「カメラ雑文」一気読みテキストファイル[451]〜[500] テキスト形式のファイルのため、ブラウザで表示させると 改行されず、画像も表示されない。いったん自分のローカ ルディスクに保存(対象をファイルに保存)した後、あら ためて使い慣れているテキストエディタで開くとよい。 ちなみに、ウィンドウズ添付のメモ帳ごときでは、ファイ ルが大きすぎて開けないだろう。 ---------------------------------------------------- [451] 「大撮影会」 [452] 「下駄の鼻緒写真」 [453] 「毒のあるジョウ」 [454] 「MF派でない宣言」 [455] 「中判フィルムスキャナ」 [456] 「中判フィルムスキャナ(霊感と汗)」 [457] 「出張」 [458] 「並木道」 [459] 「単3電池の重要性」 [460] 「我輩は芸術家ではない」 [461] 「タムロンには気を付けろ」 [462] 「10年目」 [463] 「SFX(特殊映像効果)」 [464] 「オークション(3)」 [465] 「EOS7にすべきか、EOSKiss-Dにすべきか」 [466] 「大撮影会2(野外編)」 [467] 「大撮影会2(スタジオ編)」 [468] 「第九演奏会」 [469] 「それでもデジタルカメラ」 [470] 「次のデジタルカメラ(前編:それまでの遍歴)」 [471] 「次のデジタルカメラ(後編:今回購入した経緯)」 [472] 「ダイヤル式EFカメラ」 [473] 「現実を見ろ」 [474] 「ステレオ調査」 [475] 「スキャンしないスキャナ」 [476] 「液晶表示を活かす」 [477] 「一期一会(2)」 [478] 「自分だけの視点を突き詰めろ(2)」 [479] 「大撮影会3」 [480] 「ビデオカメラ」 [481] 「写真の情報量(蔵王のお釜)」 [482] 「今さら」 [483] 「規格に則ったもの」 [484] 「初心に還る」 [485] 「代カメ」 [486] 「仕込み」 [487] 「写真の価値」 [488] 「最先端カメラ志向(前編)」 [489] 「最先端カメラ志向(後編)」 [490] 「写真をナメてるな」 [491] 「不確定性原理」 [492] 「答だけを求めるな」 [493] 「蔵王のお釜(4)-1」 [494] 「蔵王のお釜(4)-2」 [495] 「理屈」 [496] 「いつも歩いた道、いつも歩いている道」 [497] 「鬼の目にも涙」 [498] 「定点撮影(豚児編)」 [499] 「ヒストグラム」 [500] 「今年の帰省計画」 ---------------------------------------------------- [451] 2003年11月06日(木) 「大撮影会」 ●それまでの経緯 我輩は、独身時代に何度か横浜のほうで撮影会に行ったことがある。 こじんまりとした撮影会で、モデルは1人、参加者3〜4人。主催者O氏が街でスカウトしてきた素人女性を皆で囲んで撮るという、極めてアヤシイ内容だった。 当時はインターネットはおろかパソコンやウィンドウズすら普及していない時代であるから、撮影会の案内は月に1度郵送されてくる封書のみ。そこには当月の撮影会開催予定が、当時のワープロ特有のギザギザ文字で印字されており、別紙として参加予定のモデルの写真がモノクロコピーで添付されていた。 <<画像ファイルあり>> <再現イメージ> モノクロコピーの写真は中間調が失われているため、白く飛んだり黒く潰れたりしてモデルの顔がよく分からないこともあった。 しかしそこに想像力を働かせてモデルに会うまでイメージを膨らませたりしたものだった。 素人モデルということもあり、気に入ったモデルを見付けてもなかなか二回目以降の縁が無いことが多かったのは残念だが、東京に出てきたばかりで知り合いも少なかった当時の我輩としては、写真そのものよりもそういう活動自体が楽しかった。 人数が少なかったため、参加者たちとも名刺交換などやった。そう言えば主催者O氏にも色々とお世話になったものだ・・・。 またその頃は、カメラやレンズを新規購入した時に機材のテストとして、大手写真サークルの主催する撮影会にも参加した。そこは会員でなくとも受付で2〜3千円ほど払えば参加出来るのが手軽だった。 モデルは10人以上、参加者は100人を越えた大規模なもので、様々なモデルをハシゴして新しいカメラやレンズのテストをしたことを思い出す。 それはつまり、雑文154「女は好きか」で言うところの<カテゴリ2>の写真を撮っていたことになるか。 それらの写真(ポジ)は今も手元にあるが、ひとまとめにして箱の中で眠っている。他の写真のようにバインダーファイルには整理していない。 なぜならば、それらの写真にはあまり愛着を持っていないからである。 やはり女を撮るからには、それが気に入った女でなければ写真的価値を自分自身が見出せまい。ましてや趣味の写真ならば。 一方、我輩がヘナチョコ妻と出会ったのはヘナチョコがまだ30代半ばだった。 その頃はヘナチョコもそれなりに化けていたものだったが、写真を撮ることはあっても撮影会とは違いスナップに終始するため、雑文154「女は好きか」で言うところの<カテゴリ3>の写真ばかりである。 当然ながらストロボ光直当てで、柔らかい光など望むべくも無い。確かにナマナマしさはあるものの、そういった写真ばかりでは、せっかく機材を揃えても意味が無い。こんな写真などコンパクトカメラでも十分撮れよう。 <<画像ファイルあり>> <まだ30代半ばのヘナチョコ> 今となってはヘナチョコも40代となり、中判のクオリティで撮影すると逆効果となりどうにもマズイ。しかも夫婦という緊張感の無い関係により、下手に注文を付けるとすぐにヘソを曲げ、場合によっては日常生活に支障をきたすことによりモデルとしては扱いが非常に難しい。 ところで5年くらい前には、勤務先に友人Mという遊び人の女性がおり、顔とスタイルが良いので時々モデルになってもらっていた。まさに雑文154「女は好きか」で言うところの<カテゴリ1>の写真で、なかなか撮り甲斐のある存在と言えた。 残念ながら我輩とは性格が全く違うために恋愛関係とはなり得ない存在だったが、友人としてはノリが良くモデルとしても積極的だった。 ところが遊び人のくせに結婚などして退職してしまい、それ以降は1回くらいしか撮影していない。 最近連絡を取ったところ、離婚・再婚・出産と立て続けのイベントに忙しそうであった。まさにMらしい人生で笑ってしまったが、子育てというのは当分の間大変であるから、もはや撮影は無理だなと悟った。 (誘えば来るだろうが、さすがに子連れ・旦那連れでは撮りにくい) <<画像ファイルあり>> <友人M> ●出会い そんな時ふと、インターネット上であるポートレート写真が目に止まった。ある撮影会で撮られた写真だった。 「こ・・・、このモデルは・・・?」 そのモデルは、見れば見るほどELT(Every Little Thing)のボーカルの持田香織にそっくり。 ここでモデルの名前を出すと、検索に引っかかり所属事務所からクレームを付けられる恐れがあるため、ここでは仮に「H嬢」と呼ぶことにする。 以前、雑文087「モデルにするなら」にて「持田香織のようなクセのあるモデルを緊張感を以て撮りたい」と書いた。 (こんな書き方をすると持田香織に失礼かも知れないので、持田本人には内緒にしておいてくれ。) H嬢はさすがにキャンペーンガールというプロらしく、写真に写っている表情やポーズは絵になっている。笑顔も良く写っている。だがそれだけに、緊張感のある写真という観点で見れば、全く反対の位置にある。 そうは言っても、複数の撮影者を相手にする撮影会であるから仕方無い。一対一の撮影ならば妙な注文も言えるだろうが。 まあ、気に入ったモデルさえ見付かれば、気長に撮影会に参加すればそのうちふとした表情を狙えるチャンスもあろう。 そもそもモデルがいなければどうしようもない。まずは、モデルが見付かって良しとしよう。 撮影会の日程をホームページ上で確認すると、ちょうど一週間後の週末に開催されるものがあった。H嬢を含めて4人のキャンペーンガールが参加する。1部〜4部まで分かれ、1部は野外、2〜4部はスタジオでの撮影となるそうだ。 早速、事務所に電話して予約を入れた。1部の野外は天候など不確定な要素があるのでパスし、2部〜4部のスタジオ撮影のみで申し込んだ。電話のついでに疑問点も幾つか確認した。 それによると、撮影距離はおおむね3メートル、光源はデイライト、4人いっぺんに撮影するのではなく、2人ずつ交互に入れ替わり着替えをするとのこと。 ポートレートはクオリティを優先させたいため、今回は是非とも中判にて撮影したい。望遠レンズによるアップでの撮影も当然考えているので、一眼レフ形式の「BRONICA SQ-Ai」を使うことになる。 レンズは望遠180mmと広角65mmを持って行くことにする。 ところで、フィルムは120フィルムで12枚撮り。これで何枚も撮影するとなればかなり厳しい。NewMAMIYA-6のようなカメラでは35mm判と同様な形式でフィルム交換は迅速に行えるが、BRONICAのようなフィルムバック形式のものはそれなりに時間がかかる。 あらかじめフィルムを装填しているフィルムバックを複数用意しておけば、フィルムバックを交換するだけで次の撮影に移ることが可能なのだが、1つあたり12枚撮りと少ないのは致命的。下手をすれば、撮影会の間ずっとフィルム交換に忙殺されることにもなりかねない。 「待てよ、120フィルムではなく220フィルムならばどうだ?」 220フィルムであれば、66判で24枚撮りである。もし2つのフィルムバックを使えば、48枚の撮影を連続して行える。35mmカメラであれば巻き戻す時間が必要になるが、BRONICAだとフィルムバックの中枠だけを交換すれば10秒もあれば良い(もちろんモータードライブによる給送前提)。 BRONICAはもう生産中止であるから、中古でも程度の良い物を手に入れるなら今しか無かろう。この際、良い機会であるからと、220フィルムバックを2つ中古で購入した。まとめて3万5千円だった。 フィルムは馴染みのKodak EPPにしようかと思ったが、なぜか220フィルムではE100Gのほうが安かったためこれを3パック(15本)購入した。 さて、カメラのファインダーはウェストレベルではマズかろう。ウェストレベルタイプはファインダー倍率は大きいものの、モデルへの視線が送れないため、この場合は不適当である。45度プリズムファインダーも微妙であるから却下。結局、通常のプリズムファインダーで行くことにした。 モータードライブ、望遠レンズ、プリズムファインダーを装着したBRONICAは、かなりの重量となり手ブレが心配になってきた。 スタジオで定常光での撮影は、どれくらいの露出だろうか? ブレ防止として色々と考えたが、今回はテーブル三脚(ミニ三脚)を自分の胸に押し当てて使うことにした。 ●撮影会当日 撮影会当日、天候はそこそこだった。 まあ、我輩はスタジオ撮影のみの参加であるから雨でも問題無いが、1部の野外で雨に降られてはモデルたちもあまり良い気がしないだろう。 初めての場所ということもあって時間を見誤り、スタジオ入りしたのはギリギリだった。 中に入ると、複数の視線を受けた。参加者らしき者たちが15人ほどスタジオの隅に座っている。我輩は勝手が分からずにいたが、受付の時間になったらしく受付の者が現れ、そこで2部〜4部の参加費1万9千円を払った。この値段でも、事前予約・3部通しの割引価格なのだが、やはり高いな。しかし4人のモデルで15人の参加者では、これくらいの金額でないと元が取れないのだろう。 受付を済ませた後、我輩は皆の居る場所に行き、早速カメラのセッティングを始めた。チラッと見ると、皆は35mm判一眼レフやデジタル一眼レフを持っていた。どうやら、中判は我輩一人らしい。 フィルムは事前に装填しておくとクセが付くので撮影直前に装填することになる。その場でモーター巻き上げしていると、ジャガジャガと凄いモーター音が響き渡る。気まずい・・・。 さて、しばらくするとモデル4人が現れ自己紹介を始めた。 それが終わると2人が残り、撮影が始まった。H嬢は次になるようだ。ちょうど良い。最初に露出を計っておき、H嬢の登場に備える。 露出は、ISO100のフィルムで1/30秒・F4.5・・・か。この絞り値は、我輩の望遠レンズの開放値であり、これ以上絞りを開けることが出来ない。1/30秒ではブレが怖いが根性を入れて何とかしよう。 実は、220フィルムの他に数本の120フィルムとそのフィルムバックを持って来た。というのも、120フィルムで試し撮りをしておき、そこで露出の過不足が判明すれば、本番のフィルムの現像時に増減感にて調整するつもりである。 スポット測光で露出を計り、念のためにデジタルカメラで撮影して確認した。そして120フィルムにて数枚撮影。それが済むともうやることが無い。H嬢が出てくるまでの間、カメラバックの置いてあるところへ戻り、床に座って一人で待った。 モデルの2人は、広いスタジオの中のそれぞれ別の場所に分かれてポーズをとっている。そしてある程度時間が経つと、2人は場所交代をする。 その後、次の2人と交代するというパターンであった。 ようやくH嬢の二人組に入れ替わった。 我輩はカメラを首にかけ、早速シャッターを切った。 「バシャンギャイーン!」 もの凄い音だった。 周りの静かな撮影音に混じって我輩のワイルドな音が響く。注目度はバッチリか・・・と思ったが、H嬢は我輩の騒音にもめげず、皆に対して均等に目線を送っている。くそ、さすがにプロだな。 しかししばらく撮影していると、H嬢が視線を送ってくる時間が少しずつ長くなってきた。 これは我輩の想像に過ぎないが、我輩が他のモデルを全く撮っていないということにH嬢は気付いたのかも知れない。 我輩の騒音が大きいため、そのことに気付いても不思議ではないだろう。 いくらプロのモデルであろうとも、自分だけを撮っている人間がいると分かれば、少しはサービスしたくはなろう。それが人情というもの。何しろ、我輩以外の撮影者は皆、複数のモデルを掛け持ち撮影しているのだ。 まあ我輩も、フィルムの余裕さえあれば撮影したいと思うモデルは他にも1人いた。だが今回は、フィルムの余裕が全く無い。1部ごとにフィルム消費上限を決めて計画的に撮影しているのであるから、最初から他のモデルを撮影する余力が無いのが実情。 しかしよく考えると、H嬢は(持田香織もそうだが)目線を横に向ける顔に強い特徴があり、それがなかなか良い。単純に我輩に視線が送られても写真的にはあまりメリットは無いと気付いた。それに気付くのが遅れてしまえば、同じような写真ばかりで味気なくなるところだった。 我輩は、他に視線を送るタイミングでもシャッターを切るよう努めた。H嬢はさぞかし気が散ったろうと想像する。何しろ、横でバシャンギャイーン!バシャンギャイーン!と音が鳴っているのだから。 そうこうしているうち、2部は終了した。 時計を見ると、なぜか15分ほど早く終わった。なぜだ・・・、フィルムが事前の計算よりも余ってしまった。 不思議に思っていると、モデルたち4人は受付のテーブルの前に並んで座り、撮影者たちがその前にモデルごとに4列に並んだ。我輩がふと周囲を見渡すと誰もいない。撮影者は皆、受付のほうに並んでいるではないか。 「な、なんだなんだ?!」 我輩は一人取り残され狼狽(うろた)えた。 見ると、皆はグラビア雑誌や前に撮影したであろうプリント写真などを手にして、モデルたちのサインをもらい始めた。 「サイン会か! い、いくら何でもそこまでミーハーにはなれん。相手は二十歳前後の小娘だぞ・・・。」 H嬢は最近19歳になったばかりと聞く。 だが冷静に考えれば、この撮影会のモデルはそこそこメディアに取り上げられる有名人である。最近テレビでの活動が活発な吉岡美穂なども、キャンペーンガールとして撮影会によく登場していたというから、この中から第二の吉岡美穂が現れても不思議ではない。そういう意味から、今のうちにサインをもらっておいて損は無いとも言える(我輩は関心無いが)。 今までの撮影会とは違い、まさにビッグな「大撮影会」であった。 サイン会が終わるとしばらく休憩時間となった。 次の3部まで皆と同じように床に座っていると、入り口から2人入ってきた。そのうち1人は鼻ヒゲと丸メガネとタートルネックの出で立ち。画家かと思えるその風貌に、「このスタジオに出入りするプロカメラマンなのか?」と思った。しかし受付で金を払っていたので、一般参加者らしいと分かった。我輩はその男に"アーチスト"と名を付けた。 続いて次の部が始まった。モデルたちは水着で現れた。 今度も同じように2人ごとに撮影が行われた。そして我輩も、先程と同じようにH嬢のみを撮影した。今度はサイン会の時間を見込んで撮影ペースを上げた。 見ると、アーチストがモデルに接近し、「はい、じゃあ軽く横を向いてみようか」とインスタント写真を撮っていた。指示の仕方に貫禄があり、タダ者ではない雰囲気を醸し出している。 インスタント写真のカメラ名は分からなかったが、スプリングカメラを大きくしたような、蛇腹の目立つカメラだった。 アーチストはピールアパート(peel apart)式のフィルムをバリッと剥がし、写真の出来具合をフムフムと確認。まるでプロのアーチスト系カメラマンの雰囲気。 しかし本番撮影用はなぜかNikonのAFカメラ(F100?)で、アーチストな外見とのギャップを感じた。彼ならば二眼レフが似合いそうに思うのだが。 そうこうしているうち、3部も終わった。1時間近くだがあっという間に感ずる。 やはりこの後もサイン会が行われた。 驚いたことに、アーチストもサイン会に並んでいるではないか・・・。我輩はその貫禄に一目置いていたのだが、結局はミーハーだったか。 今度のサイン会でも、我輩は一人でカバンの場所に座って待っていた。 最終の4部。 モデルたちはレースクィーンの格好で現れた。 4人ともなかなか格好良く、それぞれ撮ってみたいと思ったが、フィルムの制約があるため断念した。それに今さら他のモデルを撮ってH嬢の心象を悪くしたくない。 他のモデルを撮ることは普通の行為なのだが、それをしなかった者が急にそうなると、裏切ったかのように見えるだろう。 それにしても、どうもライティングが良くない。壁面に影が2つも映ったりするのは序の口。明るい表情のモデルに意味ありげにタングステン光を当てたり、硬い光で照らして影を強くしたり・・・。ひとことで表現すれば、「奇をてらっている」とでもいう感じか。まさか、スタジオマンの練習なのか? そう言えば、毎度のサイン会の時に我輩はライティングしているところをジッと見ていたのだが、どうも試行錯誤の時間が長く、その場で適当にやっているように感じた。もし事前にライティングが決まっているのならば、すぐに組み立てることが出来るはず。 まあ、我輩を含めて皆がモデル目当てであるから、参加者主催者双方にこだわりは無いのかも知れないが・・・。 4部が終了した後、我輩はスタッフに「自分のホームページで写真を掲載して良いか」と尋ねた。そもそも個人のホームページでH嬢の写真を見て知ったのだから、出来ないことではあるまい。 すると、掲載する写真を審査して許可を出すとのこと。そうだろうな。有名人の卵であるモデルたちであるから、パンチラ・ムネチラの写真など撮られて掲載されてはモデルのイメージが傷付く。そうなれば商品イメージを重視するCMなどへの出演の道が閉ざされてしまう。 後日、フィルムを現像してみて驚いた。 なんと、ほとんどのカットが微妙にブレていた。 「あんなに気合いを入れたのになぜだ・・・?!」 よく見ると、被写体ブレと手ブレのミックスされたものだった。やはり、1/30秒では無理があったか・・・。 室内ではストロボしか使わない我輩にとって、ブレは初めての経験だった。 予定では、採用カットは200枚得られるはずだったが、結局30枚にとどまった。露出は全て完璧だったものの、ブレていれば使えない。本当に悔しい。 ・・・まあ今回は、モデルが見付かったということで良しとしよう。 ちなみに、今回掲載しようと思う写真は20枚。その写真を主催者に申請して許可を得、我輩の写真掲載サイトにて公開する予定。 ただし、ここで撮影会を特定されると雑文の内容ゆえ苦情が来る恐れもあり、期待させておいて悪いのだが当サイトからは当面リンクしない方針。 ---------------------------------------------------- [452] 2003年11月09日(日) 「下駄の鼻緒写真」 以前、雑文296にて「エレベータの中で鏡の壁に向かって撮った写真に謎の手が背後に写っていたというが、それは明らかに本人の手の影だった」と我輩は断言した。 これは、テレビ番組の心霊写真コーナーで紹介された写真についての我輩のコメントだったが、最近、この写真をテレビ画面ではなく印刷物で見る機会を得た。 それを見ると、実はその手は明らかに実体感を持っており、とても影などとは言えないことが判明した。テレビで見た時は真っ黒な影にしか見えなかったのだが・・・。 これにはさすがに我輩もビックリした。 影ではないとすれば、誰かが後ろで手だけを出したか、あるいは本当に心霊写真か・・・? 霊障が怖いので写真掲載は無し ところでそうは言っても、心霊写真とされているものを見てみると、やはりほとんどが不鮮明なものや無理なこじつけが多い。 もちろん写真に写った本人にしてみれば、少しでも人の顔に見えるものが写り込んでいると気持ちが悪いだろう。だから念のために、心霊研究者と呼ばれる者の所へ写真鑑定の依頼をする。 ところが心霊研究者は、何でもかんでも心霊写真だと鑑定し、依頼者の不安をよりいっそう煽る。 確かに、いくら説明の付く写真であろうとも、それが即「心霊とは関係無い」ということには繋がらない。 雑文296でも書いたとおり、昔の人間は下駄の鼻緒が切れた時に不吉なものを感じた。 下駄の鼻緒が切れるなどという現象は別段不思議なことではない。まさかそれがアミラド繊維で作られた鼻緒で、絶対に切れることがないというならば不思議ではあるが、通常の繊維ならば使っていればいつか切れるもの。 しかし、その現象が他の事柄に同期(シンクロ)しているならば話が違ってくる。 そういったことを心霊研究者たちは「シンクロニシティ」と呼び、現象そのものの特異性よりも、それが現れたタイミングに着目し、そこから異世界からのメッセージを受け取ろうとした。 心霊写真の場合、もしそれが本当に心霊写真であったとしても闇雲に騒がず、少なくとも、霊の姿が直接現れたのか、それとも日常的な現象がシンクロニシティを以て現れたのかという区別はしておきたい。 我輩は、日常現象を以て説明の付く写真を「下駄の鼻緒写真」と呼んでいるが、ここでは、心霊写真と呼ばれる幾つかの例(霊?)を挙げ、それが霊体の写真ではなく、あくまで「下駄の鼻緒写真」でしかないということを示していこう。 その後、この写真が霊的なものであるかそうでないかという判断は、見る者に委ねられることになる。 我輩はここでは、どんな写真も霊的なものであるかそうではないかということを断言するつもりは無い。ただ、写真的に説明が付く範囲のことについて述べるに過ぎない。 まず最初の写真は、観光地の滝で撮られた写真である。 シチュエーションとしては、いかにも霊が写り込んでも不思議ではないと言える。話を聞いただけでも、自殺した霊がウヨウヨしているのを感じるかも知れない。 実際に写真を見ると、子供の背後に何か人の顔のようなものが覗いている。 <<画像ファイルあり>> 子供の背後に顔が・・・ まず疑問点として、母親の左ヒジは子供の尻の部分にあり、深く抱いていることが分かる。そうなると当然ながら、向こう側にあるはずの右腕も深く抱くことになり、こちら側へ右手が出ているに違いない。しかしなぜか、その右腕が見あたらない。子供の背中に添えられているわけでもない。 しかも、母親の姿勢が妙に後ろにのけぞっているのが気になる。まるで、片腕で子供を抱えたかのよう。 この霊の顔は恐らく、母親の右手がブレて写ったものだと思われる。片手で子供を抱えたまま右手で髪を整えたか、あるいは顔でも掻いたか。そのブレ具合は、ちょうど右ヒジがあると思われる地点を中心とした円弧を描いている。背後の滝のブレ具合からも、シャッタースピードが比較的遅いことが分かるし、この画像では見えないだろうが写真全体も微妙にブレている。 やはりこれは、「下駄の鼻緒写真」と言うべきか。 次の写真は、子供と一緒に父親が風呂に入っている写真である。 本文解説には、「これは人間ではなく爬虫類の霊の目である」と書かれている。確かにそこには、目のようなものがこちらを見ている・・・。 <<画像ファイルあり>> 人間の目ではなさそう・・・と書かれているが だがよく見ると、右下に紫色のチューブのようなものが伸びているのが分かる。これは何だ? 恐らくこれは、ホースの類ではないかと想像する。そこから湯が出ているのか、あるいは熱すぎる湯をうめるために水を流し込んでいるのか。いずれにしても、多少の泡は出てくるに違いない。 つまり、これは泡ではないのか? そこで、実際に同じようなシチュエーションで写真を撮ってみることにした。 <<画像ファイルあり>> ストロボ一発の写真だが、やはり同じような写真が得られた。上の写真では水面が荒れていることから、泡が発生しても不思議ではないと思える。 例えこれが爬虫類の霊の目だとしても、我輩が適当に撮って得られるのであるから珍しい写真とは言えない。 つまり、爬虫類の霊は日常的にどこにでも存在するということになろうか。写真を撮れば必ず現れてくれるのだから。 結局、これも「下駄の鼻緒写真」であった。 次の写真は、普通の人間の身体についての異変である。 写真に写った指が妙に長いと言うのだが・・・。 <<画像ファイルあり>> 指が変・・・?! どう見ても不思議とは言えない。そのことが我輩にとって不思議な写真だと言える。 試しに、ヘナチョコ妻をモデルにして同じような角度から写真を撮ってみた。 <<画像ファイルあり>> 「ヘンな指でスミマセンねぇ」 結論としては、どうにもよく分からない。何が変なのかが分からない。 これこそ、全くの日常写真である。 「下駄の鼻緒写真」とさえも言えないように思えるが、心霊研究者は「この人の性格が写真に現れたものだ」と結論付けているから、何かの霊的な意味があるんだろうな、きっと・・・。 次の写真は、札幌のイルミネーションにて写した記念写真である。 そこには、雪に混じって無数のドクロが舞い降りているのが写っているという・・・。 <<画像ファイルあり>> ドクロ舞う札幌の夜 確かに、ドクロと言われればそうかも知れないが、しかしあまりにも漫画的なドクロだ。 まあ恐らく、カメラにフィルターが付いており、そこに水滴が付着して光を反射させているのであろう。眼鏡に雨が付いた状態で光源を見るとこのように見えるのであるが、それがちょうどドクロに見えるという偶然は「下駄の鼻緒写真」という意味を持つかも知れない。 もしこの写真の光の滲みがドクロの形になっていなければ、逆にロマンチックな写真となり喜ばれただろうが・・・。 ---------------------------------------------------- [453] 2003年11月18日(火) 「毒のあるジョウ」 中高生時代の友人の中で、今でも印象が強いのは「クラッシャー・ジョウ」である。 以前にも雑文188にて書いたが、中学時代にジョウの自宅にあったペンタックスカメラのことが昨日のように想い出される。 狭い日本家屋の北向きの寒い部屋。畳の上に並べられたペンタックスの一眼レフが鈍く光っていた。数字の刻まれたシャッターダイヤルが妙に心に残っている。 ジョウはそれらのカメラを手に取り、ブロアーで1台1台シュコシュコとホコリを飛ばした。ジョウのその様子が、貴重品を扱っていることを我輩に感じさせた。 ジョウはそれらのカメラをさりげなく自慢していた。 ジョウの自慢モードはいつものことだったため、我輩もいつものように聞き流しモードであった。しかし、聞き流してそれらのカメラを良く見なかったことにより、逆に一眼レフカメラに対する神秘性が増し、一眼レフに対するイメージとして、少ない情報量が全体の印象を決めてしまったとも言える(参考:雑文302)。 現在の我輩として、ダイヤル式カメラを好んで使うのは我輩の思想によるものだが、カメラそのものに対する興味というのはこの体験が出発点であったろうと思っている。 そういう意味では、こんなことを言うのは悔しいがクラッシャー・ジョウには感謝したい。 そもそも九州人というのは、基本的に自慢する者が多い。だが、その自慢は子供の自慢のように分かりやすく、心の広い人間がその様子を見れば笑ってしまうであろう。自慢する本人が、それが自慢していることだと自覚していないため、そうなってしまうのだ。 そんな九州にあってジョウの自慢は群を抜いていたのだから、ジョウはかなり毒のある人間であると言えよう。しかし、毒のある人間は良い意味でも悪い意味でも影響力が強いことは確か。毒の無い人間が人に影響を与えられるはずが無い。 (その証拠に、カメラ雑文でのジョウの登場数はかなり多い。) 我輩も九州人であるから、もちろんその気質がある。ジョウには及ばぬが、当然ながら当サイトも若干の毒を持つ。 ダイヤル式カメラユーザーを増やす意味で開設したサイトであるが、我輩所有カメラなど紹介している時点で自慢であると言わざるを得まい。 しかしそれによって、見る者が様々な感情を以て見ることになり、そこから人を動かす。何の感情も湧かせないような無色無臭のページなど最初から無くとも良いのだ。勘違いサイト、痛いサイト、押しつけがましいサイトであれば、それなりに嫌悪感も湧くだろうが同時に興味も湧くに違いない。熱が冷めた頃、その興味だけが膨らむことになれば、我輩の目的が達成されたことになる。 そう考えると、批判メールに対して一概に否定的になる必要も無かったかも知れない。あの時は、我輩の主張を未読のまま批判されることについて煩わしさを感じたのであるが、まあ、それでも良かろう。我輩の毒気を十分に吸ってもらっているのが分かって良い。 いずれそのうち毒が回り、中には独自のダイヤル一派を作るまでになる者が現れて我輩の良い敵になれば嬉しい。 ---------------------------------------------------- [454] 2003年12月03日(水) 「MF派でない宣言」 趣味として、マニュアルカメラでの撮影は楽しい。 マニュアルカメラとは、要するに全てが手動(=manual)であり、巻上げ巻戻し、ピント、露出調整全てを自分で操作せねばならない。 故に、使用者はそれぞれの操作に意識を向けることになり、機械を操作している実感を持つ。フルオートカメラのように無意識のうちに写真を撮ることはなくなり、一つ一つの動作を確認しながら、自分自身が納得してシャッターを切るのだ。 だが、それらの操作は「写真を得る」という目的を第一に据えた時には、単に"面倒な操作"でしかない。 我輩はダイヤル式カメラというスタイルを提唱しているわけだが、それはマニュアルカメラという意味合いではなく、露出調節を自分の思い通りに効率良く行うということが目的である。 これまで何度も書いてきたが、露出に正解値は無い。それは人それぞれの価値観で変わってくる。そのため、露出調整を自動化する必然性は無く、たとえ自動化したとしても、必ず"露出補正"という人間の意志を導入せねば使い物にならない。ならば、最初から自分の意志で調節したほうが解りやすい。 ダイヤル式はそのための操作系として最適であり、あくまでも効率的操作を求めた結果辿り着いた一つの解答である。 仮に自動露出をさせるにしても、ダイヤルや絞り環をカチカチッと"Aマーク"まで回せば即座にオートに切り替わる。液晶表示式のようにいちいち取扱説明書を見ながらモード切替をする必要が無い。 そのような露出調節に対し、巻上げや巻戻し、そしてピント調整などは正解が決まっている。誰がやろうが、機械任せにしようが、何ら変わることが無い。 特に我輩は、視力の衰えによってAF機能を必要としている。 とは言うものの、35mmカメラの場合AFというのは単なる機能の1つではなく、カメラそのものの形態を指す。それはすなわち、液晶表示カメラそのものである。 AF機能を使うには、イヤでも液晶表示カメラを使わねばならぬ。結局、AFカメラを使いたくとも使えない。 (もちろんダイヤル式のAF機もあるが、それらは少数で選択肢が無い。) 当サイト「ダイヤル式カメラを使いなサイ!」は、マニュアルカメラを推進しているわけではない。ダイヤル式デバイスを推進しているのである。 だが現状では選択肢が無いために、結果的に掲載カメラがマニュアルカメラばかりが目立ってしまった。 当サイトを訪れる者の中には「ダイヤル式カメラ」=「MFカメラ」と解釈してしまう者もいるかも知れない。そして、当サイトをMF派の同志と見なす者もいるかも知れない。 そうなった場合、我輩の主張を読み進めて行くうちに、次第に違和感を持つことになるだろう。そしてきっと「裏切られた」という感情をいだくに違いない。 そのような誤解を避けるため、我輩はこの場でハッキリと「当サイトはMF派ではない」と明言したい。 もし今後、MF派宣言をする時には、あらためて「MFカメラを使いなサイ!」というサイトを別建てしよう。 ---------------------------------------------------- [455] 2003年12月11日(木) 「中判フィルムスキャナ」 1年ほど前、中判対応フィルムスキャナ「Polaroid Polascan 45」について雑文366で書いた。 このスキャナは結構良く使ったもので、もしこれが無ければ、情報量を必要とする画像収集でさえも35mmカメラを使わざるを得なかった。いや、そればかりか、現在の我輩の中判体制さえ確立出来なかったろう。 ブロニカSQ用魚眼レンズも、手に入れるどころか今日まで気付くことが無かったかも知れぬ。ブロニカが66判カメラから撤退したのは2ヶ月ほど前。その時点で我輩に金は無かったが、普段使っているからこそ、必要な機材が自然と集まっており、特に焦ることは無かった(残念ながらF3の時のように、現状で必要を感じない物までゴッソリ買い囲むことは出来なかったが)。 だが現在、「Polascan 45」はそれなりに旧く、35mm用最新フィルムスキャナに比べるとかなり見劣りする。 まず第一に、解像度が2000dpiと比較的小さく、縮小処理して画像を締めるような使い方をする我輩には少し物足りない。現状では4000x4000ドットの画像を3000x3000ドットに縮小して使用している。もし解像度に余裕があれば、例えば8000x8000ドットの画像を縮小して4000x4000ドットに出来る。 次に、フォーカスが固定であるという点。 フィルムの浮きによって微妙にピンボケとなる。本当に微妙なため、縮小処理とシャープネス処理によって目立たないようには出来る。しかし必要以上のシャープネスは画像全体を粗らすことになるので何とかしたい。 さらに、フィルムの暗部において若干のノイズがあるということ。 これは、スキャンした後に暗部の描写にこだわって画像処理を行うと出てくる。そのため、普段この問題は表面化しない。 <<画像ファイルあり>> Polaroid製 Polascan 45 そういうわけで、ここ最近、中判対応フィルムスキャナを幾つか検討していた。 金は無いが、それは後から考えることにする。いざとなれば、ネットオークションにて何かを売って金を作ろう。 問題は、「何としても金を作らねば」と我輩を奮い立たせるほどの製品があるかどうか。 一通り調べてみると、中判対応フィルムスキャナは数が少ない。とりあえずの我輩の認識では以下の2機種のみ。 ●Nikon SUPER COOLSCAN 8000ED(実売26万円) ●MINOLTA DiMAGE Scan Multi PRO(実売24万円) この2機種はそれぞれに一長一短があり、高価な機器だけに甲乙付けがたい。 まずNikonのほうだが、8000EDは光源がLEDということで安定しているのが良い。蛍光管の場合は点灯後安定するまでしばらく待つ必要がある。 しかも、マウントされた中判フィルムも読み取り可能である。我輩の場合、マウントはドイツhama製の硬いマウントなため、マウントを外すのはフィルムに傷をつけたりマウントを破損したりというリスクがある。ゆえにマウントのまま読み取れるのは非常に有用。 ところがWeb上の情報によれば、スキャンした画像にはスジがうっすらと乗ることがあるとのこと。青い空にうっすらとスジが見える作例を見てしまった時、軽いショックを受けた。26万円のスキャナでこの結果とは・・・。 また一見キレイに見えたとしても、レベル補正をかけると隠れていたスジが現れてくるようで、Web上で8000EDを使って読み込んだ写真を見付けて極端な補正をしてみると、なるほどスジが見えてきた。 ニコンのサイトでは、スジ画像に対する対処法がhttp://www.nikon-image.com/jpn/ei_cs/faq/qa/qno_1883.htmに書かれているのだが、スキャン時間が3倍にもなるそうで困ったもの。 MINOLTAのほうは、それなりに評判も良い様子。 しかし大きな問題として、マウントされた中判フィルムがセット出来ない。これは痛い。 その上、このスキャナはNikonに比べて粒状感が強いらしい。海外のサイトで紹介されていた作例を比較すると、確かにMINOLTAのほうがザラザラしているように見えた。もっとも、これは原寸の大きな画像から切り出したものであるから、フィルムに記録された粒状をそのまま再現したと言えなくもない。 また別の情報によれば、このスキャナは中途半端な設定でスキャンすると画質が極端に悪くなるらしい。常に最高の設定でスキャンせねばならないとのこと。 それから、照明光として蛍光管を使っているのは少し気になる。 それにしても・・・選択肢が少な過ぎる。 Nikonのスジ画像は致命的であるから、どう考えてもNikonが選定外となる。そうなるとMINOLTAが自動的に選ばれてしまうことになる。しかし本当にこんな選び方で良いのか? 積極的理由でMINOLTAを選んだのではなく、Nikonが使えないからMINOLTAになってしまったなどとは・・・。 そうこうしているうち、衝撃的ニュースが飛び込んできた。 フラットベッドスキャナで有名なEPSONから、フィルム取り込みをウリにしたGT-X700という製品が発売されたのだ。なんと、解像度はフィルムスキャナと同等な4,800dpi。 店頭でスキャン画像のプリント見本帳を手に取ってみたが、なかなか美しい仕上がりに驚いた。これで店頭価格45,000円とは。 確かに、フラットベッドスキャナでフィルムを取り込む場合には、フィルム周囲から光が漏れないように厳重にマスクをしたりすることでフィルムスキャナと同等な画質が得られることもある。ただし、これはある解像度以下の場合に限ったことで、大きな画像になればなるほど、フィルムスキャナとの差は開いて行く。 フラットベッドスキャナの場合、カタログ記述の解像度数値は少なめに捉えたほうが良い。 ・・・とは言うものの、4,800dpiというのはかなり大きい。仮に、実質的な解像度を少なく見積もってその半分程度だったとしても、それでも2,400dpi。我輩の中判用フィルムスキャナを僅かに越えている。普通に考えれば3,000dpiは出ているだろう。 カタログをもらって帰ったが、それにはフィルムスキャンがウリとして前面に出ており、もしこれでフィルムが上手くスキャン出来なければ悪徳商法になってしまう。 ここで、我輩の気持ちはググッとEPSONに傾いた。 しかし、冷静になって考えてみた。今、フラットベッドスキャナは2台もある。それが3台となった状況を想像して背筋が寒くなった。フラットベッドスキャナはその上に物を置くことが出来ない。置けばフタが開けられない。つまり、場所を占有してしまう。これは困る。現状でも大変な状況であるのに、これ以上苦しむことになるのはゴメンだ。現在のフラットベッドスキャナを減らそうにも、それらはドキュメント用であるために、単純にGT-X700へ置き換えるという意味合いにはならない。 そんな気持ちであらためてこのGT-X700を見ていると、今度は悪いところばかりが目についてしまい、結局このスキャナは選択肢から外れた。 ふと、ネットオークションを見てみた。 するとコダックの中判対応スキャナが数十万円(出品物によりかなりの幅がある)で出ているのを見付けた。Photo-CD用に使われたという業務用スキャナで、色再現性は素晴らしいとのこと。確かに、我輩もPhoto-CDの色は好感を持っていた。照明光もLEDと問題無い。だが今となっては旧式のスキャナと言わざるを得ず、解像度も2,000dpi程度とかなり少ない。これならば、現状のフィルムスキャナから換えるメリットが少ない。色再現性のためだけに買い換えるには高価すぎる。 そんな時、ニコンから新しいフィルムスキャナの情報が明らかになった。その中に、中判対応のSUPER COOLSCAN 9000EDがあった。 だが、それは現時点で「発売日・価格は未定」となっており、購入計画を立てられない。製品の位置付けとしてはフィルムスキャナのハイエンド機とのことで、少なくとも現在の8000EDよりも高価であることが容易に想像出来る。貧乏人には買えそうもないな。 やはり今回、フィルムスキャナ購入は見送るべきか。 その後数日間に渡り、暇な時間にインターネット上でスキャナに関したものを色々なキーワードで検索していた。 その中に、Polaroid製「Polascan120」とMicrotek製「ArtixScan 120tf」があった。 元々、Polaroid製のスキャナはMicrotek社が作っているようで、同時期に両社から同じようなスキャナがリリースされるのはいつものこと。 外見上は「Polascan120」と「ArtixScan 120tf」は良く似ている。仕様も同じか? だが詳しく見ていくと、微妙に仕様の違いが見られる。全体的に「ArtixScan 120tf」のほうが性能が上のよう。 ただし両社とも照明光はオーソドックスな蛍光管。しかもマウントされた中判フィルムはセット出来ない。結局はMINOLTA製と同じようなものか。 我輩は以前、Microtek製「ScanMaker 35t plus」という35mm判専用フィルムスキャナを使っていたと雑文にも書いた。 日本製のスキャナがどれも一癖ある中で、このスキャナだけは安定した品質を持っていた。大きな特長は無いが、大きな失敗も無い。そこが安心出来る。 そういう過去が、我輩にMicrotek製を考慮させる要因となった。 「MINOLTAよりもMicrotekを選んだほうが安心出来そうだな」そんな漠然とした根拠の無い気持ちが我輩を支配した。 さて、この2つのスキャナは日本でも売られているが、実売でも35万円前後とかなり高い。 ところが、たまたま検索で引っかかった米国B&Hでは売値1,699ドルと割安である。1ドル110円とすれば186,890円か。しかも、200ドルのキャッシュバックにより、実質的に1,499ドルとなるらしい。そうなると、164,890円。 その夜、以前にも利用(その1、その2)させてもらった輸入代行業者New York Best Life.comに見積を依頼した。 その結果、送料や手数料込みで2,179ドルであった。これで200ドル差し引くと1,979ドル。およそ220,000円。それでも日本で買うより10数万円安い。もちろん、MINOLTAやNikonよりも安い。 「これだな。」 我輩の意志は決まった。 機種が決まれば、あとは予算獲得である。これはもうボーナス頼みしか無い。 22万円の出費となれば、ボーナスの半分にも近い。そこで、現在のスキャナを5万円ほどで売れば差し引き17万円となり、少しは希望が出てくる。 しかしながら、キャッシュバックは数ヶ月かかり、現有スキャナの売却にもそれなりに時間が必要。当面の出費24万円のショックはデカイ。ヘナチョコ妻に言うタイミングが難しい。 日常会話の中でさりげなく言おうと思ったが、何度もタイミングを失した。しかしやっと話を切り出すことに成功し、しかも「比較的安い買い物である」、「キャッシュバックがある」、「現有スキャナ売却益を充てられる」等の説得により、思いがけず予算が通った。 我輩は、ヘナチョコの気が変わらぬうちに注文し、輸入代行業者より航空便で送ってもらうことにした。予定では1週間後の到着である。 その間に、現在のスキャナをネットオークションにて売却した。購入時は18万円だったが、7万円(諸経費別)での売却となった。 1週間後、ニューヨークから「ArtixScan 120tf」が届いた。思ったよりも小さく、接続して難無く動いた。当然ながら英語版の取説に英語版のソフトウェアであるが、とりあえずはフィルムの取り込み作業は出来るようになった。しかし中判フィルムはマウントされたものはセット出来ないため、なかなか手間取る。現像したばかりのポジフィルムをセットしようと思ったが、カーリングが邪魔してなかなかセット出来ない。要領が悪くフィルムに傷が少し入ってしまった。 <<画像ファイルあり>> Microtek製 ArtixScan 120tf <<画像ファイルあり>> ArtixScan 120tf 後面 セットした後、スキャンしてみたが、部分的にピントがボケている。あらためてホルダーを見ると、カーリングのためフィルムが歪んで少し浮いていた。 色々とやってみて何とか良い方法を発見したが、それは66判のみ有効な方法で645判では打つ手が無い。ホルダーへのセットすら出来ない。結局、645判ではマウントして数日間フィルムを伸ばすことで、平面性はともかくホルダーへのセットには成功した。 それでもマウントされた中判フィルムが読み込めないのは効率が良くない。裸のフィルムを取り扱うのは神経を使うのである。マウントされたものならば、マウントそのものがハンドルとなって扱い易い。 スキャンした画像については、見事なものだった。 それまで使ってきたフィルムスキャナは4機種だが、一つとして色補正が不要な物は無かった。それぞれに色の偏りが必ずあり、レタッチソフトで修正しなければ使えない。しかもそれは、微調整の域を越えた大きな修正である。 しかしこの「ArtixScan 120tf」は、ハイライト/シャドーを調整すれば、色に関しては微調整程度で済む。これは良い。フィルムのセットに時間がかかっても、色調整の手間が省ければかなり効率が上がる。しかも、今まではいくら調整しても良い色にならない場合があったのだから、色調整の必要がほとんど無いというのは大きな進歩と言えよう。少なくとも、投資額に見合う。 また、暗い領域の多い写真では、マルチサンプリング機能によってノイズを低減することが可能。少なくとも前のPolascan45よりも暗部の再現性が良いことを確認した。 解像度については、4000dpiでの取り込みが可能で、6x6判では8000x8000ドットにもなる。しかし実際に取り込むと容量が大き過ぎて我輩のメインパソコンでも荷が重い。とりあえず3000dpiにて取り込み、4000x4000ドットになるよう縮小した。これでも十分な情報量。ピントさえ合えば素晴らしい大きさの画像を得ることが出来る。 総合的に見て、そこそこ良いと思っていた「Nikon SUPER COOLSCAN 4000ED」と比較しても、このスキャナはかなり良い。35mm判で50枚連続スキャンをする場合には4000EDを使うことになろうが、普段は35mm判、中判共、「ArtixScan 120tf」を常用することにしよう。 ---------------------------------------------------- [456] 2003年12月13日(土) 「中判フィルムスキャナ(霊感と汗)」 新型の中判用フィルムスキャナを導入したことについて、前回の雑文にて書いた。 そして、次のように結んだ。 「ピントさえ合えば素晴らしい大きさの画像を得ることが出来る。」 そう、ピントさえ合えば、その画像は素晴らしい。だが、フィルムの片浮きによってどうしても部分的にピントが合わない。 それは、両サイドでしかフィルムをホールドしないブローニー用フィルムホルダーが原因である。 フィルムのカーリングが強い時には装着すら出来ず、装着出来たとしても中央部が浮く。それはストリップ状のフィルムでも、1コマごとのフィルムでも事情は変わらない。 そこで我輩は、66判の正方形フィルムの場合には縦横を変えてセットしてみた。すると場合によってはフィルムの歪みが上手く打ち消された。しかしいつもその手が使えるとは限らない。いや、その手が使えないフィルムのほうが圧倒的。 しかも、ホルダーの固定方法の関係上、何度も装着を繰り返すとフィルムに擦りキズが付く。 <<画像ファイルあり>> ブローニー用フィルムホルダー フィルムホルダーを手に取り、どのようにセットすれば歪みが消えるのかを何時間も考えた。しかし、どうやっても答が見付からない。 「くそ、マウントされたフィルムなら四方から固定してある分、平面性は良いのだが・・・、このスキャナはマウントされたブローニーフィルムが読めんのだ・・・。」 我輩は試しに、マウントされたフィルムをフィルムホルダーの上面にセロハンテープで貼り付けてスキャナにセットしようとした。しかし途中でひっかかってしまった。ならばとホルダーの下面に付けてみると何とかセットされスキャンしてくれた。だがピントが全く合っていない。フィルム面の位置がオートフォーカスの範囲を完全に超えているらしい。 ホルダーの枠を広げればマウントされたフィルムがセット出来るかも知れないかと思ったが、そのホルダーは金属製で思い通りの加工は不可能に近い。 ところで、35mmフィルムにはストリップ状のものとマウント状のものが両方セット出来るように2種類のホルダーが用意されている。特にマウント用は、簡単にハメ込めるようになっており、しかも4枚同時にセット出来る。 「中判フィルム対応のスキャナであるのに、なぜ中判フィルム用ホルダーが貧弱なんだ?」 我輩は歯痒く思いながらもその35mmフィルム用ホルダーを手に取って色々と眺めた。なぜかそのホルダーだけはプラスチック製であった。 「何とかこれをブローニーフィルム用に改造出来んのか・・・?」 その時、我輩はピンときた。 もし凡人であれば、このような心の迷いがあってもすぐに諦めてしまうに違いない。しかし、ここで諦めないのが我輩の天才たる所以。 エジソンも言うように、「天才とは、1パーセントの霊感と99パーセントの汗である(Genius is 1 percent inspiration and 99 percent perspiration)」。我輩は、「改造出来る」という僅かな霊感(根拠の無い直感的判断)により、フィルムホルダーの改造に着手した。 (1) ハンダコテを使い、まずブローニー判の大きさの枠を大ざっぱに切り取った。そしてヤスリがけを行い、微調整をした。 この状態で、ブローニーサイズのマウントがスッポリとハマるようになったが、固定されていないためホルダーからすぐに抜け落ちる。 (2) 次に、マウント押さえをハンダコテで溶接した。また、裏側へ抜け落ちぬようにプラスチック片を2つ溶接した。 この時点で、フィルムセットは完璧な状態となった。 (3) フィルムホルダー種別認識用ノッチコードを設置した。ここを改造せねば、せっかくブローニー判のフィルムを装填しても35mm判のエリアしか認識してくれない。 <<画像ファイルあり>> 改造したフィルムホルダー 改造に要した時間はおよそ1時間。 実際に使ってみると、ピントの問題はほぼ解決した。 さすがに、マウントの状態でフィルムが歪んでいるものでは部分的なピントの甘さが認められるものの、それでも今までのホルダーに比べれば全く別物と言える。少なくとも3000x3000ドット程度に縮小すると判らなくなる程度。 しかも、フィルムのセットが迅速に行え、以前のPolascan45の時よりも早い。ワンタッチで手軽。 これも全て、我輩の1パーセントの霊感と、そして99パーセントの汗によるものと言えよう。 ---------------------------------------------------- [457] 2003年12月29日(水) 「出張」 我輩は大学時代を島根県松江市で過ごした。 卒業して次の年に松江に来た時は、在学中の後輩たちが夜のカラオケ大会を開いてくれたものだ。その時は、まだ自分が帰る場所があった。 しかしそれ以来、松江市には帰っていない。九州の実家への通り道でも無く、立ち寄ることが無い。 さすがに10年を過ぎたあたりから、機会を作って松江に行くことを考えたりしたが、それでもなかなか難しい。いつの間にか、今日まで時が過ぎてしまった。 ある時、出向先の職場で、発電所施設の見学ツアーに参加するという話が出た。 水力発電所、原子力発電所、風力発電所など、全国に散在する施設を観光バスで巡るコースである。それらの中には、大阪コースとして島根原子力発電所の見学が含まれているものがあった。一泊二日で、松江市内での宿泊である。 当初、我輩自身が見学参加者になるとは思っていなかったため、特に何も考えていなかった。しかしどうやら我輩も参加するという方向にあるようで、「12月6日〜7日の大阪コースで良いか?」との提示を受けた。我輩は驚きながらも、快く承諾した。 新大阪駅には当日の朝に集合せねばならないため、東京から参加するには前泊する必要がある。前の日の夕方、他の職員と共に新大阪駅近くのホテルにチェックインした。 夜は居酒屋で飲み食いしたのだが、なぜか体調がすぐれずビールジョッキ2杯程度で目が回った。 「マズイ、今からこの調子で松江はどうなる?」 ホテルに戻り安静にしていたが、頭がガンガンして胸が苦しい。帰り道に買った屋台の回転焼を2つ食べたが、それほどウマイものではなかった(回転焼の味は皮の素材が重要)。だがアンコの味が我輩を落ち着かせるのに役立った。 さて次の朝、何とか体調は回復したようだった。 駅前のロータリーにはバスが待っており、早速それに乗り込んだ。見ると、一般参加者は50名ほどいる様子。 バスは予定時間通りに出発し、大阪市内を抜けて中国自動車道を西へと走った。その経路は、持参したパーソナルGPSにより詳細に把握出来た。 最初の目的地は、揚水式水力発電所として有名な「大河内発電所」である。 発電施設自体は地下に造られているため、長いトンネルをマイクロバスに分乗して行くことになる。 我輩は、Kodak EPPを装填した「FUJI GA645Wi」を肩に掛け、その上から上着を着た。別にカメラを隠すわけではないが、背広姿にカメラというのは気恥ずかしい。GA645Wiはコンパクトなボディ故、普通の背広姿にしか見えない。 事前のテスト撮影により、ISO設定は80に設定してある。これでプログラムオートで撮影した。 <<画像ファイルあり>> <大河内発電所施設入り口> <<画像ファイルあり>> <発電所施設内> 広いフロアに発電機4機が見えた。そこでしばらく説明を受けた後、階段を降りて発電機の回転軸が実際に回っている様子を見せてもらった。「この回転力が電気となり、各家庭へ送られ使用されるのか」と思うと感慨深かった。 大河内発電所の見学を終え、この日の宿泊地である松江へ向かった。移動時間が長いため、1日目の見学は大河内発電所のみである。 夕方、ようやく米子市入り。どんどん懐かしい景色が流れて行くのを目で追った。大学時代、同じ研究室のヤスと車でよく巡ったが、もうその行動範囲内にいる。 それにしても、松江市に近付くほどに景色は暗くなり、遠くは見渡せないのは残念。この地は、夜になれば本当に暗くなる。 松江市に入り、今井書店を過ぎ、トンネルを過ぎ、そして昔かよった自動車学校の近くを過ぎ、バスは信号待ちで停車した。目の前に、ヤスとよく夕食を食べに行った「浪花亭」があった。我輩は、バスが発車せぬうちにと急いでGA645Wiを構えた。ガラス越しだったため、何度か0.7m表示になったが、測距し直して10mになったときにシャッターを切った。 夜景のため、露出を変えて撮影したかったが、マニュアル露出で調節するヒマが無く、露出補正によって調整して素早く2枚撮影した。こういう時、ダイヤル式カメラであれば迅速に露出設定が出来るのだが。 <<画像ファイルあり>> <懐かしい「浪花亭」> やがてバスは発車し、松江駅を過ぎて市内のホテル前に止まった。 その後、職員たちと2台のタクシーに分乗し、活魚料理の「京らぎ松江店」へ向かった。ここもヤスと1度来たことがある。懐かしい。 我輩はこの後の予定として、夜の松江市内を巡ろうと思い、あまり飲まないようにしていた。それでも前の日に飲んだくらいのアルコールは入ったが、体調が回復したのかそれほど酔うことは無かった。 解散後、我輩は一人、夜の松江市内を歩いて回った。時間は午後9時を過ぎていた。 まず最初に向かったのは、距離の近い和菓子屋「一力堂」。ここで1年間ほどアルバイトをしていた。夜の暗い条件が苦しかったが、ダメ元でスローシャッターを切った。 <<画像ファイルあり>> <和菓子屋「一力堂」> その後橋を渡って歩いたが、本当に人通りが無く、街全体が真っ暗だった。しかし、知っている街であるから不安は何も無い。 そればかりか、このまま歩いてショッピングセンター「みしまや」や「ふくしま」へ行けば、そこには同級生や後輩が今でもアルバイトをしているような気になる。 友人の住んでいた下宿に行ってみれば、テレビでも観ていて「おう、どないしたんや」と声をかけてくれるような気になる。 自分のアパートの105号室へ行けば、そこは今も我輩の105号室になっているような気になる・・・。 しかし現実には、我輩の帰る場所はもはや何処にも無い。同級生や後輩なども、恐らく大阪などに就職しているだろう。もし、今でも学生時代と同じ生活を送っている者がいたとしたら、それこそ「おまえどないしたんや」と言わねばなるまい。 そのように、あらためて現実を認識すると、何とも言えぬ寂しさがこみ上がってきた。 その夜は、色々な想い出を呼び戻しながら2時間半くらい歩いた。 次の日は8時の集合である。 我輩は6時前にホテルをチェックアウトし、朝から松江城を目指して歩いた。 しかしこの季節であるからまだ暗い。写真に撮るならば、行きではなく帰りに振り返りながら撮影したほうが良い。しかしそれでも露光量は足りず、撮影時は必死にブレを抑えながらシャッターを切った。 さて、集合時間までには戻り、発電所施設見学コース2日目が始まった。 この日の発電所見学は、島根原子力発電所からだった。 だが物騒なご時世のため、原子力建屋には入れず、バスで敷地内をぐるりと走るだけだった。それでも、間近に見る施設には臨場感を感じた。 <<画像ファイルあり>> <島根原子力発電所> 最後の見学発電施設は、安来風力発電設備。 中海のほとりにたった1機の風車がポツンと立っているのみだが、その大きさは想像以上で圧倒された。説明によれば、風力発電所は発電量が100パーセントになることはほとんど無いそうで、通常ならば0〜20パーセントほどだという。だがこの日は12m/sと比較的風が強く、出力600kWの風車で80パーセントほどの発電量があった。 風の強さに応じて羽根のピッチが自動的に変化し、回転数は常に一定とのこと。見たところ、1秒間に1回転しているくらいのスピードだった。巨大な羽根のため、とても速く感ずる。 <<画像ファイルあり>> <安来風力発電設備> その後、バスは中国自動車道の長い道のりを走り、夕方になってやっと新大阪に到着した。 この行程は事前に判っていたことだったが、この2日間はほとんどの時間がバスの移動時間であったため、疲労もそれなりに感じた。新大阪の駅が見えた時はホッとした。 しかし、懐かしい風景と珍しい風景を見ることが出来たのは、我輩にとって大きな収穫だった。 さて出張から帰宅後、一つのニュースを目にした。 「中国電力は10日から、島根原子力発電所(島根県鹿島町)の一般見学を初めて中止した。自衛隊のイラク派遣が決まり、テロ警戒を強化しようとする島根県警の要請を受けた対応で、中止は無期限という。」 我輩が島根原発の見学をしたのが12月7日であったから、本当にギリギリのタイミングと言える。もし3日遅れていれば、我輩は松江市に行く機会を失っていたことは確実。 これも何かの縁か。 ---------------------------------------------------- [458] 2003年12月17日(水) 「並木道」 四季は、自然のサイクルがもっともよく目に映る現象である。特に日本では、それぞれの季節の違いが風景にハッキリと現れる。 そのため、日本人は季節に敏感と言われている。 それにしてもあらためて考えると、季節による景色の違いは、主に植物の営みに大きく関わっていることが分かる。例えば、紅葉や落葉などは目に見える大きな変化であり、それが季節を感じさせるいわば"写真的季語"と言える。 我輩は身近な風景の季節の移り変わりを感ずるたび、季節ごとの違いをジックリ眺めてみたいと思っていた。普段見慣れている風景の、どこにどんな違いがあるのか。それを写真で比較することによって、あらためて季節というものを実感したい。 これはつまり「定点撮影」なのであるが、以前雑文293「定点撮影」で掲載した写真では、一方方向に変化し続ける風景を見た。しかし今回は、植物の営みを季節ごとに見ることによって毎年繰り返す季節のサイクルを追うのである。 今回のポイントとしては、「身近な風景であること」、「植物は風景の脇役であること」、「写真に情報量を多く持つこと」である。 身近な風景であることは、季節を生活の中で感ずるために必要である。そのために、近所の住宅地にある桜の並木道を選んだ。 また植物は風景の一部であり、風景そのものではない。季語のみでは俳句が詠めないのと同様に、植物のみで風景を撮っても意味が無い。 そして、短時間鑑賞して終わるというものではなくジックリ眺めることが目的であるため、中判サイズを用い、画角も広くする。 冬の並木道 <<画像ファイルあり>> 春の並木道 <<画像ファイルあり>> 夏の並木道 <<画像ファイルあり>> 秋の並木道 <<画像ファイルあり>> 実際には一ヶ所での撮影ではなく、複数の地点での撮影を行っている。中には、ビル建設が始まってしまい木立が隠れてしまうという地点もあったが、元々そういうハプニングを考慮して複数撮影しているので問題は無い。 また、ここで掲載したのは4種類の季節だが、実際にはもっと細かく刻んでいる。大きな変化の中点を見ると、季節の変化を更に動的に感ずる。 新しいフィルムスキャナも導入し、高解像度でスキャンした画像を画面上で比較してみると、変化がなかなか面白い。葉の一枚一枚までハッキリ写っているため、その一枚の葉だけに注目して追跡して眺めるなど、楽しみかたも色々とある。 また自動車も写っているため、後々それが時代のインデックスとして機能してくれることを期待している。 気長に撮れば何もテクニックは要らないこの撮影。葉の落ちた季節から撮るためには、今から始めるのがおすすめ。---------------------------------------------------- [459] 2003年12月29日(月) 「単3電池の重要性」 我輩が現在所有している3台のデジタルカメラのうち2台は単3電池仕様のものである。それは偶然そうなったのではなく、意識的に単3電池が使えるものを選んだからだ。 最近の銀塩カメラ、特にAFカメラはリチウムパック電池を使うものが多い。単3電池が使えるAFカメラと言えば、Nikon F5のような大柄なプロ用カメラやオプションとしてバッテリーグリップを備えたカメラと非常に限られている。 銀塩カメラの場合、電力の要求として、AF駆動やフィルム巻上げ・巻戻しなどのモーター動作が主となる。当然ながら、使用中に徐々に電圧が下がる単3電池を使えば、電圧低下に応じてモーターの回転速度が衰える。それを防ぐため、使用中でも電圧低下が少ないリチウムパック電池が使われるようになった。 一方、デジタルカメラでは単3が使える機種がわりと多い。コンパクトカメラタイプのデジタルカメラに単3電池が4本も入るのであるから驚く。そういう点に於いては、デジタルカメラのほうが便利と言える。 デジタルカメラの場合、機器の駆動は全てデジタル的であり、「動く」「動かない」の電圧の閾値(しきいち)がハッキリしており、動作している状況であれば安定して使用可能。単3電池であれ、リチウムパック電池であれ、リチウムイオン二次電池であれ、動作に違いは無い。 (ただしその閾値は高めで、単3電池の場合はすぐにボーダーラインを切る。) リチウムパック電池、単3電池、それぞれに一長一短はあるにせよ、単3電池が使えるということは大きなメリットであることは確か。なぜならば、単3電池の入手し易さは他の電池の比ではないからだ。 「今の時代、コンビニに行けばリチウムパック電池くらい単3電池と同様に入手が容易なはずだ。」 このように思う者もいるかも知れない。だがこれは、現実に電池切れで悩んだことのない幸運な者の発想であろう。 電池に関して、我輩は運が良くない。 もちろん、電池切れというのは運・不運ではなく不注意の所産であることは十分承知している。しかしこの不注意とは我輩の性格に由来するものであるから、この性格自体を不運であると言えなくもない。 そこで、この不注意な性格をカバーするために選んだ手段の一つが、「単3電池を使う」ということである。 昨日12月28日、横須賀にある三笠公園へ撮影に行った。そこには日露戦争にて活躍した戦艦三笠が記念艦として陸上展示されている。 戦艦三笠は、曾祖父虎太郎が乗艦した戦艦朝日と同型艦である。我輩は祖父に手紙を書き、その手紙に色を添えるために三笠の写真を得ようと思った。 持参した機材は、「FUJI GA645Wi」、「オリンパス製デジタルカメラ」、「ミノルタ単体露出計」、「クリップオンストロボ」、「パーソナルGPS」である。散歩がてらの撮影という油断のため、電池のチェックは特にやっていない。 「まあ、まだ大丈夫だろう。」 だが、撮影を始めてすぐにデジタルカメラの電池が切れた。 これは単3電池仕様のデジタルカメラのため、代わりにクリップオンストロボの単3電池を流用した。 年末休みのためか、三笠船内の入場は出来ず、どのみちストロボは出番が無い。 ところが今度は、単体露出計の電池が切れた。これはミノルタフラッシュメータVIなのだが、今までも電池の消耗が異常に早いということは感じていた。しかしその場で切れるとは思っていなかった。 この単体露出計も単3電池仕様なため、同じく単3電池仕様のパーソナルGPSの電池を流用した。 今回のような撮影では、GPSは特に重要ではない。街中であれば迷子や遭難の恐れも無い。だからパーソナルGPSの電池を抜くことが出来る。 逆に遭難の恐れがあるシチュエーションでは、カメラの電池をパーソナルGPSのほうに流用することになろう。撮影よりも生還のほうが優先度が高いためだ。 このように、単3電池を使う機器が多ければ、重要度に応じてそれぞれに電力を融通しあえる。カメラも例外ではない。 コンビニエンスストアはどこにでもあるとは言うものの、いざ必要になると案外見付からないことも多い。そういう時に、持参した機器のパワーソースが共通であると心強い。 今回の撮影で、我輩の単3電池へのこだわりがまた一層強くなったのは言うまでも無い。 ---------------------------------------------------- [460] 2003年12月30日(火) 「我輩は芸術家ではない」 写真撮影には、芸術的写真と記録的写真がある。 一般には、芸術的写真のほうが高尚とされ鑑賞の対象となるが、記録的写真は鑑賞の対象外という風潮がある。 しかしながら、見たままをそのとおり記録するという撮影は意外にも難しい。我輩などは、最近は記録写真のほうに大きく傾いているため、見たままを撮ろうとして何度も苦労を強いられている。なぜなら、芸術写真であれば失敗や予想外の仕上がりとなっても、感性に響きさえすれば良いが、記録写真では思惑通りに撮影出来なければ、いくらキレイな色彩であろうとも、斬新な構図であろうとも意味を為さぬ。 我輩は写真を自分自身のために撮る。それは雑文260「趣味性」にて書いたとおり。 我輩は芸術家ではない。単なる悪の思想家である。それがたまたま写真を撮っているに過ぎない。 それでも昔は勘違いをして芸術家気取りの写真を撮ったりしたこともあったが、そういう写真のほとんどが、今の我輩には価値を感じられない。 現在、インターネットが普及して様々なサイトが情報を発信している。我輩はそれらを幾つも巡り、自分にとって興味深い内容を追っている。 例えば、珍しい自動販売機を探して紹介しているサイトや、心霊スポットを現地取材して紹介しているサイト、面白い看板ばかりを特集しているサイト、「ドクター・イエロー」と呼ばれる新幹線軌道試験車ばかりを撮影したサイトなど、我輩の興味を満たしてくれるものが面白い。 それぞれに趣味でやっているサイトだけあって、非常に詳細に研究され、マニア以外には全く役に立たないような事にまでこだわっているところが嬉しい。 しかしながら、それらのマニアサイトに掲載されている写真はクオリティが良くない。ハッキリ言ってしまうと、ヘタクソな写真ばかり。 せっかくこだわって作られたサイトであるのに、写真のクオリティにこだわらないことが残念でならない。 我輩はそれらのサイトを見て、「我輩ならばこのように写真を撮る」という気持ちを強く持った。それが、我輩の記録写真に対する一つの目的である。 秩父鉄道の駅舎について興味を持った時、そこに我輩の満足出来る写真を掲載したサイトは無かった。だから、自分でその写真を撮った。 (雑文349「デジカメは露出計となり得るか(実践編2)」参照) また廃線ロープウェイに興味を持った時、そこに我輩の満足出来る写真を掲載したサイトは無かった。だから、自分でその写真を撮った。 (雑文430「廃線ロープウェイ撮影記(前半)」、雑文431「廃線ロープウェイ撮影記(後半)」参照) さらには蔵王のお釜に興味を持った時、そこに我輩の満足出来る写真を掲載したサイトは無かった。だから、自分でその写真を撮った。 (雑文444「蔵王のお釜(1)」、雑文445「蔵王のお釜(2)」、雑文447「蔵王のお釜(3)」参照) これだけでなく、我輩の撮影する写真のほとんどは、「自分で撮らなければ必要な情報が得られない」と考えたことが動機になっているものばかりである。 極端なことを言えば、異星人に遭遇しUFO内部に招き入れられたという者が撮影した写真を我輩が代わって撮りたいくらいだ。少なくとも、ジョージ・アダムスキーやビリー・マイヤーよりもクオリティ高い写真くらいは得られよう。 稀にマニアサイトの中に、写真の腕に覚えのある者が運営しているものもある。しかし気負いが強すぎて、例えばタングステン光の赤い雰囲気中の幻想的な写真や、望遠で部分を切り取るだけの芸術写真に終始していてガッカリさせられる。 必要な情報が、地味であってもキッチリと撮影されているものは本当に少ない。 我輩は芸術家ではない。ただ、自分の興味あるものを、見たままのクオリティを目指して撮る。 他でもない、自分自身のためだけに。 ---------------------------------------------------- [461] 2003年12月31日(水) 「タムロンには気を付けろ」 我輩の一生アイテムとして、Nikon F3は不動の位置にある。 雑文083「F3の第一印象」にも書いたことだが、写真の知識のほとんど無い時に、Nikon F3を解説した雑誌記事を見て、このカメラの真の性能を直感した。 当時としては最先端の技術を採り入れたスーパーカメラであったが、20数年を経た現在に至っても、その印象が崩れることが無い。いや寧ろ、コスト削減のため精度を落として電子的につじつまを合わせるような玩具カメラ(Canon EOSはその代表)の中では、より一層その存在感を高めている。 恐らく、もう二度とこのような贅沢な造りのカメラは現れまい。 我輩はこのNikon F3を、新品で手に入るうちにストックしておこうと考え、雑文152「7年目」で書いたようにコツコツと買い集めてきた。安い買い物ではないため7年もの歳月が必要だったが、F3のロングセラーに助けられ何とか目的を達した。 ところが今年10月、何の前触れもなく66判のBRONICA SQ-Aiが生産終了となった。 それ以前にも67判のBRONICA GS-1が生産終了になっており、BRONICAの一眼レフは645判のETRSiしか残っていない。これもいずれは消えよう。そうなるとレンジファインダー機RF645だけでは支えきれずBRONICAは歴史から消え失せるのだ。 しかしそれでは我輩が困る。 35mm判では予備のNikon F3を確保したものの、66判一眼レフはBRONICA SQ-Aiが1台しか無い(ロシア製一眼レフKievもあるが信頼性はゼロ。)。 以前、雑文408、雑文412、雑文418、雑文419でも書いたとおり、ボディが1台だけでは修理やオーバーホールに出した時に戦力が無くなる。そのためにも少なくともボディは2台以上必要である。 我輩は、BRONICA SQ-Aiが生産終了になる前に新品ボディをもう1台確保し備えようと考えた。ただしこのカメラはシャッター制御にアナログ回路を用いているため、シャッター制御用コンデンサが劣化するとシャッタースピードが遅くなってくる。この現象にはBRONICA SQにて長年悩まされてきた。 もし2台目を購入するならば生産終了直後の最終品を手に入れるべき。 そして、その時がやってきた。 2003年10月、BRONICA SQ-Aiは生産終了となった。何の前触れもなく、突然終わった。その時の我輩には手持ち金がほとんど無く、手に入れることは出来なかった。「まずいな」とは思ったが、カメラボディ10万円、レンズ10万円、その他アクセサリ諸々10万円の買い物はすぐには不可能。そのまま萎えて諦めてしまった。 その後、中判対応フィルムスキャナや大撮影会などに金を使ったが、そのことが逆に中判カメラの重要性を再認識させる結果となり、SQ-Aiの金策について悩むようになった。 その時、既に12月。 インターネット上では、そこそこ在庫は有る様子。しかし生産終了から2ヶ月、これ以上時間を置くと本当に新品で手に入らなくなる恐れがある。 躊躇している場合ではない。我輩は、ヘナチョコ妻に借金要請をした。高額なフィルムスキャナをねだったばかりであったため、却下されるのは目に見えているが、他にあてが無い。 ところが意外にも、ヘナチョコはOKを出した。生産終了品であり今手に入れねばチャンスは無いということは事前に説明してあったのだが、まさかOKが出るとは思わなかった。 返すあては今のところ無いが、とりあえずヘナチョコの気が変わらぬうちに手配しよう。 半年くらい前にヨドバシカメラでSQ-Aiボディの売値を訊いた時には9万数千円とのことだった。インターネット上で他の店の値段も調べてみたが、だいたいそんなところだった。7割価格というところか。しかし予備のレンズやアクセサリも欲しいので、なるべく安い店で買いたい。 我輩は、以前マクロレンズを5割引で購入した時のカメラ店を思い出した。大阪・国立カメラである。今回はどれくらい安くなるだろう。とりあえず見積りをとった。 依頼内容は以下のとおり。 製品名 定価 ●SQ-Ai メインボディ ¥131,000 ●ウェストレベルファインダー ¥10,000 ●ウェストレベルファインダー用視度補正レンズ-3.5 ¥4,000 ●モータードライブ ¥50,000 ●ゼンザノン PS 40mm F4 ¥132,000 ●スピードグリップ ¥18,000 (合計) ¥345,000 ウェストレベルファインダーは、撮影中の汗がよく垂れるため、錆が浮いてくる。そのための予備である。 モータードライブは自動巻上げ機能というよりも、単3電池供給源という意味合いで予備を持つ。これがあればメインボディに電池は必要無い。そもそも現有しているモータードライブは電池室液漏れ事故(参考:雑文251)のため、いずれにせよ予備を必要とする。 40mmレンズは現在の稼働率が9割にもなるため、予備としてもう1本備える価値は大きい。 それにしても合計34万円・・・。数年かけて揃えれば無理なく揃えられたろうが、今回はまとめて購入せねばならないのが痛い。7割で計算すると24万円くらいである。 夜中に出した見積り依頼だったが、結果は翌日午前中に返信されてきた。 製品名 定価 特価 ●SQ-Ai メインボディ ¥131,000 ¥78,000 ●ウェストレベルファインダー ¥10,000 ¥6,000 ●ウェストレベルファインダー用視度補正レンズ-3.5 ¥4,000 ¥2,800 ●モータードライブ ¥50,000 ¥29,800 ●ゼンザノン PS 40mm F4 ¥132,000 ¥76,800 ●スピードグリップ ¥18,000 ¥9,800 (合計) ¥345,000 ¥203,200 これは安い。6割の値段か。 我輩は早速この内容で注文し、12月24日(水)に代金を振込んだ。そして品物は、12月26(金)に届いた。 箱を開け、早速それぞれの点検した。 レンズは、スナップ式の新しいレンズキャップが装着されており、今までのスクリュー式のレンズキャップよりも使い勝手が向上している。なかなか良い。 スピードグリップも、カメラ底部が接する部分が改良されていた。頼もしい。 モータードライブも当然ながら電池室はキレイで気持ちが良い。これならば安心して使える。 ところが肝心のメインボディに問題があった。 まず、保証書請求ハガキを見て愕然とした。そこには41円切手が貼付されていた。一体、いつの時代の製品だ・・・?! ボディを取り出すと、新品の輝きを放つ姿が現れた。しかし、どこか古くさい。よく見るとレンズ着脱指標の赤色が妙に薄い。現有のボディと比べるとより一層違いが目立つ。まるで色褪せたかのようだった。 それにしても、付属のボタン電池の有効期限が2004年というのは不自然。電池だけ新品に入れ替えたかのようだ。 参考までにと、現有カメラのボディナンバーと比較してみた。 ●現有ボディ(10年前に購入):1508975 ●新規ボディ(今回新品購入):1506811 「・・・。」 一瞬、言葉を失った。新規に購入したボディが、10年前に購入した現有ボディよりも旧いナンバーとは・・・。 これは恐らく、1990年発売開始当初のボディに違いない。そうなると13年も前のカメラということになる。もしそうならば、SQ-Aiは電子式カメラゆえに、オーバーホール無しに使うことは出来まい。 「くそっ、わざわざ生産終了直後の新しいロットの製品を狙ったのに、よりによって生産初期の製品に当たるとは!」 我輩はハッとして、まだ点検していないウェストレベルファインダーを調べてみた。見ると、確かに新品ではあるのだが「BRONICA」のロゴが妙に黄色っぽい。これも恐らく生産初期の製品だろう。現有のウェストレベルファインダーと比べると、その黄色っぽさがやけに目に付いて悲しくなる。 まあ、ウェストレベルファインダーは電子製品ではないから何とか我慢出来る。しかし問題はカメラボディのほう。これはどうしても容認出来ぬ。電池を新品に入れ替えてあるということは、恐らく確信犯(確信犯−間違った意味での用法だが適当な言葉が無いので敢えて使わせてもらう)に違いない。 我輩は国立カメラに、返品か交換を要求する内容を穏便に書いてメールを送った。さて、どう出るか。 翌日12月27日の昼前、三笠公園(参考:雑文259)に行く前にメールをチェックしたが、まだ国立カメラからの回答は来ていない。少し心配になった。 午後、帰宅してメールをチェックすると、メールが届いていた。 そこには、今回のカメラはタムロンから最新に入荷したカメラをそのまま発送したもので、国立カメラとしては旧いボディとは認識していなかったが、確かに在庫受払い簿をチェックすると旧いボディナンバーであったと書かれていた。恐らく、メーカーが在庫を整理して出てきたものだろうとのこと。そして、タムロンの営業の者にクレームして即取り替えるとの約束を取り付けたという。新しいボディのナンバーは「1525490」とのこと。国立カメラの中でも最も新しいボディであるらしい。 我輩は早速、旧いボディナンバーの製品を梱包して発送した。送料は千円ほどかかったが、国立カメラの手間も考えてこちらで負担することにしよう。悪いのは、タムロンの営業である。 国立カメラには12月29日に届いたようだが、そこで確認後すぐに新しいボディが発送され、12月30日朝にはもう手元に届いた。素晴らしく迅速であった。これがヤフーオークションであれば、我輩は国立カメラに「非常に良い」という評価を付けるところだ。 それにしても、タムロンのやり方は汚い。在庫払い時に出てきた10数年前のカメラなど、新たに金を払おうとする客に売るものではない。元手をかけずに金を得ようとする考えが見え見えで気分が悪い。 確かに、「何年以上のものが旧いと言えるか」というハッキリした線引きは難しいが、常識的に考えて今回のような商売方法はモラルを疑う。このようなやり方の裏には、もはやタムロンはブロニカのカメラを全廃するつもりでいるような気がしてならない。どうせ潰すブランドであるから評判が悪くなろうとも気にしないということか。 だが、ブロニカは消えても、我輩はこのやり方がタムロンの性格として認識し続ける。 今回の雑文は、「所有SQ-Aiのシステム紹介」とするつもりだったが、タムロンのおかげでそれがブチ壊しとなった。まあ、それは来年の元旦にやったほうがお目出度いかも知れぬ。 それにしても、タムロンには十分気を付けたほうが良い。気を許すと、何をされるか分からんぞ。 ---------------------------------------------------- [462] 2004年01月01日(木) 「10年目」 去年はブローニーフィルムを多く使った。この流れで、今年もブローニーを多く使うことになろう。 とりあえず年越しの時点で220フィルム16本、120フィルム20本ある。ブローニーフィルムは限られた店にしか置いていないため、年末年始など長期の休暇での写真活動では、経済的に許す範囲内で出来るだけ多くのフィルムを手元に用意しておきたい。 さて前回の雑文では、BRONICAのカメラやレンズ、アクセサリ等の予備を手に入れたということについて書いた。 そこでこれを良い機会であると考え、雑文152「7年目」の時と同様に所有機材のリストアップをし、今年一年の撮影計画に役立てることとした。機材自慢としてまとめようかとも思ったが、ローライやハッセルブラッドならともかく、ブロニカなどいくら集めても自慢として成立せぬところが痛い。 とりあえず、「カメラボディ」、「交換レンズ」、「その他アクセサリ」に分けて以下にリスト化した。これが、10年かけて購入したブロニカSQシリーズの成果ということになる。 ●カメラボディ <<画像ファイルあり>> SQシリーズカメラボディ ・SQ-Ai(1) (BodyNo.1508975) メインカメラ ・SQ-Ai(2) (BodyNo.1525490) 予備 ・SQ (BodyNo.1100275) シャッター制御不安定なためストロボ撮影にしか使えぬサブカメラ 最初に購入したのは中古のSQであった。それまでの中判カメラと言えば、安物二眼レフ「LOMO LUBITEL 166B」や「BEAUTYFLEX」を使っていたのだが、思い通りの写真(Nikon F3などのテーブルトップ写真)が撮れないため、一眼レフの導入に踏み切った。 そういうわけでフジヤカメラにて\38,000で購入した中古のSQボディとフィルムバックのセットだったが、交換レンズまでは資金が足らず、しばらくは35mmカメラ用のレンズを手で保持しながら撮影の練習をしていたが、どうしても光が漏れて大した写真とはならなかった(SQはレンズシャッターのため、シャッターの無い35mmカメラ用レンズを使うために暗黒中でストロボ撮影していた)。 その後ボーナスが出たタイミングだと思うが、新品のレンズを購入してSQに装着した。 ところがシャッタースピードが狂っていることがそこで初めて判明。1/2秒でシャッターを切っても8秒くらいになってしまう。それでも電池を入れて2〜3日様子を見ていると、徐々に正確に切れるようになってきた。とは言うものの、本当に正確なのかは確証が無く、結局、新品のSQ-Aiをヨドバシカメラにて購入した。 そしてそのSQ-Aiも10年目となり、多少の不調が出たが、オーバーホールによって調子を取り戻した。しかしカメラをオーバーホールに出すためには代わりのカメラが必要であることを痛感し、先日、予備のカメラボディを購入することになったのである。 これにより今後、SQ-Aiを修理やオーバーホールすることに躊躇する必要が無くなった。 ●交換レンズ <<画像ファイルあり>> SQシリーズ用レンズ ・PS 35mm F3.5 Fish-Eye 魚眼撮影用 ・PS 40mm F4.0(1) 広角撮影用(常用) ・PS 40mm F4.0(2) 広角撮影用(予備) ・PS 65mm F4.0 一般撮影用 ・PS 80mm F2.8 開放F値優先撮影用 ・PS 110mm F4.0 低倍率接写用(軽量のため一般使用) ・PS 110mm F4.5 高倍率接写用(重量物のため室内専用) ・PS 180mm F4.5 ポートレート、低倍率接写用 ・S 250mm F5.6 想定される用途は無いが、とりあえず所有 ・テレコンバータ1.4x 想定される用途は無いが、とりあえず所有 ・接写リング2種 高倍率接写用 交換レンズは一眼レフの要(かなめ)である。過去にレンズ交換出来ない一眼レフも幾つか発売されたものだが、どれもマイナーな存在で終わった。それほどに一眼レフに於ける交換レンズの位置付けは重要である。 当然ながら我輩も交換レンズを色々なシーンを想定して揃え始めた。 最初はテーブルトップスタジオ用としてマクロ110mmレンズ、そして最短撮影距離の短い180mmレンズを購入。 その後、風景撮影としても使うことを考え、35mmカメラの24mmレンズの画角に近い広角40mmレンズを購入。だが40mmでは広角レンズの歪みが強いため、自然な描写を期待して広角65mmレンズも追加購入した。 そしてこの状態が10年近く続いた。 しかしブロニカもタムロンに吸収されてしまい、さすがにブロニカの行く末が心配となってきた。 最初の購入後は長年ブロニカの製品について不勉強だったのだが、改めてカタログを見てみると35mm魚眼レンズが新たに加わっていたことを発見した。だが時既に遅くそれは生産終了となっており、メーカーにさえ在庫は無かった。仕方無くアメリカのサイト上で在庫を見付け、輸入代行業者を通して手に入れた。それから1年後には国内のカメラ店にも35mm魚眼レンズの在庫を幾つか見付けたが、1年待たされて手に入れるよりも写真が多く残せたことは幸運であったと思う。 また、使い道が無いがとりあえず中古の望遠250mmレンズを\35,000で購入。必要になった時に必要なレンズが無ければ困るため、今必要無くとも確保するのが一眼レフシステムの正しい買い方である。これはNikon F3の時にも書いた。 さらにマクロ110mmレンズがリニューアルされ、レンズ単体で1:1の等倍撮影接写が可能となったとのことで、大阪・国立カメラで5割引の新品を購入。それに伴い旧タイプの110mmレンズは手放すつもりだったが、新タイプが予想以上に大きく重く、1メートルの撮影距離から露出倍数がかかるため操作性が悪く、結局は両方とも手元に置くことになった。 それから、今まで購入したレンズを見渡すと開放F値がF4よりも明るいものが無く、F2.8の80mmレンズをインターネットオークションにて\25,000で導入した。主にストロボを使わない室内のシーンで使うことになろう。 ●その他アクセサリ ・フィルムバック66-120(1) 120フィルム用 ・フィルムバック66-120(2) 120フィルム用 ・フィルムバック66-120(3) 120フィルム用 ・フィルムバック66-220(1) 220フィルム用 ・フィルムバック66-220(2) 220フィルム用 ・ポラロイドフィルムバック ポラロイドフィルム用 ・プリズムファインダー45 常用 ・AEプリズムファインダー 想定される用途は無いが、とりあえずのストック ・MEプリズムファインダー プリズムファインダー45導入前の常用 ・ウェストレベルファインダー 野外軽量装備用、室内高倍率用 ・モータードライブ(1) 連続撮影用だが電池室液漏れあり、電気接点腐食進行中 ・モータードライブ(2) 予備 ・スピードグリップ(1) 常用 ・スピードグリップ(2) 予備 ・リモートコード モータードライブ用 まずフィルムバックは全てを中古で3つ揃えた。フィルムの使い分けをすることが目的である。 さらに露出確認用としてポラロイドフィルムバックも購入した。当時はデジタルカメラが存在しなかったため、ストロボの瞬間光を最終確認するにはポラロイドを使うしか方法が無い(モデリングランプが大体の目安になるが、最終確認はやはりポラロイドバックを使って実際に撮影しなければ難しい)。 その後フィルムバックの1つを流用して魚眼カメラを製作したため、新品のフィルムバックを補充した。 また撮影会に参加する際、連続撮影のために220フィルムバックを中古で2つ用意した。 モータードライブは10年前の段階で導入していたが、たまに使うという頻度のため、不覚にも電池の液漏れを引き起こしてしまった。動作はするのだが、今後のことを考え新品でもう1台ストックすることにした。 プリズムファインダーは、動きのあるものを撮影するためとしてMEプリズムファインダーを購入。TTL測光は全くやらないが、念のためにTTL測光出来るAEプリズムファインダーも中古で手に入れた。 プリズムファインダー45は、ローアングルも容易なプリズムファインダーとして最近導入した。視度調整はノブで連続的に調整できるため(マイナス補正のレンズも入れてあるが)、体調に合わせた最適な視度をその都度得られるというメリットもある。 ウェストレベルファインダーはルーペの倍率が高く、厳密なピント合わせには欠かせない。テーブルトップ撮影では必ずこのファインダーを使う。さらにこのウェストレベルファインダーは、ライトボックス上でポジを見る時に利用出来る。全視野が見渡せ、周囲の遮光も良く、撮影時のスタイルで鑑賞出来るのが便利。この用法は、35mm判ポジの閲覧用としてもNikon F3用の高倍率ファインダーを用いていることにも共通する。 ---------------------------------------------------- [463] 2004年01月04日(日) 「SFX(特殊映像効果)」 我輩は年末に横須賀にある三笠公園へ撮影に行った。 そこには日露戦争で戦った戦艦「三笠」が展示されているとのこと。戦艦三笠は、曾祖父虎太郎が乗艦した戦艦「朝日」の姉妹艦であるため、我輩はその写真を撮影して祖父に送付しようと思っていた。 京浜急行横須賀中央駅から徒歩10分弱。事前に地図で確認した場所を目指し大ざっぱに歩くと、三笠公園を示す矢印があった。その方向へ歩くとすぐに三笠のマストが見えてくる。 ところが、三笠は出航直前であり岸壁を離れようとしていた。急いでカメラを取り出し、露出を計り、そして撮影した。まさに間一髪、唯一撮れた写真が以下のカットだった・・・。 <<画像ファイルあり>> さて、「スターウォーズ」や「未知との遭遇」、「E.T.」などのSF映画がヒットした時代、SFX(特殊映像効果)と呼ばれる映像技術が大きく進歩した。 ガラス板の表面に写真のようなリアルな背景を描くマットペインティング、違和感の無い特殊メイク、宇宙船などのミニチュア製作、カメラの動きをコンピュータで制御するモーションコントロールカメラ。そして、それぞれに得られた素材映像を一つのフレームに焼込むオプチカルプリンター。 必要な映像があれば、その都度新しいアイディアが生み出されるため、表現不可能な映像は何も無くなった。 近年ではデジタル技術の発達により、一部分どころか画面全体をコンピュータで生成することさえ可能となり、現実の世界での撮影を一切行わないフルCGの映画さえ登場した(ただし、実際の人間の動きをトレースするために撮影する場合もある)。 我輩がSFX技術に興味を持ったのは中学生の頃だったが、当時はコンピュータによる画像処理は夢の世界で、せいぜいワイヤーフレームのブラックホールやワームホールなどを描くくらいであった。 そのため当時のSFX特集本では、ミニチュア製作や特殊カメラの紹介などが主で、かえってボリューム感があった。これがもし現在のSFX特集であれば、コンピュータ画面のキャプチャばかりの紙面で味気無かったろう。 それにしても、最近のSFXを使った映画というのは派手さが前面に出ており、いかにも映像を加工しましたというシーンが多く登場する。観客に飽きられないようにどんどん派手さがエスカレートし、現実世界を遙かに越えてしまっても行き着く先は無い。 このことはSFX初期の頃から指摘されており、「SFXを使ったと観客に気付かれてはその映像は失敗である」と言うハリウッド関係者さえいる。ただしこのような意見は少数派でしかない。 派手なSFXを使った映画としては「キングコング」が最初のヒット作と言われている。一方、地味にSFXを使った映画は「市民ケーン」が最初である。 「市民ケーン」では、映像の視覚効果を上げるために、背景と人物など複数の映像を1つに合成したシーンを使っている。それにより画面の奥行きが出たり、余計な背景を消したり、遠景と近景の両方にピントを合わせたりすることが可能となった。しかもそれが観客に悟られないほどの自然な描写であるため、SFXを使った意味は非常に大きい。 (正月休みに「アンタッチャブル」のDVDを購入して鑑賞したが、これも同じような手法により地味なSFXが映像の効果を上げていた。) ところで、戦艦三笠の写真について、言うまでもなく冒頭の写真はコンピュータによる修正を施した、いわばSFXの静止画版である。 本来ならば手間の掛かる処理を行うよりも、写真撮影のみで目的が遂行出来ればそれに越したことは無い。だが現実には、撮影に関する問題が幾つかあった。 撮影当日、我輩が実際に三笠公園へ着くと、撮影場所の引きが足りないため通常の広角レンズでは全景が納まらないことに気付いた。 また、陸上展示ということで背景にマンションや機械などの構造物が重なっている。 三笠は陸上展示とはいえ、反対側は海に面しており逆方向からの撮影は不可能。また年末休みのためか、船内見学は出来なかった。 これでは満足に写真は撮れない。魚眼レンズでも持ってくれば良かったかと思ったが、艦の形が歪んで写っては意味が無い。 しかし、せっかく来たので何とかしたい。 とりあえず何枚かに分けて撮影し三笠の全景をカバーしてみた。これをパソコンに取り込んで合成すれば1枚に納まるかも知れないが、やってみるまでは自信は無かった。 <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>><<画像ファイルあり>><<画像ファイルあり>> 画像合成にはAdobe Photoshopというレタッチソフトを用い、それぞれの画像を一つに繋ぎ合わせて歪みを補正、同時に背景を切り抜き、そこに雲模様のフィルタ処理をした。ついでに煙突からの煙も同様に雲模様をあてることによって合成した。また無数の細い張線を背景から切り抜くのは手間がかかるため、いったん背景と共に張線を消し、後でパスを用いて描き直した。あとはフジ・メディアプリントで銀塩ペーパー出力すれば良い。 最近の映画の傾向で行くならば、この艦を空に飛ばし"宇宙戦艦"として派手さを狙うのだろうが、今回は地味に戦艦三笠を航行可能な状態にまで復元するにとどめた。 これの地味さが、本来のSFXというものである。 <<画像ファイルあり>> 中学時代には、友人のクラッシャー・ジョウとオカチンの写真を切り抜いて月面の写真の上に貼り付け、それを再びカメラで接写して合成写真を作ったりした。これはコラージュと呼ばれる手法であり、SFXとしては最も原始的な技術と言える。 しかし現在、中学時代には考えられなかったような映像加工が、パソコンという道具を使って個人レベルで可能となった。マウスのクリックだけで簡単に写真が合成出来るのだ。 合成前の写真と、合成後の写真、どちらがより感動を生むかによって、SFXの価値が決まる。祖父がこの写真から曾祖父虎太郎の戦いを見ることか出来るかどうか。 それが達成されれば、そのことが特殊映像効果としての大きな"効果"ということになる。 ---------------------------------------------------- [464] 2004年01月17日(土) 「オークション(3)」 以前、営業B氏のカメラ「Nikon Fフォトミック」を、Yahooオークションにて売却した話を雑文441にて書いた。 その時には18万円もの高額にて取引したため、そのやりとりには緊張させられた。万一相手が音信不通となれば、落札手数料が丸損である。高額であればあるほど落札手数料の額も増えるため、気軽な気持ちは消え失せる。 さて今回の出品は、同じくB氏の親父さんの遺品のひとつである「Nikon F2チタン(ネーム版)」である。こちらも前回のFと同様に未使用品。 B氏の親父さんは若い頃は新聞記者だったとのことで、カメラ機材は豊富にある。そしてF2チタンもネーム版・ネーム無し版の2種類あったと言う。 F2チタンの場合は未使用品が多く、その値付けは30万〜40万くらいのものを最もよく見かける。しかもなかなか入札されずに回転寿司状態となっていることが多い。売れれば大金が手に入ろうが、なかなか買い手がつかないのが高額商品の悩み所。 今回のF2チタンはモルトプレンがベタベタに潰れ、ミラーにもその小片が1点付着している。また、箱と発砲スチロールは状態が良くなく、出品物として「完全美品」と謳える状態ではない。 このようなカメラはコレクターが求めるからこそ高価になるわけであるから、箱の状態の悪さは減点対象となろう。 以上、「1.高額ではすぐに現金化出来ない」、「2.良い状態とは言えない」ということにより、前回のFフォトミックよりも高価にはなるもののF2チタンとしての値は付けられず20〜25万円の売価となることを予想した。 しかしそれでもやはり高額品であることに変わりなく、B氏には「ボーナスシーズンまで待つが吉」と伝えておいた。 それからしばらく経ち、ふと気付くと冬のボーナスがそろそろ支給され始める時期になっていた。 我輩はB氏に連絡を取り、F2チタンを出品することを確認した。「開始価格は任せる」とのことで、今回も送料・手数料分の3,500円にて設定した。これにより、少なくとも回転寿司状態にはならず必ず落札されることになる。ただし実際の落札価格は不透明。タイミングが悪ければ10万円で終わる可能性もなきにしもあらず。・・・まあ、それを防ぐ意味でボーナスシーズンでの出品としたわけだが。 とりあえずB氏には、「コレクションとしては全ての状態が良くなければ意味が無い。モルトや箱がヤレてるので15〜20万が良いところだろう。」と低めに言っておいた。 <<画像ファイルあり>> さて、今回もオークション期間は7日間と設定し、注目のオークションにも注ぎ込んだ。出来るだけ多くの目に触れさせることが目的。 出品後50分で早くも入札があった。 その20分後、競争相手が現れた。値が2万円まで上がる。 それから1時間後、別の入札者が現れ、一気に10万円まで上昇した。 開始後2時間程度で値が10万円も上昇したものは我輩にも経験が無かったため(もちろん開始価格が低いためだが)、思わずB氏にメールでそのことを伝えてしまった。 「マズイな、最初に期待させ過ぎると後の説明が困る。」 我輩の予測では、如何に幸運であっても上限は25万円。 しかしB氏の返信メールでは「前回と同じくらいに上がれば嬉しい」とあった。前回は18万円だったから、それならば楽勝。 その日は夜になって多少動きがあり12万円を越えたが、翌日は全く動きが無くなった。しかしアクセス数、ウオッチ数はどんどん増えている。これからしばらくは小休止となり、終了間際で再び値が上がるのだろう。 見ると、「友だちにメール」というのも1つある。前回もこのカウントがあったのだが、何に使う機能なのか未だ解らない。もし友達にメールで教えるならば普通にメールを送っても手間はほとんど変わらぬ。わざわざその機能を使う意味とは・・・? さて3日目、値が動いて20万まで到達した。まだ終了まで間があるのに、なぜか皆気が早い。ボーナスが出て強気になっているせいか。 しかしあまりオークション画面に張り付いて見ているのも疲れるため、これ以降、しばらくは意識的に管理画面は見ないことにした。どうせ、終わる時には終わる。 出品してから1週間後の終了間際、値段は30万円まで上がっていた。予想を上回り驚きはしたが、ウォッチ数の伸びから言えば不思議なことではない。 逆に、「終了数秒前にデッドヒートがあるか?」と期待したが、それは無くそのまま30万円にて落札された。 今回、アクセス(2307)、友だちにメール(1)、ウォッチリスト(187)、入札者(12人)、入札件数(49)であった。下から2番目の入札者は10万円の入札価格であるのだが、一番下の入札者は2万円であった。F2チタンが2万円で落札出来ると思ったのか?最初はてっきり挨拶入札だと思っていたのだが。もしかして値が上がり過ぎて入札を諦めたか? とりあえず、落札者にメールを送る。 念のために落札者の評価欄を見る。・・・悪い評価1件。またか。 見ると、今度も一方的に落札キャンセルした形跡があった。ここでキャンセルされれば落札手数料9,000円が丸損。高額落札だが素直に喜べない。 次の日、落札者からの返信メールがあり、代金を振り込んだので確認せよとの連絡が入った。オンライン上で確かめると、確かに入金されていた。職場からは別のメールアドレスでの発信となるため、帰宅してから返事を書こうと思った。 帰宅後とりあえず品物をコンビニエンスストアから発送し、伝票番号を控えた。そして、発送した旨と伝票番号をメールにて送信した。 数分後、入札者からのメールが届いた。 商品はもう送ったのか、送ったのなら連絡が欲しいがどうなったのか、という内容だった。先ほど送ったメールと行き違いになった様子。 だがそれにしても、あまりに気が早い。無職の者ならばともかく、昼間は職場で忙しく仕事をしているのが普通。その時間を時間としてカウントされても困る。まさか業者だと思っているのか? メールの言いぐさに少々頭に来たため、「業者ではないのですぐに対応出来ないのだからそのへん理解しろ」という意味のことを丁寧語で書き送った。 数時間経ってもそれに対する応答が無かったため、同じ内容を受信確認要求付きで送ってやった。それにも応答無く、受信確認さえ送ってこなかった。 その後、我輩が風呂に入っていると、突然電話が鳴った。ヘナチョコ妻が取ったが無言のまま切れたという。 ネットオークション取引の場合、相手が本当に実在するのかを確認するために無言電話を掛けることがあると言われている。これも落札者からの電話か? だが確証は無い。 念のため、風呂上がりに落札者に電話してみた。 コールが10回以上鳴った後、やっと電話が繋がった。声の感じからして50〜60歳くらいのオヤジか。 我輩は、荷物を送ったこと、そして連絡の行き違いがあったことを確認して電話を切った。別段、変わった様子の無い会話に終わった。 しかしそれから10分後、再び電話が鳴り、我輩が出ると無言のまま切られた。 無言電話など今まで掛かったことが無いだけに、妙な気持ちが残る。 それから数日後、インターネット上で荷物を受け取ったということを確認した。だが我輩は、オークションの評価をせずにそのまま放置した。放置するのもまた評価の一つ。何かあれば、「非常に悪い」とすれば良い。 しかし、1週間後に落札者から「非常に良い」という無難な評価が入ったため、こちらも挨拶程度に「非常に良い」と入れた。 我輩の場合、オークションの評価が100を越えるまでは悪い評価が付くのが怖かったが、今となっては評価など気にならなくなった。もちろん多少の問題があろうとも、今回のように無難に終われば無難に「非常に良い」と入れることになるが、納得行かねばとことんやり合う覚悟はある。 さて、B氏に落札金額を伝えると、当然ながら喜んでもらえた。その後のやりとりで、手数料として2万円、そして送料や落札手数料などを差し引いてB氏の口座に入金した。 これで2万円入るならば、安い手間と言えよう。 ---------------------------------------------------- [465] 2004年01月18日(日) 「EOS7にすべきか、EOS Kiss-Dにすべきか」 EOS7にすべきか、EOS Kiss-Dにすべきか。 この問題は、比較対象がフィルムカメラとデジタルカメラという異なる製品のため、単純に比較出来ないところが難しい。 画質という面で限定したとしても、使用目的によって評価が全く変わる。 趣味として見た場合、やはり画質を求めることになり、リバーサルフィルムの高輝度・高密度画質を求めてフィルムカメラを選ぶことになる。 業務用として見た場合、画質は印刷やWebの画質上限が確保出来ればそれ以上求める必要が無い。それよりも、利便性や即時性、生産性が求められる。 1月15日、新橋にあるキムラヤでEOS7と交換レンズEF28-135mm F3.5-5.6 IS USMを購入し、そのまま寄り道せず電車に乗って帰宅した。 帰宅後、箱を開けてカメラとレンズを装着、何度かシャッターを切って新品の切れの良さを味わった。新しいカメラというのは、どんなカメラでも良いものだ。 ただ、「本当にこのカメラで良かったのか」という気持ちは、カメラを手にした今でも思っている。 <<画像ファイルあり>> Canon EOS7/EF28-135mm F3.5-5.6 IS USM <<画像ファイルあり>> Canon EOS7/EF28-135mm F3.5-5.6 IS USM <<画像ファイルあり>> Canon EOS7軍艦部 以下は、今回の購入の経緯である。 出向先の職場にて、若い研究員K氏が我輩の席に来た。 「あのー、相談に乗って欲しいんですが・・・。会社でカメラを買うことになったんですが、どんなカメラを買えば良いか全く分からなくて。どういうのが良いんでしょう?」 「用途による。」 このようなやりとりは過去に何度も経験しているので即答した。カメラの選択は、用途や目的で全く変わるのは真実。 K氏は「とりあえず決まっているのは、一眼レフでフィルムを使うものということなんです。」と言う。 「なぜ?」と訊いても、「上司がそう言っているから」と答える。 そこで、上司に直接訊いてみると、「用途としては広報誌掲載用とWebデータの両方に使いたいが、デジタルカメラではシャッターが切れるまでタイムラグがあり、しかも画質が良くなかったため今はフィルムカメラにしている。しかしそのカメラは私物のため、公費で新しくカメラを購入したい(※公費=国からの委託事業のため)。」とのこと。条件としては、一眼レフのフィルムカメラで、レンズはF値が2.8のものと言う。ある程度カメラの知識がある様子。 「分かりました、では幾つか候補を挙げて比較表を作ります。」 備品の購入には比較表など必要無かったかも知れないが、普段は業者発注の仕事を入札(価格競争・企画競争)にて決定しているため、ついその癖で比較表を作ると言ってしまった。 「まあ、説得力を付ける意味で比較表はあったほうが良いかもな。」 予算的には「Nikon F80」や「Canon EOS7」などのクラスとなるため、自動的にその2機種がノミネートする。MINOLTAはαシリーズの絞り機構が構造上脆弱なため論外、PENTAXについてはもはや一眼レフとしての知名度が一般には薄いため無視した。 比較表には、「Nikon F80」と「Canon EOS7」の他、Nikon、Canonそれぞれの下位機種を掲載し、「これら重量の軽い下位機種は衝撃に比較的弱く、修理費用も本体価格と変わらないことも多いため、故障時は新品買い換えが基本。修理を前提とする公費購入には不適当。」と説明書きした。 「・・・待てよ。」 我輩は再び上司に訊ねた。 「印刷物への入稿形態はどうやってますか?フィルムを印刷業者に渡すんですか?」 「いや、近くの写真屋で同時プリントした写真を渡す。」 やはりそうか・・・。 我輩は、ここで断言した。 「それならば、デジタルカメラが適当です。」 「えっ?」 確かに、印刷物としてはフィルムを使うほうが画質が良い。同じ予算でデジタルカメラを購入しても、そのクラスのデジタルカメラでは画質的にポジフィルムには及ばないのだ。ポジフィルムならば安価にAクラスの画質が得られようが、デジタルカメラでAクラスの画質を得ようとすれば、その何倍もの費用が必要となろう。 だがしかし、同時プリントの写真を入稿するとなれば話は変わる。圧倒的に色や濃度の不自然な同時プリントなど、安価なデジタルカメラの画質にすら及ばない。いわばCクラスの画質。 広報誌を手に取ってみたが、写真のクオリティが良くない。いかにも同時プリントを入稿したというような写真ばかり。色や濃度のバランスが崩れ、ハイライトとシャドーの境目は滲んでいる。まさに同時プリントそのまま。 広報誌取材として見た場合、カメラを使う人間は特定出来ない。取材に行く人間は複数いるためである。それゆえ、ポジフィルムを使わせることは酷だと思われる。カメラや写真について無知なる者が使うには、懐の深いネガしかありえないのだ。 そうなると、やはりフィルムでは現状の画質を越えることは出来まい。 ならばいっそ、デジタルカメラでBクラスの画質を狙うのが現実的。今までフィルムカメラを活かせずCクラスの画質しか得られなかったが、デジタルカメラに換えればAクラスは望めなくともBクラスまでには向上出来よう。 我輩は、「キャノンから安価な一眼レフ型デジタルカメラが発売されましたから、それにしましょう。」と提案した。 安価な一眼レフ型デジタルカメラとは、「Canon EOS Kiss-Digital」である。名前がKissとは気に入らないが、この際仕方あるまい。 この提案は受け入れられ、早速比較表無しでこのデジタルカメラの購入伺いを出すようK氏に指示した。 ところが翌日、所長がカメラ購入の件でK氏に注意点を与えていた。 それによると、「デジタルカメラは既に3台もあるため、今回はフィルムカメラのほうにすべし。」とのこと。 K氏は「3台もあったかなあ。」と言いながら倉庫を調べてみると、リコー製400万画素のデジタルカメラが出てきた。しかしこれはシャッターのタイムラグが非常に大きく使いにくいとのことで誰も使っていないものだった。 また、もう一つはデジタルビデオカメラの静止画撮影機能のことであり、写真撮影に使えるような代物ではなかった。 結局、3台目のデジタルカメラは見付からなかったが、所長の意向としては「フィルムカメラは1台も無いのであるから、とにかく買っておけ。」ということらしいので、もはや「EOS Kiss-Digital」を選択することは出来ない。 「なんということだ。これでは何も変わらないじゃないか・・・。」 我輩は落胆したが、印刷入稿に関してはCD-R書き込みサービスにて電子化して対応することにして同時プリントを回避する方向で話がまとまった。CD-R書込みサービスであれば、店による画質の違いはあるにせよ同時プリントのCクラスまでに落ちることはあるまい。多少のことならばそのデータをパソコン上でレタッチすれば良い。 結局、最初に我輩が作成した比較表が再び必要となり、それを用いてカメラが決定された。 それが、「Canon EOS7」と交換レンズ「EF28-135mm F3.5-5.6 IS USM」である。 Canonにした理由は、操作の点で軽快である点、そしてシャッターの切れの良さである。実際にフィルムを入れた比較ではないが、店頭にてNikon F80とCanon EOS7のシャッターを切ると、明らかにEOS7のほうが切れが良い。 最初に挙がった要望点としてシャッターが切れるまでのタイムラグがあったが、その点から言ってもシャッターの切れは重要である。もちろん、シャッターの切れとタイムラグとは別の問題ではあるが、体感向上として大きく影響を与える。そもそも、デジタルカメラの体感タイムラグの中には、シャッターの切れ具合が影響を与えていることも考えられる。 さらにF値2.8という要求についてはズームレンズにて実現出来ないため、手ブレ防止機能付きレンズを選択することによってF2.8相当の効果を得ようと考えた。 そもそもF2.8という要求は、手ブレの問題が発端である。まさか、広報誌の取材写真にて美しいボケ具合のためにF2.8を選ぶわけでも無かろう。ただ、融通の利くズームレンズというのは外せない。そうなると、F2.8クラスの大口径ズームとなってしまいその分重量増加によってブレ易くなる。ならばいっそ、手ブレ防止機能によってF2.8相当の効果を得るほうが良い。 では、実際にどこで購入するか。 「ビックカメラ」、「ヨドバシカメラ」、そして新橋の近場にある「キムラヤ」にて合い見積を取った。 我輩としては「ヨドバシカメラ」にしたかったが、なぜか「キムラヤ」が一番安く、そこで購入することになってしまった。 1月15日、定時後に我輩はK氏に同行してキムラヤへ出向き、見積り内容にてカメラを購入しようとした。 ところが、見積り品名に入っているUVフィルターがキヤノン純正品であることが判明し、急遽取り寄せ手続きをしなければならなくなった。他メーカー製ならばすぐに用意出来るとのことだったが、それでは見積金額が変わってしまうため、再び書類を回さねばならず購入が数日遅れてしまう。そうなるとすぐに用意出来ることの意味が無い。 さらに、注文番号が入力出来ないとかで、店員たちが右往左往していてなかなか埒があかない。結局、ただカメラを購入し不足品を取り寄せ手配するだけで小一時間も掛かってしまった。 我輩もK氏も疲れてしまった。 帰り際、我輩はK氏からカメラの紙袋を受け取った。事前にK氏に言っていたとおり、まず我輩が持ち帰って試し撮りをする。 大きなカバンと大きな紙袋、それを持って電車に乗るのは少々大変だったが、オモチャを持ち帰る子供の気持ちのように苦痛は感じなかった。 帰宅後、カメラとレンズを取り出してみた。 意外にもレンズが大きくバランスがあまり良くない。しかしカメラが軽いのでトータルとしては負担にはなるまい。 とにかくレンズのほうが興味があったので、我輩の「EOS630」や「EOS D30」に装着して動作させてみた。さすがに当初から防振レンズを開発していたEOSシステムだけのことはあり、旧いEOS630でも完璧に手ブレ防止機能が働く。Nikonには出来ぬ芸当だ。(参考:雑文236) 試しに、結果がすぐに判るデジタルカメラEOS D30にて撮影してみた。 レンズ側のISモードをONにし、シャッターボタンを半押しすると、レンズのほうから微かに「ジー」という音が聞こえてファインダーの像に変化が現れた。手持ちではブルブル震えるような状態だったのが、手ブレ防止機能が働くとゆっくりとユラユラ揺れるようなものになった。 このレンズはテレ側が135mmまでしかないが、とりあえず1/15秒にてシャッターを切った。少なくとも液晶モニタ上では手ブレは見えない。さすがだ。 比較用として手ブレ防止機能を切って撮影してみた。・・・やはり手ブレは見えない。 我輩の高い技量が邪魔しているようだ。 今度は、外に出て夜の街を撮影してみた。 シャッタースピードは1/8秒。液晶画面で部分拡大すると、ようやく違いが現れた。 <135mm側・1/8秒での手持ち撮影による比較(部分切出し等倍表示)> <<画像ファイルあり>> 手ブレ補正なし <<画像ファイルあり>> 手ブレ補正あり 色々と取り比べてみたところ、やはり小刻みなブレは補正出来るようだが、大きなブレは補正出来ないようだ。もっとも、レンズを駆動してブレを補正するのだから、その量には限界はあろう。 この手ブレ防止機能は、気を入れてしっかり構えてもなお細かい手ブレが起きてしまう場合に有効である。最初から機材任せで手ブレを甘く考えている者には向かない。 言うなれば、「天は、自ら助く者を助く」。 さて、カメラボディのほうだが、なかなか質感は良い。 しかし、電子ダイヤルのクリック感はあまり良くない。Nikonよりは良いものの、かつてのEOS620やEOS630の切れの良いクリック感は全く無い。ただし、最近のEOSにしてはグリップ感は向上している。もっとも、これもEOS600シリーズには及ばないが。 ところで困ったことに、このカメラは低照度測距時にストロボが連続発光してしまうという欠点がある。もし人物が相手なら、かなり眩しく、しかもシャッターを切ったタイミングと間違えられても不思議ではない。 なぜにこのような仕様なのか理解に苦しむ。 また、電池もCR123Aというものを2本使っている。最近はこのような電池が主流なのか・・・? しかし・・・まあどうせ、我輩はこのカメラを使うことは無かろう。 もし我輩が取材に行く機会があれば、Nikon F3やCanon EOS630があるからな。ただし、レンズのほうは使わせてもらうことにしよう。 ---------------------------------------------------- [466] 2004年01月24日(土) 「大撮影会2(野外編)」 我輩はギャンブルの類を一切やらない。 大学時代にパチンコを1度だけやってみたが、数十分やってすぐに持ち玉が終わってしまった。 「これはダメだ。」 我輩はそれ以上やらなかった。 この判断は全く正しい。 今の失敗を次回に挽回しようとする我輩の性格が、自分自身をギャンブルの泥沼へ突き落とすからである。 もし熱中してしまえば、何度負けても「次こそは!」と思うに違いない。 先日、雑文451にて大撮影会に参加したことについて書いた。 合計336カット撮って採用したのはわずかに30カット。率としては8.9パーセントの採用率ということになる。つまり、220フィルム1本(24枚)あたり2カットという計算。これは、構図やシャッターチャンスがどうこう言う前に、ピントや露出、ブレ無しというものを機械的に採用しただけのカウントである。実に情けない。 この8.9パーセントという採用率、もしいつものように3枚の段階露出をやっていた時の数字ならば納得出来る。段階露出をすれば、仮に全てが上手く撮れたとしても採用率は3枚のうち1枚、33パーセント以上にはならない。しかしこの時は段階露出は全くやらずに露出の決め打ちであったため、採用率の低さは問題である。 失敗カットを分析すると、全カットのおよそ8割が被写体ブレ、そして全カットの2割くらいがピンボケであった(単純にそれらの割合を足すと10割となってしまうが、実際には被写体ブレとピンボケは併発しているものがあるため10割とはならない)。 ピンボケについては、自分自身だけの問題であるからどうにでもなろう。だが被写体ブレは相手の問題であるため改善は難しい。もし相手が静物であれば長時間露光でも動くことはないが、生身の人間であるから直立不動であってもやはり微妙にブレるもの。中判の微粒子であるから、その許容度もシビアとなる。 あらためて成功カットをよく見ると、顔はブレていなくとも身体がブレているものが幾つかあった。やはり条件として1/30秒は厳しいのか。つまり、フィルム感度100では無理がある・・・? しかし我輩としては、せっかく中判を使うのであるから、どうしても感度100にて写真を残したい。どうしようもない場合でも、せいぜい感度200まで。 もしこれが35mmカメラであれば、明るいレンズによって問題をクリア出来よう。しかしながら我輩のブロニカレンズでは、一番明るくともF4.0のものしか無い。 「待てよ、80mm標準レンズならばF2.8だったな。」 現状のF4.0がF2.8へと改善されれば、1絞り分の明るさが稼げる。同じ条件の下でシャッタースピードが1段速く1/60秒で切れる。感度200ならば更に1/125秒か。 それまで80mm標準レンズなど使い道が思い付かず購入リストから完全に外れていたが、今回のように明るさが優先されるとなると途端に魅力を感ずるようになった。 早速、ネットオークションで標準レンズに入札し、競争相手無く開始価格25,000円にて落札した。 品物が届くまでの間、フィルムを増感現像した時のクオリティ低下を確かめようと、FUJI RDP3を用いて+1段及び+2段で試した。RDP3を選んだ理由は、RDP3が増感特性を売りにしているためである。「そこまで言い切っているのであれば」という期待があった。 しかし、元々の超微粒子に期待し過ぎたためか、結果はあまり良くなかった。恐らくこれは好みの問題なのだろうが、コントラストが強くザラザラ感が気になる。 増感はやめておく。 さて、オークションで落札した標準レンズが届き、早速ブロニカSQ-Ai本体に装着したが、コンパクトなレンズゆえに寸詰まりで頼りない。しかし、この新たな武器を手にしたことにより、「次こそは!」という再挑戦する気力が沸き上がった。 前回の数少ない成功カットをルーペで観ると非常に臨場感があり、色の深さや緻密感のおかげで、まるで目の前にH嬢がいるかのよう。片目をつぶって肉眼で見た映像そのもの。 いくら失敗しようとも再挑戦をするのは、成功カットが得られた時の達成感が35mmカメラやデジタルカメラの比ではないからだ。まさに、大儲けを目指すギャンブラーの心理状態とも言えよう。 大当たりさえ来れば、それまでの失敗が帳消しとなる・・・。 撮影会当日の1月12日(成人の日)、天気は微妙だった。 前回は野外撮影の部をパスしてスタジオ撮影のみ参加したため、今回は野外撮影から参加することにしていた。そのほうが光量不足によるブレを防ぐことが出来ると考えたからだ。 場所は、東急目黒線の武蔵小山駅近くの大きな公園。位置関係は未確認だが中古カメラで有名な三宝カメラが近くにあるらしい。 ところが現地へ向けて電車に乗っていると、陽が射したり曇ったりと定まらぬ。それはまるで花びらを1枚1枚ちぎって恋の行方を占う「花占い」のようであった。「晴れ」、「曇り」、「晴れ」、「曇り」・・・。 結局着いた時、空模様は「曇り」で終わった。 今回も前回同様モデルの人数はH嬢を含め4人だった。 参加者の人数は数えていないが、25人くらいはいたろうか。やはり中判カメラは我輩1人だった。 持参フィルムは前回同様Kodak E100G(220)を15本、そして予備に120フィルム10本である。220フィルムホルダーの中枠2つに加えて120用の中枠があるため、連続撮影可能枚数は24枚+24枚+12枚=60枚となる。一般的な35mmカメラよりもかなり多い。しかも巻き戻しが必要無い。 空は相変わらず曇っていたが、野外であるから何とかなろう。 撮影は4人のモデルごとに分かれてそれぞれに撮影するようだ。モデル1人とレフ持ちアシスタント1人の組合わせでそれぞれに場所を見付けて撮影し始めた。 我輩は直前にならないとフィルムを装填しないため(フィルムにクセが付いて平面性が失われるのを避ける意図がある)、最初の仕込みに手間取り、H嬢を後から追った。 見ると、木々の多い場所で撮影が始まっている。フラッシュメーターのスポット測光で光を測ると、ISO100では1/30秒でしか切れないことが判った。デジタルカメラでも同じ測光結果である。これでは確実にブレる。 ところが、H嬢を囲む撮影者は我輩を含めても3人しかいないのだ。他の2人が撮影した流れで我輩の順番(?)となった時に、撮らないでいることが出来ない。ブレると判っていてもシャッターを切るしかなかった。まあ、これは最初の挨拶のようなものと考えよう。 しかし他の2人も撮影しにくいのか数カット撮ってカメラの調子などを見始めた。我輩の順番がすぐに廻ってくる。まいったな・・・。 このままではどうにも出来ないため、アシスタントの女性に「ここは暗いので移動したほうが良いかも。」と控え目に言った。 「あ、じゃあ向こう行ってみますかぁ。」 恐らくは関西人であろうアシスタントは軽く言った。ああ、良かった。 我々5人はぞろぞろと歩き出し、比較的明るい場所のほうへ移動した。途中、ちょうどH嬢が我輩の隣を歩いていたので何か話したほうが良いかと思い、「さっきの場所だと暗くてブレてると思うよ。」と話しかけると、H嬢は「え、そうなんですか。」とこちらを見た。 新しい場所では、そこそこ速いシャッタースピードで切れた。 我輩が測光のためにデジタルカメラOLYMPUS C-700 Ultra Zoomを取り出したが、起動が非常に遅くイライラする。その間に他の2人が撮影を始めた。撮影者が少ないのであるから気楽にやればいいのだが、良い場所に来て自分だけ出遅れると気が焦る。 一通り撮影を終え、一行は再び移動を開始した。 途中、公園にありがちな子供の乗り物に遭遇したため、そこで数枚撮ることになった。 H嬢が乗り物にまたがった。他の2名が撮影した。我輩も遅れて撮影しようとした。だがH嬢が乗り物にまたがったまま遠慮無しに前後に大きく動くのでピントが合わない。いや、それ以前にブレてしまう。 「一瞬、止まって!」 我輩は思わず声を出した。 次の場所は、オブジェなどが置いてある場所だった。 場所的に三方からの撮影が容易で、ちょうど撮影者3人がそれぞれの場所から接近出来る。我輩は広角65mmレンズで接近して臨場感を出そうと考えた。 しかしあまり目線が来ている写真ばかりでも面白くない。しかもH嬢はふと目線を外した時に雰囲気が出る。この"雰囲気"というのは、一般的なモデルにありがちなカッコ付けのスカしたものではなく、少しお茶目な感じで後味が良い。それを言葉で指示してやってもらおうとするのだが、意識してやろうとすると上手く出来ない様子。 「さっきやったようにやってみて。」と言いたかったが、漠然と「さっき」などと言われてもH嬢も困るだろうな。 しかしH嬢は「私も、目線を外して45度くらい横に向いた顔が自分でも気に入っているんですよ。」と言った。 それ以降、我輩がカメラを構えると「目線はそっちでいいんですか?」と訊くようになった。なかなか気が利くな。 だが、後から考えれば「そっちでいいですか?」ではなく「そっちでいいんですか?」と言っていたことに注意すべきだったのだ・・・。 さてそのうち、アシスタントの携帯電話に電話が入り、レフ板を持ちながら話し始めた。 「あ、はい、はい、これ終わったら休憩ッスね。分かりました。はーい。」 休憩に入る前、我輩はH嬢に50センチくらい近付いてシャッターを切った。倍率から考えて、恐らくブレている可能性は高いが。 休憩場所では、各組が集まっていた。モデル同士並んで座り、その周りをアシスタントや撮影者たちが囲んで以前撮った写真などをモデルに渡しながら談笑していた。我輩は少し離れた場所で次の撮影に向けたフィルムの仕込みをやっていた。 実は、我輩も前回撮影した写真のプリントを1枚持参していた。最初は「写真など渡しても意味は無い」と思っていたのだが、「いや、自分がどのように撮られているのかということをH嬢に勉強させるために渡したほうが良かろう」と思い直しプリントしたのである。 通常、キャンペーンガールなどが撮影会に出るのは、カメラ慣れするという意味が強い。それと同時に、自分がどのように振る舞えばより魅力的になるのかという勉強にもなる。それには、"撮影された写真をモデル自身が見る"というフィードバックが大きく意味を持つ。 「せっかく贔屓(ひいき)にしているのだから、H嬢には吉岡美穂のように有名人になってもらいたいもんだなあ。」 自分では、暖かい目のつもりになっている。 休憩が終わると、再び各組がそれぞれの場所を求めて散った。 我輩は当然H嬢とそのアシスタントに付いていこうとしたのだが、誰も付いて来る気配が無い。アシスタントは立ち止まり「あれえ?」と見渡した。まさか、我輩1人か?それでは撮られるほうもやっておれまい。誰か来てくれ、頼む。 しばらくすると、先ほどの2人が現れて付いてきた。 なんでこんなに気を使うんだ・・・まったく。 その後、特に変わった事無く撮影は進んだ。 そして最後の場所を探して彷徨(さまよ)っていると、別の組のほうから声がした。 「ねえ、ここの場所は良いよー!」 そちらのモデルが声を掛けてくれた。 その組はもうすぐ別の場所に移るようで、今の場所を譲ってくれるとのこと。 5人でそちらに行き、その組と入れ替わった。 どういう向きで撮影しようかと皆で考えていると、先ほどの組の撮影者の1人が我々に、「こちらを背景にしたほうがジャマなものが入らないよ。」などと立ち去る前に教えてくれた。その親切が有り難い。 撮影中、強い陽が射してきた。冬の斜光がH嬢の髪の輪郭を照らし、良い雰囲気となった。野外撮影の最後を飾るひととき。シャッターを切った時の手応えは大きかった。 今まで、写真と言えばキレイに撮るということは二の次だったが、今回はキレイに撮るのが目的。キレイに写らなければ何の意味も無い。 そうこうしているうち、野外での撮影は終了した。 ずっとモデルに張り付いていた分、前回のスタジオ撮影よりも早いペースでフィルムを消費した。スタジオの場合、モデルが交互に出てくるから単純に考えると野外での撮影の半分となろうか。もちろん、野外では色々と場所を巡る時間が必要であるから、それほど単純には比較出来まいが。 全員が最初の場所に集まってきた。我輩は持参した写真のことを思い出し、H嬢に手渡した。H嬢はそのままアシスタントに写真を渡した。 時間はちょうど昼時。午後からは近くのスタジオでの撮影があるため、各自で昼食を摂りスタジオに集合することになる。 そう言えば腹が減ったな。何処で飯を食おう・・・。 (次へ続く) ---------------------------------------------------- [467] 2004年01月25日(日) 「大撮影会2(スタジオ編)」 (前回からの続き) 野外撮影終了後、我輩はその場に留まってフィルムや機材の整理をした。そして顔を上げると誰もいなかった。 「さて、飯でも食おうか。」 ハンディGPSを取り出し、事前に調べてあったスタジオを目指すことにした。その近くに中華料理のチェーン店「バーミヤン」があるはず。 全く知らない街でも、GPSが示す地図を辿れば必ず最短で目的地へ行き着く。スタジオの前を通り過ぎ、バーミヤンに到着。 スタジオに近いため、モデルやスタジオ関係者が昼食を摂っていたりしているかと思ったが、店内は広いため目が届かなかった。 隣の席では親子連れがおり、父親がAF一眼レフカメラで何枚も子供の写真を撮っていた。 我輩は若鶏の南蛮揚げとライスセットを注文し、それを食べながら次の計画を考えた。次の撮影まで1時間も時間があるためゆっくりしよう。普通の食事処では長時間は居づらいため、このような広いファミリーレストラン形式の店は都合が良い。 食事後スタジオに行くと、開始時間5分前であったが既に撮影者の大部分は集まっていた。居場所が無いので隅の方へ行ってカバンとオーバーコートを置いた。 スタジオの部では、モデルが2人ずつ交代で現れる。そのため、25人前後の撮影者はその2人に集中することになる。当然ながら午前中の野外撮影のようにゆったりと撮影出来るわけではない。少なくとも10人前後の他の撮影者と場所を調整しながら撮影することになる。互いに気を使う感じだ。 それにしても、H嬢はなかなかこちらへ目線をくれない。目線が来て1枚撮影した後に続けて2枚目を撮ろうとすると、もう別の撮影者のほうを向いている。 「・・・?」 大抵の場合、1人の撮影者には数カット撮影させている様子。前回のスタジオ撮影でもそうだった。そのため、連続撮影可能なモータードライブは必須だった。目線が来れば、そこで数枚撮る。モデルは目線をそのままにして数パターンでポーズをとるのだ。 ところが今回、我輩だけには目線の来る時間が非常に短い。その様子が他の撮影者に対するものと全く違っていたためビックリした。 ふと、午前中に言われた「目線はそっちでいいんですか?」という言葉が甦った。そして、その言葉に続く意味をあらためて考えてみた・・・。 「目線はそっちでいいんですか? ダメなんですよね? 外したほうがいいんでしたよね?」 我輩はてっきり、単純にどちらかを訊いているものと思っていた。 「目線はそっちでいいですか? それとも外したほうがいいですか?」と。 確かに、目線ばかりの写真では変化が無いばかりかH嬢の魅力を出し切ったことにはならない。本人も「斜め45度の表情が気に入っている」と言った。 そうは言っても、逆にそういう写真ばかりだとまた困る。しかも、単純に他の撮影者のほうを向いている状態が"目線を外した"ということにはならない。目線を落としたり、遠くを見たりする雰囲気が無ければ、わざわざ目線を外す意味が無い。他の撮影者を注視している場合、モデルの眼に"気"が入るため、出来上がった写真としては「このモデルは何を見ているのだろうか」と目線の先が気になるような写真になってしまう。我輩としては、目線が外れてもモデルそのものに気持ちが向くような写真としたいのだ。 その部が終了直前、H嬢に瞬間的に接近して撮影した。 その時、「目線はこのままでいいですか?」と訊かれた。我輩は「ええ、そのままで。」と答えた。 そして撮影後「注文あれば言って下さいね。」と言われた。 少なくとも、嫌われていたわけではなかったようだ。 スタジオ撮影は18時過ぎまで行われる予定。 外光を採り入れられるスタジオのため、最初のうちは明るいがそのうち段々と暗くなってくる。そしてスタジオ用ライトだけが照明源となる。冬の光は短い。 15時を過ぎると露出計では1/30秒となってきた。かと言って80mmF2.8では多人数では距離が遠くアップには使えず、逆に全体を写すには距離が近い。遠ざかろうとするとモデルが他の撮影者の陰に隠れてしまう。 「困った、このままでは撮影不可能。」 高い金を払っての参加であるから、ここで撮影を止めることは出来ない。 仕方無いため、これ以降はE100Gを+1増感することにした。特性は未確認だが、+1なら何とかなろう。 次の部では、レースクィーンのコスチュームになる予定である。しかし例の関西系アシスタントが現れてこう言った。 「えーと、ちょと手違いがありまして、衣装が届いてませんでした。次のコスチュームは変更して私服ということでスンマセン。」 なに、同じ写真を撮らされるのか・・・と思ったが、そうではなく先ほどとは別の服だった。まあ、良しとしよう。 最後の撮影では、モデルは皆チャイナ服で登場し、H嬢もピンクのチャイナ服姿だった。髪を二つに結っていたため愛嬌があってなかなか似合っている。スカしたモデルではなかなか出せない雰囲気で良い。 目線が来た時にすかさず、シャカリキになって爆音モードラを連射(「連写」ではない)し続けたため、だんだん目線をくれることが多くなった。Nikon F3+MD4クラスの静音カメラでは、このような芸当は出来まい。 前回のスタジオ撮影ではモデルの交代が前半後半と2つに分かれてH嬢は各部ともに後半の登場だった。しかし今回は前半の登場となっていた。当然、H嬢の最後の撮影が終わっても、次のモデル2人の撮影が残っていた。 見ると、我輩のフィルムバックが中途半端に数枚残っている。良い機会であるからと、残りのフィルムで他のモデルも撮ってみた。 翌日、現像したフィルムをチェックすると、やはりH嬢の写真はブレが多かった。しかし他のモデルを写したものはブレが少ない。H嬢はブレ易いのだろうか・・・? また、やはり野外での撮影は最初がブレており、それ以外はまずまずの出来。スタジオ撮影では増感が主だったが、思ったほど粒子が粗れておらず、逆に記録を付けておかなければどれが増感したものかという区別が出来なくなりそうだ。もっとも、標準現像にて比較した場合、E100GはRDP3よりも粒状性が良くないため、増感しても目立たないということかも知れぬ・・・。 結果的に、全カット372枚のうち採用カットは66枚という結果となった。66判で撮影したのであるから、ちょうどキリが良い(コンピュータで言えば128とか256、あるいは1024という数字がキリが良いのと同じような感覚かとも思ったが、ちょっと違うか)。 採用率を計算すると18パーセント。220フィルム1本あたり4枚程度。納得したわけではないが、まあ向上したという意味では良かろう。少しは気が晴れた。 だが、気に入ったカットでブレやピンボケがあったのはショックである。こういう悔しさが「次こそは!」という気持ちを起こすことになる。 とは言っても、今度はもう少し昼が長くなる季節にしようか。これ以上努力してももう限界まできているように思う。RHP3など感度400のフィルムは使いたくないため、次に参加しても採用率が上がりそうも無い。まだ先の話ではあるが、夏の明るい時期に撮ってみたいもの。 まあどちらにせよ、参加費とフィルム代・現像代捻出のためには、少し間を置かねばならないのは事実である。 ※今回の写真も、撮影会を特定されると雑文の内容ゆえ苦情が来る恐れもあり、写真掲載サイトへのリンクは当サイトからは当面行わない。 ---------------------------------------------------- [468] 2004年01月30日(金) 「第九演奏会」 最近の文化世論調査によると、芸術鑑賞しないと答えた者は半数にも上るという。 その理由について、「時間がなかなかとれないから」という理由が減少し、「あまり関心がないから」という理由が増えているそうだ。 我輩自身は写真については芸術性を見出していないのであるが、かといって文化・芸術に関心が低下する現状は好ましいとは思わない。そこで、芸術の一つである音楽鑑賞についての我輩の体験を書くことによって、少しでも関心を向上させることに繋がればと思った。 そういう意味では、今回の雑文は直接的に写真とは関連が無い。ただ、芸術に求める感動への理解について、写真分野でも何かのヒントになるのではないかという期待も込めた。 なお今回は、特に結論じみたことを書いてまとめるつもりは無い。我輩のエピソードを文章で追体験することにより、芸術の素晴らしさとそれを共有する喜びを少しでも感じてもらえたらと思っている。 -------------- まだ日本の景気が良かった頃、我輩の勤務先(今は出向元)では日本フィルハーモニーの特別会員となっていた関係上、毎年年末にはベートーベンの第九を聴くイベントが催された。言うなれば、福利厚生の一つである。 勤務を終えた後、会場のロビーでは本社地区の人間とその家族が集まり、普段は会う機会の無いそれぞれの家族と対面する。 我輩は最初、このイベントがつまらなく思えた。勤務を終えて疲れた身体で音楽を聴きに行くとは。 クラシックなどCDでゆっくりとくつろいで聴いたほうが気が楽であろう。癒やされるために聴く音楽であるのに、ネクタイ・背広姿のまま狭い席に座って音も立てず気を入れて聴けというのか? 最初のうちは回覧される参加希望者欄に不参加と書いていたものだ。 だが、根が貧乏性である我輩としては、全く参加せずにいるのはシャクでもあった。 「ま、とりあえず1度は行ってみよう。」その年はそう思った。 映画と同じで、1度行けばそれで十分。毎年行く必要は無い。 ところが実際に行ってみると、生演奏というのはCDの音楽とは全く違うことを知った。 CDの演奏では、いつでも止められすぐに再開出来るという気持ちのため気を入れて聴くことは無い。また時間の関係上、気に入っている部分のみを聴くような"つまみ食い"も多い。だがコンサートでの演奏は一度きりであるから聴き逃しせぬよう全神経を集中させる。そのため、ある種の緊張感を以て聴くことになる。そして全ての楽章を経ることによって、フィナーレで感動を最大限に盛り上げることにもなる(参考:雑文200「感動の素」)。 当時はまだ第九などあまり聴いたことが無く、知っているメロディはコーラスの部分くらいしか無かった。しかしそれでも、多くの楽器たちが長い物語を描き、それぞれに主張し合いながら、最後に一つにまとまって終わるという現場に居合わせた感動が肌で感じられた。まるで自分たちもその演奏に参加しているような、そんな気持ちにさせる。 演奏が終わった後、会場は大きな拍手に包まれた。我輩も拍手した。それは単純に演奏の技量を誉めるという意味では無く、感動を身体で表現したものであった。会場の多くの者たちは同じ感動を共有した。そしてそのことを確かめるように皆で拍手した。まるで、知らない者同士が「凄かったなあ」「ああ、良かったよ」と言い合っているかのよう。 それは、演奏後に続く聴衆たちの演奏とも言える。拍手無くしてコンサートは完結しない。 それ以来、我輩は毎年その行事に参加するようになった。 ところが景気が悪くなるとその行事は行われなくなり、せっかく毎年参加するようになった我輩も第九演奏会から遠退いてしまった。いくら生演奏の良さが解っても、"会社の行事"というきっかけが無くては「いつかそのうち」となかなか具体化しない。 そしてそのまま何年か時が過ぎた。 そんな時、きっかけは突然やってきた。 我輩も縁あって結婚し、新しく松戸に移り住んでそれほど経っていなかったと記憶している。 ある日、会社のメールに総務課からメールが届いた。 「会社の接待用チケット(第九演奏会)が2枚余ったので希望者に進呈します」とのこと。希望者はメールを出すわけだが、周りの者に訊くと皆メールを出したと言う。競争率はかなり高い様子。 その中のひとりに訊いてみた。 「どう書いてメール出した?」 「"第九チケット希望"って書きましたよ。」 そんなメールじゃダメだ。 我輩ならばこう書く。 どれほど第九の演奏会に行きたいかという情熱を表現し、そして妻を新婚旅行にも連れて行けなかったことについて触れ、「せめて演奏会に行かせてやりたい」と締めくくった。 あらためて読んでみるとかなりクサい文章だったが、モノは試しとメールを送ってみた。 すると数日後、「おめでとうございます」というタイトルのメールが総務課から届いた。 正義は、勝つ。 そしてそれが直接のきっかけとなり、毎年年末には第九のチケットを取りコンサートへ行くようになった。 ヘナチョコ妻は第九をあまり聴いたことがなかった様子で、一緒に行っても途中でコックリコックリする。 2000年の年末は渋谷のオーチャード・ホールに第九を聴きに行ったのだが、その時もヘナチョコは意識が遠退いた様子だった。 コンサートが終わった後、2人で人混みの中を渋谷駅に向かいながら話をした。 「居眠りしてたろう。」 「でも途中で聴いたことのある部分があった。その時は起きてた。」 「それは第三楽章だろ?」 「さあ?」 「第三楽章のはず。」 「・・・なんで?」 我輩は自宅の部屋で、いつも第三楽章の部分をリピート再生していた。 ヘナチョコの居る部屋へ聞こえるよう、わざとドアを開けボリュームを調整して少しずつ覚えさせていたのである。 そのことを教えてやるとヘナチョコは、「だって去年から聞こえてたような気がするけど・・・」と言った。 よく覚えているな。これは1年間の教育計画だったのだ。 しかし2人でコンサートへ行くのは経済的負担がかなり大きい。 また、我輩は出来れば何度でも行きたいのだが、その度にヘナチョコを連れ回すのも気が重い。 結局、去年末〜今年始めは1人で出掛け、幾つも第九コンサートを廻ることにした。1人であれば、最小限の費用で最大限の回数をこなせ、しかも身が軽い。自分一人だけの予定を考えれば済み、1つだけ空いた席を演奏日直前に取ることも出来たりする。 便利な時代になったもので、今はインターネットからチケットが購入出来る。 画面上でクレジットカード決済が済むとその場でチケット番号が発行され、その番号を最寄りのファミリーマートの端末へ打ち込むと印字されたチケットが手元に入る仕組み。タイムラグは人間の手続きのみである。 我輩は、とりあえず年末のコンサートをスケジュールに入れることにした。だが年末は空席が少なく、何とか2回分のチケットを購入。 1回目は、池袋にある東京芸術劇場(夜)。2回目は、上野にある東京文化会館(昼)。 当然ながら写真撮影は禁じられているため、演奏が終わった直後の拍手の嵐の中でサッとFUJI GA645Wiを取り出しプログラムAEにて-0.5EV補正をして素早く撮影した。マイナス補正をしたのは、舞台は明るいものの周囲が暗いためオーバー値が出るからである。 <<画像ファイルあり>> 池袋/東京芸術劇場S席(2003.12.19) <<画像ファイルあり>> 上野/東京文化会館B席(2003.12.27) しかし年が明けても1度は聴きたい。そのため色々と探して予定の合う2月のコンサートの席を押さえた。 だがそうなると欲が出て、1月にも行きたくなってきた。インターネットで探していると、船橋の第九コンサート案内へ行き着いた。 演奏は音楽大学、コーラスは船橋市民によるものらしい。チケットは全席自由席となっており2千円と格安。当日券さえもあるようだ。前年の演奏会の様子が個人のホームページで紹介されていたが、いつもは6〜7割の入場者数ということで、よほど人気が無いのか。 これならば当日券で十分だと思われた。 当日1月25日、我輩は写真掲載サイトの掲示板にて前日から始まった論争の渦中にいた。そのため少し寝不足気味であり、この日の船橋コンサートはパスしようかという気持ちが出たり引っ込んだりしていた。 しかし、とりあえずの反論を書込み終わった時点で、間に合うか間に合わないかというボーダーラインだったため、思い切ってそのまま家を出た。 穏やかな昼下がりだった。 乗り換えは2回必要だったが、現地へは思ったより早く45分くらいで到着。 ところが会場前には立看が置かれており、「前売り完売のため当日券は立ち見となります。」と書かれていた。 「た、立ち見か・・・。」 ロビーを見ると、多くの者が行列を成しており、その行列が無くなった時点で初めて当日券を発行するとのことだった。当日券向けの行列も別にあったため、我輩はそこに並んだ。 電車でも立ったまま、行列でも30分近く立ったまま、そして入場しても立ったままか。かなり疲れそうだな・・・。我輩は、ここに来たことを半分後悔していた。 「どうせ当日券だったのだから、家で寝ておれば良かった。」 ようやくチケットを手に入れて会場に入る。立ち見であるから、早く行った方が良いのだが、トイレに寄って会場入りした。 まず2階席のほうへ行き、後ろの通路に立とうと思った。しかし2階席の通路は後ろには無かったため、仕方無く1階へ降りた。後ろの真ん中のほうへ行きたいのだが、立ち見の人間は多かろうと諦め半分で入った。ところが意外にも立ち見は真ん中には2〜3人しかおらず、残りは左右に偏っていた。不思議だったが、真ん中の場所を確保することに成功。 さて、疲れを最小限にするために後ろの壁に寄りかかるようにするか・・・などと体勢を整えていると、目の前の席、つまり最後列の席に座っていた老人が後ろを振り向き我輩に声を掛けた。 「ここ空いてますよ。」 老人は、隣の空いている席を指さした。 「えっ、いいんですか?」 我輩は遅れて入ってきたため、他の立ち見客のことが気になったが、我輩に声を掛けてくれた厚意に感謝して席に座らせてもらうことにした。 「いやー、どうもありがとうございます。私は松戸から来たんですが、こんなに混んでいるとは・・・。」 「松戸ですかー。それはそれは。」 我々は、演奏が始まる直前まで色々と会話した。 品の良い老人で、どうやら知人がこの第九演奏会に関わっているようだった。リハーサルの話なども聞かせてもらったりした。 さて演奏中は、席に座らせてもらったため疲労も無く演奏を聴くことに集中出来た。しかし、演奏後にカメラを取り出して撮影するのはやりにくい。席を提供してくれた老人への印象が悪くなるだろうか。 ところが第三楽章が始まる前にコーラスが入場してくるタイミングで、老人の向こう側の席のほうで「ピポパッ」という電子音が聞こえた。確か、あれはFUJIのデジタルカメラ「ファインピクス」の起動音だったような・・・。横目で見ると、確かにデジタルカメラで何枚か撮影している男性が見えた。まあ、ストロボさえ焚かなければ大丈夫か。 我輩は少し気が楽になった。 演奏は第三楽章から第四、第五楽章へと突入し、クライマックスを迎えた。 その時、ホールを閃光が一瞬照らした。恐らく誰かがストロボを焚いて撮影したのだろう。演奏中にストロボを焚く奴があるか! まあ、自動発光によって意図せずストロボが光ったに違いない。今頃、撮影者は恥をかいているだろう。 ところが、数分後に再びストロボが光った。今度は立て続けに3回も。一体、何を考えているんだ・・・。 一応、チケットには注意事項として撮影禁止と書かれてある。だが船橋市民の参加する第九コンサートであるため知り合いなどが多く訪れ、気軽に記念撮影をするのだろうか。 まあ、これで我輩も堂々と(?)撮影出来るというわけだ。 演奏が終わった直後、会場は拍手の渦に包まれた。隣の老人は大きな声で「ブラボー!」と叫んだ。我輩も、最初のうちはカメラを持つ気にならず拍手を送った。このまま拍手を続けたかったが、切りの良いところでFUJI GA645Wiを取り出し、何枚か撮影した。前に座っている男性の頭がジャマだったため、カメラを持つ手を上げてノーフレーミングで撮影した。 拍手が鳴り止み会場が明るくなると、観客は帰り支度を始めた。 我輩は老人に改めて礼を言った。 「ホントにどうもありがとうございました。良い思い出になりましたよ、ホント。」 「それは良かった。またどうぞ聴きに来て下さい。実は私の家内もコーラスに出演してまして、ほら、これが家内です。」 老人はコンサートのパンフレットの中にあるコーラスのひとりの名前を指さした。 「それはそれは・・・。」 老人の向こう隣の女性もこちらの会話に入ってきたので、恐らく老人の娘さんであろうかと思われた。 ちょうどカメラにはフィルムが1枚残っていた。我輩はストロボをポップアップして老人と隣の女性に言った。 「これも何かの縁ですから、お写真撮らせてもらってもいいですか?」 「写真ですか、ああ、いいですよ。」 老人と娘さんは照れた笑顔を見せた。 我輩は2人にカメラを向け、シャッターを切って最後の1枚を撮り終えた。コンサートホール内での初めてのストロボ撮影だった。 我輩は老人に、写真が出来たら送ることを伝え、住所のやりとりをした。 そして、互いに良い笑顔で別れた。 会場の外に出ると、爽やかな夕焼けが雲を染めていた・・・。 <<画像ファイルあり>> 船橋/船橋市民文化ホール自由席(2004.01.25) <<画像ファイルあり>> 感動を分け合った船橋のT家族(ちなみに、向こうにはファインピクスを持った手が見える) -------------- (2004.02.23追記) 昨日(2004.02.22)の昼、両国国技館へ「5000人の第九コンサート」を聴きに行った。 出掛けるついでにデジタルカメラ2台、35mmカメラ1台、中判カメラを1台持って行き、日本庭園で撮影をした。 その後、国技館前を通ったのだが、まだコンサートまで1時間もあるというのに、既に長蛇の列が出来ていた。何事かと思っていると、ハンドスピーカーで「手荷物検査を実施しております」と整理員が叫んでいた。 「カメラの持ち込みを検査するのか?」 見ると、警備員の姿も多く見られた。我輩は仕事柄省庁へ出向くのだが、その度に身分証提示や手荷物検査をされる。ふと自分のカバンを見た。そこにはカメラが4台。いくら何でも通過出来まい。 仕方無く、駅のロッカーへ荷物を入れ、国技館へ入った。写真は諦めよう。 コンサートはすぐには始まらなかった。司会進行役の女性の話や、第九コンサートの主催者の話、そして墨田区市長、北の湖理事長その他来賓の話があった。 また、このコンサートには天皇の弟も出席しているとのことで、司会者がそのことを言うと拍手が上がった。 そしてやっと第一部のバイオリンとピアノの演奏が行われた。会場全体のライトが消え、中央のステージのみが照らされる。不思議なことに、ライトが消えると大きな空間の広がりを感じた。 第一部の演奏が終わると20分間の休憩となった。 トイレに行った後再び席に着いた。良く見れば、観客席の前半分がコーラスの人間だった。"5000人"とは、聴衆の数ではなくコーラスの人数だったのか。これは驚いた。観客と同じ人数であるから、観客・コーラス・観客・コーラス・・・と交互に配置することも出来そうに思う。 そしていよいよ、第九が始まった。 しかし、ストロボの光が様々な場所から発光するのが見える。驚いたことに、コーラスのエリアからも幾つもの発光が確認出来た。司会によると、コーラスは小学生から90歳台の老人まで色々といるらしいので、記念撮影する者もいるのだろう。なにせ、5000人。行儀の悪い者くらい居てもおかしくない。 我輩の後ろにも、デジタルカメラのシャッター音(サンプリング録音されたわざとらしいシャッター音)が何度もうるさい。背後からの発光は眩しくないがやはり気が散る。 恐らく、コーラスの人間の数だけ友人知人が観客として来ているのであろうから、記念写真は当たり前の光景なのだろう。一人一人はストロボ1発でも、全体として見ればストロボ連発である。演奏が盛り上がる部分では、まさに記者会見の場のようにビカビカ光る。 我輩の席の前は通路だったが、そこに1人の男が席を離れて一眼レフカメラを持ってウロチョロして写真を撮っていた。まるで運動会でも撮っているようだな。 我輩もカメラを持って会場に入れば良かった。 それにしても、会場内での注意は「ストロボを使っての撮影はご遠慮下さい」だったが、ストロボを使わない撮影ならば良いのか・・・? さてクライマックスのコーラスが始まる直前、5000人が一斉に立ち上がり、ライトがパッと当てられると、まさに壮観な画だった。鳥肌が立った。 そして会場全体に合唱が鳴り響いた。右左のステレオ感も素晴らしい。パートによって配置を考えてあるようだ。通常ならばコーラスの居る場所は中心にかたまっているため配置を考えてもステレオ感は無いが、5000人もいると視野一杯に広がっているためステレオ感は大きい。 演奏が終わると、墨田区の各小学校の生徒による花束贈呈が行われ、そして滝廉太郎作曲の「花(春のうららの隅田川〜)」を会場全体で合唱して終わった。管弦楽で聴く「花」は初めてだったが素晴らしい。 来年は2月27日開催とのこと。 次回もここに来ることにする。ここは気兼ね無く撮影出来る。写真撮影の場としては最強。 ---------------------------------------------------- [469] 2004年01月31日(土) 「それでもデジタルカメラ」 その日、我輩は新しいデジタルカメラを購入する資金を捻出するため、ネットオークションに不要カメラやレンズを出品しようとしていた。 まず外観写真をデジタルカメラで撮影。そして雑文195で購入したノートパソコン「メビウスPC-RJ950R」のPCカードスロットを経由してメモりから画像をハードディスク内へコピー開始。だが、データ領域であるDドライブが容量不足とのメッセージ。「仕方無いな、少しディスク内を整理するか。」いつかはやらなければと思っていたことだったが、容量不足となれば今やるしか無い。 とりあえず画像データなどはDVD-RやCD-Rへと移すことにしたが、無秩序に保存された状態をそのままメディアへコピーすると後で探すのが大変なため、ある程度の分類を設けることにした。フォルダを幾つか作り、画像ファイルを移動させる。しかし、Windowsの動きが重い。「しまった、仮想メモリをDドライブに指定してあるから容量不足で身動き取れないのか。」そう思った瞬間、まるで日本庭園でよく見る獅子脅しのような「カッコーン!」という風流な音がした。 「な、何だ?!」 また再び、「カッコーン!」という音。どうもノートパソコンの底部から聞こえてくる。そしてそれは何度も何度も繰り返して鳴りやまなくなった。そこでハッとした。「もしや、ハードディスク・・・か?」 Windows画面は完全に停止してしまい、唯一マウスカーソルのみ動く。このまま放置するとマズイと判断、緊急処置として、強制的に電源を切った。そして落ち着いた頃、再び電源を入れた。だが、電源を入れてすぐに獅子脅しが鳴り始め、Windowsは起動しなかった。 我輩はパソコンの電源を切って、しばらく呆然としていた。「今までのデータは・・・全部飛んだのか?」 2〜3年前、デスクトップ用の新しいハードディスクを増設した時、1週間でイカレたことがあった。前日の夜に電源を落とすまでは認識していたのだが、次の日の朝に電源を入れるとディスクを認識しなかったのである。データ移行を済ませ、これから本格的に使おうという矢先の出来事にショックを受けた。結局それは初期不良扱いで交換されたが、データが戻ることは無かった。 今回、このハードディスクを修理したとしても、データが戻ることはあるまい。第一、ノートパソコン本体には改造を加えてありメーカーに持って行ける状態ではない。 我輩の悪い癖だが、ダメ元でハードディスクのカバーを開けてみることにした。中でどういう動きをしているのか確かめたい。ハードディスクは超精密品でゴミを嫌うことは分かっているが、このような状況であるからそういう心配をしても仕方あるまい。 カバーを留めているネジを取り、カバーを剥がした。そこには鏡面の円盤があり、当然ながらホコリ一つ無い状態だった。そして読取りヘッドを動かすアームが見えた。これがどこかに当たって獅子脅しの音を出すのだろうか。我輩は、このディスクをUSB接続のリムーバブルディスクのケースに入れ、USB経由で認識させてみることにした。 「おっと、ケースは向こうの部屋に置いてあったか・・・。」 我輩はすぐに戻るつもりでその場を離れ、リムーバブルディスク用のケースを取りに行った。ケースを手にして部屋に戻ると、なぜか扉が大きく開いていた。「?・・・誰か入ったのか?」イヤな予感がして部屋の中を覗くと、そこに豚児(とんじ)が立っており、カバーを剥がしたばかりのハードディスクを持ってこちらを振り向きニヤニヤしているではないか。その親指は、しっかりとディスクの鏡面を押さえ付けていた。 「と、豚児っ!」 我輩は豚児からハードディスクを奪い取り、鏡面を調べてみた。やはり、そこにはクッキリと親指の指紋が・・・。豚児は激しく泣きながらナチョコ妻のいる台所へ走って行った。 ハードディスクというのは超精密機械であり、例えばタバコの煙の粒子さえもディスクとヘッドのギャップに引っかかる。ましてや指紋などもってのほか。 だがこのまま捨てるわけにもいかぬ。やるだけやってみなければ気が済まない。 <<画像ファイルあり>> HDDに指紋を付けている豚児(再現) 我輩は指紋をそのままにしてリムーバブルディスク用のケースに格納、そして別のノートパソコンのUSB端子に接続した。すると剥き出しになったディスク面が高速回転し、ヘッドがククッと動きディスク面を舐め始めた。 しかし、すぐにヘッドが勢い良く戻り、獅子脅しの「カッコーン!」という音が響いた。我輩は思わずそのヘッドを指で押さえて止めた。すると、それが影響したのか手を離しても勢い良く戻ることはなくなり、少し安定した。 エクスプローラ上では一応新しいディスクが認識された。その中を開くと、ハードディスクのアームが動き始め、1分ほど行ったり来たりした後、フォルダ構造が表示された。 試しにフォルダの1つを開いてみた。 すると、先程と同様に1分くらい経ってその中にあるファイルが表示された。 「もしかして、時間は掛かるものの復旧は出来るのか・・・?」 我輩は、剥き出しのハードディスクをチラリと見て、試しにデジタルカメラで撮影した画像をそのフォルダごとコピーしてみた。 再びハードディスクのアームが動き、1分後にコピーが始まった。 その画像はデジタル画像のJPEGファイルをBMPファイルに変換したもので、かなりの容量があった。そして、数分かけて20個ほどコピーしたあたりでパソコンの応答が無くなった。 パソコンをリセットして再起動。剥き出しのハードディスク表面は、読み取りヘッドによって指紋が拭き取られたようで滑らかな鏡面を輝かせていた。 まず、とりあえず先程コピーしたファイルを点検してみた。するとそれらは正常にコピーされており、剥き出しのハードディスクはそれなりに機能していたことが判った。素晴らしい。 ところがそのハードディスクは次からはもう認識すらされず、そのうちパソコン本体の動きも怪しくなってきたので、それ以上無理をすることは出来ず、結局はデータ復旧は諦めざるを得なかった。 それにしても、撮り貯めてきたデジタルカメラの画像が失われてしまった。特に、最近の豚児のデジカメ画像を失ったのは痛い。 デジタルカメラのデータというのは、どうしてもPCMCIAカードスロットやUSB端子、IEEE1394端子などが充実した最近のノートパソコンへ移すことが多い(つまり特定のパソコンに集中して保存されるということ)。しかもJPEGデータの小さな容量では、CD-RやDVD-Rに格納するにはかなり貯め込む必要がある。特にDVD-Rでは追記しようとすると、リードイン・リードアウトのデータが付加されてそのたびに数百MBもの容量が無駄に減ってしまう。貧乏性の我輩が追記をするなどあり得ぬこと。 いつかはバックアップを取らねばならぬとは思いながらも、日常に追われ先延ばしになっていた。そして結局、データを貯め込むだけ貯め込んで、そのハードディスクは逝ってしまった。 もちろん、我輩はデジタルカメラは露出計代わりにしか使っておらず、大事な写真は失われることは無い。 しかしデジタルカメラの画像には撮影時間や露出情報などが記録されており、しかも大量に撮影するために本番撮影前の舞台裏的撮影が多く面白い。二度と撮り直せないだけに、それらは貴重である。 そのため、いくら露出計代わりとはいえ、消えても良いということではないのだ。 我輩は今回のようなデータ消失を二度と起こさぬよう、ヘナチョコに事情を話し、一時的データ保存用としてDVD-RAMドライブを購入するよう説得した。現在のDVD-RAMならば、片面4.7GBものデータを保管出来る。しかも、ある程度までデータを貯めなくとも、その都度バックアップを取れば良い。そしてそのDVD-RAMが一杯になれば、同容量のDVD-Rへ本番書きすれば完璧。 DVD-RAMドライブ4万円、両面9.4GBのDVD-RAMメディア十数枚1万円分、代替ハードディスク2万円、計7万円の出費。もはや冬のボーナスは残っていない。しかしデジタルカメラのデータは貯まる一方であるから、選択の余地は無い。 もちろん、デジタルカメラの画像をその時その場で使い捨てず保存しておこうとした我輩が悪い。 第一、このような大がかりなバックアップがデジタルカメラ使用者に必要であるとすれば、こんな不便なことはなかろう。まさか、写真を趣味とせず気軽にデジカメ写真や携帯写真を撮る者がそのようなバックアップ装置を自宅に隠し持っているとでも? デジタルカメラの画像は、すぐに見ることが出来、すぐにWeb上に乗せることが出来、すぐにメモリ上から消し去ることが出来る。未練がましく画像の保存など考えず、メモリ内のデータが貯まれば消去し次の撮影に向けば良い。それがデジタルカメラの利点である。 そういう意味で、我輩にはデジタルカメラを使う資格は無い。 それでも我輩は、6〜7台目となる次のデジタルカメラの購入を考えている。各メーカーのカタログを集め、新橋のキムラヤや上野のヨドバシカメラに通い詰め実機の感触を色々と確かめている。 もやはデジタルカメラは我輩にとって無くてはならぬアイテムである。 不満の数だけ買い換えるつもりだったが、次の製品で以前の満足が不満に戻ることがあり、とても不満の数だけの買い換えでは足りない。 今まで色々と悩まされ貢がされてきたデジタルカメラではあるが、今後はバックアップ体制を整え、更に活用するつもりである。 ---------------------------------------------------- [470] 2004年02月01日(日) 「次のデジタルカメラ(前編:それまでの遍歴)」 我輩が最初にデジタルカメラを目にしたのはカシオの「QV-10」という機種である。 関連企業からの出席者によって運営される研究部会に参加した時、部会のホームページに掲載する顔写真として撮影されたカメラだった。 当時のデジタルカメラはまだ35万画素のビデオカメラ画質であり、我輩の印象としてはスチル写真の撮れるビデオカメラというイメージだった。 当時、我輩はデジタルカメラの有用性をいち早く感じ取り、その導入を考えた。 しかしながら、画質がビデオカメラ程度(CCDがビデオカメラの流用品であるから当然)であったため、敢えてデジタルカメラを選択せずデジタルビデオカメラ(DVカムコーダ)を導入することにした。1995年にビクターが出した小型デジタルビデオカメラ「GR-DV1」である。 ちなみに、デジタルビデオカメラも出始めの商品だった。 <<画像ファイルあり>> Victor GR-DV-1 ビデオは動画が撮影出来る。しかもデジタルビデオであれば、アナログテープのような画像の乱れや色のニジミは全く無い。再生中、静止させるとピタリと止まるのは見事であった。 我輩はこれをパソコンのキャプチャーボードを介してビットマップ画像化し利用した。ビデオカメラならばシャッターチャンスに囚われず、後で気に入った部分のみを切り出せば良い。 確かに、動画を単純に切り出して写真化しても、本当のスチルカメラの写真とは性格が異なる。シャッタースピードや絞りの表現など一切無く、ただ単に動画の1コマでしかない。 しかしそうは言っても、当時のデジタルカメラも露出の手動調整は不可能であり、その点から言ってもビデオカメラの単機能版という価値しか無いのも事実。 そういうわけで、我輩が最初に購入したデジタルカメラはデジタルビデオカメラであったと言うことになろう。 それからしばらく経ち、1997年にオリンパスから141万画素のデジタルカメラ「CAMEDIA C-1400L」が登場した。当時は35万画素の時代であったため、その画素数は途方もなく大きく感じられたものだった。 我輩としては、その画素数によってデジタルカメラがビデオカメラから大きく進化したことを感じ取った。 我輩は早速これを購入し、ビクターのデジタルビデオカメラは会社の同僚に売却した。 <<画像ファイルあり>> OLYMPUS CAMEDIA C-1400L さすがに141万画素の威力は凄まじく、パソコン画面一杯に広がる写真が新鮮で楽しかった(当時、パソコンはSVGAを使用)。CCDサイズが大きいためかノイズも全く感じられない。 ただし、一眼レフ形式のカメラながらもファインダースクリーンは無く素通しでピントの確認も出来ない。当然ながらMFも不可能。露出すら手動では調節出来ず、ただ図体がデカイのみ。 結局、翌年1998年に発売されたフジフィルム「FINEPIX700」を購入。 このカメラは小型ながらも150万画素で利用価値が高く、それまでと比較して非常に多くの写真を残した。やはりデジタルカメラは小型であることが大切である。ヘナチョコ妻が作る料理をこのカメラで1年程撮り続けたのもこのカメラだった。 <<画像ファイルあり>> FUJIFILM FINEPIX700 ところが、カメラ内蔵フラッシュで料理を撮影すると、真正面から硬い光が当たるため美味しく見えないのが難点。 もし外部ストロボが使えるのであれば、工夫を凝らして見栄えの良い写真を得ることが出来るのだが・・・。 それがきっかけで購入したカメラが、オリンパス「CAMEDIA C-2020Z」である。このカメラは汎用シンクロコネクタの付いた数少ない機種で、これによって非常に多彩なライティングが可能になった。照明が変わるだけで写真が見違える。 <<画像ファイルあり>> OLYMPUS CAMEDIA C-2020Z 我輩はその時、デジタルカメラの商品撮影への可能性を見出した。そして、イオスシステムと同列に並ぶ一眼レフ型デジタルカメラとして登場したキヤノン「EOS D-30」を中古で購入した(2001年)。 また、メモ用途として手軽に持ち運ぶめのデジタルカメラとしてキヤノン「IXY DIGITAL」も購入した。 <<画像ファイルあり>> Canon EOS D-30 <<画像ファイルあり>> Canon IXY DIGITAL さてその後(2002年)、デジタルカメラによる露出計用途の可能性を模索するようになり、外光に左右されない液晶ファインダーを持つデジタルカメラの導入を考えた。 コンパクトタイプのデジタルカメラは、素通しファインダーと外部液晶モニターの組み合わせが多い。ファインダー内に液晶モニターが埋め込まれているものは案外少ないのである。そのため、あまり多くのカメラから選ぶことが出来ず、オリンパス「CAMEDIA C-700UZ」を購入した。 これが最初に活躍したのは、秩父鉄道での撮影であった。 <<画像ファイルあり>> OLYMPUS CAMEDIA C-700UZ ・・・以上が、これまで我輩が購入してきたデジタルカメラの遍歴である。 その多くは今となっては全く価値の無いものばかりである。そのため、新しい機種を購入する際には売却すること無く友人知人に譲ったり、場合によっては廃棄や死蔵したりしている。旧いデジタルカメラなど、売却しても5千円でも売れず、手間が掛かるだけ無駄でしかない。旧いデジタルカメラは、それによって得られた映像と同じように使い捨てるのが一番合理的。 さて、次回は今回新たに導入したデジタルカメラの購入の経緯を書くことにする。 ---------------------------------------------------- [471] 2004年02月02日(月) 「次のデジタルカメラ(後編:今回購入した経緯)」 現在我輩が使っているデジタルカメラは「OLYMPUS CAMEDIA C-700UZ」と「Canon EOS D-30」の2つである。それぞれに露出計としての用途を担っているわけだが、野外での撮影では外光に左右されず液晶モニタを見ることが出来るファインダー内液晶の「C-700UZ」が有利。 そうでなくとも「EOS D-30」は大柄なため、露出計用途としては野外では使いにくい。 しかしながら、「C-700UZ」には幾つか欠点がある。 まず、起動時間が5〜6秒と非常に遅い。「ウィ〜ン」とゆっくりレンズが繰り出してくるのを見るとイライラさせられる。 また、汎用シンクロコネクタが付いておらず、外部ストロボの使用は不可能。内蔵ストロボによる発光によってスレーブユニットで外部ストロボを発光させてみたが、微妙にタイミングが合っていないのかストロボ光が露光に影響を与えていない。肉眼では確認出来ないストロボの瞬間光こそデジタルカメラを露出計用途として使うメリットとなるはずなのだが、それが出来ないのは残念と言うほか無い。 それでも何とか「C-700UZ」を活用してきた。ストロボさえ使わなければ、かなり精度の良い測光が可能となる。段階露光も必要無く、露出の決め打ちのためには無くてはならぬ存在であった。 だが野外での使用により、身体中キズだらけの痛々しい状態となっている。また、先に挙げた欠点をそろそろ改善したくなってきた。 我輩が次に求める理想的なデジタルカメラの仕様をまとめると以下の項目が挙がる。番号が若い順に要求度が高い。もちろん、全てが満たされるような機種など存在するはずがないので、バランスを考えながら妥協することになろう。 (1) マニュアル露出可能(これが無いと話にならぬ) (2) 起動が迅速(今回の買い換えの動機) (3) 省電力(本番撮影に付いてこれず脱落されると困る) (4) 小型軽量(本番撮影のジャマになると困る) (5) ダイヤル操作(迅速設定のため) (6) シンクロソケットあるいはホットシュー装備(ストロボ対応) (7) 単3電池タイプ(他機器との電源融通のため) (8) ファインダー内液晶モニタ装備(外光遮断のため) 我輩は毎年、「月刊カメラマン」の12月号を買っているのだが、それには現行カメラの総リストが載っているからである。その総リストを何度も見比べながら、とりあえずの機種を選定した。 当然ながら、マニュアル露出が出来なければ意味が無い。そしてその中から、起動時間の早いものとして「MINOLTA Dimage G400」を選んだ。カタログによれば、起動時間は0.7秒。ここまで早ければ、不満は"軽減される"というよりも"解消される"と言える。カバーを開いた時点で、もう撮影可能となっている。 しかもこのカメラは非常にコンパクトながらマニュアル露出が可能で、電池の保ちも良いという。実売価格は約3万円となっている。 我輩は3万円を得るために、使わないカメラ機材をネットオークションに3点出品することにした。 開始価格はそれぞれ1万5千円。全部落札されれば、少なくとも4万5千円を得る。 さて、その間にDimage G400についての詳細を検討した。メーカーホームページから取扱説明書のPDFファイルをダウンロードして読んでみた。すると、このカメラは絞りが2通りしか選択出来ないことが判明。広角側でF2.8とF4.7であり、露出計としては唯一F4.7しか利用出来ない(F2.8の明るい所有レンズは少ないため)。 店頭で実機を手にしてみて、確かに起動は非常に早くボディサイズも小さ過ぎるほどであることを確認したが、肝心のマニュアル露出の操作性が良くないことも知った。十字キーの左・右・下キーの3つのボタンで設定するわけだが、入力モードが上キーで切り替わってしまう。しかもこの十字キーは小さくミスし易い。 そういうことから、シャッタースピードを調整しているつもりがいつの間にかストロボ強制発光にしてしまったりする。 せっかく迅速に起動出来ても、操作に手こずるならば意味は無い。 そこで目を付けたのが「FUJI Fine Pix F700」である。 これはヘアライン処理のメタルボディで、横長のスタイルがカメラらしく好感が持てる。起動も先程の「G400」程ではないが、それなりに迅速で十分と感じた。 しかも設定により、撮影後にその画像を表示させ、それをメモリに書き込むか破棄するかを訊いてくるようにさせられる。露出計用途としてこの機能は有用である。また、マニュアル露出時の絞り設定は10段階くらいある。 ところがこのカメラはISO感度が200以上しか無く、ISO100を多用する我輩には使いにくい。いちいち1絞り分補正せねばならないのは面倒。そのことをつい忘れてしまうことも考えられる。 また、バッテリーのサイズによるためか電池の保ちがあまり良くないというWeb情報・店員情報が多い。 オリンパスの「CAMEDIA X-2」も小型でマニュアル露出可能という意味では良かった。しかしISO感度が80/160/320と中途半端なのが致命的。 ソニーの「DSC-V1」はダイヤル操作でホットシュー装備なのが良かった。しかもシャッターを切ってそのままシャッターボタンを押していると撮影画像が液晶モニタにずっと表示されているのが便利。 しかし起動時間が3秒と長めで、何よりソニー製品は長く使えないイメージが強い。しかも「メモリースティック」など自分勝手に立ち上げた規格のメモリが気に入らぬ。 ニコンの「COOLPIX 5400」も、ダイヤル操作でホットシュー装備なのが良い。しかもグリップの形状のためホールドし易い。メモリはコンパクトフラッシュであるから、ポケットPCなどにも使えるのが便利。 しかし起動時間はやはり3秒程度と長めで、買い換えの動機を満たさない。 「困ったな、これでは買うモノが無い・・・。」 我輩はこのような思考を1ヶ月程繰り返し、また最初に戻ってきた。 「割り切ってDimage G400にするか。」 そして最終確認としてヨドバシカメラ店頭で実機を手に取った。 「相変わらず起動は早いな。小型軽量でしかもバッテリーも保つのだから、これにするか。しかし設定がやりづらいのが心配だ・・・。」 そこに店員が話しかけてきた。 「G400、良いですよ。」 「はあ。」 「起動が早くて簡単操作、400万画素でこのサイズです。」 「・・・露出計用途としてマニュアル露出の出来るカメラとしてG400の購入を考えているんですけど、実際に手に取るとどうも萎えて。」 「露出計用途ですか、そういう方、結構いますね。」 「そうなんですか?」 デジタルカメラを露出計代わりに使う者など我輩以外にいるとは思わなかっただけに、この言葉は意外だった。 店員は熱心に説明してくれるため、我輩も色々と質問して情報を得た。そしてその情報を整理するため、この日はまたもや購入を見送った(最初からヨドバシカメラで買うつもりは無いが)。 一つを妥協すると別の機種も候補となり、選択に迷う。かといって少し条件を付けると該当機種が無くなる。少しずつ少しずつ妥協していくと、最初のコンセプトとは全く違う機種を考慮してしまってハッと我に返る。金策のためのネットオークションの入札額が合計10万円を越えたため、どんどん目線が上がっていくのも原因。 インターネットショップでG400を注文しようと注文ボタンを押す直前まで行ったこともあったが、結局やめた。 どうせ買うならば、やはりホットシュー付きのものにしよう。 そうなると起動時間の遅いソニーの「DSC-V1」かニコンの「COOLPIX 5400」しか無いが、ソニーは今まで修理しないで済んだ機器が少なかった経験上(MD、ビデオデッキ、VAIO等)、ニコンを選ぶことになった。 念のためにヨドバシカメラの価格をWeb上で見たが、\89,800と話にならない。価格.comから最安値の店の値段を見ると\64,000となっている。それらの店の中には初期不良対応の店が無かったため、もう少し値段の高い店を見てみると「PCボンバー」が\64.200で初期不良対応で出していた。この店は御徒町駅から3分程のため、我輩にとっては非常にアクセスが良い。タイミングさえ良ければ30分程で行ける。 週末、我輩はその店に出向き、「COOLPIX 5400」と予備バッテリーを購入。価格はなぜか最安値店と同じ\64,000円となっていた。バッテリーは純正品ではないが、安いケンコー製の互換バッテリーを2つ購入した。リチウムイオン充電池は追加充電によるメモリー効果は無いものの、結局は充電回数によって劣化することは避けられない。そのための予備として確保しておく必要がある。必要無ければそれに越したことは無い。 残念ながらACアダプターは在庫が無かった。 どうせメディアプリントの現像受け取りのためにヨドバシカメラへ行くのだからと、ACアダプタはそこで購入することにした。ヨドバシの店員にACアダプタを要求し、レジにて精算。店員が「そちらのお荷物も袋に入れましょうか?」と訊いたので入れてもらうことにした。 PCボンバーのビニール袋は厚手の白色だが密着すると若干透けて見える。ヨドバシ店員はそれを見たようで我輩に質問した。 「PCボンバーさんのクールピクス、おいくらでした?」 「6万4千円。」 「そ、そうですか・・・(苦笑)。」 「全然値段が違うね。」 いくらヨドバシのポイントが付いても、2.5万円の価格差は埋められまい。 <<画像ファイルあり>> Nikon COOLPIX 5400 帰宅して箱を開封すると、新品の輝きを持った姿が現れた。外装はマグネシウム合金だそうで、これくらいコンパクトなカメラにマグネシウム合金を使うと剛性が向上するだろうと感ずる。雑文374で書いたように、重量級の大柄なカメラが外装として使うには問題有りだが。 さて、起動時間についてだが、実際に使ってみると、起動時間3秒というのはそれほど長く感じられない。スイッチの入れ易さも関係しているのかも知れない。少なくとも、今まで使っていたC-700UZが5〜6秒だったことに比べれば早い。 ところで画像については、「何だこれは?」というレベルであった。 500万画素だけあって確かに画像サイズは大きいのだが、その描写は粗くザラザラして全くダメ。無圧縮のTIFF画像で撮影しても変わらない(JPEGの圧縮ノイズというレベルではないので当然)。輪郭強調設定をOFFにしてみたが、ザラザラの画像が単にボケただけであった。それでもまだザラザラが見える。 Nikonはよくもこんな画像での商品化を許したものだと感心する。よく、「カメラメーカーのデジタルカメラというのはひと味違う」という話を聞くことがあるが、それは先入観によるものである。そのような者は、実際の画像を見れば沈黙してしまうに違いない。 やはり、コストが圧縮されるこのクラスのデジタルカメラの画像など、本気で使えるような代物ではない。それなりのコスト投入が許される一眼レフタイプのデジタルカメラでなければ、高画質な描写は得られない。事実、我輩の「Canon EOS D-30」は300万画素程度の前世代のものだが、500万画素の「COOLPIX 5400」でも足下にも及ばない高画質を得ることが出来る。本当に、画が全く違うのである。 画素数優位主義を謳う者は、恐らくデジタルカメラを使ったことが無い者あるいは使いこなしていない者であろう。 このようなコンパクトタイプのデジタルカメラの画像は、少なくとも1/2くらいにリサイズしてピクセルの目を詰めねば、クオリティを重視する趣味用途としては全く使えない。まあ、我輩の露出計用途としてはどうでも良いことだが。 原寸トリミング画像を2倍に拡大表示した比較(ブラウザによる表示拡大) (日中、隣家の外壁を撮影。どちらも1/125sec. F5.6) <<画像ファイルあり>> Nikon COOLPIX 5400 <<画像ファイルあり>> Canon EOS D-30 それから驚くことに、ISO感度が銀塩と対応しておらず、我輩の見たところ、このデジタルカメラではISO50の設定でISO100相当になる。ただし、このことさえ気を付ければ露出計用途としての精度はそれなりにあると言える。 しかしやはりストロボ撮影が可能というのは大きい。今までは一眼レフタイプデジタルカメラのD-30を使わざるを得なかったが、これでその悩みも解決する。 外部液晶モニタの表示は、今まで使っていたC-700UZよりもメリハリが無く頼りないが、とりあえず適正露出を読み取ることには不都合が無く、そこは目をつぶって新旧交代させることにした。 <<画像ファイルあり>> C-700UZとの交代 このカメラは色々と設定が可能で、撮影情報をテキストファイルに落とすことも出来る。もちろん、画像データ自身にもExif情報として持っている情報ではあるが、特定のソフトでしか扱えない不便さがある。これがテキストファイルならば、ポケットPCにメモリカードを刺して即座に利用可能。 (撮影情報の一例) DSCN0103.TIF CAMERA : E5400V1.3 METERING : MATRIX MODE : M SHUTTER : 1/125sec APERTURE : F8.0 EXP +/- : 0.0 FOCAL LENGTH : f11.8mm(X1.0) IMG ADJUST : CONT+ SENSITIVITY : ISO050 WHITEBAL : SUNNY SHARPNESS : NORMAL DATE : 2004.02.01 14:55 QUALITY : 2592x1944 HI SATURATION : +1 FOCUS AREA : CENTER ところで、このカメラはレンズキャップが必要で着け外しが面倒。最近のデジタルカメラの多くはレンズバリアによって自動的にレンズ面を覆うようになっているものだが。これは紛失しそうだな・・・。 と思っていると、早速レンズキャップを紛失してしまった。もしかしたら豚児が隠し持っているのかも知れないが、まあ、そのうち出てくるだろう。 ・・・というわけで、新しく導入した「COOLPIX 5400」。 現段階ではまだこのカメラの有用性を実証出来ていないが、近いうちに露出計用途として実写を行い、クセを掴みながら使いこなして行こうと思う。 (2004.02.03追記) 「COOLPIX 5400」について、電子ダイヤル(コマンドダイヤル)はゆっくり回さないと表示がワンテンポ遅れる。その操作に慣れないと、設定値を行き過ぎてしまうことがある。 また、高速タイプ(16倍速)のコンパクトフラッシュを使用しているにも関わらず、撮影後の待ち時間が少しある。書込み速度の問題か、画像処理速度の問題か、バッファの問題か、あるいはゴマカし方がヘタなのかは不明。 (2004.02.26追記) 紛失したレンズキャップの件、やはり豚児がイタズラしていたようで、空気清浄機の上部吸気口の奧のほうに落ち込んでいた。それにしても、最近小物が無くなることが多い。 ---------------------------------------------------- [472] 2004年02月08日(日) 「ダイヤル式EFカメラ」 現在、我輩には写真を撮るには十分なカメラとレンズがある。 しかしながら、欲しいカメラやレンズはまだまだある。 機材が不足すると撮影するには困るのだが、機材が有り過ぎる分には撮影に困ることは無い。よって、機材は少しくらい多めにあるほうがちょうど良い。 ただし、現実問題として金銭的な問題があるため、最初から使わないと判っているものや全く手の届かないものは対象外。限られた財政の中では、実際に使うものや安価なもののほうが優先順位が高くなる。 もちろん、巡り合わせのタイミングによって、「今買わなければ」と判断されるものもあろう。しかしそれは例外中の例外。欲しくとも買えないカメラやレンズは数多い。 欲しいカメラの例を挙げると・・・ 機種名 購入出来ない理由 NORITA 66 巡り合わせが無い。ボディも稀少だがレンズは更に稀少で一眼レフとしてのシステム性を活かせない。仮にあったとしても高価で手が出ない。 Nikon F5 高速モータードライブが必要ならばNikon F3やCanon EOS630がある。AFが必要ならAFレンズを一から揃えねばならず、しかも現状ではCanon EOS630で十分。巨大ボディが必要なら中判カメラがある。 Nikon F4 Nikon F3があれば不要と思われる。 Nikon F2T Nikon F3があれば不要と思われる。 Nikon EM マニュアル露出が不可能。 Nikon F601 AFが必要ならAFレンズを一から揃えねばならず、しかも現状ではCanon 630を所有している。 Canon AE-1P(白) Canon AE-1Pのブラックボディを既に所有している。 Canon A-1 Canon AE-1Pのほうが操作感が良いため敢えて所有する意味が無い。 Canon 旧F-1(後期) Canon EFがあれば不要と思われる。 Canon T-80 AF性能やシステムが貧弱なため実用的ではない。 Canon T-90 Canon EOS630があれば不要と思われる。 Canon T-60 Canon AE-1Pがあれば不要と思われる。レア物のため巡り合わせが無い。 Canon EF-M レア物のため巡り合わせが無い。 OLYMPUS OM101 マニュアルアダプター無しではマニュアル露出が不可能。デザインと物珍しさ以外には所有するほどの魅力が無い。 HASSELBLAD 503CX ボディは安価だが、レンズが高価でとても揃えられない。 FUJICA ST-801 FUJICA ST-605IIを既に所有しているため。交換レンズが1本しか無くサブカメラとしても意味無し。 FUJICA AX-5 Nikon F3があれば不要と思われる。交換レンズはレアなため揃わない。 PENTAX K2 Nikon F3があれば不要と思われる。初期の電気式カメラのため精度が不安。 MINOLTA α-7700i Canon EOS630があれば不要と思われる。 KONICA AutorefrexT3 KONICA FTAを既に所有しているため。 KONICA C35EF 用途が無い。そもそも程度の良い物がほとんど無い。 PENTACON Super レア物のため巡り合わせが無い。見付けても高価で手が出ない。 これらのカメラ、欲しい理由は様々であるが、いずれも"購入出来ない理由"を越えられないため所有することが出来ない。 しかしながら、この中で「Canon EF-M」というカメラは"購入出来ない理由"のボーダーラインを越えるくらいに「欲しい」と思わせる。なぜならば、それはダイヤル式カメラとして非常に魅力的であるからだ。 ダイヤル式カメラというのは元々機種が少ない。一昔前ならばダイヤル式というのは当たり前の形態であったが、現在ではごく少数である。 ところが「EF-M」では、シャッターダイヤルばかりか絞りさえもダイヤルとして備えているのだ。 <<画像ファイルあり>> Canon EF-M(輸出仕様) <<画像ファイルあり>> 絞りダイヤル <<画像ファイルあり>> シャッターダイヤル Canon EFマウントは当然ながらレンズ側に絞り環は存在しない。そのため、従来のEFマウント用カメラでは絞りはボディ側から電子ダイヤルによって行うようになっていた。だがその場合、電子ダイヤルでは絞りの一覧性が無いため操作性は良くない。 しかし「EF-M」では、一覧性のある絞りダイヤルを配置することにより操作性を向上させているのが他のEOSには無い特長である。これは場合によっては、レンズ側にある絞り環よりも便利なこともあるかも知れない。 もっとも、絞りはレンズ側、シャッターはボディ側と、それぞれにあるほうが直感的操作には都合が良い。ボディ側に両方の操作部があると、どちらが絞りなのかシャッターなのかの区別が直感的に出来ない恐れがある。 しかしボディ側から絞り制御が出来るということは、レンズを換えても絞りを不動とすることが出来るという利点がある。同じ露出量でレンズを換えて撮影することがあるのだが、レンズを換えても絞りのセット忘れに泣くことが無い。 更にダイヤル式カメラのもう一つの特長として、モード選択をダイヤルに内包することにより簡単明瞭な操作を実現しているということが挙げられる。絞りダイヤルをAマークに合わせれば「シャッター速度優先AE」、シャッターダイヤルをAマークに合わせれば「絞り優先AE」、そして両ダイヤルを共にAマークに合わせれば「プログラムAE」となる。 これほど完成された操作系を、液晶表示と電子ダイヤルに置き換える意味は無い。 他に代用出来るカメラならば購入する大義名分が見付からないが、この「EF-M」の操作系は他で代用出来ず、購入する意味は十分にある。EFレンズならば幾つか所有しているため、システムとしても成立する。 しかし欠点もある。AFではないという点と、プラスチックマウントという点。 AFが使えないのは非常に残念だが、プラスチックマウントについては、EOS1000をベースにしているということで仕方無い。 それにしても、このカメラは輸出専用のカメラであったため日本国内には流通しなかった。そのため、逆輸入(過去にレモン社などが行っていた)などで日本国内に持ち込まれたものしか無く、ほとんどその姿を見ることが出来ないのが残念・・・。 ---------------------------------------------------- [473] 2004年02月09日(月) 「現実を見ろ」 5〜6年くらい前、血の気の多い営業のK氏と帰宅の電車が一緒になったことがある。 その場で話題になったのが持ち家のこと。 K氏は家を建てたばかりで、我輩に「家はまだ建てないのか」と訊いた。 我輩はまだ家など考えておらず、冗談交じりに「大地震が過ぎた後に建てることにする」と答えた。 するとK氏の頭は瞬間湯沸かし器のように沸騰し、「大地震の前に家を建てて悪かったな!俺は何も考えてないからよ!俺はオマエとは違うからよ!」と、もの凄い剣幕で怒(いか)り始めた。 K氏のそういう様子は別段珍しくないので驚きはしなかったが、そうは言っても電車の中であるから、他の乗客の目を気にしてそれ以上K氏を煽ることはしなかった。 恐らくK氏は、自分の行動や選択を否定されたかのように解釈してしまったのだろう。そういう意味では、我輩の発言も思慮が足らぬものであったと反省した。 ただ心の中では、「現実から目を逸らすなよ」と思ってはいた・・・。 先日のハードディスククラッシュ(参考:雑文469)によって失ったデータの中に、デジタルカメラで撮影したデータも含まれていた。そのため、現在はDVD-RAMを用いてバックアップを行うようにしているのだが、過去にCD-Rに保存したデータが心配になり、それらの点検を始めた。 雑文470も書いた通り、我輩のデジタルカメラの最古のデータは1995年のもの。9年前のものである。 当時はデジタルビデオをダビングや編集するパソコン環境が無く、そもそもデジタルビデオカメラ本体にもデジタルI/Oが備わっていなかった(現在でこそIEEE端子が付いているのは当たり前だが)。しかもデジタルビデオカメラ本体は手放してしまい現在では所有していない。 そのため、当時撮影した映像はAV端子からキャプチャしたBMP静止画として保存している。 今それをあらためて観ると、小さいサイズの画像に驚かされる。当時はVGA(640x480ドット)やSVGA(800x600ドット)のパソコンしか無くそれほど小さくは感じなかったのだが、現在のSXGA+(1400x1050ドット)で表示させると本当に小さな画像と感ずる。 かと言って画像を拡大すると、今度はピクセルが粗くなってしまう。 独身時代にヘナチョコ妻と葛西臨海水族園へ行った映像の静止画が残っているが、撮り直しが出来ないだけに残念と言うほか無い。 ところで、実はそれ以前にアナログデータとして電子化した写真も幾つかある。 昔、タムロンから「フォトビクス」という製品が発売された。35mmサイズのポジやネガをセットするとAV端子を介して写真がテレビに映るというものである。最初の製品は数十万くらいするものであったが、代を重ねるにつれ安くなり、6万円くらいで手に入るようになった。 我輩がそれを購入したのは、写真を電子化したいという目的だった。今からおよそ15年前のことである。 当時はパソコンなどは5インチフロッピーから起動するMS-DOS Ver3.0が動く程度で、パソコンで画像保存など考えもしなかった。そのため、我輩は警備員のアルバイトでやっと購入した三菱電機のHi-Fiビデオに1コマ10秒ずつ録画していったのだ。なぜ10秒かと言うと、VHSビデオをスチル再生すると必ず映像が乱れるため、動画再生状態で回しながら映像を鑑賞するためである。 しかしVHSで1コマずつ録画したとしても、どうしても画像の繋ぎ目にカラーノイズが入る。正常に観ることが出来るのは、各10秒のうち5秒くらいのものだった。 だが、憂いは無い。 電子画像が貧弱であろうとも、クオリティ高い35mm原版は手元にあるのだ。 我輩が初めて写真を電子化してから15年、今ではその写真を再び電子化し保存している。そのクオリティは、当時電子化したものよりも遥かに高く、しかもマルチユースである。 銀塩写真という原版がしっかり残っていたからこそ、時代が変わってもこのように対応出来たのだ。 ところがデジタルビデオのように撮影時点から電子化してしまうと、もはや写真はその画質の中に閉じこめられ出ることが出来ない。 我輩は雑文470にも書いたように、今までにデジタルカメラを数多く購入し使ってきた。しかし、それらの画質は世間で言われるほど良いものではなく、先日購入した最新のデジタルカメラ(参考:雑文471)さえ満足出来る画質ではなかった。 業務用として使われる高品位なデジタルカメラは、それなりの大がかりな製品である。 カメラの露光面にCCDユニット(デジタルバック)を装着し、レンズが結んだ像を数分かけてスキャンする。それは、「現実」という原版を電子化するスキャナである。そこまでやって初めて、原版が必要とされない電子化が達成される。 一般向けデジタルカメラは、現実という原版を中途半端に電子化し、その原版が消えて無くなれば残されるのは中途半端な電子画像のみ。再スキャンはもはや不可能。 我輩は、電子化するためとしても、クオリティを優先するならば銀塩写真としての原版は残さねばならぬと考える。 新しいスキャナと保存体系が登場すれば、その度に再スキャンしクオリティを向上させることになる。そのため、銀塩写真という原版は無くてはならない。 デジタルカメラしか使わぬ者の、「デジタルカメラの画像を原版とし、デジタルの中で完結させたい」とする気持ちは解る。だがクオリティを優先させるのであれば、それは叶わぬ幻想なのだ。 幻想を信じたいがために、現実を直視せず、必要以上に自分を暗示にかけようとする。「現在のデジタルカメラの画質は、もはや銀塩に匹敵する!」と・・・。 その暗示にヘタに触れようものならば、営業K氏のようにもの凄い剣幕で怒り狂う。まるで、画像を失う恐怖を振り払うかのように。 我輩は15年に渡る画像電子化の努力の中で、何度も後悔を重ねてきた。 そしてその苦い経験の積み重ねによって得た結論は、「原版を無くしてはならない」というものである。 我輩は、リバーサルフィルムを原版と位置付け、それを電子化してプリント焼増しやWeb使用などのようなマルチユースに対応させる。 とても、原版の無い電子画像に大切な映像を乗せる度胸は無い。 ---------------------------------------------------- [474] 2004年02月10日(火) 「ステレオ調査」 以前、蔵王のお釜へ行く前に、地形図や写真などで周辺地形を推測した。(参考:雑文444/雑文445/雑文447) お釜は比較的小さな地形であるため、1/25,000縮尺の地形図では細かいところが分からない。また写真では、撮影された角度によって全く違って見える。そのため、詳細な地形は現地へ行って初めて知った。 山の写真では大きさを測る対象物が乏しいため距離感が無くなる。そこに写っている岩は小石なのかそれとも巨岩なのか。 また、地形の凹凸(デコボコ)をというのはなかなか判断が難しく、写真からでは分からないことが多い。例えば火星のクレーターなどの写真を見ると、意識の具合によってクレーターのヘコみが一瞬ドーム状に盛り上がって見えることがある。脳内の凸凹判別が反転してしまうのだ。 人間は、物を立体的に見えない場合は、色の濃淡によってその形状を知ろうとする。その機能が岩石の色に惑わされ錯覚を生む。 山のシロウトが写真から地形を読み取るのはななかな難しい。 だからこそ、我輩が初めて蔵王のお釜を目の当たりにした時には、その大きさに驚いたのだ。「写真ではこれほど大きいとは思わなかった・・・」と。 ところが最近、地形の凸凹が手に取るように分かるステレオ写真が手に入るようになった。 国土情報ウェブマッピングシステム(国土交通省)から詳細な航空写真が得られるのだが、この写真は飛行機が航路を一直線上を飛びながら撮影されたものである。そして隣り合った写真は、互いにオーバーラップする部分が多く含まれている。 我輩はこの写真を使ってステレオ視することに挑戦してみた。つまり、2枚の写真は飛行機が移動して撮られたものであるから、その距離分の視差によってステレオ視は可能であるはず。 (※この方法は、航空写真の利用として良く使われるようである。) 平行法による立体地形写真 <<画像ファイルあり>> 左目 <<画像ファイルあり>> 右目 「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より 上記写真は、ダウンロードした元画像を縮小して掲載したものである。これを平行法によって観ることによって立体視が可能となる。 以前、雑文068「ステレオ写真」、雑文131「ステレオ写真2」及び雑文305「ステレオマクロ」にてステレオ写真について書いたため、立体視の方法についての詳しい説明は省く。 本当はもっと大きな画像で掲載したかったが、あまり大きいとサーバ容量を圧迫することや、さらに平行法として観るには左右の距離に限界があるため控え目にしてある。そのため地形の詳細があまりよく見えないが、大まかな地形の高低は手に取るように分かる。 (我輩自身は平行法の能力が高いため、少々大きな画像でも立体視は可能である。) 交差法による掲載であれば大きめな画像を掲載しても立体視は容易であろうが、左右の視点を交差させると脳が近い場所を観ていることを認知してしまい画像が小さく見えてしまうのが欠点である。我輩としては平行法にこだわりたい。 なお、飛行機による連続写真のため、視差がかなり大きくなっている。その結果、ステレオ視すると凸凹が極端に強調されて見える。我輩が実際に降りた斜面など、ほとんど垂直な崖のようだ。もしこの写真を蔵王のお釜へ行く前に観たとしたら、果たしてお釜のほうへ降りようなどと思ったろうか・・・。 いや、Web上で得られる蔵王のお釜の写真を見ることによってその強調は補正することは出来ただろう。 この航空写真、日本全国の全てをカバーしているというわけではないのだが、もし今後、初めて出掛ける土地で適用出来るならば、ステレオ視によって地形を事前に把握しておきたい。パーソナルGPSと併用することにより、より計画的行動を可能とし、ハプニングを最小限に抑えることが出来るだろう。 ---------------------------------------------------- [475] 2004年02月19日(木) 「スキャンしないスキャナ」 一般向けのワンショットデジタルカメラ(つまり、1回のシャッターでRGGBの撮影が完了するカメラ)では、それなりに高画質化が実現している。確かに銀塩やプロ向けデジタルカメラに比較すればまだまだなのだが、一応、画素数に対するコストパフォーマンスは向上している。いわゆる、「周辺技術の向上」と呼ばれる部分である。 一般向けデジタルカメラでは、屋外で使うことによる制約が色々とある。 小さなバッテリーを細々と使わねばならず、しかも小型化や持ち運ぶために必要な最低限の仕様(例えば耐久性や防塵性)などが必要で、画質が全てに優先するという考え方は元々無い。 撮影条件にしても、いつも光が十分にあるとは限らず、光量不足のため画質が粗れることもある。 しかし、このワンショットデジタルカメラを用いて超高速ドキュメントスキャナを作ったらどうだろう? 我輩の思い付きである。 紙ドキュメントの電子化について、評価基準は「画質」と「スピード」の2つの軸がある。 かつてはモノクロ2階調であったフラットベッドスキャナも現在ではフルカラー化され、写真取り込み用途にも使えるようになった。しかしその読み取りスピードはあまり変わらず、ADF(自動給紙)を用いたとしてもスキャン(走査)という機械的動作が必要となる。 スキャン方式として、紙の方を動かすのか、あるいはCCDのほうを動かすのか。いずれにせよ、いくら高速化を図ろうとしてもスキャン動作が高速化を阻むのだ。細かく刻んでスキャンすれば高画質が得られるが、その分だけスキャン速度が低下し作業効率は下がる。 これは、スキャンをしなければ画像を得られないラインCCDの宿命である。 ならば、デジタルカメラで撮るが如く、平面CCDによって紙ドキュメントを"撮影"すればどうか。そうなれば、機械的スキャン動作は必要無く、それこそ一瞬で紙ドキュメントの電子化が完了する。紙送りさえ高速であれば良い。 この場合、カメラ部とコンタクトガラス部の位置関係が固定され、光源も常に同じ状態に出来、撮影条件として非常に安定している。 もちろん、技術的困難(例えばコンパクト化が難しいなど)はあるに違いないが、それをシロウトが心配しても仕方無い。そういった困難を乗り越えて投資・技術開発するのがメーカーの役割であり、他社に先駆けてこそ自社に利益をもたらす。(参考:雑文258) ユーザーは単純に、「こういうのが出来るのなら、こういうのがあればいいな」と発想する。そういった意見をメーカーが取り込むのは、マーケティングの基本の一つである。 毎秒10コマの連続撮影可能なデジタルカメラが存在する現在、スキャナの紙送り速度を考慮したとしても毎分100枚程度の処理能力は期待出来ようか。そんなドキュメントスキャナが安価に提供されればかなり有用であろう。現時点では、同じ処理能力のドキュメントスキャナは1,000万円と高価で、しかもモノクロ2階調のみ。 まあ、ワンショットでの電子化はスキャン動作を伴わないのであるから、この装置は"スキャナ"とは呼べないかも知れない。 いずれにせよ、そんな機器が10万円以内で現れたら、我が輩は真っ先に導入し、部屋中の本や紙資料を全て電子化して廃棄してしまおう。 ・・・そんな日が本当に来れば良いのだが。 ---------------------------------------------------- [476] 2004年02月25日(水) 「液晶表示を活かす」 本サイトの中で最も中心となる主張、つまり"主旨"は、「このサイトの主旨」にてまとめてある。 一方、本サイトを立ち上げた動機や目的としてのいわゆる"趣旨"については、やはり液晶表示式のカメラが使いにくいということに対する反発が元となっている。 元々、我輩は液晶デバイスは嫌いではない。 任天堂ゲームウォッチやデジタル腕時計など、我輩が最初に液晶表示に触れた時、それはまさに"クール"なデバイスというイメージだった。ガラス板の中にフッと浮かび上がる輪郭のハッキリした黒いキャラクタと、それが落とす影。液晶を挟むガラス板が厚ければ影との距離が大きくなるのだが、当時の新鮮な眼にはそれが立体的に見えたものである。 しかも低消費電力で何日表示させたままでも電池が減らない。まさに理想的な表示デバイスだった。 ところが、液晶表示技術を大きく発展させた電卓やデジタル時計はまさに数字の機械であり、7セグメントで表現される数字が液晶の印象となってしまった。そして、電卓やデジタル時計が安くなればなるほど、同時に液晶表示もチープな印象となった。 そのうちカメラにも液晶が導入され、今では電子カメラには無くてはならぬデバイスとなった。 それにしても、液晶表示が導入されてかなりの年月が経つというのに、いまだにモノクロでセグメント数字の表示であるのは納得出来ない。そのことは以前も雑文256「カラーの時代」にて書いた。 もっと分かり易い方法を工夫しても良さそうなもの。 もちろん、カメラとして数値表示は欠かせない。ビジュアルに表示させようと思っても、せいぜい露出の増減をバーグラフで表示するくらいであろう。 ただ、数値を表示させるにしても、表示配列を工夫することによって操作性や分かり易さを向上させることが出来るのではないかと思う。 まず一つの例として、現在の液晶表示の問題点である一覧性を向上させるアイディアを提示したい。 我輩は電子ダイヤルを最初に回し始める時、いつも思う。 「右に回せば良かったか?それとも左か?」 試しに右へ回してみると数字が逆に動いてしまい、慌てて回し戻す。どちらに回せば数値が増えるのか減るのか。あらかじめ覚えていたとしても、とっさにやろうとするといつも迷う。 「確か、さっきは右に回して失敗したような気がするから、今度は左か。」 変に深読みすると、再び失敗したりする。 これは、液晶表示が一覧性を持たないことによる弊害である。せめて、前後の数値を小さく表示させれば、どちらに回せば良いのかということを直感的に把握出来るのではないか(下図参照)。 設定値の前後の数値も表示させた例 <<画像ファイルあり>> この方式は、SONYのVAIOノート(パソコン)などには取り入れられている。パソコンの横に設置されているダイヤルを回せば、画面上に表示されたダイヤルが滑らかに回るのだ。もちろんこれはパソコンの表現力豊かなディスプレイを利用して実現したもので、カメラではそこまで凝った表示は必要無い。しかし、概念として見習うべきものがあろう。 さて次に、ダイヤル式の短所をカバーするために液晶の良さを積極的に引き出すアイディアの一例を提示する。 液晶表示カメラというのは、それまでの操作性を踏襲するために設定値が順列を持っている。例えばシャッタースピードの最高速1/4000秒から1秒に変えたい場合には、途中の1/2000、1/1000、1/500、1/250、1/125、1/60、1/30、1/15、1/8、1/4、1/2を通過せねばならない。 しかし、液晶表示であれば、ダイヤルのように固定された表示ではないのであるから、自由な表示が可能であるはず。途中を飛び越えてダイレクトに設定出来れば、それはダイヤル式には無いメリットとなろう。 下図は、各シャッタースピードそれぞれにボタンを設置し、それを押せばダイレクトに値が設定出来るものとしてのアイディアである。 値ごとにボタンを配置 <<画像ファイルあり>> これは長所として、両端に位置する数値の変更であっても中間値を飛び越えダイレクトに設定可能。反面、短所として、多くのボタンを配置するスペースが必要。無理して組込むと一つ一つのボタンが小さくなり逆に操作性が悪化する。 以上、液晶表示を改良するためのアイディアを2つ挙げたが、最初の例がダイヤル式に近付ける意味での改良であるのに対し、2番目の例がダイヤル式にこだわらず液晶表示式独自の世界を作っているところが魅力である。少なくとも、液晶表示を採用することの必然性を強く感ずる点が良い。これはダイヤル式では不可能なのだ。 我輩は、現在の画一化された製品よりも、これらの例のようにそれぞれの特長を活かす個性ある製品がもっと市場に出ることを望んでいる。 似たような製品が多くとも、それがすなわち選択の幅が広いと言うことにはならない。違いのあるものが多く存在して初めて選択の幅が広がるのである。 ---------------------------------------------------- [477] 2004年03月08日(月) 「一期一会(2)」 以前テレビでやっていた世界ビックリニュースの中で、「猫がインターネットショッピングでキャットフードを購入した」という話をやっていた(アメリカの話か?)。 それによると、老人夫婦で飼っている猫が、パソコンからちょっと目を離した隙にキーボードの上を歩き、信じられないほどの偶然によって注文が受け付けられたという。 これによってこの猫は有名になり、ペットフードの会社からキャットフード1年分進呈されたりしたらしい。 そう言えば、我が家の豚児もそれなりにパソコンについてのエピソードを持っている。 1歳の時にはマウスのスクロール用ホイールをカリカリ回して画面を上下に動かして遊ぶようになり、ヤツの手の届く所にマウスを置いておけなくなった。 しかし隙を見てマウスをいじられ、画面を見ると複数のウィンドウがキレイに並べられていたりした時にはビックリした。「タスクバー」のメニューから「重ねて表示」を選んだとしか思えぬ。 またある時、ヘナチョコ妻から会社にメールが62通届いた。全て同じ内容だった。 何か不満でもあるのかと思い家に電話してみると、どうもヘナチョコがメールを書いている時に横から豚児がエンターキーを押し続けて送ったものだったらしい(そもそもエンターキー押し続けて複数送れるのか?)。 これは豚児が1歳半の時の話。 さらに昨日、家族で外出して疲れて帰った後、仕事の残りを片付けるために布団にノートパソコンを持ち込んでやっていたら睡魔が襲って寝てしまった。 ふと気付くとキーボードをカチャカチャと叩く音がするので目を覚ますと、我輩とパソコンの間に豚児が割り込んでキーボードを叩いてニヤニヤしていた。パソコンの画面を見ると、再起動中となっていた。まさか[Ctrl]+[Alt]+[Del]を押したのか?しかも1度では効かないはずであるから2度も? まさにサイバーテロと呼ぶにふさわしい。 幼児のいたずらも年々巧妙になっているため、子供を持つ親は気を付けたほうが良い。 ところで改めて考えてみると、豚児が初めて自分で立った時から比べると、今では全く別の生き物と言える。今では「おとーちゃん!おかーちゃん!」と言いながら走ったり飛びかかってきたりする。 恐竜は滅びたのではなく鳥に進化したのだという説があるが、豚児の場合もそれと同じようなもの。小さなトカゲから恐竜になりつつある。そして、以前のトカゲは姿を消した。 人間の身体の細胞は、ある期間ですっかり入れ替わってしまうと言う。もちろん、神経細胞などは替わらないかも知れないが、それでも神経のネットワークは日々変わっていく。 そういう意味では、今日の自分は昨日の自分ではない。そして昨日の自分はもはやどこにも存在しない。 子供の場合、成長していくにつれ、外見はもとより機能も向上する。そのスピードはかなり速い。 成長ばかり喜んでいると、「過去の豚児はもう存在しない」ということを忘れる。目の前には、成長した豚児が居るのみ。今では、立って歩くことにいちいち感動などしない。だが、写真の中にはその感動がそのまま封じ込められている。なぜなら、写真には今の恐竜ではなく、既に滅びたトカゲが写っているからだ。 子供の撮影は日々が一期一会。 <<画像ファイルあり>> 豚児が初めて掴まり立ちした光景。 この時は「クララが立った、クララが立った」などと大騒ぎしたものだが、今では座らせるのにも難儀する。 ---------------------------------------------------- [478] 2004年03月18日(木) 「自分だけの視点を突き詰めろ(2)」 鞄や計量カップなどを特定の角度から撮影して人の顔に見立てた写真集を見たことがある。特に計量カップなどは、取っ手部分が鼻、リベットが目となり、まさに老人の顔のように見えた。 写真は断片を切り取り視点を固定するものだが、それらの写真は、この特性を利用して撮影者の視点を通し発見を伝えたものと言える。 ところで以前、我輩は雑文363「自分だけの視点を突き詰めろ」にて「視点が変わると風景が変わる」ということを書いた。しかしながら、このことについての誤解があるようで、ここで補足の意味を込めて書くことにする。 鞄や計量カップを人間の顔に見立てる写真は、写真が人に見せるための表現であることを意識せずにはいられない。 これは、いわば面白さを表現するためのアイディアであり、人を楽しませたり驚かせたりするエンターテイメントの要素を持つ。商業的写真集としては、巧く出来ていると思う。まさしく"表現"と呼ぶにふさわしい。 ところが趣味の写真として撮ったのであれば、その面白さはすぐに終わる。 なぜなら、自分の発見したその顔の面白さは、発見した瞬間こそ最も強い。そのため、それを自分以外の者に見せ続けなければ、発見の新鮮さが維持出来ない。 表現としてではなく一個人の趣味で撮る写真としては表面上の面白さでしかなく、すぐに飽きてしまいそうな題材のように思える。短い間に撮り切るならばまだしも、もしテーマとして継続的に撮り続けるのであれば、ネタ切れの心配をせねばなるまい。 確かに、「形が似ている」という発見は、見方を変えることによって初めて見えてくるものも多い。 しかしそれが本当の自分だけの視点かと言えるのかは疑問である。それは単に"似たものに当てはめた"というだけであり、それによって今まで見てきた風景や世界がガラリと変わることが無い。 雑文363「自分だけの視点を突き詰めろ」では、網棚の風景に今まで見えていなかった世界を見た。それはつまり、無意識の世界が意識の世界へ浮上したということである。単純に別の角度から見たという意味ではない。世界そのものが広がった(逆に、今までの物の見方が狭かったとも言える)。 ここでは、雑文363とはまた別の例を挙げてみる。 ある日、電車に乗って何気なく町並みを眺めていると、ふと、高架から見下ろしたビルの屋上にある給水塔に気付いた。 「ふーん、給水塔もジックリ見ると不思議な構造物だな」と思った。あらためて見渡してみると、ほとんどのビルの屋上には給水塔が見えていた。 給水塔はそれぞれ似たような形であるが、微妙に個性がある。数本の脚で立っているものもあれば、棟の上に据えられているものもある。見慣れたいつもの風景ではあるが、見る目が変わるとなかなか興味深い風景に思えた。 給水塔を専門に製作している工場もあるのだろうか? どんな人間が関わっているのだろう? そしてその市場規模はどんなものだろう? 関連産業は? 我輩は色々と想像を巡らせた。そして、今まで我輩の中には存在しなかった世界が増えたように感じた。そして給水塔に関わる人間たちの姿が浮かんできた。それは単なる空想ではなく、必ず存在するはずの人間たちである。 たった数分前まで、我輩は給水塔を意識しない世界にいた。 自分自身の想い描く世界は、目に映る範囲内で現実の世界を単純化したもの。現実の世界では、今この瞬間、交通事故で亡くなる人もいるだろう。今この瞬間、生まれる命もあるだろう。他国に目を向けると、飢餓に苦しむ地域もあれば、内戦やテロの起こる地域もある。 もちろんそういうことは頭では解っている。しかし日常生活の中でそれを意識することは無い。意識しないということは、その人間にとって"存在しない"ということである。 もし何か一つでも現実の世界の事柄を実感を以て感ずることが出来るならば、その人間の世界は広がる。今まで見てきた過去の風景もガラリと変わる。 人間がどのように理解しようと、現実の世界は変わることなく有り続ける。 しかし人間の脳内で再構築された世界は、人間の意識によって大きく変わる。自分が変われば、世界が変わる。 この発見の積み重ねこそが、自分を知るための追求に繋がる。 意識を持って世界を見る。それが、「自分だけの視点」である。 我輩の場合、もし機会があれば全国各地の給水塔を撮り歩くのも面白いと思った。そんな写真は他人には理解出来ぬだろうが、我輩の視点を突き詰めるならば、それは価値あるものだと考える。 視点は人それぞれに違うため、世界の広がりは他者とは共有出来ない。そのため、自分自身を追求しても他者からの評価は期待出来ない。評価されるとしても、自分の死後に時代が変わった頃になるであろう。 つまらない写真(視点)だと言われても、「そのつまらなさが自分自身である」と言えればそれでよし。 ---------------------------------------------------- [479] 2004年03月23日(火) 「大撮影会3」 撮影会にて撮影した写真は、使用に際して主催者やモデルプロダクションの許可が必要となるのが普通。趣味であろうとも、許可無く公の場に展示することは出来ない。 このような制約のため、「使い途の無い撮影会の写真など何のために撮るのだ」などという疑問の声も聞かれる。その疑問は尤もであり、我輩自身、その理由のため今回に至るまで撮影会から遠ざかっていたのである。 そうは言うものの、写真の用途を考えることなく女性の写真を撮ることは、別におかしなことでも無かろう。 我輩の職場の受付には花が飾られているが、それが例えば「空気を浄化する」とか「食用になる」などという用途を考えて飾られているわけではない。花は、飾って楽しむ、見て楽しむ。それ以上でもそれ以下でも無い。 撮影会の写真でも、得られた写真によって何かの用途を考えるということではなく、撮って楽しい、見て楽しいということになろう。副次的に撮影テクニック(※)も向上するという面もあるが、それはあくまで結果的に得られたものであり、最初からそれを目的として撮影会に臨むのはあまりに金がかかりすぎる。 (※ここで言う撮影テクニックとは、フィルム装填の速度やブレ防止などいわゆる技能面についてである) そういうわけで我輩は、撮影会に関して思想的な能書きをたれるつもりは無い。 さて、最近の撮影会活動について触れるが、雑文467「大撮影会2(スタジオ編)」以降、3度ほど撮影会に参加した。 金銭的な負担に耐えられなくなったため、撮影会に参加しても1部あるいは2部での参加にとどめていた。それでも負担は大きいが、フィルム代・現像代もそれだけ減るため、参加費用以上の節約になる。逆に言えば、4部通しで参加すれば負担額も相当なものである。 ここで計算してみると、4部通しで参加した場合、参加費用\24,000、フィルム代(220サイズ20本)\19,656、現像代\16,800となり、合計\60,456である。 もしこれが1部のみの参加ならば、参加費用\7,000、フィルム代(220サイズ5本)\4,914、現像代\4,200となり、\16,114で済む。 もちろん、撮影会というのは金がかかるということは分かっていた。 だから当初の予定としては、短期決戦とし写真がそこそこ撮れれば戦線を離脱するつもりであった。 しかし実際にはなかなか上手く撮れないため、次の撮影会に賭けることになる。まさにギャンブルにハマる心理状態と言える。 そういうわけで、「今度こそ最後にしよう」と参加した撮影会が、2月29日の3〜4部であった。 当然ながら、H嬢を撮影するために行ったわけであるが、事前に見た参加モデル4人の中に、H嬢とは別に気になるモデルがいた。他の3人は茶髪であるのだが、そのモデルS嬢は黒髪で地味な雰囲気。しかしどうにも気になる。写真で見た限りでは、女優の本上まなみに似ているような気もする。また同時に、遊び人の友人M(参考:雑文451)にも似ている気がする。しかしながら友人Mは本上まなみには似ていないため、両者の中点に位置するのがS嬢なのかも知れない。 撮影会当日、H嬢と共に現れたS嬢は、想像していた姿そのままであった。 そこで、急遽予定を変更し、H嬢とS嬢を両方撮影することとした。しかしながら、スタジオでの撮影は2人ずつの交代で、H嬢とS嬢がペアとして同時に現れたため、どちらにも集中出来ずに中途半端となってしまった。まさに、「二兎追う者は一兎をも得ず」。 結局、この日の撮影会は消化不良状態に終わり、次の撮影会では黒髪S嬢に集中することに決めた。 最後の撮影会となるはずだったが、新たな幕切れとなってしまった。 S嬢が出る次の撮影会は3月13日。 集中して一気に撮影して心残りを無くし、今度こそ撮影会活動を休止しようと思っている。そのため、金はかかるが4部通しでの参加とする。金策のためニコン用300mmf2.8望遠レンズを売却する羽目になってしまった。これ以上深みにハマると本当に取り返しがつかない。 撮影会当日、朝から良い天気で最後の撮影会としては文句無し。 いつものようにフィルムを装填しながら皆の後に付いて行く。S嬢の周りには我輩を含めて5〜6人ほど集まり撮影を始めた。 S嬢は流し目が良く似合うため、我輩は当初から流し目をリクエストして撮影した。しかしそればかりではワンパターンになるため、結局は目線もらいの写真に落ち着いた。あまり流し目をリクエストして、スタジオで目線をもらえなくなっても困る。 測光にはニコンのデジタルカメラ「COOLPIX5400」を使用し、単体露出計は持参しなかった。前回は両方とも持って来ていたのだが、実際にはデジタルカメラしか使わなかったため、今回は単体露出計は必要無いと判断して持って来なかったのである。 ところがデジタルカメラのバッテリーが早々に切れた。どうやら充電が不十分だったらしい。仕方無くスペアバッテリーに交換した。更にもう1つバッテリーがあるはずだ・・・とカバンの中を探るが見付からない。 「しまった、残りの1つは充電器にセットしたまま自宅にあるのか!」 これには困った。今入れ換えたバッテリーが尽きれば、もう測光は出来ぬ。これが単3型電池ならば、ストロボ用やモータードライブ用として用意したスペア電池が使える。いや、それこそ昼休みにでもコンビニエンスストアで手に入れれば済む。このことは、雑文459「単3電池の重要性」にて書いたばかりであった。 専用バッテリーを使うデジタルカメラということで、用心して予備も含め3つのバッテリーを揃えたわけだが、持って来るのを忘れれば全く意味が無い。 この先、バッテリー1つで保つだろうか・・・。 それにしても、1部での野外撮影は意外にフィルムを消費した。しかしスタジオ撮影に入れば、モデル2人交代のため撮影者が集中することになり、撮影カット数も自ずと減ることになろう。 1部終了後、昼食のためスタジオ近くのバーミヤンへ行った。 ポケットには、ヘナチョコ妻が持たせてくれた焼き餃子割引券があった。撮影会の昼食のために、ヘナチョコがインターネットからプリントアウトした割引券だった。 心なしか、その焼き餃子は特別旨く感じた・・・。 さて、2部はいつものように始まった。 我輩はS嬢に集中するため、他の3人のモデルには一切レンズを向けなかった。 野外撮影では20人ほどの撮影者が4人のモデルに分散したのだが、スタジオでは交代で登場する2人のモデルに集まるため、なかなか割り込むのが難しい。目線もなかなかもらえないのだが、S嬢は順番にキッチリと目線を配るため、声をかけて自分だけ目線を横取りすることは許されない状況。カメラを構えてジッと待つしかない。 ところが、いざ目線が来ると、S嬢はポーズのタイミングが非常に早い。前回も何となくそう思ってはいたが、H嬢との間を行ったり来たりして撮影していたため撮影カットが少なく、それほど気にしなかった。 今回見ると、ほぼ1秒ごとのペースでポーズを変えている。シャッターを切るたびにパッ、パッ、パッとポーズが変わる。我輩の場合、MFの中判カメラのため(中判は被写界深度が浅い)、ポーズが少しでも変わるとピントは合わせ直さねばならぬ。その分撮影ペースが落ちる。 そのせいか、我輩に目線が来るとS嬢のテンポがとたんに遅くなる。我輩のシャッターを切るタイミングが遅いため、ファインダー越しに見るS嬢の表情が「?」という感じだった。そのため、ピントが合っていないと判っていながらも敢えてシャッターを切った場面もあった。S嬢のテンポを壊すと他の撮影者にも影響を与えかねない。 それでも集中力を高めて何度かトライしていると、ピント合わせの速度が追い付くようになってきた。ただし、本当にピントが合っているのかは、現像してみるまでは判らぬが・・・。 それにしてもこのS嬢、一度目線が来るとしばらく撮影させてくれるのには驚いた。 我輩の最大撮影枚数は220フィルムの24枚撮りであるのだが、1回の目線で24枚全て撮り切った場面もあった。秒間1コマのペースであるから、24秒間ずっと撮らせてくれたということか。ピントが手動であるため、その上手巻きとなればとても追い付くまい。 終いには、こちらが「も、もう勘弁してくれ・・・」と言いそうになるのだが、ペースにハマると抜け出せない。まるで二人三脚状態で、途中で抜けたくとも止まるタイミングが図りにくい。 しかしその分、目線の順番が回ってくるのが遅く、トータルでの撮影枚数は心配したほど多くない。 さて、3部に入ると陽も傾き、自然光を採り入れたスタジオ内も少し暗くなってきた。最初からライトは当てられているが雰囲気は多少変わる。そして露出も何度か測り直した。 ところがついにデジタルカメラのバッテリーが切れ、測光は不可能となってしまった。 せっかく4部通しで参加したというのに、これでは3部・4部の撮影が徒労に終わる・・・。 我輩はバッテリーを取り出し手で暖めた。これが普通の電池ならば暖めれば少し電力が回復するものだが、リチウムイオン電池は低温に強いだけに、暖めても効果は無かろう。暖めるという行為は、低温での性能低下を戻す意味があるため、暖めたとしても元々絶好調な性能がどうなるわけでも無い。 それでも我輩は、天に祈る気持ちで暖め続けた。 ・・・しかし無駄な努力に終わった。 露出計が無い。どうすれば良いか? 考えた挙げ句、クリップオンストロボ(サンパック製)の外光式調光を利用することにした。これならば、ストロボくさい写真になるものの、少なくとも適正露出は得られる。 このストロボは本来、マニュアル設定により1/32光量で発光させ、定常光に隠し味を加える目的で持参していた。レフ代わりのストロボである。 そういう微妙なサジ加減を確認するのがデジタルカメラであるが、それが使えないとなれば仕方無い。 もっとも、ストロボ撮影はチャージ時間が必要なため、S嬢の秒間1コマの撮影ペースはかなりツライ。連続撮影ではたまにストロボが不発となる。 しかし、ストロボ一発では雰囲気が壊れるライティングのシーンが1つあったため、そこだけは休憩時間中にスタジオマンに露出を測ってもらった。出た目をそのまま使って良いのか迷ったが、とりあえずその値で撮影し、現像時に切り現をすることにした。 言うまでもないことだが、"切り現"とはフィルムの一部を切って現像し、その結果を見て残りの本番現像をする方法である。当然ながら数コマが犠牲となるため、あまり良い方法とは言えない。あくまで失敗を防ぐための緊急避難的措置である。少なくとも趣味で写真を撮る者が恒常的にやる行為ではない。 現像後、ルーペで確認すると、いつもながらにピンボケ写真が多い。視力の問題もそうだが、プリズムファインダーの倍率や焦点板が暗いのも原因ではないかと思う。 しかしながら最後の撮影会という気持ちで根性を入れたためか採用カット数は予想以上に多く、採用率は29.3パーセントにもなった。初期の採用率8.9パーセントに比べればかなりのもの。 ストロボ撮影も思ったほど悪くない。今回は「FUJI RDP3」を用いたのだが、驚くことに粒子が全く見えない。4,000dpiのスキャナで取り込んでも全く性能が足りぬ。40,000dpiくらい無ければ粒子は拾えない。 定常光ではそれなりに粒子が見えるため、ストロボ光との相性が良いのだろうか? RDP3でこうなら、もっと粒子の細かい「FUJI ASTIA100」を使えばどうなるか気になる。 それは次の撮影会でテストするか。 ・・・次の撮影会? ---------------------------------------------------- [480] 2004年04月05日(月) 「ビデオカメラ」 雑文328「予定調和」では、8ミリビデオカメラとDVD製作環境の整備について書いた。 しかしながら8ミリビデオカメラは図体が大きく、高速移動したり騒動を巻き起こす豚児(とんじ)を素早く捉えるには難しい。常に手の届く場所に置いておける小型軽量のビデオカメラが無くてはならぬ。 <<画像ファイルあり>> SONY CCD-TRV86(Hi8) そういうわけで、小型のデジタルビデオカメラ(DV)を家計から購入することになった。最近はビデオカメラは安くなったため、5万円前後の予算(予備バッテリー別)で考えよう。 ビデオカメラの機種選定にあたり、まず重要視したのはサイズの問題である。これこそが買い換えの動機であるから、もし大柄なビデオカメラを購入してしまえば買い換えの目的そのものを失うことになる。 現状で一番小さいビデオカメラは、ソニー「DCR-HC30」と「DCR-HC40」であった。 予算内に収めねばならず、しかも豚児撮影限定と割り切り、普及タイプの「DCR-HC30」を購入することにした。 これにより、現在所有する8ミリビデオカメラはカメラの役目を終え、ビデオデッキとしての役割に専念することになる。 <<画像ファイルあり>> SONY DCR-HC30 さて数日後、注文したデジタルビデオカメラが届き、実際に動作させてみた。本当に手軽に撮影出来る。 それまで使っていた8ミリビデオカメラと見比べると、その大きさの違いは歴然としている。今度のビデオカメラは、大きめのポケットに入るほど。これならば、ヘナチョコ妻が豚児を外に連れ出す時にもビデオ撮影が可能だろう。 自分の居ない場面で撮影されたビデオほど興味深いものはないからな。 ちなみに、この機種はボディ色が数種類の中から選べるのであるが、安売店の在庫の関係上、シルバーしか選べなかった。 早速撮影した映像をテレビに映して観てみた。 さすがにデジタルビデオはキレイだ・・・となるはずだったが、その映像は思ったほど良くない。室内など蛍光灯で照明された場所ではノイズがかなり入っている。もしかしたら、今まで使っていた8ミリビデオカメラと大差無いのではないか・・・。 確かに、ビデオカメラがデジタルかアナログかということは映像記録方式の違いであり、映像を結ぶCCDや光学系などについては何ら変わるところは無い。いくらデジタルビデオであろうとも、光学系が悪ければその悪い画像をデジタルの高画質で記録するだけである。 結局今回は、筐体が小さくなりハンドリングが向上したことの意味が大きい。それは当初の目的そのものであり、画質向上を狙ったものでは無いため不満は全く無い。むしろ手ブレ防止機能が付いたことにより、安定した映像を確保出来るのが良い。 そういった撮影し易さのため、今後はビデオ素材が増えることになろう。 次の日、会社帰りに立ち寄った本屋でビデオ関連の雑誌が目に付いた。 そこには幾つかの雑誌があったが、我輩はビデオの基本的撮影法などが掲載されていたムックを購入した。どうせならば工夫して少しでも見易い映像にしようと考えた。 それまでの我輩はスチルカメラ専門であったから、ムックに書かれていた撮影や編集の基本が非常に新鮮に感じた。 試しにそれらの基本を念頭に置きながら豚児を撮影し編集してみると、それまでとは見違えるような結果となった。 「ビデオもなかなか面白い。」 我輩は、それまでビデオ撮影などバカにしていたのだが、例えば蔵王への行程や蔵王のお釜へのアプローチなどをビデオに撮影して念入りに編集すれば良い記念になろう。いや、資料的価値も高いかも知れぬ。 我輩としては、イメージするのは「NHK特集・地球大紀行」であった。 ソノ気になった我輩は、まずBGMに使うためのフリー音楽素材集を購入することにした。個人で楽しむ分には普通の音楽CDを使っても良いのかも知れないが、やはり後ろめたい気持ちになるであろうからフリー素材を使おう。 そして、編集のためのアプリケーションソフトも用意した。 今まではMPEG2で動画を取り込みそのMPEGファイルを切り貼りしていた。しかしMPEGは編集には向いておらず、かなり苦労させられる。これがAVI形式ならばデジタルビデオのデータそのものであるため、変換に伴うトラブルも無く、編集もフレーム単位に無理無く行える。 我輩は、ムックに紹介されていた「Ulead Video Studio」をネットオークションで3千円にて購入。 IEEE端子を介してビデオを取り込み、文字や音楽をここで加える。編集後、再びデジタルビデオカメラへデータを書き戻し、それをDVDレコーダーでDVD-Video化する予定。 低予算ながらも、それなりに強力なAVI編集環境が整った。 だがそうなると、気になるのがデジタルビデオカメラの性能である。豚児専用と割り切った購入のため、画質についてはこだわりが無さ過ぎた。 ならばこの際、画質を重視したカメラも購入するか。 もし最初に、全ての機能において平均点の万能ビデオカメラを購入していたならば、そのような気持ちは起きなかったろう。ところが"豚児専用"というハッキリした役割区分をしたことにより、それ以外の用途として画質を重視する場合の機材が別に必要となってしまったのだ。 こうなれば、次は小型軽量など全く考えずに高画質のみを追求すべきであろう。今さら万能カメラを選ぼうとも、先に購入したカメラとの棲み分けが難しくなるだけ。 さてそうなると、画質を考えれば3CCDは必須である・・・とムックには書かれていた。 スチル写真としてのデジカメには3CCD仕様のものはあまり聞かないため、本当に3CCDの必要性があるのか疑問だったが、インターネット上で情報を収集していると、やはり3CCDは色が良いとのこと。単板CCDでは表現が苦手な色も、3CCDならば無理無く発色するそうだ。 ならば、蔵王のお釜の微妙な色をした湖面を写すためには、やはり3CCDであるべきだろう。 3CCDをターゲットにすると選択肢は限られてくるが、価格的にもかなりのもの。10万円を下ることは無い。中古やネットオークションで手に入れるしか無い。 まず気になったのがSONY製「DCR-VX2000」。 これは現行VX2100の前の機種だが、それなりに性能は良さそう。しかしサイズが大きく、蔵王に登る時に使うザックには入らない。いくら小型軽量を考えないとは言っても、これは大き過ぎる。 次に考えたのはPanasonic製「NV-MX2500」。 これは安く小型であるものの、どうもピンと来ない。インターネット上での情報を見ても、あまり飛び抜けて高画質というわけでも無いようだ。要するに、役割区分をするだけの特長が無い。 ところで、ムックに載っていたカメラの中で、デザイン的に気になるものがあった。 それはCanon製「DM-XV1」であった。白を基調としたボディに赤のアクセントが映える。SONY DCR-XV-2000と同じように上部にハンドルが付いたタイプであるが、大きさはそれほどでもない。ザックにも余裕で入る寸法であった。 さて、気になるXV1の性能であるが、インターネット上での評判は思ったほど良くない。「解像感が劣る」だの、「バッテリーの保ちが悪い」だの、「低照度では画面にノイズが入る」だのと書かれていた。 しかし、幾つかのサイトや掲示板には、「色の再現性が素晴らしい」とか、「蛍石のレンズ性能はさすがカメラメーカーだ」とか、「白飛び黒潰れが少ない」という誉め言葉も見られた。 我輩としては、上部ハンドル付きのカメラは使い易そうに思える。 米軍制式アサルトライフルM16には、XV1と同様なハンドルが付いており扱い易い。その印象がそのままハンドル付きカメラの印象に繋がるように感じた。 ところでCanonの現行モデルはXV2であるが、こちらは実売価格最安値が22万円とかなり高い。しかも前機のデザイン的特徴が消えてオーソドックスなものとなってしまった。さらにインターネット上での情報によれば、「XV1の色再現性のほうが好みだった」との記述が幾つかあり、あまり現行機種には関心が向かなかった。 結局、ネットオークションで10万円でXV1を手に入れた。 精密な可動部の多いビデオカメラを中古で購入するのはかなりの冒険であるが、それを承知で購入。ちょうどその頃、イラスト描きのアルバイトが入り、金銭的に余裕が出来たのは幸運と言える。 届いた現物はそれなりに汚れていたが、透明保護シールが各所に貼られていたため、シールを剥がして糊を丹念に落とすとそれなりに美しくなった。 早速室内で豚児を撮影してみたが、今まででならばくすんだ色になっていた肌色が、このカメラではクッキリ鮮やかに見える。正直、驚いた。 しかも、低照度の撮影ではノイズが入ると言われていたのだが、今までとはクラスが違うためか我輩の目には充分に美しく見える。解像感も甘いとは思えない。軟調さがそう思わせる場合もあるのだろうか。 <<画像ファイルあり>> Canon DM-XV1(ワイドコンバーター装着) ただし、蔵王などの広い風景を画角に収めるにはレンズが望遠寄りと感ずる。もう少し広角が欲しい。 そのためレンズ先端に装着するワイドコンバーターを購入した。画質重視のため、周辺部までクリアな映像を結ぶものでなければならぬ。 色々と調べた結果、レイノックス製ワイド・コンバージョンレンズ「HD-7000PRO 0.7X」を選んだ。価格は17,000円。 また、バッテリーの保ちが悪いそうであるから、予備のバッテリーを購入する。 とりあえず、最も大容量のバッテリーを3つ用意しておけば、蔵王での6時間くらいは何とかなろう(6時間のうち、実質撮影時間を4時間とした場合)。 純正品を調べると、安い店でも1つあたり18,000円と高い。3つも揃えれば54,000円にもなる。 そこで、非純正バッテリー販売のうち、比較的信頼出来そうな「ROWA BATTERY BANK」というところから互換バッテリーを購入することにした。これならば、1つあたり8,500円と格安。バッテリーセルもPanasonic製とのことで、幾分不安感は消える。インターネット上でもそれほど悪い情報は見られない。 まあ、バックアップ的な用途として、SONY機もポケットに忍ばせることになろう。 例えば列車やバスでの移動の記録などには、大げさなカメラを使うのは気が引ける。そういう時には小型のSONY機を用い、なかなか撮れない蔵王の現場では3CCDのCanon機を使うのだ。 前回は魚眼カメラや対角線魚眼レンズ、そして35mmカメラを持って行ったが、これをビデオ機材に置き換えるだけであり無理な荷物量ではない。メインカメラをBRONICAとして使う基本方針は前回と同じ。 今はまだ、雪に閉ざされた蔵王のお釜。7月〜9月には、是非ともビデオにて作品化したい。 まだ4月になったばかりであるが、機材が既に揃い、今からとても待ち遠しい。 ---------------------------------------------------- [481] 2004年04月06日(火) 「写真の情報量(蔵王のお釜)」 前回の雑文「ビデオカメラ」では、蔵王のお釜に対する情熱によりビデオカメラの購入を果たしたのだが、その情熱の根元として蔵王のお釜に対する新しい発見が挙げられよう。 以前、雑文081「写真の情報量」にて、写真に込められた隠された情報によってあらためて発見する光景について書いた。その時には気付かなくとも、後になって発見されるものは多い。 昔の自分では見えなかった光景が、今の自分にはハッキリと見えるものがある。 雑文447「蔵王のお釜(3)」では、蔵王のお釜の縁を回り中判写真を撮影した。時々、それらの写真を拡大して眺め、情報の掘り起こしをして楽しんでいる。特に山肌の浸食具合は興味深く、雨天時の水の流れを想像させ、自然の営みを頭の中で再構築させてくれる(樹状になっている川跡は数学的にも物理学的にも意味がありそうだ)。 ところで最近、検索サイトGoogleの大きな更新が行われたのか、蔵王のお釜に関する検索結果がかなり変わり、初めて見るサイトが見付かった。 その中に、安斎徹についての記述があった。それによると、安斎徹は蔵王のお釜の研究で有名とのことで、昭和15年にお釜の麓に蔵王火山研究所を建て観察を続けたという。 我輩は安斎徹に興味を持ち、安斎の著書「神秘の火口湖 蔵王のお釜(昭和36年刊)」を何とか入手して読み始めた。それによると、安斎徹は大正12年にお釜に対する研究を始め、特に昭和6年、そして昭和14年の火山活動活発化の時期に貴重な観測結果を残した。 それらの研究を記した著書を読み進めていくうちに、現在の深い緑色の湖水が、かつては今以上に酸性度が高く青い色をしていたことや、火山活動によって白濁したり褐色に変わったり、そして中央部から激しく硫黄が噴出したりと、驚くような光景があったことを知った。 また、お釜の水源は3本の川であり、そのうち五色川と呼ばれる流れは晴天時でも枯れることなく流れ込んでいる。その川は飲用出来るくらいの水であるらしい。その川はお釜に入る直前に伏流となり湖の水となる。 しかも驚いたことに、お釜の水は壁面の亀裂によって漏れていると考えられており、どんなに水位が下がっても(川の流れが凍結する冬季にはお釜の水位が下がる)その亀裂の高さより下がることはないらしい。 他にも、ここでは書ききれないほど多くの興味深い内容があった。 我輩は、あらためて去年撮影した写真を丹念に眺め、その中に研究所の跡地と思われる石組みが写っているのを発見した。写真をスキャナでめいっぱい拡大し、安斎の著書に掲載されていた研究所の写真と見比べてみると、石組みの様子が酷似している。どうやら間違いない。 その時には気付かなかったものが、写真にはしっかりと写っていたのだ。 蔵王火山研究所跡 <<画像ファイルあり>> これをきっかけにして、我輩は蔵王のお釜に対する興味が再び湧き起こった。 前回は浸食地形しか目に入らなかったが、次に訪れれば火山活動の形跡を次々に見付けることが出来るであろう。 まさかその時にお釜の水が沸騰したり硫黄が吹き出してくることはあるまいが、かつての火山活動が印(しる)した数々の痕跡は必ず残っているはず。それが我輩の目に映るかどうかは、これからの勉強にかかっている。 目を閉じれば、酸化鉄の付着した赤褐色の岩石を近景に入れてダイナミックな構図でお釜を捉えた写真が目に浮かんでくる・・・。 ---------------------------------------------------- [482] 2004年04月08日(木) 「今さら」 以前からその存在に気付いてはいたがあまり関心が無かったため、自分の意志でそのカメラの情報を収集することは無かった。 しかし昨日、ふとしたことでヨドバシカメラ店頭で手に取ってみた。 それは、一見35mm判レンジファインダーカメラかと思うようなデジタルカメラ。「Panasonic LUMIX LC1」である。 手に取ると非常に質感が良く、シャッターダイヤル、絞り環、ピントリングが配置され、説明書無くともマニュアル露出が可能である。 その時、ちょうど隣に置いてあったオリンパスの新型デジタルカメラ「C-8080 Wide Zoom」も触ってみたが、こちらはマニュアル露出ではシャッタースピードの設定方法しか分からず絞り調節の方法は分からなかった。 やはり一目見て機能が理解出来るというダイヤル式の利点は大きい。 我輩は、「Panasonic LUMIX LC1」のようなデジタルカメラが一番使い易いと感ずる。しかし、その登場はあまりに遅過ぎた。このようなカメラがなぜ今になって登場したのか、それが疑問であり、怒りでもある。 もったいぶるにも程があろう。 このような、単純で分かり易い操作系のカメラは、まず最初の段階でラインナップに加えられるべきであり、複雑を極めた後に口直しに出すものではない。しかも35mmカメラに似せたため図体が大きくデジタルカメラの良さが出ていない。少なくとも大・小あっても良い。 宣伝文句も「フルマニュアルデジカメ!」などと恩着せがましいため、印象としては非常に良くない。 そしてCanonやNikonがやるならともかく、家電のPanasonic(ナショナル)から出た製品というのが笑わせる。カメラメーカーの老舗として、カメラらしいところを家電屋に持って行かれたとは。 今まで、フルオートを主体とした使い方を強要し、マニュアル撮影については隔靴掻痒(かっかそうよう)、まさに靴の上から足を掻くかのような操作を強いる製品ばかりだった。液晶画面に頼った表示のためメニュー階層は深く、パソコンのようなマウスが必要なほど。 端から見ると、簡単明快な操作系のダイヤル方式を敢えて避けて通ろうとしているように見え、その様子が滑稽でもあった。 しかし今回、ダイヤルを避けて通ろうとしたらうっかり踏んでしまったようだな。 もちろん我輩は、全てのデジタルカメラがダイヤル式になるべきとは考えていない。少なくとも、現在の偏ったラインナップを正すには、ダイヤル式というのは一つの形式として認められても良い。 店員の話によると、「Panasonic LUMIX LC1」のOEMがライカブランドで限定発売されたとか。このようにキワモノ的扱いをされる限りダイヤル式は市民権を得ることは無い。 ただ単にプレミアやノスタルジーを動機としたカメラ買いはすぐに人を飽きさせるだろう。 理想を言えば、店員が客に対して目的別にカメラを提案出来れば良い。ダイヤル式はそれらの中で選択肢の一つとなる。 しかし現状では目的別に提案出来るほど製品の幅が無い。ほとんどの製品が同じタイプで、せいぜい性能の長短でしか語れない。結果として従来の液晶式が売れ続け、作られ続けるのみ。 今度の「Panasonic LUMIX LC1」が本気でダイヤル式を復活させようとした製品かどうかは疑問ではあるが、もし本気でヤル気があるのならば歓迎はする。 しかし、Panasonicはペンタプリズムの出っ張りを模したデジタルカメラを出しているメーカーであるから、今度も格好だけという気もしなくはない。ただ、これを一つの契機とし、各メーカーが間髪入れずダイヤル式を投入すれば、今までの歪んだ流れが少しは変わるかも知れない。 まあ、デジタルカメラに今さらそんな期待はせぬが・・・。 ---------------------------------------------------- [483] 2004年04月09日(金) 「規格に則ったもの」 今さら言うことでもないが、デジタルカメラの画素数は年々増大している。一昔前ならば「メガピクセル」と言えば高画質の代名詞であったが、今どき100万画素のデジタルカメラが高画質であると感ずる者はいまい。現在の主流は500万画素である。しかもその画素数もいずれは低スペックとされる日が来る。 もちろん、デジタルカメラの耐用年数を考えれば同じ機材を一生涯使い続けることはあるまい。普通に使い古して新しいものに買い換えれば、それがすなわち画素数アップとなる。その時代その時代のデジタルカメラを使えば何の問題も無いように思える。 しかし我輩のように、昔のデジタル画像でも永く保存したいと考える人間にとっては、今後最新デジタルカメラに買い換えようとも過去に撮影したデジタル画像までもが高画質になるわけではないということがガマンならない。 それ故、我輩の価値観ではデジタルカメラを趣味として位置付けることは無い。 結局のところ、一般大衆と同じく使い捨て用途となるだけだが、他の者が使い捨て用途に全面移行するのに対し、我輩は作品保存用としての銀塩写真を維持しながらデジタルカメラを使い捨てる。 さて、我輩がビデオ撮影を趣味に加えたということは前にも書いた(参考:雑文480「ビデオカメラ」)。 それ以前にも何度かビデオカメラは購入していたが、実用本位での運用のため画質や編集などには無頓着で、趣味と位置付けるまでには至らなかった。 ビデオの場合、ビデオカメラや編集機材はプロ向けとアマチュア向けとに別れており、クオリティが全然違う。記録媒体さえも違う。これは、プロもアマチュアも同じカメラを使い同じフィルムを使う銀塩スチルカメラには無い問題だ。 我輩は趣味を中途半端にやるつもりはない。そのため、本格的にやれるという見通しが立たねば最初から手を着けることをしない。 ビデオの場合、一昔前ならば高画質ビデオカメラや編集用機材を揃えると数百万円〜数千万円の単位となり、余程の金持ちかあるいは他に趣味が無い場合に限られる。スチルカメラを趣味としながら同時にやれることではない。 しかし時代は変わった。 ビデオカメラもデジタル化されてプロ用とアマチュア用の差も以前より小さくなり、そして編集に伴う画質劣化も無くなった。しかも値段はかなり安くなり、6万円も出せば新品が手に入る。ハイエンドモデルでも中古ならば安い。 パソコンを使えば専用編集機材を揃える必要も無く、文字入れや音入れ、そして各種映像効果を盛り込むことが出来る。もちろんパソコンの値段は高いが、今使っているパソコンを流用するのであるから事実上はソフトウェアのみの値段を考えれば済む。 そして最終的に、DVD-Videoの形にまとめ作品とすることが可能だ。 こういった下地が出来ていたところに、我輩がビデオ撮影の面白さに触れることになった。スチルカメラとは全く違う面白さに、妙な"棲み分け感"を感じた。これならば、スチルカメラとムービーカメラの趣味の両立が可能であろう。 しかし何より、我輩がビデオに対して好感を持ったのは、フォーマットが決まっているということだった。 ビデオでは、NTSC(日本の場合)という規格が前提にある。 最近はメガピクセルCCD搭載のビデオカメラも登場しているが、最終的にNTSCの画質に落とすことになるため、デジタルカメラのように昔撮影した映像が陳腐化することは無い。規格が一貫していることにより、今の映像も昔の映像も、編集で繋ぎ合わせて1本の作品としてまとめることも出来る。 また機材としても、NTSC規格の製品であるからその中でのハイエンドはいつまでもハイエンドであり続ける。 撮像管としてプランビコン管やサチコン管を使った昔のビデオカメラのほうが、小さなCCDを使った現在のデジタルカメラよりもクオリティ高い画が得られる場合もあろう。 良いものはいつまでも良いと言えるビデオの世界では、趣味として突き詰める価値があるように感ずる。 もし、ビデオの世界で規格が存在せずに画素数で劇的に画質が変わっていくとしたら、撮り貯めた過去の素材は全く価値を失い、現在の映像との混在も不可能だったろう。また、ビデオカメラも1年ごとに買い直さねばならなかったろう。 こんな環境では、ビデオ作品など落ち着いて撮れはせぬ。すぐに陳腐化する映像に気を込められるものか。 我輩は、中古でCanonのハイエンドビデオカメラDM-XV1を購入した。これは1999年発売の旧い機種である。 もしこれがデジタルカメラであったならば、画素数が少な過ぎて物足りなかったに違いない。少なくとも、ハイエンドカメラとして使おうとは思わぬ。 しかし、ビデオカメラであるこの旧式DM-XV1は、我輩の元で立派にハイエンド機として使われている。これは銀塩カメラの感覚にも似ている。いくら旧い銀塩カメラでも使い方によっては最新カメラと遜色無い写真が撮れる。ビデオカメラもまた同様。なぜならば、それらは皆同じNTSC規格に則ったビデオカメラだからだ。 昔のハイエンドカメラが今のローエンドカメラになっているデジタルカメラに比べれば、ビデオ撮影は趣味として突き詰めるには非常に有用であると我輩は判断した。 だからこそ、価格の問題がクリアされた今、ビデオを趣味として始めたのである。 ※ もちろん、HD(ハイビジョン)規格の民生ビデオが出始めているものの、現状のカメラやテレビがHDとして置き換わるまでにはまだまだ時間がかかるだろう。 ---------------------------------------------------- [484] 2004年04月20日(火) 「初心に還る」 最近の我輩は、デジタルビデオの撮影や編集をしている。そのことは何度も書いた。 これは趣味としてやり始めたため、向上することが何より大事。逆に言えば、向上出来ない趣味はすぐに飽きる。 以前の我輩は、プロの撮影する映像と比較して画質が決定的に悪いアナログビデオを前にして、向上心など全く湧かなかった。どれほど努力しようと、プロに迫ることは最初から不可能であることが分かってしまっている。 もし撮影した映像を編集して見易くしようとしても画質劣化が避けらないため、画質を優先するならば撮りっ放しにする以外無い。 しかし現在ではビデオもデジタル化され、どんなに編集しようが画質の劣化はほとんど無い(全く無いというわけでもない)。アマチュアの象徴である撮りっ放しビデオを超えることが出来るようになった。しかもデジタルビデオの映像はパソコンとの親和性が高く、編集はパソコンの画面上でソフト的に行え、再びビデオテープに書き戻せる。複数のデッキや編集機材は必要無い。 良い時代になったものだ。 これらビデオ撮影・編集の作業を通して、我輩はふと、写真を趣味とし始めた頃のことを思い出した。 小中学生の頃、我輩は自分のイメージ通りに写らないことが不満で、どうすれば解決出来るかを一つ一つ考え実行した。参考となるものはカメラ雑誌くらいしか無く、それを自分なりの方法にアレンジして解決していった。 (雑誌に載っている方法は機材が必要で金がかかるため、同じ効果を廉価に再現出来るよう工夫せねばならない。そのため自分なりの方法にアレンジする必要があった。) 成人してから写真の趣味を始めた者に比べると、我輩の進歩の度合いは全くの牛歩であろう。写真に不満を感じたならば、金を出して機材をポンと買えば済む。接写をしたければ、接写リングと三脚を買い足すだけですぐに写真が変わる。 我輩の場合、満足な接写が出来るまでは数年かかったものである。カメラボディから外した交換レンズを手で保持しながら身体の前後によってピントを合わせるという方法のため、遮光性やレンズ面の平行性を保つという熟練を要するのだ。(参考:雑文151「冒険野郎マクガイバー」の手写リングの記述) そういった熟練は接写リングを入手出来た時点で無意味となったのだが、それでも自分の努力によって結果が変わるということを手応えとして感じた。これこそが向上心を維持する原動力であり、趣味としての面白さである。 ところで、向上というのはそもそも問題意識があってこそ成し得る。 現状に問題があっても気付かないか、あるいは気付いたとしても「アマチュアだから」などと理由をつけて諦めているならば向上は期待出来まい。 特に、趣味のやり始めは問題点が幾つもありどこから手を着けて良いか分からないこともあろう。しかし少しずつながらも着実に向上すれば、いつか必ず目標とする到達点に辿り着く。(参考:雑文437「一つずつ」) 我輩はビデオを趣味とし始め、その向上課程をスチルカメラの時と同じように再び歩んでいる。まさしく初心に還ったような気分。 その道筋はなかなか険(けわ)しいが、初期の向上であればあるほど改善が目に見えて反映されるため、今が最も面白い時期と言える。 ちょうど昨日、ビデオテープを整理していて、その中に8年前に撮影したテープが出てきた。それは我輩が最初に購入したデジタルビデオ「ビクターGR-DV1」で撮影した江ノ電とビジネスショウの映像だった。 当時は「必要な情報が得られればそれで良い」という考えのため、中には縦位置で撮影した冗談のようなカットさえあった。 こうやって改めて当時の映像を観ると疲れる。手持ちによるブレやズーム多用、そしてダラダラと撮りっ放し。自分一人の思い出には良いが、とても人に見せられる映像ではない。 現在は編集を前提にした撮影をしている。あらかじめ完成品が頭の中に出来上がっており、そのために必要な素材を集めるように撮影するのだ。 そうやって出来上がった映像は、なかなか見応えある作品として出来上がった。出発点が低いだけに、少し向上すると見違える。 これなら、人にも見せられよう。 ところが良く見ると、映像が微妙にシロウトくさい。原因は、画面の微妙な揺れであった。 今日のビデオカメラにはテブレ補正機能が付いているのだが、それは小刻みな揺れを打ち消すには有用ではあるものの、ゆっくりと動くとどうしようもない。船に乗ったかのようにユーラユーラと画面が動いて落ち着かない。 そこで三脚に固定して撮影してみた。ガッチリと画面が安定して非常に見易くなった。やはり三脚を使い固定させると映像が締まる。 少し向上したと言えよう。 しかし豚児を撮影していたため、豚児が元気良くバシバシ歩いてフレーム外に外れそうになると、横にパン(首振り)しなければならない。ところがスチルカメラ用三脚であるため、パンニングはギクシャクして滑らかでない。 そういうわけで、やはり雲台だけはビデオ用とする必要があると判断し、「マンフロット雲台700RC2」を9,800円にて注文した。もし社会人でなかったならば、既存の三脚を用いて根性で滑らかなパンニングを実現させるよう訓練を積んだろう。 他にも、パソコンのOSの論理的限界により4GB以上のファイルが生成出来ないためWindows XPにアップグレードする必要が発生した。AVI形式で動画ファイルを作成すると、20分くらいの動画で4GBを超えるため、当初は20分未満に区切って順次ビデオテープに書き戻していたわけだが、それらの継ぎ目でどうしても無駄なコマが入り込んだりとタイミングが難しいため(カメラ側の不具合か?)、やはりそれを改善するにはAVIファイルそのものを連続した一つのファイルとする必要があった。 Windows XP嫌いの我輩だが、改善のためには仕方無い。 現在のところ、それなりに満足してビデオ撮影を行っている。 しかし新たな撮影によって別の問題が持ち上がり、更なる改善を検討しなければならないこともあろう。もしそれが金銭的に見合わなければ、知恵を搾り解決の道を探すに違いない。 まあ、それはそれで面白い。 このようにして問題点を解決していくにつれ、いずれ向上することに行き詰まってくるだろうが、その頃までには自分なりの世界を切り開き、別な意味での喜びを獲得しているだろうと自分に期待する。 また同時に、写真の趣味に良い刺激を与えることも期待したい。 ---------------------------------------------------- [485] 2004年04月23日(金) 「代カメ」 毎年のことだが、我輩はゴールデンウィークの週に突入して初めて休みの存在に気付く。そして同時に、何も計画を立てていないことにも気付く。 盆休みならば帰省のタイミングであるから事前に心づもりが出来ているのだが、ゴールデンウィークは新年度の忙しさに隠れて近付いてくるため、まだまだ先かと思っていると目前に迫っていたりするので焦るのだ。 今年はそのようなことが無いよう、泊まりがけの旅行を事前に計画することにした。 旅行には子豚を抱えて行くことになるため、あまり遠出せず県内で済ませようと考えた。しかし旅行雑誌を買って研究したものの、千葉県の観光地は分散しており、これといった所が無い。東京ディズニーランドなども案として出たが、全国各地から人が集まってくるゴールデンウィークをわざわざ選んで行くことも無い。第一、東京ディズニーランドは日帰り圏内で無意味過ぎる。 一時、大阪に行くような計画にまでなったが、結局は千葉県内に落ち着いた。 さて、持ち物としてカメラは必須。 今回はビデオカメラを使うため、スチルカメラも軽量で行きたい。もちろん極小サイズのビデオカメラであるから、持ち運ぶという意味での負担にはならぬが、ビデオカメラとスチルカメラの両方を操作するという意味では負荷が大きい。 ならばNew MAMIYA-6しか無かろう。 ふとNew MAMIYA-6を手に取った。見ると、ファインダー窓のガラスが割れて破片化している。 「しまった、このあいだ本の山積みが雪崩を起こしたことがあったが、その時に巻き込まれたか。今まで気付かなかった・・・。」 New MAMIYA-6のファインダー窓は割れ易いとは聞いていたが、現実に割れてしまうとショックである。 既に生産終了したカメラであるから、修理に出して直るかは分からないが、いずれにしてもこのカメラは旅行には持って行けない。そうなると、もう一台のNew MAMIYA-6の出番。 正直言って、同じカメラが2台あって本当に良かったと思う。2台目を購入する時には具体的な想定を行ったわけではなく、ただ漠然と「1台だけでは不安だ」と思った。その不安感は、天然の危機管理意識であったと言えよう。 我輩は現在、様々な機種のカメラを所有してはいるが、同じ機種のカメラを複数台持っているのはNikon F3、BRONICA SQ-Ai、そしてこのNew MAMIYA-6の3種類のみ。逆に言えば、本気で使うつもりのカメラはこの3種類に限る。 そしてこれら3種類それぞれに代用は利かず、Nikon F3でなければならない撮影、BRONICA SQ-Aiでなければならない撮影、New MAMIYA-6でなければならない撮影がある。 今回、66で軽量となればNew MAMIYA-6しか選択肢は無かった。 車を修理に出す場合は、修理が完了するまで代車を出してもらうことがあるようだが、カメラの場合は"代カメ"は無い。 必要な時にカメラが無くて困るのは使用者であるから、やはりカメラというのは同じタイプの代カメが複数台あると安心出来る。言葉で言えば当たり前ではあるが、我輩は今、それを実感する。 ---------------------------------------------------- [486] 2004年04月27日(火) 「仕込み」 ある写真を見た。 それは20年くらい前に撮られた街中の写真で、当時の上映映画やレコードのポスターなどが写り込んでいる。 一見何の変哲もない普通の写真であったが、なかなか丁寧に撮られた写真で、我輩はそこから懐かしい時代の匂いを嗅いだ。 我輩が写真に求めることは幾つかあるが、そのうちの一つとして「観る者をその地へ誘(いざな)う」というものがある。 既存の写真にそれを求める場合もあるし、十分な情報量が得られねば自分自身がそこへ行って映像を採集してくる場合もある。 (参考:雑文460) 自分で撮った写真であっても、その写真により一層興味を持ち、再びその地へ訪れることは珍しくない。 昔の時代の写真を観た時、無意識に「その時代に行ってみたい」と思うことがある。それが自分の生まれる前の時代のものであっても、懐かしさを感ずることはある。 今回見た写真は20年くらい前のものであるから、まさに我輩の生きてきた時代そのまま。当時の自分自身をその風景にコラージュ(切り貼り)して観ているようだった。 「その地へ誘う」という意味では、それら昔の写真は時代を超えて我輩に誘いかけてくる。 決して辿り着けない時空だけに、想いは強くなる一方。その分、飽きるまで写真を観続けることになる。 そういう写真は当然ながら、過去に仕込まれ現代に現れた。そうなると、未来の世界で懐かしく感ずる写真は、今現在生産されておかねばならぬ。仕込みをサボっていると、未来にその写真を観ることが出来ないのは当然。 しかしながら現在は「アート写真」が多い。我輩はそれを心配する。 昔は、写真を趣味とする者は単純に「キレイに写る」ということを目標に努力してきた。シャッターを押すだけで写るような時代ではなかったため、単純に写すためだけでも多くのテクニックを必要としたのだ。 ところが現在はカメラの自動化が進み、シャッターを押せばサルでも写せるようになった。そうなるとただ単純に「キレイに写る」だけでは写真を趣味とする者たちの面目が立たない。そこで、シロウトと一線を画すために「アート写真」への参入が起こるようになった。 ところがアートが蔓延するとその表現方法のネタが尽き、それを打破するためにスットンキョウな手法で写真を表現する者が現れる。そしてそれが何度も繰り返され、昔であれば失敗写真とされたような写真でさえアートの名を冠されるまでになった。 色偏り、不鮮明、ピンボケ、滲み、フレーミングの傾きやズレ、ありとあらゆるタブーに敢えて挑戦する。 アート写真に対する評価は、「個性的かどうか」ということに尽きる。褒め言葉として良く使われるのは「独自の世界を表現した写真」、反対に貶(けな)し言葉としては「どこかで見たような写真」というもの。 そもそも、評価無くしてアートは存在し得ない。 アートは我輩には全く関係の無い世界。 それまでは「大変そうだな」などと端から見ているだけであったが、最近、少し危惧を感じている。 「もしも、全ての写真家がアート志向となれば、普通の写真は誰が撮るんだ・・・?」 その時代の写真は、当然ながらその時代に生きる人間が撮影することになる。しかし、現代は写真を趣味とする者の多くがアートにうつつを抜かして真面目な写真を撮らず、仕込みをサボっているように見える。 時々、「絵ハガキのような写真だ」という言葉を貶し言葉として使われるのを聞く。しかし、絵ハガキのような写真を撮るのはそれなりにテクニックが必要である。少なくともボタン一つで撮れるものではない。ヘタをすれば、アート写真よりもテクニックが必要かも知れない。 しかしこのような絵ハガキのような普通の写真は誰も撮りたがらない。それはあたかも、真面目な人間はつまらないとされる風潮に似ている。 襟を正して真っ直ぐに立つ者と、ワルぶった格好で少しダルそうに寄りかかっている者が2人いれば、どちらが格好良い? 中身が同じ人間であっても、後者が格好良いと思う者は少なくなかろう。 しかし、世の中全ての人間がワルぶってしまえば、誰が世の中を正常に動かして行くというのか。 「記録写真は一般人が撮っているのだ、我々趣味の人間は高尚なアートを撮るべきだ」と言う者もいるかも知れないが、写真を趣味とする者が今を真面目に撮らねばどうする? 現状、アートの生産は過剰気味であるから、誰かがボランティア精神でアートを離脱し、目の前の時代をカッチリと真面目に撮り残してくれないものか。 アートならば未来でも生産可能だが、その時代を真面目に写した写真は今仕込みをせねば、未来にそれを必要としてももう遅い。 ---------------------------------------------------- [487] 2004年05月20日(木) 「写真の価値」 写真は、自分さえ満足していれば最低限それだけの存在価値は持つ。 極端な例えだが、パンチラ写真などを撮る者にとって、それらの写真は他人には見せられないものの、確かに自分だけの価値を持つ。他人に評価されるかどうかなど問題ではない。 我輩の撮る写真も自分だけに向けた写真であるため、他人の評価を必要としない価値を持つ。まさにパンチラ写真のような価値である(卑下しているわけではないので注意)。 しかし一般的には、自分の撮る写真はどのような評価を受けるのだろうかと気になるのが人情。 そもそも、写真の持つ価値というのはどういうものがあるのか。 ここでは、我輩が勝手に写真評価の種類を幾つかに分類してみた。 全てを分類しきれていないと感ずるが、こうでもしなければ、ただ漠然と「良い写真かそうでないか」などと考えるだけではラチがあかない。また、闇雲に全ての人間から良い評価を得る写真を撮ろうとしても辿り着くことは無い。 自分の写真をどのように位置付け、どのように評価してもらうのか。それをハッキリさせねば、違和感を持つ閲覧者は後を絶たないだろう。 自分の写真の価値をどこに求めるのか。撮る本人がそれを意識しなければ、それが達成されたかどうかという自己評価すらままならない。単に雰囲気のあるそれっぽい写真が撮れたからといって満足しても、一部の人間からは酷評されるだけ。価値の基準が異なれば当然そうなろう。 自分の求める写真の価値とは何か、それを自分の意識の中でハッキリさせることにより、迷い無く写真活動を行う助けとなるだろう。 (なお、ここでは報道写真やコマーシャル写真などは考慮しない。) <資料価値> 一つ一つの写真は何でもないものだが、それが大量に集まることにより、全体として価値が発生する場合がある。 例えば、駅舎の写真がたった1枚存在してもそれほど価値は無かろうが、全国の駅舎写真が数百数千と集まると「駅舎辞典」としてまとまる。このような辞典はそれなりに高価ではあるが、資料を必要とする者にとってはそれだけの価値があるのだ。 駅舎の例で言えば、写真そのもののクオリティ要求は低いものの、撮影するためには全国を丹念に巡らねばならず根気や情熱は欠かせない。地道な努力が結実してやっと成果となる。 <<画像ファイルあり>> <稀少価値> 単純に言えば、「今となっては絶対に撮ることの出来ない写真」。それがその写真の稀少価値を高める。 例えば昔の風俗・風景を撮影した写真などは、どれほどクオリティが低くとも保存状態が悪くとも、そこには稀少価値が存在する。 7〜8年前、業務で江ノ電を取材した時に、江ノ島電鉄株式会社に戦前撮られた写真を提供してもらうようお願いしたが、そのような古い写真は過去の火災により失われ、もはや愛好家の個人所有の写真が残るのみと言われた。それらの写真には色々な型式(かたしき)の車両が写っているが、中にはたった1枚の写真しか現存していない型式の車両もあった。 それらの写真は写りがどうあろうと貴重な写真である。その価値は誰一人否定出来ぬ。 稀少価値を用いて自分の写真の価値を高めようとするならば、単純に考えると他者が撮らないような被写体を撮影すれば良い。 例えば公衆電話などは、携帯電話の普及によりいつかは消え去ろう。いつの間にか消え去るものについて気付く者は少ない。それ故、実際に公衆電話が消滅した後は公衆電話を撮影した写真には稀少価値が生まれることになる。公衆電話の現物が博物館などに保存されていたとしても、当時の風景に収まった公衆電話の写真は、現物そのものとはまた違った価値を持つ。 他にも、日常風景の代表である電柱もいずれは地中埋設されるとのことで、電柱を撮った写真も同様に価値を持つことになろう。 いずれにせよ、撮影時点で価値を認められるものではないため、それらの写真は長い間日の目を見ることはない。そのことは覚悟せねばならぬ。またあるいは、意外にも公衆電話が消えずに残り、それまでの努力が報われないこともあるかも知れない。だが自分を信じ、地道な撮影を続けることが重要である。 (長い時間待つことを嫌い、このような稀少価値をすぐに得ようとする者がいる。例えば桜の写真を撮る者の中には、良い枝ぶりの桜を見付けると、自分が撮影した同じ枝を他者が撮らぬようその枝を折り取る不届き者がいるそうだ。他を犠牲にして自分の写真を唯一無二とすることにより価値を高めようとする蛮行である。) <芸術価値> 芸術というのは、ある意味評価が難しい。 もし商業写真ならば、具体的効果を狙った写真であるから、その目標を達成したかどうかという明確な価値基準がある。 しかし商売抜きで純粋に芸術として見た場合、何を以て評価すべきかという基準が曖昧で、見方によってその価値がガラリと変わる。 何しろ芸術の中でも、色や形などデザイン的な追求であるか、奇をてらった現代美術的追求であるか、モノクロスナップのようなファッション的な追求であるか・・・など、芸術の中でもさらに分類が必要であろう。 独自の価値を求めて新たな分野を切り拓く動きも多く、観るほうとしてもどのように観れば良いのか戸惑うこともある(例えば、泳いでいる金魚をミキサーにかけたりする芸術写真もあった)。 この分類を適切に行い、自分の写真の位置付けをハッキリさせねば、思いもよらぬ酷評を受けることになろう。 以上、思い付くままに分類してみた。 もし自分の写真をWeb上などで展示しようとする場合、それらの写真がどのような価値観を以て撮影されたのかをサイトの冒頭に明記しておけば、無用な行き違い(例えば資料価値を期待して撮影した写真に芸術写真的価値観を当てはめられるなど)を事前に防ぐことが出来、より意味のある展示が可能である。 もちろん、一目瞭然で写真の価値観が判るように展示していれば問題は無い。しかし世の中には勘違いをする者が必ずいる。雑文015「写真というものは・・・」や雑文260「趣味性」でも触れたが、都市部の鉄道車両を撮影する者の中に、景観・構図など気にせず淡々と車両を撮影する人物がいる。彼のサイトにはそれらの写真を酷評するメールが来るそうだが、彼は自分のスタイルを変えることなく撮影を続けている。 資料性を重視するために数をこなすのが彼の価値観であり、初めから芸術的価値を重視しているわけではない。それを理解しない者の酷評は、まさに不当評価と言えよう。 一方、芸術価値を求めた写真などの場合、その中でさらに価値観が分かれているため、ひとつ間違えばとんでもない酷評を受けるのは仕方が無い。しかしながら余計な言い訳もせず、それらの酷評を"反響の大きさ"と捉えられるくらい肝が据わっているならば、それはそれで本物の芸術家と言えるのかも知れぬ。 ---------------------------------------------------- [488] 2004年05月23日(日) 「最先端カメラ志向(前編)」 我輩が最初にAF一眼レフカメラを使ったのは「MINOLTA α-7000」だった。 それまでは、行橋そごうにあった高千穂カメラで「PENTAX ME-F」の展示カメラを手にしてそのAFの頼りなさに失望していたため、α-7000の高速かつ正確なAFには心底感動した。 それが、我輩を最先端カメラ至上主義へと一気に傾かせた。 元々、我輩は最先端の技術を好む。 我輩が「Nikon F3」の存在を初めて知った1981年10月、F3はまさに時代の最先端を行くスーパーカメラであった。しかもこの年の4月にはスペースシャトル・コロンビアが初飛行し、F3はスペースシャトルの備品の一つにもなっていた。 しばらく後になって報道プロが使うカメラだという印象が加わったものの、F3の全体的イメージとしてはやはりNASAの使う技術系最先端テクノロジーカメラという印象が強い。 そうでなければ、これほどまでF3には惹かれなかったろう。 (参考:雑文083「F3の第一印象」) <<画像ファイルあり>> [Newton 1981年11月号] ところが「いつかF3を手にしてやる」と決意した日は遠く過ぎ、本格的なAF一眼レフカメラが出現してF3の先進イメージは薄れてきた。 もちろん現在の我輩は、F3の造りの良さは時代を越えた普遍性を持っていると承知している。だが当時はカタログでしか知らないF3に対しては、スペック以外に対して情熱を維持することは出来なかった。 そういうわけで、我輩はα-7000に触れて以降、テクノロジーでF3を越えたカメラたちを追い求めた。 我輩が初めてα-7000を手にした時は既にα-7700iの時代であったため、しばらくの間貯金をしてα-7000を下取りに出し、α-7700iを購入した。流線形のスマートなボディ、AFスピードのアップ、ワイドフォーカスエリア、動体予測AF、AF駆動の静音化、照明光付き大型液晶パネル、分割測光、カードシステムによるカスタマイズ及び機能アップ・・・と、α-7000からかなり進化したカメラとなっていた。 そしてこの延長線上に現れるであろう次代のカメラはどんなものになるだろうかと、いやがうえにも期待は高まった。 α-7700iは、確かに我輩の撮影に大きな進歩をもたらした。それまでの中央部重点測光+マニュアル露出よりも、分割測光によるAEは撮影効率を高めた。 しかし当時は、ネガカラーフィルムからリバーサルフィルム(コダクローム64)へと全面転換するタイミングでもあり、いくら分割測光であろうとも百発百中ではないという現実に突き当たった。そうなると、撮影者の意志をカメラ側に伝えるためのインターフェイスが問題となる。 我輩の使い方として露出補正はほとんど使わない。同じシチュエーションの下では露出値を固定しその中で微調整を加える。そのためにマニュアル露出というものを重要視する。 (参考:雑文042「マニュアル露出」) ふと見れば、α-7700iの操作部は小さなスライド式レバーが1つ。シャッタースピードと絞りをこの1つのレバーを用いボタンで切替えながら操作せねばならぬ。 しかしこのスライドレバーはクセモノで、誤作動によって何度も悔しい思いをした。 (参考:雑文007「α−7700iからEOS630へ」) その後、「Canon EOS630」の電子ダイヤルに期待をかけ、全面的にCanon EFシステムに移行した。EOS630はAEB(自動段階露出)が内蔵され、しかもEOS620のようにAEBが1ショットごとに解除されることもない。しかも秒間5コマと高速で、α-7700iでは1秒かかっていたAEB撮影が0.6秒で完了する(もちろんシャッタースピード値によっては長くなるが)。 しかしよくよく考えると、わざわざ1つの電子ダイヤルに操作性を求めるよりも、従来のダイヤル式によってシャッタースピードと絞りを操作するほうが素直で分かり易く合理的であることに気が付いた。 全面的にカメラに任せられない現状では、撮影者の意志をカメラに入力するための操作性は重要な問題である。 MINOLTAとCanonのAFシステムは、レンズ側に絞り環が無い。かと言って当時のNikonの貧弱なAFに変更するつもりも無く、ましてやPENTAXのSFシリーズなど論外であった。 もしその時点で代替となるカメラがあれば、すぐさまEOS630から乗り換えたろう。しかし不満を解消するためのカメラが無い以上はこのままEOS630を使い続けるしか無かった。 我輩が求めていたのは最先端テクノロジーのカメラである。 α-7000からα7700iへ大きく進歩したような動きを期待していた。しかし進歩の流れは、複雑なモード化、階層メニュー化、ボディの肥大化、コスト削減による安物化へといびつな方向へと突き進み、我輩を落胆させた。 AF機能を利用したいがために、肝心な操作性を犠牲にするべきなのか? 特に、MINOLTAのxiシリーズは撮影者の意志を排除するかのように見え、もはやAFカメラに期待しても無駄だと悟った。 その頃、我輩はNikon F3を一時の気の迷いによって中古入手した(参考:雑文152「7年目」)。 実際に手にするF3は、今までのAFカメラ(つまり液晶式カメラ)の操作とは全く異なり、シャッタースピードと絞りをダイレクトに操作出来るというごく当たり前の操作体系が新鮮だった(参考:雑文228「マジック・ショー」)。しかも、それは今まで我輩が使ってきたダイヤル式カメラでは感じたことのなかった造りの良さを感じ、これこそが我輩が辿り着くべきカメラだと気付かされた。 最先端カメラを追い求めて長い旅をし、結局は最初の目標に戻ってきたのである。 最先端カメラであったF3も、ベストセラーの時期を経て今や生産終了カメラとなってしまった。これから時代を経るにつれF3はクラシックカメラとされるようになり、事情を知らぬ者の目には我輩はクラシック趣味な物好きと映ろう。しかし我輩はあくまでも最先端カメラに接する気持ちでF3に接する。 その気持ちは、最初にF3を知った時のまま。 (2004.05.24追記) 当時、我輩がNikon F3に感じた先進性とは、具体的には次の点である。 ●クォーツによるシャッター秒時制御 当時はクォーツ搭載カメラであれば誇らしげに"Quarts"と銘打たれていた。電子化されたF3でクォーツが採用されたのは当然の流れであろう。シャッター制御がクォーツ化されたことにより、極めて正確で安定したシャッターとなった(もちろんシャッターそのものの機械的精度にも左右されるが)。絞り優先AEの搭載はあくまでも電子シャッター採用による副産物であると思われる。 ●液晶表示採用 液晶表示は当時珍しく、非常にクールで先進的なイメージを受けた。デジタルウォッチなどテクノ商品が受けた時代である。 ●電磁レリーズ採用 力を入れて指を押し込まなくともシャッターが切れるというのは、まさに先進性の極みである。 ●ボディ内測光 ファインダーを外しても正常に測光出来るというのは、首がもげても平気でいられる不死身の生命体という印象を受けた。 ●TTL調光 TTL調光は高級カメラの証。カメラ本体がストロボの光を直接制御するため、レンズの絞り値を自由に選べる(設定可能範囲は撮影距離などによって限定されるが)。外光調光のようにF2.8とF5.6の2つしか選べないという制約は無い。 ---------------------------------------------------- [489] 2004年05月30日(日) 「最先端カメラ志向(後編)」 前回の雑文488「最先端カメラ志向(前編)」では、我輩の最先端カメラ志向について書いた。 我輩は最先端カメラを好み、F3を使う。 ところで現在の最新カメラに目を移すと、意外にも未来的なカメラは見られない。既に時代は、未来の象徴とも言える21世紀であるというのに、なぜか20世紀のうちでも想像出来る範囲内で進化したカメラばかり。そこには、MINOLTA xiシリーズのように無理矢理未来を先取りした、いわゆるブッ飛んだカメラは無い。 そういう意味では、21世紀ともなれば人工知能により、今何を撮影しているかということを認識するカメラが現れても良かろう。 α-7000からα-7700iへと進化した延長線上を辿って行けば、このようなカメラが現れても不思議ではない。いずれは高度に進化したカメラは自我に目覚め、人類を滅ぼすために世界戦争を引き起こそうとするようになる。そして写真サイトの掲示板では、如何に戦争を回避させるかという白熱した議論が交わされ、写真という趣味は人類の運命を左右することになるはずだった・・・。 未来世界に果敢に挑戦し跳ね飛ばされたMINOLTA xiシリーズ。それは、21世紀へ到達するための最初のシリーズでもあった。これこそ、20世紀末に夢見られたエアカーのように、永遠に到達出来ない未来世界のカメラである。人間の判断を必要としない完全自律を目指したロボットカメラの最初のシリーズがこのxiなのだ。目指す究極の姿は、シャッターボタンさえ無いカメラであろう。 純粋に技術的な意味で言えば、xiシリーズは現在でも最先端テクノロジーのカメラであると我輩は考える。具体的な将来像を据え、それに向かって周辺技術を組み上げていく。 もちろん現在でも、視線入力や超音波モータ、手振れ防止など進んだ技術はあるが、それらは撮影をアシストするための単独技術でしかない。例えば、いくら視線入力技術が進もうとも、現状では「撮影者がどこを見ているか」という検知能力向上の方向性しか無い。それは決して、将来像として「カメラが人間の考えていることを汲み取る」という目的を成すための一つの判断材料に使うわけではない。何年経っても、視線のあるところにピントを合わせようとする動作は変わるまい。変わるのは精度のみ。 しかしxiシリーズはシステム全体として自律カメラを目指しており、人間側の操作を極力減らそうとしている。 視線入力技術が盛り込まれたとしたら、それは人間の意志を読み取るための判断材料の一つとして使われることになろう。もちろん、フォーカスの位置検知にも使われようが、それ以外にも、例えば次のようにカメラが判断することにも役立つだろう。 「撮影者は右の方ばかり気にしているようだな、右から何かがフレームインするのかも知れないな、目の前には道路があるから恐らく車が通るのだろうな、ではそこに置きピンして待っていようか。」 ---数分後--- 「目線の動きが不安定になってきたな、撮影者は緊張し始めたようだな、・・・ということはシャッターのタイミングが難しいのだろうな、恐らく時速100kmは越えるのだろうな、ではシャッターレリーズはカメラ側でタイミングを取ることにしよう。いちおう、撮影者の瞳孔が微妙に開くタイミングも参考にしてシャッターを切ろう。」 他のカメラでは「言ったことは忠実に行うが、その反面、言ったことしかやらない」というのに対し、xiシリーズでは「言わなくても仕草を見て気を利かせてくれる」と言える。どんなに優れた技術があろうとも、それが有機的に統合され一つの働きをせねば意味を成さないのである。 ただし現時点ではxiシリーズは察しが悪いため、気を利かせようと努力しても裏目に出ることのほうが多い。何しろ、ロボットカメラへの第一歩(バージョン1)である。最初から何もかも完璧であれば苦労は無い。 結局のところxiシリーズは、ロボットとしての完成度が低いにも関わらずそれを補うための操作性が悪かった。つまり、察しが悪く、しかも人の言うことを聞かないカメラということで世間の評判を落としてしまったのだ。今ではxiシリーズの中古は二束三文であるのは周知の事実。 その後、真面目なミノルタは180度転進し、操作部材をこれでもかというほど多く設置してカメラをゴチャゴチャにしてしまった。α-7などもうメチャクチャ。まさか今後、新機能が増えるたびにスイッチやダイヤルを増やす気なのか? これならば素の手動カメラを使ったほうがまだスマートかもな。手動のフィルム巻上げ操作などあっても、それはスイッチ操作するのと変わらない。 ところで、xiシリーズのデザインはまさに"溶けかかったチョコレート"。その中でも「MINOLTA α-9xi」はブッ飛んでいる。ペンタ部前面が右肩から引きつっているようだ。 個性的と言いたいところだが、結局はCanon T-90の角を削ぎ落としただけであり、逆にオリジナリティを感じなかった。T90でさえ角が丸いと言われているのに、それを更に丸くするとは全く安易な処理だと最初に見た時に呆れた。 しかし今あらためてその姿を見ると、それが却って面白い。 現実世界のカメラとして捉えると拒否反応が出るが、SF映画に出てくる未来アイテムを使うという目で見ると興味が湧く。 しかも中古価格はかつてのフラグシップにも関わらず2万円台のものすらある。 我輩はしばらく考えた。 操作性が悪いとは言うものの、電子ダイヤルはシャッタースピード用、絞り用と2つ用意されている。モード切替せずマニュアル露出のみで使うならば特に問題は無い。 更に、インテリジェントカードを装着することによってマルチスポット測光が可能となる。これならば「MINOLTA FLASHMETER VI」と同じ役割を与えながらかつ撮影も出来る(参考:雑文440「MINOLTA FLASHMETER VI」)。 単純にスペックだけを見ても、秒間4.5コマというのはかなりのもの。最高シャッタースピード1/12,000秒、シンクロ接点が1/300秒であるから幕速はそれなりに速いだろうと想像する。そうなるとシャッターチャージの力は強くなり、巻上げ時の負担も大きくなろう。それで秒間4.5コマを実現しているのだから驚く。 繰り返しになるが、この「MINOLTA α-9xi」はかつてのフラッグシップである。造りの良さは想像出来る。 そこで我輩は、底値とも言えるこの時期に、このα-9xiを入手することを決断した。予算は今月の小遣い2万円分。これでフラッグシップが手に入るのだから安い。しかもAFのフラッグシップにしてはかなり小柄。 特に決定的だったのは、カードを使うことによってマルチスポット測光が可能だということ。これが無かったならば、いまだ購入を迷っていたことだろう。 マルチスポットとは、撮影者の意志によって複数測定したスポット測光値を平均する機能である。これは分割測光を手動化したものと言える。 そもそも分割測光というのは、分割された測光素子から得られた情報をあらかじめパターン化された様々な撮影シーンに当てはめ、適正露出値を推測する測光方式である。それ故、当てはめるパターンを誤ればとんでもない値を出す可能性がある。 それは素子の分割数が多ければ解決する話ではない。分割数があまり多くなくても、パターンに当てはめるアルゴリズムが優れていれば露出の的中率が高くなる(参考:雑文238「摂関政治」)。 ところでマルチスポット測光可能なカメラというのは、実はあまり多くない。そしてその多くは上級機である。 しかしMINOLTAでは、インテリジェントカードを使えば「α-7700i」、「α-8700i」、「α-7xi」、「α-7xiP」、「α-9xi」、「α-707si」にてマルチスポット測光が可能だという。 我輩は過去の体験から、ミノルタαシステムはどうも絞り機構が脆弱だというイメージを持っているのだが(参考:雑文063「不具合だったα−9000」、雑文201「印象と信用」)、α-9xiは造りが頑丈そうに思えるのでそこは心配しないことにした。 そういうわけで、α-9xiはAF撮影で本気で使うことにしようかと目論んだ。 ネットオークションでα-9xiを検索すると4台ほど見付かり、その全てが未入札状態。やはりxiシリーズは人気無いな・・・。 1万8千円〜25,000円まで幅があったが程度を勘案して2万円の物件に入札した。競争相手が現れれば競り負けるとは思ったが、その時はまた別の物件を探すことにする。 結局、競争相手無きまま我輩が2万円にて落札。当時の定価は「Nikon F3HP」と同程度だったのだが本当に価値が下がっているな・・・。 さて、いくらα-9xiが手に入ったとしても、マルチスポットカードが手に入らなければ意味が無い。 早速オークションで検索すると1件だけヒットした。念のためにマルチスポットカードの仕様を調べてみようとしてWeb上を検索してみたところ、ミノルタのサイトに行き当たり、そこでマルチスポットカードが現行品であることが判明。しかもカードを通販しているカメラ店(馴染みの高千穂カメラ)も見付けたため、オークションとの価格差もあまり無いので新品購入することにした。 また同時に、取扱説明書を手に入れねばならない。何しろ、xiシリーズが現役だった頃に店頭で手に取ってみたのだが、撮影モードを変更する方法が全く分からなかった。 xiシリーズは取扱説明書が無ければ操作することは不可能。 ミノルタネットショップにて、取扱説明書のコピーを購入した。 更に、esbooksから「ミノルタαシステムの使い方3」を注文した。xiシリーズ全般について書かれているため参考になる。幸いなことに在庫があったため、すぐに最寄りのセブンイレブンへ配送されてそこで代金を払って受け取った。コンビニ配送ならば送料が不要なので助かる。 しばらくして、待ち望んでいたα-9xi本体が届いた。 状態はなかなか良い。傷などもほとんど無い。 早速手に持ってファインダーを覗いてシャッターを切る。さすがにフラッグシップだけのことはあり、重量感とシッカリ感は十分。α-303siのような極端に軽量化されたカメラはダメだ。何しろα-303siの液晶パネル透明カバーは両面テープで固定されているほど。 カメラというのは重くシッカリしているからこそ「カメラ」と言える。軽いカメラなど「カメ」とでも名乗っておけと言いたい。 <<画像ファイルあり>> 手元にある初期型50mmレンズを装着してみた α-9xiで特筆すべきは、そのシャッター感と言える。切れ良くシャキシャキしている。何度でも空シャッターを切りたくなる。 現行α-9の場合はミラーの音が「パカラン、パカラン」と耳障りなのに対し、α-9xiでは高級感とシッカリ感が素晴らしい。極端な話、この感触を得るためのセラピーグッズ(癒しの小道具)としてこの安価なカメラを手に入れるのも良かろう。 またAF駆動も速い。EOS並か。 手元のα-9000やα303siと比べると全く速度が違う。 ファインダーを覗いてみたところ、ワイドフォーカスエリアはかなり広いのだが、どの測距点でピントを合わせたのかという表示が出ない。しかしWeb上の情報を探ると、隠しコマンドとして「Pボタンを押しながら電源スイッチを入れる」という操作によって表示出来るようになることが分かった。 それから、ピントが合ってもAFカメラにありがちな「ピピッ!」という電子音が出ない。ちなみに昔のα-9000、そして現行α-7は合焦音が鳴る。 我輩は現在、ミノルタαマウントの交換レンズは24mm、50mm、100-300mmの3本を所有しているが、常用として標準ズームが欲しいと思う。 我輩の想定としては、マルチスポット測光のために100mmくらいまでズームインした後、24mmくらいにズームアウトして実際の撮影を行うことを考えている。 電動ズームの「28-105mm F3.5-4.5 xi」ならばこの条件に合致し、しかも中古で1万円前後と安い。ところが電動ズームということもあり電池消費量が増えるらしい。そういうのは困る。 xiカメラにはxiズームがよく似合うのだが、ズーム焦点距離の両端で使うことを考えると、28mmから105mmまで行ったり来たりを繰り返し、すぐに電池が干上がることは確実。ここは手動ズームを選ぶしか無かろう。 しかし金が無いため、今はレンズは手に入れることが出来ない。オークションで売って換金出来る物ももう無くなった。金策が立つまでの間はお預けとなる。 まあ、主たる任務の蔵王のお釜調査までには少し間がある。それまでに何とか手に入れれば良い。 ・・・話は戻るのだが、それにしても、超全自動を目指したxiシリーズの方向性が事実上否定されたのは非常に残念でならない。xiシリーズは確かに不完全で人間の関与が欠かせなかったが、そもそも最初の製品が完璧であるはずがなかろう。このまま何世代か経れば人間がやろうとしていることを先取り出来るようになり、それこそボタンもレバーも何も無いカメラという方向性が見えてきたことだろう。カメラが撮影者の意図を酌み取り全自動撮影する。それこそ人類の夢である。 「人間の関与する余地を残したい」という意見は、現段階のカメラが不完全であることからくる不満であり、ローテク人間の近視眼的意見である。写真表現上大切な露出はカメラに任せておきながら、フレーミングは自分でやりたいとはな。 いずれ、「冗談みたいな話だが、昔はAZ(オートズーム)に拒否反応があったものだよ」と言われる時が来るだろう。 xiシリーズの失敗によって、その実現は先に延びてしまったが・・・。 現状は色々な最新カメラが存在するが、どれもこれも中途半端なオートカメラばかり。我輩としては、一歩未来に近付いたxiシリーズ(特に造りの良いα-9xi)を最先端カメラと位置付けよう。 手動操作の最先端カメラならばNikon F3、自動操作の最先端カメラならばMINOLTA α-9xi。 これ最強。 (2004.06.14追記) この雑文を書いて以降、α-9xiのオークション競争率がかなり上がっている。10,000円くらいでスタートしても25,000〜30,000円まで上がってしまう。バッテリーパック付きのものなどは4万円近くで落札された。それらはいずれも入札者が10人くらいにもなり、我輩の時のように競争無く落札することは全く不可能。残っているのは、最初から勘違いに値段が高い出品物ばかり。 しかもそれだけでなく、中古カメラ店での在庫もどんどん売れてしまっている。昨日確認した在庫が今日にはもう無くなっている。程度の良いものから先に無くなっていく。 確かに、ローマ法王の発言の如く全世界に影響力を持つ「カメラ雑文」であるから仕方無いものの、これは行き過ぎではないか。α-9xiなど、25,000円を超えて手に入れる価値は無いぞ。それにバッテリーパックなど稀少価値は高いものの、いくら単3電池が使えてもリチウム電池より保ちがかなり悪い。わざわざ装着して大柄にする意味が無い。 (2007.11.17追記) 数年前からα-9xiは絞り機構が不調となり戦線を離脱している。修理する価値があるかどうかが悩みどころ。 それにしても、これまでα-9000、α-303si、そして今回のα-9xiと、全く同じ現象が発生してきた。これは特定機種の問題ではなくミノルタマウントとしての設計上の問題ではないかと思えてくる。そうなると、それを引き継いだSONY製一眼レフデジタルカメラは大丈夫だろうかと他人事(ひとごと)ながら心配する。 結局のところ、不具合の出た機種はいくら修理しようが安心して使えない。もし本当にマウントに関わる設計上の問題だとするならば、修理しても根本的解決とはなるまい。我輩がとれる対策と言えば、これまで不具合の出ていない機種に移行することくらいか。ミノルタ製カメラが同じ問題を抱えているとしても、機種によって現象が出やすいものと出にくいものがあるかも知れない。 そいうわけで、先日、α-707siの未使用品を\16,000円で購入した。 ---------------------------------------------------- [490] 2004年06月02日(水) 「写真をナメてるな」 先日、いつものesbooks経由で一冊の写真集を購入した。かなり高価な写真集で、Web上の注文ボタンを押すまで1週間は迷った。 写真家の名は「白尾元理」とある。聞いたことは無い。元々、写真家の名前はあまり知らないため有名な写真家なのかは分からない。 指定したコンビニエンスストアにて税込み\6,300を払った。ズシリと重い。 家に持ち帰り、豚児の破壊工作を警戒しながらゆっくりとページをめくる。 そこにはクオリティ高い写真が掲載されており、思わず息を飲んだ。印刷線数は他の印刷物と大差無いが、それでも元の写真の持つ細かい描写が伝わってくる。原版は中判以上であろうか。少なくとも35mm判ではないことは判った。 その写真は晴天の正しい光線状態の下、隅々にまでピントが合いクッキリと見易い。中には魚眼レンズを使っている写真もあった。対角線180度視野の広大な風景。 写真集のタイトルは、「グラフィック日本列島の20億年」。 これは我輩の宝物となるな・・・。 小さい頃、我輩は子供図鑑を見て育った。 そのことは雑文108「スケール感」、雑文364「想像は現実を通り越す(1)」、雑文383「魚眼レンズ観」、雑文444「蔵王のお釜(1)」などで触れた。 当時は、その日の食べ物にも事欠く家庭だったそうだが、それでも我輩の母親はどうやって工面したのか我輩に全12巻の子供図鑑を買って与えたのである。 子供の世界というのはとても狭い。 しかし、図鑑の中の写真が我輩の世界を広げた。小さな子供ゆえスケール感は的確に捉えることは出来なかったものの、素晴らしい世界が存在するということを認識した。 子供用の図鑑は見易いようにほとんどがカラーページで掲載写真も見事。何しろ、何も知らぬ子供に説明するための写真であるから、解かり易さが最優先である。奥付を見ると、監修者が十数人もいた。記述内容はもちろん、写真も相当に揉まれたに違いない。 子供に見せて理解出来るようなキッチリした写真はなかなか撮るのは難しいと想像する。事実、我輩はその図鑑に載っているような写真を目標として撮影努力をしているのだが、なかなか思うように撮れない。 一見、苦労無く撮れたように思える写真でも、実は様々な努力が必要であった。結果だけ見てもその苦労は窺い知ることは出来ないが、実際にやろうとするとなかなか到達出来ないことに気付く。 禅問答のような話だが、いかにも凝ったということが分かる写真よりも、何気ない写真のほうが却って難しい(あるいは手間がかかる)のではないかと思う時がある。 冒頭で触れた写真集「グラフィック日本列島の20億年」は、日本各地の地質風景を丁寧に撮り集めた貴重な写真集だ。そのクオリティはさすがにプロが撮っただけのことはある。 技法を駆使したように思えない写真ではあるが、見せ方を計算し丁寧に撮られている。大きなサイズのフィルムを使い、隅々までクッキリと描写されたそれらの写真は、観る者に印刷物が媒介していることを忘れさせ、その風景を直接自分の眼で見ている錯覚に陥らせる。 違和感無く普通に眺めることが出来るということは、それだけ撮影時に手間をかけたということだ。例えるならば、相手に解り易い文章を書くために何度も推敲を重ねるようなものと言える。スラスラと読める読み易い文章であれば、それは時間をかけて書かれた文章であろう。 事実、この写真集では2人の研究者の意見を聞き、何度も撮影場所を吟味したという。そしてその2人による解説が紙面を割いて掲載されている。 しかし、いくら2人の研究者の協力があったからと言うものの、写真家自身にそれ相当の知識が無ければマトモな撮影など不可能。事実、この写真家自身が研究者のようなもので、自分が撮ろうとしているものについて良く知っている。早い話、写真家が専門家になったのではなく、専門家が写真家になったのだ。 そういう意味で、「この写真家にしか撮れない写真」と言ってよい。2人の解説者もはしがきに「我々の解説以上のものを写真に収めている」と評している。 プロカメラマンが編集者に写真撮影を頼まれて、前の日に一夜漬け勉強で足るようならば苦労は無い。日頃から特定分野についての勉強・研究を重ね豊富な知識を持っているからこそ見えてくる風景がある。 プロカメラマンであれば、我輩のようにとりあえず広い画角に詰め込んで持ち帰り、後日ちまちま勉強しながら画像解析するような撮影(※)をしていては務まらぬ。現場でキッチリとポイントを押さえておかねばならない。 (※参考:雑文081「写真の情報量」、雑文260「趣味性」、雑文481「写真の情報量(蔵王のお釜)」) 撮影者自身が専門家であり、なおかつ解説者が付く。これほど手間をかけ丁寧に作られた写真集は無い。 それに比べ、世にある写真集など、写真家が「感性」の名の下に自分勝手に撮った無計画写真ばかり。それらの多くは写真技法で誤魔化した価値の無いものである。 確かに、今回購入した学術的な写真集では、解説・監修が付くことは普通のことであろうが、アイドル写真集やエロ写真集であっても、その筋の専門家による監修の下でキッチリ撮って欲しいと願う。 我輩が学生の頃、好きなアイドルの写真集を買って観たものだが、海外の小島にて奇抜な髪型・奇抜な服装・奇抜な化粧・奇抜なポーズで撮られており、いかにもアイドル写真集の枠にハメただけの愚作であった。そのアイドルらしさが全く無い。いくら有名カメラマンの撮影であろうとも、そのアイドルを深く知らぬまま撮影するならば、その写真に価値は無い。 よく、「アイドルカメラマンはアイドルとのコミュニケーションが上手く、良い表情を引き出す」と言われるが、そういうレベルではなく、セッティングそのものに問題がある。そのような中でいくら良い表情が得られても何の意味も無い。 アイドルの個性を熟知しそれを写真として組み立てる監修者がなぜ存在しない? 編集者やプロカメラマンたちは、写真をナメてるな。 今回購入した写真集 ■タイトル : 「グラフィック日本列島の20億年」 ■写真 : 白尾元理 ■写真解説 : 小疇尚、斎藤靖二 ■体裁 : A4判変型・上製・カバー・198頁 ■定価 : 6,300円 ■ISBNコード : ISBN4-00-005768-5 C0044 ---------------------------------------------------- [491] 2004年06月04日(金) 「不確定性原理」 ハイゼンベルグの「不確定性原理」では、観測することによって観測対象が変化してしまい、正確に観測することが原理的に不可能とされている。 数式的な根拠は我輩には理解不能だが、とりあえずそういうことらしい。 さて、我輩は過去に、ある過ちを犯した。 それは、ビデオ撮影やデジタルカメラ撮影で豚児(とんじ)に液晶画面を見せたことだった。 当時はまだ豚児も幼虫状態でハイハイすら出来なかった。 まだ言葉がしゃべれないため、コミュニケーション手段は当然ながら"泣き声"である。腹が減れば泣く、寂しければ泣く、機嫌が悪ければ泣く。 ある時、ヘナチョコ妻は買い物に出掛け、我輩は豚児と2人で家に居た。 しかし豚児が激しく泣き出し、我輩は必死にぬいぐるみや何やらで機嫌をとったが泣き止まない。いいかげん腹も立ったのでデジタルカメラでその泣き顔を撮影し、その画像を泣いている豚児に見せた。 「おい、よく見ろ!こんなに歪んだ顔して泣いているのが分かっているのか、みっともないと思わんのか!」 豚児はその画像を見ると、ピタリと泣き止んだ。そしてその画像をジィーっと見入り、こちらを向いてニヤリと笑った。 「うぉっ!こ、こいつ・・・。」 さっきまで泣きまくっていた顔がニヤリと笑ったため、我輩はひるんでしまった。 とりあえず、豚児の機嫌はそれで直ったようで、一応、泣いた時の対処法としてその方法が有効だと判った。 それ以降、泣いている時にはデジタルカメラやビデオカメラの液晶画面を見せることにした。 ところが、豚児が面白い動作をやっているからとビデオを回し始めると、こちらを意識して動作が変わってしまうようになってしまった。 少し成長して歩き始めたりしゃべり始めたりする頃になると、音楽に合わせて踊ったり、面白いことを言ったりするのだが、カメラを見付けると途端にこちらへ駆け寄って液晶画面を見に来る。 まさに、観測することによって観測対象が変化してしまう「不確定性原理」である。 その傾向は今でも変わらない。 銀塩カメラで撮影していても、急いでやってきて裏ブタあたりを覗き込もうとする。 まったく困ったものだ。 ---------------------------------------------------- [492] 2004年06月09日(水) 「答だけを求めるな」 「人は、何のために生きるのか。」 その問いは重要ではあるが、外に向けて問うものではない。これは、自分の内に問うべきものである。 この世に生きる以上、何のために生きるのかという問いには必ず突き当たる。 しかしこの問いには絶対的な答えは存在しない。なぜなら、自分の答を他人に示したところで、それは他人にとっての答ではないからだ。 この世に生きる目的は、人それぞれに違う。 見方を変えれば、それを見付けようとすることが人生の目的とも言えるかも知れない。答を求める努力がその人間を成長させ、今まで見えなかったものが見えてくる。目の前にあっても見えなかったものが見えてくる。 だがそれにしても、最近は答だけを求めようとする者が多い。考える過程をすっ飛ばし、お手軽に答だけを教えてもらおうとする。 結局、そこまでの過程が無いため、教える者がいてもそれを理解出来ない。 その結果、「人間など生きようが死のうが同じだ」などと極端に傾いたり、自分にとって都合の良い答を出してくれる宗教を探してきたりする。 他人の出した答を「それは違う」と否定するのは簡単だが、そういう姿勢では永久に自分の答には到達出来まい。 人は、他人との関わりの中で示唆(サジェスチョン)を得るもの。 相手の言葉をそのまま受け取らず、自分なりに解釈して新しい考えを得る。それはもちろん"誤解"とは別の次元の話である。相手の言わんとすることを正確に受け取り、そのうえで自分なりの考えを組み立てる。 相手の思想との違いを炙り出すことこそ、自分を知る第一歩であるということは、以前雑文124「思想」にて書いたとおり。 「自分は、何のために写真を撮るのか」 写真という趣味をやっていると、撮っているだけで楽しかった時期も過ぎ、やがてこのような疑問に行き当たることもあろう。 このような問いも「生きる目的」と同様に、やはり自分の内に問うべきものである。安易に答だけを外に求めても行き着くところは無い。 耳を澄まし目を凝らせば、あらゆる所に存在する"示唆"という思想の糧(かて)。 それに気付くかどうかは、自分自身の問題。 他人がどうこう出来るものではない。 自分なりに考え、自分なりに答を出せ。 それ以外に方法は、無い。 ---------------------------------------------------- [493] 2004年06月18日(金) 「蔵王のお釜(4)-1」 我輩の通勤カバンは重量が5kgある。少し大きなカバンのため、色々と詰め込んでそれくらいの重さにしてある。通勤時には、そのカバンを持った腕を真っ直ぐ下ろさずに少し持ち上げた状態にする。 これは、持久力を上げるための運動なのだ。 蔵王のお釜撮影では、常に時間との戦いだった(参考:雑文444、雑文445、雑文447)。 そのために頼りになるのがスタミナ。いくら瞬間的に大きな力が出せても、それが続かなければ意味が無い。数分の時間差で最終バスに乗り遅れてしまう状況では、崖登り中に疲れたからといって休むわけにはいかないのだ。 通勤時の運動は、身体の一部分ではあるが負荷を長時間かけることによって、その状態に慣れるというのが目的。 会社に着くと疲労した腕が微妙に震えているのだが、左腕なので業務に支障は無い。バランスを考えて右腕は帰宅時に鍛えている。 最近では少し成果が出てきたのか、カバンを持ち上げるのも苦にならなくなり、息も乱れなくなった。体重も5kgほど減った。 そういうわけで、体力のほうは日頃から準備をしている蔵王のお釜撮影計画だが、今年のスケジュールはなかなか目処がつかない。また天気にも左右されるため、単純に休みが取れても現地で晴れなければ意味が無い。従って、「絶対に行く」という情熱を持たずにただ状況に流され続ければ、結果的に一生行けないということにもなりかねない。 次に蔵王を訪れる時にはビデオ撮影も行うつもりであるから、「ビデオカメラ」、「長時間バッテリー」、「ビデオ用雲台」、「DV編集ソフト」、「DVDオーサリングソフト」、「大容量HDD」、「Windows XP(NTFSを使う目的)」が必要となるため、それらを順次購入した。金策のために売り払ったカメラやレンズもあったが、不足分は丁度良いタイミングのイラスト描きのアルバイトに助けられた。 ところで先日購入した「MINOLTA α-9xi」は、マルチスポット単体露出計と35mm判カメラを1台にまとめる意味があった。背負ったザックからいちいち単体露出計を取り出して測光するというのは非常に効率が悪いので、35mm判カメラで測光出来れば有り難い。何しろヘタをすれば、中判カメラと35mm判カメラそれぞれ1台ずつ、そしてビデオカメラ2台を首や肩にさげることになる。露出計など持つ余裕は無い。 以上、α-9xiを手に入れた時点で何とか蔵王のお釜への物的準備が一応整ったことになる。後は、天気や休日などの状況が整うのを待つばかり。6月ではまだ残雪があろうが、やはり気になるので週末の天気予報をチェックすることが多くなった。 6月12日(土)は、時々雨という天気だった。まあ、梅雨に入っているのだから仕方無い。濡れた路面を走る車の音が聞こえていた。 しかし、どうやら次の日の日曜日は晴れるという予報。五月晴れ(梅雨の合間の晴れ)ということか。そしてその後は再び曇や雨に戻るらしい。 「これは、またとないチャンスか・・・?」 既に土曜日も夕方であったが、とりあえず家族には「明日蔵王に行くかも知れない」と言っておいた。 荷物の準備について、35mmフィルムの残量は十分なのだが、120フィルムが10本と少し不安。探すと220が2本あったため、これを追加した。220フィルムホルダーの中枠が余計な荷物となるが仕方無い。 ビデオカメラは、Canonの3CCD大型カメラとSONYの単CCD小型カメラを使う。小型のほうはポケットにでも突っ込み、旅の様子を撮る予定。 ビデオのバッテリーはそれぞれ3つずつ持って行くが、充電状態は不明。今から充電しても時間的に全てを充電するのは無理だが、それぞれ少なくとも1個はフル状態にはしておきたい。 ところが迂闊(うかつ)なことに、ビデオテープが無い。デジタルビデオの場合は同じテープを10回近く使い回すとブロックノイズが出るようになるため、新品のテープが絶対に必要。仕方無いので、夕食後の暗い道をトボトボ歩いて電器店にテープを買いに行った。昼間降っていた雨は止んでいたのだが、帰る途中で小雨に降られた。ふと立ち止まり、「明日は本当に晴れるのだろうか・・・?」と空を見上げた。 夜中、荷物をザックに詰めると、荷物がかなり重くなっていた。試しに背負ってみたが、かなり重い。12kgあった。 前回は何kgあったのかは分からないが、今回はビデオカメラが参戦するものの魚眼カメラと対角線魚眼レンズは入れていない。トータルでプラスマイナス・ゼロになると思っていたのだが。 腕だけで持ってみるとそれほど重くは感じないため、足や腰のほうが弱っているのか。もっとも、足や腰は慢性的に痛めているため、日常的に鍛えることは出来なかった。 それにしても、当日は早朝4時に起きねばならない。準備を色々とやっていると、もう23時となっていた。これ以上遅くなると睡眠不足で体力に影響が出るため、布団に飛び込んで寝た。しかしなかなか寝付けなかった。 6月13日(日)朝4時、目覚まし時計の音で目が覚めた。 眠りが浅かったのか、寝た気がしない。 起きてすぐにインターネットで気象庁にアクセスし、天気図や衛星写真などを見た。東北地方は雲がかかっている。午後になれば晴れるそうだが、午前中は曇るようだ。それにしても昨晩の予報では「曇るのは早朝のみ」という予報だったはず。この調子では夕方になっても曇というオチもあり得る。特に山では雲がかかり易かろう。 旅費もとりあえずは家計から借金するため、もし行って晴れなかったら悲惨である。 結局、確信が持てない現状では出発することは出来なかった。やり遂げようとする力が湧いてこない。 再び布団に入り、眠りについた。 (次回雑文へ続く) ---------------------------------------------------- [494] 2004年06月20日(日) 「蔵王のお釜(4)-2」 (前回雑文からの続き) 6月13日(日)、蔵王に行くことを断念したが、荷物はとりあえずそのままにしてある。別に意味は無い。荷物の出し入れが面倒なだけ。 しかし、「MINOLTA α-9xi」は気になって取り出した。 こうして見ると、このカメラはそれなりに重量がある。「軽いカメラなどカメとでも名乗っておけ」とは書いたものの、山へ行く時には少し軽いほうが助かる。この際、カメラではなくカメを持って行くことにしようか。 ・・・とは言うものの、インテリジェントカードが使えるカメは持っていない。新たに買うしか無かろう。 手持ちの金は無いため、思い切って稼働率の低い「Kiev 6c」を売却した。得た金でカメを飼う・・・いや、カメを買うつもりである。 狙うはインテリジェントカードが使える機種。そうでなければマルチスポット測光が出来ない。 まず最初に、「α-8700i」を探した。しかし、ネットオークションや中古カメラ店のWeb情報を探したが、年式が古いためか程度の良い出物がほとんど無い。当然ながら「α-7700i」も状況は同じ。中には5,000円程度のものもあったが、安物買いの銭失いとなるのは目に見えていたため、とても手を出すことは出来なかった。 次に目を付けたのは「α-707si」。これは我輩としては避けたい機種。内蔵ストロボがあるため華奢に見える。しかしこれ以外に使えそうなものも無いため、結局これを購入することにした。 ----------- 6月14日(月)、いつものとおりに出勤し仕事をした。 勤務地は新橋であるため、帰宅途中に大庭商会へ寄って707siを探してみた。しかし玉数が少なくそのまま帰宅した。まあ、しばらくは天気が悪い日が続くのだから、時間をかけてジックリと選ぶか。 ----------- 6月15日(火)、いつものとおりに出勤し仕事をした。 午前中までは非常に忙しく、気が付くと昼休みになっていた。昼食はいつも蕎麦(ソバ)とノンシュガーのコーンフレークを食す。これならば1日あたりの食費は牛乳代を入れても計130円で済む。 蕎麦をすすりながらインターネットから週間天気予報を見てみた。すると、明日16日は「晴」となっていた。一日中、降水確率は0パーセント。衛星画像を見ると、東北地方には雲一つ無い。予想天気図では、高気圧が中心に居座っている。 我輩は、思わず蕎麦を吹き出しそうになってしまった。 「平日でこの予報かっ、これでは落ち着いて仕事が出来んわ・・・。」 休暇を取ろうかと考えたが、あまりに直前であるから言い出しにくい。しかし丁度雑談で休暇の話が出たため、思い切って課長に休暇を取りたい旨を伝えた。 「・・・ええで。」 課長は許可してくれた。 定時後、我輩は新宿へ行き、マップカメラ中古売り場へ直行。 ショーケースには6台くらいの707siが並んでいる。価格は17,000円のものと13,000円のもの2種類に分けられている。 見ると、グリップ部の電極センサーに青白いサビが浮いているものがある。ここは腐食し易いのか? そう言われれば、2台ほど電極センサーがサンドペーパーなどで磨かれているものがある。どうやらサビを落とすためにやったと見える。 結局、このサビがイヤで17,000円のほうを選んだ。ほとんど無傷のカメだった。「Kiev 6c」がネットオークションで20,000円で売れたため、持ち出し金は無し。 帰宅後、早速707siと9xiを比べてみた。 さすがに707siはカメだけあって重量は軽い。いや9xiのほうが重いのか。どちらにせよ、山登りには丁度良い。 電子ダイヤルは9xiよりもクリックが重いのだが、ニコンAF機ほどではないので良しとする。 ウラブタ部の顔が当たる部分には白い跡が微妙に残っていた。化粧か?ティッシュで強く拭くと少し取れた。 恐らく前オーナーは女性かオカマだったのだろう。もしオカマであれば、蔵王のお釜撮影用として縁起が良い(?)。 <<画像ファイルあり>> さて、荷物は日曜日のままで置いてあり、準備はそれほど忙しくはなかった。それでも万全を期して色々とチェックしたり不足分を足したりした。 ヘナチョコ妻と豚児はその様子をポカーンと見ていた。 ----------- 6月16日(水)早朝4時、目覚まし時計で起きた。 インターネットで天気予報を見たが、晴れの表示は変わらない。 朝食を摂り、着替えて荷物を背負って家を出た。前回のように夜中のように真っ暗ではなく、早朝の雰囲気だった。空には雲一つ無い。力が湧く。 上野駅に出てみどりの窓口で新幹線の指定席を取った。もちろん、時間が重要であるから山形新幹線は利用しない(皮肉)。 ビデオは上野駅のシーンから始まる。旅路をビデオ撮りすると、後々良い想い出になる。また意外なところで参考にもなる。 白石蔵王駅へ時間通り到着し、そこからいつものようにバスに乗る。運転手のオイちゃんは特にノリが良いわけではなかった。 時刻表上では遠刈田温泉まで行ってそこで刈田山頂行きに乗り換えることになっているが、前回と同じく今回も同じバスでそのまま山頂まで行った。 山頂へは時間通り10時半頃到着した。空を見上げると雲はほとんど無い。まるでPLフィルターでもかけたかのように、青色が深い。 これならば安心して撮影が出来る。雲が通り過ぎるまでの待ち時間も必要無い(雲に包まれると動くのは危険)。 まずレストハウスでトイレに行く。そしてお釜のほうへ向かった。 すぐに崖を下ってお釜のほうへ降りて行きたかったが、今回は初めてビデオ撮影を行うため、上から望むシーンから撮影したい。そうなると、お釜を囲むようにそびえる馬の背(外輪山)を伝って歩く必要がある。そうなると少なくとも1時間はここで費やされることになろう。 三脚をセットし、クイックシューを使ってビデオカメラとブロニカを交互に撮影。 写真撮影はすぐに済むのだが、ビデオの場合は滑らかな一定速度のパンニング(横振り)がなかなか難しく、同じシーンでも何度か撮らねばならなかった。 観光客の数は、平日にも関わらずそれほど少なくはなかった。ただし、どちらかというと整備された道がある刈田岳山頂のほうに多く、足場の悪いお釜に近い場所では少ない。 まあ、要するにヘナチョコが多いということだ。 時々すれ違う登山者は、チリンチリンと鈴の音をさせている。どうやら熊よけらしい。中にはラジオの音を響かせている登山者もいた。 少し肌寒く、まくり上げていた袖を伸ばした。 鼻水も出てきた。まあ、いざとなればフード付きのコンパクトジャケットがある。 <<画像ファイルあり>> MINOLTA α-707si/24-105mm 上からの撮影は一通り終了したため、下に降りる地点まで歩いて行った。時間は既に12時00分。 その途中、何人かの観光客がおり、会話が聞こえてきた。 「ここから下に落ちたら、ヘリ呼んで救助したりして大騒ぎだなぁ。」 ・・・いや、垂直なこの崖の高さでは死亡すると思うぞ。 目的の地点へ着くと、三脚をザックに結わえ、カメラ類をタスキ掛けにして両手をフリーにして降りる準備をした。 そして柵を越えて崖を下った。 ここの崖は垂直ではないものの、さすがに降りながらのビデオ撮影は難しい。しかしポイントポイントで立ち止まり、ポケットから小型ビデオカメラを取り出して来た道・行く道を撮影したりした。降りて行くに従い、だんだんと静寂な世界が我輩を包む。 今回も、降りることについては全く不安は無かった。 降りた後、時計を見ると12時30分だった。ふと、「職場では今頃昼食時か」と考えたりした。 どうやらここには誰もいないらしい。シーンとした世界。真っ青な深い空が印象的である。足下は以前と同様に白くてフカフカしている。 この白い土壌はかつてお釜の底に堆積していた土砂らしい。酸性度の高いお釜の水によって金属成分が抜け、シリカ(珪素)だけになったものだという。それが活動期にお釜から噴出し、周囲に降り注いだのである。 しばらく周囲をビデオ撮影して回った。 さて、どこか落ち着ける場所で持参したサンドイッチを食べようかと考えたが、いつの間にか13時に近くなっていた。 最終バスの時間を考えると、14時30分にはもう帰り始めなければならない。そうなると、あと1時間30分か。 仕方無い、食事は帰りのバスの中で摂ろう。残り時間は無駄には出来ぬ。 我輩の興味は、お釜周辺の浸食具合と、お釜湖水の状況である。 典型的な浸食跡はお釜の頂上(五色岳頂上)付近にあるため、頂上に登るか、あるいは湖畔へ下るかの選択に悩んだ。残り時間を考えると、どちらか一方を選ぶしか無い。 結局、我輩は湖畔を選んだ。 今回は残雪があるため、雪解け水が五色川に集まり、それがお釜のデルタ(三角洲)から注ぎ込んでいる。その様子を是非とも調査したかった。 デルタを見渡せる所まで来ると、前回、お釜に別れを告げた時の光景が目の前に広がった。 しばらくそこで立ち止まった。 <デルタ側より望む> <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/40mm デルタへ出ると、そこには五色川が伏流することなくお釜に注ぎ込んでいた。上流を見れば、残雪が見える。やはりそこからの雪解けも流れに合流しているようだ。自然の営みを小さなスケールで見たような気がした。 お釜の水は上から見た時は淡い緑色に見えたが、湖畔から見ると光の角度のためかコバルトブルーに見える。 やはりここから見るお釜全景は圧倒されるくらいのスケール感である。とても上から見ただけでは分かるまい。ましてや写真など。 <湖に流入する五色川> <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/40mm 湖水の縁に触れている岩石を見ると、まるで火星の岩石のように褐色に染まっている。 これは昭和8年以降の酸性度低下によって鉄イオンが析出し、それが水酸化コロイドとなって岩石に付着したものであるという。試しにその一つを手に取って砕いてみると、褐色なのは表面だけであることが判る。 一方、湖水は鉄イオンが抜けたことにより、かつてはコバルトブルーだった色が緑色となり現在に至っているそうだ。 <褐色の岩石> <<画像ファイルあり>> BRONICA SQ-Ai/40mm 写真撮影では、α-707siのマルチスポットによる測光値を用いた。スポット測光する場所を慎重に選ばなければ意図した結果とはならないので気を使う。直前購入のα-707siは試し撮りが間に合わなかったが、いつも単体露出計でやっているような感覚でマルチスポット測光を行った。 念のため、前後0.5段の段階露出をする。 デジタルカメラを使えば露出は一目瞭然であり段階露出の必要性は無いのだが、レスポンスが鈍くバッテリー切ればかり起こすデジタルカメラは山には相応しくない。 <<画像ファイルあり>> MINOLTA α-707si/24-105mm デルタでビデオ撮影や自分のセルフタイマー撮影、そして通常の撮影をやっていると、いつの間にか14時近くになっていた。あと30分か・・・。時間が過ぎるのが早く感ずる。 もはや残り時間でやれることも少ないため、デルタでの撮影を続けた。 14時30分、ついに時間が来てしまった。そろそろ戻らねばならない。 見上げると、まだまだ陽は高い。しかしそうは言ってもバスは止められない。どうにも仕方無い。元来た道を戻り、デルタを見渡せる地点で振り向きシャッターを切った。 そして、声をかけた。 「そのうち、また来る。」 崖の所まで来ると、人影が見えた。一人の登山者が降りてくるところだった。 我輩は一声かけた。 「こんちわー。」 するとその登山者も応えた。 「こんちわー。」 すれ違った後、しばらくして振り向いて登山者の写真を撮った。こういうことも珍しいから、記念のつもりである。 <<画像ファイルあり>> MINOLTA α-707si/24-105mm 崖登りは、いくら時間的余裕があるからといっても体力を使うことに変わりない。途中で何度も汗を拭った。 さっきまでの肌寒さなど吹き飛んでしまい、伸ばした袖を再びまくり上げた。 ようやく降下地点が見える所まで来ると、時間は15時05分。あと15分でバスに乗れば間に合う。 <<画像ファイルあり>> MINOLTA α-707si/24-105mm バスに乗り込み、来る途中でコンビニエンス・ストアで買ったハムカツサンドとハンバーガーを食べた。ハンバーガーのパンは水分が抜けたのかポロポロと細かく砕けた。 座席に座ると、思い出したかのように疲労が襲った。もう来たくない心境だが、疲労が回復するとまた気持ちが戻るだろうか。 白石蔵王駅には17時くらいに到着した。 考えてみると、11時前にトイレに行った後は6時間くらいトイレに行っていない。不思議なものだ。 ----------- 6月17日(木)、現像した写真を見てビックリした。 α-707siで撮影した写真のほとんどが周辺光量低下が著しい。これは20,000円で手に入れた24-105mmF3.5-4.5を使ったもので、ファインダーではその現象には気付かなかった。恐らくファインダー視野外での現象だろう。 ポジを見ると、周辺光量低下は光量ゼロにまで落ち込んでいるのが判る。 これはレンズの性能のせいか、まさか保護フィルターのケラレのせいか・・・? <<画像ファイルあり>> MINOLTA α-707si/24-105mm しかしよく考えると、フィルターよりも深い専用フードがあるのだからケラレとは考えにくい。 もっとも、ポジをマウントにハメてしまえば多少隠れて目立たなくなるが、もしこれがレンズの性能によるとすれば、これほどまで酷いものは見たことが無い。 メモカメラ程度の用途であるからショックは少ないが、やはり安価なズームなど本気で使うものではないと今更ながらに思う。 (2004.06.21追記) 今回撮影した写真の幾つかは、姉妹サイト内の"自然地"にて800x800ドットのサイズで公開中である。 ---------------------------------------------------- [495] 2004年06月22日(火) 「理屈」 以前、某運動公園にて、豚児が1.7メートルの高さからコンクリートの床に転落したことがあった。 我輩はその場には居なかったのだが、急いで病院へ連れて行き診察を受け、幸いなことに額にアザを作っただけで何とも無かったようだ。悪運の強さは我輩に似るか。 その時豚児と一緒に居たヘナチョコ妻によると、運動公園で歩いている豚児の姿をビデオ撮影していたが、物陰に隠れてしまい、急いで豚児の居るはずの場所へ行ってみると、そこには下に降りる階段の踊り場があり、1.7メートル下の踊り場に豚児が倒れていたという。 <<画像ファイルあり>> この階段はヘナチョコから見て死角であり、その瞬間までヘナチョコの頭の中には階段は存在しなかったのである。 しかしいくら認識外のものであっても、現実には階段は存在した。「ここからは見えなかった」などというのは人間側の事情であり理屈である。それを主張したところで現実世界が変わるわけではない。 理屈では存在しないはずのものが現実には存在した。 また、我輩の自宅アパートには狭いベランダがある。 ベランダには時々豚児を出して遊ばせたりする。しかしそれは、大人の目がある時だけに限られる。 一度、ヘナチョコが「ベランダは危ないものは何も無いのに、なぜ一人で遊ばせてはいけないのか?」と訊いた。 我輩は、「何が起こるか分からないから。」と答えた。 するとヘナチョコは、「特に危ないものも無いし、手摺に囲まれてるので落ちる心配も無い。」などと言う。 確かにヘナチョコの理屈は理解出来る。 しかしそれはあくまで人間の認識であり、実際には隠れた危険が潜んでいるかも知れない。我輩は、暴れん坊将軍の豚児をベランダに放っておくということについて、直感的に危険を感じた。エアコンの室外機が2台積んであるのも気になる。 実際に何かがあってからでは遅い。その時になって「あ、こんな事故もあるんだねえ。」などとノンキなことを言うつもりか。 現代人は、全てを理屈で考える癖がある。その結果、「あるはずのないもの」、「起こるはずのないこと」という不可解な概念が生まれる。現実と理屈との整合性が取れないため、そのように表現せざるを得ない。 不完全な存在である人間がいくら考えても及ばぬことは現実世界には無数にある。統一場理論のように、宇宙の現象全てが理屈で説明が付くような時代であればともかく、今はまだ発達途上の21世紀である。 人間は、自分が無知であることを知るべきである。 ヘナチョコは、「例えばどんな危険があるのか」と我輩に問うた。 そんなことまで知るか。直感的に危険だと感じたまで。それで十分だろう? 一例を挙げられなければ、それはすなわち危険が存在しないということなのか? 自分の認知外の危険が結果的に運動公園で豚児を転落させた。その時の苦い経験を活かせ。 運動公園の事件では、確かに転落直前までは理屈に合った行動だったろう。しかし神の目でその様子を見たならば、非常に危ない場面であったのだ。 しかし結局、ベランダでの危険な場面の一例を無理矢理考えて提示せねばならなかった。そうしなければ理屈ばかりの現代人を納得させられなかった。 自分の認知を超えて危険を避けるには、経験と勘を使うしか無い。それは動物が持つ基本的な感覚である。 なぜならば、動物には理屈は無い。しかしそれでも、35億年もの長い時間を生き抜き命を繋げてきた。だからこそ、我々人類がここに存在する。 全知全能ではない我々が理屈に溺れるのはまだまだ早い。人間というのは半分が動物なのだ。経験と勘無くして結論は出せない。 さて、非常に長い前置きだったが、ここからが本題。 デジタル写真は、銀塩写真に比較して歴史が非常に浅いだけに実証が出来ない面がかなり多く、理屈でしか話が出来ないことが多い。その中でも幾つか胡散臭い話がまかり通っている。 (例1) デジタルカメラの画質は近いうちに銀塩写真を越える。 (例2) デジタルデータは劣化が無く長期保存に耐えられる。 こういった話には、もっともらしい理屈がくっついているのであるが、いくら胡散臭いとは言ってもそれを覆すのは容易ではない。 現状のデータや定説を基にして矛盾無く練り上げているのであれば、一応はその理屈は正しいということになる。 しかし事実はそうなのか? 音楽CDを例に出すと、当初は「非接触の光媒体であるために物理的寿命が半永久的である」とされていた。しかし現在では、20〜30年の寿命とされている。蒸着アルミが腐食を起こす可能性が出てきたのだという。 当時は蒸着アルミの腐食問題など認知外であった。そのため、半永久寿命の理屈は当時としては正しいものであった。 事実とは異なるが正しい理屈。理屈とは、そういうものである。 考えてみれば、人間の作る物で半永久的なものなど存在するはずがない。どう説明されようが信じられぬ。それは理屈ではなく、経験と勘に基づく直感だ。 結果として、その直感が正しかったことになる。まあ、当然と言えば当然。 理屈はあくまで人間の理屈。真実かどうかということとは関係無い。知らないことばかりの世の中では、完璧な理屈など理屈上あり得ない。 実は我輩は20代の若い頃、「人間、経験などは重要ではなくロジックが重要である」と考えていた。経験が豊富なはずの年輩者でも愚か者は多い。そのことが我輩の考えを裏付けていると思った。 しかし今は、それが誤りであるということを知っている。経験無くば正しい結論はまず出ない。 経験や知識を蓄えた上で、それを基に背後にある真理を見抜くことが出来れば、思い込みとも言えるような若者の理屈よりも真実に近付くことは間違いない。 その結論もまた、我輩の直感に基づいている。 やはり人間として素直に感ずる直感というものは大切にすべき。 直感に目をつぶり、理屈だけで物事を考えるヤツらの意見やアドバイスなどは、全く当てにならぬ。 (2005.10.08追記) 現在、アスベスト(石綿−せきめん・いしわた)による中皮腫や肺ガンが問題になっており、テレビでも特集番組が組まれている。今もNHKでアスベストの特番を放映している。 アスベストの危険性については30年くらい前には指摘され始めたようだが、日本ではアスベストと中皮腫との因果関係が証明されないということで対策もあまり本腰ではなかった。その結果、毒性の強い青石綿などは使用禁止となったものの、白石綿だけは今日まで生産され続けている。 結果的には、「有害性が証明されなければすなわち安全である」という理屈のために、これまで多くの患者や死亡者が出続ける事態に陥ったわけである。 これなどまさに、典型的な"理屈と現実の乖離"と言えよう。 ---------------------------------------------------- [496] 2004年06月24日(木) 「いつも歩いた道、いつも歩いている道」 仕事中、我輩は業者に連絡を取るために引出しから名刺帳を取り出した。 受話器を肩で挟みながら名刺帳を開くと、ハラリと1枚の紙片が落ちた。 それは手作りの名刺であった。大きさが一般的なものとは違っていたため、ホルダーには入れることが出来ずに表紙のポケット部分に入れていたものだった。それが落ちてきたのだ。 我輩は、受話器を置いてその名刺を手に取った。インクジェットプリンターで印刷し手作業で切り分けたことが一目瞭然な稚拙な名刺だった。 5年くらい前、我輩はある客を担当していた(この頃は技術担当であり営業ではない)。 客先は某財団法人の事務局で、そこのホームページの運営に関する仕事をしていたのである。前任者からそのまま受け継いだ仕事で、最寄り駅は地下鉄「霞ヶ関駅」ということをそのまま自分の頭にインプットした。そして駅からの道のりは、前任者と歩いた道しか知らない。 都会というのはどちらを向いてもビルばかりで似たような風景であり、それぞれの特徴が無い。しかし、いつも同じ道を往復していただけに、その道は今でも思い出深い。 雨に降られて小走りしたこともあった。暑い日に上着を片手に汗を拭きながら歩いたこともあった。急に呼び出しを受けて夕方の暗い中歩いたこともあった。 我輩は、手にした名刺を見てそんなことを思い出した。その名刺は、当時の担当者の方の名刺だった。 考えてみれば、我輩も別な財団法人へ出向し働いている。 ホームページのことで業者に電話でウルサイことを言おうとしている自分が、今から考えると妙な気分である。 ・・・ところで、霞ヶ関というのは地理的にはどの辺だろう?JRの駅で言えばどこが近いのか? 調べてみると、新橋駅に近いではないか。我輩は、地下鉄とJR線との位置関係をあまり把握していないため、そのような当たり前のことを知って驚く。 さらに調べてみると、意外なことが分かった。 我輩が現在通勤時に歩いている道は、かつて客先へ通っていた道を横切っていたのだ。考えてみると、全ての地理的な位置関係が一致するではないか。 しかも、本屋などに寄り道する時には、まさしくその道を歩く。当然、客先の前も知らずに通り過ぎていたことになる。 どうして今まで気付かなかった・・・? この瞬間、見慣れた風景が一変した。頭の中の記憶が再編成され、新しい世界が組み直されたような気分だった。 もはや用件も無く二度と歩くことは無いと思っていた道を、我輩は知らぬまま日常的に歩いていたのだ。 何とも間抜けな話だが、こんな事もあるのか・・・。 その場所に行くと、今まで見たのと同じ風景。しかし、意識を変えるとフッと景色が変わる。 新しい記憶と昔の記憶が、同じ場所で重なる。同じ場所であるのに、2つの記憶を持つ場所。 我輩は今回の体験により、同じ景色を自分が見るのと他人が見るのとでは、全く違うのではないかと感じた。 我輩が見ている風景は、我輩にしか見えない風景なのではないか・・・? そのように考えると、妙に孤独感が湧き上がる。 我輩は、自分自身の感覚する世界にしか存在しないのか・・・? ---------------------------------------------------- [497] 2004年07月01日(木) 「鬼の目にも涙」 我輩は、豚児が産まれる半年くらい前から日記を書いている。 それは、未来の豚児への手紙。 もし自分が急に死んだりすれば、豚児へ言葉を遺せない。そのために日頃の出来事や思ったことを書き留めておこうと思った。 産まれる前のこと、産まれた日のこと、不注意で床に落としたこと、初めて立ったこと、言葉をしゃべるようになったこと、階段での落下事故のこと、初めて旅行に行った日のこと・・・。 それは今見ると膨大な量となり、豚児がそれを読むには大変だろうと想像する。 ある日の夕方、品川の出向元へ行く用事があったのだが、約束の時間までには少々早かったため、書店で時間を潰すことにした。 そこで、一冊の本を取った。 太平洋戦争中でのカミカゼ特攻の戦果をまとめた本だった。 本のタイトルは失念したが、体当たり特攻による戦果を、米軍側の記録写真と資料を基に書かれていた。 行ったきり戻ってこない特攻機であるから、当然ながら特攻機側の写真映像などあるはずも無い。写真の全ては米艦船上のカメラマン、あるいは米戦闘機搭載カメラによるもの。 それらの写真が口絵として数十頁にも渡って掲載されている。時間潰しのために立ち寄った本屋であったが、それらの写真と説明を読むだけでも立ち読みでは時間が足りぬ。 掲載写真は全てモノクロである。 しかし中には、空の青さと海の青さが見えてくるかのような写真もあった。そこに写し出されている艦隊と航空機が、現実の世界に存在し、そして敵味方双方の命を散らしていたことを実感した。 それはまさに、雑文102「記録としてのカラー画像」でも書いたように、歴史の向こう側にあると無意識に思っていたものが現代と地続きであることを再認識させるものである。 カミカゼ特攻は、帰ってくることは絶対に無い、いわば"有人爆弾"である。出撃すれば、それはすなわち家族との永遠の別れである。 父母、妻子供。自分が死んでしまえば、後に残された家族はどうなるのか。それを見届けられない無念さは、出撃前の隊員たちの心を締め付けただろう。 国を護るために死をも厭(いと)わない時代ではあったが、いくら死を覚悟しようとも、家族との永遠の別れの辛さに変化は無い。 我輩は、口絵写真のうち1枚に目を止めた。 それは、米軍戦闘機が捉えた写真であった。遠くに見える艦船と、それらのうちの一隻にまさに突入せんとする特攻機。 ふと、その写真の視点が、特攻機のものに重なった。 もし、我輩が特攻機に乗っていたら、そしてこのような風景を目にしたらどう感ずるかということを想像してみた。 一瞬、突入までの様子がその写真の延長上に見えたような気がした。 目標となる艦船を見付け、快晴の中を飛行する。この距離だと、突入まであと5分くらいか。 青い空と白い雲がとても爽やかで、これが殺し合いをしている瞬間の空かと不思議に思う。しかし、この風景がもうすぐ目の前から永遠に消え去るのだ。そして、家族の居る場所に帰ることも無い。 今頃、皆は何をしているのだろう。言い忘れたことは無かったろうか。 飛行機は順調に近付き、心臓の鼓動が高鳴る。敵艦の対空砲火がこちらを目標に撃ってくる。 一度しかないチャンスである。機銃や対空砲火の餌食になったり海面に落ちたりして無駄死にはしたくない。少しでも相手に被害を与えるために、操縦桿を必死に握り、精神を集中させる。 この時点ではもう、家族のことは頭には無い。ただ、この飛行機を敵艦にブチ当てることだけ。 機銃は何発も機体に当たったが、上空から突入体勢をとった状態では、たとえエンジンやプロペラが千切れても何も考えることは無い。目の前の真ん中に敵艦を捉え続けるのみ。速度が上がり操縦桿がブルブル震え始めた。それを両手で必死に掴んでいる。 こちらが降下しているのだが、真下に見える敵艦がゆっくり近付いてくるように見える。しかし、それがだんだんと速くなってくるのが分かる。上下感覚も無くなってきた。 視野一杯に広がった敵艦の甲板。そこに人影をいくつか見た。 その瞬間、自分の子供の名前を大声で叫んだ。 我輩は、ハッとして本を閉じた。 時計を見て、約束の時間が迫っていることに気付き、急いで書店を出て長い通路を歩いた。 その間、ある特攻隊員の遺書が想い浮かんできて、思わず涙が出そうになった。 鬼の目にも涙。 以下に載せるは、よくテレビや本などで取り上げられる特攻隊員の遺書である。 特別攻撃隊隊員植村眞久さんが娘に送った手紙(遺書) 素子、素子は私の顔をよく見て笑いましたよ。私の胸の中で眠りもしたり、またお風呂に入ったこともありました。素子が大きくなって、私のことが知りたいときは、おまえのお母さん、佳代伯母様に私のことをよくお聞きなさい。 私の写真もお前のために、家に残してあります。素子という名前は私がつけたのです。素直な、心のやさしい、思いやりの深い人になるようにと思ってお父様が考えたのです。私はお前が大きくなって、りっぱな花嫁さんになって、しあわせになったのを見届けたいのですが、もしお前が私を知らぬまに死んでしまっても決して悲しんではなりません。 お前が大きくなって、父に会いたいときは、九段へいらっしゃい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心に浮かびますよ。父は、お前は幸福ものと思います。生まれながらにして父に生き写しだし、ほかの人々にも素子ちゃんを見ると真久さんに会っているような気がするとよく申されました。またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一の希望にして、お前を可愛がってくださるし、お母さんもまたご自分の全生涯をかけて、ただただ素子の幸せをのみ念じて生き抜いてくださるのです。必ず私に万一のことがあっても、親なし子などと思ってはなりません。父は常に素子の身辺を守っております。優しくて人に可愛がられる人になってください。 お前が大きくなって、私のことを考え始めたとき、この手紙を読んでもらいなさい。 昭和十九年十月吉日   植村素子へ 追伸  素子が生まれたとき、おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて、自分の飛行機にお守りにしております。だから素子は、お父さんと一緒にいたわけです。素子が知らずにいると困りますから教えてあげます。 植村眞久 二十五才 小さな娘を持つ者として、子供を残して死に臨む父親の言葉の一つ一つの意味が、痛いほどによく分かる。せめて、話が出来るくらいに成長するまで一緒にいたかったことだろう。 この幼い娘素子には、未来へ遺した手紙でしか話が出来ない。それだけに、短い言葉の一つ一つが心に染みる。 ---------------------------------------------------- [498] 2004年07月07日(水) 「定点撮影(豚児編)」 定点撮影は、同じ地点からの眺めを時間を変えて見る面白さがある。それは雑文293「定点撮影」や雑文458「並木道」にも書いた。 今回、新たな定点撮影を行ったので、ここにまとめる。 雑文495「理屈」でも書いた通り、豚児は転落事故に遭った。 その2日後の土曜日、転落地点へ足を運び、そこで記念撮影をした。 <<画像ファイルあり>> 我輩がここを訪れるのは初めてだったが、ヘナチョコ妻の話の通り、そこには柵は何も無い場所だった。豚児がここからどのように転落したのかは、その瞬間の目撃者がいないため分からない。 メジャーでその高さを測ると170cmあることが判った。 転落したことについては、付き添っていたヘナチョコの責任である。 施設管理者は施設を安全に利用出来るようにしておくのは当然のことなのだが、あまりに安全管理を徹底させて却ってそれらを使いにくくしてしまうことにもなる。 ただそうは言っても、豚児転落事故の場合は、普通に考えれば手スリがあって当然の場所である。無理矢理な安全対策をせずとも、手スリ設置については常識的な範囲での安全対策であろう。 今後、同様な転落事故が起こらぬよう、我輩は運動公園を管理する市へ転落事故のことをメールに書いて送った。 それから3週間後、市から「問題の場所に柵が設置された」との電話連絡を受けた。 日曜日、散歩がてらにそこへ行ってみると、確かに柵が設置されていた。竹で作った手作り的なものだったが、強度はそれなりに確保してある様子。 早速、ここでも記念撮影をした。 前回、今回と記念撮影した写真を並べてみると、定点撮影による変化の具合が良く分かる。"改良前"、"改良後"という感じか。 そして同時に、「豚児のおかげでこれから他の幼児が転落事故に遭わずに済む」とも感ずる。 <<画像ファイルあり>> 改良前 <<画像ファイルあり>> 改良後 ---------------------------------------------------- [499] 2004年07月16日(金) 「ヒストグラム」 デジタルカメラを露出計代わりにするというスタイルは、フィルム現像前に出来上がりイメージが事前に把握出来るという点で非常に有用である。特にストロボ撮影では、瞬間光の確認が出来るのが有り難い。 (参考雑文:347・348・349) 我輩はそれまで、失敗の許されない撮影では+-0.5EVの範囲で段階露出を行っていたが、先日の大撮影会(参考雑文:451・466・467・479)では撮影ペースの関係上、いちいち段階を切るヒマが無く、露出値を一意に決定するためにデジタルカメラを用いた。 結果は完璧であった。 その完璧さゆえ、雑文479では単体露出計を携行せずデジタルカメラのみに頼り、予想外のバッテリー切れにより測光手段を失うという苦いエピソードとなったわけだ。 当初、雑文284「EOS-D30の野外テスト」でも書いたように、直射日光によって見え方が左右される液晶画面の頼りない表示では露出は確認出来ないと考えていた。 しかし、そんな液晶でも手をかざして見れば案外露出が分かる。液晶パネルの明るさが足りなくとも、階調が読めれば適正露出が読み取れるのだ。 特に最近購入したNikon COOLPIX5400では、この液晶パネルの特性上、むしろ強い直射日光に当たったほうが画像もよく見える。この点は、最近のビデオカメラの液晶パネルも同様。 (※ただしCOOLPIX5400では、不思議なことにISO100のフィルムに対してISO50の設定がちょうど良い。) それにしても、最近のデジタルカメラにはヒストグラム(輝度分布図)表示という機能があるが、あれを利用して適正露出を知ろうとする者もいると聞く。しかし、それが我輩には理解出来ない。 <<画像ファイルあり>> 「Canon EOS D30」のヒストグラム表示 確かに、デジタル写真での露出確認にはヒストグラムは有効である。白飛びや黒潰れが無く収まりの良いデータは、後でパソコン上でレタッチするには都合が良い。明るさや色調などレタッチで自由に調整出来るものの、いったん白く飛んだり黒く潰れてしまった階調はいくらレタッチしようとも復活出来ないのである。そのため、自ずと白飛びや黒潰れに神経質になる。 しかしここで言うのは、デジタルカメラをリバーサルフィルム用の露出計として用いるということである。 言うまでもなく、リバーサルフィルムでは現像後に原版を修正することは不可能。そのため、撮影する時点で表現したい部分をキッチリ収めねばならぬ。そういう意味では極端な話、主要被写体以外が白く飛ぼうが黒く潰れようがどうでも良い。主要被写体に露出のセンターがキッチリ決まれば、それで写真が生きる。 しかしそうなると、ヒストグラムではなかなか適正露出を読み取ることが難しくなる。 もちろん、写真全体を人間の目で見た上でヒストグラムを読まねばならぬということは、ヒストグラムを使う者ならば誰もが理解している。我輩がいちいち言うまでも無い。 ただそのためには、どういった画像がどういう形のヒストグラムになるのかという経験を積むことが不可欠となる。 しかしそのような努力をするのであれば、普通にスポットメーターを使ってポイントを拾っていくほうが確実ではないか。何しろスポットメーターならば、自分がどこの光を拾ったかということが明白である。ヒストグラムを見ながら「グラフ上のこのピークは、画面上ではこれに相当するのか?」などと推測しなくとも良い。 そもそも、ヒストグラムの横軸はEV値の幅を表すものではなく、撮影した画像の明るさの幅を256等分(0〜255)して並べたものであるから、自分のデジタルカメラのCCDの受光幅が何EVの範囲を持つのかを知っておかねば、リバーサル撮影用としてヒストグラムを読み取る意味が薄れる。 現実の風景は、フィルムの露出寛容度(ラチチュード)をはるかに超える。デジタルカメラであれば尚更。 そのため、白く飛ばすところは飛ばし、黒く潰すところは潰すことになる。表現したい部分だけがラチチュード目一杯に収まればメリハリの利いた画像となる。 (※たとえ技術改良によりCCDやフィルムのラチチュードが広くなり明るいところから暗いところまで描写出来るようになったとしても、それはコントラストが低下して眠たい画像となるだけ。表現したい部分に割り当てられる輝度幅が狭くなるのであるから当然。ただし先に書いたように、レタッチソフトで後処理することが前提であるならば有益。) 例えば人物の場合、顔の描写がデジタルカメラの液晶画面にて調子良く再現されれば、他の部分が白く飛んでいたり黒く潰れていても適正露出と判断出来る。露出のセンターを捉えることが出来れば、それ以外の部分はフィルムのラチチュードに任せておけば良い。案外、フィルムでは白飛び・黒潰れとならないことも多いのだ。 しかしヒストグラムから読み取ろうとするなら、ヒストグラムのどこが顔の部分であるかという推測をせねばならなくなる。推測であるから外れることもあろう。 面倒だからとズームアップして顔の部分だけのヒストグラムを取るならば、それはすなわちスポット測光しているのと同じ。これまたヒストグラムの必然性が無い。 せっかくデジタルカメラを露出計として使うのであれば、得られた画像をそのまま見てイメージを掴み、即座に本番撮影にとりかかりたい。 これは理想論ではなく、我輩は現にその方法で実績を積んでいる。 我輩は、デジタルカメラを露出計として使い始めてから、定常光とストロボ光のミックスを積極的に行うようになった。見た目だけで自然な光量比を見付けることが可能なためである。さすがにそれはヒストグラムからは読み取れない。 そして、巧く調節出来たデジタルカメラの画像を眺めながら、安心感を持ってリバーサルフィルムの上がりを楽しみに待つのである。 ---------------------------------------------------- [500] 2004年07月26日(月) 「今年の帰省計画」 雑文では触れなかったが、今年のゴールデンウィークは一泊旅行で鴨川シーワールドへ行った。 片道2時間ほどの距離で、豚児を連れて行くには程良い。 そしてこれはひとつのテストでもあった。特急列車に豚児を乗せ、どのくらいおとなしくしているか。 幸いなことに、ゴールデンウィークは一般の会社よりも一日早かったため、特急はガラガラに空いており、仮に豚児が暴れ回ったとしても問題は軽い。 実際には、特に暴れ回ることはなかったのだが、それでも「アンパンマーン!」などと大声を出したり、オムツを替えたりする場面があり、これが混んだ状況であれば厳しいと予想された。 今年の夏は、豚児を九州の実家に連れて行く予定である。曾祖父母が元気なうちに会わせようと思っている。 我輩の場合は、自分の曾祖父母とは時代を共有することは出来なかったが、豚児には曾祖父母が九州には3人もいる(うち2人は90歳近い)。その3人が元気な今のうちに会わせておきたい。 後になって豚児がそのことを覚えていなくとも、写真の中で一緒に収まっていれば、会った日のことを実感することだろう。 さて、九州へはどのようにして行くか? いつもならば新幹線を使うのだが、豚児を連れて行くのであれば、ゴールデンウィーク時の事前テストから判断すると不適であろう。 何しろ、帰省ラッシュピーク時には、博多行きの新幹線は指定席の通路にまで乗客が溢れるのだ。トイレに行くのも人をかき分けて行かねばならぬ。その状態で7時間もおとなしくしているはずがない。狭い席でオムツを替えるのも顰蹙(ひんしゅく)もの。 かといって、飛行機は選択肢に入らない。8月は台風シーズンでもあり、台風程度ですぐに運休とするのだから飛行機では予定が立たない。 去年は強風・豪雨でも運行を続けた新幹線のほうが却って早く着いた(参考:雑文439)。 大阪までは新幹線で、そして大阪からはフェリーでのんびりと行こうかとも考えたが、いくら広い船内とはいえ、他の客との雑魚寝はヘナチョコ妻が気に入らないとのことで却下された。 また、新幹線には個室付きのものもあったそうだが、既に廃止されたとのことで考える余地が無い。 それならばと、寝台列車(ブルートレイン)の個室を考えた。 寝台列車で九州へ行くと13時間はかかる。しかしそれは、翌朝に九州に着くという意味での時間調整の結果であり、乗車時間だけを単純に比較出来るものではない。中途半端に速度アップして、例えば午前3時などに着いてもどうしようもないからな。 昔、我輩が大学受験で関東へ行く時には開放型のB寝台を利用したことがあるのだが、その時は個室ではないため落ち着かず、しかも途中駅での停車・発射時のショックであまり熟睡出来ず次の日に疲れを残した。 今回は大丈夫か・・・? 少なくとも、ヘナチョコと豚児はいったん寝てしまえば余程のことが無い限り目を覚ますことは無い。 A寝台個室はそれなりに高額で、大人2人(幼児は添い寝をすれば無料)の往復で約12万円。費用は実家にて出すとのことで、それに甘えることにした。 旅の間は、当然ながら豚児を中心に撮影を行うことになろう。 予測のつかない豚児の動きを確実に捉えなければならないが(滅多に来ない九州であるから撮影の失敗は出来ない)、そのために必要な経験は大撮影会の時に積み重ねたので何とかなるという自信はある(特にストロボ撮影)。 ところでカメラはどれにするか。 狭い寝台個室では画角が広く最短撮影距離が短いほうが有り難い。そうなると、50mmレンズで最短撮影距離1メートルの「New MAMIYA-6」では少々ツライ。そうは言っても、他には一眼レフの「ブロニカSQ-Ai+40mm」しか無い。撮影が主目的な旅ならばともかく、家族を連れた帰省であるから重量と操作の面で大変。しかもストロボを使うには、ホットシュー付きのスピードグリップを装着せねばならず軽量化を阻害する。 場合によっては、豚児を脇に抱えて片手で撮影しなければならないこともあろう。やはり軽量・AE撮影可・ダイヤル式の「New MAMIYA-6」しかあるまい。それに加え、自作魚眼カメラでも持って行くとするか。 ---------------------------------------------------- ダイヤル式カメラを使いなサイ! http://cam2.sakura.ne.jp/