時間かかってることを考えると、恐らく間に合わないだろう。カーナビの到着予定時刻は相変わらず20時を超えているのだ。 案の定、岡崎あたりでまた渋滞。 それに、大阪市内は2年前に通った時に大渋滞に巻き込まれた記憶がある。ここでトドメをさされるかも知れぬ。 ところでカーナビの指示では「名阪国道」という一般道を走れとのこと。高速道路ではないことが気にかかったが、カーナビも何か考えがあるのだろう。ここは下手な判断をせずカーナビに従うか。 すると、ほとんど高速道路のような道路で驚かされた。自動車専用道路ではあるが、一般道でありながらサービスエリアさえもある。 それにしても、制限速度60km/hと表示されているのだが、他の車は最低でも100km/hくらいは出している。追い越し車線など120km/hくらいで流れているのだ。 終始「???」の状態だったが、なんにせよペースが上がったのは有り難い。 前の車についていってペースを上げる <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/08 18:18 結局のところ、フェリー乗り場に到着したのは19時半。何とかフェリーに間に合ったのである。自分自身でも信じられなかった・・・。 誘導員の人が関西弁で説明していたので、大阪に来たんだなぁとしみじみ思った。 阪九フェリー 泉大津乗り場 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/08 19:37 出発してから到着までなんと運転時間は11時間を超えていた。この間、ずっとエンジンを切っていない。もちろん、トイレに行く時も。用を足した後、すぐに車に乗って発車である。改めて考えるとゾッとする。 これは結果としてそうなったという話であるから、もし事前に11時間運転することを知っていたならばヤル気が失せてただろう。 受付にて、車検証とインターネット予約した時に使ったクレジットカードを提示すると、すぐにチケットが発券された。 他の乗客を見ると何やら用紙に記入していたのだが、インターネット予約だとそのような手間は省けるようだ。 フェリー案内所受付 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/08 19:36 さて、いよいよフェリー搭乗であるが、このフェリー会社では、同乗者は別の入り口から搭乗のようだ。事故防止のためとのこと。 それにしても、このフェリーは乗り口が高い位置にあるため、車で長いスロープを登りフェリーに乗り込む。見ると、フェリー内部にはスロープが無いようだ。その分、搭載量が増えるということか。乗り場にスロープを設置できる乗り場ならば合理的かも知れない。 フェリー搭乗中 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/08 19:56 比較的遅めの到着だったせいか、船内では隙間に駐車させられた。 そのせいで柱がギリギリで、ドアを開ける時は僅かにかする。駐車後はすぐに輪止めされるため、後で微調整は出来ない。危ないところだった。 船室は、個室が4人部屋しか取れなかったため、他の乗客1人と相部屋になった。 我々は家族3人なのだが、豚児が添い寝のためベッドは2つあれば足りる。そして残り1つは空きだった。 まあとにかく、夜出航で朝到着であるから、単に寝るだけの部屋でしかない。相部屋であろうともカーテンを閉めて寝てしまえば、気にする時間すら無いのだ。 ちなみに、帰りの便では2人部屋を取っている。 船室(写真は翌日朝撮ったもの) <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/09 06:23 さて時間も時間であるから、すぐに食事とする。 部屋を出てロビーに出てみたが、わりと開放感のある感じだった。これまで乗った船と比べると、なんと言っても奥行き感が違う。寝るだけとして使うにはもったいないほど。 フェリー内のロビー <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/08 20:10 食堂に行くと、食券方式ではなくカフェテリア方式だった。これもフェリーでは初めて経験した。 しかし先の方にどんな小皿があるか分からないため、目の前の小皿を取るか、それとも先まで行くかの見極めが難しい。ボヤボヤしてると、列の後ろも詰まってくる。 フェリー内の食堂 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/08 20:14 並んでる時は客で混雑しており、座る場所を心配していたのだが、意外に空いておりゆっくりすることが出来た。 エンジンの振動がビリビリ伝わり、みそ汁の水面が揺れているが、海の波による揺動が全く無い。信じられない。これまで日本海航路と太平洋航路を体験したが、瀬戸内海航路はかなり穏やかなのだろう。 フェリー内の食堂 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/08 20:23 食後、すぐに展望風呂に入った。もちろん夜間ということで展望は望めない。窓の外は真っ暗であった。 身体を洗っていると、時々浴槽の湯がザーッと溢れてきた。見ると湯面が傾いる。どうやら船が回頭したようだ。しかしそれ以後、全く揺れどころか傾きさえも感じなかった。 風呂から上がるともう22時近く。 ベッド(寝台)に入り、カーテンを閉めてすぐに寝た。 エンジンのビリビリ音がただ響くだけ・・・。 ●8月9日(土) 2日目 <新門司8:30着→北九州市 到津の森→源じいの森温泉→京都郡実家(泊)> 朝、起きると寒くて震えた。 空調が結構効いてる。まあ、暑いよりはマシだが、ちょっと寒すぎる・・・などと思い部屋を見渡すと、空調の強度切替スイッチを見付けた。これを「弱」にすべきだったのだが、もうすぐ到着であるから、今さら気付いても遅い。 4人部屋の寝台個室 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/09 06:23 窓から外を見ると穏やかな水面が広々と見える。豚児を連れてデッキに出て景色を眺めたりした。今回のフェリーはほとんどが夜の航海のため、こういう風景を楽しむ時間は貴重と言える。 内海のせいか、風もあまり無い。 デッキで風景を眺める <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/09 06:34 食堂は6時半から開いているとのこと、我々は7時過ぎに食堂に行った。 夕食時と同じで、最初はしばらく並ぶものの、料理を取って清算を済ませればすぐに席に座れた。 これまで乗ったフェリーであれば、空いた席を探すのが一苦労という感じだったが、ここではそういう苦労は全く無い。入口付近はともかく、奥のほうに行けばどこに座ろうかと迷うくらいである。 フェリー内の食堂で朝食 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/09 07:21 朝食後、船室に戻ると相部屋の人は荷物を引き払って居なくなっていた。まだ到着まで1時間半もあるのだが。 以前も相部屋だった時はそうだったが、家族連れと相部屋になった人はラウンジでくつろいだほうがリラックスできるのだろう。 しばらく船室でテレビを観て過ごしていたのだが、だんだん到着時間に近付いてきたため、ロビーに行って航路を示す掲示板で確認するとあと少しで到着というのが分かった。 フェリー航路表示板 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/09 07:36 港に入港する様子をビデオで撮影しようと再びデッキに出てみたのだが、すぐに到着予告アナウンスが流れたため、船室に戻って荷物をまとめて車に向かった。 下船も、同乗者はドライバーとは別になるとのこと。 ところが、車を置いてある区画が分からなくなり、階段を上ったり降りたりと大変だった。トラックばかりが停まってるところなど色々さまよった挙句、ようやく自分の車のある区画に辿り着いた。 まあ、どうせ最後のほうであるから、遅れたとしても後続に迷惑かけることは無かろう。 他の車の後に続いてタラップを降りると、新門司のフェリー案内所の建物が見えた。歴史文化的な様相でビックリである。 最初、何か歴史的建造物なのかなと思ったのだが、自動ドアも備えたフェリー案内所なのだ。 気分も盛り上ってくる。 新門司のフェリー案内所の建物 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/09 08:42 天気は快晴。 朝であっても日差しがかなり強く感ずる。 別通路から下船したヘナチョコ妻と豚児と合流し、荷物を積み込み、カーナビに目的地をセット。 最初の目的地は、これまで何度も行った「到津(いとうづ)の森公園」。 さて、大阪まで走ったことでガソリンが心細くなったため、到津のガソリンスタンドで給油した。 ハイオクのリッター単価は201円。キツイ・・・。 給油後、到津の森駐車場に車を停め、園内に入る。 朝のせいか、暑いせいか、この日ははあまり人がいなかった。 暑さはかなりのもので、ソフトクリームやジュースを買うことが多かった。この季節で屋外施設というのはツライものがある。かと言って、屋内施設だとわざわざ関東からやってきた人間が地方都市で行くようなところはどこにも無い。 到津の森公園 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/09 11:39 昼食後、豚児に遊園地コーナーで遊ばせたのだが、人が少ないため貸切に近い状態。混んでいるよりは良いのだろうが、あまりに空いていても遊びにくいものだ。 遊園地の歓声は聞こえず、クマゼミのシャアシャア鳴く声だけが響いていた。 (ちなみに、この地方はミンミンゼミは存在しない。主流はクマゼミとアブラゼミとニイニイゼミ。) 到津の森公園 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/09 12:29 本来ならば園内を色々と回ってみたかったのだが、さすがに暑さで体力消耗気味。昼を過ぎると暑さもピークである。 もうこれくらいで良いかと思った13時くらいに到津の森を後にした。 その後、行橋市(ゆくはしし)の父方の祖母の家に寄った後、夕方になって我輩の母親と合流して、「源じいの森温泉」に行った。 ここ数年は、帰省すると温泉と夕食で必ず1度は立ち寄る。 山の合間にあるため、交通の便は良くない。 一応、第3セクターの鉄道「平成筑豊鉄道」のレールバスは通っているため、車を持ってない時はこのルートで行ったことがあった。しかし、せっかくの湯上りだから汗をかきたくないということでタクシーを呼ぼうとしたのだが、この辺りはタクシーのエリア外ということで拒否されてしまった。 源じいの森温泉 <<画像ファイルあり>> [Nikon P5100] 2008/08/09 18:26 「源じいの森温泉」は、「源じいの森」の中にある一つの施設である(他にもキャンプ場などがある)。 その構造は、中心に大きな休憩所を配し、その周りを囲むように食堂や売店、大浴場、家族風呂などが配置されている。ちょうど、アメリカ国防総省(ペンタゴン)のような感じか。 源じいの森温泉 <<画像ファイルあり>> [Nikon P5100] 2008/08/09 18:35 まず、休憩室で場所を確保し、男性・女性で交代で温泉に入る。 ちょうど、中学生くらいの集団(野球部?)が入っていたため、洗い場は満席状態。それでも何とか一つ空いたところに座ったのだが、周りの中学生がふざけて冷たい水をシャワーで掛け合ったりしはじめた。当然、こちらにも冷たい水が掛かる。 「おいコラ、水が掛かりよるが!」 思わず怒鳴った。 源じいの森温泉内の休憩室 <<画像ファイルあり>> [Nikon P5100] 2008/08/09 18:37 温泉の後は食事。 豚児はお子様ランチとして、我輩はヒレカツ定食、母親とヘナチョコはちゃんぽんを注文。 実を言うとちゃんぽんも食べたかったのだが、温泉の後なら、ゴマだれが旨そうなヒレカツ定食かと思う。 食堂で食べたゴマだれヒレカツ定食 <<画像ファイルあり>> [Nikon P5100] 2008/08/09 20:05 食後はもう豚児の寝る時間に近いため、車に戻って家路についた。 山合いの村であるから、すれ違う車もほとんど無く、真っ暗な夜道で、カーナビが無かったら大変だっただろう。 実家は隣の町なのだが、見慣れた道に出た時はホッとした。 実家には母方の祖父母が住んでいる。 去年帰った時は祖父は脚を痛めて入院してたが、今はもう退院していた。 豚児はすぐに寝かせて、我輩は撮影したデジカメ写真をパソコンに移して整理したりしていたが、やはり疲れがあったため早めに寝た。 それにしても、夜ゼミがウルサイ。 ●8月10日(日) 3日目 <京都郡実家→香椎浜→福岡ドーム野球観戦→ホテル(泊)> この日は福岡ドーム球場(Yahooドーム)で野球観戦の予定。 我輩の母親がチケットを入手したとのこと。 しかし福岡ドームというのは博多方面にある。実家はどちらかというと北九州方面のため、車で行くとなるとまた高速道路に乗って行くことになる。しかもナイトゲームであるから、博多での一泊は避けられまい。これはこれで小旅行と言える。 そうなると翌日以降の日程にも影響がある。例えば大分の別府温泉に行ったりってのができなくなる。 いや、やろうと思えばできなくはないのだが、博多まで行って、また戻ってきて、そして今度は大分・・・ということになると疲労もたまる。 我輩とヘナチョコは全く野球には興味が無いのであるから、そもそもこの提案は「有り得ないもの」だった。 けれども豚児の意見も聞いたほうがいいかと思い、「野球観に行くか?」と聞いたところ、「うん、行く!」と言うではないか。 豚児が喜ぶならしょうがないか・・・ということで、結局行くことになった。 しかし博多ならば、車ではなく新幹線のほうが良いだろうと思う。3年前に博多港に上陸して小倉まで車で走った時は、渋滞で大変だった。車での博多行きは、あまり快適な印象は無い。 そのため、「小倉駅で車を駐車して、そこから新幹線で行こうか」と我輩の母親に提案したところ、そうなるとドーム球場までの移動が大変だとかいう話になり、結局、車で移動することになった。 まあいつも混んでるとは限らないだろうから、何とかなるだろう。 さて、野球観戦のためだけに博多に行くのも気が滅入る。ついでに他のところにも寄りたいと思った。 というのも、博多の近くに香椎(かしい)という町があるのだが、我輩は大学浪人時代にこの町に住んでいたのだ。ここに、代々木ゼミナールの寮がある。20年前のことであるから、懐かしさからもう一度あの風景を見て(撮影して)みたいと思う。 博多まで行く機会などあまり無いのだから良い機会だろう。 しかしそれは我輩だけの事情であるから、我輩は香椎で単独行動をし、その間は他の3人は海ノ中道の水族館で過ごすということになった。 野球は18時から始まる予定であるから、17時くらいには宿泊予定のホテルにチェックインして車を駐車場に入れておこうかと思う。 この日、朝9時半頃に京都郡の実家を出発。我輩の母親が用事があるということで小倉に少し寄り、それから博多に向かった。 ところが、恐れていた渋滞にハマってしまった。しかも、動いては停まり、動いては停まり・・・と延々と繰り返すため、休むヒマが全く無い。これは疲れる・・・。 せっかく帰省したというのに、現地でまた渋滞とは。 こんなことならば新幹線にしておくべきだった・・・。しかし今さら遅い。動けないので引き返すことすらできない。 それにしても、もう昼時。 とにかく直近のインターチェンジまで頑張り、そこから高速道路を降りてコンビニエンスストアでも探して昼食にしたいと思うのだが、そのインターチェンジまでの10kmが長いのなんの・・・。路肩走行しようにも、路肩も無い(実際に路肩走行すると違反である)。 ようやく「若宮」という場所で高速道路を降りてみたのだが、これがまた田舎であった・・・。 それでもコンビニエンスストアはあったので、そこの駐車場に停めて弁当を買い昼食とした。 日差しが強くて、ウィンドウシェードでフロントガラスを覆わないとツライ。当然ながら、エンジンをアイドリング状態でエアコン効かせたまま。エコロジーがどうのこうのと言ってられない。死にそうなほどの暑さであるから、カンベンしてもらうしかあるまい。 若宮 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/10 13:13 食後、しばらく一般道から行くことにした。そのおかげで平均速度は上がったように思う。 それにしても、こんな田舎であっても意外にもコンビニエンスストアが幾つかあったのには驚いた。実家周辺地区には最近出来たのが1軒あるのみで負けた気がする。 ところで、我輩以外の3人が海ノ中道へ行くという事前計画についてだが、その件は途中で中止という話になった。というのも、帰省シーズンで激混みということが容易に想像出来るからだ。実際に、激混みで往生したという話も聞いている。 それに、渋滞の件で予定時間がかなりズレ込んでいるということもある。 そういう事情で、香椎のほうには予定通り行くものの、我輩以外の3人は香椎浜のショッピングセンター「AEON」で時間を潰し、その間に我輩は予備校時代の風景を探索することにした。 香椎浜の「AEON」 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/10 15:00 17時に宿泊予定のホテル「サンライン福岡」にチェックインする予定のため、16時15分までには車に戻ろうかと思う。 手早く撮るため今回はデジタルカメラで妥協しようかと思う。実は35mmカメラを持ってきていないため、中判カメラでなければデジタルカメラを選択するしかない。 「Nikon D200」を持ち、20数年前に歩いたことのある懐かしい道を再び歩いてみた。 それにしても、遠くでゴロゴロと雷の音がしているのが気になる。まあ、1時間くらいは大丈夫だとは思うが。 しばらく歩いていると、代々木ゼミナールの懐かしい寮が見えてきた。 初めて親元を離れて暮らした寮であるから、1年間という短い間であっても想い出が強く残っている。 代々木ゼミナールの寮 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/10 15:09 当然、博多の代々木ゼミナールに通うために毎日歩いた駅までの道を辿ってみた(ちなみに代々木ゼミナールの出席は磁気カードで管理されており、我輩は皆勤の記録を残した)。 香椎駅の駅前通りを歩いてみたのだが、昔とあまり変わってないように思えた。さすがに店の一つ一つまでは覚えてはいないが、主要なところは記憶に合致している。 香椎駅の建物については、雰囲気は全く変わってしまったようにも思えるのだが、元々の記憶が曖昧であったため、具体的にどう変わったのかまでは分からない。 それにしても、空が妙に暗い。車がライトを点灯させてるくらいである。一般人はよほど暗くならなければライトを点灯させないことを思うと、この時の暗さを改めて説明するまでも無かろう。 そのうち雷の音が近くで鳴り始め、小雨もポツポツ振ってきた。 「ヤバイなあ」と思いながら来た道を戻っていると、急にドカ雨が襲ってきた。カメラが濡れると大変だと思い、シャツの中に隠して走る。 雨宿りするところが無いかを探しながら走っていると、ちょうど代々木ゼミナールの寮の敷地内に物置みたいな建物があり、そこの軒下に滑り込んだ。 もう、頭はビショ濡れで、滴がしたたるくらいである。 代々木ゼミナール寮敷地内 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/10 15:54 時計を見ると、もうすぐ16時。しかし、ここから動けなくなってしまった。 雷もかなり激しくゴロゴロドカーンと鳴り響いている。雷で死んだというニュースはたまに見聞きするため、落雷の音がするたび肩がすくんでしまう。 しかし、雷そのものは美しい。稲妻の形が神秘的である。 手元にカメラがあるから、試しに撮ってみようかと思った。 AFモードのままだとすぐにシャッターが切れないため、MFに設定してシャッタースピードを1/10秒にセット。空にレンズを向け、稲妻が現れるのを待つ。 そう言えば思い出したが、寮にいた頃も窓からカメラ(Nikomat FT2)を構えて稲妻撮ったなあ・・・。 20年前の雷写真(代ゼミ寮から撮影) <<画像ファイルあり>> [Nikomat FT2/50mm/FUJICHROME400] 1987-1988 そんなことを考えていると、目の前が光ったと同時に「パチンッ!」と音がし、直後に「バリバリドカーン!」という大音響が響いた。 とっさにシャッターを切った。 D200の液晶モニタを見ると、見事に落雷の瞬間が写っていた。光と音がほとんど同時だったように思うため、距離はかなり近いはず。 それにしても、最初の「パチンッ!」っていう音は何だろうか・・・? 落雷の瞬間 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/10 16:06 これは余談だが、稲妻というのは1秒ほど見えていることが多く、光った瞬間にシャッターを切っても案外間に合うものだ。 場合によっては、同じ形の稲妻が何個も重なって見えることもある。 高電圧の電気が空気の絶縁を破りながら進むのが稲妻なのだが、絶縁を破るために空気の分子をプラズマ化させるわけで、そのプラズマがすぐには元に戻らないことから、そのプラズマ化された経路を何度も電流が行き来することになるのである。 それゆえ、第一発目の稲妻がシャッターチャンスに間に合わなくとも、2発目3発目の稲妻が続くので、大抵の場合写真に写すことが出来る。 (参考:雑文372「雷」) さて、時計を見ると16時10分。これはちょっとマズイ。 相変わらずゴロゴロ音はしているが、稲妻もだんだん視界から見えなくなってきた。雨も一時期よりも小降りになったように見える。 思い切って飛び出し走った。しかし、弱くなったとは言っても雨は容赦なく身体を濡らす。 5分くらい走り、ようやく車に滑り込んだ。 走ったせいか、背中側はほとんど濡れていない。そのため、シートに座ってもシートは濡れなかったのは幸いである。 他の3人と合流し、17時に宿泊予定のホテル「サンライン福岡」に到着。この時点で雨はやみ、空は明るくなってきた。 さて、チェックインしていったん部屋に入って休憩した後、タクシーを呼んでドーム球場へ向かった。 野球は興味が無いが、話のネタくらいにはと思いデジタルカメラ「Nikon D200」と70-300mmレンズを使って撮影しようと思う。 福岡ドーム球場 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/10 17:49 試合は18時から。 元々興味も無い野球であったか、どのチームが試合するのかも知らない。 見ると、「ソフトバンク」と「楽天」が試合するようだ。そう言えば、「ダイエー」から「ソフトバンク」になったんだな・・・今さらながら思った。 福岡ドーム球場 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/10 17:58 試合は9回表まで5対1でソフトバンクが負けており、途中から帰る観客がゾロゾロ。 周りの観客も、「今日の試合全然面白くないねぇ」などと言っていた。 それでも9回の裏でソフトバンクが底力を見せて3点を奪い返した。 ソフトバンク VS 楽天 <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/70-300mm] 2008/08/10 こうなると、白けムードが一転して観客席が白熱し始めた。 我々の席の下が楽天のベンチなのだが、ファンが押し掛けて「野村ぁー!ピッチャー代えろぉ!」などと叫んでいる。 野球に興味ない我輩であっても野村監督は知っている。ミーハーだとは思ったが、一応、写真にも撮った。 野村監督 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/70-300mm] 2008/08/10 撮影は当然ながら連写モードであるが、秒間5コマ撮影でもなかなかタイミングを合わせるのが難しい。バッターが打つ瞬間も、いつ打つのかが分からないため、無駄カットが非常に多い。そのままでは残り枚数が少なくなってしまうので無駄カットはその都度消去しているわけだが、「Nikon D200」は消去ボタンを2度押せばすぐに削除出来るのが効率的で良い(他のカメラでは、そのつど消去確認を選択せねばならない)。 さて試合だが、結局は5対4でソフトバンクは負けてしまった。 花火は上がらず残念・・・。 時間は22時。本来、豚児は21時には寝ていなければならない時間であるから、今日はかなりの夜更かしである。 急いでタクシーに乗ってホテルに戻り、慌てて豚児を寝かしつけた。 タクシー乗り場 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/10 22:08 それにしても疲れた。 来る時の渋滞がかなり堪えた。千葉−大阪間の渋滞よりも、今回の渋滞のようにジワリジワリと動くほうが休めないだけツラかった。 明日は海水浴の予定・・・ホントにこんな状態で大丈夫だろうか? ●8月11日(月) 4日目 <ホテル→京都郡実家→長井海水浴場→京都郡実家(泊)> 朝、前日の夜にコンビニエンスストアで買っておいた朝食を食べた。 外は良い天気だった。 ホテルの9階の部屋であるのに、クマゼミのシャアシャア鳴く声が聞こえてくる。 前日の疲れが残っていたため、チェックアウト10時ギリギリまで部屋で休んでいた。 その後車に乗ってホテルを出て、実家へ直行。というのも、この日のメインイベントは海水浴である。実家近くに「長井の浜」と「簑島(みのしま)海水浴場」という海水浴場があり、そこで家族で泳ごうという予定。 この日の高速道路は順調だった。 実家に着いたのは11時半頃。昼食を食べてしばらく休み、13時40分くらいに再び車に乗って海水浴場へと向かう。 暑さは格別で、外に出るのがくじけそうになる。 カーナビの案内が無くても行けそうだとは思ったが、一応カーナビに目的地をセットすると、今まで通ったことが無い道を指示されてしまった。確かに、地理的に言えばそのほうが近そうに思える。 というわけで、カーナビの指示のまま行ってみることにした。 ところがその道はかなり狭く、対向車とのすれ違いがかなりギリギリであった。こういう時はやはり軽自動車が便利かと思う。 さて、そうこうしているうちに長井の浜に到着。 駐車場らしき広場まで行ってみると、海の家の有料駐車場との看板がある。ただ、車が1台も停まっていない。肝心な海の家も閉店状態の様子。もしかしてシーズンは終わっているんだろうか・・・? ここでは泳ぐのは無理かと思い、試しに近くの箕島のほうに行ってみることにした。 こちらの駐車場には何台か車が停まっており、特に有料というふうでもなかったため、車を停めて降りてみることにした。 砂浜のほうに行ってみると、バーベキューとか日光浴している者たちが数人いたが、泳いでる者は見えない。 見ると、風が強く波が少し荒い印象。 簑島海水浴場 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/11 14:25 豚児を連れてしばらく海岸線を歩いて貝殻などを拾っていたところ、4人くらいが海に入って泳ぎ始めるのが見えた。うーん、一応は泳げるんだろうか。しかし、監視員もいないし、海の家が開いてないんで着替やシャワーなどをする場所が無い。 今回は諦めることにした。残念・・・。 しばらく海辺散策をした後、また車に乗って実家に戻る。今度は大きな道を通って帰った。 夕方になり、夕食をどうしようかという話になった。 実家には何も無かったため、外に出てファミリーレストランにでも行こうかということになった。 我輩の母親とヘナチョコ、そして豚児を車に乗せ、カーナビで見付けた10km離れた「ジョナサン」へ行き夕食を済ませた。 「ジョナサン」を目指して走る <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/11 17:42 ところで、明日の夜はもう帰りのフェリーに乗ることになっている。ということは、この日の夜が実家での最後の夜となるわけだ。 ということで、帰りは行橋の「ユメ・タウン」に寄って花火を買い、実家の玄関先で花火大会をして締めくくることになった。 ついでに、巨峰と九州らーめん「うまかっちゃん」も買い込む。 巨峰は4パックで980円で安く、「うまかっちゃん」は関東で売ってるところが見当たらないからだ。 「ユメ・タウン」 <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/11 19:19-35 実家に帰ってから風呂に入り、風呂上がりに巨峰をちょっと食べてみた。4パック980円にしてはウマイ。しかし冷えるともっとウマイだろうから、冷蔵庫で冷やしておき明日の朝にでもまた食べたいと思う。残りは車に積んで自宅に戻ったらゆっくり食べるつもり。 4パック980円の巨峰 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/11 21:10 そしていよいよ花火大会。 地味ながらも息の長い線香花火が一番盛り上がった。 玄関先で花火大会 <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/11 21:10 ●8月12日(火) 5日目 <京都郡実家→叔母さんの家→小倉→新門司20:10発(フェリー泊)→> 朝は、豚児のキックで目が覚めた。 朝の様子 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/12 05:36 この日は、隣町の叔母さんの家へ行く予定。これは例年どおり。 お昼を食べさせてくれるという話だったので、昼頃行くことになる。 さて、少しずつ荷物をまとめはじめた。 こうしてみるとかなりの荷物。出発時に、車だからと、思い付く荷物はどんどん積んでしまったのだから。 撮影に関するものだけでも下記の通り。 ・中判カメラ2台(常用「BRONICA SQ-Ai」、スペア「New MAMIYA6」) ・BRONICAレンズ5本 ・120フィルム30本 ・デジタル一眼レフカメラ「Nikon D200」 ・Nikkorレンズ3本 ・コンパクトデジタルカメラ「Nikon COOLPIX P5100」 ・ハンドヘルドパソコン ・メモリ式ビデオカメラ(通常撮影用途) ・テープ式ビデオカメラ(車載カメラ用途) ・ストロボ ・充電器(5種) ・予備のバッテリー各種・・・。 数年前、列車で来た時に必要最小限の機材だったのだが、肝心のカメラが故障してしまい、急遽カメラを現地調達するハメになってしまった(参考:雑文503「夏の帰省日記(1)」)。 だから、車で来る時は必ずスペアのカメラを持って来ることにしている。 これらの荷物、来る時は整頓しているためそれなりに車に積めたのだが、カメラ機材を出し入れしたり、着替えなども未使用と使用済みとで分けたりしてると、どうにも嵩張って仕方ない。 それに、九州内での行動は助手席に我輩の母親を乗せることが多く、トランクだけが頼みの綱となる。 荷物 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/12 11:08 またこれらの荷物の他にも、工具ボックス2箱と高速道路で故障した時のために中サイズのコーン(電飾付きパイロン)4本と黄色回転灯を入れている。もちろん発炎筒(発煙筒?)も2本あるのだが、あれは数分で燃え尽きるため、やぱり高速道路を走るならばこれくらいは必要。特にコーンはすぐに取り出せるように向きにも注意。 こんな状態でもさらに旅行の荷物が入るのだから、なかなかセダンとは言っても侮れぬ。 昼前、我輩の母親も乗せて実家を出発、叔母さんの家に到着。 例年ならば、叔母さんの娘家族が帰省しており、そこの子供とウチの豚児が遊んだりするのだが、今年は帰省のタイミングが合わなくて会えなかった。残念・・・。 さて昼食だが、ピザを取ろうという話になり叔母さんが電話をかけてくれたのだが、なんと2時間待ちになるとのこと。 しょうがないということで、結局外に食べに行ってきた。 叔母さん家族と食事 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/12 12:45 14時頃、そろそろ小倉に行こうということになり、車で叔母の家を出発。 我輩の母親は小倉にマンション借りて住んでいるため、とりあえずそこに行き母親の荷物を置いて行動しようということになった。 ところが小倉市街に入ったところでドカ雨が降り始めた。屋根がバリバリ鳴るくらいの豪雨。ワイパーなど役に立たないほど・・・。 視界不良でヒヤヒヤしながら運転し、ようやくマンションのところまで辿り着いた。 雨はまだ降ってたのだが、少し空が明るくなってきたようだったので、我輩の母親に「もうちょっと様子見て外に出たらどうか?」と言ってみたのだが、待ちきれないようでそのまま出てマンションへ走って行った。 ところが皮肉なことに、その2〜3分後くらいに雨が完全に止んでしまった。陽が差して雨滴がキラキラ輝くくらいに晴れた。もう少し待てば濡れずに済んだものを・・・。 さて、母親が戻ってくるのを待っていると、豚児が「バアちゃんのウサギと遊びたい」と言い出す。 実は母親はマンションでウサギを飼っている。 フェリーに乗るまでの間、小倉で買い物でもしようかと思ってたわけだが、まあ、マンションでまったりとウサギと遊ぶのもいいかなと思い、そうすることにした。 車は近くのコインパーキングに停めておいた。 マンションの部屋では、ウサギが大きな顔をしており、それを豚児が眺めて楽しんでいた。 我輩は、これまで撮ったデジカメ写真のデータを母親のパソコンに移そうとしたのだが、写真データを溜め込んだ外付けUSBハードディスクを車に置いてきたことに気付き、また駐車場に戻ったところ、なんとドアロックしてないことに気付いた。 これまで、この手のミスは何度やってきたことだろう。 それにしても、今だに被害が無いのが幸いというか何と言うか・・・。 さてフェリーの出航は20時10分。 19時過ぎには着きたいのだが、新門司のフェリー乗り場まで40分くらいのようなので、18時半くらいに出れば間に合うだろう。 ただ、これまでの痛い経験から、安全をみて18時ちょっと過ぎに出発した。 すると、途中でまた激しい雨に遭遇。まったく変な天気だ。 それ以外は特に問題無く乗り場に到着。早めに着いたおかげで、中間あたりの並び順となった。 雨は、着いた時にはすっかり止んでいた。 辺りが暗くなり、だんだんと出発前の気分が盛り上がってくる。 そういえば往路では、間に合うかどうかというスリルだけだったので、そういった盛り上がりを感ずる余裕は無かったな。 停泊中のフェリー <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/12 19:16 乗り場受付で手続きした後、例によって同乗者は別のタラップからフェリーに乗り込む。 我輩は車に戻り、乗船誘導があるまで待機。20分くらい何もすることが無く退屈である。エンジン切って暑いため、小さな扇風機を回している。しかし他の車はアイドリングしてエアコン入れてたりしている。 乗船は普通に完了。今回は左右のスペースに余裕あり。 車を離れる時に、振り向きざま写真を撮った。近距離からの撮影では遠近感が誇張されすぎて歪んで写るため、写真的にはあまり見栄えがしない・・・。 今回の船室は2人部屋なのでリラックスできる。ベッドも寝台ではなく、昇り降りせずとも良いので快適。 夕食と入浴を済ませ、豚児を寝かせた。便利なことに、ベッドを仕切るカーテンがあり、そのカーテンで仕切ってやると豚児が「わーい、自分の部屋になったみたい〜」と喜んでいた。 船室 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/12 21:16 さて、部屋の窓のカーテンには、「夜間航行に支障があるためカーテンを開けないでください」と注意書きがある。そっと覗いてみると、船首が見えた。どうやらこの部屋は船の真正面にあるようだ。 翌日の朝の風景が楽しみである。 ●8月13日(水) 6日目 <→泉大津8:50着→自宅> 朝起きるとすぐ、船室のカーテンを開けてみた。 思ったとおり、なかなか壮観な風景が広がっている。まるで操舵室にいるような感じだった。 船室の窓から <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/13 06:37 港への到着は朝8時50分の予定。 7時過ぎに食堂で朝食を食べ、下船の準備をダラダラと始めた。どうしても個室だと豚児共々だらしなく散らかしてしまい、なかなか片付けるのが大変。 そうこうしてるうち、8時過ぎくらいに船内アナウンスがあり、下船案内があった。同乗者はロビーに集まり、ドライバーは車に戻ることになる。 自分の車に戻ると安心する。 それにしても、カーナビの画面を見るともう大阪の表示に切り替わっている。確かに船の側面から空が見えているのだが、この程度でもGPS衛星からの電波を捉えてるというのは凄い。一昔前のパーソナルGPSだと「衛星ロスト」と表示されてしまう状態。 誘導に従い下船し、フェリー乗り場で家族を拾い、いよいよ関東を目指して走り始める。 往路では11時間だったわけだが、いくらなんでも復路ではもっと早く着くだろう。 来た時と全く逆の経路を辿る。 名阪国道は空いてて走り易かったのだが、東名高速道路に入ると車の密度が増してきた。渋滞はそれほど酷いものではなかったが、それでも流れが良いとは言えない。走行車線と追越車線の区別無く車が一様に走ってる状態。この状態だと、他の車を追い越して前に行くには、無理矢理蛇行して縫うように走るしかない。 我輩はずっと追越車線をキープしていたのだが、そのうち後ろに白のレクサスが張り付いてきた。車間距離がかなり詰まっている。これは煽られているんだろうか? もしそうだとしたら、前が詰まっていることが理解出来ないのか? 高速道路でフットブレーキを使うとブレーキランプが無用な渋滞を誘発するということから、我輩は単なる速度調整にはエンジンブレーキを使っている。しかしこの車間距離でエンジンブレーキは危ないかと思いつつ、ちょっと試しにやってみたところ、車間距離がさらに詰まった後、レクサスは蛇行縫いして追い越し、先に行ってしまった。フェリーの時間でも迫って焦ってたんだろうか? しかしそんな追い越しても長くは続かないだろうし、そんなに進めないはず。 そのまま気にせず20分ほど走ってると、案の定、例のレクサスが走行車線を普通に走っていたので、こちらは追い越し車線のまま流れに任せて追い抜いてしまった。 すると、そのレクサスはまた我輩の後ろに付いたのだが、今度は車間距離を取って普通に走っている。いったい何なんだろうか・・・? さて、岡崎付近で昼時になったため、この辺りで高速道路を降りてファミリーレストランにでも入ることにする。 しかし、走行中はカーナビが操作できなくなるため、車が一時停止できる場所(コンビニ駐車場)を見付けるまでしばらく目標無しで走らざるを得なかった。こういう仕様は安全性のためなのだろうが、運転中であっても同乗者がカーナビを操作する場面も想定出来ると思うのだが。 カーナビ検索で「バーミヤン」を見付け、そこで昼食をとることにした。 岡崎市内の「バーミヤン」で昼食 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/13 12:31 高速道路に戻る直前、セルフ式のガソリンスタンドに入り車も昼食とした。 九州で入れた時は単価が201円だったわけだが、ここでは184円であった。この付近は安い? それとも、この日になってから全国的に値段が下がっている? ここ数日テレビやインターネットに触れてないので分からないが、何にしても有り難い。 再び高速道路に戻り走り始めたのだが、途中、やはり幾つかの渋滞に遭遇した。 追突事故による渋滞もやはりあった。明日は我が身・・・というか数秒後は我が身、慎重に運転しよう。 事故渋滞の予告 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/13 14:50 追突事故現場 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/08/13 14:54 自宅近くに到達したのは、19時を回ってからだった。 疲れはあるが、走った距離を考えるとそれほどでもないように思う。 往路での想像を絶するくらいの渋滞は無かったし、フェリーを下りた後であるから時間に追われているわけでもなく気が楽だったということもあろうか。 ただ、目は疲れた。 強い日差しもあったし、運転中は目をつぶるわけにもいかないのだから、どんな高級車に乗ろうとも運転手である限りこの問題は解決出来そうにない。 ●まとめ 今回、横着したためかデジタルカメラ中心の撮影となってしまった。 デジタルカメラでの撮影枚数は約2,400枚、データ容量としては約10GB。異常に多いように思えるが、このうち800枚は野球撮影である。タイミングを合わせるための連続撮影の結果そうなった。 ただ、野球撮影分を抜いたとしても1,600枚である。 ここまで撮影枚数が多いとプリントアウトはまず不可能。ほとんどの写真は、撮り貯めただけでほとんど活用されず役目を終えるだろう。かといって重要でない写真を消すのも抵抗がある。レタッチすれば使える可能性を考えると、なかなかリバーサル写真のようにバッサリ切り捨てることが出来ないのだ。 元々、我輩はデジタルカメラの画像に本気さを持っていないことから、成功写真であろうと失敗写真であろうとこだわりが薄いという面もある。 そういったところをこだわり、成功写真を活かして失敗写真を切り捨てるというメリハリを持つことが出来れば、我輩もデジタルカメラを使いこなしたと言えるのだが・・・。 一方、中判写真に関して言うと、採用枚数が10枚と劇的に少ない。採用枚数の少なさは、撮影枚数の少なさである。 もちろん横着したためでもあるが、これまで何年にも渡り実家撮影をしてきたということもあり、特別気合いを入れる場面も無かったという言い訳もある。 それでも、後々重要と思われる場面もあろうから、今必要かどうかという判断はやはりマズイ。今後は意識して中判写真の撮影に力を入れようと反省する。 ---------------------------------------------------- [632] 2008年10月06日(月)「だがちょっと待って欲しい」 "だがちょっと待って欲しい" 上記の言葉は、某新聞社がコラム欄で多用されるフレーズとして有名である。 世の中の風潮に対して異を唱え、コラムニストが自身の主張割り込ませるために使う、非常に都合の良い言葉である。 我輩は今回このフレーズを借り、本雑文にてコラム風にまとめてみようと思う・・・。 NikonとCanonから、ビデオ撮影可能なデジタル一眼レフカメラがそれぞれ登場した。 この話題については以前から書いているのだが、スチルカメラユーザーとして見ればビデオ撮影機能など、カメラを買い換えるまで使わないような、いわゆる"おまけ機能"だという認識が正直なところだろう。「そんなムダな機能を入れるくらいならば、例えばマルチスポット測光機能など入れてくれ」という話も出よう(それはそれで賛否両論あろうが)。 そもそも、現段階ではビデオ撮影中のAFが使えないとか、長時間撮影が出来ないとか、他にも様々な問題点もあるようだ。 だがちょっと待って欲しい。 我々は、こういったカメラの将来性という小さな芽を摘み取らぬよう、暖かく見守ることが必要ではないだろうか。 いかに使いづらいとはいえ、従来のアマチュア向けビデオカメラでは到底撮影不可能な映像が撮れる可能性を持っていることは事実。 ビデオ撮影機能が否定されない限り、技術的問題点も代を重ねることによって改良されていくことだろう。 我輩がこのように主張するのも、もちろん理由がある。 現在我輩は、ビデオ撮影及び編集作業をする機会を持つ。 かつては、ビデオはやらないと決めていたのであるが、状況変化のため、やむを得ずやることになってしまった。このことは雑文328にも書いた。 ここで我輩は、「どうせやるなら本格的にやろう」という気になった。 元々我輩は凝り性の性格であるため、生半可にやるだけ疲れにしかならぬ。趣味として突き詰めるからこそ、苦労がやりがいに昇華するのだ。 そのため、まずはビデオ関連の本を買い、編集のイロハを勉強した。 この内容は基本中の基本というものであり、テクニックと呼べるようなものではない。しかし基本を知らねば、自分には何が必要で何が足らないかということが分かるまい。 まず幸運だったのは、凝った編集がパソコン上で行える時代になったということだ。 一昔前ならば、凝った編集作業は高価な機材を必要とした。そして、そういった機材的な限界がアマチュアっぽさを隠せない一因だったのだ(例えばタイトル文字のジャギーや稚拙なエフェクトなど)。 それがパソコン上では、タイトルも様々な書体が使え、自由に位置やタイミングを指定出来るし、そもそもソフトウェアの入れ替えでどうにでもなる。ソフトウェアの値段も1万円前後と、専用機材に比べれば断然安い。 ところが問題は撮影機材のほうだった。 ビデオカメラもデジタル化されパソコンとの親和性も向上したものの、撮影機能については我輩の求める製品が無いのである。 と言うのも、ビデオカメラは一般ユーザー向けの機材とプロ向け(業務用と言うべきか)の機材とで完全に二極化しているのだ。 一般的なアマチュア向けビデオカメラとは、「AFのみMFなし」、「露出固定不可能」、「ズームは電動のみ」、「レンズ交換不可能」というもので、基本的にはカメラ任せで使うことが前提となっている。 多少の高級機ではあってもこの枠内から外れることはあまり無い。オート機能を解除出来たとしても、とても実用出来るような使い易さではない。 もしこの制約から解放されたくば、業務用としても使える100万円クラスのタイプか、あるいは肩乗せタイプのそれこそ数百万円もする本当の業務用にするしか方法は無く、実質的には、趣味の撮影で凝った撮影をしようにも不可能と諦めざるを得ない。 スチルカメラの場合、フィルムカメラは除外してデジタルカメラに限って見たとしても、今や5〜6万円クラスのビギナー向けデジタル一眼レフカメラですら上記縛りが無い。レンズ交換が出来る出来ないということなど、最初から考えるまでもない話。レンズ交換出来ぬ一眼レフカメラのほうが斬新なくらいだ。 もちろん我輩自身、アマチュア向けビデオカメラの不自由さは以前から認識してはいたが、これまでは他人事であったためどうでもよいと思っていた。ところが一転、我輩自身の問題となってしまったのである。 スチルカメラでは当たり前のように出来るような手動操作や背景ボカし撮影が出来ないもどかしさ。ただレンズを換えたいだけなのに100万円のカメラしか用意されていないとは・・・。 そんな時に現れたビデオ撮影可能なデジタル一眼レフカメラ。 そこに大きな可能性を見るのは我輩だけだろうか。 現時点では、全てのシーンでこれらのカメラが使えるとは思わないが、従来のアマチュア用ビデオカメラでは絶対に撮れないようなビデオ映像が一部でも撮れるとするならば、それはそれで大きな価値があろう。 もし今後、ビデオ撮影機能でも全ての撮影シーンで対応出来るようになれば、ゆくゆくはスチルカメラユーザーとビデオカメラユーザーの統合を果たす革命に発展するに違いない。 それが実現した時、世界に真の平和がもたらされることだろう。 ---------------------------------------------------- [633] 2008年10月08日(水)「手写(てしゃ)リング撮影の応用」 我輩が中学生の頃、当然ながら気軽にカメラ機材を買うことは出来なかった。 祖父のレンズシャッター機「キヤノネット」や家族共用の「ピッカリコニカ(C35EF)」を使っていたのだが、なかなか思い通りに写すのは難しい。ファインダーで見たとおりに写らないのである。 そのうち、中古の「Canon AE-1」を手に入れた。我輩初の一眼レフカメラであった。 1万5千円もしたが、小遣いやお年玉などで貯めた全財産をつぎ込んで手に入れた。ただ、残念ながらレンズに回す金は無かった。 (参考:雑文085「想い出のファインダー」) しかし、一眼レフのカメラボディだけでも手に入ったことの意味はとてつもなく大きい。 これさえあればどんな撮影にでも対応出来ると思った。なぜならば、フィルム面に導かれる光がファインダーでも確認出来るからだ。つまり、ファインダーと撮影レンズが別々になっているこれまでのレンズシャッター機とは違い、ファインダーで見たそのままが写真に写せるのである。 さて、交換レンズがすぐには手に入らなかったことから、レンズを外したカメラでシャッターを切ることに違和感を感じなくなった。 かつて雑文に書いたような「手写(てしゃ)リング」や「根性ティルト」などの撮影法も、何かあるとすぐにレンズを外してしまうクセを持つ我輩独特の撮影法である。(参考:雑文339「根性」) まさに、貧乏の成せる業(わざ)と言えよう。 ここでまた一つ、レンズ外しの撮影術を紹介したいと思う。 名付けて、「逆さ手写リング」。 これは、広角系レンズを前後逆にすると接写能力が向上するという原理を利用している。つまり、バックフォーカス長と撮影距離が逆転してしまうほどのレンズ繰り出しを必要とする近接撮影においては、むしろレンズを逆さにしたほうが無理が無いという考え方である。これを実現するためのアダプター(一般名称:「リバースアダプター」)も、メーカーによっては用意されていることがある。 我輩の場合、これを手動で行う。 「逆さ手写リング」で接写したシャープペンシル先端部 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200/18-70mm] 2008/10/07 21:48 レンズを前後逆さにすると、バックフォーカス長を撮影距離とすることが出来るため、通常の手写リングのようにわざわざレンズをボディから離さずとも等倍以上の超接写が可能となる。カメラのマウント面にレンズの先端部をくっつけるよう押さえ付けていれば良く、通常の手写リングのように手元が狂って光軸がズレることも無い。 上の作例写真では、先端部にある絞り連動レバーを微妙に調節しながら被写界深度と露出の調整を行い撮影した。まさに神業と言える。専用のアダプターを使えば何の苦労も無いのだが、それを手動でやろうというのがいじらしい。 ここでもし、ピント面を傾けたいと思えば、この状態で「根性ティルト」をかましても良いだろう。 その場合のネーミングは、「逆さ根性ティルト」となろうか。 ところで、「逆さ手写リング」での注意すべき点は、メーカーによってはレンズを外すと最小絞りに固定されるものがあるというところである。 その場合、個別の工夫や器用さが必要となる。 例えば、Canon NewFDレンズの場合、スピゴットの内リングを回して最小絞りを解除するために2つの小さなロックピンを押す必要がある。 Nikonの場合でも、絞りリングの無いGレンズでは、絞りレバーを押さえながら写真を撮る必要がある。 このような撮影は別段目新しい原理によるものではないが、我輩のような貧乏性でなければ、このような「手写リング撮影」はなかなか思い付くまい。 いや、仮に思い付いたとしても、デジタルカメラを使う者であればCCD/CMOSにホコリが付くことを嫌い、レンズを外した状態で写真を撮ろうとすることに抵抗を感ずるかもな。 まあ、我輩と同じく貧乏人ならば、試してみても良かろう。 <手写リング撮影の分類> <<画像ファイルあり>> (2008.10.08追記) 何気なく「手写リング」と「根性ティルト」でネット検索してみたところ、「根性ティルト」のほうで大量にヒットした。 何なんだこれは・・・? ちなみに、「エアティルト」と呼んでいるサイトもあったが、まさか「ティルト撮影のふりをした演技」ということでもあるまい。まあ、本当に「エアティルト」という分野があるのなら、カメラとレンズが無くても出来るところがメリットと言えばメリットか。まあ、いかにもティルト撮影しているという雰囲気を醸し出すにはそれなりのテクニックが要ろう。 ---------------------------------------------------- [634] 2008年10月09日(木)「見えない独占市場」 単刀直入に言う。 Nikonよ、次に出すデジタル一眼レフカメラには、ぜひ「マルチスポット測光機能」を搭載しろ。 かつては、フルサイズが欲しければ「Canon EOS-5D」しか選択肢が無かった。 そういうわけで、Nikon党でありながらも嫌々このカメラを買わざるを得なかった者もいただろうと想像する。 ところがここにきて、Nikon(D3及びD700)やSONY(α900)でもフルサイズカメラが手に入るようになってきた。 これにより、フルサイズという土俵では不戦勝を続けていたCanonは、せっかくの独占市場を失うことになってしまった。 もちろん、「フルサイズはどうでも良い」と言うユーザーは多い。そういう者からすると、別段、独占市場とは見えないだろう。 しかし「フルサイズでなければダメだ」と言うユーザーにとっては、それは紛れも無い独占市場である。 特定の者にしか見えない独占市場を、我輩は「見えない独占市場」と呼ぶことにする。 同じような独占状態は、実は測光方式にも見られる。 それが、「マルチスポット測光機能」である。 現在、マルチスポット測光機能を搭載しているデジタル一眼レフカメラは、一般向けとは言い難いほど超高価なプロ機「Canon EOS-1D系」しか存在しない。同じプロ機であっても「Nikon D3」にもその機能は無い。 銀塩時代にはカードシステムでマルチスポット測光機能を追加出来たMINOLTA/SONYでも、現在はカードシステムは廃止されてしまったため使えない。もちろん、組込み機能としても無い。 マルチスポット測光機能を必要としない人間にとっては、「えっ、そんな独占があったのか?」という程度の認識だろう。 しかし、マルチスポット測光を必要としている我輩にとって見れば、これはまさしく「見えない独占市場」なのだ。他の選択肢が全く無い。 そのせいで、先日は危うくネットオークションで15万円の「EOS-1Ds」を落札するところだった(金が無いことに気付き我に返った)。 我輩は、Canonのカメラを買っても交換レンズがあまり無いため、そういったものを揃える費用も負担となる。 それに何と言っても、EOS-1D系は大き過ぎる。マルチスポット測光機能のためだけにこの大きさを受け入れるのは難しい(何しろ中判一眼レフとその交換レンズも併用するのだから)。 しかしそういった障壁が無ければ、確実にCanonに流れたことは確かである。同じように、マルチスポット測光機能を必要とする他の人間も、カメラ1台での運用ならば大きさも気にならないであろうから迷わずEOS-1D系を選ぶに違いない。 実際のところ、マルチスポット測光機能を必要としている人間が何人いるのかは知らない。 また、今ここで、改めてマルチスポット測光機能についての有用性を語ったり押し付けることはしない。 ここで重要なのは、現時点でCanonが少なくとも1つの「見えない独占市場」を持っているということである。こういう状態を放置していても良いのか? ここで、Nikonがマルチスポット測光可能なカメラを出せば、1つの「見えない独占市場」を潰すことが出来る。 ライバルであるならば、やる価値は大いにあると思うが・・・? ---------------------------------------------------- [635] 2008年11月02日(日)「OLYMPUS OM-4」 我輩は現在、中判撮影用の露出計として、デジタルカメラを使う方法と、マルチスポット測光で測る方法の2パターンを使い分けている。 両方とも、露出決定を行うには有用であるが、それぞれに長所・短所がある。それについて、下記にまとめてみた。 <デジタルカメラ測光法> 長所 ● 仕上りイメージがその場で分かる ストロボ撮影でも問題無いばかりか、定常光とストロボ光の微妙なミックスでも何ら問題無くイメージを再現出来るため、ポラ切り感覚で使える。 ● 撮影情報が残せる 測光の副産物としてデジタル画像も得られるため、その画像のExif情報が記録されることになる。また、マルチユースとしてデジタル画像が必要な時は、わざわざフィルムをスキャンしなくともデジカメ画像で足る場合もある。 短所 ● 露出計として使える機種と使えない機種がある 仮に露出計として使えるカメラを見つけ出しても、デジカメは製品寿命が短いため、カメラが壊れても同じ製品の買い替えが出来ないこと多い。そうなると新たにカメラの選定をせねばならない。露出計として作られてはいないため、後継機は露出計としての使い勝手が悪くなる恐れもある。 ● 適正露光を見付けるまでが時間がかかる 撮影前に、設定値に応じてリアルタイムに液晶画面に反映される機種もあるが、たいていの機種は撮影するまでイメージが分からない。そのため、何度か撮影を繰り返して適正値を追い詰めるしか無い。 ● 製品の耐久性が無い・起動が遅い 特にコンパクトタイプの場合、沈胴式のレンズが華奢で壊れ易く、取扱いに注意を要する。また起動が遅く撮影の邪魔にすらなる。 <マルチスポット測光法> 長所 ● 自分で重点部分を選択出来る 画面上のどこを再現したいかという意志を以て光を拾うことが出来る。いわば手動の多分割測光である。 何を考えどこを測っているか解らないコンピュータまかせのブラックボックスよりも確実性を持つ。 短所 ● 仕上りイメージとしては確認出来ない デジタルカメラとは違い、その場で映像を確認出来ないため、測光値から仕上りイメージを想像出来るようになるには慣れが必要。色の出具合などは微妙な露出によってかなり変化するためである。定常光とストロボ光とのミックスの場合は特に難しい。 ● 対応製品が少ない 現行品としては、MINOLTA製品を継承したKenkoの単体露出計か、あるいはCanon EOS-1D系デジタルカメラしか無い。 対象範囲を中古まで広げると、「MINOLTA FLASHMETER VI」、「カード機能を持つMINOLTA αシリーズ」、「OLYMPUS OM-3/OM-4系」、「Canon T90」、「Canon EOS-3」、「Canon EOS-1系」と増えるが、操作性の良いものや中古程度の良いものは限られる。 この比較は、項目の数の多さを比較するものではない。たった一つの短所が致命的だったり、同じくたった一つの長所が決定的だったりすることも有り得るため、内容を一つ一つ吟味する必要がある。 我輩としては、仕上がりイメージが掴めるデジタルカメラ測光法を全面的に採用したいのだが、短所が思いのほか足を引っ張るのでそうするのも難しい。 それに、永遠に最適な機種を追い求めて金策に悩んでいる自分自身に気付いてバカバカしくなってきた。 一方、マルチスポット測光では、「MINOLTA FLASHMETER VI」は基本的に入射光式露出計であるため、スポット測光とメモリー動作の操作性が良好ではない。 それに代わるものとしてマルチスポット機能を有するカメラ「MINOLTA α-707si」を使ってはいるが、少々ボタンの反応が悪い。プラスチックの擦れるギシギシ感としなりが強くて操作しづらい。そもそもカメラの図体がデカくてゴロゴロする。 もっと洗練された、安心感のある操作性を持つマルチスポットカメラは無いのか? 我輩が測光に求めるものは、「露出値に関して安心感を得る」ということに他ならぬ。 そんな背景があり、先日の雑文634「見えない独占市場」にて、マルチスポット測光機能搭載カメラの選択肢の少なさについて書いた。現状、マルチスポット測光機能を有するカメラは、デジタルカメラのCanon EOS-1D系のみである。 この状態を打破すべく「次のカメラにはマルチスポット測光機能を搭載しろ」とNikonへ勧告したわけだが、NikonはRGBセンサーのマルチパターン測光に自信を持っているようであるから、今さらマニュアル色の強いマルチスポット測光など手を染めるとは考えにくい。 「いっそのことマニュアル的に露出を決めるのは諦め、Nikonが自信を持っているRGBマルチパターン測光に任せてみるか」とも思った。本当に信頼出来るならば、難しいことを考えずにカメラの言う通りにすれば楽かも知れぬ。 いや待てよ、我輩が現在使っているデジタル一眼レフはNikon製の「D200」である。 これこそ、1005分割RGBセンサーを搭載したマルチパターン測光を行う、まさにそのカメラだった。 しかしこれまで2年ほどD200を使ってきたが、正直言って、D200の露出計は当てにならない。どうも露出アンダーが過ぎる。もしかしたらこの個体の不具合かも知れないが、Nikonのデジタル一眼レフは白飛びを恐れてこのようにチューニングされているのではないかと思ったりもする。 そもそもデジタル画像の場合、少々のアンダー露出の画像はレタッチで調整可能だが、白飛びが少しでもあるオーバー露出の画像はレタッチが効かない。いったん白飛びした部分はいくら暗く調整しようとも、階調を失ったベタ状態は回復不可能。 だからD200では、白飛びをさせないよう、極端に言えば"常にハイライト基準測光している状態"にしたのかと想像する。 そう言えば、背面液晶表示もそれに合わせるかのように明るく表示される。だから、液晶表示を目安にしてマニュアルで露出値を決めると、完全な露出アンダーの写真が出来上がることになる。バックライトを暗く調節しようとも単純に透過する光の輝度が低くなるだけで、そもそもの液晶階調が白めに表示しているのだから、見た目の"露出感"に変化は無い。 もしNikonの方針として、デジタル一眼レフカメラをこのようにチューニングしているのならば、他社のデジタル一眼レフを選ぶか、あるいはいっそのこと、フィルムカメラのほうに目を向けてみるか。 フィルムならばレタッチが効かぬゆえ、暗めのチューニングをしてしまうとそれこそ露出アンダーの写真しか生まない。だから、フィルムカメラのほうが写真としての露出は正確だろうと勝手に推測する。 Nikonの最新のフィルムカメラと言えば「Nikon F6」ということになる。 「Nikon F6」については、以前雑文511「あれは本当にNikon F6だったのか」で触れただけであったが、ここに来て急に購入対象になったのは自分でも驚いた。 しかし、フィルムカメラ最後のフラッグシップゆえに、購入動機さえ生まれれば全力で関心が向く。 ただそうは言っても、現代のフラッグシップカメラだけに価格もまた高い。まさにデジタルカメラ並みである。 中古でも探してみたのだが、安くともボディのみで10万円だった。レンズを揃えると15〜20万円は必要だろう。もちろん、我輩はNikon用レンズは数多く所有しているが、それらのほとんどはマニュアルフォーカスレンズであり、そうなるとマルチパターン測光が活かされないため、F6を導入した意味が無くなってしまうのだ。 また当然ながら、D200に装着しているAFレンズはAPSサイズ用のため、そもそも問題にもならぬ。 さらに、インターネット情報を見ていくと、F6であっても逆光のシチュエーションには弱いらしい。Nikonによれば、逆光らしさが出るようにしてあるとのこと。なんだ、それならば他のカメラと大差無いじゃないか。アホらしい。 結局、「Nikon F6」との縁はその時点で断ち切れた。 考えてみれば、いかに優秀な多分割測光であろうとも、仮に人工知能を持ったカメラがあったとしても、そのカメラが出す露出値が自分自身の意図と同じとは限らない。そのことは雑文111「適正露出は1つではない」にも書いた。 やはり、どうしてもマルチスポット測光機能を有するカメラが無くてはならぬ。 そうなると、選択肢は下記のとおり。 ● Canon EOS-1D系 デジタル画像が残せるという利点は大きいものの、ネックは価格の高さとボディの大きさ。それに、マルチスポット測光の操作性は不明。 ● Canon EOS-1系 中古での価格は安いが、やはり大きさがネック。EOS-1D系と同様に、マルチスポット測光の操作性は不明。 ● Canon T90 古い電子カメラのため信頼性が不安。シャッターの不調もよく聞かれる。スポット測光には切り替え操作が必要。 ● OLYMPUS OM-3/OM-4系 OM-4系はコンパクトで、マルチスポット測光にも定評がある。しかし現代的なズームレンズがあまり無い。また、OM-3はプレミアム価格のため論外。 ● カード機能を持つMINOLTA αシリーズ 707si以外のαでも、あまり操作性の良いカメラは無い。むしろ今使っている707siがまだマシと言えるか。 結局のところ、携帯性を考えると小型のOM-4しか選択肢は無い。 それに、OM-4は新品で販売されていた時からマルチスポット測光の操作性の良さには定評があった。マウント部のシャッターダイヤルが気に入らないが、マルチスポット測光ならば絞り優先AEで使うことになろうから、あまり意識することも無いか。 ズームレンズの少なさは、いっそ広角レンズだけで割り切ることにする。その分、スポットエリアの調整が難しくなるが、念のために50mmレンズでも買い足しても良かろう。 中古相場を見てみると、2万円くらいからあるようだ。チタンボディでも3万円から出物がある。 安いことは安いが、それでも手持ちの金が無いため、家計から出してもらうように交渉し、何とか5万円ほどの予算を獲得した。名目は豚児撮影用としての露出計用途。このカメラを活用すれば、露出ずらしをすることなく決め撃ちが出来るため、フィルム消費量が1/3になると説得したのである。 さて、狙うはOM-4と広角28mmレンズ、標準50mmレンズであるが、ボディはどうせならばチタンのほうが良かろう。チタンボディならば節電回路を搭載し、電池消費も抑えられるとのこと。 しかしネット上で探してみると、グリップの付いていないボディがかなりある。グリップ無しではホールドしにくい昔ながらのボディ形状のため、やはりグリップは欲しい。 と言ってもグリップ単体での入手は難しく、ネットオークションでも5千円前後、出品者によっては8千円などという値も付いている。グリップ単体でこれほど払うならば、むしろ2万円でグリップ付きのOM-4を買ったほうが得であろう。 チタンボディは、それとは別にバックアップとして購入することにした。少なくともグリップが1つあれば、2台で共用出来る。 グリップ付きOM-4ボディのほうは、マップカメラにて2万円で購入。ペンタ部にアタリがあるが、動作に問題無ければそれでいい。 28mm広角レンズはカメラのキタムラで8千円で購入。程度はなかなか良い。 携帯性を考えると40mmパンケーキレンズも欲しかったが、相場が高く新品時の価格を超えて5〜6万円もするため断念。50mmF1.8をネットオークションで5千円にて入手した。 さてチタンボディのほうは、ネットオークションで幾つかあったが、白ボディの50mmマクロレンズ付きというのが目に止まった。 見つけた時は2万円台であったのだが、我輩が入札して最終的に31,500円で落札した。ボディ単体の値段ではなくマクロレンズ付きなのだから安く手に入ったと言える。 ただ、全体の予算が少しオーバーしたのは残念。 OLYMPUS OM-4/OM-4 Ti <<画像ファイルあり>> モノが揃って、改めてカメラを操作してみたが、まず第一に、ファインダーがクリアで見易い。これには驚いた。 小さなペンタ部からは想像出来なかったため、意表を突かれた。 それから、やはりグリップの有り無しの違いは大きい。 普段使う予定のOM-4に付けておき、それが故障すれば予備のチタンボディに付け直すことにする。 OLYMPUS OM-4 <<画像ファイルあり>> OLYMPUS OM-4 Ti <<画像ファイルあり>> さてスポットボタンについては、よくあるボディ背面にではなく軍艦部にあるため押し易いのが良い。シャッターボタンの近くにあるため、同じような感覚でボタンが押せる。もちろん、シャッターボタンとは大きさが異なるため、間違えることも無い。 スポットボタンを押せば、直ちにスポットモードになり、その状態から何度もスポットボタンを押せばマルチスポット測光になる。モードを切り替える必要も無く、とても使い易い。しかもスポット測光するたびに小さな電子音がピッと鳴るので動作のフィードバックも確実。 また、測光値のメモリーやメモリーのクリア操作はシャッターボタン周りのレバーで行う。こちらも操作すると電子音が鳴り、しっかりした手応えのあるレバーのため使い易い。 軍艦部のスポットボタンが特徴的 <<画像ファイルあり>> ところで、OM-4Tiに付属していたレンズ「ZUIKO Macro 50mm F3.5」について、一見状態が良さそうに見えるのだが、唯一、絞り羽根が油濡れしているのが難点だった。これはネットオークションの状態説明として記述は無かった。 ZUIKO Macro 50mm F3.5 <<画像ファイルあり>> 現時点では動きに問題は無さそうだが、そのうち羽根が固着して動作不良、つまり露出の過不足が起こってしまう恐れがある。 クレームを出そうにも、取引そのものが無かったことになりOM-4Tiそのものまで失っては困る。何しろ、このレンズが欲しくて落札したのではないのだ。 結局、ダメ元でレンズを分解し絞り羽根を清掃することにした。 絞り羽根1枚1枚をバラして洗浄出来れば一番確実なのだろうが、我輩の技術では再度組み上げるのは難しかろう。と言うのも、実は同じくOLYMPUSのPENーFTの広角レンズの絞り羽根をバラしたことがあり、結局は自分で組み上げることは出来ずに修理に出した苦い経験がある。 だから今回、絞りユニットに到達するところまでの分解にとどめ、その状態で油を拭き取る程度で済まそうと思う。 絞りユニットの前後はレンズで挟まれているため、前部と後部それぞれに分解作業が必要となろう。 まずはマウント側から外していった。 少しずつ構造を見ながら分解していくのだが、不用意にバネなどが外れてしまうと、元々どういう状態だったかが分からなくなるため慎重さが必要。 そうしてようやく後部から絞り羽根に到達出来た。 細い棒の先にティッシュペーパーを巻いて絞り羽根を拭いてみたが、絞り羽根を動作させるとまた油が付着する。絞り羽根が重なっている部分までは拭けないのが原因か。それに、絞り羽根が待避する部分にも油が溜まっているだろう。 全体の油を拭ければ気分もスッキリするのだが・・・。 何度か拭いても完全に絞りがキレイになることは無かったため、あるところで見切りを付けてレンズを組み上げた。 幸いにも、レンズは元通りに組み上がった。 次はレンズ前部からの分解。 こちらも慎重に作業を行ったのだが、思ったほどの苦労も無く絞りユニットに到達した。絞り環とレンズ前群がスッポリ抜けたのだ。 同様にティッシュペーパーで拭いたのだが、やはり完全には拭ききれない。仕方ないのでこちらもある程度の見切りを付けて元に戻した。 レンズ前部から絞り環とレンズ前群を抜いたところ <<画像ファイルあり>> 改めて絞りを動作させてみたが、見た目上、わずかに絞り羽根に油のスジが見えるが、これくらいならば大丈夫だろう。 ところが次の日にもう一度見てみると、油がまた大量に付着した。やはり奥の方にある油が時間とともに滲んでくるのだ。 再び前後を分解して拭いてみた。 今度は2度目であるから、分解も早い。このレンズの仕組みもだんだん分かってきた。 「もしかしたら、完全分解も出来るかも知れんな・・・。」 前部を分解した状態でジックリと構造を見てみた。 OLYMPUSのレンズは先端に絞り環があるため、その動作を絞りユニットまで繋げるようになっている。その仕組みは理解した。 次に、マクロレンズ特有の長いヘリコイド移動があるが、そのための長い連動棒の位置関係も理解した。 また、レンズ後部からは何を固定しているのか分からないビスがあったが、実はこれは絞りユニットを裏から固定しているものということが分かった。 そこで思い切って、絞りユニットを外してみることにした。 うまくいくかどうかは分からなかったが、連動部を外し固定ビスを外すと本当にユニットが外れた。ここまで来たら、もう後戻り出来ない。ユニットがどのようにレンズにハマるのかは後で考えるとして、とにかく絞り羽根を洗浄するのが先。 絞り羽根は薄く細かいパーツだが、慎重に外して石けん水で油を洗い流した。支持体のほうもかなり油で濡れていたため拭き取った。新品で組み上げる際に注油し過ぎるということも考えられないし、なぜこのようになるのかは不明。 いずれにせよ、根本から油を絶ったことで気分も晴れ晴れスッキリする。 絞りユニットを取り外し絞り羽根をバラす <<画像ファイルあり>> キレイになった羽根を再度組み上げ、ユニットを元通りにした。 ユニット単体での動作を見てみたが、何ら問題無く動いている。これならばもう油濡れは再発することはあるまい。 洗浄した絞り羽根を組上げ動作を確認 <<画像ファイルあり>> 絞りユニットのレンズへの取り付けは1度は失敗して絞りの連動機構が不完全な状態で組み上げてしまったが、再度分解して組み直すことで動きは完璧となった。もはや、この「ZUIKO Macro 50mm F3.5」についての分解修理に不安は全く無い。 少しずつ分解・組み上げを繰り返しながら深部まで到達したのが良かったと思う。 さて、次回はこれらのOMシステムを使って試し撮りをしてみようと思っている。 マルチスポット測光機として、操作性は良いのか、測光の信頼性はあるのか、その他様々な問題点を実戦投入で洗い出しする予定。 ---------------------------------------------------- [636] 2008年11月03日(月)「赤城山」 我輩はこれまで「蔵王のお釜」や「草津白根山」、そして「吾妻小富士」と、火山地形の土地を訪れてきた。 火山は、地球のエネルギーをダイナミックな形で地表に痕跡を残すのが魅力的である。しかも、時が経てば水(河川)によって浸食されていく。その痕跡から想像する水の働きが興味深い。 火山活動による山体の形成、川による浸食・運搬・堆積。 特に川の働きは、大きなスケールから小さなスケールまでとてもよく再現されており、視覚的にも「全宇宙を貫く物理法則が働いている」という実感を持たせてくれる。恐らく、数十億光年離れた別の惑星でも、マグマや水が存在すれば(水が液体として存在するなら空気もあるはず)同じような営みが起こっているだろう。 人間が絶対に関われない遥か遠くの世界のことであっても、その様子を確定的に推測することが出来るのだ。 このように考えると、火山地形の荒野は、遥か昔の、あるいは別の惑星の地表そのものとも言える。 火山は比較的高所にあるし、地質的にも新しいことが多く、その結果植生が少ないことも好都合。 植生の少なさは自然を観察するには重要である。 <<画像ファイルあり>> もちろん、植生などの生物やそれを取り巻く生態系も一つの自然の姿には違いない。生物の活動によって環境が変わるのも我輩は理解している。酸素やオゾン層の生成、そして石灰岩や石炭、鉄鉱石鉱床の生成には、生物の存在無くしてあり得ない。 しかしそうは言っても、目に見える形で生物が地上を彩り始めたのは、地球45〜46億年のうち、ほんの数億年でしかない。地球スケールで言うと、つい最近まで荒地が広がる静寂の世界だったのである。 やはり本当の意味で「自然」を語るには、地質に視点を置かねば何も始まらないだろう。緑の自然に目を向けるのであればその後である。さもなくば、本当の意味で自然(物理法則)を感ずることは出来ない。 ここで想像してみたい。 風と水の音しか聞こえない誰もいない世界を。 確かに存在していたはずの、遠い昔の遠い距離の世界を。 火山地形に行けば、そんな想像の世界を現実に触れることが出来る。 以上、能書きとしては長かったが、我輩が火山地形を好む理由を書いた。 我輩がこのような火山地形で写真を撮るのは、完璧に自分の興味対象を写真に定着させるための目的である。誰かに認められようとしてキレイな写真を撮るというような不純な動機のためではなく、パンチラ写真を撮る者のように純粋な気持ちで自分の要求だけに応える写真を撮りたい(参考:雑文487「写真の価値」/雑文563「自己満足」)。 さて今回、「OLYMPUS OM-4」のマルチスポット測光についての信頼性を試すために、テスト撮影はぜひとも必要であろう。 テスト撮影にあたって、ある程度本番撮影を想定した使い方をしなければ意味が無いと考え、ならばと火山地形での撮影をする計画を立てることにした。 まあ、「新しい兵器が手に入ったので試し撃ちしたい」という意味合いもある。そしてどうせやるならば、射撃場での試し撃ちではなく、実戦を想定した使い方をしてみたい。 実戦を想定することにより、露出計の精度の確認だけでなく、携行性や操作性、その他の問題点は無いかということを洗い出す。そして問題点があるならば、それを何らかの方法でカバー出来るかどうかを検討することになる。 ただそうは言っても、行くべき火山地形の選定がなかなか難しい。 これまで何度か行った「蔵王のお釜(宮城県)」や「吾妻小富士(福島県)」のような遠い場所だと、費用・時間・疲労がかかり過ぎる。こういう場所に行くならば、労力を最大限に生かすためにも、例えば完璧に晴れるという確証も無くては出発すら出来ないほど。 しかしテスト撮影ならば、多少曇っていようが構わぬ。曇のために地味な写真になろうとも、露出計として問題無く運用出来るかという点を検証出来れば良いのだ。そういう目的ならば、なるべく距離の近い場所にしておきたい。 インターネット上で色々と情報収集したのだが、目的地が決まっていない状況の中で漠然と情報を探すことはなかなか難しい。 結局のところ、赤城山が自宅から現地まで3時間程度と比較的近く、火口湖もあるということで実戦に即した試し撃ちが出来そうに思う。 早速、直近の日曜日の早朝5時に、車に乗って家を出た。 途中でコンビニエンスストアに寄り、昼食として食べるための弁当を買う。 高速料金を低く抑えたいので、高速道路を走る範囲を限定した。ところが途中で複雑な分岐に惑わされて(工事中?)いつの間にか一般道に降りてしまった。結果的に予定よりもさらに安くなったと思う。 東京外環自動車道 <<画像ファイルあり>> [Nikon P5100] 2008/10/26 05:37 赤城山のふもとから県道16号線の山道に入ったが、これがまた狭くて難儀した。 対向車が来るとすれ違いが大変。所々に設けてあるすれ違い用の場所でやり過ごせればいいのだが、九十九折り(つづらおり)の道のため、対向車の接近が直前まで判らないのだ。 それでもまあ、朝8時前ということで、すれ違いも3〜4台と少なかったのは幸いだった。 8時過ぎに小沼(この)の駐車場に到着。 外に出ると、少し肌寒い。上着を着てザックを背負った。 午前中のうちに駐車場に戻れるとは思うが、念のために弁当も持って行く。以前、吾妻火山登山時に弁当を置いて行ったため空腹に耐えねばならなかったことを思い出した。 また、家からぬいぐるみも1匹持ってきた。コイツは後に重要な役目を持つため、持って行くのを忘れると後悔を残す。 小沼(この) <<画像ファイルあり>> [OLYMPUS OM-4/28mm] 2008/10/26 09:12 小沼は事前に写真で見たとおりの風景だった。 蔵王のお釜や吾妻火山の五色沼に比べると規模が小さいため、水際には簡単に降りることが出来る。ちょっとした公園という雰囲気で、登山という感じでもない。 水に近付いて覗いてみると、特に火口湖特有というような変わったものは見られなかった。全体を見渡しても、水の色は普通の湖沼の色である。 小沼(この) <<画像ファイルあり>> [OLYMPUS OM-4/28mm] 2008/10/26 09:22 さて、さっそく新しく買ったOM-4を取り出してマルチスポット測光を行う。 スポットボタンを押すたびにピッと音がして光を拾って行く。その手応えがなかなか良い。 湖面のほうに降りて行くと、ひっそり感はなかなか。 もし2週間くらい前の紅葉の時期に来ていたら、もっと観光客が多くざわざわ感があったかも知れぬ。蔵王でも紅葉の時期はエコーラインはかなり渋滞していたことを思い出した。 それにしても冷える。風が冷たい。手袋があったほうが良かったか。 小沼は周囲を一周出来るという事前情報のため、道を探して歩いてみる。 ケモノ道みたいなものがあるのかと思ったが、意外にもきちんと整備された道があった。これならば登山靴ではない普通の観光客でも歩けそうに思う。 ただ、この日は寒いためか、この道ではそれなりに着込んだ登山者の出で立ちの者しか見かけなかったが。 歩いてきた道を振り返ったところ <<画像ファイルあり>> [OLYMPUS OM-4/28mm] 2008/10/26 09:31 しばらく歩くと、お宮さんらしきものが見えてきた。 意外な風景だったためちょっとビックリしたのだが、まあ蔵王や一切経山とかに比べればまだ里山に近いということか。 湖畔のお宮さん <<画像ファイルあり>> [OLYMPUS OM-4/28mm] 2008/10/26 09:41 さて、最初に水際に降りたところから見て対岸あたりまでやってきた。 するとそこには、なんと洪水吐(こうずいばき)があった。表向き、自然景観を残した火口湖だと思わせておいて、実はダム湖だということなのか。目で追って行くと、そこから水路が延びており山を下っていた。 洪水吐(こうずいばき) <<画像ファイルあり>> [OLYMPUS OM-4/28mm] 2008/10/26 09:48 治水上必要な施設なのかも知れないが、正直言ってちょっと興ざめした。まさか、この辺りで見える風景についても「実は人工的な造形でした」という可能性もあるのか? まあ、今回は試し撮りで来たのであるから別にいいのだが。 それにしても寒い。鼻水も出てきた。 手袋が欲しい・・・と思っていたら、実はあった。ハンドパペットのぬいぐるみである。これを手に装着すると暖かい・・・、いやそれは冗談。 実は、色の分かってるものを一緒に写真に写し、フィルムの色傾向を見るためやフィルムスキャナーの色調整の参考にしようと思ったのだ。出来れば彩度が高めのものが色の変化が分かり易いと思い、黄色いキリンに登場願ったのである。 黄色いキリンのハンドパペット <<画像ファイルあり>> [OLYMPUS OM-4/28mm] 2008/10/26 湖を一周して来たところで、カメラのシャッターが切れなくなってしまった。 見てみると、ミラーアップ状態でシャッター幕は閉じている。シャッターボタンを押そうが、巻上げレバーを操作しようが、どうにも動かない状態。最初は故障したかと思ったのだが、どうやら電池が無くなったようだった。さすがにこの寒さで電池も弱くなったのか。 カメラに入っているボタン電池「LR44」を2つ取り出して手で暖めようとしたが、あいにく手のほうも冷たくなっている。 結局、予備の電池に入れ替えると生き返った。 OM-4は、チタンボディでなくても後期バージョンならば省電力タイプとなっているらしいが、このOM-4は前期バージョンのため電力消費は多めかと思う。 OLYMPUS OM-4 <<画像ファイルあり>> [Nikon P5100] 2008/10/26 10:38 ところで実は、持参したフィルムの感度がISO100とISO200の2種類あり、100のほうを使い終わったため200のほうをカメラに装填した。当然ながら、カメラのほうもISO200にセットした。 ところがなぜか測光値が先ほどと変わらないように見える。念のためにデジタルカメラ「Nikon P5100」の感度設定をISO200にしてからその露出値で撮ってみたが、どうも露出オーバーに見える。 「なんかおかしいな・・・。」 改めてカメラのISO設定値を見てみたが、間違いなくISO200になっている。 もしかして、マルチスポットのポイントを見誤ったか? もしそうなら、我輩がマルチスポット測光を使いこなせていないことになる。そうなると根本的な問題である。マルチスポット測光機能を持ったカメラを作れと言っておきながらそれを使えないなど、笑い話にもならぬ。 結局、デジタルカメラの液晶表示が当てにならぬと無理矢理自分を納得させた。恐らく、フィルムのほうは現像すればうまく写っているのが判るだろう。心配はいらん。 さて、そろそろ駐車場に戻ることにした。もう、寒さは限界。駐車場に戻り、トイレで用を足して車に戻った。 環境には悪いとは思ったが、少しだけアイドリングさせてもらい手を暖めた。 時計を見ると、時間は11時。1時間ほど早いが昼食とした。 食後はエンジンを停め、席を倒して毛布を敷き横になって仮眠した。 こういうのはこの季節だから可能である。少し前までならば車内が暑くなり過ぎ、とてもじゃないが車内で寝ることは難しい。 1時間くらいして何となく目が覚めた。少しは疲れも取れたように思う。 またトイレに行き、今度は少し道を下って覚満淵というところに行ってみようか。 覚満淵の駐車場に車を停め、木道を歩いて行った。 木道から覗いて見たところ、足首が浸かる程度〜膝下くらいの水深だろうか。いつかそのうち消滅する湖という感じである。 現在は湿原化している状況で、湖の一生を垣間見るような気がした。 この覚満淵も周囲を一周できるルートがあり、さきほどの小沼よりも開けているせいか一般観光客も歩いていた。公園の散策路のような感じである。 覚満淵 <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [OLYMPUS OM-4/28mm] 2008/10/26 13:34 それにしても、なぜかここでもOM-4での露出値がデジタルカメラのほうで確かめると明るく写る。本当にこれで良いのか? そう思ってよくよくOM-4のほうを見てみたところ、なんと露出補正ダイヤルが+1の位置になっていた。これなら明るく写っても仕方無い。 しかしなぜ露出補正ダイヤルが動いたのか? OM-4を色々といじってみたところ、ISO感度を変えるとその操作は同軸の露出補正ダイヤルも動かす構造になっていることが判明。ズレた露出補正ダイヤルを戻さなかったことが原因であった。 そういった操作法は、後日OM-4の取扱説明書に書いてあるのを確認した。 さて、覚満淵を一周した後、そこから少し先にある大沼(おの)に行ってみることにした。 道の途中、「赤城公園」という広い駐車場があったので、ついでに寄ってみることにした。 赤城公園 <<画像ファイルあり>> [OLYMPUS OM-4/28mm] 2008/10/26 13:55 そこにはほとんどクルマが停まっていなかったが、時々、観光バスが来てトイレ休憩している。 木々が邪魔ではあったが、一応、大沼が見渡せる位置にある公園のようだった。 さてそろそろ大沼へ・・・と思ったところ、山々に響く轟音が近付いて来る。こ、これは何なんだ?? しばらく様子をみていると、前の道路を珍走団(暴走族)がブォンブォンさせながら何台も走って行く。どれもこれも背もたれの部分が長くそびえており、珍走団であることは明らかだった。 思わずデジカメの動画機能で撮影したのだが、70〜80台くらいは走っていたように思う。一団が通り過ぎるまで他の車も待ってるしかない状態。 さすが群馬県であると実感した。 珍走団 <<画像ファイルあり>> [Nikon P5100の動画撮影機能] 2008/10/26 13:59 珍走団が過ぎた後、大沼のほうに降りてみることにした。 公園を出てすぐ脇にちょっと細い坂があるのだが、車はみんなそこに入って行くのが見えたのでその後に続いて降りた。すると、大沼湖畔の土産物屋や食堂などが何軒も見えてきた。 大沼(おの) <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [OLYMPUS OM-4/28mm] 2008/10/26 14:10 ただし土産物などは買う気も無く、ちょっとばかり風景を撮影してすぐに引き上げることにした。そろそろ家路についたほうがよさそうな時間である。 帰りはまた小沼の駐車場に行き、そこでトイレを済ませてから山を下る。 時間帯の問題なのか対向車が多く、細い県道16号の坂道は往生した。 それでも何とかふもとまで下り、市街地を通ったのだが、夕方の渋滞にハマッてしまいノロノロ運転。 3時間かかる距離を4時間かかって18時半頃自宅に到着。 それなりに疲れたが、やはり疲れの7割くらいが渋滞の疲れという感じがする。 さて、撮影した写真を早速ラボに出してみた。 すると、ほぼ全コマの露出が思い通りのものになっていた。露出補正ダイヤルのズレたものは残念ながら少し明るくなってしまったが、それ以外のものは完璧である。 <<画像ファイルあり>> あまりにも完璧過ぎて、スリーブを切り分けてマウントにセットする気力も無くなった。何しろ、いつもは採用コマだけ切り分けてマウントしていたのだが、今回は全コマをマウントする手間があるからな・・・。 以上、今回の新しい兵器「OLYMPUS OM-4」の試し撃ちとしての実戦投入を経験したわけだが、今回下記2点を教訓として得た。 (1)電池が切れるとミラーアップして動かなくなる (2)ISO感度設定を変えると露出補正ダイヤルがズレる これらはいずれも写真の成否に大きな影響を与えるものとして、本番撮影前に経験出来たことが有意義であった。 ---------------------------------------------------- [637] 2008年11月24日(月)「浄土平行き(3)」 2008年11月12日水曜日。 いつもどおりに会社の事務所へ出社。自分の席のパソコンを立ち上げてブラウザを開いた。我輩はブラウザの「ホーム」を、Yahoo!のトップページに設定しているため、当然ながらまずYahoo!が表示される。 そして・・・、目を疑うような写真が目に入った。 なんと、写真付きニュースで「吾妻山、25年ぶり大規模噴気」と出ていたのである。 「山形県と福島県の県境にある吾妻山連峰の一切経山(写真)で11日、大穴火口付近から噴気が約300メートルの高さまで上がっているのが確認された。吾妻山で大規模な噴気を観測したのは25年ぶり」 <<画像ファイルあり>> 一切経山というのは、去年2回ほど行った山である。 <1回目:雑文603「浄土平行き」> <2回目:雑文609「浄土平行き(2)」> 一切経山周辺は、高山植物の保護及び火山性有毒ガスの関係で、立ち入り禁止区域が実に多い。そのため決められたルートでの一次元的(線分)な移動しか出来ず、2次元的(面)での活動は難しい。蔵王のお釜のように、興味深い岩や地形に近付いて見ることは出来ないのだ。ストーリーの決まった物語のように、読んでしまえばそこで終わる。 去年2回訪れた後、もはやこの地へ訪れることは無かろうと思った。 ところが、その一切経山で異変が起きているのである。 2度訪れて目の前に見たあの山が、モクモクと白い噴気を噴き出しているというのだから心も落ち着かない。物語は、現在進行形となったのだ。 去年は噴気前の姿を観察し、そして今年は噴気中の姿を観察する。人間の一生から見れば実に気の長い地質的変化が、今まさに我輩の時間の中で起こったのである。この変化を見ずして何を見ようか。 情報を収集すると、1次元的ルートの一切経山登山道さえ通行禁止となったようである。そうなると、ふもとの浄土平駐車場か、近くの吾妻小富士山頂から望遠撮影する以外に方法は無い。 望遠撮影に適したカメラとなれば、35mm一眼レフあるいはデジタル一眼レフカメラしか無い。中判カメラはもちろん持って行くとしても、中判用レンズは最大250mm。1.4倍テレコンバータを使っても350mm(35mm換算で200mm)か。 その点、デジタル一眼レフだと最大300mmレンズ(35mm換算で450mm)が使える。いや、そう言えばMFの500mmレフレックスニッコール(35mm換算で450mm)もあったか。未使用状態で保管してあるが、こういう時に使わずにいつ使う? ところがよく考えると、実は先日、デジタル一眼レフカメラ「Nikon D200」を落下破損させ修理に出したばかりなのだ。だから、デジタルカメラはコンパクトタイプのものしか無い。そんなカメラで望遠撮影はムリ。 まあ、デジタルではなくとも35mmフィルム一眼レフがあるので、そちらを使うことになろうか。 それにしても、磐梯吾妻スカイラインの冬季通行止めは11月17日(月)から来年4月上旬までとのこと。つまり、今度の土日がラストチャンスとなる。本当にギリギリのタイミングで噴気活動が起こったものだ。数日遅ければ見られなかったわけだ。 しかし安心してはいられない。もしこの土日に曇ったりでもしたら、もう見る機会は無くなる。曇りとは、すなわち山岳での濃霧に他ならない。 もし来年の通行止め解除まで待つとしても5ヶ月先になるわけで、その間に噴気は収まってしまう可能性は非常に高い。 天気予報のサイトをチェックすると、なんと11月14日(金)以外はあまり天気良くないらしい。 うーむ、11月14日(金)、休暇を取るか・・・? 困ったことに、11月10日(月)に休暇取ったばかりであった。同じ週に2度も休暇取るというのはさすがに・・・。 迷ったまま翌日11月13日(木)を迎え、引き続き関連するサイトを検索していた。すると、噴気が少し弱まってるとの情報があるではないか。かなり焦る。 結局、快晴の予報が出てる11月14日(金)に休暇を取ることにした。しかも、職場のデジタル一眼レフカメラ「PENTAX K10D」と望遠ズームレンズを借りることにした。 職場のPENTAX K10Dと望遠レンズ <<画像ファイルあり>> 同僚には「気を付けてな」と見送られながら定時後帰途についたのだが、よく考えると、帰宅してしばらくしたら出発なのである。 というのも、クルマで行くと片道5時間。朝着こうと思えば午前2時くらいに出発しなければならぬ。会社の定時が18時、帰り着くのが20時、風呂に入って食事すればもう21時、そこから支度となれば22〜23時になってしまうだろう。 磐梯吾妻スカイラインと浄土平駐車場のゲートは、夜中には係員がいなくなるためフリー通行が可能となる。だから早朝5時くらいに着くようにすればスカイライン通行料¥1,570と駐車料金¥410が浮く。 そうなると、出発は遅くとも午前1時か。睡眠時間2時間であるからこれはキツイな。 実際、布団に入ったのは23時半くらいだった。うーむ、やはり起床は3時くらいにしよう・・・。スカイライン通行料と駐車料金はかかるが、睡眠時間が少ないと安全運転も難しい。 それでも午前4時を越えるとETCの深夜割引が適用されないため、これがギリギリの線となる。 早朝3時前、目覚まし時計が鳴り、さっそく着替えてクルマに乗り込む。 荷物は寝る前にクルマに積み込み済みのため、こまごまとした物をチェックをした後でクルマに乗るだけである。暗いので忘れ物とかあっても気付きにくいのが注意したいところ。 今回、車内で仮眠することを考えて毛布や枕、そして目隠し用の布なども積み込んでいる。 ヒンヤリと暗い車内に入り、エンジンに火を入れる。 何度も言うことだが、やはり暗い中での出発は気分が盛り上がる。 ナビ設定 <<画像ファイルあり>> [PENTAX K10D/18-55mm] 2008/11/14 03:01 それにしても片道300kmで5時間のドライブ、以前は長距離ドライブという感じだったが、今年の夏休みの帰省で11時間半もの運転を経験した今となっては、大したものでもないように思えるのが自分でも驚く。 家を出発し、すぐにガソリンスタンドに行って満タンにしたのだが、ハイオク単価は割引券を使って131円だった。3ヶ月前で最高201円だったのが信じられない。 それから、コンビニエンスストアに寄って食料(朝食・昼食・菓子・スポーツ飲料)を買い込んだ。また、カメラのLR44電池が無くなっていたため、それも一緒に買った。コンビニエンスストアであるから値段が普通より倍以上したが、この時間で手に入れるには仕方無い。 あまりノンビリしてると、4時のETC割引に適用されなくなってしまうからすぐにクルマに乗り込んで発車したいところ。しかし、タイヤが微妙に空気圧が足らないような気がする。ちょっとタイヤが潰れて見える・・・? これから高速道路を走ることもあり念のためにタイヤ1つだけ計ってみたところ、200kpaになっていた。高速道路を走るのであれば250kpaくらいにしておきたいところ。これはちょっとマズイ・・・。 だが時間が無いのでとりあえず出発してETCゲートをくぐっておくことにする。そして最初のサービスエリアで空気を充填しようと思う。 気のせいか、高速道路を走ってると、ハンドルが微妙に取られるような感触がある。やはり空気圧が足りないせいか? 何はともあれ、4時近くに最初のサービスエリア「蓮田サービスエリア」に入り、安全そうなところでクルマを停めて足踏みポンプで充填開始。真っ暗な中で懐中電灯片手にプラス50kpaの充填は結構手間だったが、何とか完了。 その後は、高速走行でも不安定な感じは無くなった。一安心である。 さて、ETCも4時前通過を果たしたわけで、しばらく走ってると気が緩んで眠たくなってきた。 5時半頃、限界を感じて中間地点の上河内サービスエリアに入って仮眠を取ることにした。 トランクスルー状態にして寝るまでもないかと思い、普通に運転席で座席をリクライニングして毛布を被って寝ることにした。もし夏だったら暑くてとても寝るどころではなかったろう。少し寒いくらいの今の季節がちょうど良い。 それに、自宅から枕も持ってきたのでそれを使う。いつもの枕なのでかなり寝心地が良い。 しばらくして目を覚ますと、もう外は明るくなっていた。 そろそろトイレに行って出発するか。 外に出ると、ヒンヤリと空気が冷たい。この様子だと、山の上のほうはかなり寒かろう。実は、ズボンの下にスエットを履いている。 夜明けの上河内サービスエリア <<画像ファイルあり>> [PENTAX K10D/18-55mm] 2008/11/14 06:39 ここから先は、ノンストップで走った。 福島西インターチェンジで降り、福島市内を走っていると、前方の山から白いモクモクが立ち昇ってるのが見えるではないか。ビックリした。こんなところから見えるとは思わなかったので、かなり意表を突かれた。 撮影しようと思いクルマを停める場所を探しながら走っていると、ちょうど良いところにコンビニエンスストアがあり、そこにクルマを停めた。時間は8時17分。よく見ると、前回も停まったコンビニエンスストアだった。 福島市内のコンビニエンスストア <<画像ファイルあり>> [PENTAX K10D/18-55mm] 2008/11/14 08:17 とにかく、クルマの中でカメラの準備をして撮影開始。 おもしろいことに、コンビニの店員の人たちも交代で山のほうを見て「あ、ホントだー」などと言っている。 コンビニエンスストアからの眺め <<画像ファイルあり>> [BRONICA SQ-Ai/40mm] 2008/11/14 08:20 250mmレンズで撮影し、さらにトリミング拡大したもの 左は吾妻小富士 <<画像ファイルあり>> [BRONICA SQ-Ai/250mm] 2008/11/14 08:25 こうして見ると、なかなか異様な光景である。 いつもは何の変哲もない山々だったのに、そこから1本の煙のスジが立っている。いくら火山地帯とはいえ、普段無かったものが突然現れると異様な気がする。それは地元の人間も同じだろう。 撮影は早く終わらせ、さっそく磐梯吾妻スカイラインで上まで登ってみようかと思う。 クルマで走ってる前方に、あの煙が見えている。 なかなか近付かないくらい遠方にあるのにあれほどハッキリと見えるのであるから、ちょっとした不気味さを感じてくる。 磐梯吾妻スカイラインを目指す <<画像ファイルあり>> [PENTAX K10D/18-55mm] 2008/11/14 09:01 さて、磐梯吾妻スカイライン料金所のところまでやってきた。途中に看板があり、どうやら11月は夜間通行止めと書いてあるようだ。もし当初の予定通りに早く来たとしても意味無かったらしい。 料金所で1,570円を払うと、係員のオイちゃんが「途中3カ所くらい凍結してるところがあるという報告がありますんで気を付けてください」と忠告してくれた。 我輩のクルマはFRでノーマルタイヤであるから、ちょっとした不安がよぎる・・・。 磐梯吾妻スカイライン料金所 <<画像ファイルあり>> [車載ビデオカメラ] 2008/11/14 09:19 しばらくは何も問題は無かったため「まあ大丈夫か」などと油断していたが、日陰になっている路面が白くなってるのが見えた。少し緊張が走る。 急動作をせずゆっくりとした走りを心掛けるのだが、上り坂であるからアクセルを踏まないわけにはいかないし、ステアリングも切らないわけにはいかない。リアが微妙に横滑りするのを感じた。カウンター当てようかと一瞬考えたのだが、そこまでは必要無さそうだったため、そのまま慎重にカーブを曲がった。 凍結路面 <<画像ファイルあり>> [車載ビデオカメラ] 2008/11/14 09:25 赤城山の県道16号に比べればかなり広い道路で、しかも対向車が来ていない状況で、落ち着いてその場を切り抜けることが出来た。 もっとも、いつもならばこのような季節に山へ行くことはありえないわけだが、まあ今回は噴気活動という予定外のイベントだからな・・・。 さて、危険地帯を抜けた後は、九十九折り(つづらおり)の道をガンガン登っていく。 しばらく走ってると、だんだん草木の無い不毛の大地が広がってきた。そして幾つかのカーブを抜けると、一切経山の噴気が目の前に迫っていた。九十九折りの道を登ってた時は一時的に噴気が見えなくなっていたため、急に目の前に現れたという印象。 目の前に迫った一切経山の噴気 <<画像ファイルあり>> [PENTAX K10D/18-55mm] 2008/11/14 09:30 浄土平駐車場入り口で普通車料金410円を払い、中に入る。 入り口付近の駐車場はアスファルト舗装されているが、天文台のある脇道に入って少し行くと未舗装の駐車場がある。そこは一切経山に近い駐車場であるから、そこにクルマを乗り入れることにした。 浄土平駐車場からの眺め <<画像ファイルあり>> [PENTAX K10D/18-55mm] 2008/11/14 09:55 今回の噴気活動のため、一切経山への登山道は立ち入り禁止にされている。だから、登山の用意は不要である。基本的には、クルマのそばで写真を撮るような感じになる。 大型三脚を含めた多くの機材をクルマに乗せており、そのそばで写真を撮れるのはなかなか好都合と言える。 もちろん、登れるのなら登って噴気を目の前で見てみたいわけだが。 この場所は、多くの観光客がいる舗装された駐車場から少し離れてるので静かである。耳を澄ますと、風の音に混じって噴気の音がかすかに「シュオー」と聞こえてきた。なんでも、噴気が始まった初日はジェット機のような「ゴォー」という音がしたそうだ。 噴気口の位置について、去年撮った写真とを並べてみる。 今回の噴気口 <<画像ファイルあり>> [PENTAX K10D/18-55mm] 2008/11/14 09:55 去年の同じ場所 <<画像ファイルあり>> [RICOH GR-D] 2007/05/29 14:30 それにしても、ここは噴気口からは近いわけだが、見上げる感じになってしまうので、噴気口が隠れてここからでは見えない。近付き過ぎか。 背後にある吾妻小富士のほうに登れば、噴気口もよく見えるかも知れない。 噴気口が見えない <<画像ファイルあり>> [PENTAX K10D/70-300mm] 2008/11/14 09:56 ところで、ここは標高が1,600メートルくらいあるため気圧が低くなっている。 コンビニエンスストアで買った菓子袋を見るとパンパンに膨らんでいる。それから、お茶のペットボトルを開けると「プシューッ」という音がした。 パンパンに膨らんだ菓子袋 <<画像ファイルあり>> [PENTAX K10D/18-55mm] 2008/11/14 10:16 さて、クルマを移動させ、吾妻小富士に近い場所に駐車しなおした。そこはレストハウスの前で、まずはトイレに行って来る。 そしてカメラの用意をしたのだが、やはりクルマから機材を全て持って行くのはムリであるから、とりあえず中判カメラと35mmフィルムカメラ、そしてそれぞれの交換レンズを何本かと、軽量三脚を持って行くことにした。 吾妻小富士に登るのは今回が2度目。 1度目は一切経山への登山でかなり足が疲れてたので、手軽な吾妻小富士でもかなり難儀した記憶がある。 けれども今度はさすがに順調で、およそ6分で登り切った。まあ、スカートの女性でも登れるくらいの山であるから自慢にもならぬ。 吾妻小富士の頂上に立って眺めると、なるほど、一切経山の噴気口がよく見えた。 そこで三脚を立てて望遠撮影を始めたのだが、なんと中判カメラのほうは1.4倍テレコンバータをクルマに置いてきたことに気付いた。せっかく望遠撮影のために吾妻小富士に登ったというのに・・・。 まあ、そんなに大変な登りではないから、後でまた登って来ることにする。 それにしても、1機のヘリコプターが一切経山を回ったりホバリングしたりしている。上空から噴気の様子を撮影しているのだろうか。そこからの風景を見てみたいものだ。 吾妻小富士山頂から (当日2度目の登頂時) <<画像ファイルあり>> [BRONICA SQ-Ai/40mm] 2008/11/14 13:10 一通りの撮影を終え、吾妻小富士から降りてクルマに戻ると、なんだか腹が空いてきた。時間は11時半なのだが、まあ、早い昼食ということでコンビニ弁当を食べた。ちょっと足りなかったのでお菓子を食べ、そして少し眠くなってしまい、昼寝をした。 1時間くらいは寝たか。 何となく起き、しばらくまたお菓子などを食ってウダウダしていたが、13時前にまた吾妻小富士に登ることにした。 今度はさきほど忘れた中判カメラ用テレコンバータと、ついでにデジタル一眼レフカメラとビデオカメラを持って行くことにした。35mm判フィルムカメラとそのレンズはクルマに置いていく。 デジタルカメラで望遠撮影した画像を詳細に見てみると、噴気口の下側に新しい土砂の流れた跡が認められる。これは恐らく、最初の噴気が出る時に栓を抜くように表面の土砂を押し上げたものではないかと思う。あまり飛び散ったように見えないので、ボコンと盛り上がり静かに土砂が流れたのかも知れない。 その瞬間の様子を見てみたかった。 一切経山噴気口の望遠撮影 <<画像ファイルあり>> [PENTAX K10D/70-300mm] 2008/11/14 12:54 とにかく、中判カメラ用のテレコンバーターを付けて望遠撮影をした。レンズの合成焦点距離は350mm。拡大率としては物足りないところだが、我輩の中判機材では最高の拡大率となる。三脚無しで撮影はまず不可能であろう。 (※後日現像してみると、やはり強風の中での軽量三脚ではブレがあり使えなかった。ミラーアップ撮影すべきだったか。) 望遠レンズとテレコンバーターを装着した中判カメラ <<画像ファイルあり>> [PENTAX K10D/18-55mm] 2008/11/14 13:13 ここでも、今回の噴気口と去年の同じ場所を比べてみることにしたい。 これを見ると、やっぱり去年は噴気口が開いていなかったことが分かる。こういう定点撮影はなかなか興味深い。 今回の噴気口 <<画像ファイルあり>> [PENTAX K10D/70-300mm] 2008/11/14 13:44 去年の同じ場所 <<画像ファイルあり>> [[RICOH GR-D] 2007/05/29 14:18 さて、これからどうするか・・・と思い、ふと振り返って吾妻小富士を見てみた。今回は一切経山の噴気の観察として吾妻小富士に登ったわけだが、せっかくであるから吾妻小富士のフチを回る「お鉢巡り」をしようかと思う。 意外とスリリングな行程であったが、山の向こう側の福島市内が一望できたのは面白かった。朝、ふもとの福島市内から吾妻小富士が見えたのだから、上からも市内が見えて当然か。 吾妻小富士山頂から福島市内が一望できる <<画像ファイルあり>> [PENTAX K10D/18-55mm] 2008/11/14 13:45 お鉢巡りはおよそ1時間弱。浄土平に戻ってクルマで一息ついたのは14時半くらいだった。 この後、クルマの写真など撮るなどして、15時に駐車場を出て帰路についた。何しろ片道5時間かかるから、この時間でも帰宅は20時になってしまう。 さてふもとに降りた後に燃料計を見ると、行きで満タンにしたガソリンも1/2になっていた。多分その状態でも帰り着けるとは思うが、ギリギリは怖いので高速道路に乗る前にガソリン10リッターを入れておいた。 途中、また眠くなり、矢板北パーキングエリアで1時間ほど仮眠。 自宅へ帰り着いたのは、20時09分だった。仮眠したにしてはまあまあの時間であった。 さて、気になる土日の天気だが、やはり予報通り曇りだったようだ。無理にでも休暇を取った甲斐があったと言える。 そして月曜日には磐梯吾妻スカイラインの冬季閉鎖開始ということで、まさに噴気を見るには最後のチャンスだったことになる。 ---------------------------------------------------- [638] 2008年12月02日(火)「自分の殻を破れ」 我輩は、現在は営業部署に属している。 しかし技術・制作部署出身ということもあり、実作業も同時に行う。つまり、自分で営業活動をして自分で制作業務を行うのである。自分1人では手に負えない案件は協力会社に依頼することもあるが、そういう場合であっても客先との技術的な内容を含んだ打合せも我輩一人で対応する。 このように書くと、バリバリに仕事をこなしているヤリ手社員のように聞こえるかも知れないが、実際は不況による仕事量の減少と、人員不足による"よろずや化"によるものである。我輩自身、このような仕事のやり方を好んでやっているわけではない。やらねば生活出来ない。ただそれだけである。 ところが、会社がこのような状況にあっても、まだなお「オレは営業だから」などと言って技術的な話から逃げる奴がいる。 この時代、パソコンや携帯電話などの情報端末も一般家庭に普及し、インターネット人口もかなり多いというのにも関わらず、そんな一般人にすら知識が劣る営業マンがいるのだ。 だから、少しでも技術的な案件があると、必ず我輩に話を持って来る。内容を聞いても「技術的なことは分かんないから客先と直接話してくれ」の一点張り。技術的な話を抜きにしても、客先が何をやりたいかということすら聞けないのか? こういう人間は、自分から「オレは営業だから」という守備範囲を限定してしまい、理解力の有無以前に、最初から話を聞く気すら無い。 だから、世間一般ですら常識となっている知識であっても、技術的な色合いが少しでもあると耳をふさいで情報入力をカットしてしまうのであろう。 もちろん、営業畑一筋でやってきた人間からすれば、技術的な面はなかなか入り込めないというのは理解出来るのだが、仮にも情報系企業の営業マンであるならば、せめて一般人並にはパソコンやインターネットに興味を持てと言いたい。 自分の殻を打ち破らねば、時代から置いて行かれるぞ。 さて話は変わり、このたび発売されたばかりの「Canon EOS 5D Mark II」で撮られたフルハイビジョン映像を、インターネットから観た。 観た瞬間、鳥肌が立った。 一見、スチル写真のように思えた画像が、次の瞬間おもむろに動き出す。 不思議な感覚であった・・・。 ビデオの動画撮影と、スチルカメラの撮影は、似て非なるものである。 実際我輩も、カメラ雑文328「予定調和」にも書いたように、当初はビデオ撮影には否定的だった。 そもそも、アナログの時代にはビデオというのはアマチュアとプロとの機材の違いが大きく、画質と機能を追求するならば必要なコストも青天井だった。単純なカット編集をするだけでもビデオデッキが2台必要で、文字入れや各種エフェクトなどを考えるとさらに機材が必要となった。 仮にプロが使う機材が手に入ったとしても、肩乗せの重量級ビデオカメラを運用することは無理である。 どんなに頑張ろうがプロが撮るような映像が撮れないビデオの分野よりも、プロと同じ機材で同じ画質が撮れるスチルカメラのほうが、趣味として面白いのは当然のこと。 ところがデジタル時代になって状況が変化してきた。 パソコンにビデオを取り込めば、編集はソフトウェア次第で何とでもなるようになった。いわゆる「ノンリニア編集」である。しかも、編集時のダビングで画質が劣化することも無い(デジタルでもMPEGのような不可逆圧縮データでは劣化するが、MPEGに書き出すのは編集が終わった最後の最後にすれば画質劣化は最小限である)。 我輩がビデオ撮影に取り組み始めたのも、この状況があってこそである。当時はアナログ式の8ミリビデオカメラを使ってはいたが、パソコンにキャプチャーさえすればデジタル化して編集可能となった。 また最近ではハイビジョン撮影機能を持つビデオカメラが普及しつつあり、むしろNTSCのスタンダード画質しか撮れないビデオカメラはもうほとんど存在しない。 ハイビジョンとしては、後は再生環境が整うのを待つだけであるが、「HD-DVD」と「Blu-ray Disc」の規格競争に決着がついたことから、それも時間の問題かと思われる。 ただそれでも、家庭用ビデオカメラにありがちなノイズやコントラストの高い黒潰れや白飛びは相変わらずだ。しかも撮像素子の面積が小さいためか、被写界深度は深く、表現の幅がとても狭い。まさに家庭用ビデオ特有の画である。 我輩の職場にあるフルハイビジョン撮影可能なビデオカメラでも、ハイビジョンと言うだけあって確かに画素が多いという印象はあるものの、ビデオ臭さはそのまま残っている。 そんな時、「EOS 5D Mark II」で撮られたハイビジョン映像を見て目を丸くした。 この映像には、ビデオ臭さが全く無い。 レンズが自由に交換出来る、撮像素子の面積の大きい一眼レフカメラで撮られた映像が、そのまま動画として動いているのである。素晴らしいとしか言いようがあるまい。 それにしてもこのような革命的とも言えるビデオ機材が発売されたというのに、我輩の目には盛り上がりを欠くように見えるのはなぜか。 恐らく、スチルカメラマンは昔の我輩のように、「ビデオは自分の守備範囲外である」と拒絶反応を起こしている者が多いのではないかと思う。もしこれが真実だとしたら、何とももったいなく、同時に嘆かわしい。 我々スチルカメラマンは、スチル分野での経験を通して多くの知識を蓄積している。ビデオの感覚では考えられないような次元において、画質や描写を追求してきた。交換レンズの特性や、それらに最も適した構図の取り方などの知識は、身体で覚えた貴重な財産である。 そんなスチルカメラの知識が最大限に活かせるビデオカメラとして「EOS 5D Mark II」が現れた。ここで我々が本気を出せば、ビデオ界に革命を起こすことが出来るだろう。スチル界では常識のようなことでも、ビデオ界では画期的なことも多くあるはず。 ここで最大の障害は、スチルカメラマン側が「オレはスチルカメラマンだから」という殻に閉じこもっていることである。 デジタルには静止画も動画も同様に取り扱える自由度があるため、「EOS 5D Mark II」のような製品が出るのは必然であった。今さら、スチル専門だからなどという言い訳は通用しない。なぜならば、一般人でさえ携帯電話で動画を積極的に撮影する時代なのだ。動画投稿サイト「YouTube」を見るがいい。そこには下手クソなシロウトビデオが溢れているじゃないか。スチルカメラ専門とは言え、ビデオすら撮れないなんていうのは恥だぞ。 改めて言うが、「YouTube」にアップロードされている画像の大半は見るに耐えないものばかりである。ピンボケ、手ブレ、日の丸構図・・・。しかも画質そのものも最低と言うしか無い。こんなレベルの低い作品ばかり集まっているのを、カメラマンとして黙って見ておれるのか? 最近になって「YouTube」でもハイビジョン画質で閲覧出来るコマンドが伝わってきて話題になったが、どんなに画質が向上しようが、シロウトが撮るビデオは見るに耐えないことには変わりない。たとえビデオが趣味の者がいたとしても、従来の家庭用ビデオの中でしか撮影は出来まい。 今こそ、スチル出身のカメラマンがこの「EOS 5D Mark II」の超絶能力を活用し、スチルカメラの知識と経験を活かしたビデオを撮るべきじゃないのか? このまま、「EOS 5D Mark II」のフルハイビジョン撮影機能を、単なるオマケ機能として埋もれさせてはならぬ。 まずは、「EOS 5D Mark II」が入手出来る財力のある者から始めて欲しい。そしてゆくゆくは、世間に圧倒的な作品力を見せつけ、「スチルカメラ出身の奴はちょっと違うな」と思わせようじゃないか。 (補足) 我輩の見た「EOS 5D Mark II」で撮られたハイビジョン画像は、外国人カメラマンが東京を写したものであった。 昔から日本人は、自分たちの作った素晴らしいものに気付かず、外国から評価されて初めてその素晴らしさを認識する。我輩はそのハイビジョン画像から、外国人の目を通して、「東京の風景」と「EOS 5D Mark II」の両方を再評価するに至った。 ---------------------------------------------------- [639] 2008年12月08日(月)「QP CARD」 我輩は今まで、自分が好きな色について特に深く考えたことは無かった。 性格判断の設問やコミュニティ会員登録のプロフィール欄などで答える必要がある時は、ちょっと考えて「青」と答えていたりした。 ところが自分の周りを見渡してみると、茶系の色、特に赤みがかった茶色が多いことに気付いた。 ブルゾンも赤茶色、スーツと革靴を買う時は必ず茶系を1セット買うし、Yシャツも茶色のものが必ずある。そして足元を見ると、自分の部屋だけは赤茶色のフローリング。 色が選べるものは、だいたい赤系・茶系を選んでいた。 そう言えば、高校入学祝いで買ってもらったAIWA製のコンポもシルバーではなく赤色を選んだし、NikonF3も赤色のラインが無ければ手に入れなかったかも知れない。なぜならば、雑文152「7年目」でも書いたが、最初にF3を買った動機は極めて衝動的だったからだ。 それから、以前、茶髪の女性が好みであると雑文394「Q&A」にて書いたのも、実はそういう関連があるのかも知れない。 そう考えると、実は我輩は赤系・茶系が好きだったようだ。 さらに記憶を探ってみると、黒ボディ色の自動車「メルセデスベンツW202/C200」を購入した際も、実はウェブサイト上で赤ボディ色の在庫車を見つけて問い合わせたことが中古車ショップ選びに繋がった。 この車に惹かれて中古車ショップにやってきた <<画像ファイルあり>> [Nikon COOLPIX5400] ただこの場合、赤い車は我輩には似合わないということで断念し、結果的に黒ボディ色に落ち着いた。それさえ考えなければ、確実に赤いベンツを選んでいたであろう・・・。 さて、写真というものは、銀塩フィルムであろうとデジタルであろうと、なかなか正確な色を再現することは難しい。 フィルムの場合では、銘柄や商品によって色合いが異なる。さらには感光剤を調合したロットによってもまた異なる(比較対象にもよるが、ロットでの色違いはかなりのものがありバカにはできない)。そういう意味では、正しい発色をするフィルムというのは存在しない。だから、厳密に発色をコントロールするには、本番と同じフィルムでテスト撮影をして補正フィルターを決めたうえで本番撮影に臨む。 全ての調整は撮影時のみ有効で、撮影後に調整することは出来ない(リバーサルフィルムの場合)。 デジタルの場合では、撮影時の調整はもちろん、画像データをパソコンに取込んだ後にも調整が可能である。フィルムに比べると自由度が高いと言える。 しかしパソコンで色調整する時、ディスプレイが正しく色調整されていないと、いくらデータ上では正確な色であったとしても正しい色には見えない。そのため、何を基準にして色を調整すれば良いかが分からなくなる。 これらの色の問題は、写真がイメージとして捉えられている場合はまた状況が異なる。 夕焼け写真の色が冴えないならば、フィルターや画像処理で赤みを多くすれば良い。撮影者がそれで気に入るならば、そういう調整も良かろう。忠実な色調整ではなく、撮影者の記憶色(記憶で覚えている色調)やイメージ色(こうあって欲しいと思っている色調)に沿うことが重要である。そこには、撮影者のメッセージが込められているのだ。 しかしここではあくまでも、被写体となる現物に近い色を再現することに話を限定したい。 我輩の場合、ウェブサイトの写真で見た赤いベンツについて、実際に現物を見た印象とはかなり違うということを実感した。単に「赤」と言っても色々あるし、車種によって印象がガラリと変わる。 画像について、撮影者がホワイトバランス調整している保証は無いし、我輩のパソコンディスプレイも手動調整のみで、システマチックなカラーマネジメントがなされているわけでもない。色について何の指標も無い状態である。 もちろん、画面に表示された色を信ずるべきではないということは承知していた。だが、赤い色の車については我輩のイメージがあり、我輩の脳内でその色に変換されてしまう。それは、「ウェブサイトで見た色は正確ではない」という意識があるからこそ、ますますその脳内変換は強くなる。 もし仮に「画面で見たままの色である」という確証があるならば、余計な脳内変換をする必要は無かったろう。画面に表示された色を信ずれば済む。 また、実際に現物を見れば済むのかと言えばそうでもない。もし購入を検討することになったとしても、家に帰って検討するには困ることになろう。なぜなら、記憶色はアテにならないし、写真で撮ろうにも正確な色とは限らないのだ。 だからもし、車選びに重要なポイントの1つが「ボディ色」ならば、現物を見た後時間が経てば経つほど迷いも大きくなろう。だから迷うたびに中古車ショップに足を運ばねばならなくなる。 我輩は車を買う際、トヨタや日産やその他のショールームにも行ってきたが、そこでデジタルカメラで写真を撮っても、微妙な色合いが肉眼とは違って見えるのが悩みだった。ホワイトバランスをマニュアルに切替え、白い紙をターゲットにして調整を試みるのだが、調整方法が悪いのか、カメラごとにクセが異なるのか、なかなか現物と同じ色であると確証出来る結果が得られなかった。 何か良い方法は無いものか・・・。 トヨタのワインレッドカラーの車 <<画像ファイルあり>> [RICOH GR-D] メルセデスベンツのボディカラー色見本 <<画像ファイルあり>> [Nikon D200] そんな時、「QPカード」というカラーマネジメントシステムを知った。 これは、専用のカラーチャートを本番撮影と同じ光源の下で撮影し、その画像を専用ソフトウェアで色の偏りを解析することで、本番画像も同様に偏りを補正するというものである。 「QP CARD 201」 <<画像ファイルあり>> 撮影時の注意点として、ホワイトバランスの設定を固定させるために「晴天(デイライト)」にセットしておく必要がある。もしオートホワイトバランスにセットされていると、カラーチャート撮影時と本番撮影時でホワイトバランスが異なる可能性があり、同じ補正量を適用出来なくなる。 QPカードによる補正は、デジタルカメラでの画像はもちろん、フィルムで撮影したものでもスキャナ取込み時には役に立つ。何しろ、フィルムをスキャナで取込む際には色調整が大きな問題であるから、このようなシステマチックな方法で色を合わせることが出来るというのは大変有意義と言えよう。 さて、製品として実際に購入する物としては、「QP CARD 201」というカラーチャートで、ヨドバシカメラのネットショップなどでも2枚入り3千円程度で売っている。 一方、補正用のソフトウェアはQPカードのサイトから無料でダウンロードするようになっている。 「QP COLORSOFT 501」でのプロファイル登録作業 <<画像ファイルあり>> ここで、ワインレッドのミニカーを撮影してみたが、従来のように白い紙を使ってホワイトバランスをマニュアル設定した場合と、QPカードを使って色補正した場合を比べてみた。 ホワイトバランスをマニュアル設定したものもそこそこうまく色が再現されているように思うが、QPカードで補正したものと比較すると、若干黄味が強い。実物と見比べてみると、やはりQPカードで補正したもののほうが近い。 QPカードによる補正では、色相の歪みさえも補正しているそうである。 白い紙でホワイトバランスをマニュアル設定した撮影 <<画像ファイルあり>> QPカードを用いた補正 <<画像ファイルあり>> もちろん、ディスプレイの色調整が適正でなければ正確な色は表示されないが、そういう環境のパソコンであっても画像データとしてはきちんと処理されるため、その画像データを環境の整ったパソコンへ移して表示させれば正確に見えることになる。 レタッチソフトでグレーポイントを探したりトーンカーブなどをいじって調整する方法は、QPカードのように色相の歪みを補正出来ない。それに、どうしても人間の目で見た主観が頼りとなる。あまりに長時間作業をしていると、何が正しい色なのか分からくなったりもする。 そもそも、自然な色調を狙って補正したつもりが、現物のほうが不自然な色だったらもうお手上げ。そういう場合には、現実のほうを否定しなければ辻褄が合わなくなる。イメージで済む写真ならばそれでも良いだろうが、色の再現性が問題となる写真ならば、QPカードを使うのがスマートかも知れない。 ---------------------------------------------------- [640] 2008年12月09日(火)「革命を応援してくれ」 我々、写真を趣味としている者は恵まれている。 もし仮に、一般消費者向けカメラとしては35万画素のコンパクトデジカメしか無くなってしまったら、どうする? 一眼レフは業務用として、最低でも100万円、交換レンズも50万円を下らない。しかもそのサイズはひとかかえもあるような物しか無いという世界。こんな世の中だったとしても、写真を趣味として続ける自信はあるか? ビデオの世界では、これがまさに現実だった。 ビデオ機材というのは、家庭用と業務用とに極端に二極化しており、ハイアマチュア向けの中間的な機材は存在しない。見せ掛けだけの値段が少し高いものもあるが、趣味心を満たすようなものは無い。 スチルカメラに例えるならば、趣味人でもコンパクトカメラしか買えないという状況。 信じられるか? このような状況の中、ビデオカメラを趣味とするには機材を突き詰めるという方向性は難しく、どうしても被写体へ向かうしか無くなってくる。中には盗撮に目覚める者も出てくる。 「私の趣味はビデオ撮影です。」 「私の趣味は写真撮影です。」 世間的には、やはり前者のほうが怪しく聞こえる。 そんな中、フルハイビジョン撮影可能なデジタル一眼レフカメラ「EOS 5D Mark II」が登場した。 これは革命的であった。 「革命的」とは、ただ単に言葉の表現を大きくするための修飾語ではない。 家庭用ビデオに縛り付けられたビデオ趣味の中に救世主が現れたという意味で、まさに革命が起こったと言っても良い。 「EOS 5D Mark II」の登場で、様々な交換レンズにより表現力が高まり趣味として面白くなってくる。レンズ交換という快感を覚えた者たちは、次々にレンズを買い漁り、それぞれの効果を楽しむことだろう(スチルカメラの分野ではこれを"レンズ沼"と呼んでいる)。 我輩は今、ビデオの趣味人として「EOS 5D Mark II」を見ている。 漠然と頭に描いていた理想のビデオカメラが、突然スチルの分野から現れたのだ。「まだ洗練されていない」とか「撮影しづらい」という話が出たりするが、革命直後はそんなものだろう。 生活は貧しくとも、自由を手に入れたのだ。出来なかったことが出来るようになった。まずはそれだけでも大きい。 スチルカメラの国では、当たり前のように自由を謳歌している。 そんな国から見れば、ビデオカメラの分野での革命など今さらな感じもすることだろう。そして、「EOS 5D Mark II」にビデオ撮影機能など余計だと思っている者もいるだろう。 頼むからそういう考えはやめてくれ。 自由をやっと手にしつつあるビデオの世界が再び暗黒の時代へと逆戻りしないためにも、「EOS 5D Mark II」のビデオ撮影機能を、スチルカメラの分野からも応援してもらいたいと心から願う。 ---------------------------------------------------- [641] 2008年12月26日(金)「我こそ高性能デジタルカメラが相応しい」 デジタルカメラの進化はビデオカメラ用CCDの25〜35万画素から始まり、現在では2,400万画素もの製品が出るまでになった。 ここまで来ると、もはやフィルムカメラ用として設計されたレンズの分解能では足らず、さらに高性能なレンズでなければその高画素数を活かすことが出来ない。 ウェブ上の掲示板などでは、「A3程度にプリントするならば2,000万画素以上あっても意味が無い」とか、「等倍表示して写真を鑑賞するのはナンセンス」という意見がよく出てくる。 確かにそういう意見は、芸術家の写す芸術写真には大いに当てはまることだろう。芸術写真は、全体を見渡すような鑑賞に意味がある。拡大表示で時間をかけて隅から隅までジッと見ていくものではない。 そういう意味では、我輩は芸術写真を撮る者たちを羨ましく思う。 なぜならば、我輩は2,000万画素以上の画素数、そして性能の良いレンズを必要とする写真を撮っているからだ。 我輩は、デジタルカメラを主にメモ用途(場合によっては露出計用途)として使ってきた。メモ用途の画像はプリントもせず使い捨てのようなものであるから、低性能カメラでも良さそうにも思う。実際、我輩自信もそのように考えていた。 ところが、メモ用途というのは意外に高性能を要求するということが分かってきた。それについて、下記3点にまとめてみた。 *** (1)色再現性 まず色再現性については、車のボディ色検討でも難儀させられたという話は雑文639「QP CARD」でも触れた。 また、火山地帯へ赴いた時には、岩石や火口湖の水の色など正確に記録したいと思う。自分のイメージに合うかどうかは重要ではない。自然が造り出した色をサンプルとしてそのまま持って帰りたいというのが撮影の動機の1つである(参考:雑文213「お持ち帰りの風景」)。 もちろん、正確な色再現はデジタル画像の入力から出力までをトータルに考えるカラーマネジメントを行う必要があるため、単純にカメラだけの問題だとは言い切れないのだが、素性の悪い画像データを調理するにはやはり苦労が伴うことも事実である。 (2)撮影レスポンス メモ用途であるから、必要があるとすぐにカメラを向けてパシャパシャと撮れなければ困る。構図をあれこれウーンと考えるような芸術写真ではないのだから、スイッチを入れた瞬間に撮影可能で、シャッターボタンを押した瞬間に映像が取り込まれることが要求される。 我輩は車を運転する際、走り始めと走り終わりで走行距離メーターを撮影して記録するのだが、コンパクトデジタルカメラでは起動時のレンズ繰出しがまどろっこしい。サッと構えてパシャリと撮り、そしてすぐに走り出す。こんな芸当ができるのは一眼レフデジタルカメラくらいしかない。 (3)高画素数とそれに相応しい高性能レンズ この項目は特に重要である。 雑文591「スキャンしないスキャナ(2)」でも書いたように、我輩にとって、今やデジタルカメラはドキュメントを取込むための機器でもある。いちいちパソコンを立ち上げなくとも、ワンショットでドキュメントをデジタル化出来るのだ。ドキュメントだけでなく、博物館などで掲示説明を写すことも非常に多い。 しかし画素数の不足や手ブレ、そしてレンズ収差による画像周辺の流れによって小さな文字が読み取れないこともある。 また、観光や見学などでその場の状況を写し取ろうと超広角レンズでとりあえず画に収めるような撮り方もする。そして後日、細部の情報が必要となれば、撮った写真を等倍表示して精査を行う。その際、ピクセルの粗さやレンズの収差にジャマされることなく情報を取り出すことが出来るかどうかが、メモ用途として重要となる。 以前、赤城山に行った際にもメモ撮影したが、帰宅後にどんな土産物を売っていたのか気になり、探してみると売店をメモ撮影していたものがあったため確認することが出来た。その時は、1,000万画素のありがたみを感じたことを思い出す。 他にも、蔵王のお釜で撮った「異星人による惑星探査装置」の件(参考:雑文445「蔵王のお釜(2)」)についても、もっと細かく解像出来るカメラであればムダに騒がず済んだに違いない。 昔は、デジタルカメラで撮影した画像は等倍で表示するのが当然だった。場合によっては拡大表示までして、ピクセルのマス目から情報を読み取ろうとした。それが画素数の増加につれてパソコンディスプレイの枠からハミ出し、その結果生まれた技能が「スクロール鑑賞」であった(参考:雑文559「スクロール鑑賞のすすめ」)。小さなウィンドウでスクロールした画像を脳内で再構築して1枚の映像を見るのは、デジタル時代に必要とされる最低限の能力のはず。 *** そういうわけで少々逆説的ではあるが、デジタル写真をメモとして位置付ける我輩にこそ、高性能デジタルカメラが相応しいと言わざるを得ない。 これまで、メインではないはずのデジタルカメラへの投入コストが、なぜか多いことにおかしいと思っていたところであった。自分自身の要求に一つ一つ応えていくと、どうしても高価な機材が必要となってしまっていたのである。それを今あらためて再認識することとなった。 我こそ、高性能デジタルカメラが相応しい。 ---------------------------------------------------- [642] 2008年12月29日(月)「次期デジタルカメラ、NikonかCanonか」 以前、雑文629「動画撮影機能搭載フルサイズデジタル一眼レフ登場」では、ハイビジョン撮影が可能なデジタル一眼レフカメラ「Canon EOS 5D Mark II」の登場について書いた。 発表当時の予想販売価格は約30万円だったが、販売開始から約1ヶ月後の現時点では最安値で25万円前後にまで下がってきた。夏頃に発売された「Nikon D700」がキャッシュバックキャンペーン中ということで実質18万円で手に入ることから、「5D Mark II」もいずれは20万円程度にはなろうかと思う。 現在我輩が使用しているデジタル一眼レフカメラは約1,000万画素の「Nikon D200」である。2年間使っているが、2,000万画素のカメラがチラホラ出てきたのは最近のことで、まだそれほど陳腐化したような印象は無い。半年前に出たフルサイズ機「Nikon D700」でさえ1,200万画素なのだ。 ところが我輩は、雑文638「自分の殻を破れ」や雑文640「革命を応援してくれ」にも書いたように、一眼レフカメラベースのビデオ撮影映像に対して衝撃を受けた。あまりにも、従来の家庭用ビデオカメラとは映像が違い過ぎる。撮影条件によっては、数百万円もの業務用カムコーダですら撮れない映像が撮れてしまう。 スチルカメラマンには解ってもらえないだろうが、これは完全に革命的なものである。現状の製品では撮影操作に難があったり、撮影時間などの限定的条件があるようだが、他機では絶対に得られない映像(しかも安価に)がほんの少しでも撮れるのであれば、利用価値はかなり大きい。 そこで我輩は、画素数向上ではなく、ハイビジョン撮影という新機能の導入を図るために、この「5D Mark II」を購入出来ないかをヘナチョコ妻に打診してみた。ちょうど豚児の幼稚園お遊戯会で撮影したスタンダード画質の限界を感じた時だったため、ここで大きな飛躍を果たしたいということを力説したのである。 すると、その場ではハッキリとした答えは得られなかったものの、意外なことにビデオ機材の必要性についてはおおむね理解が得られた。恐らく、機材購入は容認されるだろう。 思いがけぬ購入計画に、我輩は早速購入計画を立てることにした。概算はヘナチョコに伝えてあるものの、具体的な選定をして予算を確定させねば先へ進められないからである。 まずはカメラボディであるが、どう考えてもフルハイビジョン撮影が可能なカメラは「Canon EOS 5D Mark II」しか無い。問題は、交換レンズである。 以前はEOS用交換レンズは潤沢にあったのだが、中判カメラやNikon MF機材への移行に伴い整理してしまった。手元にあるのは、売っても金にならないようなものしかない。そんなレンズでは2,400万画素の「5D Mark II」の性能が活かせない。 そうなると新規に購入せざるを得ないわけだが、そこで安物レンズを選ぶと新規購入の意味が無くなってしまうため、それなりの性能を要求してしまう。つまり、描写の細かいところがどんどん気になってくるのである。 今はインターネット上でメーカーだけでなくユーザーからの作例写真を見ることが出来る。そのためかえって情報過多になり、なかなか決められなくなってしまった。 しかし情報が我輩の頭の中で整理されていくうち、だんだんとNikonの新レンズ技術「ナノクリスタルコート」が気になってくるようになった。ユーザーの作例写真を見ても、逆光特性だけでなく各種収差も良好に補正されておりスッキリとした写真に見えた。確かに「ナノクリスタルコート」はコーティングとしての技術であるが、それを施す対象となるレンズはそれなりに基本性能が高いものであり、結果として「ナノクリスタルコート」のレンズは描写が優れているということになる。 しかし問題はハイビジョン撮影である。現状、ハイビジョン撮影は「Nikon D90」で可能ではあるが、フルハイビジョンには足りない。そもそも「D90」はエントリー機であるため、カメラそのものからして受け入れ難い。 ならば、今回はビデオ撮影機能は諦め、フルサイズの導入ということで「D700」を選ぶか? いや、それではビデオ機材購入という名目を失ってしまう。与えられた金は、スチルカメラを買うためのものではない。 そこで苦肉の策として、現時点では存在しないNikonの新機種に期待するという作戦を立ててみた。 というのも、「Nikon D3」の普及版として「Nikon D700」が登場したわけだが、同様に、先日発売された2,400万画素の「Nikon D3X」にも普及版としての「Nikon D700X(仮称)」がいつか出てくると予想される。そうなると、ライバルの「Canon EOS 5D Mark II」でフルハイビジョンを搭載したことから「Nikon D700X(仮称)」もフルハイビジョンで対抗する可能性が高いと読む。 目の前にある「5D Mark II」にするか、あるいは未来の「D700X(仮称)」にするか。 この2つが同じメーカーの製品ならばこれほど迷わせることも無かったろう。何しろ、一眼レフカメラを選ぶことは交換レンズを含んだシステム全体の選定に関わる重大な決定であるからだ。MFシステムはNikon系で完結させたことは以前にも雑文で触れたが、AFシステムのほうは空白状態に近い。Nikon系かCanon系かを最初にしっかり決定しておかねば、軸がブレて余計な出費を招く。高価なレンズも怖じ気づいて買えまい。 我輩は3週間もの間、「Nikon」か「Canon」かという選択に揺れ動いた。基本的には、堂々巡りであった。 Nikonにした場合、ナノクリスタルコートの高性能レンズが使えるし、現在所有の「D200」との連携も取れる。未来の機種のことは分からないが、もしバッテリーが共有出来れば管理し易い。また、「D700」に準じてストロボ内蔵であればメモ用途としても完璧となろう。 ただ、ISOも「D700」に準じて200から始まるとなると使いづらくなろう。また、レンズも絞り環が無いGレンズを選ぶことになるため、フィルムカメラでも使おうと思うならF5やF80などを追加購入せねばならぬ。 そもそも最大の問題として、「D700X(仮称)」がいつ出るのか分からないという点が大きい。半年後か、1年後か。事前に知らされておれば待つ気にもなろうが・・・。 一方、Canonならばすぐにでも製品が手に入るのが強みである。実際、幾度か注文ボタンを押す寸前まで行ったほど。 ただ、ストロボ内蔵ではない点で引っかかった。もし「5D Mark II」がストロボ内蔵であったならば、今頃は手元にそのカメラがあったことだろう。 レンズも、魅力的に見えるものがあまり無い。どうしてもNikonのレンズと比較してしまい、ビデオ用途としてはともかくメモ用途(参考:雑文641「我こそ高性能デジタルカメラが相応しい」)に最適な性能とは思えなくなってくる。高画素で撮影した写真を等倍スクロールで鑑賞するには(参考:雑文559「スクロール鑑賞のすすめ」)、高性能レンズが不可欠となるのだ。 結局、悩みに悩んで、ナノクリスタルコートレンズのNikonにすることで心が決まった。特に「AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED」の描写は、作例を見ると素晴らしく思えた。超広角ズームで、しかも巨大・高価ではあるが、メモ用途として隅から隅まで写し込もうとするならばこれを使うのが理想であろう。 我輩のこれまでの使用実績を思い返してみると、通常はデジタルカメラは中判カメラのサブ用途として隙間を埋める存在であるが、メモとして使う場合はデジタルのみという場合も多かった。カメラ1台体制ならば、この巨大な「AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED」であっても常用レンズとして成り立つ。 そういうわけで今回、未来の「Nikon D700X(仮称)」に希望を託し、ひとまずレンズを先買いすることとした。 手元にあるAPSサイズの「D200」で使うにはレンズの性能を十分に引き出せないのが残念ではあるが、「Nikon D700X(仮称)」が出るまで何もせず待つより良かろう。 以上、NikonかCanonかでようやく決着がついたところで、次回の雑文では早速「AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED」を手に入れることにしたい。 ---------------------------------------------------- [643] 2008年12月30日(火)「里帰り」 前回の雑文で書いた通り、Nikonのデジタル一眼レフカメラでのシステムを構築するため、先駆けとして「AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED」の購入から始めることにした。 このレンズは、メーカー希望小売価格が¥285,600(税込)である。しかしながら「価格ドットコム」での最安値を見ると18万円程度に下がっている。今回のシステム化の予算として40万円を確保しているため、このレンズを購入すると残りは22万円となる。 実は、オールマイティーに使えるフルサイズ用レンズとして「AF-S VR Zoom Nikkor ED 24-120mm F3.5-5.6G」の追加導入も考えている。このレンズは「D700レンズキット」に同梱されているものと同じで、参考としてその最安値を見ると27万円、キャッシュバックキャンペーンの適用があるとすれば24万円か。 22万円の予算では少々厳しい。 そんな中、色々とインターネット上で情報収集していると、円高の状況を利用してアメリカや韓国から逆輸入するという話が目に入ってきた。 試しにニューヨークのカメラ量販店B&Hのサイトを見てみると、「AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED」の価格は約1,500ドル。1ドル90円のレートで計算すると、13万5千円相当か。消費税や地方税を入れても14万円くらいだろう。日本国内で買うよりも4万円安い。 以前、輸入代行を利用して「Fisheye ZENZANON PS35mm F3.5」、「KIEV 88CM・HARTBLEI Super-Rotator 45mm F3.5」、「ArtixScan 120tf」を購入したことはあった。しかしそれらは、主に日本国内では手に入らぬ物を入手したり、代行手数料を加味しても割安感の大きい物が対象である。 今回の場合、安いとは言っても4万円の差額であるため、代行手数料を考えると逆輸入のメリットが半減してしまう。ならば、自力で注文するしかあるまい。 今は便利な時代になった。 B&Hのサイトから入力フォームに記入すれば注文が完了する。英語が書けなくとも、読めれば何とかなる。決済もクレジットカードで済む。 ちなみに同じレンズでも「Imported」と「USA」の2種類の品があるが、これはウェブ情報によると、「Imported」は関税の無い国を経由してアメリカに輸入されたもので多少割安ながらもB&Hだけの保証のみ、「USA」は正規に日本から入ったもので国際保証書付きということらしい。買うなら「USA」版か。 注文は12月22日の昼(日本時間)。運送業者が幾つか選べるため、送料が安い「UPS」という業者を選んだ。 ウェブ情報によれば、B&Hへの初回注文時はクレジットカードの画像のFAX送信が要求されるケースがあるそうだが、今回それは無く、数時間後にはB&Hサイトの注文ステータス画面が「Shipped(発送)」となった。どうやら、我輩の注文はうまくいったようだ。 (これ以降は、運送業者UPSサイトの「貨物追跡情報」から配送状況を見ることになる。) 翌23日朝(日本時間)には、マスペスから空港を出発し、ジャマイカ地区へ到着、再び出発して同日夕方(日本時間)にはルイビルへ到着したらしい。 ところがここで「荷物はハブで間違ってルーティングされました。正しい配達先側に再ルーティングされました。」と表示され、しばらくすると「スケジュールされた接続ができませんでした。」となってしまった。手違いがあったということか? しばらくすると「CHIBA, JP」の項目が現れたため、てっきり国内には入ったのかと思ったが、「例外が起こった」との表示が出てしばらくそのままの状態が続いた。通関で問題でも起こったのかとその時は思った。 動きがあったのは27日早朝(日本時間)、突然、「CHIAB,JP」の項目が消えてアンカレジから輸出されたという表示に変わった。実はまだ国内には入ってなかったということらしい。 そして朝(日本時間)には日本国内に到着したようだった。ここで通関となるわけだが、以前はここでしばらく時間を食った。今回はスムーズに通れば良いが・・・。 しばらくすると「配達のために現在輸送中」という表示が出たため、特に問題無く通関したようである。ところが配達予定日の表示を見ると、12月30日となっていた。国内輸送で3日かかるとも思えず半信半疑だったが、やはり実際に届いたのは12月28日の朝であった。恐らく日本国内の離島も含めた最大配達日数を当てただけなのだろう。 到着した品物 <<画像ファイルあり>> 何にせよ、無事に届いたのは良かった。輸入代行を使わず自分で注文したこともあり、届くまではハラハラしたが、実際にこうして届くと感無量である。 受け取り時、消費税と地方税で4,000円を配達業者に支払った。ちなみに関税は光学製品については無料。 さて早速、中身に間違いが無いかをチェックした。もし違っていればアメリカに返送ということになり面倒なことになる。開封してみたところ、間違い無く「AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED」が入っており安心した。レンズは「MADE IN JAPAN」と表記されており、それが今回里帰りしたことになる。 AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED <<画像ファイルあり>> それにしても、このレンズはデカイ。 普段、中判カメラのサイズと重さに慣れているはずの我輩が、なぜに35mm版カメラのレンズごときで驚くのか。試しに、ブロニカSQ用の魚眼レンズと並べてみた。そして言葉を失った。 「中判レンズのほうが小さいとはな・・・。」 中判魚眼レンズとの比較 <<画像ファイルあり>> もっとも、驚く理由は単純にサイズの違いというよりも、カメラとレンズの比率にあろうかと思う。小型軽量のAPSデジタルカメラ「Nikon D200」にこのレンズを付けるわけであるから、どうしてもアンバランスになってしまう。まるでレンズのほうにカメラが装着されているようだ。 一方、中判カメラのほうは、カメラとレンズは一体感があり一つのまとまりになって落ち着く。だから、慣れれば持ち歩くのも抵抗が無い。 さて、このレンズを付けたD200のファインダーを覗いてみたところ、意外にインパクトが無かった。おかしいと思ったが、すぐにD200がAPSサイズであることを思い出した。そこで、F3に装着してみると、ファインダー内は別の世界が広がっていた。ただし、このレンズはGレンズのため、F3では最小絞りでしか撮影出来ないのが残念である。早くフルサイズのデジタル一眼レフカメラが欲しい。 とりあえずはD200で広角ズームとして使い始め、いずれはフルサイズ導入で超広角ズームとして使おうと思う。 高価で巨大なレンズを導入した甲斐があるのかどうかは気になるところ。画面中央部をトリミングするAPSカメラでは周辺描写について確かめようが無いが、ナノクリスタルコートを採用したことによる逆光耐性については近々試してみるつもりである。 最後に参考として、今回の配送状況についてのUPSサイト「貨物追跡情報」の内容を日本語・英語共に転載しておく。恐らく我輩自身が今後読み返して参考にするであろう。 UPS Track Shipments(英語サイト) Package Progress Location Date Local Time Description CHIBA, JP 12/28/2008 9:01 A.M. DELIVERY CHIBA, JP 12/27/2008 4:45 P.M. DESTINATION SCAN 12/27/2008 2:46 P.M. RELEASED BY CLEARING AGENCY. NOW IN-TRANSIT FOR DELIVERY 12/27/2008 12:13 P.M. IMPORT SCAN 12/27/2008 9:45 A.M. ARRIVAL SCAN 12/27/2008 9:45 A.M. ARRIVAL SCAN ANCHORAGE, AK, US 12/26/2008 8:15 A.M. DEPARTURE SCAN 12/26/2008 8:15 A.M. DEPARTURE SCAN 12/26/2008 6:31 A.M. EXPORT SCAN LOUISVILLE, KY, US 12/23/2008 5:57 A.M. THE SCHEDULED CONNECTION WAS MISSED 12/23/2008 3:47 A.M. THE PACKAGE WAS MISSORTED AT THE HUB. IT HAS BEEN REROUTED TO THE CORRECT DESTINATION SITE 12/23/2008 2:16 A.M. ARRIVAL SCAN JAMAICA, NY, US 12/22/2008 11:39 P.M. DEPARTURE SCAN 12/22/2008 8:32 P.M. ARRIVAL SCAN MASPETH, NY, US 12/22/2008 7:14 P.M. DEPARTURE SCAN 12/22/2008 2:50 P.M. ORIGIN SCAN US 12/22/2008 1:55 P.M. BILLING INFORMATION RECEIVED UPS貨物追跡情報(日本語サイト) 配達状況 場所 日付 現地時間 説明 CHIBA, JP 2008/12/28 9:01 配達済み CHIBA, JP 2008/12/27 16:45 仕向国センタースキャン 2008/12/27 14:46 通関業者によりリリースされました。配達のために現在輸送中です 2008/12/27 12:13 空港上屋スキャン(輸入) 2008/12/27 9:45 空港到着時刻 2008/12/27 9:45 空港到着時刻 ANCHORAGE, AK, US 2008/12/26 8:15 空港出発時刻 2008/12/26 8:15 空港出発時刻 2008/12/26 6:31 空港上屋スキャン(輸出) LOUISVILLE, KY, US 2008/12/23 5:57 スケジュールされた接続ができませんでした 2008/12/23 3:47 荷物はハブで間違ってルーティングされました。正しい配達先側に再ルーティングされました 2008/12/23 2:16 空港到着時刻 JAMAICA, NY, US 2008/12/22 23:39 空港出発時刻 2008/12/22 20:32 空港到着時刻 MASPETH, NY, US 2008/12/22 19:14 空港出発時刻 2008/12/22 14:50 発地国センタースキャン US 2008/12/22 13:55 請求情報を受信しました ---------------------------------------------------- [644] 2009年01月15日(木)「ネーミングルール(Nikon編)」 最近、デジタル一眼レフカメラのネーミングについて理解に苦しむ点があり、我輩なりにメーカーによるネーミングルールやネーミングの経緯を想像してみた。 今回、Nikonのデジタル一眼レフカメラについて書くことにしたい。 なお、ここでの記述はあくまで我輩の勝手な想像であり完全なるフィクションであることを強調しておく。 −Nikonの場合− 最初は富士フィルムとの協業でデジタル一眼レフカメラの可能性を探ったが、そのノウハウを活かして、初のNikon独自ブランドとしてのデジタル一眼レフカメラ「D1」を開発した。 型番としては、フィルムカメラの場合は「F」であったから、それに倣いデジタルカメラは「D」でいいだろうという発想であった。つまり、完全にフィルムカメラのネーミングを踏襲するつもりであった。 フラグシップ機は一桁であるから「D1」となるのは当然。 「D1」は「F5」をデジタル化したものという位置付けで造られたため、当然ながら「F5」のサブセットである「F100」もデジタル化することになる。それが「D100」である。「F100」同様に「D100」はハイアマチュア用という位置付けとなる。 一方、製造コストを下げて本格的な普及タイプの流れを作るため、こちらもフィルムカメラと同様に「D二桁」系列を作ることになった。 以上により、プロ用「D一桁」系列、ハイアマチュア用「D三桁」系列、普及タイプの「D二桁」系列という3つの流れが何となく決まった。 まずプロ用「D一桁」系列については、ネーミングが「D一桁」とするならば当然ながら9種類しか許されない。しかし今のところ「D一桁」は3〜4年周期のため、そこから予想するにあと20数年は安泰だ(2009年時点での計算)。 問題は普及タイプの「D二桁」系列である。 とりあえずの中間的位置付けで「D70」を開発し、その後、前後の型番を埋めるつもりであった。 ところが普及クラスはNikon社内でもあまり厳密に管理されていないため、開発チームごとに勝手に名付けてしまい、「D一桁」のように世代交代カウントアップしているものもあれば、別なところではラインナップ分けで割り振ったりと、混沌とした状態となってしまった(具体的に言うと、「D80」の後継が「D90」であるが、一方で「D50」は「D40」の後継機というわけではなく単なるクラス分けである)。 このまま行くと「D10」、「D20」、「D30」も意味無く使い尽くして番号は枯渇してしまう。 ただし過去の事例を参考にするならば、「Nikon U」というような唐突な名前を付けたこともあるため、いざとなれば「Nikon V」とか「Nikon X」などという法則を外れたネーミングで行こうと思っている。マニアックなところで「Nikomat」のネーミングを復活させれば、カメラマニアにもウケて話題作りにも役立つだろう。 一方、フルサイズ機が登場して新たな混乱が起こった。何しろ、Nikonは当初フルサイズ機を開発するつもりは無く、フルサイズとAPSとの区分けを想定していなかったのである。しかしニーズ(正確には営業サイド)に押されてフルサイズカメラを開発せざるを得なくなった。 「D3」はフラグシップという流れで「D一桁」のネーミングに沿えば済んだが、「D700」は問題だった。ハイアマチュア用としては「D3桁」のカテゴリになろうが、APSシリーズとは区別せねばならないし、後継機の余地も残さねばならない。そうなると、苦肉の策として「700番」あたりからスタートして問題の先延ばしを狙おうかと思った。これならば、APSが「D100」、「D200」、「D300」と上がってきてもあと3機種「D400」、「D500」、「D600」が出せる。それだけあれば、あとはフルサイズも廉価になるだろうからAPSを終わらせてしまえば良かろう。 また「D700」の後継としては、「D800」、「D900」の2つとなるが、その先はその時になって考えようということになった。 しかしハイアマチュア用の機種投入サイクルは早いため、ネーミングリソースは早めに枯渇することは誰の目にも明らかであった。かと言ってハイアマチュア用に「Nikon U」のようなネーミングは使えない。 現在、Nikon社内ではこの話題はタブーとなっている・・・。 ・・・以上、我輩の想像だったが、当たらずとも遠からず。まあ、こんなところだろう。 ※その他参考として雑文184「名前」 (参考)Nikonのネーミング系列を図化したもの <<画像ファイルあり>> ---------------------------------------------------- [644] 2009年01月15日(木)「ネーミングルール(Canon編)」 最近、デジタル一眼レフカメラのネーミングについて理解に苦しむ点があり、我輩なりにメーカーによるネーミングルールやネーミングの経緯を想像してみた。 今回、Canonのデジタル一眼レフカメラについて書くことにしたい。 なお、ここでの記述はあくまで我輩の勝手な想像であり完全なるフィクションであることを強調しておく。 −Canonの場合− 当初はコダックと協業してデジタル一眼レフカメラを開発したが、2000年になって初の自社ブランドのデジタル一眼レフカメラ「EOS D30」を発売した。 業務用が主となるフラグシップから切り込むNikonとは対照的に、Canonは一般向けから始めたわけだが、フィルムカメラに倣い一般向けのネーミングは二桁番号とすることが決まった。ただデジタルカメラの場合、当時の最大の関心事が画素数であり、世代交代はすなわち画素数アップそのものであった。Canonとしては、この特徴が型番と関連付けしやすいよう、約300万画素の機種には「30」とした。「300」としなかった強い理由は無いが、しいて言うならばメルセデスベンツがCクラス2,000ccのモデルを「C200」と呼んでいることを参考にしている。また数字の前に「D」を冠したのもメルセデスベンツにあやかったものである。 その後2002年に約600万画素の機種が出たが、当然ながらその型番は「D60」となった。マイナーチェンジのため、デザインは「D30」とほとんど変わらなかったが、それでも多少なりとも意匠を加えなかったのは、シリーズとしての統一感を持たせるという強いコンセプトがあったからに他ならない。 ところが次の機種では画素数が向上しないことが決定され、画素数を基にしたネーミングルールがいきなり破綻してしまうことになった。社内では「EOS D65」や「EOS D60 Mk2」とする案が出たが、結局は画素数由来のネーミングは無理があるとの判断によって、ここで仕切り直しを図ることとした。 新たな決定事項は、「二桁」シリーズは10から始まる世代交代カウントアップ制とし、そのカウント単位は10とする。また、Dは末尾に変更する。」というものであった。Dを末尾に変更した理由としては、2001年に発売されたフラグシップが「EOS-1D」であったため、この機会に統一することにした(なぜ「EOS-1D」のDが末尾になったのかは後述)。 その結果出たカメラが「EOS 10D」であり、Canonではこれが事実上の「二桁」シリーズのスタートであると考えている。そしてその後、「20D」、「30D」・・・と順調にカウントアップをしているのは現状を見れば分かるとおり。 一方、フラグシップカメラには、フィルムカメラと同様に「EOS-1」の名前を与え、カウントアップは別途行うことにした。フラグシップの数字"1"は「ナンバーワン」という意味を込めたものであり、「EOS-1」というのはカウントアップとは関係の無い、ひとまとまりの名前なのだ。これはF-1時代からの伝統であった。 そこで今回、これにデジタルカメラという意味の「D」を付加したいが、最初に発売した「EOS D30」に倣うと「EOS-D1」になってしまう。これではフィルムカメラ「EOS-1V」との統一感が無くなるため、「EOS-1D」とした。Canonとしては、一般向けモデルとの統一よりも、現行フラグシップカメラ同士の統一を優先させねばならなかったのだ。 さて、NikonでもそうだったがCanonでも業務用以外でのフルサイズの投入はネーミングに関して微妙な問題を投げかけた。 フルサイズということで当然ながらAPSサイズよりも高価となる。そうなると「二桁」シリーズよりも上位に位置付ける必要があり、どうしても「一桁」シリーズとせねばならない。しかし今後、フルサイズが廉価となりエントリー機でもフルサイズ化された場合の混乱が予想されるため、Canon社内でも「フルサイズだからという理由だけで一桁とするのはいかがなものか」という意見が上がった。 そのため妥協案として、当初は「3D」とされるはずだったネーミングが「5D」へと格下げされることとなったのである。そして当面は、フルサイズは「5D」の名称の中でカウントアップしながら様子を伺い(2009年現在はMark2)、フルサイズが廉価になった時にAPS「二桁」シリーズを廃止して「3D」と「7D」のクラスを登場させ、それぞれのカウントアップを図るつもりである。 こういうところはさすがにNikonとは違い、先を見越した考えのあるCanonと言わざるを得ない。(参考:雑文236「何も考えてないんだから」) ちなみに「Kiss」については、想定ユーザーがコンパクトデジタルカメラからのステップアップであるから、他のイオスとは異なりネーミングルールという縛りが無い。 (参考)Canonのネーミング系列を図化したもの ※「Kissデジタル」は"デジタル"の表記を省略した <<画像ファイルあり>> ---------------------------------------------------- [646] 2009年01月22日(木)「古い概念の呪縛」 最近は年賀状の配達数が減少しているという。職場内での年賀状やりとりをやめる風潮もあることから、このまま行くと、凧揚げや羽根つきと同様に年賀状という風習も消え去るのだろうか。少し寂しい気がする。 一方、年賀状をハガキで出さずにケータイメールでやり取りする者が増えていると聞く。年賀状という習慣がそのまま消え去るよりも、ケータイメールとして年賀状文化が受け継がれることになればまた面白い。 ところが先日、電車内でとある広告を見た。ケータイを使って年賀状を出すサービスの紹介であった。 つまり、年賀状のデザインや宛名印刷、そして投函までをケータイから申し込むことが出来るというサービスである。 我輩はこれを見た瞬間、「何ともムダなことをしよるなぁ」と思った。 まあそういうニーズもあるのだろうが、せっかくケータイという新しいツールを活用するならば、ハガキという古い概念の呪縛から離れてメールで完結したらどうかと思う。調べてみたところ、年賀メールに対応したグリーティングメールの配信予約サービスもあるではないか。 新しいツールというものは、新しい使い方をしてこそ、その真価を発揮する。 ***** さて話は変わり、フィルムカメラの時代を思い返してみる。 当時は、大きく分けてネガフィルムとポジフィルムという2つの選択肢があった。 ネガの場合はプリントが最終形態、ポジの場合は現像済みフィルムが最終形態となる。 両方を活用している者もいたろうが、我輩の場合はポジ派だった。 その理由は、「ポジの色の深さ」に加え、「撮影時の調整が全て」という潔さである。 それに対してネガの場合、撮影時後もプリント時に調整せねばならず、そこで手を抜くと望む結果が絶対に得られない。 しかも、自分の目指している色調整が正しいのかどうかという判断が難しい。ヘタをすると、限りなく主観に偏っていくことになる(参考:雑文365「想像は現実を通り越す(2)」)。 これがポジならば、撮影時の条件に万全を尽くせば、あとは天に任せるしか無い。その結果として色のイメージが違ったとしても、自分自身は納得出来る。むしろ、あとで無制限に調整可能なほうが、自分自身が納得するところまで持って行くのが難しかろう。 この考えは、デジタルカメラの場合でも同じである。 デジタルデータは後処理がいくらでも行えるため、中には後処理を前提としてRAWデータで撮る者も少なくない。これはまさにネガ派の行動そのものである。ポジ派の我輩には全くもって理解不能。もしかしてデジタルカメラを主として使っている者は、ネガ派が姿を変えたものではないのか? そのように考えると、妙に符合する言葉があった。 「A3サイズにプリントするなら1,000万画素のカメラで十分。全紙まで伸ばす人が果たしているだろうか。」 これを聞いた時、我輩はショックを受けた。 「この人間は、プリントが世の中全ての写真の最終形態であるとでも言うのか?!」 ポジ派の我輩は、デジタルデータは等倍表示でルーペを覗くが如くスクロール鑑賞するのが当然だと感じていたし、それが高画素を堪能出来る唯一の方法だと思っていた(参考:雑文559「スクロール鑑賞のすすめ」)。 以前、雑文569「最高速度」では、デジタルカメラの性能を画素数で語ることについての愚かしさを述べた。 ただそれは、銀塩カメラとデジタルカメラとの対比で見た場合の話である。もしデジタルカメラ同士で比べてみた場合には、やはり画素数が多いほうが用途が広がるに決まっている。 もしプリントという形態が、高画素のデジタルカメラの用途を制限しているとするならば、その人間はデジタルカメラを使うのには向いていないと言わざるを得まい。 我輩の場合、デジタルカメラはもはやネガ的でもポジ的でもなく、完全に独立した使い方をしている。それが、デジタルカメラの特性を活かした「メモ用途」である。いや、「メモ用途」などと呼ぶと粗末な用途に聞こえるため、「資料収集用途」とすべきか。 特に、博物館での展示品撮影では、デジタルカメラならではの特性として「撮影枚数の多さ」、「低照度でのノンストロボ撮影」、「カラーバランスの融通性」、「高画素」が用途にピッタリと言える。 ただ、我輩のカメラ「D200」では画素数が今ひとつ足らなかった。先日「国立歴史民俗博物館(れきはく)」を訪れ、展示物のうち興味あるものを「Nikon D200」で撮影していったのだが、やはり約1,000万画素の解像度では少し無理があると言わざるを得ない。主に、展示物全体を撮ると、解説の文字が読めなくなることが多い。仕方無いので解説は別撮りするしかなかった。 こういう用途には、せめて2,000〜3,000万画素は必要か・・・。 展示品を1,000万画素で撮影した写真(全体縮小) <<画像ファイルあり>> [国立歴史民俗博物館] 上の写真の元画像から緑枠内を切り出し、2倍に拡大したもの <<画像ファイルあり>> [国立歴史民俗博物館] もちろん、我輩にはこれらの写真を全てプリントするという発想は無い。 ましてや全紙に伸ばすなどとは。 ネガ派の人間は、古い概念の呪縛から脱却出来ず、いまだにネガフィルムを使っている感覚なのだろう。そこには、まさに冒頭に書いたような、ケータイから年賀状を印刷しているような割り切れなさを感ずる。 完全にデジタルカメラに移行してバリバリに使いこなしているはずの人間がプリントという形態に縛られ画素数の多さに辟易している一方で、いまだにフィルムを使っている我輩のほうがデジタルカメラの進化に順応し、そして更なる進化を望んでいるというのも皮肉な話。 いくら撮影機材をデジタル化したところで、肝心の人間の側の概念がデジタル化されていなければ意味が無かろう。デジタルカメラは新しい時代の道具であるから、従来の使い方そのままに置き換えようとしても、新しい道具に振り回されるのがオチ。 こんな者たちにフィルム文化を浸食されているのかと思うと、我輩は複雑な心境になってくる・・・。 (参考1) 先日、ソニーが裏面照射型CMOSセンサーを実用化したというニュースを知った。これにより、基本感度が2倍にアップし、しかも周辺光量のケラレの問題も軽減することになるらしい。そうなると画素数増加によるノイズの問題も改善されることになる。ノイズを嫌って高画素化を否定する根拠はいずれ無くなるであろう。 (参考2) 今後カメラの高画素化によって、画質がレンズの分解能に左右されるようになることを考え、我輩は先日、高性能な「AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED」を導入した。 当然ながら、「国立歴史民俗博物館(れきはく)」での撮影は、このレンズにて撮影したものである。今後、更なる高画素カメラを導入した際、それにふさわしい映像をCMOS上に投影してくれることを期待している。 (参考3) デジタルプリントサービスは、現状では300dpi程度しか無いが、これはあまりにも人間の目を軽視した仕様である。写真館で撮られた少し前の大判写真プリントを見てみると、デジタルプリントとは比較にならぬほどの緻密感を持っていることに気付くはず。そもそも300dpiというのは、一般印刷の入稿データのレベルである。一般印刷のクオリティは網点を見れば分かる通り非常に粗いものだ。それに使われるデータであるから、300dpiのプリントなど画質を語るべきものではない。 (関連雑文) 雑文404「動的な映像活用」 ---------------------------------------------------- [647] 2009年01月29日(木)「中古買取り価格」 去年の春頃、車を買い替えようとヤナセに下取り査定を依頼したことがある。 3年前に88万円で買った「メルセデスベンツW202(C200)」であったが、現車を見ることもなく査定額5万円を提示された。 確かに10年モノだけにそれほど高くはないとは予想していたものの、ここまで安いとショックを受ける。 インターネットで情報収集したところ、もはやこの車種の査定額はゼロに近いという。 少しでも高くならないかという気持ちで全国チェーンの中古屋「ガリバー」へ持って行ったところ、それでも8万円という値段であった。 「カメラの買取価格と間違えてないか・・・?!」 店長の話によれば、商品回転率の高い軽自動車なら在庫があればすぐ売れるため値段を付け易いが、そうでないものは売りにくく値段も渋くなるのは仕方ないことだという。 ガリバーで査定中のW202 <<画像ファイルあり>> やはり中古というのはモノの価値というよりも、需要と供給のバランスで決まるもの。 我輩は改めてそのことを思い知らされた・・・。 さて先日1月18日、フルサイズデジタル一眼レフカメラ「Nikon D700」の3万円キャッシュバックキャンペーン期間が終了した。 当然ながら、2,000万画素以上を切望する我輩は購入していない。しかし、D700がフルサイズカメラだということから、このキャンペーン期間中は精神的にも揺り動かされた。 しかしそんな我輩を押しとどめたのが、我輩の強固な意思でも何でもなく、単なる金策の問題であった。 我輩は、気の迷いから「Nikon D700」と各種レンズの購入用として「Nikon F3H」を査定に出すことにした。 その結果、店によって差があるが25〜40万円の額が提示された。 我輩が購入当時は70万円近い額、そしてその後、相場が100万円にもなったこともある「Nikon F3H」だったが、フィルムカメラの暴落と昨今の大不況のためにここまで値が落ちてしまったか。 我輩は、一番高価な値を付けてくれた「チャンプ」に買い取ってもらおうかと考えたが、我輩の写真人生の原点となるF3の特別バージョンを40万円で手放すことについては、かなりの葛藤があり苦しんだ。 そして3ヶ月後、ようやく心を決め「チャンプ」に買取り依頼の電話をした。 「さらば・・・F3Hよ・・・。」 <Nikon F3H> <<画像ファイルあり>> ところが「チャンプ」からは、「今はもうF3Hの買取りはやってないんですよ」と言われてしまった。 ここ最近は高額商品が動かなくなったため、これ以上「F3H」の在庫を増やせないとのことである。現状としては、売ろうと思っても売れないのだ。 結果、我輩は「F3H」を売らずに済んだ。 これは、心の迷いの生じた我輩に対する神の思し召しであると解釈したい。 中古というのはモノの価値というよりも、需要と供給のバランスで決まる。 いくら我輩が「F3H」に価値を認めていたとしても、無意味なのだ。 ただ逆に言えば、世間的に価値が認められなくとも、我輩自身が価値を認めるのならばそれで完結する話。 今回、売れなくて残念という気持ちは確かにあるが、これは、自分の計画通りに事が進まなかったことに対する気持ちであり、F3Hが手元に残ったことについてはそれなりに安堵感があった。 ---------------------------------------------------- [648] 2009年02月09日(月)「資料収集用途のレンズ」 先日手に入れた超広角ズームレンズ「AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED」。 このレンズはGタイプレンズのため絞り環が無く、ボディ側から絞りをコントロール出来ないカメラボディでは使えない。 またさらにAF-Sレンズということで、レンズ内モーターでのAFが可能なカメラボディでなければAFは出来ない。 つまり我輩の現状では、このレンズはデジタル一眼レフカメラ「D200」でしか使えないということである。「F3」などのAiタイプのフィルムカメラではMFでの使用であっても使えないレンズなのだ。 <AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED> <<画像ファイルあり>> 以前、同じくGタイプでAF-Sの「AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF)」を導入しているが(参考:雑文614「2本のAFレンズの購入」)、こちらはよくある望遠ズーム域で、しかも6万円前後と比較的安価なことから、思い切って「D200」専用とすることにした。 ところが今回の14-24mmレンズは15万円ほどの高価なレンズであり、焦点距離も我輩の機材の中では例を見ないもの。そんな主力級レンズを、たかだか1,000万画素程度でしかもAPSサイズの「D200」専用とするのはかなり贅沢な話と言える。 しかし、我輩はこの14-24mmレンズを明確な目的のために導入した。 それは「資料収集用途(メモ用途)」である。 デジタルカメラは導入コストが高いものの、いったん導入してしまうとランニングコストが低く資料収集用途には最適となる。 (※逆に言えば、いったんデジタルカメラ機材を導入したならば、1カットあたりの単価を下げるために枚数を多く撮ることが宿命となる。) 資料収集用途としては、前回の雑文でも触れたが、「博物館展示物撮影」などは大きな役割を持つ。 何しろ、国立博物館のような大規模な展示では、その場で全てを見て理解することはまず不可能。後半になると疲労も重なり、目で見ても見えていない状態にもなる。 そんな時、デジタルカメラで撮影したものを家に帰ってからジックリと時間をかけて見ることが出来れば非常に有用である。 (※この用途については、デジタルカメラの黎明期では考えられぬことであった。何しろ当時はメモリカードも低容量で画素数もビデオカメラ並みと、単に「即時性」というだけがウリの代物だった。) 前回は千葉県の「国立歴史民俗博物館(れきはく)」にて撮影したが、今度は上野公園にある「国立科学博物館(かはく)」にて撮影した。そこでは展示物の性格上、見上げるような被写体が多く、超広角レンズの画角の広さが大いに役立った。しかも歪みが少なく不自然にならないのが資料収集用として素晴らしい。 また当日は特別展「1970年 大阪万博の奇跡」が開かれており、ジオラマやパネルの展示なども多く、このレンズの特性が大いに役立った。 ジオラマでは、広角レンズにて接近して撮影するのがリアルに見せるためのコツである。そういう意味では14mmの効果は絶大。 <ジオラマ撮影> <<画像ファイルあり>> [AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED/国立科学博物館] またパネルの撮影では、近距離で全体を歪み無く撮影出来るレンズが不可欠となる。我輩一人ではないのだから、距離を空けると間に人が入ってくるためだ。だから、肉眼ですら全体を見渡すのが難しい距離でも撮影出来るこのレンズはスゴイ。 また展示位置の関係で斜めからパネルを撮らねばならぬこともあるが、並のズームレンズならばこういう場合、四隅を合わせても湾曲収差のため四辺が膨らむかヘコむかして真っ直ぐな線にはならないのが普通。しかしこのレンズは湾曲収差が目立たず線がまっすぐに写り、単純な画像処理のみで正面の状態に変形させることが出来る。 もちろん中央部のAPSサイズの範囲に限定したものであるため、フルサイズでの周辺部まで含めた評価ではないが、それでも手元の標準ズーム「AF-S NIKKOR F18-70mm 3.5-4.5G」と比較するとその違いは一目瞭然で、感動にも値する。この点は、資料撮影用途としてかなり有用と言える。 さすがにこのパネルは正面からは撮れない <<画像ファイルあり>> [AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED/国立科学博物館] 元画像 <<画像ファイルあり>> −> 画像補整を加えたもの <<画像ファイルあり>> [AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED/国立科学博物館] そもそも開放F値が2.8と明るく、暗い展示の多い博物館では重宝するし、開放でも描写が甘くないのが嬉しい。 そうなると、やはりネックは「D200」の画素数の少なさ・・・。 もちろん、いずれはフルサイズの2,000万画素以上のカメラを買うつもりであるのだが、ただそれにしても、我輩が求めるフルサイズデジタルカメラがいつ発売されるのかは分からない。 根拠の無い予想だが、少なくともあと半年は先になるという気がする。そしてそこから価格が落ち着くには更に半年かかるであろうから、結局のところ、1年は先になろうかと思う。 さすがに1年間我慢するのはツライので、せめてフルサイズでの画角の広さを実感するためにフィルムで撮影してみようかと思う。 もちろん手元の「F3」では撮影不可能なことから、Gレンズが使えるフィルムカメラを中古で探してみた。レンズ内蔵モーターでもAF可能なF80あたりを検索してみるか。 しかしF80での中古最低価格は6,000円程度。「試しでフルサイズを使いたい」というオモチャ感覚の動機だけで買うには少し高く感ずる。 もっと安いものは無いかとさらに検索を続けていたところ、なんと2,100円の「Nikon U」が三宝カメラにあった。フィルム2本買って現像に出す程度の値段。 この値段なら、遊び用途で買うには良かろう。 手元に届いたこの「Nikon U」、中古とは言ってもほとんど使用感が無く、箱と取扱説明書が無いことを除けば新品と言っても分からないほど。これが2,100円というのは驚きに値する(新品時の定価は64,050円)。我輩が購入時点で、同じ値段の「Nikon U」があと2台もあった。 あらためてフィルムカメラの暴落を実感させられた。 <2,100円のNikon Uと14-24mmレンズ> <<画像ファイルあり>> 取扱説明書が無いため色々といじってみたところ、なんと、このクラスのカメラとしては珍しい段階露出機能やプレビュー機能もあるようだ。ビギナー向けのカメラとは言え、案外真面目に作られたカメラのように思う。「Nikon U」は現役当時はノーマークだったため、このことは意外だった。 重量は非常に軽く、14-24mmレンズを装着してもレンズだけの重量しか感じない。 ただ、さすがにファインダーは小さく見える。比較すると、フルサイズでありながらAPSサイズの「D200」と同じくらいに感ずる。 だがそれでも14-24mmレンズの広々とした視野に目が覚める。試しに、自家現像で結果がすぐに判るモノクロで撮影してみた。 使ったフィルムは、10年くらい前に消費期限の切れたKodak T-MAX400。レンズの画角と周辺部の描写を確認出来ればと思ったので敢えて使った。 現像してみると、10年前のフィルムでも特に問題無く画像が現れたので結果オーライというところ。 <Nikon Uでの14-24mmレンズ撮影(14mm側)> <<画像ファイルあり>> [Kodak T-MAX400] 問題の描写については、とにかく画角の広さが尋常ではないと表現するに尽きる。 ほとんど引きの無い狭い車庫の中で、鼻先にある自動車が1フレームに収まった。フィルムスキャナで取り込んだために周辺部が微妙に流れているのだが、ネガをルーペで確認すると流れは全く無かった。 これまで魚眼写真などは撮ったことはあったが、それは構図としては正方形的であった。ところが今回のレンズは、遠近感に起因する歪みはあるとはいえ収差による歪みはほとんど目立たず直線が直線として写っている。四角いフレームいっぱいに広がる広角映像で、決してワイドと言えるような縦横比ではないはずなのに横に広がるワイド感を非常に大きく感ずる。 さすがはフルサイズ。 そうなると、2,000万画素の新製品を待たずにフルサイズ「D700」を購入したい衝動に駆られる。しかしそれでは、死ぬ気でこのレンズを買った意味が無い。資料収集用途のこのレンズには、2,000万画素以上のデジタルカメラがよく似合う。 ところで、ナノクリスタルコートということで逆光での強さを謳っているが、驚くことに、今まで「D200」に付けっぱなしで使っていた標準ズーム「AF-S NIKKOR 18-70mm 3.5-4.5G ED」と撮り比べてみてもゴーストの出方には差が感じられない。さすがに直射日光のような強い光源がレンズ面に入ると、いかにナノクリスタルコートであってもゴーストは防げないということだろう。 むしろ、逆に言うと18-70mmのほうがスゴイと言うべきか・・・。 <ナノクリスタルだろうが逆光では普通にゴーストが出る> <<画像ファイルあり>> [AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED] ---------------------------------------------------- [649] 2009年02月09日(月)「画像ファイル管理」 最近、職場のサーバでハードディスククラッシュが起きた。 一応、ミラーリングしているのだが、年末の出来事だったためかサーバ管理者が年明けに問題を持ち越してしまい、気が付くと連鎖的にハードディスクが複数クラッシュしてしまった。 メーカーの技術者には「1基ずつハードディスク交換してRAID再構築しますが、負担がかかってデータが全滅する恐れもあります」という脅しを受けたらしい。最悪の場合、2日前のバックアップ状態に戻ってしまう。 しかし幸運なことにハードディスク交換とRAID再構築は無事に済み、データも最新の状態が保たれた。 今回のような事件は、個人レベルではたまに経験する(参考:雑文469「それでもデジタルカメラ」)。 その度に貴重なデータを失い、そしてまめなバックアップの必然性を痛感することになる。 以前は「DVD-RAM」や「DVD-R」をバックアップ用としていた。 「DVD-RAM」では、その都度ファイルを自由に追加出来るものの日々の煩雑なバックアップには速度が遅過ぎ、かと言って「DVD-R」では、一気書きが基本のため容量調整(4GBで一区切りにまとめること)と画像レタッチ(書込み後はレタッチ出来ないので書込む前にレタッチが必要)が面倒である。 ふと見ると、日々データが増えているデジタルカメラの画像がしばらくの間バックアップされぬままであった。 もしこの状態のままハードディスクがクラッシュすると、これまでの画像が一瞬で消滅してしまう。ハードディスクが健康な今のうちに何とかせねば。 まず考えたのはDVD-Rへの退避であるが、最近の1,000万画素の大きなデータと、大容量メモリカードに依存したカット数の増大により、例えば帰省写真などのひとまとまりのイベントが1枚のディスクに収まらず2枚に分割されてしまうことが判明。これでは整理しづらく利用も面倒になる。 そこで思い切って、ブルーレイディスクを導入することにした。 まだまだ高価な印象のあるブルーレイであるが、増える一方の画像データを保管するには、もはやブルーレイ無しでは考えられまい。 インターネットでドライブとディスクをそれぞれ最安値の店を探して別々に買おうかとも思ったが、送料や納期のことを考えるとあまりメリットも無く、結局は近所の電器量販店でドライブを1万7千円、50GBの書換可能ディスク(BD-RE)5枚組みを5千円弱で購入した。 <購入したブルーレイディスクドライブ> <<画像ファイルあり>> 早速バックアップを始めようと思うが、この機会に、過去にCD-RやDVD-Rにバックアップしたものも統合して改めてバックアップしようかと思う。 というのも、過去10数年に渡るデジタルカメラのデータのファイル管理は統一されておらず、しかも数十枚のディスクに分散してしまっているからだ。もしこれがほんの数枚に統合されれば利用もし易くなるし、資料画像を活用することによって我輩の知恵も向上するかも知れぬ。同じ情報であっても、整理されぬ情報は死んだ情報でしかない。 さて、上記の管理法を過去のバックアップディスクについても反映させるため、あらためて画像データを1ヶ所に集めて整理しなおすことにする。 我輩のバックアップとしての最古の光メディアはもはや10年を越えているためか、読み込み音が微妙に怪しかったりするが(ピックアップのヘッドが行ったり来たりしているようなサーボ音が続いたりする)、何とか数時間かけてハードディスクに全データをコピーすることに成功。 50GBものデータ量を単位として整理しているのであるから、作業としてはそれなりに大変ではある。だがこの作業を通して、我輩がこれまで行ったデジタルカメラ画像の整理についての歴史を改めて思い出すことになった。 そのことついて、下記にまとめてみることにした。 ************** 我輩最古のデジタル画像は1995年頃のようだ。ビデオカメラの画像からパソコンへキャプチャしたものである。 その後、スチル専用としてのデジタルカメラの導入により、1998年頃から画像が増えている。 ただそれでも今と比べれば格段に数が少なく、少ないフォルダには「帰省」や「自宅雪風景」などと名前が付けられ、イベント(出来事)ごとに括られていることが多い。 たいていの場合は同じ日に撮った画像が多いが、同じようなイベントが日を分けて発生したり、同日に複数のイベントが起きたりする場合もある。例えば、2001年初頭は千葉県にしては珍しく雪が降る日が散発的にあったようで、同じフォルダに複数の日付の画像ファイルが入っていた。 ファイル名には、カメラが付ける「無意味な文字+連番」が入っているが、イベントごとに分けると連番が欠けたりすることから、あらためて「イベント名+連番」として附番し直した。 ちなみに、初期の頃はJPEG形式の将来性を信用しておらず、普遍的だと判断したBMP形式に変換して保存していた。何しろ、MS-DOS時代に使っていた「mag」形式や「zim」形式、そしてデジタルブック用に作ったRGBベタ画像が廃れてしまった苦い思い出があるから無理もない。当時はJPEG形式などそれこそ数年で廃れると思っていたからな。 ただしBMP形式では、当然ながらExif情報は保存されない。当時はExif情報など意識していなかったのだ。 <1998年帰省>− 帰省001.bmp 帰省002.bmp 帰省003.bmp 帰省004.bmp <自宅雪風景>− 雪001.bmp 雪002.bmp それから数年経つとJPEG形式での保存が多くなるのだが、これはピクセル数及び撮影枚数の増大が影響している。ただしExif情報については、縦位置回転したものについては欠如していた。 その後はデジタルカメラを買い換えるなどして過去の画像と区別を付けるためにカメラごとにデータを括り始めた。以降、現在までデジタルカメラの買い替えはコンスタントに続き、カメラごとの括りはごく最近まで続くことになる。 また、2001年には一眼レフを導入。同時にコンパクトフラッシュ型のHDD「マイクロドライブ」340MBを使い始めたことにより、一眼レフの速写性能と相まって撮影枚数が飛躍的に増えた。そのため整理が追い付かず、カメラごとの括りの中でそれぞれ時系列フォルダにて管理し始めた。時系列フォルダ管理だと、どこにどんな画像があるかを探すのが面倒かと思うが、機械的な単純作業で整理出来るのが良い。 しばらくしてファイル名そのものについても、リネームソフトで「年月日+連番」の書式に変更するようになった。 <EOS_D30>− <20010911>− 20010911_001.jpg 20010911_002.jpg 20010911_003.jpg 20010911_004.jpg <20010918>− 20010918_001.jpg 20010918_002.jpg <C2020Z>− <20010911>− 20010911_001.jpg 20010911_002.jpg 20010911_003.jpg <20010918>− 20010918_001.jpg しかし画像ファイルを単独利用すると連番の意味が無いことに気付いた。連番は他のファイルと並んでこそ意味を為す。 また、同じ日に別のカメラで撮影した場合、同じ名前のファイルが複数存在することになる。 そこで、「年月日」だけでなく「時分秒」まで加えるとにした。これならば他ファイルと並んでも順列を保てるし、単独利用でも意味を持つことになる。 しかし「20010120133250.jpg」などと長過ぎて見づらいため、アンダーバーを入れて「2001_01_20_13_32_50.jpg」などと区切ることにした。 この管理方法は、つい最近まで行っていたものである。 <EOS_D30>− <20010911>− 2001_09_11_10_12_35.jpg 2001_09_11_10_12_42.jpg 2001_09_11_10_13_21.jpg 2001_09_11_10_14_11.jpg <20010918>− 2001_09_18_07_21_44.jpg 2001_09_18_07_26_34.jpg <C2020Z>− <20010911>− 2001_09_11_18_01_25.jpg 2001_09_11_18_02_43.jpg 2001_09_11_18_05_51.jpg <20010918>− 2001_09_18_22_41_10.jpg さて、歴代デジタルカメラの数が増えてくると、カメラごとの括りが混乱を招くようになってきた。あるカメラでの画像を探していたが見付からず、別のカメラで探してみるというような手間が多いのである。 その一方で、時系列での保存が意外にも良いインデックスであると最近になってから感ずるようにもなった。 そこで、カメラごとの括りを取り払い、一括して時系列管理にすることにした。そうなると、複数カメラでの画像が同一フォルダ内に混在するため、ファイル名にカメラ名を加えるようにもした。 これが現時点での管理方法となっている。 <2004>− <20040101>− 2004_01_01_15_23_36(EOS_D30).jpg 2004_01_01_15_42_20(EOS_D30).jpg 2004_01_01_18_16_21(C2020Z).jpg 2004_01_01_20_22_54(C2020Z).jpg <20040102>− 2004_01_02_11_34_21(1)(EOS_D30).jpg 2004_01_02_11_34_21(2)(EOS_D30).jpg 基本的に我輩の整理思想として、「ファイル名に必要な情報を詰め込み、フォルダ階層で整理をする」ということになる。 もちろん、画像データにはExif情報として撮影日時だけでなくもっと詳しい内容が記述されているが、縦横変更などのレタッチで上書きするとExif情報が抜け落ちることもあるため、Exif情報はあてにせずファイル名に最低限の情報を定着させておくほうが安心出来る。 ただしこれとは別に、「登山」や「物撮り」などの分野別写真、そして「博物館展示撮影」や「書籍複写」などの資料写真は時系列にするメリットが無いため、個別整理としている。 特に資料写真は、例えば「化石」−「節足動物」−「ウミサソリ」などと体系化させたほうが探すのが容易になるし、似たような情報が集まり新しい智見(ちけん)を得るきっかけとなる。 これについては無制限に分類分けする必要は無く、特に関心のある分野のみ分ければ良い。先の例で言えば、我輩は「ウミサソリ」に特別な関心を持っているから分類しているだけであって、それ以外の節足動物の化石については「節足動物」のフォルダ直下に置いている。そういう意味では、体系化すると言うより、似たものを集めてグループ化するという発想に近い。 <化石>− <節足動物>− <ウミサソリ>− 2008_01_07_21_55_45(D200).jpg 2008_01_07_21_55_45(D200).jpg 2008_01_07_21_55_45(D200).jpg 2007_11_23_18_16_21(P5100).jpg 2008_07_08_15_42_20(D200).jpg 2004_01_01_20_22_54(P5100).jpg <恐竜>− 2006_10_12_11_34_21(D200).jpg 2008_01_07_21_55_45(D200).jpg <民俗資料>− <印刷の歴史>− 2006_01_07_52_15_45(D200).jpg 2007_12_05_42_42_32(D200).jpg 2008_07_21_25_22_12(D200).jpg <ジオラマ>− 2007_11_23_18_16_21(D200).jpg 2008_07_08_15_42_20(D200).jpg 2009_01_01_20_22_54(D200).jpg <文字の歴史>− 2006_10_12_11_34_21(D200).jpg 2008_01_07_21_55_45(D200).jpg まず大分類として博物館ごとに括ろうかとも思ったが、それぞれに同じ下位分類が出来てしまうのは明らかで、結局はムダが多いのでやめた。 そもそも展示場所などは重要でなく、内容そのものが重要である。もし展示場所が知りたければ、日付を手掛かりにすれば分かること。手間がかかるとは言え、「調べようと思えば調べられる」という程度であればそれでいい。 ************** 以上が、我輩におけるデジタルカメラ画像の整理についての歴史だったが、今のパソコン環境で画像をチェックすると、「昔の画像はサイズが小さいな」とあらためて思った。これでは今さら使おうと思ったとしても用途は限られる。 しかし当時はそれほど小さく思わなかったのは、当時使っていたディスプレイの解像度が800x600ドット(SVGA)や1024x768ドット(XGA)だったためである。 現在では「デジカメ画像を等倍"拡大"して見るのは重箱の隅をつつくことだ」とすら言われているが、古来前世紀よりデジタルカメラを使ってきた者にとって等倍表示での鑑賞はごく自然なことであり、ここ数年デジタルカメラを使い始めたような若造には到底理解出来ぬことであろう。 ちなみに、200万画素の「OLYMPUS C700UZ」で撮影した画像も出てきたが、帰省時に大量に撮影したものについてはメモリカードの容量の問題のためかVGA(640x480)で撮影していた。今となっては拡大表示せねば閲覧しづらいほど。露出計用途としての副産物であるから今さら利用価値は無いが、撮影の裏側が見えるようで面白さはある。 さすがに一眼レフタイプを使うようになってから最大解像度での撮影は当たり前となった。メモリカードの容量も年々増大し、今では4GBの大容量を使うほど。 一時期RAW形式の撮影を試したこともあったが、大量に撮影した時などは容量が膨大になり、また個別調整と現像処理に時間が延々とかかることから、早々に見切りをつけてJPEG撮影に戻った。本気の撮影は銀塩リバーサルであるから、デジタルのほうで時間を浪費するなどという人生の無駄遣いをしたくはない。 さて最後に、バックアップしたブルーレイディスクについてだが、1995年から2008年までのデジタルカメラ画像のデータ全体では80GB。ブルーレイディスク2枚に収まった。 ちなみに45GBのデータを焼いた際、2倍速ディスクへの書込みで3時間半かかってしまった。 ---------------------------------------------------- [650] 2009年02月10日(火)「人類の存在する意味(我輩の為すべきこと)」 9年前、我輩は「人類の存在する意味」という雑文を書いた。 今回、それに続くものを書こうと思う。 人類に意識が芽生えたのはいつ頃のことかは知らないが、少なくとも大脳が十分に発達し抽象的な事柄を考えられるようになった頃だと推測する。 その時、あらためて辺りを見渡したその人間は、そこに世界が存在しているのを見ただろう。 「広くて多様で美しいこの世界は誰が作ったんだ?」 自分の両手をジッと見ただろう。 「器用に動くこの手は誰が作ったんだ?」 自分自身を考えたろう。 「今ここにいる自分とはいったい何だ?どこから来たんだ?誰が何のために作ったんだ・・・?」 自分という存在は親から生まれ出たことには間違いは無い。しかし親が子供を作るとは言っても、人間の身体の仕組みを熟知して手先でせっせと作り込んでいくわけではない。親は受精というきっかけを与えただけで、いつの間にか自然に人間の身体は出来上がる。 そもそも、正確に言えば母親側が胎児の身体を造っているわけではなく、受精卵となった瞬間から、胎児自らが自分の身体を造り上げているのである。母親は栄養を送ったり外力から守ったりしてサポートしているに過ぎない。 さらに細胞レベルで言えば、親子の関係というのは表面上だけの概念であり、細胞という生命が連続して生き続けているとも言える。つまり、人間の概念としては子供というのは新しい生命という印象を受けるが、本当は多細胞組織の構成を文字通り1から組み直しているだけであって、細胞そのものは数億年もの昔からずっと存在し続けているのだ。 そこから踏み込んで遺伝子レベルで考えると、生命の歴史というのは、遺伝子が生き残る道筋を伸ばしていることだと言えるかも知れない(参考:リチャード・ドーキンスの著書「利己的な遺伝子」)。 細胞にせよ遺伝子にせよ、結局は「その仕組みは誰が何のために造ったのか」という疑問は消えない。 遺伝子の存在目的は、細胞の存在目的へ、そして人類としての種の存在目的へ、さらには我々個人の存在目的へと繋がるものである。それらのどこに理由を求めたとしても、本当の理由とはならない。 (上記は、例えば生物の存在理由を「遺伝子の生き残りゲームに使う乗り物だ」と結論付けたとしても、それは遺伝子の存在理由の問題に移るだけであり、そもそもの存在意義の答になっていない・・・という意味) 現在の科学的通説では、地球上で数十億年前に"偶然に"生命が発生し、そして進化が"偶然に"始まり、そのうち複雑な情報処理をする神経構造が"偶然に"造られ、最終的には自分を意識する自我が"偶然に"生まれたとされるが、もしそれが本当ならば驚きであるし、もしそうではなく必然として造り上げられた仕組みだとしたらそれもまた驚きだ。 (「必然」という意味は、神の存在を認めるということではなく、自然法則そのものに生命を造る仕組みが備わっており何度宇宙をリセットしても必ず生命を造ってしまうという説) 我輩は興味本位で動く人間だが、自分が知りたいものを突き詰めて行くと、「自分自身とは何か?どこから来てどこへ行くのか?」という大きな興味に対する答を探しているのに気付く。 我輩が博物館に好んで行くのも、大きな興味に対する答を求めるために、過去を知り、現在を知り、未来を知ろうとするためではないかという気もしてくる(もちろんその場で全てを吸収することは不可能なため、写真の力を借りて資料収集することになるわけだが)。 我々の生きている"今"という時代は、過去の歴史を受け継いだ"結果"であることは間違いない。例えば、現代の科学技術や思想や政治体制、あるいは国境線の形なども、何も無い状態からいきなり現状のものが現れたわけではない。そこに至るまでの様々な経緯が、つまり歴史(ルーツ)があった。 我々個人個人の存在も、先祖からの長い歴史の積み重ねの上に立っている。「目元が祖父に似ている」などという短い間のルーツはもとより、「人間の歯は魚類のウロコに起源を持つ」などの長い間のルーツもある。 自分が何者なのかという答に近付くには、過去を知ることは欠かせぬ。 (もちろん科学的定説は新たな研究により覆ることも多いが、真実に近付くためには、そのような科学の自己修正を受け入れるべきである。歴史学はその点で遅れている面もあるが、立場や戦争感情に囚われず真実を読み取ろうとする姿勢は欲しい。なお、自己修正の概念が全く無い宗教については最初から何も期待しない。) また同様に、我々が何のために存在するのかという目的について未来へ目を向けるには、まず現在を知ることが欠かせない。未来というのは現在の延長上にあり、現在の自分たちの行動が未来の姿を造ることになるからだ。 さて、これまでの博物館巡りでふと思ったのだが、貴重な資料や興味深い資料の中には、当時としては何の変哲も無い、珍しくもないものも多い。 それを考えると、我々の生活の中でも別に珍しくないというものを敢えて保存することは意味があるに違いない。 例えば、交差点を写した写真があるとする。こんな写真は別に珍しくも何とも無い。しかし100年後、出版物に掲載されるほどの資料となるのは確実。何しろ、100年後になれば電球式の信号機は無くなるであろうし、町並みも全く変わっているはず。そもそも未来ではクラシックカーとされる車が、写真の中では現役として走っているのだ。 (参考:雑文487「写真の価値」) 我輩は昔から伝わる資料として「地史」、「化石」、「民俗資料」、「骨董」、「古写真」等々を見て感銘を受けるが、自分が情報資産を受ける側としてで終わらず、後世に何かを遺したいとも思う。いや、そこまでの使命感は無くとも、どうせ好きでやっている趣味の写真については、出来れば我輩の撮影した写真が永く遺ってくれることを望む。 物理的な存在として遺ることはもちろん、デコード無しにそのまま閲覧出来る形態については絶対条件である。 我輩が現在本気で撮っている写真(つまりリバーサル写真)は、「豚児写真」、「火山・石灰岩地形写真」、「駅舎写真(駅鉄)」等であるが、これらはいずれも後世にとっては貴重な資料となる。 「他はともかく、子供の写真など貴重な資料か?」と感ずる者もいるだろうが、豚児自身が成人した時には自分のルーツを考えるのにも役立つであろうし、その先の子孫も同様に思うであろうし、もし100年後にも遺った場合には博物館級の資料となるのは間違いない。それは、当時としては普通の子供を撮った写真であるからこそ貴重な資料となるのだ。背景をボカさず写せば、さらに貴重な情報が込められるだろう。 このようにして遺った資料を頼りにして、我輩の世代では辿りつかぬ答に後世が辿り付けることを願おう。 人間誰しも、いつかはこの世界から退場する。 その時には存在がただ消滅してしまうのか、あるいは別の次元世界に移行するのかは知らないが、自分がこの時代にいるうちに何かを遺せれば、少しは自分が存在したことの意味を自分自身で創ることが出来よう。 自分という存在がこの世界から消滅しようとも、この世界は存在し続けるであろう。自分が生まれる前にも存在していたのと同じように。 リバーサル写真がデジタル写真よりも永く遺るのかどうか、たとえ遺ったとしても、それらの写真が日の目を見るのかどうかは分からぬ。 それでも我輩は、自分の信じた道を行くしかない。もしデジタルのほうが永く遺ったとしたら、その時は別の者が撮影したデジタル写真が貴重な資料になってくれるだろう。 ただ、もしリバーサルのほうが永く遺るという結果になったとしたら、デジタル一辺倒の現状を考えると、写真分野に於いて後世には我輩の撮った写真しか伝えられぬということが唯一の心残り・・・。 ---------------------------------------------------- ダイヤル式カメラを使いなサイ! http://cam2.sakura.ne.jp/