2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
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5.カメラ雑文
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カメラ雑文

[162] 2000年10月19日(木)
「映像と文字」

「百聞は一見にしかず」
これは、映像というものが直感的で分かりやすく、文字(言葉)よりもはるかに多くの情報量を持っていることを表した言葉である。
こう考えると、映像と文字は全く別の概念の情報であるかのように思えてくる。しかし、必ずしもそうではない。

文字を読んだ時、我々はその言葉に一番近いイメージを自分の頭の中に探す。
また逆に、過去の風景を思い出す時、記号化されている記憶を元に映像を組み立てる場合がある。人間は、必ずしも写真のように客観的な画像を記憶しているとは限らない。例えば他人の言葉が刷り込まれて映像記憶になってしまうこともあるのだ。

このことから、人間が受け取る情報というのは、文字と映像では同じ概念を持つと我輩は考える。


写真というのは、それを観ている者に判断を委ねる部分が多い。
女性のポートレートを写したとしても、それが美しい女性かそうでないかは、観る者それぞれが感覚する。

一方、文章で「美しい女」と書けば、それは誰にとっても「美しい」という共通認識となる。
よく「絵にも描けない美しさ」という表現があるが、これはつまり、読者の頭の中でそれぞれの美しさを想像させるわけだ。

しかし、もし映像と文字が同じ概念を持つとするならば、写真でも似たような表現が可能なはずだ。

例えば女性の後ろ姿だけを写す。そうすると、正面の姿は写真を観る者の想像任せになる。いや、それでも好き嫌いが発生するなら、手や脚だけの写真だけでもいい。究極的には人物さえも写さず、ルージュや指輪、靴などの小物だけで「美しい女」を表現することが出来るかも知れない。
こういった表現は、一般に「想像力をかきたてる写真」と呼ばれているものであろうか。

これは文学的な表現と言える。人間の感覚が映像と文字とで同じ概念を持っているからこそ可能な表現方法なのだ。もし仮に、映像と文字とを別の概念で感覚する異星人が存在したら、「想像力をかきたてる写真」というものは、あくまで情報不足の画像でしかない。彼らにとって、我々の想像力は、「不確定な情報に基づいた価値の無い幻影」と感ずるだろう。

もちろん、特別な意図も無くそのような表現を多用することは避けたい。写真であることの必然性を薄めてしまう結果になるだけだ。それならばいっそ、素直に文字表現に切り替えたほうがいい。


特に具体的な作例が手元にあるわけではないが、こういった表現は我輩の持つ1つのイメージである。もちろんそれは女性写真と限ってはいない。
もしイメージ通りの写真が撮れれば、ここに載せることにしよう。