2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
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カメラ雑文

[584] 2006年10月05日(木)
「学校の勉強」

「微分や積分など学校で習ったものの、社会に出て一度も使ったことがないから無意味。」
このような意見を時々聞くことがある。
学校というのは職業訓練の場であるべきという立場の意見だ。

この件については、雑文255「写真だけを知るなかれ」を読めば分かるように、様々な分野の知識を網羅することによって深い洞察力を得、新しいものに対する理解を深めるためであると書いた。
今回は、これを補足したい。



人は、個人差もあろうが社会に出て40〜50年くらい働くことになる。ほぼ半世紀である。
この間、時代は大きく変わる。
もし50年先が想像出来なければ、逆に50年前を振り返ってみれば良い。その変化には驚くであろう。

例えば電話通信業界では、昔は単純に電話線によるアナログ音声の伝達だけで済んだ。
しかし現在では、携帯電話が普及し、電波やデジタル情報を取り扱うようになった。また、電話はインターネットとも親和性が高く、サーバ絡みの知識も欠かせぬ。

他にも自動車業界では、昔は機械工学的な部分が車の技術のほとんどだった。
しかし現在では、エンジンの電子制御化や安全技術の開発、そして電気自動車に関連してバッテリーや電気モータ(※)の技術が欠かせなくなっている。
また、リサイクルのために材料の面でも様々な工夫が必要になってきた。
(※"モータ"は車の分野では内燃機関という意味もあるため"電気モータ"と書いた)

印刷業界では、昔は1文字ずつ文字を打っていく手動写植だった。
しかし現在では電算写植を経てDTP(卓上出版)となり、コンピュータ無しには考えられなくなった。

これらは一部の例であるが、各業界どれをとっても、昔と全く同じ方法で仕事をしているところは無い。
伝統工芸でさえも、現代の好みに合わせて常に改良を重ねているのである。

もし、学校で学ぶ内容が、将来の職業に必要なことだけだったとしたらどうなるだろう。
複雑な社会においては将来を見通すことは難しいため、その時点で必要と思われる内容でしか教育するしか無い。
だが、実際に会社に就職してその内容だけで本当に役に立つだろうか?

確かに、業界それぞれに根幹となるノウハウは昔も今も変わらないことが多い。
だがそこから先に進めず仕事の範囲が狭まる可能性は大いにある。あるいは会社が別の業務に鞍替えして取り残されてしまうかも知れない。転職したとしても、業界全体の流れがそうであれば、行き場を失う。あたかも、特殊な進化を突き詰めて環境変化に対応出来なくなり絶滅した恐竜のように・・・。

「時代が変わってもその頃には管理者になって技術的なことには直接関与しないから問題無い」という考え方もあろう。
ただそうだとしても、"特定の分野はスペシャリストだがそれ以外は完全に小学生以下"というような管理者などに居場所があるとはとても思えぬ。

カメラ業界などは、そういう意味で非常にシビアな世界であろうと思う。
かつてはカメラと言えば、機械仕掛けの塊のようなものであったが、下記のような大きな改革があった。

・露出計回路の開発
・シャッターの電子化
・露出計とカメラの連動による露出自動制御
・高性能モータの採用(コアレスモータや超音波モータ)
・日付写し込み技術の開発
・ストロボ調光技術の開発
・新ガラス材導入
・レンズ設計のコンピュータ化
・AF化
・分割測光による撮影シーンのパターン化
・デジタルカメラ化

もし、管理者が機械技術以外の知識が完全に小学生以下であるとしたらどうなっただろう。
「あん?なんでカメラにモータなんか必要なんだ?そもそもモータって何だ?」
「設計は人間様のセンスが必要なんだ、電子計算機で簡単に出来るもんか。」
「CCDって何だ?ビデオカメラに使ってるやつだって?そんなものが写真に使えるわけないだろうが。」
(※CCDなどを学校で直接教わることはないが、目の網膜の仕組みを知っていれば比較的すんなり理解出来よう)

もちろん、専門的な知識を求められているわけではない。しかしながら、基礎的な知識すら無ければ、話さえ通じないのである。
これはやっかいだ。

新しい分野に対する理解が管理者に無ければ、あるいはその理解が遅ければ、直ちに競争から脱落することになる。
確かに特定の分野を突き詰めればある程度の競争には打ち勝つだろうが、いつかふと、後ろを振り返ってみれば、競争相手は別の場所で争っており自分だけが取り残されていることになる。

ノウハウや技術というのは一朝一夕に育つものではないため、ある種の洞察を以って「この分野が将来主流になる」と見通しを立てねばならぬ。
そのためには、浅いながらも広い知識をあらかじめ持っておかねばならない。

人の一生は長いのであるから、好むと好まざるとに関わらず、その間に幾つもの時代を経ることは必然。
それに対応出来るようにするには、役に立ちそうにもない内容であっても学校教育にて勉強しておかねばならない。
何しろ、本当の意味で自分に必要とされる知識を特定することは不可能なのだ。一見して全く関係無さそうな知識であっても、人生を左右する決断の基となるかも知れない。