「カメラ雑文」一気読みテキストファイル[551]〜[600] テキスト形式のファイルのため、ブラウザで表示させると 改行されず、画像も表示されない。いったん自分のローカ ルディスクに保存(対象をファイルに保存)した後、あら ためて使い慣れているテキストエディタで開くとよい。 ちなみに、ウィンドウズ添付のメモ帳ごときでは、ファイ ルが大きすぎて開けないだろう。 ---------------------------------------------------- [551] 「3歳の記憶」 [552] 「ダイヤルの必然性」 [553] 「少数派の苦労」 [554] 「過去の概念による呪縛」 [555] 「共通一次試験」 [556] 「天文分野」 [557] 「次のデジタルカメラ2006(検討段階)」 [558] 「次のデジタルカメラ2006(購入)」 [559] 「スクロール鑑賞のすすめ」 [560] 「デジカメ=デジカム」 [561] 「燃費」 [562] 「デートスタンプ」 [563] 「自己満足」 [564] 「辞書」 [565] 「月のライティング」 [566] 「ビルオーナーの気持ち」 [567] 「あぶくま洞」 [568] 「兵糧責めへの備え」 [569] 「最高速度」 [570] 「草津旅行」 [571] 「目標のために」 [572] 「折りたたみ自転車」 [573] 「撮影依頼」 [574] 「Nikon D200」 [575] 「お見合いマッチング」 [576] 「実戦投入」 [577] 「適材適所」 [578] 「SONY α-100」 [579] 「バカにしていた」 [580] 「夏の帰省2006(その1)」 [581] 「夏の帰省2006(その2)」 [582] 「小さなCCDで撮影するということ」 [583] 「クライシス」 [584] 「学校の勉強」 [585] 「蔵王のお釜(7)」 [586] 「自分のため」 [587] 「自分のため(2)」 [588] 「自分のため(3)」 [589] 「政治的意図」 [590] 「体内に抱えたガン」 [591] 「スキャンしないスキャナ(2)」 [592] 「時代は変わった」 [593] 「末永く愛用する道具」 [594] 「いくらなんでも」 [595] 「最後の216枚」 [596] 「甲府UFO事件」 [597] 「縦列駐車」 [598] 「双方のメンツ」 [599] 「デジタルカメラを進化させろ」 [600] 「ゴールデンウィーク独り旅」 ---------------------------------------------------- [551] 2005年09月21日(水) 「3歳の記憶」 豚児は現在3歳。 写真を撮ろうとカメラを構えると、3本指を出して「3歳っ!」と勝ち誇ったように言う。 豚児の祖母(我輩の母親)がピースサインをして写っている記念写真を見ると、「ばーちゃんは、2歳!」と言う。やはりまだ子供だな。こういうエピソードを後々話して聞かせるとどんな反応を示すだろうか。 3歳の時のことなど、大人になっても覚えているはずもないか。 ところで先日、雑文549「夏の帰省2005」にて九州の実家に帰省したことを書いたが、その時に実家で昔のアルバムを何冊か見た。 ほとんどがモノクロ写真であり、祖父母の若い頃の写真など古いものは印画紙の銀が吹いて金属色に輝いているものもあった。 その中に、我輩が3歳頃の写真があるのを見付けた。 神社の境内で、オモチャの屋台で買ってもらった円盤銃(円盤状の弾を連続して撃ち出す玩具銃)を構えた写真である。 この写真を見るのは、何十年ぶりだろうか。本当に久しぶりに見る写真だったが、我輩の持っている記憶とほとんど違いが無いように思われた。 これは、時々目にする写真ではなかったため、雑文352「記憶のインデックス」で書いたような、写真を見る度に薄れかけた記憶が強化され固定される"インデックス効果"は期待出来ない。つまり、その時の記憶は我輩が写真とは別個に持っていたものと思われる。 その時の記憶は、今でも非常に鮮明なビジョンとして脳裏に浮かぶ。周辺の風景や神社の様子などのパノラマが我輩の頭の中に広がっている。 神社の境内はとても静かで、そこにはポツンと1つだけ屋台があり、我輩は買ってもらったばかりの円盤銃の黄色い弾を1つ飛ばした。 ただ、写真は屋台が背景に写っているのみで神社周辺が写っておらず、我輩の記憶と照らし合わせる範囲が狭いのが残念であった。 せめて引いて撮っていてくれれば、せめて複数枚撮っていてくれれば、と今になって思うのであった。 まあ、1枚でも無いよりはマシだと納得するしかない・・・。 さて、トンチンカンなことを言う豚児であってももう3歳であるから、断片的とはいえ我輩と同様に鮮明な記憶を残す可能性がある。 そう考えると、今この時代が豚児にとっての懐かしい時代や光景になるのであろうか。 不思議な気がすると同時に、こまめに広い範囲の写真を撮っておかねばなるまいと改めて感じた。 ---------------------------------------------------- [552] 2005年09月27日(火) 「ダイヤルの必然性」 車を運転している時、カーオーディオの音量を変えたい時がある。 走行中の操作は無理であるから信号待ちなどで停車中に操作することになるが、信号のタイミングを気にしているとなかなか操作しづらい。というのも、最近のカーオーディオの音量調整はボタン式で、ピコピコと何度も押したりして手間がかかる。車の前方に気を取られていると焦ってボタンの位置を間違えてしまい、演奏がストップしたりMDやCDがイジェクトされてしまったりすることも珍しくない。 これが、ダイヤル式のボリュームであれば苦労は無いのだが。 今まで我輩は、コンポやラジカセなどのオーディオ関係では、音量調整について幾つかの方式を経験してきた。 先ほど書いたボタン式もあれば、スライドレバー式のものもある。当然、ダイヤル式のものもあった。 その中でも、やはりダイヤル式は使い易い。 ボタン式では、一回押すごとに少しずつしか増減を変えられない。もちろんボタンを押しっぱなしにすることで連続して変えることも可能だが(オートリピート機能)、一発で目的の位置に止めることは不可能である。少しずつ止めて調整しようにも、ボタンを押してしばらく待たねばオートリピート機能が働かないため、タイミングが非常に難しい。 スライドレバー式では、経験者ならば分かると思うが、意外にも微調整は難しい。 レバーをつまんだ指をそのまま上下(機種によっては左右)にスライドさせることになる。移動量やレバーの感触にもよるが、腕全体で動かすと微妙な動きが難しいのだ。ましてやクリックストップが一定間隔にあるタイプであれば、クリックポイントを通過する時のはずみで行き過ぎることもある。 それを防ぐには、手の腹をどこかに当てて固定し、指先だけでレバーを動かすことになる。 ダイヤル式では回転軸が固定しているため、手をどこかに固定する必要は無い。指先だけの操作で微妙な調整が可能である。 キュッと素早く回せばすぐに目的の位置に設定出来、行き過ぎたとしても戻るのも簡単。非常に合理的と言える。 確かに、見た目にはボタン式の操作系は"現代のもの"というイメージがある。それに対してダイヤル式の操作系は"過去のもの"というイメージがある。 それは、テレビ・ラジオや電話など一般家庭で使われている家電製品のイメージが影響しているのだろうか。 テレビ・ラジオは、チャンネルが決まっているため連続調整の必要は無く、また順列を持たせる必要も無いため、プリセットされたボタン操作が最も適している。 電話などは数字を入力するため、ダイヤル入力(パルス入力)はあまりに非効率であり、ボタン操作以外には考えられない。こちらもまた順列は関係ない。 そういうことから、現在では"ボタン式が現代型の証"という認識が広まっているわけである。 しかし繰り返すが、ダイヤル(電子ダイヤルも含め)は順列を持った数値が細かく刻まれたものに対しては非常に有用である。これは時代の新旧などに関わらず、普遍的なものとして認められるべきものである。 我輩は、どこもかしこもダイヤルでなければならないと言っているのではない。必要な場所にダイヤルはあるべきだ、と言いたいだけだ。 ---------------------------------------------------- [553] 2005年09月28日(水) 「少数派の苦労」 以前、雑文393「昔の敵は今日の友(2)」にも書いたことだが、最近は携帯電話(通称"ケータイ")を時計代わりにしている者が多く、腕時計を身に着けない人間も珍しくないようだ。 我輩の場合、携帯電話はヘナチョコ妻と共用しているため、ヘナチョコが携帯電話が必要な日には我輩は持たない。当然ながら、時計機能を携帯電話に頼るわけにはいかない。 そういうこともあり、我輩にとって腕時計は必須のものである。就寝時にも軽量の腕時計をつけることもある。夜中に起きた時に時刻が分かると便利だからだ。 ところで我輩は、雑文545「液晶へのこだわり」にも書いたようにアナログ式時計はあまり好きではない。と言うのも、アナログ式の針の指す位置が曖昧(あいまい)で我輩の性に合わないのである。 1分経ってもあまり変化が無いその表示形態。前後を入れると2〜3分の違いに気付かない。その結果、時間にルーズになってしまった。 しかしデジタルは何時何分というのがハッキリと提示され誤魔化しが無い。何より、駅の時刻表示板との比較がデジタル同士で楽になった。 元々我輩は、最先端技術を好む(参考:雑文488「最先端カメラ志向(前編)」、雑文489「最先端カメラ志向(後編)」)。 そういう意味では、デジタル式時計というのはハイテクな印象で我輩の好みに合う。金属ケース&バンドで液晶式であれば尚更(デジタル時計には液晶式の他にLED式、機械式がある)。 しかしながら、日本では単一の価値観が世の中を支配する傾向が強い。 もちろん現在の日本は、共通の価値観の下で発展してきたという実績があるため一概にそれを否定する気は無いが、それでも物には限度というものがある。 現在、腕時計にはデジタル式の選択肢がほとんど無い。 一時期、カシオからG-SHOCKシリーズの腕時計がデジタル式ながらも大ヒットし、デジタルが巻き返すことになるかと思ったのだが、それ以降はかえって全てのデジタル式腕時計はG-SHOCKを追随して肉厚樹脂製時計ばかりとなってしまった。かつてオーソドックスであった金属製のビジネスマン用デジタル腕時計はほとんど姿を消してしまった。 この時、我輩はまさに自分が少数派の側にいることを思い知らされた。 (参考:雑文369「ドレイクの方程式」) 我輩はここ数年、オーソドックスなデザインのデジタル腕時計を探して購入しているのだが、それらは種類が極めて少なく、あったとしてもどれも5,000円前後の安物ばかり。ちょっと着用すると、金属色のクロームメッキが剥がれて樹脂が見えてしまう。また、風防はどれもこれもプラスチック製で傷が付き易い。 (プラスチック風防を好む者もいるが、デジタル式の場合は単純にコストの問題であり、似合う似合わないの問題でプラスチックを用いているわけではない。) アナログ針式腕時計の場合であれば、安物から高級品まで幅広い選択肢がある。金さえ積めば素晴らしい造りの腕時計が手に入る。 ところがデジタル式の場合は高級なものは皆無であり、安物のみで選択肢が全く無い。単純に、無機ガラス製風防の時計を探すだけでも大変な苦労を強いられる。 インターネットで検索していると、いつの間にか1970〜1980年代のデッドストックを探していたりする。こんなものに手を出しても、プレミアが付いている分高価で、しかも単機能、動作保証無しのリスクのおまけ付き。 確かにデザインは奇をてらったところが無くスマートなのだが・・・。 そんな中、最近やっと我輩の求める時計が見付かった。 金属製デジタルで無機ガラス風防。デザイン的にも落ち着いた感じである。シチズンの廉価ブランド「FREEWAY」。 <<画像ファイルあり>> CITIZEN FREEWAY (AA92-3712C) これはネットオークションで偶然見付けたものであった。 時計本体はベルトも含めて金属製、そして風防は無機ガラス製である。液晶も視認性が良く、セグメントのバランスも良い。また青色のEL照明も内蔵されている。2パターンアラームと時報が搭載され、5気圧防水仕様。デザインは少し丸みを帯びているものの、まあ許せる範囲。 この時計ならば1万円出しても高いとは感じないのだが、価格は定価5,000円で落札価格は3,000円だった。 我輩は今まで、幾つもデジタル式腕時計を使い潰してきた。安物はすぐにボロボロ錆だらけになるためライフタイムが短いこともあるが、愛着が浅く飽き易いことも原因である。 それに対し今回手に入れたものは、同じ物を何個も使い継ぎながら長く使おうと思わせる。ストックは2〜3個は必要か・・・? ところが残念なことに、この時計はオークションで手に入れた一品モノ。インターネットの検索や町の時計屋を巡ってみたが、どこにも在庫は無かった。話によれば、これは2年前に生産終了したモデルであるとのこと。 そんなバカな、現行品のFREEWAYのラインナップには、同じムーブメントを使ったG-SHOCKもどきの樹脂製ケース・ビニールバンドの腕時計が何種類かあるのだ。なぜに金属製ケースの時計だけが生産終了・・・? 恐らく、需要が極端に少ないためだろう。 シチズンではその経験を踏まえ、今後二度とこのような時計を造らないに違いない。 少数派の我輩のニーズは、市場では全く相手にされないのである。 この先、我輩はこの時計を失うことを恐れて日常で使うことは無いだろう。 せっかく手に入れた理想に近い時計であるのに、クッション入りのケースに仕舞って時々撮影に使うのみ。 カメラについてもそうなのだが、我輩はいつも、少数派の側で苦労を強いられている・・・。 (2005.10.05追記) 探し求めている「AA92-3712C」と同じムーブメントを使ったプラケース&ナイロンバンドの「AA92-4121C」を購入して代用しようと考えたが、届いてみると風防が球面でプラスチック製だった。アウトドアタイプは衝撃に耐えるよう粘りのある素材としてプラスチックを採用しているようだ。同じムーブメントだからと安心していたのが裏目に出た。 しかし中古で「AA92-3712C」が見つかったため、少し使い込まれているもののこちらを常用することにした。プラ製「AA92-4121C」のほうは軽くソフトなため就寝用とする。 <<画像ファイルあり>> ---------------------------------------------------- [554] 2005年10月22日(土) 「過去の概念による呪縛」 先日、ヘナチョコ妻が豚児の七五三衣装をレンタルするため試着にでかけたそうだ。 そこで何パターンかの試着をしてみたわけだが、その時に店員から「携帯をお持ちならどうぞ写真を撮ってください。」と声をかけられたとのこと。 以前、雑文423「行く末」でも書いたが、もはや携帯電話にカメラ機能が付いているのは当たり前。日常会話に於いて、「写真を撮る」と言えばそれはすなわち「銀塩カメラでもなくデジタルカメラでもなく、携帯電話で写真を撮る」という意味である。カメラを使って写真を撮るのはマニア以外には無い。 (※携帯電話もデジタルカメラの一つの形態とも言えるのかも知れないが、携帯電話を主としそこから派生したものであるから別物として扱うほうが自然。例えば携帯電話をウォッチ代わりに使う者がいるが、それによって携帯電話がウォッチのカテゴリに入るわけではないのと同じ理屈。) ところで、デジタルカメラと言えばここ数年でラインナップも充実してきた。 少し前なら一眼レフ形式のデジタルカメラは高嶺の花だったが、今では新品でも10万円を切るものもある。いよいよフルサイズC-MOS/CCDも一般向けに登場してきた。 しかしよく考えると、一眼レフカメラの利点の1つに「ファインダーで見たものがそのまま写る」ということがあるが、デジタルカメラであればコンパクトカメラ形式でもモニタ画面で見たものがそのまま写る。 銀塩カメラの場合だと、コンパクトカメラであればファインダーと撮影レンズは視差(パララックス)があり、見たままが写るわけではない。 そういう意味で言えば、デジタルカメラは総じて「一眼カメラ("レフ"が無いだけ)」と言って良い。 ではなぜ、そんなデジタルカメラに一眼レフ形式のカメラが必要なのか。 種々の交換レンズが使えるからか? 別に一眼レフで無くとも、コンパクトタイプのボディをレンズ交換式にすれば良かろう。ミラーボックスが必要無いため、コンパクトになる。いや、そもそもレンズを交換する必要性はあまり無いはず。 では、システム拡張性があるからか? そんなもの、一眼レフタイプであってもほとんど拡張性や互換性が無いことを考えると、何の意味も無い。 現代の一眼レフカメラは全ての機能を内包することによって外付けシステムを排除してきた。ただし内包することの出来る機能はあまり上等なものではないため、本格的な要求には応えられないこともある。また、無用な機能により肝心な基本操作が邪魔されることも少なくない。 ならば、レスポンスや画像性能(参考:雑文471「次のデジタルカメラ(後編:今回購入した経緯)」)など、基本性能が違うからか? しかしそれはコストの問題であって一眼レフタイプの本質的利点ではない。コンパクトタイプに性能アップして出来る問題。 このように考えると、一眼レフタイプに存在意義があるかどうかは甚だ疑問。 オリンパスのフォーサーズシステムなどはその点に気付いたようにも見えるが、まだミラーが残っており一眼レフから派生したというのは明らか。 まだまだ過去の呪縛に囚われている。 ここで一つ、携帯電話から一眼レフデジタルカメラを駆逐するようなカメラ機能が出てこないだろうかと期待する。ミノルタが薄型ボディに高倍率ズームレンズの光学系を縦に折り曲げたように巧くまとめるように出来ないか。 もちろん、被写界深度が深くなるなどの影響もあるが、元々デジタルカメラを使う者は深い被写界深度を気にする者は少ないので、それはクリア出来る。 常に身につけた空気のような存在である携帯電話に高精細受光素子・高倍率ズームが搭載され、大容量データを簡単にパソコンに転送出来るようになれば、わざわざ他のデジタルカメラを持って使おうとする者は居なくなる。 「携帯電話というものがあるのに、わざわざデジタルカメラを持ち出して写真を撮る。そういう面倒臭さが趣味というものだよなぁ。」 こういうことを言う時代はいずれ来るだろう。 今はまだ、デジタルカメラは銀塩時代の過去の概念による呪縛に囚われているが、そのうちもっとあるべき姿に形を変えてこの世から消え去る。 まさに、恐竜が鳥に進化して表面上絶滅したように。 参考:雑文393「昔の敵は今日の友(2)」 ---------------------------------------------------- [555] 2005年11月05日(土) 「共通一次試験」 学生時代の記憶がふと、蘇った。 我輩が受験生だった頃、国公立の大学入試は「共通一次試験」というマークシート方式の五教科試験があり、それを受けた後に各大学での二次試験を受けることになっていた。 マークシート方式は、解答用紙の選択肢を塗り潰す機械読み取り式であり、それにより全ての問題が選択式となっている。 そのため、設問も読まずにデタラメに回答欄を塗り潰したとしても、確率的にどこかが当たる。そう言えば、時間が足りずに運任せにした問題もあった。 試験が終わって会場を出ると、会場正門前でなぜか大手予備校から模範回答集を配布しており、それを持ち帰って自己採点するとその日のうちに結果が判る。 「問1正解、問2正解、問3ダメ、問4正解、問5・・・。」 選択式のため採点は淡々と進む。 設問によっては関連した問題が幾つか続くこともあり、最初を間違うと連続して5問ほど不正解という結果があったりする。 「くそ、ここ全滅やわ。稼ぎ所やったそに・・・。」 独りで採点しながらも思わず声が出る。 また、さんざ迷った挙げ句に選んだ答えが不正解だったりするとショックが大きい。貴重な時間を費やした甲斐が無いのである。 「こんなことなら早めに見切りを付けて次の問題に注力すべきだった」と悔やまれるが、次の問題も似たような状況であるからあまり意味は無かったりする。 さて、なぜこのような記憶が蘇ったかと言うと、写真趣味の活動でも似たようなことを経験するからである。 つまり、現像済みのリバーサルフィルムをスリーブ状態でイルミネータ(ライトボックス)にかけ、そこから合否を判定する作業が共通一次試験の自己採点作業に重なるのだ。 「くそ、このコマはピントが微妙に合ってない、次は大丈夫か、う、これはさすがにボツ・・・。」 例えば中判の暗いレンズでは室内撮影はピント合わせがツラい。それでいて被写界深度が浅いものだからピンボケが頻発する。特に豚児撮影の場合などの動体撮影ではAF機能があればどれほど助かることか。 また露出過不足もストロボ撮影ではかなりある。被写体までの距離が変化すれば当然ながら適正F値も変化する。事前にデジタルカメラで露出を確認しようとも、本番撮影時に条件が変わればどうしようも無い。 さんざ迷った挙げ句に決めた露出値が間違っていた時には、しばらくの間立ち直れない。 現像済みのスリーブをルーペで見ながら、「次、次、ハイ次」と繰って行く。 チェックが早い時は明白な失敗が続いている証拠。あまり見たくないので次へ次へと移る。成功カットに当たったらジックリと眺めようと思うのだが、なかなか止まらない時は焦る。 そんな時、ふと「偏差値のボーダーを下げて合格率を上げようか」と思ったりする。 しかし、いったん自分に甘くなれば、際限無くとことんまで落ちるしか無い。 「次はこの失敗を糧にしてもっと頑張ろう。」 スリーブの自己採点後はいつもこう思うのだが・・・、すぐに向上するならば苦労は無い。なかなか、雑文275「一度目の失敗」で書いたようには、二度目の失敗をしないというのは難しい。 そもそも、過去の失敗と全く同じ撮影条件というのはほとんど無い。それは共通一次試験も同じ。去年と同じ問題が出てくれればこれほど楽なことは無い。 以上、1年浪人した我輩の、ふとした感想であった。 ---------------------------------------------------- [556] 2005年12月12日(月) 「天文分野」 我輩が初めてSLR(一眼レフレックス)カメラ「Canon AE-1」を手に入れたのは中学生の頃だったが、その動機は天体写真を撮ることだった。 最初に天体写真を撮ったのは「Konica C35EF(ピッカリコニカ)」だったのだが、レンズ固定式のため星夜写真しか撮れなかった(シャッターはセロハンテープで強制的にバルブ状態とした)。望遠鏡などに接続して月面や惑星などを撮るなど不可能である。いや、もし物理的に望遠鏡に接続出来たとしても、ファインダーからは確認出来ないのであるから役に立たぬ。 それ故、SLRカメラが手に入ったということは、我輩にとって非常に大きな転機だったと言える。 天体望遠鏡については、小学生の頃に父親から買い与えられたものがあったのは幸いだった。当時既に父親と離れて暮らしていたため、我輩が望遠鏡をねだったわけでもない。 しかも不思議なことに、望遠鏡のドロチューブにカメラを接続するカメラアダプタも同梱されており、我輩が用意するのはカメラボディとFD用カメラマウントだけで済んだ。 SLRカメラのファインダーを通して見る天体は、今から考えると中央にスプリットプリズムなどが邪魔で、かと言って周辺のマット部でもザラザラした状態では天体の細部までは見えない。 しかしそれでも、「今見ているものがそのままカメラに投影されるんだなあ」という実感が強く、天体観測にのめり込むことになった。 中学時代は科学部に所属していたこともあり、天体観測の仲間には不自由しなかった。 中でも部長のオカチンやクラッシャージョウ、強がり者Kと4人で学校のグラウンドで天体観測をしたものだった。 オカチンは、自宅の近所に天体オヤジがおり、オヤジ作の反射望遠鏡を借りていた。またそればかりかビクセンの10cm反射望遠鏡も所有しており、6cm屈折式しか持たぬ我輩は少し羨ましかった。 (参考:雑文219「ミラーレンズ」) また、全天に広がる広大な星空を見上げ、この光景を写真に写し込みたいと思った。それには魚眼レンズが必要である。しかし中学生だった当時の我輩には、魚眼レンズのような高価で特殊なレンズなど所有することは不可能。いや、特殊過ぎて「手に入れたい」という発想すら無かったのが正直なところ。 (参考:雑文383「魚眼レンズ観」) さて、現在はSLRカメラも数えきれないほど所有し、しかも中判魚眼カメラも製作した。 金銭的にも、赤道儀付きの天体望遠鏡を買うことも不可能ではない(ただし要求仕様によって2万円〜40万円と幅があるが)。 ただし、我輩は現在関東に居住している。夜空を見上げても、星が見えない。うっすらと明るい空があるのみ。 都市部では天体望遠鏡など全く役に立たないのだ。 (参考:雑文159「撮れない写真」) ところが今年は、車を購入した。それにより、行動範囲が確実に広がった(参考:雑文536「車の撮影」) 。 我輩は元々、鉄道や自転車、あるいは徒歩でどこにも行く気合いはあるつもりだが、終電を気にするような時間帯の行動は難しい。また、赤道儀付望遠鏡のような大きな荷物はさすがに手持ちは不可能である(望遠鏡関連だけならば可能かも知れないが、カメラ一式も加えるとさすがに無理)。 車はいつまで維持出来るか分からないため、天体活動をするなら今しかチャンスは無かろう。 我輩は、ビクセンのカタログをヨドバシカメラから持ち帰り、色々と吟味した。 「どうせ買うならば未経験の赤道儀式反射望遠鏡か。いや、やはり扱いの簡単な屈折望遠鏡か?中判カメラの重量を支えるために望遠鏡を同架させず頑丈なポータブル赤道儀にするのも一つの手。」 ただ、このようなことをいくら考えても、ヘナチョコ妻の説得が一番難しいと思われた。生活に必要なものではなく、ただ星を観たり撮影するためのものであり、しかも遠出しなければ使えない。 どのように説明すればヘナチョコが買う気になるのか。 もしこれを可能にする者がいるとすれば、恐らくトップ成績の営業マンであろう。 とりあえず、今季のボーナスは出たようなので、そのタイミングで話を切り出して反応を伺ってみた。 ところが、意外にも「うーん、どうしようか」などと考えているではないか。 ヘナチョコには考える余地など無いはずだが・・・? 我輩はふと、思い出した。ヘナチョコに隠された能力があることを。 ヘナチョコはなぜか、日本で見える星の一等星を全て知っているのだ。「ふたご座の一等星は?」と訊くと間髪入れずに「ポルックス」と答える。我輩は本を見ながらあまり聞いたことのない名前の星が当てられるかを試したが、それも見事に答えた。 それまで、ヘナチョコの知識は全ての分野に於いて我輩未満であると確信していたのだが、こればかりは圧倒された。後で調べてみると、一等星の数はそれほど多くないというのは分かったが、それでも全てを知っているというのは一般人にはいない。 ヘナチョコは天文少女だったのだ。 恐らく、もっと押せば天体望遠鏡は買う方向に進むだろう。そうは言っても、10万円前後の高価な買い物であるから、簡単に決めてしまうのも却って気が引ける。 しかも、今季のボーナスは出たが次はどうなるか分からない。リストラの空気が蔓延している職場では、あまりに危険過ぎる。 ヘナチョコが今回の案に反対しないものだから、逆に我輩のほうが危機感を持つことになった。 まさかとは思うが、ヘナチョコが敢えて我輩に判断を委ねることによって買わせないようにするという巧妙な戦略なのか・・・? 趣味というのは、一度手を出してしまえばどこまで行くか分からない世界である。 久しぶりに望遠鏡関係のことを調べてみたが、中学生の頃には聞いたこともないような用語が多くありビックリした。また接眼レンズなども、以前は小さいものしか無かったが、最近はもっと口径の大きなものが主流らしい。 そういうわけで、現段階では天文趣味の深さがまだ不明で恐ろしい。 天体観測が唯一の趣味であるならば良いのだが、他の趣味と両立させることが出来るかどうか。 我輩の求める観測対象をしっかりと決め、行き着く先を事前に見極めてそれ以上の出費をしない綿密な計画が必要と思われる。 もし、あまりに金がかかるようならば、残念ではあるが最初から天文分野はスッパリと諦めるのが吉か。 ---------------------------------------------------- [557] 2006年01月02日(月) 「次のデジタルカメラ2006(検討段階)」 我輩は、露出計代わりのデジタルカメラとして今までに幾つかのコンデジ(=コンパクトサイズ・デジタルカメラ)を使用してきたのだが、雑文537「行き過ぎた進化」の反省により、最近は使用を控えてきた。 しかしながら、やはり場合によってはデジタルカメラを用いることによってフィルムの無駄撃ちを抑制することは、経済的な面のみならず、ここぞというシャッターチャンス的にも有益である。 以前書いた雑文471「次のデジタルカメラ(後編:今回購入した経緯)」では、デジタルカメラ「Nikon COOLPIX5400」の購入について述べた。 あれから2年近く経過しているわけで、コンデジとしてみればそれなりに長く使ったと言えよう。途中、落下による故障があったが、何とか自力で修理し、不安定ながらも騙し騙し使っている。 ただ、不満無く使ったかと言えばそうではない。 例えば、起動時間。 前所有デジタルカメラ「OLYMPUS C-700」よりも起動時間が早くなったとは言え、それでも起動時間3秒というのはつらい。そのため、起動までの時間ロスを恐れて電源を入れっぱなしにしておく場合が多く、電池消耗に悩まされていた。もし起動時間が早ければ、こまめに電源の入切りが出来る。 また、いくら小型といえども薄型ボディではないために収まりが悪く、使いづらい面もあった。 さらに、決定的な不満として、操作性の悪さがあった。 マニュアル露出が可能とは言っても、十字キーの操作であるから使いづらさを極めており、しかもその反応が鈍くイライラさせられる。 (十字キーの使いづらさとは、順列をもつ数値の移動には何度もキーを押さねばならぬこと、上下左右がどの操作に割り当てられているかというのが直感的に分かりにくいことである。) 雑文482「今さら」で触れた「Panasonic LUMIX LC1」など操作性の良いものもあったが、図体の大きさはとてもコンデジと言えるようなものではなく、わざわざそれを購入するならば、いっそ手持ちの一眼レフタイプのデジタルカメラを使うほうがよい。 そういうわけで、現状に不満がありながらも、なかなか良い巡り会いが無かったコンデジである。 「Nikon COOLPIX5400」を比較的長く使っていた理由は、単純に代替機種が無かったことによる。もちろん経済的な理由もあるが、本当に欲しいと思わせる機種が現れれば、借金やネットオークションを使って現金を得るなど方法はある。 さて今回、気持ちを動かされたカメラに出会うことになった。 それは、「RICOH GRデジタル」である。 GRデジタルを初めて知ったのはインターネット上であった。 最初に「OLYMPUS CAMEDIA SP-350」というカメラが目に付き、「ホットシューを備えながらもコンパクトでなかなか良いな」と思ったのだが、いかんせん、マニュアル露出設定が相変わらずの十字キーで萎えた。 そこで目を移すと、GRデジタルが目に入ったのである。 GRデジタルは、なんと電子ダイヤルを2つ備えており、マニュアル露出時にそれぞれ絞りとシャッタースピードを調節することが可能である。 店頭で触れたかぎりでは、設定にもたつくことは無かった(ただし、メモリ書込み時にもたつくと意味が無いのだが)。 起動時間はかなり早い。 薄型サイズでポケットに入る。 またズーム無しであるから、故障する稼働部も最小限か。 そしてこのコンパクトなボディにホットシューが備わっている。 しかも、電源に単4電池が緊急避難的に使える。 さて、欠点ももちろんある。 最大の欠点は、その価格。最安の売値が7万円弱と、コンデジにしてはかなり高い。ヨドバシカメラなどでは8万円近くもする。最初に気になった「OLYMPUS CAMEDIA SP-350」などは4万円でお釣りが来るというのに。 このカメラが本当に露出計として有用であり、フィルムの無駄撃ちを防止して採算がとれるならば、無理をして購入しても良いとは思うが・・・。 また、巷では画質が良いと言われていたりもするが、カタログ(印刷物)やインターネット上での作例を見るとそれほどでもない。 まあ、我輩が求めるのは露出計用途であるから、操作性(操作部材とレスポンス、そして携帯性)が適(かな)っておればそれでいい。 もっともGRデジタルは、スナップとしては優れたポテンシャル(秘めたる能力)を持つことは確かなようだ。 高速AF実現のために、撮影用CCDと外部AFセンサの併用をしているとのこと。また、一定距離にフォーカスを固定させることも出来る。 スナップに使えるということは、すなわち露出計としても有用ということである。 サッと取り出してサッと使う。 これは、露出計の使い方にそのまま当てはまる。 ネックは価格のみ・・・。 ---------------------------------------------------- [558] 2006年01月03日(火)〜 「次のデジタルカメラ2006(購入)」 2006年01月03日 記 GR-Dを購入したら、いきなり初期不良だった・・・。 しかも、症状が2種の併せ技。高確率だな・・・。 インターネット上では、GR-Dの色々な初期不良や故障のケースを目にしたが、まさか我輩にもやってくるとは・・・。 出荷前にチェックすれば判る症状ゆえ、リコーではノーチェックで出荷していることが容易に想像できる。 せっかくの正月休みが台無し。 もう、リコーのデジタルカメラは買わん。 顛末は全てが解決してから書く・・・。 ---------- 2006年01月09日 記 前回の雑文557で購入を検討していた「RICOH GRデジタル」を、ついに購入してしまった。 価格は、¥67200円である。 正月2日、ヘナチョコ妻の実家で行われた新年会に出席した。ビールが出ると予想したため、車ではなく電車で参上した。 食事で腹も満腹。落ち着いたところでふと、GRデジタルのことが頭に浮かんだ。 「最安値の店のうち、正月2日から開店しているところがあったはず・・・。」 店名は「チャンプ(たまプラーザ店)」。以前雑文450「FUJI GA645Wi」を購入した店である。 正月気分の今買うしかない。「休日残りを有意義に過ごすためにも、このデジタルカメラは必要なのだ」と自分に言い聞かせた。 電話で在庫を確認すると1台だけあるとのこと。取り置きしてもらい、豚児を連れてチャンプへ出かけた。非常に寒い日のため、豚児が湯たんぽ代わりになるのだ。実家のヘナチョコはそのまま自宅に帰る予定。 ヘナチョコの実家からバスや電車を乗り継ぎ、1時間かけて「たまプラーザ駅」に到着。 購入時、店員に「SDメモリはお持ちですか?」と訊かれたので素直に「持ってない」と答えた。すると「メモリもいかがですか?」と勧められたのだが、メモリは価格や性能の調査をしていないので改めて買いたい。 「カメラ本体に26MBの内蔵メモリがあるはずだから、とりあえず今は要らない」と断った。 帰り際、店内のショーケースを見ると、相変わらず「Nikon F3H」などが置いてあり、100万円の値が付いていた。この値では誰も買う者はいないだろう。 帰りの電車の中で、早速GRデジタルを使って豚児を撮影したりした。 液晶モニタが大きく、鮮明に見えた。それを豚児に見せると、それがフィードバックされて豚児のポーズがどんどんエスカレートするのが面白い。 帰宅後、露出計として使えるかどうかを検証するため、手持ちのデジタルカメラと撮り比べをした。 すると、同じ露出値のはずなのだが明るさが他のカメラと全く異なっている。「Nikon COOLPIX5400」のように、感度がズレている可能性があると考え、そのズレ量を知ろうと色々と撮影していたのだが、妙なことに明るさが一定しない。 「マニュアルモードで同じ露出値で何枚も撮っているのだが、カットによって明るくなったり暗くなったりするな・・・。」 どうやら、絞りの動作が不安定らしい。たまに正常に絞られることがあるのだが、それは10枚シャッターを切ったうちの1枚くらいであるからとても実用にならぬ。 そのうち、別のことに気付いた。 たまに最小絞りまで絞られた写真が得られるわけだが、その画像を見ると、真ん中下あたりに黒い影が写っている。それは、撮影方向を変えても画面内の同じ位置に現れている。レンズ面にゴミがついているのかと思ったが、ブロアで吹いてみても改善しない。 「そういえば、同じ現象で不良交換となったという記述をGRデジタルユーザーの個人サイトで見たことがある・・・。」 画面内の黒い影は、露出計用途ということを考えると致命的なものではない。元々画質はとりたてて良いというものでもなく、画質云々を語るような機種ではない(ノイズはCOOLPIX5400と同程度)。 しかし、絞り不良は完全に致命的。 2箇所も不良のある製品があるとは、リコーは恐らく製品のチェックをしていないに違いない。全数チェックは出来ないとしても、抜き取りチェックすらしていないのか。もし、チェックしていても2箇所の不良のある製品が出るということは、かなりの確率で不良品が発生していることになる。 「リコーもバカだな。絞り不良の件さえ無ければ黒い影など見ぬフリしてやったものを。ヘンなところで手を抜くから結局損をする。」 1月5日にリコーのサービスに連絡を取り、交換ということになったのだが、結局のところ、正月休みに使おうと思った計画は見事に裏切られた。わざわざ正月に開いている店を見つけて「たまプラーザ」まで出かけて行った苦労が水の泡。 さて、代替品が届いた後、それを露出計として使えるかを検証してみた。 室内では特に問題無く使えたのだが、直射日光が強い屋外では液晶モニタが暗すぎて確認が難しい。Nikon COOLPIX5400の場合では、液晶モニタが反射光にも対応しているため強い光の下で見るとかえって見やすいのだが、GRデジタルの液晶モニタは直射日光下では黒っぽい被写体を写すと液晶は真っ黒で何も見えない。陽が当たらぬよう手をかざしてみたが、周囲が明るいためか効果無し。EOS D30でもここまで見辛くはなかったのだが・・・。 <<画像ファイルあり>> このような黒っぽい被写体を写すと、直射日光下では液晶モニタは真っ黒で何も見えない。 (ISO100/プログラムAE) 他には、ハイライトが飛び易いことが気になったが、元々ハイライトが飛び易いのがデジタルカメラなのであるから、今さら問題にするまでも無いだろう。 それにしても、起動が早く、そしてポケットに楽に入るサイズでありながらも、ツインダイヤルでマニュアル露出が可能なことや、外部ストロボが接続可能なことが非常に便利に感ずる。 <<画像ファイルあり>> ところで不良品のほうのGRデジタルだが、実は、梱包時に誤って床に落下させてしまった。 「しまった!」と思い、慌ててスイッチを入れてみたところ、落下の衝撃のためか画面内に現れていた黒い影がどこかに消えてしまった。素直に喜べない複雑な心境である。 もし、不良がこの一カ所だけであれば、返品交換する理由が消えたのであるから心の迷いが発生したかも知れないが、今回は他の不良もあるため堂々と返品出来る。 それに、影が消えたとは言ってもゴミはまだカメラ内部に存在するものと思われる。それが今後また別な所に付着する可能性も大いにあり得る。そういう意味もあり、「清掃はすべし」とメモを同封して返品した。 ---------------------------------------------------- [559] 2006年01月05日(木) 「スクロール鑑賞のすすめ」 以前、撮影会にてリバーサルフィルムで撮影していた時、他の参加者に「それって現像代もかかるし、それに全部プリントしたらかなりお金がかかるだろうな〜!」と言われたことがあった。 確かにデジタルカメラと違い、リバーサルフィルムはフィルム代や現像代がかかる。 しかしながら、全部をプリントするという発想には驚いた・・・。 デジタルカメラを使ったことのある者ならば解ると思うが、デジタルカメラは銀塩カメラよりもシャッターを押す頻度が高くなる。 デジタルカメラのメモリは銀塩フィルムと異なり、何度も再利用が可能である。撮れるだけ撮ってもコストは変わらない。そのため、撮影前に色々と吟味してようやくシャッターを切るという銀塩カメラの撮影スタイルに対し、デジタルカメラでは色々と写した後に取捨選択するという撮影スタイルとなる。撮影カットが多くなるのは当然。 ネガカラーフィルムの同時プリントが主流だった頃は、撮影カットは全てプリントすることが常識であった。しかし、パソコンとデジタルカメラの普及が進んだ今日、パソコン上で撮影画像を選んで必要分だけをプリントするという意識が芽生えた。撮影枚数が以前とは比較にならないほど多いのであるから、全てプリントしてしまうとコストや手間が大変なことになる。 しかしそうは言っても、圧倒的に大量に増え続けるデジタル画像であるから、いくら取捨選択しようが、残る画像の量は桁違いである。 しかも、メモリは容量が年々増え続け、しかも価格が下がっていくのであるから、何の心配も無くバシャバシャと撮影出来る。 (雑文032「ハイブリッドカメラ」では、メモリの限界について触れたが、それから6年近く経った現在では大容量メモリも手軽に手に入れることが可能となった。1GBメモリを使えば、その1枚でまかなえることもあろう。) さて、それらの画像を全てプリントするとなれば、コストや手間は枚数分かかる。 かといって、選んだ画像の中からさらに選び絞ることになれば、結局は不要な画像が多数残る。 もっとも、プリントせずともパソコンのディスプレイで鑑賞し楽しむというのであれば無問題なのだろうが、その場合、撮影画素数が大きければディスプレイ表示からハミ出すので見辛かろう。縮小表示(元ファイルはそのままで閲覧時に縮小表示するもの)は大抵の場合に画質が悪くなるため意味が無い。仮に巧く縮小出来たとしても、パソコンのディスプレイの解像度は100〜200dpiの範囲であるから、あまり画素数の恩恵は得られない。 パソコンの中に閉じこめられたデジタル画像、いつかそれが日の目を見ることはあるのだろうか? 将来的に、パソコンのディスプレイの解像度が向上すれば良いのだが、仮に技術的に可能であったとしても、200dpi以上のディスプレイは文字表示が小さくなり過ぎるため特殊用途以外では供給されないだろう(OSやアプリケーションソフトが対応すれば可能だがニーズがあるかどうかは不明)。 現状としては、せいぜい等倍表示で画像の一部分を表示させ、スクロールさせて脳内で画像を再構築することくらいである。しかしこのようなスクロール鑑賞でも、慣れるとそこそこ高画質に感ずるようになる。 元々、人間の視力というのは視線の中心部のみが高くなっており、全体を詳細に観察するには視線を動かして走査(スキャン)する必要がある。スクロール鑑賞はそれと似ていなくもない。 ただ、肉眼で見る場合には全体を見渡しながら詳細を観察しているため、スクロール鑑賞は慣れないと違和感を持つ。だから、多少の慣れや訓練は必要となるのだ。 しかしいずれ、そのようなことを拒絶するのは旧い人間だけのことになるだろう。 現在の携帯電話では、パソコンと比較にならぬほど小さな液晶画面でメールや写真、動画までも閲覧出来るようになっている。そういった機器に慣れた新しい世代には、高速スクロールで全体を見渡すことなど造作もないこと。 そうは言っても我輩は、全体を見渡しながら緻密で深い色の映像を鑑賞することの出来るリバーサルフィルムのほうが素直に楽しめるので、スクロール鑑賞が出来なくとも何の問題も無いのだが。 <<画像ファイルあり>> デジカメ使う者、木を見て、森を見ろ。 ---------------------------------------------------- [560] 2006年01月14日(土) 「デジカメ=デジカム」 以前書いた雑文555「共通一次試験」では、現像の上がったリバーサルのスリーブを一コマずつ眺めながら一喜一憂する様を述べた。 採用カットの条件としては、「露出の過不足無し」、「ブレ無し」、「ピンボケ無し」、「シャッターチャンス良し」が必須である。 このうち、ブレについては、動感を感じさせるようなものであれば採用する場合もあるが、基本的にこれらの要素が一つでも欠けると不採用としている。それが二度と撮れない場面だったとしても、「もともとシャッターを切らなかったと思って諦めろ」と自分に言い聞かせるのだ。 (参考:雑文398「勝つためのこだわり」) ところで我輩は、デジタル写真の有用性について早くから認識しており、デジタルビデオカメラを使ってキャプチャ画像をパソコンに取り込んでいた。 (参考:雑文470「次のデジタルカメラ(前編:それまでの遍歴)」) 当時のデジタルカメラのCCDはビデオカメラ用CCDを流用しており、当然ながら両者の画質はほとんど同じと言って良かった。そのため、動画として流して撮れるビデオカメラのほうが、後で好きなタイミングのカットを切り出すことが出来、非常に便利であった。 もちろん、動画(ムービー)と静止画(スチル)では映像の捉え方が違う。例えば、ビデオカメラでは基本的にシャッタースピードは固定である。狭い範囲で調整可能な機種もあるが、動画である限り、原理的にフレーム秒を越えたスローシャッターは切れない。 だが、今でこそシャッタースピードや絞りが自由に設定出来るデジタルカメラが増えたが、当時はそのようなマニュアル設定が可能なデジタルカメラは全く存在しなかった。ビデオカメラの技術から派生したデジタルカメラであるから、当然と言えば当然。 そういうわけで、デジタルビデオの画質=デジカメの画質であったのだ。 我輩は、撮影したビデオをパソコンに繋いで再生し、ここぞという瞬間に一時停止させ、パソコン側でキャプチャボタンを押して画像ファイル化していた。 撮影時も、どうせパソコンで縦横回転出来るのであるからと、スチルカメラのように縦位置で撮影したりもした。 最近では、デジタルカメラの画素数も飛躍的に伸び、起動時間やシャッターのレスポンス、各種調整機能も充実してきた。カメラ内バッファを利用した高速連写可能なカメラもよく見かけるし、本当に動画が撮影可能なカメラも珍しくない(動画撮影の場合は画像サイズが小さくなるが)。 まあ、動画機能は使えないとしても、数多く撮った写真の中から最適なカットを選ぶという意味では、ビデオキャプチャの使い方に近付いたかも知れない。 大容量メモリも安くなり、どんなにシャッターを切っても残量が足りなくなることが無い。ダメ元でシャッターを切るようなことも躊躇(ちゅうちょ)することが無いため、結果的に良いタイミングを得る確率が高くなる。 銀塩カメラでは、豚児写真を撮る際などカメラを構えてジイーッとシャッターチャンスを待つことがある。特にフィルム残量があと1枚で、次のフィルム装填のタイムラグを恐れている場合などでは、シャッターチャンスを待ち過ぎてチャンスを逃してしまうことが多い。 シャッターチャンスとは、よほど決定的なものでない限り、過ぎてしまってから「ああ、あの時が一番のシャッターチャンスだった・・・」と思うものである。 デジタルカメラでは、どんどん撮って、次々に撮って、撮って、撮って、撮りまくって・・・、後でゆっくり選べば良い。 ノーファインダーでもすぐに結果が分かるので、撮りながら微調整可能なのが良い。 まさに、キャプチャ前提のビデオ撮影のようなもの。 <<画像ファイルあり>> 豚児のボール投げはタイミングを合わせるのが難しいが、何も考えずに何度も何度もシャッターを切った。 <<画像ファイルあり>> ちょうど良いタイミングで撮れたカット (ISO100/プログラムAE) ---------------------------------------------------- [561] 2006年01月15日(日)〜 「燃費」 最近、ガソリンの価格が高い。 そのため、車を運転する際には燃費が気になる。 日本自動車連盟から送られてくる「JAF Mate」を読むと、燃費向上のために幾つかのコツがあるそうで、それを意識して運転するようにした。 もっとも、燃費は瞬間的な部分だけを見ても意味は無い。高速道路を100km/hで定速走行する場合と、渋滞をノロノロ運転する場合とでは、当然ながら燃費は全く変わってくる。 更に細かく見れば、加速中と減速中ではかなりの違いが出るはずだ。 しかし、そのような細かい推移を見ても、あまり意味は無い。なぜならば、交通状況は日々変わる。晴雨による路面状況、風向き、車の混み具合、etc・・・。これらは一般道であろうと高速道路であろうと同じこと。一つとして同じ条件は存在しない。もし燃費を細かく見るならば、その時の交通状況なども関連させねばならぬ。これは大変な作業となろう。 自動車メーカーやモータースポーツなどの研究チームならいざ知らず、一般人としては、その場その場の加速・減速などに気を使うとしても、ある一定範囲での平均が判れば十分参考になる。 長い期間での平均値が落ち着けば、その値を基準として上下する傾向を見て、燃費を下げる要素を自分なりに探るのも良いだろう。 ちなみに、我輩の車の燃費は、2005年8月〜12月の範囲では11.4km/Lであった。状況としては、前半は高速道路での走行、後半は渋滞が多かった。 今後また期間を置いて燃費を計算し直せば、この値が上下するだろう。しかし、計測期間が長くなればなるほど、値の上下は収束して平均的な燃費を示すことが予想される。 さて、写真の場合、燃費に相当するものはあるだろうか。 まず思い付くのは、写真1枚あたりの単価。 しかし単純に考えた場合の1枚あたりの単価は、下記計算式を使って一度計算してしまえば、それで固定した値で済んでしまいそうに思う。 <計算式:(「フィルム代」+「現像代」+「マウント代」)/全撮影枚数> ただよく考えると、フィルム代は店舗によっても変わるし、デジタル主流の時代になり値上げもされる。また現像代は、店舗による違いのほか、増感・減感による割り増し、本数による割引きがある。 それら要素を巧くコントロールすればコスト低減に繋がる。 また、全費用を全撮影枚数で割るのではなく、採用カット数で割るべきであろう。もし採用枚数が少なければ、それだけ1枚あたりのコストが増大する。 失敗写真とならないようにすることが、1枚あたりのコストを下げる努力に繋がる。 このことにより、燃費と同じように努力で向上させることが可能な数字になるだろう。 また、長い期間で見ることにより、そのバラつきも収束し、自分自身の適正単価を示してくれよう。 これは、自分自身の写真的燃費とも言える。 車の場合と同じく、写真撮影も、一つとして同じ撮影条件は無い。 この雑文では、今後、我輩自身の写真的燃費を記録し続けることにする。 撮影する度、このページに書き加え、写真的燃費を算出しようと思う。 もし、ある撮影にて、この値を大きく外れることがあるとしたら、それは何かがあったということを示している。 −66判での写真的燃費− <<以下表組みあり>> ---------------------------------------------------- [562] 2006年01月23日(月) 「デートスタンプ」 元々我輩は、撮影した写真に日付を入れる必要性を感じなかった。それは、自分の撮る写真が芸術を目指しているという変な勘違いをしていたことによる。 この勘違いは、「写真を趣味として向上するということは、すなわち芸術写真を目指すことである」という誤った前提があったために生じた。 いわば、我輩の青臭い思い込みである。 (参考:雑文460「我輩は芸術家ではない」) 写真というのは、元々は絵画から派生した技術であった(※)。 そのため、写真の担う役割も絵画のそれと同じと言える。それはつまり、「記録」と「芸術」である。 (※当時はレンズやピンホールを通して暗室や暗箱の壁面に投影された像をなぞって描いた。そうすると、目の前の風景の相似形が苦労無く得られた。それまでのように絵筆を物差し代わりにして一つずつ測りながら描く必要が無くなったのである。) 写真に「記録」という役割があるのであれば、"撮影日"や"撮影場所"などの情報は大変重要であることは明らか。反対に、このような情報の無い写真というのは、価値が半減すると言っても言い過ぎではない。 さて、日付情報のみであれば、最近の35mmカメラでは画面内に日付を写し込むことは機能の一つとして用意されている。 しかし、日付情報を画面内に写し込むことについては、次のような欠点もある(ポジ写真前提)。 (1) 撮影カットによっては日付の写し込みが背景画像に溶け込んでしまい判読不能となる (たとえ1文字だけが判読出来なくとも記録の用を成さぬ) (2) ルーペやイルミネータを使わなければ日付が見づらい (たくさんのポジを取扱う際に不便であり非効率) (3) 縦位置で撮影したカットでは日付表示も縦になってしまう (4) そもそも、画像を見る際に日付は目障りである (トリミングする場合も日付が邪魔となる) (5) 我輩の所有カメラはデート機能を持たないものが大半 (統一がとれない) これらのうち、(1)〜(2)は致命的と考える。 そのため、我輩はポジマウント部分に「撮影日」、「撮影場所」、「フィルム」、「レンズ焦点距離」、「ストロボ使用の有無」、「増減感の有無」等を肉筆で書込むことにした。 これにより、上記問題のほとんどをクリアした。 (ただし35mm判の場合、記入スペースの関係上、縦横による位置不統一は避けられぬ) しかしながら、肉筆にすることにより、新たな問題が発生したことも事実。 それは以下の通り。 (1) 安定した文字を書くのが困難 (狭いマウント枠にフィルムを汚さぬよう手を浮かせて記入するのは不安定。大抵の場合、文字が揺れてしまい見るに耐えない。フィルムをハメ込む前にあらかじめマウント枠に記入しておけば良いとも考えたが、事前に数を合わせて順番に並べておかねばならない。またスリーブをまとめて切り分けて次々にマウントにセットするということも出来なくなる。ちょっとでもバラけると収拾がつかなくなる。) (2) 大量枚数の記入に手間がかかる (コンスタントに枚数が増えるのであればそのたびに少しずつ記入すれば良いが、大抵の場合はイベントごと一度に大量のポジを得ることになる。それらの記入を迅速にやらないと、記入すべき情報を忘れてしまう。) (3) 同じ情報を記入する作業が無駄 (同じ撮影情報のカットが数百枚ある時は頭が痛い。連続したシーンでは、代表カットのみに記入すれば良いとも思うが、1カットだけを抜き出して運用する状態を想定し、必ず1カット単位で完結した記録を徹底しているのである。つまり、同じような写真であっても、全てのコマに同じ情報を一つ一つ記入することになる。) これらの問題もあり、我輩は以前から「スライドマウント部に文字を印刷出来ないものか?」と考えていた。 印刷可能であれば、同じ情報であればあるほど一気に作業が進み効率が上がる。そして、何より文字が見易いため読み違えも少なくなる。 つまり、安定した情報記録が可能となるのだ。 しかし、印刷はどう考えても不可能。マウントの厚みが有りすぎる。しかもプラスチック製マウントに印字するために耐水性の印刷を考慮せねばならない。 いや、仮に印字可能だとしても、もし印字位置がズレた場合にインクがフィルムに付着するというリスクもある。 そこで考えたのが、デートスタンプだった。日付をセットしたスタンプをポンポンポンと押していけるならば簡単。 ところが、市販しているものは「曜日」が無かったり、和暦あるいは2桁に省略された西暦を使っていたりする。 「曜日」は、写真の状況を理解する一助になるだけでなく、「日付」のエラー訂正のための冗長性としても有用。 つまり、「曜日」と「日付」との間に矛盾があるのであれば、何かが間違っているということが判明する。 また、「和暦」を使うと絶対的な時間的位置が解りづらい。もし途中で年号が変わると収拾がつかなくなる。 西暦にしても、省略された2桁での記述は和暦と混同することもあろう。今現在は良くとも、後世の人間に混乱を与えかねない。写真の内容などから年代を推測するということも可能だろうが、そもそもそんなことを必要とするならば何のための記録なのか? 要するに、我輩の必要としているデートスタンプは「2005.12.20(火)」という表現が可能なものである。少なくとも、既製品には存在しない。いや、あることはあるのだが、西暦は桁ごとに組み合わせるのではなく2001、2002、2003・・・などというひとまとまりの活字が並んでいるのみ。つまり、2015くらいまでしか活字が用意されていないのだ。 我輩は100年先200年先のことを考える人間である。そのようなスタンプを使うわけがない。 ただそうなると、これまでと同じように肉筆での記録が続くことになる。目の前に積まれたスライドマウントを前にして、我輩は腕組みをした・・・。 そんな時、ふと、スタンプの特注を受けているところはないかと考えた。 早速、インターネットで検索。幾つかヒットした。 我輩の要求する仕様として、油性インクが使えるものでなければならぬ。そういった条件で絞ると、(株)池永の印章事業部門に行き当たった。 特注回転印の自動見積り画面で色々と試しながら自分に最適なデートスタンプを探った。 その結果、西暦を全ての桁に分解することはせず、上3桁を一つにまとめ、最後の桁を分けた。これでも上3桁は「198」〜「209」まで作ったため、100年近くは使えることになる。 一方、撮影レンズやフィルムなどの記録については、日付とは別のスタンプとした。 撮影場所の記述については、さすがにこれは手書きで対応するしか無い。 <<画像ファイルあり>> 「万能スタンプ台」とは、油性の万能インクのスタンプ台のこと 気になる金額は、1つ8千円ほど。桁数や全角文字が増えると金額も増えるので、そういったことを考慮しなかったならば数万円にもなったろう。 早速マウントにスタンプしてみたが、Hama製マウントは表面が滑らかでスタンプが滑り易い。あまり強い力で押さえないほうが良さそう。 その他幾つかのコツを掴むまでうまくスタンプ出来なかったが、しばらく使っていると安定して使えるようになった。 <<画像ファイルあり>> 66判Hama製プラスチックマウント <<画像ファイルあり>> 35mm判FUJI製プラスチックマウント 長く使うことを考え、書体はゴシック体とした。明朝体では細い部分が潰れ易いと考えたのである。いくら耐油ゴム製であっても、経年等の影響はあろう。 スタンプしたものを見ると、西暦が上3桁で別れているとは思えない。モノが届いてみるまでは、別れている部分が多少離れてしまうことを覚悟していたのだが、これならば違和感無い。 ただ、このようなスタンプの利用は、仕上がりの美しさを狙うのではなく誰の目にも読める文字情報を安定して記すことを狙っていることは言うまでも無い。 ---------------------------------------------------- [563] 2006年02月04日(土) 「自己満足」 言葉には、元々の意味とは別に、世間一般に認識されたイメージがある。 それは、誤った意味として使われているわけではないが、限定したイメージに偏らせているために、他の用法を排除することがある。 具体例を挙げるとすれば、「奇特な」という言葉はその代表と言えよう。 これは"感心する行為"という意味が強いのだが、他にも"不思議な・奇妙な"という意味もある。つまり、プラス面とマイナス面のどちらにも使える言葉である。 しかしながら世間一般としては"物好きな"という意味合いで使われることが非常に多く、プラス面の意味は排除されている。 そのため、この言葉をプラスの意味で使ったつもりであっても、マイナスなイメージで受け取られる危険性が高い。 さて、以前雑文487「写真の価値」で書いた点について心配事が一つある。 それは、「自己満足」という言葉についてである。 雑文487「写真の価値」では、以下のように書いた。 写真は、自分さえ満足していれば最低限それだけの存在価値は持つ。 極端な例えだが、パンチラ写真などを撮る者にとって、それらの写真は他人には見せられないものの、確かに自分だけの価値を持つ。他人に評価されるかどうかなど問題ではない。 我輩の撮る写真も自分だけに向けた写真であるため、他人の評価を必要としない価値を持つ。まさにパンチラ写真のような価値である(卑下しているわけではないので注意)。 この文章は、「自分さえ満足していれば」と書いていることからも分かるとおり、まさに「自己満足」という意味である。 客観的評価や他者の評価を適用せず、自分自身が満足することのみを価値基準としている様子を強く書き表した。 しかしながら、我輩はこの雑文487中に「自己満足」という言葉を一つも使わなかった。 その理由は、「自己満足」という言葉が持つ世間一般のイメージが、我輩の表現したい文章の意味を著しく偏向させてしまうと恐れたからだ。 しかもパンチラ写真などを例に挙げたこともあり、「卑下しているわけではないので注意」とわざわざ書き加えて我輩の真意が隠れぬよう努めた。 ただそうは言っても、後日改めてこの文章を読み返すと、我輩の真意は表しきれていないと感じた。 いくら「自己満足」という言葉を使わなくとも、意味として「自己満足」に変換されるのであれば、結局は同じことである。 そこで今回、敢えて「自己満足」という言葉を明言し、それについての我輩の真意を述べることにしたい。 ----------------- 「自己満足」という言葉について世間一般のイメージとしては、"他者の厳しい評価を回避した妥協の産物"という意味合いが強い。 それはつまり、マイナスのイメージである。 確かに、自己の評価基準を決めるのは自分自身であり、自分の都合で基準をいくらでも甘くすることが出来る。そういう意味で言えば、確かに「自己満足」イコール「妥協」となろう。 しかし、自己の評価基準が非常に高いとしたら? 他者の評価を遙かに上回る要求を持っていたとしたら? 以前、雑文254「ジンクス」で書いたが、他人が「どうでも良い」と思っているようなことであっても、我輩にはジンクスに縛られるほどの強いこだわりがある。 一度でもそのジンクスを破ってしまえば全ての努力が無となる強迫観念。それを自らに課しているのだ。 これはまさに、「自己満足」であろう。 例えば、我輩がリバーサル写真にこだわることに関して、「結局はパソコン画面で鑑賞したりプリントしたりするわけだから必要の無いクオリティだ」という意見をもらうことが度々ある。 しかしそれは他者の評価基準であり、我輩の評価基準を到底満たすことは出来ない。 我輩を自己満足させるには、他者クオリティでは全くに不足する。 ここで、雑文355「気概ある者、闘いに備えよ(2)」で書いた言葉を再び書くことにしたい。 「マニアをマニアたらしめているのは、クオリティに対する異常なまでのこだわりであり、妥協の無い自分に満足するという、ある種の潔癖さである。」 我輩は、自分が満足するまで、金と努力と時間を惜しまぬ。 これこそが、我輩の自己満足。 ---------------------------------------------------- [564] 2006年02月22日(水) 「辞書」 いくら読書好きであっても、辞書を最初から最後まで通して読んだ者はおるまい。 辞書の内容は、項目ごとに完結しており、必要な時に必要な項目だけを活用するのが一般的な使い方と言える。逆に、必要無い項目は全く目を通さないで終わることになる。 「広辞苑」などの辞書となれば厚さもかなりのもの。それだけに、利用されない部分も多かろうと思う。 なぜ、そのような無駄な情報が辞書には詰まっているのか? その理由は我輩が言うまでも無いことであるが、辞書というのはあらゆる情報を詰め込んでこそ意味のある存在だからだ。 事前に、自分にとって必要となる情報が判明しているのであれば苦労は無い。どんな情報が必要とされるのかは、その時になってみないと分からないのが普通であるから、調べるための辞書には全てを網羅しておかねば対応出来ない。 そういう意味で、辞書というのはそれぞれの使用者にとっては必要の無い項目ばかりであるが、逆にそういうことが大事であると言える。分厚い辞書のほんの1頁が抜けていても用を為さないことがあり得るのだ。 雑文255「写真だけを知るなかれ」にも書いたが、役に立つ情報かどうかは結果が決めることであり、人間が事前に決められることではない・・・。 さて以前、雑文053「我輩が買う写真雑誌」にて、「写真工業」の定期購入している話を書いた。 あれから6年経ったのだが、いまだに「写真工業」を購入している。 実を言うと、ここ数年、「写真工業」はつまらない内容になってしまった。 最新テクノロジーのカメラ技術を扱っていた記事が、いつのまにかレトロなアンティークカメラを懐かしむ記事に取って代わった。 もちろん、写真衰退期にある現在、あまりに技術的過ぎる記事はウケが良くないのは理解出来る。読者あっての雑誌であるから、あまり頑固であっても休刊に追い込まれるのがオチ。 しかし「写真工業」には「写真工業」なりの位置付けがあって良かったようにも思う。 新製品カメラのX線写真や、設計図面。意味は解らずとも、それらを眺めるだけでワクワクしたものだ。そして、いつかその図面が役に立つ日が来ると思った。 もはや「写真工業」は「写真工業」ではなくなった。 このまま定期購入を続ける意味はあるだろうか・・・? しかし我輩としては、ここまで購入してきたのであるからそのまま惰性で買うのも良かろうと思った。 記事の技術的味付けは薄くなったものの、それなりに興味深い情報も無いわけではない。今読まなくとも、この先役に立つ記事もあるかも知れぬ。 役に立つ情報かどうかは結果が決めることであり、人間が事前に決められることではない。 今は、辞書の1頁が欠けることのないよう、情報の収集に専念するのみ・・・。 ---------------------------------------------------- [565] 2006年02月23日(木) 「月のライティング」 我輩は現在、コンピュータ関連のコンテンツ製作に関わる業務に就いている。 先日職場で、素材としての写真の話題が出た。 職場では、恐らく我輩以外のほとんどが写真を単なる素材としての認識しか持っていない。そのため、「パソコン(Mac)を使えば写真というものはどうにでも加工出来る」などという思い上がりが少なからずある。 ある者が言った。 「写真は構図が一番大切だよな。」 我輩が言った。 「確かに構図も大切だが、一番というほどでもない。写真はライティングが大切。なぜなら、ライティングというのはパソコンですら調整が利かない。」 それに対して、こう反論してきた。 「画像処理ソフト"フォトショップ"には"照明効果"というフィルターがあるから、それで擬似的にだがライティングの処理が出来る。」 この考えは、完璧に間違っている。 ライティングというのは、物の形を現すための作業である。ライティング無くして、物はその姿を現さない。 モノクロ写真をやったことの無い者には理解しづらいことだろうが、光の陰影は、物の形を現すための必要不可欠な要素である。 光があるからこそ、陰がある。陰があるからこそ、光を浮かび上がらせる。 夜空に浮かぶ月。 それを、望遠鏡で拡大して見るがいい。 もし真ん丸い満月であるならば、その表面はのっぺりとして滑らかに見える。 もし三日月や上弦・下弦の月であるならば、その表面は凸凹して痘痕面(あばたづら)に見える。 光の角度が違うだけで、物の形そのものが全く異なって現れるのだ。 確かにライティングは、写真の雰囲気を醸し出すためのテクニックとして使われたりもするが、そもそも基本として「物の形を写真として焼き付けるための大事な要素である」ということを忘れてはならぬ。 それを理解した上で画像処理ソフトの"照明効果"を使うのであれば、それはそれで結構。 ここで問題視しているのは、ライティングがパソコン上でどうにでもなると考えているその甘さだ。 そういう者たちは、恐らく満月の写真を加工して三日月に変えてしまうだろう。 のっぺりとした表面に月の海だけの三日月。そこに照明効果を付けて球体に見えるように加工するかも知れない。 しかし、このような不自然な映像が当たり前のようにメディアに溢れている今日、もはや何の違和感も無く受け入れられてしまう。 パソコンが普及し、どんな画像でも合成出来るようになったと言われるが、現実にあり得る画像は逆に少なくなった。 頭の中だけで考えた映像を現そうとするからそうなる。 画像処理の達人だと自負するのは別に構わん。 だが、写真を素材として扱うのであれば、もっと写真というものを勉強したらどうだ? ---------------------------------------------------- [566] 2006年03月14日(火) 「ビルオーナーの気持ち」 我輩は普段あまりテレビを観ないのだが、先日珍しくテレビ番組に見入ってしまった。 それは、ビルの耐震性についての番組である。 旧い建築基準法で建てられた昔のビルの耐震性が問題になっており、耐震補強をするにしても億単位のコストが必要だという。 ビルのオーナーは、「あと10年ほどすれば寿命が来て建て替えることになるビルについてそんな膨大なコストはかけられない」と取材で答えていた。 大手ビルオーナーならばまだしも、個人経営のビルオーナーであれば、予定外の費用はなかなか捻出出来るものではない・・・。 さて、先日、我輩の営業時代の先輩T課長から誘われて飲みに行った。「食うだけ食ってくれ、飲むだけ飲んでくれ」と気前が良い。 (「T課長」とは、雑文398「勝つためのこだわり」で登場した「T主任」のことである。) 勘定時に我輩は「いや自分の分くらい払いますよ」と財布を出したのだが、「いいから、いいから」などと言って払わせてくれない。 何かあるなと思ったら、今度の休みにT課長の所属するソフトボールチームの練習試合が我輩の地元でやることになったそうで、「撮影に来てちょんまげ!」と言われた。 ここ最近は寒い日が続き、ハッキリ言って億劫だった。 しかし退屈気味の豚児の気晴らしとして一緒に連れて行っても良かろう。車で行けば、行き帰りの寒さは何とかなる。 撮影機材については、当然ながらデジタルカメラしか選択肢は無い。 我輩はソフトボールそのものには興味が無く、撮影した写真を作品として残すことは考えていない。そうなれば、自ずとランニングコストの低いデジタルカメラが選択されることになる。 T課長としても、すぐに画像が見られるデジタルカメラでの撮影を望んでいる。 では、数多く所有するデジタルカメラのうち、どれを使うか。 言うまでもなく、一眼レフタイプの「Canon EOS D-30」である。 スポーツ撮影というのは、選手と同じフィールドで撮影出来ない限りは望遠撮影は必須となる。まさか広角専用のデジタルカメラ「RICHO GR-D」を持って選手たちと混じって撮影するわけにもいくまい。審判に偽装して撮影でもするか? もちろん、OLYMPUS製ウルトラズームのコンパクトデジカメも持っているが、シャッターレスポンスが非常に遅く、一眼レフタイプに及ばない。またAFとMFの切り替えがすぐに出来ないのはスポーツ撮影では致命的。 (ソフトボールのようなスポーツでは、置きピンが有効な場面がある。AF/MFの切り替えがスムーズではないカメラではAFに頼らざるを得ず、シャッターボタンを押す度に測距し直すことになり使いづらい。) ところで、「Canon EOS D-30」は2000年発売されたカメラで、デジタルカメラとしてはかなり旧いと言える。しかし、一眼レフ形式ということもあって基本性能がしっかりしており、画素数は300万画素と少ないのだが利用価値はそれなりに高い。 また、現在内蔵ストロボの故障があるものの、それ以外の大きな不具合も無く今でも順調に働いており、まだ数年間は使えそうに感ずる。 我輩は、当日に備えて2つのリチウムイオンバッテリーを充電しておいた。試合時間は1時間程度。バッテリー1個でも十分に足る。もう1個はいざという時のための予備として、多分出番は無いだろうが気まぐれで用意した。 練習試合当日、我輩はカメラを構えて選手たちを望遠レンズで追った。 デジタルカメラであるから、ボールをジャストミートする瞬間がその場で確認出来るのが良い。メモリも空にしてきたので撮影枚数も十分に行けるはず。 ところが、10分ほど経過してバッテリーが切れた。 「?・・・寒いから切れたか?」 まあ、予備バッテリーもあることなので、バッテリーを入れ替えて撮影を続行。まあ、最初のバッテリーは何らかの原因でうまく充電されてなかったのかも知れぬ。 だが、2つ目のバッテリーも10分ほどで切れてしまった。 慌てて最初のバッテリーを入れ直した。ポケットに入れて暖めていたので、もしかしたら復活するかも知れないが、元々低温に強いバッテリーだと聞くので、どれだけ効果があるか・・・。 やはり、そのバッテリーも入れた直後は満充電表示なのだが2〜3分ほどで切れた。そのため、数分ごとに2つのバッテリーを交互に入れ替え撮影続行を試みた。 また、完全にMF撮影に切り替えたり、画像サイズを小さくしてメモリに記録する電力の節約を図ったりしたのだが、それでも試合最後までは保たなかった。 1時間後にはもう一試合あったのだが、バッテリー切れのカメラでは何も出来ず、また豚児の鼻水が垂れてきたので、T課長には申し訳なかったが、家に帰ることにした。 それにしても、このバッテリーはもはや寿命なのだろうか? 確かに、発売から6年も経つカメラであるから、それも十分あり得る話。今までは室内撮影が主であったから、バッテリーの消耗についてはあまり意識したことが無かった。 今後野外で一眼レフ形式のデジタルカメラで撮影することがあれば、2つのバッテリーで20分程度の撮影しか出来ないわけである。いくら基本性能がしっかりした一眼レフ形式のデジタルカメラであっても、さすがにこれはマズイ。 では、新しいバッテリーを購入するか? 今まで通りの運用をするのであれば、新しいバッテリーも2個必要になろう。それなりの出費を覚悟せねばならないが、まあ、必要ならば仕方ない。 ここで、ふと思った。 「300万画素程度の旧いカメラに新たなコストをかけるのはもったいない。もう少し待てばフルサイズの安い一眼レフタイプのデジタルカメラも出てくるのではないか・・・?」 Canon製デジタルカメラはバッテリーの互換性が高いため、新しいカメラを購入したとしても流用可能ではある。しかし2台目の一眼レフタイプデジタルカメラがCanon製であるという確証は無い。もしかしたら所有レンズが豊富なNikon製になるかも知れない。あるいはズームレンズを多く所有するMINOLTA製になるかも知れない。PENTAX製もコンパクトで意外に良いかも知れない。 古いビルを持つオーナーが、今のビルにコストをかけて耐震補強をしたくない気持ちが、少し解ったような気がした・・・。 ---------------------------------------------------- [567] 2006年03月21日(火) 「あぶくま洞」 先日、車検のタイミングで車のタイヤを新品に交換した。 中古で購入した車であるから、せめてタイヤは新品から乗りたいと思っていたのである。高速道路を走行する割合も高いため、タイヤに不安があると困る。 さて、タイヤが新品になったわけであるが、運転フィールがどれほど変わるかを体験する必要があると考えた。 一般道での走行はあまり違いを感じないが、高速道路ではどうだろう? そこで、高速道路を使った日帰り旅行を考えた。 運転経験が極めて少ないことから、やはり家族を同乗させることは避けたい。 もちろん、新品に換えたことによって少なくとも性能が悪くなるということは無かろうが、古いタイヤでしか運転したことがないというのは不安材料のひとつである。 それに、週末は疲れを癒す時間も少ないため、なるべく自分のペースで運転出来るように、我輩一人で行くことにしたい。 さて、ドライブは決まったものの、どこに行くかは直前まで迷った。 我輩にとって、目的の無いドライブほど疲れるものは無い。逆に、目的さえ決まればどんな困難があろうとも達成しようとする気持ちが疲れを忘れさせる。 本来ならば、蔵王へ行ければ良い。しかし、4月までは雪のために道が閉鎖されており到達不可能。 次に興味のある火山地形「吾妻小富士」も、やはり雪のため道路が未開通。 山に行くとなると、この時期であれば雪の問題にブチ当たる。火山地形ならば箱根あたりもあるのだが、我輩の気持ちとしてはぜひ東北の道を走りたいのだ。 色々と迷った挙句、福島県の鍾乳洞「あぶくま洞」へ行くことにした。 ここは比較的規模の大きな鍾乳洞のようだ。しかも駐車場が広く、雄大な石灰岩の岸壁をバックに車の写真も撮れそうなのが良い。 「あぶくま洞」は当初から候補に挙がっていたのだが、単にそれだけのために長い道をドライブするには、やはり目的として弱い。 周辺地域を調べてみたものの、「入水洞」という難易度の高い冒険型の鍾乳洞があるのみ。 (冒険型の鍾乳洞は千仏鍾乳洞で懲りた:参考雑文294) 結果的に、通り道としていわき市の「アクアマリンふくしま」という水族館も目的地に加えることにした。 ウェブ上から得た事前情報によれば、あぶくま洞は連休中や夏休み時期になると、駐車場に入る前の道路から行列が出来るらしい。 ただし今はまだ寒い季節のためそこまで混むことは無かろうが、狭い通路のある鍾乳洞での撮影を考えると、なるべく人の少ない平日に行ったほうが無難。 ちょうど金曜日に休暇が取れたため、土日に繋げて3連休とした。 この日の天気予報は、夕方から少し雨が降るとのこと。雨の日の高速走行を試すには良いかも知れない。 金曜日、朝5時に目が覚めた。 本当は6時に起きるつもりだったが、眠気が無いのでそのまま用意して車に乗った。 毎度のことだが、出掛ける間際に荷物の用意をした。カメラはブロニカSQ-Ai。鍾乳洞や風景では広角レンズ40mmを使い、車の撮影は準望遠の110mmを使うつもり。 車を利用することから、三脚や魚眼カメラ、そして一眼レフ型とコンパクト型のデジタルカメラ2機種も入れた。 外はまだ夜中の雰囲気。蔵王行きの時もそうだったが、暗い時間に家を出発するのは気分が盛り上がる。 ETCカードを刺し、カーナビゲーションを設定。あぶくま洞まで3時間半かかるようだ。 一般道ではダンプカーが多く多少緊張を強いられたが、高速道路に乗ると安心したのか少し眠気が出てきた。そのため、パーキングエリアに何度も立ち寄り、朝食を摂ったり仮眠したりした。5分でも目をつぶるとかなり違う。 <<画像ファイルあり>> −車載ビデオ映像− しばらく走っていると、空が明るくなり走り易くなってきた。 茨城県から福島県へ入ると、もう車はほとんど走っていない。ただし、片側1車線の区間が多くなってくる。 <<画像ファイルあり>> −車載ビデオ映像− 常磐自動車道から磐越自動車道へ入り、小野インターチェンジから降りたのは9時近かった。 福島の一般道は初めて走ったが、右左折時に直前までウィンカーをつけない車が非常に多く感じた。右折レーン先頭で止まっている車やT字路の下側で信号待ちをしている車など、ウィンカーが出ていないため次の動きが読めずに戸惑う。 我輩は信号待ちごとにデジタルカメラ「RICOH GR-D」で交差点を撮影した。後で運転の参考にするためである。 こんな時は起動の早いデジタルカメラは重宝する。 ただし、連続撮影では待ち時間が長いのが気になる。そこそこ速いメモリを購入したつもりだったが、やはりカメラ側の性能が弱いのか? ジグザグの山道を登りあぶくま洞に到着すると、広大な駐車場に10数台の車が一箇所に集まって停まっていた。 我輩もその集団に加わって駐車すべきか考えたが、石灰岩の岸壁をバックに撮影するには位置が不適当だと判断し、皆と離れた場所にポツンと停めた。 エンジンを止めると、静寂に包まれた。人の気配がしない。 空は曇り空で寒々としている。 しかし我輩は車でぬくぬくとしているので気が沈むことは無い。 <<画像ファイルあり>> −あぶくま洞第二駐車場− とりあえず車の写真を撮る。 110mmを使い、5メートルほどの距離から撮影。三脚を出そうかと思ったが、まあ、大丈夫だろう。 その後荷物をまとめ、必要最小限の装備をして鍾乳洞に向かう。本番撮影用にブロニカと40mm広角レンズ、露出計用としてデジタルカメラGR-Dである。 鍾乳洞の中は、外に比べて暖かく感ずる。そのためか洞内に入ってすぐにレンズとアイピースが曇った。 急いでレンズのフィルター表面をハンカチで拭いたがまた曇る。仕方無く、しばらくハンカチを当てたまま体温で暖めて対処した。 意外にも洞内で人と出会うことが無い。そのため、撮影にはゆっくりと時間をかけることが出来る。細い通路に陣取って長時間露光をしても誰の迷惑にもならない。 ただし、センサー式の照明があるため、撮影に時間がかかると自動的に消灯されるのがやっかいである。そういう時は再びセンサーのある場所に戻って照明を点灯させねばならぬ。人通りが多ければ消灯するヒマも無いのだろうが・・・。 途中、探検コースと一般コースの分岐点にさしかかった。 そこには係員のオイちゃんが1人座っており、探検コースに進む場合に200円を追加徴収するとのこと。 事前情報で検討した際、探検コースはあまり撮影するものも少ないように感じていたため、考えることなく一般コースを選んだ。 続いて長い階段を上って行くと、天井の高い大広間に出た。 そこにも係員のオバちゃんが一人いて、照明ボタンがそれぞれにあることを説明してくれた。 我輩は大広間で見える鍾乳石を撮影して回った。テーブル三脚を手すりにかけて長時間露光。ブロニカのバシャッ!という豪快な音がした後にパチンと小さなシャッター閉じの音がする。 「フラッシュの撮影ですか?」 オバちゃんが我輩に声をかけた。 「えっ?」 少し離れた場所だったため、あまり聞き取れなかった。 「フラッシュがどうのと言っているようだな・・・。そう言えばここは撮影禁止という情報がどこかのウェブサイトに出ていたような気がする。訪問者たちの撮影した写真が多くあったため、まさかそんなことはあるまいと思っていたが、少なくともフラッシュ撮影は禁止ということか? 恐らく、暗黒の世界で長い時間をかけて作られた鍾乳石にフラッシュの強い光が影響を与えるというのだろう。」 我輩は、フラッシュ撮影ではないことをオバちゃんに言った。 これで撮影がダメなら、非常に残念であるが従うしか無い。 ところがオバちゃんは、「フラッシュ使わないと写りませんよ。」と言うのだ。なんだ、そういう話か。 しかし、至近距離の鍾乳石を撮るなら別だが、こんな広い場所を小型のストロボで照明するのは不可能(※)。結局は長時間露光しか方法が無い。 (※シャッターを開きっぱなしで複数回発光させる方法もあるが、それは完全暗黒中でなければムリ。小型ストロボのチャージ時間を考えると、2〜3回発光させる間に定常光側の露光が完了してしまう。) それにしてもこのような大きなカメラを使って撮影している我輩に撮影のアドバイスを行うオバちゃんの感覚には参った。普通ならば、大きなカメラを使っているというだけで「タダモノではない」あるいは「モノ好きな奴」と考えるはず。少なくとも写真の素人とは思うまい。 それなのに「フラッシュ使わないと写りませんよ。」と言われてしまっては我輩の立場が無い。 まるで、水戸黄門が印籠を出しているのに「おじいちゃん危ないよ」と言われているようなものだ。 「8秒でF5.6の露光を与えているから大丈夫です。」 我輩はヘタに説明するのが面倒だったため、わざとこのように言った。少なくとも、考えがあってやっているということが伝われば良い。 オバちゃんは「そうですか。」と言った。 (もしかしたら、ブロニカとハッセルブラッドの違いが分かるオバちゃんだったりするかも知れない。その場合は、「そうですか。」という言葉の含みが重いわけだが・・・。) <<画像ファイルあり>> −あぶくま洞− 鍾乳洞も終わりに近付いてきた。 それにしても変だ。駐車場には10数台の車が停まっていたはずだが、他の訪問者と全く出会わない。 出口を抜けると、ちょうど売店の裏側に出てしまった。売店を必ず通って帰るようになっているようだ。観光地はどこも同じだな。 我輩は豚児とヘナチョコ妻用に土産を幾つか買った(特に豚児は、土産を買って帰ると踊り出すので楽しみではある)。 それにしてもこの周囲は、面白いことに色々と石灰岩が利用されている。例えば、手洗い場や休憩コーナーのテーブルなどは、磨かれた石灰岩である。 <<画像ファイルあり>> −石灰岩の利用− 駐車場に戻る途中、10数台停まっている車を見た。皆、いわきナンバーの軽自動車だった。恐らく、これらのほとんどがあぶくま洞職員の車なのだろう。そう考えると訪問客と出会わないことの納得がいく。 車に戻り、向かいにある「星の村天文台」の駐車場に移動し、展示を見て回った。やはり誰もいない。 プラネタリウムが上映されるようだが、タイミングが悪くあと2時間待たねばならないようなので諦めた。 その後、あぶくま洞の駐車場に戻り、コンビニエンスストアで買い込んだ弁当を車中で食べ、一休みした。 次は、元来た道を下って水族館に行く。 高速道路でいわき湯本インターチェンジまで戻り、そこから海辺の水族館「アクアマリンふくしま」へ。 ここも平日のためか客入りは少なかったが、大学生のカップルのように見える組み合わせは多くいたように感ずる。 <<画像ファイルあり>> −アクアマリンふくしま− ここではさすがに動いている魚に長時間露光は出来ないため、ビデオカメラとデジタルカメラをメインに使うことにする。 デジタルカメラは感度を400に上げたのだが、コンパクトタイプの「RICOH GR-D」ではノイズが多く、「Canon EOS D-30」を主に使用することにした。しかしながら、バッテリーが弱いため(参考:雑文566「ビルオーナーの気持ち」)すぐに撮影不能に陥った。仕方無いのでGR-Dを使っていたが、800万画素もあるカメラにメモリを514MBしか入れておらず画像満杯でこちらも撮影不能。ちまちまと不要画像を消しながら何とか最後まで撮影した。 帰り路、暗くなってライトを点灯した。 そして高速道路に入ると予報通りに雨が降り出した。間欠ワイパーを作動させる。高速道路でワイパーを動かすのは、去年の夏以来か(参考:雑文549「夏の帰省2005」 )。あの時は、走行中にワイパーブレードのゴムが剥がれてどうなるかと思った。 しばらく走っていると、今回の旅が試験運転であることを思い出した。 そう言えば、この車のホーン(クラクション)を鳴らしたことが無い。やるのであれば、他の車が前後にいない今やってみよう。 ステアリング中央を軽く押すと、「プー」と鳴った。ラッパのような気の抜けた音だった。 次に、ライトをハイビームにしてみた。しかしあまり変わったように思えない。対向車が来たのですぐに戻した。 ハイビームは帰宅後にチェックの必要有り。 <<画像ファイルあり>> −車載ビデオ映像− 福島県から茨城県に入ると、車の数が増えてきた。暗くなってきたのでライトを点灯して走ったのだが、途中、我輩に併走してクラクションを激しく鳴らしてくる車が現れた。 その車は前に割り込んできてブレーキランプをパカパカ点滅させ速度を落としてくる。車線を変更して抜こうと思ったがその車も車線を変更して抜かせようとしない。 「ん? ライトがハイビームになっていたか?」 そう思ってスイッチをチェックしたが、ハイビームになっていない。 「不気味な老婆が車の屋根にしがみついているとか?」 まさかな・・・。 「気に障る運転をしてしまい逆恨みでもされたか?」 しかし、いくら考えても無理な車線変更をしたつもりも無いし、ここまで来れば片側3車線もあるから進路妨害になることも無い。 そのうち、その車が横に並んで窓から腕が出てきた。中指立てているとこちらも引くに引けなくなってしまうため、前を向いて完全無視を決め込んだ。煽りに乗ってしまって双方事故を起こした事例を幾つか知っている。この場合、無視が一番。 それが功を奏したか、その車はスピードを上げて我輩の視界から消え去った。 念のため、次のパーキングエリアに入って車の周囲をグルリと回ってみた。 特に何も無い。 「老婆が屋根にしがみついていなくて良かった・・・。」 我輩は、そのまま帰宅した。 後日、気になったので車の操作説明書を読んでみた。 すると、我輩がハイビームのスイッチだと思っていたのは実はフォグランプのスイッチで、ハイビームのスイッチはライトのスイッチとは離れた場所にあったことが判明。 推測するに、車検のライトチェックの際にハイビームにしたまま戻さなかったのであろう。 まあ、今回それに気付いたということで、試験運転の意味があったわけだ。 ---------------------------------------------------- [568] 2006年03月21日(火) 「兵糧責めへの備え」 現像上がりのビニール製スリーブシートのままにしておくと、長い年月が経つと乳剤面がビニール面と固着してしまうことがある。そうなってしまうと、ビニールを剥がしても固着した部分としていない部分の境界がクッキリと痕を残す。 現像済みフィルムは、極力どこにも接触させず浮かせておくべき。 そういう意味で、現像したリバーサルフィルムは、成功カットを切り出してマウントにハメるのが最も保存性が良い。 マウント枠が物理的ガードとなるばかりでなく、撮影データの記録枠としても重宝する。 (ただし、あまりキツくフィルムを挟むと湿度変化によるフィルムの微妙な伸縮で平面性が悪くなるため、少し手加減する必要はある) さて、先日現像したブローニーフィルムを整理するため、1コマ1コマ切り分けてマウントにハメていた。 ところがあと数コマというところでプラスチックマウントが足りなくなってしまった。 翌日、会社帰りに久しぶりにヨドバシカメラ上野店へ寄った。 しばらく見ないうちに、売場レイアウトがかなり変わっていた。フィルム売場は1/4くらいに縮小しており、我輩がいつも買っていカートン単位のものは店員に言わなければ取れないところにある。一方、写真整理用品も同じように売場が大幅に縮小され、アルバムや写真台紙などは消えている。 焦った我輩は、66判のマウントを探した。 我輩が長年愛用しているのは、ドイツ製のhamaプラスチックマウント「1162」である。 これは平面性が高く、マウントを積み重ねてもまっすぐに積み上がる。 フィルム位置を固定するためポッチがあるが、フィルムに小さな穴が空いてしまうため、このポッチは小型のニッパーで切り取って使っている。 ただ価格は高めで、ヨドバシカメラでは50枚入りで¥2,793となっている。 5年くらい前には、韓国製のスライドマウント「MATIN」が店頭に置かれるようになり、値段もhamaマウントの半額であったため、試しに買ってみたことがある。 しかし、マウントが歪んでおり平面性は最悪。フィルムをハメてみたものの、積み重ねてみるとグラグラして倒れそう。一つ一つが平面性を保っていないため、積み上げた全体がバネのようになり、上から押さえると縮むものの、手を離すと元の高さに戻る。 また、プラスチック樹脂に時々黒い油が付いていることがあるが、これは恐らくプラスチック樹脂を金型から外し易くする離形剤ではないかと思う。離形剤を使うのは、金型の精度の悪さを証明している(やむを得ず離形剤を使うことがあっても、洗浄を行えば目に余るようなことは無くなるはず)。 まさに、安物買いの銭失い。¥1,200程度のものではあったが、用を為さぬ物ほど無駄な物は無い。 それ以来、我輩は制式フォーマットである66判では決して「MATIN」を使わず、645判のメモ用途でのみ使用している。 さて今回、売り場面積が大幅に狭められたヨドバシカメラの写真整理用品コーナーのスライドマウントだが、無惨にも各種マウントがゴッチャになって置かれていた。まるで子供が片付けたオモチャ箱のよう。 我輩は、その中からhamaスライドマウントの66判用を2箱探し出した。 しかしそれにしても、この売場の様子はまさに在庫処分である。ここで2箱手に入れたものの、もう入荷されないのではないのか? そんな不安が過ぎったため、近くにいた店員に、我輩がマウントを買った後に補充されるかを訊いてみた。 店員は在庫管理のパソコンを操作した後、我輩に向き直って言った。 「これは、補充されませんねぇ。」 何ということだ・・・。 やはり写真整理用品コーナーは潰されることになっているのだ。 デジタルカメラを含むデジタル家電の売場どんどん大きくなり、フィルムやプリント関係のものはこのまま消えるのか? 我輩は過去15年間に、ヨドバシカメラで数百万円は使っている。そういうユーザーを軽んじて売場を塗り替えるとは何事か。 別に、製品の供給が止まっているわけではない。幾社もある写真用品関係の販売会社が一斉に販売を止めたのならばともかく、今回の件は小売り店が勝手に売場を潰しているのである。 確かに、売場面積を縮小するのは仕方が無い。だが、完全に無くすようなことはするな。 いくら儲かる売場を大きくしたいからと言っても、売り上げが小さくとも必要とされている売場は残すべき。 そうは思わんのか? ヨドバシカメラよ。 結局、売れないから売場を小さくする、売場が小さくなるからその分野の集客力が低下する、そうなるとますます売れなくなる・・・。 これはまさにスパイラル。 ポリシーも無く流されたような商売をしていれば、その時は良いだろうがいずれは身を滅ぼすぞ。 まあそうは言っても我輩は我輩で対策を考えねばならぬ。 店員によれば、ヨドバシカメラ全店で探せば幾らかの在庫はあるだろうと言う。しかしそういう問題ではない。これから数年間に渡って安定した供給が出来るかどうかということが問題なのである。 とりあえず、手元には2箱のhamaマウント。あとはどうする? 改めて売場を見てみたが、66判用のマウントは韓国製「MATIN」のみ。 このマウントだけは、死んでも買いたくない。 帰宅後、ウェブ上で検索してみた。 すると、ヨドバシ価格よりも273円安いものがあった。しかも送料無料。ここでまとめ買いするか。 もしここで50箱買えば、ヨドバシカメラで50箱買うより1万3千円も安く手に入る。 我輩は、緊急事態ということでヘナチョコ妻に頭を下げ、家計から借金をして買うことにした。何しろ手元には、千円しか金が無い。 それにしても、50箱は10万円を越えるのでさすがに無理。せめて20箱くらいは欲しい。となると5万円・・・。もうちょっと借りても良いか。25箱で6万円・・・。切りの良いところで30箱、7万5千円かっ! 今月の給料明細によれば、いつもより7万5千円も多く振り込まれている。その分が使えるのではないかと考えた。 ・・・しかし先月そんなに残業したか? まあ細かいことはいい。 (後になって、それは4月以降の定期券代の支給であることが判明。マズイな。) 最初、在庫が30箱もあるかと心配したが、このネットショップはメーカーや代理店からの直送だそうで、それならば大丈夫だろう。 数日後、大きなダンボール箱が届いた。hama代理店のエツミからだった。 我輩は急いで梱包を解き、山のようなhamaマウントを手に入れた・・・と思ったその時、予想外のものが目に入った。 「MATIN」 見るのもイヤなあの韓国製粗悪マウント。それが、30箱届いたのだ・・・。 <<画像ファイルあり>> −嫌がらせのように届いたMATINスライドマウント(韓国製)− 狙ったようなオチに、一瞬冗談かと思った。 「どうもー!どっきりカメラです!」などと叫びながら、看板を持ったヘルメット男が現れるのかと思ったがそんな気配も無い。 「よりにもよってこれが届くとはな・・・。」 例えこれが粗悪品でなかったとしても、価格が2倍も違う品であるからショックは大きい。 急いでエツミの配送センターに電話したが金曜の夜なのでもう誰も出ない。 仕方無いのでショップのほうにメールしておいた。営業日の関係で土日を挟んで連絡は無い。そのため、この間は心が落ち着かなかった。 「7万5千円が韓国製に化けるとは・・・。」 交換出来るとは思ってはいるが、心理的なダメージは消えない。 待ちに待った月曜日、ようやくショップとエツミから返事が来た。 hamaマウントを急いで送るとのこと。 ようやく、気持ちが落ち着いた。 翌日、またもや大きなダンボール箱が届いた。 まさかと思いながらも開けてみると、あの馴染み深い箱が現れた。 ああ、良かった。 <<画像ファイルあり>> −やっと届いたhamaスライドマウント(ドイツ製)− 今後はこの在庫を使っていこうと思っていたが、よく考えると、50枚入りが30箱ということは1,500カット分(現在までの豚児写真でちょうどそれくらいの数)。この程度の数であれば数年で無くなってしまう。 ならば、この在庫は手元に置いておき、当面はヨドバシカメラやウェブから1〜2箱単位で注文して使うことにしよう。 そして、いよいよ本当に手に入らなくなったその時に、30箱の在庫を使い始めるのだ。 ただ、その前にフィルムの生産が終わるかも知れないという不安もあるが、そういう心配は手を尽くしてからすれば良い話。 フィルムが先に無くなるか、用品が先に無くなるか、そんなことを考えているうちに、本当にどちらも失ってしまうぞ。 フィルムは生ものであるから、そればかりは買い貯めがきかぬ(現像処理も同様)。兵糧責め(参考:雑文355「気概ある者、闘いに備えよ(2)」)に備えるために、まずは日持ちする乾物を備えたのである。 それだけでは備えにならぬが、それ無くして備えにならぬ。 (2006.04.12追記) 仮に、銀塩写真が絶滅するとしても、これまで撮り貯めた高画質のポジが失われるわけではない。むしろ、容易に得られぬ貴重な遺産となる。 また、デジタルカメラの性能向上と価格低下は、時が経つほどに大きくなる。 以上のことを考えると、デジタル移行を急ぐ必要は無く、完全にフィルム供給が止まるその瞬間まで銀塩システムを利用し続けることが最も良い方法だと断言する。 ちなみに我輩としては、フィルム(ポジ)供給がすぐに無くなるとは思っていない。ポジの消費量はそれほど低下していないという情報や、富士フィルムから新しいプロビア400が発売されたニュースもある。 ただやっかいなのは、画素数だけが画質であると考えているシロウト集団である。この勢力は数が多いだけに影響力も大きいため油断は禁物。 (2006.06.15追記) マウント30箱の在庫は、本当に手に入らなくなった時に初めて使い始めるという位置付けのため、日常的に使うものが別途確保する必要があると書いた。 この辺で一番大きな店である「ヨドバシカメラ秋葉原店」で探したが、hamaマウント6x6用は2箱しか無く、このうち1つを購入したがその後一向に補充する気配が無い。 そのため、再び通販で12箱入手。 この12箱を日常的に使うことになる。 (2007.06.06追記) マウント15箱使ってしまったため、再度通販で14箱購入。このペースで考えると、30箱の在庫というのは2年分しかないということになる。100箱くらいでないと在庫の意味が無い気がしてきた・・・。 ---------------------------------------------------- [569] 2006年04月12日(水) 「最高速度」 我輩が子供のころ、スーパーカーブームが沸き起こった。 それは一種のお祭りのようなもので、今では考えられないような大フィーバーぶりだった。 どこもかしこもスーパーカー一色。 子供たちの中にはフェラーリ派とランボルギーニ派がいて、必ずと言ってよいほど最高速度の数値の競い合いになった(ちなみに我輩はランボルギーニ派)。 ほんの数キロの違いなどちょっとした誤差程度とも思えるが、我輩を始めとする子供たちにとってはそれは、勝ち負けを分ける大きな違いだったのだ。 大人になった今から見れば、車の性能というのは最高速度だけではないと理解出来る。 それは、子供の頃に比べて視野が広がったからだ。 子供というのは非常に視野が狭く、物事の本質を理解しない(※)。最高速度というのは確かに子供にも分かり易いが、限られた知識の中で占める割合が大きすぎた。 (※子供が素朴な疑問を投げかけて大人がハッとすることがあるが、それはいたずらに複雑化した大人の概念を単純に解(ほど)いただけの話。子供が物事の本質を理解するには知識と経験が足りぬ。) ところで、これと似たことがデジタルカメラにも言える。 言わずと知れた、画素数の問題である。 ウェブなどを見ていると、いまだに画素数だけで画質の勝ち負けを競っているのが笑える。 「デジカメは銀塩を超えた!」と言っている発言を見ると、必ずと言って良いほど画素数(解像度)を引き合いに出している。これはまさに、我輩の子供の頃の議論が再現されているわけだ。 しかし、デジタルカメラの歴史は浅く、誰もが、自分たちが子供の議論をしていることに気付かない。今がまさにスーパーカーブーム真っ最中なのである。誰もが渦中にある子供であるため、気付く者がいないのだ。 いずれ時が経って成長すればいいのだが、実年齢は大人であったりするのだから成長を望むのも無理があるかも知れない。そうなると、このままずっと最高速度だけの勝ち負け議論を続けていくのだろうか? 参考: 雑文143「デジタル画像の表現幅」 雑文144「ディスプレイ」 雑文345「写真を遺そうと思う者へ」 雑文502「未来」 雑文508「超精細ディスプレイ」 雑文514「綺麗な色を知らぬ子供たち」 雑文559「スクロール鑑賞のすすめ」 ---------------------------------------------------- [570] 2006年05月28日(日) 「草津旅行」 ゴールデンウィークが目前に迫る4月下旬、家族3人で草津へ旅行に行くことが決まった。 それまでは単純に「どこか温泉にでも行こうか」という話はあったのだが、具体的な場所はなかなか決まらなかった。 どうせならば車のあるうちに車を活用しようという思いがあるため、車で一泊二日の範囲内で行ける場所を検討し、最初は箱根や熱海などが候補に挙がった。 しかしあの方面は道が混むような印象があり、どうも気が乗らない。そこで、草津はどうかと考えた。また草津ならば、有名な火口湖「湯釜」もある。 ただ、場所を決めたは良いが、宿の予約はこれからである。ゴールデンウィーク直前で、しかも幼児連れという条件では厳しいだろうと予想される。 また、草津のシンボル「湯畑」にも近いほうが良い。特に、夜の湯畑は夕食後に行くことになるであろう。 この条件で、旅行会社のWebサイトから検索してみたが、やはり良いところが無い。検索ヒットするのはかなり高価な宿泊コースのみ。 「シーズン中は高いな。平日と比べるとどれくらい違うんだ・・・?」 試しに、ゴールデンウィーク前日の4月28日金曜日の条件で検索してみると、数千円ほど安く、しかも宿の選択肢が増えた。 ただ困ったことに、この安い値段が気になってしまい、どうしてもゴールデンウィーク中の金額で宿の予約を入れることが出来なくなってしまった。 「うーむ、こうなったら金曜日に有休取るか・・・?」 仕事の関係上、ゴールデンウィーク前日に休めるかは微妙だったが、とりあえず職場で告知しておき、様子を見ながら「ホテル高松」という宿に予約を入れた。 仕事の状況が変わってキャンセルという事態にならないことを祈るばかり・・・。 我輩の祈りが通じたのか、客先での重要な打合せは木曜日に決まり、次の金曜日は何とか休めそうである。 豚児はしきりに「おんせん、行くんだよね!」とはしゃいでいた。 ----------------- ●旅行1日目(4月28日) 1日目は、その日の天候を確認して白根山の湯釜を見に行く予定とした。山登りは晴れている日を優先させたいからだ。 ただ、この時期でも白根山山頂では路面凍結の恐れがあるため、ふもとの駐車場で車を停めてロープウェイで登るつもりである。もちろん、ふもとでも雪が降ることを想定してタイヤチェーンは携行している。 朝、8時過ぎに家を出発。 いつものように、行程を記録するためのビデオカメラをセットした。今回は、山道のクネクネ道路を走る予定のため、ビデオカメラをミニ三脚に乗せておくだけでは不安がある。そのため助手席のヘッドレストを上方に伸ばし、シートとヘッドレストの間にビデオカメラを挟みこんで固定した。 <<画像ファイルあり>> こうすることにより運転者の挙動やスピードメーターも写り込まなくなってしまったが、反面、画面の中央でルームミラーが邪魔をしていたこれまでと比べ、ルームミラーが視野外となり見易くなった。 また大きなメリットとして、三脚等に固定したものではなくヘッドレストで柔らかく挟み込んだ関係上、走行中の上下振動をうまく吸収してくれるようになった。つまり、景色が揺れずに車側が揺れて見えるのである。これは思わぬ収穫で、景色が揺れないことにより長時間テレビ画面で鑑賞する時に疲れない。 <<画像ファイルあり>> 今までの車載ビデオカメラ映像 <<画像ファイルあり>> 今回の車載ビデオカメラ映像 さて今回、携行したカメラ機材は下記の通り。 「ブロニカSQ-Ai」 「PS40mm F4.0」 「PS110mm F4.0」 「自作魚眼中判カメラ」 「RICOH GR-Digital」 「SONYデジタルビデオカメラ」 これらのうちコンパクトデジタルカメラ「GR-Digital」については、露出計代わりとしての用途に加え、ODDメーター撮影用としても使っている。 デジタルカメラで撮影することにより、走行距離だけでなく時間や撮影場所(景色が写るため)も同時に記録出来るため非常に便利。燃費計算のための情報整理が楽になった。 さて、ゴールデンウィーク前ということもあり、渋滞に遭遇することなくスムーズに走ることが出来た。高速道路でも追越車線にはほとんど車が走っていない状態。 しかしながら、渋川伊香保インターチェンジを降りた後、クネクネと曲がる山道はペースが遅くなった。先頭に比較的遅い車が走っていたため、後続の車が列をなしていたのである。 草津に近付くにつれ、前方に雪化粧をした山々が見えてきた。快晴の青い空と白い雪が映える。景色が美しすぎると追突事故の原因となるようで、それなりに運転には慎重になった。 山道の勾配が強くなると、かなりアクセルを踏んでもスピードが乗らなくなってきた。床までベタ踏みするとギアが落ちて少し加速するのだが、ちょっとでも緩めるとすぐにスローダウンして後続車が詰まってくる。 仕方無いのでATレバーを3速、2速と入れると、エンジンが唸りを上げたもののグングン登り始めた。 途中、草津温泉を通り過ぎ、ロープウェイ駅までの山道を通ったのだが、道の両側の所々に雪が積もっており、4月も終わりだということがにわかに信じ難い。 また、だんだんと車内に異臭が満ちてきた。硫化水素が漂っているのだろう。ウェブでの前情報によれば、有毒ガスによる事故防止のために設けられた「停車禁止区間」もあるらしい。 到着したロープウェイの駅の駐車場は広大で、どこに停めようか迷うほどだった。そもそも、車も5〜6台ほどしか停まっていない。 外に出ると肌寒く、家族3人で防寒着を着た。 ロープウェイの営業時間は16時までとのことだった。 現時点で13時半。 思ったよりも余裕が無い。湯釜だけでなく鏡池なども行ってみるつもりだったが、今回は残念ながら諦めざるを得ない。まあどのみちこの時期は、温泉の湖でなければ氷結しているだろう。 ふもとの駅で切符を購入したが、他に誰も客がいない。 このロープウェイは循環式というタイプで、客が来るまでゴンドラは待機しており、客が来て乗り込むと、循環しているロープにゴンドラが引っかかって送られて行く。そのため、乗客は動いているゴンドラを追いかけながら乗らなくても良い。また、客が多くなるとその都度ゴンドラの数を増やすことが可能。 <<画像ファイルあり>> 実際にロープウェイに乗ってみると、最初は宙に浮いている感覚が怖かったが、乗り心地は悪くなく、途中から急角度で登っていくため景色の移り変わりが面白い。豚児も怖がるどころか、むしろ楽しんでいた。 山頂駅に着くと、辺り一面雪が積もっている。湯釜へ登るための基点となる白根山レストハウスまで無料送迎バスが往復している。 <<画像ファイルあり>> 雪の回廊を通ってレストハウスに着くと、早速、湯釜を目指して登り始めた。道のりとしては300〜400メートルくらいか。この道も雪の壁が両側にあるが、ここは人力で除雪しているらしい。 我輩は、トレッキングシューズこそ履いていないものの、コンパクトジャケットを羽織り、ザックを背負っているため、豚児が「そんなかっこう恥ずかしー」とからかう。 「うるさい、おまえは疲れると抱っこをねだるから、わざわざ両手が空くようにとザックを背負ったんだ。おまえのためだぞ。」 しかし豚児はゲラゲラ笑いながら走り回っている。確かに、周囲を見渡すと他の観光客は軽装だった。 まあ、カメラ機材が多いこともあるから、ザックで正解。 坂を登り切ると、そこに湯釜が見えた。 雪景色の中に、青白い湖面がポッカリと見えている。まさに、写真で見たとおりだった。 ここは12月には凍結するようだが、内部の熱によってすぐに解けるらしい。 我々のいる場所は柵で囲まれており、湖面には近付けない。過去に、硫化水素の有毒ガスで死亡事故があったための措置と聞いている。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/RDP3 我輩は双眼鏡を取り出し、近付けない湯釜の地形を観察した。 しかし豚児が双眼鏡を貸せとうるさいので貸してやると、対物レンズ側から覗いて「見えた見えた」と喜んでいた。 早速、ブロニカで家族の記念撮影を撮影しようと思った。 ところが、ミニ三脚を車に置き忘れていた。仕方無いので、地面に直接置いてセルフタイマーを装着した。傾斜があるため、地面に置いても顔の高さくらいになる。 ファインダーが外せる一眼レフタイプであるから、地面に置いてもフレーミングに不自由は無い。 それにしても、冷たく強い風が吹き付けてくるため、家族3人で鼻水が垂れてきた。防寒着は着ているが、冷たい風が呼吸を苦しくさせる。 豚児とヘナチョコ妻は早めに下山させ、我輩はしばらく撮影を続行した。 まず湯釜の全体を撮ろうと思った。しかし、撮影位置が限られているため、66判の40mm広角では収まりきれない。 次に、110mm中望遠で部分を切り取った。事前に双眼鏡で興味深い地形を見ていたため、撮影時の迷いは無く、短時間で撮影を終えた。 また、成功率は低いものの、せっかく持ってきたのだからと全周魚眼レンズでも撮影を行なった。 下山後、暖房の効いたレストハウス近くの資料館に立ち寄った。 そこには白根山周辺のジオラマや、火山関係の資料などが展示されていた。 我輩は、そこの売店に置かれていた「白根火山」という書籍を購入。見ると、白根火山に興味を持ったアマチュア研究家がトヨタ財団の協力を得て研究した報告書であった。噴火時の写真も載っており、非常に興味深い。 <<画像ファイルあり>> 時間が経つのは早いもので、あっという間にロープウェイ終了時間が迫ってきた。 我々3人は無料送迎バスに乗って山頂の駅に戻り、そこからロープウェイでふもとの駅まで下った。やはり公共交通機関を利用すると、その時間に縛られて自由に行動出来ないのがつらい。 我輩は元々、自家用車所有には否定的ではあるが、蔵王のお釜で経験した交通機関の不自由さに辟易として、ついに自家用車を所有するに至った。 ただ本来ならば、山行きだけに使うはずの車だったが、長年ペーパードライバーだった我輩の運転技術は未熟なため、日常生活でも定期的に運転せねばならなくなった。そうでなければ、現在持っている運転技術さえ維持出来ないだろう。 さて、ふもとの駅まで下りると、駐車場に停めてある車に乗り込んだ。豚児は座った途端に寝てしまった。 登りが2速だったため、下りも2速入れてエンジンブレーキを効かせながらゆっくり下りた。 草津の中心部まで到達し、カーナビゲーションに従いながら、狭い道を慎重に車を進めた。そして、今夜の宿である「ホテル高松」へ到着。 チェックインを済ませ、部屋でひと休み。 その後、食事を済ませて夜の湯畑へ繰り出した。 夜の湯畑はなかなか風情(ふぜい)がある。 ゴールデンウィーク前のためか、人影もまばらで少し寂しい。 ある時期には七色にライトアップされるそうだが、そんな派手なライトアップでは風情など消し飛んでしまう。通常のライトアップである今が一番良い。 三脚をセットして長時間露光での撮影をしたが、アングル的には不満が残る。近くの建物から湯畑を見下ろせれば全体の形がよく分かるのだが、それが出来ない。 次回宿泊する時があれば、湯畑に面した宿に泊まろうと思う。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E100G 豚児はしきりに「くさい、くさい」と言っていた。やはり硫化水素の匂いが強い。 見ると、湯気が風に流されてこちらに流れてきたりする。長時間露光中にカメラが湯気に包まれてしまうこともあり、シャッターを切るタイミングが案外難しい。 その後、宿に戻って温泉に浸かり、早めに寝た。 ----------------- ●旅行2日目(4月29日) この日も快晴だった。 朝食前に湯畑に行き、「熱の湯」という場所で"湯もみショー"を見たり体験したりして楽しんだ。 もちろん撮影もしたが、室内で動きのある被写体を撮影するのは難しい。小型ストロボでは限界があるため、ある程度は定常光を必要とする。つまり、シャッタースピードが遅くなる。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E100G 湯もみショーが終わった後、朝の湯畑を撮影。 ふと、別の角度を撮ろうとしたところ、首から提げていた眼鏡が落下した。 「?」 我輩は眼鏡にグラスコードを付けているため落ちることはありえないのだが、見ると眼鏡のネジが取れて片方のツルが外れているではないか。地面に這いつくばってネジを探したが、砂などが散っている地面のため見付からない。 「まずい、眼鏡が無ければ車を運転出来ぬ・・・。」 とりあえずは、観光を続行しながら眼鏡店を探すことにする。 いったん宿に戻って朝食を摂った後、チェックアウトして近くの「酸性河川中和施設」に入ってみた。 ここは、酸性度の高い温泉地の河川を石灰粉で中和するという施設である。中和を実施する前は、草津を流れる吾妻川は魚も棲めず、農業用水としても使えず、コンクリートの橋をも腐食させ、とにかく厄介な川だったそうだ。それが今では魚も生息するほどになったという。 ここでは、石灰岩に塗料で絵や文字を描くコーナーがある。その石灰岩は酸性の川の中に浸けられ、塗料の塗っていないところを溶かして作品として仕上げるのである。 我輩も面白半分に描いてみた。 溶かすのは2〜3日ほどかかるそうだが、出来上がった作品は着払いで送ってくれるとのこと。一風変わった土産が待ち遠しい。 その後、「西の河原」という場所へ歩いて行く。 途中、ヘナチョコ妻の育児サークルの知り合い家族にバッタリ出会ったのには驚いた。お互い、ゴールデンウィーク前から何やってるんだという感じだったろう。 また、道の途中では温泉饅頭の試食を配っているところを通り抜け、我々3人はいつの間にか温泉饅頭を手にしていた。ヘナチョコに至っては熱いお茶の入った湯飲みさえ持たされていた。 西の河原では温泉水が川として流れており、一見普通の川なのに手を入れると生暖かい。所々、水溜りのようにして温泉溜まりがある。ここは結構熱い。 我輩は古い十円玉を取り出し、その温泉に浸けてこすってみた。するとみるみるうちに金属光沢が現れてきた。酸性度が高い温泉だけのことはある。 豚児は温泉溜まりに手を入れている我輩を見て「カニがいるから気をつけてね。」などと脅す。温泉にカニなどいるかと思ったが、あまりに具体的な忠告に思わず手を引っ込めそうになってしまった。 <<画像ファイルあり>> ところで気になる眼鏡屋だが、いくら探しても眼鏡屋は見当たらない。 いくら観光地だからと言っても、土産店ばかりではなかろう。地元住民の生活を支える地味な店もどこかにあるはず。 意外にも、宿泊したホテル高松の近くに眼鏡屋が1軒あったのを見付けたが、この日は祭日だったようで店は閉まっていた。 「このままでは帰れない・・・。」 我輩はネジの外れた眼鏡を見つめた。 ふと、ネジ穴に針金を通すとどうなるだろうかと思った。やってみると、少しグラつくものの使用に問題は無い感じである。 帰りも、道はそれほど混んでいなかった。 高速道路では車が少し多めではあったが、流れは悪くない。やはり、ゴールデンウィークのタイミングをズラした効果であろうか。 そのため、片道200kmほどの道のりであったが、思ったほどの疲労は残らなかった。 帰った後、車を見てみると、前面は虫がたくさん当たって汚れていた。 今さらながら、山へ行ったという実感が湧いた。 ----------------- ○まとめ 今回撮影で消費したブローニーフィルムは15本である。 フィルム代、現像代、整理用品等を含めると1万5千円ほどの出費となった。 やはり豚児を絡めた写真となると、タイミングを見ながら同一構図でのカットを何枚も撮ることになる。 一方、湯釜や湯畑だけのいわゆる風景写真では、フィルム本数で言えば3本ほどと少ない。 特に、湯釜では撮影場所が限定されているため、せいぜいレンズを換えて撮り分ける程度で終わるしかない。Web上で湯釜の写真を探すと、どれも同じような写真しか載っていないが、これがその理由である。 湯畑のほうは、ゴールデンウィークのピーク直前ということであったが、それでもそこそこ人出はあった。そこから推察すると、ピーク時は大変な混雑となろう。そうでなくとも湯畑とその周辺は狭い場所である。車で乗り込んでも駐車場は一杯となり、立ち往生するのではないだろうか。 狭いゆえに、徒歩主体で十分に事足る。 時間に縛られる湯釜へ行かないのであれば、シーズン中に車で草津へ行くのはやめたほうが良いだろう。 ---------------------------------------------------- [571] 2006年06月26日(月) 「目標のために」 何か実現したい目標がある時、そのための手段を考えることになる。 通常、実現させるための手段として関わってくるのは「努力」、「時間」、「才能」、そして「金」である。 それらのうち、どの場面でも必要になるのが「金」であることは言うまでもなかろう。人間、生きているだけでも金はかかる。 しかも、場合によっては「努力」、「時間」、「才能」さえも金で買えることがある。 そう考えると、「金」というのは大きな力を持つと言えよう。 もちろん、金が無いのであれば「努力」、「時間」、「才能」でカバーしなければならないわけだが、金の力を完全にカバーしきれるものではない。 我輩自身、実現させたいことは山ほどある。 例を挙げれば、中学生の頃にいつか手に入れようと決めた「Nikon F3」。その目標は現在、金の力によって実現している。 1台のみの所有では消耗してしまうため、予備として何台か確保しており、F3が生産終了となった今では大切なストックである。 さて、今年も夏が近付いてきたわけだが、去年と同じように九州の実家へ家族を連れて帰ろうと計画している。 ところが、手元にフィルムが無い。買いたいのはやまやまであるが、金が無い。 先日、無理をしてフィルムマウントを買ったため(参考:雑文568)、本当に金が無いのである(むしろマイナスの借金状態)。 また今回は、実家周辺で自転車に乗って散策&撮影をしようと計画しているため、車のトランクに積める折りたたみ自転車の購入が必要と考えている。 ますます金が必要。 以前、雑文362で思い知らされたことであるが、九州でリバーサルフィルムを手に入れるのは非常に困難である。これがブローニーフィルムともなれば、博多のヨドバシカメラ以外では手に入らない。 つまり、撮影途中でフィルムが不足しても現地調達は不可能なため、あらかじめ余裕を以ってフィルムを用意せねばならぬ。 いずれにせよ帰省時以外にもフィルムは使うため、今回は大幅な余裕を見てブローニーは100本入手を目標としたい。 結局、フィルム代と自転車代をあわせると、6〜7万円は必要になる計算。 手元を見ると、今は1千円しか無い。 辺りを見渡すと、わらしべ長者の如く我輩の手元に転がり込んだ新品同様のF3HPがあった。 これは、古びたF3HPをネットオークションで売却し、それで得た現金6万円で新品同様のF3HPを同じくネットオークションで手に入れたものである。 今回、この新品同様F3HPを売却するかで悩んだ。 F3HPはストックが他に2台ある。しかしながらF3シリーズの中ではスタンダードな基本形であるため、2台同時運用などの活躍は大いにあり得る。そうなるとストック2台だけでは「余裕がある」などとは言えない。 出来れば、このF3HPは残しておきたい。 そうは言っても、他に現金化出来るものは無い。 せっかく手に入れたF3HPではあるが、目の前にある今という時代を写真化するための資金として売却するか・・・。 この決断のために、2週間悩んだ。 オークションでは、我輩の商品撮影技術を活かして8万円で落札された。これで何とか、フィルムと折りたたみ自転車が手に入る目処がついた。 フィルムの値段は大体決まっているが、折りたたみ自転車のほうはかなりの幅がある。安いものは6千円台からと目を疑うような値段が付いていたりする。 もし自転車のほうで節約出来るならば、余った資金で何か別の使い方が出来るのではないか・・・。 何しろ、金というものは使い方次第で、色々な目標を達成出来る力を持つのだ。 せっかく手放したF3HPが姿を変えたこの現金。出来れば有効に使い切りたい。 ---------------------------------------------------- [572] 2006年06月27日(火) 「折りたたみ自転車」 前回の雑文でも触れたが、今回、帰省時に散策用として使うための折りたたみ自転車を買おうと考えた。 普通の買物自転車(ママチャリと呼ばれるもの)ならば店頭で目に入るので1〜2万円くらいからあるというのは知っている。 しかし、折りたたみ自転車などは全く見当がつかない。自転車に関してはシロウトの我輩であるから無理もない。 裏を返せば、自転車に無関心であったことを物語っている。 我輩は、自転車に対しては移動手段というだけの要求である。自転車マニアのようなこだわりは持っていないのであるから、普通に乗れれば安い方が良いと感ずる。 インターネットで検索すると、なんと6千円というものがあった。シマノ製6段変速機付き。 「シマノ」というメーカーは釣り具の分野ではよく聞く。結構有名である。 「よし、この自転車にしよう。」 Web注文画面で住所氏名や支払い方法などを入力し、あとは送信ボタンを押すだけとなったが、ふと、「この自転車は最初に検索ヒットした車種であるから、探せば他にもっと安いものがあるかも知れぬ」という考えが過ぎった。 検索画面から色々と物色したところ、値段的に6千円以下のものは見付からなかったが、8千円クラスで前後輪サスペンションとシマノ製6段変速機付きというものがあった。 最初に決めた自転車よりも2千円アップだが、サスペンション付きということを考えるとむしろ安い。 急遽、購入予定をこの車種に変更し、同じ車種でもっと安く取り扱っている店が無いかと探した。本体が同じ価格であっても送料の有無でかなり変わる。 最初に見付けた自転車を購入すればすぐに手元に自転車が届いていたろうが、このように色々と欲が出てきてなかなか購入まで行き着かない。 いいかげんに見切りをつけて早く手に入れたい。 ただ、ネット上で色々と自転車を見ていると、あることに気付いた。 「10万円を超える折りたたみ自転車を見ると、なぜそんなに高いのか解らん。サスペンションも付いてない地味な自転車なのだが・・・。他に何か理由があるのか?」 そこでふと、カメラを思い出した。 カメラの世界では、高価なカメラであればあるほど基本性能を充実させており、表面だけの派手さは無い。これらは信頼性や操作性が高く、上級者にとっては信頼性や操作性の高いカメラである。 ところが初心者や部外者から見れば、「大きくて重いし、簡単に写せるような便利機能も少ない。日付すら写らないのになぜこれほど高いんだ?」と首を傾げてしまう。 一方、安価なカメラほど初心者が喜びそうな機能を詰め込んでいる。そしてそれぞれの機能が一様にレベルが低い。 ボディはおろか骨組みやギアさえもプラスチック製で、レンズ鏡胴のピント調節機構もヘリコイドではなくカムを使っておりガタガタしている。 そしてちょっと強い衝撃をカメラに与えるとギアやカムが外れ、モーターがウンウン唸るだけで動かなくなる。 故障しても、修理するより新型の安物に買い換えたほうが良いくらいであるし、そもそもそれを前提に作っているようなフシもある・・・。 もしかして我輩は、自転車の世界でシロウト買いをしようとしているのではないか? 高価な自転車がどのような理由で高価なのか。安物を買う前に、まずそれを調べる必要があるのではないのか? 調べてみると、安いものはそれなりの部品しか使われていないようだった。 確かに変速機などは有名メーカーのシマノ製ではあるが、シマノ製は業界でのシェアが大きく、そもそもシマノ製以外の変速機を見付けるのが難しい。当然ながら、シマノ製でも高いものから安いものまであるため、シマノ製が使われているからと言ってその自転車の質が高いとは必ずしも言えないわけである。 さらに、折りたたみ自転車の肝であるヒンジ(蝶番)については、自転車のフレーム強度を左右する重要なパーツであると判明。もちろん、我輩もヒンジは気にはなっていたが、まさか強度が足らぬものが市販されているとは思わなかった。肝心な部品であるが故に、まさに盲点。 また、ヒンジそのものの品質もそうだが、ヒンジとフレームの溶接部分もフレーム強度に影響する。 実際、折りたたみ自転車に乗っている時にフレームが突然折れるという事故もあるようで、中には鎖骨や腕の骨を折ったというケースもあるらしい。 また安全性以外でも色々と問題がある自転車が多いとのこと。 例えばサスペンション付きの自転車であっても、ただ単にバネが付いているだけではフワフワしてペダルを踏む力が吸収されてしまうので意味が無いとか、タイヤのリムの品質が悪くすぐに割れてしまったりとか、探せば探すほど出てきた。 やはり、安いものには安いなりの理由がある。 「ただ単純に乗れれば良いんだ」という要求であったとしても、安全性や耐久性が著しく劣る場合は、そもそも自転車としての要件を満たしていない。 要するに、安物の中には、外見は自転車のように見えるが実は鉄屑でしかないものが存在するということである。 当然ながら、我輩が欲しているのは「鉄屑」ではなく「自転車」である。 結局、我輩が購入したのは、「DAHON製METRO D6(2006年モデル)」というビギナー向けの折りたたみ自転車。 ビギナー向けとは言え、価格は26,000円とそれまで検討していた自転車に比べるとかなり高い。だがそれでも、今は何となく安く感ずるのが不思議。 <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> 今回、我輩の貧乏性により危うくシロウト買いをしてしまうところだった。しかしカメラの経験を活かして間一髪助かった。 それからこれは余談だが、タイヤがパンクしないようにと、リペアムゲルという充填材を用いたパンクレス加工を施した。タイヤのチューブの中に、空気の代わりにゲルを入れるわけである。 ただ、加工出来る自転車店が限られているのが難点。 今回入れたのは新しいタイプのリペアムゲルで、従来のリペアムゲルよりも若干柔らかめになっているらしい。実際に乗った感覚では空気のタイヤと何ら変わらない。 だが、釘が刺さっても全く変化が見られないのだから驚く。 <<画像ファイルあり>> これで重いカメラ機材でもパンクの心配も無く積めると思ったが、いくらタイヤがパンクしないからと言っても、リムやスポークなどに負担がかかるのは変わらない。 まあ、無茶しない程度にカメラを積むとしよう。 これで、いつでも九州の実家に帰れる準備が整ったことになる。 ---------------------------------------------------- [573] 2006年07月03日(月) 「撮影依頼」 我輩はこの4月より営業をやりながら簡単な制作業務を行なっている。 つまり、営業が制作すれば制作コストを削ることが出来るため、利益が上がるのである。 まあ、現実にはなかなか思うようにはいかないのだが(何しろ設備も不足している)、それでも何とかやるしかない。 さて、営業であるから、客先の要望であればどんなものでも応えようと考える。一応、我輩の担当分野はWEB関係であるが、会社として取り扱っているものであれば何でも受けるのである。 そういうわけで、印刷の仕事もちょくちょく入る。 先日、ポスターの仕事を請け負った。紙のサイズはA1(594mmx841mm)とかなり大きい。 オフィス風景の写真が何枚か必要なのだが、この紙サイズゆえに、一般的なフリー素材集では画像が小さく使えない。 大きなサイズの写真となれば、レンタルフォトの高価な写真ということになる。 そうは言っても、この仕事はあらかじめ決められたコストの枠内で仕上げねばならないという条件があった。計算してみると、レンタルフォトを使うと確実に赤字になることが判明。 ここは、自分で撮るしかなかろう。 クライアントの納得するイメージを撮らねばならないという責任と、もし納得しない場合には納期に間に合わなくなるというリスクがあるわけだが、コスト上、やるしかない。 営業部を見渡すと、デジタルカメラはおろか普通のカメラも無い。 まあ、安物デジタルカメラや35mmカメラがあったところで役に立つまい。ここは、我輩のブローニーサイズカメラ「BRONICA SQ-Ai」を使うことにした。 コスト的にはフィルム代と現像コストが不要なデジタルカメラを使いたかったのだが、我輩所有の「Canon EOS D30」は300万画素であるためA1ポスター用途には荷が重く、フィルム使用となった。 また、照明装置も無いため、我輩のコメットのストロボ(2灯合わせて1000W/S)も動員する。 これら機材の運搬はラッシュアワーの電車では難しく、車に乗せて運び込んだ。 写真撮影については、オフィス風景の写真のため、我輩の職場を舞台にして行なった。 アンブレラを設置して大きなカメラで写すわけであるから、職場の中でも目立ってしょうがない。 <<画像ファイルあり>> 撮影を手伝うフリをしている者が1名・・・ 結局のところ、色々撮り直しもあったが、最終的には何とかうまくまとまり赤字にならずに済んだ。 終わりよければ全て良し。 撮影そのものについて、普段やらない作業ではあるが楽しいものであった。A1サイズは機材を選ぶためそれなりの苦労があるが、もっと小さなサイズの写真で良いのであれば、また何か撮影したいと思う。 そう思っていると、早速依頼があった。 別の営業の者が、客先に製品パンフレットの提案しており、それに使う製品写真を撮りたいとのことだった。 我輩のアンブレラ撮影を見て依頼してきたのである。 更に別の営業が、展示会に使うパンフレットのイメージ写真が欲しいと言ってきた。 ケータイを何台か集めたところを撮影する簡単な商品撮影だった。 また更に、ロケ写真の打診もあった。 これは某研究所のシステムに使うための写真で、2つの風景を見せて違いを当てさせるというものらしい。 スケジュールを聞いたところ、一泊二日くらいのものだと言う。 旅行気分で撮影するのもいいものだ。 ---------------------------------------------------- [574] 2006年07月08日(土) 「Nikon D200」 ヨドバシカメラ店頭で、一眼レフタイプデジタルカメラの「Nikon D200」を触ってきた。 「ダサい。そして、使い辛い・・・。」 まさしく、最近のニコン製一眼レフカメラであった。 感覚というのは人それぞれであることは承知しているが、最近のニコンの一眼レフカメラは我輩の好みに全く合わない。 そのため、いつもニコンのカメラは眼中に無かったわけであるが、比較的新しい「D200」を試しに触ってみたものの、その印象が覆ることは無かった。 まず許せないのが、電子ダイヤル(ニコンでは"コマンドダイヤル"と呼ぶ)の感触の悪さ。 電子ダイヤルを最初に導入したメーカーは言わずと知れたキャノンであるが、キャノンの電子ダイヤルの感触は最高で、回転トルクとクリック感が絶妙である。機種ごとのダイヤル部ゴム被覆の有無によって多少感触は異なるものの、キャノン以外でここまでのものを作るメーカーは無い。 ニコンの場合、電子ダイヤルはネットリとした感触があり、トルクが重い。さらにはクリック感が弱く、回転時のメリハリが利いていない。 これは、本格的に電子ダイヤルを導入した「Nikon F5」の時からのもので、恐らくニコンの意図した設計思想のはず。とても技術的な問題とは考えられない。 ではどうしてこのような感触なのか。 それが我輩には全く理解出来ない話だ。誤操作を防ぐためのニコン特有の安全思想のためかとも思ったが、それならばトルクのみが重ければ良い。トルクが重くとも、カチカチとクリック感のある小気味良い操作性は実現可能なはず。 そもそも、レリーズボタンの下部に位置したダイヤルはグリップに近く、誤操作という面では不利ではないか。キャノンのように、レリーズボタンより手前側にダイヤルを置くほうがニコンの思想に合うだろうに。 次に許せないのが、シャッター動作の感触。 柔らかい感触であるが、一眼レフとしては全く頼りない。音が小さすぎる。 写りや操作性に問題無ければ良い話ではあるが、気が萎えるのは否定出来ない。「F5」のようなシャキシャキとした切れと比べると、まさに雲泥の差。 実売20万円の「D200」でこんな感触であるから、やはりこちらもニコンの意図したものであろうかと思う。 なぜにこのような感触にしたのか、理解に苦しむ。 撮影モード変更についても、他社では単体ダイヤル式になっているものが主流となっている中、なぜか「D200」はMODEボタンを押して電子ダイヤルを回す方式である。しかも、右手側にMODEボタンが付いているため、右手でボタンを押しながら同時にダイヤルを回さねばならぬ。実際にやってみたが、やはり使い辛い。 MODEボタンを押させるならば、せめて左手でボタンを押させるべきだろう。 そして何よりそのデザイン。 全体的に、使いたくなる気を起こさせない外観である。 シャッターボタン周りのデザインが安っぽいように思うのは我輩だけかも知れぬが、剃り込みが入ったようなペンタ部のデザイン処理はかなり好き嫌いが出るのではないかと思う。それが特定の1機種だけの問題であればまだ救われるが、ニコン製一眼レフの共通デザインコンセプトであるようだ。 ニコン内部ではこのデザインがヒットしているらしく、なかなか止めてくれない。 以上、色々と「D200」の不満点を書いてきたが、これら不満の対極にあるのがキャノン製一眼レフカメラである。 我輩が次に購入する一眼レフタイプデジタルカメラも、キャノン製となる確率は高いと思われた。 ところが我輩が実際に購入したのは、よりにもよって「Nikon D200」であった・・・。 ちなみに、衝動買いではない。 購入の経緯は、次回雑文にて。 ---------------------------------------------------- [575] 2006年07月13日(木) 「お見合いマッチング」 >>ソニーがαマウントの一眼レフデジタルカメラを発表!<< そのニュースは衝撃的だった。 店頭でも予約受付中のチラシが目に入る。名前は「α-100」。 写真を見ると、ペンタ部に"SONY"の文字。 「なんだこりゃあ? 持ち歩くのが恥ずかしいな・・・。こんなの誰が買うんだ?」 一目見てそう思った。家電の臭いがプンプンしてくる。 それに比べ、Canon製一眼レフはカメラという感じがする。 「一眼デジカメ買うなら、EOSだろ。」 これまで我輩はデジタルカメラを何台も購入してきており、140万画素から始まり、200万画素、300万画素、500万画素、800万画素と徐々に増やしてきた。 一方、1680x1050のワイド液晶ディスプレイも新たに導入し画像が小さく見えることになり、また業務に於いても印刷用の素材としての用途も浮上してきた。そのため画素数が増えても持て余すようなことはなくなり、むしろ低画素デジタルカメラの使い道が無くなった。 現在、我輩の所有するデジタルカメラの最高画素数は800万画素の「RICOH GR-D」である。 ただしこれはスナップ専用のコンパクトタイプであるから、レンズ交換はおろかズームさえも出来ない。 レンズ交換が出来ないということは、商品撮影は不可能であることを意味する。被写体を大きく写そうと思えば接近する以外に方法は無く、そうなれば遠近感のコントロールが思い通りにならない(参考雑文:267「年の差」・536「車の撮影」)。 やはり厳密な撮影は、一眼レフタイプでなければ難しい。 我輩が所有している唯一の一眼レフタイプデジタルカメラは、5年前に中古で購入した「Canon EOS-D30」であることは今さら書くまでもない。 名前が現行の「EOS-30D」に似ており紛らわしいが、キャノンが最初に出した一眼レフタイプデジタルカメラとして当時話題にのぼった。 画素数は約300万画素と、別に所有している800万画素の「RICOH GR-D」と比べるとかなり小さく、そろそろ用途も限られるようになってきた。 また、雑文566「ビルオーナーの気持ち」でも書いたように、バッテリーが寿命間近で屋外での使用も難しい。 思い切って、新しい一眼レフデジタルカメラの導入を検討すべきか。 とりあえず、金銭的なことは後から考えることにする。 我輩の所持金はおよそ1万5千円。当月の小遣いはあまり使っていないため我輩にしてはかなりの金額ではあるが、一眼レフタイプデジタルカメラを購入するには少し足りない。最低でも5万円、そこそこのものを買うには10万円前後の予算が必要であろう。 まあ、「手段は後、目標が先」なのはいつものこと。 では機種選定についてだが、まず候補に挙がるメーカーとしては当然ながらキャノンである。 交換レンズなど現状のまま使えるため、ボディのみをそのまま入れ替えるだけで面倒が無くて良い。 好都合なことに、旧型「EOS-20D」と新型「EOS-30D」を比べると、決定的な違いは無い。画素数も同じ。 中古で旧型「EOS-20D」を狙えば、かなり割安で手に入れることが出来るはず。 Web上での中古相場を調べてみると、およそ10万円弱。 さて、肝心の金策である。 最近、深夜まで残業することが多かったため、恐らく給料上昇分は3〜4万円ほどかと予想。もしかしたら5万円行くか。 いずれにせよ、去年の別会社出向期間中は残業ゼロだったため、それを前提に生活していた2年間を考えれば、残業代のアップ分をカメラ購入へ回しても許されよう。 毎月2万円積み立てるとして、10万円ならば5ヶ月間か。 ヘナチョコ妻にそのことを相談し、どう思うか意見を求めた。ヘナチョコであるから答えはすぐに出ないが、渋っているのは間違い無い。ヘナチョコが考え込むと我輩はすぐに話題を変えた。 ただし、それから数日間は同じ相談を続けた。その度にヘナチョコは「そういえばそういう話題があったねえ」という反応だったが、考え込んでしまうと我輩は話題を変えた。 そして1週間。 いつの間にか、カメラを買うという話が前提になっていた。 予算は、余裕を見て12万円と考えた。 ヘナチョコは「じゃあ半年間積み立てて買うということで。」と言ったため、慌てて「前借りで。」とお願いした。 しかし金が無いと言う。 そこで一つ思い出した。ちょうど、社内預金解約のためにまとまった金が入金されるのだ(不景気のため社内預金が廃止となった)。 金策は出来た。 そしていざ購入という段階に来た。 そこでふと思った。 「そういえば手元のCanon EFレンズ、それほど充実しているわけではなかった。広角は24mm止まりで、35mm判換算で38mm程度・・・。」 我輩所有AFレンズで充実しているのはMINOLTAαであり、広角も17mmまである。これなら24mm感覚で使える。 いっそ、MINOLTA製デジタルカメラにするか? そうなると、「α-7デジタル」が選択肢になろうか。 調べてみると、ボディ内手ブレ補正機能があり、どんなレンズでも手ブレ補正が効くことが分かった。これは良い。 ところが、画素数が610万画素ではないか。 主な買い替え動機が画素数アップであるから、610万画素というのは受け入れられない。 しかも、起動時間が2秒というのもツライ。最初に検討していた「EOS-20D」の起動時間が0.2秒であるから、かなり見劣りする。 「αSweet DIGITAL」も調べてみたが、起動時間は1秒ではあったものの、画素数は同じく610万画素。 「くそ、MINOLTAはカメラ分野から撤退したから、もう新機種は望めんのだ・・・。」 そんな時、ふと思い出した。 「SONYのデジカメ・・・か?」 冒頭で貶(けな)したSONYの一眼レフデジタルカメラ「α-100」。 見ると、画素数は1,020万画素と十分。起動時間は0.9秒。予想価格は10万円弱。 「う〜む、まあまあか・・・。」 今ひとつ納得出来ないが、少し興味が出てきた。 SONY製というイメージがどうしても引っかかるが、このカメラを使えば我輩所有αレンズの広角17mmから望遠300mmが活かせる。しかも、それらが全て、手ブレ補正される。 何より、画素数は1,020万画素というのが良い。先日のA1サイズポスターの仕事も、これくらいの画素数があれば何とか使えたろう(参考:雑文573「撮影依頼」)。 予算の範囲内で1,000万画素クラスの一眼レフデジタルカメラが手に入る・・・。 当初は800万画素が上限と思われた今回の買い替え計画だったが、一気に1,000万画素がターゲットに入ってきた。 残念なことにまだ発売されていない機種のため、Web上でも情報が限られている。 店頭でも簡単なチラシのようなカタログしか無い。 書店に行ってみると、「月刊カメラマン」と「月刊CAPA」が「α-100」の特集を組んでいたのでまとめて購入。その分の出費が痛いが、高い買い物であるから研究するためにはやむを得まい。 「α-100」は1,000万画素ながらもビギナークラスであるらしく、電子ダイヤルは1つしか無い。マニュアル露出しか使わないため、出来れば電子ダイヤルは2つ欲しいのだが、まあ多少不便ではあるが、絞りはAVボタンを押しながらでも良かろう。 何と言っても、1,000万画素だからな。 さて、想定される用途の一つとして、テーブルトップスタジオがある。 例えばネットオークションの説明用商品写真や、レア物を手に入れた時の記念撮影などである。 これまでは300万画素というサイズのため、あまり本気になって撮影することはなかった。心の片隅には、「所詮、300万画素だからな」という意識があり、適当に撮って適当に画像合成して辻褄を合わせていた。 それが今回からは1,000万画素になるわけで、66判で撮影するように慎重にセッティングせねばならぬ。 ちょっとでもホコリが落ちていれば、1,000万画素のカメラであるから写り込んでしまう。 逆にいえば、気を入れて写せばそれだけの結果が出るとも言えよう。 楽しみだ。 ・・・待てよ? テーブルトップスタジオで撮影するために、ストロボのシンクロコードを繋ぐ必要がある。「α-100」がビギナークラスだとしたら、シンクロソケットが無いという可能性もあるのではないか・・・? その予感は的中した。 確かに、このカメラにはシンクロソケットは無かった。 しかも、シンクロソケット増設アダプタを付けようにも、MINOLTA特有の形状をした専用ホットシューである。そのため、まずJIS規格のホットシューに変換した後、改めてシンクロソケット増設アダプタを付けねばならない。 実際に手元のα-707siでやってみたが、2階建てのような状態となり接触不良の確率も高くなることが容易に想像出来る。 MINOLTAのAFカメラはこの点が非常に煩わしい(第一世代のαを除く)。 <<画像ファイルあり>> −MINOLTA αシリーズでシンクロコネクタを設置するための荒技− 初めからシンクロソケットが付いていれば何の問題も無いのだが、余程の高級機でない限り省略されている。 (参考:雑文337「最初に水没するのは」) まさか、シンクロソケットには高度なテクノロジーが使われており、安価なカメラでは搭載不可能とでも言うのか? 「α-100」がいくら1,000万画素であっても、ストロボが使えないのでは意味が無い。せめてJIS規格のホットシューがあれば何とか我慢したのだが・・・。 予約注文寸前のところだったが、思わぬ仕様不足により「α-100」が購入候補から外れてしまった。 なんということだ、心はすでに1,000万画素だというのに! こんな状態で800万画素に収まるわけがなかろう。 そういうわけで、他にシンクロコネクタの付いた1,000万画素のカメラを探してみると、「Canon EOS 5D」か「Nikon D200」しかない。 「EOS 5D」は35万円と議論の余地無し、「D200」は20万円と多少安いものの予算は完全にオーバー。しかもNikon製である。 念のために中古を検索してみたところ、「EOS 5D」は30万円とやはり論外。 一方「D200」は15万円のものがあり、予算12万円に近い。 「ウーム、頑張れば中古のD200が手に届きそうだが、しかしNikon製カメラだからなぁ・・・。」 この状態は、例えるならばコンピュータマッチングによるお見合いシステムみたいなものか。 学歴や年収、身長、体重などの条件は合致していても、フィーリングが合わなくてねぇ・・・みたいな感じに似ている。 何となく、女性の気持ちが分かるような気になった。 やはり年収(画素数)が少ないとしても、フィーリングの合う男前「EOS 20D」を選ぶか。 しかし我輩は熟考した末に、フィーリングよりも条件を優先させることにした。 年収(画素数)が高ければ用途も広がる。学歴(MFレンズ資産が活かせる)の高さも魅力。 フィーリングが合わなくとも、長くつきあえば馴染むことだろう。情熱は感じないが、それもひとつの選択肢である。 まあいずれにせよ、初婚(新品)では敷居が高いため、再婚(中古品)となるわけだが、贅沢は言っていられない。 以上のような経緯で、ようやく「Nikon D200」に決定した。 結局、この結論が出るまでに2週間ほど悩んだことになる。 機種が決まったら、あとは購入するのみ。 中古品がターゲットであるからと、まずネットオークションを探した。 ネットオークションでは、出品者にもよるが状態説明がかなり細かく記述されていることがある。写真説明も付いている。下手な中古業者よりも安心出来ることすらある。 もちろん、説明不足の出品物もあるが、そういうのは無視する。 オークションであるから最終日まで値段は分からないが、だいたい15万円前後と見た。即決価格が付いているものもそれくらいである。 そこでふと、「価格.com」で新品の最安値を調べていないことに気付いた。ヨドバシカメラやコジマ電器で20万円の値が付いているから、恐らくは18万円くらいがいいところだろう。 しかし実際に見てみると、最安値は15万数千円。中古と同じくらいで新品が出ているではないか。 かなり驚いたが、同じ値段ならば新品を選ぶのは当然のこと。 その場で注文した。 考えてみれば、一眼レフカメラを新品から使い始めるのは15年ぶりくらいではないかと思う。それは「BRONICA SQ-Ai」であり、それ以降は全て中古カメラばかり。 再婚者との結婚を覚悟していた今回の購入であったが、思いがけず初婚相手となり、まさにラッキーであった。 <<画像ファイルあり>> −到着したばかりのD200にAi50mmレンズを装着− ---------------------------------------------------- [576] 2006年07月20日(木) 「実戦投入」 先日の雑文「Nikon 「D200」」では、「D200」について購入前時点での気に入らない点を述べた。 この点については、購入後にあらためてジックリと見てみた。 ●電子ダイヤル(コマンドダイヤル)について 前後に電子ダイヤルが付いているが、特に回しにくいのが前ダイヤルである。 ダイヤルそのものはクリック感が弱いというのは承知しているが、それに加えてグリップのゴム部が指の摩擦を増やしているということが分かった。そのため、ゴムに囲まれた前ダイヤルは回しづらく、更に感触が悪くなっているのだ。 やはり、シャッターボタン下部に電子ダイヤルを付けるのは良くない。シャッターボタン手前側(キャノン方式)に付いているほうが邪魔するものが何も無く、最も理にかなっている。 ニコンも、意地を張らずキャノン方式に改めたらどうかと思うが、ニコン贔屓(ヒイキ)の人間にはこれが使い易いのかも知れない。 まあ、そこまでいくと余計なお世話か。 ●シャッターの感触について 店頭で試した時には頼りない印象のシャッターだったが、自室でシャッターを切った時には、周囲が静かなためか案外切れのあるシャッターフィーリングであると感じた。 ただし、それで満足のレベルに達しているということではない。少なくとも、子供の視線をこちらに向ける力は持っていないことが分かった。撮影会などで使うとすればかなり不利となろう。 ●撮影モードについて 撮影モード変更についてだが、どうやっても使い易いとは思えない。 他メーカーを含む他の機種では、モードダイヤルが別に設けてあり、そこでP/S/A/Mの切り替えが簡単に出来る。ただしこの4種類だけだとダイヤルの表示が寂しすぎるため(ヘタすればα-507siの貧弱なモードダイヤルのようになってしまう)、通常はピクチャーモード(シーンセレクト)のアイコンを並べているのが一般的。 我輩が想像するに、「D200」ではピクチャーモードを搭載する気がなかったため、モードダイヤルが貧弱になることを避ける目的で敢えてボタン式としたのではないか。しかしボタン式にしても、左肩に置いて欲しかった。 これは、ニコンD1系高級機などにも共通する問題。 ●デザインについて ペンタ部の剃り込みカット的デザインは、思ったほど気にならないように思う。 それは光の加減か、あるいは我輩所有カメラになったことによる贔屓目(ひいきめ)なのかは分からない。 ただし、内蔵ストロボはデザインに大きく影響を与えていることは間違いない。 確かに内蔵ストロボは有用であろう。しかし我輩個人の事情を述べると、「このカメラでなければ撮れない写真」というのは価値を認めることが出来ない。というのも、同じ被写体を別のカメラで撮り分けることがあるため、内蔵ストロボを使ってしまうと撮影条件が異なり都合が悪いのだ。 ----------------- ところで今回、「D200」購入後に実戦投入する機会があったため、それについてのエピソードなどを書くことにする。 職場のT課長の所属するソフトボールチームが、7月16日開催の県大会予選で戦うとのこと。 「撮影に来るってみんなに言ってあるからヨロピク!」と言われた。 ヨロピクって言っても、「D200」のバッテリーが1コしか無いのだ・・・。 これまでデジタルカメラを新規購入した際には、予備バッテリーは2個追加購入するのが恒例であった。そのため今回も、「D200」購入時に予備バッテリー入手について検討していた。 純正にてバッテリーを揃えると非常に高価なため、安価な互換バッテリーが使えればそれが良い。何しろ、純正品の1/3〜1/4程度の値段で手に入る。 もちろん互換バッテリーの中には粗悪なものがあり、そういうバッテリーを使って機器を故障させたり最悪の場合にはケガを負うようなこともある。我輩の場合、ROWAやKenkoの互換バッテリーを使ってきたが、特に問題は無かった。 そういうわけで今回も互換バッテリーを探してみたが、なぜか「D200」用のものが見付からない。調べてみると、「D200」はカメラ側でバッテリーのIDを読み取って純正品かどうかを見分けているらしい。そのため、そのIDを持たせぬ限り互換バッテリーは作れないことになる。 ・・・ということは、高価な純正バッテリーしか選択肢が無い。 バッテリーの価格はニコンオンラインショップで¥8,032。これを2個買うのはキツイ。 そこで、様々な価格比較サイトで探して¥6,140のショップを見付けた。2個分で4千円も安い計算。 我輩はT課長に撮影のための条件を出した。 「カメラのバッテリーが無いんで、バイト代出るなら撮影行きますよ。」 「おっしゃ、5千円くらいでいい?」 「OKっす。」 後で考えてみると、交通費のことを忘れていた。 電車で行くと往復2千円かかる。そうなると車を使うしかない。燃費が10km/Lとすると、往復道のりが50kmであるから5リットルのガソリン消費。つまり、700円くらいか。 さてレンズの選定だが、直前に購入したAFレンズ18-70mm(35mm判換算で27-105mm)がある。超音波モーター搭載でAFが速い。 豚児が自転車で接近してくるところを連続撮影してみたが、見事にピントが合っている。これは使えると思った。 ただそれにしては望遠が足りない。1,000万画素からトリミングすれば良さそうにも思ったが、そうすると70mmレンズの被写界深度であるから迫力に欠けてしまう。 そこでMFながらも135mm F2.8(35mm判換算で200mm)を加えた。しかし、それでも望遠が足りない。 「ウーム、望遠はEOS用のAF100-300mmかα用のAF100-300mmしか無いのだ・・・。」 ふと、チノン製ミラーレンズ300mm F5.6が思い当たった。(参考:雑文326「覗き」)これならば交換マウント式のため、Nikon用としても使える。 早速、「D200」に付けてみたが、コントラストが低くピントの山が見えない。 「まあ、無いよりマシ。」 ところで肝心のバッテリーについては、店に在庫が無いため取り寄せとなってしまった。ニコンオンラインショップの画面でも品切れ中であるから、これはもう仕方無い。 今回、メモリは2GBのものを用意しているが、同時に画素数もかなり大きくなっているため撮影枚数がそれほど伸びたということもない。RAWファイルでは現像処理が必要で手間がかかり容量も食うため論外。JPEG画像であっても最高画質では200枚程度。 瞬間を捉えるため連写は欠かせない。そのため撮影枚数は400枚は欲しい。 結局、JPEGの中くらい画質に設定。 試合当日、見事に晴れた。 望遠撮影でもブレないようにISO400にしていたが、あまりに日差しが強いためISO100に下げたほど。 ソフトボールの撮影であるから、土埃や汗などがカメラを汚すことが予想される。 こんな状況で新品カメラと新品レンズを使い始めるのは少し気が引けるが、ストックしてあるNikon F3を使い始めることと比べれば気が楽。 Nikon F3のようなカメラは消耗すれば後が無く、いくら金を積んでも新品は手に入らないが、デジタルカメラであればいくら消耗しようが買い換えれば済む。買う金が無かったとしても、貯金すればいつかは手に入る。一般的にデジタルカメラは新しい製品ほど性能が高いため、必ずしも同じカメラにこだわる必要が無いのだ。 審判の「プレイボール!」の掛け声とともに、ソフトボールの試合が始まった。 予想通り、AF18-70mmはほとんど出番が無い。バックネット側からバッターの写真を撮るくらいにしか使わなかった。 唯一のAFレンズなだけに残念。 135mmのほうは開放F値が2.8と明るくピントの山が良く見えたが、我輩自身がそもそも動体撮影に慣れていないため、近付いたり遠ざかったりするプレイヤーには翻弄させられた。 何しろこれまでは、ピントリングの方向などどちらでも構わぬと思っていたが、こういう場面に遭遇するとやはり大きな問題だと感ずる。 T課長はライト守備で撮影距離が遠い。その場合はミラーレンズ300mmが必要になった。 ピントの山が見えないが、雑文283「近視のMF測距能力」で鍛えた測距能力を使い、何とかピントを合わせたつもりである。 背景にミラーレンズ特有のボケが現れるため、T課長ほど離れていない選手にも使ってみた。なかなか面白いため、結局はミラーレンズでの撮影も多かった。 コントラストの低さが問題だが、パソコンレタッチで何とかすれば良いだろう。 バッテリーは予備が無いため、なるべく節約したい。 「EOS-D30」では、一定時間が経つと電源が切れるようになっている。その場合はシャッターボタンを押したりスイッチを入れ直したりすると復帰するが、起動に数秒の時間がかかるのが煩わしい。 一方「D200」の場合、起動時間はほぼ一瞬であるため、こまめにスイッチを切っても問題無い。 またスイッチを切り忘れても電源が切れることは無いようだが、それによってバッテリーの消耗が早まるような印象は無かった。まるで普通の銀塩AFカメラを使っているような感覚である。最近の一眼レフタイプのデジタルカメラは皆こうなのか? シャッターについては、バッターを撮影する際にボールを打つ瞬間のカットを撮ろうと5コマ/秒の連写を行なうのだが、バックネットからの撮影では連写音がバッターの集中力を欠くのではないかと心配になった。 しかし、後日確認したところ、全く気付かなかったという。 こういう場面では、静かなシャッターというのも利用価値があると感じた。 また、空振りの時にはそのカットをその場で削除した。 そうすることにより、メモリ容量を節約出来るばかりか、帰宅後に写真を整理する手間も節約出来ることになる。 従来の「EOS-D30」では、削除するには削除ボタンを押した後に"OK"を選択してボタンを押さねばならなかったが、「D200」では削除ボタンの2度押しで済むのが良い。連続撮影の複数コマでも迅速に削除可能。 さて試合結果であるが、残念なことに第1回戦で負けてしまった。つまり予選落ち。 春季大会では優勝したほどのチームだったが、それが油断に繋がったのかも知れない。 撮影枚数は200枚ほど。勝ち負けに関わらず2回戦目が予定されていたため、半分に抑えた。バッテリーもインジケーター1目盛りほど少なくなったがまだ行けそうに思った。 この後、順位決めのための敗者同士の試合が始まることになっていたが、急に暗雲が立ちこめたかと思うと、ビックリするほどの土砂降りとなり中止になってしまった。 今回の撮影では望遠でのMFに苦労させられたが、もし次回撮ることがあれば、AFで望遠撮影をしたいと思う。ただし現状では、そのためだけにAF望遠レンズを購入するのは難しい。 <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> −チノン製ミラーレンズ300mm F5.6− ---------------------------------------------------- [577] 2006年07月25日(火) 「適材適所」 「書棚の本を全て廃棄してパソコンに収める」 これが、我輩が最初にパソコンを導入した理由である。当時購入したのはMS-DOSしか動かないパソコンだったが、理想は高かった。 本を紙資料をスキャナで取り込み、マルチTIF化して分類整理する。このことは、今までにも雑文にて何度か書いた。 (参考:雑文024「カタログ処分」、雑文403「健全な平衡状態」、雑文411「スキャンシステムの更新」) 電子化することのメリットは、画面上での管理しやすさと省スペース化である。 元々、情報というものに物理的な大きさは無い。あるのは、情報を収める媒体の大きさだけである。よって、媒体の密度が高ければ高いほど、情報の占める大きさというのは小さくなる。 パソコンが十分に小さく容量が大きければ、書斎の本が手元に納まるということも夢ではないのだ。 いったん電子化してしまえば複製も簡単で、バックアップさえ正しく行なわれていれば、持ち歩いたデータが消えようとも問題無い。 しかしながら、デメリットももちろんある。 まず、紙媒体の一覧性が失われ、1画面ごとにしか見れない。ページをバラララーっとめくって気軽に探すにはパソコンの処理スピードが遅すぎる。 また、画面の解像度が低いため(100〜200dpi)、画像を拡大したり縮小したりという余計な操作が必要になる。そもそも、細かくスキャンするとデータ量が膨大になるため、ある程度のところで抑えねばならず、そうなると情報量やクオリティは原版には及ばない。つまり、いくら拡大しても求める情報が得られないこともある。 さらに、複数の書類を並べて表示することが出来ない。もちろん、ディスプレイの中で複数の書類を並べられなくもないが、それではかなり狭苦しい。紙資料ならば床に広げて見ることが出来る。 そして決定的なデメリットとして、パソコンが無ければ見られない。それはつまり、パソコンが動作するための電源が得られない場合も同様である。小さなノートパソコンを持ち歩いていたとしても、バッテリーが数時間しか保たないのでは使えない。 我輩は、これらのメリット/デメリットを検討し、それでもなお電子化にはそれまでにない大きなメリットがあると判断した。 当初は、スキャンした後は紙資料のほうは廃棄する予定であったが、電子化することによるデメリットも無視出来ず、クオリティを重視するカラー刷りの本などは電子化しても原本は捨てられずにそのまま保管している。 結局のところ、「書棚の本を全て廃棄してパソコンに収める」という最初の理想は高すぎた。 もし、この理想にこだわり過ぎていたら、大事な物を失うところであったと思う。 確かに、原本を捨てても惜しくないもの(毎月増える雑誌や文字だけの本など)ばかりであれば問題無いが、そうでないものもやはり多い。 理想は理想としてあるが、現実的な運用として便利さとクオリティは別に考え、大事な資料は電子データと紙媒体の両方で行くことにした・・・。 さて話は変わり、我輩はデジタル写真については昔から積極的に導入してきた。 雑文473「現実を見ろ」にも書いたように、「タムロンフォトビクス」の頃から、写真の電子化には執念を燃やしていたのである。 我輩はこれまでフィルム(主にポジ)の高画質について強調してきたため、電子写真については否定的だと思われているかも知れないのだが、振り返ってみると、デジタル写真を含む電子写真の歴史は、我輩の歴史でもある。 これまでいくつのデジタルカメラを購入してきただろうか。 (参考:雑文470「次のデジタルカメラ(前編:それまでの遍歴)」) しかし現在、写真の原板を無くすことは出来ないという結論に至っている。それについては、これまで何度も書いてきた(参考:雑文473「現実を見ろ」)。 ただし、そのことがデジタルカメラを蔑(さげす)むことには繋がらない(デジタルカメラ至上主義そのものを否定することはあるが)。 我輩は、デジタルカメラのメリットである大容量メモリに支えられた大量撮影枚数、パソコンとの親和性、即時性などを積極的に利用しようとしているが、デメリットまで受け入れるつもりは毛頭無い。 先日も、豚児を連れて観光地に行った際に、最新デジタルカメラ「Nikon D200」を使ったが、これは当然ながら中判カメラ「BRONICA SQ-Ai」のサブカメラとしての位置付けに過ぎぬ。 多く撮れない中判では記念になる重要なカットのみを押さえておき、デジタルカメラでそれを補完するように撮るのである。 その役割分担は実に明確で、迷いは全く無い。 ・・・銀塩カメラのみではない。デジタルカメラのみでもない。 両方を適材適所で使い分けることにより、初めて互いのデメリットが消滅するのである。それはまさに、資料の電子化の時と同様。 もちろん、それによってメリットのほうに多少のロスが出るのは仕方無いが、現実的な運用を考える限り最善を求めるにはこれしか無い。 ---------------------------------------------------- [578] 2006年08月05日(土) 「SONY α100」 先日、ボクシングWBA世界ライトフライ級王座決定戦が行われ、今話題の亀田興毅が判定勝ちした。 我輩は試合を見たわけではないが、今回の試合に関する話題の掲示板には「誰が見ても明らかに亀田の負け。どういう基準で採点しているのか分からない。」という書き込みが相次いだ。 中には、「亀田の勝利は試合前から決まっていたに違いない。」という書き込みもある。まあそれは言い過ぎかも知れないが、「ダウンは俺流のサブライズや」という試合後の亀田発言も反発を呼んでおり、味方はほとんどいない状況。 ただ、亀田が勝利するということを前提として周囲が動いていたことは確かで、TBSでも大晦日に亀田の初防衛戦の中継が組まれていた。また、亀田をボクサーとして育ててきた父親向けにもあらかじめチャンピオンベルトが用意されていた。 少なくとも、引き分けの状態であれば、間違いなく亀田が勝ちとされる状況が出来上がっていたことは間違いない・・・。 さて、先日の雑文575「お見合いマッチング」では、「SONY α100」の購入直前まで至ったものの、結果的に「Nikon D200」を選んだという話を書いた。 その時点ではまだ発売前だったこともあり、実際に手に取って吟味したわけではなかった。また、カタログもリーフレット程度で、まさにカタログスペックによって検討する以外に無かったわけである。 銀塩・デジタルに関わらず、一眼レフカメラを選ぶ際には色々な点が気になる。 ボディの緻密感は? シャッターの感触は? 実際に目で見たスタイルは? スイッチやダイヤルの感触は? 全体の動きは? 「Nikon D200」を選んだ直接の理由はシンクロコネクタの存在であるが、もしこの問題さえ無ければ、確実に「SONY α100」を購入していただろう。なにしろ、「豊富に揃った所有αレンズの活用」、「1,000万画素ながらも10万円弱の値段」、「どんなレンズでも手ブレ補正可能」、「CCDのアンチダスト機能」と魅力豊富。 そういう意味では、「Nikon D200」を手に入れた今でも「SONY α100」が気になっている。 「本当に、D200という選択で良かったのか?」 我輩の選択の良し悪しは、この「SONY α100」の出来に懸かっている。それ故、発売日を迎えて店頭に並んだ「SONY α100」を実際に手に取って眺めてみたい。 会社帰り、ヨドバシカメラ秋葉原店のカメラ売り場に寄った。最初、SONYの一眼レフ売り場が見付からなかったのだが、よく見ると、それまでCanonを並べていたカウンターがSONY用として使われており、そこに10台ほどの「α100」が様々なレンズを装着され置かれていた。わざわざブラックボディとシルバーボディの両方あったのが印象的。 現時点でのラインナップがたった1機種というのは寂しいため、このような工夫が必要なのであろう。 <<画像ファイルあり>> まず1度目にここを訪れた時は誰もおらず、「本当に大丈夫か」と心配するほどだった。 週末に再度行ってみたところ、常に見物客が絶えず、店員も付きっきりだった。我輩が見ている間にも、1台売れていた。 確かに、現時点で1000万画素のデジタルカメラは少なく、それだけでも大きなセールスポイントである。売れないということはあるまい。 さて、実際に手に取ってみた。 まず、ボディは軽い。 グリップ形状も握り易くて良い。 その点、サブカメラとして使うには「D200」よりも良かろう。 ただ、緻密感に乏しいのが寂しい。 <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> 電子ダイヤルは前ダイヤルのみしか無いが、操作感は悪くない。少なくともNikon系上位機種よりもスッキリと軽快に回る。安物っぽい感じはあるものの、確実な動作を指に感ずる。 ただしSONY製1号機の電子ダイヤルということであるから、耐久性については未知数。部品がMINOLTA時代と変わらなければ問題無かろうが、SONYがどのようにコストダウンをやったかによっては変わってくるかも知れない。 シャッターを切ってみたが、どのカメラにもメモリカードが入っていないので液晶パネルに映像が出ない。 仕方無いので手持ちのコンパクトフラッシュメモリを入れて撮影してみた(このページの写真はすべてα100で撮影したもの)。 シャッターの感触は「パコン」という感じで、緻密な動作をしている印象はあまり無い。 しかし元々デジタル一眼レフカメラのシャッター音はどれも小さいものばかりなので、あまり比較する意味は無いだろう。少なくとも、人物撮影などでシャッター音による目線引き効果は期待出来ぬ。 幾つかの種類のレンズを試してみたが、ズームリングなどの手触りが気になった。自分でも理由は分からないが、細かい溝のパターンが指へ不快感を与えているのだろうか。 もちろん、個人によって好みは異なろう。 軍艦部のモノクロ液晶パネルが無いのが少し不便に思う。今までの習慣からつい軍艦部を見てしまうのが原因であるから、使用者が慣れれば良い話か。 ただし、背面液晶パネルに表示させる方式は、バックライトなどもあるためどうしても無駄に電力を消費しているように思えてしまう。実際には影響が無いためこのような方式を採用しているのだろうが、気分的には落ち着かない。 ただ、カメラを縦位置にすると液晶表示も縦に切り替わるのが面白い。試しに逆さにしてみたが、さすがにそれは無理だった。 次に、CCDの手ブレ防止とゴミ取り技術についてだが、店頭にはデモ用のモジュールが置かれていた。 手前にあるカメラボディを揺すると、CCDのモジュールが揺れるのが面白い。また、ボタンを押すとCCDが激しく振動するのが見える。 <<画像ファイルあり>> これで全てのレンズで手ブレ補正されるのであるから、なかなかのものである。 シンクロコネクタの問題さえ無ければ、我輩は絶対にこのカメラを購入していたのだ。もちろん、2段階の変換を我慢するならば外部ストロボも使用可能であるから、もし本当に金が調達出来なければα100を手にしていたろう。 さて、撮影画像を持ち帰り、実際の画像データをパソコンで見てみると、「一眼レフタイプのデジタルカメラにしては少しノイズが見えるかな」と感ずる程度だった。少なくともISO100での撮影では、巷で言われているほどノイズは目立たない。 ただし、ISO400の画像では、確かにノイズが目立つ。縮小使用するならば問題無かろうが、高感度にて1000万画素が必要な場合には注意が必要かも知れない。 ・・・結局のところ、α100は良いカメラだった。 あの値段であのスペック。 SONYというブランドさえ気にならなければ、売れないはずが無い。 では、我輩的にはどうか。 手ブレは根性で何とかする。交換レンズも、MFならば幾つか所有している。そして、すでに購入したカメラであるから、価格差はもはや関係無い。 結論・・・D200を選んで正解だった。 ボクシングの亀田ではないが、すでに所有しているD200が勝利することは、あらかじめ決まっていたわけだ。 ---------------------------------------------------- [579] 2006年08月11日(金) 「バカにしていた」 バカにしていると、たまに見落とすものがある。 例えば、ニコンの一眼レフカメラ。 ニコンの電子ダイヤル(コマンドダイヤル)は回しにくい。そういう思い込みがあった。確かに、F5やF6、そしてD1系やD2系などは、どれもこれもダイヤルの感触がかなり悪い。これは事実である。 高級機でさえこうであるから、普及機は推して知るべし・・・と思っていた。 ところが、ニコンの場合はD70などの普及機のほうが比較的ダイヤルの切れが良いことが判った。安っぽい感触ではあるが、動作そのものは確実。 「どうせニコンのカメラだろう?」とバカにしていたため、気付くのが遅れたのである。 さて、パナソニックから新しいデジタルカメラが出た。 名前は、「LUMIX L1」。 カタログには"プレミアム一眼"と書かれている。しかし、自分でプレミアムなどと言うのはプレミアムではない証拠。第一、パナソニックは家電メーカーであり、カメラメーカーではない。 「プレミアムとは笑わせるなあ、所詮はナショナル製だろうが。」 昔からカメラを作ってきたメーカーには、カメラに関する思想とノウハウがある。プロを始めとしたユーザーの声をフィードバックし、理想のカメラを追求してきたのである。電子化やデジタル化は、あくまで理想のカメラを製品として具現化するための手段に過ぎない。 ところが、デジタル時代にになって参入してきた家電メーカーにはカメラ造りの歴史が無い。それ故、電子的な性能向上ばかりを追い求めてきた。 確かに、個々のデバイスとしては高機能・低コスト・コンパクト化を果たしただろう。しかしカメラ全体のバランスが整っているかと言えばそうでもなかった。 結局は、部品の寄せ集めに過ぎぬ。 とにかく我輩は、昔からパナソニックのカメラが好きではなかった。 なぜなら、テレビコマーシャルに我輩の嫌いな浜崎あゆみを使っていたからである。たかがコマーシャルとは言えども、印象の悪さが製品にまで染みこんでしまっているのだ。 「家電メーカー」+「浜崎あゆみ」という最悪のイメージ。それが、我輩のパナソニック製デジタルカメラに対する強烈なイメージだった。 だからこそ、雑文482「今さら」でも書いたように、ダイヤル式を採用したデジタルカメラを発売しても素直に喜ばなかった。 強烈なマイナスのイメージを払拭出来るほどの魅力が無いのである。 「この程度なら、フィルムのカメラでも同じだな。今さらこんなもの買うわけが無い。」 そういうわけで、パナソニックのカメラには全く触れる機会も無く、最近はどのような製品があるのかさえ知らなかった。 そんな時、雑文578「SONY α100」で書いたように、「SONY α100」の調査をすることになった。 面白いことに「SONY α100」は家電メーカーSONYがコニカミノルタのカメラ技術を導入して作られたものであった。購入予定が無くとも興味深い。 「同じ家電メーカーのパナソニックも、SONYみたいにどこかのカメラメーカーと組んだほうが良いんじゃないか?」 そう思い、パナソニックの展示カメラを見てみた。 <<画像ファイルあり>> 手に取ってみると、レンズが異様にデカい。 「また奇をてらったカメラを作りやがって。レンズがデカければ迫力が増すとでも思ったのか? だいたい、値段が異常に高い。どういうユーザーをターゲットとして考えてるんだ? 我輩には全く想像がつかん。」 <<画像ファイルあり>> ところが、ふと手元のダイヤルが目に入った。 「・・・? なんだ、このダイヤルは?」 シャッタースピード刻印のそれぞれの間に指標が2つずつあるのが見える。 「これはもしかして・・・。」 <<画像ファイルあり>> それはまさに、中間シャッタースピードの指標であった。 我輩は以前、雑文310「シャッターの誤差」で次のように書いた。 「ダイヤルに全てのシャッター表示を刻印せずとも、中間シャッター部分には軽いクリックストップを設けていれば事足りるように思うが〜(略)」 これは、カメラメーカーに対する我輩なりの要望でもあったのだが、結局のところ、カメラメーカーからは製品として出なかった。そもそも、ダイヤル式のカメラそのものが存在しない。 ところが、思いがけず家電メーカーであるパナソニックから中間シャッタースピードを搭載したダイヤル式カメラが登場してしまったわけである。 今までバカにして全くマークしていなかったメーカーだけに、ショックも大きかった。 1/3段の刻みは細か過ぎるとは思うが(それだけの精度が出ているのか疑問)、今までに無かった改良だけに存在価値は非常に高い。ライカなどのアンティークカメラに似せただけの安易なものではなく、きちんと現代風に実用出来るレベルに高めているところが素晴らしいのである。 また、旧くて新しい機能として、ダイヤルと絞りリングそれぞれのAマークによって露出モード切り替えが簡単に出来る。絞りリングを廃止しようとしてきたカメラメーカーとは対照的。 カメラメーカーがそれまで培ってきたシンプルな使い易さを捨ててスパゲティ症候群(参考:雑文134「スパゲティ」)に陥る中、家電メーカーのパナソニックがシンプルな使い易さを獲得しつつあるというのはまさに皮肉と言えよう。 カタログによれば、シグマやオリンパスフォーサーズシステムの交換レンズが使えるようであるから、もしかしたら双方で技術交流があったのかも知れぬ。 いずれにせよ、今まで真面目に見ていなかった我輩には知る由も無い。 今まではバカにしていたパナソニックのデジタルカメラ、少しは目を向ける価値があるかも知れない。 ---------------------------------------------------- [580] 2006年08月29日(火) 「夏の帰省2006(その1)」 ●はじめに ※ 今回も前年のように、長文となっても1つにまとめて書こうと思ったが、あまりに長文となるため複数に分けざるを得なかった。ちなみに掲載日は同日とした。 ※ 日頃書いている豚児日記をベースにカメラや撮影に関する記述を加えた文章のため、かなり冗長になっている。 ※ カメラや撮影に関する記述については、区別し易くするためこのように着色した。 ※ 中判写真はスキャナ作業を省くため掲載は見送る。ただし、中判カメラで撮影したシーンは必ずデジタルカメラでも撮影しているため、デジタルカメラの画像を掲載している。 ----------------- ●事前計画 今年の夏も、九州の実家に帰省することを計画した。 前回はフェリーを利用したため自家用車を使うことが出来、バスの廃止された田舎で家族揃って移動する際に威力を発揮した。 しかしながら予約のタイミングが悪く、関東から離れた新潟県直江津出航のフェリーしか押さえられず、結果的に走行距離が1,119kmにも及んでしまった。 (参考:雑文549「夏の帰省2005」) 走行距離の長さは大きな問題であった。 ガソリン価格の高騰もあるし、長距離移動による疲労もある。当然ながら移動距離の長さに応じて事故のリスクも高くなる。 そういうわけで、今年は何としても関東圏からフェリーを利用したい。 調べてみると、神奈川県の久里浜港と大分県の大在港を結んでいるフェリー「シャトルハイウェイライン」というフェリー会社があり、丸一日乗れば到着することが分かった。 ただし船は結構古いものを2隻使っているとのこと。船名はそれぞれ「しゃとる・おおいた」と「しゃとる・よこすか」で、交互に船を走らせている。つまり、久里浜港を「しゃとる・おおいた」が出航すると、同時刻に大在港から「しゃとる・よこすか」が出航するわけである。 ちなみに、ウェブ上の情報を総合すると、どうやら「しゃとる・よこすか」のほうが微妙に設備や性能が良いらしいことから、我輩は行き帰り両方とも「しゃとる・よこすか」となるようスケジュールを組んでみた。 また、盆休みに入る直前の金曜日の夜に出発することとし、有効時間を多く取れるようにすることも考慮に入っている。それに、予約倍率も少しは低かろうと思った。 8月11日(金) 三郷→久里浜港23:10発(フェリー泊)→ 8月12日(土) →大分大在港21:30着→大分(泊) 8月13日(日) 大分→湯布院・九重巡り→京都郡(泊) 8月14日(月) 京都郡→実家周辺撮影→源じいの森→京都郡(泊) 8月15日(火) 京都郡→到津の森公園(小倉)→苅田(泊) 8月16日(水) 苅田→親戚巡り→京都郡(泊) 8月17日(木) 京都郡→別府巡り(スギノイパレス&地獄巡り)→大分大在港23:45発(フェリー泊)→ 8月18日(金) →久里浜港20:55着→三郷 撮影については、いつもの通りブローニー判をメインとする。 ただし、サブカメラは考える必要がある。というのも、今回は車と自転車を組み合わせることによって機動性を向上させ、多くのカットを得ることを期待している。(参考:雑文571「目標のために」) もし銀塩35mm判を使うのであれば、金銭面でつらくなる。メインは中判でキッチリ押さえておくのであるから、サブカメラはデジタルカメラ「D200」で割り切ることにしたい。その代わり、撮影カット数は500枚が目標。それくらい撮らねば、わざわざデジタルカメラを選んだ意味が無い。 ----------------- ●フェリー予約 予約電話は2ヶ月前の同日9:30から受付ているとのこと。つまり、目標は8月11日出航であるから、予約は6月11日に入れることになる。 ところが土日祝日は電話受付が休みであるため、日曜日である6月11日には予約を入れることが出来ない。その場合、次の営業日である6月12日の月曜まで待たねばならぬ。ただ問題なのは、8月10日・11日・12日それぞれの予約電話が、休み明けの6月12日に集中するということ。3日分の予約が殺到するわけであるから、電話が繋がりにくくなるのは容易に想像出来る。 ところで、月曜日の9:30というのは、すなわち職場にいる時間である。 電話が繋がらなければ業務に支障をきたす。ここは何としてでも一発で予約を決めたい。時間キッチリと電話を入れねばなるまい。 前の日から緊張感が高まる。 6月12日朝、職場に出社。予約開始時間まで間があるため、小さな仕事を一つ済ませる。 その後、時報117番で自分の時計のズレを確認し、9時30分丁度に電話をかける準備をしていた。 あと10分で勝負か。 手元のメモには予約時に必要な項目を書き出しておき、少しでも短時間に予約が取れるように下準備した。電話が繋がったとしても、話をしている間に予約が埋まる可能性もあると考えたからだ。 しばらくの間、隣の同僚と客先から受け取った原稿について話をしていたのだが、ふと気付くと9時31分。 血の気が一気に引いた。 急いで予約の電話を入れようとしたが、恐れていたとおり話し中で繋がらない。何度も何度もかけ直したが、「ツー、ツー、ツー」と音がするだけ。 時計の針はどんどん進んでいく。電話は繋がらない。 業務中ということもあり、会社の電話で何度も電話をかけるのは目立つため、携帯電話からかけることにした。 これならば、表示画面で繋がったかどうかが判り、仕事をしながらでも机に置いた状態で時々リダイヤルのボタンを押すだけで済む。 しかし何度も何度もリダイヤルするが、一向に繋がる気配が無い。 そして30分後の10:00頃、ようやく呼び出し音が鳴った。 「やった」と思ったが、もう30分も経っているため予約が埋まっている可能性が高い。心臓がドキドキする。今回ダメだとすると、予定が根本から覆ってしまう。 早く電話に出てくれ・・・。呼び出し音が長く感ずる。 「ガチャ。」 電話が繋がった。 声を出そうと息を吸い込んだと同時に、お姉さんの声が聞こえた。 「ただいま、電話が大変込み合っていますので、しばらくしてからおかけ直し下さい。・・・ガチャ。」 一方的に切られてしまった。 「くそっ、繋がったとしても、これか。」 最悪の事態が頭をよぎる。 去年は直江津発フェリーでさえ午後の電話では希望どおりには予約が入れられなかった。今回のように東京発(正確には"横須賀")のフェリーでは、30分経過というのは致命的。 「まったく何ということだ、折りたたみ自転車まで買ったと言うのに・・・。」 その後、再びリダイヤルを続けた。 同じ事を何度も繰り返すと、それに対する意識が薄れてくる。 仕事の合間に携帯電話のボタンを決まった順番で押す。表示が消えれば再びボタンを押す・・・。 10時33分、最初に電話をかけ始めて1時間経った頃だった。ふと携帯電話の表示を見ると、「呼び出し中」となっていた。しばらくボーっと見ていたが、ハッとして受話器を耳に近付けると、確かに呼び出し音が鳴っていた。 だが、電話が繋がっても喜ぶのはまだ早い。またテープ音声で終わる可能性もある。 だが今度は本当に繋がった。 「シャトルハイウェイラインです。」 よく聞くと、電話の背後からは他の受付らしき声が聞こえている。やはり、何回線かあるのだろう。 予約するため希望の日程を告げると、「空きを確認します」と保留になった。 我輩の気の焦りもあったためか、保留はかなり長く感じた。 「もしかして、やはりダメだったか? 去年は帰りの便で希望の日が取れなかったためやむなく別の便にした経緯があるが、まさか今回も・・・?」 それにしても、携帯電話であるから電波が途切れるのが怖い。ここで切れてしまえば努力が水の泡。せめて連絡先を言うまで切れないことを願うのみ。 しばらくして保留が解除された。 「予約が取れました。」 よーし、これで一安心。 こちらの連絡先や自動車の長さ等を伝え、予約番号を取った。 その後、「料金の確認をします」とのことで、再び保留で待たされる。料金の計算であるから仕方無いのだろうが、この保留も長かった。 料金は、往復の合計が140,100円。 去年の直江津発博多行きフェリーは約10万円だったことを考えると少し高いが、直江津までのガソリン代や高速料金を考えると妥当なところ。 そればかりか、灯火の無い夜中の高速道路を数時間走る必要も無く、しかも今回は1等船室で完全なる個室である。部屋にはテレビも設置されている。 結局のところ、この電話の通話時間は7分36秒(携帯電話の画面に表示されている)であった。こんな調子ならば、何度かけても電話が繋がらないのも納得出来る。 ----------------- ●出航前 出航数日前から豚児が風邪をひいた。熱はあるし、夜になると咳もしている。 しかし本人はすこぶる元気で、本当に熱があるのかと疑うほど。 すぐに熱は引いたものの、念のために病院に連れて行った。船に乗っても良いかと医師に訊いたところ、問題は無いでしょうとのこと。 ところが問題はそれだけでなく、台風7号・8号・9号と立て続けに発生し、日本に近付いていた。 どうやら8号と9号のほうは沖縄や台湾付近に進路をとっているようだったが、7号のほうは紀伊半島を目指して近付きつつあった。しかもその速度は遅く、早く通過してくれれば良いものを、じらすかのように低速度で進んでいた。 シャトルハイウェイラインのウェブサイトを見ると、8月7日は欠航となっていた。 まあ、出発の11日までには天候は回復しているだろう。 しかしながら、1日欠航するとなれば、「しゃとる・よこすか」と「しゃとる・おおいた」の交換が行われないわけであるから、11日は狙っていた「しゃとる・よこすか」には乗れない。「しゃとる・おおいた」である。 だがこの心配は無用であった。なぜなら、翌8月8日も欠航となったため、結局は2回交換が行われず、11日は予定通り「しゃとる・よこすか」に乗ることになった。 ちなみに、8月9日以降は通常運行となっていた。 ----------------- ●8月11日(金) 1日目 <久里浜港23:10発(フェリー泊)> この日、15時頃に会社を早退する予定であった。 帰宅後に車を洗い、荷物の最終積み込みをし、風呂に入り、そして夕食を摂る予定。 早退の話は2ヶ月前から職場で調整済みだったため、キッチリと15時には職場を出ることが出来た。 ところが上野駅で携帯電話が鳴り、客のクレーム対応が始まってしまった。我輩は客と制作現場とのやり取りを行い、帰宅した後もそれが続いた。そのため、洗車しながら電話対応するような間抜けな形となってしまった。 しかし何とか同僚が外出先から帰ってきて対応を引き継いでくれたため、この件は我輩の手を離れた。 さて、21時までには港に着かねばならないらしい。 自宅から港までは道のりで100kmあるのだが、首都高の混雑を考えると2時間はかかると見た。それに若干の余裕を入れて2時間半。つまり、自宅を出るのは18時半が目標。 まあ、道のりの大半が高速道路であるから、もし混雑が無ければ逆に早く着いてしまうかも知れない。そんな心配までしていた。 荷物を積み込み、車載ビデオカメラをセットし、豚児とヘナチョコ妻を後部座席に座らせ、ほぼ予定時間に出発。 途中、コンビニエンスストアに寄って翌朝の朝食を買い込んだりしたが、時計を見るといつの間にか19時。ヘナチョコを急かして車に乗り込み、車を発進させた。 道はそれなりに車が多かったが、流れは悪くない。もし高速道路が混雑していたらということが頭を過ぎったため、いつも乗るインターチェンジを通り過ぎて少し先のインターチェンジで首都高に乗った。意外にも混雑していない様子だったのでスピードを上げた。 カーナビゲーションシステムの到着予定時刻表示は20時40分となっている。 ところが両国あたりまで来た時、前方の暗闇にハザードランプの点滅が見えた。悪い予感がする。スピードを落としながら近付くと、完全なる渋滞であった。 5分ほど停まったかと思うと、数メートル動き、また停まる。到着予定時刻がどんどん先に延び、21時30分となってしまった。 ヘナチョコにフェリー乗り場に電話をかけさせたところ、21時30分に着くようになっているとのこと。21時までというのは勘違いらしかった。だがそれにしても間に合わない。フェリー乗り場の案内の人によれば、最悪22時30分まで来れば間に合うとのこと。それを目指すしか無い。 <<画像ファイルあり>> 渋滞中(車載ビデオカメラ映像) 首都高を降りたほうが早いか?しかし出口まで行くだけでも時間がかかる。余計なことをして事態を悪化させるのはよくあるパターン。ここはこのまま辛抱することにする。 到着予定時刻は22時を回った。 たった3.5kmを進むのに1時間かかっている。 「う〜む、これはホントに間に合わんかもな。」 <<画像ファイルあり>> 渋滞表示板(D200撮影) 職場からは、ビルの間から首都高が見える地点がある。 昼間、「ああ、あとでこの道を通るんだなあ。」とのんびり考えていた。それがまさか、こんな時間に走る・・・いやノロノロ運転することになるとは・・・。 そんな時、職場の同僚の携帯電話から電話が入った。 「いくら渋滞でも電話には出られん。何かあったのか気になるが、呼び出されても今さらどうにもならん・・・。」 電話のコールが止んだあと、ハッとした。 「フェリーに乗り遅れたら、呼び出しを断る理由が無くなる。しかも皮肉なことに、ここから職場まではすぐそこ・・・。」 深夜であるから、フェリーに乗り遅れれば他の選択肢が無い。本来ならば船に乗った後は就寝する予定だったのだから、予定を変えて夜通し運転で九州を目指すなど不可能。 色々と心配していると、渋滞域を越えたのか徐々に車が動き出し、幾つかの分岐を越えると通常通りに車が走れるようになった。しかも追越車線にはほとんど車が走っていない状態である。不思議なことに、多くの車は走行車線にて列をなして時速80kmくらいで走っていた。まるで追越し禁止の道路のようだった。 一方、我輩の車については、直前のノロノロ運転がエンジンやバッテリーに悪影響を与えたのではないかと心配したが、特に不具合も無くエンジンは順調に回り、走行車線の車を追い抜きながら何とか久里浜港には22時に到着出来た。 ただしガソリンがかなり消費されていたのは仕方が無い。暑い夜であるから、渋滞中であってもエアコンを切るのは難しかった。 急いで乗船手続きをとり、車を船のほうへ移動させた。 乗り場では誘導員によって車が整列され、船首部にある搭乗口より順次乗り込んだ。 去年利用したフェリー会社では、原則として同乗者は別のバスに乗って乗り場へ向かうことになっているのだが、このフェリー会社では、同乗者もそのまま車に乗って船に乗り込むことになっている。 <<画像ファイルあり>> フェリー搭乗口(車載ビデオカメラ映像) フロントで乗船券を渡すと、一等室のルームキーを渡された。2人部屋個室である。 ベッドが2つであるが、豚児はヘナチョコと添い寝をすることになる。 救命胴衣が1着しか無かったため、フロントの女性にそのことを言ったところ、後で持っていきますとのこと。しかしなかなか持ってこない。午前12時になるとフロントもいったん業務を終えてしまうため、再度言いに行ったところ乗組員が1着持ってきた。 「1着しか無いのはおかしいですね〜。」と言っていたが、豚児分が無いと言うと「子供用を持ってきましょう」と言ったまま二度と来なかった。もし万一のことが起こったら、我輩の分を使わせるしか無い。 <<画像ファイルあり>> 船内のフロント(D200撮影) 窓から外を見ると、フェリーはすでに港を離れ、ビリビリと激しく振動させながら速度を上げていった。 真っ暗闇の中に浮かぶ小さな灯火がゆっくりと後ろへ流れて行く。 うねりがあるのか、ゆったりと上下の揺れを身体に感じた。船室自体もミシミシ言っている。もしかしたら、船酔いするかも知れぬ・・・。 ヘナチョコと豚児は早々に寝たが、我輩は船室にあるコンセントを使ってノートパソコンで港で撮影したデジタルカメラ写真を見たりして過ごした。 テレビもあったが、衛星放送以外は電波の入りが良くない。 そのうち、揺れのせいか頭が重くなり、我輩も寝た・・・。 ----------------- ●8月12日(土) 2日目 <→大分大在港21:30着→大分(泊)> 朝起きてみると、窓の外は真っ白で何も見えなかった。 「何だ?」と思って下のほうを見ると船体が波を立てているのが見えた。 「そうか、霧か・・・。」 我輩は一瞬、窓が白く曇って外が見えなくなってしまったのかと錯覚した。 携帯GPS端末「GARMIN」で計測したところ、紀伊半島沖を航行中であることが分かった。 相変わらずゆっくりと大きく揺れており、頭が重くてしかたない。 ヘナチョコも気分が晴れない様子。 ところが豚児はこんな時でも元気で、ベッドの上でデタラメなダンスを踊ったり、お尻ペンペンなどをやって我輩をからかって馬鹿笑いしている。 「おまえはいつも変わらんなあ・・・。ホントうらやましいわ。」 <<画像ファイルあり>> ダンス中(D200撮影) せっかくの一等室であるから、フィルムで撮影するかと「BRONICA SQ-Ai」を出した。ところがストロボを取り出そうとしたところ、どこにも見当たらない。 「そんなバカな、携行品リストを作ってチェックしたはずだ・・・。」 しかしどんなに探しても見当たらない。もしかしたら、車に忘れてきたか?いやそんなハズは無い。撮影関係の機材は別の場所に置いておくことは考えられぬ。 室内撮影において、ストロボが無いということは撮影不能を意味する。 そういえば、2年前の帰省時にも同じようなことがあったが(参考:雑文503「夏の帰省日記(1)」)、再び同じような状況に陥るとは情けない・・・。 九州の母親に連絡して大分県のカメラ屋を探してもらおう。 携帯電話はもちろん圏外であるため、船舶用の公衆電話を使って電話した。 北九州ですら大きなカメラ屋が無かったのであるから、大分県では期待するだけ無駄かも知れぬ。 とりあえず、行きの船内の写真はフィルムでは撮れない。それは仕方無いため、帰りの船で撮ることにしよう。どうせ、帰りも「しゃとる・よこすか」なのだから。 さて、朝食はコンビニエンスストアで仕入れたおにぎりなどを食べたが、昼食はフェリーの食堂で摂ることにしていた。時間は12時〜13時までと短い。急いで行ったが、満席に近い状態になっていた。そのため、禁煙席には座れなかった。 我輩は事前情報で楽しみにしていた「海軍カレー」を注文。ヘナチョコと豚児もそれぞれに別のメニューを頼んだ。 しかし期待の海軍カレーだったが、飯が柔らか過ぎ、肉も脂身が多過ぎて今ひとつであった。 さらにヘナチョコと豚児はそれぞれ半分も食べなかったため、我輩がそれらを引き受けることになってしまった。 ヘナチョコはともかく、豚児も食べなかったのは計算外・・・。 我輩は満腹のため、そしてヘナチョコは体調不良のため、それぞれしばらく動けなかったが、豚児は相変わらず元気であった。 そんな豚児の気を紛らすため、操舵室見学ツアーの案内があった時、すぐに申し込みをした。 操舵室では、船長殿が各機器の説明をしてくれたりした。 船長殿の話によると、この船は渋滞5km分を持って来たくらいの搭載量があるとのこと。 レーダーなども見せてもらったが、今のレーダーは我輩のイメージとは異なり、他の船の進行方向や速力なども画面上でカラフルに表示されていた。 <<画像ファイルあり>> 操舵室見学(D200撮影) <<画像ファイルあり>> 操舵室見学(D200撮影) こういう対象物は、フィルムで記録するまでもないが、興味深い対象であるから、ここはデジタルカメラで撮影しまくった。こういう時は内蔵ストロボが役に立つ。操舵室だけで50枚くらいは撮ったろうか。 このような調子で撮っていくと2GBのメモリではすぐにいっぱいになるため、船室に戻ってすぐにパソコンにデータを移した。こまめにやらなければ、データを移す時間だけでも馬鹿にならない。 夕食時、ヘナチョコはいよいよ起き上がれなくなり、我輩は豚児を連れて食堂へ行った。 我輩もあまり食べられそうもないため、とりあえず2人で1食分の「生姜焼き定食」を頼んだ。我輩は1食分くらいは食べられるつもりだが、豚児分の余りが来るとツライのだ。多いよりも少ないほうがまだマシ。 ただそれにしても、2人で1食分を食べる姿は、少し侘(わび)しいものがあった。 食後はデッキに出て夕方の景色を楽しんだ。 風が強く、船のエンジンの排ガスが少し煙かった。 左手を見ると、陸が見えている。GPSで確認したところ、大分県であることが分かった。予定時間はともかく、距離としてはもう目の前である。 「あれが九州だよね!」 豚児が言ったので、頷いてやった。 <<画像ファイルあり>> GPS画面(D200撮影) 九州上陸後、我輩は母親と連絡を取り、カメラのキタムラが別府にあるという情報を得た。 しかしながらこの日はすでに21時を回っていたため、カメラのキタムラへは翌日行ってみることにした。 とりあえず、大分駅前のビジネスホテルにチェックイン。このホテルではインターネットが使えるため、改めてカメラのキタムラについて検索してみた。すると、サンパック系のストロボを取り扱っているとのこと。ならば、ベストセラーの「SUNPAK B3000S」くらいは置いているだろう。予定外の出費だが、「SUNPAK B3000S」であれば1万5千円くらいで手に入ろう。 心配事が無くなったため、我輩は安心して明日に備えて休養した。 <<画像ファイルあり>> 夜の大分駅(D200撮影) ----------------- ●8月13日(日) 3日目 <大分→湯布院・九重巡り→京都郡(泊)> この日は、大分県から福岡県に入るまでに湯布院・九重観光をしておこうと思っていた。 事前情報によれば、「やまなみハイウェイ」という道が景色雄大で素晴らしいとのこと。牧場や地熱発電所などを回ってみようと思う。 ただ、それよりもまずカメラのキタムラへ向かい、サンパックのストロボを入手せねばならぬ。 <<画像ファイルあり>> 朝の大分駅(D200撮影) ホテルの駐車場が9時まで無料ということだったので、9時頃出発。 大分市から別府市まで20分くらいで、カメラのキタムラの開店時間10時まで間がある。途中、コンビニエンスストアに寄って買い物をしたりしたが、それでも間がもたない。 朝とはいえ日差しが強烈で、外にいると目眩(めまい)がしてくる。 カンカン照りの中でエンジンを止めると車内の温度が上がってしまうのだが、ヘナチョコの体調が悪いとのことで、開店前のカメラのキタムラの駐車場でやむなくアイドリングしたまま休むことにした。船酔いではなく、どうやら風邪のせいらしい。 風邪の身体でさえ暑く感ずるのであるから、この日は湯布院・九重行きは中止とし、別府スギノイパレスの大ホールで休むことにした。 どうせ、帰りにまた大分県へ行くのであるから、湯布院・九重観光はその日にすれば良い。 さて、しばらく待っているとカメラのキタムラのシャッターが開いた。 ヘナチョコの財布を借り、さっそく店内に入って「SUNPAK B3000S」があるかどうかを訊いてみた。すると、あっさりと「在庫無し」の返事。 「じゃあ、別のストロボは?」と訊いたが、ストロボ系はNikonかCanonの専用品しか無いとのこと。 「そういうものはコジマ電器さんあたりで売ってるかもしれませんね・・・。」と言われてしまった。 <<画像ファイルあり>> カメラのキタムラ別府店(D200撮影) 我輩は信じられぬ気持ちで車に戻った。 別府市には、他に大きな店舗は無い・・・。どうすれば・・・? そこで、ふと思った。 Nikon用専用ストロボであっても、ホットシューはJIS規格であるから使えないことは無い。もしこれがマニュアル発光可能であれば、フラッシュマチックで撮影は十分可能である。外光調光可能であれば尚良い。 しかも、Nikon D200を所有しているから、その後はこのカメラ用として活用も出来る。 我輩は再度カメラのキタムラに入り、Nikon製ストロボの在庫状況を訊ねた。 すると、6万円くらいの「SB-800」と3万円くらいの「SB-600」しか無いとのことだった。 カタログを見て比べてみると、両方ともマニュアル発光は可能ではあったが、外光調光は「SB-800」のみ可能である。しかし6万円も出せないため、結局は3万円の「SB-600」を購入した。 それでもサンパックストロボの値段の約2倍。 <<画像ファイルあり>> Nikon SB-600(D200撮影) 購入後、急いで車内で開封し、一通り操作してみた。 まず、シュー部分が金属製であるのが素晴らしい。これまでのストロボは、各社共通にシュー部分は樹脂製であった。それが金属製となって樹脂特有のしなりが無くなり、スムーズな装着を実現している。 また、ロック機構もワンタッチで、従来のようなネジ式ではなくなったのは有り難い。 さらには、マニュアル設定が電源ON/OFFでキャンセルされないのが良い。 さて早速、スギノイパレスへ向かい、駐車場で車を停める。 やはり、車を降りると真夏の熱気が襲ってくる。我々は早足でスギノイパレス屋内へ急いだ。 夏休みであるから人入りが多いかと思ったが、それほどではなかった。 <<画像ファイルあり>> スギノイパレス(D200撮影) スギノイパレスは座敷形式の大ホールを中心に、屋台コーナーやゲームセンター、ボウリング場、そして温泉入浴が楽しめる。もちろん、大ホールに負けない面積の土産物コーナーもある。 例えるならば、健康ランドの温泉地版と言えるかも知れない。 別府周辺に住む者なら、子どもの頃から慣れ親しんだ施設である。我輩自身も、子供会の遠足や家族旅行などで何度行ったか数え切れない。 <<画像ファイルあり>> スギノイパレス内(D200撮影) 大ホール入り口では幕の内弁当を売っていた。 屋台コーナーのラーメンでも持ち込むかと悩んだが、ヘナチョコの体力を付けるために色々とおかずの入ったほうが良いだろうと幕の内弁当を買った。 大ホールは冷房がかなり効いており、ヘナチョコは少し寒そうだったので、長袖上着を着せて横に寝かせておいた。 しばらくするとホール内の照明が落ち、なんとシロウトカラオケ大会が始まってしまった。 幸い、ヘナチョコはどんなにうるさくても寝られるという特技があるため、我輩は豚児と共にカラオケ大会を見ながら弁当を食べた。 そして、先ほど購入したばかりのストロボ「SB-600」をテストしてみた。 バックライト付きで暗闇でも操作がし易い。 フラッシュマチック撮影でなくとも、デジタルカメラであるD200で前撮影を行い、その撮影設定で本番撮影をすれば良いだろう。 ワイドアダプターも内蔵されているが、見たところ、ワイドアダプターを使わずとも照射範囲はカバー出来ているように思う。 <<画像ファイルあり>> 大ホール(D200撮影) カラオケ大会が終わり、しばらくすると、ウルトラマンショーが始まった。 最近のウルトラマンは色々なモードがあるそうで、今回はルナモードと呼ばれる状態で登場した。 まあ、たくさんのモードを使い分けるよりも、単純な要素を思い通りに操れるようになったほうがウルトラマン自身のためになるのではないかと思ったが、気持ちを切り替えるという意味では、それなりの効果があるのかも知れない。 Nikon D200での撮影では、動きのある被写体のためISO800まで感度を上げて撮影した。もちろんストロボ光が届かない距離のためストロボは使っていない。ISO800くらいに感度を上げるとさすがにノイズが乗るが、思ったほど酷いものではないので実用出来る。 <<画像ファイルあり>> ウルトラマンショー(D200撮影) 今回のショーでは、ウルトラマンが闇雲に敵を倒すのではなく、相手の心に訴えて戦意を喪失させるという戦い方を見せてくれた。 バルタン星人は、自ら侵略を止めて去って行ったのだ。 「戦いだけで勝ち取る平和は、本当の平和じゃない・・・。」この言葉に、豚児の目から涙がこぼれたのには少々驚いた。 <<画像ファイルあり>> 涙を流す豚児(ビデオカメラ撮影) 確かに、子ども相手にしては着ぐるみの演技もかなり練習されていると感ずるものだった。日替わりアルバイトが適当に演技しているものでは決してない。 セリフの内容が解らずとも、練習された演技と照明と効果音によって、子どもでも気持ちが高ぶるのであろう。 子ども向けだからとバカにしておくにはもったいない内容であった。 続いてこの後、中国雑伎団の演技が始まった。 一昔前にテレビで観たものよりも、演出に工夫が凝らされていたように思う。ただ、撮影禁止とのことで映像は何も残っていない。 一通りの出し物が終わった後、大ホールは再び休憩所になった。 ヘナチョコは少し弁当を食べた後にまた横になって寝ていたが、豚児は元気を持て余しており、近くの「子供コーナー」へ行きたいと言い出した。 我輩ももう少し休みたかったが、ヘナチョコの体力が豚児に吸い取られているのを見かねて豚児に付き合うことにした。 子供コーナーでは、他の子供と一緒に遊ぶ豚児を「Nikon D200」と「SB-600」の組合わせで撮影した。 「RICOH GR-Digital」の場合、連写性能があまり良くないため次の撮影までしばらく待たされることが多かったが、「Nikon D200」はさすがに一眼レフタイプのデジタルカメラだけあって、連写性能は満足出来る。 もちろん、実質的には秒間何コマという性能は使う場面が少なかろうが、次の撮影準備が迅速であることのメリットは大きい。 元々、豚児は内弁慶気味で、外では初対面の子供が近付くとオドオドしていたのだが、最近は初対面の子供でも一緒に遊ぶようになってきた。 ここでも、一時の友達を作って楽しそうに遊んでいた。 ほんの数十分間の友達でも、親が来て一緒に帰る姿を見ると少し寂しさが湧いて来る。豚児は友達見えなくなるまで手を振っていた。 <<画像ファイルあり>> 子どもコーナー(D200撮影) さて、少し落ち着いた頃、スギノイパレスの土産物コーナーで土産を買ってから福岡県京都郡(みやこぐん)の実家に帰ることにした。 ここの土産物コーナーは色々なものがあって楽しい。杉乃井ホテルに宿泊して、湯上がりにでもゆっくり回りたい気分だ。 車に乗り込み、別府ICから大分道に乗る。 一般道に下りて椎田有料道路を通り、実家に到着。2時間ほどの道のりで、すっかり夕方になっていた。 この実家には、豚児の曾ジイちゃん、曾バアちゃんが居る。 北九州に住んでいるバアちゃん(我輩の母親)も、間もなくやってくる予定。 ヘナチョコは気分が悪いため着くなり水枕で寝かせた。病院に連れて行こうかと考えたが、盆休みであるから開いているところを見付けねばならない。実家にはインターネットなど無いため、我輩の母親に調べておいてもらうことにしていた。 夜、家族が揃い、家の前で花火をして楽しんだ。 (その2へ続く) ---------------------------------------------------- [581] 2006年08月29日(火) 「夏の帰省2006(その2)」 ●8月14日(月) 4日目 <京都郡→実家周辺撮影→源じいの森→京都郡(泊)> この日は午前中に実家周辺撮影を行なう予定であった。 周辺とは言っても、広い町内を車で回り、要所要所で折りたたみ自転車で巡り、撮影するのである。 それなりに時間はかかることが予想されたため、朝6時くらいに出て昼までに戻るつもりだった。 ところが、ヘナチョコを病院に連れて行くということになったため、それは翌日にする。 ヘナチョコを車に乗せて行橋市にある「夜間・休日病院」へ向かった。我輩の母親と豚児も同乗した。 行橋市は我輩が子供の頃と比べて新しい道や建物が出来ており、最初は道が分かりづらかった。しかしカーナビゲーション画面を頼りに、何とか辿り付くことが出来た。 ヘナチョコの体調はそれほど悪くはなかったが、帰りのフェリーで再び具合が悪くなっても困るため、念のために受診して薬をもらっておこうということである。 受診後、行橋駅裏にあるショッピングセンター「ゆめタウン」に寄り、昼食用の惣菜一式を買い込んで実家に戻った。 このあたりも我輩の子供の頃とは全く変わっており、今回、新しい道を覚える良い機会となった。 実家に戻り、昼食を摂って休んでいた。 午後からは、2年前にも行った「源じいの森」で温泉でも浸かりながらゆっくりする予定になっていたため、しばらくしたらまた車で出発である。 ここでふと、我輩の父親に電話を入れてみた。 帰省前に電話を入れていたのだが、その時は「8月16日に寄る」という話をしている。とりあえずは九州入りしたことを報告しておこう。 電話をすると、父親は少し考えた後、「今、来んか?」と言った。 実は、16日は都合が微妙な状態となり、今のほうが確実とのことだった。 我輩も時計を見て少し考えた。もう14時。 源じいの森は別の日にするか。 主目的は、父親に会うことよりも、父方の祖母に会うことである。 豚児にとってはもう一人の曾バアちゃん。2年前に会ったが、豚児はもう忘れているだろう。 ただ、祖母の家は知らないため、父親を途中で乗せて道案内させる。 色々と複雑な事情があるため、母親及び実家のバアちゃんが、父親と会わないようにしなければならない。 とりあえず豚児とヘナチョコを車に乗せて父親の家に行った。 ところが、父親の住んでいる家は我輩が生まれた県営の長屋ではなく、新しく建ったアパートだった。父親の話によると、県営の長屋は先日取り壊され、住人は新しいアパートへ移ったとのこと。 県営の長屋も実家周辺撮影の撮影ポイントに入っていただけに、非常に残念であった・・・。 祖母の家では、4匹の犬が出迎えた。 豚児の写真やビデオを渡して見せたり、豚児を膝の上に座らせてやったりして過ごした。 <<画像ファイルあり>> 祖母の家(D200撮影) 当然ながら、集合写真も撮った。 撮影直後、露出計代わりの「Nikon D200」のISO設定が800になっていたことに気付き、急遽、撮影のやり直しをした。 どうも設定絞り値が大きいと思ったのだが、そういうことだったか。気付いて良かった。 父親を送って帰る途中、我輩の子供の頃の話を聞いた。 「おまえが二歳の頃、死にかけたことがあったなぁ。」 その話は以前から聞いていたので驚きはしなかった。 「おむつが赤く染まったから、食べさせたトマトがそのまま出てきたかと思ったが、あまりに激しく泣くもんで、近所の病院に連れて行っておむつを見せたんよのう。そしたら先生の顔色がサーっと変わってな、北九州の大きな病院に連れて行けって言われて急いで党(※)の車を借りて病院に連れてったんじゃ。そしたら腸重積(ちょうじゅうせき)やったんじゃ。」 (※党=当時父親は某政党に属して選挙運動などの政治活動を行なっていた) 我輩は父親を送った後、母親に連絡を入れた。 時間は17時半。 母親は、「今からでも源じいの森に行こう」と言う。実家に戻ってもあまりちゃんとした食事が用意出来ないから、源じいの森で食事をしようとのこと。 我輩は、豚児とヘナチョコを乗せたまま、我輩の母親を途中で拾って源じいの森を目指した。 源じいの森は山道を走った先にあり、着いた頃はもう夕方の雰囲気であった。 2年前はタクシーすら無く鉄道だけが頼りだったが、今回は車で来たため時刻表など気にすることなく気が楽である。 家族風呂が空いているか訊いてみたが、空いていなかった。大浴場に分かれて入るしかない。 まずは夕食を食べるためレストランに入った。 レストラン内での撮影というのは、文字通り腰を据えてジックリと行なえるためやり易い。多少は他の客の目などが気になるが、デカいカメラを大げさに構えて撮影しているうちに気にならなくなる。 食後、大広間でくつろいだ。 とは言っても閉館時間まで1時間半くらいになってしまったので、まずは我輩1人が男湯に入った。本当は豚児を連れて行きたかったのだが、母親も孫と入りたいだろうと考えた。 その後、我輩以外の全員が女湯に入った。 我輩は荷物番である。 ラムネを飲みながらゴロ寝をして過ごした。 テレビでは、関東地方の大停電のニュースが流れていた。クレーン船が川にかかる送電線を切断してしまったとのこと。最近は信じられないような事故が多いなとボンヤリ思った。 <<画像ファイルあり>> ラムネを飲みながら(D200撮影) さて、帰りはどうやって帰ろう。来た道は覚えていないから、帰りもまたカーナビゲーションのお世話になるだろうが、夜の山道は非常に神経が疲れる・・・。 車での移動は、色々な制約に縛られることが無いから確かに便利には違いない。しかし自分で運転するということを考えると、やはり心からリラックス出来ない気がする。こういうのは、誰かが運転する車に同乗するのが一番だ。 <<画像ファイルあり>> さあ帰る(D200撮影) ちなみに実家に帰り着いたのは22時であった。 ----------------- ●8月15日(火) 5日目 <京都郡→到津の森公園(小倉)→苅田(泊)> この日は、「到津(いとうづ)の森公園」へ行く予定である。 ここは以前、西鉄が経営する「到津(いとうづ)遊園」だったのだが、経営状況が良くなかったためか、閉園することになってしまった。 しかし市民の間で存続の要望が集まったため、北九州市が引き継ぐことになり2002年にリニューアルオープンしたのである。 我輩もこの場所には子供の頃に何度も行った。 子供会や学校の遠足、そして家族での行楽には欠かせない場所だった。そういう意味で、ずっとあるものだと錯覚していた面もある。しかし存続の危機に瀕した時にようやくそうではないことに気付いた。 ただそうは言っても、我輩は関東に居住しているため、なかなかすぐに撮影することは出来ずに焦ったものだ。そして盆休みにようやく帰省し、35mmカメラで撮影したのである。それらの写真は全てがネガカラーであった・・・。 さて、家を出発する前に、昨日撮れなかった自宅周辺写真をごく簡単に撮ることにした。 自転車だけで一時間以内で回れる範囲を撮影してくるだけである。 天気は良く、発色はキレイに出ると予想された。ただそれだけに暑さは格別で、ちょっとでも自転車を停めると汗が流れてくる。 我輩が生まれた県営住宅のほうはもう無くなっていることが判っていたが、諦めきれずに跡地に建てられた建物を撮影してみた。 撮影後、実家に戻り、豚児とヘナチョコと母親を乗せて北九州市の到津を目指して車を発進させた。 この日もかなり日差しが強く、暑かった。 「到津の森公園」に到着して車を停めたものの、エンジンを切ると途端に車内が熱くなるのを感ずる。 豚児は我輩の母親によくなついており、「九州のバアちゃん」と呼んで、いつでも手を繋いで歩いていた。 何でもわがままを聞いてくれるから、自分の家来にしたつもりだろうか。 <<画像ファイルあり>> 園内を回る(D200撮影) 園内を少し回った後、昼が近かったため軽食コーナーに入り、カレーライスやうどんなどを注文して席に座った。 その時、我輩の携帯電話が鳴った。東京03から始まる見慣れぬ電話番号からであった。どこからだ? 電話を取ってみると、フェリー会社からだった。 「台風の影響により、16日、17日と欠航になります。」 まさかとは思ったが、帰りのフェリーが無くなってしまった。 どうやって関東まで帰れば良い? 高速道路をひた走って日本を横断するか? バカな、1,000km以上はあるぞ・・・。 日本海回りのフェリーを押さえるか? いや、今から3人分も取れるはずが無いし、仮に取れたとしても台風の影響は少なからずあるはず。代替案にはならぬ・・・。 ならば新幹線か? しかし、車を置いて帰るわけにいくまい・・・。 では帰りの日程をズラすか? だが、遅くなれば遅くなるほど疲労は溜まる。早く帰れなければ、休み明けがツライぞ・・・。 その後、気分が少し落ち込んだまま、「到津の森公園」を巡って動物たちと触れ合い、乗り物に乗って過ごした。 とりあえず気持ちを切り替えようとするのだが、頭の片隅にはフェリー欠航のことが常にあるという状態だった。 それにしてもこの日もかなり暑かったため、15時には「到津の森公園」を後にした。 「小倉井筒屋」や「紫川水環境館」に寄り、そのまま「紫江's」の中華レストランで早めの夕食を摂り、小倉に住む母親と別れて我々3人は苅田のビジネスホテルにチェックインした。 このビジネスホテルでもインターネットは接続可能で、我輩はそこから情報収集をしてフェリーの代替案を検討していた。 しばらく考え悩んでいたが、豚児やヘナチョコが就寝した後に、ようやく一つの決断をした・・・。 ----------------- ●8月16日(水) 6日目 <苅田→親戚巡り→京都郡(泊)> この日は親戚巡りの予定であるが、2日前に父方の祖母には会ったため、叔母の家への訪問だけとなる。 叔母の家では、同じように里帰りしている叔母の娘と孫も居る。去年と同じように豚児と遊ばせることにした。 叔母の家では叔母の娘・息子、そして孫2人と賑やかだった。 昼食をご馳走になった後、しばらくみんなでシャボン玉を作って遊んでいたが、豚児が時々激しい咳をしたりするので、念のために病院へ連れて行くことになった。 それ以外は元気な様子で熱も無いようだったが、もうすぐ関東へ帰ることになるため、やはり不安材料があると困る。 <<画像ファイルあり>> シャボン玉遊び(D200撮影) ヘナチョコも少し休ませておくため、我輩と母親で豚児を病院に連れて行った。 病院では、肺には特に雑音は聞こえず、喉のほうが少し腫れていると診断された。 薬を処方され、そのまま叔母の家に戻った。 「咳が出て困ったねえ、どうやって帰る?」 我輩の母親は心配そうに豚児を撫でた。 参ったな・・・。 実は、明日は早くから車で出て、高速道路をひた走り、滋賀県の彦根市で一泊する予定だったのだ。ホテルも予約してある。 実家から彦根市までの道のりは670km。それなりの距離はあるが、蔵王行きで720kmくらいは1日で走った実績があるため、まあ何とかなるだろう。 残りはその次の日に450kmを走り抜く。 ただ、豚児の体力が問題。何しろ、蔵王行きでは片道5時間だったからな・・・。 さて、叔母の家に戻った後、皆で記念写真を撮り、そして実家に戻ろうと思った。 しかし実家には何も無いため、どこかで夕食を食べて帰ろうかということになった。しかし、この盆休みの時期に開いているところは少ない。田舎であるから尚更。 そこで叔母が「近くに、こじゃれた店があるからそこ行けば」と言い、店に電話を入れてくれた。 幸いなことに店は営業しているとのことで、18時半に予約を入れてもらった。 予約の時間まで2時間ほどあるため、我輩が子供の頃に遊んだ川に行ってみることにした。 車で15分くらいの場所で、その周辺はあまり昔と変わっていなかった。 川には小魚が泳いでいるのが見え、空にはイトトンボやオニヤンマなどが飛び、民家の畑にはゴーヤやキウイなどが実っていた。 夏休みの雰囲気は満点だった。 <<画像ファイルあり>> 田舎散策(D200撮影) 夕食の時間、再び車で叔母の家に行き、車を停めさせてもらって予約を入れていた店に歩いて行った。 雨が少しパラついている。今のところ無風だが、もしかしたら台風の影響か・・・? 店では個室に通された。 コース料理のため、1品ずつ料理が出てくる。見たことも無い、味わったことも無いような料理が出てきた。 何気なくメニューを見ると、一人あたりの料金が5千円近くとのこと。 豚児の分は皆で分けて与えているため、我輩とヘナチョコと母親で3人分。つまり、1万5千円もかかるらしい。 <<画像ファイルあり>> コース料理(D200撮影) 結局このコース料理、全部の料理が出てきて食べ終えるまでに2時間半もかかってしまった。実家に帰り着いたのは、もう21時になっていた。 豚児は見た目は元気だが、寝るのがいつもより遅い日が続くのが心配である・・・。 ----------------- ●8月17日(木) 7日目 <京都郡→彦根市(泊)> 日付が変わって午前0時過ぎ、豚児が激しく咳をした。 目は覚めていないようだが、熱を測ってみると、37度5分あった。 とりあえず、背中をさすって寝かせた・・・。 今度は午前3時、今度はもっと激しい咳で豚児が目を覚ました。息が苦しいのか、力無く泣いている。 熱を測ると、39度近かった。 「彦根行きは、とりあえず延期だ。」 我輩はすぐにシャツとズボンを着た。 これまでどんなに熱が出ても元気だった豚児が、高熱と咳で泣いている。こんな姿を見たのは初めてだった。急遽、病院に連れて行くことにした。 真っ暗な中、我輩とヘナチョコ、そして我輩の母親は豚児を抱いて車に乗せ、3日前にヘナチョコを連れて行った行橋市の夜間病院を目指した。 夜ではあったが、一度通った道であるから迷うことなく到着。 しかし小児科の医師は23時までしかいないという。 この時間でも対応可能な病院と言えば、ここから更に20km先の北九州総合病院しか無いとのこと。 我輩は豚児を抱きかかえて車に戻り、ジュニアシートに座らせた。 「もうちょっと待ってな、小倉の病院行くからな。」 豚児はコクリと頷いた。 苅田のあたりからバイパスに入り、少し速度を上げた。 真っ暗な車内にしばらく会話は無かったが、ふと思い出して、助手席の母親に話し掛けた。 「俺が子供の頃、2歳頃っち言うたっけな、死にかけて病院まで車を走らせたって聞いたんやけど。」 「ああ、そうそう、途中でパトカーに止められたねー。」 「パトカーに?」 「そう、スピードかなり出ちょったんやろ。」 「で、どうしたん?」 「おまわりさんに事情を話したら、パトカーで先導してくれてね、病院まで行ったんよ。」 「それは初めて聞いた話やな・・・。」 やがて総合病院に到着し、夜間診察の受付へ急いだ。 待合室には数人の患者が座っていたが、意外にも受診用紙に記入した直後に診察室に通された。 高熱は問題無さそうだったが、一応、解熱剤と咳止めを処方してくれるとのこと。 関東に車で戻ることについて医師に意見を伺ったが、早めに帰ってかかりつけの病院に行くことも一つの方法とのことだった。 最後に10分ほど蒸気吸入器で蒸気を吸わせた後、帰路についた。 実家に帰り着いたのは、早朝5時だった。 白々と夜が明けようとしていた。 次に目が覚めたのは、8時過ぎだった。 豚児の様子も落ち着いており、元気もあるように見えた。 朝食を食べ、荷物の整理をした。 色々考えたが、この日は予定通り車で出発することにした。もし途中で辛そうだったら、旅費はかさむが豚児とヘナチョコは新幹線で帰らせようと思う。ただ、新幹線は空席が無ければ逆にツラくなるため、見極めが肝要。 帰りは土産などがあるため、少し荷物が多くなっている。 折りたたみ自転車がジャマに思うため、これは実家に置いて行くことにした。パンクレス加工もしてあるため、放置状態でも大丈夫だろう。フレームもアルミ製であるから、少なくともフレームの錆びは心配しなくても良い。 これによって荷物が容積はもちろん重量も10kgほど軽くなった。 9時過ぎに実家を出た。 まず、母親も乗せて苅田駅まで送って行った。時間があれば小倉駅まで送って行けたのだろうが、今回は仕方無い。 豚児は「九州のばあちゃん!」と窓越しに手を振った。母親も「気を付けてね〜」と手を振り返した。 我輩は、そこがタクシー乗り場なのですぐに車を発進させた。 高速道路に乗ったのは10時近くになっており、関門海峡を渡って少し走った後、「下松サービスエリア」で昼食を摂った。 しばらく休憩した後、また本線に戻った。 <<画像ファイルあり>> 下松サービスエリア(D200撮影) 台風のせいか、横風があるように感じる。 所々、激しい雨が叩きつけるかのように降り出したりするのでビックリするが、10分もするとカラリと晴れる。これもまた台風のせいか。 また、このあたりの高速道路は、道が混んでいないにも関わらず、追い越し車線を延々と走る車が多いのも気になった。 これまで関東近辺の高速道路しか走ったことは無かったが、大抵は追い越し車線で後ろから近付くと道を譲ってくれるものなのだが・・・。 恐らく後ろをあまり見ないドライバーが多いのであろう。 その証拠に、我輩が追い越し車線で近付いていても、走行車線から割り込んでくる車が非常に多い。 それをやられると、こちらはブレーキを踏んで減速せざるを得ない。そうなると非力な中古車ゆえに再加速に時間がかかり、後続の車との車間距離が狭まってしまうのだ。これが上り坂であれば、アクセルをベタ踏みしてキックダウンしようとも全く加速しない。 ブレーキを踏ませるような割り込みは止めて欲しいものだ。 15時頃、「福山サービスエリア」で小休止。 まだ、本日の半分の距離・・・。 17時頃、「白鳥パーキングエリア」で小休止。 うーむ、まだまだあるな・・・。 日も暮れて夜の景色になった頃、ようやく大阪府に入っることが出来た。 ところが、分岐が多いためか渋滞にハマってしまった。 恐らく、この日の疲労の半分は大阪で発生したものだろうと思う。逃げ場の無い高速道路での渋滞は本当に疲れる。 そこを抜けると再び道はスムーズに流れ始めた。しかし大型トラックが多いのには参った。しかもリミッターなど付いていないような速度で追い上げてくる。確実に140kmは出ているだろうと思われた。 結局、彦根市のホテルに着いたのは、21時近かった。 そこからファミリーレストランに行って夕食を食べ、そしてホテルで入浴した後に寝たのだから、この日の豚児も寝るのが遅くなってしまった・・・。 <<画像ファイルあり>> 夜の彦根市(D200撮影) ----------------- ●8月18日(金) 8日目 <彦根市→自宅> 高速道路の運転では、一瞬のことが重大事故を引き起こす。 高速走行中であるから、ちょっと視線を逸らしたりすると、その間に数十メートルも進んでしまうからだ。 だから、走行中は全く休めない目が最も疲れることになる。 昨日の運転ではおよそ9時間運転していた。これまでの最長記録であった。 蔵王行きでの往復よりは距離と時間は短いのだが、やはり往復と片道では疲労度が違う。片道では疲労が連続してしまう。 幸いなことに、一晩寝ると疲れは消えた。 残りは450kmであるから、何の心配も無くなった。 さて、豚児のほうはと言うと・・・。 後部座席を振り返ると、非常に元気な様子。 新幹線で帰らせるかを考えたが、まあ大丈夫だろうということで、そのまま2人を乗せて行くことにした。 <<画像ファイルあり>> 朝から元気(D200撮影) 9時少し前に出発。 天気が良く、ドライブ日和と言ったところか。 途中でどこかに寄って観光でもしようかと思ったが、事前調査もしておらず行き当たりばったりになるため、思わぬトラブルを引き込みそうに思い、やめておいた。 <<画像ファイルあり>> ドライブ日和(D200撮影) 10時頃、「美合パーキングエリア」で小休止。 あと340kmか・・・。 12時頃、「牧之原サービスエリア」で昼食と昼休み。 残り240km・・・。 14時頃、「愛鷹パーキングエリア」で小休止。 ラストスパート150km・・・。 16時頃、ようやく首都高速道路に到達した。 「九州から運転して、ようやくここまで来たか」と感慨深かった。 行きで渋滞していた地点もスムーズに通過した。 <<画像ファイルあり>> 首都高入り(D200撮影) 自宅に帰り着いたのは、17時近かった。 1週間も家を空けていたのだが、特に変わった様子も無い。冷蔵庫の中を見てみたが、関東で起こった大停電の影響は見付からなかった。この地域では停電にならなかった・・・? 帰宅直後、我輩は喉に違和感を感じ、翌日には熱が出た。 完全に、豚児とヘナチョコの風邪が移ったのである。 この後、我輩は風邪で1週間ほど苦しむことになった。これまで豚児とヘナチョコの容態を見てきただけに、自分がこれから辿るであろう症状がいつ襲ってくるか脅えながら・・・。 ----------------- ●まとめ <移動について> やはり何と言っても、フェリーは予定がひっくり返る危険性を孕んでいる。それは去年も書いたことだが、今年はそれを身を以って体験することになった。 今回のフェリーについては車の走行距離を短くしようと考えたつもりだったが、帰りのフェリー欠航により、全行程で1608kmと、逆に去年より489kmも走行距離が増えてしまった。ガソリンも3回も給油している。 こういった場合、経済的な面だけでなく、安全性の面でも問題である。 今後はフェリーの利用については慎重にならざるを得ない。 また車については、高速道路を走ることを主目的とするならば、それなりに馬力のあるものが欲しいと思う。 特に上り坂での加速は、我輩の車(4気筒2000cc)では絶望的。 だがそれでも、さすがにアウトバーンのある国の乗用車だけあって、高速走行時の安定性は良いと感ずる。運転初心者であっても、不安無く長距離を走ることが出来たのだから(言うまでも無いが、不安と疲労は別物である)。 一時は、もう少し金を上乗せして新車の軽自動車を買おうかとも思ったこともあったが、中古車ではあるがこの車にして良かったと思っている。全くトラブルも無く、最後まで走り切ってくれた。 ちなみに中古価格88万円。最近の軽自動車のほうが断然高い。 <<画像ファイルあり>> メルセデスベンツW202(D200撮影) <BRONICA SQ-Ai(銀塩)> 今回、120フィルムは10本(66判で120枚)撮影し、採用枚数は51枚と比較的少なかった。 これは、当初予定していた実家周辺撮影が行なわれなかったことによる。特に、我輩が生まれて幼少期を過ごした県営住宅が失われたことにより、撮影意欲を削がれたことが大きく影響している。 湯布院・久重での撮影が無かったためもあるが、運転時間もそれなりに長くなりそうであるから、仮に湯布院・久重へ行ったとしても撮影時間はそれほど無かっただろう。 またストロボ撮影についてだが、写真を現像してみると、ストロボ直照写真では、画面の上下が暗くなっていた。明らかに照射角不足である。 確かに、Nikon製ストロボ「SB-600」の照射角はワイドアダプター無しで24mm(35mm判)までカバーしているわけだが、実はカバーしているのは左右方向のみで、上下には狭かったのである。 つまり、「BRONICA SQ-Ai」の正方形画面は想定外ということか。 一方、SUNPAK製ストロボ「B3000S」は上下左右に自在に動かせるため、上下の照射角はNikonほど狭くない。 それにしても、行きの船の中でストロボが無かったために中判写真が撮れなかったのは残念。帰りのフェリーは欠航となり、結局は撮影のチャンスを逃してしまった。 <Nikon D200(デジタル)> D200は、気軽に撮影するサブカメラの役割を与えている。 今回の帰省での撮影総数は、1,000枚を少し超えていた。これは、一見多いようにも思えるが、1日当たりに換算すると130枚程度である。デジタルカメラにしては膨大と言うほどでも無い。 ただそうは言っても、絶対量としての1,000枚はやはり整理の面では大変であり、全てのカットについてレタッチすることは不可能。利用する画像に対して、その都度レタッチを施すのが現実的であろうかと思う。 またD200は、露出計用途としての役割もあった。 今回は事前テストをする間も無く運用したのだが、結果としては、液晶画面が屋外での確認が難しく、多少見誤ったものがあった。しかしおおむね良好である。経験さえ積めば、百発百中になることが予想される。 ただ、簡単にISO感度を変更可能なことにより、感度を変更したことを忘れて露出計として使ってしまうことには注意が必要。 ---------------------------------------------------- [582] 2006年08月30日(水) 「小さなCCDで撮影するということ」 ピグミーマーモセットは、世界最小のサルである。 体長は約14cm程度で、人間の手で掴めるほど小さい。 また逆に、約30万年前には、体長3メートルほどのギガントピテクスという猿人が生きていたと言われている。 両者の体長を比較すると、20倍もの違いがある。 現在、地球上で文明を築いている我々人類は単一の種であるが、もし様々な種が混在していたとしたらどうなっていただろう。 ピグミーマーモセットやギガントピテクスが高度な知能を持つまでに進化することは難しいかも知れぬが、身体の大きさのバリエーションとしては良い見本であろうかと思う。つまり、様々な身体のサイズの人々と友達同士であったり、仕事仲間であったりするような世界があったかも知れないのだ。 もちろん、異種文明同士は対立してどちらかが滅ぶとか、知能の発達には適正なる身体のサイズがあるという説もあるかも知れないが、それは実証されていることではない。 現に、ネアンデルタール人とクロマニヨン人とは1万年の共存期間があるというし、脳の容積は知能とはあまり関係無い。大きな脳は、大きな身体を動かすためである(男性の脳は女性の脳よりも大きいなど)。 もし、様々なサイズの人間たちが共存したとしたら、電車に乗るのも不便かも知れない。 何しろ、体長に20倍もの差があるため、座席に座るにも1人分の差が大きい。吊革にも掴まれない人がいたりするだろう。 新聞を読むにも、それぞれのサイズが用意されていなければ、とても読めたものではない。 そう考えると、いくら共存しようと思ったとしても、ある程度は身体のサイズに合わせてそれぞれの世界を分けざるを得まい・・・。 さて先日、我輩は一眼レフタイプのデジタルカメラ「Nikon D200」を購入したわけだが、これはフルサイズCCDではなく、少し小さなAPSサイズCCDである。そのため、従来の35mmフィルムの感覚でレンズを使うわけにいかず、同じ画角を考えるならば、焦点距離の換算が必要になってくる。例えばNikonの場合では、係数1.5を掛けることになる。 そうなると、50mm標準レンズはデジタル一眼レフカメラでは75mm相当になってしまうわけだ。 逆に言えば、35mm広角レンズが標準レンズに相当するわけである。 ところが、レンズの被写界深度の深さは焦点距離に固有である(F値が同じ場合)。CCDのサイズが小さいデジタルカメラは短い焦点距離のレンズを使うことになるため、同じ画角でも被写界深度が深くなってしまう。 50mmレンズの被写界深度、そして35mmレンズの被写界深度はそれぞれ固有であり、CCDやフィルムサイズには左右されない。 同じことは、大きいほうにも言える。 例えばブローニー645判では、標準レンズは75mmとなっている。この焦点距離は35mmフィルムでは中望遠とされる範囲であり、被写界深度もそれなりに浅い。 その結果、いくら同じ画角であっても、デジタルカメラのほうではパンフォーカスが可能で、中判カメラではパンフォーカス不可能ということも有り得ることになる。 つまり、ひとことで言うならば次のように言えるだろう。 「CCDやフィルムサイズが小さいと、被写界深度は深くなる」 これは、巷でも言われていることであり、誰もが経験的に知る事実である。 だがこれは、事実ではあるが真理を突いていない。 小さなCCDで撮るということは、どういうことなのか。 ここで想像してみたい。 ピグミーマーモセットのような小さな人間と、ギガントピテクスのような巨大な人間が、それぞれカメラを使っているとする。 もちろん、同じサイズのカメラを共有することは出来ない。それぞれに最適なサイズのカメラが用意されるであろう。 そうなると、小さなカメラはCCD/フィルムサイズも小さいため、レンズの焦点距離も短くなる。 一方、大きなカメラはCCD/フィルムサイズも大きいため、レンズの焦点距離も長くなる。 両者の描写は異なるだろうか? 「CCDやフィルムサイズが小さいと、被写界深度は深くなる」という事実から推測するならば、ピグミーマーモセット人間はどんなに望遠レンズを使ってもパンフォーカスの写真しか撮れず、逆にギガントピテクス人間はどんなに広角レンズを使ってもパンフォーカス写真など撮れないということになる。 そういう点で言うと、我々はパンフォーカスや背景ボカシ写真など様々な効果を得ることが出来るという、まさに絶妙なサイズに生まれてきたと言うことか? 神に感謝すべきなのか? そんなバカな話があろうはずがない。 結論から言えば、ピグミーマーモセット人間やギガントピテクス人間も、我々と同じように写真効果を楽しめるのである。 CCD/フィルムサイズの違いによる被写界深度の違いは皆無なのだ。 むろん、前提条件がある。 それは、撮影距離の違いである。 考えてみれば当然だが、ピグミーマーモセット人間が撮影する被写体というのは近距離に限られている。 小さな撮影者が小さな恋人を撮影する時、撮影距離は10cmくらいのものだろうか。 一方、ギガントピテクス人間が撮影する被写体というのは遠距離主体となろう。 大きな撮影者が大きな恋人を撮影する時、撮影距離は2メートルくらいはあろうか。 人間が撮影する被写体というのは、自分たちの世界の限られたものを写すのみである。 小さな人間の小さなカメラは、大きな人間の大きなカメラとは被写体そのものが変わるため、撮影距離も変わる。 <<画像ファイルあり>> 小さなカメラの距離リングには「5cm 10cm 20cm 50cm 100cm 250cm ∞」などと刻まれているはずだ。 大きなカメラの距離リングには「1m 2m 5m 10m 20m 50m ∞」などと刻まれているだろう。 我々の感覚で言えば、小さなカメラは接写しているようなもの。それだけ被写界深度が浅くなり、パンフォーカスを和らげる。 逆に、大きなカメラは遠距離撮影が主であるから、それだけ被写界深度が深くなり、背景のボケが和らぐ。 結局のところ、大きな世界の大きなカメラでも、小さな世界の小さなカメラでも、描写は全く変わらないと言える。 さてここで、小さなCCDのカメラを使うという話に立ち戻って考えてみたい。 CCDサイズが35mmフルサイズに比べて小さいということは、それはすなわちカメラが小さいということ。 それは、単純に被写界深度が変わるというよりも、むしろ小人サイズの小さなカメラを使って遠距離撮影しているということを想像したほうが良い。 逆に言えば、巨大な被写体を遠くから撮っていると言うべきか。 被写界深度の面から言えば、我々の世界で使うには、それなりの適正な大きさのカメラがあるはず。 小さなカメラを使って大きなカメラと同じような描写を望むのであれば、いっそ、自分の世界を捨てて小さな世界に移り住むことを考えねばなるまい。 ---------------------------------------------------- [583] 2006年09月07日(木) 「クライシス」 生物は、多様性を持っている。 多くの種が存在することはもちろん、同一種の中でも様々な個体差がある。 いったん、環境に大きな変化が生ずると、それまでの環境に適応していた生物は死滅することになる。 しかし、生物は多様性を持っているため、全てが死滅することは無い。 多様性の中に、環境変化に適応出来るものが存在するからである。 そういう意味では、多様性が無く全ての個体が均一に揃った状況は、生物種としては異常であると言えよう。 ちょっとした環境変化が起こると、簡単に全滅してしまうのだから・・・。 さて、最近のデジタルカメラについて目を向けたい。 ちょっと前であれば、一眼レフタイプのデジタルカメラは非常に高価であったため、金をかけずにちょっと凝った写真を撮るにはフィルムしか選択肢が無かった。 ところがここ最近、デジタルカメラも安価な一眼レフタイプのラインナップが多くなり、特に気合の入っていない一般人であっても、気軽にデジタル一眼レフを使っている光景を見かけるようになった。様々なニーズにデジタルカメラのみで応えることが出来るようになり、敢えてフィルムを選択する意味も薄れてきたわけである。 先日、「碓氷峠鉄道文化むら」へ行ったのだが、やはりデジタル一眼レフカメラを使う者がかなりいた。 その中でふと、一組の親子の姿が目に入った。 2歳くらいの子供が遊具に乗っている姿を、その母親が撮影していた。むろん、そのカメラもデジタル一眼レフである。 <<画像ファイルあり>> 我輩はその様子を見ながら思った。 「その子供は、大人になった時に当時の写真を見ることが出来るだろうか?」 もちろん、データの保存性の話である。 我輩は今までデータ保存の問題について書いてきた。 (参考:雑文095「データ完全消滅の危険性」、雑文469「それでもデジタルカメラ」) 先日も、ハードディスクトラブルにより、データを失いかけたばかりである。 それでも、データ保存の問題を先送りにしたまま、デジタルカメラによる画像が増え続けている状態が続いている。 ランニングコストが低いだけに、メモ程度でも気軽にシャッターを押すため、画像の増え方は半端ではない。ヘナチョコ妻にデジタルカメラを貸した時でさえも、フィルムの時と比べて撮影枚数が3倍にもなっているくらいだ。 「重要でない画像は消えても問題無い」という考え方もあるだろう。 確かにそれもそうなのだが、消えても問題無い画像など、そもそも最初からシャッターを切らないとも思う。シャッターを押すからには、それなりの理由があるはず。 そうでなくとも、写真の価値というのはハッキリと区分け出来るものではない。あたかもグラデーションのように連続的に価値が変わるため、仕切りを設けるのはなかなか難しい。 しかも、失敗写真であってもレタッチすれば使える(かも知れない)画像は多い。 そうでなくとも、シロウトというのは撮った写真全てが見せるべき写真となる。 (参考:雑文146「選ぶべし」) そういうわけで、とりあえずは全ての画像を保存対象とするしか無い。 ところで、我輩がデータ保存の問題を先送りにするのはなぜかと言うと、突き詰めれば「最適な方法が見付からない」ということである。 まず、ハードディスクに保存したままにしておくのは良くないことは解っている。 ハードディスクというのは、ディスク(媒体)とドライブ(機械装置)が一体となった構造ゆえ、どちらか一方の不具合でもデータが読み出し不能となるためである。 また、パソコンを使う間はずっと駆動している点も不安がある。 では、媒体と機械装置が分離出来る、いわゆる「リムーバブルメディア」ではどうか。 これならば、ドライブが故障しても他のドライブを使えば済むという安心感はある。 しかも、使わない時はディスクをドライブから取り出して休ませることが可能。 ただ、少なくともCD-RやDVD-Rなどの色素系光ディスクは長期保存に向かない。 色素系であるがゆえに光の暴露には弱く、いわゆる色褪せによって数年で読み込み不能になる場合がある。 もし本気で使おうとするならば、一定期間ごとに新しいメディアに保存し直す作業が必要になろう。 そうは言っても、もし365枚のメディアがあった場合、1日1枚ずつ保存し直し作業をすると1年かかることになる。 ちょっとでもサボると、スケジュールがどんどん狂ってしまうため気が休まらない。 ならば、色素系ではなく金属の相変化を利用したMOやCD-RW、そしてDVD-RAMなどはどうか。 MOやCD-RWは容量が小さく問題外で、DVD-RAMも価格の面で負担になる。 そもそも、DVD-RAMドライブが標準装備されているパソコンはまず無い。つまり、一般家庭向きではない。 我輩が思うに、現実的で確実な写真の保存方法として、「デジカメプリント」などの物理的なプリント写真に焼き付けてアルバムに貼るしかない。 フィルムを使うか、メモリーを使うかの違いはあるものの、最終成果物は実績のある従来のものと同じため安心は出来る。 ただ、デジタルカメラによって大量に得られる画像データを全てプリントするとなれば、膨大なコストがかかるのが問題。 良いカットだけを選ぶなど出来ないのが一般人であるから(出来る出来ないという以前に、選ぶという発想すらない場合もある)、もうどうにもならぬ。 ・・・他人事とは言え、シロウトの写真保存については非常に気になる。 我輩ですらデータ格納&メンテナンスに頭を悩ますのであるから、一般人は何も対策していないはず。 事前にデジタル画像の保存について対策をせず、目先の便利さだけで一斉にデジタル画像に移りつつある現在。 我輩はそのような状況に本能的に危機を感ずる。 新しいものが出ればすぐに全員乗り換えるというのが我が日本の文化であり、これまでの発展の要因であった。 しかしそれが、今回は裏目に出るのだ。 今後、デジタルカメラで撮られた写真が各地で消滅していくことになろう。 まさに、多様性の無い種が全滅するかのように、写真文化が崩壊するのである。 その時になって、やっと自分たちの状況が危機的であることを自覚するというわけだ・・・。 ---------------------------------------------------- [584] 2006年10月05日(木) 「学校の勉強」 「微分や積分など学校で習ったものの、社会に出て一度も使ったことがないから無意味。」 このような意見を時々聞くことがある。 学校というのは職業訓練の場であるべきという立場の意見だ。 この件については、雑文255「写真だけを知るなかれ」を読めば分かるように、様々な分野の知識を網羅することによって深い洞察力を得、新しいものに対する理解を深めるためであると書いた。 今回は、これを補足したい。 人は、個人差もあろうが社会に出て40〜50年くらい働くことになる。ほぼ半世紀である。 この間、時代は大きく変わる。 もし50年先が想像出来なければ、逆に50年前を振り返ってみれば良い。その変化には驚くであろう。 例えば電話通信業界では、昔は単純に電話線によるアナログ音声の伝達だけで済んだ。 しかし現在では、携帯電話が普及し、電波やデジタル情報を取り扱うようになった。また、電話はインターネットとも親和性が高く、サーバ絡みの知識も欠かせぬ。 他にも自動車業界では、昔は機械工学的な部分が車の技術のほとんどだった。 しかし現在では、エンジンの電子制御化や安全技術の開発、そして電気自動車に関連してバッテリーや電気モータ(※)の技術が欠かせなくなっている。 また、リサイクルのために材料の面でも様々な工夫が必要になってきた。 (※"モータ"は車の分野では内燃機関という意味もあるため"電気モータ"と書いた) 印刷業界では、昔は1文字ずつ文字を打っていく手動写植だった。 しかし現在では電算写植を経てDTP(卓上出版)となり、コンピュータ無しには考えられなくなった。 これらは一部の例であるが、各業界どれをとっても、昔と全く同じ方法で仕事をしているところは無い。 伝統工芸でさえも、現代の好みに合わせて常に改良を重ねているのである。 もし、学校で学ぶ内容が、将来の職業に必要なことだけだったとしたらどうなるだろう。 複雑な社会においては将来を見通すことは難しいため、その時点で必要と思われる内容でしか教育するしか無い。 だが、実際に会社に就職してその内容だけで本当に役に立つだろうか? 確かに、業界それぞれに根幹となるノウハウは昔も今も変わらないことが多い。 だがそこから先に進めず仕事の範囲が狭まる可能性は大いにある。あるいは会社が別の業務に鞍替えして取り残されてしまうかも知れない。転職したとしても、業界全体の流れがそうであれば、行き場を失う。あたかも、特殊な進化を突き詰めて環境変化に対応出来なくなり絶滅した恐竜のように・・・。 「時代が変わってもその頃には管理者になって技術的なことには直接関与しないから問題無い」という考え方もあろう。 ただそうだとしても、"特定の分野はスペシャリストだがそれ以外は完全に小学生以下"というような管理者などに居場所があるとはとても思えぬ。 カメラ業界などは、そういう意味で非常にシビアな世界であろうと思う。 かつてはカメラと言えば、機械仕掛けの塊のようなものであったが、下記のような大きな改革があった。 ・露出計回路の開発 ・シャッターの電子化 ・露出計とカメラの連動による露出自動制御 ・高性能モータの採用(コアレスモータや超音波モータ) ・日付写し込み技術の開発 ・ストロボ調光技術の開発 ・新ガラス材導入 ・レンズ設計のコンピュータ化 ・AF化 ・分割測光による撮影シーンのパターン化 ・デジタルカメラ化 もし、管理者が機械技術以外の知識が完全に小学生以下であるとしたらどうなっただろう。 「あん?なんでカメラにモータなんか必要なんだ?そもそもモータって何だ?」 「設計は人間様のセンスが必要なんだ、電子計算機で簡単に出来るもんか。」 「CCDって何だ?ビデオカメラに使ってるやつだって?そんなものが写真に使えるわけないだろうが。」 (※CCDなどを学校で直接教わることはないが、目の網膜の仕組みを知っていれば比較的すんなり理解出来よう) もちろん、専門的な知識を求められているわけではない。しかしながら、基礎的な知識すら無ければ、話さえ通じないのである。 これはやっかいだ。 新しい分野に対する理解が管理者に無ければ、あるいはその理解が遅ければ、直ちに競争から脱落することになる。 確かに特定の分野を突き詰めればある程度の競争には打ち勝つだろうが、いつかふと、後ろを振り返ってみれば、競争相手は別の場所で争っており自分だけが取り残されていることになる。 ノウハウや技術というのは一朝一夕に育つものではないため、ある種の洞察を以って「この分野が将来主流になる」と見通しを立てねばならぬ。 そのためには、浅いながらも広い知識をあらかじめ持っておかねばならない。 人の一生は長いのであるから、好むと好まざるとに関わらず、その間に幾つもの時代を経ることは必然。 それに対応出来るようにするには、役に立ちそうにもない内容であっても学校教育にて勉強しておかねばならない。 何しろ、本当の意味で自分に必要とされる知識を特定することは不可能なのだ。一見して全く関係無さそうな知識であっても、人生を左右する決断の基となるかも知れない。 ---------------------------------------------------- [585] 2006年10月09日(月) 「蔵王のお釜(7)」 雑文に書いた撮影記録は、我輩自身の今後の撮影計画に大いに参考になっている。 九州帰省はその一つの例で、カメラ・写真とは直接関係無いと思われるような細かい記述まで意外と役に立つ。 先日は蔵王のお釜に行ったのだが、これも去年行った時の記録が大いに役に立った。 もちろん今回も、今後のために同じようなパターンで蔵王のお釜へ行った記録を残すことにした。 さて、今年は梅雨明けが遅く、蔵王のお釜に行くタイミングを見ていたがなかなかチャンスは巡ってこなかった。 何しろ片道5時間の距離であるから、事前に天気予報が「快晴」とならなければ動けない。 しかも1500メートル以上の場所であるから、完璧に晴れている状態でなければ下界で晴れていようとも山では雲に没していることも十分あり得る。 行き帰りに3万円ほどのコストがかかり、さらには運転の疲労も加わるため、行ってみてダメでしたというのは絶対に避けねばならぬ。 今回は蔵王のお釜だけでなく、吾妻小富士や一切経山のある浄土平にも寄る計画とした。 浄土平は福島県にあるため、蔵王への行き帰りの途中に寄れると考えた。 そうなると1泊2日で行動したほうが良いだろう。1日目を蔵王のお釜、2日目を浄土平にすれば、帰りが1時間ほど短くなり運転も楽になる。 しかしながら7月はチャンスが無く、8月は九州帰省のためしばらくは運転を休み、9月からの晴れを狙っていたが、これがまたタイミングが合わなかった。 やはり、2日間に渡って晴れが続くような状況は難しい。まさか、日帰りで2箇所巡るか? 週間天気予報を見て計画を立てるのだが、1週間も経つと予報が全く変わってくるのが痛い。これはもう、直前に決断するしか無い。 そう思って待ち構えていたのだが、金曜日に同僚と飲みに行って遅くなり結局快晴にも関わらず行けなかったこともあった。 そして9月も終わりに近付いた頃、ようやくチャンスが巡ってきた。 我輩は9月22日(金)に休暇を取って土日と合わせて3連休とする予定だった。どれか連続2日間の晴れを期待していたのである。 ところが例のT課長がまた「23日のソフトボールの試合に来てちょんまげ!」と言ってきた。 前回は予選敗退したはずだったが、勝ったチームが選手のやりくりが出来なくなってしまい、繰り上げでT課長のチームが大会に出場することになったそうだ。 23日に行くと、3連休が真ん中で分断されてしまう。 「みんなにも撮影に来るからって言ってあるし、バイト代5千円出すから、ヨロピク!」と押し切られ、結局23日は午前中限定の約束でソフトボールの試合に行くことになってしまった。 そこで我輩は、悩んだ挙句に22日(金)の休暇を25日(月)へシフトさせることにした。これで少なくとも2連休にはなる。 T課長は、休暇の変更に対しては最大限の配慮を示した。まあ、当然と言えよう。 23日は雲が多いながらも晴れ、ソフトボールの大会は予定通り行なわれた。 成り行き上、豚児も連れて行ったのだが、重量級望遠レンズを着けた「Nikon D200」をずっと構えて撮影したため疲労はかなり大きかった。しかも、豚児がおんぶをせがんだりして余計な負荷もかかることもあった。 さて、帰宅後に天気予報をチェックすると、翌24日(日)の蔵王の天気は快晴のようだった。 一方、浄土平のほうは25日(月)が快晴らしい。 これほど条件が揃った天気は珍しい。これを逃すともうチャンスは無かろう。 しかしながら、浄土平の情報収集などで余計な時間がかかり、就寝時間が22時くらいになってしまった。 また、昼間のソフトボール大会の疲れもあったため、午前2時に起きるつもりが寝過ごして4時に起きてしまった。 高速道路のETC深夜割引も狙っていたため、この時間ではもう遅い。 結局この日は諦めた。 そうなると1泊2日の計画が立たないため、次の25日(月)も中止である。 夕方、少し考えた。 「もう少し早く出発して蔵王登山を午前中に終わらせれば、午後は浄土平に行けるのではないか?」 実際、去年は午前中までに終わっている。 急遽、25日(月)に出発することとした。 再び情報収集し、荷物をまとめた。 カメラは当然ながら「BRONICA SQ-Ai」。露出計として「MINOLTA α-707Si」でマルチスポット測光を行なう。 また、車の走行距離記録のためにデジタルカメラ「RICOH GR-D」、そして走行シーンの撮影のためにソニーのデジタルビデオカメラを使う。 さらに今回は、蔵王の五色川の水を沸かしてカップ麺を食べる計画を立てた。 アルコールバーナーとケトル(やかん)を用意してある。意外と忘れがちなフォークも荷物に入れた。 もっと早く寝るつもりだったが、布団に入ったのは21時過ぎになっていた。 起床目標は午前1時。 しかし、目が冴えて眠れない。というのも、まだ蔵王と浄土平のことを迷っていた。どちらか一方だけにしたほうが無理が無いというのは分かっている。しかし、蔵王にも行きたいが、浄土平も初めてであるからぜひ行きたい。 やはり無理を承知で両方行くか・・・? 思考が堂々巡りして結論が出ない。そして、眠れない。 時計を見ると、もう23時にもなっていた。 我輩は、布団を出て着替え始めた。 「どうせ眠れぬのならば、もう出発したほうが良かろう。早めに出ればそれだけ行動の選択肢が広がる。昨日のように出遅れれば、結局何も出来ずに終わってしまうからな。」 車に乗った時、23時半だった。後で知ったが、それはちょうど、丹波哲朗氏が臨終した時刻だった。 車外温度計を見ると、23度を表示している。 片道5時間のドライブであるから、運転中はいつも回しているビデオカメラは、宮城県に入ってから撮影を始めることにした。 車のエンジンを始動させ、カーナビゲーション画面で目標を設定。ETCにカードを挿した。 ビリージョエルの曲をかけ、ライトオン。やはり暗い中での出発は気分が盛り上がる。 夜中とは言え23時半であるから、まだそれなりに交通量はあった。 高速道路に乗り、速度を上げた。 夏の九州帰省の時は、山陽自動車道を走っていると追い越し車線を走行中に割り込みをしたり、追い越し車線を低速のまま走り続ける車が無数に存在し、減速・加速を余儀なくされたものだが、今回はそういうことは皆無だったためスムーズに走ることが出来た。 車外温度計を見ると、北上するにつれてどんどん温度が下がってくる。 真夜中のためか、ほとんど大型トラックと長距離バスしか走っていない。 宮城県に近付くと、霧に包まれることが多くなり、フォグランプを点灯しスピードを落とした。トラックとの事故になれば大変なことになるため注意が必要。 白石インターチェンジで降りたのは4時頃であったが、まだ夜中のような暗さであった。 出発時には満タンだったガソリンも半分になっている。帰る前には給油が必要。 去年は、蔵王のお釜が見渡せる刈田岳山頂までは車で登らず、手前の刈田駐車場に停めてそこから足で登った。なぜなら、山頂まで車で行くと料金ゲートを通らねばならないばかりか駐車場も未舗装で狭い。 しかしこの有料道路(蔵王ハイライン)は夜から早朝にかけては無料になるため、今回は車で上まで登ることにした。 この時間では、車がほとんど走っていない。 街灯も少なく、景色が全く見えないため、どの辺りまで走ったかというのが分かり辛い。 真っ暗な中に自分だけが車を走らせている。ただ、ビリー・ジョエルの音楽が聞こえるのみ。 刈田岳山頂の駐車場に着くと、空が微妙に明るくなっているような気がした。時間は4時55分。 車外温度計を見ると、7度と表示されている。ドアを開けると冷たい空気に触れた。 意外にもこんな早朝であっても、数台の観光バスが入って賑やかになった。 <<画像ファイルあり>> RICOH GR-D(トリミング) コンビニエンスストアで調達した少し早めの朝食を車内で食べ、トレッキングシューズを履く。さすがに寒いためコンパクトジャケットを着た。 車を離れたのは5時半頃。 慣れた道を歩いて行くと、前方にお釜が見えた。いつ見ても大きなスケールに圧倒される。 先程の観光バスの乗客は、レストハウスにあるトイレに行った後はバスに戻っているようで、お釜のほうには誰一人いないように見えた。 空を見ると、空が明るくなってきた。 しかし足元が少し暗いので、注意しながらガレ場を降りる。そしていつものように柵を越えて急な崖を下って行った。 日頃の運動不足のためか、不覚にも脚がだんだん震えてきた。脚の運びが適切でなかったため膝に負担がかかったのかも知れぬ。 風が冷たく、コンパクトジャケットのフードを被る。喉の辺りが冷え、マフラーが欲しいくらいであった。鼻水も少し出た。視界が狭くなるが仕方無くフードの開口部を絞った。 下まで降りると風が無くなり、シーンとした静寂に包まれた。 時間は6時くらい。空はかなり明るくなってきたが、太陽は見えない。恐らく、日の出時刻は過ぎているものの、周囲の山々に遮られているのであろう。 今回、お釜を一周するつもりは無い。 主な目的はお釜水面に近い場所を水際に沿って歩くことと、五色川の水でカップ麺を食べることである。 もちろん、要所要所での写真撮影は言うまでも無い。 早速、お釜のデルタ(三角州)まで降り、そこから左回りに水際を歩く。 上方を見ると、崖が迫っており緊張感が走る。ここは最近、大規模な崩落があった地点である。確かにその崖にはポッカリとした窪みが見えた。 自分でも分かっているが、我輩は危険な場所を歩いている。しかし、好奇心には勝てない。足元を見ると、足跡が幾つかあった。我輩と同じような人間が他にもいたようだった。 <<画像ファイルあり>> MINOLTA α-707si/24mm 少し歩くと、上のほうからチョロチョロと水の音がした。 見上げると、壁面から水が染み出している。 硫黄の臭いが漂っているような気がしたため足元を見ると、硫黄を含んだ岩石が多く転がっており驚いた。何しろ、蔵王のお釜で硫黄を見付けたのは初めてである。改めて壁面の上方を見上げると、硫黄を含んでいると思われる地層が出ていた。恐らく、そこから崩落したものが足元に転がっている岩石であろう。 これらは、まるで霜降り牛肉のようで印象的であった。 一つくらい資料として持ち帰りたいと思ったが、国定公園内の岩石は持ち出すことは許されない。第一、そんな重量物を運搬するだけの体力を用意していない。 そんな時、詳細を写し込むことの出来る中判カメラの出番である。写真であれば、現物を持ち帰ることなく複製を持ち帰ることが出来るのだ。 (参考:雑文213「お持ち帰りの風景」) <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/40mm 途中、荷物が重く感じ、その場にザックを置いてカメラだけを持ち先を進んだ。 しばらく歩いて振り返ると、デルタ側からずいぶん進んだことが判った。 空はかなり明るくなったものの、湖面にはまだ陽が差さないため撮影は出来ない。これ以上はもう進めないという場所まで行き、しばらく太陽を待つことにした。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/40mm 冷たい岩に腰掛け、シーンとした湖面を眺めながら考え事をしていた。 そのうち、腕時計のチャイムが鳴り、7時を知らせた。 顔を上げてみると、陽が湖面に差し込んできていた。薄暗い湖面が端から急速に明るくなっていく。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/40mm その時、五色岳(お釜頂上)のほうで雷の音がした。 「ゴロゴロゴロドドーン!!」 一瞬、肝が冷えた。 空は快晴のまま。しかし、五色岳の向こう側に雷雲が迫っているのかも知れぬ。お釜は山形方面から雲が駆け上ってくることが多いのだ。山の雷は横から放電するため、極めて危険である。 ところがよく見ると、お釜の内側壁面を土砂が崩れ落ちて行くのが見えた。土砂は下の斜面にぶつかり散らばった。 そう言えば、前回来た時も「ゴー」という地鳴りのような音が聞こえたが、あれもやはり土砂崩れだったに違いない。 <<画像ファイルあり>> MINOLTA α-707si/135mm(トリミング) やはり、この辺りは危険である。 とりあえずは元来た道を戻りながら写真を撮っていった。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/40mm 再びデルタに出て、改めて周囲を見渡した。 それにしても、デルタの地形は訪れる度に変わって見える。水位の変化もその一つの理由であろうが、流れ込む川の水路も全く違う。写真に撮って定点観測しなければハッキリしたことは言えないが、雨などで大きな侵食・堆積が起こっているのだろうか。もしそうだとしたら、お釜の底が短期間のうちに浅くなり、水も溜まらなくなるのではないかと心配する。 今度は、右回りに水際を歩いて行った。先程の土砂崩れの跡を近くで見ようと思ったからだ。 幸い、こちら側の壁は傾斜がなだらかで、ある程度までは危険が無さそうに思える。土砂崩れの真下まで行かずとも、ある程度近付けば十分に観察は可能である。 ただ、まだ陽がそこまで差していなかったため、しばらく座って待っていた。 <<画像ファイルあり>> MINOLTA α-707si/135mm(トリミング) 時計を見ると8時を過ぎていた。 朝食が早かったためか、腹が空いてきた。昼食用としていたカップ麺をここで食べてしまうか。 水は五色川から調達するのだが、出来るだけきれいな水を得るために川を遡上した。 五色川は、お釜を取り囲む外輪山の山肌から湧き出ている。 我輩はその近くに荷物を降ろし、水を汲んで湯を沸かした。多少風が出てきたため、アルコールバーナーの周囲を岩で囲う。 湯は10分で沸騰。 早速、持参したカップ麺に湯を注ぎ、岩に腰をおろして一気に食べた。 山で食べるカップ麺は、ことのほか旨かった。 <<画像ファイルあり>> MINOLTA α-707si/24mm(トリミング) 食後、再びデルタに出て撮影した。 9時近くにもなると、日も高く昇って写真的にも都合が良い。 五色川がお釜に流れ込む辺りには大規模な侵食跡があったが、それによって地層が顔を出しており、我輩はそれを興味深く眺めた。 特に、白く柔らかい粘土層が目に入り、写真にも撮影した。これは火山活動によって堆積した昔の火山灰であろうか。ある期間の中でまとまって堆積したように思えるため、お釜に日常的に堆積している層とは考えにくい。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/40mm 10時近く、そろそろ上に上がろうと思い、歩き始めた。 次の目的地である浄土平までの移動時間は1時間半くらいと見込んでおり、午後からの行動時間を確保するには程よい頃かと思う。 上りでは、下りの時よりも気が楽ではあるが、脚の疲労が残っており再び脚が震えてきた。 前回は時間制限がないためゆっくりと上ったのだが、今回は後の予定があるためあまりノンビリ出来ない。汗も出てきたのでコンパクトジャケットを脱ぎ、袖を捲り上げた。 ようやく柵のある場所まで辿り着いたのだが、月曜日のためか観光客はほとんどおらず、山歩きの中高年がチラホラ見えるだけだった。 改めてお釜のほうを見た。 今まで来た中では最も晴れ渡った日であった。この様子を写真に撮ろうと思い、このまま車に戻らずに馬の背(外輪山)を歩いてお釜全景を撮影することにした。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/40mm 馬の背はそれなりに起伏があり、ベストポジションにまで行って帰るだけで小一時間かかる。 途中、テレビかビデオの収録などをやっている一団がいた。若そうな面子ばかりだったため、どこかの映像学生の課題撮影か何かであろうか。 <<画像ファイルあり>> MINOLTA α-707si/135mm(トリミング) 撮影を済ませた後は、駐車場に戻る。 時間は11時を回っていた。日が照っているため、車内温度もそれなりに上昇していた。 靴を履き替え、レストハウスに行って土産物を買った後、車を発車させて山を降りた。 途中、コンビニエンスストアで弁当を買って食べ、そしてガソリンスタンドに行って給油し、白石インターチェンジから高速道路に乗った。 思いのほか脚が疲労しており、時々アクセルを踏む脚がつりそうになり焦った。 今回は、浄土平への寄り道はやめておこう。 これはもう、時間的な問題というよりも体力的な問題である。一切経山へ登ることを考えると、その後運転して帰る自信が無い。 我輩は、降りる予定だった福島西インターチェンジを通過した。 高速道路は単調なため、車載カメラも途中で止め、撮影については全てを終了した。あとは帰るのみ。 昼間であるから、高速道路はそれなりに車の量は多かったが、流れそのものは悪くない。 ただ、追越し車線を走ると後ろから速い車が追い付いてくるので気が抜けない。そういう時は走行車線に戻ってやり過ごすのだが、走行車線では少し遅く感ずるため、すぐに追越し車線に戻った。 そういうことをしているうち、黒塗りのセダンが我輩の後ろに付いた。少し距離があったものの、気になるので少しスピードを上げた。しかしなかなか引き離せない。どうやらこちらの速度に合わせている様子。 おかしいなと思ったと同時だった。その車が赤い回転灯を出した。 スピード違反で29キロオーバー(129km/h)で捕まってしまった。反則金1万8千円。 妙なことに、我輩は覆面パトカーを引き離す為にスピードを上げたはずだった。恐らくもっと出ていたと思うが・・・? それにしても、こういう時に限って車載カメラで撮影していないのが悔やまれる。 パトカーの車内でも撮影出来そうな隙はあったものの、GR-Dを持っていないことに気付いて落胆した。 自分の車に戻った際にカメラを取り出そうとしたが、パトカーはすぐに発進してインターチェンジを降りてしまった。 家に帰り着いたのは17時くらいだった。 さすがに疲れは隠せない。前の日は寝ていないこともあり、目の疲れは相当なもの。 ガソリン価格の高騰やスピード違反のリスク、そして疲労のことを考えると、次回は鉄道の利用に戻ることも視野に入れることにしたい。 新幹線の中であれば、寝不足でも寝ていられる。 それにしても、明日は会社か・・・。 ---------------------------------------------------- [586] 2006年10月18日(水) 「自分のため」 高校時代、我輩が入っていた写真クラブにて各生徒の撮った写真の講評が行なわれていた。 キャビネサイズにモノクロプリントされた各写真。それを、顧問教師が一枚一枚皆に見せながら感想を述べていくわけである。 講評は順調に行なわれていたが、我輩の撮った写真を手にした時、顧問教師の動きが一瞬止まった・・・。 − − − 我輩が写真を撮り始めたのは小学生の頃だったが、当時は家にあったピッカリコニカを使い、気の赴くまま撮りたいものに向けて、ただシャッターを切っていた。 庭木に飛んでくるチョウやトンボ、そして裏山から降りてくるノラネコたち。我輩のお気に入りが、すなわち被写体であった。 中学生になると、毎週1回必須クラブがあり、我輩は写真クラブに入った。 他に入りたいクラブも無かったことによる消極的選択であった。 (参考:雑文278「冬の匂いに想い出す」) 必須クラブというのは、文字通り誰もが何かのクラブに入らねばならない。いわゆる選択授業のようなものであるから、何でも自由にやれるという雰囲気ではない。しかも時間枠が決まっている。 そういったことから、無難に時間を過ごすためとして、この写真クラブを選んだわけである。 今でこそカメラは安物が存在するが、当時はカメラというのは貴重品の代名詞であり、中学生ごときが容易に所持出来るようなものではなかった(「PENTAX K2DMD」を所有していた友人のクラッシャージョウなどは、オヤジさんがカメラ好きであったから特別である)。 そのため、写真クラブの活動は座学が中心で、ただ聞いておれば良い。 まさに、我輩の思惑通りの無難な時間の過ごし方であった。 高校に入っても同じように週1回の必須クラブがあり、やはり消極的選択により写真クラブに入った。 ところが高校生ともなると、写真に興味ある者はカメラ所有率もそれなりに高かった。 そういうわけでこちらは、各自がカメラを持って撮影を行い、それぞれが撮った写真を集めて顧問教師が評価していくこともあった。 撮影はモノクロフィルムを使い、課外部活動の写真部が使っている暗室を借りて現像・引伸ばしを行なう。 多くの生徒の作品は、いかにも「健全な高校生写真」というような写真であり、我輩はそれに違和感を持った。確かに、同級生のポートレートやスポーツに勤しむ姿、あるいはスナップ写真は画になろう。高校生らしい写真である。 だが、それは高校生以外の者が観るとそう見えるのであり、高校生当人である我輩にとって興味あるものではなかった。 写真雑誌などのコンテストの総評などでも「高校生のうちに撮れる高校生らしい写真を撮れ」というようなことが書かれていたりする。だが、今しか撮れない写真であっても、そもそも関心無い対象物を撮ることは我輩には出来ない。 当時の我輩は「大人は高校生らしい写真というものを高校生たちに押し付け、その一方で、高校生たちは大人の評価に適うような写真を撮ろうと努力している」という意識が強くあった(実際にそうであるかという問題は別として)。 高校生の年頃にありがちな反体制的な心理と言ったところか。 またそれと同時に、我輩は大人から良い評価を受ける機会が少なかったということについて僻(ひが)みを持っていたのかも知れぬ。確かに当時は受験戦争真っ只中で、高校生ともなれば一年生の頃から大学受験を意識させられた。 大人の評価に適わなければ、受験大学も自由に選べない。 だが写真のような趣味的なものまで大人の評価を気にしながら撮るのは、明らかにバカげていると思った。 そもそも我輩の写真のスタートは、興味ある対象を気の赴くまま撮るというものである。他者の評価など初めから気にして撮ったことは無い。 もちろんこれは、妥協という意味ではなく雑文563「自己満足」で言うところの自己満足写真(=自分が満足する写真が撮れるまで努力を重ねる妥協無き写真)である。それは同時に、他人に理解されることを必要としない。 (その他参考:雑文254「ジンクス」) 当時、我輩は高校入学祝いとしてステレオコンポを買ってもらい、カセットデッキはソニー製カセットチェンジャー「MTL-10」を選んだ。これは通称「カセットバンク」と呼ばれ、カセットマガジンに10巻のカセットテープを装填して連続再生を可能としていた。 我輩はこのカセットデッキの内部構造について非常に関心があり、ローディングの調子が悪くなった機会に、ついに好奇心から天板をはずして覗き込んだ。我輩の期待通り、非常に興味を引く構造で、思わず写真に撮ってしまった。 そのフィルムを現像した後にコントラストの強い印画紙に焼き、モーターや配線、フレームなどがクッキリと表現されるようにした。焼き直しも何度か行い、思った通りの濃度になるよう調整した。 そして、自分にとっての見応えある画を得た。 無理やり解説を付けるとすれば、これは我輩の好奇心を写真に表した"作品"と言うところか。 ある日、生徒各自が撮った写真の講評が行なわれた。 それが、この雑文の冒頭のシーンである。 ほとんどの生徒の写真は、非常に高校生らしい写真ばかりであった。顧問教師はそれに対して構図やピントのアドバイスなどを行い、良い作品は誉めた。 やがて、我輩の写真が現れた。天板をはずしたカセットバンクMTL-10の写真である。我輩にとっては渾身の作品であった。ただし、誉められるとは思っていない。 どのような講評をするか、どのような反応があるか。 「???」 顧問教師は、我輩の写真を見て一瞬動作を止め、縦位置にしたりしてみたが、何と言えば良いのか分からない様子であった。 そしてそのまま何も言えずに次の写真に移ってしまった。 正直言って我輩の写真に対する講評が全く無かったのは少し残念ではあったが、今回のことで、「自分は自分だけが認める写真を撮れば良いのだ」という気持ちを改めて強くした。 そして、他の生徒の写真を見ながら、「おまえら、それは本当に自分が撮りたいと思った写真か?大人に媚びるために撮った写真ではないのか?」と心の中で問い掛けた。 我輩の写真は、万人に理解されにくい写真であった。 単純に、自分が求む写真を撮り、それをプリントに焼いた。それだけである。顧問教師向けに作ったものではない。 だが我輩は、敢えて自分というものを重視した。他人のために写真を撮るのではなく、自分のためだけに写真を撮る。だからこそ、自分がシャッターを押すことの意味が生まれるのだ。 変に理由をつけて写真を撮り続ければ、いつか行き詰まったり写真への熱が冷めてしまったりするだろう。 写真の画面中に自分の表現を写し込むのも大事かも知れないが、写真を撮る姿勢そのものも、表現として大事であることを忘れてはならぬ。 写真に対するエネルギーが消えるとすれば、それは、そもそも最初から写真に対するスタンスが間違っていたと言うしかない。 高校時代までの我輩は、それほど写真に入れ込んでいたわけではない。しかし自分の興味というものを、写真に撮ることによって強く意識し、結果的に写真に対するエネルギーが強まった。 写真は視点を固定する意味があるため(参考:雑文313「見方と味方」)、肉眼で漠然と眺めるよりも、写真に撮って視点をハッキリさせることによって自分自身を知ることに繋がり、潜在意識を顕在化させることになる(自分自身というのは意外に本人にも分からないものである)。 あの頃の写真クラブの生徒たちは、今でも写真をやっているだろうか?若い頃のように作品を作りつづけているだろうか? 我輩の、写真に対するエネルギーは尽きることは無い。そのエネルギーは我輩が生存している限り続くであろう。 なぜなら写真を撮ることは、純粋に自分のためであるから。 (参考) 雑文015「写真というものは・・・」 雑文081「写真の情報量」 雑文260「趣味性」 雑文481「写真の情報量(蔵王のお釜)」 雑文487「写真の価値」 ---------------------------------------------------- [587] 2006年11月08日(水) 「自分のため(2)」 人間を始めとする動物は、欲求を満たすことによって快楽を感ずる。それは、動物の行動を左右する重要な動機付けである。 「腹が減るから飯を食らう」。これは、欲求と行動の代表的な例であろう。 数ある欲求の中でも、自分を認められたいという「自我欲求」は、社会の中に生きている我々人間の重要かつ知的な欲求である。 社会の中で自分が認められるということ、それはつまり、社会という集団の中で自分が役に立つ存在であるということである。それは、自分自身の直接的な利益である必要は無い。場合によっては、自分の利益を犠牲にして集団に貢献することさえある。 もう少し具体的に言えば、周りから良い評価を受けると心地良くなり、悪い評価を受けると気持ちが沈む。そのため、次に良い評価を受けようとする意識が働き、努力する方向へ向かうことになる。 そういった作用は、集団を維持するために必要なものである。 − − − 前回の雑文「自分のため」では、他者に影響を受けない自分のためだけの写真を撮ることについて書いた。 恐らく、他者の評価で自己を位置付けることに慣れてしまった人間には理解されることは無かろう。 しかし我輩は、基礎的な学習過程を終えて一通りの技術を獲得した者が、表現作品としての写真活動を行なうにあたり、他者からそれ以上の評価を受け続ける必要性は無いと考える。 例えば絵画の世界では、独自の表現を追及した画家というのは、当時の評価は極めて低いのが普通である。 さんざん「邪道だ」とか「稚拙だ」などと酷評され、絵は売れずに絵の具を買うことにも事欠く有様。 まさに、我輩が以前「LOMOは邪道だ」と酷評したことも思い出される(参考:雑文324「小さな野火」)。 しかし画家たちは、酷評に怯むこと無く生活に困窮しながらも自分の絵を描き続けた。これが並の者であれば「もっと人の喜ぶ絵を描いたほうが良いのではないか」と信念がブレ始めることだろう。 他者の評価や生活の向上を犠牲にしてまでも自分を追求しようとするその姿は、邪魔な欲求から開放され、真に自分自身を追求する力を産み出した。 自分というものを、そのまま絵に表現すること。それが自分を満たす唯一のものであるということを画家たちは知っていたのである。 その絵が自分を表現しきれているかどうか、そのための努力が足りているのかどうか・・・。そういった評価が出来るのは自分自身以外に無い。 (ロモグラファーたちが流行に流されることなく一貫して自分のスタイルを追求していくのであれば、それはそれで尊敬に値する。しかしどれを見てもミーハーの域を出ておらず、我々の趣味を侵食する存在にしか見えぬ。) 写真活動について、ここでは自然風景写真(海、山、川など)を例にしてみたい。 「自然風景写真はこのように表現するものであり、そのために必要な技法はこれこれである。キミの場合、ここが足りないから、もう少しここを頑張るように。」などというアドバイスが行なわれる。 このようなアドバイスは、ある意味必然であろう。 なぜなら、自然風景写真は「美しく撮らねばならぬ」という暗黙の了解があるためだ。 美しい自然風景写真は「巧い写真」であり、美しくない自然風景写真は「未熟な写真」ということである。 しかもその美的感覚は万人共通のものに収まっている必要がある。 その結果、定番となる絶景撮影ポイントにカメラマンが群がり、皆が同じ方向に向かって一斉にシャッターを切るようになった。 以前、社内旅行で千葉県の養老渓谷に行った際、皆が滝の景色を撮っている中で、我輩だけが足元の岩を撮影していて「何撮ってる?」と不思議がられたことがある。 まあ、社内旅行という場ではまさに場違いな行動であったとは思うが、我輩としては「この岩は幾千年幾万年の時を経て作られたのだろうか」と興味を持ってしまったわけである。 我輩は、表面的に美しい風景よりも、岩の色や侵食などを見て、その背景にある物理法則に則っり具現化された大自然の姿に気を引かれる(参考:雑文037「ネイチャー・フォト」)。 この季節、紅葉が山を美しく彩るようになった。 確かに紅葉を写した写真は色彩としては美しいが、正直言うと我輩にはそれ以上の関心は無い。それは確かに自然の一面ではあるものの、逆に言えば一面でしかない。 また、紅葉写真の中でよく目に付くのは、紅葉を逆光で撮った美しい写真である。 逆光撮影は、紅葉写真での定石であるという。 多くの人間を引き付ける紅葉写真の定石であるから、結果的に似たような写真が大量生産されることになる。そんな中で、敢えて自分がまた同じような写真を撮る必然性も無いと感じ、フィルムを浪費することを嫌ってシャッターを押す指を引っ込めてしまう(フィルムの心配の無いデジタルカメラの場合では、せっかくだからとシャッターを押すが)。 美しい写真を撮って誰かに誉められたい(評価されたい)という欲求は理解出来るわけであるが、しかし、その欲求を満たすためだけに撮影するだけならば、結局最後には、自分自身に何も残らない。 「そんなことを言っても、自分は誉められたいからではなくキレイな風景を撮りたいから撮るだけだ」と言う者もいるだろう。 では訊こう、何を以て「美しい」と言っている? そういうことを突き詰めて考えねば、この先行き詰まることになるのは確実。 本当に自分が求めているものに気付くのは、他ならぬ自分自身しかいない。 誰でも、初心者の頃はあった。 写真を撮るにあたり、初心者の段階ではまだ単純に「キレイなものをキレイに撮りたい」というもので良かろう。キレイに撮れれば目に楽しく、そして他者からの評価も受けることが出来る。 これはまさに、欲求を満たして心地良くなるための動機付けである。 しかし次のステップとして、自分がどういう要素に反応してキレイと感ずるのか、それを追求する必要がある。そしてそこで得られた自分なりの結論を、改めて自分自身の作品にフィードバックし、独自の世界を創り出すことが重要である。 これこそが、表現というものを掘り下げ、写真に対するやりがいを生み(他者の要求を満たすのではなく自己の要求を満たす)、自分が撮ることの必然性を持つ。 まさに、自分のために撮る写真である。 世の中、写真に行き詰まりを感ずる者も少なくないようだが、このステップを越えることが出来るかどうかが鍵を握ると我輩は見ている。 このステップでは、写真を撮る動機として欲求を満たすことが重要なため、他者からの評価を受け続けようとして、キレイな写真を撮るための努力がどんどんエスカレートする。だが、いつかその努力も頭打ちになる時が来るだろう。 ただし、敢えて最初のステップにとどまったまま他者のために努力を続けている献身的な者もいるわけだが、それが本人の選んだ道であるならば、我輩がとやかく言うことではない。 ---------------------------------------------------- [588] 2006年11月08日(水) 「自分のため(3)」 近代美術の革新者とされるフランスの画家アンリ・ルソー(1844〜1910)は、今でこそ高く評価されているものの、存命中は「子供のいたずら描き」と嘲笑されていた。 ある時、ルソーが女性の肖像画を描いたところ、その出来栄えにモデル女性が憤慨し、その絵をズタズタに破り捨てたという。 それでもルソーは自分の世界を失わず、描きたいように描いた。そして、報われることなくこの世を去った・・・。 − − − 自分のためだけに撮るのが非常に難しい撮影分野がある。 それは、「女性ポートレート」である。 女性ポートレートを撮るには、撮影会の参加、あるいは恋人・知人へのモデル依頼ということになろうか。 我輩は独身時代、当時付き合っていた女性の写真を撮ることがあった。 ある日、広角レンズで接近して撮り、臨場感のある写真を得ようと考えた。我輩は、その女性の日本人的なのっぺりとした顔つきを愛らしく思っていたので、それを強調する点でも広角レンズを積極的に用いた。 しかし、後日その写真を彼女に見せた時、こう言われた。 「いやだー、お化けみたい。」 結局、この写真は受け取ってもらえなかった。 我輩は、残された写真を手にして大空に向かって叫んだ。 「なぜなんだーっ!」 当時の我輩は、まだ女性ポートレートというものの特異性が解っていなかった。自分の好きなように撮れば良いと思っていた。 女性ポートレートでは大抵の場合、撮影した写真をモデルに見せたりプレゼントしたりするため、否応でもモデル女性の見る目を意識させられる。つまりモデル女性というのは、被写体でありながら同時に写真評価者でもある。 「ヘタクソに撮るとバカにされるかな」、「不美人に撮ると人間関係が壊れるかな」と心配することはもちろん、「俺の撮影テクニックで驚かせてやる」と意気込む気持ちもあろう。 いずれにせよ、モデル女性が写真を見てどのように感ずるかということが非常に重要となる。それはすなわち、モデル女性がその写真を気に入るかどうかということが、その写真の価値を決める絶対的基準となってしまうのだ。 結局のところ、そのようなスタンスで撮影をしている限り、カメラマンが如何にテクニックを駆使して自分の描くイメージを写真化出来たとしても、それはモデル女性の気に入る範囲内でなければならないことになる。 それはつまり、カメラマンは気付かないうちにモデル女性にコントロールされているわけだ。 この問題を考えることなく女性ポートレートを永く撮り続けていけば、自分の感覚や感性は、完全に女性側の視点に矯正されてしまうに違いない。 確かに無難と言えば無難、しかし本当の意味で自分が求めるものを撮れているかと言えばそうとは限らない。もし自分の求める写真が撮れていないとすれば、その写真はもはや、雑文260「趣味性」で言うところの"無償の仕事"である。 もっとも、永く続ければ続けるほど自分の感性が矯正されてしまい、それが元々持っている自分の感性であると考えることに違和感が無くなるのであろうが・・・。 もし本当に、純粋に自分だけのイメージで女性を撮るとしたら、自分のためだけに撮るとしたら、一体どんな画となるだろうか? それは個人個人によって異なるだろうが、そういった追求の一つのヒントとして、フェティッシュ(=fetish、俗に言う"フェチ")があるかも知れない。 例えば"脚フェチ"や"唇フェチ"などがあるが、そういったものは性的な面を多く含むため、一般には「いやらしい」とか「マニアックだ」と嫌悪されることが多かろう。ましてやモデル女性本人に見せるには勇気がいる。またそれと同時に、撮った側も後ろめたい気持ちを持ってしまう。 しかしそういった追求があるからこそ、例えば女性のボディラインをイメージさせたコカコーラの瓶の形状が成功するのも事実。 コーラ瓶のように、ボディラインの美しさを"要素"として取り出すことが出来るのなら、脚のラインの美しさも同様に取り出すことは出来るだろう。それには、どんなラインが美しく感ずるのかということを知らねばならない。 写真は、そういった自分の感性(どういうものを美しく感ずるのかという感覚)を潜在意識の下から押し上げるための重要な手段なのだ。 我輩の場合は"見下しフェチ"というものがあり、今まで女性モデルに見下したポーズを要求することがあった。だが、そのポーズもモデルによって似合う似合わないがあり、またそのポーズだけをフェチ要素として取り出すことが出来ないこともあり、なかなかフェチとして昇華出来ないのが悩みどころ。 そもそも現在の我輩はモデル撮影する機会が無くなったため、残念だがこの方向性はもう終了とするしかない(誰か引き継いでくれ)。 ところで過去の話だが、我輩は「お化けみたい」と評された事件以降、女性ポートレートを撮る際には気を付けようと思っていた。 そして1年くらい経って女友達Mを撮る機会が巡ってきた。当然ながら、前回と同じ轍は踏むまいと気を入れた。 Mは見かけが良いのでそれまでにも何度かモデルになってもらっていたのだが(参考雑文451「大撮影会」)、自由奔放なヤツでなかなかスケジュールが合わない。それでもようやく撮影の機会に恵まれたのである。 撮影後、写真をプリントしたものを郵送し、Mの反応を見ようと電話で話をした。 すると彼女は、写真を他の男友達に見せたと言い、「おまえのことを本当に気に入っているというのが伝わってくる写真だなあ」と言われたとのこと。 この反応をどう解釈すれば良いのか。 我輩には、男友達の言葉が妙に引っかかる。マニアックに撮ったつもりは無かったが、微妙にマニアックに撮れていたのかも知れぬ。そういうところを、男の目で見抜かれたか。 ただし電話を切った後で気付いたのだが、M自身の感想が無かったのが気になる。 声は少なくとも不機嫌な感じではなかった。それはつまり、M本人は微妙な判定だったが、男友達の評価の言葉を肯定的に受け取ってくれたのかも知れぬ。 それにしても、自分独自の表現として女性を撮影する場合は、余程の覚悟を必要とする。 アンリ・ルソーのように、評価されないどころかヘタクソと言われたりモデルに作品を破かれたりするかも知れぬ(面と向かってヘタクソと言われるよりも、陰で言われていることに気付くほうがダメージが大きいものだ)。 しかしそんなことをいちいち気にするようであれば、そもそも凡人の域を出ることは無かろう。 ちなみに我輩は、アンリ・ルソーに徹する度胸はとても無い。 ---------------------------------------------------- [589] 2006年11月20日(月) 「政治的意図」 2004年末に起きたスマトラ沖大地震による津波被害では、世界各国政府からの支援が行われた。 数億ドル単位の支援は珍しくなく、中国などは日本からODAを受けている立場でありながらパフォーマンス的な援助を行った。 しかしそれらは、純粋に人道的な立場で行われたわけではなく、それぞれの国の政治的意図、例えばどれだけ復興に貢献したかというアピールや、インド洋地域の国々への影響力拡大の意識が見え隠れしていた・・・。 − − − さて、我輩は今まで雑文161「記念撮影の暗黙の了解」にて書いたとおり、社内旅行などの撮影係を意識的に避けてきた。 しかし先日、社内旅行に参加した際には、積極的に記念撮影の係りを買って出た。 そこには、我輩なりの政治的意図があった。 10月、我輩の所属する品川の営業所の一部が川崎の営業所に統合された。 つまり、我々品川の人間が新参者となったわけだ。 そんな中での社内旅行(鎌倉日帰りバス旅行)参加であり、我輩は自分の存在感をアピールするため、敢えて記念撮影の役割を担うことにした。 カメラはデジタルカメラでも事足りる。また、中判を使うとしても、コンパクトな「New MAMIYA-6」でも十分。 しかし我輩の意図としては、なるべく目立つ大げさなカメラが良い。そうなると、「BRONICA SQ-Ai」に広角40mmレンズを装着し、AEプリズムファインダーを乗せることになる。モータードライブも装着しようかと迷ったが、あまりに重くなるためスピードグリップにした。それでも、ストロボを装着したその姿は、お手軽なコンパクトデジタルカメラが主流の現在では、異様なほど大きく見える。 <<画像ファイルあり>> 測光はAEプリズムファインダーでも可能であるが、撮影結果を確認するという意味ではデジタルカメラが欠かせぬ。ストロボを使用することもあるため、デジタルカメラは強い味方となる。これはポケットサイズの「RICOH GR-D」を用いる。 旅行当日は、豚児も参加させた。 これはもちろん、我輩の子供時代のように、豚児に色々な大人と接する機会を与えるという意味もあるのだが(参考:雑文410「知らなかった有名人」)、どちらかと言えばその場の雰囲気を和ませ品川組と川崎組の架け橋になることを狙った。 その意図は見事に当たり、豚児は川崎組の子供と仲良くなり大役を果たした。 一方、肝心な記念撮影であるが、江ノ島水族館の入り口前での撮影となった。 我輩はバスから降りる時に必要な機材を持って来たはずだったが、デジタルカメラが見付からない。バスに置き忘れたか。その時すでに、全員がカメラの前に並びつつあった。 失敗の許されない撮影である。我輩は、AEプリズムファインダーの値を参考にして露出値を決めた。そして、撮影距離に応じたストロボの発光量をセットした。 1枚目、ストロボ不発。 慌てて見てみるとホットシューの接続が甘かった。 全体のチェックも甘いと感じたため、改めてチェックしなおし、2枚目の撮影を行った。 今度はうまくストロボが発光した。 念のための3枚目の撮影を行おうとしたが、ファインダーで見ると、背景に巨大なクリスマスツリーがあることに気付いた。 危なかった。撮影に気を取られ過ぎ、せっかくのクリスマスツリーがフレームアウトするところだった・・・。 少しカメラを上に向けてクリスマスツリーが入るように調整した。 撮影調整中に、「貴重な人材が来ましたね」などという声が聞こえた。我輩の狙い通りの展開であったが、もし撮影に失敗していれば全てが水の泡。まだこの時点では素直に喜べない。 気になる現像結果だが、ちょうど帰宅が遅くなる日が続いたため、翌週の木曜日にようやく現像に出し、金曜日に結果を得た。 会計を済ませ、急いでラボ店頭にあるライトボックス(イルミネーター)でチェックした。 3枚とも、全て成功カットだった。 最初のストロボ不発カットでも、目のキャッチライトが無いだけで全体的な露光量には影響が無かった。 <<画像ファイルあり>> 雑文161「記念撮影の暗黙の了解」で挙げた暗黙の了解については、幸いなことに、デジタル時代の現在ではこれらの要件がほぼ必要無くなった。 ここで、暗黙の了解を再度載せ、それについての現在の対応について書き加えたい。 (1) ネガフィルムを使うべし プリント写真にするのは絶対条件。ネガではなくリバーサルからのダイレクトプリントだと、割高なうえに画質も硬調ぎみで反感を買う。間違ってもリバーサルは使ってはならない。 また、「焼き回ししてくれ」などと言われても、いちいち「焼き増しだろ」と間違いを指摘して相手に恥をかかせてはならない。 −−−発色の良いポジフィルムで撮影したいところだが、現在ではフィルムをスキャンしてデジタルデータ化してしまえば、高品位なプリントが短納期で得られる。ダイレクトプリントは完全に過去のものとなった。 (2) 日付を入れるべし 日付が写り込まない記念写真は価値が半減する。 「高そうなカメラなのに日付も入らないんだねえ」と言われる。 −−−これもまた、デジタルデータ化してしまえば、日付はもちろん、場所の記述も加えることが可能。デザイン文字も自由に入れることが出来、写真の付加価値を高めることになった。 (3) 風景を入れ、複数人を写すべし 人物はもちろんだが、風景を同時に入れるのは必須条件。どこで撮ったかという情報が写り込んでいなければ、記念写真の意味が全く無い。 また、いまどき「3人で写真を撮ると真ん中が早死にする」などと言う人間もいないので、それは気にしない。ただし、一人だけを写すと、本人がその写真だけ半強制的に買い取らされるという意識を持つのでなるべく(リクエストが無い限り)それは避ける。 写真には自分が写っていなくても良いが、他に洩れた人がいないかを常に気を配らなければならない。 −−−現在だから可能となったという意味ではないが、今回は集合写真のため、この心配は無い。このことから、スナップ撮影ではなく集合写真に徹するというのも一つの方法であると悟った。 (4) 失敗写真も含め、全て公開すべし 露出の過不足やピンボケなどの失敗写真であっても、一応見せなければならない。写りの悪い写真は許せるが、全く写っていない(あるいは見せない)というのは問題である。 失敗写真を見せるのが恥ずかしいなら、失敗しないように2〜3枚撮っておく必要がある。 目つぶり写真については、それだけで本人以外に面白がられるので、必ずしも失敗とは言えない。 −−−デジタルデータ化したことにより、ある程度の露出過不足は救済出来る。また、複数枚のカットを押さえることにより、目つぶりの問題を無くすことが可能である。今回の写真でも、目つぶりや横見などの写真を修整するため、3枚の写真から合成して全員の顔がベストな状態になるよう仕上げた。特に、メガネ使用者はストロボ光がレンズ面に反射したため、ストロボ不発カットが役立った。 (5) 悪役を引き受けるべし 写真には容姿端麗の女性ばかりが写り込むわけではないため、写真を言い訳に使われることもある。 「あたしヘンな顔になってる〜、あんまり写りが良くないね!」 また、見た目は普通の化粧であっても、ストロボ撮影の関係で顔だけが真っ白になる人もいる。その人物だけに露出を合わせるワケにもいかないため、これは不可抗力。しかし見た目は普通の化粧に見えるからこそ写真のせいにされる。 それを否定すると、その人間の容姿を否定することに通ずるため、それはやってはいけない。カメラマンは、ただ、耐えるのみ。 −−−これも、デジタルデータ化したことにより、回避出来ることがある。今回の撮影では無かったが、品川勤務の時に社内で証明写真を撮影する機会があり、額の広い者がどうしてもテカってしまうことがあった。その時は画像処理で額のテカリを軽減させた。 (6) 評価を気にするべからず 一般人の評価は天と地。 写真の構図を少し工夫して人物を中心からズラすと、なかなか絵になる構図が出来る。しかし真ん中が重要だと考える者もいるため、「なんか人物が中心からズレてるなぁ」という評価も下されるだろう。いちいち気にしてはならない。 −−−これも、スナップ写真を回避し、集合写真に徹することによって解決出来る。 (7) こまめで太っ腹であるべし 写真を回覧して焼き増し希望者を募る場合、注文の集計と会計を面倒だと思ってはならない。 また、写真を見ながら写っている人を洗い出す方法では、写真を無償でプレゼントするくらいの気持ちのほうが、未払いの者がいても気にしなくて済む。 −−−写真係という大儀を得ることにより、現像代とプリント代は旅行会としての経費が落ちることになった。もしそうでなくとも、デジタルカメラが主流の今では、写真をデジタルデータのままメールで送れば済む。 以上、デジタル時代の記念写真について新しい見解を書いたが、それでも「写っていないかも知れない」という心配事はフィルムを使う限り常につきまとう。これは非常に強いプレッシャーである。 もちろん、デジタルカメラを使えば済むことだが、我輩が大げさな機材で撮ることのインパクトが無くなることになれば、そもそもの政治的意図を失ってしまうのだ。 (2006.11.21追記) 万全を期して仕上げた写真だったが、それでも「私こんな顔じゃない」という声が上がってしまった。 我輩としては、目つぶりや横目についてチェックし修正しているわけだが、容姿について言われてもどうしようもない。 やはり撮影係としては今回限りとすべきであろう。得るものが無ければやる意味も無い。 この判断も、政治的意図によるものである。あくまで今回は、第一印象を決めるためのパフォーマンスであった。 もう、絶対やらん。 ---------------------------------------------------- [590] 2006年12月16日(土) 「体内に抱えたガン」 我輩の同期入社であるSの奥さんが先日亡くなった。42歳だった。 原因は胃ガンである。 早期発見であれば助かりそうなものだが、発見時にはもう手遅れだったのだろうか。 もしかしたら痛みなどの自覚症状があったのかも知れない。だが、痛みがあっても騙し騙し過ごしていれば、そのうち取り返しのつかないことになるのがガンの恐ろしいところだ。 − − − さて前回の雑文にも書いたが、我輩は10月より勤務地が変わり通勤時間が増えてしまった。そのため、平日のプライベートな時間が2時間少なくなった。 そういうこともあり、パソコンの作業も休日がメインとなる。この時期は年賀状の作成があるので、土曜日に入ればすぐに作業にとりかからねばならぬ。 ところで最近、我輩のメインパソコンの調子がおかしい。 時々、なぜかスクロールが止まらなくなることがある。そういう時は、リブートすると症状が収まるので、まあ何とか使い続けていた。 先週の土曜日の朝、パソコンのスイッチを入れた。 そして、この前撮った家族写真をスキャナにセットしようとしたその時、「AGPエラー、AGPエラー」と音声が鳴った。パソコンのマザーボードの機能「ドクターボイス」の警告音声である。 このエラーは、マザーボードを更新した時に1度経験した。その時の原因は、AGPスロットのグラフィックボードが完全に刺さっていなかったためだった。そのため、今回も簡単に解決出来ると思っていた。 「何かの拍子にAGPのボードが緩んだか?」 パソコン筐体のカバーを開け、グラフィックボードをグイッと押し込んだ。しかし、電源を入れると警告音声が相変わらず鳴り続ける。 しばらく色々とやったのだが、症状が全く解決しない。最終的には、増設ボードを全て取り外し、マザーボードも外してみた。 マザーボードは「AOpenのAX4G Pro」というものである。 何となくマザーボードの基盤を眺めていると、意外なものが目に入った。 「こ、これは・・・何だ??」 見ると、CPU回りに配置された2つの電解コンデンサが微妙に膨らんでいる。そればかりか、液漏れしたような跡が見られた。 「これが原因か・・・? いや、例えこれが起動失敗の原因でなくとも、このマザーボードを放置するわけにはいかぬ。」 <<画像ファイルあり>> 右の2つの電解コンデンサのトップが盛り上がっているのが判る。防爆弁のため爆発することなく圧が抜けた様子。トップと基部に液漏れの跡があった。 以前、パソコンを使っている時、突然「パンッ!」と破裂音がして煙がモクモクと出たことがある。慌てて電源を切りパソコンのカバーを開けてみると、マザーボード上の電解コンデンサが爆発し、黒いススを撒き散らして四散していたのである。 その時の記憶が蘇った。 今回は、防爆弁(十字型の切れ込み)があるタイプの電解コンデンサのため爆発する前に圧が抜けたようだったが、それにしても見えないところでこういう状態になっていたというのは夢にも思わなかった。 そういう意味では、まさに、知らぬうちに体内で成長を続けるガンのようなものである。 このように、電解コンデンサの病気は、使用者が何も知らないその瞬間にも進行中なのである。もしかしたらこのメインマシンだけでなく、サブマシンやヘナチョコ妻のパソコンもそのような状態になっている可能性もある。 何か関連した情報は無いかとサブマシンを使ってインターネットを検索してみると、このような電解コンデンサ劣化は大きな問題となっており、様々なサイトで情報が公開されているのを知った。 それによれば、2000年前後に台湾で作られた粗悪電解コンデンサが大量にマザーボードに使われ、それが2002年ごろから徐々に液漏れや膨張などの症状を高い確率で現わし始めているとのこと。最悪の場合、漏れた電解液によって基盤が腐食し、ショートして発火することもあるようだ。 メーカー製パソコンであっても、コストを抑えるために台湾製電解コンデンサを使っていることもあり、その場合にはやはり同様な現象が確認されている。 電解コンデンサは電子機器には必ずと言っていいほど使われているだけに、その影響は計り知れない。 そもそも電解コンデンサ自体の品質だけでなく、何らかの理由で電解コンデンサに高い熱が加わったりすると、電解コンデンサの寿命が非常に短くなるという。 カメラ関係でも、例えばストロボに多くの電解コンデンサが使われていることは見たことがある。また、昔の電子シャッター式のカメラはコンデンサに貯めた電気量でシャッターの秒時制御を行なっていたことは知っている。 現代のカメラでも、重要な部分でコンデンサの寿命が全体の寿命を決めている可能性がある。 いや、このようなコンデンサの問題がパソコンに限られる話だとしても、今やパソコンは写真趣味に欠かせない道具となっている。そのことを考えると、使用後1〜2年で突然ガンを発症することになれば大きな問題と言えよう。タイミングが悪ければハードディスクのデータにアクセス出来ぬようになってしまい、大量の画像を一気に失うことも考えられる。 今この時点で問題無く使えているからというのは、何の安心材料にもならない。 (2006.12.17追記) サブマシンのほうはどうかと心配になったため、筐体を開けてマザーボードを確認してみたところ、見事にやられていた。マザーボードはソケット478の「RIOWORKS SU45A」。 これで、メイン・サブ共にガンが見付かったことになる。過去のコンデンサ爆発から数えてこれで3例目となった。かなり高確率の発症と言えよう。 それにしても、サブマシンのほうはほとんど使った記憶が無いため、恐らく100時間も稼働していないだろう。それでもこの有様であるから呆れる。 <<画像ファイルあり>> まるで申し合わせたかのようにズラリと並んだ電解コンデンサが見事に泡を吹いている。注意して見ると、並んだ中で一つだけ変化の無いものがある。こちらのほうが不良品なのかも知れぬ。 ---------------------------------------------------- [591] 2006年12月22日(金) 「スキャンしないスキャナ(2)」 3年近く前、雑文475「スキャンしないスキャナ」にて「ワンショットデジタルカメラを用いて超高速ドキュメントスキャナを作ったらどうだろう」と書いた。 ふと気付くと、それは現実になっていた。 意識せずに、そうなっていた。 我輩の職場では、書類の電子化は複合機によるスキャンで行なうようになっている。 スキャンされたデータは自動的にPDFファイルに変換され、共用フォルダに落とし込まれる。そしてそのデータを各パソコンから吸い出すのである。 ところがPDFファイルというのはレタッチが難しい。明るさ・コントラスト調整やトリミングなどをしたい場合には「Acrobat」あるいは「Illustrator」というソフトウェアが必要となり手間がかかる。 職場の複合機によるスキャンはPDFファイルの他にはTIFFファイルが選べるのだが、それなりにデータも重く、ハンドリングが悪い。 (ちなみに、個人用として発売されているドキュメントスキャナではPDFファイル以外の出力が出来ないものが多いようである) そもそも複合機は、誰かがコピーしている時には使えない。 ジッと見張っているわけにもいかないので、何度か見に行って空いていれば使うという感じである。 しかも、共用ファイルに入った後に専用ソフトを立ち上げてファイルをダウンロードすることになる。 それら一つ一つの作業は大したことではないのだが、それが幾つもあるとなると面倒に思えてくる。 結局、我輩は手元にあるコンパクトタイプのデジタルカメラ「RICOH GR-D」で撮影して済ますようになった。 これならばすぐにスキャン可能で、ワンショットで画像化が可能。生成されたJPEG画像はデータ量としては軽く、しかも汎用ソフトで加工可能。明るさ・コントラスト調整も簡単である。 800万画素のカメラであるから、それなりに細かいところまで描写されているので情報量としての不都合も無い。 何よりも、席に居ながらにして画像化出来る便利さは大きい。 少しくらい傾いたりしても文字が読めればそれで良いという用途が意外に多く、デジタルカメラをスキャナ代わりにすることについては大きなメリットを感ずる。 データ量としても、画像のベース面を白く飛ばしてしまえば効率の良い圧縮が可能。 今では、回覧が回ってきてもデジタルカメラでサッと撮影して済ますようになった。そうすれば、後でゆっくり読めるばかりか、再度確認することも容易。 もし紙のままであれば、読み流してしまい細かい部分は忘れてしまう。 これも、手軽に素早く画像化出来るデジタルカメラのおかげであろう。 ---------------------------------------------------- [592] 2007年01月05日(金) 「時代は変わった」 先日、我輩のパソコン2台がマザーボードの劣化により機能しなくなるという話を書いた。(参考:雑文590「体内に抱えたガン」) それをきっかけとして、年末年始はパソコンのアップグレードやインストール作業に明け暮れることになった。 今さら言うことでもないが、パソコン関係の進歩というのは目まぐるしい。 マザーボードが劣化したからと言っても、簡単にそれだけを換えるわけにはいかない。なぜならば、CPUやメモリなどの規格が変わっているため、それら周辺部品も換えねばならない。 もちろん、今はネットオークションなどで昔のマザーボードも手に入るだろうが、部品劣化によって買い換えるわけであるから、同じく劣化の恐れがある古いマザーボードを手に入れても意味が無い。買うならば新しいほうが良い。 結局のところ、マザーボード、CPU、メモリ、ハードディスク、ビデオボード、電源装置を入れ替えることになった。ほとんどの部品が更新されたわけで、逆に言えば新しいパソコンを1台買ったようなものか。 その結果、処理速度が向上したこともあるが、ビデオカードをファンレスのものとし、ハードディスクも大容量300GBのものを導入して今まで2機あったものを1機に減らしたことにより、パソコンの稼動音もかなり抑えることが出来た。 またそれ以外にも、ビデオボードが2系統の出力を備えているものを選んだため、2つの液晶ディスプレイを使った広大な作業領域を確保することも出来た。メインのディスプレイはWSXGA+(1680x1050ドット/20.1インチ)とし、サブをSXGA(1280x1024ドット/19インチ)とした。 両方ともWSXGA+のディスプレイにしたかったが、予算の関係や、ビデオボードの性能限界のため、このような構成となったわけである。 それにしても、最近の液晶ディスプレイの性能向上と低価格化には驚かされる。 最初に導入したのはWSXGA+のほうで、こちらは半年前に買ったのだが、店頭で4万5千円となっていたのでほとんど衝動買いだった。グレアパネル(光沢)のため、店員は「写真用途にはお勧めではない」と言っていたが、店頭での見た目は明らかに黒が深く表現され美しかったので、反対を押し切って購入した。 確かにグレアパネルは光沢のため、シロウト目には鮮やかに見える。しかし光沢ゆえに周囲の景色が映り込むため作業しづらい面もある。しかも、シロウト目に鮮やかに見せるためだけの製品が多いようで、視野角の狭いTNパネルを使っていることが多いらしい。 ワイド液晶の場合、視野角の問題は重要である。なぜならば、ワイド液晶は左右に広いわけであるから、ディスプレイの右端と左端を見た時の角度が大きくなる。そうなると、視野角が狭いと明るさにムラがあったり、色が薄く見えたりする。 その点、我輩が購入したワイド液晶はMVAパネルで、視野角の問題はほぼ問題無い。 視野角のことならばIPSパネルのほうがさらに視野角が広いが、製品によっては白がギラつくものもあるようで、一概にIPSが良いということでも無いようだ。そもそもIPSパネルは価格が高過ぎる。 普通に使っている限りにおいては、MVAパネルのコントラストの高さもあって非常に美しく見える。 最初、この液晶ディスプレイをパソコンに接続した時、それまで使っていたソニーのトリニトロン管と比べてみたのだが、薄い色のグラデーションが飛んでいた。画像調整しても、それは変わらない。 「やはり液晶であるからこんなものか。」 しかしアナログD-Subで接続していたため、試しにデジタルDVI接続にしてみた。特に期待はせず、デジタル接続での動作確認程度の気持ちだった。アナログ接続であっても、ドットはキレイに表示されておりスムージングはかかっていない。そのため、デジタル接続する必要性は無いと思っていたのである。 ところが、デジタル接続した途端、画質は完全に変わった。先ほどの色飛びが無くなり、まさに、並べて横に置いたトリニトロン管と同じように表示されたのだ。微妙な色変化がよく見える。 さらに色調整をしたところ、見た目にはトリニトロン管と完璧に同じになった。いや、液晶のほうがドットがクリアな分、非常に鮮明に見える。 その日、我輩はトリニトロン管ディスプレイを部屋から追い出した。 それにしても、今どきの液晶ディスプレイというのは解像度が高く非常に情報量が多い。 それまで使っていたトリニトロン管は19インチだったが、XGA(1024x768ドット)表示が限界で、それ以上に解像度を上げると文字がボヤけて使いづらくなる。またリフレッシュレートの限界のためにチラつきも目立ってくる。 それと比較すると、この液晶ディスプレイはWSXGA+(1680x1050ドット)とかなりのもの。最近のデジタルカメラで撮影した画像も、それほど縮小せずに表示出来るのが嬉しい。やはり写真というものは、全体を見渡しながらも細かい部分も鑑賞したいもの。雑文559「スクロール鑑賞のすすめ」で書いたような苦労も多少和らぐように思う。 しかしそうは言っても、グラフィックソフトにはツールボックス等のウィンドウが幾つもあり、実質的な表示エリアは狭い。WSXGA+の画面を有効に利用するため、やはりサブ液晶は必要か。そこにツール関係のウィンドウを置き、メイン画面に写真を大きく表示させたい。 これにはビデオボードの対応も必要な為、今回のパソコン更新を待たねばならなかった。 そこで導入したディスプレイが、最初にも書いた19インチのSXGA(1280x1024ドット)である。こちらはMVAではなくVAパネルのものだが、それでもTNパネルと比べるとかなり違う(ヘナチョコ妻用として購入した同じメーカーのTNパネル液晶との比較)。ただしグレアパネルの選択肢があまり無かったため、ノングレアパネルとなってしまった。そのため多少のギラつきと黒の浅さを感ずるが、視野角はさすがに広い。これで2万5千円であるから良い時代になった。 現在、製品としてUWXGA(1920x1200ドット)の大きな液晶ディスプレイも存在することから、いつかはそのような液晶ディスプレイも導入してみたい。そして、それが叶った時には、さらに高解像度の液晶ディスプレイも登場していることだろう。こんなことは、従来のブラウン管方式のディスプレイでは考えらない。 ちなみに、メインの液晶ディスプレイは解像度が高いために文字が小さく見づらいため、文字情報の閲覧については専らサブのほうを使っている。 もういっそのこと、文字表示を諦め写真表示に徹したような、20インチで4000x3000ドットくらいの液晶ディスプレイを出してくれないかと思ったりする。もしそうなれば、デジタルカメラで撮った写真も、等倍で閲覧出来て都合が良い。 一昔前ならば、液晶ディスプレイにこのような期待を持たなかったのだが、時代は変わった。 ---------------------------------------------------- [593] 2007年01月19日(金) 「末永く愛用する道具」 以前、Nikon F3初購入についてのエピソードを書いた(参考:雑文152「7年目」)。 その頃は既にF3の時代ではなくなっていたが、その時初めて、時代を貫く普遍的な価値があることに気付かされた。 カタログ性能が旧くなったとしても、使い勝手の良い製品というのは、末永く使いたいと思わせる。そのことは、ヒューレットパッカードのポケットコンピュータ「HP200LX」が生産中止になった時に駆け込みでまとめて4台購入した者がいたということでも分かるだろう(参考:雑文056「備えあれば憂いなし」 )。 情報機器は新しければ新しいほど処理性能が向上するため、旧い製品には何の魅力も無いというのが一般的な価値観である。しかしそれが少しでも人間に触れるものであるならば、使い易さや愛着の問題は無視出来まい。 もちろん、次に続く新製品も同様な価値を持っていれば話は早いのだが、多機能化することによってコンセプトが曖昧になったり、コストダウンが進んでチープになったりして、愛着を感じさせないものへと変貌するのが現実である。だからこそ、いつまでも"その製品"にこだわるのである。 さて、我輩の場合、先日メインパソコンのCPUを最新のものにグレードアップしたことなどについて書いた(参考:雑文590「体内に抱えたガン」)。 こういうデスクトップパソコンの場合、パーツをグレードアップしても、人間が触れるキーボードやマウス、パソコン筐体などはそのまま使い続けることが出来る。そういう意味ではなかなか都合が良い。 ところがノートパソコンはそうはいかない。 狭い筐体に収めるために変形させたパーツばかりであるから、全く汎用性が無い。最新パーツで置き換えたくとも無理である。 そうなると、性能アップのためにはノートパソコンまるごと買い換えるしか無い。せっかく使い易いキーボードや手触りの良い筐体であったとしても、買い換えることによって全く別物になってしまう。 我輩も今までノートパソコンは7台使ってきたのだが、使い易くなったものもあれば、逆に使い辛くなったものもある。 小型軽量化のために筐体剛性が無くなると、落ち着いてキーボードを叩けなくなる。また、キートップの印刷が剥がれてくるものもある。クリック感やストローク(ボタン押し深さ)もそれぞれに違っており、慣れるまで時間がかかるし、最後まで慣れないものもある。 また、キーの色や手触りも意外に影響する。長時間文書を打つのが苦痛になれば、外付けキーボードを付けてみたりしたが、ノートパソコンの一体感を失ってしまい、結局はデスクトップパソコンでの作業に戻ってしまう。 パソコン筐体そのものがキーボード本体のようなものであるから、単純にパーツ単体の問題として片付けられない面もあろう。 そういう意味では、もし相性の良いノートパソコンに出会ったならば、アップグレードを諦めて永く使い続けることも一つの選択肢と言える。 我輩の場合、最初のノートパソコン「AT&T Globalyst 130R」がお気に入りである。 これはWindows 3.1の時代に購入したIntel486マシンで、仕様としては以下のとおり。 ・CPU Intel 486DX4 100MHz ・HDD 540MB ・メモリ 最大20MB ・液晶 D-STNパネル/640x480dot(256色) ・PCカードスロット カードバス非対応 このノートパソコンは、秋葉原ソフマップが発行するフリーペーパー「Sofmap WORLD」で見て気に入り、増設メモリを加えた計24万円を24回払いで購入した。1995年のことである。 NEC PC-98ユーザーの我輩が最初に購入したDOS/V機(PC/AT互換機)である。それほど、このノートパソコンにはインスピレーションを感じた。 現物も見ずに感じたこのようなインスピレーションは、Nikon F3と同様に、後にも先にもこれだけである。 (参考:雑文083「F3の第一印象」 ) <<画像ファイルあり>> 「Sofmap WORLD」の紙面(一部)。intel insideのロゴの下に「Pentium」と書かれているが、これは誤植。 矢印キーの位置が変則的な以外は、キーボードの感触は非常に良い。配色も上品に感じる。 筐体もしっかりとしており、安定感があってタイピングし易い。 トラックボールも装備されているが、ボールに重量感があり、なかなか具合が良い。後に購入したPanasonicの「Let's Note」のトラックボールと比べても断然違う。 Windows3.1インストールモデルであるが、後日Windows95アップグレード用のキットが送付された。メモリは仕様上20MBが上限なため、Windows95以上のOSは適さないだろう。 液晶ディスプレイはD-STNパネルのため視野角はかなり狭い。しかも640x480dot(VGA)である。しかしテキスト表示のみであれば問題無い。鮮やかさや緻密さとは無縁だが、それがかえって素朴でやさしい表示として感ずる。 何より、当時としてはそれほど問題になるようなものではなかった。 当時はグループ会社同士で研究会を行なっており、我輩もそのうちの一つの部会に参加していた。そして、研究発表のための最後のまとめ作業として某社の熱海保養所で合宿を行なった。皆、ノートパソコン持参である。その時に「Globalyst 130R」を持って行き、我輩の担当範囲の原稿を書いた。 またそれ以外にも、客先デモに使うこともあった。ノートパソコンが少なかったため、持ち運び可能なパソコンは用途が広かった。何しろ、それまではデスクトップパソコンを車で運んでいたのである。 (※現在は個人パソコンを業務に使うことは許されない。当時はまだ大らかな時代だった。) そういうわけで、使い易く想い出も深い「Globalyst 130R」であったが、それ故に消耗もあった。 画面閉じ固定用のツメが折れ、ニッケル水素バッテリーも完全にダメになった。またハードディスクもクラッシュした。そのまま放置していたところ、CMOS用の電池が液漏れを起こして緑色の結晶を噴いていた。 新しいノートパソコンも導入したため性能的にも見劣りするようになり、そのままとなった。 しかし、しばらくすると「Globalyst 130R」の使い易さや愛着が大きなものであることを知り、再度使うことを考えるようになった。しかしかなり消耗していたため、もっと使用頻度の少ない個体が無いかともう一台探すことにした。 確か1999年のことで、当時はまだネットオークションの存在を知らなかった。そのため「売ります買います掲示板」で募集をかけた。 AT&Tのパソコンはなかなか見かけないため返信は期待しなかったのだが、意外にも1通返信があり喜んだ。 持ち歩かないノートパソコンとして使っていたようで、外見はかなりキレイだった。3万円で売ってくれと頼むと、こんなもの3万円も出してくれるのかと驚いていた。 手に入れた2台目の「Globalyst 130R」であるが、最初は普通に動作していたがやはり古いパソコンゆえに最近になってCMOS用の電池が結晶を噴いた。また、液晶のバックライトも暗くなってきた。テキスト作業用とは言ってもこのような状態での使用は困難。 そこで、CMOS用電池とバックライトを交換することにした。 CMOS用電池の交換は、筐体の奥にあるため本体カバーを外して行った。 見ると電池はマザーボードにハンダ付けされている。ハンダこてを使って電池を外したが、マザーボード上に液漏れが及んでいた。拭き取ってはみたが、配線が腐食しているようだ。まあ、外部ディスプレイポート用の配線のようなので、問題は無かろう。 一方、バックライトの件だが、ウェブ情報によれば蛍光管が極端に消耗するとインバータまで寿命を縮めてしまうとのこと。この際、蛍光管も交換してしまうことにした。 まず、液晶の背面カバーを外してみたのだが、意外にすんなりと蛍光管ユニットが外せることが判った。 バックライトの交換について掲載しているウェブサイトによれば、機種によっては液晶部分をかなりバラして細い蛍光管を差し込むような作業になることもあるらしい。そういう意味では、今回はラッキーだった。 <<画像ファイルあり>> 背面カバーを外した状態。液晶パネルは金属箔に包まれている。 <<画像ファイルあり>> 液晶パネルからバックライト用蛍光管のユニットを引き出したところ。 <<画像ファイルあり>> 蛍光管の電極付近が黒くなっているのが確認出来る。 新しい蛍光管は、各種バックライト用蛍光管を扱っている店の中から五州貿易という店を選び、通販で購入した。価格は3,000円ほどだったが、送料があるため4,000円かかった。 「Globalyst 130R」の場合、蛍光管の長さを計ると218mm、径は2mmほど。同じサイズのものを選んだのだが、実際に物が届いてみると、長さはちょうど良かったが新しいもののほうが若干細かった。まあ、この長さの蛍光管は径2mmしか無かったため選択の余地は無かったわけだが。 蛍光管ユニットの蛍光管交換作業だが、細いガラス管のため慎重に行なう。ウェブ情報では、交換時に蛍光管を割ってしまったという話がよく出てくる。 何度かヒヤッとしたものの、何とか交換作業完了。 早速、液晶パネルに組み入れて電源を入れてみた。 <<画像ファイルあり>><<画像ファイルあり>> <蛍光管交換前> <蛍光管交換後> 上の写真は同じ露出量で撮影したものだが、思ったほどの違いが無いのが残念。期待が大きすぎたせいもあるだろう。よく見れば若干鮮やかに感ずる。何より「これからも末永く使える」という安心感は大きい。 また、ついでながらハードディスクを540MBのものから810MBのものへと交換した。 もっと容量の大きなものが欲しいのだが、パソコン側のBIOSが対応していないためそれ以上の容量は認識出来ない。現在そのような少容量ハードディスクはなかなか無いのだが、九州デジコムというサイトから通販で購入した。 価格は1,000円と安い。送料のほうが高いくらいだった。 これでUSBが使えれば文句無い。しかしPCカードのUSB増設アダプタはCARD BUSのものしか存在しないため、CARS BUS非対応のこのパソコンでは使えない。 まあ、文字打ち用途であるから、余計な増設をして動きが重くなっても困る。第一、USBサポート版のWindows95であっても、全てのUSB機器が使えるわけではないらしい。 不具合を治し、更にパソコンとしての増設上限まで性能を高めたのであるから、もう心置きなく愛用の道具として使うことが出来る。 Nikon F3と共に、時代を越えてこれからも我輩の傍に存在し続けることであろう。 <<画像ファイルあり>> 「AT&T Globalyst 130R」 ---------------------------------------------------- [594] 2007年01月19日(金) 「いくらなんでも」 デジタルカメラのコミュニティを見ると、「今日は2,000枚撮っちゃいました」とか「2,000枚なんて多くないですよ、私はストレージ買ったんで1日に3,500枚撮りました」などという書き込みを見ることがある。 冗談じゃない、いくらなんでも、2,000枚は多いぞ。 もちろん、他人のことに口出しするつもりは無い。本当に必要ならば、それくらい撮るのは不思議ではない。 我輩も、T課長のソフトボール大会の写真を撮る際、ジャストミートの瞬間を狙って秒間5コマで連写したものだ。そのため2時間で1,000枚もの大量撮影を行なった。 しかしデジタルカメラのコミュニティでは、それぞれが掲示板上で互いに競い合っているかのように見えてしまう。これは問題である。大量に撮るということが普通のことであるという風潮を蔓延させかねない。 「みんなと比べて自分が撮った1,000枚なんてそれほど多くないな」と。「頑張ってみんなに負けないように撮ろう」と。 ところが実際には、1,000枚というのは膨大な数である。これは相対させるべき数ではなく、絶対数量として捉えねばならぬ。なぜならば、撮影後にはこの1,000枚を1枚1枚見て取捨選択及びレタッチ&リサイズするという作業が待っているからだ。 明らかに、撮影時よりも後処理のほうが何倍も時間がかかる。これが1,000枚あるというのだ。 テキトウに流し見るのであれば、そもそも最初からそんなに撮る必要も無い。1,000枚撮るということは、1,000枚見るという前提で考えるべき。 人生の貴重な時間を、そんなことに費やしても良いのだろうか? 我輩はビデオを編集してDVD-Video化する作業をしているが、あの作業は一コマ一コマを見ているわけではなく、シーン単位で長さを調節したり順序を変えているだけである。もしあの作業に一コマ単位での取捨選択とレタッチ作業が加われば、永遠の命が必要になろう。まさか、銀河鉄道999に乗って機械の身体を手に入れ、永遠の命を授かるわけにもいくまい。 デジタルカメラでは、そのような無謀なことを平気でやろうとする者が多いから恐ろしい。 撮影後の苦労を知らないのか、あるいは、延々と画像をチェックすること自体が趣味なのか。ヘタすると、撮りっ放しにもなりかねない。まさに、「人生、ビデオをためるヒマはあっても、見るヒマなどなしっ!(漫画家島本和彦氏の名言)」の世界である。 探してみると、フリーソフトでは大量のデジタルカメラ画像を整理したり簡単に閲覧するツールが幾つかあるようだ。しかし、それでも画像をチェックする作業は人間でなければ無理。画的に良いのか悪いのか。結局は全てに目を通す必要がある。ピントや手ブレチェックにしても、等倍表示しなければチェックは出来ぬ。余程の失敗写真でない限り、サムネイルの状態で振り分けることは難しい。 1日に1,000枚2,000枚撮る者が海外旅行にでも行けば、それこそ簡単に1万枚を越えることだろう。これをどうやって見るつもりなんだ? 現在我輩は、毎日往復4時間かけて通勤している。 だからこそ、時間というのがとても貴重に思えてならない。金を出して買いたいくらいだ。 時間さえあればやりたいことはたくさんある・・・。 時間を無駄に浪費するような、そんな無茶な撮り方は、絶対にやめるべきだと我輩は思う。 1,000枚2,000枚撮る者、せめて、そんなことを掲示板で吹聴するな。 ---------------------------------------------------- [595] 2007年01月26日(金) 「最後の216枚」 ついに、コダクローム64(KR)/コダクローム64プロ(PKR)が国内販売が終了となってしまった。流通在庫が無くなった時点で手に入らなくなる。2月〜3月までにはその在庫も無くなるだろうとのこと。 また、国内での現像処理は今年の12月までとなり、その後はアメリカでの現像処理になってしまうらしい(つまり時間がかかる)。 1年くらい前にはコダクローム200(KL)が販売終了となっていたわけだが、この時は、我輩としては思い入れの無いフィルムだったため、それほど特別な感想は無かった。 しかし今回は、我輩の青春時代を共に過ごしたフィルムなだけに残念としか言いようが無い。 我輩が最初に使ったリバーサルフィルムはフジクローム100だったが、それは中学校文化祭のスライド上映での用途として資料を複写したものであった。それを除外することを許されるのであれば、我輩の実質的な最初のリバーサルフィルムはコダクローム64と言える。 コダクローム64を現像して厚紙マウント(※当時はスリーブ仕上げというものを知らなかったためマウント仕上げになった)に挟まれた濃厚な色の写真を初めて見た時、「これは・・・」と思った。 この感動は、それ以来一度も再現したことが無い。いくら努力しようが、いくら新しい被写体を見つけようが、いくら撮影枚数を重ねようが、所詮は無理だった。 やはり、最初の感動は永遠である。 我輩としては、最初の感動を与えてくれたものがコダクローム64だったことを幸運に思っている。 もしこれに出会うことが無いままデジタルカメラのほうを使うことになっていれば、きっと今ごろは「デジ画はフィルムのクオリティを超えたぜー!」とか「フィルム使ってる奴らは進化に取り残されたエテ公だ!」などとほざいていたに違いない。 そうなったら、このサイトも存在しなかったろう。 さてこのたび、最後のコダクローム64として6本を購入した。 枚数にして、216枚。 初めてコダクロームを使った時は、1枚1枚をジックリと撮った。 その後しばらくしてAFカメラで連写(つまり自動段階露出)が可能になると、途端に消費量が激増した。 そして今、最後の216枚。 この枚数は、デジタルカメラであればあっという間に撮ってしまいそうな量である。 しかしコダクロームは、デジタルカメラで撮る写真のように、いつ消えても構わないというような写真を撮るものではない。 以前、戦後日本をカラー写真で写した写真集を購入したが、これらは全てコダクロームで撮られていた。来日アメリカ人による撮影である。 それらの写真を見ると、非常に鮮やかな色彩のために、まるでつい最近撮られた写真のようにも見える。とても50年前(写真集刊行時から)の光景とは信じられぬ。信じられぬところを無理やり信ずると、その写真に写っている地面と我輩の立っている地面が繋がっているような気分になる。 (参考:雑文102「記録としてのカラー画像」) 時代を越えて色を伝えることが出来るのは、コダクローム以外には存在しない。 我輩にとって、最後の216枚。 それはまさに、我輩にとってのコダクロームのカウントダウン。 1枚1枚撮るたび、確実に近付いてゆく終わりの時。 最後の1枚になった時、何を撮ることになるのだろうか? 永遠の画像を手にするために、限りあるコマを撮り終わる時の気持ちとは・・・? それはいずれ、分かるだろう。 ※ 一方、エクタクロームなどの内式フィルムは、これからも問題無く販売されるであろう。内式フィルムを供給しているメーカーも数社あるばかりでなく、現像処理も特別なラボでなくとも一般的なE-6処理で可能なためである。アパートの一室でE-6処理をやっている業者もあるくらいだ。 ※ 例えフィルムが絶滅しようとも、これまで撮ってきた財産が失われるわけではない。最後の最後までフィルムを使うことが正しい選択と言える。 (参考:雑文568「兵糧責めへの備え」) (2007.04.26追記) 本日夜、ヨドバシカメラに寄ってみたところ、まだコダクローム64がかなり置いてあった。値段は1本756円。本当はE-100Gを買いに来たのだが、ゴールデンウィークも近いことから、思わず7本購入してしまった。 ---------------------------------------------------- [596] 2007年02月27日(火) 「甲府UFO事件」 1975年2月23日、甲府市の2人の小学生が、宇宙人に遭遇し肩を叩かれたという事件があった。 UFOに興味を持つ者にとって非常に有名な「甲府UFO事件」である。 この事件のことを初めて聞くと、内容が内容だけに小学生の戯言(たわごと)と斬り捨てたくなるのだが、現場の状況や大人の傍証などにより"少なくとも何かが起こった"と言わざるを得なくなる。そこが非常に悩ましい。 我輩としては半信半疑であるが、もしこれが本当のことだとしたら大変な事件と言うほか無い。 事件の概要を下記に記す。 <事件1> その日の午後6時半頃、甲府市立山城小学校に通う小学生K君とY君が、近所の団地の脇でローラースケートをして遊んでいたところ、上空にオレンジ色に輝く2つのUFOを目撃した。 UFOはどんどん近付き、2人の頭上を大きく一回りした。そして底部から筒状の望遠レンズのようなものを出して「カシャ、カシャ」と音を立てた。 2人は怖くなり近くの墓地に身を隠したが、2つのUFOのうち大きいほうは飛び去り、残りの1つはブドウ畑のほうへ降りて行くのが見えた。 2人は恐る恐る墓地を出てブドウ畑のほうへ行ってみると、そこには高さ1.5メートル、直径2.5メートルのアダムスキー型UFOが着陸していた。それはオレンジ色の光を発してはいたが、材質そのものは銀色をしていた。 2人は互いにUFOの前後に回って観察していたが、K君がいる側でUFOの壁面の一部が音を立てて開き地面に倒れた。そしてそこから1人の宇宙人が現れた。 顔は茶色で目鼻が見えなかった。口らしいところには3本の牙が出ていた。そして耳はウサギのように大きかった。またテープレコーダーを早回ししたような「キュルキュル」という声も発したという。 この宇宙人は右手に銃のようなものを持ってUFOから降り、K君に近付いて肩をポンポンと2回叩いた。あまりのショックでK君は腰を抜かしてへたり込んでしまった。 その時、UFOの反対側に回り込んで観察していたY君は、妙な音がするので戻ってみたところ、K君が倒れているのを見付けてビックリした。そして宇宙人が横を向いているすきにK君をおぶって逃げた。 その途中、振り返って見たところ、UFOの入り口から内部が見え、そこにもう1人の宇宙人が機械を操作している姿が見えた。しかしその宇宙人が気配を感じてこちらを見ようとしたため慌ててK君の家に逃げ帰った。 K君宅ではちょうどY君の母親も来ており、K君Y君のあまりの様子に2人の母親は外に出てブドウ畑を見てみた。するとそこには、オレンジ色に輝くUFOが回転しながら浮いていたのをハッキリと見えた。母親たちがもっと近くに行ってみようとすると、K君Y君は「UFOにさらわれてしまうから行っちゃだめだ!」と真剣な顔で止めるので行くのを断念した。 翌日、UFOが着陸したと思われる場所には、ブドウのつるを支えるコンクリート柱が一本折れ、もう一本は傷ついており針金の網が破れていた。そして地面には重いものを押し付けたような穴があり、またリヤカーのタイヤのような跡も二本残っていた。そのうえ、後日の調査では、その土にわずかながらも放射能があることが分かった。 またそればかりか、同じ時間にオレンジ色の飛行物体を見たという目撃証言が幾つか寄せられた。 <<画像ファイルあり>> <想像図> <事件2> この事件から数年後、新たな目撃事件が発覚した。 事件1と同時刻に、保険外交員の中年女性が宇宙人と思われる人物に遭遇したという。 その女性は集金のために車を走らせていたのだが、事件1の現場近くで2人の人影に気付いた。その顔は真っ黒に見えたため、最初は中学生が土人の仮装をしているのかと思った。 しかし車で近付きクラクションを鳴らしたがまったく反応が無い。そこで最徐行して近付くと、ようやくこちらに気付いた様子。だがその顔は人間のものではなく、顔全体に皺のある不気味なものだった。 「あっ」と思ったその時、人物は車のフロントガラスに手をつき、じっと車内を覗き込んだ。 女性は現実を受け入れられず集金を急ぐため脇をすり抜けてその場を離れた。 しばらく走ると前方から棒を持った人が数人走ってきて女性の車を停めた。女性が窓を開けると「UFOを見なかったか?」と聞かれたため「いいえ」と答えるとそのまま走って行ってしまった。 この女性は後日事件1の報道を知り家族に自分の体験を話したが、「そんなことを言ったら笑われるぞ」と言われ沈黙を守っていたが、数年後に別の人から「それは誰かに知らせたほうが良い」と言われテレビ局に手紙を送ったということだった。 <<画像ファイルあり>> <証言する目撃者> この事件は、「高知県介良(けら)市のミニUFO捕獲事件」とともに我輩の心に強く印象に残るものだった。 もしこの事件が2人の小学生によるデッチ上げだとすると、他に幾つもの目撃証言があることについての説明が出来ない。そのため、UFOによるものかどうかは別としても、少なくとも現場で何かが起こったと考えるほうが自然である。 あまりに非現実的な事件内容であるものの、それを完全に否定出来ないというジレンマ。 それゆえ、我輩の心に深く残っているのである。 我輩は今までこの甲府UFO事件に関する資料を出来る限り集めてきた。しかし資料には限りがあり、新たな情報はそれ以上には得られない。そして何よりも、文字や部分的な映像のみでは伝わらないところもあろう。 限られた資料を何度も読み、頭の中で事件を想像するのだが、現地の地理さえ知らぬ状態では想像の上塗りでしかない。 そこで、衛星写真を表示するサービス「Google Map」を使って仮想現地調査をすることにした。 しかしながらGoogle Mapは現在の様子しか見ることが出来ないため、新しい道路が出来てしまった今では事件当時の見取り図が合致せずUFO着陸現場がよく分からない。 その時思い出したのが、雑文539「あの時代のあの場所」でも用いた国土情報ウェブマッピングシステム(国土交通省)の航空写真であった。 そこには、事件が起こったちょうど1975年の航空写真が公開されていた。まさに、あの当時の現場を仮想的に調査出来るわけだ。 我輩は、その航空写真によって、UFO着陸地点と保険外交員による宇宙人目撃地点を推測することが出来た。 またそれと同時に、事件全体の位置関係を把握し、全体を俯瞰(ふかん)することにも繋がった。 上空から飛来したUFOの視点で見ると、上空からよく目立つ団地を目指して降りてきたのではないかと思わせた。そしてUFOは、その様子を目撃していた2人の小学生を気にしつつ、近くの適当な場所を見付けて着陸した・・・。 このような情景が頭に浮かんだ。 <<画像ファイルあり>> ●---小学生によるUFO・宇宙人遭遇地点<事件1> ★---保険外交員による宇宙人遭遇地点<事件2> それにしても、ここまで具体的な位置関係が分かったのであるから、いっそのこと実際に現地へ足を運び、周りの様子を写真に撮っておくというのはどうか。 事件から30年ほど経ってしまっており、今では大きな道路が現場を分断してしまった。 しかしだからと言ってこのまま放っておけば、更に地形は変わっていくことだろう。 撮るなら、思い立った今行くしかない。 現場は交通の便が悪く、最寄駅から歩いて行くには40分くらいかかるらしい。 バスもあるようだが、1時間に1本しか出ていないのがツライ。車で行くか。 (車を所有する以前は1時間に1本のバスなど何とも思わなかったが、車を運転するようになると、途端に面倒に思えてくるようになった。) 当日(2006年10月28日)、高速道路の渋滞に巻き込まれながらも何とか山梨入りした。 豚児とヘナチョコ妻も連れてきた関係上、途中で某アミューズメント施設へ寄ったため少し夕方になってしまったが、UFO目撃時刻も同じく夕刻であるから、当時の状況を辿るにはかえって都合が良かろう。 近くにはコンビニエンスストアがあり、そこの広い駐車場に車を停め、豚児とヘナチョコを連れて徒歩で現地へ向かった。 今回は調査撮影のため、証拠能力の低いデジタルカメラは使わず、大量枚数撮影用として「MINOLTA α-707si」、そして詳細写真撮影用として「New MAMIYA-6」を用いる。今回「BRONICA SQ-Ai」を使わなかったのは、調査地点が一般住宅地であるため、出来る限り目立たぬよう考慮したものである。豚児とヘナチョコが同行しているため、たとえカメラが目立っても家族写真を撮っているようにすれば良かろう。 「α-707si」のほうはマルチスポットカードを装着しているため露出計としても利用価値がある。 重要なポイントを3〜4点ほどスポット測光で拾ってメモリーし、それらの平均値を表示させる。そしてその値を「New MAMIYA-6」にセットして撮影するのである。この方法ならば、少なくとも重要ポイントの諧調は外さない。そのため段階露光の必要が無く、1シーン1カットで撮影を進めることが出来る。 2〜3分ほど歩くと、2人の小学生が最初にUFOを目撃した場所である団地が見えた。まさに、あの時のままの建物だった。 <<画像ファイルあり>> <小学生たちが最初にUFOを目撃した地点> また、小学生たちが隠れた近くの墓地に行ってみようと思ったが、鎖で入れないようになっており、遠くから撮影するしかなかった。 <<画像ファイルあり>> <近くの墓地> 以上の調査は、目撃者である小学生たちの視点に立ったものである。彼らの驚きと緊張を追体験してみたということになろうか。 当時の空を想像しながら、今の空を見上げた。 次に、小学生が宇宙人に肩を叩かれたというUFO着陸地点のぶどう畑(地図上の●印)にも行ってみた。 こちらの調査は、宇宙人の視点に立ったものである。宇宙人が、地上の何に興味を持ち地上に降り立ったのか。それを、現地で感ずることが出来ればと思う。 <<画像ファイルあり>> <UFO着陸地点近く> 現場は今でもぶどう畑であったが、大きな道路に分断され小さな畑になっていた。 我輩は位置関係などを自分の目で確かめながら、部分部分を「α-707si」で、全体写真を「New MAMIYA-6」で撮影していった。 そして最後に、保険外交員の女性が宇宙人と遭遇したという場所(地図上の★印)を探した。 しかし、現地を分断した新しい道路に惑わされてしまい、ピンポイントな場所を特定することが出来ない。陽も傾き、撮影時のシャッタースピードも遅くなってきた。 携帯GPS(参考:雑文442「GPS」)も持参していたのだが、間抜けなことに目撃地点をポイント登録していなかったため、結局分からなかった。不覚にも、地図さえ持ってくるのを忘れていた。 後日、フィルムを現像して地図と見比べてみたところ、★印地点は遠景に写っていた。住宅地によくあるような生活道路の小さな交差点である。 当時のUFO番組で観た光景とはかなり雰囲気が変わっているようだったが、それでもこの場所に近付いた価値はあったろう。 UFOの着陸場所から離れて異星の地を調査をするのであるから、余程の感心事があったのか。我輩は、その距離感を実際に確かめたかった。それが宇宙人たちの行動分析の材料になるかどうかは分からぬが、後々何か参考になることもあろうかと思う。たとえ参考にならなかったとしても、参考にならないことが判明したこともまた一つの成果であろう。 <<画像ファイルあり>> <現地調査の様子> 参考文献:「全国UFO目撃多発地帯(矢追純一著)」昭和53年7月10日発行(株)二見書房 ---------------------------------------------------- [597] 2007年04月02日(月) 「縦列駐車」 フォークリフトや大型トラックが行き交う工場敷地内の建物の1つ、それが、我輩の働く職場である。単刀直入に言うと、客先の工場内に間借りして事務所を構えているということだ。 社用車は、建物の周囲の道路脇に並べるよう白枠が引かれている。そしてその外側に歩道のラインがある。 出入り業者のトラックやバンなどが来ると、歩道をはさんだ隣に被せて駐車されることもある。他に停める場所が無いのだから仕方無いと言えば仕方無い。だがそうなると、車を出し入れするにも苦労する。 幸いにも、我輩の行動範囲は歩いて10分以内。自社の製作現場である分室、遠隔地へ配送するための郵便室、そして客先の分室。慣れない車を運転するくらいなら、歩いたほうが気が楽である。 ところが先日、いつも車を運転しているY主任殿に運転を頼まれてしまった。客先の分室へ打合せに行くためである。歩いて行ける距離だが、打合せ時間が迫っているため車で送ってくれとのこと。 慣れない車ではあったが無事主任殿を送り届け、事務所に戻ってきてみると、駐車スペースの横に業者のバンが被さって停まっていた。 「困ったな・・・。」 見ると、車一台が通れそうな隙間はあるようだ。そこからバックで入れるか・・・? <<画像ファイルあり>> <ここに入れたい> しかし、我輩はかつてペーパードライバー暦15年であった。まさにペーパードライバーのプロフェッショナルと言えよう。 そんな我輩が、このような状態の中で駐車スペースに停めることが出来るだろうか。 やったことのない場面であるから、どうなるか分からない。 中途半端に突っ込んで、にっちもさっちもいかなくなるのが目に見える。 しかもこの車は操作が非常に軽く、ちょっとアクセルペダルを踏んだだけで急発進するし、ステアリングも片手で楽に回せるくらいで全く感触が無い。運転席からはボンネットが見えず、後ろはハッチバックのため、我輩の車とは距離感が全く違うのだ。 しかしここで、我輩に勇気を与えてくれるものがあった。それは、動画共有サイト「YouTube」で目にしたビデオ映像である。 確か韓国からアップされたビデオだったと思うが、車の前後それぞれ15cmの余裕しかない駐車スペースに、何度も何度も切り返しして車を徐々に平行移動させ、スッポリと縦列駐車してしまうというものだった。 アクション映画などでは、アクロバティックな運転テクニックで、猛烈なスピードで走ってきてスライディングしながら狭い場所に一瞬で縦列駐車するものもあるが、「入るには良いが、出る時にはどうするんだ?」と素朴な疑問が漂う。 それに比べると、韓国のビデオのほうは極めて地味であるが、「根気強く何度も小さな操作をすれば、必ず車を平行移動させることが出来る」と我輩に思わせた。コンマ数秒の絶妙なタイミングによるダイナミックな操作ではなく、落ち着いてキッチリと確実に手順を踏めば、結果的に物凄いことが出来る・・・と。 まあ、前後に停まっているのは同じく社用車であるから、少しくらいコツンとやっても大丈夫だろう。念のために、どれくらい前後ギリギリに寄せられるかというのを、何度も車から降りて確認した。 そして本番。 ゆっくりとバックして隙間にケツを入れる。アクセルペダルが非常に軽いので、車の動きに注意しながら、細心の注意を以って足を微妙に動かす。 我輩の車であれば、確実にぶつかっている距離。この車ならばもっと下がれるはず。ステアリングを切りたいのを我慢しながら、隙間に目一杯もぐり込み、そこでステアリングを切った。とりあえずは平行にはなったが・・・。 見ると、右側の歩道を思い切り踏んでいた。このままでは管理者に注意を受けてしまう。 <<画像ファイルあり>> <一連の動き> 今、我輩が直面している状態は、いつもであればかなり深刻であったろう。ここまで前後に狭い状態は今まで経験したことが無い。ここから更に左に寄せるというのは不可能としか思えない。 ここで、「YouTube」で見たビデオの出番である。 あのビデオでは、我輩の場合よりもはるかに狭い場面でありながら確実に左寄せしていた。不可能ではないということを示してくれたのだ。 我輩は、ビデオのように何度も何度も切り返し、前後に小刻みに動かしながら左寄せをした。それはまさに、我輩にとっては"そのまんま平行移動"である。 10回は前後移動したろうか、見ると、もう歩道は踏んでおらず、余裕で駐車スペースの枠内に収まっていた。 我輩は車を降り、改めて全体を見渡した。 「しかしまあ・・・、よくこんな所に入れたもんだな・・・。」 我輩は、ビデオの韓国人ドライバーに感謝した。彼が車の轍(わだち)を示してくれたお陰で、我輩も迷うこと無くその轍を踏むことが出来たのだ。もしその轍が無ければ、きっと我輩は、途中で身動きが取れなくなることを恐れて挑戦出来なかったに違いない。 − − − − − − カメラ・写真の分野でも、やはり先人による轍があるかどうかは重要である。 自分が実現させたい事柄が、果たして実現の範囲内にあるのかどうか。一般人はそれをまず考える。そうでなければ、努力しようと思う力も湧いてこない。 どんなに時間をかけても、どんなに費用をかけても、どんなに集中力を高めても、結局は不可能なことで無駄な努力に終わるかも知れない。 発明王エジソンも「天才とは、1パーセントの霊感と99パーセントの汗である(Genius is 1 percent inspiration and 99 percent perspiration)」と言っている(参考:雑文456)。 無駄な努力を恐れずに邁進出来るのが天才なのだ。 一方、我輩のような人間は、先人の残した成功事例という轍が無ければ、努力はなかなか出来ない。 例えば「自作魚眼カメラ(参考:雑文371)」などは良い例である。 自作のアイディアはもちろん、大体の費用や努力の具合など、事前に参考になる事例を目にして初めて我輩の情熱に火が着いた。 何しろ、このような自作というのは材料費に金がかかる。しかも加工した後に不可能が判明しても、後戻り出来ない(例えば、対角線魚眼レンズのフードを切断したり、接写リングを破壊して部品を取ったり、他に使う機会の無い工具を購入したりした)。 自作中に多少の困難に直面しても、先人の成功事例を知っているのだから、少なくとも不可能だとは思わない。だから、努力を持続することが出来るのである。 また他にも、「Canon AE-1Pのシャッター鳴き修理(参考:雑文174)」にしても、一般人が分解して調整したという話は知っていた。ただ、具体的な方法が見付からずに苦労したわけだが、Web上での成功事例の存在が、我輩の努力を支えたと言えよう。 「蔵王のお釜撮影(参考:雑文445)」にしても、湖水の水際まで降りたという幾つかの成功事例を知って、我輩も降りてみようと努力した。具体的なルートや難易度は分からなかったものの、水際まで降りたという事実は変わらないのだ。もしもそんな情報が無かったならば、そんな大胆なことをしたとは思えぬ。 大胆と言えば、「声掛け街頭写真(参考:雑文173)」もそうか。 声掛け写真という概念すら無かった我輩だったが、やはりWeb上でその撮影スタイルを知り、そして何人も声を掛けていけば誰かが応じてくれると知った。 もしそれを知らなければ、仮に声掛け写真を始めたとしても、数人声を掛けただけで「やはり無理だ」と早々に諦めていただろう。 恐らく他にも、自分の気付かない事例にて、先人たちの轍の存在に勇気付けられていることだろう。 誰かが通った跡があれば、いつか目的地に着くはず。だからこそ、どんなに長い道であろうとも、歩いてゆくことが出来るのだ。 ---------------------------------------------------- [598] 2007年04月09日(月) 「双方のメンツ」 「もうテメエの頼んだ仕事なんかやんねーぞ!」 これは、職人的な技を持っているWさんの怒鳴り声である。 我輩の職場は製作現場が近くにあり、印刷に関する様々な機械が設置されている。 だがそういった機械装置を操作するためにはそれなりの知識と技量が必要とされる。同じ機械であっても、扱う人間が異なれば製品の出来もまた異なる。 Wさんは、製作現場の長老的な存在であり、優れたオペレータでもある。 以前にも書いたが、品川の営業所の一部が川崎の営業所に統合されたことにより、我輩は去年の10月より川崎で勤務している。そして川崎の現場で出会ったのがWさんであった。 「Wさん、機嫌が悪いと大変だからなぁ。今日は仕事受けてくれっかなぁ・・・。」 いつも怒鳴られているらしい営業の後輩Kがつぶやく。 後輩Kは入社時に我輩と同じ職場にいたが、すぐに川崎に転勤になり、川崎勤務は10年近い。 「怒鳴るのは、機嫌の問題なのか?」 「もうそれしか考えられないんすよ。なんで怒鳴られるのか、サッパリ分かんないんすよ。」 「それって、お前だけ?」 「いや、営業はみんな怒鳴られてます。」 我輩も8割がた営業の業務であるため、そのうちWさんに仕事を頼むことになるかも知れぬ。 我輩も血の気の多さは負けていないため、もし理不尽なことで怒鳴られたりすればこちらもキレてやろうかと思う。 そうこうしているうち、Wさんに頼むべき作業が本当に入ってきてしまった。 最初は頭を抱えてしまったが、こちらに非が無ければ何をビクビクすることがあろうかと腹を決めた。ケンカするのがイヤだと思うから相手が恐いのだ。初めからケンカする気で行けば何も恐くない。 とりあえず、最初は低姿勢で行く。 まだ作業依頼の手続きが慣れていないため、もしかしたら手際の悪さで怒鳴られる可能性がある。とにかく、Wさんに分かり易く説明することで手続きの不慣れをカバーするしかない。 ところがWさんは、終始笑顔で丁寧に対応してくれた。 後日出来上がった品物を受け取りに行った時も、梱包について細かくアドバイスしてくれた。 完全に、拍子抜けだった。 「なんだ、いいオジさんって感じじゃないか。」 我輩は、何がそんなにWさんを怒鳴らせるのかが、全く分からなかった。 しかし先日、その理由を感じさせるような出来事が起きた・・・。 − − − − − − 「我輩さん、二週間後の職員総会の時に集合写真を撮ってくれませんか。」 総会幹事の一人であるH君が我輩に話しかけてきた。 雑文589「政治的意図」でも書いたが、恐らく社内旅行で撮った集合写真の実績を買われたのであろう。 H君はこの4月からの新年度で幹事になったばかり。最初のうちは何かと大変だと想像する。社内旅行での雑文には「写真係は絶対にやらない」と締めくくったものの、我輩の技術が必要とされているのであれば出来るだけ協力しようと思い、引き受けることにした。 集合写真となれば、色々と考えねばならないことがある。 例えば、撮影場所や人数によって撮影距離が変わるため、ストロボの発光量もそれに応じて調整せねばならない。光量が足りなければ、ストロボを追加することも必要。会場の天井が白色であれば、バウンス撮影も考えよう。 カメラは1,000万画素のデジタル一眼レフカメラ「Nikon D200」でも十分だが、敢えて中判カメラを使うことによって"ただ者ではない雰囲気"を演出しようと思う。レンズ沈胴式の「New MAMIYA-6」ならば通勤カバンにも入ろう。 集合写真で必要となる撮影条件についてはH君に訊けば良いのだが、こちらからあまり熱心に動いても「写真係を頼まれて嬉しかったのか」と思われるのもイヤであるから、少し様子を見ていた。そして職員総会の数日前になってH君に「そういえば集合写真の件・・・」などとさりげなく声をかけてみた。 するとH君は、「ああそうそう、集合写真は中止になったんですよ。」と言うではないか。 「例年だと会場の階段をひな壇代わりにして撮るんですけど、今回は品川からの移転組みがいるので人数が多くなって無理だということになったんです。」 「・・・。」 「その代わり、スナップ写真を撮ることに決まりました。」 「・・・いやでも集合写真はあったほうがいいと思うが。」 「もう幹事会で決まったんで。多数決で決まったんです。」 「・・・しかしなあ。」 「まあ、適当に撮ればいいですよ。」 なぜそういう重要なことを、我輩が訊くまで言わんのだ。今さら、スナップ写真だと言われてもな・・・。 もしスナップ写真ならば、我輩の技術や機材云々の話ではなく、誰でも良い話ではないか。「適当に撮ればいい」というのであれば、それこそ幹事が進行の合間を見て撮れば済むこと。我輩はまるで、タダで利用出来る便利屋扱いである。「写真好きだから喜んでやるだろ」とでも考えているのか。 いやそれよりも、実際に撮影する我輩を無視して幹事会で勝手に決め、その内容を一方的に指示してくるというのは筋が通っていない。我輩のいないところで勝手に変更するならば、自分たちで勝手に撮れと言いたい。 しかし職場の人間に対して、思ったことをそのままブチまけるわけにもいかぬ。それが現実社会である。 待てよ、職人Wさんだったらこういう時に遠慮無く怒鳴るのではないか? 頼むほうにしてみれば何でもないことだが、頼まれるほうはメンツを潰されているわけだからな。 もし、このシチュエーションが同じだとしたら、Wさんの怒鳴る気持ちは解る。 職人というのは、こだわりがあるからこそ職人。勝手に話が変わったうえに「適当にやっとけばいいですよ」などと言われれば、「だったらテメエがやれよ」となるのは当たり前。 それにしても、H君は川崎に来てから知り合ったが、結構融通が利かないな。真面目過ぎるのか・・・? 別の人間の反応を見るため、前年度の幹事であった後輩Kに話をしてみた。 「総会の集合写真、無くなったって聞いたけど?」 「そうなんすよ。でも集合写真あったほうがいいっすよね。」 「おお、やっぱそう思うか。」 「でも今回、人数が多いから難しいですよね。」 「まあ、それはオレが考える問題だから。で、もし撮れたら撮ってもいいと思うか?」 「いいんじゃないすか。撮りましょうよ。」 よーし、こうなったら、我輩の独断で集合写真を強行するか。職員総会の後半は懇親会であるから、その締めの直後で声をあげてみよう。それであれば、進行を妨げるのも最小限で済む。 ただし、幹事のメンツを潰す危険性は大きい。何とかギリギリまで調整を計りながら、可能な範囲内で我輩のワガママを押し通したい。そのためにも、依頼されたスナップ写真は全力で撮るつもりである。義務を完全に果たせば、こちらの要求は通り易くなろう。 さて別の問題として、撮影人数と会場の問題である。 聞くところによれば、パートも含めて60人は出席するとのこと。 「60人・・・、前回の社内旅行では35人くらいだったが、二倍近くか・・・。」 この人数になると、前列の者がしゃがんだ程度では、人が多過ぎて後ろの顔が隠れて写せまい。ひな壇での撮影が理想的だが、階段を使っても全員が並ばない。 「くそ、集合写真を撮ろうと目論んだものの、結局は幹事会の決定と同じ結論に落ち着くことになるのか?」 何か良い方法は無いものか。 2回に分けて撮ることも考えたが、集合写真の価値が大きく損なわれる。せっかく思い切ったことをやろうとしているのに、結果がこれでは強行する意味が無い。 とにかく、思い付くキーワードでインターネット上で検索してみた。何かヒントが欲しかった。 すると、脚立を使って集合写真を撮ったというブログが目に付いた。 脚立か・・・。 「なるほど、脚立に上って見下ろせば、同一平面上に多人数が集まっても顔隠れは軽減されるな。」 我輩の中で、作戦は固まった。後は当日を待つのみ。 総会当日。 勤務時間中に幹事のH君からメールが届いた。見ると、職員全員に送ったものだった。 「本日の集合写真の撮影は中止となりました。代わりに、我輩社員によるスナップ撮影が行われます。」 むむ・・・くそ、我輩の策略に対して先手を打ってきたか? 考え過ぎだとは思うが、もしこれがH君の対抗策であるならば、侮れぬ相手と言える。 我輩はH君に気付かれぬよう総務課から脚立を借り、会場に持ち込む用意をした。アルミ製の軽いものであるから、最悪の場合でも抱えて持って行く。 しかし幸運なことに、総会に必要な小道具に紛れ込ませて車に積み込むことに成功した。 それでも、荷物を降ろす時には脚立がH君の目に触れるのは避けられず、「なぜに脚立・・・?」という表情をしていたため、思い切ってH君に打ち明けた。 「あのさ、最後に集合写真撮ってもいいよな。あくまで個人的に。」 「え・・・。」 H君の反応は曖昧だったが、とりあえず告知は出来た。 会場に入ると、後輩Kに撮影の計画を話した。 「いいんじゃないっすかね。製作のみんなも、いつもは作業着なのに今日はドレスアップして来てるし。撮ったほうがいいっすよ。」 さて、総会とそれに続く立食形式の懇親会。我輩はデジタルカメラ「RICOH GR-Digital」に「National製大光量ストロボ」を装着し、酒も飲まずにひたすらスナップ写真を撮りまくった。会場の天井が白いこともあり、バウンス発光による撮影である。このストロボにはサブ発光部があるため、バウンス撮影にしては顔の表情も明るく照らせるのが良い。 会計報告、新旧幹事の交代の挨拶、お偉方の挨拶と乾杯。そんな中で我輩は前や後ろに回り込んだり、腕を伸ばしてハイアングルで撮ったりと様々なアングルを捉えた。並の職員では気後れするシーンでも、積極的に前に出た。手を抜かずに全力で撮影する我輩の意気込み。これが、我輩なりの筋の通し方である。 幹事の一人が近付いて我輩のカメラを覗き込んだ。我輩と同じくらいの歳だろうか、まだ名前も覚えていない人間である(仮に"カメラ好き氏"と呼ぶことにする)。 「いやー、ボクも一眼レフ持ってくれば良かったかなー。」などと笑っている。 何を今さら。だったら最初からテメエが撮れよと思ったが、ただ単に「オレ、一眼レフ持ってんだぜ」ということを言いたかっただけのようだ。まあ一眼レフとは言っても、恐らく「EOS Kissデジタル」程度であろう。安心しろ、我輩も一眼レフは持っているが、敢えて持って来なかっただけだ。 確かに、スナップ写真にはレスポンスの良い一眼レフは有用である(あくまでデジタルカメラ前提の話)。 しかし、広い室内でのバウンス撮影となれば、大光量ストロボを使ったフル発光は必要となる。そうなるとストロボチャージ時間で待たされるため、いくら速写可能な一眼レフであろうと意味が無い。 ならば、小型ボディかつクリップオンストロボ装着可能な「GR-Digital」が良い。カバンの空いたスペースに、肝心の「New MAMIYA-6」が入ることになる。 スナップ撮影では、会の進行を撮影したり、談笑している自然な表情を撮影することはもちろんだが、各テーブルを回って「ハイ、チーズ!」で撮影したりもする。その際、「中止とは言ってますけど、後で集合写真撮りますんでヨロシク。」と根回しはしておいた。ただし、談笑に忙しい連中は多いため、全員に根回しするのはさすがに不可能ではあった。 さて懇親会が終わり、最後に一本締めである。 我輩はいつでも集合写真に移行出来るよう、「New MAMIYA-6」をスタンバイさせている。しかし最後の最後まで空気を読んでいた。特に、幹事のうち進行役の2人(H君とカメラ好き氏)には注意し、「全てが終了した」という安堵感の隙を突く。 我輩は、一本締めの直後にサッと2人の間に割って入った。 「今これから、集合写真撮るけど、いいかな?」 カメラ好き氏がすぐに反応した。 「えーっ、そんな話なら、一眼レフ持ってきたのに。」 一方、H君はちょっと驚いている。しかし何も言わない。 「個人的に撮るだけだから。」 我輩はそう言って会場内に向き直り、「集合写真を撮りますよー!」と叫んだ。一部に「えーっ」という声が聞こえてきた。なんだ?この「えーっ」というのは。やはり根回しが足りなかったか。そもそも、最初から空気を読み違えていたのか? それでも、今さら後へは引けぬ。会場の前に移動してもらうよう誘導していたが、酔っぱらいばかりのせいか動きが遅い。そうこうしているうち、H君がサッと近付いた。 「どうしても撮りたいですか?」 そして、H君はマイクを使って皆にアナウンスした。 「我輩さんが集合写真を撮りたいそうなので、前のほうに移動して下さい。」 ようやく、皆が前に集まり始めた。 我輩は脚立をセットし、その上からファインダーを覗く。やはり人が多く、両脇がハミ出す。なるべく見下ろし角度を大きくとりたいため、出来れば後ろに下がりたくない。酔っぱらい相手に苦戦しながらも、ようやく一定の枠内に人を押し込めることに成功した。 まずはデジタルカメラを使ってテスト撮影。 適正露出を確認した後、続いて同条件で中判撮影を2枚行った。 「お疲れさまでしたー。」 誰ともなく、声があがった。我輩もほぼ同時に同じ言葉を言った。 脚立から降りる我輩に、U副所長殿(雑文282で登場した営業課長)が我輩の肩を叩いた。 「ちゃんと撮れてっかぁー?」 次に、印刷営業のヤリ手が声をかけてきた。 「こんな大人数相手にすんの、やっぱ大変っしょ。しかも酔っぱらいだし。」 製作のオジさんも近付いてきた。 「おい、お前さんは写真に入らなくてもいいのか?」 声をかけてきた者は、誰も集合写真に否定的な言葉ではなかった。それだけが救いだった。 もちろん、不満のある者は口をつぐんでいるのであろうが、それでも全員が否定的でないと判っただけでも、良かったと思う。そうでなければ、撮影後も「我輩のやったことは間違っていたのではないか?」という気持ちが心の片隅に残ったことだろう。 最後に我輩は、2人の幹事のもとに行った。 「すまんかったね、でも集合写真の依頼が来た時にフィルム買ってしまったから、撮るしかなくてさ。」 もちろん、これは完全に言い訳である。フィルムなど自宅に100本もある。今回はそのうち1本持ってきたに過ぎぬ。それでも、何とか幹事のメンツを潰さぬような言葉を考えたつもりだった。 H君の肩に手を置いたが、H君は黙って頷くだけだった。 カメラ好き氏のほうは、「フィルム?!」と驚いていたが、それ以上何か言うわけでも無かった。 我輩は脚立を片付け、カメラをカバンにしまって会場の外に出た。 桜の花びらが暗い空に舞っていた。そこで、やっとホッと一息ついた。 すると、同じく会場から出てきた1人の製作現場のおばさんが近付いてきた。 「集合写真、どうもありがとうございました。」 我輩は、深々とお辞儀されて少し戸惑ったが、こちらもお辞儀をして応えた。 我輩は、お礼を言われるためにやったのではない。しかし、お礼を言われると、それまでの苦労が消えるような気がする。恐らく、努力や苦労を理解してもらえたと実感するからであろう。 多くの者は、集合写真を撮ることなど何の苦労も無いと思っているものだ。それが普通の感覚だろう。だが、さすがに全員がそういう状態であれば、努力することがいつか空しくなり、職人Wさんのように怒鳴る人は怒鳴るのだろう。 我輩の場合、理解者が幾人かいてくれて良かった。たった一人であっても、理解してくれる者がいれば努力の甲斐があるのである。 さて結局、スナップ写真の撮影枚数は100枚を越えた。フル発光のストロボ撮影にしては、かなりの枚数と言える。よく電池が保ってくれた。 一方、集合写真については、中判写真の現像はまだ出していないが、デジタルカメラのほうのテスト撮影では、皆の表情がよく写っていた。ふと見ると、集合写真に抵抗していた幹事のH君が、笑顔で写っていた。 しかも、大きくポーズを取って楽しそうに写っていた。 (2007.04.24追記) 集合写真は、撮影技術的には失敗無くキレイに写っていた。 それでも、顔が隠れたり目つぶりしていた者がいたのだが、念のために2枚撮影していたおかげで、良いところだけを合成して1枚の写真に仕上げることが出来た。 ところで、前回撮影した社内旅行の集合写真の時は、"希望者への販売"という形をとったため、焼増し注文率が約7割程度にとどまってしまった。こういう結果が出ることは、撮影した我輩としては撮り甲斐を無くす。 そこで今回は、完全に全員配布する目的で、キャビネ判焼増し費用(計2,200円ほど)は我輩の自腹とした。精神的な損失に比べれば、多少の費用の負担はやむなし。 ---------------------------------------------------- [599] 2007年04月18日(水) 「デジタルカメラを進化させろ」 雑文516「携帯電話のカメラを進化させろ」では、携帯電話の内蔵カメラが単なるカメラでしかないことを揶揄した。現段階でも、QRコード(2次元コード)を読み取る程度。単なるスキャナ代わりとは情けない。 そんな中で、意外にも自動車用バックカメラの分野で進化があった。 三洋電機の「車載用リアビューカメラシステム(http://www.sanyo.co.jp/koho/hypertext4/0703news-j/0326-1.html)」である。 広角レンズの円形歪みを補正するばかりか、「見おろしモード」によって、上から見たかのように画像処理するという。 説明ページの写真を見ると、横から見た自転車が上から見たように角度が変わっており、見えない部分まで見えていることに驚くが、"写真はイメージです"と但し書きしてあることから、そこまで大それた画像処理をするのではなかろう。何しろリアルタイムの動画であるから、高度なデジタル処理(角度的に見えない部分を映像補完するなど)では映像出力が追いつくまい。恐らく、単純な変形処理を通しているだけだろう。 しかしそれにしても、デジタル画像の特性を上手く活かして人間に解り易い出力をするというのは、非常に素晴らしい発想。これこそ、映像情報をデジタルで取り扱うことの意味があると言えよう。 「そんな画像、レタッチで簡単に加工出来る」という意見もあろうが、車のバックカメラに組み合わせたリアルタイム動画という商品構成が活きているのだ。 それに比べて、デジタルと名のつくデジタルスチルカメラ(デジカメ)だが、ただ単に画像をデジタル化しただけで終わっているのが残念。 中には「人間の顔を認識して顔の描写を明るくする」という機能を持ったデジタルカメラも存在するが、現段階ではその程度で精一杯なのか?(いや、そうではなかろう=>反語) 例えば、航空写真で実用化されている技術だが、連続して流し撮りした景色をそのまま細長い1枚の画像することが出来ると面白い。スリットカメラみたいなものだが、デジタルの特性を活かして、動いている物体の変形を補正出来ると尚良い。 今時のパソコンはメモリも512MB以上の搭載も珍しくないため、例えば20,000x480dotなどという超横長画像の取扱いも特に不可能ということはない。 またあるいは、カメラの上下左右あらゆる方向にカメラを振り、写る範囲を広げるような撮影も出来れば面白い。 <<画像ファイルあり>> このようなサイズが撮れるデジタルカメラがあったとする・・・ <<画像ファイルあり>> カメラを振ると撮影画面が広がる これならばカメラ側の画素数が少なくとも大写真が撮れるし、使い方次第では表現力がかなり広がるだろう。アーティスティックな表現も出来そうに思う。そういう工夫はユーザーに任せればいい。 こういう話になると「ニーズがあるかどうか」という話が出るかも知れないが、新しい分野の企画というのはニーズがあるかどうかという判断は出来ない。あくまで、作り手からの提案として行わねばならぬ。プリクラなどが良い例であろう。あれは「顔写真をシールにして欲しい」などというニーズがあったから作られたものではない。作り手の新しい提案が受け入れられたからヒットしたのである。そしてその新しいツールを使い、ユーザーは新しい文化を作っていく。 そもそも、これらは我輩の思い付きの一例であり、話の主旨としては「こういう機能を作れ」と言っているのではない。ましてや、これらを取り上げて実現性や有用性を議論しようというのではない。 我輩はあくまで、銀塩写真の延長上の発想でしかカメラを作れないメーカーに対して情けなく思っている。そういうことを言いたい。 ところで、ある調査によれば、携帯電話でインターネットを閲覧する層がパソコンを使って閲覧する層を上回ったとか。 この調査が現状を正しく反映しているかは分からないが、一般傾向としてパソコンを持たずに携帯電話しか持たないという人間は意外に多いようだ。そして、今後携帯電話のスペックが向上することにより、その傾向は更に強くなることだろう。 そうなれば、一般人がわざわざ画像を取り扱うためだけにパソコンを買うということも考えにくいため、パソコンの普及率が下がってくる可能性は高い。 (※写真を趣味としている者にはパソコンの無い生活など信じられぬだろうが、写真を趣味としない一般人にはパソコンなどWeb閲覧に使う道具に過ぎない。) そういう時代に、デジタルカメラがどこまで生き残れるか。 パソコンを持たず、そして、カメラ付き携帯電話がある。そういう環境で、わざわざデジタルカメラを使おうと思う者がどれだけいるだろう。 デジタルカメラがよほど魅力的な機能を備えていなければ、今はまだ良くとも今後行き詰まるのではないかと他人事ながら心配する。 ---------------------------------------------------- [600] 2007年05月13日(日) 「ゴールデンウィーク独り旅」 ------------- <注意事項> ------------- 旅の記録は、我輩自身にとって参考になる。今回の旅も、以前の旅の記録を読んで参考にしたほど。そのため今回の記録も、取るに足らぬことまで余さず書き留めることにした。そのせいで文章が非常に長くなっているので注意。 ------------- <旅のきっかけ> ------------- 日常追われて、ふと気付くと、ゴールデンウィークまであと1週間と迫っていた。 特に何処かに行ったり何かするという予定は無かったが、そういう状態のまま連休に突入すると、無為なまま終わってしまうのは明らかである。 そこで我輩は、独りで九州に帰省することを考えた。 いつもならば盆休みに家族3人で帰っていたわけだが、そういう時は我輩単独の行動が出来ないため、実家周辺写真を撮って回ることが難しい。なぜならば、観光地でもない土地で我輩以外の者には何の思い入れの無い場所を地道に回ろうというのだから、家族を引き連れて行くようなことではない。 もしこれを単独で回れるのであれば、心おきなく気の済むまで撮影することが出来るだろう。今回のゴールデンウィークは、そのチャンスである。真夏のような暑さも無いため、体力消耗も抑えられよう。 そのためにはまず、休暇取得が必要であった。というのも、今年のゴールデンウィークは真ん中で分断されているため、5月1日と2日で休暇が取れれば9連休となり、帰省日程にも余裕が出来る。 幸運なことに、職場の一斉休暇取得日(強制有給休暇取得日)が5月1日であったため、翌5月2日だけ都合付ければ良かった。 次に、帰省の方法についてだが、撮影して回ることを考えると、車が必要と思われた。 昔は気楽に自転車で回ったものだが、今回は滅多に無い機会を最大限活用するためにも、手早く移動出来る車でなければならぬ。 しかしながら、フェリーを使うと金がかかるうえ、予約は2ヶ月前に埋まっているはず。キャンセル待ちで行けたとしても、事前に予定を立てるには不確定要素は盛り込みたくない。 そうなると、新幹線で移動して現地でレンタカーを使うのが良かろう。ペーパードライバーの頃は車の運転など思い付きもしなかったが、今は車を所有しているため、運転についての不安は以前に比べて小さくなったのだ。 そこで、ふと、思った。 「どうせ独りで帰るのならば、途中寄り道して島根県松江市の母校を訪れるのも良いかもな。」 レンタカーを使うのであれば、都市間の移動は列車で済む。 島根県松江市へは、3年前くらいに出張で行ったものの(参考:雑文457「出張」)、昼間は業務のため市内巡りは出来なかった。しかも、母校周辺は同級生だったヤスと15年くらい前に車で訪れたきり。 そういうわけで、今回は島根県にも行くことにした。 ------------- <事前準備> ------------- 事前準備として、まず「新幹線指定席の手配」、「レンタカーの予約」、「松江市の宿の予約」が必要となる。 新幹線については、独り旅であるから、始発の東京駅であれば並んで待つことで自由席でも必ず座れる。しかし今回は、撮影が主目的ということで機材が重くなることを考え、出来るだけ苦労無く座れるよう指定席を取ることにした。それに今回は山陰への寄り道があるため、岡山駅で乗り降りが発生する。そうなると新幹線の場合、東京乗車では自由席で座れたとしても、岡山乗車では指定券無しでは座れまい。 また当初は、九州に帰る途中で寄り道をすることを考えていたが、まだ元気があるうちに一気に九州までの長距離を移動し、帰りに立ち寄るということにした。こうすれば、最終日の新幹線は岡山から東京までの区間で済む。もちろん、岡山〜松江の区間もあるのだが、こちらはいつも空いている(恐らく自由席でも2席分は確保出来る)ため疲労は少ない。 ちなみに学生時代は、松江〜小倉間は金の節約のため新幹線を使わず山陰本線の「特急いそかぜ」に乗って7時間ほどかけて行き来したものだが、残念なことに「特急いそかぜ」は数年前に廃止されたらしい。 本当は、時間がかかったとしても、日本海の海岸線を眺めながらのんびりと山陰本線で行きたかったのだが。 指定券は、今ではインターネットで予約出来るため便利。 パソコン画面上でリアルタイムに席の空き状況を見ながら"禁煙席の通路側"などという細かい指定が出来るうえ、JRの窓口営業時間外でも予約が取れるのが有り難い。 切符は後日、都合の良い時に、みどりの窓口で受け取れる。 またレンタカーも、同様にインターネットで予約が出来るが、こちらはリアルタイムな空車状況は見ることが出来ない。インターネット上の空車状況はあくまで目安で表示されているだけであり、申し込み後に担当者がメールを返信して初めて予約が完了する。 そのため、松江市のほうでは、駅レンタカーにて満車案内が来てキャンセル扱いとなり、ニッポンレンタカーのほうで改めて予約を行った。 今回、予約したのは軽自動車である。特に道路幅の狭い松江市では、軽自動車のほうが取り回しが楽であろう。もちろん、費用的な理由もある。 宿の予約もインターネットで行った。 探してみると、一泊2,100円という格安ホテルがあった。今回、ここに2泊することにした。バス・トイレ共用であったが、この値段では仕方無い。どのみち風呂は、近くの松江温泉にある「しまね社会保険センター」の展望温泉浴場に行くつもりである。ここは、学生時代に友人Yとよく行った。 さて、撮影機材の選定であるが、当初は一眼レフの「BRONICA SQ-Ai」を考えていたが、35mmカメラも加えるとかなり大掛かりになってしまったため、中判はレンジファインダーの「New MAMIYA-6」とした。ただし、交換レンズはフルセット持って行く。 フィルムは途中で使い切ると現地調達は不可能なため(参考:雑文362「長期休暇撮影3(万博公園撮影日記)」)、120フィルムは30本、135フィルムはコダクロームを含めて15本用意した(つもりだった)。 デジタルカメラは、いつもの露出計用途として「RICOH GR-D」を胸ポケットに突っ込んだ。 VAIOのミニパソコンも荷物に入れた。デジタルカメラのデータをコピーする目的のほか、パソコンの地図上に撮影予定ポイントをマークしてある。 これらの荷物はバッグ2つ分にもなった。しかも、ゴールデンウィーク中盤で雨が降るとのことで、折りたたみ傘を入れたため、余計な重量が増えてしまった。 車での移動とは言え、レンタカーであるから自宅から駅まではこの荷物を抱えて行かねばならぬ。そこがレンタカーの最大の弱点・・・。 <<画像ファイルあり>> 目的地の位置関係 ------------- <1日目(4月28日)> ------------- ゴールデンウィーク初日の昼過ぎ、2つの大きなバッグを肩にかけ、最寄駅まで何とか辿り付いた。 しかし駅に着いたと言っても安心出来ない。新幹線に乗るまでは、揺れる電車内でバッグを持ったまま頑張らねばならない。 東京駅に到着し、新幹線「のぞみ」を待った。指定券があるので並ばなくとも良いが、大きな荷物があるためどこに行ってもリラックス出来ない。 ようやく「のぞみ」が入線したが、車内清掃のためしばらく待たされた。見ると、掃除のおばちゃんたちが手際良く座席のシーツを取り替えている。その様子はまさに職人芸で感心した。 その後車内に乗り込み、荷物を網棚に載せてようやく一息ついた。 九州行きでは初めて「のぞみ」に乗ったが、小倉までは5時間半で到着するのだから早くなったものだ。昔は「ひかり」で7時間近くかかったような記憶がある。 <<画像ファイルあり>> 500系「のぞみ」 新大阪を過ぎた辺りで車内がやや騒がしくなる。大阪人が乗り込んだようだ。特に、若い女性が関西弁で非常にうるさい。やはり関西というのは、西日本や東日本とは全く文化が異なるというのを実感する。 さて、岡山を過ぎたあたりで、だんだんと故郷に近付いているという実感が湧く。 そんな時ふと、小倉への到着時刻を見て驚いた。 「小倉到着18時35分・・・? なに? レンタカーを借りるのが18時半だったが、まずいな、これじゃ絶対に間に合わん・・・。なぜこんな状況に陥ってるんだ??」 レンタカーを予約する際、一度時間を変更したことを思い出した。恐らくその時に列車の到着時刻を読み間違えたのだろう。 「小倉駅で5分遅れで下車しても、場所を探して歩くとさらに5分はかかるだろう。そうなると10分の遅れか。」 レンタカーの予約センターの営業時間は18時までとなっている。それまでに連絡を入れなければ、10分の遅れであってもキャンセルさせられるとたまらん。 しかし、岡山を過ぎた辺りではトンネルが非常に多く、携帯電話が断続的に"圏外"となってしまう。新幹線に設置された公衆電話に行ってみたが、テレホンカード専用で使えない。仕方無いのでメールを打ち込んで、電波状況を見ながら送信した。 18時を過ぎても返信は無かった。大丈夫だろうか? <<画像ファイルあり>> トンネルが多く圏外が続く 新幹線は定刻通りに小倉駅に到着。 改札で駅レンタカーの窓口の場所を聞いてそこへ急いだ。やはり10分遅れだった。 受付には茶髪のキュートなお姉さんがおり、手続きをしてくれた。車種は「スズキ ワゴンR」とのこと。しばらくして駅前ロータリーに車が到着し、簡単な説明の後、車が引き渡された。 この車は、ステアリング横から出ているコラムシフトを操作するタイプで、我輩もそのタイプの車は2回ほどしか運転したことがない。しかしまあ、いったん「D」の位置に入れればそれほど煩雑に操作するものでもないので問題無かろう。 カーナビゲーションは全車装備のため無料扱いだったものの、反応が悪く使い辛い。全体的なヤレ具合からしてかなり昔の製品なのだろう。 <<画像ファイルあり>> スズキ ワゴンR とりあえず、母親が一人暮らしをしているマンションに向かった。小倉市内のため、10分程度で到着。近くのコインパーキングに停めてその日を終えた。 ------------- <2日目(4月29日)> ------------- この日は朝早くからカルスト地形の平尾台(参考:雑文439「帰省日記」)へ行く予定。そのために前日からレンタカーを借りておいたのだ。 また、午後からは母親と「あじさいの湯」という温泉施設に行くことになっている。 最初に母親からこの提案を受けた時、「撮影予定をギリギリまで入れてあるのに、今さらそんな予定を入れる余地は無いぞ」と思った。今回の撮影計画は、我輩の心の中にある昔の風景を求めて写真に収めるための大事なものである。 そういうわけで、「あじさいの湯」の件は断りの返答をしようと思った。しかし、ここで思い直した。 「待てよ・・・。今、自分が生きているこの瞬間もまた、大事な時間ではないのか?」 現在というものを大切にせず、過去ばかり振り返っているようでは、またこの先、今の時代の風景を求めることになろう。 過去の失われた風景は今更どうしようもない。名残を求めて同じ場所の今の風景を撮影するだけである。しかし、今の時間は今目の当たりにしている現在形の世界。この体験を心に強く刻んだり風景を写真に撮ったりすることは、他の何よりも優先すべきことである。 さて、平尾台では、地質的興味と中学時代の懐かしさの入り混じった中での散策・撮影となった。 中学時代、科学部の顧問教師の運転する車に部員たちが乗り込み、平尾台を訪れた。そして、石灰岩の風化についての話を聞いた。 改めて平尾台の風景を見渡してみても、当時辿った道や目にした石灰岩は、今となってはどれだか特定出来ない。しかし、どの石灰岩であろうとも、顧問教師の説明に当てはまる。無理に特定する意味は無かろう。 <<画像ファイルあり>> 平尾台のカルスト地形 今思えば、あの時に学んだ知識はごく限られたものであったが、その後の地質的興味を起こすには十分であった。そういう意味では、我輩にとって地質的興味の原点と言えよう。 今回の平尾台散策は、原点に立ち返ることで自分が求めている興味と言うものを改めて知る意味がある。これを行うことにより、今後自分の撮る写真が、本当に自分の撮りたい物なのか、それとも惰性で撮っている物なのかという判断を容易にするだろう。 それにしても、このワゴンRという車、どこでも目に付くな。 茶ヶ床園地の駐車場に停める時、前方に同じ色のワゴンRが停まってあり笑ってしまった。 <<画像ファイルあり>> 同色・同形式の車 ただ、この車に荷物を置き去りにするのはかなり抵抗がある。後席はスモークガラスにはなっているものの、強い陽が当たっているとどうしても中が見えるため、カバンなど置いておくと車上荒しに遭う危険性が高くなろう。 その点、トランクルームがあるセダンタイプの乗用車であれば、荷物が外から見えず都合が良いのだが・・・。 13時頃に八幡(やはた)駅へ向かい、午後休暇を取った母親を車で拾って「あじさいの湯」を目指した。 時間的にはまだ早かったため、近くにある河内藤園の藤棚を見て回った。なかなか見事な藤棚ではあったが、一般的には「藤棚と言えば吉祥寺(きっしょうじ)」との認識が強いため、河内のほうにはあまり人が来ないらしい。いわゆる、穴場というやつか。まあ、ここは車でなければ来るのが難しい山奥の道であるから、そうなるのは当然か。 ちなみに、この日はいつもよりも混んでいるほうらしい。 <<画像ファイルあり>> 河内藤園の藤棚 その後、物産館に寄って買い物をした後、あじさいの湯に到着した。 駐車場はかなり一杯だったが、なんとか空きを見付けて駐車した。 午前中に平尾台で歩き回ったため、まず大浴場で汗を流し、休憩所のリクライニングシートで仮眠した。 そして畳敷きの食事処で「だご汁(だんご汁の親戚?)」を食べ、一息ついて車に戻ることにした。 ところが駐車場に戻ると、車が見当たらない。 おかしい。 確かに停めたはずなのに・・・? まさか・・・?! 潜在的な恐怖心が現実となったような気がした。 「盗難・・・? まさかな・・・。」 見ると、近くにパトカーがいるではないか。もしかして、他にも被害にあった者がいて、警察を呼んだのか? そう思っていると、パトカーはゆっくりと我輩たちの目の前を通り過ぎて行った。 <<画像ファイルあり>> 駐車場を出て行くパトカー しかし、改めて停めたはずの場所の目の前に行ってみたところ、我輩の車は他の車の陰に隠れていただけだった。普通車と比べて軽自動車がここまで小さいとは思わなかった。 それにしても、冗談抜きで焦ったぞ・・・。 ホッとしたところで車に乗り込み、母親を小倉まで送り届け、南下して行橋市へ向かい、オバちゃん(母親の妹)のところで1泊した。 ------------- <3日目(4月30日)> ------------- 去年の夏、バアちゃんの居る実家に帰った際、折りたたみ自転車(参考:雑文572「折りたたみ自転車」)を置きっ放しにしておいた。今回、それをレンタカーに乗せて活用しようと思う。 朝、行橋市のオバちゃんの家から実家に行き、自転車を車に積んだ。パンクレス加工をしているため、物置の中で放置してホコリを被っていたにも関わらずタイヤは大丈夫である。 ワゴンRのハッチバックから自転車を乗せると、ちょうど良い具合に収まった。 <<画像ファイルあり>> 車に積み込んだ折りたたみ自転車 子供の頃からの活動範囲であった豊津町と行橋市を中心に、要所要所を車で移動し、そこから自転車で細かく路地裏散策をして回った。 そこでは、全く変わらない風景もあれば、建物の中身だけ別の店舗になっている風景、そして、全く別の建物に変わってしまった風景などがあった。 失われた風景のことについては、我輩にとっては非常に残念ではあるが、この場所で今を生きている者にとってみれば、いずれは現在のこの風景が懐かしい姿ということになるだろう。 生きている限り起こり続ける様々な出来事が、思い出の数を増やしてゆくのだ。 それに対し、我輩はもはやこの場所で生活しておらず、年に1回くらい帰省する程度である。新しい思い出は出来ないのだろうか? いや、ここには親戚・家族がおり、生活している。帰省という短い時間の中であっても、親戚・家族とのやりとりを通じて、この時代のこの場所を生きたという印しを、今もなお刻み続けている。 人間はいつか年老いてこの世を去る。親戚・家族も例外ではない。 いずれそうなった時、今回の帰省も懐かしい思い出となるのだろう。そういうことも含めて写真を撮り、後の時代までこの写真を遺そうと思う。 それが、今回の撮影の目的であるのだ。 ------------- <4日目(5月1日)> ------------- この日は、昼から新幹線に乗って小倉から岡山まで移動。そして伯備線で「特急やくも」に乗って松江を目指す予定。 新幹線に乗る前にレンタカーを返さねばならないが、返す直前にガソリンを満タンにする必要がある。燃料計を見ると、だいたい半分に減っているようだ。 ガソリンスタンドに入ったところ、「給油口開けてください」と言われて戸惑った。レンタカーなので分からない。どこを操作すれば良いんだ・・・? 仕方無いので、正直に分からないことを伝えて操作してもらった。見ると、開放レバーが運転席右側に隠れていた。 <<画像ファイルあり>> こんなところにレバーがあるとは 給油後、満タン証明書にハンコを押してもらい、指定された返却場所へ車を置きに行った。 走行距離を見たところ、203km走ったことが分かった。 その後、母親と食事し、駅の改札で見送られて「のぞみ」で岡山を目指した。岡山までは1時間半と、まさにあっという間。 岡山からは伯備線の「特急やくも」に乗り換えた。予想通り空いており、自由席は2席分を広々使うことが出来た。しかし松江到着まで2時間半と、距離のわりには案外時間がかかる。 途中、車窓から大山(だいせん−伯耆富士)が見えたような気がしたが、雲がかかっておりよく見えなかったのは残念。 <<画像ファイルあり>> 特急やくも 松江市内では、雲の流れが速く、宍道湖(しんじこ)沿岸では強風が吹き付けている。陽が差したかと思えば再び曇る。やはり明日は雨か。 とりあえず、ホテルにチェックインした。部屋は暗く、ちょっと掃除が行き届いていない感じであったが、安いので仕方無い。 荷物を置いてホッとしたので、松江温泉にある「しまね社会保険センター」に出かけた。 地図上では近いはずだったが、実際の距離感と相違があり、また道も不慣れだったことから20分ほどかかった。何しろ、学生時代は友人Yの車に便乗して行ったため、どの道を通ったか憶えていないのだ。 途中、小雨に降られて少し寒かったが、間もなく温泉に入れるのだと自分を励ました。 「しまね社会保険センター」は昔のままで、4階に展望温泉浴場がある。窓口で400円を払い、温泉で汗を流した。 湯上りは隣接した畳コーナーでジュースを飲みながらのんびりとした。この行動パターンは学生時代そのままで、あの頃に戻ったような気がした。 <<画像ファイルあり>> しまね社会保険センター さて、ホテルに帰るわけだが、せっかくの湯上りが外の強風で冷めてしまうことに気付いた。 「まあ、今日は仕方無い。明日は車で来よう。」 そう思ってエレベータに乗ると、エレベータの壁面にポスターが幾つか貼ってあり、その中に案内書きの張り紙があった。 "共同浴場休館日--5月3日〜5月5日" 「うおっ、5月は3〜5日は祭日で休みか、危なかったな・・・。明日もかろうじて入れるか。」 帰り道は最短距離で帰ろうと思ったが、夕食のことを忘れていた。 しばらく歩くと、ラーメン屋があったが、「松江に来てラーメン屋というのもなあ」と思い通り過ぎた。どこかソバかうどんが食べられるところは無いものか。しかしだいたいの店は19時半くらいで終わってしまう。それに、徒歩で探し回ると本当に身体が冷えるので、近くのコンビニエンスストアで調達することにした。それでも普通の弁当は食べたくなかったこともあり、出雲そばの弁当を買った。 ホテルに戻り、暗い部屋で独りソバをすする。 もしかしたら普通のソバよりはおいしいのかも知れないが、器がプラスチックなのであまりおいしく感じない。 明日は、ヤスと2人でよく行った出雲そば処「とびた」へ行き、本物のソバとうどんを食べよう。 <<画像ファイルあり>> 出雲そばの弁当 <<画像ファイルあり>> 目的地の位置関係 ------------- <5日目(5月2日)> ------------- 朝、5時頃に目が覚めると、雨の音が聞こえていた。 開けるのが大変そうな窓だったので外の様子は分からないが、天気予報のこともあり、確実に雨だろうなと思った。 それから1時間して再び目を覚まし、起き上がって用意を始めた。 この日は朝からレンタカーを借りることになっている。レンタカー屋は駅前のニッポンレンタカー。 徒歩のため早めに出ようと思ったが、ホテルのフロントはシャッターが閉まっており、張り紙があった。 「経費節減のため朝のお見送りはできませんので、ルームキーは自動販売機の上に置いて裏口より出てください。」とのこと。 我輩は2泊連泊のため、仕方無くルームキーは自分で持ち歩くことにした。着替えや撮影済みフィルムなど、本日の撮影に関係ない荷物は部屋に残してあるので、誰でも手の届く自販機の上などにルームキーを残せるはずがない。 外に出ると、地面は濡れていたものの雨はやんでいた。 ニッポンレンタカーへ行くと、今回もまた、「ワゴンR」である。確かに、軽自動車の中で一番売れているのがワゴンRという話であるから、「もしかしたら次もワゴンRかも?」という予感はしていた。 こちらもカーナビゲーション付きであるが、我輩の車のカーナビゲーションとメーカーが同じため、操作法が似ているのが嬉しい。ただし少し前の型か、あるいは廉価版のようである。 出発時、「車の操作法について何か質問ありますか?」と訊かれたが、給油レバーの位置も知ってるんだぞという気持ちで「大丈夫です」と答えた。ワゴンRのことなら、何でも訊いてくれ。 <<画像ファイルあり>> 再びワゴンR まず、母校の島根大学周辺を目指す。 九州の時もそうだったが、今回も車にビデオカメラを設置して車窓を撮影する。こうしておけば、走り回るだけで街の様子が記録出来ることになる。 <<画像ファイルあり>> ワゴンRに設置したデジタルビデオカメラ 大学前の通りは、道路の一部が工事中。大学前の書店が別の店に替わっていた。 大学内に車を入れてもいいのか分からないので、そのまま通り過ぎて我輩が学生時代に住んでいたアパートに寄ってみた。 所々に水たまりがあるものの、道路はもう乾いている。 アパートは、我輩の学生時代の時と変わらず存在していた。車を降りて、部屋の前まで行ってみると、長い旅を終えて帰ってきたような気がした。 大学時代の4年間暮らしたアパートだったが、当たり前だが写真に撮ったことは一度も無い。しかし今、ようやく、カメラを構えて写真を撮った。 撮影後、我輩は車に戻って朝食のパンを食べながら思った。 「よく、"写真は撮りたいと思った時が撮るべき時だ"と言われるが、後で写真が見たくなる可能性があるならば、その時つまらないと思っていても無理にでも撮っておくべきだ。」 時間は戻せないということを思えば、これはもはや鉄の規則、つまり鉄則と言える。 <<画像ファイルあり>> 4年間暮らしたアパート さて、日程は今日一日と明日の午前中のみ。ゆっくりしていられないので、まず遠い場所から攻めることにした。 そういうわけで、出雲大社を目指す。 宍道湖(しんじこ)沿いの北側の道を走ったが、遭遇する信号機はほぼ全てが黄色点滅のボタン式信号機であり、ほとんど停まることなく運転出来たのは驚いた。 途中、「島根ワイナリー」に寄って外観撮影した後、出雲大社へ到着。駐車場が無料なのは、この地域では当たり前。 出雲大社の敷地はかなり広く、神殿へ行くためにかなり歩かされた。 時期的に修学旅行の学生が多く、あちこちで弁当を食べていたりしているのが見える。しかし、さすがに正月に比べれば人出は少ない。 <<画像ファイルあり>> 出雲大社 出雲大社から少し入ったところに、日御碕(ひのみさき)という景勝地がある。せっかくだからここにも寄る。 かなりのワインディングロードで、車載ビデオカメラが吹っ飛んだりした。 道の途中、一時停車出来る場所が幾つかあり、そこから素晴らしい景色が見えた。 停まって撮影しようかとも一瞬思ったが、単純にキレイな景色を撮りに来た旅ではないことを思い出し、邪念を打ち払って先を急いだ。 日御碕駐車場もかなり広い。特別広いということではないが、出入り口が広いため、開放的に感ずる。 車を降りて改めて見渡すと、確かにここに来たことがあると実感した。 ここは、茶道部の仲間たちと遊びに来た場所だった。 駐車場から歩いて土産物屋の通りを抜け、灯台のある海辺に向かった。 目に飛び込んできたのは、懐かしい風景。茶道部の仲間たちと、岩の上で寝そべり、風に吹かれながら海を眺めた場所。 天気もすっかり回復し、当時そのままの風景の中に、我輩がそのまま入り込んだ。 ただ一つ違うのは、仲間たちはここには居ないということ。 今となってはどの辺で寝そべっていたかは分からないが、岩の上を歩いて適当な場所で撮影をした。もちろん、ただキレイな景色を撮ろうというのではない。学生時代の我輩と仲間たちの姿を、心の目で見ながら記念撮影をしたのだ。 <<画像ファイルあり>> 日御碕(ひのみさき) 時計を見ると、もう昼食時を過ぎている。そろそろ、出雲そば処「とびた」へ行こう。 日御碕の遊歩道をぐるりと回って駐車場へ戻ろうとすると、そこにも土産物屋が1軒あった。そこには、貝殻や魚の土産物が置いてあり、ふと、豚児用に何か無いかと覗いてみた。 すると、店のオイちゃんが出てきて、色々と説明してくれた。 我輩はオウムガイやタコブネの貝殻が興味深かったが、少し大きいうえ壊れ易そうだったたので別なものを探した。 まあ、子供用にはタカラガイの笛と、タツノオトシゴの干物で良かろう。 オイちゃんと少し話をして、店の写真も撮らせてもらった。 <<画像ファイルあり>> 土産物を買った店 駐車場の車に戻り、来た道を戻る。やはり、ワインディングロードではビデオカメラが飛んだ。 出雲大社前を通り過ぎ、今度は宍道湖(しんじこ)の南側の道路を走る。このまま松江市まで行くと、宍道湖一周したことになる。 <<画像ファイルあり>> 宍道湖の南側 こちらは多少栄えているので、黄色点滅信号は少ない。しかしそれなりに車は流れており、距離のわりには早めに目的地に到着した。 ここは、ヤスとよく来た出雲そば処「とびた」である。 店の雰囲気も、昔と何ら変わらない。 <<画像ファイルあり>> 宍道湖湖畔の出雲そば処「とびた」 我輩はうどん党で、当時もソバではなくうどんを食べていた。しかし、向かい側でソバを美味そうに食べていたヤスを見ていると、ソバも美味いのだろうかと思ったりした。 「それ、お茶か?」 熱そうな湯飲みをすすっていたヤスに訊いてみた。 「これはソバ湯ちゅーてな、ソバを茹でた時の茹で汁なんじゃ。」 我輩は、そういうものがあるというのをその時初めて知った。ソバなど眼中に無かったのだから、当然ではある。 今回、我輩は敢えてソバを頼んだ。 本場の出雲そばの店で、ソバを食べる。昔の体験には無いことであるが、ヤスが食べていたものを今知ることが出来る。 <<画像ファイルあり>> 左上はソバ湯、右上はソバつゆ ソバの味は、まあ、なかなかだった。ソバ経験が浅いため、深く感動出来なかったのは残念だが、少なくとも不味くはなかった。 店内からは宍道湖の景色が見えていた。これも全く昔のまま。当時に戻ったようだ。 時間は13時半と昼時を過ぎているため、店内は客も少なく、のんびりとした時間に浸った。 <<画像ファイルあり>> 宍道湖が見える店内 「とびた」を出て再び松江市内へ戻った。 移動時間が思ったよりも短いため、時間が経つのが遅いように錯覚する。さて、これからどうしようか。 大学近くのショッピングセンター「みしまや」の駐車場に車を停め、少し歩き回ってみることにした。 一番近いところで、大学祭関係の友人だったN君の下宿先へ行ってみた。 記憶が定かではないが、同じ場所だと思われる所に、別の建物が建っていた。とりあえず、撮影。 今度はHの下宿先へ行った。 学生時代、Hに借りた本を返しにHの下宿先へ行った。ちょうど、Yの車に乗って展望温泉浴場に行くところで、途中寄ったのだ。 しかしYは車で待っていると言う。まあ、本を返すだけだからと思い、一人でHの部屋へ行った。しかし応答が無い。戸を開けてみると鍵がかかっておらず開いてしまった。見ると、Hが布団に入って昼間からグースカと寝ていた。「本を返しに来たぞ」と言うと、Hの隣に下着姿の女が寝ているのが見えた。Hは「おー?」と言って目を覚ました。我輩はそのまま本を置いて戻った。 車に戻ると、運転席のYは「やっぱそうなるから行きたないんよ」と言った。 そんな出来事のあった下宿。こちらは昔と同じ姿のまま、残っていた。戸はもう開けられないが・・・。 今度は、雑文506「写真で知った事実」にも書いた、我輩と同期の女性が住んでいたアパートにも行ってみた。 こちらも当時のままに建っていた。 雑文546「職場写真〜瞬間的な組合せ〜」では、その女性と再会したことについて書いたが、雰囲気はかなり変わっていたため同一人物だという実感が無く(もちろん、どう考えても同一人物であるという論理的判断は出来るが)、未だにこのアパートで暮らしているような錯覚を持っていた。 しかし実際にこのアパートの経年具合を目の当たりにして、もはや別の時代のことであると気付かされた。 その後、駐車場の車に戻り、今度は学生時代にアルバイトをしていたショッピングセンター「アピア」へ行ってみることにした。 ここは、雨の日も雪の日も、自転車で通った思い出のある場所。途中、武家屋敷のある道を通り過ぎる。 しかし、なぜか「アピア」が見当たらない。車で走っているため、うっかり見落としてしまったか? 今度は反対車線に入って引き返した。すると、「CASPAL」という店名のショッピングセンターがあり、どうもここが昔の「アピア」らしいということが判った。 早速、屋上駐車場に入った。 店内の様子はガラリと変わっており、残念なことに、我輩の働いていたインテリアショップは存在していなかった。 そろそろ、夕方になってきた。「しまね社会保険センター」の展望温泉浴場に行くか。 車で走ると、あっという間に着いた。 今日は歩きではないから、湯上がりでも冷えないという安心感がある。 ホテルに帰って荷物を整理すると、35mm判のコダクロームの消費量が多く、あと少しで無くなりそうだった。他にはISO100のフィルムが2本あったと思ったが、それは出発時に置き忘れていたことが判明。実際は思っていたよりも2本少なかったのだ。しくじった・・・。 明日は撮影カットが多くなろうとも中判をメインとするしか無い。 ------------- <6日目(5月3日)> ------------- この日は13時まで行動し、その後東京へ帰る予定。 前日は、レンタカー窓口の営業が始まる時間まで動けなかったが、この日はレンタカーを借りたままであるから、朝早くから行動出来る。 朝食としてまた、コンビニエンスストアのソバを食べた。昼食時にはまた「とびた」へ行こうと思う。 <<画像ファイルあり>> 朝食の割子ソバ(ウズラの卵入り) 6時45分頃、荷物をまとめて部屋を出た。カバン2つはやはり重い。昨日と同じように、フロントにはシャッターが閉まっている。今日で出るので、ルームキーは自動販売機の上に置いておいた。駐車場に出たところ、なんと、他の車が被さるように駐車しており、我輩の車が出せない状況になっていた。 <<画像ファイルあり>> 出られない しばらく車に乗って様子を見ていたが何の動きも見られないため、仕方無く車を置いたまま付近を散策することにした。 松江大橋を渡り、当時アルバイトをしていた和菓子屋「一力堂」に行って写真を撮ったりした。 <<画像ファイルあり>> 和菓子屋「一力堂」 30分くらい回ってホテルの駐車場に戻って来たが、相変わらずの状態だった。 我輩はシャッターの閉まったホテルのフロント前に行ったりしたが、人の気配など何も無く、再び駐車場に戻った。しばらく車の周りでうろついていると、ホテルの裏側にオバちゃんがいるのが見えた。そしてオバちゃんは駐車場にいる我輩を見て「おはようございます」と言ったので、もしかしたらと思い、「ホテルの人はいますか?」と訊いた。するとオバちゃんは「ちょっと待ってて下さいね」と隣の建物に入り、しばらくしてフロントのオイちゃんが出てきた。 状況を説明すると、オイちゃんは館内放送でホテルの宿泊客に車のナンバーの持ち主に移動を求めた。 数分後、パジャマ姿の男が「すいません」とやってきて車を移動させた。我輩はやっと、自由の身になれた。 結局、40分くらい時間をロスした。 この日は午前中だけの活動時間のため、このロスは小さくない。このことは、後に色々な意味で大きな影響を及ぼした・・・。 予定としては、学生時代に泳ぎに行った野波海岸、そして夜光虫を見た加賀漁港、そのついでに「マリンゲートしまね」という施設に行く。 しかしまだ早朝のため陽が浅く、写真を撮るには少し時間が早い。そのため、大学周辺で回り忘れていたところを攻めることにした。本当ならば、近場は最後に回るようにしておいたほうが時間調整が利くのだが。 実は大学に入った当初、我輩は別の場所で下宿生活を始めた。それは、国の重要文化財である菅田庵(かんでんあん)という昔の茶室がある場所の近くだった。 しかし、下宿の大家のオバちゃんがタチが悪く、2週間くらいでそこを出てしまったのだ。 変な思い出のある場所なだけに、現在の下宿がどうなっているかを見ておこうと思った。まあ、ベニヤ板で覆ったような部屋であったから、今も残っているはずがなかろう。 現地へ行ってみると、やはり当時の建物は無かった。 すぐに用事が終わってしまったので、ついでに、近くの菅田庵に行ってみることにした。 入り口はひっそりとしており、観光であっても住宅地に囲まれたこのような場所にわざわざ来る者も少なかろう。 <<画像ファイルあり>> 菅田庵入り口 奥に入って行くと、木々が鬱そうとしてなかなか落ち着く。夜はまず歩けまい。 やはり人の気配が全く無く、所々に伸びているタケノコを見ながら道を進んだ。 途中、円形に窪んだ場所が道の脇に現れた。何かの建物があった場所かとも思ったが、もしかしたら沼が干上がったのかも知れない。 我輩は昔から、沼の底がどうなっているかという興味があった。濁った水の底には沼の主がおり、ひっそりと暮らしている。透明度の高いキレイな水であればそんなふうには思わないが、底が見えない濁った沼というのは、妙に想像をかきたてる。 その円形の場所に足を踏み入れてみたところ、靴が少しぬかるんだ。やはり、ここは沼の跡だったのだろう。落ち葉が多く、靴が泥だらけになるのを防いでくれた。 沼の中心まで行って周りを見渡していると、水が溜まっていたであろう場所なだけに妙な気持ちがした。 <<画像ファイルあり>> 沼の跡? その時、人の気配がした。 誰か、来たようだ。 見ると、我輩が来た道を歩いている。そして、我輩と目があった。 雰囲気としては、近所のオイちゃんが散歩に来たようだったので、「近所のかたですか?」と訊いてみた。すると、近所ではないが最近松江市に住み始めて史跡巡りをしているとのことだった。 話によれば、会社を定年で辞め、今は松江城のお堀を船で巡って観光案内をする船頭をしているとのことで、観光について色々と勉強しているようだ。 一方我輩については、島根大学の学生だったことや、茶道部に入っていたこと、そして撮影の旅をしているということなどをオイちゃんに話した。 我輩とオイちゃんはしばらく立ち話をして意気投合し、菅田庵に2人で行ってみることにした。 菅田庵は改修中とのことで、結局は見られなかったが、オイちゃんと別れ際に2人で記念写真を撮った。 オイちゃんの、「一期一会ですねぇ」という言葉が、その時の情景をよく表していたと思った。写真は、その様子を捉えるための、大切なアイテムである。 こういう時にこそ、写真という趣味が活きるのだと、実感した。 オイちゃんは、我輩の「New MAMIYA-6」を見て「お、中判カメラですね」と言った。そして「仕事の様子を撮らせてもらおう」と、我輩がカメラをセッティングしている様子を携帯電話内蔵カメラで撮った。 そして互いに住所交換した後、それぞれに別れた。 この出会いは、朝の遅れが無ければ起こらなかっただろう。時間が10分も違えば出会わなかったのは間違いない。仮に出会ったとしても、すれ違う方向であれば挨拶程度で終わったはずである。互いの行き先が同じだったからこそ、交流が生まれたのだ。 一期一会、我輩が茶道部に入って最初に学んだ言葉だった・・・。 <<画像ファイルあり>> 一期一会の記念写真 我輩はその後もしばらく大学周辺を回った。 当時の我輩は理学部化学科の学生だったが、研究室で実験をする際に溶液をスターラーという装置で6時間も撹拌する作業があり、それが終わるまでの間、研究室のみんなでカラオケ屋に行ったものだった。驚いたことに、そのカラオケ屋は当時のままに存在していた。 一通り撮影が終わり、そろそろ陽も高くなってきたこともあり、次は野波海岸へ向かうことにした。 夏にはここで仲間たちと泳いだ場所である。 今では少し整備されており、海の家が建っていた広い砂浜も、陸に近い部分がコンクリートで固められてしまっていた。 それにしてもこの日は風が強く、堤防あたりに行くと飛ばされて海に落ちそうになる。 <<画像ファイルあり>> 野波海岸 その次は加賀漁港。 ここから桂島に歩いて渡れる遊歩道があり、そこで見る夜光虫はかなりのもの。 夜行って水面に石を投げ込むと、その波紋の形に光の輪が広がる。波の刺激で夜光虫が光を発するのだという。 この美しさは言葉で伝えるのは全く難しい。かと言って写真に撮れるほどのハッキリした光でもない。この様子を知るには、実際に自分の目で確かめる以外に無かろう。 ただ残念なことに、ここら辺の海は昔から朝鮮半島からのゴミが漂着し易く、ハングル文字の書いてあるプラスチック系漂着物が波打ち際に集まっている。 <<画像ファイルあり>> 桂島への遊歩道 さて、今度は「マリンゲートしまね」という施設に行ってみる。 ここは仲間の車に乗って立ち寄った場所だが、どういう施設かは忘れてしまった。ただ、思い出の風景を目にするために行くことにする。 ところが行ってみると、この日は休館日のようで、中に入ることは出来なかった。 仕方無く、松江市街に戻った。 その時、ふと、思い出した。 そういえば、我輩が通った「島根自動車学校」を見ていなかったと。 最近運転を始めた我輩にとって、運転の原点に立ち返る意味でも、ここに行ってみることは重要に思われた。 ここも、昔と何ら変わらぬ状態で存在していた。 <<画像ファイルあり>> 島根自動車学校 撮影後、時計を見るともはや12時近く。昼食は宍道湖湖畔の「とびた」へ行くつもりだったが、1時間で食べて戻るのは難しい。やはり、最初の出だしで遅れたのが影響したか。 急遽、近くのうどん屋「たまき」で食べることにした。ここも、ヤスとよく食べに行った所だ。 車を「たまき」の駐車場に入れようとしたが、昼時ということもあり、ほぼ満車状態。店の前はもちろん、横にも広い駐車場があったが、それらが全て車で埋まっている。それでも、入れにくい隅の場所に1つ空きがあった。軽自動車でようやく入れられる場所だった。 <<画像ファイルあり>> 「たまき」 店内に入りカウンター席に座り、すぐに注文しようとした。時間の余裕が無く、簡単に出てきそうなものを選ぼうと思ったが、素うどんでは味気ないため、ちょっと考えて「肉うどん」にした。 時計を見ると、12時15分。まずいな、レンタカーを返す前にガソリンも入れなければならぬ。その時間を考えると、10分以内にうどんが出てこなければ困る。店内も混んでいるため、もしかしたら時間がかかるか・・・? 改めて店内を見渡すと、昔の面影は消えていた。表には、「改装オープン」と書かれていたので、最近模様替えしたのだろうか。 待ち望んでいたうどんは10分で出てきた。 それでも時間に余裕があるわけではなく、熱いうどんをハフハフしながら食べた。なかなかコシの強いうどんであったが、あまり味わう余裕が無かったのが心残りであった。 <<画像ファイルあり>> 「たまき」の肉うどん 食後、急いで車に戻り、ガソリンスタンドを探した。 そして目に付いたところに入り、満タンを指示した。自分で給油レバーを操作したのは言うまでも無い。 時計を見ると、12時45分。 まったく、最後の最後は余裕が無いな・・・。 給油後はニッポンレンタカーに向かい、車を返却した。 走行距離は176km。九州よりも日数が少ないことを考えると、それなりに走ったと言えよう。 松江駅へ向かい、切符を購入。帰りも「特急やくも」は自由席である。 13時52分発のため時間が少しあり、駅前広場を少し見て回った。ここは、我輩が大学を卒業した後にかなりの大工事をしたようだ。地下に駐車場もある。 やくも車内からは、行きでは見られなかった大山(だいせん)がよく見えた。 学生時代にスキーをした大山・・・。 <<画像ファイルあり>> 伯耆富士こと大山(だいせん) ところで、デジタルカメラ「RICOH GR-D」は、今回の旅でそれなりに活躍した。 露出計用途としてはもちろん、シャツの胸ポケットに入る大きさゆえに、とっさの場面で撮影したのはこのカメラだった。 帰りの車窓からも、おもしろい風景があるたびに、胸ポケットからサッと取り出してシャッターを押した。 <<画像ファイルあり>> 車窓から見た「宿り木」? ------------- <旅を終えて> ------------- 旅を終えた後、色々な思いが湧き上がった。 その中でも一番強く感じたものとして、「過去の風景は二度とよみがえらない」ということだった。 どんなに昔の姿のままを保った風景があったとしても、それは昔の風景ではない。なぜならば、一緒にいた仲間たちがそこにいないからである。だから我輩は、現在の風景を撮った写真を見て、想像力で当時の様子を懐かしむしか方法が無いのである。 大切な物、それは、今自分が生きているこの時代である。 そのことを言葉では解っているつもりではあっても、普段からそれを意識して、撮るに足らぬ("取るに足らぬ"という言葉を掛けた)風景と思ったとしても、努力して写真に収めていただろうか? こういうことは、「撮りたい」「撮りたくない」で済ませるような問題ではない。撮りたくなくとも撮るべきものは、身の回りにたくさんある。 それに気付かなければ、時が経った後になって再び、失われた風景を懐かしんで彷徨うことになろう。 さて最後に、撮影フィルムの集計であるが、120フィルムは21本(252カット)、135フィルムは11本(396カット)撮影した。 そしてデジタルカメラのほうは、驚いたことに950カットもあった。もちろん、デジタルカメラでは気を入れて撮影しているものは無いため、フレーミングやシャッターのタイミングなどは甘い。あくまでこちらは、フィルム撮影前の露出確認と、撮影後の記録まとめ用である。永く残すつもりなど全く無い。 ---------------------------------------------------- ダイヤル式カメラを使いなサイ! http://cam2.sakura.ne.jp/