2000/04/05
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表紙

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2.用語集
3.基本操作法
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5.カメラ雑文
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カメラ雑文

[602] 2007年05月20日(日)
「変革の予感」

我輩は複数のパソコンを所有し使っているが、それは複数の処理を無理なく同時に作業するためであった。
例えば、一つのパソコンでビデオのエンコードをしている間、もう一つのパソコンで文章を書く、といった具合である。

これは主に、パソコンの処理に負担をかけないという意味があった。
ビデオをエンコード中に同じパソコンで他の作業をやると、ハードディスクのアクセスが追い付かずにエラーになるかも知れない。キャプチャ中であれば、確実にコマ落ちした。

ところがそれは一昔前の話で、今は最新のCPUやハードディスクの高速接続があるため、キャプチャでもコマ落ちはまず無い。
CD-RやDVD-Rの書込みの場合でも、かなり重い処理を同時にやっても書込みエラーにはならない。

そういうわけで、現在はメインとなる主力パソコン1台でほとんどの処理をまかなうようになった。
もちろん、写真やドキュメントのスキャンやバッチ処理ではサブマシンを使うことはある。例えば同じパソコン内ではフォトショップを2つ起動することは出来ず、バッチ処理をしている間は写真のレタッチが出来なくなるため別のパソコン上で処理せざるを得ないのだ。
しかしそのような例外を除けば、もはやメインパソコン1台で事足るようになっている。

そうなると、途端にパソコンのディスプレイが狭く感ずるようになる。
そこで導入したのが、デュアル・ディスプレイだった。左には1680x1050ドットのワイド液晶ディスプレイ、右には1280x1024の普通の液晶ディスプレイを配置した。

実を言うと、今この瞬間も、ビデオカメラの映像をキャプチャしながら文章を書いている。
もしこれが狭い1つのディスプレイであれば、裏側にキャプチャ画面を隠し、表側にテキストエディタ重ねて作業することになる。途中、キャプチャの進捗(しんちょく)が気になれば、隠れたウィンドウを表に出して見なければならない。場合によっては画面の再描画に時間がかかり、なかなか絵が見えないこともある。
ところがデュアル・ディスプレイならば、左側のエンコード画面をチラチラ見ながら右側のエディタで文章を書くことが可能なのだ。実に効率が良い。

また、左右のディスプレイではそれぞれドットピッチが異なるため、表示される文字や画像の大きさも違って見える。
それにより、文字を表示させるには、右のディスプレイのほうが文字が大きく読み易い。
反面、写真を表示するには、左のディスプレイのほうが大きなサイズの写真でも表示され、しかも緻密感が高い。
つまり、異なる仕様の2つのディスプレイを使い分けることにより、文字を小さくすることなく、そして画像を間延びさせることなく、それぞれに適した作業が可能となったわけである。

もし、画像ならば画像、文字ならば文字、というどちから一方の作業しかしない人間であれば、このような変則的なデュアル・ディスプレイは必要無かろう。インターネットブラウザを2つ3つと並べて表示させたいとか、写真を広く表示させたいなどという用途には向かない。
我輩は文字と画像を両方扱うため、このような環境となっているのだ。

しかし、パソコンの汎用性を考えると、やはり我輩のように文字や画像を両方使う人間は一般人にも多かろう。インターネットの情報を読んだりメールを書くために「文字」を、デジタルカメラの写真を観るには「画像」を取り扱うことになる。
我輩の場合、それらを同時にやろうとしているだけであり、基本的には一般人の用法と変わるまい。
ただし一般人は、質の違いに気付きにくく、改善したり向上したりという発想はなかなか無い(パソコンに慣れるだけで精一杯という面が大きい)。

さて、写真表示の件については、リバーサルフィルムを使っている者であれば感じていることと思うが、現在のパソコンディスプレイの表示は緻密感が無く、とても写真鑑賞に耐えられるものではない。
雑文559「スクロール鑑賞のすすめ」でも書いたように、画像の全てを表示させようとしてピクセル等倍でディスプレイに表示させると、画面を大きくハミ出してしまいスクロール無しでは見ることが出来ない。かと言って縮小表示(表示上の縮小)あるいは縮小処理(画像の縮小)をすると、画像そのものの情報量が激減することになる。
中には、緻密感を擬似的に補うためにシャープネス処理(ソフウェア的にアンシャープマスキングを施すなど)やコントラストを上げて誤魔化す者もいる。我輩などはその一人だ。

確かに、シャープネス処理やコントラストを上げたりすれば、色の境界線がハッキリするためメリハリが効いて解像感が増すように見える。解像感が増すと自ずと緻密感も感ずる。
しかしそれは錯覚であり、ジックリと観れば解像感や緻密感が無いことが判る。そもそもパソコン画面は四角いピクセル単位でしか表現出来ないため、ピクセルにまたがる色の境界線は混色で表現するしか方法が無いのだ。つまり、ボヤケる。それを無理にどちらかの色に揃えれば(ソフトウェア処理すれば)ボヤケが消えるが、色の境界線上の位置がズレてジャギーになったり、そもそもピクセルよりも小さな表現は潰れて見えなくなってしまう。


このような、橙色と白色で作られた画像があったとする。
(格子は1つ1つのピクセルを表す)


このように縮小してみると・・・。


ピクセルをまたがる部分の境界線は橙色と白色との混色で塗り潰すしかない。


その結果、画像の輪郭はボヤケる。


混色部分を飛ばすとシャープに見えるが、ジャギーや形の崩れが著しい。




元画像

縮小画像


これを防ぐには、何よりもディスプレイのピクセル表示そのものが小さく、高密度になる以外に無い。
雑文553「超精細ディスプレイ」では、200dpi(1インチの長さの線分上に200個のピクセルが並ぶ密度)だったが、これがさらに300dpiくらいになれば、少なくとも紙印刷程度の解像感が実現出来るはず。
さらに、印刷でも高精細なものはあるため、400dpiなどというものがあればそれはそれで違いを感ずるだろう。

もちろん、あまり細かくしても人間の眼では違いが分からなくなるという意見もあるが、サブリミナル効果などの例もあるように、意識上では分からない感覚というのもある。えてしてそういう感覚が、強く人間を動かす。
そういうことが理解出来なければ、人間に聞こえないはずの波長をカットした音楽CDやMDなどがアナログに比べて音が硬くなったと言われても、理屈の正当性を主張する人間が物事の真理に近付くことは無い(参考:雑文495「理屈」)。

閑話休題・・・話が少し脱線したが、とにかく、ディスプレイの画素密度が向上すると、写真を素直に表現することに繋がるのである(輝度と色数の問題は残っているが)。


通常ディスプレイではハミ出してしまう大きな元画像

高精細ディスプレイでの表示
     

通常ディスプレイではハミ出してしまう大きな元画像

通常ディスプレイでの縮小処理

そうは言っても、雑文553「超精細ディスプレイ」で書いたように、ディスプレイの画素密度が高くなると、文字表示が非常に小さくなり、目も疲れてくる。そうなると作業効率も低下する。 我輩や一般人は文字と画像を同じパソコンで取り扱うため、その問題は非常に影響が大きい。特に一般人は問題を意識出来ないことから、漠然と「長時間パソコンすると疲れるなあ、眼鏡が合ってないのかなあ、それとも案外、イスが合ってないのかも」などと思うだけである。
そうなると、「パソコンで写真を表示させるというのは無理があることなのか?」と思ってしまう。

ところが今年になって、画期的とも言える「Windows VISTA」が発売された。

このOSが今までと決定的に異なる点は、文字やアイコンなどのGUI部品の取り扱いにある。つまり、ディスプレイ解像度の大小に影響されず、文字やアイコンを一定の大きさにするということが可能になったらしい。それはつまり、いくらドットピッチが小さくディスプレイの画素密度が高くとも、文字やアイコンが小さくなって見づらくなるようなことがない。
だから、どれほど超高密度な解像度のディスプレイが登場しても、文字やアイコンの大きさはそのままで、写真表示のみが緻密な画質となるのだ。

我輩は、現時点では「Windows VISTA」に触れたことがないため、その使い勝手は不明だが、少なくともWindowsの進化がそういう方向にあることは確信した。
高画質画像の表示と文字表示の共存。それは、我輩が以前から熱望していたことである。

今後「Windows VISTA」が普及するに従い、液晶ディスプレイメーカーやグラフィックボードメーカーがそれに対応するよう超高密度なディスプレイ環境を開発してくれることを期待する。ナノテクノロジーを駆使し、ぜひとも頑張って欲しい。
そしてゆくゆくは、1,000万画素のデジタルカメラ画像であっても、ピクセル等倍表示でありながら全体が見えるようなディスプレイが登場することを望む。