「カメラ雑文」一気読みテキストファイル[501]〜[550] テキスト形式のファイルのため、ブラウザで表示させると 改行されず、画像も表示されない。いったん自分のローカ ルディスクに保存(対象をファイルに保存)した後、あら ためて使い慣れているテキストエディタで開くとよい。 ちなみに、ウィンドウズ添付のメモ帳ごときでは、ファイ ルが大きすぎて開けないだろう。 ---------------------------------------------------- [501] 「蔵王のお釜(5)」 [502] 「未来」 [503] 「夏の帰省日記(1)」 [504] 「夏の帰省日記(2)」 [505] 「夏の帰省日記(3)」 [506] 「写真で知った事実」 [507] 「手術」 [508] 「超細密ディスプレイ」 [509] 「コスプレ撮影会」 [510] 「Nikon F6」 [511] 「あれは本当にNikon F6だったのか」 [512] 「コスプレ撮影会2」 [513] 「ミリテク」 [514] 「綺麗な色を知らぬ子供たち」 [515] 「共感するキャラクター」 [516] 「携帯電話のカメラを進化させろ」 [517] 「社会に貢献するのが企業の存在目的」 [518] 「身に染みた今度の後悔」 [519] 「異分野での同志」 [520] 「それは、銀塩写真の責任ではない」 [521] 「手の届く相手」 [522] 「例え話」 [523] 「ガラス乾板」 [524] 「奇妙な接客」 [525] 「親の目線」 [526] 「プリント写真を得る方法」 [527] 「ホメ殺し(2)」 [528] 「入力装置と出力装置」 [529] 「コスプレ撮影会3(準備)」 [530] 「コスプレ撮影会3(当日)」 [531] 「コスプレ撮影会3(結果)」 [532] 「効率の問題と気分の問題」 [533] 「本当にそうなのか?」 [534] 「本物をジックリ見ろ」 [535] 「車の記憶」 [536] 「車の撮影」 [537] 「行き過ぎた進化」 [538] 「ブラック・ジョーク(2)」 [539] 「あの時代のあの場所」 [540] 「幸せの秘訣」 [541] 「フラッシュマチック」 [542] 「シンちゃんのミニカー」 [543] 「朝日新聞サンゴKY事件」 [544] 「無謀な青二才」 [545] 「液晶へのこだわり」 [546] 「職場写真〜瞬間的な組合せ〜」 [547] 「蔵王のお釜(6)」 [548] 「どうか、お恵みを」 [549] 「夏の帰省2005」 [550] 「プロ・アマの評価方式」 ---------------------------------------------------- [501] 2004年08月06日(金) 「蔵王のお釜(5)」 7月30日(金)の夜、豚児がやけに熱くホカホカしていたので体温を測ると38度あった。 翌7月31日(土)はヘナチョコ妻が出掛ける予定で、我輩と豚児が留守番をすることになっていたのだが、豚児の容態によっては外出を中止してもらわねばなるまい。 とりあえず日が明けるまで様子を見ることにした。 次の日、豚児の熱は38度のまま。しかし当の本人は元気である。 その様子から、ヘナチョコは予定通り出掛けて行った。 「まったく、親として心配に思わんのか?」 その日の夜、いつものようにインターネットで天気をチェックしていたら、翌日の蔵王の天気は「晴」となっていた。降水確率は0パーセント。前日までは「晴のち曇」の予報だったのだが、今日になって予報が変わったようだ。 滅多に無い「晴」マークに、心が動いた。 「蔵王へ行くか・・・?」 8月1日(日)午前3時、豚児の熱を測ると38.5度あった。しかし豚児の様子を見ると、特に具合が悪いという感じでもなかった。 この時点で、蔵王に行くことはまだ迷っていた。 「直前の準備で撮影計画の無いままで行くのか?」 「夏休み中であるから混雑や渋滞の影響があるのではないか?」 「もっと金銭的余裕がある時にすべきではないか?」 いつもならば4時に起きれば良いのだが、3時に起きたのは迷う時間が必要だと思ったからだ。 結局、結論を後回しにしてとりあえず用意を始めたことにより、そのままの流れで家を出てしまった。金は家計より借金した。 豚児の熱は気掛かりだったが、まあ、大丈夫だろう。 ヘナチョコも、自分が昨日出掛けたという負い目もあり特に文句は言わなかった。 今回はビデオ撮りをメインにしたい。前回はビデオ撮影時のパン(左右の振り)が甘く、多少ブレが目立ったりして使いづらいカットが多かった。そういう意味で、スチルカメラのほうは邪魔にならない大きさのレンジファインダーカメラ「New MAMIYA-6」とする。軽量ゆえにレンズは50mm、75mm、150mmとフルセット用意した。 35mm判のほうは、前回と同じく「MINOLTA α-707si」と標準ズームである。 <<画像ファイルあり>> New MAMIYA-6 前回は昼食を食べる時間が無く帰りのバスの中で食べたこともあり、今回は行きのバスの中で食べることにした。10時過ぎくらいの昼食だったが、15時30分の昼食よりは良い。 ドリンクは多めに、500mlの麦茶を2本用意した。 蔵王へはいつも通りに到着。 刈田山頂のレストハウス周辺は観光客であふれていた。やはり夏休みの日曜日だからか。 しかし、お釜へ降りれば静かな空間が独り占め出来るので気にならない。 早速、お釜へ降りようとしたところ、見れば先に下り始めた者がいるではないか。我輩もそれを追うようにして柵を越えて降り始めた。 今回、降りる前からビデオカメラ(Canon DM-XV1)を回し始めた。 ビデオカメラのハンドルを片手で持ち、ザレ場を注意しながら下って行く。最初に降りた時はそんな余裕は無かったが、今では片手がふさがっていても大丈夫である。 <<画像ファイルあり>> Canon DM-XV1(ワイドコンバーター装着) 15分ほどかけて下まで降り、お釜まで歩いた。 途中、ふと子供の声がした。振り返ると、数人の人影がこちらに下ってくるように見えた。どうやら子供連れのよう。 「まさかな。恐らく好奇心で柵を越え、途中まで降りてみただけだろう。」 我輩は前に向き直り、再び歩いた。 今回の調査は、お釜右側にある浸食された台地が中心となる。 そこには川の模式図とも言えるような地形があり、そこを調査することにより自然の断片を垣間見ることが出来る。以前この台地に来た時は、時間の関係上単に通過しただけだったが、今回は時間を割いて調査・撮影を行う。 台地へ上るには、お釜の壁面をよじ登る必要がある。ここは他とは違い岩石が固まっているため、足掛かりが良く上りやすい。 上っている途中、また子供の声がして振り向くと、親子連れなのか4人の人影が近付いてくるのが見えた。子供は小学生風の2人。 最初に我輩が苦労してお釜に降りたことを思い出すと、「小学生ごときが気軽に来れるとは、我輩の苦労や覚悟は一体何だったんだ?」と思わざるを得ない。 台地に上ると、そこには広い平原があった。前回来た時も感動したが、今回も同様に感動した。そこには誰もいない。これほど広い場所が独り占めだと考えるとワクワクする。 我輩は、この平原を勝手に「ユートピア平原」と名付けた。火星の地名に倣(なら)った命名である。 <<画像ファイルあり>> ユートピア平原 ユートピア平原には水無川が1本あった。写真で前調査した時にはそれほど大きくは感じなかったが、間近で見るとかなり大きい。そしてその浸食具合を見ると、その平原が火山の噴火による堆積物で作られていることが良く分かる。至る所に層状の断面が浸食によって顔を出しているのだ。 河床には細かい砂が溜まっている。そしてその砂は湿っている部分もあった。恐らく数日前に雨が降ったのだろう。 我輩には、その水無川に水が流れる様子が目に浮かんだ。 上流の方向を見ると、小さな溝が幾つも集まって本流に繋がっているのが判る。一目で川の全てが見通せるということは模式図としての魅力である。 我輩は、この様子を写真とビデオに収めた。 ところが、35mm判カメラ(MINOLTA α-707si)は肩に、中判カメラ(New MAMIYA-6)は首に掛けていたのだが、ちょっとした身体の動きで双方のカメラがぶつかってしまった。 グシッ! 「ちょっとイヤな音がしたな・・・。」 見ると、New MAMIYA-6のファインダー前部のガラスが割れていた。 「クソッ、ファインダーが割れたのはこれで2度目だ。また修理代がかかる・・・。」 <<画像ファイルあり>> かなり落ち込んだが、気を取り直して水無川を遡(さかのぼ)り、川の始まりを見て回った。そこでは、トンボの群れにまとわりつかれた。ここのトンボは人間を恐れないのか、平気で手の甲にとまってくる。 ふと見ると、西側(山形側)から雲が風に煽られて上ってくる。たちまち辺りは霧に包まれてしまった。 お釜頂上(五色岳)を見ると、先ほどの親子連れが見えたが、霧に包まれて見えなくなった。そしてしばらくして霧が薄くなると、人影は無くなっていた。 頂上にはあまり面白いものは無い。最初に登頂した時の感動が過ぎればそれで終わる。 時間も13時となり、あと1時間で帰り始めなければならない。 我輩にはもう一つ見ておきたいものがあった。それは、雑文481にも書いた安斎徹の蔵王火山研究所跡である。写真でしか確認出来なかったものを、この目で直接見てみたい。 お釜を下る途中に、それは見えてきた。 細かい土砂で足を取られながらお釜斜面を下り、そこに到達すると、確かに人工構造物である石組みが確認出来た。ここには、昭和初期の建築物があったのだ。 <蔵王火山研究所跡(正面)> <<画像ファイルあり>> New MAMIYA-6/50mm その後、近くを流れる五色川を目指した。 研究所跡の地点から、五色川水流の音がしていた。チョロチョロと水の流れる澄んだ音が静かな空間の中で聞こえている。 水は結構冷たくキレイに見えた。麦茶も残り少なくなっていたため、我輩はこの水を飲んだ。特別な味はしなかったが、不味くはない。記録によれば、安斎徹ら研究者は研究所での生活で五色川の水を飲用したという。 その後五色川に沿って下り、お釜のデルタ(三角州)へ近付いた。このまま行けば五色川はお釜へ流れ込むはず。 しかしながら、お釜へ近付くにつれて流量は少なくなり、流れはついに湖面に達することなく途切れた。 恐らくデルタの砂地に水が吸い込まれ、伏流となり地下からお釜へ注がれているのだろう。これは安斎徹の著書にも書かれていたことでもあり、事前に予測はしていた。しかし実際に川が途切れるその現場を見ることが出来たのは大きな収穫である。 湖面に目を移すと、1ヶ月前に訪れた時よりも、お釜の水位が多少上がっているように思う。これは、外輪山の雪解け水などが大量に注ぎ込んだためだと考えられる。 先ほどは五色川の水を味わったので、今度はお釜の水を味わうことにした。手ですくって口に含んだ。酸味などは無いが、ただ、生臭い。とても飲む気にはならず吐き捨てた。 酸味が無かったことについては、恐らく河口であるから真水により薄まっているのだろう。違う場所ではもっと違う味がしたかも知れない。 見ると、浅い湖底から小さな泡がブクブクと立ち上っている。「すわ、火山活動か?」と思ったが、伏流となった川の水が出ているのだと解釈した。 時間があればもっとよく調べてみたかったが、そろそろ14時であったため、デルタを後にすることにした。 見ると、先ほど白く霧に包まれていた五色岳付近はスッキリ晴れていた。もう一度行ってみたかったが、今回はもう時間が無い。それは次の機会にしよう。 蔵王のお釜に訪れたのは今回で5度目である。考えてみると、通算15時間ほどそこで活動していることになる。しかしそれでもまだ調査は一部分のみ。興味の尽きぬ蔵王のお釜。 写真で見るその地形は小さく見えるのだが、間近で見た時に受けるスケールの大きさが頭の芯に響く。 さて下界へ戻り、翌日フィルムを現像した。すると、35mm判のほうで思いがけない発見をした。 前回では酷い周辺光量低下が見られたのだが、今回はそれほど酷くない。 というのも、今回は保護用UVフィルターを外して撮影したのである。原因は、まさかのフィルターによるケラレであった。 フィルター径は62mm。そこそこ大きいのであるが、24mm側ではフィルターが使えないということらしい。しかし、いちいち24mm側にした時にフィルターを外すのも機動性が失われるため、事実上は「フィルターの使えないレンズ」と言えよう。 それにしても、こんなレンズの存在が許される時代になったのか・・・。 ---------------------------------------------------- [502] 2004年08月07日(土) 「未来」 我輩が小学校低学年の頃、我輩の名前を知らぬ者はいなかった。 当時はまだ、父親と母親と一緒に暮らしていたのだが、父親は選挙カーに乗って自分の名前を連呼していたのだから、名前が知れ渡っているのは当然である。 まだ幼い我輩ゆえに選挙活動の意味も知らず、同級生にからかわれても何とも思わず無邪気なものだった。 時には父親に連れられ、どこか知らぬ場所(今から考えると役所か)で2人でプラカードを持ったりした。その行動がどういう意味かは分からなかったが、深く考えるには幼な過ぎた。 当時の記憶を呼び覚まして現在の頭で考えると、色々と父親の政治活動の場に連れて行かれたのだ。 (参考:雑文410) 現在、我輩は父親とあまり仲が良くないが、あまり接触の機会も無いため無問題。最近では4年前に一度会ったくらいだ。 (参考:雑文072) しかし、今の我輩自身を考えてみれば、選挙で投票する以外に何も政治に参加していないことに気付く。 世の中の風潮を嘆いたりはするものの、特に自分で活動を起こしているわけでもない。 結局は人任せ、政治家任せ。 先日の選挙では、我輩は少年法改正について積極的な政党に投票しようと考えたのだが、選挙公約で大きく謳っている政党は無かった。だが、たとえ公約で大きく謳っていようとも、公約が実行されるかどうかは分からない。 有権者は政策に投票するのではなく、政党に投票するのである。よって、国民審判と言われる選挙であろうとも、結果的に民意が反映されることは少ない。某政党が選挙で惨敗しても頑なに「我々の政策は国民に支持されている」と言い張ることが出来る。 そもそも、公約に無いことを実施させるには投票行為だけでは不可能。 結局、世の中を変えるには、自分自身が公約を掲げ立候補せねば何も始まらぬ。未来の自分たちの生活は、与えられるものでも選ぶものでもない。自分自身が創り出すこと以外に方法は無い。 そういう意味では、こんなことを言うのは悔しいのだが、父親はその点に於いてのみ尊敬出来る。 父親の姿を思い返すと、我輩は、今の自分の行動が極めて受け身だと感ずる。 労働条件、地域の治安、税金など、日常での不満は数多い。しかし不満がありながらも現在の生活をそのまま受け入れているのだ。 人間は、生きる目的の一つとして、世の中を変えていかねばならない。 世の中を変えることが出来なければ、つまり、自分が生まれる前と死んだ後を見比べて、世の中が全く自分の影響を受けていないのであれば、それはすなわち、自分が居ても居なくても関係無かったということになる。 それで良いのか? 未来とは、未だ来ていない時代のこと。 未来がどうなるかは未定。現時点で決まっていることは何も無い。しかし、未来は現在の延長上にあることは確かである。つまり、現在の我々の行動が未来の姿を創り出す。予定されたものが自動的にやってくるのではない。何もせず待っていれば良いものではない。 未来とは、現在の我々が創るもの。 さて、この話をカメラの分野に当てはめることも可能である。 現在、デジタルカメラの性能が向上し、銀塩カメラのシェアを押し下げている。 それにより、将来は銀塩写真が根絶してしまうのではないかという意見も出ている。確かにその意見はデジタル電子写真以前のアナログ電子写真(いわゆる"電子スチルカメラ")の頃から言われ続けている。 しかしながら、デジタルカメラの性能がどれほど向上しようと、銀塩写真のクオリティを越えることが出来ない面があるのは明白。 なぜならば、デジタルは論理的な限界値がある。 一つは光量幅の問題。 プリントしてしまえば銀塩もデジタルも同じだが、透過光で観るとかなりの違いが出る。 (参考:雑文143「デジタル画像の表現幅」、雑文144「ディスプレイ」) いくら技術的にディスプレイの光量を上げることが出来ようとも、ワープロやWebブラウジングにも使う汎用パソコンの画面をこれ以上明るくするわけにはいかない。そんな明るいディスプレイで文字を読み書きしていれば目を痛めるのは間違いない。ディスプレイメーカーにとってはPL法訴訟もの。 もし写真閲覧に限定したパソコンがあれば心おきなく光量を上げることも出来るのだろうが、写真用途だけのためにそんな限定されたパソコンを買う物好きは少なかろう。 <<画像ファイルあり>> SONYトリニトロンディスプレイによるデジタル画像の表示と、イルミネータによるリバーサルフィルムの表示を同時に見た状態。この写真では、イルミネータの輝度を"白"として調整した。ディスプレイの"白色"は、リバーサルフィルムの"灰色"に相当。ただし、このイルミネータの白色でも、自然光に比べれば灰色でしかない。 シャッタースピード:1/15秒 また一つの問題は、画像の緻密感。 デジタル写真の場合には、写真の緻密さはディスプレイやプリンターなどの出力機器の解像度に依存する。 現在世の中に出ているパソコンの画面で、一番細かい表示は205dpi(SONY VGN-U50の液晶ディスプレイ)である。この画面で写真を表示させると非常に緻密に見える。しかしそれは、RDP3などの超精細リバーサルフィルムにはかなわない。RDP3の持つ情報密度はどれくらいか知らないが、少なくとも4,000dpiのフィルムスキャナでも読み取るには十分ではないという事実が参考となろうか。 しかしこれに対抗してパソコンの画面解像度がこれ以上上がるというわけではない。なぜならば、この解像度では通常のパソコン作業が目にツラく、文字を読み続けるのは苦行と言えるからだ。 以上のことから、銀塩写真のクオリティを完全に包含させてデジタルに置き換えるとは不可能だということが解る。 確かに一方向の価値観から見た評価ではデジタル写真は銀塩写真を越える、あるいは将来的に越えることになると言えるだろうが、デジタル写真で銀塩を越えられない価値観も確かに存在するのだ。 ところで、一般大衆はクオリティよりも利便性を重視する傾向がある。もちろん、クオリティが良ければそれに越したことは無いが、そもそも良いものを知らなければクオリティの低いものでも気付くことは無かろう。 そういう意味では、デジタルカメラの台頭は理解出来る。 しかし、世の中の流れがそれで良いのかと言えばそうではない。 自分自身が銀塩の価値観を求めるならば、世の中の流れを変える努力も必要であろう。銀塩文化が縮小していくのを、ただ、黙って見ているだけならば、それは、自分が生きている意味を見出さないのと同じ事。 今の自分に出来ることは何か、それを問い、それを実行する。それこそが、今自分がここに存在する意味の一つであると言える。 我輩は、将来の予測を行う時は、自分の活動が世に影響を与えることを前提にしている。それくらいのつもりが無くては、手間ヒマかけてサイトの運営など出来ようか。 世の中の動向に一喜一憂し、その流れに乗ることしか出来ない受け身の人間になりたいか? 答えは否。 自分は世の中を変える。 だからこそ、今を生き、ここに存在している。 だからこそ、2つの写真サイトを運営し啓蒙活動を行っている。 北風のように単刀直入に主張するサイト(ダイヤル式カメラを使いなサイ!)、太陽のように暖かく写真を見せるサイト(中判写真のサムネイル)。 他にも、機会あれば周囲に銀塩の良さを講釈したり、自らもフィルムを大量に購入・現像したりと、活動を続けている。 もし50年後にも銀塩写真文化が生きていたとすれば、その時には、「それは我輩の努力によるものだ」と言い切るつもりである。 未来は、自分の手で創る。 ---------------------------------------------------- [503] 2004年08月15日(日) 「夏の帰省日記(1)」 ●夏の帰省 雑文500「今年の帰省計画」にも書いたとおり、今年の夏は豚児に曾祖父母と会わせるために九州へ帰省する予定である。 重要なのは、その様子を写真に収めること。そうすれば豚児の記憶が薄れたとしても、写真の説得力は曾祖父母との距離を縮めてくれよう。 豚児が成長した時にどのように考えるかまでは関知しないが、後になって当時の記録が必要になったとしても最初から無ければ話にならぬ。 親としては出来る限りのことを行う。 --------------- ●切符の取得 東京から小倉へ向かう寝台列車は、「はやぶさ/さくら(連結)」あるいは「富士」。いわゆるブルートレインである。 それぞれに個室がA個室「シングルデラックス」が14室とB個室「ソロ」が18室ある。シングルデラックスは室内に洗面所があり、天井も高い。ソロは上下に部屋が分かれており、部屋半分の天井が低くなっている。 料金としては、当然ながらシングルデラックスのほうが高く、寝台料金として13,350円となっている。それに対してソロは6,300円と開放型のB寝台と同じ料金でお徳である。それ故にソロは人気が高い。 ソロの切符取得は最初から諦め、シングルデラックスを狙うことにした。料金が高い分、予約が埋まるのはソロより遅いだろう。それに、少しでも広いほうが長旅での疲れが違ってくるだろうと考えた。 1日のうち、この2列車しか寝台列車は無い。ということは、個室は28室しか無い。このうち2室を得ようとするのだから、ソロでなくともやはり競争率は高い。 JRの指定切符が買えるのは1ヶ月前の午前10時からとなっている。当然ながら、行きと帰りはそれぞれ1ヶ月前に買うことになる。 まず、行きの切符を買う日がやってきた。 朝10時と言えば、我輩は職場にいるため駅に出向くことが出来ない。そこでやむなくヘナチョコ妻に託し、その日は出社した。 職場でふとしたことで寝台列車の切符の話をしたところ、課長が「そういえば、ウチの最寄り駅でも10時前にはみどりの窓口で行列が出来てたなあ。整理券配っとったんと違うかなあ。」とポツリと言った。 なにいーっ、朝10時はそんな状態になっているのか!? 関東圏に限っても、みどりの窓口のある駅は無数にある。それぞれの駅で一番乗りを果たしたとしても、それでもみどりの窓口の数だけは競争相手が居ることになる。競争相手のうち寝台列車を狙う者はどれくらい居るか分からないが、寝台個室でなければ朝から並ぶ必要も無く、また寝台個室はWeb予約が不可能であるから、窓口で並ぶ者が狙うのは寝台個室である確率が高い。 見ると時計は10時15分。万事休す。 「クソッ、読みが甘かったか・・・。」 我輩は急いで家に電話をかけた。 「切符は!?」 「取れたよ。」 「取れた?1室だけじゃなくて2室取れたのか?」 「取れた。」 我輩はホッと胸をなで下ろした。 「ヘナチョコのくせによく取れたなあ。」 勤務時間中なので電話はそこそこにして、詳しいことはメールを入れてもらった。 それによると、豚児と一緒に駅まで歩いて行く関係上、少し早めに家を出たらしい。そして10時少し前に駅に着いた。窓口で前日に我輩が記入しておいた申込用紙(第三希望まで記入可)を出すと、2番目の順番だと言われたという。10時になるとその順番で予約を入れるらしい。ところが受け付けた駅員が寝台個室であることを見て、「2室取るのは難しいかも知れないから、こちらを先に予約いれましょう。」と配慮してくれたそうだ。 その結果、「はやぶさ/さくら」の個室2つが取れたのだ。あいにく隣同士の部屋ではなかったが、取れただけでも幸運と言わざるを得ない。 今回判明したことは、申込用紙の受付自体は朝6時からだという。そしてその受付順に予約を入れていくとのこと。もっとも、他の駅では行列と整理券が必要なのかも知れないが。 数日後、今度は帰りの切符を買う日がやってきた。 この日は日曜日だったため、我輩が8時頃に駅へ行って申込用紙を出した。前回は10時少し前に出して2番目だったのであるから、8時であれば1番乗りになれるだろう。 ところが窓口へ行くと「2番です」と言われてしまった。 「個室2つは厳しいですねー、取れるかなぁー。」 係員は渋い顔をした。 ヘナチョコの時は1番にしてもらったのだからと少し期待したのだが、しかし受付を1番目にするという配慮は無かった。まさか我輩から1番にしてくれと言い出すわけにもいかぬ。 今回は申込書を継ぎ足して第四希望まで書いた。最悪でもシングルデラックス+ソロという組み合わせであっても切符は取りたい。 10時まで時間があるため、我輩はそのまま家に戻った。 10時前、ヘナチョコが買い物に行くというので、切符をもらってくるよう頼んだ。 朝が早かったため、我輩は豚児と共に朝寝をした。 しばらくして目を覚ますと、切符があった。ダメかと思っていたが、第一希望の「富士」の切符であった。もしかしたら、窓口の係員が気を利かせてそれとなく1番にしてくれたのかも知れない。そうでなければ2室取れまい。 我輩は、駅の方向を向いて感謝した。 <<画像ファイルあり>> --------------- ●1日目(8月7日)−寝台列車− この日の出発は18時だったため、夕方家を出た。 カメラは当初の予定通り「New MAMIYA-6」なのだが、先日の蔵王にて(参考:雑文501「蔵王のお釜(5)」ファインダー部を割ってしまったため、代カメラとしてのもう1台のほうを持ってきた。こちらは5月に同じくファインダー部を割ってしまい修理したばかりだった。 修理直後のカメラであるから、調子は良かろう。 我々は東京駅に着いて駅弁をゆっくり選び列車に乗り込んだ。ちょうど小雨が降り始めていた。 個室は事前に調べていたとおりの部屋で、AC100Vのコンセント(ヒゲ剃り用としての容量の小さな電源らしい)もある快適な空間だった。 しばらくすると、長旅の世話をしてくれる車掌殿が検札に廻って来た。映画「リーサルウェポン」に出てくる不動産屋のオヤジに似ており親しみが持てた。 とりあえず、滅多に乗れぬこの個室の様子を写真に収めようと考えた。 露出計代わりのデジタルカメラで撮影すると、天井が白色なためにバウンス撮影で十分いけることが判った。 「これは良い写真になるな。」 我輩はストロボをNew MAMIYA-6に接続し、シャッターを切った。 ところがストロボが発光しない。 恐らく接点の接触が不良なのであろう。よくあること。 シュー部分をキッチリとセットし直し、再び撮影する。 ・・・今度も不発。 ならばと、今度はシンクロコードで接続してみた。 ・・・やはり不発 その後、レンズの電気接点を磨いたり沈胴メカを何度かカチャカチャとやったりしてみたが、1度たりともストロボが発光することは無かった。 もちろん、ストロボ側も疑ってみたのだが、ストロボ自体はデジタルカメラで正常に使えているのだから不具合は無いと見る。 我輩は、事態の深刻さをだんだんと感じてきた。 我輩にとって、人物撮影ではストロボは不可欠。 そのストロボが使えないというのであれば、撮影は不可能であることを意味する。 これでは、九州へ帰る第一目的が果たせないではないか・・・。 何ということだ。今この瞬間、走行中の寝台列車居るのだ。代わりのカメラを取りに帰ることは出来ない。 現地(小倉)で代わりのカメラを調達しようにも、雑文362「長期休暇撮影3(万博公園撮影日記)」でも書いたように、小倉では大きなカメラ店は全く存在しない。 小倉は北九州を代表する商業都市であるというのに・・・。 しかし念のために、列車の電話から九州の実家へ電話をかけ、「インターネットで検索して大きなカメラ店を探しておいてくれ」と母親に頼んでおいた。 中古で同タイプのカメラボディがあれば一番良い。それならレンズは買わずに済む(不調の原因がレンズ側という可能性もあるが)。 しかしそれがダメならば新品でも良い。新品ならば現行品である「MAMIYA-7」あたりにしよう。これは67判ではあるが、トリミングによって66判とすることが出来る。66判に比べて撮影枚数が減るのは仕方無い。 いずれにせよ、用が済めば売却するつもりなので機種にはこだわらない。 ヘナチョコには「緊急事態だから頼む」とキャッシュカードを受け取った。 そんなことを考えていると、寝台列車は突然、何の関係も無い新居町(あらいまち)駅で停車した。 そしてそのまま10分ほどして車内アナウンスが流れた。 「現在、名古屋にて集中豪雨のため、運転を見合わせています。発車までしばらくお待ちください。」 結局、列車は2時間ほど待ってようやく発車した。 それでも我輩は、「寝台列車というのは、元々時間調節のために途中で速度を落としている」と考えており、遅れの心配はしていなかった。というのも、時刻表を見ると広島ー岩国間を4時間半もかけて走るため、いざとなればこの区間は一気に走り抜けることも出来よう。 夜も遅いため、室内灯を消して眠りについた。 --------------- ●2日目(8月8日)−カメラ購入− ところが翌朝起きてみると、まだ広島にさえ着いていなかった。 広島は本来、夜中の1時頃に通過する予定。それが、朝7時になってもまだ広島には到着していない。 車内アナウンスでは「3〜4時間遅れとなる見込み」と言っている。 我々は、車掌殿の勧めに従って広島駅にて新幹線への振替えで小倉へ向かった。 カメラ調達のための時間が必要であるというのに、この上列車遅延による時間浪費が加われば予定が大幅に狂ってしまう。 さすがに新幹線は速く、小倉到着は当初の予定より1時間半遅れで済んだ。 小倉駅では我輩の母親が出迎えに来ており、事前に調べてもらっていたカメラ店「岡林カメラ」へ行った。 しかしそこは商店街にある小さなカメラ店で、中判カメラはMAMIYA645の中古がかろうじて置いてある程度だった。 無駄だとは分かっていたが一応訊いてみた。 「MAMIYA-7はありますか?」 「・・・置いてないです。」 予想はしていたが、やはり小倉では無理か。 我輩は、ヘナチョコと豚児を母親のマンションに残し、単身博多へ行くことを決心した。博多ならば多少大きい店はあろう。 そう言えば、予備校時代に博多天神で、店名は忘れたが大きなカメラ店に行ったような記憶がある。 急いで小倉駅へ引き返し、新幹線に乗って時速258kmで博多へ向かった。 約20分後、博多駅に到着し、案内所の女性に訊ねた。 「この近くで大きなカメラ店はありますか?」 「ヨドバシカメラがありますよ。」 我輩は言われたとおりの方向に歩いた。すると、馴染み深いヨドバシカメラの看板が見えた。 「良かった、ヨドバシならMAMIYA-7くらいはあろう。」 雑文362「長期休暇撮影3(万博公園撮影日記)」では梅田のヨドバシカメラにフィルム不足を助けられたことを書いた。 博多のヨドバシカメラ店内は梅田店と似ており頼もしく思えた。 早速、カメラ売り場へ行った。 そこには一人の男性店員がおり、何かの伝票を書いていた。 「この店員に相談に乗ってもらおう。」 とりあえずMAMIYA-7の値段を確認しようとショーケースを覗いてみた。 すると、下のほうにBRONICA SQ-Aiとそのレンズが展示してあるではないか。 「おお、これなら66判でフィルムの無駄が無い。何より使い慣れているカメラだ。後で売れなくとも予備カメラとしても利用価値はある。」 我輩は店員のほうを向き直ったが、そこには先程の男性店員はおらず女性店員がいた。 女性ということで少し不安だったが、時間がもったいないので声をかけ、SQ-Aiとその広角レンズの在庫を訊ねた。 女性店員は端末で在庫を調べてくれたが、メーカー取り寄せとなるようだった。 「取り寄せますか?」と言われたため、我輩は事情を話して協力を仰ぐことにした。 「旅先でカメラが壊れて、代わりのカメラを調達しに来たんです。もし可能なら展示品は売れませんか?」 「そうなんですか。ということは、店に在庫があるカメラじゃないとダメということですね。あいにく、この展示品はメーカーデモ品なので売れないんです。」 女性店員はSQ-Aiを手に取り逆さまにした。底面には"メーカーデモ"と書かれたシールが貼ってあった。 ならばMAMIYA-7ではどうか。 女性店員はこちらも調べてくれたが、最後の在庫が出てしまっているとのこと。 「うーむ、どれなら在庫があるんだろう・・・。」 「高額商品なのであまり置いてないんですよ。地道に1機種ずつ探してみましょう。」 しかしいくら在庫があってもハッセルブラッドなどは手が出ない。広角レンズだけでも実売40万円はする。ボディやフィルムバックを揃えれば60万円にもなる。 ふと、645判の「FUJI GA645Zi」や「BRONICA ETR-Si」、「BRONICA RF645」、そして「MAMIYA 645」などが目に入った。 「645判ならば種類も多く人気があるため在庫がある可能性も高い。いっそ、645判で行くか・・・?」 しかし、すぐに我に返った。 「馬鹿野郎、今まで豚児を66判で撮ってきた苦労は何だったんだ?豚児撮影用の制式フォーマットとして66判を選んでここまで来たはずだ。それを今さら645判に変更するとは何事か!」 写真整理、プリントは全て66判のサイズで定型化させてある。これに別のサイズが混入すると秩序が乱れ、収拾がつかなくなる。 確かに、ヘナチョコが使う豚児撮影用として645判の「FUJI GA645Wi」があるが、これも66判ではないという理由から、公式に豚児写真として認めるには至らない。66判以外は、あくまで参考写真という位置付けなのだ。 (4x5などフィルムの判型が大きければ良いという意味ではない。仮に4x5で撮ろうとも、制式フォーマットの66にトリミングすることになる。) どうしても66判カメラが無理ならば、66判よりも大きな67判しか無かろう。そうすればトリミングで66判となる。 "大は小を兼ねる"ということ。 我輩は、あるカメラを指さした。 「これはありますか?」それは、「MAMIYA RB67」だった。 とても手持ちで撮影出来そうにもないが、ボディ価格約9万円と比較的手頃であった。これにフィルムバック約3万円と広角50mmレンズ約11万円を加えて約23万円。 果たして、RB67の在庫はあった。 店頭でカメラを組んでもらい、元箱は後で不調のMAMIYA-6を詰めて自宅へ送り返す。 カメラ売却時にも元箱があると都合が良い。 <<画像ファイルあり>> MAMIYA RB67/C50mm F4.5 それにしても、RB67はデカい。フィルムバックを換えることによって68判も撮影可能であるから当然か。重さはそれほどでははないが、カメラ形状として手持ちでの撮影が少しツライ。手持ちが楽なPENTAX67も考えたのだが、値段が高すぎる。 RB67はピント合わせは天体望遠鏡のようなラックピニオン式で、またそれとは別にフローティング用のヘリコイドリングも調節せねばならない。つまり、ピント調節をした後に距離を読み取り、その距離をフローティングリングにセットする。 デカいカメラを手で支えながら一連の操作を行い、ブラさずシャッターを切る。ストロボを使おうとも、暗いシチュエーションではスローシンクロとなるため、やはりブレる恐れは大きい。 このカメラ、1/15秒で手持ち撮影出来るか・・・? また我輩は目が悪いため、視度補正レンズ-3ディオプターを頼んだ。しかし、-2ディオプターのものしか在庫が無いと言う。無いのであれば-2で我慢するしかない。視度は撮影時に調整する(参考:雑文353「メガネ代わり」)。 我輩は協力してくれた女性店員に礼を言い、カメラを手にして時速258kmで小倉へ戻った。 この日は小倉の駅ビルにある「ステーションホテル小倉」へチェックインした。 ここでとりあえず室内撮影をしてみた。 ストロボをカメラ側のシューに固定。ストロボのシンクロコードをレンズ鏡胴のシンクロコネクタに接続。コードが短いためピンと張ってしまうが仕方無い。 まず、ウェストレベルファインダーが戸惑った。左右が逆であるため、豚児を追い切れない。 しかし、2年前まではBRONICA SQ-Aiでウェストレベルファインダーを常用していたため、しばらく使っていると感覚が戻ってきた。 ただし、視度が合わないのは面倒である。ルーペを指で少し押し込んで調整すれば良いのだが、ホールドした右手親指が届かない。BRONICA SQ-Aiの時には届いたのだが・・・。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Aiの場合 これではとても手持ち撮影が不可能であるため、ルーペは糸で引っ張った状態にしておくことにした。 これで、いちいち指で押し込まなくとも視度が合うようになった。糸であるから邪魔にならず、通常通りファインダーが折り畳めるのが良い。 <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> 糸で引っ張った それにしても初めて使うカメラだけに、説明書を良く読んで使い方を勉強せねば、現像してみたら全く写っていなかったでは済まされない。 ところで、カメラをいじっていてふと気付いたことがある。 まず、持参したフィルムが120と220であること。今回購入したMAMIYA RB67では220フィルムは使えない。120のほうのみを使うことになる。そうなるとフィルム本数が足りない。ただでさえ66判から67判へと替えたために撮影枚数が少なくなっているというのに・・・。 「しまった、博多のヨドバシカメラで120フィルムを調達しておくべきだった。」 またさらに、このカメラにはセルフタイマーが付いていないことに気付いた。セルフタイマーが無ければ、自分を含めた記念写真が撮れない。 当初はセルフタイマー内蔵のNew MAMIYA-6を予定していたため、単体セルフタイマーは持参していない。 「しまった、博多のヨドバシカメラで単体セルフタイマーを調達しておくべきだった。」 岡林カメラや他のカメラ店を色々と探したが、結局、単体セルフタイマーは北九州には存在しなかった。 夕方、食事をするために小倉駅前の伊勢丹(以前は「そごう」だった)のレストラン街へ行った。 我輩は撮影練習をするためカメラも持って行った。 このカメラの形態はBRONICA SQ-Aiと同じながらも、やはり大柄で手持ち撮影はやりにくい。66判のつもりで撮影するのだが、どうしてもファインダーに映っている全ての範囲で見てしまう。もちろん67判で撮るにしても、このカメラはレボルビング機構を搭載しているために上下あるいは左右に写らない範囲が存在するので注意が必要。 それにしても、シャッターを切った後シャッターチャージをするためのレバーを操作し、さらに続けてフィルム巻き上げレバーを操作しなければならないのは面倒。 またピントのほうでも、ピントグラスで調節した後にフローティング用ヘリコイドを回して距離を合わせねばならない。 まるで2台のカメラを操作しているかのようである。三脚に固定してあるカメラならばまだしも、巨大なカメラを手で保持しながら一連の操作を行うのは大変である。 我輩は食事中の風景を何枚か撮った。しかし、それが実際に写っているかどうかが不安に思う。 何しろ、現像して確認する頃は、この旅が終わっているのである・・・。 <食事中> <<画像ファイルあり>> MAMIYA RB67PRO-SD/50mm (次回へ続く) ---------------------------------------------------- [504] 2004年08月16日(月) 「夏の帰省日記(2)」 ●3日目(8月9日)−曾祖父母− この日は、我輩の父方の祖母に会うことになっていた。 4年前に20年ぶりに再会したきりであるから(参考:雑文072)、元気でやっているか心配だった。聞いたところによれば、腰を痛めてリハビリ中だとか。もう88歳でもあり、今のうちに豚児に会わせておかねばならない。そうでないと後悔を残す。 昼頃、我輩とヘナチョコ、そして豚児の3人は、仲介役の叔母の家に行った。 豚児は叔母とは初対面だったが、結構打ち解けるのが早く叔母と一緒に遊んでいた。この様子ならば、祖母が来ても大丈夫だろう。 「なん、カメラが壊れたっちゅうたねぇ。新しいの買うたんち?(なんかカメラが壊れたらしいね、新しいの買ったって聞いたけど?)」と叔母は我輩に言った。 どうやらカメラの話が方々を回っているらしい。 しばらくすると、表に車が一台止まる音がした。そして玄関の戸が開いた。 皆で見に行くと、父親と祖母がそこにいた。 祖母はかなり足腰が弱っているように見えた。父親が手を貸して居間に案内した。 この父方の祖母にとっては、豚児は初曾孫であるそうで、とても嬉しそうだった。それに対して父親は、少しキョトンとして豚児を見ていた。何か不思議な物を見るような感じだった。孫という実感があまり無かったのだろうか。 豚児は最初、誰が来たのかと驚いていたが、しばらく経つと慣れた様子。我輩は豚児に「じーちゃん、ばーちゃん」と呼ばせた。 2人とも非常に喜んでいた。 特に祖母は、我輩の膝を叩いて「もう一回、ばーちゃんっち言わせてんね。(もう一回、ばーちゃんって言わせてよ。)」と催促した。 我輩はその場の様子をMAMIYA RB67で撮影した。 大きなカメラながらも、皆誰もカメラを意識することが無かったのは良かった。 ただ父親は、撮影後に脇に置いたカメラをシゲシゲと見て言った。 「おお、カメラが壊れたっち言うたなあ。(おお、カメラが壊れたって聞いたぞ。)」 そこまで噂が行っているのか。 父親は我輩に何かの印刷物を取り出して見せた。某政党の広報誌らしかったが、そこには若者数名が写ったカラー写真が掲載されていた。父親はその写真の若者の中の一人を指さして「これがA子だ」と言った。 A子とは、父親の娘である。22歳になったと言う。 その時は撮影や豚児と祖母との相手で忙しくフーンと思っただけだったが、後でよく考えてみれば、父親の娘とは我輩の妹ということになるか。 もっとよく写真を見ておけば良かったと後悔した。 しばらくして皆で集合写真を撮ることになった。 最初は父親が用意したカメラで撮る。 まず三脚をセット。後で我輩もその三脚を使わせてもらう。 三脚の次はカメラだが、4年前の再会時には父親はMINOLTA α-9000を持参していたが、今回はなぜか旧式のMINOLTA SR-T 101 であった。どうやらα-9000は故障して修理不能となったらしい。 セルフタイマーが作動し皆カメラのほうを向いたが、シャッターが切れてもストロボが発光しなかった。何度やっても変わらない。 「なん、親子してカメラが壊れちょるんね。(なに親子でカメラが壊れてんの。)」と叔母が笑った。 結局、集合写真は我輩のカメラのみで撮ることになった。 失敗は許されないのでデジタルカメラNikon COOLPIX5400で試し撮りをする。 小型ストロボのためバウンス撮影では光量が足りず露光不足となる。そのため、光を直当てすることにした。自然な光であることよりも、鮮明に記録することを優先させる。 セルフタイマーが無いので叔母と交代でシャッターを切った。 祖母は、別れ際に豚児の手を取って手の甲にキスをした。豚児はビックリして手を引っ込めたが、祖母の目は温かかった。次はいつ会えるか分からない。これが最初で最後ということもあり得る。そう考えると、祖母は悔いを残したくなかったのだろう。同じ時間と空間を共有し、そして肌が触れ合った曾祖母と曾孫。 我輩は、それがとても羨ましく思えた。 皆、玄関先に出て、祖母を車に乗せて見送った。 去っていく車の中の祖母は振り向かなかったが、腰を痛めているので振り向けなかったのは分かっている。その後ろ姿に、皆で手を振って見送った。 <別れ際> <<画像ファイルあり>> MAMIYA RB67PRO-SD/50mm 「行っちゃったねぇ。」 叔母とヘナチョコは家に入った。我輩も豚児を抱えて家の中に入った。 「豚児、今日のことは忘れても、曾バアちゃんの顔を覚えていなくとも、ちゃんと写真は撮ったからな。いつかおまえが家族の絆を考える時が来た時に、この日のことを写真を見ながら話してやろう。」 その後、しばらくして我輩の母親が駅からタクシーで来た。そしてそのタクシーに乗って母方の祖父母の家に向かった。この日から2日間はそこで寝泊まりする予定。 到着すると、祖母が出迎えた。豚児にとってはもう一人の曾祖母である。 「よう来たねー!疲れちょろう?さ、はよう入り!」 相変わらずの大声で、こちらの言う言葉がすべてかき消される勢い。 猛暑だったためまず風呂で汗を流し、そして夕食時には、祖母が作ったバーチャン料理が出た。あまりに大量にあるため、食べきれない。 食後のデザートも大量で、瓜やスイカや巨峰などが出てきた。豚児はスイカやブドウが大好きであるから、「ブドー、ブドー!スイカー!」と大騒ぎだった。 1ヶ月前から祖父母の写真を見せて慣らしていたせいか、豚児は最初から人見知りしなかった。特に曾祖父は写真とそのままだったようで気になるらしく、「ひいじいちゃん」と呼びながら顔を見に行ったりした。 <"ひいじいちゃん"と呼びかけている豚児> <<画像ファイルあり>> MAMIYA RB67PRO-SD/50mm しかし、そうやって家の中を行ったり来たりしているうち、突然豚児が「痛い痛い〜!」と泣き始めた。 「またか」 いつもは何でもないことでも「痛い」を連発するので放っておいたのだが、やけに真に迫っているので念のため皆が駆け寄ると、廊下を仕切る扉と壁との隙間に親指以外の4本指が挟まり取れなくなっていた。見ると、かなりキツく挟まっている。 それを見て、一瞬血の気が引いたが、床の間にある模造刀を持ってきてもらい、それを隙間に突っ込んでテコの要領でゆっくりと扉を開けた(本当は隙間を広げるつもりだったのだが、扉が開いてくれたので指が抜けた)。 指を見ると少し赤くなっていたが、骨に異常は無さそうだった。指を握ってみてもあまり痛がらない。豚児は泣き疲れたのかそのまま眠ってしまった。 その晩、我輩はそれまで撮ったビデオをパソコンに取り込み編集した。とりあえず、1日分のAVIファイルが出来上がった。 --------------- ●4日目(8月10日)−源じいの森− この日は、近くにある「源じいの森」という場所に遊びに行くことにしていた。そこにはキャンプ場と温泉があり、豚児に夏休み的自然に触れさせようと考えたのだ。 しかしその前に寄りたい場所があった。 それは、この町の歴史資料館。 そこでは、我輩が小学生の時に担任だったN先生が館長を務めている。N先生は、我輩の母親と叔母も教わっており、この日は母親も一緒に行くことになった。 暑い中、歴史資料館へ歩いて行くと、館内は広く涼しかった。 すぐさま係員が近付いてきた。 「常設展示ではなく特別展示のほうですか?そちらでしたら入場料は必要ありませんが・・・。」 我々は展示には興味が無かったため、その言葉を遮った。 「N館長はいらっしゃいます?」 「・・・え?N館長はかなり前に辞めておりますが・・・。」 「ありゃー、そうなんですか。」 皆で顔を見合わせて頭を掻いた。 仕方無いのでそこからタクシーを呼んで平成筑豊鉄道の新豊津駅まで出た。そこから源じいの森駅まで行けば良い。 時刻表では1時間に1本の運行となっている。 無人の駅に設置してある整理券を取り、10分ほど待ってやってきたワンマン気動車(1両編成)に乗った。 運転台横には、バスのものと同じ料金箱があり、降りる時に整理券と一緒に料金を入れる仕組み。 源じいの森駅に着くと、料金を払って降りた。その時に運転手から乗車証明書をもらった。この証明書を提示すれば、温泉施設のほうで入場料が割り引かれるのだ。 我々はまず温泉に入ることにした。 <源じいの森温泉> <<画像ファイルあり>> MAMIYA RB67PRO-SD/50mm 叔母から聞いていた話では、そこには家族風呂もあるのだが、いつもは混んでいるので予約が一杯で入れないと言う。 まあ、別に大浴場でも良い。むしろそのほうが温泉という気分も出る。 一応、念のためにカウンターで家族風呂に入れるか訊いてみたところ、この日は空いているようで大丈夫だったので1時間借りることにした。 家族風呂は野菜の名前が付いており、我々は「ピーマン」と名の付いた部屋に向かった。 そこはまるで旅館の一室のようになっており、テレビなどもあった。そして奥に風呂場があり、そこで温泉の湯を張り入るのである。 <家族風呂に着衣のまま入ろうとする豚児> <<画像ファイルあり>> MAMIYA RB67PRO-SD/50mm 前の晩に豚児が指を挟んだこともあり、手を取って温泉の湯に浸けて少し揉んでみた。外見上は全く判らず背中にも登ってくるくらいであるから大丈夫だろう。 入浴後、時間が来るまでのんびりとして過ごした。 次に、食事をするために食堂へ行った。 そこではほとんど客がおらず、これまたのんびりと食事をした。 その後、大広間に移動し、クッションを枕にして寝そべってウトウトした。 大広間は天井が高く、そしてかなり涼しかった。 のんびりした時間がとてもリラックス出来た。 <涼しい大広間> <<画像ファイルあり>> MAMIYA RB67PRO-SD/50mm 帰ろうとする途中、マッサージチェアの部屋があったため、そこに寄った。 ここでもしばらく過ごしたが、ヘナチョコに抱かれている豚児が窓を指さして「虫!虫〜!」と叫んだ。見ると窓ガラスに大きなゴキブリが這っていた。 「アリさんー!」 「あれはアリじゃなくてゴキブリ!」 皆で大笑いした。 帰りは汗をかくのがイヤだったため、タクシーを呼んでもらおうとしたのだが、この近所にはタクシー会社が無いとのことで、再び平成筑豊鉄道に乗って帰ることになってしまった。 まったく、これだから田舎は・・・。 <サンダルを履かせて帰るところ> <<画像ファイルあり>> MAMIYA RB67PRO-SD/50mm (次回へ続く) ---------------------------------------------------- [505] 2004年08月17日(火) 「夏の帰省日記(3)」 ●5日目(8月11日)−門司港・下関− この日の夕方には帰りの寝台列車に乗る予定となっている。 その時間が来るまでは、我輩の母親と一緒に門司港〜下関へ行こうということになった。そのため、昼前に祖父母の家を出た。 祖父母との記念写真を撮り、そしてタクシーを呼んだ。 JR行橋駅まで出て、そこからソニックに乗り小倉へ。そしてそこから乗り換えて門司港へと到着。 <門司港駅> <<画像ファイルあり>> MAMIYA RB67PRO-SD/50mm そこで皆で食事した後、船で関門海峡を渡った。船は思ったより速く、波を乗り上げるようにして進む。そのため時々無重力になるのを感じた。豚児は目を丸くしていた。 船を降りて下関水族館へ行ったのだが、昔行った下関水族館とはまるで変わっていた。新しい水族館は「海響館」と言うらしい。 真ん中に鯨の骨格が原寸大で展示されており、かなり凝った造りになっている。上下左右に魚が泳いでいるトンネルなどもあり、魚好きの豚児は「おさかな!おさかな!」と指さして廻っていた。 水族館内はかなり暗いため、写真はまったく撮らずデジタルビデオだけを回した。しかしそれでも写らない暗い場所もあるため、赤外線照明の「ナイトモード」で撮ることもあった。 帰りはタクシーに乗り、関門橋(かんもんきょう)を渡って小倉へ戻った。 小倉では夕食と次の日の朝食を買い込み、しばらく駅の軽食コーナーで話をしていたが、時間が来たのでホームへ行った。我輩の母親も入場券で見送りに来た。 かなり暑かったが、母親は最後に豚児を抱っこした。豚児は「ばーちゃん」と呼んだ。 しばらくすると、寝台特急「富士」がホームに入ってきた。 我輩たちとヘナチョコと豚児の3人はそれに乗り込み、すぐに部屋へ入った。その窓からホーム側を見ると、母親がこちらを探しているのが見えた。窓は開かないのでガラス越しに手を振ると、こちらに気付き手を振り返した。 「ガシャン」と大きなショックの後、列車がゆっくりと動き出した。来る時とは違って編成の後ろの車両のためショックが大きいようだ。 母親は歩きながら窓に手を振っていたが、やがて列車の速度が上がり、その姿が見えなくなった。 またいつか会えるのだろうが、やはりこの瞬間が一番寂しい。 帰りの寝台では部屋は隣同士で便利だった。 列車は長い関門トンネルをくぐり、先ほどいた下関駅へ到着。ここでしばらく止まっていたので、片方の部屋で3人で食事をした。 食後に豚児の歯を磨いたが、暴れて泣き出した。しかしその後泣き疲れたのか眠ってしまい、面倒は無かった。 我輩は自分の部屋に戻り、撮影したフィルムを数えてみると16本あった。持参した120フィルムは17本であり、残りの1本はカメラに入っている。まさにギリギリであった。 とりあえず、来るときに撮れなかった寝台個室の写真を撮影。フィルムはあと数枚残っているが、それは朝の風景で撮ろうと思う。 --------------- ●6日目(8月12日)−帰宅− 翌朝も良い天気で光が眩しかった。 順調に走ったようで定刻通り運行されているとの放送が入った。 我輩とヘナチョコはこの日になるとかなり疲れが出ていたが、豚児は元気そのものである。それもそのはず、この旅ではほとんど自力では歩かなかった。下に降ろした途端に「抱っこ!」である。この6日間で歩いたのは50mくらいだろうか。撮影時以外はほとんど我輩が抱えていた。 <朝の寝台> <<画像ファイルあり>> MAMIYA RB67PRO-SD/50mm 寝台列車は品川駅を通り過ぎ、見慣れた山手線列車が見えてきた。 「ああ、やっと帰ってきた。」 ヘナチョコは、「帰っても料理出来ないから、どこかで食べて帰ろう。」と言った。我輩は、無言で頷いた。 外食の後、家に帰り着き、疲労のためしばらく横になっていた。 ふと横を見ると、BRONICA SQ-Aiがあった。何気なくそれを手に取ると、非常にコンパクトで撮影し易い。試しにKiev88CMも持ってみたが、やはり小さく感ずる。 MAMIYA RB67に比べれば、どんなカメラも小さく感ずるのは当然。 旅行や帰省では小型軽量のNew MAMIYA-6しか選択の余地は無いと思っていたが、今後、BRONICA SQ-Aiを選択肢に加えても良かろう。 ---------------------------------------------------- [506] 2004年08月19日(木) 「写真で知った事実」 大学時代は遠い昔。 今では我輩の居た学部・学科も統廃合され、耳慣れぬ別の名前となった。 夜中には1階の窓から出入り出来た学部棟も、今ではIDカードが無ければ出入りすることが出来ない。 想い出は、つい昨日のことのような鮮明さを保ってはいるが、指を繰って数えると、それなりの年数になっていることに改めて驚く。 「もう、こんなに経ったのか。」 大学時代は人との巡り会いが多く、想いを巡らすと、多くの人々の顔が浮かんでくる。 最初に入った下宿の仲間たち、同じ学科の仲間たち、所属していた茶道部の仲間たち、大学祭実行委員会の仲間たち。 当時は青春であったから、何をやっても楽しく想い出も強い。 また、青春と言えば、恋。 我輩と同じ学科には女性が5人いたが、そのうちの1人が我輩にとって気になる存在だった。 しかしながらそれは片想いで終わり、今となっては苦笑い無しでは思い出せない。 就職活動の時期が来ると、我輩は若さに任せて自分自身で就職先を探した。通常は研究室に各企業(主にメーカー)からの募集が来るため、教授が学生を割り当てる。しかし我輩は、「自分の未来は自分で切り拓(ひら)く。教授の世話にはならん。」と独走した。その結果就職したのが、専攻とは全く関係の無いコンピュータ関係の会社だった。 今考えれば、教授の薦める企業(確かセメント会社だった)の研究所へ入れば、給与の面では今より遥かに良かったろう。肩書きの一つも付いたかも知れぬ。 しかし、自分の選択した道であるから悔いは無い。行動せず後悔を残すよりも、行動して結果を見るほうが良い。それがどんな結果であろうとも。 ただ、同期の者たちとは全く分野の異なる企業のため、業界的繋がりが全く無いのが寂しい。 我輩とその他2〜3名はコンピュータ関連の業種を選んだが、それ以外のほとんどはメーカーへ就職した。同様に、あの片想いに終わった彼女も、某有名メーカーへ就職し、縁は完全に切れた。 つい昨日のことのような想い出であるが、これはもう、昔の話。 さて、そういう想い出が甦るきっかけというのは色々ある。その一つが、その人の名前を聞く時である。 特に、あの片思いの彼女は珍しくもないありふれた名前のため、同姓同名の人間がいても不思議ではない。試しに今、Googleで彼女の名前を検索すると数百件ヒットする。もちろん皆、無関係。 ある時、職員たちの会話の中で、彼女と同姓同名の人物の名前を耳にした。 久しぶりに聞く名前に懐かしく思い、大学時代の想い出が甦った。我輩には何の関係も無い人物ながらも、同姓同名というだけで我輩の記憶を刺激した。 聞くとどうやら、その人物はこの職場に以前いたらしい。 ここは各企業からの出向者から構成されているため、人の入れ替わりが激しい。その人物も、出向期間が終了したことにより、この職場を去ったのである。 ところが、職員同士の会話を聞いていると、何だか別人とは思えない。思わずその会話に割り込んで聞き出すと、確かにその人物の出身大学は我輩と同じであった。 しかしそれでも偶然であることを完全に否定することは出来ず、後日、飲み会時の写真を互いに持ち寄って見比べることにした。 2日後、我輩は大学時代の飲み会の写真、そして職員は職場の飲み会の写真を持って来た。 写真を双方で見比べた結果、これは同一人物であるとの結論に至った。 「名字が変わっていないのか・・・。」 もし名字が変わっていたならば、気付かなかった。そして、写真が無ければ断定も出来なかった。 業種の全く異なる2人が、時期的なズレはあったものの同じ職場にいたという偶然。ちなみに、彼女の後任の者の席は、我輩の真後ろである。 以前にも、雑文「いつも歩いた道、いつも歩いている道」にて偶然の驚きについて書いたのだが、今回はその驚きをさらに上回るものであった。 ウソのような本当の話。 ---------------------------------------------------- [507] 2004年09月07日(火) 「手術」 つい3時間ほど前、我輩は手術を終え、看護婦さんの押す車椅子に乗せられ病院の廊下を通った。 車椅子に乗るのは初めてだったが、術後の麻酔切れのため痛みが湧き上がり、車椅子を楽しむどころではなかった。 病室に入ると、ベッドに横になり、看護婦さんが血圧と脈を計った。特に異状は見られなかったようだが、傷口の痛みはどんどん酷くなってきた・・・。 雑文447でも少し触れた差し歯が取れた件、その後歯医者に行くと「歯根が割れている」と言われた。硬い物を噛んだらグラついたのは、もともと歯根が割れており、差し歯の保持が十分でなかったのである。 思い当たることと言えば、以前、豚児の頭突きをまともに食らったことくらいだ。 やられた。 結局、歯根を抜いてインプラントを入れることにした。チタン製のネジを打ち込み、その土台に人工歯を植える。 今日は、その手術日であった。 インプラントは町の歯医者では不可能であるため、大学病院でおこなった。 手術前に写真を撮るとのことで、医師が持ってきたのはNikon D70だった。それにはメディカルニッコール(最終タイプ)が装着され、モデリングランプを点けて我輩に接近してきた。 「それ、メディカルニッコールですか。」 恐らく今まで、何人かの患者にそう言われたに違いない。だから我輩はそういうことは言わなかった。 しかし我輩の目は、メディカルニッコールを見続けていた。 カメラを構えた医師は身体を前後させながらピントを合わせている。確か、メディカルニッコールはピントが固定されていると聞いたことがある。 電源コードはレンズから腰のあたりに着けたバッテリーに延びている。シンクロコードはD70のホットシューに繋がっていた。 撮影が終わると病室へ通され、手術着に着替えた。そこで1時間ほど待機する。病室にはテレビもあったが、観る気も起きずベッドでウツラウツラしていた。 手術の時間が来ると、看護婦さんに連れられて手術室へ入った。 右手には点滴針を刺され、口だけが露出したカバーを掛けられ、麻酔をされて手術が始まった。 土台が薄いために骨の移植が必要ということで、別の部分から骨を削ってきて埋めた。 ゴリゴリ、ガンガン、ガツンガツンと頭蓋骨に響き、手術というよりも工事中という感じだ。 その合間に、どうやら写真も撮っているようだった。 カバーが掛けられているため目が見えないが、シャッター音からして先ほどのD70と同じカメラのようだ。 そういえば、メディカルニッコールはずいぶん前に生産終了となった。これから医療現場ではどんなカメラを導入するのだろう? 確かに他メーカーからも医療カメラは出ているものの、その全てが特注カメラである。メディカルニッコールのように一般売りされていた機材は貴重であったはず。 我輩も、メディカルニッコールを手に入れておけば良かった・・・? ---------------------------------------------------- [508] 2004年09月09日(木) 「超精細ディスプレイ」 一月前、超小型パソコン「SONY VAIO VGN-U50」を導入した。 ネットオークションで何とか金を作り、かなり無理をして購入したのだが、てのひらサイズの超小型ながらも、我輩所有パソコンの中では処理速度が最も速い。 <<画像ファイルあり>> SONY VAIO VGN-U50 4年近く前、我輩はSXGA+(1400x1050ドット)の液晶を持つノートパソコン「MEBIUS PC-RJ950R」を導入した(参考:雑文195「プリインストール」)。 これはかなり画面が広く、ブラウザを2面並べて表示するのもたやすい。 しかしながらそれもガタが出始め、雑文でもHDDがイカレたことについて書いた(参考:雑文469「それでもデジタルカメラ」)。 また最近では、画面にノイズが乗るようにもなった。 それに、このパソコンはOSがWindows MEのためビデオ編集が不可能である(なんとなれば、ビデオファイルは4GBを越えることがあるため、NTFSフォーマットを扱えるWindows XPでなければならぬ)。 ビデオ編集というのは日常的にちまちまとやらなければ、後で大量に作業をせねばならなくなる。そういう意味で、常に使っているパソコンで編集出来れば有り難い。 そういうわけで購入したこのVAIO VGN-U50であるが、小さく強力なため、稼働率はダントツ。 やろうと思えば、トイレに持ち込んでビデオ編集も出来る。 実際、この夏の九州帰省では、寝台列車内でビデオを取込み編集した。 しかもこのパソコンの液晶ディスプレイは超高精細で、我輩の実測では205dpiもある。そのため、表示サイズは小さいながらも写真などを表示させると緻密感がそこそこある。 ポジを見た緻密感には程遠いものの、それでも着実な進歩と言える。 しかしながら、問題が無いわけではない。 以前、パソコンのディスプレイは高輝度にすればするほど日常的には使えなくなるという話を書いた(参考:雑文368「液晶プリウス」)。 眩しいディスプレイを注視するのは非常に疲れる。それはちょうど、薄暗い室内でパソコン作業しているようなもの。 写真表示には適しても、通常用途としては使いづらい。 今回の問題は、超高精細ディスプレイである。 今、その画面で文章を書いているわけだが、文字が非常に細かく眼が疲れて仕方無い。時々、目頭をつまんで休憩せざるを得ない。 もし、写真表示用としてディスプレイの表示密度が増えていくとすれば、もはやパソコンは事務処理には使えまい。文字の級数を上げたとしても、その分レイアウトも崩れる。 そのためか、VGN-U50には画面全体をズームする機能もついているが、せっかくの高精細ディスプレイの解像度に合わず文字がボヤけてしまう。また、写真表示も緻密感を感じなくなる。 パソコンのディスプレイは、もうこの辺が限界だろう。200dpi以上のものを作っても、パソコンの通常用途では高スペックどころか、却って使いづらくなるばかり。 まあ、現在のパソコンで写真を観て満足していられるならば、それが一番幸せな生き方なのかも知れないな。 我輩はもう、手遅れだが・・・。 ---------------------------------------------------- [509] 2004年09月29日(水) 「コスプレ撮影会」 これまでに参加した撮影会では、1日フルに参加すると2万数千円もの参加費が必要となる。金銭を払うだけのメリットが無ければ参加する意味が見出せない。 我輩は、特定のモデルを撮影するために撮影会に参加している。 しかし単にそれだけならば、継続して撮影する意味は薄い。一通りの表情を撮影すればそれで終わりとなってしまう。そこで重要なのが"衣装(コスチューム)"である。 モデルは普段着や水着、そしてコスプレ(セーラー服やチアガール、レースクィーン)などと色々と衣装を替えるわけだが、普段着や水着というのは一般人でも着るわけであるから、衣装としての有り難みは薄い。もちろん、そのモデルに似合う衣装かどうかという問題もあるが、街角で適当に声をかけて撮った写真と決定的な違いが無ければ面白くない。 事実、撮影会主催者が衣装の希望の多数決を取る場面があった時には、水着かコスプレかという選択肢では圧倒的にコスプレ希望が多かった。 水着など、一般人でも着る。有り難みなど全く無い。 我輩は、「大金を払って参加するからには、一般人では対抗出来ないようなブッ飛んだ衣装で登場して欲しい」と考えた。 そうなるとやはりコスプレなのだが、もっとマニアックなコスプレを撮ってみたい。 そこで、コスプレ界で有名なT嬢に目を付けた。T嬢は、仕事としてもコスプレをやっているのだが、そもそも好きでコスプレをやっているため気合いが入っている。 T嬢については以前から認知していたのだが、あくまでコスプレが主であり撮影会開催は滅多に無い様子。 しかしそんな時、T嬢のサイトに撮影会開催の告知が出た。 「珍しいな、撮影会を開くのか。」 我輩は、興味を持ってその案内を読んだ。 開催は9月12日(日曜)。我輩の都合に問題は無い。金銭的にも、まあ何とかなる。 ところが参加人数が問題だった。 各部定員8名とのこと。予想以上に参加人数の枠が少ない。 申込み日時は指定されており、それまで応募出来ない。 滅多に開催されないT嬢の撮影会。参加人数の枠も少ないため、申込みは時間が勝負となることが予想される。申込みフォームに記入する時間を考慮すると、恐らくは受付開始後30秒程度で締め切られると読んだ。 申込み日時は平日の10時となっている。勤務先からアクセスするしか無い。 ところが、我輩の仕事はいつも午前中が忙しく、出社する9時30分はまだ意識していたものの、しばらく作業していてふと時計を見ると10時15分になっていた。 「しまった!15分オーバーは致命的・・・。」 恐る恐る撮影会主催者のサイトを見ると、"10時から受付け"が"22時から受付け"と変わっており、「紛らわしくてすみませんでした」とお詫びの文章が掲載されていた。 助かった。 その夜、迫る時間に緊張しながら、パソコンの前に待機した。ちょうど、ネットオークションで終了間際にスナイプする時のような緊張感である。果たしてうまくいくか・・・? 我輩は、「氏名(漢字/ふりがな/フリガナ)」・「住所」・「電話番号」をあらかじめテキスト書きしておき、申し込みフォームに素早くペースト出来るよう準備した。 そして、とりあえず氏名だけはクリップボードにコピーしておき、入力フォームに入ったらすぐさま氏名欄にペーストすることにした。 22時近くなったため、我輩は何度かキーボードのF5ボタンを押し、主催者サイトの画面を更新させた。何度かやっていると、申込みボタンがクリック出来るようになり、そこから入力フォームへ飛んだ。 予定通りに、まず氏名をペースト。 意外なことに住所等の記入欄は無く、電話番号及び参加希望の部を指定して送信ボタンを押せば良い。しかしそれは競争相手も同じ条件であるから、入力が簡単だからと言って安心している場合ではない。 我輩は入力を終え、直ちに送信ボタンにマウスカーソルを合わせた。 「行けっ!」 まるで"ゲームセンターあらし"のように、激しくバシッとマウスボタンをクリックした。 一応、やるだけのことはやったが、間に合ったろうか・・・? メールをチェックすると、自動送信メールは届いていた。 しかしそれは、単純に入力が受け入れられたということであり、撮影会参加人数内に入っているのかまでは判らない。 何度かF5キーを押していると、約3分で申込み締切りとなった。申込み自体は思ったより時間的余裕があったと言える。 我輩はしばらくヤキモキしながら主催者側からのメールを待った。そして約1時間後、ようやくメールが来た。 1〜3部での参加を希望していたのだが、参加希望者が多ければ全部参加出来まい。1部のみということもあろう。その覚悟はあった。しかしメールを見てみると、意外にも3部とも参加出来るとのことだった。 2日前の金曜日、我輩はヨドバシカメラでRDP3の220フィルムを買い込んだ。また、室内撮影のためストロボは必須であろう。連続発光で余裕を持たせるために、新発売のPanasonicオキシライド乾電池を購入した。 当日、事前に確認してあったものの初めての場所であるから少し早めに出た。とりあえずハンディGPSには場所を設定しておき、最寄りの駅を降りてGPSの地図を見ながら歩いた。 ところが、GPSでは確かに到達しているのにそれらしき看板が見当たらない。仕方無く、しばらくそこら辺を歩いて回った。 しかし時間もそれなりに経ったので、携帯電話から電話をかけた。 (この携帯電話は、先日の九州帰省時に起きたハプニングにより必要性を感じ、数日前にプリペイドカード式携帯電話を購入した。これならば維持費は通常\1,500/月、最低\750/月で済む。) 電話で誘導されて行くと、そこは先ほど通った場所。案内用の看板を立てている人物がおり、携帯電話で話していた。我輩が電話で話している相手だった。 「すみません、看板出すのが遅くなっちゃって。ここ通り過ぎちゃったんですよね?」 「ああ、そういうことですか。」 そこには、参加者が他に1人いるだけだった。 我輩とその1人は地下にあるスタジオに案内され、早速撮影準備にとりかかった。 その間に、他の参加者たちも現れ、その場は賑やかになった。全部で10人ほどか。どうやらそのほとんどは顔見知りのようで、恐らく撮影会の常連なのだろうと思われた。 しばらくして、T嬢が現れた。 当然ながらコスプレをしているのだが・・・頭にはネコの耳の付いた帽子を被っていた。後で知ったが、デ・ジ・キャラットというアニメのキャラクター「でじこ」のコスプレとのこと。 「これは・・・ブッ飛んだコスプレだ・・・。」 しかしここで怯(ひる)んではならぬ。これでこそ、撮影会に参加する意味がある。単に金で雇われたモデルが与えられた衣装を着ているのとは次元が違う。モデル側が好きでやっているというところに強みがあるのだ。 撮影会自体は非常にアットホームであった。 我輩以外はほとんどデジタルカメラ使用者であったが、我輩の中判モータードライブの激写音で皆が振り返り、「中判ですかー」「いい音がしますねー」「なつかしいー」と声をかけてきた。レフ板を持っていた主催者のほうも「いい音ですねー」と言う。 最初は社交辞令かと思ったが、シャッターを切る度にこちらを見て笑顔でそう言うので、やはり本心なのだろう。 T嬢も「そのカメラおっきいー!」と驚いていた。 今までの撮影会であれば、いくら激写音がしようが珍しいカメラを使おうが他人のカメラで話題になることは無かった。モデルも動ずること無くポーズを崩さない。さすがと言えばさすがだが、ビジネスライクで少し寂しい。 そういう意味では、今回の撮影会は我輩にとって新鮮だった。 しかも、参加者はその場を和ませるのが非常に上手く、常に笑いが起こった。 驚いたのは、まるで事前にネタ合わせをしてきたかのような2人組だった。一人がボケると、もう一人が突っ込む。見事な連携に感心した。 高速連写可能なデジタルカメラをモデルに向け、 「はーい、連写で撮ってるから動かないでー。」 「オイオイ、連写で動かないでどうすんだよ!」 モデルの横からカメラを向け、 「目だけこっち向いてくださーい。」 「じゃあ、こっちは鼻だけ向いてー。」 「鼻だけ向けるか!」 台の上に乗って上のアングルから撮る場面で、 「なに台の上に乗ってしゃがんでんだよ!意味ねえだろ!」 「いや、オレはそうしたかったんだ!」 大量に撮り過ぎでメモリーが一杯になり撮れなくなった時、 「大丈夫、大丈夫、メモリ初期化すればまた撮れるから。」 「せっかく撮ったのを消すのかよ!」 モデルのT嬢も大ウケで、撮影会とは思えない雰囲気がなかなか良かった。 撮影者同士も、「あー、足が画面に入ってるよ」「あ、ごめん」などと気軽に指摘し合っていた。こんなことが出来るのも雰囲気が良い証拠。 第2部では、T嬢はゲームキャラクター「桜塚恋(さくらづかれん)」の衣装で登場した。 これはなかなか格好良かったが、やはりアニメ系のインパクトはあった。 第3部では、ロリータファッションで登場。 コスプレとして考えるとインパクトは小さいかも知れない。 ところでこのスタジオでは、ストロボを使わずにISO100で撮ると、1/30秒・F4.0の条件だった。 我輩はISO100のRDP3を+1増感するつもりで撮影していた。これでスローシンクロ撮影すれば、背景とのバランスが取りやすい。ISO100のままではスローシンクロのシャッター速度が1/30秒となりブレが多発する。 事実、今回1/60秒で撮影した中で幾つもブレ(手ブレ・被写体ブレ)が多かった。1/30秒ではいくら気合いを入れようとも、手ブレはともかく被写体ブレを防ぐことは不可能。 他の参加者を見ると、ストロボを使っている者はほとんどいなかった。 恐らくデジタルカメラであるから手軽に感度を変えられる強みがあるためか。また仮に露出不足となろうとも、パソコンレタッチで救済出来る。 我輩の露出計代わりのデジタルカメラでストロボ無しで撮影してみたのだが、どうしても色が濁ってしまう。 ストロボ直当てで撮影する場合、確かに雰囲気が出にくいのだが、我輩は肌色が鮮やかに出ることを優先させた。 フィルムはいつものように220を使いフィルム装填の手間を減らした。もちろん、フィルムバックの中枠を2つ用意しておき、連続撮影時にはあらかじめフィルムを装填しておいた中枠を交換することで最短10秒のタイムラグで済んだ。35mmフィルムのように巻き戻しの必要が無いのが有り難い。 フィルム装填については、撮影の合い間で行う。 ただし、撮影済みの220フィルムは巻き緩みによる漏光の危険性が高いため、テーピング時には念入りに巻き締めを行った。 結局この日は、220フィルム22本も使ってしまった。 他の参加者には、「うわー、お金がかかるでしょう!」と驚かれてしまったのだが、滅多に撮れないものを撮るにはそういうことは考えない。 また何かをオークションで売却するだけ。 (2004.10.09追記) ストロボに新発売のPanasonicオキシライド乾電池を使ったと書いたが、今SUNPAKのサイトを見ると「ストロボ本体が発熱をしたり、発光しなくなるといったことがあります」と注意書きされていた・・・。 ---------------------------------------------------- [510] 2004年10月22日(金) 「Nikon F6」 最近、レトロなカメラがよく登場するようになった。 デジタルカメラでも、シャッターダイヤルや絞り環、そして巻き上げレバーさえ付いているものがある。そして、「写真の原点に帰った」などと言われる。 効率ばかりを追い求めてきた日本経済に疲れが生じてきたためか、世間的には「癒しブーム」だと言われることがある。 カメラも、効率ばかりではなくゆったりとした時間でのんびりとマニュアルカメラを使おうという傾向があるのだろうか。 しかしながら、我輩はダイヤル式カメラがそのような「古くさいもの」として扱われることに非常に不快感を持つ。 以前にも雑文454「MF派でない宣言」で書いたことだが、我輩はわざわざ不便なカメラを使う趣味は無い。質感や操作感にこだわることがあろうとも、不便さを肯定することは決して無い。 我輩は、あくまで露出調整の効率的操作(※)と視認性(※)を重視するためにダイヤル式カメラを好むのである。 (※効率的操作=露出を任意の点で安心感をもって固定出来ること。雑文042「マニュアル露出」) (※視認性=アナログによる解り易さ。雑文413「ダイヤルのアナログ性」) 露出は基本的にシャッタースピード及び絞り値の2つの要素で決まる。つまり、単純に2つのダイヤルがあれば済む。 完全に自動化出来ぬ露出調整であるから、ヘタに複雑にしていくよりも簡潔にしたほうが操作性は向上するのだ(参考:雑文134「スパゲティ」)。 そういう意味に於いて、ダイヤル式は最新カメラにこそ相応しいと我輩は思う。 昨日、ニューモデルであるNikon F6の特集記事を読むために月刊CAPAを購入した。 それを読めば読むほど、我輩はNikon F6が欲しくなった。 しかし同時に、「これがダイヤル式であったならば・・・」と思ったのも事実。 これほど高性能なカメラならば、ダイヤル式であれば最強であろう。使い手を選ぶかも知れないが、"第6のF"とするならばそれくらいのこだわりは欲しい。 ダイヤル式は普遍の操作部材である。 普遍的であるということは、常に最先端ということでもある。 もはやプロ用とは言えなくなったF一桁シリーズには、最先端を望むのは酷なのか。 ---------------------------------------------------- [511] 2004年10月26日(火) 「あれは本当にNikon F6だったのか」 「Nikon F6が出る」 デジタルカメラばかりの新製品ニュースの中で、この発表はかなり衝撃的であった。 何しろ、デジタルカメラが存在しなかった時代でもNikonのフラッグシップの登場は大事件である。過去、Nikon F一桁シリーズとCanon EOS-1シリーズの登場は、カメラ/写真雑誌の記事でも別格の扱いであった。 今までさんざ「F6など出ない」とか、「F6はデジタルカメラになる」などと言われていたのだが、現実にはF6は銀塩のフラッグシップとして登場した。 しかしフラッグシップの開発サイクルを考えると、「さすがに次のF7は出ないであろう」と誰しもが漠然と感じている。わざわざ肯定もしない、わざわざ否定もしない。銀塩肯定派も、「よく銀塩として出してくれた」と心残り無くあの世に行くような心境である。 つまり、現実にそうなるかどうかは別として、「Nikon F6は最後の銀塩フラッグシップである」というのが全体の共通認識というところ。 そういう意味で、F6は銀塩カメラの集大成であるという位置付けを期せずして担わされた。 これは、発売を待つ側の期待を増幅させるに十分過ぎる。 昨夜、我輩はヨドバシカメラ上野店へ出向いた。 F6の発売日を数日過ぎたため、現物はともかくカタログはあるだろうと思ったからだ。 しかし期待に反してカタログは全く無く、カタログ用の棚がそこだけ空いていた。恐らくカタログはすぐに売り切れたのだろう。 ところが、F6本体が展示してあるのに気付き驚いた。 その一角には客が誰も居なかったため、まさかF6の現物があるとは思いもよらなかったのだ。F6に触るには順番待ちを覚悟していたのだが・・・。 さて、実際に手にした感触だが、これがまた期待を裏切ってくれた。 まず、シャッターの感触だが、音がほとんどしない。まさにデジタルカメラのよう。いや、我輩所有デジタルカメラCanon EOS-D30のほうがまだ音が大きいのではなかろうか。 シャッターの音というのは、一種のフィードバックとも言える。 例えば、最近のエレベータのボタンは触れただけで反応するが、押したという感触が指にフィードバックされないため、本当に押せたのかどうかを目で見て確認しなければならない。たまにボタンが点灯せず、ふと気付いて慌ててボタンを押し直す風景はよく見る。 小さなことではあるが、そういう小さな不満が無意識の領域に影響を与え、"好き嫌い"という部分で表面に現れる。 我輩は、シャッターの音が大きいほうが撮影しているというフィードバックを得られると考えている。 確かに、静音を求められる撮影シーンはあろう。「バードウォッチング」、「街角スナップ」、「盗撮」・・・。 特に盗撮では、シャッター音の大小は生死を分ける。しかしながら盗撮のニーズは、現像処理の必要が無いデジタルカメラのほうにシフトしているため(探偵業務ではデジタルカメラによる盗撮は証拠能力に乏しいかも知れないが、一般的にはパンチラ盗撮が多かろう。)、この際無視して良いのではないかと思う。 同時にF5のほうもシャッターを切ってみたが、やはりこちらのほうが切れがあって良い。撮影テンポが掴み易い。 F5の登場時はこれもシャッター音が小さいなとは思ったが、F6のシャッター音を聞くとF5のシャッター音のほうが頼もしく聞こえる。 次に電子ダイヤル(ニコンではキヤノンに対抗して"コマンドダイヤル"と呼んでいる)の回転時の感触だが、期待したほどのスムーズさは無く、やはりクリックに粘りを感ずる。キヤノンやミノルタなど他社に比べて断然切れが悪い。もちろん、F5よりは軽くなっているのだが、それでもまだ気分良く操作するには不満が残る。 さらに、軍艦部の液晶パネルはコントラストが低く視認性は悪い。これはF5と同じ。F100はクッキリした液晶で着色も少なく見易いのだが、F5とF6の液晶パネルは全体に緑がかかっており、影も深く落ちている。 この点は、もしかしたら耐久性を優先させるとこのようになってしまうのかも知れないが、シロウト目にはF100に使っている液晶パネルのほうが高級そうに見えてしまう。 もうここまでくると、最初の期待感はトーンダウンしてしまった。 買うと決心した気持ちは、もう無い。 別段、銀塩最後のカメラをF6にしてしまうことも無い。我輩にはF3とα-9xiというフラッグシップがあるじゃないか。いつかこれにF5が加わるのかも知れないが、F6は恐らく縁が無かろう。 ヨドバシカメラを出て、上野駅に向かって歩いた。 その途中、「あのカメラは、本当にF6だったのだろうか」と思った。 あまりに期待が大き過ぎ、別のカメラをF6と間違えたのかも知れない。そうでなければ、こんな気持ちになろうはずが無い。 今度、F6を見かけた時には、過度に期待せず冷静に眺めることにしよう。 ---------------------------------------------------- [512] 2004年11月08日(月) 「コスプレ撮影会2」 前回、T嬢のコスプレ撮影会に参加したという話を書いたが(参考:雑文509)、その時はスタジオ撮影のみであった。そのため比較的光量が足りず、クリップオンストロボの直光を主光とせざるを得なかった。 定常光とのバランスを考えてスローシンクロを行ったものの、そのためにブレが多発したのは残念である。また、暗ければピントを外す確率も高くなる。 他サイトのT嬢写真では野外での撮影が見られ、自然光による立体感のある写真に目を奪われる。 もし機会があれば、我輩も野外で写真を撮りたいと思う。その時には、ストロボを補助光として使い、ストロボを使ったと悟られないような仕上がりにしたい。 そんな時、T嬢の野外コスプレ撮影会の情報が入った。 今回の申込み時間は6日前の23時。我輩は例によって自分の名前をあらかじめクリップボードにコピーしておき、いつでも申込み欄にペースト出来るようにして構えていた。 前回よりも申込み締切りまでの時間は長くなっておりそれほど気合いを入れて申込みするほどでもなかったが、それは結果論であり、急ぐに越したことは無い。 今回は1〜4部まであり、1部・2部は野外、3部はスタジオ、4部はT嬢を囲んでのお茶会となっている。 我輩はアニメ・ゲーム系についてほとんど知らないため、お茶会での話題には付いて行けまい。金を節約する意味もあり、4部だけは不参加とした。 事前計画として、野外ではISO100のまま撮影し、陰をストロボの弱光で起こす。ストロボは自動調光させずマニュアル発光とする。もし自動調光させるとなれば、距離によって被写体の大きさ(反射面積)が変わるため、背景が暗い場合には露出オーバーとなってしまう。 一方、スタジオでは光が足りないためにプラス1段の増感を前提とする。調節する余裕があれば、若干ストロボ光を弱めにしたい。ただし、ブレは多発するだろう。 前回の撮影では、1台のクリップオンストロボ(サンパックB3000S)をメインカメラの「BRONICA SQ-Ai」と露出計用途のデジタルカメラ「Nikon COOLPIX5400」で共用していたため、付け替えの手間やタイムラグが大きかった。 そこで今回、同じ型のストロボをもう1台用意することにした。これならばそれぞれのカメラに装着したままで済む。元々、1台目のストロボがかなりガタが来ているため替えのストロボを購入しようかと思っていたところでもあり丁度良い。 この製品には「新型オキシライド電池は使えません」と書かれていたため、マツモトキヨシのアルカリ電池を使った。Web情報によると、こういった低価格電池でも性能には問題無いとのこと。古いストロボのほうには前回のままオキシライド電池が入っているが、まあ良かろう。 ブロニカSQ-Aiは今回もモータードライブ装着とする。しかし、電池室を見ると、小さな針状結晶がビッシリと生えていた。これは以前、雑文251でも書いたのだが、アルカリ電池の液漏れによるものである。 もちろん結晶を見付ける度に拭いてはいるのだが、時間が経つとまた生えて成長する。これはつまり、見えない裏側に液漏れが及んでおり、そこから結晶が成長するのであろう。 我輩は、モータードライブの電池室を少し分解して清掃することにした。撮影会まで間がないため、メーカーには出さない。 ネジを取り、外れるところは外れたのだが、巻上げ部のカプラーが難儀した。割ピンがなかなか外れず、力任せにやって部品を飛ばしてしまった。部屋中探したが、結局その小さな部品は見付からなかった。 撮影会は目前。まずいな・・・。 部品が無ければ割ピンがあっても留めるものが無く、ハメ込まれている小さなボールベアリングもこぼれ落ちる。 仕方無い、ボールベアリングは全て落とし、清掃後にその状態で組み上げた。 表面上、動作は問題無い様子。 まあ、何とかなろう。 撮影会開催は11月3日(祝)。 天気予報では、晴ときどき曇。まあ、悪くない。 当日、撮影場所の代々木公園に着くと、そこは予想外に木々が鬱蒼(うっそう)としており、光量的に少し不安に思った。 集まった人数は10人。公園事務所の旗を持った主催者のもとに集まる。 撮影会第1部のT嬢は、西洋人形のようなロリータファッションで現れた。 撮影会が始まると、我輩はまず、デジタルカメラで試し撮りをした。 設定が決まると、その値をメインカメラのほうにセットし、ストロボのパイロットランプを見た。なぜか点いていない。数分前にスイッチを入れたはずだが、なぜかいつまで経っても点かない。チャージ音は正常なのだが・・・。 我輩はマツモトキヨシのアルカリ電池を抜き、モータードライブ用の予備として持っていたオキシライド電池を代わりに入れた。すると直ちにパイロットランプが点灯。何度テスト発光させてもすぐに点灯するため、メーカー禁止事項ではあるものの、これを使うことにした。 撮影は場所を変えながらであったが、その都度測光し直すのは非常に効率が悪かった。開(ひら)けた場所ならばそれほど測光値は変わるまいが、木々の茂り具合によってかなり光量も変わる。これが自然光のみならば問題無いのだが、ストロボとの光量比も考慮せねばならぬため、デジタルカメラでのモニタリングは欠かせない。 そのせいで、他カメラマンよりも一歩も二歩も出遅れる。 またそれだけでなく、天気も雲がかかったり陽が射したり、レフも白面を使ったり銀面を使ったりと一定せずに苦労させられた。 結局、最初の測光値をベースに、状況が変わる度にカンで微調整した。確証が無いだけに「この値で本当に合っているのか・・・?」と自信が持てない。 ところで、参加者のうち1人、オヤジ風の者がくわえタバコで撮影しており、少し驚いた。 他の者や主催者を見ると特に気にしている者もいなかったため、我輩も気にせず自分の撮影に集中した。 撮影会第2部、T嬢はパソコンゲームの「同級生2」の鳴沢唯というキャラクターで現れた。 その撮影が始まって間もなく、我輩のデジタルカメラが不調となった。 まず、画像記録にやたら時間がかかるようになり、露出調節に時間がかかるようになった。 そのうち、クリップオンストロボが発光せず、内蔵ストロボが発光していることに気付いた。見ると、デジタルカメラの設定がおかしい。どうやら途中でリセットがかかり、設定がデフォルト(工場出荷状態)となったもよう。 デジタルカメラの設定など購入時に説明書を見ながらセットしたきりで、今さらセットの方法が分からない。これには焦った。 まず、画像記録に時間がかかるのは、大きなサイズで撮影しているためであった。これはすぐに変更出来た。 次に、内蔵ストロボの発光を禁止して外部ストロボを発光させるようにするのだが、これが苦戦してしまい貴重な時間を失った。 何とか2部の撮影を終え、昼食の時間かと思われたが、2部の開始時間の遅れにより終了時間も遅れることとなり、スタジオへの移動時間を考えると昼抜きとなりそうだった。 我輩は、場の流れで他の参加者と共に移動し、スタジオに着いた。すると、スタジオでは準備に時間がかかっているとのことで、15分遅れで始まるとのこと。 我輩はその時間を利用し、コンビニエンスストアでサンドイッチを購入し食べた。 スタジオに入るまでの間、露出計代わりのデジタルカメラをチェックしていると、重大なことに気付いた。 なんと、先ほどデフォルト設定になった際に、感度設定が"オート"となっていたのである。 感度が不定であるならば、露出の指標になるはずがない・・・。 しばらく色々と試し撮りをし、オート感度とISO50(このカメラでは実質的にはISO100)の設定では、見た目上同じ露出量であることが判明したため、とりあえず気を落ち着かせた。 もし次回撮影会に参加することがあるならば、今度はEOS D-30を使うことにする。 そうこうしているうちに3部が始まったため、慌てて準備をして撮影に臨んだ。 今回は明るめにということで、主催者がランプ多くセットしていた。それでも、T嬢が少し場所を変えると陰となり光は不足した。 そればかりか、ランプの熱により室内が暑くなり汗が滲む。 前回のように、室内ではプラス1段の増感でスローシンクロをするのだが、ストロボを相対的に弱めるため1/30秒と遅めのシャッタースピードが多くなった。 BRONICA SQ-Aiに装着したテーブル三脚を胸に当て、ブレを極力無くすように努力した。しかし被写体ブレだけはどうしようも無い。 3部が終わり、皆に別れを告げて帰路についた。我輩以外のほとんどの者はそのまま残り、4部のお茶会に参加するようだ。 帰り道、ドッと疲れが出た。 長時間、ピント合わせに集中していたため目が痛む。「こんな時AFがあれば・・・」と思うのだが、今のところ66サイズで使えるAFカメラは存在しない(ローライの66判AF機は対応AFレンズがほとんどラインナップされていない)。ブロニカも消えてしまい、将来の望みはほとんど無い。 今回の撮影会では、やはり参加者のほとんどはデジタルカメラでの撮影であった。 軽量で、AF撮影可能。撮影結果がすぐに確認出来る。スキャン作業もやらなくて良い。便利なことこの上無い。 それに対し我輩は、苦行とも言える撮影スタイルで便利さとは反対の側にいる・・・。 帰宅後、撮影済みフィルムを数えてみると220フィルムで24本あった。内訳としては、野外14本、スタジオ10本。カット数では、総計576カットである。 そのうちの4本は、帰宅した後にカバンの底から出てきた。3部が始まる前の準備が慌ただしかったためフィルムの整理が徹底されておらず、野外撮影分か、あるいはスタジオ撮影分かが分からない。区別をハッキリせねば、増感が必要かどうかが分からない。その判断を誤れば、フィルム丸ごと失敗となる。 結局のところ、状況から考えて野外での撮影分だという結論に達したが(スタジオでは片付けの時間が十分あったため、撮影済みフィルムが整理されていないとは考えにくい)、確証が無いため4本のうち1本だけを試し現像し、その結果を見たうえで残りの3本を現像に出す。切り現をしないのは、「ほぼ間違い無い」という見込みがあるからで、切り現によってわざわざ数コマを犠牲にすることもないと考えた。 結果的にその予測は当たり、残りの3本は無事に現像された。 ポジの上がりを見ると、全体的に露出はそれほど悪くはなかったが、野外では天気がコロコロ変わったため多少のバラツキが見られた。 それでも、白い服の階調がほとんど失われていないのは大したものだ。測光用に使ったデジタルカメラでは白い服の階調は飛んでしまい、ポジフィルムのような描写は得られなかった。 また、RDP3でのストロボ撮影は最良で、非常に満足。 元々我輩は、「RDP3はストロボ光との相性が良い」という印象を持っていたのだが、今回の撮影でそのことを再認識した。 レンズが優秀で、ピントがカッチリと合い、露出が適正、ブレが無いという条件を満たした時、RDP3の威力が突然にして現れるのである。 そのポジをルーペで見ると、ステレオ写真でもないのに、目の前にT嬢がいるかのような錯覚に陥る。 そう言えば、ボールベアリングの無いモータードライブは何の問題も無く快調に動作してくれた。 中古のモータードライブを購入しようかと思っていたが、動くのであればばこれを使い続けることにする。 何しろ、今回の撮影で金が無い。 ---------------------------------------------------- [513] 2004年11月10日(水) 「ミリテク」 最近はあまり聞かなくなったが、軍事用途に開発された技術のことを、ミリテク(ミリタリー・テクノロジー)と呼ぶ。 かつて、軍事技術は最先端のものであったため、それを民間転用(スピンアウト)することにより、優れた製品が生まれた。 今ではそれとは逆に、民生の精密技術を利用して兵器開発が行われることも多くなっており、ミリテクの重要性は以前ほど大きいというわけでも無い。 (幾つかの日本製電気製品が特定国への持ち出しを禁じているのは、仮想敵国による軍事転用を防止するためである。) しかしながら、いくら民生技術が向上しようとも、実戦経験を基にした技術開発は難しい。 日本は幾つかの戦闘機についてアメリカからのライセンス生産を行っており、有事の際には部品調達に支障無いようにしている。また、日米共同開発のF2支援戦闘機についても、出来合いの戦闘機を輸入するよりはるかに割高ながらも、日本の技術を育てる目的のために実行されたと言われる。 そうは言っても、ジェットエンジンやアビオニクス(航空電子)については国内での開発は実現していない。ユニットをそのままアメリカから輸入して組み込んでいる。 それらのものが国内で開発出来ない理由は幾つかあり、政治的な問題(開発が許されない)や、費用面での問題(開発資金が莫大になる)、そしてノウハウ不足(実戦経験が無い)ということが挙げられる。 特に、アビオニクスに載せるソフトウェアは、実際に戦争で血を流した経験が大きくモノを言う。 例えば、パイロットが格闘戦(ドッグファイト)を行う際、心理的な影響により火器のトリガーを引くタイミングが早過ぎることがある。それを、条件によって適切な遅延を挟んで調整しているらしい。 こういう話以外にも、もっと複雑なことを制御しているに違いないが、そのような貴重な情報はなかなか漏れて来ない。 ソフトウェアはそういったノウハウそのものである。 実戦を経験し、多くの犠牲の上で作られたものであるため、アメリカ側もソフトウェアを公開することはしない・・・。 先日、雑文にも書いたとおり我輩は撮影会に参加した。 撮影会は今回が初めてというわけではないが、それなりに細々(こまごま)とした困難に直面した。 事前に「このように測光し、このような光量比でストロボ光を当てて撮影しよう」と計画していたのだが、実際に撮影するとなると、様々な制約により実現困難であることを思い知った。 これは、経験でしか分からない。 (参考:雑文275「一度目の失敗」) 撮影会にも様々なパターンがあり、それが撮影時の制約となる。 ある撮影会では楽に行えたことであっても、別の撮影会では難しかったり、またその逆の場合もある。 そういった困難は、多くの場合、失敗写真として手元に残る。これらの写真は我輩に強烈な教訓を与え、次に同じ失敗をしないよう働きかけるのである。 事前の理屈がどれほど正しかろうとも、その時その場で実現出来なければ意味が無い。 これこそまさに、実戦経験と言える。 我輩は日頃、成長を続ける豚児の撮影をしているのだが、最初のうちはまだ豚児も幼虫状態であり撮影も楽だった。必要なノウハウも、"静物写真"と同じものであった。 しかし成長するに従い、"静物写真"が"動物写真"へと変わった。素早く撮影準備を整え、素早く測光するのは大変なことで、準備をしているうちにシャッターチャンスを逃すことも多い。 そんな時、撮影会に参加して慌ただしい撮影に臨み、失敗を繰り返してその解決法を試行錯誤することを始めた。 最初のうちは結果が非常に悪く(参考:雑文451「大撮影会」)、あまりのことにショックを受けたのだが、その後も撮影会に参加し続けて試行錯誤を繰り返し、何とか人並みの写真を得ることが出来るまでに改善した。 これは、我輩にとっての戦争でもあった(参考:雑文278「身近な先生」)。 女性モデルも厳選し、高い費用をかけ、短い時間に集中する。これで上手くいかねばショックが大きく、次にどうするかを真剣に考えたものだ。 これは、膨大なコストをかけた写真撮影のミリテクと言っても良かろう。 ふと見ると、その経験がいつの間にか豚児撮影にも活かされていることに気付く。豚児写真については以前よりも安定した撮影結果を残すことが出来るようになり、新しい試みにも挑戦する余裕が出来た。 撮影条件としては、寧ろ豚児撮影のほうが楽である。制限時間内で撮り切らねばならないということも無い。 ミリテクは、貴重な経験によって得られるもの。 今までの撮影会への参加は、我輩に日常撮影に転用可能な大きな技術を残した。 ---------------------------------------------------- [514] 2004年11月12日(金) 「綺麗な色を知らぬ子供たち」 我輩が最初にパソコンに触れたのは、中学の理科教師が購入した「NEC PC-8001」というものだった。 当時はBASICが流行っており、ナツメ社のゲームプログラム集を数冊買い、一文字ずつ入力していったものだ。 モノクロモニターに緑色の文字が浮き上がり、非常に先進的に思えた。 その後、大学では「PC-9801VM」という機種を使い、実験結果を「ロータス1-2-3」で集計した。また、実験の合間に「シムシティ」で遊んだりもした。 モニターは8色のカラーで、非常にキレイに思った。 その後就職し、そこで初めてお絵描きソフトに触れた。 マウス操作によって画面に色が着き、それがフロッピーディスクに保存出来るのが面白かった。 表示出来るのはシステム16色のみで、他の色は掛け合わせによって表現する。例えば、赤と白のドットを交互に打つことによりピンク色を表現するのである。 その時は、掛け合わせのパターンにより、無限の色が表現出来るような気になった。 また写真も、スキャナからRGBベタファイルという形式で取り込むと、16色のディザによって表現出来る。パソコン画面上で見る写真というのは新鮮で綺麗だった。 しばらくしてウィンドウズが登場し、それに対応したウィンドウズアクセラレーターを組み込むことによって、256色、その気になれば1600万色もの色が扱えるようになった。 写真も、ディザ無しで滑らかな階調を持つ画像が表示され、今までの写真表示は何だったんだというくらい綺麗だった・・・。 人間というのは、良い物を知らなければ現状が当たり前のように思える。 8色表示が唯一のカラー表示だった時には、色が出るだけでも素晴らしく思え、写真表示機能も無いために不便とは感じなかった。 1600万色の写真画像を知っている今、8色の表示が素晴らしく思うことなどありえない。 今、デジタルカメラが登場してしばらく経つが、利便性もあり携帯電話内蔵型も含め普及度合いもかなり大きくなっている。 近い将来、趣味の世界でもデジタルカメラが割合を大きくし、フィルムを使ったことの無い子供たちの時代へと移り変わることになろう。 趣味の世界では、利便性ももちろんだが、画質も大きな要素である。 しかしながら本当に美しい色の写真を知らない子供たちは、「デジタルカメラの画像は綺麗である」と誤った判断をしてしまうだろう。 子供たちが画質にこだわろうとも、デジタルカメラの枠の中で努力して写真を得るのみ。 フィルムを使ったことのある大人たちから見れば、デジタルカメラの色はまさに8色表示の旧いパソコン画面のように見える。 超高価なデジタルカメラで撮影した写真を「さあどうだ」と見せられたとしても、まあ、確かに綺麗に見えなくもないのだが・・・。 大人達はもっと深く綺麗な色を知っているからなあ。 ---------------------------------------------------- [515] 2004年11月15日(月) 「共感するキャラクター」 低予算B級映画の中で、我輩の好きな映画に「TREMORS(トレマーズ)」シリーズがある。 現在、TREMORSは1〜4まで制作されており、我輩もその全てを観た。 この映画を最初に観たのは、かなり昔のことだと思う。 今では覚えていないのだが、何か別の映画の同時上映だった。つまり、ついでにTREMORSを観たということになるが、却ってこちらのほうが面白く印象も強い。 ストーリーは、地中から襲ってくる人食いモンスターと人間との攻防戦を描いたアクションホラーであるが、カラリとした明るさとテンポの良い描写で、何も考えず楽しむことが出来る。 続編のTREMORSの2〜4を観たのはごく最近のことで、オンラインショップで売っているのを見付け、こちらはビデオとして観た。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ●「TREMORS」 最初の作品「TREMORS」では、主人公2人が他の住人たちと力を合わせて複数の地中モンスターを1匹ずつ退治していく。その住人の中に、軍事オタクのバート夫妻(バート役=マイケル・グロス)がおり、要塞&シェルター化した自宅(第三次大戦を想定したらしい)で、ありとあらゆる銃で撃ちまくり1匹を退治するシーンがある。 いつもは変人扱いされているバート夫妻だが、この時ばかりは英雄であった。 ●「TREMORS 2」 続編の「TREMORS 2」では、予算の関係からか主人公は前作から1人減り、バートが準主役として登場する。ただ、ソ連崩壊がきっかけでバート夫妻は離婚問題に発展したという設定で、今回から夫人は登場しない。これも予算の関係か。 バートは軍から支給されたというトラック1台分の武器を持ち込み、モンスター退治のプロ気取りになっていた。 あまりの装備に呆れかえった周囲にバートは言う。 「備えあれば憂いなしってやつだよ。」 しかしながらバートの用意した高栄養非常食がモンスターに食べられてしまい、その数を増やしてしまった。 さらには50口径BMGシングルショットでモンスターを撃ち抜いたまでは良かったのだが、強力過ぎる弾頭がブロック塀やドラム缶なども貫通し、ピックアップトラックのエンジンまでもブチ抜いていた。 そのため移動手段を失いモンスターに囲まれるハメになり、映画は盛り上がっていく。 最後は、トラックに積んだ2.5トンの弾薬でまとめて吹き飛ばすという展開に。 ●「TREMORS 3」 「TREMORS 3」ではついにバートが主役となり、以前にも増して要塞化した自宅でモンスターと対決する。 住人たちはしばらくモンスターに出会っていないため、ある家庭ではモンスター探知機の電池を切らしていたり、また別の家庭ではアンテナが曲がったままになってしまい、バートの過剰設備の要塞以外に頼る物が無かった。 「せっかくオレがもしもの時のために警戒システムを構築したというのに・・・。」 バートは他の住民の危機意識の無さに呆れながらも軍隊気取りで仕切り始めた。 しかしながら成り行き上、たった1匹を倒すためだけに要塞丸ごと吹き飛ばしてしまい、自ら丸腰となってしまう。 ●「TREMORS 4」 「TREMORS 4」は西部開拓時代のバートの先祖とモンスターとの因縁の対決を描いたもので、同じくマイケル・グロスがバートの先祖役として出演するものの、バートとしては登場していないためここでは割愛する。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ このバートという存在、この映画を知る者の中ではかなり人気があるそうで、それを受けて脇役が主役になってしまったというのも興味深い。 登場する銃器一つ一つの描写にも凝っており、低予算映画にしてはかなり見応えがある。 過剰とも言える重装備に身を固め、軍の司令官になったかのように自分自身に酔ったバート。 パターンとして、その重装備が原因でピンチに陥り、そして重装備のおかげでそのピンチを脱する。 頼りになる男なのかそうでないのか。それは、映画を最後まで観なければ分からない。 <<画像ファイルあり>> 我輩もこのバートというキャラクターを非常に気に入っており、銃の装備に命を賭ける姿に我輩自身をそこに重ねる。 不要とも思える装備であっても、備えるに越したことは無い。 非常食を倉庫に積み重ね、「たった7年くらいしか籠城出来ない」と謙遜するバート。いや、バートは謙遜などしない。本気で7年では足りないと思っているのだ。 重装備が有効に働かなくとも、自分に酔いプロの軍人気取りでモンスター退治の先頭に立つ。 自らピンチを誘っても、そのピンチはキッチリと始末を付ける。 我輩も生産終了となる前にカメラ機材をストックしておき、いざという時に備える。それが結局役に立たずとも、備えておかねば戦えない。 バート、平和ボケした奴らに、いざという時に困らぬよう備えることが大事だということを思い知らせてやれ。 ちなみに、我輩の武器庫は以下の通り。 武器庫1、武器庫2 ---------------------------------------------------- [516] 2004年12月03日(金) 「携帯電話のカメラを進化させろ」 道を歩いていると、前方にフラフラと歩いている者数人。 追い越そうとすると、わざわざ我輩の前に出てくるのでなかなか追い越せない。見ると、それぞれが歩きながら携帯電話を操作してメールを打っていた。 対向して歩いてくる女も、同じく携帯電話を操作中で、我輩と軽くぶつかった。 別の日、駅のホームで電車を待っていると、並んでいる同じ列に、連続した3人が携帯電話でメールを打っていた。 ホームに電車が入ってドアが開いても、その中の1人がなかなか動かなかったため、非常に邪魔だった。 先日、自転車に乗りながら携帯電話のメールを打っている女を見掛けたことがあったが、あれはさすがに危ない。以前、マンガを読みながら自転車に乗る高校生も見たことがあるのだが、メール打ちの場合はメール作文とボタン操作のために注意力がかなり奪われてしまい、マンガ読み以上に危険である。 自分や相手の都合に合わせた発信が便利なはずの電子メール。それがなぜか「受け取ったらすぐに返信しなければならない」というのが一般的になってしまった。その結果、どんな時でもメール送信が優先され、携帯電話を使う者とその周囲の安全性が著しく損なわれているのである。 このように、メールとして誤った使い方が定着してしまうと、もはや覆すのは不可能に思える。そうなると、携帯電話メーカーは、そのような使い方を前提に対策をせねばなるまい。だがヤル気が無いのか、あるいは問題意識そのものが無いのかは知らないが、現時点でそのような対策は何もない。 そこで我輩は、携帯電話メーカーの代わりに一つのアイディアをここに提示したい。アイディア料は不要なためメーカーは心配せず即座に研究開発しろ。 我輩のアイディアとは、以下のようなものである。 現在の携帯電話にはカメラが付いている。そのカメラをメール操作中には作動させておき、液晶画面に前方の様子を表示させる。 つまり、前方の景色をカメラで捉えて画面表示させておき、メール文章をそこにオーバーラップさせるのだ。そうすれば携帯電話の画面を見るために下を向いても前方の視野が確保出来る。 レンズの画角を広げたりCCDの画素数を増やしたりすれば、カメラが多少前方を向いていなくても対応出来る(そういう工夫はメーカーが考えればよい話だが)。 また、動体の検知することによって衝突危険度を画面上でアラートさせても良かろう。場合によっては自動車に搭載されているようなレーダー機能も補助として付けるのも方法の一つ。 このような工夫によって前方が見えるようになれば、携帯電話依存症の患者たちも少しはシャキシャキと歩いてくれるのではないかと期待する。 もちろん、それでも危険性は残るだろうが、シャキシャキ歩いてくれさえすれば横から車に轢かれても特に問題は無い。 それにしても、携帯電話にカメラ機能が搭載されてしばらく経つが、未だに何の進化も無いのが笑える。 未来社会21世紀であるというのに、写真を撮っても「見る」「送る」程度とはな。せっかく電子的に画像を得てデジタル化(符号化)しても、解析処理を通さずそのまま液晶画面に出しても意味は無い。 ---------------------------------------------------- [517] 2004年12月13日(月) 「社会に貢献するのが企業の存在目的」 社会に貢献するのが企業の存在目的である。 そのことは、雑文377「キャノン」でも書いた。 各企業には「企業理念」というものがあると思うが、「技術を通じて社会に貢献する」「お客様にとって最良のパートナーとなる」というものは良く見掛ける。逆に、「利益優先で突き進む」というような企業理念は悪徳企業以外では見られない。 (ちなみにキャノンの企業理念は「共生〜世界の繁栄と人類の幸福のために貢献していくこと」だと。皮肉っぽいのが笑える。) このことからも解るように、企業が存在する目的は利益を上げることでは決して無い。利益というのは組織維持・発展のためのものであり、あくまで結果的なものである。利益自体が目的化してはならない。 もし企業が利益だけに囚われるならば、客に求められるままに製品やサービスを提供することになり、その行き先は誰にも分からなくなる。 ある雑誌を見ると、ピッキングや盗聴・盗撮に使う道具の広告がズラリと並んでいる。カギ屋や探偵などには有効な道具類も、一般市民の手に渡れば別の問題を引き起こす。電動ピッキング装置など一般人に必要あるのか・・・? もし、企業理念が「利益」であるならば、一般人にピッキングを広めることは市場拡大に繋がり、これは企業として当然の努力ということになろう。 その結果として空き巣が増加しようとも、「当社は自分の利益を考えただけのことですから、空き巣のことまでは関知しません」と言えるわけだ。 悪徳企業などはまさに利益優先であり、法の網をかいくぐって消費者から搾取する。効率的に利益を得るため、「こちらから与えるものは最小限に、相手から巻き上げるものは最大限に」ということを平気で行うのだ。彼らにしてみれば、法律さえ守っていれば良いのだというスタンスである。 こんなことが許されるものか。 企業は、「あるべき社会像」というビジョンを持ったうえで企業理念をうち立てるべきである。 そこには当然、自分たちの居場所があるはず。 先日、ニュース番組の特集で、晩婚化の問題をやっていた。 その中で、ある結婚式場では、結婚したくてもできない男性を対象として「お見合い講座」を開いていた。結婚式場の女性職員を見合いの相手に見立ててシミュレーションをさせ、話題の振り方や挙動などを指導するのである。 結婚式場として、結婚式の減少にどう対処するか。 普通ならば、同業者同士による奪い合いや、金額の水増しなど、消費者にマイナスになるようなことが容易に考えつく。サービス向上によって少ない客を囲い込む方法もあろうが、赤字ラインまで達すればどうすることも出来ない。ともすれば目立たないところで手抜きをすることにもなる。 しかしながら、晩婚化という根本的な問題に正面から取り組むというこの姿勢は前向きで素晴らしい。 手っ取り早く、結婚相手を紹介(マッチング)するというビジネスもあるにはあったが、単純に出会いの少ない男性の結婚についてのみ効果があるだけで、女性との付き合い方に不慣れな男性を救うことは出来ない。 そういう意味で、結婚式場による「お見合い講座」の開催は画期的と言える。 もちろん、この努力によって新たなカップルが増えたとしても、必ずしも自分の式場で結婚式を挙げるという保証は無い。だが、景気が悪いのを世の中のせいにしたままではなく、自分たちで世の中を変えて未来を創って行こうとする意気込みが感じられる。 カメラの業界はどうか。 「銀塩の市場が小さくなりましたので、もう銀塩は止めます」だと? 「画素数以外の価値観は市場に受け入れられないので画素数のみに力を入れました」だと? 「安ければ安いほど市場に受けるので、全体的な造りは安っぽくて故障しやすくなっております」だと? もう、徹底的に流されてばかりだな。情けない。 そうやって流されて行くうち、いつの間にかバカばかりを相手することになり、市場が極めて不安定になった。ちょっとした流行り廃りで大きく会社が傾くのは、御輿を担がせる相手を間違えたとしか言えない。 もっと写真を趣味として楽しめる文化を育てることが必要ではないか。様々な価値観を受け入れる場を設けることが必要ではないか。 現在あるメーカー主催のサークルにしても、例えば尾瀬などに泊まりがけで行き、写真家講師の指導のもとに風景写真を撮る。あるいは写真講座を開き、それを受講する。 ・・・実につまらない。 入会案内に掲示された活動の様子を写した写真を見ても、オヤジしか参加出来ないのではないかと思わせる。 実際には違うとしても、PRが足りないからそう思わせる。 もっと写真そのものが楽しいことだと思えるような、そしてベテランにも新鮮な企画は無いのか? 「若者にも面白いと思わせる企画」、「次のステップを考えさせるような企画」、「風景とポートレート以外のジャンルの魅力を体験させる企画」、「工場見学、一日体験開発者などの企画」・・・。 またサークルでなくとも、ユーザー登録した者に様々な案内を送ったり、パーソナルアンケートを実施しそれに基づく写真趣味的な提案を行うことも有効かも知れない。 我輩は現在、某財団法人に所属しているのだが、皆は利益ではなく一つの目的のために企画を立て活動している。 新しい写真の企画運営が企業単位で難しいのであれば、業界全体で社団法人などを設立し、魅力ある企画をどんどん立てて行けないものかと思う。 存在理由が無いにも関わらず無理矢理企業を存在させようとするならば、存在するための金が必要となる。だから利益そのものが目的化する。 しかし社会に貢献することによって企業の存在価値を高めるならば、企業は自然に社会に定着し、自ずと利益が生み出されることだろう。 ---------------------------------------------------- [518] 2004年12月14日(火) 「身に染みた今度の後悔」 先日、年賀状用の写真素材として、某動物園に鳥を撮りに行った(ダジャレではない)。 最初は一人で行くつもりだったが、豚児が退屈そうにしていたのを見て、急遽脇に抱えて連れて行った。 撮影距離はそれなりに離れているため、これは35mm判でなければ撮れない。ミノルタα-707siと100-300mmズームレンズを用意した。 豚児も一緒にいるため、ついでに2人で記念写真も撮ることにした。豚児写真は一貫して66判で撮影しているため、これはブロニカSQ-Aiを用いる。 動物園で一通り鳥の写真を撮影した後、早速豚児と2人で記念写真を撮ろうとした。 SQ-Aiをミニ三脚に据え、セルフタイマーをセットしてファインダーを覗いた。ところが、AEファインダーのアイピースにはゴム目当てが付いていないではないか。 「しまった!途中で落として来たか・・・。」 SQ-Aiはストラップで首から提げていたのだが、ゴム目当てが我輩の身体に当たって脱落してしまったようだ。 慌てて豚児を抱えて来た道を戻ってみたが、どこにもそれは見当たらなかった。 そう言えば、Nikon F3の時も、ゴム目当てはすぐに脱落した。ゴム製ゆえ、身体に当たると摩擦が強く作用し、アイピースのネジが緩むのである。 F3の場合は、アイピースのネジをペンチで強引にネジ込んでおけば緩まなくなる。しかしSQ-Aiの場合は単純なかぶせ型であるため、瞬間接着剤で固定しなければなるまい。 いずれにせよ、新しいゴム目当てを追加購入する必要がある。 カタログによれば、このゴム目当ては645判のETR-Si用と共用パーツであるとのこと。 ETR-Siは先日販売終了となったばかりであるから、まだ今の段階であれば入手に苦労は無かろう。とは言っても、うかうかしていればいずれは手に入れるのが難しくなるに違いない。ならば今のうちに幾つかまとめて確保しておくことにする。 用心深い我輩に抜かりは無い。 ところが、ヨドバシカメラでこのゴム目当てを問い合わせたところ、ETR-Siが販売終了となったタイミングで全てのアクセサリがメーカーへ引き上げられてしまったという。 ならばとメーカーにも問い合わせてもらったのだが、そこでも在庫が一つも無いと言われてしまった。数個どころか、1個さえ無いのだ。 これは一体、どういうことだ?! 普通、製品が販売終了となっても、アクセサリに関しては多少のタイムラグがあるはず。そうでなければ、もし仮に、ETR-Siを販売終了直前に購入した者がいたとすれば、その不運な人間は必要なアクセサリが揃えられないことになる。 販売終了が事前にアナウンスされていたのであれば、その間に必死に揃えれば良いのだが、ある日突然の出来事であるから防ぎようが無い。 やはり、以前我輩が行ったように、手に入るアクセサリ群はまるごとゴッソリ買い囲むのが最良の方法であった(参考:雑文152「7年目」)。 必要か必要でないかというのは後で持ち上がる問題であり、購入時点で判断出来るものではない。現に、AEプリズムファインダーも最近までは使うことがなかったのである。その結果、ゴム目当てが必要になった時には在庫切れに直面することになった。 結局、SQ-Ai用のゴム目当ては、Nikon製ゴム目当てDK-3を代用させた。視度補正レンズのネジとの間に挟み込むようにしたため、ネジが緩まない限り脱落することは無い。当然、ネジはペンチでキツくネジ込んだ。 それにしても今回、我輩は新たな後悔を増やしてしまった。ストック自慢もこの程度ではまだまだ甘いということが身に染みた。 もし時間が戻せるのならば、ゴム目当てを10個くらいまとめ買いしたいところ。いや、今ならNikon DK-3を10個買うたろうか。 油断ならんからな、ホントに。 ---------------------------------------------------- [519] 2004年12月15日(水) 「異分野での同志」 SONYの開発した音楽録音用の媒体「MD(Mini-Disc)」。 コンパクトな非接触光学媒体で、CDのようにランダムアクセス可能で、カセットテープよりも利便性に優れていた。それゆえ現在まで普及拡大を続け、ついにはカセットテープを過去のものにしてしまった。 しかしながら、小さな媒体に長時間の音楽データを格納するためにATRAC方式というデータ圧縮を行い、その結果不自然な音の歪みを発生させたとして音楽愛好家の反感を買った。 我輩自身はあまり音質の違いについてよく分からないのだが、雑文に何度か登場した営業B氏などは、事あるごとに「MDは音が良くない」と言っていたものだ。彼はサックスが趣味の一つであるため(我輩の結婚披露宴でも演奏してもらった)音には敏感なのだろうか。 MDの場合、非接触のデジタル媒体であるためテープがヘッドをこする時に発生するヒスノイズや、レコード針がゴミを弾くスクラッチノイズが全く無いだけに音質が良く思えるのであろう。また、回転ムラ(ワウ・フラッター)が無いのもそれに拍車をかける。 我輩などは見事にその術中にはまったと言える。 ここで、一つのサイトを紹介する。 「〜非MD同盟のページ〜」 このサイトは、MDの音質が良いとされる風潮に疑問を投げかけ、良い音を知らぬ者の目を覚まさせようとするものである。 「MDの音はCDに引けを取らない」、「MDは人間に聞こえない音をカットしているだけだから、音質には影響ない」という、いわば思い込みにも近い印象を、「MDは音楽を異常な音に歪めている」と真っ向から否定している。 面白いことに、これは我輩がデジタルカメラの画質の悪さを主張している姿勢に似ているように感ずる。 世間一般において、MDはノイズやワウ・フラッターが無いということがすなわち高音質であるとされているように、デジタルカメラでは画素数の大きさのみが唯一画質を左右するとされている。 この件は雑文514「綺麗な色を知らぬ子供たち」でも関係することだが、本当に良い色というものに触れたことが無い世代には、「画素数が大きいということは、すなわち高画質である」という思い込みが強く働いており、なかなか目を覚ますことはない。 稀(まれ)に銀塩写真を肯定する者がいても、「手間がかかるところが趣味的だ」とか「粒子感が粗いので味がある」などと変な主張をするためにますます銀塩写真の画質が良くないと思わせてしまう(もしかしてこれは意図的なホメ殺しなのか?)。 銀塩写真は、そういう変な理屈を付けるまでもなく十分に緻密で色が深く高画質である。 それが解らぬ者が多い限り、これからも我輩は、自身のサイトを通じて銀塩写真の真の価値を訴え続けるであろう。 我輩は、オーディオの分野で同じような立場で主張を行う「〜非MD同盟のページ〜」に、非常に共感を覚えた。 そして、異分野での同志として手を結び、相互リンクするに至った。 ---------------------------------------------------- [520] 2004年12月16日(木) 「それは、銀塩写真の責任ではない」 ある写真サイトでデジタルカメラの画像を見た。 精細で鮮やかで階調滑らかに表現されており、デジタルカメラもここまで来たかと思わせた。 また、同じサイトにリバーサルフィルムで撮られた写真も掲示されていた。 その写真にはザラザラした粒子感があり、ハイライト部の飛びとシャドー部のくすみが気になった。しかも色が偏っており、いかにも銀塩写真らしいものだった・・・。 昔、我輩が最初にフィルムスキャナで写真を取り込んだ時、スキャン直後の画像は原版とはほど遠いものだった。色は強烈に偏り、しかも暗くくすんでいる。 我輩は、その画像を単純に色調整し、明度を上げた。 その結果、スキャン直後とは比較にならないほど綺麗な画像が得られた。 しかし、今から考えるとそれは不十分で、見るに耐えない。 その後、我輩自身の色調整スキルも向上し、さらには今まで無頓着だったディスプレイの調整も行った。 また、画像を大きくスキャンしそれを縮小処理することによって画像を締めてピクセルを平均化させた。 その結果、それまでとは比較にならないほど綺麗な画像が得られた。 しかし、今から考えるとそれは不十分で、見るに耐えない。 その後、世に出回るフィルムスキャナも種類が増え、我輩も高性能なフィルムスキャナを求めて何度か買い換えた。それにより、色調整も変にこねくり回すことなく、単純にRGBの偏りを調整するだけで自然な色が出せるようになった。 また、ハイライト・シャドーに注意を払い、少なくとも表現したい部分だけは階調が最大限になるようにした。 その結果、それまでとは比較にならないほど綺麗な画像が得られた。 しかし、今から考えるとそれは不十分で、見るに耐えない。 その後、さらに高性能なスキャナを手に入れ、極限まで巨大な画像で取り込み、縮小処理にも工夫をした。これにより、被写体の細かいパターンに由来するモアレも軽減され、色の深みも増した。 また、ハイライト・シャドーの調整も部分的に行うことで、データの切り捨てを極力無くした。 その結果、それまでとは比較にならないほど綺麗な画像が得られた。 現時点では、これが我輩の最高画質である。 しかしながら、いつかは「今から考えるとそれは不十分で、見るに耐えない」と言う日が来るに違いない。 雑文473「現実を見ろ」でも書いたように、原版さえ手元にあれば、そのポテンシャル(秘めたる力)を引き出す能力が向上するにつれて、得られる電子画像もどんどん高画質となるのだ。 姉妹サイト「中判写真のサムネイル」では、掲載写真のクオリティにはバラつきがある。スキャン・レタッチ技術が向上するたび、少しずつ画像を入れ替えているからだ。 パソコンで電子画像を取り扱う限り、画質には必ず論理的上限がある。その画質の上限が、銀塩写真のスキャナ取り込みによる最終目標の画質となる。 しかしながら、インターネット等で目にしたスキャン画像が、その目標にどこまで到達しているのかということを考えなければ、見た印象そのままに「銀塩写真の画質は悪い」という誤った結論を出してしまうだろう。 そういう意味で、銀塩写真に触れたことの無い者に変な思い込みをさせてしまわないかと心配する。 また、銀塩写真を使っている者でも、自分の撮った銀塩写真とデジタル写真を同じ画面上でを比べて早合点してしまわないかとも心配する。 我輩は言いたい。 「銀塩写真の画質が悪いのではない、悪いのはスキャナの性能とおまえのレタッチスキルだ」と。 少なくとも、我輩はそう自分に言い聞かせて日々向上している。 「そうは言っても、最大限の努力を以て銀塩写真をスキャン・レタッチした結果が、やっとデジタルカメラの手軽な画像に並ぶというのであれば意味が無かろう。」 このように反論する者もいるかも知れない。確かに、その意見はもっともだ。 だがよく考えろ、手元にある銀塩原版はデジタル画質を遥かに越えているのだ。 いつか、画像に特化したパソコンシステム(参考:雑文143、雑文144、雑文502、雑文508)が開発された暁には、従来のデジタル画像はその段差を越えることは出来ない。しかし、銀塩原版だけは、再スキャンによって対応出来る。時代を貫いて価値を維持出来る。 銀塩写真を唯一無二の原版として見直し、その宝を大切にしろ。 ---------------------------------------------------- [521] 2005年01月26日(水) 「手の届く相手」 先日、出会い系マッチングサイト「Match.com International」のインターネット調査によるアンケートで、30代独身女性の4割が「自分を"負け犬"と思う」と回答したというニュース記事を見た。 負け犬になった理由として、「出会いがなかった」(37%)、「相手はいたが、結婚に踏み切るタイミングを逃した」(32%)、「理想が高すぎて妥協できなかった」(29%)とある。 "負け犬"という表現はなかなかインパクトがあるが、「上手くいくはずだった人生設計が狂ってしまった」という女性の気持ちを如実に表していると言える。なぜなら、本人の意志で独身を貫くのであれば、"負け犬"などという意識を持つはずがない。 ちなみに我輩は、20代の頃に何度か見合いをやったことがある(参考:雑文047「実際の製品とは異なります」)。 やむを得ないことなのだが、見合いでは打算的になることが多く、結局のところ年収の高くない我輩には太刀打ち不可能だと悟った。 それにしても、今ふと考えると、「理想が高すぎて妥協できなかった」と答えた女性がその相手の一人かも知れない・・・? 女性側にとって結婚とは重要な問題である。もちろん、男性側にとっても重要であることに違いないが、女性は結婚する相手によって人生がガラリと変わるのだから、重要度は男性側の比ではない。 しかし若い頃にいくら男性にモテたとしても、それが永遠に続くわけではない。高スペックな男性を選り好みをしているうち、いつしか歳を重ね、取り巻きは去ってしまっていた・・・。 まあ恐らく、理想にかなった相手が現れたとしても相手にされなかったというのが真相ではないだろうか。 さて、雑文188「冬の匂いに想い出す」でも書いたことだが、我輩が最初に一眼レフカメラに興味を持ったのは、中学時代の必須クラブであった。 天然スキンヘッド先生のOLYMPUS OM-1(?)とレフレックス望遠レンズを使い、サッカーをしているクラスメートを撮影した。 カメラは三脚に据えられており、クラブ生たちが順にファインダーを覗いてシャッターを切るのである。 我輩は当時、家にある目測・手巻き式のプラスチック製カメラ「ピッカリコニカ」を使って写真を撮っていたのだが、それに比べると、ガラスと金属で出来た一眼レフカメラの緻密感には大変感動した。 (恐らく、金属カメラを好む者は過去に我輩と同じような感動を経験しているのではないかと思う。) フォーカシングスクリーンのスリガラスに浮き上がる映像は、まさに撮影レンズから入った映像であるというリアリティがあり、ボンヤリとしたアウトフォーカスの結像がピントリングを回すにつれてだんだんハッキリとしてくる。 そして、シャッターを切った時の瞬間的なブラックアウト。 レンジファインダーカメラを好んで使う者に言わせれば、それらは一眼レフ特有の"短所"であるとされているのだが、我輩にとっては"長所"である。 クラブ活動で撮影したその写真は、後日光沢フチ無しプリントされてシャッターを切った生徒達に配られた。 背景がボケて人物が引き寄せられた望遠写真。絶対にピッカリコニカでは撮れない写真だった。 当時、フチ無し写真は珍しかったことも影響していたかも知れないが、一眼レフで撮られたそのプリント写真は、心なしか今までにはない重みを感じた・・・。 中学生当時、友人「クラッシャージョウ」の愛用カメラはPENTAX K2-DMDであった。シャッターダイヤルの形状がシャープで美しく、「これを調節することによってどんな写真でも撮れるんだろうな」という、秘めたる可能性を感じた。 しかしながらペンタックスというブランドは地味であり、何よりジョウが愛用しているカメラのブランドであることに抵抗があった。 その頃、科学雑誌NewtonでNikon F3が取りあげられ(参考:雑文083「F3の第一印象」)、我輩は一目見てそのカメラの優秀さを感じ取り、「このF3というのはカメラの王者に違いない。ジョウのK2-DMDなど、このカメラの足下にも及ばん。いつかF3を手に入れよう。」と思った。 我輩はカメラ屋へ行き、「Nikon F3」のカタログを入手した。ついでに、「Nikon EM」、「Nikon FM」、「Nikon FE」のカタログも持って帰った。 カタログを広げると、F3はまさに大人の使う道具であることを感じた。それは今思えば、カタログでは数々のアクセサリが掲載されており、撮影状況に応じて様々な形態に組み上がるいわば"システムカメラ"としての貫禄だった。 「このカメラがあれば、どんなものでも撮れるな・・・。」 我輩は生唾を飲み込んだ。 当時のニコンのカタログには価格は載っておらず、別途価格表を見なくてはならない。 「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん・・・、うわ!高っけーわ!」 我輩は、Nikon F3の価格を見て落胆した。 ボディのみの定価が13万円くらいである。とても我輩の手の届くものではない。仮にボディが手に入ったとしても、交換レンズが無ければ何も出来ない。 我輩は、F3ボディと数本の交換レンズやアクセサリの値段を計算し、その金額を紙に1000円単位のマス目として書いた。そして、今持っている小遣いの分だけマス目を塗り潰してみた。しかしそのマス目の終点は遥か先にあり、ほとんど絶望的だということをすぐに実感した。 そこで目を移し、同じNikon製の安いカメラを考えることにした。 手元にあるカタログは、「Nikon EM」、「Nikon FM」、「Nikon FE」。 その中でEMはボディのみ4万円と比較的安く、お年玉の時期を経れば何とかなりそうな感じに思った。レンズまでは手に入らないが、ボディが安ければレンズまでの到達は早かろう。 しかし、シャッターダイヤルが無いのは困った。これでは思い通りに動かせない。 安いNikonであるのは確かに魅力なのだが・・・。 そうかと言ってFMやFEにするのは難しい。EMですらやっと買えるかどうかというレベルであるのに、FMやFEなど無理である。 それでもFMとFEのカタログはボロボロになるまでよく読んだ。 そんなある日、カメラには中古という選択肢があることを知った。 それまで、我輩の行動圏内にあった隣町のカメラ店(その多くは「高千穂カメラ」)には中古が無かったため気付かなかったのだが、北九州市の大都市小倉に行った際、デパート「井筒屋」のカメラ売り場にあった中古コーナーがあることを知った。 中古カメラとは、誰かが一度手にして使ったカメラだそうである。 ショーケースのガラス越しに見ると、確かに新品とは言えない状態。角の黒塗装が剥げ、真鍮色が覗いている(我輩は黒ボディのカメラしか眼中に無かったため、それしか印象に無い)。 その中で、我輩は一番安いCanon AE-1に狙いを付けた。価格は1万5千円。これならば、貯金をもう少し貯めれば手が届く。 それから間もなく、我輩は中古のCanon AE-1を手に入れた(参考:雑文085「想い出のファインダー」)。初めて手にする、自分だけの一眼レフであった。まだ交換レンズは買えなかったものの、ボディだけでも手に入れた甲斐はあった。 AE-1には、今まで使っていたピッカリコニカには無かった様々な機能があった。見えるものがそのまま写真に写せるだけでなく、シャッターの開く時間さえも自分の思い通りに制御出来る。 いくら中古のボロカメラであろうとも、その当時の自分にはそれがお似合いであったのだ。そして、それが手の届く所にあった。 もし我輩がNikon F3にこだわり続けていたならば、中学の頃から貯金を始めたとしても高校生になってもまだボディのみが買えるか買えないかという状態だったはず。 それはまさに、理想が高すぎて妥協できなかった"負け犬"の状態か。 カメラの場合は、我慢していればいつか買えるという意味では、結婚とは違うかも知れない。だが、お気に入りのカメラはいつまでも待ってはくれない。金が貯まる前に生産終了となれば、それこそ"負け犬"そのもの。 F3にこだわらず、新品にこだわらず、とりあえず手の届くカメラに手を出した我輩は、中学時代の楽しい写真生活を送ることが出来たわけだ。 適度に妥協し、負け犬になる前に写真ライフを始めよう。 ---------------------------------------------------- [522] 2005年02月02日(水) 「例え話」 15年近く昔のことだったと思うが、Windows 3.0の発売開始についてのNHKのニュース特番を見た。 当時、パソコンはメーカー各社それぞれに独自のアーキテクチャを持っており、ソフトウェアの互換性は無かった。それゆえ、NECのPC98シリーズのように、ハードウェアのシェアが大きければ大きいほどアプリケーションソフトの市場も大きく、そして不便が少なかった。逆に言うと、シェアの小さなパソコンを買ってしまうと、アプリケーションソフトの数が少なく全く使い物にならないこともあった。 そんな時、Window 3.0が発売された。 ニュース特番では、「各メーカーのパソコンのアーキテクチャの違いをWindowsが吸収し、そのWindows上で実行されるアプリケーションソフトは共通のものが使える」ということを解説していた。 これにより、特定のハードウェアに囚われる必要も無くなり、NEC1社独占状態のパソコン市場が大きく変化するだろうということだった。 我輩がこの番組を見た時には、まだパソコンに習熟しておらず、また我輩個人の所有するパソコンも無かったため、番組が解説している内容について頭では理解はしたものの、「なるほど」と実感するまでには至らなかった。 番組では図を使って解説していたのだが、分かりやすい例えを出さず観念的な説明に終始していた。 「例え」というのは、一般に広く知られた知識を上手く利用して説明する手法である。全く新しい概念を一から説明するよりも、既知の似たようなケースを当てはめて少し修正すれば理解が早い。 しかし一般に広く知られた知識から利用出来る例えも限られており、説明が難しいケースもある。 Windows 3.0の件も、当時は今ほどパソコンが普及しておらず、今までに無かったような新しい概念を説明するための適切な例えはなかなか無かった。 ただし、説明する相手の知識が量れるのであれば、特殊な例え話も有効である。相手の知識の範囲内で適切な例えがあるならば、趣味の分野の話であっても良かろう。 もし当時のニュース特番で、カメラや写真をやっている者向けの説明があるとしたら、我輩は次の例えで瞬時に理解したに違いない。 「Windows 3.0とは、例えるとタムロンのアダプトールのようなものです。」 ---------------------------------------------------- [523] 2005年02月03日(木) 「ガラス乾板」 先日、インターネットオークションで「大判・中判カメラ」のカテゴリを眺めていたところ、大正〜昭和初期に撮られた大量のガラス乾板が出品されていた。 (※ガラス乾板=用語集「ガラス乾板」の項目参照) このようなまとまった数の貴重な資料がオークション出品によって散逸するのは残念ではあるが、半世紀以上前のガラス乾板がよく今まで破損せず残っていたものだと感心もした。 オークション画面にはモノクロネガの状態のガラス乾板の画像が表示されていたのだが、今は便利なもので、パソコン上で白黒反転すればネガからポジの状態へ瞬時に切り替えて見ることが出来る。 またロシアでは、半世紀どころか100年も前にRGB3色分解撮影によるカラー写真が撮られており、それがWeb上で公開されている。 「The Empire That Was Russia」 100年前のものとは思えぬ生々しい色に、思わず目を見張る。 (※3色分解写真=用語集「3色分解写真」の項目参照) ところで現在、銀塩形式に代わって電子画像が多く撮られている。 デジタルカメラの画像はもちろん、ビデオカメラの映像もこのうちに入る。 これらは、写真感材などの消耗品や現像処理を必要とせず、誰でも気軽に撮れるという大きなメリットがある。写真人口の裾野を広げた役割も大きいだろう。 今日ではガラス乾板やRGB3色分解による撮影は廃れてしまった。それと同じように、電子画像に押されてフィルムを使った写真も廃れる日が来るかも知れない。 だがもしそうなったとしても、現在手元にある写真が使い物にならなくなるわけではない。これが電子画像と決定的に異なる点である。 物質的に残る銀塩写真というのは、いくら写真規格が廃れようとも、既に撮影済みの写真については全く影響を与えない。電子媒体のように、映像が再生機にかけるまで見ることが出来ないという弱みは無い。しかも電子画像には、再生機の規格が変わるとその画像を見る手段が永遠に失われるという危険性もある・・・。 ここ数年、デジタルカメラなどの電子画像の台頭により銀塩写真が無くなるという話題もよく出るが、正直なところ、将来どうなるかは誰にも分からない。 しかし、銀塩写真が無くなると騒いでいる暇があったら、一枚でも多く写真を残しておけと言いたい。撮影された写真は、保存さえ適切ならば驚くほど長期間残る。それは、自分の時代を超えることがあるかも知れない。冒頭に触れたような、ガラス乾板やRGB3色分解写真など、未来の人間の心を動かすかも知れない。 いずれにせよ、写真を撮っておかねば始まらぬ。 前にも似たようなことを書いたが(参考:「愉しみの回収」)、銀塩写真が廃れたとしたら、我輩は撮影趣味を辞めて鑑賞趣味へと移行するつもり。 その時のために、我輩はせっせと写真を撮る。 ---------------------------------------------------- [524] 2005年02月10日(木) 「奇妙な接客」 8年ほど前、平日の昼間に仕事の打合せで渋谷に出向いた。 多少、時間的余裕をみていたため、早めに到着。時間調整でビックカメラに立ち寄った。 ビックカメラでは、当然ながら一眼レフコーナーに直行。 そこでデモ機を手に取って操作してみる。やはり、最初に手にするのは「Nikon F3」である。平日の昼間ということもあり、客はあまり多くない。そのコーナーには女性客が1人いるのみ。 その後、AF機のコーナーへ移動し、しばらくAFレンズを駆動させて楽しんでいたのだが、「やはり造りの良いカメラが良いな」と再びマニュアルカメラのコーナーへ戻った。 そこには先ほどの女性客がまだ同じ場所に立っており、カメラを見つめていた。私服であるから大学生だろうか。 彼女は、若い店員が通りかかったところをつかまえて質問し始めた。 「この値段は、カメラとレンズの値段なんですか?」 「はいそうです。」 見ると、Nikon FM10だった。 「FM10とは渋いな」と思いながらも、我輩は自分の興味のままにデモ機を操作していた。 しかしながら客が少ないためか、この客と店員の会話は自然に耳に入ってくる。 「このカメラとこのカメラは同じものなんですか?」 「ええ、そうです。」 見ると、2つのFM10の値段は違っていた。 「どうして値段が違うんですか?」 「レンズが違うんですよ。ほら、これとこれ・・・、あれ?同じレンズだな・・・。」 店員は、2つのFM10の値段の違いについて言葉が詰まってしまった。 しかし、「写真工業」を毎号購読している我輩は知っていた。 「それは、FM10ではない。新たに発売されたばかりのFE10なのだ。」 我輩は心の中でそう叫んだが、店員はそのことに気付かず困っている。 我輩はデモ機をいじりながら横目で見ていたのだが、店員はFM10とFE10を逆さにしたりして見比べている。 「おい、ロゴを見ろ、FM10とFE10の違いに気付け!」 我輩は店員にテレパシーを送信したのだが、相手はそれどころではない様子。 しばらくすると店員はシャッターダイヤルをいじり始めた。 「そうだ、そこにAマークがあるだろ。FE10は絞り優先AEがあるんだ。FM10との決定的な違いに気付け!」 しかしそれでも店員は気付かない。同じカメラなのになぜ値段が違うのか悩んでいる。 ああ、じれったい。 「これは絞り優先が出来るFE10という新機種ですよ。」 つい、口が出た。黙って見ておれなかった。 そのままの勢いでシャッターダイヤルのAマークについて言及した。 ところが、なぜか店員はその場を離れ、このあと二度と戻っては来なかった。 我輩は店員に勉強させるために発言したのだ。肝心なオマエが消えてどうする? 女性は我輩に質問を振ってきた。 「どっちを選んだらいいんですか?」 我輩は「使い手の思想による」と手短に答えたかったのだが、ここでは一般人を装っているために「電池が無くても動く手動操作専用のカメラが目的ならばFM10、オート撮影も考慮するならばFE10。」と丁寧に答えた。 すると、「学校の授業で使うんですけど、どうでしょうか?」と訊いてくる。写真関連の専門学校生か。 「勉強ならばFM10にしておけ。」と手短に答えたかったが、ここでは一般人を装っているために「どちらでも写真の勉強に使えるが、FE10ならオートでも撮れるから用途は広がる。大は小を兼ねる。」と丁寧に答えた。 「他には無いんですか?」と訊いてきたので、FM2やF3などがあることを教えた。しかし値段がかなり高いことを示すと、選択肢がFM10とFE10の2つしか無いことを悟ったようだった。 価格は多少FE10のほうが高かったのだが、汎用性があることが決め手となったようで、笑顔で「じゃあ、これ(FE10)にします。」と我輩に言った。 「そう、でもそれは店員に言って。」我輩は、時間を気にしながら店を出た。 相手先の会社へ着くと、担当者に今あったことを話して2人で笑った。 「もう少し時間があったら良かったですね。」 担当者はそう言った。 もし時間があったら、喫茶店にでも誘ってたか? さあ、それは知らんが。 ---------------------------------------------------- [525] 2005年02月18日(金) 「親の目線」 雑文497「鬼の目にも涙」でも書いたが、我輩は豚児が生まれる半年前くらいから豚児に関する日記をつけている。 そして、豚児が産まれた瞬間から豚児の写真をリバーサルフィルムで撮り続けている。 たまにその日記や写真を見返してみると、「こんなことがあったのか」と改めて驚くことがある。 日常的な出来事については、記憶に残らないことが多いためであろう。 しかし記憶に残らない日常的な出来事であっても、それは実際に自分たちが生きてきた時間である。それを日記や写真で取り戻した時には、それなりに特別な想いがする。 いつか豚児がその日記と写真を見る機会があるとしたら、やはり同じような気持ちになるのであろうか。 ところで、写真コンクールなどで子供を撮った写真に対して「子供の目線で撮れ」などというアドバイスが見受けられるが、目線の話にこだわるのであれば、親が撮るのであるから親の目線で撮るべきだと我輩は断言したい。 「子供の目線」という言葉の中には「アングル(アイレベル)を下げる」という意味が含まれている。なるほど、そのようにすれば、背の低い子供を見下ろすような"下すぼまりの写真"を防ぎ、自然な描写となって都合が良い。 だがそういう意味であるにせよ、「子供の目線で撮れ」というアドバイスは、「親の目線」を否定しているようにも聞こえて印象が良くない。 親の目線からの写真があれば、子供が成長して自分の写真を見る時、「親から見ると幼い自分はこのように見えていたのか」と感ずることが出来る。 アングルだけでなく、どういう場面でシャッターを切ったのか、どんなところを写真として残したかったのかということを親の目線で伝えることは重要である。 我輩は、写真で豚児とその周囲を親の目線で記録し、日記でそれらを補間している。 親がどういう目で自分を見ていたのか。それは、場面を淡々と述べた箇所にも読み取れるはずである。その場面を撮影し書き留めたという行動。そこには親の目線が存在する。 もし、我輩が事故や病気で早めに死ぬことがあるとしても、今まで撮ってきた写真や日記によって親である我輩の目線を伝えることが出来るはず。 もちろん、親が長生きした場合でも、当時記録された写真や日記の価値が失われることは無い。 豚児がいつか子供を持つ親となった時、自分の子供を見る目に既視感を持つとすれば、当時の我輩の気持ちを垣間見てくれるだろうか。 もちろんその時には、我輩は祖父の目線で孫の写真を撮っているのだろう。 ---------------------------------------------------- [526] 2005年02月20日(日) 「プリント写真を得る方法」 先日、親戚向けに豚児写真をネットプリントにて焼き増しした。 豚児は祖父母が4人、曾祖父母が3人おり、我が家を入れると6世帯分必要。それら全てに用意するとかなりの負担であるため、幾つかの世帯にはデジタルデータでの支給とし節約している。だが節約したとしても、半年ごとに150枚前後の写真は必要となる。 もしこれがネガカラーフィルムからの焼き増しならば、非常に大変な手間であったろう。 ネガカラーフィルムからプリントを作る場合、プリント作業するオペレータには元の色が分からないため、変な色・濃度になって仕上がることが多い。満足出来る色・濃度のプリントが得られるのは、偶然による産物である。 もちろん、色見本となるプリントを提示して「このプリントより若干シアン色を抜いてくれ」などという指示も可能ではあるが、我輩のように大量にプリント写真を得ようとする場合には、1枚1枚についてこのような作業が出来るはずも無い。 ネガカラーフィルムというのは、渾身のプリント写真1枚を得る場合か、あるいは色にこだわらず大量にプリント写真を得る場合に役立つのみ。 もし、大量に、しかもイメージ通りの色・濃度のプリント写真を得るとするならば、もはやデジタルの力を借りねばならぬ。 現在、我輩が利用しているプリントサービスは、フジフィルムの「デジカメプリント」である。 (デジカメプリント:元々はデジタルカメラのデータをそのまま出力するというサービスだったが、パソコンで作成した画像を出力する「メディアプリント」と統合された。) デジタル写真のデータは、色がそのままパソコンのディスプレイ画面で確認出来る。もちろん、画面の色がそのままプリントに反映されるわけではないが、色の偏りは比較的一定している。カラーマッチングなどやらなくとも、偏りの傾向さえ掴めば意外に結果が良い。そして、同じデータを使って焼き増しすれば色は変わらない。ネガカラーフィルムのように、焼き増しするたびに色が変わることは無いのだ。 そういうわけで、プリント写真にはデジタルデータが一番相性が良い。 さて、デジタルデータというのは様々な方法で得られる。 デジタルカメラは直接デジタルデータを吐き出すし、リバーサルフィルムからでもフィルムスキャナによってデジタル化が可能。もちろん、ネガカラーフィルムからスキャンしてデジタル化する方法もある。 しかし、ネガはどうしても元の色が分からないので、色調整に迷いが出るのも事実(参考:雑文185「本当の色が判らない」)。今は良くても、後で見ると疑問に思う事もある。そういう意味で、ネガカラーフィルムはデジタル化には適さない。 また、デジタルカメラの場合は、撮影時のホワイトバランス調整が正しければ、後調整は少なくて済む。もちろん、白飛び・黒潰れしやすいデジタルカメラであるから、それなりに"化粧"が必要となるのは言うまでもない。理想的にはCCDの生データであるRAWデータから手を入れるのが良いが、自由度が高いからとあまりに手を入れ過ぎると不自然になる。見本が無いゆえの落とし穴である。 色に関する原版の存在しないネガカラーフィルムやデジタルカメラでは、いくら調整を尽くしたとしても、それが目標点にまで達しているのかというのは誰にも断言出来ない。ともすれば、行き過ぎてしまう恐れもある(参考:雑文365「想像は現実を通り越す(2)」)。 ところがリバーサルフィルムの場合、フィルム原版が色見本になる。 もちろん、パソコンディスプレイ上では原版と100パーセント同じにはならないが、近付けるための目標としては極めて有効である。それがどんなに変な色だとしても、元々の原版が変な色であれば納得せざるを得ない。結果、迷いは無くなる。 かつて、リバーサルフィルムからプリント写真を得るには「ダイレクトプリント」か「インターネガ」しか方法は無かった。 ダイレクトプリントは極めて階調が硬く、しかも単価が高い。またインターネガは大量に焼き増しする分にはコストの問題は小さいが、色見本があっても基本的に色調整は人任せとなるため満足が得られる確証は無い。 今の時代、フィルムスキャナも安くなった。型落ちや中古品であればもう手が届かないという言い訳も通用しない。 もしプリントが目的ならば、ネガカラーフィルムなど使わず、素直にリバーサルフィルムにしておけ。それをスキャナで電子化し、得られたデータを自分自身の手で色調整し、思い通りの色でネットプリントするのだ。 それが、一番幸せになれるプリント写真を得る方法。 <<画像ファイルあり>> リバーサル+デジタル=最強プリント (※ネットプリントについて、本文で挙げた以外の利点として、(1)大切な原版を預けなくとも済む、(2)文字入れが非常に簡単、というものがある。) ---------------------------------------------------- [527] 2005年02月21日(月) 「ホメ殺し(2)」 昔、ある政治家に対して某団体が街宣車でホメ殺しを行った。 「金儲けの上手な○○センセイを総理大臣にしましょう!」 これを聞いて、「そうか、○○センセイというの某団体がホメちぎるほどの素晴らしい政治家なのか」と思う者は少なかろう。 "ホメ殺し"とは、言うまでもなく、表面上のホメた口調を使って相手を貶(けな)すことである。 以前、我輩は雑文308「ホメ殺し」にて同じようにデジタルカメラをホメ殺した。これも当然ながら、表面上のホメた口調によって当時のデジタルカメラを貶しているわけだ。 このことは、我輩の意図したものである。 ところが稀(まれ)に、自分が意図せずホメ殺しをやってしまう者がいる。この例については雑文519「異分野での同志」でも次のように書いた。 ”銀塩写真を肯定する者がいても、「手間がかかるところが趣味的だ」とか「粒子感が粗いので味がある」などと変な主張をするためにますます銀塩写真の画質が良くないと思わせてしまう。” これらの主張については、擁護しようとする意図は十分理解出来るのだが、それがかえってホメ殺しになってしまい、結果的に貶すことになっている。しかも言った本人たちがそれに気付かない。 似たようなことは他の分野でも良くある。 例えば、「8mm映画はスクラッチ(傷)が入るから良いのだ」とか、「レコードはスクラッチノイズがあるから味が出るのだ」という主張。 彼らの主張するこれらの利点は、ビデオや音楽CDなど新しい方式が登場する以前は最大の欠点であったはず。それがなぜか、従来の方式を肯定するための材料とされてしまうのである。 こういった主張は、欠点を嫌って乗り換えた者に対しては何の説得力にもなり得ないどころか、最大のホメ殺しにも聞こえる。 8mm映画やレコードに特別な思い入れを持たぬ我輩がそのような言葉を聞くと、「そうか、やはり8mm映画は画質が悪いのか」とか「結局レコードはそういうものなのか」としか思わない。 「痘痕(あばた)もえくぼ」という言葉があるが、思い入れの無い人間にとって、痘痕は痘痕でしかない。 もちろん、銀塩写真に味方してくれるのは有り難い。だが、欠点を認めずに正当化することだけは止めてもらいたい。もう少し冷静になり、利点や欠点を正しく見つめなければ、ロモグラファーたちのような特異な存在に自らを追い込むことにもなりかねない(参考:雑文324「小さな野火」)。 (※ロモグラファーたちの世界は裸の王様そのもので、コミュニティーの中で"これは画質が良くない"と言い出せる者が誰もいない。) 今一度、自分の発言がホメ殺しになっていないかを再確認すべし。 ---------------------------------------------------- [528] 2005年02月22日(火) 「入力装置と出力装置」 我輩は中学生の頃、科学部に所属していた。 そのため、放課後には理科室及び理科準備室は部員たちの支配下に置かれた。 部長はオカチン、部員は我輩とクラッシャー・ジョウ、そして強がり者Kである。後年、下級生も数人入ってくるのだが、最初のメンバーはこの同級生4人であった。 その日は土曜日で半どんだった(半どん="半分どんたく"という博多言葉である。"どんたく"は休日の意。)。 近所のお好み焼き店で昼食を食べた後、理科室に戻り、我々は直流モーターと発電機の実験装置を理科準備室から引っ張り出して遊び始めた。それは、ハンドルを回すと電気が発生する装置で、勢いよく回すと豆電球が光る。また、スイッチを切り替えて発電機に電流を流すと、ハンドルが勝手に回り出す。 「おもしれー!発電機がモーターになりよるわー。」 我輩には、入力装置が出力装置にもなることについて、妙な感動を覚えた。 ところでその日は、天気の良いのどかな土曜日の午後だったが、ただ一つ、耳障りなものがあった。 強がり者Kは、当時「幻魔大戦」とかいうアニメに入れ込んでおり、そのシナリオカセットテープを持ち込んで理科室で流しているのだ。ウルサイというほどでもなかったが、とにかく耳障りだった。 「ちょっと驚かしちゃろうや。(ちょっと驚かせてやろうじゃないか。)」 我輩とオカチンは、理科準備室からマイクを持ってきてそのラジカセに接続した。そして生録しているように装って強がり者Kに近付いた。テープが回転している状態でマイクが繋がっていれば誰もが録音中だと思うだろう。 「あ、こら、そのテープに録音しよるそか!やめろ!(あ、こら、そのテープに録音しているのか!やめろ!)」 しかし実際は単純に再生中で、マイクをヘッドホン端子に繋いでいるために再生中の音が出てこないだけである。 大成功。 イタズラ終了後、何気なくマイクのスイッチを入れてみると、なぜか音楽とナレーションが微かに聞こえてきた。音はマイクからのものだった。マイクがスピーカーの代わりとなり、音を発していた。 一同、その場で大爆笑。 「すげー!マイクから音が出ちょるわ!なんか笑えるわ!!」 入力装置が出力装置にもなるということは、先ほどのモーターの実験と同じであった。 その後、高校を経て浪人生となり、博多の予備校の寮に入った。 浪人する友人はほとんど北九州の予備校に通ったのだが、我輩は友人のいない博多で寮に入ることによって自分を追い詰め、勉強に専念することを目指した。 しかしあまりに勉強一筋というのはかえって効率が悪い。そこで、カメラ(Nikomat FT2)だけは寮に持ち込むことにした。その頃から既にリバーサルフィルムを使うことが多くなっていたのだが、リバーサルフィルムの鑑賞方法については悩みの種である。 「スライド映写機があればなぁ。」 我輩は自室の白い壁を見ながら思った。しかしスライドプロジェクターはそれなりに高価。しかも狭い寮の部屋には置き場所にも困る。 そんな時、中学時代の体験が思い浮かんだ。 「入力装置は出力装置にもなる・・・。」 我輩は早速、スライド(現像済みリバーサルフィルム)とカメラと懐中電灯を用意した。 カメラのウラブタを開けてシャッターを開放にし、フィルム位置にスライドをテープで貼り付け、後ろから懐中電灯で照らしてみた。予想通り、レンズから光が照射され、白い壁にスライドの映像が上下逆さに映った。 慌ててスライドの上下をひっくり返した。 今度は正常に映った。懐中電灯のフィラメントも一緒に壁に映っていたが、それでも上出来。 結局のところ、半年後に金をなんとか工面してミニサイズのプロジェクターを購入したのだが、それまでの間は、カメラを利用したプロジェクターは大いに役立った。 まさに、カメラという入力装置は、プロジェクターという出力装置に変身したのである。 ---------------------------------------------------- [529] 2005年03月07日(月) 「コスプレ撮影会3(準備)」 「それでは、次のお打ち合わせは来週土曜日ということで。」 我輩は現在、新居を建てようとしているのだが、そのために建築会社との打ち合わせを半年くらい続けている。 この日も打ち合わせを4時間ほど行い、最後に次の打合せの予定を決めた。 いつも、土曜日の午後とすることが多い。 帰宅した後、インターネットにアクセスしていると、来週の土曜日にコスプレ撮影会が開催されることを知った。 「まずいな、来週は打ち合わせだというのに・・・。」 しかも、財布を見ると千円札が1枚。これではフィルムも買えぬ。今回の撮影会は見送るしか無いのか・・・? しかしながら、T嬢のコスプレ撮影会はあまり開催されない。今回の撮影会も4ヶ月ぶりである。今回を逃すとまたいつになるか分からない。 何か、方法は無いのか・・・? 何かを実行しようとする時、"実現可能かどうか"ということを先に考えるのは愚かである。もし、"実現可能かどうか"ということが判断基準であるならば、人間は何事も為し得ないだろう。 月に到達したアポロ宇宙船の飛行士は、インタビューにこう応えた。 「これは奇跡ではない。人間の意志によるものだ。」 "実現可能かどうか"など、実際に努力してみなければ分からぬこと。まず目標に向かって努力し、それで初めて可能か不可能かが分かる。 重要なのは、最初に目標を決めることである。 「撮影会に行く。」 これが、我輩の意志であり目標である。 当然ながら、これを実現させるための方策を考え、努力を行う。これでどうしようもなければ、その時初めて「本当に実現不可能なのだ」と納得しよう。 まず問題は、費用である。今までの経験から、3部制の撮影会では合計8万円の費用がかかっている。その内訳は以下の通り。 ・撮影会参加費 7,000円x3部=21,000円 ・220フィルム代 4,700円x5パック=23,500円 ・増感現像代 840円x25本=21,000円 ・Hamaマウント代 2,800円x4パック=11,200円 ・バインダーファイル代 2,500円x1個=2,500円 (合計) 79,200円 アットホームな少人数の撮影会ほど、撮影カット数がかなり増える。恐らく今回もこの程度の出費は覚悟せねばなるまい。 しかしながら改めてこのような数字を算出すると、自分でも驚く。「たった1回の撮影会で8万円もかけるのか」と呆れる者もいよう。 とは言うものの、カメラに10万円以上も注ぎ込むこと自体が一般感覚からかけ離れていることも忘れてはならぬ。その中にあって撮影会に8万円かけようとも、どのみち世間的に理解されぬカメラ趣味の中の話。 さて、費用調達に話を戻すが、手持ちの金が無いため、オークションに出品し物品を金に換えることをまず考える。 だが部屋の中を見渡してみたものの、これといって売る物が無い。売れる物はもはや全て売り払った。あとは小物が残るのみ。 今まで我輩は、オークションには相場2万円以下の物はほとんど出していない。なぜならば、オークションで出品するというのは、それなりに手間が掛かるからだ。 品物の写真を撮り、説明文を考えHTMLを組む。そして注目度を上げるための投入金額を設定し、ウォッチリストの増え具合が悪ければ追加説明・追加写真を掲載する。落札されれば必要事項を落札者に連絡し、入金を確認して品物を梱包し、コンビニで発送伝票を書く。その後伝票番号をメールで伝えるのである。 単価が低いと数をこなさねばならず、手間が大幅に増える。 しかし今はそんなことも言っていられない。 予想相場5,000円くらいの交換レンズやアクセサリーなどを幾つも出品した。撮影会まで一週間であるから、ギリギリのところで5日間設定とした。 画面上にズラリと並んだ出品物。単価が安いのが泣ける。レア物は無いため、落札されても恐らく開始価格のままで終わろう。落札されることすら怪しい。 それにしても、全部落札されたら対応が大変だ。 同じタイミングで多くの出品物が落札されてしまうと、対応に追われて間違いが起き易い。発送も大変である。 以上、オークションについては、とりあえず網を張った。 続いて建築会社に連絡して日程を変更してもらい、撮影会の申し込み開始時間に備えた。 申し込み開始予定時間は、月曜日の22時。いつもならば5分くらいで受付終了してしまう。時間が勝負。 月曜日。 その日は疲労が溜まっていた。自分の部屋は冷えているため、夕食後は食卓でしばらくグッタリとしていた。 「今日は早めに寝るか。今週は忙しいから、撮影会のために疲労を溜めていかないようにしなければな・・・。」 そこで、ふと思った。 「撮影会?そう言えば今日は撮影会申し込み日じゃないか。今の時間は・・・21時40分!」 急いで自室に入り、パソコンを立ち上げ、撮影会運営サイトの画面に入った。 まだ受付前の状態であった。 「危なかった、あと15分ほどで申し込みが始まる・・・。」 我輩は念のため、30秒に1度くらいの頻度でF5キーを押して画面を更新させていた。 21時50分、申し込みボタンがクリッカブルに変わった。 「ん?」 最初、ボーっと見ていたが、申し込み開始だということが分かってすぐに入力作業を開始した。時間10分前とは予想外だった。 例によって、あらかじめ打ち込んでいた情報を入力欄にドラッグペーストするのみ。いちいちコピー&ペーストしている余裕は無い。運営者への一言欄も、事前に考えてある文章をブチ込んだ。抜かりは無い。 それでも入力を開始して送信ボタンを押すまでに15秒ほどかかった。記入内容に間違いないことの確認が必要だった。ここで間違えてしまえば元も子もない。 送信後、入力受付の自動返信メールが来た。ただし、この段階ではまだ参加確定ではない。 しばらく見ていると、入力可能状態は22時15分くらいまでは続いていた。それほど焦る必要は無かったのだろうか。 やがて、主催者からメールが届き、撮影会参加の案内が来た。 しかしながら、T嬢のサイトの掲示板を見ると、22時05分で申し込んだものの落選してしまった者がいたようである。やはり急いだことは無駄ではなかったようだ。 さて、オークションの件はどうなったろうか。 オークション管理画面を見ると、我輩の誠実な文章と商品写真のためか、半数の出品物に入札が入っていた。しかし、撮影会に参加出来る費用には達していない。とりあえず、全体的にウォッチリストの登録がそこそこあるため、恐らく8割くらいの出品物は落札されると予想。 数日後、またもや帰宅してグッタリしているところで、ふと思い出した。 「そういえば、今日はオークション終了日だった。」 急いで自室に入り、パソコンのスイッチを入れてオークション管理画面に入る。すると、出品中の物件が1つも無かった。 「おお、全部落札されたのか!」 一瞬喜んだのだが、よく考えると、自動再出品のオプションを選んでいないため、入札者がいなくとも時間が来ればどのみち終わるのだ。 とっさにメールチェックすると、オークション終了メールがドッと来た。 見ると、ほとんどが「落札されましたメール」で、「落札者無し終了メール」は1件のみだった。喜びたいところだが、この1件はそこそこ高額だっただけに残念ではあった。 まあ、現状でギリギリ何とかなる。 落札物が多いため、なるべく分けて発送しようと思い、その日のうちに連絡が取れた落札者には翌朝出勤前に先送りした。残りも確認取れ次第、順次発送。 撮影会前日の金曜日には、何とかフィルムが買えるくらいに入金があったため、帰りにヨドバシカメラに寄った。 フィルム売り場に行き、「FUJI PROVIA100F(RDP3)」を手に取った。ふと見ると、「FUJI ASTIA100F(RAPF)」が少し安い値段で置かれていた。 「そう言えば、アスティアは世界最高の粒状性を持つフィルムだという話だったなあ・・・。」 色の鮮やかさはプロビアに劣るようだが、横に置かれていたヨドバシカメラのフィルムガイドを見ると、アスティアはポートレートに最適であるとの評価があった。 今回はアスティアにするか? しかしながら、失敗の許されない(つまり、コストがかかっており失敗すると立ち直れない)撮影で全面的に未体験フィルムを投入するのは恐い。増感特性も確認していない。ならば、数本だけ試しに使ってみるか? いや、もし結果が良い場合には後悔を残すだろう。「なぜもっと多くアスティアで撮っておかなかったのか」と。 ならば、前半はプロビア、後半をアスティアにするか。 いやいや、それで思い通りの結果が得られないと、後半の写真が台無しになる。以前、撮影会途中で新発売のベルビアに切り替えた失敗が思い浮かんだ(参考:雑文433「リバーサル至上主義」)。 よし、ならば混ぜて(交互に)使うか。混ぜて使えば、アスティアを選んだことが適切ではなかったとしても、プロビアでカバー出来る。プロビアで撮るカット数は減るものの、撮影ペースを考えると、それぞれの撮影シーンを取りこぼすことは無かろう。 プロビアを2パック、アスティア2パックを購入し、自宅にあるプロビア1パックと合わせて25本の220フィルムを用意した。 カメラはブロニカ一眼レフを使う予定だが、巻き癖が付くと困るのでフィルムセットは撮影直前にやるつもり。 レンズは例の如く、65mm広角、80mm標準、110mm中望遠を持参する。 他に、露出計代わりのデジタルカメラ「Nikon COOLPIX5400」とサンパックストロボ2台、念のための単体露出計、予備のアルカリ電池をカバンに詰め込んだ。 カバンが膨らんで重そうに見えるのだが、普段から重いカバンを持ち歩いているため、それほど苦にならない。 体力的に、今がピークなだけなのかも知れないが・・・。 ---------------------------------------------------- [530] 2005年03月08日(火) 「コスプレ撮影会3(当日)」 コスプレ撮影会は、いつもと同じスタジオで行われた。 スタジオ前に着くと、見慣れた顔が幾つかあり、互いに会釈をした。 時間が来て受付を済ませてスタジオに入り、すぐにカメラのセッティングを始めた。 ブレ防止のため、テーブル三脚を装着し、それを自分の胸に当てる。 フィルムを、予備のフィルムバック中枠と共に装填し、1枚目までモータードライブで「ギャインギャイン」と音を立てて巻き上げた。 ストロボを、デジタルカメラとブロニカの両方に装着し、スイッチを入れるとパイロットランプが点灯。全て正常であることを確認。 しばらくすると、主催者がライトのセットを始めた。 今回は、写真撮影用蛍光灯ランプ「KINO FLO(キノフロ)」を使うとのこと。これにより、従来よりも光量を稼ぐことが出来ると言う。 本当だろうか。 そうこうしているうち、撮影会第1部が始まった。 第1部のT嬢は、我輩がリクエストした衣装で登場した。これは、T嬢のホームページのギャラリーに掲載されていた写真の中から選んだもので、どういうキャラクターなのかという詳しいことは知らない。知ったかぶりをしてリクエストしたものである。 キノフロについては確かに光量は多いようだが、横から照らしているため、それが置いてあると撮影する場所が狭くなる。キノフロの後ろではT嬢が隠れてしまい、かと言ってキノフロの前に出ると照明光を遮ってしまうのだ。 さらに、キノフロの他に大きなレフ板も置いているため、我々撮影者は、キノフロとレフ板の間の狭いスペースで密集して撮影することになった。 我輩としては、横から照らす照明であれば、持参したストロボ光で足るので有り難みは薄いのだが、他の撮影者はほとんどがデジタルカメラを使っているため、弱い定常光でも感度を上げれば有用な様子。 我輩は、ボールベアリングの無くなったモータードライブを装着した「BRONICA SQ-Ai」で撮影を始めた。 バシャン!ギャイーン! ほぼ無音に近いデジタル一眼レフカメラの中では、否応無く目立つ。T嬢も目を丸くした。 「いやー、やっぱり良い音ですねー。」 主催者は我輩に近付き、話しかけた。 ボールベアリングも無く、しかもギアの錆び始めた半壊状態のモータードライブであるから、恐らく新品よりも音はウルサかろう。 とりあえず、フィルム1本目を取り終えた。 フィルム交換は、中枠を取り替えるだけで良い。しかし、その分も撮り終わればフィルム交換作業は必要。あくまで、連続したシーンで途切れること無く撮影するための手段である。 新しいフィルムを出していると、主催者が我輩に声をかけた。 「フィルムバックは2つですか?」 最初はどういう意味の質問か分からなかったが、とりあえず質問に答えた。 「え?・・・ああ、中枠だけが2つです。」 「フィルム装填しましょうか?」 「え、いいんスか?」 なんと、主催者が我輩のフィルムを交換してくれることになってしまった。 撮影済みフィルムは、巻き締めねばならないため(220フィルムは巻き締めをやらないと漏光を起こし易い)、これは我輩責任で行うことにしたが、新しいフィルムの装填は主催者が手伝うとのこと。 正直言うと他の撮影者の手前、ちょっと気が引けたが、あまりに頑なに拒否しても良くないと考えたため、その申し出を受けることにした。 さて撮影については、一応、前回・前々回の失敗の原因として「ピンボケ」と「手ブレ」には注意を払った。いくら明るいライトでも屋外よりは暗いため、なかなか苦労する。 シッカリとテーブル三脚を押さえ付けていたのだが、金属疲労のためなのか雲台の首がモゲてしまった・・・。 露出に関しては、基本的にシャッタースピードを1/60秒で固定し、撮影距離に応じて絞りをF4〜F8の間でフラッシュマチック撮影した。 もちろん、シーンごとにデジタルカメラでのモニタリングを行い確認はしている。 また、デジタルカメラを使うもう一つの理由として、瞬間光と定常光とのバランスを確認するためということもある。これは、銀塩フィルムを使う際には本当に頼りになる。 デジタルカメラの利点を部分的に導入した撮影法と言えよう。 第1部が終わり、フィルムの整理をしてみると、撮影ペースは前回よりも微妙に早いことが分かった。恐らく、フィルム装填をやってもらっているからか。このままでは、3部の途中でフィルム切れとなってしまうため、ペースを少し落とすようにしたい。 他の参加者も、「うわー、現像代が大変だな〜。」と言われてしまった(もちろんこの言葉はイヤミな口調ではない)。 2部は、T嬢は別のキャラクターの衣装で登場した。 なかなかコスプレ色の強い衣装で、我輩がコスプレ撮影会に参加しようと考えた時の初心を思い出させた。 「我輩がリクエストした衣装は普通すぎたな。コスプレ撮影会に参加しながらも普通っぽい衣装をリクエストするとは、我輩もまだまだ甘い。」 T嬢は撮影会では普通のモデルのようなおすまし顔をするのだが、それでは面白みが無いので色々と変な注文を付けて表情を変えてもらった。 色々試した結果、見くだした表情が良いと思ったため、何度か「見くだしてくださーい」と声をかけた。 第3部、T嬢はロリータファッションで登場。 なかなか良い雰囲気だったが、全身を撮ろうとすると他の撮影者がフレームに入りそうになる。正方形の66判ならではの悩みか。 かと言って、アップが撮れるほどの望遠も無い。他者のような高倍率ズームレンズ装備だとどれほど楽だろう。 しかしまあ、我輩には我輩のやり方がある。撮影シーン移行の隙を狙ってT嬢に接近し、標準レンズや広角レンズでアップを撮った。撮影距離のコントロールとは即ち、パースペクティブのコントロールである。これは、ズームレンズでの像面倍率調整のみではムリな話(参考:雑文267「年の差」)。 ただし、隙を突いて接近しているため気持ちが焦っていること、ピントが浅いこと、フラッシュマチックの計算が正しいかどうかということなどがあり、「果たして写っているのだろうか」という不安は尽きない。 この日、フィルムは25本消費した。カット数にして598。余裕を持たせるつもりだったのだが、結果的にピッタリで終わった。 主催者は、「Webへのアップがたいへんですね!」と言った。 そう、この撮影会は掲載前の許可が必要無い。 いちおう我輩は、撮影中にT嬢に口頭で「掲載していいですか?」と言っているのだが、特にそれも必要無いようだ。 我輩は、最後までフィルム装填をしてくれた主催者に礼を言って去った。 ---------------------------------------------------- [531] 2005年03月18日(金) 「コスプレ撮影会3(結果)」 撮影会は土曜日であったため、フィルム現像は新橋のプロラボが営業する月曜日まで待った。 25本のうち、まず10本を現像に出す。 その理由として、露出のミスがあった場合に次の現像で微調整するためである。本当に不安であるならば1本のみ、あるいは、切り現をするのだが、一応勝算はあるので10本とする。どうせ、整理作業は1日で10本程度しかやれない。 数時間後には現像が上がったが、その場では結果が判らない。というのも、そのラボに備え付けてあるイルミネータは明らかに輝度が低く、適正露出かどうかの判断がつかないのである。以前、そこで適正露出を見誤って余計な増感処理をやってしまった苦い経験があるので要注意。 ところで現像料金が計算に合わない。見ると、220増感現像の単価が1,008円となっている。 「しまった、増感現像で840円くらいだと思っていたが、それはノーマル現像の時だったか。」 そうなると、25本のフィルムにおいて当初の予算に4,200円が上乗せとなってしまう・・・。 家に帰ってイルミネータに乗せてみると、かなりのカットがブレていた。全フレームが見渡せるブロニカSQ用ウェストレベルファインダーをルーペ代わりにして見た限りでは、そこそこキッチリと決まっているように見えるのだが、9倍ルーペで目を凝らして見ると、まつげなどが微妙にブレている。背景がブレていないため、被写体ブレであることは明白。やはり1/60秒ではムリなのだろう。 また、少ないながらもピントの甘いものもあった。 今回、フィルムはRDP3(プロビア100)とRAPF(アスティア100)を用いたが、どちらもプラス1段の増感を行っているためなのか粒状性に劇的な違いが無いように見える。 また、撮影条件の違いによるものか、RAPFのほうが微妙に緑のカブリがある。写真撮影用蛍光灯ランプ「キノフロ」が少し影響しているのか? 今回はフラッシュマチックに基づいたマニュアル発光による撮影のため、被写体までの距離によって絞りを加減することになる。シャッタースピードは1/60秒固定としていることにより、撮影距離が遠くなると絞りを開けるため定常光の影響が大きく、逆に近付くと絞りを絞るため定常光の影響が少なくなる。 見たところ、やはり至近距離で撮影した写真にはブレは全く無かった。ストロボ光の瞬間光が高速シャッターの役割を持つためである。 さすがにストロボ光の影響が強いカットでは、色再現性について文句が無い。しかし、ストロボ光の影響が強く出れば出るほど、写真が硬調となってしまう。 もちろん、ポジを観るぶんには問題は無い。ポジの深い階調によって、硬い表現も苦にならない。白は白色ではなく"光"として見える。スポットライトやT嬢の瞳に写ったキャッチライトなど、まさに"光"として見える。 ところが、それをスキャナで読み込ませるのが一苦労。 なまじ表現幅が広いフィルムなだけに、それをデジタルフォーマットの狭い表現幅に押し込むのは様々な工夫と膨大な処理時間がかかる。 まず最初に、取り込む際にはそのスキャナの光学解像度で取り込まねばならぬ。なぜならば、光学解像度以外の解像度設定ではスキャナ内部での拡縮処理が行われるためである。つまり、ラインCCDの取り込む信号をどのようにするか。例えば、1/2縮小ならば一つおきに間引けば済むが、2/3となれば3つの受光素子から得た光を2つの出力としなければならない。これを単純に間引くと、同じ太さの線であっても太く表現されたり細く表現されたりすることになる。 もちろん、それは微細な表現で問題になる話であり、また単純に信号を間引くことなく演算処理によって画像を出力しているかも知れないが、やはり画像処理ソフト「フォトショップ」で拡縮するほうが結果が良い。 我輩の中判用フィルムスキャナは4000dpiであるため、この解像度を使うことになるわけだが、データ量が多くなり処理が重くなる。 次に、取り込みビット数は大きい方がレタッチ時の無理がきく。最初から狭い幅で調整するよりも、少しでも広い幅で調整し、最終的に狭くするほうが良いのは当然のこと。 今回は、広い階調をなるべくデジタルファイル内に押し込めたいのであるから、取り込みビット数は大きくした。 当然ながら、その分だけ処理が重くなる。 また、得られたスキャン画像をそのままハイライト/シャドー調整すると、どこかが階調が黒く潰れたり白く飛んだりする。主要被写体の表現を優先させて調整すればするほど、他が犠牲となるのだ。 これを防ぐには、画像全面的ではなく部分的に調整する必要がある。原版となるポジを横目に見ながら、出来るだけ似た雰囲気になるよう調整することを目指す。 まあ、スキャン画像が思い通りのものとならなかったとしても、原版がしっかりと残っていれば気が楽だ。 いつか、自分のスキャン/レタッチスキルが向上すれば、良い画像が得られるのだから。 ---------------------------------------------------- [532] 2005年03月28日(月) 「効率の問題と気分の問題」 新橋。そこは我輩の職場のある街。 多くのビジネスマンや省庁の役人たちが、朝夕の通勤時に列をなして歩く。 そういった毎朝の光景の一つとして、歩行者の信号見切り発進がある。 青信号に変わるまでの数秒間が待てない人間たちは、時間を節約しようとして赤信号を渡り始める。それにつられて別の人間も進み始め、結果的に我輩以外の全員が赤信号の横断歩道を渡る。 ところが青信号になるのを待って遅れて歩き出したはずの我輩が、横断歩道を渡り切るまでに先頭集団の中を歩いているのだから妙な話。 要するに皆、歩く速度が遅い。 見切り発進の時間差は、ほんの3〜5秒程度。 ただし、見切り発進によって得られる最大の効果は、「早めに先頭に出て心おきなく歩きの速度を上げられる」ということである。先頭に出なければ、いくら歩く速度が速くとも、前列にブロックされて思うように速度を上げることが出来ないのだ。 だから、我輩のように歩く速度が比較的速い者にとって、見切り発進を行うメリットは十分にある。だが逆に、歩く速度の遅い者が見切り発進しても、最初の3〜5秒程度を得するだけでしかない。 せっかく安全性を犠牲にしてまで見切り発進したはずが、歩く速度が遅いために見切り発進の効果を無にしてしまう。これほど非効率・非合理な事も無かろう。恐らくこういう輩は、走行中の電車の中でも走れば早く着くと考えているに違いない・・・。 カメラの世界でも、一見効率的に見える技術や手法は多くある。 オートフォーカスや自動露出などは、人間の動作よりも素早く正確に行うために登場した。現在では、プロカメラマンでもよく使う機能であろう。カメラが高度化されたということは、優秀なアシスタントがカメラに備わっているということでもある(参考:雑文019「最近のプロ用カメラ」)。 しかしながら、効率的なはずのそれら機能を使いながらも、手動操作のほうが早くて確実だったという場面もある。 もちろん、それらは道具の使い方の問題なのだが、意味の無い行為にこだわる滑稽さは、信号の見切り発信に通ずるものがある。 だがそう言う我輩も、まさに意味の無いことにこだわり過ぎて目的を失うことがある。 我輩は「AF機で撮影する時はAFを使わねば意味が無い」と無意識に考えているため、それが非力なAF機であってもAF撮影しか考えない。その結果、レンズのフォーカスが行ったり来たりしてなかなか撮影出来ずに貴重なシャッターチャンスを逃してしまうのだ。 特にフォーカスエリアが自動選択のモードになっていると、ピントを合わせたい場所には必ずと言って良いほどピントが合わない。そんな状態で何度も何度も測距し直し撮影が進まない自分に気付く。 「最初からMFに切り替えていれば早かったな・・・。」 しかし不思議なもので、AF機を使っていながらもAF撮影しない場合、なぜか損をした気分になる。どんな方法を用いたとしても、結局は撮影という目的がすんなり行われれば良いのであるが、なぜか気分がスッキリしない。 期待した効果が得られないとしても、交通信号をジックリ待てず見切り発信する者の気持ちが少し分かったような気がした。 信号を待つ者たちにとって、効率がどうあれ、少しでも早く歩き出さないと損した気分になるのだろう。 ---------------------------------------------------- [533] 2005年04月27日(水) 「本当にそうなのか?」 自宅のトイレに入り便座に座っていると、時々目の前のドアからビリビリと振動音が聞こえてくることがある。そっと手を触れると、その振動は治まり静かになった。まるで、何か聞こえない音がトイレのドアを揺すり、木枠に当たって聞こえる音に変換しているかのようである。 トイレの窓から顔を覗かせると、特に何も変わったものは無かったが、50メートルほど離れた駐車場でアイドリング中の自動車が目に入った。ほとんど音は聞こえなかったが、何か空気の圧力のようなものを感じて頭が重くなった。 原因は、超低周波だった。 人間の聴覚で聞こえる音"可聴音"は、20Hz〜20kHzと言われている。もちろん、人によって若干の差はあるだろうが、人間には絶対に聞けない領域があるのは確かなことである。 高音域にて聞き取れない範囲を"超音波"、低音域にて聞き取れない範囲を"超低周波"と呼ぶ。 そのため、音楽CDは人間の可聴音以外の音はバッサリと切り捨てているわけで、理論派から言わせれば「人間に聞こえる範囲の音はカバーしているのだから完璧である」というわけだ。 もちろんこの理屈、必ずしも自分で聴き比べたものではなく、数字比べで出したものである。 しかしながら、この理論を覆す話が色々とある。 高音域では、22kHz以上の超音波を含む音楽を聴くと脳がリラックスする(アルファ波が出る)という。また、工場などの機械装置から出る超低周波を受けると、動悸がするなど体調不良を引き起こすことも言われている。 我輩がトイレで感じた空気の圧力は、耳には聞こえなかったものの、重く不快な雰囲気であり、超低周波の典型的な例であると思われた。 この場合、理論派の大前提は「聞こえない音」イコール「人間に作用しない音」であるが、そもそもこれが間違っている。確かに、人間に聞こえない音域というのはある。しかしそれは、あくまで人間の意識の下で知覚されるかどうかという話であり、無意識に音を捉えていることは十分あり得る。 ここで言えることは、「どれほど普遍的な法則があろうとも、前提を誤ると全く意味を成さない理屈が出来上がる」ということである。 さて、人間の視覚に目を向けてみる。 人間の目にも、見えない色や明るさの限度がある。また、細かいものが見える限度もある。 これらは、計測さえ正確に行えば数値化することも容易なことであろう。 しかしながら、可聴音の話から教訓を得るとすれば、人間の認識出来る光というのは、無意識の領域で感ずる範囲を含めるともっと広いという可能性もあるだろう。 解像力について考えても、これがどういう前提で言われているのか分からない。単純に、限られた条件で細かさの異なる画像を見せてその違いが分からなくなるポイントを知るだけならば、残念ながらあまり意味が無い。またあるいは、網膜の視細胞から画素密度を割り出すのはもっと意味が無い。 まず大前提として、"人間の視覚というのは動画である"ということ。これを忘れてはならぬ。 ビデオ編集をする者は理解出来ることだが、1枚1枚のスチル(静止画)が粗れていようとも、動画で流すと案外気にならないものである。 また、天体写真を撮る者たちは、複数の撮影画像を重ねて(コンポジット)1つの画像を合成すると解像感が高まることを知っている。 動画は、複数の静止画を積み重ねて情報を蓄積し、結果的に解像度を高めているのである。人間の眼の場合、残像や脳の画像記憶がこの機能を持つと言えよう。 また、人間の眼には「フォベア」と呼ばれる視細胞が密度高く集まった部分があるのだが、フォベア以外の部分の解像感は極めて低い。そのため、視線を動かすことなく全体を詳細に見ることは出来ない。 ところが逆に、視線を動かせばかなり細かいところまで観察可能である。これは例えるならば、スキャナと同じ原理である。CCDを走査(スキャン)することによって詳細な画像を得るようなものだ。 スキャナではラインCCDの密度は固定されているものの、走査(スキャン)する細かさ(ステップ)が走査方向での画像密度に関係する。 そう考えると人間の眼も、走査を繰り返したりジックリと注視することによって、より細かく解像出来る可能性があるのではないか。 人間の眼の解像度がどれくらいあると言われているのかは知らないが、それがどういう前提で意味を持つのかということを考慮しなければ、また誤った理屈がまかり通ることになろう。 他にも、肉眼の色識別能力にしても、無意識の領域に影響するようなことが無いとも言い切れない。それが無意識のうちに「鮮やかだ、綺麗だ」と感じさせる大事な要素だったとしたら・・・? 「人間の眼の解像度から言えば***dpi以上の情報量は無駄だから、これ以上の情報量は必要ない。」 「人間の眼の色認識から言えば****万色以上の情報量は無駄だから、これ以上の情報量は必要ない。」 たまに、したり顔でこのように言い放つヤツがいる。 何も人間のことを解っていないくせに、本当にそう言い切って良いのか? ---------------------------------------------------- [534] 2005年05月09日(月) 「本物をジックリ見ろ」 今年のゴールデンウィークは、幾つか近場に遊びに行くことが多かった。 当然ながら、ビデオや写真を撮る機会も増える。 中でも、トヨタのテーマパーク「MEGA WEB」に行った際に、「ヒストリーガレージ」という1950〜70年代の車の展示には興味をそそられた。 我輩は元々車が好きで、特に「BMWイセッタ」、「メッサーシュミットKR200」、「DMCデロリアン」、「ロータスエスプリ」、「ダイハツミゼット」、「MB190E」、「日産シルビア/ガゼール」などが欲しいと思っている。 もちろん実車は置き場所が無いため、1/18スケールのモデルカーを幾つか集めた。 しかしながらこれらのうち実際に目で見たものはあまり無い。 今回、テーマパーク「MEGA WEB」へはトヨタの試乗車に乗るために訪れたわけで、「ヒストリーガレージ」にはたまたま寄った。しかしながら、そこには我輩が興味を持っている車のうち幾つかが現物で展示してあった。 家族で来ているため、普通ならば子供と一緒にフレームに入れて撮影するのだろうが、我輩は豚児がフレームに入らないようそれらの車を撮影した。貴重な車を写す写真を、記念写真のレベルに落としたくなかったのである。 今回はビデオで撮影しているのだが、一コマキャプチャすれば写真になる。それに、回り込みながら撮影すれば、キャプチャ時に適切な視差で切り出すとステレオ写真も得られる。臨場感のある画像が楽しめるだろう。 撮影時、我輩は夢中であった。 そんな時、ふと我に返った。 「せっかく本物を目の前にして、肉眼でジックリと見ないのか?」 我輩は、撮影すれば本物が持ち帰れると錯覚していた。 しかし、本物の生々しさは肉眼でなければ得られない。枠の存在しない肉眼視野で、手の届く距離を実感する。 よく、絵画の展示などでカメラ付携帯電話を突き出して写真を撮る風景を見るが、写真を撮ると安心してしまい、本物をジックリと鑑賞していないような感じだ。 写真を撮るのも良いが、せっかく本物を目の前にしているのだから、ジックリと肉眼で観ることも忘れるな。 ---------------------------------------------------- [535] 2005年06月03日(金) 「車の記憶」 我輩が子供の頃、母親が車を買った。まだ母親が二十代の頃だった。 車は中古だったが40万円もした。あまりの高額な値段に、今でもその金額を忘れることは無い。 濃い緑色の車で、それが来た時は母親と2人で近所を走り、途中でガソリンが少ないことに気付いて慌てて戻ったことが昨日のように想い出される。 家に近い道まで戻った時、我輩は車を降りて車と一緒に走り、自分の走る速さをスピードメーターで測ってもらった。時速は15kmだと言われた。 正月に親戚のオイちゃんから1万円もお年玉を貰い、その金でラジコンを買いに行こうと車に乗ったが反対され、母親が出てくるまで車に立てこもったこともあった。 悪いことをして叱られた時、少し間を置いて簑島あたりの海まで車で連れて行ってくれたこともあった。 だが車は維持費がとても高く、1年後に車は手放してしまった。 当時の我輩は車が無くなった理由を知らず、漠然と「しばらくすると車は戻ってくる」と思っていたが、ついに車は戻らなかった。 結局その車は、我が家の最初で最後の車となった。 たった1年という短い間だったが、車に関わる記憶は非常に具体的に、かつ鮮明に残っている。もちろん車という存在自体、我が家にとって特別な存在だったからかも知れないが、出来れば同じ車種の座席にもう一度座り、他の記憶も辿ってみたいと思う。 せめて、その車の写真が残っていないものか。実家にあったような気がするが・・・。 改めて実家に問い合わせたところ、写真は1枚しか撮っていないようだったが確かに残っていた。 <<画像ファイルあり>> 車種は、ニッサン・サニー。 車のスタイルを見ると、いかにも昔の車という感じがするのだが、不思議と記憶の中の情景は現代とは隔絶しておらず、昨日、一昨日、一昨々日・・・と辿って行けばすぐに到達しそうに思える。 そう考えると、写真というのは、それが撮られた時期が自分が物心付く前か後かによって、その時代感覚が異なるのだろうと思える。それは当然と言えば当然なのだが、明らかに旧い型の車の写真を目にして、このニッサン・サニーだけは"ちょっと前"としか感じないことが興味深い。 我輩も先日、中古車を購入したが、これもそれほど長くは居ないだろう。 その分、何かイベントがある度に写真に入れるようにし、記憶と写真とのリンクを強くしていきたいと思う。 この新しく来た車が、今後どのように自分の中で記憶を形作っていくのかが興味深い。 ---------------------------------------------------- [536] 2005年06月13日(月) 「車の撮影」 車を維持し続けるのは金銭的に難しいことを前回の雑文にて書いた。 携帯電話の維持が出来ないためプリペイド携帯で何とかやっている我輩が、よりにもよって車を維持しようとしているのだから、自分の事ながら驚く。 しかしながら、いつまで保つかという限界を追求する意味でも、チャレンジしてみる価値はある。 先日購入した中古のメルセデスベンツW202は車両価格88万円であったものの、住宅ローンを多めに借りることにより貯金を車購入に充てることが出来た。しかし今後はこのようなチャンスは望めないため、どうせ最初で最後となる車ならば良い車を買おうと思った。 恐らく車自体の寿命もあるため、豚児が学校に行くようになり友達が増える頃にはさすがに車は無かろう。 その時に「他の友達の家には車があるのに、なんでウチには車が無いの?」と訊かれたら、「ウチにもこんな車があったんだ、そしておまえもこの車に乗ったんだ。」と写真を見せてやれればと思う。 その時に見せる車の写真。それが、これから撮ることになる車の写真である。 (1)はじめに 車は、写真として撮るにはかなり大きい物体である。そのため、今までの撮影法が通用しない場面が出てくる。 もちろん、ただ写りさえすれば良いのであれば何も気にすることは無いが、車が自分のイメージに合うように撮りたいのであれば、少し考える必要がある。 以前、雑文267「年の差」で書いたのだが、遠近感というのは忘れてはならない概念である。 少なくとも絵画の分野では、遠近感の概念無しに絵は描けないためそれを意識せざるを得ないのだが、写真の分野ではただシャッターボタンを押すだけで写真が撮れることから、遠近感を忘れる者もいよう。 写真のテクニックというのは様々にあるが、遠近感という最も基礎的なことを忘れて写真を撮るならば、自分のイメージした写真は決して得られない。もし得られたとしても、それは偶然の産物、あるいは漠然とした経験と勘によるものである。非常に効率が悪い。 (2)遠近感の与える影響 遠近感というものは、被写体と背景だけの問題ではない。 先に述べたとおり車は大きな被写体であるため、車の前部と後部にもある程度の距離(奥行き)がある。そのため、車の形状そのものにも遠近感による影響が出る。 遠近感が強い場合、車の前部が大きく、後部が小さくなる。そのため、全体の形として"後すぼまり"となる。ただし立体感は大きくボリュームが出る。 遠近感が弱い場合、車の前部と後部の大きさは同じとなるため、"すぼまり"は無い。ただし立体感が失われ平面的になる。 遠近感の問題は、他の撮影テクニックと異なり、車のボディ形状を変えてしまうため非常に重要と言える。 他の撮影テクニックを加えるにしても、その土台となる遠近感のコントロールがデタラメであれば、写真は完成しないのだ。 もちろん、遠近感の程度については個人によって好みが別れることになろう。 自分の車をどのように表現したいか、どのような形が自分の車らしいのか。 たった一つの解答があるわけではない。それぞれにイメージが違うのであるから、同じ車が何台も存在する中で自分がその写真を撮る意味があるのだ。 (3)遠近感をコントロールするもの 写真のテクニック本などには「遠近感(パースペクティブ)のコントロールはレンズの焦点距離を変えることで行う」と書かれていることがある。また、プロカメラマンでもそう信じている者がいる。 しかし、これは間違いである。 遠近感をコントロールする要因はただ一つ、「撮影距離」である。 レンズの焦点距離を変えても撮影距離が一定ならば、遠近感は不変である。この認識を誤ると先に進めない。 ただ、レンズの焦点距離を変えるということは、映像の拡大率を変えることであるから、当然ながら被写体を同じ一定の大きさに写そうとすれば自ずと撮影距離を変えることになる。そのことが「レンズの焦点距離を変えることが遠近感を変えること」という誤解を生む原因となっているのではないかと思う。 (4)実際の撮り比べ では、遠近感(撮影距離)が変わるとどのように写るのか。ここで、同一レンズ(広角28mm)を使い、撮影距離を変えて撮り比べてみたい。 <<画像ファイルあり>> 撮影距離:3m (28mmレンズ使用/トリミング無し) 立体感があり、フロントグリルが強調されて写っているが、悪く言えば遠近感により歪んで見える。 <<画像ファイルあり>> 撮影距離:5m (28mmレンズ使用/車が同じ大きさになるようトリミング) 立体感が薄まったが、フロントグリルの存在感はまだ残っている。肉眼で眺める距離に近いかも知れない。 <<画像ファイルあり>> 撮影距離:7m (28mmレンズ使用/車が同じ大きさになるようトリミング) 更に立体感が薄まったが、フロントとリアのバランスが取れている。ただ、無味無臭のカタログ的な描写という感じもする。 <<画像ファイルあり>> 撮影距離:10m (28mmレンズ使用/車が同じ大きさになるようトリミング) 立体感はほとんど無くなっているが、遠近感の関係上、背景が迫っているように見えるため、ダイナミックな構図にしたい場合に有効。 ここでは敢えてレンズの焦点距離を固定することにより、「遠近感を決めるのは唯一撮影距離のみ」ということを示している。 写真を見比べると分かるとおり、撮影距離が変わると車と背景の遠近感はもちろん、車の形状も変化している。それはつまり、車にもある程度の奥行きがあるために遠近感の変化が生じていることを示している。 遠近感とは、一言で言えば「相対的な距離の違い」である。 10メートルの奥行きのある被写体を見た場合、1メートルの距離から見ると10メートルの奥行きは大きく見えるが、1キロメートルの距離から見ると10メートルの奥行きなど無きに等しいと言える。 (5)自分の車のベスト遠近感 車の形状が撮影距離によって変化してしまうのは遠近感による宿命なのだが、逆にこれを積極的に活用して、自分の車が格好良く見える撮影距離(1つだけとは限らない)を見付け出すことが出来れば、写真撮影がもっと効率的になる。 経験や勘、そしてあやふやな感性などに頼らなくとも、自分のイメージに沿った写真が確実に得られるのである。 どんな形が自分のイメージに合うのかという価値観は人それぞれ。そこが表現として面白いところだと言える。自分の車が一番輝いて見える形。それを、遠近感のコントロールによって見付け出すのだ。 (6)撮影手順 遠近感をコントロールする撮影手順としては、下記のステップで行う。 (1) 自分のイメージに合った遠近感の撮影距離を事前に決めておく。 (2) その撮影距離の位置に立ち、カメラを構える。 (3) 写る範囲を調整するためにズームレンズやレンズ交換によって撮影倍率を変える(フレーミング)。 初心者にありがちな撮影として、撮影距離に気を配らずたまたま立っていた場所からズームレンズの調整だけでフレーミングをする人がいるが、それでは自分のイメージは反映されない。 まず最初に、撮影距離を自分の意志で決めること。 それさえ決まってしまえば、後はそのまま撮るも良し、様々な撮影テクニックを加えるも良し。 遠近感のコントロールという大事なポイントさえ押さえていれば、自分のイメージは確実に写真に投影されるだろう。 (注)本雑文は、別サイトに掲載した内容をカメラ雑文向けに書き直したものである。 ---------------------------------------------------- [537] 2005年07月01日(金) 「行き過ぎた進化」 生物の進化の歴史とは、「多様化」と「環境変化による淘汰」の繰り返しと言える。 安定した環境が続きありとあらゆる種が生まれる。それがある時、環境の激変による淘汰を経て数少ない種が生き残る。 環境の安定した時代があまりにも長く続くと、その環境に究極まで適応する種も出てくる。他の生物よりも生存に有利であるがゆえ、その時代の栄華を極める。恐竜などもその一例だと言われている。 ただ、環境がひとたび変わると、もはや後戻り出来ぬまでに適応しすぎた種は滅ぶしかない・・・。 さて、我輩はここ数年、露出決定にデジタルカメラを利用している。 デジタルカメラであれば、ポラロイドと同じように仕上がりイメージがモニタリングが可能。定常光とストロボ光とのミックスであっても不安は微塵も無い。 通常の露出計の場合、いくら確信を持って決めた値であっても一抹の不安はある。結果は現像してからでなければ最終的な答が出ないからだ。そのため、どうしても失敗が許されない場合には露出値をズラして何枚か撮ることになる。 もっとも、デジタルカメラを露出計として利用を始めた最初の頃は、恐る恐るであったため幾つかバックアップ体制を敷いていた。段階露出はもちろん、予備の単体露出計、そして露出値の記録。 しかしデジタルカメラの実績を積むにつれバックアップの必要性を忘れ、いつしかデジタルカメラだけに頼ることに違和感を持たなくなった。露光値の失敗も無く、撮影日時や露光情報も全てがデジタルカメラの画像に記されている。 正直な話、単体露出計を使うための勘も鈍り(単体露出計は測り方ひとつで全く値が変わるため)、それをバックアップとして携行しても役に立つとは思えなくなってきた。そうであるならば、むしろデジタルカメラの電源が切れぬようバッテリーを万全とすべきか。 もはや我輩にとって、デジタルカメラは必要不可欠の存在であり、それが無い状況など全く想定していない。 ところがゴールデンウィーク中、水戸に旅行に行った際にデジタルカメラが機能不全に陥った。 見るとレンズ繰り出し部分にトラブルがあるようで、モーター音が苦しそうに唸るもののレンズが引っ込んだまま。 電池なら予備は用意してあるのだが、肝心のカメラ本体が故障すれば何の意味も無い。 旅行から帰宅後、我輩は中古のデジタルカメラを物色したりした。本来ならば単体露出計の携行を徹底するべきだが、もはやデジタルカメラを前提とした思考のため、そんなことは検討すらしなかった。 結局金が無いことにより中古購入は諦め、故障したデジタルカメラを自力で修理し、幸運にも機能を回復させることに成功した。 しかし先日、撮影中に誤ってデジタルカメラをカーペット敷きのコンクリートの床に落としてしまった。 拾い上げてみると、意外にも外傷は無い。だが水戸での症状が再発。レンズが引っ込んだまま出てこない。 分解修理した経験上、レンズ駆動部のギアボックスの噛み合わせがズレたせいだと分かった。しかしその場で分解するわけにもいかない。そもそも工具も無い。 完全にお手上げだった。 ここまで痛い目に遭えば、我輩も目が覚める。 「デジタルカメラ一辺倒も、問題があるな・・・。」 これはまさに、栄華を究めた恐竜の末期(まつご)のようなものか。 あまりにもデジタルカメラでの測光を前提にしすぎたため、それ以外の方法を退化させてきたツケが廻ってきた。今そこに単体露出計があっても、デジタルカメラのモニタリングに慣れた我輩には目隠しをした状態で歩くようなもの。 恐竜と同じように、環境の激変に為す術が無い・・・。 帰宅後、デジタルカメラは修理によって再び機能を回復した。しかし、同じ事はまた起こるだろう。もしかしたら、完全に故障する日も近いかも知れない。 これを猶予期間と考え、それまでに何とか単体露出計による勘を取り戻さねばならぬ。 いやむしろ、デジタルカメラを使ってきた経験を活かし、更なるレベルアップを狙うことを目標としよう。 ---------------------------------------------------- [538] 2005年07月11日(月) 「ブラック・ジョーク(2)」 中学生の頃、我輩は科学部に所属しており、部長のオカチンやクラッシャージョウなどと一緒に天体撮影に励んでいた。 ただ、肉眼で滑らかに見えていた土星や火星も、写真に撮るとザラザラしており、今ひとつ満足感が薄かった。 そんな時、オカチンが興味深いネタを仕入れてきた。 「天体写真には、複数のネガを重ねて1枚の写真を得るコンポジットという手法がある。」 当時、科学部は理科室を拠点としており、理科準備室には写真現像室もあった。 我々はその現像室にて、土星を撮影した2枚のネガを重ね合わせて1枚の印画紙に焼き込んだ。結果は微妙だった。 重ねる枚数がもっと多ければ良かったのだろうが・・・。 細かい粒子で構成される写真画像は、粒子の大きさに応じた粗さがある。通常はその粒子よりも小さくは解像出来ないのであるが、同じものを写した複数のネガを重ねることによって粒子の粗れを均(なら)して目立たなくすることが出来る。 これが、「コンポジット」である。 デジタル技術が進歩した現在では、200枚もの画像のコンポジットもパソコン上で処理可能である。フィルムで同じ事をやろうとすれば、200枚ものフィルムの厚さのため印画紙面上にピントが合うまい。 良い時代になったものだ。 ところで最近は、デジタルカメラの機能として「美肌モード」などと呼ばれるモードがあるようだ。ピクセルを平均化して滑らかな階調を得ようとするものである。 これは、コンポジットのような複数の画像を1枚に合成するものではなく、1枚の画像を対象にして手を加える手法である。それはカメラ内レタッチとも言える。 その他にも「美白モード」や「日焼けモード」などもあるそうで、それらが単なるフィルター代わりとして捉えられているうちは良いのだが、「美肌モード」などは一般人にとってわざわざ「美肌モードにしない」という選択肢は無かろうと思う。そう考えると、いずれ将来的には美肌モードはキャンセルしたくとも出来ないような"入ってて当たり前"の組込み機能となることもあり得る。 ただこの場合、画像の粗れがCCDのノイズに由来するものか、あるいは本当に肌が荒れているせいなのかを区別せず、ただ単にキレイに見せたいからということで闇雲に補正を加えているのであれば問題である。 コンポジットの手法であれば、荒れた肌を写した写真であれば、画像を重ねれば重ねるほどに肌の荒れが鮮明になるだろう。粗さが消えるのは、あくまでフィルムの粒子のほうである。 「美肌モード」は、"表面上キレイな一般ウケする写真があればそれで良い"という考えが見え隠れしている。真実を写そうとする姿勢など感じ取れない。 これは余談と言えるかも知れないが、我輩所有のデジタルカメラのうち「Nikon COOLPIX5400」はISO50の設定でISO100に相当する。正確でなくとも感度が高めであれば満足するだろうという考えなのかは分からないが、写真を趣味とする者にとってみれば、ISO50はISO50の感度でなければならない。 競争の激しいデジタルカメラ市場では、常に消費者の多数決的な要求に振り回される。 過去には画素数至上主義が蔓延し、その他の機能は全く無視されてきた。それがやっと落ち着いたかと思うと、今度は画像処理の競争が始まるのだろうか? 「この世で一番美しいのは誰?」とお姫様がカメラに問いかけたとしたら、最もお世辞の上手いカメラがお姫様のお気に入りとなるだろう。 見た目通りに写す正直なカメラは迫害され、いずれ姿を消す。 これはもはや、ブラック・ジョークの領域。 しかし、同じく競争の果てにゲテモノに変化(へんげ)した携帯電話の姿を見れば、あながちジョークとも言えないかも知れない。デジタルカメラもいずれはカメラとは違う別な"何か"に変化するのだろうか。 −国内の風景をヨーロッパ調に写すカメラ− −狭いユニットバスを優雅なプールに写すカメラ− −質素な食事を派手な御馳走に写すカメラ− −自宅にいながらにしてどこでも写せるカメラ− −被写体が無くても自由に創造して写せるカメラ− ・・・ 鳥に進化した恐竜が消え去ったように、カメラもいずれは別な物へと変化して消え去るだろう。 それはカメラから発展したがゆえに、カメラを消し去るのだ。 そこには、普通のカメラも何もない、ただ、望んだ映像を自由に表示させる装置があるのみ。 まさに、ブラック・ジョーク。 (参考雑文414「ブラック・ジョーク」) ---------------------------------------------------- [539] 2005年07月13日(水) 「あの時代のあの場所」 我輩が生まれ育った町を離れたのは、高校を卒業した時だった。あの頃は、故郷に対する意識は薄かった。 しかしながら、現在では故郷に対する想いは強い。 あの頃は、故郷はずっと変わらずにいることが当たり前のように感じていた。 しかし久しぶりに帰ってみると、存在するはずの景色が部分的ながらも姿を消していたりする。それは最初のうちはまだ良かったが、年々小さな変化は蓄積していき、さすがに我輩も「いつか故郷は全く姿を消してしまう時が来る」と気付いた・・・。 子供の頃の記憶は、その場所に強く結びついている。数年前帰省した時は町内を自転車で回ったのだが、当時の面影を残している所では我輩の記憶を強く呼び戻した。 子供の頃の記憶には、楽しかった想い出や悲しかった想い出が入り交じっていた。 もし、楽しかった時の想い出が無ければ、人は幸せを求めることは出来ないだろう。 「あの時は楽しかったなあ。また同じような想い出を作りたいなあ。」 もし、悲しかった時の想い出が無ければ、人は現在の幸せを実感出来ないだろう。 「あの時は悲しかったなあ。でも今は違うんだ。」 その両方の想い出がある故郷は、自分にとってかけがえのない原点(ものを測るための基準点)。 今の自分を知るには、故郷を原点として測り直さなければならない。しかしその故郷とは、変化する前の姿が望ましい。そうでなければ、記憶の結びつきが弱くなり、思い出すきっかけを失った弱い記憶は、いつか永久に脳から消え去るだろう。 だが、昔の写真などそんなに都合良く存在するものか・・・。 そう思っていたら、実は存在した。 以前雑文474「ステレオ調査」にて触れた国土情報ウェブマッピングシステム(国土交通省)の航空写真だが、そこに掲載されている写真は結構古い。 丹念に写真を眺めていくと、今では失われた風景が上空から捉えられていた。不思議なことに、上から撮った写真にも関わらず、その場所に降りて見ているかのような錯覚に陥る。その場所を知らぬ者には出来ぬことだろう。 断片的な記憶が、航空写真の上でプロットされ、そして、今まで思い出すことの無かった記憶さえも幾つか甦った。 我輩は、生まれて数年間は県営住宅の長屋に住んでいた。当時はその周辺が我輩の全世界だった。 その長屋はハッキリと航空写真に写っており、非常に懐かしく思えた。何よりも、そこに写っている長屋は我輩がまだ住んでいた頃のものである。家の前も、まだ舗装されていない砂利道のまま。 楽しい想い出と悲しい想い出があった、あの時代のあの場所。 子供の頃の風景は、普通のスナップ写真であれば、ごく限られた範囲しか残っていない。しかし、このような航空写真であれば全ての風景が収められており、写真上から道すじを色々と辿っていくと、いつか子供の頃の自分に出会うような気がする。 参考: 雑文167「我輩の子供時代の風景」 雑文438「今年の夏休み」 ---------------------------------------------------- [540] 2005年07月19日(火) 「幸せの秘訣」 現在、我輩は某団体に出向中である。 我輩がこの職場に来たのは2年前のことだが、異動が頻繁にあるため、今では当時からいた職員は数人しかいない。いずれ近いうち、我輩もここを去ることになる。 先月もある職員W氏が出向元企業へ戻ったのだが、その際、後任にデータを受け渡すためにCD-Rへデータを書き込む作業を行っていた。 しかし様子がおかしい。うまくCD-Rへ書き込まれていないと騒いでいる。 W氏はパソコンに詳しいT氏に相談したが、それでも解決しないようだった。 「CD-Rでそんなに難しい問題があるのか・・・?」 我輩が見てみると、CD-Rの記録面が変だった。明らかに内側のリードイン部分が書き込まれていない。恐らくパケットライティングで書き込まれ、CDを閉じていないのだろう。 案の定、「書き込んだパソコンでは見られるのに他のパソコンでは見られないんだ」と言っている。CDを閉じていないのだから当然のこと。 我輩はパソコンに詳しいT氏にパケットライティングのことを指摘すると、「ナルホド」というふうにポンと手を打った。 T氏はパソコンに詳しいだけに、"フロッピー感覚でCDに保存できる"というキャッチコピーの初心者向け機能には思考が及ばなかったようだ。 (ちなみに我輩は、知識よりも場数を多く踏んでいるので、こういうケースには強い。) 我輩とT氏は、W氏に「CDを閉じるように」と指示してトラブルを治めた。 それにしても、パソコン初心者のために用意した機能が、皮肉にも初心者を翻弄した。いくら初心者向けに操作や概念を簡単にしようとも、CD-Rの仕様は守らねばならず、CDを閉じるということの意味を知らない者がその操作を思い付くことはやはり難しい。 キャッチコピーの"フロッピー感覚"というのは物の例えだろうが、初心者はそのままに受け取るので注意が必要だ。 そういう意味で、CD-Rが一般に広く普及したとは言うものの、それは販売上の話であり、誰もが気軽に扱えるレベルになったという意味ではないと言える。いや、実際に初心者はCD-Rを気軽に使っているとは思うが、それはあくまで何も考えていないから気軽になっているのである。 もしかしたら、W氏と同じようなケースで、「自分のパソコンからは使える(それもいつまで使えるか分からない)が他のパソコンでは使えないCD-R」というのが各家庭で作られているかも知れない。自分のパソコン以外で使ったことが無いのでそれに気付かない、あるいは作成した時しか見ないのでそれに気付かないということはあり得る。作成したCD-Rを、別のパソコンに入れて動作確認をする者はどれだけいるだろうか。 もし、せっかく作ったCD-Rが、実は不完全なCD-Rであるとしたら? 今まで作った数十枚のCD-Rが、全て認識不能のものだとしたら? 徐々に劣化して見られなくなったというならともかく、最初から見られないCD-Rをせっせと作っていることを思うと涙を禁じ得ない。 先日テレビを見ていると、子供の成長写真をデジタルカメラで撮影している家族が登場した。まあ今の時代、デジタルカメラは一般人でも使うようになったので不思議な光景でもない。 解説によると、お母さんは以前パソコンの仕事をしていたそうで、写真データの整理とCDへの格納はお手の物とか。 それは裏を返せば、「パソコンの経験が無ければ写真整理は難しい」と言っているようなもの。 CD-Rへの保存失敗について、気付く者は気付くだろうが、気付かない者は本当に死ぬまで気付かないだろう。 いやむしろ、そういう者が幸せな人生を送っていると言えるのかも知れないな・・・。 ---------------------------------------------------- [541] 2005年07月21日(木) 「フラッシュマチック」 先日、職場の我輩宛に電話がかかってきた。 出向元の営業T氏だった。 「忙しいとこスマーン。もし出来ればちょっと仕事頼まれてくれんかー。」 「またっスか。」 「わりーね、今度おごるわ。」 どうやら、お客の個人的な用途の印刷物らしい。金が無いということなので業者に出せないようだ。だから我輩のチョイ仕事を期待して電話してきたのである。 まあ、確かに我輩の手にかかれば5分で出来るような仕事であった。簡単な絵とロゴのトレースをして印刷版下用データに仕上げるというもの。確かに業者に頼むほどでも無いので、こちらで面倒見ることにした。 下絵はファックスで受け取った。 「これって自動車のチームステッカーですかね。」 「そうらしいわ。で、これをパウチッコして納めるんや。」 一瞬、我輩はピクッと反応した。 「パウチッコ? そっちにラミネートパウチする機械があるんスか?」 「おぅー、あるでー。」 「・・・実は、やってもらいたいものがあるんスけど。」 数日後、我輩はT氏に頼んだラミネートパウチ化されたカードを手にした。 「これを、今度使おう。」 ・・・・・・ ところで最近、我輩はストロボ撮影について試行錯誤を繰り返している。 今さら言うことでもないが、ストロボ撮影というのはなかなか難しいものだ。何しろ瞬間的にしか光らないため、測光や制御は定常光とはまた異なる考え方をせねばならない。 もちろんデジタルカメラを使って事前確認を行えば簡単な話なのだが、雑文537「行き過ぎた進化」でも書いたとおり、我輩は"脱"デジタルカメラを目標とし動き始めた。 デジタルカメラに依存し過ぎる我輩の現状は、極めて危険でバランスを欠いているのである。 さてストロボについて、元々我輩は特定機種専用の高機能ストロボはあまり好まない。 確かに、専用ストロボはTTLによる自動調光が可能であり、中には定常光とのバランスをとってくれるものもある。だが、我輩には「ストロボは消耗品だ」という意識があるため、専用ストロボに依存してそれが使えなくなった時のことを思うと(専用ストロボは生産終了してしまえばその時点でアウト)、最初から汎用ストロボを前提として撮影方法を確立したい。 もっとも、最近多用している中判カメラでは専用ストロボなど用意されておらず、汎用ストロボしか選択の余地は無い。 汎用ストロボでは、ストロボ本体の受光部で外光調光を行いオート撮影を可能にしているものが多い。測光及び発光制御をストロボ側で完結させているため、カメラの種類は選ばない。カメラ側では、ストロボの指示するF値をレンズにセットしておけば良いのである。 しかしこれはTTLでの調光ではないため、被写体の見かけの大きさが小さい時には反射光の戻りが少なく露光オーバーとなる。特に広角レンズ使用時、その被写体が画面の真ん中におらず受光角から外れた場合にはフル発光になるケースもある。 また、外光調光だけの問題ではないが、被写体の反射率が18パーセントグレーからかけ離れている時(白、黒、金属面のような反射物など)にも露出の過不足が起こる。 ただ、ストロボは人工光であるため、光の量は分かっている。自分で光らせているのだから、周囲の条件に左右されるものではない。 そうなると、被写体までの距離さえ決まれば、被写体に当たる光の量はガイドナンバーによる計算で求められる。 この考え方に基づいた露出決定法が「フラッシュマチック」と呼ばれる手法である。 フラッシュマチックを用いたカメラは、昔の目測式コンパクトカメラに多い。ストロボで人物を撮るだけの用途には、ストロボ光受光素子と発光量を制御する回路を搭載するよりも、目測ピントリングと絞りを連動させておけば構造が簡単で済む。 中には一眼レフ用交換レンズとして、ピントリングと絞り環をブリッジで繋ぎ、撮影距離に応じた絞り値を連動させるものもあった(GNニッコール)。 しかしながら、フラッシュマチックは専用のカメラやレンズを用いなければなかなか面倒なもの。 撮影距離をピントリング上で読み取り、その距離数値をガイドナンバーで除するわけだが、例えばガイドナンバーが25で撮影距離が4メートルの場合、[GN25/4m=F6.25]となる。実際にはF6.25という絞りの目盛りは無いため、F5.6とF8の中間くらいかと考えて調整することになる。 しかし、いちいちその場で計算するのも大変である。しかも計算結果が細かくとも結局は絞り環に刻まれた指標に近いところを目分量で決めるのであるから、真面目に計算しても報われない。 そこで考えたのが、フラッシュマチック早見表である。 これは以前、コスプレ撮影会(参考:雑文530「コスプレ撮影会3(当日)」)で積極的に使い始めた撮影法なのだが、撮影スピードを優先させたためストロボのマニュアル発光用ゲージをそのまま使った。つまり、撮影時に撮影距離をレンズから読み取り、ゲージを見て絞り値へ変換する。 しかしながらガイドナンバーを固定し撮影距離に応じてF値を変化させる方法のため、どうしても定常光が増減する。もし定常光も重要であるならば(日中シンクロやスローシンクロの場合)、シャッタースピードもF値に応じて変えねばならない。 これでは迅速な撮影は不可能である。 そこで考えたのが、ガイドナンバーと撮影距離の二次元の表を作り、定常光の測光値から絞り値を決定し、その絞り値と撮影距離に適したガイドナンバーを読み取るのである。これならば、ストロボの発光量を調節するだけで良い。 <<画像ファイルあり>> ラミネートパウチした早見表 早見表では使用頻度の高い絞り値については色分けし、特定の絞り値のグループを一目で判るようにしてある。これにより、絞り値からガイドナンバー数値を読み取ることが素早く行える。 これはちょうどT氏から電話があったため、タイミング良くラミネートパウチすることが出来た。これにより、防水性・耐久性に優れたものとなり、カメラのストラップにでも付けておけば、いつでもすぐに活用出来る。 この早見表、早速、先日の夏祭りで豚児写真を撮る際に用いた。 広角レンズの中では、夕暮れの祭を背景にした豚児の画面に占める面積は小さく、外光調光ではフル発光(露光オーバー)になることは間違いない。 しかし今回のフラッシュマチック撮影ではそういう問題も無く、とても良く撮れていた。 <<画像ファイルあり>> 1/15秒 F5.6 GN7.5 もっとも、定常光が主要被写体に当たっている状況では、ストロボ光を弱めにしないと光量の上乗せで露光オーバーになるので注意が必要。 そういうこともあり、まだ現状ではデジタルカメラを使わないと目隠ししているようで不安だが、実績を積んでいくにつれてその不安感も薄らぐに違いない。 ---------------------------------------------------- [542] 2005年07月26日(火) 「シンちゃんのミニカー」 前回の雑文539「あの時代のあの場所」でも書いたが、我輩は幼い時に県営の長屋住宅に暮らしていた。 長屋であるから隣の庭など繋がっており、子供同士でも行き来が多かった。 ただ、部屋は狭いため子供は外で遊ぶのが当たり前で、投げゴマや鬼ごっこなどをしていた。 特に仲が良かったのが、隣に住んでいた我輩より1つ上の「シンちゃん」という兄ちゃんであった。 今思うと、シンちゃんはこだわりのあるタイプのようだった。 当時、子供たちの間で流行っていた投げゴマだが、それは鉄製の換え軸式(非貫通)の厚みのある木製コマが主流だった。その軸にヒモを引っかけて巻き、勢い良く投げて回し、コマ同士ケンカさせるのである。 この鉄軸には幾つか種類があり、我輩などは1種類しか持たなかったし必要も感じなかったのだが、シンちゃんは色々な種類の鉄軸を持っていた。その中でも自慢の鉄軸があったようで我輩にそれを見せてくれたりした。 ある日、珍しく室内で遊ぶことがあった。シンちゃんが、新しいミニカー(トミカ)を買ったというので、見に行ったのだ。 我輩はシンちゃんのミニカーを交えて一緒に遊ぼうと思い、自分のミニカーを右手に持っていた。 シンちゃんの家は、当然ながら我輩の家と間取りは全く同じ。しかし家具などの配置が違うので不思議な感じがした。我輩の家ではタンスが置いてある場所に、本棚が置いてある。そして、本の背の前にあるスペースにズラリとミニカーが何台も置いてあった。 ミニカーはキレイに並べられており、しかも新品状態のピカピカ。それはそれは見事な光景だった。 「うわー、シンちゃん、スゲーキレー!なんでこんなんキレーなん?」 「遊ばんけよ。飾っちょくだけやけん。(遊ばないからだよ。飾っておくだけだからね。)」 我輩はシンちゃんの言葉に衝撃を受けた。 遊ぶためのミニカーを遊ばずに飾っておく・・・。今までそんな発想など微塵も無かった。そのため、不意に全く違う世界を見せられたような気がした。 我輩は、右手に持った自分のミニカーに目を落とした。 塗装は擦れて艶を失っており、しかも所々剥げていた。ミニカー同士を衝突させて遊んだり、乱暴に走らせたりしていたのだから当然である。 結局この日はシンちゃんとミニカーで遊ぶことは無かった。そのことは残念だったが、正直、我輩もあの綺麗なミニカーを傷付けるようなことはしたくないと思った。 この気持ちは、初めてその時感じたものかも知れない。 こういう体験が今の我輩の思想を作り上げた要素になっているかどうかは分からないが、十分ありそうな話である。 元々我輩は、(他の子供と同じように)実用しか考えなかった。オモチャは手にとって遊ぶ。遊べば消耗する。そして、いつかそのうち壊れる。我輩などは遊び方が乱暴だったのか、壊れなかったオモチャはほとんど無い。 当時の我輩は、「シンちゃんのミニカーの遊び方は自分とは違うんだな」という認識を持ち、自分はそれ以降も今までと同じようにオモチャを遊び潰してきた。 成長してプラモデルを作れるようになった時も、外見重視のディスプレイタイプよりも遊び重視のモーターライズを迷わず選択した(車のプラモデルは組み立て方法によりどちらか選択出来る)。 ただ、あのキレイなミニカーの姿は、深く心に刺さったままだった。 大人になった現在、我輩は自分のお気に入りのカメラをいつまでも実用するため、「Nikon F3」の未使用ストックを持つ。それらストックは、触れてはならぬカメラをコレクションすることでは決してない。いつか実用するための大事な在庫である。 今の時代、新しい製品のほうが性能も良くその都度買い換えていけば効率が良い。しかし、時代を貫く良い物と巡り会った時、その考えは根底から覆(くつがえ)る。 自分にとって良い道具に巡り会えた我輩は、いつまでも新品のままそれを使い続けたいと思った。今までオモチャを遊び潰してきた我輩の無理な注文である。それを現実に近付けるのが、ストックであった。 シンちゃんの影響は、時代を経て我輩の思想と結び付き、実用主義を補完するための手段を選択させた気がする。 現実問題として未使用品がどれだけの期間保てるのかは分からないが、雑文464「オークション(3)」でも書いたように箱のまま長期保存されたNikon F2チタンでも大きな問題は無かった。電子カメラF3でも、それ自身の販売実績を考えると20年は大丈夫かと思う。 シンちゃんのミニカーは、今でもキレイな姿を保っているだろうか。 (2005.08.22追記) 当雑文を読んだ我輩の母親からの指摘で、「シンちゃんは2つくらい上だった」とのこと。 ---------------------------------------------------- [543] 2005年07月31日(日) 「朝日新聞サンゴKY事件」 日頃多くの事件が次々に報道され、少しでも古い事件はすぐに意識の外に追いやられてしまう。しかしその中でも、ふと思い出した事件があった。 朝日新聞の捏造体質を象徴する有名な「サンゴKY事件」。 発端は、1989年4月20日付の朝日新聞夕刊第一面に掲載された記事だった。 記事によると、このサンゴは世界最大のもので、ギネスブックにも載っているとのこと。環境庁は、人の手を加えてはならない「自然環境保全地域」と「海中特別地区」に指定したという。 しかし、そこにはあってはならぬ彫り物があった。 サンゴにくっきりと刻まれた「KY」のイニシャル・・・。 記事では、この彫り物を心無いダイバーによる所業として写真付きで紹介し、すさんだ日本人の心の象徴として反省を求めていた。 そして最後にこのように締めくくった。 「KYってだれだ。」 しかし地元ダイバーから状況の矛盾点を指摘され、その結果「元々あったKYの文字を、撮影効果を上げるためになぞって掘りなおした。少しやりすぎた。」と弁明することになった。 ところがそれでも矛盾は解消されず、最終的には彫り物そのものが記者による捏造であることが判明した。 環境保護を謳って偉そうに反省を求める記事を書きながらも、実際に心がすさんでいたのは朝日新聞の記者自身であったのだ。 「KYってだれだ。」 今読むと、よく言えたものだと本当に感心する。普通の人間の感覚があれば、猛烈に恥ずかしいはず。 さて現在では、新聞記事用の写真はほぼ全てがデジタルカメラによるものだと聞く。 ニュースは即時性が命であるから、現像処理を必要とせずしかもデータが電送可能なデジタルカメラはこの用途には最適。 しかしながら雑文414「ブラック・ジョーク」でも書いたように、デジタルデータは手を加えることが当たり前であるから、レタッチと捏造の区別が曖昧になる。 このような悪意無き捏造でも十分問題になるわけだが、確信犯(誤用承知)がデジタルデータを悪用するならば、もっとややこしいことになろう。 朝日新聞のサンゴKY事件にしても、実際にサンゴにキズを付けるのはそれなりに罪悪感もあったろうと思う。ところが画像の中だけの捏造とすれば、実際にサンゴにキズを付けずとも済む。もちろんサンゴが特定されれば後で検証されてしまうが、巧くやれば画像の中の話が現実にすり替わる。 画面上だけのことであれば、捏造に伴う罪悪感は無くなり、捏造の敷居はかなり低くなるだろう。 確かに「実際にサンゴが傷付くことと比べれば罪は軽い」という見方もあるかも知れない。だが、記者の望むシナリオに読者を誘導することの罪は変わらない。 ここであらためて言うことでも無いが、ホントに捏造に都合の良い時代になったものだ・・・。 ---------------------------------------------------- [544] 2005年08月01日(月) 「無謀な青二才」 ヘナチョコ妻とケンカした。 原因は新居のカーテンについてである。 ヘナチョコは、オーダーカーテンの値段の高さに溜息をついた。新居の窓が既成カーテンのサイズとは全く異なるためである。 聞くところによれば、ヘナチョコの知り合いはカーテンにこだわって一部屋に15万円もかけたらしい。まあ、それは極端な例。 ただ我輩は、学生時代にデパートで安売りカーテン/カーペット屋でアルバイトしていたため、「よほど凝らなければあんな単純な布切れ如きに金がかかるわけがない」と感じていた。 オーダーカーテンを選ぶ理由の一つとして、個性を主張したいということがあろうかと思う。大量生産の布地はコストを下げるが、似たものが多く流通することになる。柄や織りや縫製も種類が少なく好みに合うものが限られてくる。 しかしながらカーテンマニアでもない我が家で、なぜにこのようなオーダーカーテンを選ばねばならぬのか。それがサイズだけの問題だとしたら、全く金の無駄としか言いようが無い。 そこで我輩はヘナチョコに提案した。 「カーテンなど、自分で合うように調整して縫えば出来るだろう。」 見れば、カーテンの作りは非常に単純で、やる気さえあれば何とかなりそうだった。生地そのものが高価であるならば、数千円の既製カーテンで大きめのサイズを裾上げなどすれば良かろう。 これは我輩のシロウト考えだが、出来ないという理由が思い付かない。恐らく、可能である。 実はこの提案は以前からのものだったが、もうそろそろ現実問題として取り組まねばならぬ時期に来ていた。 ヘナチョコは強い口調で反論した。 「単純に見えても実は難しい。縫い物を職としている知人がそう言っている。」 ヘナチョコは縫い物を職としている知人の意見を、そのまま鵜呑みにしたかあるいは我輩の提案を否定する材料として利用したわけであるが、我輩にとってそれはあまり説得力を感じなかった。 その筋に詳しい者の意見というのは、裏を返せば常識に囚われた意見でもある。確かに体系的な知識や技能持っているに違いないが、豊富な知識と経験により、無謀さが失われてしまっているのだ。 (参考:雑文297「挑戦なき者」) 無謀さが失われているということは、若さを失っていることでもある。我輩はそういう意味では"怖いもの知らずの青二才"とも言える。 しかしながら、それこそが我輩のエネルギーでもある。 我輩は動物好きであるから、シェトランド・シープドックのぬいぐるみを何匹か買ったことがある(本物はさすがに飼えぬ。牧羊犬であるから、相当な運動を保証せねばならない。)。しかし毛の長い犬種のためかあまり製品化されておらず、あっても不細工であったりする。 そこで我輩は思った。 「気に入ったものが無ければ、自分で作れば良い。」 針と糸で縫い合わせれば良いのだから、やろうと思えば誰でも出来るはず。 思うのは簡単、作るのは困難。 今までぬいぐるみ作りはおろか縫い物すらしたことが無かった我輩である。しかし目的を持ち、「必ず実現出来るはずだ」という1パーセントの霊感を信じて突き進んだ(参考:雑文456「中判フィルムスキャナ(霊感と汗)」)。 目的を持っている限り、「困難」というのは止める理由にはならないのだ。 その結果、我輩は目的をやり遂げた。自分のイメージに合うシェトランド・シープドックのぬいぐるみを、現実の世界へ現すことに成功したのである。 <<画像ファイルあり>> 共通の型紙で2匹製作した 知識と経験が豊富な者は、「未経験者には難しいことだ」とアドバイスするだろう。 実際やってみて分かったが、例えば最初の型紙の段階でかなりセンスが必要だった。立体に起こすための型紙であるから、単純ではない。 縫い方にしてもほとんど自己流であり、ボタン付けすら本来の正しい方法を知らない。そんな我輩が、長い毛が植わったメッシュ生地(ムートンのカーペット生地)を切って縫い合わせる努力をした。 やってやれないことは無い。 新居の1/50スケール模型の製作も同様。 それまでプラモデルは作った経験があったものの、フルスクラッチ(部品から作り出す完全自作)は未経験であった。しかしいつもの無謀さを発揮し、バルサ材とカッターナイフで作り始めた。 しかし細かい部品に至るまで水平垂直をしっかり作り込まなければ全体的に形がズレてくる。柔らかいバルサ材ゆえに、長いラインで刃を入れると曲がり易い。 またバルサ材は木繊維がスカスカなため、断面に無数の細かい穴が空いている。そこをパテ埋め研磨しなければ壁が一体感を持たない。 階段も段数が決まっているため、一段あたりの高さが厳密である。小さなズレがあってもそれが累積して階段全体の高さが合わなくなる。 さらに塗料は、実際に使う予定のサイディング(外壁材)とコロニアル(屋根材)のサンプルを建築会社から借りてきてそれを参考に色調合した。塗料は乾くと微妙に色合いと艶が変わるため、色とツヤ消しを少しずつ確かめながら混ぜていったのだ。もちろんサイディングは1色ではなく柄があるため、その風合いを再現することが大変だった。 <<画像ファイルあり>> 各階が分離出来、レイアウト確認が可能な構造とした ただ、我輩のやっていることは至極単純である。 フローチャートで言えば、「出来るまでやる。出来なければ出来るまでやめない。」ということ。このフローチャートは下手をすると無限ループに陥るが、我輩は自分を信じているから有限ループで終わると思っている。 これは無謀な賭けだが、怖いもの知らずの青二才だからこそ挑戦出来るのである。 人間、経験を前向きに活かせれば良いのだが、大抵のヤツは不可能を正当化するための材料にしてしまう。その結果、可能性を自ら閉ざすのだ。 そういう意味で、若者には無限の可能性があると言われる。この言葉は、単純に「残りの人生が長い」という意味では決して無い。若者特有の、無謀さが有るか無いか。それが未来を変えるエネルギーである。 人間に寿命があるのも、そういった活力を維持するための新陳代謝と言える。世の中の人間が全て経験豊富になれば、確かに安定はするだろうが閉塞状態に陥ってやがて矮小化する。 我輩は過去に中判魚眼カメラを自作したが、大した工作機械やノウハウの無い我輩がこのようなカメラを作ることは、自作を経験した今になって考えれば無謀なことだったと言わざるを得ない。カメラ自作に必要な精度など全く知らなかったのである。 今一度同じものを作れと言われれば、微妙なフランジバックの調整などを思い出して尻込みするだろう。しかし、別の自作カメラには無謀な挑戦をするに違いない。必要ならば、液晶カメラにダイヤルをネジ込む。何か問題が発生すれば、そのつど潰して行くだけの話。 <<画像ファイルあり>> このカメラは我輩の無謀さの象徴 雑文151「冒険野郎マクガイバー」でも書いたが、絶対的な意味での不可能というのは無い。それが信じられるかどうか。 それだけで未来は変わる。 何かやり遂げようとする者は、経験者に意見を求めるよりも、自分を信じてまず飛び込んでみることを勧める(もちろん、自分を信じられねば飛び込んでも上手くは行かないが)。 ※ ちなみにカーテンの件は、結局のところ既製カーテンを裾上げ無料サービスがあるとのことで、それを利用することにした(出来ないはずがないと思った)。これにダブル式の伸縮カーテンレールを加えて10万円。カタログ通販だともっと安いが、生地が確かめられないのでこれはやめた。 ---------------------------------------------------- [545] 2005年08月02日(火) 「液晶へのこだわり」 子供の頃に任天堂の「ゲーム&ウォッチ」を初めて見た時、その不思議な表示デバイスに我輩の目は釘付けになった。 黒い切り絵のようなものが一瞬にして消えたり現れたりする。よく見るとその絵には影があり、少し浮いているように見えた。 後日、その表示は「液晶(LCD)」というものだと知った。 液晶は消費電力が極端に小さく、ボタン電池2個で数ヶ月もの間駆動する。それまでのFL(蛍光管)式やLED(発光ダイオード)式のLSIゲームなどはスイッチを入れっぱなしにしておくことが出来ず、それと比べると時計代わりにも使えるLCDゲーム「ゲーム&ウォッチ」は、玩具を越えたスマートさを感じた。 その後、ゲーム&ウォッチは大ヒットし、他社からも同様にLCDゲームが多く発売されるようになった。 様々なゲームが巷にあふれ、仲間内が所有するゲームを貸し借りすると実に多くのゲームに触れることが出来た。 最初は珍しかった液晶表示だったが、色々なゲームに触れるうちに目が肥え、見易い液晶や見づらい液晶などが気になるようになってきた。 当然ではあるが、見易い液晶のほうがゲームに集中出来る。 我輩が今まで触れたLCDゲームの中で、バンダイの「クレージーカラス」の液晶は良かった。 液晶マニアならば知っていると思うが、液晶パネルは、貼り合わされた2枚のガラス板に偏光板と反射板が配置されている。クレージーカラスでは反射板が少しギラギラついていたものの明るく見えるため、コントラストが非常に高くクッキリと見えた。 我輩が見たところ、液晶には見易さとして次の3つの要素があるように思う。 まず、コントラストの問題。 液晶が表示されると光が遮られて黒く見える。この黒さが薄くなればコントラストが低下する。また、光を反射するための反射板の色が濃ければそれもまたコントラストを低下させる。 黒い液晶が薄く、明るい反射板が暗ければ、相対的に明度差が小さくなるためである。 次に、視野角の問題。 見る角度によっては、コントラストが低下したりする。場合によっては、モノクロのはずが微妙に色が着いて見えることもある。 そして、液晶の落とす影との距離の問題。 液晶は電圧がかかると不透明になるため(偏光板を通して見た場合)、そこだけ光が通らずその下にある反射板に影が落ちる。このため液晶表示を見ると、表示と影が微妙に重なって見える。当然ながら、影の落ちる距離が大きければ重なりがズレて見づらくなる。これは恐らく、液晶を挟んだガラスの厚さや反射板の位置に関係するものと思う。 これらの問題については、過去にも雑文440「MINOLTA FLASHMETER VI」にて取り上げた。代を重ねるにつれてどんどん液晶表示が見づらくなっていく。これはコストの問題が大きいように見える。 逆に言えば、コストさえかければそれなりに見易い液晶表示になるということか。 MINOLTA FLASHMETER VI(最新型) <<画像ファイルあり>> ピントがボケているように見えるが、液晶の落とす影が深くダブって見えるため。コントラストも低く、ちょっと角度をつけると見えなくなる。 MINOLTA FLASHMETER V <<画像ファイルあり>> 液晶の影が浅いため鮮明に見える。角度をつけても表示は薄くならない。ただしEL透過照明のためか反射板はやや緑色に透けて見える。 MINOLTA FLASHMETER IV <<画像ファイルあり>> 視認性は非常に良好。LCDゲーム「クレージーカラス」に匹敵するか。 ただコストとは言っても、液晶のコストが全体に占める割合は少ないのではないかと思う。 我輩は現在、TIMEXやCASIO、CITIZENのデジタルウォッチを所有しているが(我輩はアナログ時計はあまり好きではない)、不思議なことに、値段と見易さには関係が無いように思える。最も液晶が見易いのは、5千円の安っぽいウォッチであった。これで透過式のEL照明付きなのだからまさに皮肉。 もちろん、数が捌けない高価で専門的な単体露出計の液晶と、全世界で誰もが使うようなウォッチの液晶のコストは単純比較出来ないだろうとは思う。しかしそれでも、液晶の見易さを犠牲にしてまでコストを削らねばならぬほどとは思えぬ。 なぜ、一番目に付く液晶パネルで手を抜くか。 現在はデジタルカメラが台頭しており、液晶表示カメラですら開発が鈍化しダイヤル式カメラの盟友となりつつある(参考:雑文288「昔の敵は今日の友」)。もはや同情をかける対象とも言えようか。しかしそれでも、液晶クオリティには注文付けたいと思う。 これは、コストをかけて作られたはずの最新最上位機種であるNikon F6でも液晶表示が貧弱だったことを考えると、非常に残念なこととしか言いようが無い(参考:雑文511「あれは本当にNikon F6だったのか」)。 こういうカメラを手放しで誉める者は、いったいどこに目を付けている? 本当に液晶表示デバイスが素晴らしく使い易いとするならば、なぜ液晶そのもののクオリティを追求し問題視しない? 無彩色の明るい反射板に、真っ黒な液晶表示が影も無くクッキリと浮かぶ液晶パネル。 これこそが、我輩の理想とする液晶表示デバイスである。こんなパーツを使ったカメラがあれば、例えダイヤル式カメラでなくとも手元に置いておきたくなる。 それにしても、我輩の他に液晶表示にこだわる者はおらんのか・・・? ---------------------------------------------------- [546] 2005年08月03日(水) 「職場写真〜瞬間的な組合せ〜」 以前雑文378「職場写真」でも書いたとおり、職場の写真というのはなかなか撮る機会が無い。 特に現在我輩の居る職場では、飲み会もほとんどが突発的に起こるため事前にカメラを用意するヒマも無く、飲み会写真すら無い。 それでも赴任直後の飲み会では、普段ヘナチョコ妻に使わせている「FUJI GA645Wi」を借りて集合写真を撮ったことがあった。 「集合写真こそ、情報量の多い中判の真価が発揮されるところだ。」 我輩は仕上がりを期待したが、結果を見て落ち込んだ。 極端な露光アンダー。 原因は、カメラ手前に置いてあった白い皿であった。これが強烈な反射体となり、ストロボ調光を惑わせたのが敗因。 「クソー、テーブル三脚を置く時に気付くべきだった。こんな事例は少し想像力を働かせれば事前に予測が付いたはず・・・。」 あまりにつまらない失敗が悔しかった。 ちなみにこの時の写真は、無理矢理フィルムをスキャンしてレタッチを施し、何とかプリント写真に仕上げた。それでもかなり硬調な写真で、写真を皆に配る時は気が引けた。 それ以来、写真を撮る機会も少なく、また撮ろうとする気も無く、時は過ぎた・・・。 しかし最近、職場で周りを見渡すと、あらためて記念写真の重要性を実感した。 我輩がここに赴任した当時のメンバーは、今や数人しか残っていなかった。そのうち我輩も出向元へ戻ることになる。ここらへんで1枚写真を撮っておくほうが良いのではないか? そんな時、職場の部長殿から毎年恒例となっている花火大会鑑賞会のお誘いがあった。部長殿の邸宅は花火大会の会場が近く、部屋から優雅にワインでも飲みながら花火を鑑賞しようというものである。 出席するのはグループ内の限られたメンバーであるが、前任者なども来るため、記念写真を撮っておけば瞬間的な組み合わせとして貴重なショットとなろう。 当日、雑文506「写真で知った事実」に書いた大学同期の女性も遅れてやってきた。 10数年ぶりでかなり雰囲気も変わっていた。向こうからすれば我輩も同じように見られていただろうか。直接にはほとんど会話しなかったためそれは分からない。 花火大会が終わった頃、最後に皆で記念写真を撮った。 今回はマニュアル発光で失敗しないように撮った。それでも失敗が恐いため、露出をズラして何枚か撮った。 もしこれで失敗していれば、もはや我輩は生涯に渡って記念写真を撮れなくなるだろう。 こういう場に集まったメンバーは、皆それぞれに出身企業が異なる。考えてみれば不思議な話。 また、距離も時間も遠く離れたはずの大学同期の女性とも再会して同じフレームに収まるというのもなかなか無かろう。会おうと努力して会ったものではなく、前任者の一人としてそこにいるのが不思議な気分だ。 同じフレームに皆で収まったこの写真、恐らく次の会では微妙にメンバーが替わるに違いない。いや、大幅に変わることもあり得る。 貴重な瞬間を捉えた、職場写真である。 さて気になる現像結果だが、「白い天井でバウンス撮影にすれば良かったか」とは思ったものの、「ストロボ直光ではまあこんなものだろう」という程度のものだった。 いずれにせよ、大きな失敗では無かったのが幸い。 ---------------------------------------------------- [547] 2005年08月07日(日) 「蔵王のお釜(6)」 (※今回雑文を書くにあたり、今後計画するうえで参考になるようにとただ事実起こったことのみを書き、余計な感想等は省くことにした。) 蔵王のお釜へ行くことは、ここ数年の恒例となりつつある。なぜ何度も行くのかというと、1回行っただけでは回り尽くせないと感ずるからだ。 蔵王のお釜へは路線バスが運行されており、宮城側と山形側の両方からアプローチ出来る。ところがこのバスは運行本数が少なく、しかも最終便の時間が早いため乗り遅れる心配もある。そのため、バスで来るのであればこの時刻表に行動時間を制限されることになる。 そこで今回、車を使って蔵王のお釜に行くことを計画した。 車の場合、高速道路を使っておよそ5時間(休憩時間含む)ほどかかる。列車とバスを使っても接続の関係もあるため同じくらいかかる。料金は、高速料金は深夜割引(0〜4時)を使えば半額近くにもなるため、ガソリン代を入れても列車の時よりも安くなる計算。 また、荷物の制限も無いため、とりあえず思い付くものは全て積み込んだ。アイスバッグなどは非常に重宝する。 それから帰りに遠刈田温泉(とおがったおんせん)で汗を流すつもりである。着替えや石鹸、バスタオルなども用意した。 ただ、天気の具合をずっと見ていたのだが、梅雨の影響もありなかなか晴れる様子が無く、計画を立ててから一月ほどは動けなかった。 我輩は元々、次の日を休息日に充てられる土曜日を目標に準備をしていた。8月6日は土曜日で晴れの予報。ちょうど良い。 ただ、土曜日ということは、前日の金曜日は早く寝ておかねば夜中出発は無理。目標は土曜日午前1時に出発である。 しかしながら金曜日は色々とあり、寝るのが夜10時過ぎとなってしまった。しかも「早く寝なければ」と焦るほど寝付けない。 結局、寝た気がしないまま起床し、車に乗り込んだ。眠気は全くないものの、これからの疲労を考えると睡眠不足は少し心配だった。 まず最寄りのコンビニエンスストアに寄り、朝食のおにぎりを購入。昼食は明るくなってから途中の店で買った方が種類も多く賞味期限的にも良かろう。 高速道路は順調だった。以前、夜の首都高速道路を走った時は分岐の多さに気が抜けなかったが、道なりに走れる今回は気持ちもリラックス出来た。 途中、ちょうど中間地点にある那須高原サービスエリアで休憩をとった。空はうっすらと明るくなってきたような気がするが、まだ夜の雰囲気。仮眠しようかと思ったがエンジンを切った車の中は暑い。かと言って長時間のアイドリングも出来ぬ・・・。 とりあえず目的地に行って休もう。山の上ならば涼しかろう。 途中の遠刈田温泉に着いた頃にはもう陽は高く昇っていた。 山の上へ目指すには、クネクネと曲がったエコーラインと呼ばれる道を登ることになる。いつもの時間ならばここを多くの車が行列しているのだが、さすがに早朝5〜6時くらいではほとんど車がおらず走り易い。 7時前くらいに刈田駐車場(かったちゅうしゃじょう)に到着。頂上の駐車場へは有料道路を通らねばならぬため、少し下にある刈田駐車場で車を止め、そこから頂上へ登る。リフトもあるが、金がかかるし、そもそも早朝では動いていない。 この駐車場で少し休もうかと思ったが、意外にも暑く休めない。 車を降りてみると、フロント部分に汚れが幾つかあった。恐らく、飛んできた虫が当たったのだろう。そう言えば、トンボやアブなどがたくさん舞っており、そのうち幾つかがフロントガラスに当たる音がした。 ところで、途中のコンビニエンスストアで昼食を買うのを忘れていた。今更下山するのも大変で時間とガソリンも浪費してしまう。仕方無い、出発する時に買ったおにぎりを、遅い朝食と早い昼食として食べることにする。 携帯電話を見ると、「圏外」となっている。以前、リフト乗り場の人に携帯電話でタクシーを呼んでもらったことがあったのだが・・・? 電話会社による違いか・・・? とりあえず靴下と靴をトレッキング用に履き替え、ザックの用意をした。 頂上へ登るにはそれなりに山道を行くわけだが、身体がなまっていたのか汗が滲んで息が切れた。寝不足に加えて暑いことが影響していた。この道は所々に階段状の石が並べられていたりしているが、基本的に雨水が流れる路であることが分かる。 登り切ると、おなじみの風景が広がっていた。早速、お釜へ向かって降りることにした。 この日は陽が強く、少し歩くと汗が滲む。持ってきた500ミリリットルのペットボトルも車中で飲み始めたため、お釜のふもとに降りた頃には1本空いてしまった。 水分が切れると行動出来なくなるため、残りのペットボトルが頼りである。しかしながら、途中で水が補給出来る。そこまで1本で保てば良い。 お釜の縁へ登ってみると鳥の鳴き声が聞こえ、見上げると鳥の群が舞っていた。岸壁に巣があるかのような雰囲気。鳥の種類は分からなかったが、飛び方がツバメのように見えた。 また、アブがブンブンとしつこくつきまとってくる。以前来た時は動く物といえばトンボくらいで、音はほとんどしなかったのだが・・・。 お釜の縁をしばらく歩くと、岸壁に大きな窪みがあるのに気付いた。落盤したのだろう。双眼鏡で見ていると、後ろから初老の登山者が近付いてきた。 「こんにちは。」 「ども、こんにちは。」 どうやらロバの耳岩のほうへ行くとのこと。あそこは落石の危険があるため立ち入り禁止なのでは? 「まあ、ああいう看板を立てて責任を問われないようにしているんでしょう。事故が起これば自己保証ということですかね。」 そういうことなのか・・・。 初老の登山者は先に行き、我輩は30分ほど遅れてお釜の水に達した。 前回来た時よりも水位がかなり下がっており、水中にあったと思われる岩石が露出していたので興味深く見た。 湖水を手ですくって口に含んでみたが、特に強い味はしない。ちょっと鉄の味がして生臭い。酸っぱさが全く無いので、酸性度はかなり低いと思われる。ただし雪解け水が流入するデルタ付近の水なので少し事情は異なるだろうとは思う。 ちょうどその時、軽い地鳴りのような音が聞こえてきた。振動は感じないが、「ゴー」という音が聞こえる。 我輩は湖の対岸にある壁で落石でも起こったのかと思い、双眼鏡を取り出して壁面を見てみた。しかし探しているうちに音が鳴り止み、結局何だったのかは分からなかった。 昭和初期にお釜に研究所を建設し寝泊まりしていた安斎徹の著書によると、夜中に大音響が響いて壁が崩落したことがあったというから、落石があっても不思議ではない。 記念写真でも撮ろうと思ったが、三脚を車のトランクに置いたままであることに気付いた。まあ、前回も撮ったのだから今回は良かろう。そう言えば、軍手も忘れている。 相変わらず日差しは強く、汗が流れて喉が渇く。残りのペットボトルの麦茶もここで無くなった。 もうそろそろ食事の時間としたいのだが、水分が無いと喉を通らないだろう。早く水を確保せねばならぬ。我輩は撮影を済ませて先を急いだ。 お釜には数本の小さな川が流れ込んでいるが、そのうち五色川と呼ばれる川を遡(さかのぼ)った。この川の水は安斎徹が飲み水としていた。我輩もこの川から水を補給しようと思う。 川の大きさは非常に小さく、一またぎで渡れるほど。川の中に足を突っ込んでも水が靴に浸入しないほど浅い。 前回、この川の水を飲んだ時は、特に腹の調子がおかしくなることは無かった。ただし飲む量が少ないせいもあるかも知れぬ。 今回は2本のペットボトル、つまり1リットルを補給して飲むのである。少しでもキレイな上流に向かうことにした。この川の下流、つまりお釜に近いところでは、川の岩は赤く染まっておりとても飲む気にならない。上流に行くと、少し水苔が岩に付着している。どんどん上流に遡ると、山が壁になって立ちふさがった。とりあえずこの場所で水を汲んでみた。 汲んだ水を、ペットボトルの口から覗いてみた。全く濁りは確認出来ない。冷たい水のせいで、ペットボトルの周りが結露し水滴が着く。飲んでみたが、水の味しかしない。まあ、多分大丈夫だろう。 あらためて1リットル分の水を補給し、安西研究所の近くで水を飲みながらおにぎりを食べた。時間は10時半だった。 その後、お釜の頂上である五色岳に登ろうとしたが、暑さのためか体力の消耗が激しく、登り切った頃にはヘトヘトになってしまった。既に、補給したペットボトルのうち1本は空になっていた。 頂上では写真を撮っている男性がおり、互いに「暑いですねぇ。」と挨拶を交わした。 とりあえず頂上から円周魚眼写真を撮り、すぐに水無川の上流へ行ってそこから下った。水無川はいつ来ても興味深い。いつか、ここに水が流れるのを見に来たいものだ。 しかし体力は限界。 身体が陽に焼けてきた。山の上では紫外線も強いということもあろう。長袖を伸ばそうかと思ったが、暑いのでそれは出来なかった。 時間を見るとまだ12時前だった。 高速道路の夜間割引のこともあり、今回は日中ずっとお釜の散策をするつもりだった。しかし体力が続かないのでは仕方無い。睡眠と食料の不足、そして何より強い日差しは我輩のスタミナを大幅に奪った。 水を飲もうとしてザックの肩ひもを片方だけ外したところ、同じように肩に掛けていたBRONICA SQ-Aiのストラップまで外してしまい、そのまま下に落下させてしまった。SQ-Aiには超広角40mmレンズが装着されており、このレンズを下にしてそのまま岩石に激突したのである。見ると、95mm保護フィルターにはクッキリと傷が付いた他には何も損傷は無い様子。絶滅種である貴重な40mmレンズに傷が付かなかったのは幸いだった。やはり保護フィルターは付けておくべきだと再認識した。 帰りは再び長い崖を登らねばならない。しかし今回は別に時間に追われているわけでもないので、ゆっくりと登れば良い。前回までは最終バスの時間に間に合うよう急いだため、かなりツラかったが、今回は死にそうになること無く登り切った。 その後、駐車場まで道を下り、車に辿り着いた。 疲れ切っていたが、日陰に入ってやっと落ち着いた。靴下と靴を履き替え、温泉を目指して山を下った。 道は予想通り、登り道はかなりの車が走っていたが下り道はほとんどいなかった。そのため、慣れないエンジンブレーキを試した。2速に入れるとエンジンの音が高くなり後ろに引っ張られる感じだ。調子に乗って1速に入れたところ、大きくエンジンがうなりガクンとショックを感じたので2速で山を下りた。 遠刈田温泉の入り口近くにあるガソリンスタンドで給油した。 そして遠刈田温泉センター浴場の駐車場に車を停め、温泉に入った。事前に入浴料250円だという情報を得ていたのだが、実際には300円だった。値上げしたのだろうか。 風呂上がりに新しい下着と新しい靴下でさっぱりした。 それから食料を少し買って車の中で食べた。 時間は午後2時になろうとしていた。もし高速料金深夜割引を狙うとするなら、最低でも夜9時頃までは時間を潰さねばならない。車の中は暑いし、7時間もの時間を潰す場所がどこにも無い・・・。 仕方無い、時間を金で買うつもりで、割引料金は諦めてすぐに帰ることにした。 途中、高速道路で事故渋滞があり3キロほどノロノロ運転があったり、松戸に帰ってきても花火大会の渋滞に巻き込まれてしまい予想外の時間がかかってしまった。帰宅時間は午後7時半。 それでも、無事に帰ってこれたので良しとしよう。 ---------------------------------------------------- [548] 2005年08月08日(月) 「どうか、お恵みを」 映画「ターミネーター」を観ると、最後のシーンで、記念写真を勝手に撮って売りつける少年が出てくる。 貧しい少年で、この写真を売らないと父親に叱られるのだという。 写真を撮られた女性はその少年がかわいそうに思ったのか、それとも単なる気まぐれだったのか、そのポラロイド写真を少年から買った。 そう言えば以前にもニュース特番などで、渋滞にハマった車にストリートチルドレンが近寄って勝手に窓を拭いたり写真を撮ったりして小金を稼ごうとする姿を観たことがある。 貧富の差が激しい国などでは、こういう光景は一般的なのだろうか。 そういうこともあり、勝手に記念写真を撮りそれを売りつけるというのは、恵まれない子供の仕事であるという印象が我輩には植え付けられている。 以前、雑文074「結婚写真」にも書いたが、我輩の結婚式にて頼みもしないのに大きなカメラを抱えて立ち回り勝手にスナップ写真を撮ったカメラマンがいた。後日結婚式場から封書が届き、「写真が欲しければ金を振り込め」という案内が来た。我輩は、頼んでもいないことに対して金を払う習慣を持ち合わせていないため、この案内を一蹴した。第一、最初の計画でスナップ写真のオプションは外してあったはずなのだ。 我輩は、このような写真を撮るカメラマンがストリートチルドレンと同じように恵みを乞うように見えて見苦しく感じた。 ハッキリ言えば目障りで気分を害する。 雑文284「EOS-D30の野外テスト」の時も同様。 葛西臨海公園の大観覧車に乗る前に強制的にデジタルカメラで記念写真を撮らされ、観覧車が一回りする間にプリントした写真を買わされそうになる。 人の写真を勝手に掲示して置いておくなと言いたい。まあ、他の客もそのままにしておけないので買ってしまうんだろうな。 雑文444「蔵王のお釜(1)」でもそうだった。 リフト乗り場のすぐ先にデジタル一眼レフカメラで客の写真を撮っている者がいる。こちらも帰ってくると自分の写真が勝手に晒し者になっているのである。しかもこのカメラはアングルが下からのため、スカートを履いた女性などは余程気を付けねばならぬ。もしそのような写真が勝手に晒されているとしたら問題。やはりそのままに置いておけずに買ってしまう者もいるだろう。 金を恵んで欲しければ、人に迷惑をかけることをせず素直に「どうか、お恵みを」と物乞いすればどうだ? きっと、誰かが恵んでくれるぞ。 <<画像ファイルあり>> おいおい、勝手に撮るなよ。 ---------------------------------------------------- [549] 2005年08月24日(水) 「夏の帰省2005」 ●はじめに ※ 今回、例年のように夏の帰省について雑文に書くが、あまり分割してタイトルが増えても意味が無く、長文となっても1つにまとめることにした。 ※ 日頃書いている豚児日記をベースにカメラや撮影に関する記述を加えた文章のため、かなり冗長になっている。 ※ カメラや撮影に関する記述については、区別し易くするためこのように着色した。 --------------- ●事前計画 今年の盆休みも、去年のように九州の実家に帰ることを計画した。 現在、実家のほうでは路線バスも廃止され、主な移動手段はタクシーとなっている。しかしバスであろうとタクシーであろうと、荷物の積み降ろしがその都度大変である。それが仮にレンタカーであっても、結局は同じこと。 どんなに荷物が車に積めようとも、最終的には人間が持てる範囲でまとめねばならない。もちろん、土産品の余力も計算に入れての話である。 ところが今回は自家用車がある。出発地から目的地まで、荷物は車に載せたままで良い。積めるだけ積もうが問題無い。 そういう意味で、今回は荷物に苦しめられたこれまでの帰省とは異なるものとなろう。ダジャレにすれば「帰省概念を変えるもの」と言うところか。 カメラについては、今までの帰省では軽量レンジファインダーカメラである「New MAMIYA-6」しか考えられなかったが、今回は持ち運びの苦労が無いため一眼レフカメラの「BRONICA SQ-Ai」と何本かの交換レンズを持って行こう。その気になれば、予備の中判カメラさえ持って行ける。 さて、九州まで正直に車で走ろうとすれば、片道で1千kmを超えてしまう。 独身時代、大学時代の友人ヤスと車で松本市から九州まで車で走ったことがある。我輩は助手席で運転しなかったものの、それでもかなり疲れた。その苦労のため、九州の道路に入った時には感動したほどだ。 しかし今回はなるべく疲労を抑えたい。そうなると、フェリーか。 そう思い立った時、ちょうど出発予定日の2ヶ月前だった。フェリーの予約は2ヶ月前からのため、今予約を取らねばならぬ。 慌てて九州航路のフェリー会社に電話を掛けてみると、午後の時点で予約は全て埋まっていた。 「しまった!今回ばかりは出遅れたか・・・。」 さすがに東京発のフェリーは競争率が高いのか。仕方無く別のルートを探すことにした。 「待てよ、災い転じて福と成す・・・か?」 そもそも、東京から直接フェリーで九州を目指すと、丸2日を洋上で過ごさねばならぬ。もし船旅が合わない場合、途中下船出来ない洋上2日間はツライものとなる。 仮にこれを、例えば大阪までは車で走るとすれば、洋上は1日で済むことになる。全行程をフェリーとするよりも、むしろこちらのほうが良いのではないか。 ただし大阪でも少し遠いと思うため、他に無いかと探してみた。 すると、新潟県の直江津から博多まで行く便があることが分かった。直江津までは、蔵王までと距離的には同じである。これを考えた時点ではまだ蔵王には車を走らせてはいなかったが、いずれはこれくらいの距離は走ることになるという気持ちがあったため現実的だと思われた。 直江津−博多のフェリーは「ニューれいんぼう・べる」と「ニューれいんぼう・らぶ」という姉妹船が2隻運行されており、総トン数1万トン、全長190m、速力25ノットとかなりのものである。 ここまで大きく速いと、揺動もほとんど無いと予想された。 個室設備がわずかにあるようだが高価である。残りすべてが2等寝台で、4人部屋となっている。まあ、雑魚寝の非寝台よりはかなりマシである(他にトラックドライバー用の部屋もあるが、一般客には提供されない)。 早速フェリー会社に電話を掛けてみると、空きがあったので予約を入れた。 ところが、往復割引があるとのことで、復路は2ヶ月前でなくとも予約が入れられることもあり、復路で狙った日は予約がいっぱいだった。仕方無く空いている日に予約を入れたのだが、九州での行動時間がかなり少なくなってしまった。 とりあえず、フェリーの予約から日程を割り振ると、以下のようになった。 8月13日(土) 三郷→黒姫高原→直江津港22:00発(フェリー泊)→ 8月14日(日) →博多港18:30着→小倉(泊) 8月15日(月) 小倉→スペースワールド→京都郡(泊) 8月16日(火) 京都郡→別府地獄めぐり→別府スギノイパレス→京都郡(泊) 8月17日(水) 京都郡→親戚めぐり→小倉→博多港22:00発(フェリー泊)→ 8月18日(木) →直江津港18:30着→三郷 早速、フェリーに乗ることを実家に連絡したところ、フェリーだと大変ではないかとの反応があった。しかしながら「夏の日本海を航行する大型船であるから揺れはほとんど無い」と説得し、何とか了解を得た。 むしろ、寝台特急や新幹線のように狭い空間に閉じこめられた状態よりものびのびとしており、暴れざかりの豚児も自由に走り回れるのが良い。 ただし天候によっては、大型船であろうとも大きなうねりによって揺動が激しくなる恐れがある。 --------------- ●8月13日(土) 1日目  <三郷→黒姫高原→22:00直江津港(フェリー泊)> この日は朝5時過ぎに家を出た。 通常であれば直江津までは4時間くらいの行程であり、フェリー乗り場まで20時までに着けば良いのだが、帰省ラッシュの影響を考えて早めに出たのである。 ヘナチョコ妻の知人家族の体験によれば、ゴールデンウィークに軽井沢まで車で行こうとしたところ渋滞で12時間もかかってしまったという。 まさかそこまで・・・という気持ちはあったが、もしフェリー手続きに間に合わなければ全ての計画が狂ってしまう。 仮に杞憂に終わり早めに着いてしまったとしても、途中で黒姫高原に寄り時間を調整出来るように考えておいた。 朝から雨が降り始めていたが、風はそれほど強くないように感じた。 高速道路は三郷JCTで乗ったが、関越自動車道に乗ると途中で渋滞につかまった。ノロノロ運転だけでなく、完全に停止することも多かった。 ふと見ると、ワイパーのブレードのゴムが途中で剥がれているのが見えた。 「くそ、このままワイパーを使い続けるとゴムが完全に剥がれるかも知れん・・・。」 渋滞での低速、そしてトンネルの多さに助けられ、何とか間欠ワイパーでやり過ごした。 途中、渋滞を抜けると雨が止み、陽が射してきた。片道1車線の区間が多くなったが、車の数も減ってきてスムーズに流れている。 そんな調子で黒姫高原に着いたのは13時近くであった。 ひとまずコンビニエンスストアに急ぎ、瞬間接着剤でワイパーのゴムを補修。その一瞬後、ビックリするくらいの土砂降りとなり、慌てて車に飛び乗った。まさに間一髪の補修であった。 その後コスモス園に行き、のんびりと食事をしてコスモスを眺めていた。 食事中から「BRONICA SQ-Ai」と超広角40mmで写真を撮り始めたのだが、スピードグリップを装着していたためストロボも装着可能で取り回しが楽である。 また、スポット測光可能なAEプリズムファインダーも装着している。これはアイレベルでの撮影が可能なため、豚児の素早い動きにも十分対応出来る。何しろ、アイレベルでは両眼で被写体を追うことが出来るが、ウェストレベルでは片眼でしか追えぬ。 <<画像ファイルあり>> このような重装備ではあっても、去年使用した「MAMIYA RB67」を思うと非常にコンパクトで操作性が良いと感ずる。ピント合わせも巻き上げもファインダーから眼を離すこと無く行える。 比べるとすれば、まさに天と地。手持ち撮影カメラとして考えると最強と言える。 (参考:雑文503「夏の帰省日記(1)」) 雨はしばらく止んでいたのだが、コスモス畑に行こうとしたところまた雨が降り、行く手を阻まれた。 コスモス園で土産物売り場を物色していたが、さすがにそれだけでは間が持たず、16時前に出発して道の駅「しなの」に寄ったりしたが、そこは基本的に物産店で居場所が無く、結局、高速道路に乗って直江津を目指した。 直江津市街へは17時過ぎに到着。 フェリー船内のレストランは出航するまで開店しないのだが、出航時間は22時であるため、フェリーで夕食を摂ろうとすると遅くなってしまう。そこで、イトーヨーカドー直江津店で夕食の惣菜を調達し、車中で食すことにした。 ところが狭い道の多い初めての街のため、カーナビゲーションシステムの画面を見落として道を間違えてしまい、グルグルと1時間近く走り回ってようやく到着した。時間的余裕があって良かったと言える。 そこでは餃子と稲荷寿司を購入。特に餃子は、独身時代にいつも近くのイトーヨーカドーで買って食べていたので懐かしい。 搭乗手続きは、出港2時間前の20時となっている。 イトーヨーカドーを出た時点では19時だったが、間が持たずそのまま乗り場へ向かうことにした。 港には貨物トレーラーなどが多くあり、徐行しながらフェリー乗り場を探した。 しかしライトアップされた巨大な船が建物の陰から現れたため、迷うことは無かった。豚児に「あの船に乗るぞ」と言うと、「早く乗ろう!」と騒ぎ出した。 フェリー乗り場近くには駐車スペースがあるようなのでそこに車を停めた。場所としてはかなり広いのだが、駐車用のラインがかすれて消えかかっており、本当にそこに停めて良いのかと一瞬思ったのだ。 しかし他の車も停まり始めたのでここで良いのだろう。 ちなみに自宅からここまでの走行距離は376km。黒姫高原や直江津市内等の寄り道があるため若干距離数が多い。 我輩はフェリー案内所で手続きを済ませ、チケットを受け取った。本日の搭乗船は「ニューれいんぼう・べる」とのこと。 そして、指示どおりに車のルームミラーに「博多行き」という荷札を外から見えるようにくくりつけた。 受付者の説明では、21時になると運転者は車を運転してフェリーに誘導され、一方同乗者は別に用意された連絡バスに乗ってフェリー登場口まで行くことになっているという。 フェリーの前に行って記念撮影しようと思ったが、その場の雰囲気が関係者以外立入禁止のような感じである。そのため、手早く撮ろうと三脚は用意せず手持ちで2秒のスローシンクロ撮影を行った。 もちろん、被写体が画面に占める面積が小さいことから、調光オートではなくマニュアル発光(フラッシュマチック)である。また、定常光の測光はデジタルカメラによるものである。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E-100G/FLASH とりあえず車内で夕食を食べることにした。 狭い車中だが、家族水入らずという感じは悪くない。 豚児に餃子を食べさせたが、一個頬張るごとに踊り出すので("美味い"というポーズらしい)あまり落ち着かなかった。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E-100G/FLASH 食後はやることが無いのでしばらくフェリー案内所に行ってみたり、そこで写真を撮ってみたりした。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E-100G/FLASH しばらくして「あと30分で搭乗だな」という頃に車へ戻ると、誘導員がそれぞれの車を回って「車を移動させて下さい。」と言った。 「そうか、やはりここは搭乗車の駐車スペースではなかったのだな」と思った。 我輩はヘナチョコと豚児を乗せて車を誘導されるままフェリー後部へ移動させた。 しかし雰囲気が違う。例えるならば、レースが始まる前にエンジンをかけて待機しているような状態である。もしかしてこのまま搭乗するのか?同乗者もいるというのに・・・。 急いで誘導員を呼び止めて確認すると、やはりこのまま乗り込むらしい。後部座席のヘナチョコと豚児のことを言うと、「えっ、同乗手続きを取ってあるんでしょう?」と言った。なに?手続きをすれば同乗出来るのか。しかし手続きをしていない旨を伝えると、誘導員たちは色々と話し合った後に「連絡入れておきますのでこのまま搭乗して下さい。」と言ってくれた。 帰りの便では、同乗手続きをすることにしようか。 しばらくして前の車が発進したため、慌ててエンジンを掛けて後に続いた。 フェリーの中は立体駐車場という感じで、あまり違和感は無かった。我輩の車は第3甲板に誘導された。 指定場所で停止しエンジンを止めると、係員が車止めを施していった。 フェリーに搭乗する機会もあまりないと思うため、船室に入る前に車の撮影を行うことにした。 そうは言っても、荷物も抱えている慌ただしい中ではデジタルカメラによる測光をするヒマが無く、定常光はAEファインダーの値を参考にして決定。ストロボは光が足りないためとりあえずフル発光を行い、不足分は恐らく定常光で補えるだろうと判断した。ただ、シャッタースピードが1/8秒と低速のため、手ブレには十分注意した。 引きが無いため撮影距離が近く、遠近感が強く出るのは仕方無い。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E-100G/FLASH 車から降り、フェリーに持ち込む荷物を抱えてエレベータを使ってホールへ上がった。 そしてそこから寝台番号65と66に到着した。その部屋には寝台が4つあり、我々の寝台は窓際に近いほうにあった。 我輩は何となく寝台番号66に入ったのだが、今思えば66判を連想させて興味深い。 この部屋には、我々の他に女性が1人入った。残りの寝台1つには誰も入らなかった。 我輩は、部屋に荷物を置いてすぐに豚児と大浴場に入った。 インターネットからの前情報によれば、風呂は出航前から開いているため、乗船してすぐに行けば空いているのである。 さすがにトラックドライバーが乗っているだけあり、背中にイレズミをした爺さんも入っていた。 風呂から上がって部屋に戻り、豚児には歯磨きをさせて寝かした。いつもよりも遅い時間のため、一瞬で眠りに落ちた。 我輩はPDA(携帯端末)を取り出し、キーボードを繋いで文章を打ち始めた。実はこの文章のうち半分くらいは船内で書いたものである。 その後間もなくして船全体が唸り出し、出航のアナウンスが流れた。 外を見ると、真っ暗な中に浮かんだ転々とした明かりがゆっくりと移動してゆく。 予想通り、揺れは全く感じない。ただ、エンジンによる振動が響いていた。 --------------- ●8月14日(日) 2日目  <→18:30博多港→小倉(泊)> 朝、7時くらいに目が覚めた。 寝台のカーテンを開けて窓の外を見ると、水平線が見えた。それ以外には何も見えない。 現在地点が全く分からないので、パーソナルGPSのスイッチを入れて計測してみる。すると、島根県沖を航行中であることが判明。隠岐の島が近くにあるはずだが目視出来ない。双眼鏡を使ってみたがやはり見えなかった。 速度を計ると44.8km/h(約24ノット)と出た。 空調はかなり効いており、暑がりの我輩ですら寒く感じ、クシャミ・鼻水も少し出た。 朝食はとりあえず、部屋に持ち込んだレーズンロールパンを3人で食べた。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E-100G/FLASH しかし前日の疲れからか再び寝入ってしまい、我輩と豚児は午前中をワープした。 昼近く、アナウンスがあり目が覚めた。食堂が開いたとのこと。営業時間は12時〜14時である。 すぐに行くと混んでいるかと思ったため、13時くらいに行った。 食堂は食券を買えばすぐに厨房に伝わるシステムで、料理が出来ると食券番号で呼び出される。 我々は、とんこつラーメンとカツカレー、そして魚フライ定食を注文した。 味と値段はそこそこであった。普通の食堂と何ら変わらない。 ここで、食事の様子を撮影してみた。画面の中心が抜けているので調光オートではなくマニュアル発光である。1/15秒でのスローシンクロであるが、座って撮影しているため安定が良い。 豚児の座っている正面に海が見えており、しきりに窓を指さして「見て、見て」とうるさい。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E-100G/FLASH 食後、甲板に出てみた。 天気も良く気分が晴れたが、風は非常に強かったため豚児の手を放すわけにはいかなかった。 我輩が双眼鏡を使っていると豚児が見せろとうるさいので貸してやると、対物レンズ側から覗いて「見えた見えた」と喜んでいた。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E-100G/FLASH 夕方になると、かなり九州に近付いてきた(GPSでの確認)。 船がゆっくりとした周期で横揺れ(ロール)しているのに気付いた。船室は船の中心から外れているため、上下に動いているような感覚である。歩いていると気付かないような小さな揺れだが、今まで全く揺れていなかったために少し気になる。大きなうねりがあるのだろうか。 少し頭が重いような気がするが、軽い船酔いなのかあるいは船室の寒さによるものかは区別出来ない。豚児は相変わらず元気に走り回っている。 18時近く、博多港接岸が近くなり、荷物をまとめて船室を出た。 船を出る時は、同乗者も一緒に車に乗ることになっているそうだ。そしてそのまま港を走り去ることになる。 この日は小倉に一人住まいしている我輩の母親と合流し、夕食を摂ることになっている。 19時近くにフェリーから出て、西九州自動車道、九州自動車道、北九州都市高速を通り、小倉の宿泊予定ホテルを目指した。 予定では1時間かからない行程なのだが、ホテルのチェックイン予定時刻は余裕を持たせて21時としてある。まあ、早めにチェックインしても問題無かろう。 陽は落ち、照明があまりない高速道路はかなり暗かった。多少渋滞もあり、予想以上に時間がかかりそうだった。また、出口付近に近付くと分岐や合流が複雑で(道を知っていても大胆なレーンチェンジをせねばならない)予定の経路を外れてしまい、到着が若干遅れた。結局、ホテルのチェックインは21時となり、ちょうど良い時間で逆に驚いた。 ホテルで母親と会い、そこから紫江's(紫川のほとり)の中華料理店で食事をした。 母親は我輩に「夕食くらいカメラ置いときー」と言っていたが、自分は自分でデジタルカメラで豚児の写真を撮っていたのが笑えた。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E-100G/FLASH --------------- ●8月15日(月) 3日目  <小倉→スペースワールド→京都郡(泊)> 朝起きてしばらくすると、我輩の母親が宿泊ホテルの部屋に朝食と豚児用のオモチャを持ってきてくれた。 この日は最終的に母親を車に乗せて京都郡(みやこぐん)の実家へ帰るつもりだが、その前に我々3人だけでスペースワールドへ行くことにした。この時期、スターウォーズ展もやっているようだ。 チェックアウトした後に車で母親をマンションまで送り、スペースワールドを目指した。 10年近く前、ヘナチョコと2人で正月のスペースワールドへ行ったことがあったが、かなり空いており、あるパビリオンでは我々2人だけの入場というものもあり寂しいものだった。今回はどうだろう。 駐車場へ着くと、そこは広大なスペースでどこに停めれば良いか迷うほど。まあ、朝なのでまだ客入りが少ないのだろうが、もしかしたら終日空いているのか・・・? とりあえず入場してみると、早速スターウォーズグッズの売店があった。しかし展示会場は中央部にあるので売店をパスして会場へ直行。 会場はかなり混んでおり、人の流れを遮ってしまう記念撮影も素早く行わなければならず大変であった。落ち着いてスローシンクロ出来なかったのが残念。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E-100G/FLASH 我輩はここで、映画館で資金不足で買えなかった書籍を買った。 スターウォーズコミックと、スターウォーズメカの図解本である。それなりに高価だったが、旅行気分のために思い切って購入した。 この日は快晴でかなり暑く、汗だくで体力消耗も激しい。休憩も兼ねてレストランで食事を摂ることにした。 15分ほど並んで席に案内され、我輩はカメラをテーブルに置いた。カメラは小型軽量とは言うものの、やはり35mmカメラに比べるとやや大柄である。1本柱のテーブルに考え無く置くと安定が悪いので気を遣う。 食後、何か乗り物にでも乗ろうと歩いていると、脇を物凄い音を立ててジェットコースターが走り抜けた。乗っている者たちの「キャーキャー」と叫んでいる声も聞こえた。このコースターは宙返りをしながら実物大スペースシャトルの前を駆け抜けるものである。結構な高低差でスリル満点。 豚児はそのジェットコースターを指さして「あれに乗ろうか」と言ったので慌てて子供用の乗り物へ連れて行った。 子供用の乗り物は幾つかあり、そこでヘナチョコと豚児の写真を何枚か撮ったのだが、全体の様子を写しながら同時に詳細を写し込む中判写真ならではの撮り方が役立つ。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E-100G 他にも色々と乗り物に乗せた後、強い日差しに疲れてきたので、観覧車に乗って帰ることにした。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E-100G/FLASH 観覧車のゴンドラ内は非常に暑く、備え付けのウチワで扇ぎっぱなしだった。しかしなかなか眺めが良く、洞海湾や若戸大橋なども見渡せた。数年前に登った皿倉山も背後に見えた(参考:雑文293「定点撮影」)。 地上に降りた後、駐車場に向かって行くと、朝にはガラ空きだった駐車場に車がビッシリと埋まっていた。なかなか凄い光景だった。 あまりに暑い日差しゆえに、車内に残していたカルピスウォーターがカルピス湯になっており、飲むと不味かった。 小倉の母親のマンションに行き、そこで皆で夕食を食べ、そして4人で車に乗り京都郡の実家に向かった。 さすがに田舎のほうは国道であっても夜が暗い。そのため、馴染みの道に気付かず曲がり道を行き過ぎ、多少大回りして町内へ入った。この町は街灯も少なく信号機すら無いのでスピードを落として注意して走行。ようやく、実家に着いた。 実家ではバアちゃんが出迎えた。豚児の曾祖母である。 夕食は済ませてきたが、巨峰や梨が大量に出てきてそれを食べて風呂に入った。 風呂から上がって部屋の中で気配を感じて振り向くと、壁に3cmくらいの小さなアシダカグモが歩いていた。いくら3cmとは言え、成長すれば大人の掌(てのひら)くらい大きくなる大型のクモである。我輩は少しビックリしてちょっと反応すると、そのクモは物凄い速さで走り去った。 その後トイレに行こうとしてスリッパを履こうとするとスリッパの下から何か黒いものが走り去ってどこかに消えた。我輩は動けず、しばらくして念のためにスリッパを踏んづけて様子をみた後にようやくトイレに入った。 寝るのが恐いな・・・。 --------------- ●8月16日(火) 4日目  <京都郡→別府地獄めぐり→別府スギノイパレス→京都郡(泊)> この日は別府に行く予定だった。 別府には「地獄めぐり」や「スギノイパレス」があり、アットホームな観光地としてぜひ豚児にも体験させようと考えた。我輩の母親も久しく別府に行っていなかったとのことで、今回の別府行きに同行することになった。 朝9時頃に家を出て、まず椎田有料道路を走った。途中料金所があったが、窓口を探すと無人であることが分かった。自動販売機のような受け口に小銭をジャラジャラ流し込み、ゲートを通過。そして国道10号線を経由し宇佐別府道路から別府入りし、まず地獄めぐりの龍巻地獄(間欠泉)、そして血の池地獄を廻った。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E-100G/FLASH その後、少し離れた鉄輪(かんなわ)まで車で移動し、山地獄、海地獄を見た。 山地獄ではゾウ、ラマ、フラミンゴ、サル、カバその他動物が飼育されており、小さな動物園という雰囲気である。 一方、海地獄ではオオオニバスや温室があり植物園という感じがする。 暑い日差しさえ無ければ、ゆっくりと散歩するように巡るのもまた良かろう。 海地獄の土産物店では、豚児が気に入った黄色いTシャツを我輩の母親が買ってやった。クマの絵柄がプリントされたもので、豚児は喜んでしきりに「クマさーん」と連呼していた。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E-100G/FLASH 写真を撮る際、日差しは強いものの光量は安定しているため、定常光はいったん設定してしまえばそれほど頻繁に変える必要は無い。帽子や日傘の陰になっている顔を照らすための日中シンクロストロボ光を調整するのみ。 広角レンズにより主要被写体の画面に占める面積が小さくなるため、調光オートではなく距離に応じて発光量をマニュアル調節するのが確実。 (※中判カメラでは35mmカメラのように被写体に接近しなくとも十分な情報量が得られるため、広角だからと言ってあまり主要被写体に近付き過ぎないほうが良い。そもそも被写界深度の浅い中判では、近付き過ぎは広角の情報量をスポイルしてしまう。) さて、海地獄を出る頃にちょうど昼食時となった。 海地獄の脇にある食事処に入り、我輩は大分名物のだんご汁のセットを注文した。豚児もこのだんご汁が気に入った様子だった。 豚児は、先ほど買ってもらった黄色いTシャツに着替えたいと言い出し、仕方無いので着せてやると「ほら見て!クマさーん」とかなり喜んでいた。母親も、買ってやった甲斐があったというものだ。 午後は、スギノイパレスへ行った。 ここはスギノイホールというホールにて出し物があり、例えば演歌ショーやマジックショーが行われており、なかなか家庭的で田舎っぽいところが心休まる(参考:雑文228「マジック・ショー」)。 また、土産物売り場も多く、ここで土産物のほとんどを仕入れた。 スギノイホールは、ちょうどショーが終わった直後で、残念ながら観ることは出来なかったが、ホールは休憩所でもあるので観客のほとんどが出ていったあとに寝そべってしばらく休憩した。 豚児は広い場所が嬉しいのかそこら辺を走り回ったり、寝ている我輩の上に飛び乗ったりしていた。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E-100G/FLASH しばらくして落ち着いた頃、2階にある「スギノイボウル」に寄ってボウリングをすることにした。 ここは子供用レーンがあり、ガーターにならないよう両脇にガードが設置してある。そのため、豚児でもそこそこ点数を稼いで楽しんだ。 豚児はボウリング初体験だったため、写真撮影には気合いを入れた。 光が足らずスローシャッターとなったが、手ブレの無いカットが1枚でも撮れるよう何枚もシャッターを切った。 これでうまく写真が撮れれば、良い想い出となるに違いない。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E-100G/FLASH 夕方になって帰路についた。途中で食事処を見付けてそこで夕食を摂った。 やはり実家に戻ったのは暗くなってからである。そういう意味では、近所の様子を明るいうちに見られないのは少し残念。 --------------- ●8月17日(水) 5日目  <京都郡→親戚めぐり→小倉→22:00博多港(フェリー泊)> この日は博多港からフェリーに乗って帰る予定だが、来た時と同じように夜の出航であるため、日中は親戚めぐりをすることにした。 最初に、バアちゃんの兄の家に行くことにした。もう実家には戻らないため車には荷物を全て積んだ。そして、我輩とヘナチョコ、豚児、母親、バアちゃんの5人が車に乗った。 今考えると結構な重量だと思うが、運転特性がそれほど変わらなかったのはさすがに普通車である。軽自動車ではかなりツライだろう。 ここでも何枚か写真を撮ったが、室内では超広角40mmレンズが役立った。「New MAMIYA-6」の広角50mmレンズでは画角的に厳しいシーン。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E-100G/FLASH その後、去年も訪れた叔母の家に行った(参考:雑文504「夏の帰省日記(2)」)。 ちょうど、叔母の娘(つまり我輩の従兄弟)が第二子を産んだとのことで、良い機会だと考えた。 豚児は、赤ん坊を不思議そうに見ていたが、「ちょっとつついてみな」と促すと、「あかちゃーん」と少し喜んだ。 豚児は主に上の子と遊んでいたが、その子がトミカやチョロQを持ち出して遊び始めたので我輩も混ざって遊んだ。チョロQはオシリにコインを挟んで走らせるのが慣わしだが、その子はそれを知らなかったようで、ウィリーや回転し始めたのを見て「すごいすごい」と喜んだ。 最後はその子と豚児の友情の握手をしたところを写真に撮った。地理的に離れた子供同士であるから、お互いに別々の場所で成長した後のことを考えると、これも良い記録となろう。 撮影としては、開けた場所ではないため普通に調光オートで撮影した。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E-100G/FLASH さて、バアちゃんはそのままタクシーで実家に帰り、我々3人と我輩の母親は小倉に出て伊勢丹で昼食を摂ることにした。 地下駐車場に車を停め、去年も行った同じ所で食事をした(参考:雑文503「夏の帰省日記(1)」)。 食後、オモチャ売り場に行き、我輩の母親が豚児にトミカのセットを買ってやった。我輩もそれに便乗して1台トミカを買ってもらった。もちろんこれは、シンちゃんのミニカーのように保存用である。 オモチャ売り場の前には子供の遊び場があり、そこでしばらく豚児を遊ばせることにした。 そこには他にも子供がおり、子供同士で遊具の静かな縄張り争いや駆け引きを見ることが出来、なかなか興味深かった。 撮影時はフラッシュマチックだが、距離が常に一定になるよう位置を移動しながら撮影した。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E-100G/FLASH 16時過ぎ、フェリー乗船前に車内で食事するための総菜を伊勢丹の食品売り場で購入。 この頃になると、帰る雰囲気が漂い寂しい気持ちになる。 そして17時頃、母親をマンションまで送り届けて別れ、そこから博多港を目指して高速道路を走った。 ところが福岡市内には入ったものの、カーナビゲーションには存在しない新しい道を通ってしまい、道の判断を誤り市街へと迷い込んでしまった。ナビゲーションが新しい道を示すものの、かなり強引な車線変更を強いられる道のため2度も同じ場所を回ってチャレンジしてようやく博多港に着いた。 余計な時間を食ったものの、余裕を持たせていたため到着は19時であった。乗船手続きは20時に間に合えば良い。 乗船手続き時には、同乗者の申請もしてみた。小さい子供と荷物のため、一緒に車で乗り込みたいという理由を付けた。 すると、あっさりとOKの返事。ただし、それだけ。何か証明書をもらったりメモをしたり連絡をしたりする様子も無い。その程度の問題だったのか・・・? 夕食は、来た時と同じように車内で食べた。 豚児は自分の食べたいものだけを指さして食べさせてもらおうとするが、旅行中なので大目に見てやった。何も食べないよりはマシ。そのおかげで、豚児の食べないものを選んで食べるのが手間だった。 今回乗船する船は、「ニューれいんぼう・らぶ」だった。 係留されている場所が見通しが良かったため、少し離れて三脚を立てて長時間露光にて撮影した。デジタルカメラを用いて撮影結果を確認。シャッタースピードは4秒となった。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E-100G チケットを見ると、前と同じく寝台番号65と66だった。往復で買うと同じ寝台番号になるのだろうか。あるは偶然だろうか。同じ寝台が空いているとは限らないため、人為的に同じ番号を割り振るのも難しいと思うのだが・・・。 今回は船の前のほうから乗船することになった。特に同乗者の確認も無かった。車でタラップを上り、更にその先にある急な坂を上って指示される場所に駐車した。そして、荷物を抱えてエレベーターで船室に移動した。 部屋には2人の初老の夫婦がおり、気楽に話しかけてきた。子供が好きなようで、その点はこちらも気が楽に思った。オイちゃん(デニス・ホッパー似)のほうは豚児に色々と話しかけてきたが、豚児は知らない人間には警戒心が強く、表情が硬くなり我輩の脚に抱きついてきた。 荷物を置いて一段落する間も無く、豚児を連れて大浴場へ急いだ。やはりこの時間では空いていた。我輩は自分と豚児を良く洗って風呂に入った。すると、風呂には同室のオイちゃんが入っており、「ちょっと水でうめてあげよう」と豚児のために蛇口を開けて水を入れてくれた。 やはり風呂上がり後間もなくフェリーは出航した。 空調は往路に比べて今回は寒くはなかった。正直、もう少し温度を下げてくれないかと思ったが、下着姿になればまあ涼しい。 疲れのため、この日は早めに寝た。 --------------- ●8月18日(木) 6日目  <→18:30直江津港→三郷> 朝、起きてGPSを確認すると、島根県沖を航行中というのが分かった。 そう言えば昨夜は横揺れ(ロール)を感じたが、この時点では気にならなくなっていた。九州辺りにはうねりがあるのだろうか。 朝食は持ち込んだパンを食べ、昼まで寝台でゴロゴロしたり、前日買ったトミカで豚児と遊んだりした。 そして昼になると食堂で食事をし、ラウンジのテレビで「フランダースの犬」を観た。 部屋に帰る途中、甲板に出てみようと思った。洋上は風が強いだろうと思ったが、意外にそれほど風は無く、豚児も広い場所が嬉しいのかメチャクチャに走り回った。 我輩はその姿を写真に撮ろうとしたのだが、撮影距離を固定したフラッシュマチック撮影のため、一定距離を保つよう自分自身が豚児の動きを同調させて走らねばならなかった。 もちろん、ピントリングにてフォーカスの微調整は行うが、一眼レフカメラの素早いピント確認が強みである。もし例年のように「New MAMIYA-6」などのレンジファインダーカメラを使っていたならば、画面中心部にしかピントが合わせられず、動体撮影は困難を極めたはず。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E-100G/FLASH その後しばらく寝台で昼寝をした後、夕方に目を覚まし、荷物をまとめたりしてダラダラ過ごした。夕方になればまた車で高速道路を走ることになるため、船内にいる間は頭のスイッチを切っている状態とも言える。 豚児は豚児で暢気に歌を歌ったりして同室のオイちゃんに「歌が上手いねー」などと褒められた。オイちゃんは船旅が好きな様子で、ことあるたびに「船は列車のように揺れることが無いので快適だ、船はいいねー。」と言っていた。 GPSの画面を見ていると、視覚的にあとどれくらいかということが分かって面白い。現在の船の状況が手に取るように把握出来るため、心の準備もしやすい。 18時頃、接岸直前に我々は同室の夫婦と別れ、車に乗り込んだ。車の中は蒸し暑かったが、閉じた空間のためアイドリングをすると排気ガスが充満するように思い、エンジンは発車直前までかけなかった。まあ、カーフェリーであるから換気設備などはありそうな気はするが。 車の中で豚児は「オジさんはー?」と言っていた。最初はオイちゃんを警戒していた豚児だったが、今頃になって慣れたらしい。見ると、斜め左のワゴン車にオイちゃんが乗っていた。 「オイちゃんはあそこにいるぞ。バイバイしろ。」 まあ、手を振ろうが何しようが、前方にいるオイちゃんの視界には入るわけがないのだが。 フェリーから出るのが少し遅れたことと、カーナビゲーション設定やガソリン給油などで多少時間がかかり、直江津で高速道路に乗ったのは19時であった。計算では、順調に走っても自宅に到着するのは23時以降になる。 そういうわけで、途中のどこかのサービスエリアで食事することにした。事前に調べておいた情報によれば、21時までやっているレストランが東部湯の丸サービスエリアにあるようだ。だが、レストランのオーダーストップが21時よりも早いと困るのでもっと早く着きたい。 ただそうは言っても、道路は明かりも少なく、しかも片側1車線であるためスピードを上げるのは危険である。道路の白線が消えかかっているところもあり、先の道路がどのように伸びているかが分かりづらい。 それでも、東部湯の丸サービスエリアには20時40分くらいに着いた。いちおう間に合った。 見ると、豚児は車内で眠っていた。今叩き起こしたとしてもボーっとしている状態で食べるスピードは確実に遅くなるだろう。それを思うと、レストランは諦めて隣の24時間営業のスナックコーナー(軽食コーナー)に入ることにした。スナックとは言っても、うどんやドンブリ物がある。 食後、引き続き夜の高速道路を走った。 関東に近付くにつれ、車線が少しずつ増え、片側3車線となった。照明も増えて走り易い。ただ、他の車も増えてきた。 途中、2度ほどサービスエリアに入って時間調整をし、午前0時からのETC深夜割引を狙ったのだが、「時間調整もしたいが、家にも早く帰り着きたい」という微妙な調整を見誤り、新座料金所では午前0時をわずか2分前で通過してしまった・・・。 途中、食料品の買い出しをしたため、自宅に到着したのは日付が変わって1時近くであった。 ところで荷物については、車だから大丈夫だと思っていたのだが、駐車場から自宅までは50メートルほど離れているため、その間を何度も往復せねばならないのは最後の苦労である。 豚児も熟睡しており、荷物の一つになってしまった。 <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/PS40mm/E-100G/FLASH 車のトリップメーターを見ると、「119km」と表示されている。高坂辺りで通算1千kmを超えたことにより、いったんゼロに戻ったたためだ。つまり、今回の旅で車で走った距離は1,119kmということになる。九州までの片道分に相当する。 それでも、フェリーを使わねば3千km近くにはなっていただろう。なぜなら、行き帰りの行程があるのはもちろんながら、フェリー出航時間に縛られることが無いために現地での走行距離も多くなっていたはずだからだ。 我輩は、最後の荷物を取り出してドアをロックした後、駐車場でエンジンがゆっくりと冷えていく車を見て、「ワイパーなどは危なかったがよく走ってくれた」と心から感謝した。 --------------- ●まとめ <フェリーについて> 今回の旅に於いて、大型フェリーでの移動は快適であることが分かった。主機によるビリビリ振動があるものの、列車のようなガタ揺れは無い。条件さえ良ければ、揺動は全く感じない。 ただし、天候に恵まれなければその評価は一変することになろう。最悪の場合、欠航により予定が大幅に狂う危険性も孕(はら)んでいることは忘れてはならぬ。 それでも、広いラウンジや食堂施設、休憩所、ゲームコーナー、売店、大浴場などもあり、リラックスした旅はフェリーでなければ得られまい。しかも車を持ち込めることは何よりの利点と言えよう。 <車について> 車の運転は危険と疲労を伴うが、大量の荷物を委ねられることと時刻表に縛られない運用が便利である。特に現地移動では重宝する。ただし裏を返せば、時間が読めないということでもある。渋滞に巻き込まれれば為す術が無い。 もし天候に恵まれるならば、フェリーで丸2日かかるとしても、もう少し自宅から近い場所で乗れる便で乗船したいところ。 ちなみにワイパーブレードは、BOSCH製新品を手に入れて交換した。接着剤補修ではブレードが片方向に寝てしまうため、ワイパー戻り時に刃が立ち異音がして拭きムラが出るが、新品に交換したことでスムーズになった。 <カメラについて> 今回、中判の一眼レフカメラ「BRONICA SQ-Ai」を用いたが、非常に使い勝手が良く、出番も多かった。フィルム消費も120フィルム19本(224カット)と撮影可能時間が短いわりには(例えば運転中は撮影出来ないため撮影可能時間は必然的に短くなる)撮影枚数が多い。 今まで旅行で使ってきたレンジファインダーカメラ「New MAMIYA-6」の場合、カメラの重量自体は軽く取り回しは楽であるものの、ファインダーの端でもピント合わせが可能な一眼レフの速写はレンジファインダーカメラでは不可能。最短撮影距離の長さの問題もあるためそれまでは撮影を諦めていたようなシーンでも、今回は積極的にシャッターを押させた。 スピードグリップとAEファインダーを装着したSQ-Aiは、まさに速写カメラとして我輩に最適なカメラであることを痛感した。 (※ただし35mm判のような被写界深度の深いカメラはパンフォーカスやゾーンフォーカスが使えるため、レンジファインダーカメラのほうがスナップや動体撮影に向いている場合がある。一方、中判では魚眼レンズでさえピンボケの可能性があるため、パンフォーカスなど余程絞らねば無理な話。) また集合写真がある撮影では、ある程度シャッター音が大きくなければタイミングが取りづらい。その点、一眼レフの作動音は明瞭なのが良い。自然な表情をジャマするという意見もあるが、子供はそのうち慣れてしまうものであるから心配無用。タイミングを取ろうとした時に取れないのは問題である。 ---------------------------------------------------- [550] 2005年09月02日(金) 「プロ・アマの評価方式」 某所に、我輩の所属する会社が出力センターを出店することになった(我輩は現在出向中だが、これは出向元の会社の話)。 聞けば、そこの店長は我輩と顔馴染みの社員のようだった。 そこで会社帰りにそこへ寄ってみたところ、確かに店長はその男であり、しばらく雑談した。 その時に話が出たのだが、「この店舗の紹介を社内誌に載せるということで写真を撮ろうとしているが、その写真を撮ってくれないか」という依頼だった。 店長は我輩が写真をやっていることは知っている。いやむしろ、「我輩と言えば写真というイメージしか無い」とのこと。そこまで言われて断ることは出来ぬ。 次の日、我輩はデジタルカメラ「Canon EOS-D30」と28-80mmズームレンズを持参した。 店内には店長以下4名おり、カウンターに集まったところを撮影した。幸いにも天井が白く、ストロボバウンスが可能だった。アクセント光として弱いストロボ光をダイレクト照射して陰起こしとキャッチライトを入れた。 その結果、自然な雰囲気とメリハリのある良い写真が撮れた。 店内の様子の写真は、外が見える角度で撮る際に、定常光(外)とストロボ光(室内)のバランスが取れるよう調整した。 これもまた、なかなか良い具合に撮れた。 さて、店舗外観写真については、ズームの広角側28mmでは画面内に収まり切れなかった。よく考えればAPSサイズのデジタルカメラであるから35mmカメラの画角よりも少し狭いのであるが、まあどちらにせよ完全に画面には入り切れない状態。 かと言って後ろに下がると、道の両側にズラリと並んで停まっている路上駐車の車がジャマして店舗入り口が隠れてしまう。 そこで、雑文463「SFX(特殊映像効果)」でも実施したように、分割写真を撮って一つに合成することを考えた。 しかしながら、若干見上げるアングルのため、各写真が遠近感のために歪み、それぞれの継ぎ目がかなりズレてくるものと予想した。実際、雑文463ではその点に最大の苦労があった。 今回は、なるべくオーバーラップするところを増やして多くのカットを使って合成しようと考えた。そうすれば、1枚1枚の継ぎ目補正も軽微となり作業が容易になるであろう。 実際の撮影では、10数枚のカットを撮影。その時点では巧く合成出来るか分からないのが不安だったが、早速持ち帰り画像合成を試みた。 合成作業はかなり大変であった。 前回は単純な絵柄の4枚の写真を合成しただけだったのだが、今回はビルが建ち並ぶ中での店舗写真である。縦横の線が傾いたり歪んだりしているとかなり目立つため、変なところで妥協が出来ない。 しかも10数枚の画像をレイヤーで重ね合わせていると、パソコンの処理スピードが低下して効率が上がらない(その時はメインパソコンが使えず事務用のノートパソコンで行なっていた)。 それでも結果的には、何とかシロウトを誤魔化せるまでに調整することが出来た。 それら集合写真、店内写真、そして店舗外観合成写真をメール添付で送ったところ、「すごいすごい!」との返事。「写真撮影もプロだし、合成テクも凄いよ!」とのことだった。 その評価はホッとしたと同時に、嬉しくもあった。 しかしよく考えれば、もしこれがプロの仕事だとしたら、これほどまでに喜ばれた仕事だろうかと考えた。 プロと言われるのは、仕事をしてその対価を受ける者たちのことを指す。それは、ここで我輩が言うまでも無いこと。 では、その評価は? 我輩が感ずるに、プロというのは、仕事が出来て当たり前ということである。出来なければ、それは失点となる。つまり、プロの評価は"減点方式"と言えよう。 一方、アマチュアに対する評価は、上手く行くと評価される。いわば"加点方式"と言える。 加点と減点では、評価をそのまま比較するのは公平ではない。 もしプロとアマを比べることがあれば、その点を留意する必要があろうかと思う。 カッコつけプロカメラマンやコンセプトの無いCG/DTPプロの嫌いな我輩でも、評価方法の違いによる不公平さはプロに同情申し上げる。 ---------------------------------------------------- ダイヤル式カメラを使いなサイ! http://cam2.sakura.ne.jp/