2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[167] 2000年10月25日(水)
「我輩の子供時代の風景」

写真が「便利だなあ」と思うのは、写す範囲を限定出来るということだ。見せたくない部分は写さない。
写した写真のみで構成すれば、撮影者の意図によってイメージを作ることが出来る。
時にはそれが真実をひっくり返したり、特定のイメージだけを強調してしまったりすることもある。

例えば、外国人が日本に旅行に来て写真を撮る。しかし、どんな国にもあるようなものにはシャッターを切ったりはしないだろう。外国人にとって珍しいと思われるもの、あるいは日本的だと思われるものが被写体として選ばれることになる。
それは「スシ」、「ゲイシャ」、「フジヤマ」、「カブキ」の写真かも知れない。
だが、その写真を見た本国の知人・友人たちは、日本という国の印象を、その写真から受け取ることになる。まさか、「日本人はスシを主食とし、カブキやゲイシャの恰好をしてフジヤマを崇拝する民族である」とまでは思わないだろうが、少なくとも印象としてはその光景が浮かんできても不思議ではなかろう。
我輩などは、アメリカ人はハンバーガーを主食にしているというイメージが「無意識に」浮かんでくるからな。

このように、イメージの力というのはかなり大きい。前にも似たようなことを書いたと記憶するが、逆にこれを効果的に使えば、イメージの再認識に大いに役立つ。


去年(1999年)と今年(2000年)の夏、我輩は実家の風景を撮ってきた(参考「雑文128」)。
そこには、子供の頃からすっかり変わってしまった風景もあれば、全く変わらない風景もあった。我輩はその両方を撮ってきたのであるが、変わらない風景だけをピックアップして並べてみると、子供時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥る。

もし、この土地を知らない者にこの写真を見せれば、我輩の子供時代の風景を垣間見せることが出来る。余計な所は見せない。これが大事。

以下の写真は、我輩の子供時代の風景をイメージしたもので、全て現在形で説明することにする。


我輩の子供時代の風景
(福岡県京都郡豊津町)


「今川」の下流付近。ここでは、セキレイの他、カワセミを見ることが出来る。

学校の授業でよく写生をする国分寺の三重の塔。

「祓川」の中流付近。ここは急に深い場所があったりするので、子供たちだけで泳いではいけないことになっている。

同じく「祓川」の中流付近。どんな魚が獲れるのか見に行ってみたいが、オイちゃんに見つかると怒られるので、ここから見るだけ。

友達の家へ行くのに近道をする時には、坂の多い道を行くことになる。自転車だとかなりキツイ。

通行禁止になっていると余計に行ってみたくなる。「強がり者K」を誘って探検してみようか。

国鉄田川線の線路。遮断機が無いから、ディーゼル音がしたら気を付けろ。

稲穂が風にそよぐ夏。クマゼミの声が遠くの林から聞こえてくる。

夏休みは静かなもんだ。全国の小学生を苦しめる逆上がりの練習、この鉄棒で何度もやって、やっと出来るようになった。

オカチンの家で遊んだ帰り道の風景。ここから自宅までは下り坂である。楽チン、楽チン、オカチン。

この前、ここでオカチンと一抱えもあるライギョを捕まえた。この近くに住む「八ちゃん」の家に持って行くと、「一週間前、オレが逃がしてやったライギョだ」と言われた。我輩とオカチンは疲労の中で力無く言った。「もう一回逃がしてやってくれるか・・・?」

この前、蓑島(みのしま)に来た時は満ち潮だったが、今は引き潮。今ならここから海を渡って蓑島に行けそうだ。