「カメラ雑文」一気読みテキストファイル[051]〜[100] テキスト形式のファイルのため、ブラウザで表示させると 改行されず、画像も表示されない。いったん自分のローカ ルディスクに保存(対象をファイルに保存)した後、あら ためて使い慣れているテキストエディタで開くとよい。 ちなみに、ウィンドウズ添付のメモ帳ごときでは、ファイ ルが大きすぎて開けないだろう。 ---------------------------------------------------- [051] 「一眼レフ型デジタルカメラ」 [052] 「歴史に“もしも”があったら」 [053] 「我輩が買う写真雑誌」 [054] 「買うモノを1つ見つけた」 [055] 「レンズ到着」 [056] 「備えあれば憂いなし」 [057] 「長期保存のための充填ガス」 [058] 「チョートク、この写真か?」 [059] 「小さな買い物」 [060] 「成熟カメラ」 [061] 「中くらいの買い物」 [062] 「現時点での電子写真」 [063] 「不具合だったα−9000」 [064] 「ススけた小倉の記憶」 [065] 「ダイヤル式(1)」 [066] 「ダイヤル式(2)」 [067] 「ダイヤル式(3)」 [068] 「ステレオ写真」 [069] 「温度差恐怖症」 [070] 「洋物」 [071] 「魔が差した」 [072] 「親子それぞれのカメラ」 [073] 「大きな買い物」 [074] 「結婚写真」 [075] 「我輩は暇人なのか」 [076] 「F3Hの使い道」 [077] 「イラク空軍的装備」 [078] 「自作カメラカタログ」 [079] 「カメラマンとデザイナー」 [080] 「心霊写真について」 [081] 「写真の情報量」 [082] 「デザイン」 [083] 「F3の第一印象」 [084] 「中判カメラのAF化について」 [085] 「想い出のファインダー」 [086] 「趣味はニコンです」 [087] 「モデルにするなら」 [088] 「光と影の現象」 [089] 「続・長期保存」 [090] 「コンタックスN1に見る」 [091] 「電池切れ」 [092] 「逃げ遅れたレンズ」 [093] 「マニア」 [094] 「心霊写真(その2)」 [095] 「データ完全消滅の危険性」 [096] 「廃液」 [097] 「離れて初めて知る」 [098] 「目撃者」 [099] 「帰省計画」 [100] 「見事に騙された」 ---------------------------------------------------- [051] 2000年 6月10日(土) 「一眼レフ型デジタルカメラ」 我輩は、デジタルカメラが現れはじめた時から、一眼レフタイプのものが出ないものかと期待していた。しかし、それは空しい希望にすぎなかった。 数年前、オリンパスから発売されたものはまさしく一眼レフタイプだった。しかし、ファインダースクリーンに結像させるものではなく透過式のためにAFでしか使えないというシロモノであった。しかもレンズ交換は不可能。 当時は一般コンシューマ向けに発売されているデジタルカメラの中では唯一、一眼レフ形式であったため、かなりチヤホヤされていたと記憶する。 その後、CCDの画素密度の向上が図られたが、基本性能に変化は見られない。 最近ではニコンからF5をベースにしたと言われる「D1」が発売されたが、まだ誰もが買えるような値段ではない。ヨドバシカメラ上野店の店頭で実際に手に取ってみたが、これはかなり大きい。もしこんなカメラを構えられたら、子供なら泣き出す。動物なら毛を逆立て警戒する。 もうすぐフジフィルムやキヤノンから、さらに安価な一眼レフタイプのデジタルカメラが発売される予定だというが、それでもボディのみで三十数万円はする。いまだに決め手となるカメラは発売される様子が無い。 しかし、それほど一眼レフ型というのは難しいモノなのか?シロウト考えでは、既存の一眼レフのフィルム位置にCCDを置き、それをデジタル変換してメモリーに記録するだけではないのかと簡単に考えてしまう。 まあ、もっと難しい理論とやらがあるのだろうが、CCDの画素があっと言う間に増えている傍らで、こんな基本的な技術が確立できないというのも不自然な話だ。 まさか、「安価で小型の一眼レフ型デジタルカメラは儲からない」とでも思っているのだろうか。思い込みの激しいカメラ業界であるから、それも十分考えられる。それでいて、他社が成功すれば、プライドも無くサルマネをする。恥ずかしくないのか? 一度、どこかのメーカーが小型で安価な一眼レフ型デジタルカメラをヒットさせれば、様相がガラリと変わるに違いない。そのきっかけをどのメーカーが打ち出すのか。どのメーカーも、リスクを避けて高価格モデルを捨てきれない。 過去に、社運を掛けてα−7000を開発したミノルタ。その経験を生かし積極的に取り組めば、再びあの栄光を取り戻すチャンスが巡ってくる可能性がある。あの時は、ほんの2〜3年でトップの座を譲り渡してしまったが、今回はその経験を生かして頑張ってもらいたい。今回も一眼レフだ。今度こそユーザーをミノルタマウントに定着させることが出来れば、ユーザーの他メーカーへの乗り換えは起こらないだろう。 他のメーカーはカメラが無くても食っていけるが、ミノルタはカメラが無ければ生きては行けぬ。 ---------------------------------------------------- [052] 2000年 6月11日(日) 「歴史に“もしも”があったら」 歴史に“もしも”はタブーとされる。それを承知で勝手な想像をしてみるのも面白いかと思う。 我輩は、カメラの素材にかなりこだわる。実用一辺倒の人間には理解できないことだろうが、金属ボディでなければ(少なくとも金属っぽい仕上げでなければ)そのカメラに愛着を持つことはできない。 プラスチックボディのカメラが現れたのは、素材として「エンプラ」などの強化プラスチックの発達によるところが大きい。よく見ると、AFカメラが現れる少し前からプラスチックボディのカメラが現れているのが判る(本格的なプラスチックの採用は、キヤノンT50オートマンが最初)。そう考えると、AFが現れなくても、いずれカメラはプラスチックの塊になる運命だった。 では、“もしも”このような強化プラスチック技術が無かったとしたら、今のカメラはどんなものになっていたろう? 予想するに、いまだに金属ボディが主流となっているだろう。そうなれば、あのミノルタ「α−7000」はもちろん、レンズマウントまでプラスチックだった「EOS−1000」でさえも全金属製だったに違いない。もちろん、軽量化のためにアルミニウム合金やチタン材を使ったかも知れないが、とにかく外見の安っぽさは無くなる(キヤノンのことだから、従来のプラスチックで強引にプラスチックカメラを作る可能性も否定できないが)。 いやしかし、そうなると、プラスチックボディに飽きたユーザーが金属ボディをもてはやすという構図も無くなり、カメラ業界は実際よりも低迷していたかも知れない。金属であることが当たり前である時代なら、金属であることの有難みなど感じることは無いのだ。 最近、黒いプラスチックにわざわざ銀色を塗ったカメラが出はじめた。ご丁寧にも金属のコーティングをしたモデルさえある。それはつまり、金属の質感へのニーズが高まっていることを意味している。このまま行くと、次の時代はどうなるのだろう? 強化プラスチックが有ろうが無かろうが、行き着くところは変わらないのだろうか。そう考えると、やはり歴史に“もしも”はタブーなのだろう。 ---------------------------------------------------- [053] 2000年 6月12日(月) 「我輩が買う写真雑誌」 カメラ・写真雑誌はいくつかある。扱う記事中、ハードウェア(カメラ)とソフトウェア(写真)の比率はそれぞれ違う。 手頃な総合誌という意味合いで言えば、「月刊カメラマン」や「CAPA」が思い浮かぶ。ハードとソフトの割合は、ほぼ半々といったところか。学生時代はこの2つを購読していた。しかし、この手の雑誌というのは、数年経つと同じような内容がまた出てくる。これは、新しい読者が入り易くするためにはやむを得ないことだ。 我輩が現在購入している雑誌は、「写真工業」である。 恥ずかしながら、学生時代はこの雑誌の存在を知らなかった。というのも、「写真工業」は限られた書店にしか無く、あったとしても、店頭に並べられる部数に限りがある。田舎暮らしの学生が気付くような雑誌ではなかったのだ。 就職で東京に出てきて、まず神田の本屋街へ赴いた。そしてそこで手に入れた本の中に「写真工業」が含まれていた。これが最初である。 「写真工業」はかなり専門的だ。その場で読めるような記事は限られている。派手さがなく、パッと見た目、面白みがない。しかし、必要とする時に、必要以上の情報が得られるというのは素晴らしい。新製品の紹介でも、編集部による客観的な分析はもちろん、開発者によるレポート(ほとんど学会の論文のような内容)も掲載される。 広告もほとんどなく、雑誌全体がシュリンクされている印象を受ける。 カメラを考える時、この「写真工業」というのは資料として欠かせない存在だと思う。そう考えると、我輩がこの雑誌と出会うのは遅すぎた。 失われた時を埋めるため、以後、古本屋巡りをして過去のナンバーを探し歩いた。神田の古本屋はもちろん、上野の「じゅらく」の階下にある古本市では、掘り出し物の「写真工業」が多数あり、両手に抱えて持ち帰ったこともあった。とにかく、金に糸目を付けずに探したものだ。しかし、600冊以上あるはずの全てが揃うはずはない。集まったのは、それから比べるとほんの一部である。 今では、そのほとんどは10数枚のCD−Rへ移されている。各目次から検索項目となるものを登録し、パソコン上から条件検索ができるようにした。もっとも、記事はイメージ収録なので、全文検索ができないのが残念ではある。 いずれにせよ、この資料は我輩にとっては欠かすことができない。 大判写真入門の連載記事もあり、将来その部分を遡って読むことを楽しみにしている。 それは、近い将来のことか、リタイアした後のことか、それとも死ぬまで無いのか。その時にならなければ判らない。 ---------------------------------------------------- [054] 2000年 6月13日(火) 「買うモノを1つ見つけた」 「買うモノが無い」の関連だが、1つだけ見つけたぞ、買うモノを。 生産終了したハズの「Ai-Nikkor 100〜300mm F5.6S」というズームレンズだ。これは、当サイトからリンクを貼っている「タナカカメラ」というところで見つけた。在庫限りだそうだ。 手持ちの古いカタログでは、定価\76,000(多分、値上げ前の値段だ)となっているが、売り値は\39,000だった。異常に安いな。本当に新品なのか? このレンズ、少年っぽいところがなかなか良い。100〜300mmという欲張りでシロウトっぽい焦点距離、しかも望遠寄りで、F値も手頃な5.6。 我輩も少年の頃は、このレンズとほとんど瓜二つの「キヤノンNewFD 100〜300mm F5.6(I型)」を使っていた。友人の持つ「キヤノンNewFD 70〜210mm F4」に対抗したのだ。自分の持っている機材の中では、それが一番高価なものだった。とても懐かしい。 キヤノンのほうは、既に新品は手に入らなくなっている。だからニコンのレンズにした。 いや、それにしても、本当にこのレンズはキヤノンの100〜300mm F5.6によく似ている。ドイツ軍の列車砲のようなデカさだ。 もうじき届くはずだが、今からワクワクしている。 −その後− 家の者から「荷物が届いた」というメールが入った。何だ、この早さは?! 振り込んだのは昨日のことだぞ。それが今日の朝に届くとは。ヘタすると、出勤前に届いたかも知れん。 異常な安さといい、「タナカカメラ」は“買い”だな。帰宅するのが楽しみだ。 ---------------------------------------------------- [055] 2000年 6月14日(水) 「レンズ到着」 昨日の「買うモノを1つ見つけた」の続きだが、レンズ(Ai100〜300mmF5.6S)が届いたので報告する。 届いた箱を見て驚いた。かなり大きいダンボール箱だ。しかし、中は緩衝剤が詰まっており、レンズの箱はそれほどではなかった。 箱を開け、レンズを注意深く取り出す。ムム・・・?思ったほど大きくはないな。 我輩が中学生の頃に使っていた、「キヤノンNewFD100〜300mmF5.6」とほぼ同サイズであるはずが、心なしか小さく見える。子供の頃の勉強机が小さく見えるのと同じ原理だろうか。 (左)-Ai100-300mmF5.6S (右)-NewFD100-300mmF5.6 <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> あの頃、友人の持つNewFD70〜210mmに対抗するため、お年玉や小遣いをはたいて買ったのが、NewFD100〜300mmF5.6だった。それはまるで、米国戦艦の40センチ砲に対抗するために、やたらデカイ46センチ砲を積んだ戦艦大和のようなものだ(気分としては)。 友人は、「こっちは明るさがF4だから、少し明るいぞ。」と言っていたような気がするが、所詮、負け犬の遠吠えでしかない。仲間内では、焦点距離の数字こそが勝敗を決する(写真で勝負しろよ)。 しかし、だからと言って300mmは無用の長物というわけでもなかった。当時、野鳥を撮影しはじめたということもあり、300mm砲はかなり重宝した。 狙いはカワセミである。 友人たちはせいぜい135mm止まりだったため(前述の70〜210mmの友人は野鳥メンバーではない)、小さなカワセミはゴミのようにしか写らない。接近しようにも、コンクリートで固められた岸壁や水門のある場所では人間の姿は目立ちすぎる。どうしても離れた草ムラから狙うしかないのだ。我輩はそいつらの羨望を浴びながら、300mmでカワセミをフィルムに収めていった。たまにケンコーの2倍テレコンバーターを装着したりと、今思うと無茶なことを平気でやっていた。 中学生の時に撮影したカワセミ。 <<画像ファイルあり>> [CanonAE-1 NewFD100-300mmF5.6] 今回購入したAi100〜300mmF5.6Sは、中学時代の記憶を一気に甦らせた。そうなると、次に買うモノは2倍のテレコンバーターか・・・? ---------------------------------------------------- [056] 2000年 6月15日(木) 「備えあれば憂いなし」 「欲しいモノが無い」ということを以前書いた。しかし、無い物ねだりは多い。 もし手に入るなら、新品のニコンFA、ニコンFE2、ニコンF2、キヤノンAE−1P、ペンタックスMX、ペンタックスK2DMD、オリンパスPEN−FTが欲しい。新品から使い込みたい。 しかし、そのためには元値の何倍もの金を積まねばならない。いや、そもそも未使用品がこの世に存在するのかさえも分からない。これは悲劇だ。 時とは、一方向にしか進まぬ不可逆なものである。誰にもどうすることもできない。 少年時代に手が届かなかったカメラを、成人となっていざ買おうと思ったら、すでに生産中止・・・。笑えぬコントだ。 我輩はこの悔しさを十分に味わっている。だからこそ、ノアの箱船よろしく、重要と思われるモデルを新品で収集・保管しているのだ。これを今やらなければ、後でまた悔しい思いをすることになる。単なるコレクションとは意図が違う。「FAゴールド」や「F3AF」を手に入れないのは、使わない(使えない)ことが現時点で分かっているからだ。コレクターなら手に入れるんだろう? 以前、人気のポケットコンピュータ、ヒューレットパッカードのHP200LXが生産中止になった。その通達が出された時、なんと駆け込みで4台の新品を購入していった者がいたという。なんでも、「自分が一生使える分を確保した」のだという。さすがだ。「モノ好き」と言われようとも、彼は自分の価値判断で行動した。自分の一生を任せることのできる機械には、いくら金をかけても構わぬ意気込みだ。 今頃になって「復刻版ニコンS3」を四十数万円も出すなどというのは、さすがに呆れる。それならば、なぜオリジナルの時に新品で買っておかなかった?そのほうがずっと安く済んだんじゃないのか?そして、復刻版が出るか出ないかに心惑わせることも無かったろうに。 生産終了して初めて、その魅力に気付いたのか? それとも、たまたま借金漬けで手も足も出なかったか? 「ニコンF3」は、数十年後に「20世紀の名機」として復刻版となって甦るかも知れない。しかし同時に、そんなものは出ないかも知れない。出たとしても、数百万はするだろう(インフレもある)。そんな、先の分からないことを前提とするよりも、少し無理して自分の好きなカメラを、今のうちに確保しておくほうが良いと考える。そしてそれは、決して今使ってはならない。保存食を今食べないのと同じことだ。今使いたいカメラは、別に買ってそれを使い潰すのだ。最後に新品が控えていると思えば、いくら生産中止となろうとも、本気で使えるだろう? そのための金を惜しむようでは、カメラごときに一生を任せることなど無理な話だ。それができなければ、せいぜい、他人の手によってカドを取られた中古を買うか、常に最新型を消費し続けることだ。 備えあれば憂いなし。 ※ カメラの長期保存についての問題点は、明日の雑文で考えることにする。 ---------------------------------------------------- [057] 2000年 6月16日(金) 「長期保存のための充填ガス」 カメラは使わないと悪くなるという。未使用品と使用品、どちらもそうなのかという細かい情報は無い。まあ、多分同じだろうな。しかし、「使わないと悪くなる」というのは、どういう理由か? 我輩の周りには、そのことを論理的に説明できる人間はただの1人もいない。「〜ではないか」と推測する者はいるが、推測ぐらいなら我輩でもできる。 かなり前、保存用のニコンF3を購入するにあたり、ニコンに書面で問い合わせたことがある。それは、長期保存におけるカメラへの影響についてだった。ニコンの総務課にとっては迷惑な手紙だったろう。しかし、ニコンは丁寧な回答をしてくれた。 まず、技術的な回答については、技術部門に問い合わせるために時間がかかるという回答を頂いた。いいかげんな回答をせず、きちんと調べようという姿勢があり、とても好印象だった。我輩の不躾な手紙にまじめに応えてくれる。 しばらくして、技術的な回答が送られてきた。論理的に説明されており、納得がいくものだった。ただ単に「できません」、「お薦めしません」、「保証しません」などと書くのではなく、各部材の特性などに言及し、説明してくれた。まるでプロ向けだ。 長期保存の後、実際に使う場合は、オーバーホールに出すことも提案された。なるほど。 ・・・話が逸れた。 要するに、長期保存の問題点は、「酸化」の問題だという。例えばレンズのヘリコイドに塗られた潤滑油が酸化すれば、ピントリングが固くなる恐れがある。電気接点が腐食する恐れもある。金属ボディが腐食するかも知れない。よって、酸素の存在が問題だ。 では、酸素が無ければ長期保存が可能なのか? もしそうならと、以下の方法を考えてみた。 <減圧> 酸素が問題ならば、カメラ保存ケース内のエアを抜けばよいのではないかと思った。まあ、エアを抜くとは言っても、一般人では少し気圧を下げる程度しか出来ない。また、密閉度の高いカメラでは、カメラ内部の気圧の差によって余計な力が加わる恐れもある。スペースシャトルの船外活動で使われるカメラであるから問題無いとは思うが、市販カメラと全く同じというわけではないので心配である。しかも、減圧させても酸素の分圧はゼロにはならない。あくまで通常の空気中での酸素の割合と同じなのだ。 また、潤滑油の揮発成分(常温常圧の下では揮発しないだろうが)が飛んで、不都合があるかも知れぬ。「宇宙カメラは使われている油が違うのだ」ということを前に聞いたような気がする。レンズ単体用の真空ケースは市販されているようだが、あれはマズイんじゃないのか? 何よりも、減圧すると保存ケースのフタが容易に開かなくなってしまったので、結局この方法はすぐにやめた。 <窒素> 次に、不活性なガスで保存ケース内を満たそうと思いついた。「不活性」というと、窒素が思い浮かんだ。大学時代なら、液体窒素が容易に入手できたものだった。これなら気化させて気体の窒素がすぐ手に入ったろう・・・。当然ながら、今から取りに行くわけにもいかない。 <二酸化炭素> では、二酸化炭素で満たすことにするか? 一時期、エアソフトガンの分野では、「グリーン・ガス」が特定フロンの代わりに使われた。ちなみに「グリーン」とは、二酸化炭素のボンベの色である。ガスはそれぞれボンベの色が決められている。 しかし、このボンベは単体では使えない。レギュレータ無しでは高圧ガスが吹き出て危険である。検索すると、エアソフトガン向けのものは見つけることが出来なかったが、自家製ビール製造器の保守部品で手に入るらしい。すべて揃えると2〜3万円の出費だ。 待てよ、二酸化炭素と言えば、ドライアイス。これなら手軽か? しかし、アイスクリームをいくつ買えば足りるだろうか・・・? いやいや、炭酸カルシウムに塩酸を加えれば、二酸化炭素が発生するではないか。炭酸カルシウムと言えば・・・半透明ゴミ袋か? 塩酸はサンポール? どちらも純粋な試料でないので、別の気体が発生しても困る。 まさか・・・コカコーラをシェイクして炭酸ガスを取り出すか・・・?(苦笑) <フロン> とりあえず手元にある材料を使うとするなら、フロンだろうか。なぜか手元には、塩素原子を含む特定フロン(CFC12)とオゾン層を破壊しない代替フロン(HFC-134a)のボンベが両方ある。当然、代替フロンを使うべきだろう。好都合なことに、代替フロンは特定フロンに比べて液化しにくいという。温度が下がっても、結露するようなことは無いだろう。一応、自分でも冷蔵庫で冷やしてみたが、常圧下では特に結露していない様子だった。 ご存知の通りフロンは安定しており、金属に対して非腐食性である。 以上が、我輩の考えられる範囲内での方法だ。もっと簡単で確実な方法は無いものか。脱酸素剤の使用も考えたが、その特性がよく分からない。 いずれにせよ、機械は動かさないと油が回らないから、その点は少しマズイ。それはオーバーホールにて対処してもらうしかない。 とりあえず充填ガスについては、HFC-134aでやってみようと思う。 しかし・・・、以前「時の止まったカメラ屋」で書いた西日暮里のムツミカメラのデッドストック品、正常に動作していたように見えたが・・・。純機械製は大丈夫だというのだろうか。まさか、ラップにくるむのが長期保存のコツか?!(笑) ---------------------------------------------------- [058] 2000年 6月17日(土) 「チョートク、この写真か?」 「チョートクのカメラジャーナル」という出版物をご存知か? 大型カメラ店などで1冊100円で売っている小さなカメラ誌だ。「チョートク」とは、その執筆者の「田中長徳」のことである。 そこにこんなことが書いてあった。 「 いつかアメリカのカメラ雑誌で見たF3は、その点、実にいい顔をしていた。これには人跡未踏の地方のルポタージュをして戻ってきた写真家のエキュップメントとの説明が付いて、それは広告だから、その地方を暗示させる地図とか雑多な民芸品とかに埋もれたF3だったが、もとよりそんな小道具は不必要だった。  ペンタプリズムは凹み、ボディの塗色は剥落し、モータードライブはやすりをかけたかのようになっている。このカメラが取材で通過した地域から受けた、暴力的な力と雨と湿度と激烈な温度差、そして埃とを引き替えにして、これらの優れた映像が得られたという、それはカメラの顔が語る存在証明なのだ。アメリカのこういう広告は実にうまい。」 (「チョートクのカメラジャーナル No.9」1994.1 067頁より) 我輩は、この文章がポピュラーフォトグラフィーの1984年8月号に載っている広告について述べたものだとすぐに判った。なぜなら、我輩も、この広告には強い印象を受けたからだ。 1984年といえば、F3が登場してまだ4年だ(ハイアイポイントだから、もっと短い期間か・・・?)。たった4年でこのような傷を多く受けるとは、かなりハードな旅だったに違いない。貫禄勝ちといったところだ。 <<画像ファイルあり>> -POPULAR PHOTOGRAPHY (AUGUST 1984)- 我輩も以前、F3の乗った三脚を倒してペンタ部を凹ませたことがあるのだが、あれほどの貫禄は無かった。なぜなら、他の部分が無傷だっただけに、百戦錬磨の象徴とはなり得なかった。やはり、スリ減るほど使い込んで初めて凹みが貫禄を持つ。 (その後、F3のペンタ部は裏側から叩いて平面に戻した) 高校時代、貫禄をつけるために、わざわざ自分のカメラにヤスリを入れるというバカ者もいたが、どのようにウェザリング(意図的な汚し)をしようとも、自然なスレ具合を再現するのは難しいことだ。1つ1つの傷にはそれなりの理由があり、ただ無秩序に付いたものではない。 靴の踵(かかと)が外側から減るのか内側から減るのか、それは靴を履く人間の歩き方による。それと同じように、カメラの傷も、それを使う者の「人間」が投影される。人間の行為がF3に残した傷は、行為の積み重なりであり、そのF3がどのように使われたかを読みとるサインとなる。 チョートクは、「カメラの顔が語る」という言い方をしているが、それこそまさしく、F3に対する行為の結果のことだと言えよう。 我々は、F3に込められた情報が深ければ深い程、そのカメラの境遇を想像し、そこに貫禄を感ずる。 ---------------------------------------------------- [059] 2000年 6月18日(日) 「小さな買い物」 実は金曜日の夕方、中野の有名中古カメラ店「フジヤカメラ」へ寄った。 さすがに在庫物件が多く、目移りしそうだった。しかし、「本当に欲しいのか」という自問には、「No」と答えるしかない。やはり、欲しいモノは無い。かなり迷ったものもあるにはあったが、結局その場では決められなかった。買って帰った後、「やはり必要なかった」ということになると悲しいからだ。ここは少し考えよう(もし程度の良いF3Hが50万円で出ていたら、迷わず取り置きしてもらっただろうが)。 1時間半ほど物色した後、もう帰ろうかと思い、出口に近付いた。出口近くは新品カメラが陳列されている。そこには、今話題の距離計連動式フォクトレンダーが並んでいる。「もしや」と思いよく見てみると、それはあった。フォクトレンダーのVCメーターだ。 これは前から探していたモノだが、なかなか見つからなかったのだ。そしてそのうち購入を諦めてしまった。それが今、目の前にあるのだから、買わないわけはない。 店員は、 「え、VCメーターですか・・・?えーと、あるかなあ・・・、あっ!、あるなぁ!珍しいー。」などと言う。 その様子から、在庫があるのは滅多にないことだったのだろうと想像する。 フォクトレンダーVCメーター外観 <<画像ファイルあり>> 何の予備知識も無しにこのメーターを見せられたら、一体何の装置だろうかと考え込むに違いない。それはまるで、米国・ロズウェルに墜落したUFOに積まれていたというナゾの小型装置のようだ。 シャッターダイヤル部のクリック・ストップは、軽いながらもしっかりしたもので満足できる。その隣の絞りダイヤル部はクリック無しで無段階設定。 VCメーター動作状況 <<画像ファイルあり>> 使用形態としては、カメラのアクセサリーシューにクリップオンさせるようになっている。表面は梨地処理の金属製(ブラックタイプのほうは知らない)。全体的に多少の重量感があってよろしい。 測光ボタンを押すと、15秒間測光する。その後自動的に電源が切れるようになっている。 電源はLR44ボタン型電池2個、またはCR-1/3Nリチウム電池を使う。受光角はおよそ30度。高輝度のLEDで、屋外で使っても充分に視認可能だ。 これさえあれば、露出計の無い、あるいは露出計の壊れたカメラでも露出計内蔵に早変わりする。ちょうど、子供の頃に遊んだ、水中モーターのようなものだ。浮かぶモノなら何で推進させることが出来るというコンセプトが似ている。 その操作感は悪くない。このメーター単体だけでも楽しめる。 コンパクトなので、これを使ってマニア同士で「露出当てゲーム」をするのも面白いかも知れない。もっとも、端から見ると異様な光景だろうが・・・。 結局、この日は15万円を持って行き、1万7千円を使った。小さな買い物だった。 ---------------------------------------------------- [060] 2000年 6月19日(月) 「成熟カメラ」 今回は純粋に、カメラを工業製品として見てみたい。 金属製であろうが、プラスチック製であろうが、デザインが良かろうが悪かろうが、ここでは無視する。 まず、普通の工業製品は、新しいものほど改良され、性能が向上する。パソコンが良い例だ。「古いモデル」とはすなわち、「遅くて使い物にならない」ということでもある。 エアコンや冷蔵庫も、新しい物ほど消費電力が小さく、冷媒もオゾン層を破壊しない代替フロンが使われている。 自動車も、新しいもののほうが、安全基準を厳しく受け、環境や燃費のことも考えられている。 では、カメラの場合は・・・? かつて、カメラに「カードシステム」や「バーコードシステム」なる機能が盛り込まれたことがあった。しかし、それが時代をリードしていったという記憶は無い。結局は尻すぼみで消えた。現在の新製品を見ると、一時期見られたような「アイデア合戦」も収まり、機能的には15年前とあまり変わるところがないように思える。メーカーもやっと気付いたか?(しかし、たまに変なものも出る) 我輩は、カメラは既に成熟の域に達していると思う。もう改良する余地はほとんど無い。巻上げ速度など、無制限に早ければ良いというものでもないだろう? これ以上の余計な改良は蛇足になる恐れがあると考える。 (プロ用カメラに要求される究極的な性能は別問題だが) 結論から言うと、カメラの進歩だけで失敗写真を無くすことは出来ない。なぜなら、失敗写真とは人間が決めることだからだ。 例えば修学旅行で、さりげなくクラスメートを写した写真の隅に、気になるあの娘を狙ったとしよう。もしフレームに入っていれば成功写真だ。しかし、運悪くフレームアウトしていれば、失敗写真である。いかに写真としてうまく露出やピントが合っていようと、目的が達成できなければ失敗写真でしかない。カメラにそんな複雑な事情など理解できようか。 初心者に優しいとは言っても、初心者はどんどん甘える。カメラに手取り足取りやってもらっても、いずれ、それすら不十分だという輩も出てくるであろう。勉強しないのが当たり前になってくる。 インターネットのプロバイダにかかってくる電話の中に、こんなものがあるそうだ。 「あのー、パソコン買ったんですけど・・・。」 「はい」 「何をやればいいんでしょうか?」 「は?」 「パソコンで何をすればいいんですか?」 「・・・当社はプロバイダですので、インターネットの接続ならご案内できますが・・・。」 「え、インターネットって何ですか?」 にわかに信じがたい話だが、実は他にも似た話は耳にする。珍しいことではないのだろう。これでは、いくらパソコンを簡単にしたところで無駄に終わる。サルにかかれば、どんな優秀な機械も「役立たず」でしかない。 これはカメラの場合でも同じ事が言える。 最近は、写真を始めようとする初心者が増えてきたそうだ。しかし、写真というものを根本的に理解していないサルが写真を始めようとする場合もある。もし、フィルムを入れ忘れて「写っていないじゃないか!」とクレームを付けるようなサルがいたら、メーカーはどうするつもりだ?フィルムを入れ忘れたら自動的に買いに行くカメラでも開発するのか?それはメーカーの自由だが、そんな余計な機能のついたカメラなど欲しくはない。 これは極端な想像だったかも知れないが、早い話、現状はそれと同じだ。基本的な機能はもう成熟している。初心者でも、ある程度勉強している者なら今のカメラは楽に使えるだろう。しかし、勉強もしないヤツは「初心者」とさえも呼べぬ。無免許運転の者が「初心者」と呼ばないのと同じ事だ。そんなサルにカメラを適合させようとしても、行き着くところなど最初から無い。振り回されるだけだ。メーカーよ、やめとけ。 ・・・とは言っても、他メーカーとの競争という現実がある。それを考えると、同情を禁じ得ないな・・・。 ---------------------------------------------------- [061] 2000年 6月20日(火) 「中くらいの買い物」 昨日、またもやフジヤカメラに寄った。前回気になったカメラを、もう一度見ようと思ったのだ。 それは、ミノルタα−9000。 巻き上げレバーと、角張ったデザインでチャラチャラしていないのがいい。手巻きなので、他のAFカメラと比べて電池は喰わないはずだ。何より、一応プロ用として造られているカメラである。それでいて2万円前後で手に入るのがいい。 α−9000は店頭には3台あり、そのうち2台は「液晶に難アリ」。このカメラは、この手の液晶漏れが実に多い。今まで中古店で見てきたα−9000のほとんどが、このような状態であった。なぜなんだ? 棚から出して見せてもらうと、シャッター幕に油が少量付いている。チェックした限りでは、動作に問題なさそうだ。クリーナー液で拭けばすぐ取れそうだった。 しかしこれらの状態は、まるで遺伝病のように、先天的に発病することが運命付けられているかのようだ。そのため、いくら程度の良いα−9000を手に入れようとも、遅かれ早かれこのようにな状態になるのでは、と思っている。それなら、最初から液晶漏れしている安い1万5千円のボディを買っておこう。 次に交換レンズだが、本当は24mm、50mm、135mmの3本を単焦点で揃えたかったのだが、50mmと135mmは在庫が無かった。とりあえず値段優先で選び、「24mmF2.8(\14,000)」と「100-300mmF4.5-5.6(\14,000)」を購入。 帰宅後、AFで合焦させてみると少し「前ピン」に見える。ウーム・・・、おかしい。しかし、手動でピントを合わせると、AF時よりもシャープに見える。店頭でチェックしたときには気付かなかった。 フォーカシングスクリーンの位置がズレているのか? それともサブミラーやAFセンサーのズレか? もし前者ならAFでしか使えず、後者ならMFでしか使えない。 まさかこれは、AFの許容範囲内なのだろうか・・・? とりあえず、モノクロで撮り比べて、カメラの目と自分の目のどちらが正しいのかを調べてみようと思っている。 α−9000外観写真は、そのうち「我輩所有機」でアップしよう。 ---------------------------------------------------- [062] 2000年 6月21日(水) 「現時点での電子写真」 以前にも書いたが、いくらデジタル画像のデータ量が増えようとも、それが表示出来ないのであれば意味が無い。 パソコンのCRTでの一般的な解像度は、72dpiである。最近でも、平均96dpiくらいしかない。 ちなみに、印刷物の線数をdpiに換算すると、300〜400dpiになる。 (※dpi=1インチの線分上にどれだけのドット(点)が表現できるかという尺度) 当然、CRTのような低解像度では、高精細な写真は表現することが出来ない。そこで期待されるのが、TFT液晶である。 最近、低温ポリシリコンTFT液晶ディスプレイが実用化された。これは、今後2年以内に200dpiの製品が発売されるだろうと予測されている(試作では200dpi達成)。 (※低温ポリシリコンTFT液晶=ガラス基板上に駆動回路を直接生成させることができ、微細配線と高速応答が可能となる液晶ディスプレイ) そうなると、やはり液晶の発達が、電子写真の可能性のカギを握るのかも知れない。ただし、今のTFT液晶を見る限り、色の再現性(色数のことではない)に問題がある。一律にカラーバランスがズレているだけならグレーを調節すれば良い話だが、液晶では「あちらの色を合わせればこちらの色がおかしくなる」という状態になる。ノートパソコンに実装されている液晶では、そもそも色調整が出来ないものも多い。 視野角も問題で、現在のTFT液晶の視野角はかなり広がっているとは言うものの、意外と上下の視野角は狭いままだ。これは、上から見ると白く見えたり黒く見えたりすることになる。 液晶パネルのモジュールをパソコンやディスプレイに実装する場合、メーカーによって「上から見ると白く見えるようにする」場合と「上から見ると黒く見えるようにする」場合がある。単に、パネルモジュールの上下を逆さまに実装するだけだが、それによって見栄えがかなり変わる。 視野角の問題は、自身が発光するプラズマディスプレイや有機ELディスプレイの登場を待つしかないのだろうか。 ちなみに、プラズマディスプレイの場合は画素密度の向上は難しく、高精細写真を表示させるためには大画面化が必須となる。狭い住宅では、少し厳しい。 いずれにせよ現時点では、個人レベルで写真を電子化するのは「将来的な備え」という意味合いが強い。プリントアウトするにしても、実際に見れば分かるが、いくら「写真画質」とは言っても写真と同じようには出力できない。出力センターに持って行っても、ピクトログラフィーなどの昇華型プリンターでやっと見られる程度だ。しかも出力物の耐候性は良くない。 ・・・とまあ、批判ばかりの口調だが、実を言うと我輩は積極的に写真の電子化を進めたい人間である。しかしそれゆえ、その実現のためには周辺技術があまりに遅れていることを痛感している。中でもディスプレイの問題は深刻なのだ。 進歩したとは言っても、全てが相対的な評価でしかない。所詮、「液晶にしてはキレイだ」とか、「昔に比べればキレイだ」というものなのだ。絶対的に求められる写真クオリティには程遠い。プロレベルかアマチュアレベルかという高い次元の問題ではなく、本当に使えない。 他に無いのか? 液晶に代わる、もっと画期的な発明は・・・。 ---------------------------------------------------- [063] 2000年 6月22日(木) 「不具合だったα−9000」 一昨日書いた、ミノルタα−9000の購入の件、やはりモノが悪かった。 テスト撮影が終了し、フィルムを出して空シャッターを切っていたら、妙なことに気付いた。開放絞りにしてシャッターを切っているはずなのだが、僅かに絞りが絞られているのだ。レンズ前面から覗き込んで見ると、確かに1絞りほど絞られている。 シャッターを切った直後は開放に戻るものの、巻上げ操作を行うと、また絞り込まれる。レンズを換えてみても同じ。 レンズを外して観察してみると、巻上げ操作によって絞りレバーが微妙に動いてしまう。 困った・・・。これでは開放絞りでの撮影ができない。 こういう状態なら、ピントが合っているかどうかを確かめるテスト撮影をしても意味が無い。開放絞りが使えないなら、それだけで撮影に支障をきたす。つまり、テスト撮影の結果を待たずして、このカメラが不良品だということが確定したわけだ。 このカメラには6ヶ月の中古保証がある。店員には、「液晶の漏れが進行する可能性がありますが、この点については保証対象外とさせて頂きます。」と言われただけで、その他の保証は効くらしい。それでは、店に行って交換してもらうか。 しかし、たった1万5千円の中古カメラに保証を付けても、店はやっていけるのだろうか。余計な心配か。 昨日の夕方、購入店のフジヤカメラへ問題のα−9000を持って行った。 店員に状況を説明すると、「交換しましょう」ということになった。しかし、α−9000の在庫は無かったため、1万5千円+消費税を返金してもらい、委託品コーナーに展示してあったα−9000とAF50mmF1.4のセットを購入した。ストロボも付いていたが・・・、まあ、おまけと考えよう。 当然、絞りレバーの動作をチェックした。それは正常。 液晶漏れは無い。ま、いずれは出てくるんだろうが。 シャッター幕の油汚れはあった。この部分はどのα−9000も同じだな。 そして、AFを念入りにチェック。目で見た合焦点とAFの合焦点は一致した。やはり、こうでなければならぬ。 驚いたことに、ファインダースクリーンがスプリットマイクロプリズム式がセットされており、我輩の趣味に合っている。 結局、このα−9000はセットで3万5千円だった。分けて考えると、ボディが2万円、50mmレンズが1万5千円というところか。まあ悪くない。50mmが手に入ったのだから、良しとしよう。 ちなみに、このα−9000の写真は「我輩所有機」へ掲載した。 余談だが、数年前、このフジヤカメラには1人だけ特別イヤな店員がいた。客を小バカにした野郎だ。客が小バカなら、ソイツは大バカだな。とにかく、ソイツの対応は客相手とは言えなかった。あまり長く勤務していなかったようだが、「ああ、アイツかな」と心当たりの方もいるかも知れない。 ちなみに今回、不具合の対応した店員は普通だったが、委託品を購入した時の店員は何かイヤなことでもあったかのような態度だった。変な客にでも当たったのか? 客にはいろんなのがいるから同情はするが、打たれ強くならんと客商売はとてもやっていけん。 まあ、フジヤカメラはどうせ流れ者を雇っているんだろう。しかし、もし経営者が本気で商売しようと思うなら、社員の応対規則くらいは作ってやらないとダメだ。個人の資質に依存したやりかたでは、この先どうなることやら。 しかし、今どきホームページも持っていないとはさすがだ。何かポリシーがあるに違いない(笑)。 ---------------------------------------------------- [064] 2000年 6月23日(金) 「ススけた小倉の記憶」 我輩の実家は九州の福岡県。博多よりも小倉に近く、買い物なら小倉へ出るのが常だった。 今でこそ小ぎれいになった小倉だが、子供の頃の印象は、「少しススけた街」というものだった。 大通りには西鉄の路面電車が走り、コンクリート舗装もボコボコだった。商店街は全体が暗い感じだったが、それぞれの店の中には暖かいランプが灯っているかのような雰囲気で、我輩は嫌いではなかった。同じ商店街でも、近くのアーケード街のようなザワついた感じは無く、しっとりと落ち着いている。 その商店街の中には、一軒の小さな中古カメラ屋があった。店内は暗く、外に面したショーケースに並ぶ中古カメラたちが神秘的に見えたものである。 当時、どんな機種が並んでいたかは分からない。しかし、黒ボディが多かったように思う。今思うと、キヤノンEFや、F1などが、遠い記憶の中に浮かぶシルエットに合いそうだ。 それらは漆塗りの工芸品のように、鈍く光っていた。普段はカタログでしか見ない一眼レフカメラを前にして、「カメラとは思った以上に立体的で、結構、小さいものなんだな」と変に感心したりした。 その頃はまだ、知っているカメラの種類など数えるほどしか無く、自分の知らない領域がずっと奥の方まであるんだろうなと感じていた。そしてその知られざる世界への想像が、カメラに対する興味を深くしていったものだ。 いつか大人になれば、このような店に入って好きなカメラを買うことができるのだろうか、などと漠然と考えながら、未来の自分を想像した。想像の中に現れた「大人の我輩」は、顔だけは陰になっていて見えない。ただ、白い帽子をかぶり、ステッキを持ち、ヒゲを生やしている。まるで戦後のヤミ市で成り上がった金持ちのようだな(笑)。 今でもそのカメラ屋はあるだろうか? そこに行けば、我輩のまだ知らないニコンやキヤノンが出迎えてくれそうな、そんな気持ちになる。 ---------------------------------------------------- [065] 2000年 6月24日(土) 「ダイヤル式(1)」 パソコンに慣れた者なら、両手をキーボードのホームポジションに置くと、自然にそのアルファベットを打つことができる。逆に、目でキーボード上のアルファベットを探すのは時間がかかる。 このことはパソコン初心者には難しい芸当だろう。ボタンだらけのキーボードの中から、特定のアルファベットを探すには、ただひたすら文字を見つけるしかない。 液晶表示カメラは、「キーボードを目で追う」というのと同じことを強要している。 最初は分かりやすいだろうが、慣れてくると面倒になる。何をやるにしても、液晶を見なければ始まらない。 以前のカメラならば、クリックの数を指先でカウントすることによって絞り値を設定する事ができたものだ。しかし、今は本体側のボタンや電子ダイヤルで設定するようになっている。いくら操作に慣れても、必ず液晶表示を見ながら操作しなければならない。 人間の行動は、「慣れ」によってパターン化される。いったん、その行動がパターン化されれば、いちいち考えなくとも無意識に行動できる。そうなると、その行動が面倒にならなくなる。自分の思ったことが、無意識にカメラに伝わるようになるのだ。それはまるで、パソコンのキーボードでホームポジションに手を置いているかのようだ。 もし、それが出来るくらいに自らを訓練させる気が無いのであれば、ダイヤル式の操作体系というのは特別な意味を持たない。ダイヤルを前にして「どこが使いやすいんだ」と言うだけだ。全てをお膳立てしてもらわなければ何も出来ない人間に、道具の使いやすさなど説いたところで理解されようはずもない。 手っ取り早く便利さを求めるなら、パソコンのキーボードを目で追うかのごとく、液晶表示カメラを使い続ければよい。そのほうが分かり易いんだろう? しかしそうは言っても、使用者の目的に応じた操作体系がそれぞれあっても良いのではないか? 現在は、カメラ全体が液晶表示の操作に統一されてしまっている。とにかく選択肢がほとんど無い。「初心者でも分かるように」というのは理解できるが、カメラの操作に慣れていないヤツらのために、なぜ我輩が合わせなくてはならない? もし、そのことに不満を持つ人間が我輩だけなら、このサイト「ダイヤル式カメラを使いなサイ!」の存在理由は全く無い。 そうではないことを祈りたい気分だ。 ※ 明日は本日の話題に関連して、「従来のダイヤル」と「電子ダイヤル(コマンドダイヤル)」について考えてみようと思う。 ---------------------------------------------------- [066] 2000年 6月25日(日) 「ダイヤル式(2)」 昨日は「ダイヤル式」と「液晶表示」について述べた。 ところで、「電子ダイヤル(コマンドダイヤル)」の位置付けはどうなっている・・・? 「ダイヤル式」に近いのか? それとも「液晶表示」に近いのか? 「ダイヤル式」と「液晶表示」。それぞれ「操作部」と「表示装置」であり、普通に考えれば単純に比較できないように思えるかも知れない。 ところが従来のダイヤルは、表示機能も兼ね備えている。であるからこそ、「ダイヤル式」と「液晶表示」という対比が可能なのだ。 「電子ダイヤル」に話を戻そう。 「電子ダイヤル」の場合、それ自身が表示機能を持つわけではなく、液晶表示と対になって初めて機能することができる。従来のダイヤルとは違い、単独での存在はありえないわけだ。 そういう意味から言うと、「電子ダイヤル」は液晶表示カメラ寄りと言えよう。このサイトで電子ダイヤルを採用したカメラがノミネートされていないのは、このような理由による。 「電子ダイヤル」とは、あくまでダイヤル式の「入力装置」である。電子ダイヤルを回すと、その回した量に応じた電気信号が数値として取り込まれる(エンコード)。つまり、パソコンのマウスと同じだ。マウスの場合、X、Yの2次元(平面)の情報を拾うため、2つのエンコーダーがある。電子ダイヤルでは1次元(直線)で足りるため、エンコーダーは1つだ。 このエンコーダーによって、撮影者の操作が数値として入力され、カメラの頭脳「マイクロプロセッサ」へ指令が送られる。そう考えると、ニコンの呼称「コマンド(=指令)ダイヤル」という言い方が真実をよく表している。 従来のダイヤルの場合は、回転位置それぞれに機能が固定されており、機能は絶対的だ。「モードダイヤル」や「シャッターダイヤル」、そして「絞り環」もダイヤルの1種類に含められる。これらは、電源が入っていない状態でも設定可能であり、電源を入れ直しても設定値がリセットされない。 しかし、電子ダイヤルは機能が相対的であるために、入力した後のことには関知しない。例えば、電子ダイヤルで1/60秒にセットしたとしても、カメラ側の都合で1/250秒に変更されることもあり得る。「そんなバカな」とダイヤルを見ても、そこには数字など刻まれていない。ただ歯車のようなギザギザが刻まれているだけだ。まるで、「私は単なる入力担当です。それ以外については私の責任範囲ではありません」と言うかのように。 我輩は、液晶表示と電子ダイヤルの便利さは十分理解している。しかし、「従来のダイヤルの利点を含んだ上で便利か」と問われれば否定するしかない。 以下は、一眼レフメーカーに対して言いたいことだ。 片方の利点は、もう片方の欠点である。うまく融合させることなど無理な話だろう。「説明書の要らない従来ダイヤル式カメラ」と、「説明書の分厚い電子ダイヤル式カメラ」、融合させても中途半端にしかならないというのは分かり切ったことだ。 メーカーは苦労して従来ダイヤルの利点を取り入れようとしているようだが、何をそんなまわりくどいことをやっている? 素直に従来のダイヤルを使ったカメラも作ったらどうなんだ? どっちつかずのことをやっているから、中古カメラに人気が移ってしまう。 これからは、従来ダイヤルか電子ダイヤルかをユーザーが選べるよう、メーカーにはラインナップを豊かにしてもらいたい。企業の合理化思想には反するだろうが、ユーザーを育てる意味でも必要なことだ。 ユーザーを育てる手間を惜しみ、安易なシロウト向け商売を進めて行けば、結局は自分たちの首を絞めることにもなろう。今、メーカーが必死になって新たなユーザーを掘り起こそうとしている相手は、本当のシロウトだぞ。そんなヤツらに高性能が簡単に使えることを説いても無駄だ。現実問題として、かなり「使い捨てカメラ」に喰われてるじゃないか。数字を客観的に分析しろ。自分たちの都合に合わせて解釈するな。 従来のユーザーが離れてしまえば、一巻の終わりだぞ。一体、どこを向いて商売してる? 長期的な視野を持たないというのは、バブル絶頂期の銀行と変わりないな。せいぜい目先の儲かることだけをやり、戻る道を失うがよい。 ※ 明日は本日の話題に関連して、我輩の考える「来るべき次世代のカメラ」について考えてみようと思う。 ---------------------------------------------------- [067] 2000年 6月26日(月) 「ダイヤル式(3)」 昨日は「従来ダイヤル式」と「電子ダイヤル式」について述べた。 今日は、その2種類の形態を製品ラインナップ上でどのように展開すべきかを考えてみようと思う。 以前、ニコンでは「F601」と「F601M」という兄弟カメラがあった。「F601」はAFと内蔵ストロボを持っていたが、「F601M」はMFカメラであった。しかし、ニコンは「F601M」のほうを早々に見切りを付け、「F601」1本とした。恐らく「F601M」はそれほど売れなかったのだろう。中古市場を見ても、「F601M」はそんなに目に付かない。 製品のラインナップはできるだけシンプルにしたほうがコストの面からも有利に違いない。それは外部の人間が考えても容易に想像できることだ。そう考えると、昨日書いたように、何も考えずに「従来ダイヤル式」と「電子ダイヤル式」の2種類のラインナップを揃えることは難しいことだと思う。 では、一眼レフお得意の「システム化」をするというのはどうだろう? 現在のカメラは、高度に電子化され、以前はシャッターユニットに機械接続していたシャッターダイヤルでさえも電気接点が摺動する部品となった。 撮影者側は「従来ダイヤル式」や、「電子ダイヤル式」、「プッシュボタン式」、「スライドレバー式」など、それぞれの違いを感じるが、その操作によって送られてくる電気信号はカメラ本体側では同じように見える。パソコンに例えるなら、マウスで操作しようがキーボードで操作しようが、操作感は違っても得られる結果は同じであるということだ。 それならば、パソコンと同じように、操作部を交換式にしてはどうだろうか。あたかも、パソコンのマウスやトラックボール、スライドパッドを使い分けるかのように、カメラにも使用者の要求に応じた入力デバイスが用意されてもいいと思う。それでこそ、カメラが電子化されるメリットがあるというものだ。 以下の図は、我輩が勝手に作った「軍艦部交換式カメラ」の構想図である。細かいことは議論する余地があるだろうが、ここでは基本的なアイデアについてのみ、見て頂ければと思う。 <<画像ファイルあり>> (fig.1) 従来のダイヤル式カメラの形態。巻上げレバーは用意されているが、巻上げ用モーターは従来通り巻取り軸内に内蔵されているため、自動巻上げも可能。 <<画像ファイルあり>> (fig.2) 軍艦部とカメラ本体とは、ニコンF3の交換ファインダーと同様に脱着可能。接続面は、手動巻上げ用のカップリング以外は、電子接点のみとする。 <<画像ファイルあり>> (fig.3) オプション軍艦部により、電子ダイヤルと液晶表示が使用可能となる。 このような提案をしても、メーカーからはなかなか良い回答は得られないだろう。実際、我輩は様々なアイデアをカメラメーカーに封書で送ってはいるが、全ては黙殺されている。 (ミノルタフラッシュメーターの電子ダイヤル採用については、我輩は同じ提案をしたことがあるが、その意見が取り入れられた結果なのかは分からない。) 技術的に、またはコスト的に無理だということはあるだろう。しかし、そんなことを言い訳にしているようでは進歩はあり得ない。「そんなこと無理だ」と頭から決めつけ何も工夫せず、いざ他社が成功すると「やっぱり主流はコレだよ」と裏返る。 できるできないについては、日本人は必ず否定的だ。実際にモノを作って見せるまでは、誰も見向きもしない。存在証明が無ければ日本のメーカーは動かない。だから「日本は独自の発明が無い」と罵られる。「マネばかりするな」と反感を買う。 それにしても、ミノルタはAF特許侵害訴訟で米ハネウェル社にどれほど和解金を払った? 166億円だと? 金を払うということは、マネしたと認めることだ(勝ち目は無いと自分で判断しているわけだからな)。そんな金があるんだったら、もっと新しいことができたろうに。我々が苦労して買ったミノルタのカメラの代金をそんなくだらないことに使うな。 しかも、図に乗ったハネウェルは他のメーカーにも金を払わせた。もし、こんな訴訟が無ければ、巡り巡って「ニコンF3/T」の生産中止も1ヶ月くらい先になっていたかも知れないじゃないか。 新しいことを先頭を切ってやり遂げることは重要だ。リスクはあるが、人真似をして166億円も捨てるよりは有意義である。 それとも日本の企業は、専門バカの、プライドの無い腰抜けばかりか? ---------------------------------------------------- [068] 2000年 6月27日(火) 「ステレオ写真」 ここのところ、過激な文章が続き、読むほうとしても少し疲れたのではないかと思う。実は、もう1つ過激な文章を用意していたのだが、それは明日以降へ持ち越すことにした。よって、今日の雑文は急遽、別の文章を書き起こした(別に毎日書かねばならないことでも無いが)。 以前、マルチメディアCD−ROMの仕事で、江ノ電を取材したことがあった。その時、江ノ電検車区へ撮影に行き、そのついでに電車のステレオ写真を撮ってきた。 通常、ステレオ写真は、左右に配置した2台のカメラを使うか、あるいは左右2つのレンズのついた専用カメラを使い、同じタイミングでシャッターを切る。しかしその時は通常の機材しか無く、1台のカメラを使って左右で撮り分けた。つまり、1枚写真を撮った後、少し右に移動してもう1枚撮る・・・そんな感じだ。 電車の場合では、そのような時間差のある撮影は難しい。なぜなら、走っている電車を写す時は、左右の時間がズレると、当然ながら電車が移動してしまう。また、駅で停車中の車両であっても、乗客などの人物が動いてしまう。 しかし、検車区では人も入らず、車両も止まったままなため、余裕を持ってステレオ写真を撮ることができた。 ステレオ写真というのは、本当に面白い。立体的に見えるというのが、その魅力の全てだ。 普通の写真であれば、背景をボカして主題を際立たせたりする。ところがステレオ写真では、画面全体にピントが合っていなければ効果が薄れる。 人間の目を考えてみると、我々は無意識に目のピントを合わせている。遠くの物、近くの物、どちらもピントが合って見える。なぜなら、我々には「視線」という概念があるからだ。全体を見渡す時には視線を移すため、結果として全体にピントが合っているように見えることになる。 通常の写真には視線という概念は無い。フレームの中に写った全ての物が等価である。しかし、人間の視線はある一点しか見ることが出来ない。視野全体で見ることは、零戦のパイロットのような特別な訓練を受けた者にしかできない。ウソだと思うなら、写真を見る時、視線を中心から逸らさず見るがいい。全体がよく見えないだろう? このように、人間特有の「視線」という概念を、写真という2次元のメディアに表現(固定)することが必要となる。そのための手法が、様々な撮影テクニックである。 先に述べた、「背景をボカして主題を浮き立たせる」という手法は、かなりポピュラーな「視線の表現法(固定法)」だ。そう考えると、今まで機械的に行っていた、“人物を撮るときは目にピントを合わせ、望遠を使って背景をボカせ”ということの意味が解ってくることだろう。それは、撮影者の視線を固定する作業なのだ。 さて、ステレオ写真に話を戻してみる。 ステレオ写真では、画面の全てにピントが合っている必要がある。それはなぜか。 ステレオ写真は、立体であるがゆえ、人間の視線を自由に受け入れることが出来る。遠くや近くの物について、その写真を見ている者に視線を委ねることが出来るのだ。近くの物を見る時、視差の為に遠景が擬似的にボケて見える。逆に遠景を見る時、近くの物がボケて見える。 最初から背景がボケている2次元の写真では、背景を見ようとしても不可能だ。そこでの視点は固定されている。写真はフレーム内に写った全てが等価であるがゆえ、技法を使って視線を固定させねばならないからだ。 そういう意味では、ステレオ写真の主体は、見ている側にあると言える。見る者に色々な発見をさせる楽しさがある。ステレオ写真の面白さは、まさにそこだ。画面内にゴチャゴチャ写り込んでいるものほど面白い。 下の写真は、「平行法」と呼ばれる方法で見る。右目で右の画像を、左目で左の画像をそれぞれ見つめると、2つの画像が融合され立体画像として浮き上がる。平行法なので、決して寄り目にしてはならない。遠くを見るような感覚で見ると良い。 江ノ島電鉄車両「501形」 左目 右目 <<画像ファイルあり>> 江ノ島電鉄車両「1002形」 左目 右目 <<画像ファイルあり>> ---------------------------------------------------- [069] 2000年 6月28日(水) 「温度差恐怖症」 カメラ業界の過去を振り返ってみると、いろいろな歴史があった。 以下に述べることは、我輩の個人的感想であり、例によって勝手な推測も多分に含まれている。ご注意頂きたい。 ご存知のように、ミノルタは「α−xi」シリーズで完璧にハズした経験を持つ。この時、「α−7700i」や「α−8700i」からの買い換えには、次の「α−xiシリーズ」ではなく、他メーカーへの乗り換えが多かったという。 結果的に、中古市場でも「α−xiシリーズ」は動きが悪い。 ミノルタはそれまでAFカメラをリードしており、これから更に他社(特にキヤノン)の追い上げを「α−xi」の先進性によって一気に引き離そうと計画したに違いない。しかし、ミノルタの間抜けな所は「極めてマジメ」であるという一点に尽きる。 技術者が夢に描いた近未来の「自律制御カメラ」を造り、SFの世界を実現すべく、目標に向けてひた走った。 残業に次ぐ残業。家庭をも顧(かえり)みず、心血を注いで「α−xiシリーズ」を完成させた。ヨーロピアン・カメラ・オブ・ザ・イヤーも取った。ミノルタ社内では、誰もがAF新時代の幕開けと、業界トップ独走を信じて疑わなかった。 しかし、結果は散々なものだった。ユーザーはミノルタを離れ(我輩もその1人)、二度と戻っては来なかった。 メーカーの目指すものと、ユーザーの求めるものとが、これほどまで違っていたケースも珍しい。ミノルタの販売目標と、実績についての具体的数値は知らないが、どの雑誌も、このスレ違いについて言及しているということと、ミノルタがその後「α−siシリーズ」で180度の方向転換したという事実が、「α−xiシリーズ」の失敗を如実に示している。 どうしてこのような事態を招いたのか。それは、過去の「α−7000」の成功(αショック)が原因かも知れない。これにより、ミノルタは「技術こそ全て」という確信を持つに至ったのだ。 それはあたかも、日本が日露戦争で、無敵のバルチック艦隊を砲戦で破った時とオーバーラップするかのようだ。その後の太平洋戦争で、戦闘の主力が航空機へと移ろうとする時でも、あくまで砲戦が勝負を決すると信じ、巨大戦艦大和と46センチ三連主砲を生み出した。結局、たった1隻の艦船も沈めることなく、海の藻屑と散る結果となった(記録では3隻撃沈したことになっているが、それでもたった3隻だぞ)。過去の奇跡的勝利が、その後の判断を狂わしたのだ。 α−7000の成功は、まさしくミノルタにとっての日露戦争と言えよう。 このことを考えた時、メーカーは極度の恐怖症に陥ったものと思われる。ミノルタはもちろん、ミノルタの敗戦を目の当たりにした他メーカーも、このことを重大な教訓としたに違いない。 「もし失敗すれば、ユーザーは他メーカーへ流れる」と。 他メーカーへユーザーを逃すのは、メーカー間で温度差がある時だ。もし、どのメーカーも変わりばえしなければ、ユーザーがどれほど現状に不満を持っていたとしても、他メーカーへは流れない。移るメリットは無いからだ。 性能的(数値的)に他社と競争することがあったとしても、機能や操作性の面では他社と足並みを揃え、温度差が生じないようにする。新しいことをやって、もし失敗すれば、それこそ取り返しがつかない。「とにかく無難に、無難に・・・」とカメラが作られていった。 しかし、それも今ではかなり緩和されつつある。その中でもペンタックスは過去の失敗を見事にハネのけ、健闘している。従来型ダイヤルを採用し好評を得ているのはご存知の通り。さらに進めて、プロ用にも電子ダイヤルと従来ダイヤルの両パターンが欲しい。そうなれば、儲からないLXを作り続ける必要もないはずだ。 ---------------------------------------------------- [070] 2000年 6月29日(木) 「洋物」 ハリウッド映画に出てくる日本人というのは、我々から見るとどうにも日本人離れしているように見える。同じ日本人が見ても「いかにもエキゾチック」という雰囲気が充満している。 アメリカの写真雑誌の広告やカメラのカタログを見ると、単に日本語の印刷物を英訳したものではないのが判る。日本の顔をしたメイド・イン・ジャパンのカメラであるはずが、広告によってアメリカ風にアレンジされ、それがかえってカメラたちをエキゾチックに見せている。やはりアメリカの広告代理店の手によるものか? アメリカの写真雑誌は、知人が海外旅行した時に買ってきてもらったり、その出版社から購読したりして手に入れた。しかし英文カタログについては、1993年頃に、ニコン、キヤノン、ミノルタ、リコーに直接請求した。ダメで元々だと思っていたのだが、キヤノン以外は英文のカタログを直ちに送付してくれた。 しかし、送付の早さには驚かされた。てっきり海外の現地法人から取り寄せるだろうと思っていた。 キヤノンは、国内にそのような印刷物は無かったのかも知れないが、それについては何も説明もなく、ただ日本語版のカタログを送ってよこしただけだ。まあ、ニコンのカタログさえ届けば、キヤノンなど無くてもよい。ニコンF4とF3、ニッコールレンズのカタログは、今では我輩の宝物だ。 インターネットの普及した今なら「当社の英語版サイトをご覧下さい」と言われたかも知れないな。 これらのカタログは、ぜひスキャナで読みとり、当サイトでアップしたかったのだが、もう容量的に余裕が無い。カメラの画像や印刷用PDFファイル、シャッター音のファイルが大きく、あと2〜3MBの空きしか無いのだ。 もし、「ウチのサイトの空きを使いたまえ」という奇特な方がいらっしゃるなら、ぜひご連絡を。 (2000.07.04追記) ジオシティにカタログ画像をアップしてみた。 ---------------------------------------------------- [071] 2000年 6月30日(金) 「魔が差した」 ヤフーのオークションを覗いてみた。なかなか珍しい物があるな。 中でも、「ニコンF3チタン白(未使用品)」には興味を引かれた。「現在の価格は18万円」となっていたので、上限20万円で入札してみた・・・。しかし、落札出来なかった。最終的には37万円くらいになっていた。 まあ、今は金があるので、それくらいはすぐに払える金額なのだが、いくら未使用品でも37万円も払う気は無い。 「F3リミテッド(未使用品)」も最低落札価格設定が35万円で出ている。世界が違うな。そう思いながら、我輩の汚れたF3リミテッドを撫でる。 他にも「ニコンFA」やその他いろいろ入札してみたのだが、なかなか落札出来ぬ。どう考えても相場よりも高くなり、手を引かざるを得ないのだ。 そんな中で、「ニコンFAゴールド」が目に付いた。13万円。 確か、フジヤカメラでは19万円で出ていた。別のカメラ店では40万以上の値を付けたものも見たことがある。それを考えると安いと言えるな。しかしまあ、この値段のままでは落札出来ないだろう。試しに13万1千円で入札してみた。 −あなたの入札を受け付けました− ナヌ?! ・・・あっさり通りやがった。まあいい、そのうち誰かが13万2千円に引上げるだろう。なにしろまだ3日もあるのだ。そう思いながらも3日は過ぎ去り、FAゴールドのオークションは終了。なんと値は上がらぬまま、我輩が落札してしまった。 あれほどゴールドを「使えぬヤツ」と見下していた我輩が・・・。まあ、安かったので魔が差したとしか言いようがない。 モノは昨日の夕方に到着した(つい先ほど)。 世間一般では、ゴールドカメラの評判はよろしくない。「コレクションとして寝かせているのだから、外見はキレイでも、内部はボロボロだ」と言われ続けている。もしそれが本当なら、長期保存のカメラの状態をモニターするのに丁度良い材料となるのではないか?このFAは、すでに15年も保管されているわけだ。我輩の所有するF3の保存版の影響を先読みするのに役立つに違いない。 とりあえず、現物は特に動作異常は無さそうだ。他のFAと同様、10回に1度はシャッターが鳴く程度。 まあ、新品のノーマルFAの代わりに撮影に用いるという手もある。標準レンズ付きなら、値段もそんな感じだ。 実際に使う時には、ゴールドを剥がして黒で焼き付け塗装してみてもいいかも知れないが、業者に頼むと金がかなり必要か。 それとも、室内専用に使うか。スタジオなどでモデルを撮る機会があれば、サブ機として使ってみてもいい。モデルが目を輝かせて、キレイに写るかも知れないからな(笑)。その時は、ゴールドカメラで撮られる気分を訊いてみよう。 <<画像ファイルあり>> ---------------------------------------------------- [072] 2000年 7月 1日(土) 「親子それぞれのカメラ」 先日購入したミノルタα−9000、なかなか楽しい。テスト撮影が済んだ後も、空シャッターを切ったりAFを動作させたりして遊んでいる。 さすがにAFは正確で速い。・・・それ以前のものに比べれば、という話なのだが、これは驚異的なことなのだ。 我輩は「キヤノンFD35−70mmf4AF」を所有していたのだが、あれは2〜3回に1度くらいしか合焦しない。 まるでゼンマイ仕掛けのようにゆっくり回るピントリングは、考えも無しにただ前後に動き、たまたま画像のコントラストが高い位置に来ると、そこで停止させる。α−9000のように、ピントのズレ量を推測し、一気に合焦点までモーターを駆動するというようなことはできない。 合焦サインも、今時の「ピピッ!」という切れの良い音ではなく、「ピュイ〜ン」という気の抜けた音が出る。たまに、思いっきりピンボケなのに「OKだよ〜ん」と言ってくるようなウソつきレンズだった。 それから比べると、α−9000のAFは隔世の感がある。TTLによってAFが可能だというだけで、まさしくショックだったわけだ。 α−9000、プロ用として造られたというだけあって遊び甲斐があるのだが、それと同時に「これがプロ用か?」と思わせるようなこともかなり多い。 まず、中古カメラ店を巡ると、とにかく液晶のトラブルの多い個体が目に付く。たった10〜15年でこうなるのでは、過酷なプロの使用に耐えられるとは思えない。「初期のAFだから仕方がない」と思えるようなところであれば許せるが、液晶表示などAFとは関係無いだろう? それから、シャッターボタンが重い。いや、クリック感が強いと言ったほうがいいのか。カクンと落ち込む感触は、まるでゲーム機のボタンのようだ。シャッターボタンにクリック感が必要なのかは意見が分かれるだろうが、デリケートな撮影では気になりそうだ。 そして、グリップ部のラバーが変だ。一見、黒光りするようなテカテカ感があるが、布で強く拭くと、光沢のない通常のラバーっぽくなる。そして布には黒い汚れが付着する。発売から15年経っているため、ラバーが劣化したのだろうか。まあ、当時の新素材を採用したんだろうな。経年変化など考えず、新しくて便利だという理由だけだったのかも知れない。プロ用という意識があったのか疑問を持つ。 他にも小さな点は色々あるが、やはり全体的に、「すぐに故障しそうだ」という印象を拭えない。この印象は、小さな点の積み重ねなのか、あるいは無意識に感じるような見えない部分のことなのかは分からない。 とにかく、興味深いカメラであることは確かだが、コイツに一生を託すような気にはならない。 ところで、我輩は去年の夏、20年ぶりくらいに父親に再会した。 (まあ、いろいろ事情があるのだが、それは本題ではない) それまでの我輩にとって、父親とは恐くて厳しい存在という記憶しかない。弱音を吐けば、すぐに頭をハタかれたものだ。 そんな父親が、再会の場に持参したカメラが「α−9000」だった。 「おいおい、そんな軟弱なカメラを持ってくるなよ」 口では言わないが、正直、そう思った。父親は息子には厳しかったが、カメラには甘いのか。 あろうことか、我輩のF3HPを見るなり、「もっとええカメラ買えよ」などと言いおった。何も言えん。ただ、笑うしかなかろう。 我輩は、カメラに甘くはない。 ---------------------------------------------------- [073] 2000年 7月 2日(日) 「大きな買い物」 「ニコンF3H」は、数年前に銀座カツミ堂写真機店のショーケースで目にした。それまで我輩は「F3H」の存在を知らず、その突然の出会いに戸惑った。 「ん・・・? 何だ、このF3は・・・?」 外見はF3Pによく似ていたが、値段がそれを遙かに上回る、「58万円」となっている。こんな高価なモノが一般向けであろうはずがない。多分、特需カメラだ。 その後、このカメラは限定生産のハイスピードモーターカメラであり、13コマ/秒という並外れた連続撮影能力を持つカメラだと知った。 しかし、値段が値段だけに、最初の出会いの時点で購入は既に諦めていた。それはつまり、「違う世界のカメラ」・・・、そう、スペースシャトルに搭載された特別仕立てのF3と同じようなものだ。モノ自体も他の店では見たことが無い。 ところが今回、思わぬ臨時収入を得て、我輩なりに使い道を考えた。小さな買い物や、魔が差した買い物もあったが、それらは特別、今しか買えぬモノではない。 候補に挙がったモノは、「ペンタックスLX2000」、「ペンタックスLXチタン」、「安藤カメラ50周年記念ニコンF3クラシック」であった。 しかし、「LX2000」は多少物足りなく、「LXチタン」は巡り合わせが無く、「F3クラシック」はセンスが合わない。要するに、衝動の沸き上がるカメラではなかった。 そこで蘇ってきた記憶が、「F3H」との出会いだった。 雑誌のF3特集に掲載されていた「F3H」。極限の性能を持つ特殊カメラ。その性能は、ゴールドカメラと対局に位置する別の価値なのだ。一般人には手に余る連続撮影スピードではあるが、希少価値以上の性能価値を持っている。こんな所に惹かれるからこそ、男なのだ。 船なら「戦艦大和」、車なら「カウンタックLP500」、銃なら「44マグナム」と、超絶なる性能を持つものは、常に憧れの対象となってきた。それらは超絶な性能ゆえに、使う場面を選ぶ。「F3H」も、それらと同じなのだ。 モノがあれば欲しい。モノさえ、あれば。 そう思い立ったのが昨日の午前中だった。直後、カメラ店に片っ端から電話をかけまくり、F3Hの在庫を訊ねた。やはり、どこにも無い。銀座のカツミ堂にも無いという。 電話応対した店員のほとんどは、「F3H」という言葉を聞いただけで苦笑した。「さすがにソレは置いてないよ」というニュアンスが伝わってくる。 ほとんど諦めかけた時、ふと1つの店の名前が浮かんだ。 「ニコンなら・・・、ニコンハウスじゃないか?」 ニコンハウスは、雑誌の電話リストに載っていなかったため、盲点となっていた。我輩はあらためてニコンハウスの電話を調べ、問い合わせた。 果たして、「F3H」は未使用状態で存在した。さすがはニコン専門の店と言うだけのことはある。 値段は59万8千円(税込み62万7千9百円)だった。初めての出会いから数年経っているので、値段は少し上がっているはずだと思ったが、ほとんど変わっていない。安心した。 すぐに銀座へ行き、即金で払って手に入れた。1万円札を63枚も数えるのは苦労したぞ。店のオヤジは、いかにこのカメラを入荷するのがラッキーだったかを力説し、その話に相づちを打つたび、万札を数える手を休めねばならなかった。 世界で何台しか作られていないとか、このカメラのシリアルナンバーを見るとほとんど生産終了間際のモノだとか、訊いてもいないことまで教えてくれる。このカメラは、それほど人を熱くさせるものなのだ。 店のオヤジがF3Hを包む時、ふと手を止め、上目遣いでひとこと言った。 「これ、使うんですか・・・?」 その目は、我輩に対する牽制のようだった。 「このカメラは、人類共有の資産だ。あんたを信じ、大事なF3Hを託すのだ。」 こう言われているような気がした。 オヤジは、高い物が売れて機嫌が良かったのか、それとも元々話好きなのか、支払いを済ませた後もニコンの世間話が続いた。最後には、「ニコンようかん」なるものを見せてくれて、その入手経路を事細かに説明してくれた。なかなかおもしろいオヤジだな。だが、今は一刻も早く帰り、F3Hの外観写真を撮り、完全密封のフロンガス充填ケースに収めたい。 帰宅して開封したF3Hは、まさしく我輩のモノである。しばらくは実感が無かった。それはまるで、有名人と結婚したかのようだ。確かに欲しいカメラには違いないのだが、ほんの数時間前までは、絶対に手に入らないと諦めていたものなのだ。 高い買い物だったが、少なくとも損はしないだろう。オヤジは「これは必ず値が上がる」と言っていたが、我輩もそう思う。そうとしか思えない。 しかし、これを売ることは無いだろう。金を得るよりも、F3Hを得ることのほうが遙かに難しいのだ。 ※ F3Hの写真は、下に掲載したものの他に、カタログコーナーの「ニコンF3H」の項目にも載せている。 <<画像ファイルあり>> BODY No. : 9600824 MOTOR No. : 960475 ---------------------------------------------------- [074] 2000年 7月 3日(月) 「結婚写真」 結婚式の写真というのは難しい。少なくとも、我輩にとっては。 まず、教会での撮影は許可されない場合があるらしい。我輩の結婚式の時はダメだと言われた(東中野・日本閣)。まあ、式場というのは1回きりのお付き合いなので、禁止令は無視し、ウチの家族や友人には「ビシバシ撮りまくれ」と指示した。撮ってしまえばこっちのものだ。 しかし、撮影禁止とは言いながらも、式場側からもカメラマンが派遣されてきた。F4とブラケットに接続したストロボを使って撮っている。目障りなコイツこそ何者だ? 頭に来たので、「写真など頼んだ覚えはない」と言ったが、「いいんです、いいんです。」と撮り続ける。とりあえず、その時は自分たちのことで忙しく、放っておいた。 披露宴では、各テーブルに「撮りっきりコニカ」を10本ずつ置き、自由に撮ってもらった。あとで現像代が大変だったが、式場カメラマンの料金よりも十分に安い。 撮影しやすいように、外からの光が十分入ってくるレストラン形式にしておいて正解だった。これなら、ライトアップされたり、変な演出効果が無くて良い。皆と考えた企画も爆笑連続で、形式にとらわれず、楽しい写真が多く残った。 後日、結婚式場から、例のナゾの男が撮影したとみられる写真のコンタクトプリント(ベタ焼き)が送られてきた。「この写真が欲しくば、4万円を振り込め」とのことだ。形式的で、なんともヘタくそな写真だ。金を払うような写真とは思えぬ。我輩の結婚式は、内容こそが大事なのだ。写りが良ければそれでいいと思うな、内容を写せ。 以前、当時同じ職場だった女性に、結婚式で写真を撮ってくれと頼まれたことがあった。我輩の一眼レフで撮って欲しいと言う。 彼女のイメージは分からないが、察するところ、美しい結婚式写真を残したかったのだろう。そうでなければ、「一眼レフで」などとは指定しないはずだ。しかし、こういうのは失敗が許されぬ。「失敗こそ写真の面白さだ」と思っている我輩には荷が重い。ましてやライティングや撮影位置の限定された場では、我輩の能力を十分に発揮することは出来ない。事前にテスト撮影できれば何とか自信も持てようが、ぶっつけ本番というのはキツイ。 式場のライティングの様子を瞬時に読みとり、それを生かしながら自分のストロボを上手くコントロールしなければならない。そうでなければ、誰が写しても同じになり、我輩が撮る必然性もない。 それから、場の雰囲気を読んだり、淀みなく進められる式の中でうまく立ち回るという、別な能力も重要だ。それらは、我輩の一番苦手とするところである。式の邪魔になってもいけない。気を取られることが多すぎ、我輩なら撮影どころの話ではない。 結局、カメラマン役は丁重にお断りしたが、頼まれ事を断るのが苦手な我輩の辞退に、彼女は我輩の心中を察してくれたようだった。 もし、キレイな写真を残したいなら、式場のライティングなどを知り尽くした業者カメラマンを頼むのが良い。 もし、式の内容を残したいのなら、その場の出席者の視線で撮るのが良い。我輩では、そのどちらにもなれそうもないのだ。許せ。 ---------------------------------------------------- [075] 2000年 7月 4日(火) 「我輩は暇人なのか」 カメラとは直接関係ない話で申し訳ないが、今日は我輩の近況をお伝えする。 この「カメラ雑文」を毎日のように更新しているということで、どうも「我輩というヤツは余程の暇人なのだろう」と思う者が出てきているらしい。それはとんでもない誤解だ。 我輩がこの文章を書くのは、たいていが夜中だ。それ故、今までの更新のほとんどが、午前1時や2時という時間である。こんな時間に書くのは「暇人」とは呼ばない。単なる「変人」なのだ。 とにかく、今、我輩は公私共に忙しい。トイレに行く時間も惜しいくらいだ。しかし忙しいからこそ、その勢いで文章を書くのである。ましてや、我輩は昔から運営している動物と自然環境についてのサイトがあり(我輩のキャラクターが違うので、教えることは出来ない)、そこでも毎日雑文を書いている。暇かどうかと言う問題ではなく、燃えているかどうかという問題なのだ。 雑文を休む時は、「どう考えても本当に時間が無い時」か、「書くことが無い時」か、「燃えていない時」なのだ。 お分かり頂けたか? では、また明日・・・。 ん? 今回はあまりに短すぎると? そうか・・・分かった。では、もう少しくだらない文章を続けようか。 「我輩はなぜ新品にこだわるか」 我輩はなぜ新品にこだわるのか?それは、今まで何度も言っているように、ダイヤル式カメラが新品で手に入るのは、もう今しかないだろうと予想されるからである。 しかし、もう一つ理由を挙げるとすれば、それは、新品を自分の手で丸くしたいからだ。 諸君は、金属モデルガンを知っているか? 亜鉛ダイキャスト製の模造銃に金メッキ(あるいは真鍮メッキ)を施した玩具だ。ちなみに、金属銃は銃刀法によって銃身に孔が開けられておらず、弾を飛ばす構造にはなっていない。 モデルガンのメカを動作させる時、新品では部品の“バリ”などによって動きは固い。しかし、何度も動かすことによって、バリが取れてカドが丸くなり、メカの動きがスムーズになる。この微妙な具合は、その銃を使う者の力加減で変わってくるものだ。 例えば、最初は引き金の動きが固くても、そのうち自分の指の動きにスムーズになったりする。最初からスムーズであるのも良いが、やはり自分で動作を丸くすることによって、愛着が増していく。 カメラの場合もそれと同じで、新品特有の固さは良い刺激だ。例えば、ニコンF3の巻き上げレバーは軽いことで有名だが、予備角へ引き出す時の固さについては新品を手に入れるまでは知らなかった。新品では本当に「カチン」と音がするくらいクリック感がある。この感触は、使い込まれた中古品では得られない。 新品で使い始め、自分の使い方で変化していくカメラを見ていると、カメラと自分の履歴が重なってゆく。最初から百戦錬磨のカメラと付き合うより、カメラと共に成長した自分がそこにリンクするのだ。 そもそも、新品のカメラというのは初心を蘇らせ、新たな気持ちを抱かせる。それはあたかも、新学年になって新しい教科書を手にする学生のようだ。毎年、新しい教科書を手にするたび、「今度こそ熱心に勉強するぞ」と思ったものだ。お下がりの教科書ばかりでは、メリハリが無いではないか。 人生、死ぬまで修行だ。時々、「今度こそ良い写真を撮るぞ」と思うことも必要だろう? これが、我輩が新品にこだわる理由だ。 ---------------------------------------------------- [076] 2000年 7月 5日(水) 「F3Hの使い道」 先日、究極の買い物、「ニコンF3H」の購入を果たしたことを書いた。 我輩のカメラ装備の中で、コイツは「旗艦」という位置付けとなった。当サイトの「我輩所有機」コーナーで先頭に掲載しているのは、その現れである。 戦艦大和は、旧日本海軍の連合艦隊旗艦だったが、徹底した秘密主義と戦力温存のために、せっかくの活躍の場を永久に失ってしまった。 我輩のF3Hも、まさかそのような運命を辿るのだろうか。 まあ、カメラであるから、「魚雷を19本も受けて撃沈」ということは無いにしても、やはり活躍の場を失うということは十分あり得る。しかし、未来のことは誰にも判らぬ。戦艦大和にしても、誰が「使わない戦艦」として建造しようと思ったろうか。結果としてあのような無念な最期を遂げたとしても、当事者たちは、その場その場の最善を尽くしたろうと思う。 そう思うと、我輩の「とりあえず保存」という判断も、正しいことなのかは判らないが、少なくとも自分では正しいと信じている。そして今はまだ、使う時期ではない。 では、F3Hの使い道として、どういうものが考えられるだろうか。果たして一般人に必要なカメラか。 F3Hの超絶性能は、完全なるオーバースペックかというと、そうとも言えない。秒間13コマの性能は、確かに撮る対象を選ぶだろう。しかし、1コマ撮りの撮影でも十分な恩恵がある。それは、テンポの良さだ。 我輩が初めてF5に触れた時、「やはりプロ用は違うな」と感じた。それは、巻き上げの早さだった。巻き上げが早いということは、シャッターを切った次の瞬間には、すでに2枚目の用意が出来ているということを意味する。普及機ならば、しばらく巻き上がるのを待たねばならない。 「大げさだ」と思われるかも知れないが、ポートレートや動物の写真を撮るときには重宝する。ほんの一瞬の表情の変化を捕らえるには、迅速なスタンバイが必須なのだ。 F5でも軽い感動を覚えるくらいなのだから、F3Hの感動は推して知るべきだ。 F3Hには、「6コマ連続撮影で止める」という機能がある。あまりに早すぎて、一気にフィルム1本くらい撮り尽くしてしまうからだ。これは、アサルトライフル(突撃銃)の「3点バースト機能」に似ていて面白い。 ※3点バースト= 兵士がパニックに陥って銃の引き金を引きっ放しにした際、フルオートの銃では数秒で全弾を撃ち尽くして敵の餌食になってしまう。3点バーストでは、引き金を引いたままであっても一度に3発までしか連続発射できない。 この、F3Hの「秒間13コマ」の連続撮影能力を体験すると、通常のF3+MD−4では物足りなくなる。要するに、テンポが遅く感じられるのだ。実質的な速度は実用的なのだが、人間というのは、便利なほうに慣れてしまう。 しかも、F3Hの素晴らしさは、通常のF3+MD−4と同じ大きさにまとまっているということだ。当然、モータードライブの電池の数も同じである。決して、カスタム的な「建て増しスタイル」ではない。 ただ、固定式ハーフミラーのため、外部露出計を使いにくいという欠点もある。レンズからの光が100%フィルムに届く訳ではなく、一部の光がファインダー光学系へ振り分けられるのだ。・・・その程度ならば、露出計の補正によって解決できるのだが。 F3H、いつか、ポートレートや動物写真に使うことを楽しみにしている。 ※ 雑誌で見るF3Hは、どうも2バージョンあるようで、初期のもの(シリアルナンバーから推測)は巻き上げレバーが省略されており、イルミネータースイッチも赤いボタン式ではなくスライドスイッチになっている。シャッタースピードダイヤルの文字は白一色で、闇夜で青く浮かび上がる夜光塗料が塗られているらしい。 ---------------------------------------------------- [077] 2000年 7月 6日(木) 「イラク空軍的装備」 いまだ記憶に新しい湾岸戦争。 イラク空軍は世界第6位の空軍力を持つとされ、戦争開始時点では、多国籍軍にとって手強い相手と恐れられていた。しかし、実際には多国籍軍の敵ではなく、イラク軍は完璧に敗れてしまった。 原因はいろいろあるが、空軍力に限定して見れば、それはすぐに理解できる。 イラク空軍は、戦闘機の保有数こそ多いが、構成機種はあまりに雑多で、それは実に16種にも上る。戦略的な意味も考えず、ただ闇雲に戦闘機を集めた結果だ。 それは、維持・整備の面での問題はもちろんだが、特にパイロットの技能に弊害をもたらす。昨日まで操縦していた戦闘機がトマホークによって格納庫ごと破壊され、今日は全く別の戦闘機に搭乗しなければならない・・・。これでは満足に格闘戦(ドッグファイト)などできまい。 いきなり湾岸戦争の話題で失礼したが、カメラの場合、我輩の所有カメラは、まさに「イラク空軍状態」と言える。ニコンF3以外、同じ機種は無い。これで支障は無いのだろうか。 我輩がダイヤル操作にこだわっていることは当サイトを見れば分かるとおりで、ダイヤル式ならばどの機種を使っても同じように操作できる。数字の並びが昇順か降順の違いはあるが、隣り合った数字に違いはない。 しかし、問題は内蔵露出計だ。 我輩は過去、数年間に渡って中判カメラしか使わなかった時期がある。社員旅行でさえ、ゼンザブロニカを持って行った。 その頃は、「カメラ機材などは単なる道具でしかなく、画像のクオリティのみが写真の全てだ」と思っていた。だから、35mmカメラなど我輩にとっては利用価値が感じられず、中判システムを導入する際に全て売却してしまった。 当時、中判にはMFしか無く、露出計を備えている機種もそれほど多くない。従って、単体露出計は必須である。そのため、読みとった露出計の値をカメラに設定するという動作が、我輩の基本スタイルとなった。 露出計とカメラとの間を、我輩という人間が介す。もし設定値に不満があるなら、我輩を通る時点でその設定値に加減を行うことが出来る。「露出補正」などという機能は、カメラ側ではなく人間である我輩の機能なのだ。 そのスタイルは、我輩が35mmカメラに戻ってきた時にも継承された。我輩に必要なカメラとは、「いかに絞り値とシャッター値をスムーズに入力出来るか」ということに尽きる。 現在の我輩のメインはニコンF3である。幸い・・・というか、露出計は使いにくく、マニュアルモードではカメラ側の露出計を積極的に使おうと思わせないところがいい。さすがプロ用カメラだけのことはある(皮肉か)。素直に入射光式露出計で測れば早く、以前の中判カメラ使用と同じ感覚で使っている。 我輩の気持ちとしては、カメラの露出に関する機能の大部分は、単体露出計に移してもらったほうが有り難い。カメラ本体に複雑な電子回路を搭載するよりも、ポケットにしまってある単体露出計に搭載したほうがスマートだとも思う。またそうなれば、古いカメラの露出計が壊れても、特に支障が無くなる。 まあ、内蔵露出計、単体露出計、共に万能ではない。万能であったとしても、それはあくまで標準的な適正露光値であり、自分の適正値ではない。その露出計のクセをつかむことによって、自分の意図した露出値を得るのが、大切なのだ。 冒頭で述べた通り、カメラは機種ごとに露出計の特性が違う。それら全てのカメラのクセを的確に掴み、どれも同じように使おうとするのはなかなか難しい。それならばいっそ、1つの単体露出計で測れば良いではないか。ごく当たり前の理屈だと思うが? とは言っても、あくまでこれはイラク空軍的装備を生かす方法だ。全て同じ機種で統一している者に比べれば、何ともバカバカしい努力と言える。 ---------------------------------------------------- [078] 2000年 7月 7日(金) 「自作カメラカタログ」 我輩が、カメラカタログの収集癖があることは以前に書いた。しかし、意識して集めていたわけではなかったため、押さえておくべき機種のカタログが抜け落ちていることは多い。今では手に入らないだけに、非常に残念だ。 とにかくまあ、カタログというものは眺めていて楽しい。特に、絶版となったカメラのカタログを見ていると、なんだか近くのカメラ屋にそれが並んでいるような気がしてくるから不思議だ。 もし、全てのカメラのカタログが揃っていたとしたら、それはとても貴重な資料だ。書籍でもないため、図書館などにも置いてないだろう。 カメラそのものは金さえあれば手に入れることはできるが、カタログはモノ自体がこの世から消滅してしまっている場合もあるはずだ。普通の人間であれば、現物さえ買ってしまえばカタログなど無用だからな。 そこで我輩は、「手に入らないカタログがあるなら自分で作ってしまおう」と思いついた。カメラそのものを作るのはしんどいが、カタログならパソコンを利用してどんな風にでも作り込める。そして、どうせ作るなら、自分で勝手に考えたカタログを作ってもおもしろいだろう。 そう思って2つ程作成してみた。 <<画像ファイルあり>> ニコンF3Hのチラシを想定。 これは、カメラ雑誌(えい出版「ニコンFのすべて」45p)に載っていたF3Hのチラシを再現した。細かい文字は読めなかったため、多少自分で作文したが、雰囲気はよく出ていると思う。 カメラはデジカメで撮影。「Nikon」と「F3H」のロゴは、マクロメディア・フラッシュでトレースし、画像全体はフォトショップで色調整した。 <<画像ファイルあり>> ニコマートELの広告を想定。 カメラはデジカメで撮影。広告の内容としては、完全に我輩のデッチ上げ。背景のスペースシャトルは、福岡県の「スペースワールド」で撮影したもの(実物大模型のライトアップ)を使用。画面構成はフォトショップで行った。 どうだろう? 少しは気分が出てるとは思うが・・・。 今度は「フジカST−605」のカタログでも作ってみようと思っている。フジカであるから、あまりカッコ良く作るとリアリティが無くなってしまうだろうから、その点は注意が必要か(笑)。 ※ 余談だが、最近知り合いに当サイトの感想を聞いてみた。カメラの写真はおおむね好評だったが、ソイツにとって、この「雑文」は内容が難しいらしい。まあ、カメラに入れ込んでいる人間でないと、気持ちは理解できんだろうな。しかし、「雑文」は個人的文章であるだけに、読者の多くは知り合いだろうと推測する。読者に去られては書く気力も持続できない訳だから、少しずつ分かり易い内容も増やしていこうとも思う。・・・しかし、「心霊写真」の話題は面白かったらしい。そうか、それならまたそのうち載せるか。インパクトの少し軽いものがもう1枚あるハズだが・・・ハテ、どこへ行った・・・? ---------------------------------------------------- [079] 2000年 7月 8日(土) 「カメラマンとデザイナー」 カメラマンとしての立場から見た場合、「デザイナー」というのは許すべからざる存在として映ることがあるらしい。 我輩はこのことを何かの雑誌で読んだ。写真雑誌だったか、デザイン雑誌だったかは覚えてはいない。 しかし、かく言う我輩自身も、そのことを実感することがあったので、ここに書いておこうと思う。 我輩は以前、会社の業務で、マルチメディアCD−ROMの制作として「江ノ島電鉄(江ノ電)」を取材していた。数ヶ月に渡る取材もほぼ一段落した頃、そろそろCD−ROMのフロントカード(音楽CDで言うジャケットのこと)用の写真を撮ることにした。CD−ROMというのは、書籍と違い、実際に購入してパソコンで再生させるまでは内容がよく判らない。そのため、フロントカードの写真は気合いを入れて撮らねばならぬ。 CD−ROMに収められた画像は最大でも640×480ドットの大きさしかなく、35mmカメラでも十分だ。しかし、フロントカードの印刷物として使うならば、やはりブローニーサイズのフィルムを使ったほうが良かろう。我輩は、6×6判のカメラを三脚に据え、暑い湘南で汗を拭(ぬぐ)いながらシャッターを切った。 その後、出来上がったポジのうち1枚を採用することになり、印刷会社に渡した。通常、デザインはサービスでやってくれる場合が多い(もちろん印刷会社にもよる)。 本来ならば自分でデザインをするところだが、我輩はその時ちょうど忙しさの頂点にいたため、デザインは任せることにした。まあ、印刷関係の専門家がやる仕事だからと安心したのがいけなかった。 後日出来上がったものを見て愕然とした。せっかく細部まで緻密に描写したはずの写真が、全体にキャンバス地の模様をかけられていたのだ。これでは、35mmカメラで撮影しても同じだ。あの苦労は何のためだったのだろう。しかも夏のイメージに繋がる青い空が多少カットされている。 結局、やり直す時間と費用が無く、そのまま通してしまったが、そのことは今でも悔やまれる。プライベートな時間を使ってでも自分でやるべきだった。 これは、カメラマンとデザイナーとのイメージの違いが引き起こしたトラブルである。今回、カメラマンが顧客側でもあるという特殊な例だが、やはり普通のカメラマンでもプライドを持って仕事をしているはずだ。 「苦労して撮影した渾身の1枚を、訳の分からないデザイナーごときに好き勝手に切り刻まれてたまるか。」 このように思ったとしても不思議ではない。 だが、カメラマンとデザイナーは、どちらも「良いモノを作りたい」と願っている。目的は一緒なのだ。しかしそれゆえ、両者のイメージにズレがあれば、かえって敵対関係となりうる。それは、イメージの疎通がうまくいっていなかったことによるのだ。我輩の場合、相手は会ったこともないデザイナーだった。 しかしこの一件で、デザイナーを名乗るヤツはどうもウサン臭く見えて仕方がない。特に、いかにもデザイナーだという外見であれば尚更だ。 ・・・こういうのは、「トラウマ」と言うのか? ---------------------------------------------------- [080] 2000年 7月 9日(日) 「心霊写真について」 心霊写真は、見えないものが写真に写るという特殊な現象だ。 「それは何かの間違いだ」と言うのは簡単である。しかし、もっと興味を持ってその写真を考えてみてもいいのではないか? 信じようが信じまいが、いるものはいるし、いないものはいない。現実というものは、人間の思想とは全く関連が無い。信じる、信じないなど、全く意味の無い、くだらないことだ。 論理的な思考とは、最初から答えを用意しない。思考の過程で徐々に答えを見出していく。複雑な計算式を解くのに、誰が最初から答えを知っていようか? 最初から「インチキ写真だ」と決めつけるのは、計算式も解かずに答えを主張するに等しい。 写真というものは、極めて科学的(化学的)である。全ての現象が再現性を持ち、既知の理論に基づいて設計される。カメラやレンズやフィルムなどは、そういった現象を緻密に組み合わせて画像を得られるように設計されているわけである。 それゆえ、目に見えないものが写真に写るというのは、いかに霊の仕業だとしても、どうにも合点がいかない。そこで、我輩なりに考えたことをまとめてみようと思う。 心霊写真を撮った時点では何も見えなかった・・・ということは、何か目に見えない高エネルギーの放射がフィルム感材に働きかけたということだろうか? 放射能は目に見えないが、フィルムにはその痕跡が写るのだ。これが霊と誤認されたか、あるいは霊がそのような放射線を発しているのか。 しかし、これはレンズを通ってくるような行儀の良い光とは違い、カメラボディーを突き抜け、直接フィルムを感光させる。そのため、画像としてはノイズにしかならない。 被爆直後の広島を写した映像にノイズが入るのは放射線の影響であるし、空港の検査でフィルムが感光してしまうのはX線の影響だ。それらを見ても判るように、意味のある画像が写るとは思えない。 もしかしたら、一瞬の出来事が写ったのかも知れない。 例えば、人物を撮影すると、まれに「目つぶり」の写真が写ることがある。まばたきの瞬間にシャッターを切ったわけだが、写真というのは一瞬の映像を切り取るため、このような瞬間の状態を固定させてしまうわけだ。 これと同じように、まばたきするような瞬間の霊現象が、たまたまシャッターを切った時に起こり、それがフィルムに固定されたとすればどうだろう? これなら、目に見えないものが写真に写っても納得できる。 また、そのように一瞬の映像なら肉眼には見えないが、サブリミナルCMのように、人間の深層心理に訴え掛けているかも知れぬ。それがすなわち、「変な気配がする」といった印象に繋がるのでは? まあ、このように考えてみたところで、現実は全く違うということもあるだろう。実証できなければ、説明したことにはならず、第三者を納得させることは無理なのだ。 しかし、極めて科学的な写真に起こる現象を、我輩は無視することは出来ない。ましてや、身近にそのような写真を持つ人間がいては、やはり人間として理由付けをしたくなるというものだ。もちろん、全てを解明することは難しいだろうが、それについて考えることにより、何かの示唆を得ることが出来ると信じたい。 かりにも写真について書こうとする我輩には、避けて通れないことのようにも思える。 ---------------------------------------------------- [081] 2000年 7月10日(月) 「写真の情報量」 1989年、北海道大雪山で「SOS事件」が報道された。山中で、白樺の白い倒木で組まれたSOS文字が発見されたという、あの事件。 その付近は過去に何度か航空写真で撮影したことがあったそうで、その文字が発見された後、その地点の写真を引伸ばして調べてみたところ、確かにその文字が確認できたという。我輩はその航空写真をテレビ報道で見たのだが、確かに「SOS」という文字が、拡大された写真の粒子の中に現れている。 広範囲を写した航空写真の、こんな小さな「SOS」の文字など、言われなければ気付かない。それでも、写真には写っていた。それはまるで、世間で騒ぎ出した時に、「俺は前から知ってたよ・・・」と、その写真がポツリと言っているかのように見えた。 「写真というのは、ゴチャゴチャ写るから面白いんですよね。」 以前、職場で隣の部署の課長が言った言葉を思い出した。広角レンズなどを使って画面の全てにピントを合わせて写真を撮る。そうすると、目の前の全てがフィルムに固定される。肉眼では全てに視線を配ることなどできないが、出来上がった写真を丹念に眺めていくと、色々な発見があるのだ。人混みを写せば、肉眼では単なる「人混み」でしかないが、写真に撮ることによって1人1人の姿が浮かび上がってくる。 米大統領ジョン・F・ケネディがダラスで暗殺された時、その瞬間の映像がいくつか残されている。そこには、第二、第三のスナイパーが写っていると指摘する声もある。中には、「大統領を乗せた車の運転手が振り向きざま銃を向けている」という者さえいる。画像は粗く、そう言われればそう見えなくもないが・・・。 とにかく、その画像に記録されている粗い粒子の中から、懸命に真実を読みとろうとする努力が続いているのは事実だ。写真というものはそれほど、普段は気付かないような情報を秘めている。 我輩が初めてスライドプロジェクターでスライドを投影させた時に、撮影時には気付かなかったような多くの発見をした。以来、その写真を見るたびに新しい発見をする。 「発見」というと、大したことのように聞こえるが、そうではなく、前回見た時には自分の目に入ってこなかった情報があるということだ。 それは、自分に新たな知識が加わって初めて認識できる情報ということもある。そういった「掘り起こし」をすること自体が面白かったりする。 写真を構成する粒子の中に、「幽霊の顔」が潜んでいるのか、「SOSの文字」が潜んでいるかは分からない。ただ、写真には撮影者でさえ知りえない情報が写り込んでいるということだけは確かだ。 ---------------------------------------------------- [082] 2000年 7月11日(火) 「デザイン」 米国銃器メーカー、コルト社の傑作オートマチック拳銃「コルト・ガバメント1911A1」。 このガバメントは、他の多くのオートマチック拳銃の手本になり、今なお多くの国々で使われている。米国では、映画「ダイハード」でお馴染みの「ベレッタM92F」が公用銃として置き換わっていったが、ガバメントの基本性能の高さと信頼性から、いまだにベレッタを受け入れない団体もあると聞く。 ガバメントの洗練されたメカニズムはもちろんだが、何といっても人間が使い易い直線的グリップデザインは90年近く経った今でも色褪せない。人間の手の形は、数十万年ものあいだ同じままなのだから、当然と言えば当然だ。 人間の手に合わせたような、いわゆる「人間工学もどき」の銃は多い。まるで、粘土を手で握った形をそのままグリップにしたようなオプショングリップさえある。確かにそれは手にフィットし、短時間の使用には良いかも知れない。しかし、長時間の使用ではそれが逆に苦痛となる場合がある。 モデルガンを手にしたことのある者なら理解できると思うが、金属の銃はかなり重い。長時間持っていると、手がダレてくる。しかし、「人間工学もどき」のグリップだと、全ての指がグリップにフィットしているので、逆に引っかかりに乏しい。一見、使いやすそうなデザインも、こんな落とし穴がある。ただ単に、手にフィットするものを作るのは簡単だが、それは「人間工学」とは言えない。その銃がどういう状況下で使われるものかを理解し、その要求を満たす設計が必要だ。 そのためには、実際に銃を使ったことのある人間がデザインしないと、なかなか良い物が出来ない。 カメラの場合も、デザインを単に「かっこいいもの」や「手にフィットするもの」と捉えているような風潮がある。一般ウケするデザインは、商売としては大事かも知れないが、本当にユーザーの使い勝手を考えた商品も忘れてはならぬ。 現状を例えるなら、ただ単においしい料理を作ろうとしているだけで、栄養の事は何も考えていないようなものだ。栄養が伴ってこそ、おいしい料理が生きてくる。 そのためには、やはり、実際にカメラを使っている人間がデザインや設計に加わる必要があろう。現状は必ずしもそのようになっていない。芸術の分野から流れてきたデザイナーが、根拠もなく「フィーリング」でデザインするような時代なのだ。 ニコンF3にMD−4モータードライブを装着すると、その直線的なグリップは、まさにコルト・ガバメントのそれだと感じる。最初の握りにくさを通り越すと、逆にその直線が指に引っかかり、長時間のホールドも苦にならなくなる。 F4のグリップは曲線を基調とし、手に馴染みやすいのだが、長時間のグリップは逆に疲れてしまう。夏の湘南でF4を使用したときは、汗でグリップがスベりやすくなり、カメラを持つ手に力が入ったものだ。力を必要とする程、疲れは大きくなる。 F3、F4共にジュージアーロのデザインなのだが、同じ人間のデザインとは思えない。やはり、F3のモータードライブのグリップは、偶然の産物なのか? それとも、長時間の張り込みで撮影するようなユーザーは少なくなったか? F3は今でも現行カメラであり、カメラマンによっては「F3でなければならない」という者さえいる。これは、冒頭の「コルト・ガバメント」と同じような現象だ。それはグリップだけの理由ではないにせよ、重要な要素の1つであると我輩は読む。 使用状況やカメラの重さによって、そのスタイルは合理的な設計がなされても良さそうなものだ。それが逆にカメラの、機械としての普遍的な美しさになろう。 ---------------------------------------------------- [083] 2000年 7月12日(水) 「F3の第一印象」 我輩がF3の存在を初めて知ったのは、雑誌のメカニック紹介記事だった。雑誌の名前は「ニュートン(1981年11月号)」。今でも続く、息の長い科学雑誌だ。そこに「スーパーメカニズム」というコーナーがあり、毎回、様々なマシンの図解が載っていた。 最近はニュートンにお目に掛かる機会も少なくなり、現在の様子は分からないが、当時からイラストレーションがウリで、毎号、分かりやすい図解が素晴らしかった。 現在ならば、「アドビ・イラストレータ」や「マクロメディア・フリーハンド」などで作り込むような図解なのだろうが、そのF3のイラストは手描きである。記事中の2枚目のイラストでは、シャッターボタンの辺りのデッサンが多少狂っているのがご愛敬だが、一眼レフの構造が手に取るように解る <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> [Newton 1981年11月号] 我輩はこれを見た瞬間、「こんなカメラがあれば、何でも撮れそうだ」と感じた。 細かいスペックの記述については、当時はあまり理解できなかったが、それでも、我輩は直感的にこのカメラの優秀さを見抜いた。 「緊急作動レバー」などという、凄そうな装置も付いている。まるで、軍用機が墜落する前に座席が射出するような雰囲気だ。黄色と黒のストライプが付いていてもおかしくない。そういうところに、このカメラが大人の道具であることを感じた。 もし、雑誌「ニュートン」の記事を読むことがなければ、F3の第一印象は変わっていたに違いない。いやそれよりも、写真やカメラについての興味が途中で消えていたかも知れぬ。 そう思うと、F3の先進性を科学雑誌の立場で紹介した「ニュートン」に感謝したい気持ちになる。 ---------------------------------------------------- [084] 2000年 7月13日(木) 「中判カメラのAF化について」 我輩が中判カメラを使う時は、画像のクオリティだけを求めている時である。それ以外のこと、例えば「カメラの質感」や「操作性」などは全く意識にのぼらない。35mmカメラの場合と極めて対称的だ。 メーカーにしても、特にこだわりはない。こだわるとするなら、ハッセルブラッドやローライあたりを使いたいと思うのだろうが、我輩は圧倒的に値段の安いゼンザブロニカを使う。 ゼンザブロニカでは「アオリ撮影」の出来るレンズが用意されていないのが致命的であり、そこに限界を感ずるが、それ以外では特に不満は無い。 中判で注意深く撮影した作品は、息を飲む程に緻密である。ピントを厳密に合わせ、三脚を使ってブレを極力無くし、微粒子のリバーサルを使う。そしてそれをキャビン製スライドプロジェクターでスクリーンに投影すると、思わず「おお」と声が出る。この感覚は、実際に見てみないと分からないことだ。 写っている絵柄はともかく、その緻密さは一見の価値がある。逆にそのメリットが無ければ、苦労して中判で撮影する意味は無い。 我輩は、中判カメラがAF化されることを望んでいる。いや、中判カメラ全てがAFのみというのは問題があるだろうが、少なくとも各サイズに1種類ずつあっても良いと思う。今の中判AFカメラは645サイズしかないが、6×6、6×7、6×9などにもAFを導入するというわけだ。 645サイズ以外についてのAFのニーズはあまり多くないということも理解できるが、時にはAFで楽をしたい場合もあるのではないか? 大抵の一眼レフタイプの中判カメラではワインダーが用意されているのであるから、手間を省くという意味では、AFもまた便利なはずだ。 中判カメラのメーカーならば、「AFは単に機能の1つである」という物の見方が出来ると信じている。もし、数字だけの競争になると、35mmカメラの二の舞になってしまい、ただでさえ少ない中判カメラメーカーがさらに減ってしまうことになろう。そこは気を付けてもらいたいところだ。 少なくとも我輩に限って言わせてもらえば、中判は撮る楽しみよりも、観る楽しみを感じる。現像後のポジを見るたび、撮ったその場では感じなかった「緻密感」を楽しむことができるのだ。その時初めて、撮影の苦労が報われる。 それにしても、中判カメラで「プラスチックボディがイヤだ」とか、「機械式シャッターでないからダメだ」という話はあまり聞かない気がする。それなのに、AFについては、ユーザー側は受け入れられないのだろうか? 中判カメラは中高年ユーザーの割合が多いという印象があるが、それこそAFが必要だと思うのだが・・・。 ---------------------------------------------------- [085] 2000年 7月14日(金) 「想い出のファインダー」 我輩が初めて買った一眼レフは、「キヤノンAE−1」だった。 北九州市の小倉で、確か、デパート「井筒屋」の中にあるカメラ店だったと思う。 そこには中古カメラのショーケースがあり、並んでいる一眼レフの中で一番安かったのが、その「AE−1黒ボディ」だった。カドの塗料が剥げてはいたが、当時の我輩にとっては、「一眼レフ」という大人の道具が手に入ることの興奮が大きかった。 値段は1万5千円。当時中学生の我輩にとっては、決して安い買い物ではない。交換レンズは同時には買えない。しかし、交換レンズは次の機会に手に入れることにして、とにかく一眼レフのボディを所有することを優先した。 その日は確か、母親と小倉に映画を見に行く途中だった。映画館のイスに座るや否や、先程買ったAE−1を手に取り、ファインダーを覗いて上に向けたり下に向けたり。 それまでは、祖父の「キャノネット(レンズシャッター機)」や、家族全員で使っていた「コニカC35EF(ピッカリコニカ)」しか使ったことがなかった。だから、一眼レフのファインダーというものが新鮮で仕方がなかった。 レンズの付いていない一眼レフというのは、当然ながらファインダーには何も映らない。けれども、スリガラス越しに見た映画の光が、ボンヤリと視野を明るくし、画面中央のスプリットプリズムを浮かび上がらせている。 カメラのスイッチを入れ、そっとシャッターボタンに触れてみると、露出計の針がピンッと反応し、赤いLED(発光ダイオード)のランプが早い周期で点滅した・・・。 それから数ヶ月後、我輩はキヤノンのレンズの中で一番安い「50mmF1.8」をなんとか購入し、ひととおり撮影出来るようになった。それまでの間は、虫眼鏡のレンズを使って交換レンズの代わりをしていたのだ。それを思えば、大した進歩だった。 しかし、一眼レフのファインダーというものは不思議なものだ。 スリガラス状のファインダースクリーンに映った映像は、今まで使っていたカメラの透過式ファインダーよりザラついて見えるのだが、「この光がそのままフィルムに到達し、写真になるんだ」と思うと、とたんに有り難く思えた。たとえホコリが乗っていようとも、それがかえってスクリーンの存在を意識させ、「レンズを通った光が投影されている」と実感できたのである。 時々、あの頃の新鮮さが懐かしく思われることがある。一眼レフという、とてつもないツールを手にした喜び。年々、その感覚が遠くなる。 人間の脳は、同じ刺激を継続して受け続けると、その感覚に対してニブくなる。常に一眼レフが手元にあるという現在の状態では、感動が薄れてくるのは当然だ。 今は辛うじて思い出すことができるが、そのうち、思い出そうと思っても出来なくなる日が来るのだろうか・・・。 ---------------------------------------------------- [086] 2000年 7月15日(土) 「趣味はニコンです」 我輩が、仕事で「江ノ島電鉄(株)」に取材に行った時、広報担当者からは「江ノ電の歴史についての詳細な資料は社内には無い」と言われた。過去の火災により、大部分が失われてしまったという。そのため、古い資料などは沿線の江ノ電ファンに頼ることになる。 「江ノ電ファン」。彼らは、実に丹念に写真を撮り、資料を残し、記録を付けている。仮に、江ノ島電鉄社内の資料が火災で失われずとも、その圧倒的情報量は価値を失うものではない。 また、地元(藤沢)の「江ノ電沿線新聞社」という出版社を訪ねてみると、そこは江ノ電の資料庫とも言うべきところだった。代表取締役は、江ノ電が好きで始めたというから、まさしく趣味が高じて・・・という感じか。 さて、ニコンというメーカーは面白い。 探せば色々な情報があり、手詰まりになるということがなかなかない。ネタは、現行製品だけでなく、過去の魅力溢れるカメラや、特需向けカメラ、そしてそれらの製品が現場でつくり上げた様々なエピソード。 また、ニコンから内輪的な情報も出てくることがある。販売店向けに配布される「ニコン新聞(※1)」や「セールスマニュアル(※2)」なども、手を抜かずきちんと編集されているあたりが、なかなかマメなところだ。 そして、知りたいと思うような情報も、どこかでオープンになっている。我輩がF3のピンホールミラーの製造手順を知っているのは、別にニコンの工場に潜入したからではない。そういう情報が過去に発信されたことがあるからだ。どんな情報も、丹念に探せば必ずどこかで発表されているものだ。 もちろん、企業秘密というものも当然あるだろう。しかし恐らくニコンのことだから、フタを開けてみればどうでもいいような秘密(我々から見ると)だったりするのではないだろうか。 ニコンはユーザーと共に製品を開発していこうとする姿勢がある。現場の細かいニーズに応じ、積極的に改造にも応じているようだ。まあ、それはプロ向けに限ったことであるが、しかしそれは一般ユーザーを差別しているということではない。ユーザーの問い合わせに対して、誠実に、そして親身に答えてくれる姿勢がある。それはたまたま、我輩の問い合わせに当たった担当者が親切だっただけなのかも知れないが、やはり会社の社風が現れているように思える。 従業員数6千人を越える大企業、ニコン。歴史もあり、ユーザーも全世界にいる。それゆえ、社員1人1人が会社の全て知るということはまず不可能だろう。ヘタをすると、ユーザーのほうが詳しかったりする。しかし、それは会社としては恥ではない。江ノ電の場合と同じく、それはマニアの領域なのだ。もちろん、ニコン社員として最低限知っておかねばならぬ会社の歴史や製品情報はあろうが、マニアの領域から見れば、それはほんの一部分でしかない。 趣味には色々なジャンルがあるが、「写真」や「カメラ」とは別枠で、「ニコン」という趣味のジャンルを設けても許されるような気がする。 今度、試しに「私の趣味は、ニコンです」とでも言ってみるか。 (※1) ニコン新聞 社内報のような雰囲気の紙面で、販売店向けに編集され配布された印刷物。内容は、新製品説明会会場案内や販売中止になった製品一覧、マーカーによるポップ書体のプライスタグの書き方、全国のカメラ店の紹介コーナー、会社幹部の人事、イベント情報など。 (※2) セールスマニュアル ニコン製品を販売するための販売の手引き。機種ごとに冊子が存在し、それぞれ、ニコンのユーザー統計に基づいた分析や、「初心者には〜を強調して説明してください、ベテランには〜を強調して説明してください」などというターゲット別のPR項目がある。 ---------------------------------------------------- [087] 2000年 7月16日(日) 「モデルにするなら」 ポートレートを撮るために一番必要なもの、それは何と言っても「モデル」しかない。ポートレートは、モデルを決めた時点で写真の50%が決まると言われている。・・・まあ、この言葉の「50%」という部分は、特に根拠があるわけではなく、それだけモデルというものが大きなウェイトを占めているということを言いたいのだと思う。 さて、もし仮に有名人をモデルにすることが出来るとするなら、一体誰を選ぼう? 我輩の場合は、ただ単に美人であるということよりも、何かクセのあるモデルがいい。そういうところに、写真にしたくなるような衝動が起こる。 そうだな、「ELTの持田香織」といったところか。かなりミーハーだな(笑)。 我輩がテレビなどを観て感じる、持田香織のクセのある部分とは、顔では笑っていても、本心は何を考えているか分からないという、その雰囲気にある。 「心の中では俺のこと軽蔑してんじゃないのか」とか、「早く帰りたいと思ってんじゃないのか」とかいう気持ちにさせるような、含みのある言動と目線の動き。このモデルを使い、観る者に緊張を感じさせるような写真にしてみたい。 クセのない「モデル笑い」をした女性の写真を撮ったとしても、表面上の部分にしか関心が及ばない。モデルが何を考えているのかということも意識しないし、する必要もない。 しかし、心の隅に引っかかるような、そんなクセのあるモデルは、観る者との間に緊張感を作り、そこに写っているモデルが一体何を考えているのかと気になる存在となる。だから、それをうまく引き出して写真にすることが出来れば、手応えのあるポートレートが撮れそうな気がする。少なくとも我輩はそう予測する。 また、持田香織の写真を何枚か見てみると、それぞれ別人のように写っている。スタイリストによるところが大きいのかも知れないが、それでもやはり、撮りかたによってもずいぶん変わるに違いない。 しかし、持田香織独特の、「含み」を表現した写真はなかなか無いな。営業戦略的に、そのような写真は意識的に撮ろうとしないのか。 <<画像ファイルあり>> 持田香織のイラストを描いてみたが・・・、イラストで緊張感を表現するのは、かなり難しい。そうでなくとも、イラストというのは、単純に「似てるか」「似てないか」という方向へ話が移りやすい。「似顔絵」とも言うくらいだからな。やはり写真でないとダメだ。 ---------------------------------------------------- [088] 2000年 7月17日(月) 「光と影の現象」 今夜(日付が変わり、昨日から今日にかけて)、まれにみる長さの皆既月食が見られた。「月食」とは言うまでもなく、「太陽」、「地球」、「月」が一直線に並び、地球の影が月に当たる現象である。 曇った地域もあったようだが、我輩の住む松戸市では快晴だ。 住宅街では三脚を立てる場所もなく、ベランダからの撮影となった。使用したのは「キヤノンAE−1プログラム」と「NewFD500mmレフレックス」。 500mmは中古で購入したものだが、本格的に使ったのは今夜が初めてだ。逆に、これ以降は使う機会は無いかも知れない。 しかし、500mmの威力は大したものだ。十分とは言えないが、そこそこ月が大きく見える。あまり長時間の露光では、月の移動が写ってしまうことだろう。最長30秒の露光を与えてみたのだが・・・。 皆既食中の月は、ほとんど見えなくなるほど暗くなったが、僅かに赤みを帯びているのが確認できる。これは、地球の大気層を貫いた光が色を帯びているため、その光の当たった月が赤く染まるということになる。風景の赤外線写真の例でもそうだが、赤い色というのは大気中で吸収されにくく、透過力が強い。 山々が赤く染まる「夕映え」も、月食の色と同じ。山に当たっている光がそのまま通過して月に当たれば、月食の色となる。 もし月から見れば、そこは日食の世界となる。暗黒の空に浮かぶ太陽を、それより遙かに大きな地球が覆い隠す。いや、月から見た場合、地球は不動であるから、「太陽が地球の中に隠れてゆく」と言うほうが正確か。 その時、闇に浮かぶ地球の輪郭は、赤く染まって見えているに違いない。もし月に天文学者が存在したならば、地球に大気の層があることを、この赤い輪郭によって知るだろう。 <月から見た月食の様子(我輩の想像)> <<画像ファイルあり>> しかし同じ現象でも、見る立場によって風景が変わるというのも不思議なものだ。当たり前と言えば当たり前なのだが、頭の中でその様子を想像すると、その不思議さに心を打たれる。しかも、つい先ほど我輩の目の前で起こった現象だ。我輩の心は距離を越え、月に到達し、その風景を見る。 それはあたかも、レンズの光学設計者が、コンピュータ・シミュレーションによって光路をトレースするようなものだ。論理的に光の道筋を辿っていけば、見ることの出来ない風景も、自ずとその姿を現す。 光と影が作り出す現象は、数時間を経て終わった。静かな夜、月はいつものように明るく輝いている。 今頃は月でも、いつもと同じように太陽が輝いていることだろう。 ---------------------------------------------------- [089] 2000年 7月18日(火) 「続・長期保存」 カメラ長期保存については、以前ここで書いた。しかしよく考えてみると、カメラはある程度密閉されている。ましてや防滴仕様のカメラボディなど、カメラ内部の空気が出入りすることは難しいと思われる。 そうなると、いくらフロンガスで満たしたケースの中で保管しようと、カメラ内部での金属の腐食や油の酸化は避けられないだろう。これではマズイ。 やはり充填ガスでは保存は望めぬか? しかし1つ方法を考えるとすれば、加圧することかも知れない。「加圧」とは大げさな言葉だが、これから夏に向けて気温が上がっていく。そうなると、気体の圧力が微妙に上昇するに違いない。日中と夜では気温が上下するだろうから、カメラ内部の温度変化が周囲よりも若干遅れるとすると、圧力の変化によってフロンガスがカメラ内部を出入りするとは考えられないだろうか? いくら防滴構造だと言っても、圧力の掛かる状態では、気体の圧力はどこかに抜け道を探すだろう。 これは頭の中で我輩の都合の良い方向へ勝手に想像したことだ。現実にはこんなに都合良く行かないという考えも、もちろん成り立つ。人間がどう考えようとも、現実というのはたった1つしか答を持たぬ。 やはり、カメラは消耗する(使用する)ことなく保存するのは難しいのか・・・? 多くのカメラを1つ1つ手入れして維持するのは根気と慎重さが必要だろう。できればガス充填により、タイムカプセル状態で眠らせておくのが理想的だったのだが。 拳銃の世界では、「コルト・テキサスパターソン(No.5)」という150年前のリボルバー拳銃が、完璧な状態で保管されている。写真で見る限り、キズはおろかサビ一つ無い。やはり丁寧に磨いてるのか。詳細は不明だ。 とりあえず、その辺の空気にさらしておくよりは、現在の状態のほうがまだましだと言える。数年後には、もっと良い方法が手軽に実現するかも知れないしな。 現状維持で少し様子を見るか。 ---------------------------------------------------- [090] 2000年 7月19日(水) 「コンタックスN1に見る」 コンタックスのAF新システム、「コンタックスN1」が発表された。 従来のマウントとは互換性の無い「Nマウント」が採用されている。細かいディテールは不明だが、少なくとも、以前「京セラ」ブランドで出したAF機の失敗を繰り返さぬよう、かなり練ったカメラだと推測できる。他社のカメラを研究し尽くし、将来的な展開も考えているに違いない。新マウントへの移行も、現在のスペックということよりも、将来的なスペックを見越した上での決断のはずだ。 AFでありながらMFの操作性も強調していることから、従来のMFは切り捨てるつもりらしい。 コンタックスの社内でどのような決断がなされたのかは知らないが、他社とは毛色の違うカメラを作るメーカーであるため、一つ間違うとユーザー離れを招くことになる。バクチとまでは言わないが、かなりのリスクがあるだろう。もちろん、マーケティングは十分にやったろうが、あくまでマーケティングは傾向を知るための手段に過ぎず、そのデータをどのように解釈すべきかは受け取る人間の立場によって変わってくる。 しかしコンタックスが、このようにマウントを切り替えてまでAFシステムを導入するとは、余程、MFというものが儲からないのだろうか。それを考えると、この新システムが、コンタックスの命運を賭けたものだと想像出来る。もっともその気構えでなければ、コンタックスのAFへの道は険しい。 厳しいAF競争の世界では、後から割り込むのは至難の業となる。AFでコンタックスの新時代を拓(ひら)くのか、あるいはAFと共にコンタックスブランドを過去のものにするのか。まさしく背水の陣を張る覚悟と見た。 さて、コンタックスの将来的なる展望とはいかなるものか。それは、「液晶ビューファインダー」に垣間見ることができると我輩は考える。 この「液晶ビューファインダー」、単にファインダー内の映像をモニタリングできるというものではなく、露出補正の具合を液晶画面の明るさで感覚的に知ることができる。現時点では、カメラの接眼部にCCD受光部を取付け外部液晶モニタに表示させるようになっており、洗練されているとは言い難い。しかし、ゆくゆくはCCDと液晶モニタをカメラに内蔵させるつもりなのは間違いない。これは、我輩が以前ここで書いたことが現実味を帯びてきたことを意味する。 しかし、これを実現させるのはニコンが最初のはずだと思っていたのだが・・・、思わぬ伏兵が潜んでいたというわけか。 ニコンのような、報道を相手にするメーカーならば、このような液晶表示システムは失敗の許されない場面で活躍するだろう。それをコンタックスがやることに意味があるのかは分からぬが、最初の凄みが肝心だという一心で、洗練されないプロトタイプを敢えて出したか(いわゆる「プロパガンダ」として)。 唯一明らかなことは、このようなアイディアは他メーカーによってマネされるのは必至だということだ。その時になって、ユーザーがわざわざコンタックスを選ぶかどうか。それは、これからのカメラ作りに掛かっている。 うまく「コンタックスらしさ」を製品に活かし、独自のニッチを獲得できれば、未来は明るい。しかし、全面的に他社の生態系に割り込もうとするならば、いずれコンタックスというブランドは過去のものとなろう。 ---------------------------------------------------- [091] 2000年 7月20日(木) 「電池切れ」 電子式カメラのアキレス腱の1つ、「電池切れ」。それは、我輩のメインカメラである「ニコンF3」も例外ではない。 バッテリーチェック機能を持ったカメラは事前に電池切れのチェックが可能であるが、F3の場合、「ファインダー内に液晶による露出表示が行われるかどうかで確認します(取扱説明書より)」という変なチェック法しかない。「車が動かなくなったら、その時がガソリンの切れた状態です」と言われているような感じだ。こういうのを「バッテリーチェック」と言うのか? 単なる「動作チェック」という気もするが・・・。 F3の電池は1年くらい保つらしいが、その長さゆえ、電池に対する気構えも薄れてきてしまう。実際には、F3で電池切れになったという体験は今まで無かったのだが、だからといって油断してもいい理由にはならない。 我輩が電池で困ったことは、恥ずかしながら、過去に1度ある。 ある時、「ゼンザブロニカSQ−Ai」を持って撮影に出掛けた。ところが、いざシャッターを切ろうとしても、シャッターは反応が無い。急いでバッテリーチェックをすると、赤色LEDが全く点灯しない。電池切れだった。 しかしおかしなことに、電池は1ヶ月前に入れ替えたばかりなのだ。だからバッテリーチェックもしていなかった。 どうやら、AEファインダーを本体に装着した状態では、スイッチを切っていても電池が消耗するらしい(あるいはこのAEファインダーの不具合かも知れない)。 普段は露出計の付いていないウェストレベルファインダーを使っていたのだが、たまたまAEファインダーを本体に装着して保管していた。 「ゼンザブロニカSQ−Ai」は電子シャッターのため、電池がなければ全く動かない。単3電池のように、どこでも手に入るような電池ならなんとかなったかも知れぬが、必要なのはボタン電池4個。 結局、その場の撮影は諦めざるをえなかった。 電池の問題は面倒だ。横着者の我輩には、全く頭が痛い。 電池というモノは、使わなくても自己放電する。湿度が高ければその速度は更に速くなる(空気が電気を通してしまうワケだからな)。スペアとして用意した電池も、管理がきちんとされていなければ意外に早く減っていくことになり、スペアとしての目的を為さなくなる。 結局、電池の交換された日付を記録し、定期的に交換するべきなのだろう。スペア電池も、非常食のように長期間放っておかないように気を付ける。しかし、経済上、そして環境衛生上、電池の交換は最小限に抑えたい・・・。 昔、リコーからソーラーバッテリーを備えたカメラが発売されていたが、設計者は我輩と同じようなことで苦労したのかも知れない。腕時計も同じようにソーラーバッテリーのものがあり、アイディアは決して悪くないが・・・、あまり欲しくなるようなカメラでなかったのが残念だ。 腕時計に学ぶなら、今度は、自己発電(キネティック)カメラか? ---------------------------------------------------- [092] 2000年 7月21日(金) 「逃げ遅れたレンズ」 大学時代、つまらない講義に出ると、外の気持ちのいい天気のことが気になって仕方がなかった。それは我輩だけではなく、他の多くの学生も、また同じ心境である。 講師が黒板に向かっている間に、忍者のように抜け出る者、多数。講師が振り向くと、誰か座っていたハズの席に人影は無い。しかし、講義は淀み無く進められて行く。 講義をマジメに聴いているように見える学生も、実は講師の行動を観察し、抜け出すチャンスをうかがっているに過ぎなかった・・・。 ニコンのマニュアルフォーカスレンズのラインナップはかなり縮小されている。同じ焦点距離のレンズが複数あれば、安いほうから消えてゆく。それも、ちょっとヨソ見している間に、こっそりと消える。まるで、大学時代の講義の時を想い出す。 我輩が欲しかったレンズはいくつかある。 「フィッシュアイ16mmF2.8S」は、欲しくても生産終了になってしまったレンズのうちの1つ。これは魚眼レンズで、広い範囲の景色をドアスコープで覗くがごとく撮影できる。定価10万円だったが、他の魚眼レンズに比べれば最も安いレンズであった。 もし、雲量測定などの学術調査に使用するのであれば、130万円近い「フィッシュアイ6mmF2.8S」などはそれほど大した金額ではない。しかし個人で買うのは不可能だ。年中、魚眼レンズで撮るならともかく、一般人が使うとすれば魚眼レズの稼働率はかなり低いだろう。そんなものに、とても130万円など出せぬ。 しかし、稼働率は低くても、やはり魚眼レンズは押さえておきたいレンズである。そうなると、10万円の「フィッシュアイ16mmF2.8S」は、手の届く貴重な魚眼レンズだったのだ。 しかし・・・、たかが10万円、されど10万円。すぐに用意出来るようなら苦労はしない。他に必要なものもある。一時期、支出の大部分をパソコンへの投資に割かれていたことがあり、いつ使うか分からぬ魚眼レンズの優先順位はかなり低かった。そして、振り向いた時にはもう、そのレンズは姿を消していた。姿を消すと分かっていたなら、もっと優先順位を上げていたろうに。残念なことだ・・・。 ところで今回、その貴重なレンズを新品で購入したという方を、インターネット上のカメラ関係の掲示板で見つけた。我輩は自分の目を疑ったが、その掲示板にはレンズ購入の経緯が書かれてある。そしてなんと、在庫があともう1箱あるという。 逃げ遅れたレンズを、ついに見つけた。 我輩は早速、その情報を書き込んだ方に問い合わせ、店を教えて頂いた。その方は、我輩の問い合わせに親身に答えてくれ、通販専用の電話番号なども教えて頂いた。 そしてめでたく、昨日の午後、そのレンズを手にすることに成功した。定価10万円に対し、7万円プラス消費税。 情報を頂いた方には、本当に「感謝」という気持ちしか無い。 今回、既に資金は底を尽き、一文無し状態。しかし、ここで逃しては、もう2度と新品でお目に掛かることなど無いだろう。そう考え、我輩は借金によってこのレンズを購入した。後悔しないための価値判断である。 しかし、逃げ遅れたレンズというものは、どこかにあるものだな。もし、全ての「フィッシュアイ16mmF2.8S」が目くばせをして一斉に消えていたらと思うとゾッとする。 掲示板、情報提供者、そしてレンズ、これらの出会いすべてに感謝し、合掌したい。 〜合掌中〜 下の写真が、今回のレンズ外観と、そのレンズで撮った写真だ。写真がモノクロなのは、カラーでは費用も掛かり、上野のヨドバシカメラまで出なければならず、自家処理できるモノクロにしたからだ。 <<画像ファイルあり>> <<画像ファイルあり>> ---------------------------------------------------- [093] 2000年 7月22日(土) 「マニア」 「カセットデッキ」、「FM/AMチューナ」、「アンプリファイヤ」、「レコードプレーヤ」、「グラフィックイコライザ」、「CDプレーヤ」、「D/Aコンバータユニット」・・・。 これらはオーディオの世界では、それぞれ単体の機器だったものの名称だ。 それぞれに名機と呼ばれるブランドや機種があり、オーディオマニアたちは、それぞれを自分で吟味し、1つ1つ購入していく。その結果、1つの「ステレオ・コンポ」が構築される。この組み合わせによっては、ほとんど世界に1つしか無いステレオコンポにもなる。「コンポ」とはすなわち、「コンポーネント」。「組み合わせ」という意味である。 機器にはそれぞれ一長一短がある。例えばスピーカーの中で、「小音量では良い音が出るが、大音量では音が割れる」ものや「小音量では音がかすれるが、大音量では良い音が出る」ものがあったとすれば、当然、ニーズによって選択が変わることになる。 マニアたちは、自分の組み合わせこそが最高であり、自分の「個性」であると感ずる。これぞ、趣味の醍醐味と言えよう。「良い音」という共通の目標を持ちながらも、そこに達するまでの経路に1つとして同じものが無い。 ところが、最近のオーディオではデジタル化が進み、コンポの構成機器も統合されて行った。CDの自動編集機能、オートスタート録音など、機器相互の制御が進むと、純正品以外の機器はもはや使えない。 こうなると、もうマニアの心は冷める一方だ。「良い音」を手軽に楽しめるようにはなったものの、最高という程ではなくなり、平均的なものになってしまった。 (この後、オーディオマニアたちはPC/AT互換機の自作へ鞍替えすることとなる。そこには、忘れていたコンポの楽しみがあった。) さて、例によって長い前置きだったが、どうだろう、カメラの世界でも同じようなことを感じないか?手軽に良い物を求めようとする世の中の流れによって、カメラもどんどん「オールインワン化」し、周辺機器も専用化していった。 シンクロソケットやケーブルレリーズさえ汎用のものが使えない。そのくせ、自分の不要なものばかり詰め込まれ、邪魔で仕方ない。 オーディオ以外にも例えるなら、「十徳ナイフ」とも言える。 別に十徳ナイフが悪いとは言わぬ。便利さはこの上ない。しかし、それぞれ専門の道具に比べれば、勝負にならないことは事実だ。便利さと引換えに失ったものがあるのは否定出来ない。 カメラの世界では、全てのナイフが十徳ナイフへ変わろうとしている。マニアはそれに抵抗するが、いかんせん、数が劣勢でジリジリと押され続けている。寄り切られるのも時間の問題だ。 しかし今の時代、「少量多品種」がトレンドではないのか。ニーズに合わせた、きめ細かい商品の提供が「趣味」の分野では絶対条件だと思うが。 御輿(みこし)をかつぐマニアがいなくなれば、メーカーのブランド力も消えるんだぞ。オーディオの世界がそうだったろう? ---------------------------------------------------- [094] 2000年 7月23日(日) 「心霊写真(その2)」 前に書いた、例のもう一つの心霊写真が出てきた。 注意深く見ないと、単なる失敗写真として見過ごしてしまいそうなその写真。よく見ると、なぜこのように写ったのか説明がつかない。 我輩が小学校高学年の頃から飼っていた愛猫の写真である。これは、高校を卒業する1ヶ月以内に撮影したものと記憶している。 この写真を撮って約1週間後、このネコはこの世を去った。写真に撮った時点で既に身体も弱り、毛並みも悪くなっていた。 最後の1枚というものではないが、最後から4枚目くらいの写真になってしまった。 カメラは「キヤノンAE−1プログラム」、ストロボは「キヤノン188A」。この組み合わせでは、シャッタースピードは自動的に1/60秒固定となる。従って、シャッターが開いている間にカメラが動いてしまったということはあり得ない。仮に、たまたま不具合があってシャッターが遅れたとしても、音で気付く。 この写真は縦位置で、シャッターボタンを上にして撮影した。つまり、クリップオンされたストロボは左側から光を当てていることになる。 ネガを見ると、フィルムに写ったコマのフレームより外側には何も感光していない。これにより、シャッターを切った瞬間に写ったことが判る。 また、この白い部分全体が半透明として写っているので、物体がアウトフォーカスして写ったものでもない(芯が無い)。百歩譲って、カメラのストラップが上部から垂れてレンズの前を覆ったと考えても、かなり前方に垂れていないとストロボの光が当たらず、そうなると白くは写らない。 何か意味のある形(顔や手など)が写っているワケでもなく、ただ、不思議な写真としか言いようがない。これを「心霊写真」と呼ぶべきかどうかは議論が分かれよう。 そう言えば、書いていて思いだしたが、中学の時も心霊写真っぽいものが写った記憶がある。 「クラッシャージョウ」と呼ばれていたヤツと、もう一人友人K、そして同じクラスの女子2人、そして我輩の5人で心霊写真を撮りに行こうという話が持ち上がった。もちろん、本物の心霊写真など簡単に撮れるはずもない。そこで、クラッシャージョウは2重露出でトリック撮影をしようと提案した。我輩たちは面白ければ別に何でも良かった。 撮影は、昼間の墓地だったのだが、そこは田舎の墓地である。ほとんど林の中に墓があるという感じで、あまりいい雰囲気ではなかった。 クラッシャージョウは、愛用の「ペンタックスK2-DMD」で小難しい撮影をやっていたが、我輩と友人Kは、普通に撮影するだけだった。 後日、そのフィルムを現像して見ると、その友人Kが写っているカットがあった。こちらにカメラを構えている。 (我)「ホレ、おまえが写真に写っとっちゃ。」 (K)「おー、墓がバックによう写っちょるのう。」 その時、写真の中の地面に、何か白い塊のようなものが目に付いた。 (我)「ん・・・、なんやろの、これ?」 (K)「?・・・さあ、よう見えんけん。」 虫メガネを持ってきた。 (我)「あ〜、コレ、人間の顔に見えるのう。」 (K)「ハァ?心霊写真ちゅうことか?」 (我)「コエーッ!コエーわ!」 しかし、この友人Kというのは、仲間内でも有名な「強がり者」。我輩が怖がって見せると、逆に平然とした態度をとった。 (K)「なかなか珍しいワ、コレ。」 (我)「おまえ、怖くないんか。」 (K)「別に。」 オイオイ、おまえ、普段よりも落ち着きすぎやんか!と思ったが、口には出さなかった。 (我)「やっぱ度胸があるのう。霊障が怖いけん、おまえにこの写真やるわ。ネガも。」 (K)「ホントか。いいもんもらったわ。」 本当はキサマも怖いくせに。まあ、作戦成功というわけで、その写真は現在、我輩の手元には無い。 ボンヤリ写っているという程度だが、やはり顔らしきものが写っているというのは気持ちが良くない。「君子危うきに近寄らず」と言われておるしな(それ以前に墓場に近寄るなよ)。 その後、友人Kに特別不幸なことが起こったとは聞いていない。ま、なんかあったらシャレにならんが。 問題の写真は、このカットの次だった。 <<画像ファイルあり>> ---------------------------------------------------- [095] 2000年 7月24日(月) 「データ完全消滅の危険性」 昨日の夜、「特命リサーチ200X」という番組で、パソコンやビデオなどのデータ消失についてやっていた。 我輩も、以前この雑文でそのことに触れた。もはや写真も「データ」と呼ばれる時代であり、無視できぬ問題だ。 しかし、我輩は「CDは100年保たないだろう」とは書いたが、まさか20年ほどで劣化の可能性があるとは思わなかった。正直、我輩の所有する音楽CDやCD−ROMのことが心配になってきた。 番組では、「CDのレーベル面に塗布された保護膜が剥離し、アルミ蒸着層が腐食する」と言っていた。では、CD−Rではどうだろう? CD−Rはご存知の通り「金」を反射層として使っている。金であれば腐食はしない。しかし最近、「銀」を反射層に使うCD−Rが増えてきた。コストを下げるためらしい。しかし、銀は酸化しやすい。事実、銀を使ったCD−Rで、一部のメーカーのCD−Rの外周部が酸化するという事故が頻発したことがあった。現在では保護層を厚くすることによって問題は無くなったそうだが、信用なぞ出来るものか。大事なデータには、銀のCD−Rは使うべきではない。 それでなくともCD−Rというのは、外周部でエラーが出やすい。なるべくならCD−Rにはデータを目一杯書き込むのは避けた方が良い。CD−Rでは、貧乏性が命取りになる。 さらに、CD−R特有の色素の問題がある。色素は光に当たると退色する。畳の色が変わったり、本棚の背表紙の色が薄くなるのは誰もが経験する。同じ事がCD−Rでも起こる。雑誌の記事によると、CD−Rの記録面を直射日光にさらすと数日で読めなくなるという。我輩の実験では、室内の蛍光灯であっても、長時間(数ヶ月)の暴露では色素が薄くなることを確認した。退色は紫外線の影響か・・・? 「特命リサーチ」では、「こまめにバックアップを取れ」と言っていたが、膨大な量の記録物をバックアップするのは不可能にも思える。 まず、「音楽CDをMDにダビングする」という点について、MDは光磁気記録なので、データ保持の実績が浅く、将来、裏切られることもあり得る。ましてや、MDは不可逆なるデータ圧縮をしているため、音質は低下する。それがイヤなら、CD−Rへコピーするしかない。オーディオ専用CD−Rでダビングするか、あるいはパソコンを使い、WAVEデータ経由で音楽CD−Rを作る。簡単そうに言うが、数百枚のライブラリを持つ愛好家にはキツイ作業だ。 次に、「ビデオはDVDにダビングする」という点について、これもまだ現実的でない。DVDはまだ普及しておらず、記録できる生ディスクが手に入りにくい。しかも1枚当たり3千円以上もする。高価なバックアップだ。ビデオが趣味になっていると、所有ビデオライブラリもかなりの数に上り、バックアップコストは莫大になる。 しかも、DVDのフォーマットはまだ固まっているとは言えず、静観が必要なメディアだ。DVDレコーダーで記録した映像は通常のDVDプレーヤーでは再生出来なかったりする。先走ると、それこそフォーマット的に孤立状態となり、ビデオのベータのような「後ろ指さされ状態」に陥る危険がある。過去にベータやVHD、DCCなどを買った者は要注意だ。 フロッピーディスクのバックアップについては、ほとんどのものが容易に行えると思う。今どきの媒体なら、フロッピーよりも容量が大きく、複数のフロッピーディスクを1つの媒体にまとめることもできる。ただし、OSのインストーラーや起動フロッピーなどはそのままバックアップできない。何らかのツール(※)を使い、ブートセクタのデータを正しく再現できるように調整してからバックアップしなければならない。そうしないと、再びフロッピーディスクに復元しても、フロッピーからは起動できなくなってしまう。 (※我輩は「VFATBAK」というシェアウェアを使用している) CD−Rのバックアップは、今のところ、CD−Rしかない。DVD−Rが出回るようになれば、複数のCD−Rを1つにまとめることも出来るだろう。ただし、データが高密度であるため、ちょっとしたディスクエラーも損失が大きくなる。デジタルデータは、1バイトの消失であってもファイル全体を白紙化する危険性があるのだ。「特命リサーチ」では、企業のデータ消失の一例が紹介されていたが・・・、かなり悲惨なようだ。 そのような損失を考えると、そのDVD−R自体、さらにバックアップを作る必要がある。つまり、DVD−Rは2枚必要か。 また、パソコンのデータについては、ファイルのフォーマット(形式)によっては再生出来ないものもある。例えば、ワープロソフト「一太郎」で作ったデータは、「MSワード」では読めない。さらに、同じ「MSワード」のファイルであっても、バージョンの違いがあれば読めないこともある。 それ故、できるだけ汎用性のあるデータフォーマットを見極める必要がある。画像ファイルならば「BMP形式」、文書ファイルならば「TXT形式」というところか(それも保証は無い)。 データを自分1人の問題(子や孫は考慮しない)とした場合でも、少なくともデータ保持年数は80年くらいは欲しい。そう考えると、CDで20年というのはかなりショッキングなことだ。 ましてや、子や孫の時代まで残そうとするなら、不可能だと断言できる。それは、データのメンテナンス(常にバックアップを続けること)について、自分の死後は誰も保証しないからだ。なぜなら、皆、自分のデータのメンテナンスに忙しいのだ。1代くらいならまだ何とかなろうが、先祖代々の積み重ねを維持するのはまず無理だ。その点、木簡や和紙ならば、密封して保存したままで大丈夫なのだが。 全く、頭の痛い問題だな・・・。 しかし、もし画期的な解決策を見つけることが出来れば、それだけでビジネスになる。億万長者にもなれるだろう。いや、人類の知的財産を守った功績で、ノーベル賞すら夢ではないと我輩は考える。 あくまでも「画期的方法」でないとダメだが。 ---------------------------------------------------- [096] 2000年 7月25日(火) 「廃液」 最近、かなり暑くなってきた。 現像するにも一苦労で、「T−MAXデベロッパー」などのデリケートな現像液では液温管理に頭を悩ませる。指定の現像温度よりも室温が10度近く高いこともあり、氷水に現像液の入ったポリタンクを浮かべ、液温を調節するしかない(水道水だけではナマ暖かい)。 しかし、フィルム現像というのは億劫だな。 現像タンクの撹拌作業のためにその場を離れることもできず、水に濡れやすい場所では本も読むわけにいかない。フィルム現像中は、ただ、その時間が過ぎるのをひたすら待つしかないのが辛い。 しかも手を抜けば結果に現れるため、やる気の起きる時に一気にやってしまわねばならぬ。 ところで、家庭で現像を行い、その廃液を棄てると、排水口あたりの金具が茶色く腐食することがある。写真用液は酸やアルカリを使うからだ。その金具がステンレス製であっても、やはり錆びる可能性がある。 ステンレスというのは、酸素や水の作用によって表面に皮膜が生成されている。ステンレスが錆びないとされるのもこのためだが、もし表面に傷が付いていたりすると容易に錆びてくるので注意が必要。拳銃に使われる高価なステンレスならともかく、家庭用のものなら尚更だ。 廃液を家庭で流し棄てるには、十分に希釈する必要がある。希釈せず酸やアルカリをそのまま流すのは良くない。まず、下水パイプのどこかに金属パイプを使っているならば、それらの廃液によって腐食が進む可能性がある。 環境への罪悪感もあり、そういう意味からも、自分の出来る限りにおいて廃液を希釈したいと考える。もし、環境に問題ないほど希釈するのであれば、水が何トン必要か分からないが、膨大な水が必要であることは確実か。それこそプールの水に流すくらいでなければダメだ。 しかし個人で希釈するには、風呂場の浴槽を利用するしか無いだろう。そこに水をいっぱいに張り、廃液を希釈する。 仮に、廃液を直接、排水口に流し、その直後に大量の水を流したとしても、細いパイプの中を追いかけていくだけで、高濃度の廃液がしばらく希釈することは無い。どこか排水が溜まる部分があるならば、そこで希釈もされようが、見えない部分のことは我輩には分からない。 もし風呂水を洗濯に利用していないならば、その水を利用して毎日少しずつ希釈して棄てるという方法も考えられる。一度に全ての廃液を処理しようとしなければ、風呂水で十分希釈できるハズだ。 写真用廃液の海洋投棄が中止されてしばらく経つが、個人で出来ることがあれば、やはりやっておくべきだろう。そうでなければ、いつの日か個人向けに暗室用品が発売されなくなるということもあるかも知れぬ。 ---------------------------------------------------- [097] 2000年 7月26日(水) 「離れて初めて知る」 大学時代の4年間、我輩は実家の九州を離れ、島根県松江市に住んでいた。今思うと、その大学時代の写真が少ない。 その頃は、風景などに興味無かったのだが、せめて我輩の身の回りにある風景くらいは撮っておくべきだったと悔やまれる。 松江市とは、山陰の観光都市で、「水の都」とも呼ばれる城下町。 しかし、ここに移り住んだ当初はまだ新鮮味があったものの、時が経つにつれ、名所が名所でなくなっていった。「そのうち撮影しておこう」と思った場所もあったが、その気持ちも、日常の営みの中でボヤけて消えた。 また、アルバイトに行く途中、有名な武家屋敷の前を通るのだが、週に何度も通るため、ほとんど当たり前の存在として感じられ、名所だとは気付かなかった。「そう言えば、観光バスが止まっていたような気がするな」という程度の認識しかないというのが正直なところ。 その名所は観光情報誌などに載っているが、その写真を見ると、あらためてそこに行ってみたくなってきた。数え切れぬほど通ってきた場所なのだが。 撮っておけば良かったと思う場所は他にも多い。しかし実際は、その場所へ赴いても写真に残したことはほとんどなかった。じっくりと撮影のために行ったわけではなく、友人ら数人とちょっと寄ってみたというような、全く計画しないものだったということも原因かも知れない。 車で昼食を食べに行き、その足で、「よし、今から日御碕(ひのみさき)に行ってみようか」とか、「宍道湖(しんじこ)一周してみようか」という話が持ち上がる。それは、その場の思いつきで決まる。 それならば、もっと小さな、いつでも携帯できるようなカメラを持っていれば良かったか。当時は2台(メイン・サブ)の一眼レフは持っていたが、コンパクトカメラなどは持っていなかった。そんな軟弱カメラはカメラとさえ思っていなかった。 松江は観光都市であるが、田舎に変わりない。見どころは散在し、もし今から旅行に訪れたとしても、数日の滞在では、とても全て巡ることなどできまい。地元に住んで初めて撮れるような些細な場所も多くある。そういうのがかえって心に残っていたりする。 写真に全てを残すということに意味は無いかも知れないが・・・、それにしても写真は少なすぎた。 だが、もし仮に、今から全ての見どころを巡って撮影することができたとしても、あの時の、二度と戻らない時間は写しようがない。タイムマシンでもあれば、過去の自分に「今、身近な場所を撮るべし」と忠告することもできようが・・・。 そう考えた時、ふと、思った。 もしかして、未来の自分がまさに同じことを言わんとしているのではないのか。「今、身近な場所を撮るべし」と。 今住んでいる松戸市は松江市のような観光都市ではないが、写真に残しておくべき場所があるのだろうかと考えてみた。それは、あまりに身近すぎて、自分の意識に上らないものか。そこを離れて初めて知るはずの懐かしさとは? 分からなければ、とにかく今、シャッターを切ることか。 ---------------------------------------------------- [098] 2000年 7月27日(木) 「目撃者」 日本時間25日午後11時44分、エールフランスの超音速旅客機「コンコルド」が、パリを飛び立って2分後に墜落した。 乗客乗員全員死亡、地上で巻き添えになった者も含めると113人もの死者を出したという。 我輩がこのニュースを知ったのは昨日のことだった。 しかし、文章でこの記事を読んだとしても、あまり実感が湧かない。航空機の事故など、その日が初めてではないし、死者数も1985年に起こった「日航ジャンボ機墜落事故」に比べれば5分の1でしかない。 しかし、この事故では、墜落直前の鮮明な写真が残されていた(下の写真)。 <<画像ファイルあり>> (Andras Kisgergely/Reuters) このような鮮明な写真を目の当たりにして、初めて写真の威力を思い知る。 この写真が撮影された瞬間では、乗員・乗客はまだ生きていた。ここに写っているコンコルドの機体はグレーの線に過ぎないが、そこには100人もの乗客が死への恐怖に直面している。まさにその瞬間なのだ。 コンコルドの轟音、炎と煙の軌跡、街の喧噪。頭の中で再構築された世界が、止まった映像を動かす。 もしそれが映画フィルムの1コマなら、その前後のコマを想像する。そして更に次のコマ、そして次のコマ・・・。 事故の結末を知っている我々は、この1分後には墜落して全員が命を落とす場面を見る。 さらに想像するなら、いきなり「死の宣告」を突き付けられ、戸惑い恐怖する100人の乗客の姿をそこに見る。長いバカンスの始まりになるはずだったコンコルドが、離陸後、ジュラルミンの棺桶となった。 生きたまま棺桶に入れられ、火葬を待つ心境とは・・・? それは我輩の想像をはるかに越える。 ただ確かなことは、その写真には紛れもない事実が写っている。まさにその棺桶が目の前にある。 その確かな事実を基にした想像は、リアリティを増幅させるに十分だ。 たとえ機体の後ろに伸びる炎が写っていなくとも、墜落直前の写真を見ることによる衝撃は変わらない。 文章では、起こったことが「結果」という形で報じられるが、写真は、事故直前の瞬間が凍結され、その写真を見る者を目撃者とさせる。 ※ 余談だが、航空機の墜落事故ほど生存率の低い事故は無い。自動車や鉄道なら、事故が起こっても必ずしも死者が出るとは限らない。しかし航空機の墜落の場合、生存者がいること自体が珍しい。4人乗った小型機であろうと、500人乗った大型機であろうと、全員が死亡する危険性は同じだ。大型化する航空機でひとたび墜落事故が起これば、恐ろしい数の死者が出る。今回のコンコルドは定員100人と、比較的少人数だった。500人乗りの航空機と比較すれば、差し引き400人が死なずに済んだと言えるかも知れない。 ---------------------------------------------------- [099] 2000年 7月27日(木) 「帰省計画」 夏の長期休暇は、福岡に帰省しようと思っている。 実は去年の夏も帰省したのだが、今回は2年連続で帰省することになった。 (いつもなら3年に1度くらい) 目的の1つは、懐かしいカメラのカタログを探すため。そしてもう1つは、田舎の風景を採集するため。 最近は、田舎でも風景の変化が激しい。出来る限り現在の様子を残しておきたいと思っている。そういう意味を含め、「風景の採集」という言葉を使った。 (こういう場所は、定点撮影をすれば面白そうだ。) もし、旅行という位置付けであれば、軽量な「ニコンFG」を選択するかも知れない。しかし今回はあくまで撮影が目的であるから、頼りないFGはやめておく。 「ミノルタα−9000」も考えたが、コイツは危険だ。この前、電池を入れ替えたら機能を停止しやがった。元の電池に入れ替えても動かない。テスターで調べても、電池の側に異常は無い。どうにもこうにも動かない。手も足も出ない。故障かと諦めかけた。 しかし、電池を入れ替えた後に起こったということが妙に引っかかり、電池を抜いて一晩寝かせておくことにした。案の定、次の日には何事も無かったかのように元気に動いた。よく分からん。トラブルはこれ以降発生していないが、遠出には使いたくない。 それなら「ニコンFA」ではどうか。しかし、我輩のFAはゴールドボディ。まあ、あえてゴールドを使うというのもいいかも知れないが、田舎では相当に目立ち、新聞に載ったりするのでやめておく。ちなみに新聞の見出しは、「金のカメラを使う男、出没す」というところか。 そうなると、いつものF3/T(白)の出番か。軽量とは言えないが、これならシロウトが見れば、金や黒よりも安物カメラに見えて都合がいい。 レンズは「24mmF2.8」と「50mmF1.8」を使う予定。露出計は小型のセコニック。それから、久しぶりにステレオ写真アダプター(ペンタックス製)も使ってみることにする。 去年はどうしたかと言うと・・・、カメラボディは黒のF3を持って行った。「もっとええカメラ買えよ」と父親に言われた、あのF3である。レンズは「24mmF2.8」と「50mmF1.4」。田舎の風景は50mmでは収まりきれず、ほとんどの写真は24mmを使った。そうなると、今年の50mmはステレオアダプター専用となろう(ステレオアダプターは焦点距離50mm、絞り値f5.6でのみ使用可)。このような他に用途の無い、いわゆる「死荷重」となるレンズは、なるべく軽いほうがいい。この「50mmF1.8」は逆輸入モノ。プラスチック鏡胴で軽量薄型コンパクトなり。 しかし、九州まで新幹線で7時間くらい掛かる・・・。いくら撮影機材を減らそうと、本やMDなどの「暇つぶしグッズ」のほうが重くなっては、元も子も無いな。 ---------------------------------------------------- [100] 2000年 7月28日(土) 「見事に騙された」 我輩が小学生のガキだった頃、デパートの切手・コイン売場で、小判のイミテーションを買ってもらった。単に金メッキしてあるだけのモノだったが、我輩はそれを本物だと信じ、友達に自慢したりもした。 本物の小判の価値がどれほどかというのを知らないのだから無理もないが、それがイミテーションだと知った時はガッカリした。最初からそうだと知っていたなら、気持ちの浮き沈みは無かったろう。少なくとも、友達に自慢などしなかった。今さら、「あの小判、実はニセモノだった」などと言えようか。 もちろん、イミテーションにはイミテーションの価値がある。しかしまあ、見事に騙された。 昨日、普通の一眼レフを改造してハーフサイズに出来ないものかと考え、とりあえずニコンFG(クロームボディ)のトップカバーを外してみた。 ところがなんと、トップカバーの裏側はプラスチックがムキ出しであった。「Nikon」のネームプレートがプラスチック製であることは知ってはいたが、まさかトップカバーがプラスチックだったとは・・・。どうりで軽いわけだ。 表面の手触りはまさしくクロームボディのそれで、奥まった部分には緑色のサビが浮いたこともあり、てっきり、金属製だと思い込んでいた。 まあ、FGがプラスチックボディであることは、AE−1と同じく、世間では有名な話に違いない。ただ、我輩はその瞬間まで本当に知らなかった。 それにしても、プラスチックをここまで金属に似せることが出来るというのは大したものだ。 しかしそれにしては、FGよりも後に開発されたはずのAFカメラには、なぜかそのような技術は用いられていない。見ようによっては、まるで開き直っているかのようにも思えるのだが。 よく考えてみると、当時はエンジニアリング・プラスチック(エンプラ)という新素材が登場したばかりで、自動車の部品に取り入れられ始めた時代である。そういう意味で、プラスチックということが「ハイテク」の象徴とされた可能性も否定出来ぬ。 「衝撃に強い」というのが当時のエンプラの謳い文句であったから、AF時代には、あえてプラスチックであることを前面に出したということなのか。あるいは、エレクトロニクスの新時代カメラを象徴していたのか。 FGの時代、カメラがまだカメラらしさを持っていた。人によっては、「それまでの常識にとらわれ、自由にデザインできなかったカメラだ」と揶揄する者もいよう。いずれにせよ、プラスチックであることを隠し、金属のフリをしようとしたのは確かだ。騙すつもりは無かったとしても、何となく裏切られた気分になる。 別にそのことをとやかく言うつもりはないが、もし我輩が、「さすが、金属ボディのFGは違うな」などと、小判の時と同じように言い回っていたらと考えるとゾッとする。今さら、「あのカメラ、実はプラスチックだった」などと言えようか。危うく恥をかくところだったぞ。 ---------------------------------------------------- ダイヤル式カメラを使いなサイ! http://cam2.sakura.ne.jp/